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2014年8月24日 女性医師のさらなる活躍を応援するシンポジウム

医政局医事課

○日時

平成26年8月24日(日)14:00~16:00


○場所

独立行政法人国立国際医療研究センター 国際医療協力研修センター 5階 大会議室


○議題

第1部 基調講演
   「これが私の生きる道 ~医師として、女性として、大先輩からのメッセージ~」
    惠谷 ゆり 氏  大阪府立母子保健総合医療センター 消化器・内分泌部長
    安田あゆ子 氏  名古屋大学医学部附属病院医療の質・安全管理部 副部長
    岩本あづさ 氏  国立国際医療研究センター国際医療協力局派遣協力第二課 医師
    津下 一代 氏  あいち健康の森健康科学総合センター センター長
    山本 紘子 氏  日本女医会会長

第2部 意見交換会 「大先輩に学ぼう!」
   懇談会委員と参加者の意見交換
   コーディネーター 山本 紘子 氏

○議事

○事務局(森) それでは、定刻になりましたので「女性医師のさらなる活躍を応援するシンポジウム」を開催いたします。

 本日は、皆様には御多忙のところを御参加いただきまして、まことにありがとうございます。

 初めに、村木厚生労働事務次官より挨拶申し上げます。

○村木次官 皆さん、こんにちは。厚生労働事務次官をしております村木でございます。

 きょうは本当に暑い中を、それも日曜日に、この「女性医師のさらなる活躍を応援するシンポジウム」に御参加をいただきまして、本当にありがとうございます。

 今、政府は、女性がもっと活躍できる社会をつくらないと日本は元気になれないということで、女性が輝く社会ということを一生懸命政策目標に掲げてやっております。ちょうど6月に日本再興戦略というのが改訂をされました。その中にも女性の活躍の場をしっかりつくっていこうということが書き込まれていますが、その中に女性医師のことが具体的に書かれています。その中身は、女性医師による懇談会を設置し、その報告書とあわせて、復職支援、勤務環境改善、育児支援等の具体的取り組みを一体的に推進すると書かれています。

 これを受けて、厚生労働省で、私のもとで「女性医師のさらなる活躍を応援する懇談会」というのを設置いたしました。8月8日に第1回目の懇談会を開催いたしまして、きょう御参加をいただいていますベテランの女性の先生方、お医者様に御参加をいただいて、活発な議論をしていただきました。

 私も実は29年前に長女が生まれて、その後、次女も生まれて、2人の子供を育てながら職業、生活を送ってまいりました。実は6月におばあちゃんになりましたので、やっとこさ一区切りがついたかなと今思っているところです。

 振り返ってみると、本当に29年前、育児休業がなかった時代です。0歳児保育もありませんでした。いろんな育児雑誌とか育児書を読みあさりながら、どうやって子育てしようかといって悩んでいました。病院から娘を連れて退院するときに、ベッドに座ったまま娘を抱いて、これを持って帰ってどうしようとすごく真剣に悩んだのをいまだによく覚えています。

 そのときに読んだ雑誌の中に、子育てをしているお母さんというのが何人か紹介されていて、その中に女性のお医者さんがいらっしゃいました。やめられたら困るから先生何とかして続けてくれと病院に言われて、仕方がなく、どうしようもないときは赤ちゃんを連れて出勤しているというお医者さんの話でした。今考えると大変だなと思いますが、そのとき私は、女性のお医者さんがこうやって頑張ってくださっているのだというのを読んで大変力づけられたのが記憶にございます。

 残業がある、出張がある、転勤がある、子供はしょっちゅう病気をする。実は若松河田の駅は娘を連れて病院に十何年通った思い出の土地でして、そういうことを今振り返ってみると、本当に今子育てをしている人たち、若いお父さん、お母さんにそういう思いをさせたくない。とりわけ医師という大事な仕事をしている人たちにいい環境で働いてもらいたいと心から思っています。

 今、お医者さん全体の中で女性の医師は2割、医学生だと3分の1が女性ということです。少なければ特別扱いもできたでしょうけれども、これからはそうはいかない。そうすると、普通に仕事をして、普通にしっかり医師として仕事をして普通に子育てができる、そういう環境をぜひつくっていきたい。そのための活動をいろんな形で皆さんと一緒にやっていきたいと思っています。

 きょうのシンポジウムは二部構成になっております。1つ目は、懇談会の構成員による基調講演でございます。その後は懇談会の構成員と会場との意見交換という形になります。意見交換については、とりわけこれから医療を担ってくださる若い世代の方々に、日ごろ考えていること、疑問に感じていること、提案をしたいことをぜひ大先輩であるメンバーにぶつけていただきたいと思います。皆さんと一緒に本当にいい環境で皆さんが働けるように、女性医師、それから家庭責任をしっかり担ってくださる男性医師もいい環境で働けるようにしたいと思いますので、ぜひよろしくお願いをいたします。

 開会の挨拶にかえさせていただきます。きょうはよろしくお願いします。(拍手)

○事務局(森) ただいま村木次官よりお話がありましたように、本日は厚生労働省に設置しております「女性医師のさらなる活躍を応援する懇談会」の構成員の皆様に御出席いただき、第1部、第2部と進めてまいりたいと思います。

 それでは、まず最初に本日参加されております懇談会の構成員を御紹介いたしたいと思います。配付しております資料の42ページに構成員の名簿がありますので御参照ください。

 国立国際医療研究センター国際医療協力局、岩本あづさ委員。

 大阪府立母子保健総合医療センター、惠谷委員。

 日本医師会、笠井委員。

 岡山大学大学院、片岡委員。

 日本赤十字社医療センター、木戸委員。

 全国医学部長病院長会議、甲野委員。

 あいち健康の森健康科学総合センター、津下委員。

 全日本病院協会、西澤委員。

 名古屋大学医学部附属病院、安田委員。

 日本女医会会長、山本委員。

 山本委員には座長をお願いしております。また、高橋委員、別役委員につきましては、本日は所用により欠席をされております。

 第1部基調講演に入る前に、会場の出入り口を御案内いたします。シンポジウムの途中で会場を出入りいただく場合は、右後ろ出入り口を御利用ください。また、小さいお子様がいらっしゃる場合、休憩等で必要な場合はお隣のホール、または会場の向かい側に扉があるお部屋を用意しておりますので、ぜひ御利用ください。

 それでは、第1部、基調講演を始めます。

 懇談会委員より5名の先生方よりお話をいただきます。御質問については後半の意見交換の中でお受けいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 まず初めに、大阪府立母子保健総合医療センター、惠谷委員より御発表をお願いします。

○惠谷委員 よろしくお願いします。大阪から参りました惠谷です。

 きょう、私は小児科医ですので、その小児科医として、また女性医師としてやってきたことを簡単に御紹介いたします。

PP

 私の所属しております病院なのですけれども、大阪の南部のほうにございます。周産期小児総合医療センターということで、かなり専門的な医療をやっております。

PP

 私はそこの消化器・内分泌科という科におりまして、消化器と内分泌と両方やっておりますので大変忙しく、大体年に1万5,000人ぐらい外来患者さんを診ているのですけれども、ごらんのとおり、非常に女性が多いです。我々の病院全体で女性医師が多くて、管理職、部長級に5人女性がおります。もちろん、小児病院なので女性が多いということもあるのですけれども、よく大阪は女性の先生が頑張っていますねと言われます。土地柄なのか、元気な方が多いです。こちらが私をずっと指導してくださっている位田先生で、私の先輩というか、ずっと指導をしてくださっています。

PP

 私の専門は実は肝炎でして、B型肝炎、C型肝炎を専門にしております。比較的最近の仕事としましては、この厚労省の科研で四柳先生を班長にしまして水平感染を防止するためのガイドラインの作成にもタッチしておりました。

PP

 あと女性医師支援はずっと私のテーマとしてやってきたことでして、現在、日本小児科学会の男女共同参画委員会の副委員長をしております関係で今回この懇談会にも参加しております。小児学会のほうでは女性医師がとても多いので、10年以上前から女性医師に頑張ってもらうための施策をやっているのですけれども、こういう小児科パンクですとか、各種のシンポジウム、ずっとやって取り組んでまいりました。

PP

 私のキャリアを簡単に御紹介したいと思うのですけれども、平成元年に医師になっております。ちょうど四半世紀がたちました。最初に、卒業は市大なのですけれども、阪大のほうに入局いたしまして、研修した後、結婚をしました。当時、やはり結婚する前はみんなそうですけれども、好きなだけ働いて全くハンデを感じないのですけれども、いざ結婚すると、一体どうなるのかな。特に出産したら一体どうなるのか、いつ産んだらいいのかとか全くイメージがない状態で結婚したのですけれども、その後、先ほどの母子センターに異動しまして、位田部長に出会いまして、ロールモデルになっていただいたわけです。当時、既に子供さんが4歳でいらっしゃったのですけれども、部長としてばりばりされていたので、子供を持っても頑張れるのかなというイメージを持つことができました。

PP

 その後、阪大に戻って長男を出産したのですが、妊娠したことを報告したときに、チーフからも教授からもよかったなと言ってもらえたのです。もし、ここですごくネガティブなことを言われていたらどうなっていたかなと思うのですけれども、ほかの後輩の先生方にも、やはり妊娠したときに上司の方にどう言われるかというのはすごく影響するとよく言われます。

 あと、当時は産休も何も決まっていなかったので、もう自分で決めて復帰してという形でやっておりました。やはり実家の助けがなければ難しいということで、遠距離通勤を我慢して実家の近くから通っておりましたが、私は保育園がよかったので、これも助けられたことです。夜遅くまで預かってもらいましたし、土日もやっていたりとか、そういうことでとても助けられました。

PP

 その後、また阪大に戻りまして、平成9年にもう一人子供を産み、ずっと臨床を続けているのですけれども、平成12年には留学もいたしました。ずっと日本で仕事をしていましてもなかなか保育園のお迎えがあったりとかで仕事が途切れがちでまとめて研究できないという思いもあったので教授に相談して、いいよと言ってもらえたので、このときは夫が、私の夫は医者なのですけれども、夫のほうが病院をやめて私について留学してくれて、家のこともやってもらったりとか、そういうサポートもあって留学が実現しています。帰って来てから助手になって、その後、一般病院に出まして現在の消化器・内分泌科のほうに異動となっております。

PP

 こういうキャリアなのですけれども、先ほど御紹介しましたように、お産をする前にロールモデルとなってもらう医師に会えたので頑張れたのですけれども、そういう人ばかりではないだろうと思って、子育て支援会というものをこの2人の子供を産む途中で始めました。WARAJIの会と名づけているのですけれども、小児科というのは普通の病院では余り数がいないのです。大体3~4人ぐらいしかおりませんので、周りに私のように子育て中の女性医師がいる確率はとても低いです。同じような立場の医師が集まって話し合いをすることはきっとサポートになるだろうと考えまして、年に1回、大体1520人ぐらいですけれども、女性医師に声をかけて情報交換しましょうということを始めました。

 当初、阪大の先生、しかも女性だけでやっていたのですけれども、留学を経て帰ってきたからは、もうそういうのは関係なしにして、男性医師であっても、いわゆるイクメンですね。あとほかの診療科とか、他大学の先生方も参加していただくようになります。

PP

 これはことしの1月にやったものなのですけれども、こんな感じで非常ににぎやかで、子供もたくさん連れて来られるのでわいわいやっているのですけれども、この子育て支援会でよかったことは幾つかあります。みんな来るとすごく元気になるとおっしゃるのです。みんなふだんは職場でも言えない、余り子供のこととかを言ってしまうと何となく肩身が狭かったりとかなるのでということをよくおっしゃいます。みんなお互いいろんな立場で頑張っているのだなということがわかるので、自分だけではないと思って頑張れるとか、あと具体的な情報交換もしています。あそこの保育園がいいとか、週30時間働いたら常勤になれるという情報をここで得て、翌年に常勤になりましたという報告をしてもらったりとか、具体的なサポートになっているかなと思っております。

PP

 こういう形で子育てをしながら小児科医としても頑張ってきたことでどういうメリットが、プラスがあったかということなのですけれども、やはり視野が広がります。どうしても医者の仕事は忙しいですから、病院だけで時間も過ぎてしまうのですけれども、子育てをしていると、地域とのつながりですとか、学校とのつながりですとか、社会人としての広がりがあるような気がいたします。

 限られた時間で仕事をしなければいけませんから、当然のように集中して行うことになりますし、小児科医の場合はダイレクトに子育て経験が仕事に生きるので、ちょっとした研修よりもはるかに役に立つところもございます。そして、子供の存在のかけがえのなさというものをみずから育ててみてわかるところもあります。例えば生後6カ月の赤ちゃんだったら、6か月育ててきた。もっとおなかの中から言えば1年半育ててきて今ここにいるのだということをすごく実感するようになりました。それから、お母さんの気持ちが当然ながらわかるので、親身なアドバイスができているかなと思っております。

PP

 こういう形でキャリアを維持するためにですけれども、自分自身の努力が要るのは当然なのですが、やはり職場だったり家族だったり、いろんなサポートがなければできないということがあります。

PP

 女性医師自身に対しては、いつも若い先生に話すときに申し上げるのですけれども、強制されて入学したわけではないのです。医学部に自分の意思で入ったのですから、医者という職業を続ける、貢献する義務があるということは絶対忘れないでほしいということをよく申し上げています。

 産休・育休というのは法的な権利ではあるのですけれども、権利だからといって振りかざすことはできない、最低限の配慮は必要です。ただ、その一方で、医師の仕事も非常に過酷ですし、全てを完璧にするのは難しいので、ある程度妥協するということも、上手な妥協は大事だと思っています。

 7割以上とれれば、3つ足せば210点になるからいいよということもよく申し上げます。

 それと、長いスパンで考える。私たちのキャリアは今も定年65歳ぐらいの病院が多いですから、ざっと40年ぐらい働けるのです。その間、10年ぐらい子育てでペースを落としても、あと30年かけて、ローンだと思って返せばいいのではないかしらということもお話ししています。

PP

 一方、家族に対してですけれども、これもきょうここにお見えになっている方々で奥様がドクターという人もいらっしゃるかもしれないのですけれども、ぜひ自分の妻としての役割だけではなくて、奥さんは医者なのだと、医師としての社会的責務があるということを御理解いただけたらと思います。非常によくあるのですけれども、自分に迷惑がかからなかったらいいよと、自分は自分がしたいだけ働くので、あなたは自分の中でちゃんとカバーできるのだったら働いていいとか非常に多いのです。これでは非常に女性はしんどいので、ぜひ一緒に分かち合って一緒にキャリアを上げると思っていただけたらということをいつも思います。

 あと、やはり社会的なインフラも重要ですし、それと最近思うのですけれども、医師は自分自身が高学歴職業なので、当然自分の子供の教育も疎かにしたくないのですけれども、そこのところは全く追いついていないですね。保育園にしても、学童にしても、預かってもらうだけで精いっぱいで、そのクオリティーが全く問えない。でも、そういうところに預けたくないから仕事を減らしますとかやめますという女性医師もいるのです。このあたりのところはもう少し次のステップとして改善を期待したいところです。

 それから、我々の先ほどの子育て支援会に来ている方でも、自分の家に家政婦さんとかヘルパーを入れている方は本当に少ないです。私も入れていないのですけれども、この辺も価値観を変えていかなければいけないところかなと思います。

PP

 職場については、以前から言われていることですけれども、やはりわずかであっても続けてもらうことが大事です。産休、育休を取るためには人数がいるので、どうしても集約化とか連携も必要かと思います。

 時間外の勤務を減らす、時間内に会議を行う。皆さんでたとえちょっとでも仕事をしてくれたら助かるよというメッセージを伝えていただけたらと思いますが、やはり女性医師だけが楽になったら角が立つというか、うまくいきませんので、みんなが過重労働をしなくて済むような環境を考えていかないといけないと思います。

PP

 そして、女性医師については、離職防止とか復職支援だけが女性医師の支援ではないので、やはり専門性を高めて高い役職、収入を得られるようなキャリアの支援ということも必ず必要だと思っています。どうしても女性医師は続けられるだけでありがたいとかという考えになりやすいのですけれども、ぜひ若いときからキャリアデザインを考えて積極的に発言して発表して、自分から情報を得る、会っていく、チャンスは譲らない、逃がさない、できない理由は簡単に見つかりますけれども、できるかを考えてもらって、どうせやるなら楽しくやれば周りの人も助けてくださるのではと思います。上司の方にはせめてフェアに行っていただけたら。最初から無理だろうとか決めつけないで、あの人は子供がいるから遠慮してしまうという上司の方がいらっしゃるのですけれども、直接相談して気持ちを確認して、こういうことならできるのではと提案していただけたらと思います。

PP

 最後になりますけれども、医師という職業は本当にすばらしい仕事で中毒性があると思っていますけれども、みんな本当は続けたいのです。そのためにどうしたらいいかということなのですけれども、その喜びとか誇りを大切にしながら、何とか1人でも多くの女性医師に頑張っていただけたらと思います。

 支えてくださる皆様に感謝の心は折に触れて伝えるように、気持ちは高く、目標も高く、チャンスは逃さず、自分自身のべストを尽くす。みんな見ていますので、そういう姿勢を示していれば助けてくださる方はきっといます。ぜひ一度きりの人生ですので、医者としても、女性としても、輝く道を歩んでいけたらと思います。

 以上です。ありがとうございました。(拍手)

○事務局(森) ありがとうございます。

 続きまして、名古屋大学医学部附属病院、安田委員より御発表をお願いします。

○安田委員 皆さん、こんにちは。名古屋大学の安田と申します。

 きょうは厚労省の方から、私の個人的な話をしろというようなことを言われて、そういうことを人前で話すのはと躊躇する気持ちで参っておりますけれども、事例から、世の中で何をしたらいいのかということを学ぶ会だと説得もされまして、私のことを症例検討会の一症例として話を聞いていただけたらと思います。よろしくお願いします。

PP

 私の略歴です。ここに書きましたように、惠谷先生は先ほど平成元年とおっしゃっていたのですけれども、私は平成8年に医学部を卒業しました。卒業しましてから名古屋の郊外の病院でスーパーローテート研修を行いましてから、胸部外科医を専攻しまして、胸部外科に勤務しております。外科系ということです。

 5年目に大学の大学院に入り、そこで結婚して妊娠出産ということがありまして、ちょうど夫の渡米とも重なり、大学を休学してアメリカに夫婦で渡ることになります。その後、アメリカのほうで研究をして2005年に戻ってきまして、そこで大学の臨床と研究を続けようというようなことになったのですが、その後、厚生労働省に大学から出向しろと言われ、厚生労働省のほうで医師の臨床研修にかかわる仕事を5年ほどやりました。週3回の勤務でいいという変則的な業務でしたので、名古屋医療センターで手術を週2日続けるという生活を5年間少し行いました。3年前に現職である大学の管理業務をまた大学のほうからやれと言われて今に至っているという感じです。

 簡単に説明しますと、私がキャリアの中で身につけたコンピテンシーはこんな感じなのかなと思いますけれども、その中に1年ちょっとですが、主婦をやっていた期間というのもございます。生活面を重ねてみますと、結婚して子供が3人いて、今、一番下の子が小学校1年生になっています。ですので、今、苦労している世代の代表、同級生を見ていても、私の友達で、常勤でいる人間のほうが少ないかなというような世代です。

PP

 こういうふうに書くのが一般的なのですけれども、私が自分でイメージしている今まで私がたどってきた変遷というのは、実は何となくすごろくというか、人生ゲームみたいな感じで、こういうようなものなのかなと思っています。次のコマに進むのに多分いろんなベクトルもあって、さいころの目でいろいろな場所に進む可能性もあったけれども、結果として今こういう道をたどってきていて、しかもまだまた終わりはなくて続くというような状態です。その間に人生ゲームのように子供がふえたりとか、借金とかはないのですけれども、いろいろな資格を取ったりだとか、そういうようなことがあってキャリアが脈々というか、細々とつながっています。

PP

 こんな中で、幾つか分岐点があったと思いましたので、4つ挙げてみました。まず、胸部外科医になったきっかけというのは、働き出したときに、名古屋大学はスーパーローテートで、今の研修制度と似たような形で全科を回れるような研修をしていました。その当時の病院の心臓外科の先生が本当に楽しそうに働いていまして、私自身、手術室がすごく好きでした。そういう方は多分いらっしゃると思うのですけれども、そういう方は外科系に行かれたほうがいいと思います。手術室にいるのがすごく楽しかったその中で、こんなに楽しそうに手術をして、手術の後の患者さんを見ていることに関してもこんなに楽しそうにやっている方はほかにいなくて、こんな楽しそうな人と一緒に働きたいな、私も楽しい仕事をしたいなというのが多分胸部外科医になったきっかけだったと思います。

 入局してみて気がついたのですけれども、私、そんなに年をとっていないと思っていますが、名古屋大学の胸部外科では女性第1号というような状態でした。

 2つ目に、突然婚活して結婚した親友というのを挙げました。私が働いていた病院はかなり野戦病院というか、若い医者を一生懸命働かせるような病院でした。研修の同期の女医さんで、すごく仲よくしていた友達がいて、その友達は産婦人科に行きました。仕事が終わった後も田舎で特に何もするようなこともないところなので、よく一緒にジムに通ったりして遊んでいました。彼女は学士入学をした人で、私より8つぐらい歳が上だったのですけれども、彼女が、「私はもうタイムリミットだから結婚する」と突然宣言しまして、その当時、余り一般的でなかった結婚相談所みたいなところに登録して、本当に2~3カ月後に結婚して、続けて年子を2人産んでしまいました。賢い人はとことん賢いのだなということを非常に思いまして、人生を自分でマネージするというのはこういうことなのだな、私もそのときまで惠谷先生と同じで仕事のことしか考えていなかったのですけれども、自分の人生の全てをオーガナイズするというようなことをその友達から学んだ非常に貴重なロールモデルです。

 3つ目に、アメリカ同時多発テロ事件というのを挙げました。私がアメリカに渡ったのは、出産をした直後から夫がアメリカで勤務になりましたので、少しおくれて子供が3カ月のときに渡りました。その4日後にアメリカ同時多発テロ事件が発生しまして、私はテレビを見ても英語で何を言っているのかわからないというような状態ではあったのですけれども、それでも何か非常にまずいことが起こっていて、日本人に対してもその後しばらくビザが出ないような期間もあって、アメリカの方向性が非常に大きく変わっていくということが恐ろしいと感じていました。その中で小さな子供を連れて、私が責任を持って何とかなければ、しばらく日本にも帰れないしというようなことを非常に思った事件で、夫に関しても多分2人で何とかしなければというようなことを思った事件だったのかなと思っています。アメリカで子育てをしてよかったのは、夫に関しても私に関しても、夫婦で、子供に関しても自分たちの仕事に関しても完結させようという運命共同体のような意識がすごく強くなったことが、この事件がきっかけなのですが、あったと思います。

 4つ目は、いろんなキャリアをたどってきて、病院にいても、割と医師だけで付き合っている人というのは多いような気がするのですけれども、今の職場も、看護師さんや、うちは弁護士さんだとか事務の人だとかみんないて、前職の行政のときも事務の方と一緒に仕事をするということで、非常に世界が広がりました。これは私のキャリアの中で、世の中で仕事をするというのはこういうことなのだなということを知るいい経験でした。

PP

 今回、よかったことを挙げてくれとも言われたので、女性医師としてよかったことを3つ挙げました。私の周りにいた人たちは、多分女性の胸部外科医を扱うということが皆さん全て初めての経験だったような気がしますが、今思い返しても、非常にバランス感覚のよい方が私の周りにたまたまなのか多かったと思っています。差別も特別扱いもされないけれども、区別はちゃんとしてくれて、そういう意味で女性として見られていなかったとかそういうこととは別のような気がしていますが、その辺のバランス感覚が非常にすぐれた方が今もですが、周りにたくさんいたせいで私は生き延びてこられたのかなと思っています。

 2つ目は、いろいろな経験ができたと書きましたけれども、裏を返せば、普通の外科医としてずっと仕事をしていくことができなかったというような悔いでもあります。今は週に2日、手術の日だけが私の心のバランスを保っている大切な時間になっていますが、それでもいろいろな経験ができたということは非常によいことだなと思います。

 3番目は、地域コミュニティだとか、そういうことで世界が広がったということはよかったと思っています。

PP

 これは本日もご出席の木戸先生や産婦人科の先生方中心の研究班で一緒に混ぜていただいて考えたものですが、医師の人生で仕事のこと、上のところが仕事のことになると思いますが、仕事のことだけではなくて、やはりパートナー、子供、経済面、健康、こういうようなこともきちんと考慮に入れてマネジメントしていかないと、長い人生なかなかうまく全て計画性を持ってということも難しいと思います。こういうことが起こるということを考えに入れていろんなことを考えていかないとうまくできないのかなと思ってこういうものをつくりました。

 8つの要因を挙げました。この詳細は私の資料の後の17ページからのところに、パンフレットを研究班で作成しましたので、それをつけてあります。A4、3枚、見開きでつくってありますので、コピーすると見にくい形になっておりますけれども、この8つの要因を女性だけでなく、医師が皆さん考えながら自分の人生を歩んでいってくださいというようなメッセージを込めてつくったものです。

 この中で診療、研究、教育というのはよく大学病院の目標とかでも言われますが、人間力・マネジメントというところは、どうするのがいいのかというところもあります。これは宣伝なのですけれども、先月、文科省のほうで申請して通していただいたのですが、専門医になった後のキャリアパスと言うことに関して、医師は現状としてかなり出たところ勝負というか、個人の技量に依存しているところが多いと思います。そういう管理者医師のコンピテンシーみたいなものをきちんと教育していく必要があるのだろうということで文科省に申請していて、この申請が通りまして、来年10月を開講予定で、名古屋大学のほうで管理者医師を養成するようなプログラムを今作成しております。安全管理、質管理、そういうような病院だけではないのですけれども、医療をやっていく基盤的な知識を身につけるようなカリキュラムを検討していくというようなプログラムを考えております。またこちらも御参考にしていただけたらと思います。

 最後に2つだけメッセージをあげました。社会に出てから学ぶということに関しては、やはり本からとか、学問的なことよりは、人から学んで自分の人生をどうするかということが中心になると思いますので、やはりロールモデル、そういうものを大切にしていただきたいなと思います。

 私は、キャリアの中で二転三転したような人生を歩んでおります。1つ思っているのは、迷ったときにはこちらのほうが経験値がふえるというほうを選んだらどうかなというのが、私の提案です。

 以上です。ありがとうございました。(拍手)

 

○事務局(森) ありがとうございました。

 続きまして、国立国際医療研究センター岩本委員より御発表をお願いします。

○岩本委員 よろしくお願いします。私は当センター、国際医療協力局で母子グループを担当しております。きょうは国際保健という世界の中で、日本の外でどのように女性医師として働くかということをテーマにお話ししたいと思います。

 私が最初にこの世界に入りたいと思ったのは、小学校3年生のときでした。私が育ったのは栃木県日光市の山の中なのですけれども、『ヒマラヤの孤児マヤ』という子ども向けの本がありまして、それはこのセンターのすぐ横に本部があるJOCSというNGOからネパールに結核対策で派遣された岩村昇さんというお医者さんの奥さんが書いた本でした。すごく感激して、私が育った山の中とヒマラヤの情景が重なってしまったところがあると思うのですけれども、こんな世界があるのだと思って、こういう遠隔地、僻地と言われるところで患者さんを診療したり、子どもさんの命を救ったりする仕事がしたいなと思ったのがきっかけです。

PP

1993年、平成5年に滋賀医科大学を卒業しまして、国立岡山病院というところで小児科、主にNICUで新生児の診療をしておりました。2000年に今の職場に移ってきまして、最初は2~3カ月の単位で先輩のもとでいろんな途上国でプロジェクトの中で経験を積んで、その後、厚生労働省に出向したり、あとイギリスで勉強したりしたのですけれども、5年ちょっとラオスという国でJICAのプロジェクトのチーフアドバイザーとして働いて現在に至ります。

 その中で私がキャリアパスで重要だったなということが3点あるのですけれども、1つは、私たち国際保健の世界で仕事をするとき、公衆衛生分野の仕事にかかわることが現在多いのですが、そうであっても、やはり日本でも世界でもお医者さんとして通用する存在になるためには最初の初期臨床研修がすごく重要だと思っています。それが私の医師としてのアイデンティティを支えていると思っています。

 それからこれも女性医師に限らないことですけれども、2点目は、やはり仕事の舞台が世界なので、欧米の公衆衛生大学院で勉強したということは非常に有用です。国際保健、グローバルヘルスの世界的な潮流を知ったり、世界各国に友達やネットワークをつくるということは、とても役立ちます。

 3点目は、国際保健、グローバルヘルスの中にも多様な分野があって、例えばHIV/AIDSだったり、ヘルスプロモーションだったりしますが、その中で自分の軸となるような専門性を割と早く見つけて、それを深めていくというかかわり方がいいのではないかなと思っています。私の場合はスタートが小児科だったこともあり、国際小児保健・新生児保健という分野でずっと仕事をしてきたということが、自分にとっては意味があるなと感じています。

PP

 私が現在仕事をしているこのセンターを紹介させていただきますと、日本のODA(政府間援助)の国際保健分野での協力を実施している機関ですが、現在私が所属している科は48名です。大所帯なのですがそのうち医師が31名で、女性医師は9名とちょっと少ないです。ただし看護師さん、助産師さんの女性の方もおられるので、合計すると約半数は女性です。1年以上の海外長期派遣者は半数弱、15名中7名がこの女性になっています。このセンターでは、私の職場もそうなのですけれども、女性の管理職はまだまだ少ないということが課題になっているように思います。

PP

 国際保健、グローバルヘルスという世界では、日本で仕事をするのとは違う面もあるので、きょうはそこを強調してお話しすることになるのですけれども、何が困るかというと、この2点かなと思っています。

 まず、何よりも困るのが、生活が全然違うので、特に病気をしたり小さい子どもがいたりすると本当に途上国の医療機関、病院が十分な質がそろっていないところが多いので、とても困って右往左往するような状態になってしまいます。私がラオスにいたときも、ラオスという国も残念ながら医療事情が非常に厳しいので、メコン川を渡って車で隣の国のタイの病院まで走るということなどもしております。

 2番目なのですけれども、先ほどからお話がある女性のライフイベント、人生計画はこの世界は立てにくくて、卒後、臨床研修終了後からまたグローバルヘルスという新しい世界に入っていくような感覚があります。30代初めから新たなキャリア構築が必要で、そこに妊娠・出産、子育てというのがばっちり重なってしまうとちょっと大変です。さらにこの仕事をしていると数年ごとの転勤から逃れられなくて、その転勤がまたアフリカからアジアといった途上国間だったり、あるいは2~3年途上国にいたらまた東京、また次の国に出るといった、行ったり来たりということが非常に頻繁に起こるので、なかなか綿密な計画が立てづらい状況にあります。

 将来的には日本に戻って働きたいという方もおられますが、途上国赴任中に次の仕事の準備をしようと思っても、最新の技術や知識は例えばネットがつながりにくかったり、あるいは図書館の質がとても低かったりで、なかなか難しいので、いつもこのような苦労がついてまわっています。

PP

 しかし、その一方で、実際恵まれていることも結構あるなと感じております。

 1つは、途上国では、家族、子どもが何より大事と考える方がとても多くて、そういう文化が根づいているので、私たちが一緒に仕事をするカウンターパートの認識が高いのです。例えば大家族でお子さんのお世話をしているとか、妊娠・出産、育児後に復職するというのも非常に当たり前のことです。お子さん連れで出勤される方も多いですし、家事のアウトソーシング、先ほど課題として出ていましたけれども、それも日本より結構進んでいる部分があります。

 開発途上国の女性の方たちも、困難な状況の中でも要職について活躍されている方も多くて、例えば私たちが仕事をしてきたアフガニスタンとかベトナム、モンゴル、セネガルなどは女性医師の方が保健大臣として活躍されています。

 国際協力というのは国際保健もですけれども、割と日本人女性がずっと元気に活躍している分野です。国連職員は大体男女比2対1と言われていますが、古いデータですが、日本人職員は半々だったり、WHOでも半分弱は女性の方です。JICAも青年海外協力隊に至っては女性のほうが4対6で多いという、非常に女性の活躍の場が多い分野でもあります。

PP

 最後に、ライフイベントを抱える女性医師として視点を持つことで、今までもお二人の先生が言われたように仕事以外の価値観、優先事項が違ってきました。それはどこの国に行っても一緒に仕事をするカウンターパートの方たちとも共通の関心事項としてお話ししたり経験することができたと思っています。

 そして、仕事の現場でも、途上国で女性医師だからこそ入りやすい場面があるのも事実で、例えばイスラム圏で女性が非常に厳しい状況に置かれているところでも、女性医師なのでお産の場に立ち会うことができる、などということは確かにあります。

 私は小児科の臨床から入ったのですが、小児科とか国際小児保健の中で例えば母乳育児が大事とか、カンガルーケア、Skin to Skin はこんなに赤ちゃんとお母さんにとっていいことだというのは、仕事の中で、肌で感じてきました。そういういわゆるエビデンスと呼ばれている小児保健分野への確信が、女性であるからこそ増して、そういう仕事の仕方ができるようになったと思っています。

PP

 これで終わりなのですけれども、私たち国際医療協力局で3カ月に1回ニューズレターを出しておりまして、ちょうど私の同僚の石川尚子先生という方、現在マニラのWHOの西太平洋事務局に赴任されたばかりなのですけれども、その方の「私らしく世界で働く」というインタビュー記事が、最新号に掲載されています。2人のお子さんを連れてアフリカに赴任されたりしているので、非常におもしろい興味深い内容なので、もし関心のある方はホームページから読めますので、ぜひ読んでいただければと思います。

 以上です。ありがとうございました。(拍手)

○事務局(森) ありがとうございました。

 続きまして、あいち健康の森健康科学総合センター、津下委員より御発表をお願いします。

○津下委員 御紹介ありがとうございます。あいち健康の森健康科学総合センターの津下と申します。

 私は内科の臨床をやっていましたけれども、生活習慣病の予防ということから健康政策の分野に今かかわってずっと31年になります。

 ここがセンターの写真、チームの写真なのですけれども、女性の医師が4名で、コメディカルの方々と一緒になって健康政策、健康づくり等を行っております。

PP

 私のキャリアについてですが、1983年に卒業しまして31年たちます。もともと内科の臨床で患者さんの身近で全身が見られる医者になりたいというような思いがありました。大学生のM2セミナーで第一内科の研究室に出入りしておりまして、そこのときに内科の女医さんもちゃんと仕事をしている人がいるよと伺いました。国立名古屋病院は院内保育所があるから、そこへ預ければきっと仕事ができるから、というお話をいただいて見に行ったりしてここで研修をスタートいたしました。

 ここで2人の子供を産みました。そして、大学から医局に戻ってくるようにという話がありまして、6年後に第一内科に帰局いたしまして、帰局中には多くの病院で専門外来をさせていただいたりしております。転勤に際し、子供がこのときに院内保育所を出なければいけないということで、子供も納得できる保育園探しということを一緒にやった覚えがあります。

 そして、研究で学位が取れましたので、愛知県総合保健センターというところでやってみないかという話がありまして、赴任しました。それまでも糖尿病の教育入院とか患者教育ということをやっておりましたので、そういう仕事を予防の現場でやってほしいという要請がありまして、2年間の予定で赴任しました。ところが、そこの健診データの蓄積から、健診を受けても糖尿病の改善につながっていない人たちが非常にたくさんいて、合併症もかなり出ているというような疫学的な分析というのを覚えまして大変興味を持ちました。健診や予防の仕事、当時、余り臨床医が関心を持たない分野ではあるのですけれども、非常に重要だと思いましたので、ここから予防に向けてキャリアが切りかわっていったということになります。

 そして、2000年にあいち健康の森健康科学総合センターへ。糖尿病だけでなく健康づくり全般や生活習慣病予防に重点をおいた仕事に移るように、これは県からの要請で移ったということであります。ここでは、厚生労働科学研究として、運動療法や生活習慣介入研究、「健康日本21」、特定健診・保健指導の在り方、介護予防等の研究を進めております。

 また、国際協力としては、JICAの生活習慣病予防コースについて平成12年度からうちのセンターでやっておりまして、国際的なお仕事も携わらせていただいているというのが大まかなキャリアになっております。この間、厚生労働省の検討会などにもお呼びいただいたりしております。

 子供についていいますと2人とも社会人になりまして、娘は今医師として4年目なのですけれども、血液・腫瘍内科で臨床中心の仕事をやっているところです。

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 概略をお話ししたのですが、具体的な何を考え、どうやって動いたかという話をもう少し掘り下げてお話ししたいと思います。学生時代、当時、女医さんは内科分野には少なかったということもありまして、卒後どうしたらよいのか、よくわからない状況でした。それで、女性医師が勤務している病院を見てきたらということで幾つかの病院を見ていきました。うちの親が3歳児神話にとりつかれておりまして、生まれたばかりの子供を保育園に預けて仕事するなど、あなたは鬼なのかということも言われたのですけれども、一緒に院内保育所を見に行きました。そして、保育所で保育所の先生たちが一生懸命子育てを親と一緒に行っているという姿を見まして、私も安心をして子育てをすることができました。やはり1回見に行くことが大切。私自身も1人で核家族で育てるのは不安だったので、院内保育所という存在は非常に重要でした。

 3歳児神話、両方の親がそうだったのですけれども、子育ての期間、5年間、当時、産休は取れたのですけれども、当時は、育休はもちろんありませんでした。続けて仕事をしていくために、「たった人生5年間だけ助けて」という話をしました。家政婦さんとか、保育お姉さん、保育園の学校に行っているお姉さんにも頼りました。夕方来ていただいて、私が家事をやっている間子供の面倒を見てくれました。夫は臨床医をやっていたので帰りは遅く、余り当てにできなかったということもあって、そんなことをしていました。

 公立保育園に移ったときなのですけれども、保育園探しをするときに子供も一緒に連れていきました。院内保育所よりも大きい保育園でたくさんのお友達がいて、遊具もいっぱいあってすごくいいのだということを子供たちも自慢するようになって楽しみに転園できたというのはよかったかなと思います。

 保育園の運営について、女性の医師がいるということは、例えばいろいろなイベントのときなどもお役に立てることがあるので、なるべく保育園の運営に積極的にかかわるというようなことで、園の先生方とも風通しをよくするような工夫をしてきたと思います。

 仕事の面なのですけれども、やはりどうしても制約があります。保育園のお迎えの時間とかありますので、その時間内で責任が果たせる仕事をできるだけ一生懸命やるというようなことを心掛けました。急変とか夜間のコールをできるだけ減らしたいという思いもあったので、患者さんにできるだけ自己管理がうまくいくような教育をしておくとか、コメディカルの方々に、看護師さんのケアの能力が高いと急変をかなり減らすことができるので、昼間にいろいろ患者教育やコメディカルの教育というのを一生懸命やったのが今の仕事につながっていると思います。コメディカルの方々と一緒に仕事をするという中で、副産物ではありますが、保育園の縁も非常に大きかったと思います。

 私も転勤するときなどに、自分は今のままの生活がいいと思いやすいタイプなのでけれども、「今はステップアップするときだ」と背中を押してくれる上司がいたということがありがたかったかなと思います。

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 恥ずかしながら子供の話です。子供も小さいころには、「保育園でいっぱい遊べるから幸せだ」と言ってくれたり、週に1回はおじいちゃんの日とか、週に1回は夫が迎えに行く日とか、ルールを決めてしっかり研究できる日がつくれたのはよかったかなと思います。中学生になると子供は親から離れていくものですが、私が仕事で愚痴を言ってもやめたいなどと言うと、「お母さんから仕事をとったらどうするのだ」と子供から叱られるようになりまして、子供が支えてくれる面も結構大きかったかなと思っております。

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 ここで今の仕事を少しご紹介したいと思います。今の仕事は子供からお年寄りまで、そして健康な人から病気の人まで広く対象にしております。

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 こちらが4名の医師なのですが、たまたま今女性4人でやっておりまして、あとはコメディカルのチームといっしょに、予防プログラムの企画、運営等をやっております。

 彼女は今部長をやってくれているのですけれども、こちらに来たときにはお子さんも小さく、徐々に仕事をふやしていって、研究面でも学位も取れましたので、今、部長とマネジメントしていただいております。若いドクターについても、大学から若いドクターを派遣していただけるようになっています。

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 市の健康政策の支援というような活動、これもいろいろな部局と話し合っていくということが必要ですので、そういう医師以外の世界の人たちと話をする機会が多い職場です。

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 企業との連携や、JICAの生活習慣病コースですけれども、アジアや中南米の方々が毎年1カ月ぐらい当センターに滞在して、NCD、生活習慣病対策を学んでいただいておりますが、特に中国の石家庄市には5年間毎年出かけて現地の指導をしているところです。

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 個人の生活習慣に対するアプローチは糖尿病の外来、糖尿病の臨床でもできるのですけれども、私たちの仕事は公衆衛生的に社会環境の改善など、生活習慣病になりにくい社会をつくっていく、こういうような仕事に広がってきたかなと思っています。

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 こういう経験や研究が、国の検討会でも機会をいただいくことにつながっていると思っています。

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 このような経験から、女性医師としての視点を持ったことでよい方向に影響したこととしては、お互いに家庭を大切にする。それは女性の医師だけではなく、職員みんなそうだと思いますけれども。特に学校の行事にお母さんが来ないのは結構悲しがるのでとか、親戚の法事とか、家族にとって重要なポイントはちゃんと押さえたほうがいいかなと。体調不良時のやりくりとか、会議の時間帯など工夫すること、時間の長さよりも、準備を事前にしっかり行い、密度や内容重視の風土づくりをするということが、今、センター長としてすごく意識していることであります。

 チーム力という点では、患者教育、管理、コメディカルの教育等、事前の準備をしっかりして、チーム力で解決していくこと。女性の医師もさまざまな思いを持っているのですが、やはり「できる役割を果たす」ということを伝えるということで、必要なサポートと教育サポートが必要だろうと思っています。

 とくに得意分野をつくることも重要です。この医師はどういうことが得意だからここの分野で伸ばしていってほしいとか、得意分野をつくってチーム医療の中で役割が果たせるような、そういう存在感のある人格形成をしていくということが重要かなと思っています。

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 仕事に役に立ったこととしましては、医療も家庭も制約因子だらけです。いろんな制約因子があり、そして途上国についてもかなりいろんな制約因子がそれぞれに違う。そういう中で、最大の効果をどう引き出すかということや、リスクマネジメントをどうするかということ。ガイドライン的な理想的な医療はあるのですけれども、その時点でできることは何かということを考えていく視点は子育てや家庭のマネジメントの経験と通じるものがあると思っております。

 特に生活習慣病分野というのは、生活者の視点に立った対応ということが必要だと思います。1つ工夫なのですけれども、職住接近をしました。とにかく通勤時間がもったいなかったので、職場と保育園と住んでいるところを近くするために引っ越しを4回やりました。そういう工夫により、患者さんの生活背景を実感することができたので、よかったか経験でもあります。

 それから、状況に応じて人から求められる仕事に変わったということがあるのですが、それがまた視野を広げることにつながったと思っています。

 また、常に幾つもの仕事を並行して流していくということがいいトレーニングになって、後で仕事の面でも役立ちます。子供が中学、高校になると、親から離れていたほうがいい時期がありまして、そうなるとお母さんも仕事に存分に邁進できますので、5年、10年は少しセーブはかかるのですけれども、女性のほうが人生長いですし、十分取り返せると前向きに考えています。思う存分仕事ができるように、その期間を大事にうまくキャリアにつなげていただければと思います。

 そして、多くの方々にサポートしていただきましたことを感謝申し上げてプレゼンテーションを終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

○事務局(森) ありがとうございました。

 最後に、日本女医会会長、懇談会座長の山本委員より御発表をお願いします。

○山本委員 御紹介にあずかりました山本でございます。

10分ほど時間が延びておりますので急いで参りたいと思います。タイトルがつけられないような感じのお話になりますが、御容赦願いたいと思います。

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 自己紹介を兼ねまして、その時々で考えたことをお話ししたいと思いますが、女性医師のそれぞれの事情は千差万別ですので、ほんの1例とお考えくださり、少しでも参考になれば幸いです。

 私、もともと医者希望ではなく、エジプト学を希望したのですが父に墓掘りはだめと反対されました。それのみで希望を捨てたのではなく、何も発見できず、砂漠の中で呆然としている60歳になった自分を想像し、その先行きの不安に負けて断念しました。これは私にY染色体がなかったことが原因と思っています。前後を顧みず冒険ができるようなら子育てはできないと思うので、冒険しないのは女性の一つの特質かもしれないと思うのです。

 母は戦時中に私を産みましたので、連れ合いをなくして一人で子育てをすることを考え、絶対に資格のある職業がいいと主張しました。本居宣長は小児科医、斎藤茂吉は精神科医で、他分野でも活躍した。あなたもとりあえず医者になって、後は好きなことをしたらよいと医者を推薦し、私も納得して名古屋大学の医学部に入学しました。親は子の性格をよく見ており、私は、医学、医療に非常に興味を持ち、今では医者に向いていたと思っています。

また総じて子供の体調の変化を細かく観察して立派に子育てをする女性は、医療に向いていると確信しています。勿論子育てに向いている男性もおられますが、20%ほどでしょう。女性では80%ほどで、そばではないのですが、男女の比率は、二八だと思っています。

 教育課程ではドイツ語が好きで、指導教授がドイツ語の教授でしたので、週4日間、ドイツ語会話に通いました。私が教養課程2年に在学中に産経新聞社社長水野成夫氏が、ドル解禁を機に、日本の今後のために大学在学中の若い人に国際感覚を身につけさせたいと考えられ、米国に20人、イギリス・ドイツ・フランスに各5人を留学させる産経スカラシップを創設されました。その時、氏は次代を育てるのは女性だから性別に関係なく選考すると宣言され、私は、ドイツグループの1人としてボン大学基礎医学課程に留学しました。この時、ドイツグループは男性3人、女性2人でした。

 他の基礎医学の教授はドイツの単位を認めると言われましたが、フランス学派の生化学八木国夫教授がドイツは敵国だから認めないと言われ、結局1年休学することになりました。帰国後1年下の学年に復学しましたが、この学年で伴侶が見つかりました。休学せずに進級していたら接点はなく、今の伴侶を見つけられなかったと思うと八木教授に大感謝です。 

 ドイツ留学では多くを学び、帰国した後、古武弥人生化学教授の息女と親交を結び、その祖父にあたるキヌレニンを発見され、大阪大学生化学教授・医学部長から後に和歌山大学の学長になられた古武弥四郎教授にお目にかかる機会を得ました。氏は岡山の中学に16キロの道を歩いて通い、毎日、朝3時起床で、出発し、夕方7時に帰宅していたそうですが、「この通学の時間を友人は勉学に充てていると思うと焦ったが、今は長生きをして取り返した、あなたもこれから仕事と家庭で大変だと思うが、優先順位を考えて、積み残しは長生きして取り戻せばよい」と言われました。思うように仕事に時間が取れない時は、その言葉をお守りにして自分自身を慰め、鼓舞し、また両立に悩む女性医師にも伝えてきましたが、今、私は長生きをしても取り戻すことは無理だと思い始めています。空腹の家族の食事準備や小児科医の長女の子のお守など急にアウトソーシングが得られない優先事が次々に起き、なかなか積み残しを取り戻せないのです。

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1969年に大学を卒業しました。私のドイツ滞在中に学生運動が激しくなり、卒業時には博士号・大学院ボイコットの時代でした。大学院進学を諦め、名古屋大学の第一日赤で研修に入り、2年目で、先頃、見つけた同級生との結婚が決まり、家庭を持ったら絶対に嬉々として家事をする自分自身を知っておりましたので、アメリカで診療できるECFMGというライセンスを取得して結婚生活に入りました。

71年に名古屋大学第一内科に入局し、神経内科はわからない、治らないと敬遠されていた科でしたが、診察だけで病巣が解明でき、病歴を加味して病因診断できることに非常に興味を持ちまして、祖父江逸郎先生のグループに入れて頂き、4年間、徹底的にベッドサイドの診断技術(ヒポクラテスの言うArt)を習得しました。

72年に長女を出産し、伴侶のアメリカでのレジデント生活に同行して、1年半は専業主婦生活を楽しみました。後半の1年半はライセンスがあるので、熱心にレジデントに勧誘されましたが、当直が頻回のため無理と判断して外来診療と国内外の第一線の教授方の講義を受講し、アメリカの最先端の医学・医療に触れることができました。

 ヒポクラテスは、「Life is short, Art is long」と言いましたが、「Art is universal」で、日本で取得したベッドサイドの診断技術がそのままアメリカの診療にも使え,言葉の問題を越えて的確な診療が可能でした。ここで女性医師がやむを得ず就労を中断し、復職に自信がなく支援が必要と言うことですが、ベッドサイドの診断技術を確実に習得していれば、専門的検査技術がなくても、十分診療はできますので、是非きちんと身に着けて頂きたいと思います。

 伴侶のキャリア形成は重要で、キャリア形成に失敗しますと夫婦共々非常に苦しい思いをしますので、それに付き合いながら自分も道を見つけることが重要です。伴侶の希望を優先しつつ、自分も一緒に前進していくことが大事で、伴侶の希望通りにしたおかげで、伴侶は、横浜に良い職を得て、34年間単身赴任をして頂き、私自身もキャリア形成に楽な道を見つけることができました。

1976年に帰国しまして、男女の双子を出産しました。このとき脊髄小脳変性症の異常眼球運動の研究を開始しましたが、この研究は先輩の先生の宿題報告のためのもので、自然に手伝うことになり、大変興味深く、楽しく実施しました。開発中の抗失調薬の判定指標にこの眼球運動解析法が用いられて論文が一流誌に掲載され、患者さんである『1リットルの涙』の著者、木藤亜也さんの主治医となり、眼球運動を通して神経眼科学会に所属し、後に理事をさせて頂き、治験を経験していましたので大学の治験審査委員会の委員長を務め、現在も愛知県医師会の治験審査委員会の委員長を仰せつかっています。どうしても行いたい研究がある場合は別にして、何気ないきっかけで始めた研究も興味があれば続けるうちに新しい展開があるということです。

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 これは私が愛知県の病院協会で女性医師の問題を知るために講演を依頼された時に発表したスライドですが、子育て中は、子供と一緒に9時半頃に寝て、朝の3時頃に起き、自分の論文や医局員の研究や学位論文のチェックをし、6時には朝食の支度、子供に食べさせて、出勤します。9時から7時近くまで大学で仕事をし、帰宅して子供と共に夕食、入浴、そして一緒に就寝します。夜中に授乳やトイレの世話があり、また朝3時ぐらいに起床するという感じで1日が過ぎました。結局、1日約4時間半は家事・育児に、2時間半程しか勉強できず、忸怩たる思いを持ち続けておりました。男性医師は、家事・育児のある女性医師より4時間ほど多く自由に学べるということです。

 昼間、子供の面倒を見てくれたのは、母、伯母、従兄の配偶者プラス保育園です。とにかく頼れる人はありがたく頼り、恩返しできるときは必ずあるので、その時にできる限り恩返しをすると決めていました。代務は極力せず、子供と向き合う時間を作り、収入があれば全て育児と家事の手抜きに使うというのが私の哲学でした。実際、母は急逝しまして恩返しはできませんでしたが、伯母、父の介護を行い、また保育園の依頼も引き受けてお返しをするよう努力しています。従兄の配偶者にはまだ頼っておりますが、彼女が面倒を見てくれた子供や孫たちと一緒に海外旅行に出かけて楽しんで頂いています。

1980年、研究が学位論文となり、藤田保健衛生大学病院水野内科に赴任しました。水野康教授は、循環器がご専門で、神経内科のことは君に任せると言ってくださり、お受けして頑張りました。任せられたら引き受けると一緒に仕事をしたい若い人が必ず集まっていきますので、場を与えられたら挑戦することが大切と思います。

81年に講師、神経内科診療科が84年に設立され、同年助教授になり、88年に医局員が20名ほどとなり、講座として独立して初代教授に就任しました。教授就任の打診があった時、その器ではないと思い、断りましたら、水野教授は、オーナー総長の命令を断るということは、ここを辞するということだが、行く宛はあるかと糾され、行く宛がなかったので引き受けたというのが実情です。総長の藤田啓介先生は、辞令交付の時に「これから女性医師が増えるので、仕事と家庭を両立している君にロールモデルになって欲しい」と言われ、それならできるかも知れないと思ったのです。この総長は、自分の育てた病院が大事で、自らの友人である患者さんを新着任の臨床医に紹介し、その臨床力をつぶさに見ておられ、昇進時にそれを反映されたという話で、論文も多少ありますけれども、ここでも診療技術が有用で、楽しく真面目に診療していたら、多くの患者さんが受診され、講座として独立できたという感じです。 

日本神経学会では評議員を長く務めていましたが、神経内科にも女性が多くなり、女性理事を立てようと地域的に推薦しやすい状況にあった関西地区の病院の部長を推薦し、票を集めることになっていたのですが、その方が急に関東に移られ、急遽、中部地区で選ぶということになり、私に回ってきました。女性評議員で票を固め、更に男性評議員にもお願いして集票しました。日本神経内科学会の理事は、集票数を参考にして理事会で決定されますが、この時の理事長金澤一郎先生のそろそろ女性の理事が出てもよい時期というご発言で、初めての女性の理事が決定しました。金澤先生とは学会・班研究などで交流がありましたが、先生もエジプトを掘りたかったということで、奇遇な共通点があり、親しくして頂いていましたことも良い方向に作用したと思われます。日本心身医学会の理事は、会員が評議員を選び、評議員の選挙で理事が決まりますので、どの位応援くださる仲間がいるかということに尽きます。この時も日頃からの活動を通して多くの方が、票を投じて下さった結果でした。

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 さて管理職になる頃には、子供の世話も少なくなり、楽になると思っていましたが、そうではありませんでした。急逝のため母親の世話は、ありませんでしたが、父や伯母の介助、食事の準備は相変わらずで、この時期も3時間は家事・介護に当てられ、勉強は相変わらず2時間半という状態でした。

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 さて、これらの経験で得た助言を挙げてみました。

学生時代に可及的な豊富な知識を蓄積しておいて頂きたい。できれば配偶者も見つけ、ついでに挙児もお勧めです。

 研修では努力して診療技術(Art)を自家薬籠中ものにすることです。この技術は、高度な検査手技に匹敵し、就労中断後の復帰にも自信を持って診療ができます。

 専攻の科目はその後の生活を考えて慎重に選択したい。興味のないことは続かないので両立が困難な科が好きな時は、覚悟次第だと思います。

 専門医の資格は必ず取得してください。出産・育児で教育病院での継続勤務は難しい場合がありますが、時間をかけても取得に必要な年数は確保することです。

 配偶者選び、児時期、育児については、熟慮・断行。私は「下手な考え、休むに似たり」とか、「案ずるより産むが易し」という諺を信じて良いと思っています。キャリア形成を考えるのは必要ですけれども、少し停滞あるいは逆行するかもしれないが、今が挙児・育児のチャンスだと思ったら、キャリア形成に拘らず柔軟に考えましょう。その時々で自分の長期ビジョンに照らしつつしなやかに決めましょう。

 どんな状況でも継続して努力することが大切で、必ず幸運の女神は微笑みます。その時には前髪を必ず掴んで下さい。

 「Never, ever, give up」という言葉をお聞きになったことがありませんか? 63歳でフロリダとキューバ間、160km53時間かけて泳ぎ切ったDiana Nyadの言葉です。4回目の挑戦で、目的を達成しましたが、その意思の強さに多くの職種からなる応援団ができ、その力を借りて成功したと述懐しています。

一生懸命努力しているあなたにも応援団が必ずできます。そして応援して下さった方に直接返せなくとも、努力している人の応援団になってお返ししましょう。その時、何よりも重要なことは、自分自身、家族、応援をして下さる方たちの「心と体の健康」です。

 そして仕事も家庭もと頑張っている女性医師に家族、同僚、上司、そして社会全体の理解と協力をお願いしたい。理解・協力は、状況により微妙に異なり、画一的に箇条書きにできないほど多様ですが、少し想像力を働かせて下されば自ずと分かるはずです。只、共感のみでも大きな支えになります。行政が推進力となって、社会全体で互助、共助、公助のシステムを構築してほしいと思います。

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 これは東日本大震災で感動を与えてくれた1本松です。今は元の松ではありませんが、雄々しく聳えていますが、孤高です。 一方モンキーポットの木は、広く横に枝を張って多くの人が集い、優しく助け合っていく雰囲気です。個人個人で努力しつつ、皆で協力してセーフティーネットを強固にして輝く女性医師が増えることを期したいと思います。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

○事務局(森) ありがとうございました。

 ここで第1部、基調講演を終了いたしたいと思います。

 続きまして、第2部の意見交換を進めますけれども、会場の設営がありますのでしばらくお待ちください。

 お待ちいただいている間に配付資料の御紹介をします。

 基調講演の資料が配付資料になっておりますけれども、関連しまして9ページに「小児科における女性医師」というものを関係資料としてとじさせていただいております。

 また、17ページには、講演のほうでも御紹介がありました「女性医師のキャリア・デザイン」というリーフレットのコピーを載せております。受付のほうにもリーフレットそのものがありますので、もし関心のある方はお持ちください。また関連資料としてパンフレットや調査報告書も置いておりますので、もし御関心のある方は御自由にお持ちください。


○事務局(森) それでは、続きまして、第2部に進みます。

 会場の皆様と、懇談会の構成員の意見交換を行いたいと思います。

 進行は、山本座長にお願いいたします。

○山本座長 座長を務めさせていただきます、山本でございます。

 きょうは、演者からいろいろなお話が出ましたが、是非フロアの皆様から多くの御意見を頂きたいと思いますので、活発に御発言下されば大変嬉しいです。

 懇談会の構成員で、先ほど発表しました方々、あるいは前に並んでおられる他の構成員の方々に、医師としてのキャリアパス、仕事と家庭の両立等に関してお聞きになりたいことや不安に感じていることなどございましょうか?

 ○傍聴者(A) きょうは、いろいろなお話ありがとうございました。

○山本座長 どうぞ、御所属とお名前を。

○傍聴者(A)○○病院で働いています、外科医師をしている(A)という者です。

 きょうは、ありがとうございました。

 私は、平成15年卒業で、今12年目の医師なのですけれども、一般外科、消化器・乳腺外科を選択して働いています。

 この病院、研修病院で結構有名で、学生さんがよく見学に来てくれて、学生さんとも触れ合う機会が多いのですけれども、私のキャリアをお話しすると、女性で消化器外科をやっているなんてすごいですねという皆さんの反応なのです。これは私が学生のときから何ら変わっていないなということに愕然とするのですが、自分自身は今5歳と0歳の娘を育てながら何とか続けている状況なのですけれども、幸いなことに家族と職場環境に恵まれて、何とか勤務医を続けています。

 学生さんが、すごいですねと言ってくれるのはありがたいのですけれども、確かにすごいかもしれないのですが、そのすごいというのはいろいろ自分でも、余りにも言われるので考えたのですけれども、こういう病院でスタッフとして働く、外科医として働くというのは、当然ながら外科当直をやったり、緊急手術をやらなければいけないですよね。でも、今は私のこの状況を考慮していただいて、免除していただいているような状況です。

 その免除してくれるというのも簡単なことではなくて、上司とか、同年代の男性医師もしくは非常勤のレジデントですね。後期研修医の先生たちが私の分をカバーして、そちらの私以外の人たちが頑張ってくれているから私が続けられるという環境が1つあると思うのです。

 皆さんおっしゃっていましたけれども、周りの協力というのが非常に不可欠だと日々思っているのですが、私はスタッフになってしまっているので、子育てとか、そういう融通とか、そういうのもきくようにはなっていると思うのですけれども、非常勤の先生が今度ママになって、今度スタッフになったらどうというときに、やはり自分がなることでほかの男性医師の当直回数が多くなったりですとか、割を食う人たちが多いということを考慮してしまうと、ちょっと自分がなることには躊躇してしまうわという後輩もいたりして、すごく残念だなと思うのです。

 なので、皆さんにお伺いしたいのは、私が育児をしながら勤務医、外科医を続けていくのに当たってそれができる環境、支えてくれているみんなに本当に感謝の気持ちだけでいいのでしょうか。

 日々、感謝の気持ちはしているのですけれども、日々の業務の中で本当にありがとうとは思うのですが、自分ができないことに対して、すごく申しわけないなとか、そういうことのほうが、今の例えば、5、6年目~10年目くらいの女医で考えていることが。

○山本座長 わかりました。男性の先生に伺ってみましょう。

  先ず、笠井先生からお願いします。

○笠井委員 私、今日は男性の医師として、皆さん方の尊敬できるお話を伺いまして、ちょっと居心地が悪いのです。どういうお返事をしたらいいか。

 この環境因子、あるいは阻害因子という意味なのですけれども、私ども日本医師会は、10年ほど前からそういうことがあったらいかんと取り組んでおりまして、1つは男性医師の理解というものもあります。チームプレイということは女性として、生産性を重んじる当然の社会をつくらなければいかんという、社会教育というものに取り組んでおります。

 もう一つは、皆さん方が働きやすいような環境、きょうもこういう会をするときは、私どもは必ず保育所を設置するのですと、そういうことをする。細かい細かい配慮といういわゆる草莽の志士的な、大きなことばかりではなしに、基礎などという基盤整備をどんどんやっています。

 ですから、先生が御活躍になるときに、そういうハンデを持たないようなことを持っていただきたいと思いまして、実はおととい、全国から医学生に集まってもらいました。私たちの日本医師会の中で、幹部と懇親会をいたしました。そうしましたら、いらしていただいたのは45%が女性だったので、急遽これはと思いまして、皆さん方のお手元、受付に置いておきましたけれども、女性医師を支えるバンクというのを我々やっておりますから、そういうものをぜひ若い間から知っていただきたい。こういう受け皿があるのですよ、こういう困ったことがあったらぜひ言ってください、それについてできるだけ早期に対応しますということを申し上げました。これを利用していただくのは、別に日本医師会員だけではございません。お医者さん方どなたでもいいです。そういう差別はいたしておりません。ぜひこういうことをフロアの皆さん方も御承知いただきまして、若い人にもお使いいただけるということでございます。

 答えにならないかもしれません。取り組みを申し上げました。

○傍聴者(A) ありがとうございました。

○山本座長 続きまして、甲能先生に簡潔におお答え頂きたいと思います。

 ○甲能委員 私は、きょう全国医学部長病院長会議の副会長として参っているのですけれども、私は今、杏林大学の病院長をいたしております。きょうのお話を聞いて、その管理者としての立場で今のお話に御返答させていただきます。まず先生がそういう気持ちを持っているということが大切だと思います。当直ができない、緊急の対応ができないという、申しわけないという気持ちを持って、周りの人に接すると、代わりに対応する人の気持ちもなごみます。やはり社会というのは、互いの思いやりで成り立っていると思うのです。

 ですから、自分は家庭があって子供がいて当直ができない、これは当然だというその権利のみを主張するような姿勢でいると、なかなかその職場がうまくいかないと思うわけです。

 きょうのお話を伺っていると、皆さんおっしゃっていましたけれども、ハードの整備よりもやはりソフト、職場の環境、上司であったり、同僚であったり、そういう人たちの理解、サポート、これが自分の今のキャリアを継続していく上で、非常に重要であったということをおっしゃっていましたが、これは非常に重要なことだと思うのです。

 一番初めの惠谷先生は、妊娠したときによかったねと上司の人が言ってくれた。これが非常に自分の心の支えになったとおっしゃっていますし、安田先生は外科医でいろいろなことに対して、特別扱いはされなかったけれども、区別はしてくれたというお話をしていましたが、やはりこういう配慮があって、初めて女性医師が働いていくモチベーションが生まれてくると思います。

 したがって、私もその病院を運営する管理者として、そう周りが思えるような組織をつくるということが非常に大切だなと思っておりますし、これはそれほどお金がかからずに、いろいろ教育、周りの理解を得ることで成し遂げられるわけだから、こういうことは、こういうシンポジウム、こういう会を通じて、社会に発信していくということが重要ではないかなと思いました。

○山本座長 ありがとうございました。

続きまして西澤先生、お願いいたします。

○西澤委員 私は今、病院団体の会長をしております。多くの会員が、民間病院でございます。

 きょう、出席している先生方はほとんど公立病院とか、大きな病院の方ですが。実は、これからは女性医師が今20%と言いましたが、近い将来はもう30%になります。ですから、女性医師が一緒に働くのは当たり前のことだという捉え方、特別なことではないということがまず大事です。

 それから、女性医師の労働環境の改善というのは、イコール男性医師の労働環境の改善につながらなければならない。更に言えば、医師だけではない、全ての医療職の環境が改善されるようにやっていくべきだと思っています。

 そういうことでは、特に民間病院はまだまだ環境整備がされておりませんが、これから努力していきたいし、国にもそういう職場の環境整備に関して、きちんともう少しいろいろな対策とか、援助を願えればと思っております。

 以上です。

○山本座長 西澤先生、ありがとうございました。(A)先生、私は、心を込めてありがとうございますと申し上げるだけで良いと思います。

 そのかわり、必ずしも同じ方に恩返しはできませんが、援助が必要な方がいたら是非サポートして、先生がありがとうございますと言われる立場になって下されば良いと思います。では、この質問のお答えはこれでよろしゅうございますか?

○傍聴者(A) はい、ありがとうございます。

○山本座長 他にご質問は? はい、どうぞ。

○傍聴者(B) ○○大学の医学教育学講座におります(B)と申します。

 今、上司とか、同僚の理解とかと言っていたのですけれども、例えば、その上司や同僚の理解というものが当直の免除やオペの免除であったりすると、それは当人にとっては力をつけることになりませんので、まして、その30%に医師がふえたときに、それを許してしまったら全体が破綻してしまいますので、それはいい解決方法ではないと私は思っています。本当に、ふえた女性医師がこの医療の中で力を持っていって、キャリアをつないでこそ、初めてこの問題を片づけられるのだと思っています。

 そのときに、私は、村木事務次官にお願いがあるのですけれども、いつも不思議に思っていましたのが、男性医師に理解してもらって家事を手伝ってもらったりしても、男性医師も疲れておりますし、そんなことを望むのは酷ですし、では女性医師がやるかといいますと、これが今できないということになっています。

 では、どうしてよその国はそうならないのに、日本の女性医師だけがそれをしているかというと、韓国を見ても、台湾の友達も、香港のお友達も、シンガポールの女性医師の友達も、皆住み込みのシッターがおります。先ほど、女性医師が3.5時間の家事・育児をされているといった時間の全てを、仕事と自分の子供との大切な時間に使うことができています。それ以外は全て勉強・仕事ができています。日本は、既に半分の女性が大学に行っておりますので、そこで非常に安い労働力、つまり家事とかシッターをしてくれるような人を得ることは、もうほぼ不可能だと思っています。

 そこで、高等教育・大学教育を受けた人間が、医者ともなった人間が家事や育児などをしてはいけないのだと私は思っています。そんなことをしたら患者が死んでしまいますし、そんなことをしたら医療が潰れてしまうと思っていますので、それこそ他国のように、香港のように、韓国のように、台湾のように安い労働力をそこに入れてもらって、住み込みというと、うちのような狭い家では不可能ですけれども、通いで結構ですから、そこへ大量に誰でもができることをそういう人にやってもらって、日本の高いお金を使って高等教育を受けた人は、その能力の全てを社会に還元するということを徹底したらどうかなと、いつも思っているのですけれども、事務次官、いかがでしょうか。

○山本座長 今のお話は、即答はなかなか難しいと思いますけれども、村木次官、お答えになられますか。

○村木次官 確かに、アジアの国は特にそういうほかの国の安い労働力を使ってやっていく、アメリカもそうかもしれません。

 それも1つの方法だし、全否定はしないけれども、一方で、ヨーロッパなどはそれとは少し違うやり方、もう少し人数をふやして分業をする形でやっていく、週に1回なら当直はできるとか、2回なら、あるいは夫婦なのだから、どちらかがきょうは当番よという形とか、そういう分業の仕方もある。

 どういうやり方がいいか、というのはここで考えていかなければいけないし、外部労働あるいはサービス、最近はお掃除のサービスとかいろいろなことがありますから、シッターさんに限らず、外部のサービスを使うというのも1つの手段でしょうけれども、そのために外国人を入れて、所得格差を活用してやりましょうということについては、やはり国としての相当大きな勇気が要るかなと思います。

 だから、幾つかの選択肢の中の1つとして、それを考えていくということではないかと思います。

○山本座長 では、この御質問については、これで打ち切らせていただきます。

 他にご質問は? どうぞ。

 多くの方にお伺いしたいと思いますので、御質問の内容を端的にお願いいたします。

○傍聴者(C) 済みません、マイクがちょっとかかりそうなので、先に失礼いたします。

 同じく、国立国際医療研究センター、こちらの病院で働いている医師で、放射線科をやっているミヤタといいます。

 卒後13年目になります。実際に子供も2人いて、ずっとフルタイムで働いているのですけれども、私はたまたま人生の分岐点で、東京の人と私は結婚したので、ずっと九州で放射線科医として8年くらい働いた後に東京という環境に出てきて、東京で仕事をするということになりました。

 そういうふうにすごく移動したというのもありますし、あとは子供を妊娠したのをきっかけに、結局東京のほうに移動したのです。なので、出産と同時に全く自分のキャリアを知っていない、全く見知らぬ人たちの中で自分のキャリアを常勤の医師としてつくっていかなければいけないという環境をやってきて、こちらの病院には2年前から入職しているのですけれども、それをやって非常に思ったのは、すごく私も実感するというか、例えば自分が医者のアイデンティティをちゃんと持とうとか、子供がいるときには、いなかったときの自分を投影するので、そんなときにはスローダウンをしなければいけない。そのためにはこういう解決策も考えなければいけないというのがあるのですが、余りにも地域によって差が大き過ぎる。

 例えば、私が九州にいたときは、とても病院から15分以上離れたところに住むなんて、もう理解不可能という感じだったのですけれども、東京は1時間の勤務時間は近いねと言われる状況なのですよね。やはり地域格差が非常にそういう衣食住、通勤に関してはありますし、保育園問題も、例えば理解のない上司とか環境だったら、転職してもう少し働きやすい環境をというのもすごくわかったのですが、その場合、でもまた保育園に入れないかもしれないということも、やはり東京だと起こるのですね。

 でも、多分、自分がずっといた九州は、すごくそんなことはなかったというのもあって、すごい環境格差が大きいと思うのですよね。それぞれ同じ女性医師が全国的にいても、その地域性で、また、逆に東京に来てよかったなと思った、そういう子供とかの待機児童問題とかは大変だけれども、逆にみんなが通勤に1時間かかることも結構あるから、緊急で呼び出されても、1時間かかっても別にそれはしようがないよね、みたいなのは、東京はそうですけれども、九州にいたときは30分以内に行けないと、やはりちょっとまずいよね、みたいな感じだったのもありますし、そういう地域差というのはすごくあると思うのです。

 それを、一律に押しなべてやろうというのは難しいと思うのですけれども、できればもっと今全体として、その方向性としてすごくいいと思うのですが、現場で、もっと近くで困っている人たちはたくさんいると思うのですけれども、そういうのに対してはやはり個別で、近くでロールモデルなり、相談する人を探すしかないのでしょうかというのがあります。

○山本座長 どうでしょうか。

 どなたか、構成員の方でお答えになられる方、いらっしゃいますか。

 では、惠谷先生、短目にお答えください。

○惠谷委員 おっしゃるとおりだと思います。

 それで私も自分の地元で子育て支援会をやっているのですけれども、地方のほうですと、家庭力というか、地域力は結構あるところが多いのですが、でも、実際に預けようと思うと、逆におじいちゃん、おばあちゃんに見てもらうのが当たり前だから、意外に保育園がない地域ですとか、あと、それこそ小児科などは本当に医師が1人だったり、2人だったりという病院もたくさんありまして、都会とは全く違う厳しい現状があるのも事実ですので、おっしゃるように1つのパターンで対応というのは難しいと思いますので、できれば、個々の地域の大学病院ですとか、大きい病院の中心になって、情報ネットワークみたいなものをつくれたらいいのかなと思います。

○山本座長 どうぞ、津下先生。

○津下委員 本当に、今は大変な時期だと思うのですけれども、その働く場所とか、居住地ということでは、うちの場合は夫の職場よりも自分の職場に近い所に転居するなど、私が続けやすい環境を選びました。残念ながら私たちの世代は女性のほうに家事負担がかかるので、それを前提として負担をいかに楽にするかということで行動しました。女性のほうがイニシアチブをとって続けやすい環境を積極的に探し、協議していくというプロセスをとりました。それが可能である方は、ぜひそんなこともヒントとして考えていただければと思います。

○山本座長 笠井先生、どうぞ。

○笠井委員 これは、ぜひ御利用いただきたいと思って紹介させていただきます。

 パンフレットもつくっていますが、全国にそういうコンサルタント、コーディネーターというのを配置いたしております。

 そういうストレスを抱える皆さんは、いろいろなところで問題点が制約によって違うと思うのです。それに対応するようなベテランを配置して、まだまだこれから充実してまいりますけれども、皆さん方の相談アクセスポイントをつくっておりますので、ぜひ御利用いただき、それが100点の結果は出ないかもしれませんけれども、絶対に役に立つようにいたしますので、会員でなくても御利用できるということをもう一回言わせていただきます。

○山本座長 今日、御発表の先生方のキャリア形成の過程は、全ての人に当てはまる訳ではありません。しかし、夫々がキャリア形成を成功させる上でいろいろなキーワードがありましたが、それを参考にしてご自分なりの方策をお考えになられるのが良いと思います。

 やはり、自分の場合はどうするのが最も良いかということに尽きる訳で、なかなか全体として画一的にまとめることはできませんが、周辺事情の整備はしっかりと実施して頂きたいと思います。よろしゅうございますか。

 では、他の御質問がおありの方? では手の高く挙がったほうの方からどうぞ。そちらは後でお願いします。

○傍聴者(D) ありがとうございます。

 ○○病院を卒後、臨床研修センターの(D)と申します。

 私は、平成10年卒で現在2人の娘がいて、あと、なおかつ、ちょっと母が父の介護をしておりまして、それを手伝っているという状況です。

 私は、卒後、臨床研修センターにいるということで研修医の先生ですとか、学生担当の面談をすることがあるのですけれども、非常に驚愕しているのは、私は平成10年卒ですが、やはり女性の学生さん、女性の研修医の先生が、将来自分が結婚をしてその子育てをするとか、いわゆる性別役割分担意識に非常にとらわれているということに、全く私が卒業したころと変わっていないと驚愕しております。

 女性医師は非常にふえておりますけれども、やはり男性も仕事をばりばりするという、もしかすると、ステレオタイプに非常にとらわれているのかもしれませんが、これがなかなか解消しなければ、女性医師はもちろん、医師としてのプロフェッショナル力を持っている先生はたくさんおられるのですが、それと妻としても、母としても一生懸命やりたい。非常に女性医師は真面目な方が多いですので、それの板挟みに結局なってしまって何ら解決にならないのではないか、全然私の卒業のときと変わっていないということを本当に残念に思っているのです。

 先ほど(B)先生からもお話がありましたが、子育てを誰かにアウトソーシングするとか、そういったことも1つのやり方ではあると思うので、日本は少子化しておりますけれども、医者の仕事も大事ですが、やはり子育てというのは非常に社会人として大事で、それは女性だけが大事にするのではなくて、男性も当然親として責任を果たしていくべきだと思っています。

 ただ、周囲を見ておりまして、やはり男性は何となく女性に家事をやってもらったり、子育てをやってもらったりというパターンが多いですし、日本と韓国だけがM字カーブと言いまして、儒教国はやはり女性の立場が弱いのか、私たちの世代でやはり常勤というのは非常に少ないという状況になっております。

 性別役割分担意識ですとか、ステレオタイプというところが何とか打破できていかないかなという社会に日本もなっていかないかなと考えているのですが、その中の1つとして、男性医師に対してどんどん育児休暇ですとか、そういうことを勧めたり、もしくは大学の医学部のほうでそういった男性医師に対しても子育てを推奨するような教育とか、もしそういった取り組みをされている病院とか、先生とかがいらっしゃればお話を伺いたいなと思いました。

○山本座長 どなたか、お答えくださる方がいらっしゃいますか。

 どうぞ、笠井先生。

○笠井委員 私が答えるのはおかしいのですが、今の問題が一番大きな問題ですので、私どもの日本医師会の中で勤務医の委員会と男女共同参画委員会の共同で、その問題について1年間かけて検討していただきましてレジュメをつくっています。男性医師の意識改革を求めてということでやっております。また、データについては長文で長くなりますから、終わります。

○山本座長 きょうここにおいでの男性医師の方々は、既に意識改革をされておられる方が多いと思いますが、どなたかフロアで今のご質問にお答えくださる方は? どうぞ。

 ○傍聴者(E) はい。○○大学の副センター長の(E)と申します。

 今年度から、今まで循環器だったのですけれども、そのような仕事に主に、子供が3人いるということで引っ張られましてやっておりますが、2年前から、私のところに初めて医学部の3年生、まだ入って3年で臨床が余り詳しくないところの学生さんたちに、ワーク・ライフ・バランスということとか、医師として母になるときにどのような働き方をするのかというのを、よその大学の分の講義も参考にさせていただいてしたのです。

 まず、男女共同参画という言葉は割と知っているけれども、ワーク・ライフ・バランスは2割くらいしか知らないとか、保育園というのが実際、一体何カ月から子供を預かってくれるのかとか、病児保育とか、そういう基本的な働くドクターにとっては必須なことが、本当に学生さんは全くわかっていないような状況で、0歳児を預かってくれるところがあるのですか、子供が熱を出して預かってくれるのがあるのですかみたいな状況ですね。

 臨床の最後のほうになると、その研修医の先生になると、割と本当に真剣に、いつ結婚して、いつ子供を産むのかと思うのですけれども、それも割と女性医師に限られてきますし、そのもっと前の段階の学生さんのときから少し、皆さんもう21歳くらいの年なので、社会人になりつつあるところで、いろいろな仕組みを教えていくことはいいのではないかなと実感しました。

 ただ、講義の後に、育児と仕事の両立ができるというアンケートが、講義前と講義後で、講義後がやはり少しふえたのです。両立できるという意識がふえたような講義だったので、本当に有意義だと思いましたので、御参考になればと思います。

○山本座長 女性は家庭も仕事もという感覚に刷り込まれる前に、いや、そうではないという教育をされるというのも大事なことの1つかと思いますね。

 どうぞ、御参考になさって下さい。

○甲能委員 1つよろしいですか。

○山本座長 どうぞ。

○甲能委員 今の医学部の教育にという問題なのですけれども、これは2012年5月ですが、全国医学部長病院長会議で、女性医師を育てるためには、キャリア教育が男女問わず必要であるということを認識して、キャリア教育は医学部のカリキュラムに取り入れること、組み入れるということを提言しております。実際にそれがどの程度結びついているかわかりませんけれども、そういう提言も行っているということであります。

○山本座長 どうぞ、片岡先生。

○片岡委員 コメントなのですけれども、

 岡山大学では、2007年から女性医師の復帰支援、離職防止、キャリア支援に取り組んでいるのですけれども、今、発言されたのもその復職支援で復帰された先生なのですね。

 今日も何人か子育てして頑張っていらっしゃる先生からの質問が出ましたが、私はそういう頑張っている先生の一人一人が環境というか、先生方の周りの人を変えたり、あるいは後に続いていく若い人たちの意識を変えたりするすごく大切な存在だと思っています。

 例えば、職場にすごくばりばり働いている人しかいなかったら、その人たちにとっては子育てをしながら働くということが自分ごとに感じられないようになってしまうと思うのです。私も子育てをしながら必死に、また本気で働いている友人や後輩に触発されて、自分自身が変わった部分もあると思います。岡山大学もキャリア教育をもっとやっていかないといけないですけれども、一方で皆さん方の一人一人が本当にすごく大事なのではないかと思います。

 また、一人一人の個別性というのがすごく大事というのも、おっしゃるとおりだと思っています。

○山本座長 どうもありがとうございました。

 では、先ほど手を挙げておられた方、あなたです、どうぞ。

○傍聴者(F) きょうは、東北のほうから参りました。

 私、余りこういったところでお話しするのが得意ではないので、聞きづらかったら申しわけございません。

 今、消化器内科の医師として働いております10年目の(F)と申します。

 以前は東京に住んでおりました。先ほど九州の方がおっしゃっていましたけれども、東北の中でも地域格差というもので今物すごく悩んでいます。

 東北の中の教育病院は、大概が大学管轄なのです。大学の医局に入らなければ、そこの病院では働けない。ただ、その東北大学の中ではどれぐらいその整備が整っているかというと、ほとんどないのです。例えば、相談する人がいなかったりであったりとか、子育て世代の人たちが一体何で悩むのかというのを共有してくれる人が全くいない状況です。東京とか関西のほうの話を聞いていると、本当にうらやましいです。

 今は、医師不足と言われているこの状況、妊娠8カ月でもここから2時間かけて当直に行かなければいけないような状況がまだ繰り広げられています。それを相談しようと思っても、上司の先生方、管理部門の先生方は、相談したところで、子育てをしたことがないからわからない。大概の女医さんたちというのは、例えば、2人子供を産んでしまえば、自分はこの常勤を続けられるかなというので、結局離職してしまうのです。離職をいっぱいしてしまえば、また復帰するときには不安感が募ってしまう。そういった女医さんたちを抱え込んでくれるような病院もありません。そういったことをわかってくれる人がいないのです。そういったことを相談できるような女医さんも周りにいませんので、結局、孤独を感じながら、不安の中でやめていかれる先生方もいらっしゃいます。

 例えば、外科の医局に所属している私の当期の親友がいるのですけれども、その人も私に相談しに来ました。どういったことかというと、結局、夜中までかかるような仕事、症例を私が専門医を取得するために経験したいけれども、それを上司に相談したところ、夜中の症例などはあなたには任せられない、子供を産むのか、それとも症例を経験したいのか、どちらかにしなさいと言われたと、そんなことがあっていいのかと思うのです。

 私は、ここで何かをお伺いしたくて話をしているのではなくて、そういった地域があるのだよということをぜひわかってほしいと思いました。

 私自身の話に、また戻ってしまって申しわけないのですけれども、ちょっとした質問が2つあります。

 そういった子育てを経験されていない管理部門の先生方、もちろん医者としては物すごいキャリアをお積みですし、私は尊敬しています。ただ、自分自身の悩みを相談したときにどのように相談をすればよろしいのでしょうか。

 もう一つなのですけれども、私自身の個人的な問題で本当に申しわけないのですが、東京で臨床研修をした後に、夫が留学してしまったので私は結局地元に戻ったのです。地元に戻って今は東北大管轄で働いていることになるのですけれども、やはり自分のキャリアを目指したい。

 私は今、子供が3歳で、運よく保育園に入れて自分のやりたいことを、父親や母親の周りの協力、サポートなどがあるので幸運にも進むことはできていますが、自分のキャリアを全うしたいと思ったときに、やはりいろいろなところでぶつかるのです。皆さんはどうやって自分自身の目標とするようなキャリアを、あくまでもあきらめずにたどっていけるのかというところ、その気持ちの持ちようを教えていただきたいなと思って、御意見いただけたら幸いです。

○山本座長 皆さん方、夫々にお答えがあると思いますが、どなたか、是非、お答えしたいという方いらっしゃいますか?

 どうぞ、先生、短目にお願いしたいと思います。

○傍聴者(B) 関連したお話なのですけれども、結局先生がおっしゃったような大学病院で若い先生が接する、あるいは学生時代を送る大学病院にも今上層部の方はもうほとんど男性ですので、教授あるいは講師まで含めて大学病院にほとんど1人もいないという大学もまだあるというのが現状ですので、要は評価方法、評価制度が変わらない限り、これが変わらないと思うのです。

 評価制度が、今のように論文重視である限りは、どうしたって子供を産んで、ある程度の時間というものをとられる人間、つまり、女性全体にはどうしても不利ですから、こうなったのです。誰もいないと、見たことがないものにはなれないので、こんなに少ないのでしたら、ポジティブアクションせざるを得なくて、もうとにかくどういう人がどれだけいて、どれだけこういう世界なのだろうというのを上の人にいっぱい見せて、女性をいっぱい見せないといけない。それを見て、また若い人が、ようやく次の世代が育つわけですから。

 つまり、本当は公平な評価制度が絶対要ると思うのです。女性は子供を産むと、男性は産まないと、でも、医者のキャリアとして同じ職業を選んだら、何が一番公平な評価なのかというのを、女性が子供を産んで、キャリアをいくと、男性は子供を産まずにキャリアをいったときに何が医者としては一番公平なのかということを、本当は長い時間をかけて評価制度を公平にしていき、そんな大変なことがなかなかできるまでは、ポジティブアクションせざるを得ない、もうしなければこんな現状が続いてしまったのだと思っています。

 その辺についても、よろしくお願いします。

○山本座長 ちょっとここで笠井先生にお尋ねしたいのですが、医師会で各地の大学に女性医師支援の企画を依頼し、経済的援助を行っていますが、東北大学では実施されていないのでしょうか?

○笠井委員 今、東北大学という特殊なところについてはないと思います。

 ただ、もちろん、そういう会議には皆さん出てくださっていますから、そういう情報はちゃんと伝わっていると思います。

○山本座長 笠井先生、ありがとうございました。

 次のご質問の方? どうぞ。

○傍聴者(G) ○○大学の(G)と申します。

 平成2年に卒業しました。

 今は研究をしながら、女性医師研究者支援センターも兼務させてもらっているのですが、皆様の若い方からの御質問にちょっと答えるような感じになるのですけれども、やはり身近に相談相手がいないというのはすごく問題になっていると思っておりまして、私たちは女子医大なのでロールモデルがたくさんいるということもあって、すごく頑張っている方もいれば、ほどほどに頑張っている方もいて、そういう方をロールモデルとして皆さんに御紹介したいという気持ちがすごく強くて、ことしの新しい試みとして、5月に院内でやったシンポジウムの様子をDVDにおさめたのです。それを編集しましたので、もしよろしければ、各大学とか病院とかでそれを御利用いただきたいなという気持ちがあります。もし、よろしければ、どうぞ言っていただきたい。

 もう一つは大学とかとは関係なく、これも5月にできたばかりなのですけれども、卒業生の有志で新しいコミュニティをつくりました。それも大学に関係なく、ちょっと男性差別に聞こえるのですけれども、今は女性医師、あとは、女性の医学生なら誰でも登録できますよという形でメンバー制にして、本当に細かい保育園情報とか、困ったときの手助けとか、そういう現場発信という形で、私たちにはインフラはできませんので、甲能先生が先ほど言ってくださったように、現場でお金のかからないコミュニティで、お互いに情報を共有して助け合うところをやってみようという試みを始めました。

 ぜひそれに参加していただいて、上の先生方をメンターとしてそれに参加していただけたらなと思っています。よろしくお願いします。

○山本座長 では、御質問の方にその情報を連絡して頂き、今の活動を広げて、先生が核になって東北地方を変えていただければ大変ありがたいと思います。

他にご発言の方?別の御質問でしょうか?

○傍聴者(H) はい。

○山本座長 では、どうぞ。

○傍聴者(H) ○○大学の教授をやっております、(H)と申します。

 専門は耳鼻咽喉科なのですけれども、きょう皆さんのお話を聞きまして、非常に女性医師の方たちは志も高く、一生懸命やっていると本当に感じております。

 私、いろいろなお話を女性医師の方からお聞きしまして、例えば妊娠した途端に、では、君は大学院に行くかと言われたり、違う地方病院に行きなさいと言われたり、あとは、どうせ君たちは妊娠して出産してしまえばもう手術などはしないのだからと言って手術を教えてもらえないとか、そういう話をすごく聞くのです。やはり、これというのは教授、部長、院長、その上の方たちの意識がかなりみんなばらばらで、温度差があるということだと思うのです。

 そこで、厚労省の村木先生を初め委員の先生にお聞きしたいのですけれども、そういう指導的立場にある方たちに対する教育というのは、どうなっていくのでしょうか。(拍手)

○山本座長 どうぞ、西澤先生、お願いいたします。

○西澤委員 私、民間病院の開設者で、実は大学の封建的なことが嫌いで飛び出した人間なので、どちらかというと大学に批判的な人間ですが、ただ今のお話を聞いていますと、東北、そこの教授とか管理職の方々も家庭を持っているはずですね。その方にも奥さんがいるはずですね。そんなに女性に理解がない人ばかりだとは思えないのです。

 やはり考えていただきたいのは、対立構図をつくってはいけないのです。今は全国的に医師不足、特に東北地方は非常に医者が少ないです。今も大学には民間病院等から何とかしてくれという声がかなり来ています。これは民間、公立、関係ないです。

 恐らく大学の先生方は少ない医師数で、男性医師もかなりの負担がかかってやっていらっしゃる。それを管理する先生方は、非常に大変で余裕がないと思います。そういうことでは、きちんと体制を考えない限り、これは上の方々が悪いから意識を変えろ、意識を変えるだけでは解決しない。そのあたりをやはり国がこれからどうしていくのか、国が提供体制をどうつくっていって、そして、管理職の方々も余裕を持って、女性医師のことだけではない、男性医師のことも含めて、地域の医療提供体制をどうするのか、そういうことを全部考えられる、そういう環境づくりが一番大事だと思います。

 ぜひ皆さん方も、もう少し心を広くして、悩んでいるのは自分たちだけではないのだと、恐らくその相手の人も悩んでいるのではないかと、そういう目も若干持っていただければありがたいと思います。

○甲能委員 よろしいですか。

○山本座長 どうぞ。

○甲能委員 全国の大学の医学部、医学部の附属病院、ここでその上層部がどういう認識を持っているのだということですけれども、これは2006年に全国医学部長病院長会議で、女性医師の労働環境問題に対する検討ワーキンググループというのを発足させて、こういう問題に対してはかなり真剣に取り組んでまいりました。したがって、基本的には全国の医学部の医学部長、病院長もこういう認識は持っていてくれているものと思っております。

 これが立ち上がって、全国の医学部、医学部附属病院に対して、いろいろアンケート調査を何回か行っております。そのアンケート調査を通してわかってきたことは、やはり、そういう問題に対する認識がある程度は浸透してきているということと、急速に院内育児施設の整備が進んできたということ、これは事実であります。

 それから、今まで保育所というのは、どちらかというと看護師のためにあるものだという認識が強くて、お医者さんはそこを利用するという概念が余りなかったと思うのですけれども、これもだんだんに変わりつつあるのではないかなと思います。

2013年には、医師のキャリア形成に関連する医学部教育の実態調査ということで、先ほどちょっと申しましたけれども、そのキャリア教育ということを重視して、医学部のカリキュラムの中にもそういうものを組み込んでいかないとこれからはいけないのではないかということを提言してまいっております。

 したがって、大学の中枢の人もこういう認識があるものだと思っております。

○山本座長 恵谷先生、今のご質問のお答えでしょうか。

○惠谷委員 はい。

○山本座長 では、短目にお願いいたします。

○惠谷委員 結局、自分の子育ては奥様に押しつけたりして仕事しまくっている人しか日本は出世しないのです。だから、上層部には余り理解がある方は少ないのも事実だと思うのですけれども、その女性医師の活躍を応援するのと同じくらい、男性医師が自宅で活躍することを応援しないと、この日本の状況というのは変わっていかないと思います。

 多くの学会とかで、男女共同参画系の企画というのをやっていて、我々小児科学会でもやるのですけれども、本当に参加者が少ないのです。まして、管理職の先生方などはもうほとんどお見えにならないので、なかなか意識は浸透していかないので、できれば例えば専門医の更新のときにはそういうものの受講を義務づけるとか、もっと言うと、子育ての育休を強制的に男性医師はとらないといけないように病院から変えていくとか、もう既にお子様がいらっしゃらない世代の方はイクジイとして、お孫さんのサポートに回ったことを評価するとか、本当にドラスチックなことをしないと変わっていくのは難しいのかなというのを実感しています。

○山本座長 新しい御質問はございましょうか。もうこのあたりで、締めにしたいと思います。

 お二人が手を挙げておられますが、どちらもお受けいたしますので、先にそちらの方からどうぞ。

○傍聴者(I) 貴重なお話ありがとうございました。

 当院、○○センターで小児科医師をさせていただいています、(I)と申します。

○山本座長 マイクをお願いします。

○傍聴者(I) 卒後11年目で子供が0歳と4歳なのですけれども、私もこの病院でとても上司や環境に恵まれて、一応常勤として何とか継続しているところです。

 1子目の出産後は、当直も何とか月に2回とかですけれども、かろうじて続けるということで続けさせていただいて、今はちょっと2人目ということで、時短等で働かせていただいているのですが、先ほど申しわけない気持ちを持ってやる、それは大事だということをおっしゃっている方がいらっしゃったのですけれども、感謝の気持ちはもちろん大事で、それをなくしては時短ですとか、皆様に負担をかけている環境で働くことというのはできないのですが、申しわけない気持ちが大きくなり過ぎて、もうバイトにしようと言っている女医がやはり多いなというのを私自身は感じています。

 つまり、それはなぜ申しわけないと思わなければいけないかというと、多分男性の方が働き過ぎというか、時短でない方々の負担が多過ぎるために、短くしている者が申しわけなく感じなければならないという状態が、やはりよろしくないのではないかなと思うのです。

 別に、医師の世界だけではなくて、全体的に日本人が働き過ぎということが根本的に問題だとは思うのですけれども、そこのところが、その働き過ぎの状態がいいものではないということが浸透しなければ、先ほど言ったイクジイですとか、イクメンといったものが男性の医師から出ることは難しいです。

 それをとったこと、または時短で働いていることが評価を下げることにつながるというのがやはり不平等ですし、例えば子供が病気になったときに周りを見渡してもですけれども、子供の預け先はどうしようと悩むのは女のほうです。男の人はそうなのだね、忙しい中大変だねと思うだけでよろしくという感じ自体が、感覚として2人で育てているものなので、その感覚を持っていること自体がおかしいというか、一緒に考えたり、自分がきょうは大変ではないから自分が数時間は休むよと言えるような状況を病院全体でつくってくださらないと、負担をかけている男性の医師も倒れると思いますし、もしかすると、医師を目指す女の方も減っていく。そうすると、医者自体が減ってきて困るということになると思いますので、男性の方の負担を減らすというか、医師の全体の人数をふやすなりして、収入は減るかもしれないですけれども、生活が豊かになるという方向もすばらしいのではないかとしていっていただければと思います。

 あと、もう一つ、厚生労働省の方々にお願いなのですが、厚労科研の研究費では産休と育休の制度がないということを聞いて、私はとても驚きました。文科研のほうにはあるそうなのですけれども、その制度がないということで、私自身ちょうどいただいているのですが、ちょうど産休と育休に入ってしまって、だけれども、せっかくいただいたお金なので研究をやめるのももったいないというのもあって、育休を短縮して結局研究を続けたということがありまして、それは本当に大変で、2カ月の子供を背負いながら、報告書を書くというすごく大変な思いもしているので、ぜひそこはそんなにかからず変えられるところではないかと思うので、配慮いただければと思いました。

○山本座長 男性のほうが、子供が病気の時に余り構わないというお話でしたが、ちょっとここで会場の皆さんにお伺いしたいのです。

 男汝のお子さんを育てておられる方で、男児と女児を同じように家事の手伝いをさせた、あるいは積極的に男児を家事に参加させたという方は手を挙げていただけませんか。

(複数挙手)

○山本座長 子育てのころから男児の家事参加を意図的に促すことを考える長期的ビジョンが必要ですが、つい、勉強してくれれば良いなどと考え、実行できていないようです。

まずは次の世代を育てる時に男児に家事を教えて、抵抗感をなくしましょう。それと共に今の世代の家事についての男性の意識も変えていきたいと思います。

 私の話の中で、Y染色体の話をいたしましたが、批判的なご意見はあるかと思いますが、男のロマンというのか、前後見境なく突き進むという気質は、かなり多くの男性が持っており、性差の一つと思っています。エジプトの砂漠に吉村作治は突き進んだけれども、私は進めなかった。家事・育児など全く考えず、夢を以って突き進んだ人が大きな発見や新しい発明をすることがあり、男性に女性と同じようにということの是非は非常に難しいところです。

 では、次に移ります。先ほど挙手をされた方で最後の御質問となります。どうぞ。

○傍聴者(J) ○○大学で小児科医をしています(J)と申します。

 本日は、貴重なお話をありがとうございます。

 私は、○○大学の中でも両立をしている管理職のわずか150人中の2人というすごく少ない中の1人でございます。そのあれで両立支援の活動も院内で、院長として行っております。その中で、東大病院は短時間勤務制度というのが割と早くからつくられまして、それが結構好評は得ております。厚労省のほうも今後短時間制度を取り入れていくというお話を伺っておりまして、それは恐らく、今は勤務ができない人を底上げするにはいいと思うのです。

 ただ、この制度があるために、フルタイムで働ける人がただ単に当直ができない、時間外呼び出しができないというだけで、その短時間制度をやりなさいと言われるケースが非常に多く、問題となっております。つまり、この短時間制度があるために、フルタイムで働ける人が週24時間という枠に抑えられてしまう。実際、だから労働力を下げているということにもつながりかねない現状が今、東大では出ております。

 ですので、この短時間制度を全面的に取り入れていくことがいいことかどうかというのもちょっと御考慮いただきたいということと、これは恐らく常勤であっても子育てをしている人には時間外労働の強要ができないという法律があると思いますので、その制度を適用すれば、その人たちも常勤としてやっていけるはずなのです。

 ただ、やはり、そこには男性医師が時間外も長時間労働をしているから、引け目を感じてこの短時間になってしまうというのが女性側の遠慮というのもあると思いますので、その辺のいろいろな問題が含まれておりますが、そのような問題についても今後御検討をいただきたいと思っております。

 ありがとうございます。

○山本座長 ご意見、ありがとうございました。

 多くの御意見がでましたが、予定時間が少々過ぎておりますので、これを以って締めさせて頂きます。多数御参加頂き、活発な御意見交換ができましたことありがたく思っています。

 いろいろな視点がございますが、夫々の方が、夫々の立場で一生懸命努力されていれば、必ず道が見つかるということは確かであると思います。先程、女性医師支援などと言ってもほとんど何も変わっていないという意見もありましたが、私は、院内保育や病児保育の普及、理解の程度が違うかもしれませんが、男性医師もかなり変わってきていると感じています。しかし、最後の極め付きのガラスの天井を突き抜ける花火がなかなか上がらないのです。しかし、そういう花火が本当にあるのかどうか、少々疑問という思いもします。

 この男女共同参画推進(最近日本医師会では男女平等参画と称していますが)の企画は、これでもか、これでもかというほど多数ございまして、私も愛知県の女性医師支援の委員長をしておりますが、毎年同じような企画が持ち込まれます。 私はとりあえず、「女性がずっと働き続けている国が幾つかあるので、その予算を使って皆さんがその国の視察をしてきてください。そして、女性医師ではなく、その社会を見てきていただきたい」と言っていますが、残念ながら、予算をそのようには使えないそうで、1人の職員は休暇で行って見てきたようです。

女性医師を取り巻く環境は、試行錯誤し、抵抗を乗り越えて少しずつは変化していくと思いますが、基本は、両立をしたい女性医師の熱意と、それをサポートする制度の確立と普及にあると思います。

 今日はお子様の夏休みの宿題のことが脳裏をかすめるお母さん先生もおられることと存じますが、このように多くの方がお集まりくださり、うまくまとめられないほど多くのご意見を頂き、誠にありがとうございました。

今後も広く情報を収集しながら、また新しい局面に向かってまいりたいと思います。

 今後ともよろしくお願いいたします。(拍手)。

○事務局(森) お帰りの先生方、参加者の皆様、ありがとうございます。

 厚生労働省では、本日のシンポジウムでいただきました多数の御意見も参考にしながら、これから「女性医師のさらなる活躍を応援する懇談会」において、女性医師の働き続けやすい環境整備に向けた在り方について、事例集のような形で報告書をまとめていきたいと思っております。

皆様の御意見等がさらにありましたら、アンケートをお配りしておりますので、御記入いただきまして、ホール受付で御提出いただければ、ぜひ参考にさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします。

 本日の御参加、本当にどうもありがとうございました。(拍手)

 


(了)

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