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2012年3月23日 第4回社会保障の教育推進に関する検討会議事録

政策統括官(社会保障担当)付社会保障担当参事官室

○日時

平成24年3月23日(金)
9:45~11:45


○場所

金融庁14階共用会議室1


○出席者

委員

大杉昭夫委員 梶ヶ谷穣委員 権丈善一委員
細野真宏委員 前田昭博委員 増田ユリヤ委員
宮台真司委員 宮本太郎委員

事務局等

香取政策統括官(社会保障担当) 武田参事官(社会保障担当)
塩見文部科学省初等中等教育局教育課程課長

○議題

・教材案について
・社会保障に対する正確な理解について
・その他

○配布資料

資料1-A教材(案)「政府の役割と社会保障」
資料1-B教材(案)「公的医療保険って何だろう?」 
資料2-1社会保障の正確な理解についての1つのケーススタディ~ 社会保障制度の“世代間格差”に関する論点 ~
資料2-2「社会保障を通じた世代別の受益と負担」について

○議事

○権丈座長 おはようございます。
 ただいまから、第4回「社会保障の教育推進に関する検討会」を開催いたします。
 委員の皆様には御多忙のところ、お集まりいただきまして誠にありがとうございます。
 本日は残念ながら御都合が合いませんで、広井委員が御欠席となっております。
 また、香取統括官は別件が急に入ってしまいまして、最後まで来られるかどうかはわからない状況です。非常に残念な話ですね。
 早速ですが、議事に入りたいと思います。これまでの議論を踏まえて、事務局で資料を準備しておりますので、まず、事務局から配付資料の確認をお願いいたします。

○武田参事官 おはようございます。事務局でございます。
 お手元にお配りしている資料ですけれども、議事次第がございますが、配付資料といたしましては、資料1として、A3のワークシートの教材案。
 1-Aとして3枚、1-Bとして3枚、1-A1~3、1-B1~3ということで用意をしております。
 資料2といたしまして、2つ目のテーマですが、A4横の資料で「社会保障の正確な理解についての1つのケーススタディ」という20ページぐらいのものをお配りしております。
 資料2-1(参考)として、2枚紙のものを付けております。
 資料2-2「『社会保障を通じた世代別の受益と負担』について」という紙をお配りしておりますが、資料2-2の参考といたしまして、実際にどういう報道が行われているかということで、今年1月27日の朝日新聞、2月6日付の日経新聞の記事のコピーを席上配付としてお配りをさせていただいております。著作権の関係で終了後に回収とさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 前回同様ですけれども、ワークシートにつきましては、完成するまで途中段階のものはホームページへの掲載は行わない予定としております。
 資料の不足等ございましたら、事務局までお知らせいただければと思います。
 以上でございます。

○権丈座長 どうもありがとうございました。
 それでは、資料1を議論したいと思いますので、事務局から御説明をお願いいたします。

○武田参事官 それでは、お手元に資料1を御用意いただきたいと思います。
 今回はこれまでの御議論を踏まえつつ、総論編として1-A、各論編として1-B、こういう2種類を用意したものでございます。前回は4種類御提示をさせていただきましたけれども、教材として使うのにはなかなかボリュームが多過ぎるという御意見もございましたので、2つの種類に絞りまして、実際に現場ではどちらかを使っていただくとか、両方使うとかいうふうに使っていただければということを念頭に置いております。
 事務局として最大限見やすい形にしたつもりではございますが、限度もございますので、実際には発注をいたしまして、もう少し見やすい形ででき上がると思っていただければと思います。
 このワークシートでございますけれども、次年度に実際に試行事業で使ってみたいと思ってございます。今年度は来年度使うワークシートを固めるところまでいきたいと思っておりますので、是非、そういうことを前提に御議論をいただければと思っているところでございます。
 まず、資料1でございます。ざっと3枚がどういう構成になっているかということなのですが、1枚目が生徒に配布をするもののイメージでありまして、2枚目は同じワークシートに青字で解答例といいますか、考えてもらいたいポイントなどを書いているものがございます。
 3枚目は、その関係のファクトシートということで、前回も御議論いただきましたように社会保障につきましては、まず、事実の確認といいますか、正確な事実に基づいた議論が必要だという御意見がありますので、それぞれのテーマについて適宜、参照するまたは指導者がこの内容をクイズ形式で問いかけたりした後に配布をするといった形で、正確な議論のための正確な理解をいただくためのペーパーとして、セットで使ったらどうかと考えているものでございます。
 それでは、内容に入らせていただきます。まず、資料1-A-1を見ていただきたいと思います。「政府の役割と社会保障」ということで考えてみました。これはマクロ的な観点から政府の役割、社会保障の概略、更に言いますと、税と社会保険料の違いはそもそも何なのか理解していただくためにつくったものということになります。これは全体の理解とともに、社会の仕組みを理解する上でもきっかけになるのではないかと思っているものでございます。
 まず、1ページ目の1.で「政府の役割」というタイトルが付いておりますが、「政府はお金はどのように集め、何に使っているのでしょうか」ということで、基本的に財政の現状とか財政の機能を考えてもらうということになります。
 問の中では、政府の歳出の中で最も大事なものは何か、その理由はどうしてかということで、政府の歳出にはそれぞれの目的があって、支出をされているということ。それから、政府はどのような役割を果たしているか、話し合ってみましょうということで、前回はもう少し詳しく政府の3つの機能ということで書いておりましたが、それを念頭に置きながら自由な討論をしていただければよろしいのではないかと思います。
 2つ目が年金の役割ということで、社会保障の役割について年金を例にとって挙げてみたものでございます。政府の財政は財政として歳入があり、歳出があり、バランスをとらなければいけないということですが、社会保障制度の中でもそれぞれの制度が個別の歳入があり、歳出があり、バランスが必要だという点を理解していただくために書いているものでございます。
 年金につきましては、一般に理解をされている老齢年金以外に障害年金、遺族年金というものもあります。それから、なかなかイメージしにくいものとして運用収入もあるし、日本の場合は多額の国庫補助も入っている。
 その全体像をまず確認をした上で、左右のバランスが大事になりますので、仮に国民の支払う保険料水準を下げた場合はどうなるのか。逆に年金水準を高くしたらどうなるのか。こういうことを確認し、オープンクエスチョンという感じになりますけれども、保険料の水準と年金の水準と皆さん、どちらを重視して考えていくべきだと思いますかという問いかけをしてみたいということであります。
 右のページにまいりまして、「税や社会保険料について知ろう」ということで、税の学校教育は結構各地で行われております。例えば子どもたちにどういう税を知っていますか。所得税、法人税、固定資産税ということを子どもが答えるという教育は実際行われておりますが、社会保険料の種類は恐らく余り知られていない。子どもたちから余り答えが挙がってこないかもしれませんが、年金の保険料であるとか医療の保険料とかがあるのですよということを挙げてもらったらどうか。
 それぞれの社会保険料が何のために、いつから払わなければいけないのかという点につきましては、恐らく選択肢がないと答えられないと思いましたので「何のために」「いつから」払うのか。一番典型が国民年金の保険料は20歳になったら、みんな払わなければいけない。こういうところを線で結んでいただくイメージで書いたらどうかということであります。
 社会保険料と税の違いということで、少し難しいセッティングなのかもしれませんが、A市という市を想定いたしまして、その市の市長になった立場で考えていただく。そして、税と保険料で賄っている国民皆保険ですが、基本的な保険制度ですので、保険料を払った人には権利として給付を受ける権利が発生すると通常考えるわけですけれども、例えば(1)では、低所得者だけ払えばいいのではないですかと言われたときに、どう考えるのか。
 (2)では、保険料をちゃんと払った人、払っていない人、払えなかった人について、どう考えるのが公平なのか。こういうことを議論してもらったらどうか。これを通じて税と社会保険の違いについて少し理解を深めていただきたいというものでございます。
 ファクトシートは資料1-A-3ですけれども、何を付けたかといいますと、まず「社会保障の給付と負担の現状」で国の一般歳出を上回る108兆円の社会保障給付費、5割が年金、医療が3割、福祉その他が2割。そして、保険料60%、公費40%で賄われているという全体像が余り知られておりませんので、こういったこと。
 それから、国の歳出の現状。更に、ライフサイクルで見た社会保障の給付と負担のイメージ。更に消費税が実際に何に使われているのか、幾ら使われているのかということも知識として必要だという御意見が前回ございましたので、現行制度、高齢者3経費を前提に書いてみたものであります。
 そして、資料1-B-1に移りますが、1-Bは前回お示しをしたファクトシートの中で1枚のファクトシートの中の一部分として書いた公的な医療保険がどうして必要なのかというところを1枚のA3に引き伸ばしまして、少しわかりやすく、かつ突っ込んだ形で議論できないかということであります。
 まず、冒頭に1ではクイズのような形で皆保険制度3割負担ということを知ってもらう。高額な負担になったときには、保険が払ってもらえる仕組みがあるということを確認してみたらどうかということであります。
 2からが本題に入りますが、公的医療保険がなく、民間会社の市場経済原理に任せた場合については、どういうことが起きるかということを考えてもらいたいということになります。公的医療保険がないA国に移住しました。A国では民間保険にみんなが加入することになっています。そして、保険料は基本的にリスクの高い人が高い保険料。リスクの低い人は少ない保険料ということなので、典型的な例として25歳健康な人、75歳で既に病気をお持ちの方、どちらの保険料が高いのか。
 少し難しいのかなと思いながら、最近は携帯電話も複雑なプランを高校生もみんな選んでいる場合もありますので、一応、スタンダードプラン、プレミアムプラン。ホワイトプランというのはないのですけれども、プランの内容、金額、年齢により5~15万。ここは書いていないのがみそでありまして、ちゃんと考えれば、年齢により5~15万円というのは、若い人が5万円で高齢者が15万だということを考えてもらった上で書き込んでもらうということであります。
 それから、加入審査ありということで、現に民間の保険も、英語ではPre-Existing Conditionと言いますが、病気がある方には加入されない場合があるということで、持病があったら入れないのだということも書いてある。A国ではどのような事態が発生すると思いますか。
 そして、右側がよりたくさん設問が並んでおります。仮定のA国に更に仮定として、新しい保険会社B社ができて、かわいそうな人たちを一手に救う弱者に優しい保険料を設定しました。こういう場合、どうなりますか。でも、あなたが金持ちだったらどうしますかということ、健康だったらどうしますか。
 B社は数年後倒産しましたが、なぜ倒産したのでしょうか。
 B社がなくなったA国社会はどうなりますか。元に戻るのですが。
 こういう社会をよりよくするためには、どうしたらよいと考えますかというのが(4)。これはいろいろな答えがあり得ます。
 1-B-2の青字のところにも書きましたが、世界でもさまざまな考え方があって、どこの国も完璧な答えはないと言われているものです。税金でやったらいいではないかとか、保険者に規制をかければいいのではないかとか。個々人の自己責任だから、仕方がないとか、こういうさまざまな考え方があります。
 (5)公的医療保険制度の意義について考えてみましょうということで、場合によってはAみたいな国があるわけないでしょうと生徒が言ってくれたら、実はあるのですという話でアメリカの例を説明できるかもしれません。
 1-B-3でファクトシートを付けていますけれども、これもなかなかぱっと見わかりにくいかもしれません。一生涯にかかる医療費は幾らかということでグラフを付けております。生涯医療費2,300万円、平均的な例ということで考えれば、これぐらいかかります。なので、これが自己責任だと大変です。自己責任といった場合は、平均2,300万円と言われても、3,000万円、3,500万円を貯金しておかないとできないということです。
 医療保険制度の負担のイメージで医療費がかかる人ほど、保険料の負担は安い、自己負担も安い、こういう公的医療保険の特徴を見てもらおうと思って書いたのですけれども、字で書くとなかなかわかりにくいので、よく海賊が持っているお金の入った袋を3つぐらい並べて、2つぐらい並べてということだとわかりやすいかなと思っていますが、ここは業者に工夫してもらおうかなと思っています。
 ちなみにということで日本とアメリカの医療保険の違い、日本とアメリカの医療費の違いを書いております。アメリカの例は、外務省ホームページから引っ張っております。日本の例は保険局からもらった数字になっております。
 資料1については、以上でございます。

○権丈座長 どうもありがとうございました。
 それでは、このワークシート、あと、ファクトシートの方、質問がありましたらよろしくお願いいたします。私はワークシートの見栄えの方はいろいろ言いたいことはあるのですが(笑)、見栄えは今日は問わないということにしまして、中身に関して、御質問、御意見をいただければと思います。よろしくお願いいたします。
 では、高校の先生とか現場の方がどういう感想を持っておられるかを伺いたいと思いますので、梶ヶ谷委員、よろしいでしょうか。お願いいたします。

○梶ヶ谷委員 梶ヶ谷です。よろしくお願いいたします。
 現場で実際にこの資料をいただいて授業をする場合に、まず思うのは難しいということですね。
 もう一つは、内容が難しいということのほかに、実際にどの科目で使うのかなと考えますと、昨日のメールでは基本的には総合的な学習ということなのですが、ただ、総合的な学習で使う場合は難しいと思います。公民の現代社会あるいは政治経済で扱うという場合でも、教科書レベルから部分的に少し難しいものに踏み込み過ぎているのかなという気がいたします。
 基本的には公民の教科内容ということで、社会保障が扱われるということを考えていますけれども、ただ、教科学習外でこういう学習をする場合に現場としては、もう少し興味深いというか、生徒の関心を持って社会保障について学習できる冊子というか、教材でなければと思います。これはよくできていると実は思います。現場の教員として、これで授業をしなさいということであれば、それなりによくできていますので、やりやすいと思います。
 ただ、実際にこれを現場で生徒に例えば公民以外の科目でやる場合には、非常に生徒にとってはある意味では違和感というか、難しさというか、そういうものがあるということと、実際にそれを総合的な学習で指導する教員にとっては結構難しい内容だと思います。そうすると、公民の教師であればともかく、公民以外の先生が総合的な学習など、例えばホームルームの時間にこれを扱うということになると、相当難しい、ハードなのかなということになります。
 また、個人的な意見としては、教科指導の中でこういう内容を扱うということであれば、それはそれなりに展開ができると思いますけれども、ただ、もし総合的な学習とかホームルームとか教科学習外で扱う場合には、例えば資料1-A-1の最初の方の段階の政府の役割というところ、その辺りで政府の役割とともに社会保障の基本的な意義、理念というのですかね。例えば共助だとか社会の貧困をなくしていくことに、なぜ社会保障が必要なのか、重要なのかということをもう少し生徒に自由意見を言わせる内容の導入や、その工夫があればが生徒にとっても興味や関心を持ってもらえるでしょう。
 そうすれば、公民以外の教員がこれを扱う場合にも扱いやすいというか、授業の展開がしやすいという気がします。ですから、内容的に難しいということと現場でどの教科、科目、領域でやるかということについては、多分、いただいたときに多分現場では公民の先生に振られる、ひょっとすると、それで終わってしまう。つまり、それはそれで完結はするのでしょうけれども、社会保障がもう少し広がりを持って、学校の特に高等学校の現場で扱われにくい、難しいと思います。

○権丈座長 いえいえ、どうもありがとうございました。
 他にといいますか、それとも今の梶ヶ谷委員の御意見に対して何か御質問とかありませんか。
 どうぞ、お願いいたします。

○前田委員 前田です。
 最初の方の説明の中で税の学校教育は結構行われているという御発言がございましたけれども、それは制度としてやってくださいということなのでしょうか。
 それとも例えば国税庁の方からそういうことを積極的に取り組んでくださいということになっているのでしょうか。それを先に教えていただきたいのですが。

○塩見課長 文部科学省でございます。
 税に関する教育につきましては、学習指導要領の中でも扱うことになっておりまして、例えば社会科でありますとか公民でありますとか、そういう中で必ず取り上げることになっておりますので、教科書にも勿論出ておりまして、指導はされております。御指摘にありました例えば国税庁の関係の方でありますとか、税理士さんの関係の方でありますとか、いろいろな専門家の皆さんも出前授業のような形でかなりたくさん学校に声をかけていただいて、学校で授業するような場面もございます。
 近年、本当に熱心に取り組んでいただいておりまして、かなり進んではきているのではないかなと思っております。

○前田委員 ありがとうございます。
 今回のこういうワークシート、前回からしますと、きれいにはでき上がってきております。実際、先ほど梶ヶ谷先生もおっしゃいましたけれども、多分、これを教える先生は難しいと思うのです。先生が理解しないと、子どもは更に理解できないと思うのです。ですから、そういう先生が理解する学習指導要領というのでしょうか、そういうものをつくらないと、すごく大変な教育ではないかなと思うのです。
 それと私が話したかったのは、前回の資料の中で中高生で社会保障について学ぶ機会が非常に少なかったという大学生が多いという発言があって、それをこの中でまとめていらっしゃるのです。これはなぜかということを聞きましたら、進学校については社会保障については、そんなに力を入れていない。ですから、多分、大学生は社会保障についての勉強はしたと思うのですけれども、記憶がないというのが現実だと思うのです。
 これから、社会保障は国の制度であり大事な根幹ですので、それを本当に取り組むのであれば、是非、税と同じ形で学習指導要領の中に入れ込んでいかないと思います。
 先ほども先生がおっしゃいましたけれども、なかなか現場ではさっと流す程度で終わってしまうのではないか。ですから、ここでいろいろな議論をしていい副教材、テキストをつくったとしましても現場でどうやって使われるのか。例えばモデル校では来年度に教育をされるのでしょうから、そういうところを視察しながら、現場の事情、現在の教育の事情を確認する必要があるのではないでしょうか。
 そうでないと、モデル校は決められたことをやると思うのですけれども、それが25年度、26年度と実際にやってくださいとなったときに、さほど今と変わらない。いい副教材はできたけれども、それを使いこなせないというのが現実になってくる気がしますので、是非、その辺りもお考えいただきたいのです。
 なぜそういうことを言うかといいますと、例えば国の政策で金メダルを取りましょうという場合は、日本体育協会にすごく予算をつけて強化するのでしょう。ですから、もし社会保障等が本当に国で必要であれば、もっと予算をつけて学校の教育の中でうんと教育するということを考えていただきたい。そうでないと、これはなかなか進んでいかないと思っております。
 以上です。

○権丈座長 どうもありがとうございました。
 梶ヶ谷委員と前田委員から今、御意見を伺いまして、その中で「難しい」という表現があるのですけれども、私はこれを見て思ったことは、第2回目の検討会に藤原先生とかがいらっしゃって勧められていたオープンクエスチョン型式になっているんですね。答えはあまりないのです。だから、先生も一緒に考えるという感じでいいのじゃないかと思うんですね。この方面で、答えがないという角度からは、たぶん考えたことがないのではないでしょうか。そこを恐らく、みんなで例えば自分が総理大臣になったらどうか、市長さんになったらどうだとかいうことを考えてみていきましょうという方向でワークシートをまとめられていると思います。ですから、難しいということが私の中では具体的にどういうことなのかなという気がします。
 そして、社会保障制度について内容をまず説明した方がいいということもあったのですけれども、社会保障とはこういうものだよという以前に、実は順番として資料1-Bの医療の方から入った方がいいのかもしれません。この中に実は社会保障の考え方とかがほとんど入り込んでいるんですね。だから、順番を工夫することと同時に答えがないオープンクエスチョン型式になっているので、自由にみんなで議論するという形のものを恐らく事務局は目指しているのではないでしょうかね。
 だから、先生たちも一緒にこの方面で学生と考えてみましょう、そういうふうに考えていただければ、これは成功という前向きな方に進むのではないかなという気もしております。
 どうぞ、よろしくお願いします。

○宮台委員 私はそれなりにわかりやすいとは思うのですが、少しフラットかもしれないと思うのです。つまり、何が幹で何が枝なのかという重みづけがもう少しはっきりするとわかりやすいかなと思います。
 例えば私が若いころに疑問を持っていたことですと、つまり、年金とか保険とかといった、年金も保険ですけれども、保険制度と生活保障制度の関係。生活保障制度は、救貧対策だから国がやる。年金は個人のリスクヘッジですから、基本的にはもともとは市場から出発した。とすれば、なぜ年金を国があるいは年金を含めて保険を国が運営するのか。あと、もともとは社会的救貧対策とは別の個人的リスク対策であったはずの年金が義務であるのか。
 この辺、今でも疑問が解けたとは言えないのはなぜかと言うと、難しい問題がたくさんあるからですね。国がやるべきなのかについてはアメリカで議論になっているし、国がやるからということと義務は結び付かなくていい。市場に任せた上で加入を義務づけることもできるし、国がやった上で義務を外すこともできます。そういういろいろな組み合わせを考えると、どれが最適なのかについては国によってばらばらですね。
 なので、国によってばらばらであるということは、このワークシートにも書いてあったのですが、何がばらばらであるのかということの構造がよくわかるように、そもそもは救貧対策とリスク対策、社会的救貧対策と個人的リスク対策は違うということと、それぞれは従って違った会計についての考え方があるということ。
 だから、特に市場における年金保険や保険であれば、保険会社は民間企業ですから、もうけなければいけませんので、我々の支払いと給付の関係でいえば、勿論、支払い方が多いのが当たり前ですね。保険会社からすれば、皆さんに支払う額の方が皆さんからもらう額より少ないのは当たり前と考えなければいけないわけです。
 何か物すごくベーシックな考え方、概念の枠組みはどういうことであるのかということをおっしゃってから、資料1-A-1から入ればいいのかなと思います。例えば資料1-A-1の左側の上半分、下半分の間辺りに社会保障制度の中にどういう考え方が代表的に存在していて、それに従ってどういう制度があって、どういう制度の選択肢があるのかみたいな概略がわかるといいかなと思いました。
 細かいことですが、今、思いついたのですけれども、1-A-1の右の下半分の「4.A市では」に始まる(1)の設問です。この3行目「医療費を支払うのは所得の少ない人だけにしてはどうか」は「医療費を支援するのは」にした方がいいかなと思いました。
 以上です。

○権丈座長 どうもありがとうございました。
 宮本委員、お願いします。

○宮本委員 済みません、前回お休みした関係で全体の目次構成といいますか、これはまだ必ずしも詰めていないということでよろしいでしょうか。

○権丈座長 どうでしょうか。

○武田参事官 今回、目次構成といいますか、ワークシートでやってみる。2種類を用意して1種類だけやるのもありかなということであります。

○宮本委員 そうなると、これが全体ということになりますか。

○武田参事官 とりあえずは全体です。

○宮本委員 これを冊子にすると。

○武田参事官 冊子といいますか、ワークシートですので、こういうばらの紙で実際に使っていただけるようにしたらどうか。

○宮本委員 それを配布するということですね。

○武田参事官 はい。

○宮本委員 そうなると、やはり社会保障のもうちょっと全体像みたいなものが冒頭にあったらいいのかなと思います。
 特にそれに関してはこの前の「よのなか科」の議論の続きで私の頭の中ではあるのですけれども、要するに、よりよくとかよりましに生きるためには不可欠な知識で知っておいた方がいいみたいな、ある種のモチベーションを冒頭に高める場面があった方がいい。
 先ほど、難しいか易しいかという議論があって、学生や生徒は変に噛み砕いて口移しにする知識については、引いてばかにするなみたいなところがあるのです。これは結構、生の本当の知識だぞというと、それなりに食いついてくるところがあると思うので、易しい、難しいという二元論ではなくて、少し食いつきのいい知識の出し方と考えてみると、意外に彼らは頑張ってついてくるというところがあると思うのです。それが1つです。
 もう一つなのですけれども、宮台委員からリスクと扶助という話があって、その全体像をまず説明していく。それは全くそのとおりだと思うのです。それと同時に今、非常に難しいなと思うのが恐らくこの教材の前提になっているのは、典型的なケインズ・ベヴァリッジ型といいますか、人生の折々にある典型的なリスクを社会保険でシェアをしていく。それが先ほどおっしゃられたリスクシェアリングで、そのシステムに入ってこられる人たちを扶助でサポートする、その形ですね。
 ところが、この形が維持し切れなくなってきている部分があって、特に医療保険はそうですけれども、フラットな医療保険にみんな迎え入れようとしても、それ自体が成り立たないという現状があるわけですね。したがって、どうしても扶助を税金で部分的に入れていかざるを得ないようになって、教材の中にある社会保険料と税の違い、A市では市長になってもらって考えてもらう。これも非常にいいのですけれども、そもそも税と保険料のミクスチャーということ自体が保険だけが連帯原理の形のはずなのですが、それだけではもたなくなってきているから、税を投入せざるを得なくなってきているという、その現状ですね。
 そういう意味では典型的なケインズ・ベヴァリッジ型からワンステップ、21世紀型のシステムは先にきてしまっていて、リスクシェアリングと扶助をどこかで融合していかないともたなくなってしまっている形があって、そこを市長になって考えてもらうという場面設定になっていると思うのです。だから、そこは難しいかなというところがあると思うのです。そもそも社会保険の連帯原理と税の原理がどういう関係で、どうあるのかということを含めてそこから説明しないといけないのかな。
 それに関連してA国にB社ができたという話も非常に面白いなと思いつつ、強制加入の社会保険とB社という形で形象化される広い意味での保険原理をどこでどう区別するのかということもどこかに入れておかなければいけないと思うのです。
 そういう意味では、ここでどう説明すればいいのかなと先ほどお話を聞きながら、私自身もすぐに出てこないのですけれども、社会保険、税の形が20世紀型の仕組みのように純粋に出てきていないような。だからこそ、給付付き税額控除だとか場合によってはベーシックインカムで社会保険を下支えする手立てが必要になってきている状況の中で、高校生を含めた若い人たちが予測される自分の給与水準を考えると、これで社会保険を払えるのかみたいなことを想像せざるを得ないと思うのです。
 そういう中でこの社会保険原理を説明していくのは大変だなと思いつつ、そこをどう実感してもらうのかが難しいなと思いました。
 混乱をさせることを言って申し訳ありません。

○権丈座長 どうぞ、お願いします。

○大杉委員 2点あります。
 1点目は、先ほど梶ヶ谷先生から総合的な学習の時間で使われるのですかという質問があったと思うのですけれども、どの教科あるいはどの内容でこれを使うかということを考えなければならないと思うのです。
 タイトルを見ますと、「政府の役割と社会保障」と書いてあると、高等学校の先生は当然、政治・経済か現代社会の項目名と一緒なので、そちらかなと思うのですけれども、それを総合的な学習の時間で使われるというと、ちょっと違和感が出てくる。
 もう一つは、総合的な学習の時間は各学校が独自に教科で学んだ知識を使って探求していく場なので、これをやりましょうという内容物を固定的に出すことはなかなか難しいと思うので、せっかくいいものができても全学校で使われるかどうかは、確約できないということなのです。政治・経済や現代社会であれば、まさにこの項目があるので、非常に使われやすいと思います。
 あと、資料Aと資料Bそれぞれ基本的な知識部分等、あと、藤原先生のお話にもありましたけれども、シミュレーション的に討論したり、いろいろな正解があるものについて追及していくという構成になっているので、この構成は非常にいいと思うのです。
 特に私が関心を持ったのは、Bの方のA国というものを出されているのは非常にいとと思います。最初の会議のときに社会の在り方ということを前提に置いて社会保障について考えていけたらいいですねというお話があったと思います。そうすると、せっかくA国、2009年までのアメリカと言った方がいいですか。ちょっと制度が若干変わったように思われるのですが、社会の在り方を問う資料としては非常に面白いと思うのです。
 日本の場合は、公的な医療保険が取り上げられて社会保険の基本的な考え方を学ぶというのは、これを使ってうまくいくのではないかなという気がしていますけれども、ただ、生徒の頭の中にこの資料を使って授業が終わった後に、どういう理解内容があるかというのが大事なことなのです。
 そのときに我々は将来病気になるか、どんなけがを負うか、どうなるかわからないという前提で、もしなったときにどうするかというときに、リスクの分散を図らないといけない。それで共通の料金で保険料を払って、みんなでプールして不幸にもけがや病気になった人にプールしたお金の中から費用が払われるという社会の仕組みを我々は選択しているのだと考える。
 プールしているお金の量が今、問題になっているのだろうと思うのですけれども、こういう選択ともう一つ、A国の話がせっかく出ているので、違う仕組みを持っている国と対比して、その根底にあるどういう社会の在り方を求めているのかということを学ばせるというのは非常に意義があると思います。 以前、アメリカを事例にした授業づくりについて研究をしたことがあるのですけれども、アメリカの場合だと自分はちょっと胃腸が弱いなと思うと、胃腸の病気に対して厚い保険とか、家族が多い場合の保険とかいろいろなパターンがあって、自分で選べるという自己選択を最大限尊重できるという社会の仕組みを求めているというところまで学ぶ。
 でも、日本の制度と比べて、負の要素として無加入の人は多額の医療費を払わないといけないという面があるという対比の中で私たちは社会保険という仕組みを選び取らなければならない。このような授業ですが、こうしたことを考えていくことで、社会の在り方に一歩近付けていけるのではないかなと思うのです。
 結論的には基本的な知識を学びつつ、こういう問題を考えていく。問題を考えていくときに異なる制度を対比しながら、社会の在り方に対して子どもたちに目を開かせ、社会保障というものはこういうものなのだということを学ばせる資料になってもらうといいなと思います。

○権丈座長 細野委員、お願いします。

○細野委員 細野です。
 まず、皆さんの御意見を伺っていて、全員に共通しているのが「なぜ社会保障が必要なのかをもっと明確にわかりやすく」というところが一番大事なところだと思います。そこについて議論を詰めていくと、結局、このあとにやる資料2「社会保障の正確な理解についての1つのケーススタディ」で、なぜそもそも社会保障が必要なのかが根底からわかるようになっていると思うので、こちらを最初に詰めていったら、おのずと今、皆さんの御意見から出てきた、「そもそもなぜ社会保障が必要なのか」という共通理解ができるのではないのかなと思っております。
 その意味でできるだけたくさん「社会保障の正確な理解についてのケーススタディ」の方を考える時間がほしいなと思うので、私に関しては本当に手短にお話します。
 1つ、私なりの教材のアイデアとして細々と議論していても、らちが明かないなと感じているところもあって、最初に梶ヶ谷先生がおっしゃったように、学生の立場になったときに興味深いところがないと、「とりあえず教えた」というレベルの、単なる教師の自己満足で終わってしまって、何の意味もない結果になると思うのです。
 それは宮本委員もおっしゃっていたように、「いかに食いつきがいいのか」という話とも全く同じ話だと思うのですけれども、そういった意味でいったときに、私だったら具体的にどういうふうにやるのかというところを実際にやってみせないと、多分、意味がないなと思っていました。
 実は先月末の2月27日に国会の衆議院の予算委員会でまさに社会保障について、言い方は変ですが、国会議員の衆議院の方たちを生徒に見立てて、年金の未納問題などを中心に「社会保障とはそもそも何なのか」といったような話をしてきました。やはり大人でも食いつきというか、反応がとてもよかったわけです。例えば、大人が興味深いとか面白いとか思えないと、子どもだって面白いと思えるわけがないのです。
 そういった意味で宮台先生がおっしゃっていた「保険料」と「税金」の違い、「義務」と「権利」といった話が、この一番キャッチーな「年金の未納問題」という、まさに子どもたちにも大きく関係してくる話に集約もされているのです。まずはキャッチーな話として、そこから入りながら、「そもそも年金とは」という説明をする。その際に「国民年金とか厚生年金とか共済年金とか言葉を聞いてもよくわからないよね。だけれど、そもそも国の年金はあくまでも私たちがどんなに長生きしても生活はしていけるように、国が出すお弁当なんだ」といった位置づけできちんとわかりやすく教えていけば、子どもも自然に入っていけると思うのです。
 さらに、「そもそも未納にしていると、どういう状態なのか」というところで、「保険料を払う」という話がそれこそ義務なのか、権利なのかも同時によくわかっていくわけです。
 国会での最初のプレゼンの15分の時間の中でもあれだけのことは伝えられると思うのです。だから、私なりにこの教材の具体例として何ができるのかという答えは、とりあえず、あの国会での解説なので、あそこの部分をできたら参考にしていただけると、とてもありがたいかなと思っております。

○権丈座長 宮台委員、どうぞ。

○宮台委員 細野さんのおっしゃったとおりだと思うのです。
 実際、どういう論争が起こっているのかということが一番キャッチーかなと思うのです。例えば救貧対策については、日本は世界主要53カ国の中で政府は救貧対策をするべきではないという考えが一番多いのです。34%です。あの新自由主義と言われるアメリカでさえ27%で、そのほかのヨーロッパの主要国は8~9%です。
 日本人は救貧対策を望んでいません。しかし、一般には救貧対策を望まない場合には保険制度を望むのですけれども、保険制度について望んでいるかどうかというと、これは非常に怪しく、なぜかと言うと、概念を理解していないからのようなのです。
 例えばアメリカであれば、皆さんは御存じかもしれませんが、歯医者に行くと、すぐに400ドルの請求がきて、これは何だと思うわけです。しかし、アメリカ人に聞くと、ずぼらな生活をしている者と私みたいに毎食後に歯を磨いている者が何で同じ保険料を払うのだ、ふざけるんじゃないとナショナル・ヘルスケアというアイデアについて一蹴するというのがありますね。
 大杉委員もおっしゃいましたけれども、この考え方は一般に民間の保険会社であれば、個々人の生活スタイルや持病やその他の要因を勘案して、保険料を変えているわけですね。政府あるいは国が運営するのであれば、そのようにした方がいいのではないか。そうすれば、国民皆保険に対して疑念が出ないのではないかという議論も例えばありますね。
 そうすると、今度、必ず異論が出てくる。いや、個々人のライフスタイルや個人の選択の問題なのか。例えば本当にかつかつで苦しい生活をしている人間は、自分の病気のこととかライフスタイルの細々としたケアについて十分注意を払えない。簡単に言えば、個人がどういうライフスタイルを選べるのかということも、実は個人の選択による部分と簡単に言えは、社会的なリソースによる部分。つまり、本人には選べない要因による部分と2つあるので、その意味で言えば、保険は個人のリスクに応じた保険料という原則でいくべきであると貫徹することも難しいのではないかという異論が出てくるわけです。
 この辺の議論は単なる会計の議論ではなくて、社会がどう在るべきなのかという議論に関する要するに、意見対立なのです。これは先ほどから皆さんがおっしゃっていらっしゃるように、決着が出ない。というか、全然決着がついていない問題なのですけれども、まさにこの論争は未納問題に直結しているわけです。未納の動機はこの論争の中にすべて書き込まれている。そうすると、この辺りから入るのがとてもキャッチーでよいと思うのです。
 以上です。

○権丈座長 どうもありがとうございました。
 増田委員、何かありますか。

○増田委員 増田です。
 次に資料2にすぐに入りたいというお話だったので、最初の資料について簡単に私の感想といいますか、意見といいますか。すごくよくできたワークシートだと思います。教員がこれを勉強して頭に入れた方がいいなという内容になっているので、まず、そんな感想を持ちました。
 私だったら、どういう授業をするかということを今、考えていたのですが、これを頭の中に入れて子どもたちに自分たちの人生設計をさせるというところから、多分やると思います。自分は幾つで結婚してとか、こういう就職をしてとか、そういうことを具体的に考えさせた上で、そこの中でどういうものを払っていくのか、社会的な負担があるのか。例えば、そういうアプローチもあるかなとか。
 あとは、自分の家族構成を考えて、例えばおじいちゃん、おばあちゃんと暮らしている子が介護を受けているとしたら、それはどういう形でサービスを受けているのか。どこの自治体はどういうことをやっているのかということを最初に具体例から入って、自分たちの身近な問題から入っていくというのが私の感触としては、彼らの一番身に入っていくというか、自分たちが考えやすいという問題だと思うのです。
 私は3月に出席できなさそうだったので、メールでこういう案はどうでしょうと一応、送ったのですが、人生ゲームをつくるというのはどうかと思ったのです。彼らに1枚の紙に人生ゲームをつくらせて、そこの中に人生の中ではこういう落とし穴があるとか、失業したらどうするとか病気になったらとか、そうなったときに、その保障があるかないかということを考えさせる。それを自分たちで組み立てて考えたときに、どういう社会だったらいいのではないかと自分たちで考えることができるのではないかと思ったのです。
 ただ、こういう形で基本的なところを押さえていかないと、それも考えられないという側面も1つあると思いますので、こういうワークシートできっちり勉強していくことは、私は非常にいいことだと思っています。
 梶ヶ谷先生がおっしゃったことは、今はわかりませんが、彼らが難しい、難しくないというのは、自分たちのものとして考えられるか、考えられないかという、そこのポイントではないかなと私自身は思っています。
 では、国際比較をするときにはどうかと言ったら、私はキューバに住んでいる子とアメリカに住んでいる子と北欧に住んでいる子と日本に住んでいる子、この4人を比較して人生を考えた場合に、病気になったらどうなるのかなとか、そういう発想で話をアプローチしていけば、それぞれの国の社会保障の違いとか、そんなことも具体的なこととして入ってくるのかなと思います。
 ただ、私が今、申し上げたことはすごく本筋のきちんとしたことを教えるということが教員の中で前提として全部身につけていて、それを考えさせていったときに、ここの問題にはこれを落とし込んでいけるということを、そのライブの授業の中でやっていく力をこちらが持っていないと、それは具体的なものとして成果が上がらないという側面もあります。
 ですから、このワークシートを基本にして例えばですが、こういうアプローチをしたら、この先、どうかとか、そういうこともヒントとして付け加えて配っていくと、少し学校で使いやすくなるのかなという気がしました。
 以上です。

○権丈座長 ありがとうございました。
 多分、1回目、2回目、3回目とかに物の考え方を重視するということが大切だというコメントがいっぱいありましたよね。その議事録に忠実に基づいた考え方から入っていると思うのです。
 恐らく身近な例から入るというパターンもあると思います。考え方の根っこの部分に一体何があるのだろうかという形でオープンクエスチョンで資料1-B、医療の方であなたはA国の社会をよりよくするためにはどうしたらよいと考えますか、もう答えはないですね。だけれども、そういう答えのないところを考えてみようという意味があるのではないかと思います。
 そこで、先ほどの大杉委員のA国のメリットを挙げた方がいいというところ、これは非常に難しいと思うのです。メリットというのは選択をした瞬間に物すごくバイアスがかかってしまいます。だから、そこも学生に考えてもらうというものも、悪いところ、良いところ、そして、これが良いではないかと言った瞬間にいろいろな反論が出てくる。「選択の自由」があるではないかと言えば、それは逆に言えばこういう意味なのだという形で反論が出てくるというところまで全部含めた形で。
 仕事柄、大学に来ている学生を見ますけれども、物を考えるという訓練をあまりやってないみたいなんですね。覚えることは物すごく得意なのですけれども、物を根本的に考えるという経験がどうも不足しているように見えます。ですから、恐らくこれは試行事業ということでして、第1回目の検討会の際に香取統括官もおっしゃったように、結果がどうなるかわかりませんという試行事業なのです。
 そういうところをいろいろな形でチャレンジグにやってみましょうかということではないかなと思うのですが、この資料1のワークシートが本日のメインの議題ですので、ほかに御意見とかございましたら。
 大杉委員、どうぞ。

○大杉委員 ちょっと訂正を。
 メリットではちょっと問題があるようでしたら、A国の仕組みを支持している人たちの理由ですね。それぞれ支持している理由がある、それを突き合わせて考えようという意味です。

○権丈座長 わかりました。
 本当に根っこの部分から考えなければいけない問題なのだと思います。
 そして、恐らく社会保障はこういうものです、そして、こういういろいろな制度があります。その中に医療があって、医療の中のこの部分を考えてみましょうという形で公的医療に入っていくと、全体の一体どこを考えているのかというのがわかる形になるかもしれないと思います。
 この検討会は、4回目も無事に開催されて驚いているのですが(笑)、これからもひょっとするとあるかもしれませんので、ずっと検討していきながらやっていけばいいのではないかと思います。何かほかに御質問、御意見ございませんか。
 前田委員、どうぞ。

○前田委員 先ほどの繰り返しになりますけれども、今、日本の制度は国民皆保険となっています。ということは、みんな入らなければいけない。ちゃんとそれ相当の保険料を負担してということだと思うのです。
 そうすると、義務なのですけれども、そのことを学校でどの程度教えているのかということです。皆保険、皆保険と言いますけれども、皆保険とはどういうことなのでしょうかということを学生のときから理解していかないといけないのではないかと思うのです。
 例えば会社で入っています健康保険とか厚生年金保険料は給料から天引きしますので、まず、本人の未納はないですね。会社が意図的に納めない場合はあるでしょうけれども、それで今、年金の記録の問題になってきているのですが、一方、国民健康保険とか国民年金は個人で納めるでしょう。そうしますと、保険料の未納、滞納はいっぱいあるのです。
 国民年金については60%を切る納付率だということで、今、一生懸命どうしようかということで皆さん検討していらっしゃると思うのですけれども、国民健康保険については数年に1回、保険証の更新をやっているのです。そうすると、現場では保険料を払っていない人については新しい保険証を交付してくれないのですよ。
 そうしますと、お医者さんにかかれない。便宜的にどうしても急病であれば、保険料を納めることを条件にしてこの治療だけはやっていいですよとやっているようですけれども、それが果たして皆保険という制度でなじんでいるのかどうか。
 ですから、それは大人がやっていることで子どもはそれを見ています。教育はすごく大事ですので、先ほども申し上げましたけれども、税と同じような感じでカリキャラムの中に社会保障をどんどんともっと取り込んでいただかないと、将来の皆保険制度は本当になくなってしまうということになると思います。
 以上です。

○権丈座長 ほかに何かございますか。
 宮本委員、どうぞ。

○宮本委員 私も未納問題等のキャッチーなテーマから入ることに賛成で、同時にその舞台設定として、これは先ほど増田委員のおっしゃったことと重なるのかもしれませんけれども、1-A-3の3.ライフサイクルのモデル、これで負担と給付のバランスが完全に均衡すれば、社会保障は巨大な貯金箱になるわけですが、なかなかそうはいかないという話から少し考えてみるのもいい。
 同時にこれに対応させて、高校生は先のことを考えているようで、ほとんど考えていない場合が多いですので、このライフサイクルのどこでどういう事件が起こり得るのかということ。ここで子どもができるとか、会社でこけて大けがするとか、ここで退職だとかいうところで自分の力だけでは対処し切れない人生に待ち構えているリスクを折々でイメージをしてみる。そこでどうすればいいのだろうみたいなところから入っていくと、少し導入としてはスムーズになってくるのかな。その上で政府の役割などが説明されると、少し知識としてリアリティの高いものになっていくのかなと思います。
 それから、実は答えがない教材なのだというところは座長のおっしゃるとおりで、そこがみそだと思うのですけれども、教師も生徒も答えがないことに対しては慣れていませんので、物すごく不安を引き起こす可能性もある。答えがないことが答えなのだというところをどう周知徹底するかというのが大切なところかなと思いました。
 以上です。

○権丈座長 どうもありがとうございました。
 それでは、これは次年度の試行事業で年度内に方向性を固めないといけないようですので、ある程度、皆様の御意見を反映させながら、これから先にもう一回練り直していくということを事務局の方で行おうと思います。
 そういう形で一応、座長一任という形でよろしいでしょうか。

(「異議なし」と声あり)

○権丈座長 スウェーデンの教科書を宮本先生も御存じだと思いますけれども、樹形図、木を人が登っていく中で左側にずれたりとか、途中で立ち止まったりとか、いろいろな絵が描かれていて、ああいう形で全体像、そして、学んでいる高校生自身がそのリスクを実感できる何か絵が欲しいですね。そういうことはいろいろ工夫していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 一番反映するのが難しいのは、宮本先生の御意見で、救貧機能と社会保険の防貧機能を融合させることを反映させたりすることでしょうか。融合させることの是非そのものの問題もありますからね。そこら辺もいろいろ相談させていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、資料1のワークシートの方はこのあたりにしましょうか。本日の検討会は、「正しい社会保障教育をする」というタイトルが打たれておりまして、1つのケーススタディとして、社会で今、言われている世代間格差に対する論点を事務局でまとめていただいておりますので、こちらを説明していただければと思うのですけれども、よろしいでしょうか。

○武田参事官 ありがとうございます。
 それでは、次のテーマに入りたいと思います。資料2-1として論点をまとめておりますが、その前にまず、机上配付している新聞から見ていただいた方がいいのかもしれません。
 わかりやすいのは、具体的な新聞名を出して恐縮ですが、1月27日の朝日新聞、朝刊7面。「55年生まれは負担超過」ということで内閣府の推計で「受益」よりも、保険料の「負担」の方が多くなることがわかった。そして、2010年生まれの人は、生涯収入の13%も「損」することになる、こういうことで書いております。そして、試算をした内閣府の経済社会総合研究所は世代間の不均衡は無視できない大きさになっている。損のおよそ3分の2は年金のマイナスが占めるということで、すべての世代が損をするという、非常にショッキングなグラフが付いている。
 裏のページは日本経済新聞の方ですけれども、より詳しく解説記事も書いていて、年金給付抑制が急務ということを書いております。日本経済新聞の方はパーセンテージではなくて、具体的な金額についても書いてあるということです。
 資料2-2、どういう論文だったかというと、今年の1月にディスカッションペーパーとして公表されたものでありまして、年金、医療、介護についてモデルを構築してモデルをぐるぐる回しまして計算結果を出しましたということで、資料2-2の図1に生涯純受給率と書いてありますが、これがこのまま朝日新聞に掲載されたということであります。
 資料2-2の裏のページに新聞の中に書かれてあった論調を簡単にまとめております。ポイントとなりそうなところに線を引いておりますが、年金については、20年間年金をもらうと仮定した場合、月3万円ずつ足りない計算とか、若い世代の公的年金離れにつながる懸念もある。現状を放置すれば、年金不信で保険料の未納が一段と広がり、制度の根底を揺るがしかねないとか、こういう報道が行われたということであります。
 資料2-1を見ていただきますと、この問題を1つのケーススタディとして取り上げてみたわけでありますが、1ページ目にありますように、世代間の公平性の確保自体は非常に重要な論点であります。
 世代間の公平の確保という意味では、高齢者にも応分の負担をしてもらうとか、若者世代をよりよく支援していくためにはどうしたらいいのか。これは現在行われている社会保障と税の一体改革そのもののテーマでもあります。
 ただ、世代間の公平性の確保という議論をやっているときに、妙にこの試算がテーマ的に適合するので扱いも大きくなったわけでありますけれども、この試算は生涯に払った保険料と給付を現在価値に引き直して、世代間の格差が大きいと示しているものです。こういうものをどう考えていったらいいのか、先ほど御紹介をいたしました内閣府のディスカッションペーパーとして公表されているものを個人の研究結果だと言っていますが、内閣府のペーパーとして公表されておりますので、「内閣府ペーパー」と呼んで論点を検証してみたいということであります。
 2ページ目、大きく分かれまして、そもそも世代間格差論をどう考えるのかというところとは別に計算技術的な問題が幾つかありますので、そこを考えてみようということです。
 2ページ目にありますのは、まず問題点の1つとして割引率の問題。割引率の問題は、現在価値で損得計算をしますので、現在価値にするためには10年後の1万円は今の価値は幾らかということで割引率をかけて現在価値にするわけです。この割引率に何を使うかで非常に大きな差が出てまいります。
 値を大きくすればするほど、将来の給付なり負担なりが現在は小さくなります。特に今、払って将来もらうものは収支マイナスとなるので、内閣府ペーパーの試算は比較的大きな数字を使っているのではないかということで、箱の中には書いてございます。
 下に3点、黒ポツを付けております。2つ目のところですけれども、通常の経済状況の場合は物価上昇率よりも賃金上昇率が高く、賃金上昇率よりも利回りが高い。こういう関係になると一般的に考えられております。
 したがって、物価上昇で割り戻すより賃金上昇率で割り戻した方が、賃金上昇率で割り戻したよりも利回りで割り戻した方が現在価値は小さくなるという問題があります。例えば保険料の負担を考えますと、賃金に応じて負担をするということで考えれば、賃金上昇率で割り戻した方がいいのではないか。どれぐらいの物を買えるかということで言えば、物価上昇で割り戻したらどうかとか、こういうことで議論されるのが通常でございます。
 3ページ目、1つ目のポツで大きな利回り前提ということであれば、非常に大きく割り引くということになってしまう。
 2つ目のポツですけれども、社会保険の負担で考えますと、一般に給与の一定率で賦課をされますので、賃金で考えていった方が通常は妥当だと考えられるわけですが、賃金以上の数値で割り引きますと賃金も減るし、拠出に比べて将来受給額が小さい額で見なされるということで、拠出と給付の関係はマイナスの方向に働くことになります。
 更に、利回りが100兆円を超える公的年金の運用で仮定されている利回りを使っているわけですけれども、個人がそういうことをできるのかは別の問題ということになります。
 別紙になっていますけれども、資料2-1(参考)が配られております。これは座長の権丈先生に図表を使わせていただているのですが、シンプルに考えてみて、1つの静態モデルといいますか、世代間で公平な制度、1期~4期で10ずつ払って、後で20ずつもらう、生涯で言えば、40を払って40をもらう。これはどこの世代でも全く同じということになります。
 割引率を1%、2%、3%、4%、5%と仮定をいたしますと、割引率が高くなるほど倍率としては1を切り、負担の方が大きくなるということになります。
 次のページを開けていただいて、賃金が毎年上がる場合、傾向から一定の賃金が上昇していくと考えますと、6と7のところに赤いラインが付いておりますけれども、倍率としては1.08。賃金で割り引きますと、賃金上昇がキャンセルされますので、ケース2のように、ぴったり倍率としては1.0になる。それを賃金以上の数字で割り引きますと、ケース3になりますが、倍率は0.95ということで1を割る。こういうことでありますので、仮に人口構成が一定であっても、割引率の設定次第では倍率が1を割ることになる。
 こういうことで考えますと、運用利回りで割り引くことを1つの絶対的なやり方として提示をして計算をすれば、全世代が損をするという値の中に、割引率の設定ゆえの部分が含まれることになり、誤解を生みかねないということだと考えられます。
 資料2-1の3ページに戻りますと、1つは年金の例ということですが、医療も介護も、特に医療は短期保険で積み立てる形で考えられておりませんけれども、一般的に高年齢の方ほど給付が大きくなりますので、マイナスと計算される可能性が高くなるという問題を抱えているということだと思います。
 4ページ目、「内閣府ペーパーの問題点2」と書いてあります。保険商品について先ほどもちょっと話が出ましたけれども、民間保険でも払ったものがすべて返ってくるわけではないということなのですが、社会保険も保険という考え方である以上は金利がついて戻ってくるという機械的な形にはならない。
 特にある程度リスクをヘッジするということですから、リスクヘッジこそが保険の意義として考えれば、リスクプレミアム分がどうしても発生をする。市場運用の期待収益額よりも低くなるのが保険の性質ではないのかというのが2つ目の論点であります。
 年金であれば、長生きリスク、インフレリスク。医療であれば、高額医療費のリスク。こういったことを軽減するために保険制度ができた。
 5ページ、これも座長の資料を使わせていただいているのですけれども、リスクを考慮しなければ平均値を期待するということでありますが、リスクプレミアムを考慮すれば、リスクプレミアムを差し引いた分の給付で満足が得られる、こういうものだと思われます。
 7ページ、問題点3といたしまして「100年後の医療や介護」。年金ではなくて、医療や介護につきまして現物給付になります。現物給付の場合は金銭と違いまして、きちんと考えられるのだろうか。100年後の医療や介護について現在価値に換算をして、給付と負担の関係を示すことにどれだけの意味があるのか。
 そもそも100年後の医療費をちゃんと推計できるのかという非常に大きな問題もあるのですけれども、中身を考えたといたしても2つ目のポツにありますように、10年前なかった内視鏡手術が出てくる。全くなかった治療の手段が出てくる。かつては物すごく高かった高額な医療も今は普通の高額医療になる。医薬品で見ても、例えば20年の特許期間が過ぎれば非常に安い医薬品になる。
 こういうことを考えたときに10年、20年という推計は、ある程度リアルな推計ができたとしても100年間の医療費の推計が本当に妥当なのか。現物給付の難しさがこの辺にあるわけでありまして、医療であれ、介護であれ、現物給付で数十年先のリスクを保障する民間商品がなかなかできないというのも、こういうことだと思います。
 8ページ目、「事業主負担の扱い」です。内閣府ペーパーは支払いに事業主負担を含めています。御承知のとおり社会保険料は労使折半が基本であります。会社によっては会社が6割、7割払っているケースもあります。本人から見ますと、給料から天引きされているのは半分の50%部分ですので、本人の実感から見ますと、半分が負担になるわけですが、内閣府ペーパーでは経済学的に見れば、事業主負担も賃金の一環であるので、本人に払われたものと見なす。
 そういうことで本人負担、事業主負担を両方足して現役世代で負担をし、後でもらうのは個人がもらう、こういう計算をしております。この事業主負担を入れるか入れないかで負担が倍違いますので、非常に大きな違いとなります。どちらが正しいのかということになるということであります。
 これにつきましては、いろいろ論争がございます。3つ目のポツにありますように、単なる賃金をその分減らして、事業主負担で払っているだけだから、事業主にとっては賃金とイコールであるという経済学的な論点もありますが、現実には卑近な例を引用して恐縮ですけれども、今、パート労働の社会保険適用が非常に制度論として大きな問題になっております。
 事業主の負担が増えるから反対だということでありますが、こういうことが実社会でありまして、なぜだろうかという書き方をしており、断定的な表現を避けておりますけれども、こういう点。それから、このようなことを考えると、必ずしも断定的に当然、給料と同じだと言えないのではないかということであります。
 9ページ目、内閣府ペーパーの問題点5として、引き算がいいのか割り算がいいのかということで、現在価値にして引き算をしてプラスかマイナスかを見ていて、多くの世代はマイナスであるということでありますが、特に年金につきましては支払った保険料の水準に対してどの程度の水準の給付が受給できるかということです。
 例えば今の給与水準に対して50%の所得代替率を将来的に確保できると示したり、こういうパーセンテージで示しているということもあります。こういうことで引き算ではなくて、割り算としてどういう給付が保障されているのかを見て、負担と給付の関係を見るということもより明確な議論ができるのではないかという論点であります。
 以上、内閣府ペーパーの計算技術的な論点が1~9ページなわけですが、10ページ以降、そもそも定性的にどう考えていくのか。これは先ほどのテーマとも関係すると思います。「『社会保険』の概念とは」ということでるる書いてございますが、税によって行われる制度、社会保険によって行われる制度の違いをどう考えたらいいのか。
 内閣府ペーパーの前提にある世代間格差論は、基本的には個々人ベースで負担と給付を考えていって、所得再分配と言うのだったら、それは税でやるべきだ。こういう基本的なスタンスに立っているものと思われますけれども、社会保険に係る保険料はそういうものなのかどうか。むしろ社会保険は再分配機能を本質的なところで持っております。
 「『社会保険』とは」ということで3つ目のポツにいろいろ書いてありますけれども、税による救済、生活保護が典型ですけれども、厳しいミーンズ・テスト、いわゆる資産、所得、家族のサポート、こういったことを全部調べた上で、なおかつ、健康で文化的な最低水準の生活ができないということであれば、税によって扶助する。
 そういう厳しいミーンズ・テストを課すことによって、そういう自立できない人なのだということで、スティグマとよく言われますが、汚名の烙印という問題がミーンズ・テストの場合にはついてくる、こう言われております。
 社会保険はミーンズ・テストがない。利用に際してスティグマということも避けることができる。それとともにリスクの再配分、所得の再分配を行っている。それから、給付に権利性を付与することができる。こういう特性を持っている仕組みでありますので、単純に給付反対給付原則。病気しない人は安くていい、それが当たり前、それが正義なのだということとは違う仕組みだと思います。
 11ページにつきましては、それをまとめたものであります。
 12ページ、社会保険が主に対象とする生活リスクですけれども、年金であれば長生きリスク、医療であれば高額な医療のリスク、介護であれば介護の支援。こういうことになりますけれども、そもそもこれらの生活リスクは社会保険制度ができる前はどうだったのかということなのですが、制度ができる前はこういうリスクはなかったのかといいますと、当然ありました。そういう場合に誰もサポートしなかったかといえば、当然子どもの世代がサポートしていた。
 それを社会化して社会的に支えるということで制度ができてきたということであり、そういうふうに社会的に支えることが今までの社会で必要であったし、それがあったからこそ今の社会ができているということだろうと思います。
 12ページ、これも座長の図を使わせていただいておりますけれども、1期、2期、3期ということで考えれば、現役世代が子ども、親を扶養してきた構造自体は変わらない。これが社会化してきたということであります。
 そういたしますと、13ページにまいりますけれども、「社会化」後の制度だけに着目して損得計算をすることにどういう意味があるのかということで、親の世代が一方的に楽をしてきたということが言えるのかという問題点だと思います。
 次に14ページ、「世代間の『格差』はなぜ生じたのか」ということでありますけれども、内閣府ペーパーの中では介護保険の例が引かれております。年金、医療、介護それぞれ現役世代は損をして足すと3つ分の損をするというペーパーになっているわけですけれども、特に介護保険を考えてみますと、これは西暦2000年、今から10年ちょっと前に導入をされたものになります。
 介護保険が導入された瞬間を考えてみますと、今までなかった保険料負担がある日、当然発生するわけです。40歳以上が保険料を払うということですので、40歳になった瞬間に保険料が発生する。前の世代は去年は払っていませんでした、こういうことになるわけです。
 したがって、制度発足をして基本的にはずっと高齢者になっても保険料を払い続けますので、制度発足時40歳の世代は90まで生きるとしますと、50年間保険料を払う。制度発足時70歳の人は20年間しか保険料を払わない。これが不公平だと言われれば、保険料負担だけに着目すると、確かに差はあります。
 ただし、その分の介護負担はだれがどう負担をしていったのかということを考えないと、ここは理解をされないし、介護保険制度自体はむしろすべての世代から必要性が指摘されて発足をし、その発足した時点で保険料負担について不公平だという声は決して出ていなかったということだろうと思います。
 例えば、介護保険制度が20年前に始まった時点で70歳の人に対して、あなたは過去30年間保険料を払っていないのだから、給付は3割減しかもらえなくて当たり前だろうという論理はなかったわけです。
 そして、最近出た例としては典型例だと思いますが、それが非常に大きな形で行われてきたのが年金であります。15ページの絵を見ていただきますと、年金につきましても私的扶養で直接同居して扶養したり、離れて住んでいる場合はお金を送って仕送りしたりという私的扶養がだんだん社会的な扶養に置き変わってまいります。現在はほぼ社会的扶養に置き変わった状況でありまして、今の世代で親に仕送りを送っている人は非常に少ないのではないかと思います。
 今後、更に保険料負担は伸びる見込みでありますけれども、私的扶養から社会的扶養に置き換えとともに、高齢者がどんどん増えていくということで少子化、長寿化の進行による負担の増ということであります。これが扶養負担全体に高まっていく。高齢者が増える、長生きすることによって扶養負担全体が増えていくという構造にあるということだと思います。
 更に、15ページの一番下に書いてありますけれども、かつては非常に社会保険料もすごく安くて得をしたのかということでありますが、当時であっても相当の負担感が生じていたのではないか。
 16ページ、字が小さくて大変恐縮でありますけれども、当時の団塊の世代が働き始めた時代の初任給ですとか平均可処分所得ですとか、1つの面白い指標としてはエンゲル係数ですが、かつてのエンゲル係数は33.3%。厚生年金保険料率が6.4%。今は23%と15.4%。これを仮に食費の割合と保険料の割合を足すと、71年と2006年が同じ程度と見ることもできる。こういうことも考えていくことが社会全体ということであれば、あるのではないか。
 17ページ、「社会保険での世代間の『格差』は、本当に問題なのか」ということでありますが、各世代の生活当事者たちは果たして不公平と感じているのか。公平、不公平ということであれば、以下のような要素も考えなければいけないのではないか。
 老親への私的扶養が減っている。逆に親から教育費を多少支援してもらったりして、逆扶養があるかもしれませんし、教育や子育てに関する給付は今の若人の方が高齢者よりもより充実していると考えられるのではないか。かつては教育費、国立大学の授業料も非常に安かったということもあります。などなど、これらを考慮に入れて世代間の不公平、公平を表す指標を作成しないと、生活実感と外れていることにならないかということであります。
 18ページ、更に言えば、社会保険が問題であって税でやるのだったら何も問題は起きないという割り切りにも見えますけれども、税の方も公債残高を考えますと、将来世代に多額の公債費を負わせていることになります。こういう公債費を後世へ負わせたゆえに生まれる世代間格差と、社会保障の世代間格差を混同して議論していないかということも大きな論点ではないかと思います。
 19ページに「仮に」ということで書きましたが、仮に社会保険に「再分配が一切行われない給付反対給付均等原則」を求めるのであれば、リスクは自己責任になりますけれども、すべて自己責任の世界。それから、ある程度、世代間格差は社会保険の中で生じるものの、社会、経済の変動があっても世代間で生活水準の大きな変動を避けることができる世界。どちらを選択するのかという問題なのではないか。
 20ページ、これは「週刊東洋経済」2009年10月31日号からのものでありますけれども、生活水準の差も考えますと、単純に給付と負担だけを考えるということではいけないのではないのか。
 それから、20ページに社会保障制度をつくること自体によって世代間の負担と給付は格差が当然のことながら生じるわけですけれども、国際社会においては、そういう議論が行われているのでしょうかということです。むしろILO条約で一定水準の社会保障制度を整備することがむしろ各国の義務でありまして、各国とも社会保険の社会化による世代間格差を承知の上で制度を整備をしてきたということではないか。
 21ページは、本当に世代間格差が解消できるのかということですけれども、完全格差解消のためには現在の高齢者の負担に対する給付倍率を下げる。高齢者の給付をカットする。それから、若人の給付負担倍率を上げるということでありますけれども、21ページにありますように、ある程度、高齢者の給付についてはマクロ経済スライドによる所得代替率の低下が起こるということが制度化されていることであります。
 22ページ、税で処理すれば一見解消できるように見えるけれども、税を含めた給付、拠出でも余り大きな変化を期待できない。税にしたところで世代間格差の問題は解決できないという大きな論点が見過ごされてはいないか。などなど、ここに整理をさせていただいております。
 23ページは概念図のような形で整理をしております。
 24ページ、まとめです。時間をたくさん使いまして、済みません。「まとめ」、3点書いてみました。
 1つ目、少子高齢化が進む中で、持続可能な社会保障制度を構築するためには、世代間・世代内の公平性を確保することは極めて重要ということは認識しておりますが、その際の公平性を示す指標として、社会保険の中で特に給付と負担の関係だけを比較した数値が適切とは言えないのではないか。
 2つ目、子ども世代と親世代、現役と高齢者世代の支え合いという仕組みが基礎となっていることを踏まえれば、仮に65歳以上人口割合が40%になるという今の見込みの中でも、制度の持続可能性は維持していくことができるし、それ以外の方法は根本的な解決とはならないのではないか。
 以上のような考え方に立って、社会保険制度の改革、改善を続けていくことが重要ではないか。
 ということでございまして、正確な理解という意味での1つのケーススタディ、少し大分になりまして多少わかりづらいところもあったと思いますが、以上でございます。
 それに加えて、多々、座長の資料を引用させていただいておりますので、補足で御説明をいただけばありがたいと思います。
 よろしくお願いします。

○権丈座長 私が監修となっていることを今日知ったのですけれども、私にそういう監修という名前をつけますと、厳しいダメ出しを出すことになるので危ないですよ(笑)。今、参事官からいろいろ話がありました。簡単に言えば、1行だけ下線を引いてほしいところは、内閣府ペーパーの問題点2です。「社会保険は、あくまでも保険であり、金融商品ではない」。本日は、まず、これだけを記憶して帰っていただきたい。
 例えばみんな自動車保険に入っているとします。それで年間に何万円かの保険料を払っている。そのお金を私のところに預けてくれれば、年利4.1%で運用しますよという証券会社のお兄さんがやって来た。それはうまい話だと言って、自動車保険に払っていた保険料を金利4.1%の金融商品の方に回しますか、普通。自動車事故にあったとき、全部自己負担しなければいけないんですよね。
 それと同じような議論をこの内閣府ペーパーはやっている。保険というものの割引現在価値を計算して、損だ得だというのは基本的にそういう話です。だから、「社会保険は、あくまでも保険であり、金融商品ではない」、これが一番大事。これがわかれば、あとに続く、割引率の話とかは6ページで、利回り4.1、賃金2.5、物価1.0、名目0とかいろいろ書いてありますけれども、どの計算も、実はおかしな話だということになる。どれも、保険のリスクヘッジから得られる期待効用の増加をカウントしていないですからね。 つまり、保険ということを考えていないのだから、そういう計算をすること自体がおかしいのだということです。厚労省は、たぶん、かつてやりたくもなかったことを「厚労省は世代間格差があることを隠している!」という世論のというか、素人の圧力に押されて、過去に賃金で割り引いた計算をしていますが、それとて、保険のリスクヘッジを無視した計算ですから、本来は妥当ではない。こうした制度が存在することからの損得を本当に計算するのであれば、年金だったら長寿リスクや障害リスクがヘッジされたことによる効用の増加とか、医療であれば潜在需要が顕在化して健康が増したことによる社会の厚生増加、介護であれば、老親の介護から解放された家族の効用増とかも視野に入れる必要がありますね。実際、アメリカではメディケアの存在意義を問う研究で、所得変動リスクが減ることによる厚生の増加や死亡率の低下とかを視野に入れて、メディケア導入の損得が論じられている。そのくらいやらなければ、ちゃんとした損得の議論にはならないし、経済学的には不十分な研究ということになる。当たり前の話です。経済学というのは、それほど人々の生活感覚から離れた学問ではないんです。
 だから、保険を金融商品と見立てて割引現在価値を計算することは、妥当ではないんだけど、こうした計算そのものは、一応成り立ちはする。そこで、割引率に関する注意事項は、「仮に万が一こういう計算をするとしても」という話だという話に続くわけです。
そして、割引率のところで重要なことは、「仮に万が一計算する場合」、例えば先ほどのワークシートの1-A-3を見てください。1-A-3は、若いときは大体負担ですね。給付と負担をネットで見ると、若いときはずっと負担をして、高齢期になって給付を受ける構図になっています。
 割引現在価値というのは、時間的に早い段階での負担と遅い段階での給付になっている社会保障の負担・給付構造を、ある時点に現在価値として計算してカウントするのです。そうすると、若いときに長く払っているのだけれども、その後に給付を受けるという構造がある限り、若いときからずっと割引現在価値という形で計算していくと、まず1年経ったら(1+r)で割って、2年経ったら(1+r2)で割ってずっと続けていく。こういう構造を持っている限り、遠い将来にあるものは確実に小さく評価されることになります。
 そういう状況にあるのだから、人口のような他の条件を一定としても、負担と給付の伸び以上の割引率で割り引けば、給付/負担の比率は1を割ることになる。ひとつの計算上のトリックですね。こ
 もう一つ、考えなければいけないのは、今度は世代間の格差が出るのはなぜなのかというところ。世代間の格差がでる最大の理由は、12ページをみてください。大体、人間には大まかに幼少期、勤労期、高齢期があって、昔から、第2世代の幼少期は第1世代の勤労期の人が扶養して、第1世代が高齢期に入ったら第2世代の勤労期の人が扶養するという仕組みでずってきていたわけです市場経済が強くなってくると、勤労期の人たちが高齢期の人たちを家族の中で扶養していく仕組みが非常に弱体化するわけです。
 そこで大量に高齢者の貧困が発生してくるという問題が出てきたので、仮にポンと、高齢者の扶養を第3期に社会化しましょうということになる。そうすると、社会化された社会保険とか社会保障の中だけを見ると、第2世代の人はお金を払っていないのに給付を受けているように計算をされることになる。これが社会保険の世代間格差というものの本質的な部分です。

 日経新聞は「ただ企業負担分を受け取って、個人で運用した方が生涯収支は得と見ることもでき、若い世代の公的年金離れにつながる懸念もある」と書いていますが、勝手に言ってくださいという話ですね。先ほどのように自動車保険をやめて、私は金融商品の株4.1%で回しますから、それで一生生きていきますという話ですね、日経新聞が書いているのは。それに彼らは、金融市場というものが本質的に高い不安定性を持っているという、ミンスキー的な観点を完全に無視した話をすぐにする。日経新聞が示唆する状況になれば、国民生活が犠牲になり、金融機関が潤うということはあるのですが。
 そして、最後の方で社会保険の中にある世代間格差を緩和することができるのか、小さくすることができるのかということに触れられていますが、今ある世代間格差をなくすことはできません。これは、前回の検討会で話した「同等定理」という論点とも関係するところ。
本当はやらなくてはいけないのは、先ほどの12ページの扶養のところの図で見てほしいのですが、高齢期の生活を社会化したならば、次にやらなくてはいけないのは幼少期の生活を社会化、要するに、子育てを社会化するということになるのです。こういうことをやらなくてはいけない。
 
 だから、いろいろちゃんと考えていくと、そう難しい話ではないわけです。内閣府のペーパーでは私も損する世代に入っているらしいのですけれども、どうも、そういう実感はないですね。内閣府ペーパーでは、我々生活者の生活実感と違う指標が計算されている。もしも生活実感に合う指標をつくるのであれば、もっといろいろなことを考慮して計算した方がいいのではないですかということを、老婆心ながら書いあげているのが17頁でしょうね。

○細野委員 では、今の権丈座長の話に追加で私が考えていることをお話させていただきます。
 
まず、今、説明があったように、そもそも論のスタート時点で、試算の前提が相当極端になっている点です。例えば通常は、実質的な生活を考える上で「物価上昇率」を考えるものです。ただ、仕送り方式ということを考えれば、現役世代の給料の水準に年金などが左右されることを踏まえると「賃金上昇率」で割り引くというのも妥当でしょう。ところが、この試算では、それがなぜか「運用利回り4.1%」といった一番高い指標を使って全部計算しているから、当然、「世代間格差」みたいなものは、表面的な見た目の数字では、一番大きくなって見えてしまっているわけです。
 さらに、「事業主負担の保険料というのが給料に転化されている、されていない」というのは「宗教的な議論」のような話なので、そこはどちらの視点もいいのですけれども、ただ、知っておかなくてはいけないのは、「事業主負担が100%給料に転嫁されているもの」というのは、ものすごく極端な話であって、実際にはありえない。もしもそんなことが言えるのであれば、パート労働者は全員、すぐに事業主負担のある厚生年金に入れるわけですし、もっと言えば、今の厚生年金は会社と従業員が半分ずつ保険料を出しているのですが、その保険料を全額すべて会社側が負担しても何の問題もない、といった話にもなるわけです。
ところが、「数字的に最大限インパクトを出すためにはどうしたらいいのだろう」といったような発想のもと、そのような「事業主負担が100%給料に転嫁されているもの」という「極論マックスな前提」をもとで、この試算が実際に行われているわけです。
 このような数字の遊びを個人的な趣味でやることについては、私は構わないと思うのですけれども、ただ、今、いらっしゃっているメディアの方々にも考えていただきたいのですが、前回、香取統括官もおっしゃっていたように、この内閣府のペーパーでは、親切に1ページ目で『論文は、すべて研究者個人の責任で執筆されており、内閣府経済社会研究所の見解を示すものではありません』と書いてある。なおかつ、2ページ目にも同じように「内閣府の見解を示すものではありません」と、あくまでも「個人の1つの参考的な試算」だと親切に書いてあるにもかかわらず、なぜか新聞報道では不思議と全部、「内閣府の試算」という形で出してしまうのです。
 その結果、何が今、起こっているのかといったら、テレビやラジオでの偏向報道です。テレビやラジオのつくり方は私もよく把握しているつもりですが、彼らも時間がなくて大変なので、まずこんな研究の元データなど当たらないわけです。具体的につくるときには、手っ取り早く新聞を見るわけです。「新聞でこのデータを使っていて、新聞が内閣府の試算だと言っているのだから間違いない」と自信をもって「出典 内閣府」と、内閣府のお墨付きだという判断でやってしまうのです。
 例えば、わかりやすい例では最近、日曜朝の「新報道2001」という番組では数回にもわたって「内閣府試算」ということで、「世代によってこれだけ損をする」みたいなところを殊更にあおって、「出典 内閣府」と謳いながら、それを前提に大きな図版を作って全部の議論を進めてしまっている現状があるわけです。
 だから、そろそろ教育を機能させて「数字のひとり歩き現象」を一つひとつ気付かせていかない限り、教育はいつまで経っても機能しないわけです。実は、社会保障の話というのは、ある意味でとっくに議論は出尽くしているところがあるのです。
 ただ、第2回目に来ていただいた藤川先生がおっしゃっていましたけれども、「常に社会保障の議論が行われているように見える」という話に対して、権丈座長がそのときにおっしゃっていたのは、「それは単にそう見えるだけで、最初はみんな引っかけ問題から入るから、世間では結果的に常に論争が起こっているように見える」というだけなんです。要は、最初に間違っていた人たちは「天動説」から「地動説」にだんだん変わっていくということが常に起こっているから、「一見すると、常に議論が行われている形に見えてしまう」のだという根本的なところが、まさに今回もこういう形で起こっているわけなのです。
 ここで「試算の極端の例」という話も、やや専門的であると言えば専門的ではあるので、私なりに簡単に要点をわかりやすく話をしますと、まず「世代間の格差はなぜ生じたのか」という14ページの話が、知っておきたい大事な話だと思うのです。
 これは、例えば2000年に「介護保険」ができる前と後という時点でそもそも保険料負担が発生しているとか、していないとか、そのような表面的な数字については、格差は生じて当然なわけなのです。だけれども、「制度ができる前はどうだったのか」ということすら考えていなくて、本当に「一面的な数字」だけをとって、短絡的に機械的に計算してしまっているわけです。つまり、短絡的に2000年以降の人たちは損をしている、という計算をしてしまっています。この手の話で一番多く取り間違えているのは、根本的な仕組みである「私的扶養」が完全に無視されている点です。要は、介護保険にしても、年金制度にしても、それがなかった時には、「親や祖父母への仕送り」といった私的な扶養をしなくてはならなかったわけです。ただ、今では、そのような私的扶養はほとんど必要がなくなっているわけです。こういう極めて稚拙な「バーチャルな数字遊び」に過ぎないものなんです。
 だから、こんな基本すら簡単にスルーしてしまう世の中の状況を見ていると、この先に私が危惧するのは、例えば「救急車の世代間格差」みたいなものがそのうち出てくるのではないかなとすら思っているわけです。でも、これはそんなレベルなんですよ。
 つまり、救急車の仕組みは今、当たり前のように存在していますね。ただ、かつては救急車がない時代もあったわけです。このレポートのような試算だと、その世代の人たちは、損をしているみたいな話にもなるわけですし、救急車が普及する台数の状況の変化とかもあるわけです。それによって、世代間格差は生じているみたいな話もできますし、あるいは「健康で救急車を一度も使ったことがない人は、例えば一生で何万円損している」みたいな、そんな話すら出てくるようなバカバカしい試算を実際、こういう形でやっているわけです。要は、このレポートは、「保険」という超基本的な概念を全く知らないんです。
そして、この救急車の例では、「さすがにそんなバカな話は」と多くの人は、常識的に判断できるわけです。ところが、社会保障という分野が非常に根深いのは、その「救急車の世代間格差レベル」みたいな話がこのような形で出て、一般の人にとっては年金、医療、介護は難しいようなのです。そのため、仕組みが伝わっていないぶん常識が働かずに、本当にこういう表面的なバカバカしい数字に世の中が踊らされてしまうという現状があるわけですね。
 そこの根本的なところを、まず、この場でしっかり考えてもらいたいという話が大きな1点です。
 もう一つ、救急車の世代間格差ではないですが、「時代背景を無視する」という致命的な試算でもあるわけです。例えばこういうことを考えてみてほしいのです。インターネットカフェは今、当たり前のようにありますね。
 では、例えば1960年代「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代にネットカフェがあったとしましょうか。そうしたら、彼らは幾ら出しますか。そこを皆さんで考えてもらっていいですか。「こんなに便利な、こんなにすばらしい仕組みがあるのだったら」というので、ものすごい大金を出す人がいると思うのですね。
 1960年代はイメージしにくいのであれば「バブルへGO!!」の1990年あたりでもいいです。今から約20年前で、バブル絶頂期で考えてみましょうか。わずか20年前にネットカフェがあったとしましょう。そうしたら、そのときに幾ら払いますか。これは「ものすごく画期的なもの」ですよね。最新鋭のネットやパソコンが使い放題でドリンクも飲み放題で、ものすごいお金持ちがものすごいお金を出して使うことになったでしょう。何十万とか払うのかもしれないですね。
けれども、今はどうでしょうか。現実に「同じもの」であるにもかかわらず、今、ネットカフェを幾らで利用できるのかといったら、大体平均的に3時間で1,000円程度なんです。そして6時間だったら、1800円ぐらい。その程度で利用できてしまうのです。
 だから、何が結局言いたいのかといったら、そもそも時間軸が違うということは、「生活インフラの圧倒的な違いがある」わけです。「生活インフラの違いを全く無視したバーチャルな数字遊びがいかに意味がないのか」ということをまずわかっていただきたいわけです。それほど、意味のない短絡的な試算に過ぎないんです。
それと同時に、重要なのは、やはり今回のような「数字のひとり歩きの危険さ」です。それはまさに「年金の未納問題」がこれと全く本質的には同じだと思うのですけれども、あの当時も「国民年金の納付率60%」という言葉が躍っていて、ほとんどの国民は「国民の6割しか保険料を払っていない」と思い込んで、未納者が4割もいるのだということをスタート地点として、総理大臣も含めてみんなが誤解していた事実があるわけです。
 つまり、今でこそ未納率の話はカラクリが見えたのでバカバカしいと思われるかもしれないですけれども、あれがほんの4年前までこの国ではあったんですよ。そこの騒動から未だに世の中が学べていないわけですよね。
別にネットカフェだけではなくて、もっとわかりやすい例で言えば、カラーテレビだってそうですね。例えば1960年ぐらいの人たちは、そもそも保険料の払っている水準が今と比べて低いと言われますけれども、本当にそうなのでしょうか。そんな単純な話ではないんです。
例えば1960年当時、ようやくカラーテレビができたわけです。当然、画面も小さくて画像も滅茶苦茶悪かった。カラーテレビは当初、大体40万円程度するわけですよ。そして、その当時の大卒の初任給が幾らだったのかといったら、大体1万円から1万5,000円程度。だから、初任給の30~40倍ものお金でカラーテレビがようやく買える状況なわけですよ。
 では、今のカラーテレビは、薄型テレビで、当時のものと比較にならないぐらい機能がいいし、画像もいい。しかも、例えば大きさも40型とかにしましょうか。「こんな豪華なものが幾らで買えるのか」といったら、今だと3万円台で買えたりするわけですよ。つまり、今の世代だと誰でも初任給で、圧倒的に豪華なカラーテレビを余裕で買うことができてしまうわけです。その意味では、若い世代のほうが、よっぽど有利になっているのです。
つまり、例えばカラーテレビだけをとってみても、「性能の悪い40万円」と「高性能な3万円」といったように、「社会インフラの環境が全く異なる時代においては、初任給の金額の価値も全く異なる」わけです。それなのに、そのような、時代によってお金の実質的な意味が全く違うにもかかわらず、そういう時代背景を無視して、単純に「一面的な数字だけ並べて、これだけ世代間格差がある」といった極論が世間にもっともらしく報じられてしまっているわけです。
例えば、医療でいえば、今の現役世代は、安価で高性能の医療サービスを受けることができるようになっていて、そういった面では、逆の意味での「世代間格差」も生じていて、生涯的に見て「若い世代ほど得をしていて、高齢者は損をしている」という面が大きくある。また、年金においても、働けて給料を得られている現役世代の方が、圧倒的に便利なサービスを安価で購入できるようになってきていて、生涯的に見て「若い世代ほど得をしていて、高齢者は損をしている」という、逆の意味での「世代間格差」も同時に生じている面もある。まさに、そんな「世代間格差」を解消するため、「世代間で生活水準に大きな格差が生じない」ということを目的に「社会保障」という再分配の仕組みがあるわけです。
一部の研究者が、あくまで個人的な趣味として「遊び」としてはいいのかもしれないですが、あのような「一面的で、かつ極端な前提だけに基づくバーチャルな話」がここまで大きな問題として取り上げられて、不安感だけをひたすらあおるような現状はどうなのでしょうかというのを、このペーパーから冷静に「総合的な視点」で読み取っていただきたいと思います。「社会保障」という仕組みと意味は、そこまで短絡的なものではないのです。

○権丈座長 どうぞ、お願いします。

○宮本委員 内閣府ペーパー等が喚起している世代間格差言説とでも言うべきものの問題性については、座長と細野委員で言い尽くされていると思うのですけれども、こうした言説がかなり浸透していく状況、孫は祖父より1億円損をする的な言説が浸透していく状況を考えてみると、一方ではそうした言説が抱える問題がある。
 他方で、受け止める現役世代が抱えている生きがたさというか、大きな困難があるのです。正確に言うと、内閣府の調査などでは幸福度だけ見ると、実は最近の世代の方がかつての世代より幸福度が高くなっているのだけれども、これはちょっと複雑な構造で先が極めて不安だから、今についてはとりあえず幸福であるという認識になっていくという仕かけになっている。
 恐らくこのテキストを読んでいく高校生から始まった現役世代を含めて抱えている大きな困難と負担の両者が合いまって、こういうムードが高まってきているわけなのです。この2つを区別する必要がある気がします。
 こうしたテキストが一方では、過度に単純化された世代間格差言説について、社会保険等についての正しい理解を促すということと同時に、ただ、ただ、そういう形でディフェンシブな教科書になってしまうだけではなくて、現役世代が抱えている問題に対して対処する社会保障という側面も見せていかなければいけないのではないかと思うのです。
 そういう意味で、冒頭にテキストの目次というか構成を聞いたゆえんでもありますけれども、しっかりこうした社会保険を支えると同時に、支える自分たちの力を確保するために社会保障に求められる問題、これはまさに全世代対応的な展開を求めるところですが、そうした現役世代を支えるサービス給付等の問題もどこかに入れていくことでバランスのいい社会保障ビジョンを提示しつつ、先ほど申し上げたような世代間格差言説が妙にゆがんだ形で暴走していくことに対する歯止めを。暴走するならば、社会全体を支えるリスクシェアリングの仕組みが壊れてしまうわけですから、そこを防いでいく。そういう機能がこのテキストに期待されるのかなと思います。

○権丈座長 そういう話と、内閣府ペーパーで計算されていることとは峻別する必要がありますね。現在でどんな社会状況があったとしても、あの内閣府試算を肯定する側面はないと思いますよ。
それと今のところで恐らく、この報告書の中でそういうところを意図しているのは、1ページ目の「この大綱における「『世代間の公平性の確保』は、従前の年金、医療、介護の仕組みにも手を加えつつ、子育て支援を中心とする若者世代への給付を手厚くすることや」で反映していると思います。全世代型と謳っても財政の問題がありますから、今政府が考えている増税のビジョンの下では、残念ながら、「少子化」問題に予算をつけることしかできず、労働市場には手をつけられないですね。労働市場にいる人たちを対象とした政策の重要性は増していますので、財源の話もセットにした実行可能性のある議論を行えればいいですね。
 13ページのところで付け加えれば、「親の扶養を社会化した段階にある『今という時代』に求められていることは子育ての社会化であり、それが一体改革で示された社会保障4経費のうちのひとつ、少子化に相当する」という形で恐らく政府は昔から「世代間」という言葉を使っていたと思うのです。
 ここにも書いてあるように、自公政権の時から、子育ての社会化、少子化のところをやっていかなければいけないというのは、ずっと言われてきたところなのです。
 もう一つ、私の方から付け加えますと、統括官がこの前、世代間の格差をなくすために社会保障はあった。あるいは世代間の格差を縮小することが1つの意図だったという話をされていて、みんなぴんとこなかったのではないかと思うのですが、4ページを見てください。
 4ページで、リスク軽減の例で年金が挙げられています。終身年金が、引退時の想定以上に長生きした場合に生活費を保障するとか、インフレによる老後所得の実質価値減少のリスクを軽減するとか、経済成長によって若者世代が裕福になった場合の老後生活水準の相対的低下のリスクを軽減。若い勤労世代は高度経済成長期に成長の果実を得ます。だけれども、高齢者は一体どうするのだという問題があります。
 そこで、先ほど宮台委員も線を引かれていた20ページなのですけれども、国際社会においては、古くからILO条約で一定の水準の社会保障制度を整備することが求められていました。各国とも社会保険の中で後世代が前世代よりも不利になるという意味での世代間格差が生じることを承知の上で、戦後の世界規模の経済成長期には、後世代が前世代よりも生活水準が有利になる意味での世代間格差をならすために、社会保険というチャンネルを使って若い勤労世代から高齢世代に所得を移転してきたわけです。
 そういう社会保障の給付の充実に努めてきたことをどう考えるのかということですね。そして、日本のようにこの時期に成長率が高くて、高齢化のスピードが速いとなると、他の国よりも社会保険の中の世代間格差は計算上大きく算出されますけど、それは本当に問題になるような話なのか。まさに社会保障があることによって世代間の生活水準の格差が大きくならないように調整してきたという歴史的事実がある。
 福沢先生は昔、分別なき者が政治経済を語るのは、小児が利刀を弄するがごとしという形でほとんど世の中に迷惑をかけるだけだ、ちゃんと分別を持って政治とか経済は議論しないと、世の中に迷惑をかけるだけとkak書かれているのですけど、そういう意味では、内閣府ペーパーは、福澤先生が懸念した欠陥が露呈したものでしょうね。細野委員の言うように彼らが頭の体操として計算したくらいしか意味のない数値がひとり歩きするのは、世の中に迷惑をかけるだけになるということです。
 皆さん、質問とか御意見とかございましたら、お願いします。
 宮台委員、どうぞ。

○宮台委員 社会保障に関するさまざまな問題に関して議論をしても、なかなか答えが出ない理由は価値が関わっているからですね。事実認識だけにとどらないからで、どちらの価値がいいのかということを論じること自体が実は価値観を極めることになるので、意見を収束しないわけです。
 社会保障の概念とはという10ページ、これはとてもわかりすい例だと思うのですが、「社会保険とは」と書いてあって幾つかの重要なキーワードがあって、全部価値に係わることなのです。例えば劣等処遇原則、劣等者を処遇するべきだという価値です。

○権丈座長 ちょっといいですか。劣等処遇原則というのは、普通に生きている人たちよりも扶助される人たちは、それ以下に落とさなければいけないということです。

○宮台委員 そうですね。それも価値の問題ですね。
 スティグマ、これも価値の問題ですね。私保険の原則、つまり、給付と反対給付が均等でなければいけないというのも勿論、価値の原則ですし、そこに社会政策目的による変容、社会政策目的も価値の問題です。給付の権利性も価値の問題なので、実はどの価値をどう重要視するのかによって適切なモデルが変わってくるということが大事だから、基本的には皆さんはどういう価値を抱くのか。あるいはどういうふうにして価値合意に向かうのかをポイントにすれば、どうして答えが出ないのかは自明だということがわかると思います。
 あと、先ほどから出ている給付と負担の割合の問題は、私が大学1年のときに受けた経済学の授業を思い出します。効用と限界効用は違う。市場のメカニズムは限界効用によって動く。つまり、ある物を買ったときにどれだけそれが便利か、役に立つかではなくて1単位、こういう購入量を増やしたときに、どれだけ利得が増えるかということが重要。
 同じことで社会保障をめぐる給付と負担についても、自分の負担の全体に対してどれだけ給付が得られるのかという議論をしても実は意味がなくて、1単位負担を増やすことによる1単位に応じた1単位分の給付が自分の生活によって、どれだけ重大な意味を持つのかということの方がはるかに重要なのです。リスクプレミアムとかリスクヘッジという概念は、実はそのことに相当するのです。つまり、大学の初等教育で実は教育されている問題なのですが、どうも新聞記者の方々とかおわかりになっていらっしゃらないようで非常に困ったものだと思います。
 社会が不安になって将来の構造が描けなくなれば、全体の負担に対する全体給付などだれも考えず、1単位負担を増やすことによって自分がどれだけ助かるかもしれないだろうかということを重視するようになるのです。つまり、よりリスクプレミアムに人々の注意が向くわけで、それは新聞記者さんだって何だって同じです。そういう当り前のことを踏まえていただきたいと思います。

○権丈座長 今、宮台委員がおっしゃったように、ここの社会保険の説明とかには、いろいろな価値を含んだ言葉が入っています。そこに気づいて議論が進めば、1歩も2歩も3歩も前進です。いわゆる「経済学的」には給付反対給付均等原則が成立するのが当然なのに、これが成立していないのは間違いであるという一方的な価値判断から解放されるだけでも一歩前進ですよね。
 
 何かございましたら、御意見をいただければと思います。
 では、統括官の方から。

○香取統括官 済みません、もう時間が過ぎておりますので、簡単に。
 世代間格差の話ですが、社会保障の専門でない方は何でこんなに熱く語るのかときっと思われたと思います。
 今、権丈先生もお話しになりましたし、宮台先生もお話されましたが、今の社会保障制度に対して世の中がどんな理解をしていて、どういうことがちゃんと理解されていないのかということが非常によくわかる、いろいろな論点がこの中に入っている話なので、このテーマをお示しをしたものです。
 今日、こうやってワークシートをお示ししたわけですが、第1回のときにも申し上げたかと思うのですが、私どもの心積もりというか目指すところは、最後は税のように、あるいは税以上にきちんと学習指導要領に書いていただいて、単元がちゃんと置かれて、それに基づいた教科書がちゃんとつくられて、別に公民でも政治経済でも生活科でもどこでもいいのですが、ちゃんと書かれていて、かつそれが小学校、中学校、高校それぞれのレベルで体系的に組み立てられてきちんと教育がされるという形を最後は考えたい。
 ただ、現実には先ほど、このシートを見て、なかなか難しいというお話がありましたが、社会科の先生は別として、学校の先生が普通に社会保障について持っている理解のレベルは恐らく普通の市民のレベルと考えるべきで、ということは、これが難しいと思うのが普通の市民の社会保障に対する今の理解のレベルなのだろうと思っています。
 その素地の上に今の社会保障についての議論、世代間格差とか未納という問題の議論が全部積み上がっていって、それを言わば鏡に映すようにワイドショーがあると考えた方がいい。そうすると、これも前回言いましたが、この話はすぐにどうこうなるものではなくて、それこそ本当は小学校からやらなければいけないのかもしれませんが、組み立てていかなければいけないことなのだろうと思います。
 ただ、それはそれとして一種のリテラシーの問題として、中学生もいいのですが、高校生に最低限、自分で物を考えていくためのきっかけを与える。あるいはそれを教えていただく先生方にも大変口幅ったい言い方ですけれども、御理解をいただくということをまずやろう。これを投げてみて、実際に使って子どもたちがどういう反応をするかを見てみたい。実は結構、ちゃんと考えていたりするかもしれない。あるいは先ほどのお話ではないですけれども、別にアメリカでもいいという子がもしかしたらいるかもしれない。そこから多分、物事が始まっていくということで構想壮大、着手一歩ずつということで考えたいと思っています。
 余談になりますが、今朝、某局の番組を見ていましたら、今話題の、AIJの議論をしていました。あれは実は厚生年金基金という3階部分の私的年金の運用の話なのですが、弁護士さんが出てきまして、厚年基金というのはどういう制度かとパネルを出しました。一言そこに何と書いてあったか、厚生年金基金とは「ネズミ講」と書いてあったのです。本当にネズミ講ですと言ったのです。ネズミ講ですと言って、いかにこれがネズミ講で、ネズミ講に手を貸す厚生省の天下りの役員がいて、云々という話を延々20分やっていたのです。
 結局、申し訳ないですけれども、そういうレベルでしか問題が理解されていないというのが現実なので、その意味で言うと、そういった報道がある中で、これはリテラシーの問題になるのかもしれませんが、先ほどお話したように、自分で物を考えるということを少しずつでも作っていくためのベースとして、考えたいと思ってお示しをしています。
  よろしくお願いいたします。

○権丈座長 本当にどうもありがとうございました。
 武田参事官から最後、お願いいたします。

○武田参事官 ありがとうございました。
 会議室からよく追い出されるというのはよくあるのですが、まず、マイクから追い出されたという感じですね、済みません、
 大変熱心な御議論をありがとうございました。この議論は継続をさせていただきたいと思いますので、引き続き御議論に御協力をお願いしたいと思います。
 そうはいっても、役所には年度というものがありますので、今年度やるべきこと、来年度やろうとしていることがありますので、ワークシートにつきましては、今、統括官の話にもありましたように、とりあえず、今日、お出ししたものを少し座長と相談して修正の上、来年使ってみるということをやってみたいと思います。
 細野先生から御提案がありましたように、年金未納問題から入った方が子どもたちはぱっと飛びつくのではないかということもあり、いろいろな問題が集約されているという問題もあるので、少しワークシートをまた増やしていく、更に宮本先生から目次がどうなっているかというお話もありましたが、副読本または先生用のものとか、いろいろつくっていかなければいけない。税の教育ではビデオまでできていますので、そういうレベルにはすぐはいきませんけれども、少しずつ努力したいと思います。
 次回につきましては、また改めて別途、メールで調整表をお送りして調整したいと思いますので、引き続き御協力をお願いしたいと思います。教材の続き、学習項目の整理、委託事業などなどにつきまして継続して議論をやってきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 事務局からは以上です。

○権丈座長 それでは、本日はどうもありがとうございました。


(了)
<照会先>

政策統括官(社会保障担当)付社会保障担当参事官室

政策第三係: 03(3595)2159

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