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2011年6月27日 第4回原爆症認定制度の在り方に関する検討会議事録

健康局総務課

○日時

平成23年6月27日(月) 10:00~12:00


○場所

中央合同庁舎第5号館 厚生労働省省議室(9階)


○議題

1.開会

2.議事
(1) 原爆症の申請に関わった医師からのヒアリング
(2) 原爆症裁判に関わった弁護士からのヒアリング
(3) 広島市、長崎市からのヒアリング

3.閉会

○議事

○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 皆さん、おはようございます。開会に先立ちまして、傍聴者の方におかれましては、お手元にお配りしております傍聴される皆様への留意事項について厳守をお願いしたいと思います。
 また、政府の機関はクールビズということで軽装を励行しておりますので、委員の皆様におかれましては、もし暑いようでしたらジャケット、ネクタイ等をお外しいただけますようよろしくお願いいたします。
 それでは、これ以降の進行は神野座長代理にお願いをいたします。
○神野座長代理 おはようございます。
 それでは、定刻でございますので、第4回「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」を開催させていただきます。委員の皆様方には天候不順の折、万障お繰り合わせて御臨席いただきましたことに深く感謝申し上げる次第でございます。
 初めにお断りしておきますが、本日も前回に引き続きまして、森座長が御欠席のために私が代理といたしまして進行役を務めさせていただきます。御了解いただければと思います。
 それでは、事務局から委員の出席状況の報告と、資料の確認についてお願いいたします。よろしくお願いします。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 本日でございますが、森座長、荒井委員、石委員、草間委員、智多委員、三宅委員が欠席との御連絡をいただいております。
 続きまして、資料の確認をさせていただきます。
 お手元の議事次第、資料一覧に続きまして、資料1は森座長の提出資料でございます。
 資料2がヒアリングの参考人名簿でございます。
 資料3が参考人提出資料として、4つの資料がお手元にあるかと思います。斉藤氏提出資料、宮原氏提出資料、飯冨氏提出資料、光武氏提出資料ということで、4種類の参考人の提出資料がお手元にあるかと思います。
 不足、あるいは落丁がございましたら、事務局までお願いいたします。
○神野座長代理 どうもありがとうございました。
 本日はお手元に議事次第がいっているかと思いますけれども、前回委員の皆様方にお諮りしたとおり、引き続いて有識者関係者の方々からヒアリングを行いたいと考えております。
 その前に私の方から報告をしたい議がございまして、それは本日も繰り返すようでございますが、森座長が御欠席で、私が至りませんけれども進行役をお引き受けすることになっておりますが、これまで森座長は万やむを得ない事情で御欠席と申し上げておりましたけれども、森座長は御体調をお崩しになられて入院されております。
 それで前回、つまり第3回のときに、終わった後すぐに先生の御病状をお聞きしながら、私の方から前回の結果を委員長の下に御報告に参りました。
 その際、委員長の方から第3回、つまり前回、自分は欠席するに当たって、委員の皆様方にメッセージといいますか、自分の気持ちを述べた文章を書いておいた、したためておいたということです。それを今回読んでもらえないだろうかというお話がございまして、本日この後、森座長からの皆様方にあてたごあいさつを読まさせていただきます。
 繰り返すようですが、第3回の前に書かれておりますので、そういう事情があるということをお含みおきの上、お聞きいただくと、森座長の素直なお気持ちが語られていると思います。その際、私の方からも森座長が次回も欠席をすることになるかもしれないということがございまして、今回の段取りその他についても御指示のお伺いをして、退室してまいりました。
 また、そのお手紙の中にも、自分が病気であるということを述べられていらっしゃいますので、今日は座長は入院中で御欠席と申し上げさせていただくことにいたしました。
 それでは、座長からのごあいさつを事務局から読み上げていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 お手元に資料1がございますので、ごらんいただきたいと思います。読み上げをさせていただきます。
 「ご挨拶
光陰矢のごとく、本年、早くも6月を迎えました。『検討会』委員各位におかれましてはご健勝のうち、それぞれに充実した日々をお過ごしのことと、お慶び申し上げます。
 さて、本『検討会』自体は、ご案内のごとく、第1、2回を無事終了いたしましたが、第3回を予定しておりました頃に大震災があり、また私が健康を損ねたこととも重なって、その開催がたいへん遅延いたしました。深くお詫び申し上げる次第でございます。
 ともあれ、とにかくここに第3回を開催すべく段取りが進み、事務局で準備をしてくれました。わたくし地震について申し上げるならば、病気は明らかに快方に向かいつつあるものの『今一歩』の感が深く、この際の退院は一応見送られることとなりました。このような次第にて、私は今回、欠席いたします。何卒お許しください。司会進行は神野委員が務めてくださることになっております。
 『検討会』の運営などにつきましては委員の中にも種々なご意見があろうことが予想され、それらをお聞かせいただくことは大いに歓迎すべきことでございます。どうかご自由に、何でもおっしゃっていただきたいと存じます。ただ、私にとりましてはそれらの一つ一つにいちいちご返事することは、事実上、不可能に近いことでもございます。したがって個々にはお返事申し上げませんが、頂戴したものは、少なくとも熟読、その後の企画などに役立つと考えられるものは使わせていただきましょう。前もって御礼申し上げておきたいと存じます。
 ただ一つ、今回、一連のヒアリングに関し、その説明者の人選について一部の委員から若干の異議を頂戴しておりますので、それについてのみ、短いコメントを記しておきたいと存じます。
 わたくしの考えでは、もちろん皆様方も十分にご案内のごとく、昨年末に開設された本『検討会』は、おそらく、1年から1年半程度をもって一応の目標としながら論議を進めてゆくことになろうと存じますが、その内容構成については、やや大げさに言えば、以下のごとき3段階を踏むであろうと予想されます。すなわち、1.)この大きな課題をできるだけ整理して、各委員が可能な限りお互いに共通した、同程度の理解をそれぞれのものとするよう努力する、すなわち『知る』段階。2.)その結果としてそこに存在する問題点をできるだけ明確なものとし、委員全員がそれらについて知恵を絞り、議論する。すなわち『考える』段階。そして最後に、上記した2つの段階を経てえられた結果を総合し、新しい案を作成する、すなわち『作る』段階、であります。
 今、ここで一歩踏みとどまって自分自身を振り返りますと、本『検討会』の進捗状況はまだまだ上記(1)の、しかもなお入口に近い辺りに留まっているのがその状況でございます。当初の計画通りと申しますか、予定どおりに『その歴史と規則、そしてその現状運用状況についてわれわれ委員全員が改めて勉強中』ということであります。『物事には万事、百点満点のものなどはおよそ存在しない』という言われをやや乱暴に使い、あえて弊害を恐れずに申し上げるならば、したがって、現状についてその善悪ではなく、その実状、それらの背景となっている思想、信条、社会事情などを十分に噛み砕いてご説明願いたいというのが私の本心で、したがって今、ここで求められておりますのは決して夢多き未来の姿ではなく、そこへの導入部分としての困難にあふれた現実であります。となれば、そこにお願いする、登場を依頼する講師の方々も、それら諸問題の中に潜む長短さまざまの点を十分理解したうえで、なお困難多き事務にあたってこられた方、あるいはそれらの基本となっている考え方に精通した方を選ぶのが最適と考えました。また、このような実社会の中で実際に事にあたられたご本人、あるいはその方々によって受け入れられ、実際に応用されている考え方のもろもろ、それらについて最も幅広く、公平な人選ができるのは厚労省内の担当部局と信じておりますので、実際の、個人個人のお名前はそちらからお教えいただいた次第です。何卒ご了承のほどをお願い申し上げます。
 検討会の運用についての、以上のような考え方が当然なのか、やや変わっているのか、わたくし自身には軽軽に判断できませんが、もしもやや特異なものと仮定すれば、その後の第2、第3段階についてもわたくしは、委員全員の方々からはご支持いただけないかもしれないような道筋を考えているかもしれません。いずれの機会かに申しあげ、ご批判を仰ぐことといたしましょう。
 以上、予定していたよりはやや長文となってしまいました。本日はこれにて失礼いたします。
 種々ご迷惑をかけておりますことに、改めて、重ねてお詫び申し上げ、第3回検討会のご成功を祈りつつ、稿を終わることといたします。
 平成23年6月
                    森  亘」
 以上です。
○神野座長代理 どうもありがとうございました。
 1回、時期が実質的には、ずれてしまったんですが、座長のごあいさつを読まさせていただきました。
 それでは、時間もございませんので、本日の議題のヒアリングに入りたいと思います。ヒアリングの進め方について、事務局の方から御説明いただけませんでしょうか。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 お手元の資料2をごらん願います。
 本日の前半でございますが、原爆症裁判に関わった弁護士の方、それから、原爆症の申請に関わった医師の方からヒアリングを行うこととしております。
 お名前を御紹介いたします。弁護士の方でございます。原爆症認定集団訴訟全国弁護団連絡会事務局長の宮原哲朗様でございます。
 医師の方でございます。福島医療生協わたり病院の斉藤紀様でございます。
 宮原様には司法と行政の乖離などについてお話をいただくこととしておりまして、その後、斎藤様には被爆者の疾病、あるいは認定制度の在り方などについてお話をいただくこととしております。お二方のお話が終わりましたら、各委員からお二人に対しまして御自由に御質問、御発言をいただければと思います。
 本日の後半でございますが、広島市、長崎市の行政の方からのヒアリングを行うこととしております。
 お名前を紹介いたします。広島市からは飯冨真治様でございます。
○飯冨参考人 よろしくお願いいたします。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 長崎市からは光武恒人様でございます。
○光武参考人 よろしくお願いいたします。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 飯冨様と光武様には地方自治体でどのような施策をされているのかなど、地方行政の立場からお話をいただくこととしております。お二方のお話が終わりましたら、各委員からお二人に対しまして自由に御質問、御発言をいただければと思います。
 以上でございます。
○神野座長代理 どうもありがとうございました。
 それでは、早速ヒアリングに移りたいと思いますが、最初に弁護士のお立場から宮原先生に御発表いただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
○宮原参考人 宮原でございます。皆さん、おはようございます。本日は私の報告のために貴重な時間を割いていただきまして、大変感謝しております。既にペーパーという形で資料3(2)を用意させていただいておりますけれども、時間の関係で、今日はこの中から重要と思われるところをごく手短にピックアップする形で御紹介をしたいと思います。
 まず、【サマリー】の点は省略いたします。
 第1の点で私が申し上げたいと思っていることは、この認定制度検討会の発足の原点を振り返りたいと思っています。
 2ページ目に移らせていただきます。発足の原点は2009年8月6日、被爆地の広島で麻生太郎内閣総理大臣・自民党総裁と日本被団協の間で確認書が取り交わされました。確認書の取り交わしと同時に、官房長官が官房長官談話を公表しておりますけれども、それにはこのようなことが記載させています。
 「原爆症認定を巡る訴訟では、本年8月3日の熊本地裁判決を含めて19度にわたって、国の原爆症認定行政についての厳しい司法判断が示されたことを厳粛に受け止め、この間裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化など被爆者の方々に筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆様の心情に思いを致し、これを陳謝致します」とする官房長官談話が、今回の出発点であります。
 なお、その次に、政権が代わった後の鳩山内閣においても基金法が成立しまして、その中にも既に御案内のとおり「認定等に係わる制度の在り方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする」ということが定められております。
 なお、この基金法は全党、全会派一致で成立している法律であります。
 更に、確認書の第4項に基づいて厚労大臣との協議が持たれましたけれども、第1回の協議で長妻厚労大臣は次のように述べております。
 「皆様が認定が緩和された、認定が変わったという実感を持つためには法律の改正が必要である」ということを明言されました。
 それに引き続いて、昨年の平和式典で多くの被爆者を前にして、菅直人内閣総理大臣があいさつをしております。その中で「被害により苦しんでいる方々に、これまでの援護策に加え、・・原爆症認定制度の見直しを約束。政府として被爆者支援に取り組む強い姿勢を打ち出し(ました)」。これは民主党のホームページからの引用であります。
 その直後の被爆者の意見を聞く会において、菅直人総理大臣は、原爆症認定制度の見直しの検討を始めるということを明言され、それを受けた形で今回の認定制度検討会が発足する運びになるということを、是非御理解いただきたいと思います。
 つまり、今、申し上げたように、本検討会は国の原爆症認定行政に対する厳しい司法判断が連続して下されたことを契機としております。その司法判断に従って、現行の被爆者援護法の認定制度をより充実する方向で改正するということが検討会の目的であるというふうに私は理解をしております。
 3ページの第2のところに移ります。新しい審査の方針の内容については、既に御案内のとおりですので省略いたします。ただ、1点だけ申し上げますと、この1~7に掲げてある各疾病について、線を引いてありますように、格段に反対する理由のない限り積極的に認定するという、積極認定ということで例示されていることを是非御理解いただきたいと思います。
 4ページに移ります。こういう流れの中で、果たして厚労省の審査実務の実態はどういうところに問題があるのでしょうか。とりわけ、厚労省の非がん疾患の審査実態の問題点を、ここに概略をお書きしました。
 厚労省は22年4月から9月まで半年間それ以降、更に開示をされておりますけれども、認定基準の運用について、個々の申請者ごとの認定に関する事実を公表しました。それを詳細に分析しましたところ、非がん疾患の認定率は目を覆わんばかりの状況にあります。
 ここに一覧表をお書きしました。例えば、白内障は821件の申請について、認定件数は8件。1%にも満たないという状況があります。心筋梗塞4.2%、甲状腺機能低下症11.8%、肝機能障害については161件のうち8件しか認定しない。4.9%の認定率ということです。
 特に驚かされることについて、ここで申し上げたいと思います。甲状腺機能低下症は若干違いますけれども、このすべての非がん疾患の認定は1km代のごく近距離、1.5km以内と申し上げていいと思います。しかも入市被爆者の申請は全件却下しております。こういう状況が果たして、裁判所のこれまでの判決と正しく一致するものでしょうか。そこについて、私は問題提起をしたいと思います。
 その裁判所との矛盾について、4ページの白内障。厚労省はすべての白内障を原則的に却下するという方針をとっていると私たちは考えております。極めて例外的に白内障を認定するという態度をとっていると考えます。白内障は、「格段に反対する理由のない限り積極的に認定する」という範囲の中に入っておりますけれども、白内障がそういう形で積極認定疾病として認定されているとは到底思えません。先ほど申し上げたように、入市の白内障の方は全件却下です。
 私が調べた判決でいきますと、広島は3.3km、あるいは、広島の8.6kmの入市の方が勝訴をしております。心筋梗塞についても大差はありません。判決によりますと、長崎で入市の方、あるいは長崎で3.3kmで被爆した方が勝訴をしております。甲状腺機能低下症も厚労省の認定傾向は同じですけれども、判決によりますと3.8kmで被爆しかつ入市の方、あるいは広島で入市の方、長崎で3.3kmで被爆された方などが勝訴しております。
 6ページに移ります。肝機能障害についても、先ほど申し上げたように大変認定率は低いのですが、実際の判決では3.5kmで被爆しかつ入市をされた方、あるいはC型ウイルス由来の慢性肝機能障害で2.5kmで被爆した方、あるいは同じC型肝炎由来の肝機能障害で2.7kmの方が勝訴しております。
 脳梗塞、脳血栓についても、厚労省は全件却下をしておりますが、実際にはここに書いてありますように、多くの方が勝訴をしております。
 熱傷瘢痕についても、厚労省は勝訴判決を無視して全件却下しておりますが、これについても7ページのところに幾つか勝訴判決の例を記載させていただきました。
 悪性腫瘍に関する規定は省略いたします。
 第2のところに進みたいと思います。この項では、厚労省の認定実務が裁判所により度重なって批判されていることについて申し上げたいと思います。
 第1番目の集団訴訟の現状については省略させていただきます。
 8ページの2番目の、厚労省の認定実務に対する裁判所の批判。大変重要なところなので読ませていただきます。
 厚労省は新しい審査の方針が2008年4月から実施された直後から、集団訴訟の306名の原告全員について、新しい審査の方針にしたがった見直し作業を行いました。見直しの結果、厚労省が新しい審査の方針によって自らが認定可能と判断した原告は、敗訴原告も含めてすべて認定をいたしました。つまり裁判所には、厚労省の事実上の再審査によって認定対象外とされた原告のみが残っております。
 このことは2008年4月以降(新しい審査の方針の実施以降)に裁判所が原告勝訴の判決を下したということは、厚労省が新しい審査の方針でも認定対象外とした原告が勝訴したこと、つまり裁判所が厚労省の不認定を覆し認定せよとの判断したことを意味することで、大変重要な意味を持っていると思います。
 具体的に本文の末尾に一覧表を付けておりますけれども、審査の方針から確認書まで40件勝訴判決があります。確認書以降20件。つまり、60名の方が厚労省の不認定を覆し、裁判で勝っているということであります。
 判決を若干ピックアップして御説明いたします。
まず、福岡高裁です。福岡高裁は2009年6月22日に新しい審査の方針が再改定され、肝機能障害が積極認定に入った以降のものです。福岡高裁は、広島で爆心地から2.5kmの地点で被爆したC型肝炎の原告について、熊本地裁の敗訴判決を覆して、原告勝訴の判決を言い渡しました。
 同じく、横浜地裁は長崎で爆心地から1.1kmで被爆した慢性肝炎の原告に勝訴判決を言い渡しました。厚労省が新しい審査の方針によっても、その改定によって肝機能障害等を積極的認定に入れたにもかかわらず、1.1kmの被爆者の認定を拒否し続け、裁判所によって覆されたということ自体に、大変私は驚きを覚えました。
 更に、長崎で爆心地から5.4kmで被爆した中咽頭がんの原告も勝訴しております。外傷について申し上げますと、この横浜地裁の判決は(ウ)のところですけれども、1.2kmで被爆した原告の左手指切断後遺症という外傷についても勝訴判決を言い渡しました。
 なお、一番末尾に線を引いておきましたけれども、2000年の最高裁判決。これは「高度の蓋然性」の解釈基準を示したということで、厚労省も非常に大切にしている判決ですけれども、この松谷さんは爆心地から2.45kmで被爆し、認定疾病は外傷です。こういう方が勝訴をしているということを是非御理解いただきたいと思います。
 更に3を申し上げます。これは名古屋高裁の判決です。名古屋高裁は18歳のときに広島で3.1kmで被爆した方です。その後、8月7日に爆心地に入市した方の白内障について勝訴判決を下しました。地裁の敗訴判決をひっくり返して、高裁が勝訴判決を導いたということです。
 ここで非常に大切なのは、その根拠とした論文が広島と長崎の放影研、広島大学、長崎大学の共通の連盟の報告書に基づいて、白内障にはしきい値がないという前提で判決を下したということに、是非御注目いただきたいと思います。
 5の心筋梗塞についても同様であります。
 更に、時間の関係で飛ばして11ページに移りますけれども、悪性腫瘍。それから、総合認定の脳梗塞等についても、厚労省が一切その認定を拒否しているにもかかわらず、判決は続々と勝訴判決を裁判所が下しております。
 そして、11ページの一番末尾の「(3)司法判断と認定実務の乖離は司法判断にしたがって埋められるべき」。この点は12ページに少し詳しく書いてありますので、御紹介します。
 このように「司法と行政の乖離」が解消されず、厚労省が認定しない原告が裁判所で続々と勝訴し、かつ裁判所の指示により厚労省が認定せざるを得ない事態に追い込まれ続けているということは、法の支配に反する行政が依然として改められていないことを意味しています。
 法治国家である以上、行政はこれらの裁判所の基本的な姿勢を受け入れ、直ちに新しい審査の方針で自ら明示したとおり、「格段に反対すべき事由がない限り、当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定」する姿勢を採用しなくてはなりません。
 そればかりではありません。原点に遡れば、このような厚労省の違法・不当な解釈を許容させないために、援護法自体を改正をすることによって厚労省の認定実務の誤りを正すことが今求められていると思います。
 第3に移ります。司法の判断と行政認定の矛盾の根本の原因がどこにあるのかということを、裁判所の判決を紹介しながら御理解いただきたいと思います。
 ここでは前回の岩井裁判官が頻繁に引用された東京高裁の判決、そして、最も近い東京地裁の判決。これはいずれも、これまでの多数出された判決を総括的にまとめた判決と評価をされておりますし、この中に、まさに松谷判決の言う「高度の蓋然性」の解釈指針が示されております。
 東京高裁判決の科学的知見についての部分を、アンダーラインの文を読ませていただきます。13ページであります。
 一定水準にある学問的成果として是認されているものについては、そのあるがままの学的状態において法律判断の前提とし、科学的知見を把握することで足りるものというべきであるというふうに明確に述べております。
 2の立法趣旨のところで下線を引いてあるのは、疾病の発症において、一般的に複数の要因が複合的に関与するから、他の疾病要因と共同関係にあったとしても、放射線起因性が否定されることはない。これは共同成因論ということで、岩井裁判官はC型ウイルスを起因とした肝機能障害について、ウイルスと放射線の共同成因ということで勝訴判決をお書きになっておりますけれども、ウイルスによる肝機能障害であっても、それが放射線によって促進されたり発症を早められるということを的確にとらえるべきであるという意味であります。
 次の下線の部分です。「科学的知見は日々発展するものであるから、将来において原爆放射線と後障害の関係が解明されるかもしれないが、これを待ち、将来の解明後に認定すべきであるといえないことは、同法の立法趣旨からして明らかである。」これは判決文の中からの引用であります。東京地裁判決について引用している下線の部分を読ませていただきます。
 いわゆる社会保障としての配慮のほか、実質的には国家補償的な配慮をも制度の根底にすえて、援護法はそういうものである。被爆者の置かれている特別の健康状態に着目して、これを救済するという人道的目的の下に制定されたのが援護法であるという、援護法の解釈の出発点をここに置いております。
 更に、次のページの5のところを読ませていただきます。
「さらに判決は、初期放射線のほか、放射性降下物(残留放射線)による外部被ばくや内部被ばくの事実を認めたうえで、これらの事実を解明するためには、『本来であれば、現地において爆発の直後から包括的かつ継続的に資料の収集等が必要であったはずのものであると考えられるが、実際には、限定されたものが断片的に残されているに止まる」。
 8、「ABCCやRERFの疫学調査も様々な欠陥を有しており、また専門家の見解が分かれている分野でも「将来それ(研究)が更に進展し解明が進めば、従前疑問とされたものが裏付けられる可能性もあり、それが小さいと断ずべき根拠も直ちに見あたらない」。
 9で「原爆放射線の人体への影響等を十全に把握することへの各種の障害の存在や、代替しうる研究・解明の方法は当面想定しがたいことを考慮すると、原爆放射線の影響が及んでいると疑われ、それに沿う相応の研究の成果が存在している疾病について・・原爆放射線起因性の証明の有無を判断することが必要とされる」。これはいずれも判決の中から引用してあります。その該当部分をページ数で示してあります。
 それでは、このような判決と、なぜ行政の認定が矛盾するのでしょうか。
厚労省は、原爆症認定の訴訟の中で一貫して、松谷訴訟の「高度の蓋然性」の言葉にしがみつき、原爆症認定を行うには高度の科学的あるいは医学的知見に基づいた高度の専門的知識が必要であるという見解を主張してきました。しかしこれまで述べてきたとおり28か所の裁判所は厚労省の上記の見解をことごとく排斥し、これまで述べてきた見地に立って被爆者援護法を極めて柔軟に解釈し、原告の疾病や障害の放射線起因性を連続して認め、勝訴判決を下してきました。
 厚労省は現行の被爆者援護法の解釈を誤っております。その誤りを繰り返し指摘してきた司法・裁判所の判断に従うことを拒否し続けていることは大変残念であります。
 新しい審査の方針の持つ意味についても、ここに書いてあります。「審査に当たっては、被爆者援護法の(裁判所の述べた)精神に則り、より被爆者の立場に立ち、原因確率を改め、被爆の実態に一層即したものとする。」これは新しい審査の方針の前文に書かれている文章です。
 それから、何度も申し上げているように、格別に反対すべき事由がない限りということも明言されております。
 そして、まとめに入りたいと思います。今回の認定制度検討会は、厚労省の原爆認定行政に対する厳しい司法判断の連続を契機として締結された確認書、同時に公表された官房長官談話、全党一致で成立した基金法、更に長妻厚労大臣や菅直人総理大臣の政治的な約束を実現するためにつくられたものであると私は思います。是非、司法判断に従って、現行の被爆者援護法の認定制度を、被爆者援護をより充実する方向で法律を改正することを切に望みます。
 なお、確認書の4項には「今後、訴訟の場で争う必要のないよう、この定期協議の場を通じて解決を図る」ということが明記されています。これは高齢化し、多くの疾病にかかっている被爆者にとって、一刻も猶予のできない事態です。被爆者援護法の改正に至るまで、仮に時間がかかるのであれば直ちに認定基準を改定する、あるいは認定基準を法律の趣旨に沿う形で柔軟に運用する必要性があると私は思っております。
 以上です。
○神野座長代理 どうもありがとうございました。御丁寧に御説明いただきましたことを感謝申し上げます。
 それでは、引き続いて申請に関わられた医師の立場から、斉藤様にお願いしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
○斉藤参考人 御紹介いただきました斉藤です。このような場で時間を与えていただきましたことを厚く御礼申し上げます。
 先ほど神野座長代理様から森座長のごあいさつを紹介していただきました。この中に書かれてある「知る」こと、そして「考える」ことを私も肝に銘じて、今日の意見陳述をさせていただきたいと思っております。
 私の発言原稿が手元にありますけれども、時間の関係で途中略するところがあるかと思いますが、御了解ください。
 「1.はじめに」のところで書かせていただきましたけれども、私は医師としてのスタートを広島大学の原爆放射能医学研究所で始めました。その後、広島市で医師として被爆者の治療や健康管理、あるいは認定審査の実務に携わってまいりました。
 ときには原告側の証人として、厚労省との実に厳しい議論を体験させていただきました。このときも今回もそうですけれども、私の考えは、この半世紀にわたる原爆後障害研究の到達点をきっちりと踏まえたいということです。これも肝に銘じておるところであります。
 今日の私の発言は、原爆被爆者が国の行政的対応について非常に冷たく、理不尽なものだと感じるところを消せないでいること。その根幹について、それが科学的と言われる問題との絡みで、私なりに解きほぐしていきたいと思っております。
 第3回検討委員会で示された谷口氏、丹羽氏の論考を拝見いたしました。この両者の論考を1つの手掛かりとして、私の発言を始めさせていただきたいと思います。
 2ページです。谷口氏は「近年の原爆訴訟認定制度と医療特別手当を取り巻く事情」の冒頭で、松谷訴訟の最高裁判決を引用されました。先ほど宮原弁護士も言及されましたけれども、この判決はその後の集団訴訟の問題を含めて、認定制度全体に大きな重要な一石を投じたと私も考えております。
つまり「高度の蓋然性」の「高度」というのは、被爆線量の多さを一義的に示すものではなく、その被爆者がどのような状況で被爆したのか、その後の障害はいかなるものであったのか、あるいは、それを補完する統計学的な知見などを、全証拠という言い方がされておりますけれども、すべて総合的に判断をして、その総合性にこそ高度さを求めたものでした。
 松谷訴訟はその原審の長崎地裁判決、福岡高裁、最高裁の三審とも、事実認定に関しては全く揺るがなかったという性質を持っております。
 私自身は行政に対するこのような裁判で、三審とも基本的な事実認定が揺るがなかったということを知ったことは、実は驚きでありました。
 その後「新しい審査の方針」がつくられましたけれども、ここでは「原因確率」の手法が放棄されました。しかし、今日、既にわかりますように、積極認定疾患の非がん疾患については、依然として「放射線起因性のある・・・」という形容詞が付いております。「放射線起因性のある・・・」の定義は示されておりませんが、初期放射線量を基本にした考え方が踏襲されていると見ざるを得ませんし、この初期放射線の線量を「起因性」判断の中心に据える限り、私は問題の解決は遠いと考えております。
 3ページ、「(2)丹羽氏の論考によせて」であります。丹羽氏は被爆者から得られた科学的知見は、その疫学的精度の高度さに担保され、国際的に発信されていることを述べられました。
 そのことを私も、そのとおりだと理解しております。しかし、本委員会において理解しなければならない問題は、第3回検討委員会で丹羽氏が示された資料8の図、つまり、横軸に線量、縦軸にがん死のリスクを示した図ですけれども、その横軸の線量は残留放射線被爆量を除外し、ほぼ初期放射線量に限定された尺度であるという点です。
 横軸にそのような線量、縦軸に被爆者のリスクを設定した系で、言わば完結させた線量反応関係であります。
 また、それはどのようなことかといえば、それ以外の系を論じたものではないということであります。丹羽氏は100mSv以下では疫学的有意性はないと述べられました。私もそのとおりに理解しております。
 ただ、ここでの問題は、設定された直線関係の相関性が2km以遠で薄れることがあっても、2km以遠のところにおりました当の被爆者の真の被爆量や、真の影響が推計されなかったというだけの話であります。
 これはDS86やDS02による被爆者のがん死リスクの示される表を見ている医学者は、すべてこのことは自明なこととして受け取っている問題です。
 科学的知見に沿うべきだというときに大事なことは、放射線影響研究所の寿命調査が視野の外に置いた問題をどうするかということが大変大切になります。視野の外に置いたということはどういうことかといいますと、3ページの(3)以降になりますけれども、実はこの寿命調査の対照群の問題です。対照群というのはコントロール群です。それは初期放射線0.005。この単位のmSvのmを取っていただきます。私のミスです。全部Svになります。0.005Sv、5mSvということになりますけれども、0.005Sv未満の被爆者を「被爆ゼロ被爆者群」と見て、これを対照群としている点であります。
 言わば、丹羽氏の呈示した図8は、被爆者同士の相対的リスクの序列化と言えます。この疫学は、被爆線量の多寡とリスクの多寡との関係性は、極めて精緻に示すことはできても、0.005Sv未満の方たちの絶対リスク、つまりリスクがないとかあるとかまで実は論じたものではありません。いわんや否定したものでもありません。これもこれで自明なことであります。
 対照群の設定がなぜそのようになったかという点ですけれども、爆心地から3km以遠ではがん死率がかえって増大することがわかりました。これは農村部(遠隔地)の生活環境がリスク増大の交絡因子と見られたため、対照群として不適切と判断されたためです。
 つまり、線量相関関係に必要なのは、過剰リスクの段階的な増加が、リスクの段階的増加が逆転することなく、ある地点からきちんと開始することがとても重要でした。したがって、0.005Sv未満で、かつ3km以内の被爆者群をあえて「被爆ゼロ被爆者群」とした理由でした。
 勿論、初期放射線0.005Sv未満の被爆者を対照とした場合、この領域における残留放射線被爆は極めて微量で、また、健康影響もほとんどないという判断が重要な前提となりました。
 この問題ですけれども、実は集団訴訟のさなかに、このごく低線量域と見られる被爆群であっても、疾患によっては有意のリスクのあることが示されました。日本衛生学会雑誌、2008年の渡辺らの論文であります。これは後でパワーポイントでお示しいたします。
 この論文はLSSの第12報を基にして、広島県全住民を1として比較した場合に、この0.005Sv未満被爆者群は男性で死亡原因は問わず、全死因で1.193倍。がんだけに限って、全がんをまとめて考えた場合1.241倍。白血病で3.15倍、固形がんで1.181倍、肝臓がんで1.733倍。女性においても全死因で1.076倍、肝臓がんで1.889倍、子宮がんで1.767倍というふうに示されております。
 岡山県の全住民を対象として、それを1とした場合でも、同様にこの0.005Sv未満被爆者のリスクは示されておりました。すなわち、少なくとも0.005Sv未満の遠距離群、つまり、これまで被爆ゼロと見なしてきた群に健康影響がない、あるいは無視できるものであるとは必ずしも言えないことがわかってきました。
 この疫学的知見は、遠距離被爆者は被爆していないと言われ続けたことに対する有力な反証となり得るものでした。
 ここでパワーポイントをお示しいたします。お願いいたします。
(PP)
 これは、この日本衛生学会雑誌の載った論文であります。広島被爆者に見られたごく低線量被爆のがんの高リスクというタイトルであります。
 次を示してください。
(PP)
 もう資料には添付しているものですけれども、これはそのうちのテーブル1を取ったものです。テーブル1は広島の全住民を1とした場合に、寿命調査群の対照群とされた0.005Sv未満の被爆者群が、全死因で見た場合1.193倍になる。女性においても1.075倍になると示したものであります。
 このことをわかりやすく、次に図に示してみたいと思います。
(PP)
 この図は先ほど丹羽氏が示した図ですけれども、線量がずっと下がってくるに従って、リスクがずっと下がってきて、相対リスクが1。つまり、過剰リスクがないというレベルに達します。ここに対照群を置いているわけです。0.005Sv未満対照群が、ここに1として置かれている形になります。
 これはこれで完結したものというふうに理解して構わないんですけれども、もう一つ。広島県全住民のリスクを比較対象として持ってきた場合、この全住民に対して、これを1とした場合に、この0.005Sv未満群は1.193倍の標準化死亡比を示したということであります。
 非常に簡単な言い方をすれば、この群は決して絶対リスク、つまり、リスクがあるのかないのかという問題になったときには、広島県全住民や岡山県全住民を対象とした場合には、1.193倍前後のリスクを持っていたということであります。広島の全住民の被爆線量が当然、この0.005Sv未満被爆組よりも少なく。「真実のゼロ群」となるわけです。
(PP)
 このように0.005Sv未満の遠距離群にもリスクはあるという理解がとても大事であると述べました。
 5ページです。入市被爆者の健康影響です。
 入市被爆者も被曝の影響はないと言われてきた方たちであります。入市被爆者に見られる白血病調査は、残留放射線被曝を鋭敏にとらえるものとしてとても有意義です。早くは1945年から1967年までの集計で、広瀬文男によってなされました。それによれば、白血病の発症率は、非被爆者10万人比2.33人に対して、爆発後3日以内までに入市した被爆者では、10万人比9.69人。4日から7日まで入市した被爆者は4.04人と高く、しかも放射性起因性が高いとされる慢性骨髄性白血病が高率だったということも、この結果の信頼性を示したものでした。
 広瀬論文に対して、当時のABCCから入市地点が区別されていないこと、入市被爆者の母数に変動があること、被爆者の健診制度から発症の過剰な方へのバイアス、過剰集計があるのではないかなどの疑問が出されましたが、入市日や入市期間は被曝リスクを考慮する、依然として有力な指標であることは動きません。
 母数の変動幅は10万人比発症数を大きく変化させるほどの変動幅はありませんでした。
 不治、難治、重度徴候の白血病は町医者のレベルでこそ発見されるもので、健診制度があるから過剰にその疾患を選択するというバイアスは少ない、などから、ABCCからの批判は広瀬論文の価値を減ずるものでは到底ありませんでした。
 入市被爆者の白血病調査はその後も続けられており、1970年から90年における調査が鎌田七男氏らによって行われ、過剰リスクは依然として持続し、入市日当日で男性3.44倍とされました。
(PP)
 これは昭和43年の日本血液学会雑誌に掲載された広瀬文男の論文です。1946年から67年までの白血病の調査であります。
 その中の早期入市者の白血病の記載をお示しいたします。ちょっと見えづらいんですけれども、3日以内の入市。これは8月6日から8月9日まで入市した方が10万人比9.69人の白血病が発生しております。これは非被爆者の約4.2倍ということを示しましたという記載があります。
 それから、慢性骨髄性白血病が高率に示された。これは特段の意味がありまして、直接被爆者においては慢性骨髄性白血病が一般国民の白血病のパターンと違って、広島被爆者においては極めて高率に発症したという知見が、既によく知られたものとしてあります。
 入市被爆者においても、慢性骨髄性白血病が高率であったということが示され、この入市被爆者の白血病の結果を信頼性のあるものとして支える知見でもありました。
(PP)
 もう一つです。その後、1970年から90年にかけての調査が、鎌田七男ほかの先生方でされております。
(PP)
 これは8月6日に入市した男性ですけれども、その方が一般の方と比べると3.44倍。95%信頼区間という言い方をして、この結果が疫学的に有意性を持つということを示す表現ですけれども、95%信頼区間が2.10倍から5.39倍ということで、ここにグラフとして示されておりますけれども、70年から90年の後半にかけての調査でも、入市被爆者の過剰リスクが維持されておったということを示すものです。
 さて、遠距離被爆群、入市被爆群での健康調査が軽視できないものとしてあるということを述べました。入市被爆者に放射線のリスクが極めて少ない、あるいは、ないに等しいと考えられてきた理由には次のような問題があります。それは、残留放射線被爆を土壌からのγ線、土壌からの塵埃のβ線の外部被曝。言わば土壌からの誘導放射線に限定して計測した場合に微量とされてきたわけですけれども、これは第3回検討委員会で丹羽氏が言及している点であります。
 しかし、丹羽氏がその中で詳しく研究されているとして言及した今中哲二氏の論文自体が、これは後で示しますけれども、誘導放射線、つまり原爆被爆者のリスクの横軸のものとして使われているDS86とかDS02が、誘導放射線の発生を土壌からのものに限定しているということをはっきりと述べております。
 したがって、今中氏は建物、建造物とかを含めて、土壌以外の物質からの誘導放射線、あるいはそれらの内部被曝の影響を含めて、被爆リスクを考慮することが重要であることを言及しております。
 では、今中氏の論文を示します。
(PP)
 これはDS86線量に基づく土壌の誘導放射線によるγ線被爆。この論文が前回、丹羽氏が言及した論文であります。
(PP)
 この中で序文の末尾には、このように言及しております。下の赤字で書いたところをお読みください。
 残留放射線はこれまで無視できると見られてきたが、早期入市者には出血や下痢などの急性症状が認められていたということをはっきり明示した上で、最後の考察のところでは、本論文では土壌からのラジオアイソトープしか検討していない。したがって、それ以外の物質からのラジオアイソトープの評価や、それらの内部被曝について更に検討されているとはっきりと述べて、土壌からの線量だけではない、その他の線量の被爆リスクを考慮した考え方が大事であるということをここに指摘しているわけです。
 今中氏らの指摘が極めて適切であったと思われる事例を紹介いたします。この事例は去る6月5日に広島で開催された第52回「原子爆弾後障害研究会」での私自身の報告です。入市被爆地が極めて重度の急性症状に陥った事例であります。
 これは学会発表形式になっておりますので恐縮ですけれども、そのまま示させていただきます。
(PP)
 入市被爆者の初期に見られた放射線急性症状について、広島大学の鎌田七男先生と私の共同発表でございます。
(PP)
 これはアメリカの国立公文書館にあったものですけれども、原爆関係資料ファイル番号が51番私の原爆症の経験と名づけられたものです。概略は医学専門学校生が広島に入市し、救護、遺体の処理に当たった後、急性症状を発症したというものです。
 12ページの手記であります。この手記は、最終的には米国の陸軍病理学研究所の原爆の医学的影響全6巻の第1巻に掲載されております。先方の責任者であったアシュレー・W・オーターソンの見解も示されていますけれども、この病態についてはよくわからないが、投下から2日後の入市なので、残留放射線によるものではないと否定をされている事例です。
 実は被害者が存命されておりましたので、お宅を訪ねて作成経過を確認してまいっております。この方は8月8日、先ほどオーターソンが述べました2日後に山口の宇部から府中町に入ります。翌日8月9日に入市して、知人を探して牛田で巡り会って、そこで1晩過ごします。
 その後、軍医と出会うことになり、その軍医の強い勧めで本川小学校の救護所で救護に当たれという指示を受け、8月10日から15日まで、途中で泉邸、現在の縮景園に移動するんですけれども、この6日間、救護と遺体の処理に当たります。
 15日に高熱を発し、意識消失で、この方の父が在の方で医院を開業しておりましたので、そこに運ばれて救命の措置を受けることになりました。
 この方の被爆線量を既知の評価を基にしてやりますと、8月8日入市ですから、1,500m地点としますとほぼゼロです。
 8月10日に爆心地に入ったと仮定しますと、0.128ラドです。いずれにしても、この6日間の総計はどのように考えても1ラドを超えることはありません。これは『原爆放射線の人体影響1992』の353ページの表1から私が作成したもので、つまり、入市被爆者に影響はないという、土壌線量を基にした場合はこのような推計線量になってしまうということであります。
 しかしながら、次に示しますように、この方の臨床症状は極めて驚くべきものでありました。横軸に日にちの経過です。下の図は温度表でありますけれども、その上に症状が書いてあります。8月12日は強い頭痛。針で刺されるような頭痛という表現がされています。8月14日にはのどの痛み。8月16日は唾液腺の痛み。8月17日は、この方は先ほど父が医師と述べましたようにさまざまな治療を受けますけれども、注射部位の腕が化膿してはれてくる。
 そして、8月19日に至り、皮膚の出血、全胸部、肺部、四肢に著明な出血瘢が現れるということであります。この時点で御本人も原爆症であるという自覚を持つに至ります。
 9月に至りまして、何とか熱が下がって救命されたということになるわけです。
 さて、唾液腺の痛みとか、高熱とか、注射部位の化膿という3つは、今日原発事故において、我々が即座に考えなければならない急性放射線症候群のトリアージ、つまり高線量被曝しているかどうかの極めて重要なメルクマールになる兆候であります。
 唾液腺の痛みは、今日高線量被曝を示すものとして知られており、唾液腺の痛みがあった場合には0.5Gyを受けたものと推測されるということです。この方は唾液腺の強い痛みがありました。
 それから、皮膚の出血瘢はUNSCEARの1988年の知見を基にしますと、出血を起こし、広範に皮膚出血を起こし、更に回復する場合は、被爆線量が2~4Gyに相当すると示されております。
 同時に、40度の高熱の持続が白血球の減少を示すことになるんですけれども、そのような場合、IAEAの知見に基づけば2~5Gyの線量を浴びたと推計されるということになります。
 総じて言えば、この方の症状は入市被爆ということでありましたけれども、急性放射線症候群、今日考えるARSという症候群の2~4Gyに相当する被害であったということが理解されます。つまり、放射線の被害であったということが理解されるわけです。
 実はこの方だけではなくて、当時救護のために入市した軍人たちにも発熱や点状出血、脱毛があったということがしっかりと記録されております。広島原爆戦災史第1巻総説に書かれてあることです。
 とりわけこの記載は、発病者は死体、負傷者の収容作業者に最も多いと明記されていることがとても重要であります。
 さて、先ほど土壌の線量評価では微々たるものに過ぎないと述べましたけれども、それはここに示されますように、土壌に限定した線量の場合ではグリッツナーとか今中らの、先ほどのペーパーですけれども、爆心地において最大0.7Gy、あるいは1.2Gy。遠距離になりますと急速に線量は下がって、また、入市日が後になりますと、極めて急速に線量が下がるということで、爆心地でもこの程度です。
 しかし、鎌田七男のペーパーとか庄野・佐久間らのペーパーによりますと、土壌に限定しないソースを考えた場合、土壌、建物、ほこりの内部被曝を含めた場合、3ないし3.5Gyに当たるということが報告をされています。
(PP)
 このように、入市被爆者の健康影響はこのようなペーパーを基にすれば、やはりあるものであると理解することが正しいと思います。
 さて、時間も押してきましたけれども、6ページです。このような、これまで述べてきたことを踏まえて、放射線起因性の理解と給付の類型化、あるいは段階化を提起したいと思います。
 今日、存命された被爆者の圧倒的多数は0.5Gy以下、あるいは、もっと低いんですけれども、初期放射線被爆線量ゼロの相対的低線量群であります。したがって、初期放射線量の多さを認定の判断とすれば、その手法は直ちに却下の手法に特化いたします。その手法は従来の轍を踏むことになります。これまで述べてきたことから、私は被爆者を初期放射線被爆をしている被爆者、していない被爆者の区別をやめること、また、給付の類型化あるいは段階化を提案いたします。
 1)です。被爆者全体が放射線被爆の影響下に置かれたことは事実であり、放射線との関連性をそのように理解されるべきです。
 1です。放射線の疾病起因性は、原爆被害総体の中に含めて理解し、疾病と放射線との共同成因的な理解、治癒遅延の理解を広く理解することが必要です。このような理解は日常臨床の中で当然であり、医学的理解としてもごく自然なことです。
 また、持続的な精神疾患に苦しんでこられた方についても、放射線との関連性を排除しないで、救済の道を広げることが求められます。
 2です。残留放射線被爆を考慮しない線量評価は、科学的理解としても不合理であり、被爆者全体が何らかの被爆の影響を受けたことは、実際否定できません。そのことの認容は、これまで示しましたような疫学的理解としても可能であります。したがって、放射線の影響を広く理解し、給付対象疾患を可能な限り拾い上げるべきです。
 2)です。申請疾病の重度性により、給付の類型化、段階化を図ること。
 1です。医学医療の進歩により、固形腫瘍であっても早期発見や内視鏡的切除術などにより、生活の質を低下させないで治癒に至らせることが可能となっております。病態の難治度や生活の質に着目した給付の類型化を図ることが大切です。
 2です。給付の類型化や段階化の基準は簡潔にして、一定期間後、類型化の移行を可能とすること。また、最小給付と最大給付の差を拡大しないことなどを提案します。そのことにより類型化、段階化自体の不公平性を緩和し、類型化、段階化に関わる作業を進めやすくすることができると思います。
 最晩年を迎えた被爆者の公平、公正、安心の制度とすることができます。
 3)です。あらためて私見です。
 認定者と却下者が区分基準の不明なまま分けられ、かつ大量に生み出されている現状は、悲痛な体験を強いられたことに対する援護の仕方として理にかなっているだろうかと自問したとき、答えは否です。
 その根源的問題は、線量を体現する物理的存在として被爆者を見て、その見方を最小化する努力ではなく、それを温存する努力をしたことにあります。理不尽さの根本はここにあったと私は考えます。
 そのことのために、現実的には認定基準というものは圧倒的多数を却下するため、また、認定を先延ばしするための手段と化しました。そして、実際に認定を受けることができた場合でも、その方の余命が幾ばくもなかった事例が、私自身の体験の中でも数限りなくあります。むしろ全国的には、言い過ぎかもしれませんけれども、それが常態とも言えるものであります。
 被爆者はここに原爆特別措置法という本来は国家補償という考え方を内に持っておりますけれども、この認定制度と自分たちの関係の本質を見ることができました。残念ですけれども、私から言えば、この時点においては、言わば理不尽さの完成した姿がここに垣間見ることができると、私自身も認定申請の作業をたくさんやってきたものですけれども、取る前に、受ける前に亡くなる方は少なくありませんでした。このような制度に伴う理不尽さの中で、被爆者自身の人間としての自尊心、そして、被爆者同士の連帯性などが複雑にゆがめられてきたことも知らなければなりません。
 もはや個々人の被爆線量をもってする個々人の裁断的却下の手法は回避すべきです。原爆被爆者に対する行政府の高度な政治的思惑もあったでしょう。しかし、もうそれはいいのではないでしょうか。被爆者は放射線生物学の知見に十分すぎるくらい貢献いたしました。しかし、もはや科学的知見になるものに従わせる思惑もいいのではないでしょうか。全被爆者の積極救済の視点こそが、確立すべき唯一残された視点であることを強調して、私の見解といたします。
 ありがとうございます。
○神野座長代理 どうもありがとうございました。わかりやすく、要領よく御説明していただきましたことを感謝申し上げます。
 お二人の御発表に感謝の言葉を申し上げながら、委員の方々から御質問、御意見をちょうだいしたいと思います。自由に御発言、御質問をいただければと思います。
 高橋委員、どうぞ。
○高橋滋委員 私は行政府の人間ですので宮原先生に、まず、多少のコメントということと御質問をしたいと思いますが、宮原先生から60件という国の敗訴判決の御紹介をいただきまして、御指摘のように、これは本会の1つの出発点ということで、私自身も今後の在り方を考える上では重く受け止めていきたいとは思っております。
 その上でちょっと1つ、私自身の感想なんですが、我々はこれから行政の指針という、ある意味では画一性と迅速性というのも1つの考慮要素としていかなければいけないし、指針の在り方を考えるわけなんですが、他方は裁判というのは、やはり個別な事情というのが前提ですし、更に言うと当事者の攻撃、防御がきちんとなされていたかという観点から、かなり個別性があると思います。そういう意味で、指針を考える上では、裁判との正確なずれも多少考えなければいけないのではないかというのが第1点です。
 その上で、やはり御紹介いただいたのは国の敗訴判決であったわけなんですが、他方で国側の認定が適用であるとされた判決もあって、その間の多少の判断のずれというのがあるのではないかということは、最初の事務局からの御説明にもあったんだろうと思います。
 そういう意味で、やはり委員会として今までの判決の全体像を少し見直してみる。そういう努力が要るのではないかと私は思っておりまして、この点は事務局が全体像を少しまとめて、次回でも御紹介いただければと思っております。
 それが感想でございますが、その上で宮原先生にお教えいただきたいのが、やはり認定をするに当たっては特異性疾患と非特異性疾患という議論があって、ある種のリスクがある場合でも、発症された方に行政措置としての給付を認定していくかどうかということは、ある意味で特異性疾患の場合は非常にわかりやすいと思うんですけれども、ある種の非特異性疾患の場合にどうなのかというのがちょっと疑問になるところで、例えばC型肝炎の例が出ているんですが、これはウイルス性のものでございますので、そういう意味で裁判所がなぜこれを認定の根拠にされたのかということが、私は今ひとつ、これは前回もお聞きしたことなんですが、その辺はどう御理解されているのかということを第1点でお聞きしたいと思います。
 それから、更に言うと、資料の10ページに白内障の話も出ているんですが、この文章そのものが私はよくわからなくて、判決が言っている「しきい値が存在しない」というのはどういう脈絡でおっしゃっているのかということを、勉強のために教えていただきたいと思っております。
 以上、宮原先生には2点お教えいただきたいということでございます。よろしくお願いします。
○神野座長代理 では、宮原先生、よろしくお願いします。
○宮原参考人 医学的な問題ですので、後者の点はむしろ斉藤先生の方でお答えいただいた方がいいと思います。
 前者の点はC型肝炎ということですけれども、岩井元裁判官も関与されて判決を出されたんです。これはC型肝炎がウイルスによって発症することはだれも疑いがないわけですね。ただ、放影研の研究によると、ウイルスが原因ではあるけれども、放射線の影響がある人がウイルスに感染すると、B型肝炎もC型肝炎も共通の点が多少あるんですけれども発症しやすくなるとか、発症したC型肝炎が段階的にキャリアから慢性肝炎、肝硬変と進んでいますね。こういう進む過程が放射線によって促進されるということを捉えて、そこに放射線起因性を認めるという形でした。
○高橋滋委員 どうもありがとうございました。
○神野座長代理 では、後者の点。白内障のしきい値について。
○斉藤参考人 C型肝炎については第3回の丹羽先生の資料の中に図がありまして、慢性肝炎及び肝硬変が1Gy当たりの推定線量がすべてこの1.0から右にいっているんです。ウイルスだけに関係した発症をするならば、線量は全く関係ありませんから、このような姿はとらないんです。
 丹羽先生の資料の10ページです。がん以外の疾患リスクは長期の追跡で明らかということです。その上から5段目の棒グラフが慢性肝炎及び肝硬変です。これは日本人の場合はほとんどがC型肝炎かB型肝炎。日本の場合は6~7割がウイルス感染をしているかと思うんです。つまり、この疾患はウイルス性どうのとかは書いていませんけれども、6~7割方はすべて慢性肝炎ウイルスを持っている方たちだと考えていいんです。そのようなウイルス性の肝炎、肝硬変であっても、線量を受ければ、その線量に応じてリスクが上がるというのがこの図であります。
 実はC型肝炎ウイルスは肝がんを惹起することも既知のことですけれども、肝がんに至っては被曝すると、この倍率が極めて高いということが言われます。これは非がん疾患ですけれども。
 それから、白内障に関しては、長い間しきい値が1.75Sv、被爆距離としますと1.2~1.3km以内の方だけにしか実は認めてこなかったんです。
 これは古い調査で、1960年代になされた調査が基になっておりまして、当時64名を調べた白内障の場合は、全員がこの1.75Sv以上だったんです。つまり、その辺にしきい値があって、それ以下では発症しないという知見が長きにわたって考え方の基準となっていました。
 ところが、2000年を超えてからの白内障の研究、つまり、高齢になって齢を重ねたという時間の影響が加わったときに、改めて調べたときに、1.75Svどころかずっと線量が低いところでも、線量相関で白内障の発症が促進されるということがわかりました。これが遅発性の放射線白内障。遅発性という言い方が付けられておりますけれども、そういうのが2000年の広島大学、長崎大学、放影研の原爆被爆者に関わった研究者たちの共同のプロジェクトがそれを明らかにして、国際的な著明な雑誌に掲載されました。同時に、我々が日常見ることもできる『広島医学』という雑誌にも邦文で掲載されたという経緯があります。そのことを判決は参考にしているんだと思います。
○神野座長代理 よろしいですか。
 あとはいかがでしょう。
 高橋委員、どうぞ。
○高橋進委員 斉藤先生にお伺い申し上げます。
 まず、最初に感想ですけれども、残留放射線の被爆、内部被曝のことをどう考えるのかというのが非常に焦点のように思うんですけれども、したがって、この委員会でその辺についての見解をもう少し広くお伺いできればという感想でございます。
 質問でございますけれども、先生は今、広島の知見をお話しになりましたけれども、長崎についても同じような知見があるのかどうかということをお伺いしたい。これが1点目です。
 2点目が6ページでございますけれども、給付の類型化、段階化。いきなり結論に飛びついてはいけないと思うんですが、ここについて質問申し上げますが、1のところで病態の難治度や生活の質に着目した。この生活の質というのを御説明いただきたいのと、もう少しこの1と2を具体的に御説明いただけるとありがたいんですけれども、お願いできますでしょうか。
○斉藤参考人 2番目の方のクエスチョンからですけれども、実際にここに書いたことなんですけれども、実際に被爆者の方を診ていて、大腸内視鏡検査などでは大腸がんを発見するんです。しかし、それは内視鏡的に切除して開腹手術を今はほとんどしません。つまり、ある意味で言うと、そういう生活の質という面から見ると軽微な、がんはがんなんですけれども、がんというと非常に難治性で怖いということもありますけれども、早期発見の手段が前進した今日は、生活の質を落とさない軽微な疾患の類に入ってくるんです。したがって、同じがんであっても進行したがんの場合と、そのように内視鏡的にポリープを取って、それは実はがんの芽があったということです。同じがんでも病態といいますか、そういったものは全然違ってくるんです。そう考えたときに、同じ疾患でくくる場合はそういう給付の在り方というものに大きな矛盾を含まざるを得ないのではないかということを日常的な実感として持ってまいりました。それで、これを述べたわけです。
 したがって、生活の質、例えば脳卒中も今、放射線との関係が明確になりつつあります。脳卒中の方は、例えば内視鏡でがんを取った方、ぴんぴんしている方と比べたときに、脳卒中で片麻痺が起きた方、同じがんと非がん疾患ですけれども、その生活の困窮度は決して負けず劣らず、脳卒中後遺症の方もあるわけです。そのようなことも総体して含めたときに、病名に依拠した給付の在り方は是正される点があるのではないかということを考えてきたところです。
 最初の質問の長崎に関しては、私は広島の知見ほどよく存じておりません。しかし、この丹羽先生が示した図8は広島、長崎を含めた放影研のデータでありますので、既にDS86もDS02も残留放射能を除外しているということは、広島、長崎においても同じように該当するものと考えております。
○神野座長代理 よろしいですか。
 では、山崎先生、どうぞ。
○山崎委員 山崎でございます。社会保障が専門でございます。
 斉藤先生のお話の中で、冒頭にも裁判の部分にも、原爆被爆者に対する国の行政的対応は極めて冷たく理不尽であったとされているんですが、ただいまのお話ですと、恐らく認定制度に対してのことではないだろうか、という理解でよろしいんですか。
○斉藤参考人 そうです。
○山崎委員 そういうことですね。現実には援護の施策はかなり行われていて、医療費については原爆症と認定されるか否かに関わりなく無料になっておりますし、ほとんどの方に健康管理手当が出ていて、少数ですが医療特別手当も出ているわけでございまして、私も最後の具体的な申請疾病の病態の重度性により給付の類型化、段階化を図るという提案に非常に関心を持っているわけでございますが、そのように考えたときに、今の援護の施策、医療のサービスなり現金の手当なりで、不足している部分はどういったところにあるのかということを、もう少し具体的にお話しいただけるといいと思います。
○斉藤参考人 決して、精神主義的に述べようとは思っていません。ただ、原爆被爆者にとって根幹にあるのは、やはり原爆被災を受けたことを国として認めてほしいという気持ちは何事にも変え難いものとして、精神の根幹にあるんです。
 したがって、私は身体的な評価ということに基軸を置きながらも、その被爆者の根幹にある精神にどのように寄り添っていくのかという制度があるべきだと思っているんです。
 そのときに認定率が存命被爆者の1%以下、つまり、99%の方は最も大事な制度が、被爆者の心の琴線に触れているかどうかという制度が1%に満たないということの在り方は、制度全体の在り方としていかがなものかと考えているわけです。
 同時に、ここでも述べましたけれども、やっと認定してもらったということは、初めてその人の人生が被爆者として着地したことに唯一つながるんです。健康管理手当やそのほかの保険手当は私は熟知しております。そのことの給付も大事だと思っております。ありがたいものだと私は思っているんです。貧しい方もおります。その方にとってみれば、健康管理手当はとても大事なんです。その上で、しかし、制度の根幹に触れる問題は認定制度による国の在り方なのではないかと思うんです。ここを根本的に変えない限り、そのほかの周辺の制度の在り方は、このようにやっているんだとしても、残念ながら被爆者の苦悩というものを解きほぐすものにはなりきれていないのが現状ではないかと思っております。
○神野座長代理 よろしいですか。
 長瀧委員、どうぞ。
○長瀧委員 裁判は個別化のことが多いものですから、この間の国際的、科学的な合意というものがあれば納得しやすいということがありまして、この入市被爆に関してなんですが、先ほど伺いますと2mGyとか1Gy以上の被爆を受けていらっしゃるということなので、これを国際的合意に認められるとすると、客観的にアピールするんです。国際的に、これは確かにこうだと言うためには、例えば今、これをお聞きしながら考えていたのはエナメルの問題であるとか、染色体ですね。そういう現在いる方の体でちゃんと被爆した経歴、証拠が残っているというのが、アピールするときに強いと思うんです。
 それで、勉強が足りなくて申し訳ないんですが、今の入市被爆した、それが少ない量なら別ですけれども、1Gy以上というと、もし染色体を調べれば相当な確率で異常が出てくると思うんです。
 あるいは、エナメルを調べれば相当な確率で、科学的な事実としてこれだけ被爆したということがわかるので、国際的な合意を得るためには非常に有力なデータではないかと思うんですけれども、それは今、具体的にどれぐらいあるんですか。
○斉藤参考人 長瀧先生の御指摘は私も医師として、あるいは原医研を通過したものとして重々理解できます。
 あの事例に関しては私も悩みました。あの事例が本当に1Gy以上なのかどうかというのは、今日の医療技術からすれば染色体でキャッチすることができます。あの方は実際、心筋梗塞で病に伏していました。残念ですけれども、そこまで私は申し述べることができませんでした。ちゅうちょせざるを得ませんでした。極めてデリケートな方なので、奥さんとの話の中で、この事例のまとめに関しても極めて慎重に扱わせていただいた経緯がありまして、染色体の研究までは申し述べることができませんでした。
 ただ、長瀧先生がおっしゃることの例がありスライドを、示しませんでしたけれども、4.2kmの高須のところで被爆した方で、フォールアウトです。存命されている方ですけれども、今日では末血から染色体を調べることができておりまして、その染色体異常率が高齢の方は0.65%が平均ですけれども、この方は2.56%という約5倍近い染色体異常率を持っているんです。
 この方はたくさん病気をしましたけれども放射線医療を受けていない、抗がん剤も使っていないということで、この方の染色体異常は、リングの異常があったりしまして、当時の異常率を反映するものだと考えられます。これは鎌田七男先生が判断したわけですけれども。そういうふうに3km以遠の方の、多重がんの方の染色体異常率がそのように末血から確認できて、その方はこれまでですと高須ですから1~4レントゲンという土壌汚染量に大体規定されるわけですけれども、生物学的線量評価をしますと0.3Svというふうに鎌田七男先生は割り出しました。
 つまり、そういった意味でも遠距離で、均一ではなくてケースによっては高線量を受けたことに匹敵するような障害性、あるいは染色体異常率を示す方が存命されている、存在していらっしゃるということを、私は得心した次第です。
○長瀧委員 国際的にアクセプトされるような発表の仕方というんですか、裁判は個別の例ですから別として、国際的にきちんと承認されるような科学的なデータをつくるということも非常に必要な努力ではないかと思うんです。そう言いますのも、チェルノブイリのときも随分染色体の検査もしました。かなりの方を対象にして、少なくとも異常がないということで、この方たちの被曝はしていないという結論になりましたので、もし本当にある程度、現在いる方の数からそういうものをつくっていくという、国際的に信用される科学的なデータをつくっていくという努力は是非なさった方がいいのではないかと思いまして、もういっぱい論文がありまして、放射線の影響に関しては賛成も反対も山ほどある。
 持論なんですけれども、適当に自分の思うことを取っていったら賛成でも反対でも、これは科学的な論文の結果だという発表ができる。そういう意味で科学適用をつくって、世の中が混乱するから、国際的な合意というものは世の中の要請によってできていますので、その合意の中に入るような努力をなさることが一番被爆者の方、あるいは入市被爆の方が被爆しているのであれば、そういう努力はひとつ了してもいいことではないか。
 現在は何人ぐらいいるとおっしゃいましたか。今、鎌田先生の方からありました。
○斉藤参考人 特別お伺いしていません。
○神野座長代理 外山健康局長、どうぞ。
○外山健康局長 事務局から1つだけ質問させてもらってよろしいですか。
 斎藤先生、ありがとうございました。先生の論文というか、主張の5ページで引用されている著者の、京大の今中先生の御主張と、先生の記述でちょっと確認させてもらいたいと思っておりますけれども、5ページでは「内部被曝の影響等を含めた被曝リスクが重要であることを指摘しています」となっておりますけれども、43ページのスライドで先生が示されましたものは「further work is under way」と書いてあるわけであります。更に、気になりましたのは、私の下で行っております検討会、いわゆる「黒い雨検討会」というのがございます。今年の2月24日に行われた検討会の中で、今中先生が発表された論文で「広島・長崎原爆放射線量新評価システムDS02に関する専門研究会」報告書2005というのがありました。そこでは今中先生の結論として「塵埃吸入にともなう内部被曝を見積もってみたが、外部被曝に比べて無視できるレベルであった」と書いてございまして、これは厚生労働省のホームページもオープンしているんですけれども、どう見たらいいか。
 研究報告を御存じかどうか。
○斉藤参考人 黒い雨の研究地点があると思うんです。もうそこだけの問題ではないと思うんです。どの地点で黒い雨の場合の内部被曝を調べられたんでしょうか。
○外山健康局長 まず、私の質問は、私は専門家ではありませんけれども、同じ引用をされた京都大学の今中先生の研究報告書を御存じかということです。
○斉藤参考人 2005ですね。知っています。ただ、そのことがこのことと矛盾するとは私は思えないんです。これからの研究課題であるということと、その研究課題が黒い雨の調査報告書では必ずしもないと私は思うんです。
○神野座長代理 よろしいですか。それでは、ちょっと申し訳ありません。私の議事運営がまずくて、既に大幅に時間が過ぎていて、後半はまだお2人の方に発表する時間がそもそもないような状態ですので、この辺で打ち切らさせていただければと思っております。
 御発表いただきました宮原先生、斉藤先生、本当にありがとうございました。心より御礼を申し上げます。
 それでは、引き続いて広島市、長崎市の行政の方からのヒアリングに移りたいと思います。まず、広島市の飯冨様からお願いできますでしょうか。済みません。20分というか、できるだけ短くお願いします。
○飯冨参考人 わかりました。
 広島市の原爆被害対策部の飯冨でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 本日、現在広島市で行われております原爆被爆者対策の全体の概要について御説明させていただきます。時間も迫っていますので、やや駆け足になるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
 資料はお手元に御配付してあります資料でございます。まず「広島市の原爆被爆者対策の概要」をごらんください。
 「1 推定被爆者人口等」につきましては、直接被爆人口は推定で34~35万人であり、原子爆弾が投下されました昭和20年8月6日から20年末までの死亡者数は推定で14万人とされております。
 次に、現在の被爆者数でございますが、平成23年3月31日現在で6万8,886人でございます。在外被爆者が約2,000人おられますが、これを含んだもので、前年に比べまして2,308人少なくなっております。
 被爆者の平均年齢は77歳で、同じく前年に比べて0.7歳上昇をしておられます。
 次に「3 原爆被爆者対策の施策体系」でございます。一番左側にありますように援護、保養施設、援護実施団体、調査及び研究の4つに大きく区分しておりまして、一番上の援護を更に4つに区分しております。
 健康管理としましては、被爆者健康診断や骨粗鬆症の検診等を実施しております。
 医療としまして認定疾病、医療の給付や、一般疾病、医療費の支給、広島赤十字・原爆病院などの医療機関での医療を行っております。
 手当等の支給としましては、医療特別手当や健康管理手当など、さまざまな手当の支給を行っております。
 福祉事業としましては、被爆者相談事業や介護保険利用助成などの居宅での生活支援事業、原爆養護ホームでの養護事業等を行っております。
 保養施設はそこに書いてあります2つの施設がありまして、その次にある4つの団体が上記の援護事業を実施しているところでございます。
 調査及び研究としましては、被爆者の方の動態調査活動を行ったり、広島大学の原爆放射線医科学研究所などとの連携により、調査及び研究を行っております。
 2ページをごらんください。これは原爆症認定申請に関する最近の実績でございます。そこに書いてありますように、平成20年度から新しい審査の方針により審査が行われたことから、平成19年度には735件だった申請件数は、20年度には3,369件に激増いたしました。その後は減少しておりまして、昨年度は900件でございました。
 平成20年度から22年度の3年間の認定は2,536件、却下が2,680件ということで、ほぼ同数となっております。認定被爆者数も平成19年度末では816人でございましたが、22年度には2,656人となっております。
 次にありますのが健康診断でございます。被爆者健康手帳または第一種健康診断受診者証を持っておられる方には期日や場所を指定して、定期健康診断が年2回。更に、年2回を限度として、申請により健康診断を受けることができます。また、このうちの1回は希望によりがん検診を受けることができることになっております。
 なお、一般検査の結果、更に検査が必要な場合には精密検査を実施しております。22年度実績では一般検査が4万2,117件、がん検診が6万7,683件、その後精密検査を受けられた方が3万6,052件でございました。
 6番が手当等の支給でございます。ここに載せておりますのは、国によって定められております手当でございます。医療特別手当は原爆症認定された方が、認定を受けた病気やけがが続いている方に月額13万6,890円が支給されております。22年度実績を右の欄に書いてございます。3,296名でございました。
 特別手当は認定被爆者の方が認定を受けた病気やけがが治られた方に対しては、月額5万550円が支給されております。月平均395名でございました。
 原子爆弾小頭症手当につきましては、原子爆弾の放射能の影響による小頭症患者の方に、月額4万7,110円が支給されております。広島市におられる方は10人でございます。
 健康管理手当につきましては、法で定められております11の障害を伴う疾病にかかっていると認定された方に、月額3万3,670円が支給されており、月平均5万8,756人の方に昨年度支給をしております。
 保険手当は原子爆弾が投下された際に、爆心地から2kmの区域内で直接被爆された方、またはその胎児であった方に支給されます。一定の障害のある方や配偶者、親、孫のおられない70歳以上の1人暮らしの方には下段の3万3,670円が、そのほかの方には上段の1万6,880円がそれぞれ支給されます。実績は右に書かれているとおりでございます。
 介護手当についてですが、障害により介護を要する状態にあり、介護を受けている方に支給されますけれども、介護費用を支払っている場合には、重度障害の方には10万4,530円、中度障害の方には6万9,680円以内で支給がされます。なお、重度障害の方で介護費用を支払わず、例えば家族の方が介護されている方には月額2万1,500円が支給されております。実績は右欄のとおりでございます。
 葬祭料につきましては、被爆者が亡くなられた場合に、その葬祭を行う方に20万1,000円が支給をされます。昨年度は2,638件ございました。
 7番ですけれども、これは広島市が行う援護としてですが、国の原爆被爆者の援護対策を補完、あるいはより効果的な推進を図るため「広島市原子爆弾被爆者援護要綱」を制定し、そこに書いてありますような各種の援護対策事業を行っているところでございます。
 続いて、その次の資料でございますが「平成23年度被爆者援護のお知らせ」という資料でございます。この資料は被爆者援護に関する制度の概要を被爆者の方や市民の皆様に説明するため、毎年作成し、市役所の窓口で配付しているところでございます。時間がありませんので、簡単に説明をさせていただきます。
 「1 被爆者相談員による相談」でございます。被爆者の方あるいは家族の方からさまざまな相談がされております。年間2万9,000件程度の相談に対して電話、あるいは直接お話ししたり、場合によっては家庭訪問などによって相談に応じております。
 下にあります「(2)原子爆弾小頭症患者に対する相談」ですが、今年度新たに専任の医療ソーシャルワーカーを配置して、その方々への対応を行っております。
 次の「2 医療の給付・健康管理など」につきましては、既に本検討会で御説明されておられますように、一般疾病については自己負担分を負担せずに医療を受けることができます。22年度広島市においては358万件程度の診療を行って、経費が153億円でございました。
 2ページの「(2)認定疾病に対する医療の給付」です。これは原爆症の認定を受けられた被爆者の方が、認定を受けた病気やけがについて全額国費で医療を受けることができるということの説明でございます。22年度で年間9,700件、約5億円の経費でございました。なお、認定疾病の治療のために通院される方には公共交通機関の交通費が支給をされております。
 次の「(3)被爆者健康診断」につきましては、先ほど概要を説明いたしましたので省略をさせていただきます。
 3ページの「(4)被爆者健康交流事業」でございます。これは被爆者の方の心身の健康や生きがいづくり・介護予防のために、公衆浴場での月2回の入浴料の無料化でありますとか、スポーツセンター等で健康づくり教室、交流会を実施しております。
 「(5)被爆者二世健康診断」につきましては、二世の方につきましては年1回だけ、がん検診を除いて、希望者に被爆者と同じような一般検査を行っているところでございます。
 続いて4ページの「3 施設入所などによる養護・介護」でございます。広島市には特別養護ホームが3園、一般養護ホームが1園ございまして、そこにおいて入所を行ったり、5ページと6ページにございますが、ショートステイ事業やデイサービス事業のサービスを行っております。
 7ページの「4 各種手当など」につきましては、先ほど説明させていただきましたので省略をさせていただきます。
 10ページでございますが、先ほど説明のなかったものとして「(11)被爆者特別検査促進手当」でありますとか「(12)被爆身体障害者福祉手当」、11ページの「(13)被爆者在宅高齢者福祉手当」、生活保護を受けておられる方への「(14)被爆者生活特別手当」などの手当を支給しておるところでございます。
 ただ、この手当の支給についてですけれども、重複したものはできないということもありますので、すべての手当が同時に受けられるというものではございません。
 続いて、12ページは「5 介護保険利用料助成など」でございます。先ほどありましたような介護を受けておられる方につきましては公費の助成、あるいは公費の負担がされておりまして、それぞれの費用について一部を、利用者負担の部分を負担しているところでございます。
 しかしながら、13ページの下段にありますけれども、その中には訪問入浴介護でありますとか、そういったことについては対象となっていないものもございます。
 14ページには被爆者の方への税法上の特別措置について御説明をしております。施設の利用料等の減免については、広島市にあります公立の施設について入場料等の減免をしているところでございます。
 以上、簡単でございますが、広島市でやっているものでございます。高齢者の被爆者は高齢化が一段と進んでおりまして、1人暮らしや寝たきり等、介護を必要とする方が年々増加しておられます。そういった被爆者の現状にかんがみまして、被爆者が救済されるよう性急に、制度の在り方について御検討をいただきまして、必要な措置を講じていただく。併せて、審査に当たってはより一掃速やかな審査を行っていただきたいというのが、現場としてのお願いでございます。
 以上で終わります。ありがとうございました。
○神野座長代理 どうもありがとうございました。
 それでは、引き続いて長崎市の光武様、よろしくお願いいたします。
○光武参考人 長崎市原爆被爆対策部援護課の援護係長をしております光武と申します。長崎市の原爆被爆者対策の概要について説明させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
 まず、長崎市における推定被爆者人口等は資料3(4)の1に、また、本年3月31日現在の被爆者数は資料3(4)の2に記載のとおりとなっております。
 そのほか、本市における原爆被爆者に対する施策につきましては、別にお配りしておりますお知らせに記載のとおりでございます。このお知らせは毎年4月に、市内居住の被爆者の皆様にお配りさせていただいているものです。
 引き続き、本市における原爆被爆者対策の歩みについて御説明させていただきます。これは本市が被爆50年を記念して作成いたしました長崎原爆被爆50年史からピックアップしたものに、現在までの状況を補足したものです。
 本市における原爆被爆者対策の歩みは大きく3つのカテゴリーに区分することができます。
 1つ目は原爆投下から被爆者の方が受けた障害の治療に要する費用の確保まで。
 2つ目は被爆者の方の生活支援。
 3つ目は国家補償の見地に立った抜本的な施策の推進。この3つです。
 こうして見ると、1つ目は原爆医療法、2つ目は原爆特別措置法、3つ目は被爆者援護法、それぞれの法律の成立と密接につながっていることがおわかりいただけるかと思います。
 それでは、まず、1つ目の原爆投下から被爆者の方が受けた障害の治療に要する費用の確保までについてを御説明させていただきます。
 昭和20年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下された後、多くの人々が市内はもとより、県内各地に設けられた救護所へ運ばれて治療を受けていました。
 8月11日には長崎市内の各所に市役所臨時事務所を設け、罹災証明を発行しているほか、10月4日には「長崎市復興委員会」が設けられております。
 昭和24年8月9日には「長崎国際文化都市建設法」が住民投票を経て公布され、現在の長崎原爆資料館の前身である長崎国際文化会館の建設などの戦後復興事業が始まりました。
 2ページ目に移らせていただきます。一方、昭和22年にはお亡くなりになった方々の遺骨を祭る納骨堂が爆心地付近に、近隣の自治会長さんを始めとした市民の方々の手によって建立されました。しかしながら、被爆者の方に対しての救済については、行政機関は中央、地方とも戦後の復興に主力を注いでいたこと、また、多数存在する被爆者や原爆の被害状況が占領下という特殊な条件下にあって公にされなかったこともあり、容易に民衆運動に取り上げられず、結果として政治問題化すらしませんでした。
 昭和27年4月28日に「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)」が発効され、報道規制が解除となりました。被爆者救済問題が世間の注目を集めたのは、同年9月に一流芸能人が被爆者の救済のために募金サインを始めたという報道がきっかけとなっております。なお、この年の4月に民生委員の調査によって、長崎市内に1,288人の原爆障害者が所在していることが判明しております。
 昭和28年1月には、市婦人会が被爆者のための街頭募金を開始するなど、募金活動が活発化して、同じ年に開催されました第4回広島・長崎原爆都市青年交歓会において「毎年原爆記念日に原爆の羽根募金」と「4月に街頭募金を行うほか、知人・友人による募金を行い、救済資金にあてること」の2点が、原爆障害者救済の具体的方法として挙げられました。
 こうした世論の動きに応じて、昭和28年5月14日に「長崎市原爆障害者治療対策協議会」(略称:原対協)が発足し、市民に対する啓発活動に着手、原爆障害者の調査を開始いたしました。
 昭和28年6月23日には全国共同募金で原爆障害者治療費募集を決定、518万603円が寄せられました。しかし、原爆障害者の治療には巨額の費用を要し、一般寄付金や地方公共団体の財力ではいかんともし難いものがありました。
 昭和28年7月、長崎・広島両市長・両市議会議長は「原爆による障害に対する治療費援助」に関する請願を行いました。衆議院では8月3日、参議院では8月6日にそれぞれ採択をいただきました。
 更に、8月にはNHKが「全国たすけ合い運動」を展開、長崎に150万875円の配分を受けることができました。
 そして、昭和29年5月31日、長崎市議会は「原水爆製造並びに使用禁止と原爆障害者治療費全額国庫負担要望に関する決議」をなし、政府並びに国会に対して陳情を行いました。折しも同年3月1日、ビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸被災事件が起こり、広島・長崎の被爆は単なる過去の一偶発事では済まされないとの国民の関心が向いた時期でもありました。
 昭和29年10月の長崎・広島両市長による衆議院地方行政委員会での説明、また、同年11月25日からの「長崎・広島原爆資料公開展」の開催などがあり、昭和29年度に調査研究費で117万3,000円、翌30年度には治療費として413万円の国庫支出金が確定し、厚生省と長崎大学医学部附属病院との契約による調査並びに治療が開始されました。
 引き続き、昭和30年11月14日には長崎市長・市議会議長連名で「原爆障害治療費の国庫支出に関する陳情」を提出。そして、昭和30年12月20日、長崎市議会に「原爆障害者援護対策特別委員会」が設置され、昭和31年1月19日に政府・国会に陳情。更に、翌32年1月12日に広島・長崎両県選出国会議員、広島・長崎両県、及び広島・長崎両市は「原爆障害者の援護に関する陳情書」を国に提出。そして、その2か月後に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」、いわゆる原爆医療法が公布、同年4月1日施行となり、念願の「被爆者障害に対する治療費の国庫負担」が開始されました。「障害者」と書いてありますが「障害」に訂正をお願いします。
 この治療費の国庫負担こそが、言うまでもなく被爆者援護法第11条に規定されている医療の給付にほかなりません。
 長崎市では原爆医療法の成立を受け、民生部社会課庶務係において、小学校区単位で被爆者健康手帳交付申請の受付を開始するとともに、同じ年の昭和32年8月には第1回目の健康診断を開始しました。
 その後、昭和33年5月20日に「長崎原爆病院」を開設、被爆者の診療を開始するとともに、昭和33年9月20日には「財団法人長崎原子爆弾被爆者対策協議会」(原対協)が発足し、昭和36年2月から健康診断を開始しました。
 それでは、次の5ページの方をごらんください。しかしながら、原爆による家庭崩壊、親族の死亡、後遺症による就労困難等のため生活困窮者が多く、これら被爆者の生活援護が必要なことから、長崎市議会では昭和34年に「原爆被爆者の医療及び援護に関する意見書」を可決するとともに「原爆被災者援護に関する特別委員会」を設置しました。
 ここで済みません。4ページの方の一番下の●の方に一旦戻ってください。昭和35年には放射線を多量に浴びたと考えられる被爆者に対する一般疾病医療費を支給するために「特別被爆者」「一般被爆者」制度が設けられました。なお、この制度は昭和49年に1本化となり廃止されました。
 資料の5ページに戻りまして、上から3つ目の●になりますが、昭和35年に長崎県・市及び広島県・市はその年の国勢調査と同時に被爆状況等の実態把握のための調査を開始。「長崎県原爆被爆者実態調査結果表」「長崎市を主とする原爆被爆者実態調査の研究」を作成。昭和39年の衆・参両議院の「原爆被爆者援護強化決議案」の可決、昭和40年の国による「原子爆弾被爆者実態調査」、昭和42年3月22日の長崎市議会における「原子爆弾被爆者救援に関する請願」の採択と合わせて、昭和42年10月1日には、長崎市は長崎県の協力を得て「長崎市原子爆弾被爆者援護措置要綱」(法外援護)を制定。独自の援護措置の実施を開始しました。
 また、同じ年の昭和42年には「長崎原子爆弾被爆者援護強化対策協議会」(略称:原援協)、更に「広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会」(略称:八者協)が相次いで結成され、国に対して、被爆者に対する生活支援の要望を行っていきました。このような声の高まりを受けて「被爆者(特別被爆者)で原子爆弾の傷害作用の影響を受け、今なお特別の状態にあるものに対して手当を支給し、その福祉の向上を図る」ことを目的として「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」、通称原爆特別措置法が公布。昭和43年9月1日から施行されました。
 昭和43年度当時の手当受給者数は、被爆者数8万2,093人に対し3,993人。率にして4.86%となっており、長崎市独自の法外援護事業が、被爆者の生活支援の要であったことが語られています。
 その後、昭和45年に養護事業が開始、被爆者に対する援護施策が充実してきました。
 資料8ページの<別表2>に主な事業を掲載しておりますので御参照ください。
 これと並行して昭和49年、被爆後30年を迎える前年の5月、八者協は「被爆者年金の支給制度の創設等国家補償の精神に基づき、画期的な援護対策の確立」の要望を国等に行うほか、長崎市議会においても被爆者援護法制定に関する意見書及び決議が可決され、国等へ送付してきました。また、長崎における被爆地域が不均衡である旨の原爆被爆地域の拡大是正についても要望してまいりました。
 そのような結果、国の責任において原爆被爆者援護を行うこと、また、死没者の遺族である生存被爆者に対する給付金を支給することが規定された「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(略称:被爆者援護法)が公布。平成7年7月1日から施行され、現在に至っております。
 また、原爆被爆地域の拡大是正に関しましても、平成14年4月から被爆者援護法に基づく「第二種健康診断受診者証」交付事業、及び予算補助として「長崎被爆体験者支援事業(被爆体験者精神影響等調査研究事業)」が開始されました。
 以上、概略でありましたが、これで長崎市における原爆被爆者対策の概要についての説明を終わります。ありがとうございました。
○神野座長代理 どうもありがとうございました。
 議事運営の不手際から発表をせかせてしまいまして申し訳ありませんでした。
 それでは、委員の方々から御質問、御意見がございましたらちょうだいできればと思います。いかがでございましょうか。
 よろしいですかね。私の不手際で時間をオーバーをいたしておりますので、もしも何か御質問、御意見ございましたら事務局の方に御連絡いただいて、勿論皆様にも後日御報告申し上げますけれども、私の責任において対応させていただければと思います。よろしいでしょうか。
(「はい」と声あり)
○神野座長代理 それでは、飯冨様、光武様、どうもありがとうございました。
 次回以降の進め方でございますが、先ほども申し上げましたように、私が森座長のところにお伺いをいたしまして、御指示を仰いでまいりました。森座長のお考えというか、これも既に前回でもお話をいたしましたけれども、ヒアリングは一応一区切りにさせていただいて、今回で終わらせていただければと考えております。
 その上で、先ほどの森先生のごあいさつにもありましたように「知る」段階をそろそろまとめに入りたいというのが森座長のお考えでございます。「知る」段階というのは、繰り返すようですけれども、現状認識についてできるだけ委員の間で共有の基盤を持つような努力をしたいということでございます。
 次回、そろそろそういう最終的なまとめ段階に入りたいと森座長はお考えで、これまでそういうつもりでヒアリングなどを行ってきたわけですけれども、これまでで抜け落ちている点を補足していただいたり、先ほどの高橋先生のお話もそれに入るのかもしれませんが、可能な限り現状の全体像にできるだけ委員が近づけるように、原爆症認定審査の現状や司法判断の状況などについて、議論の材料となるような客観的なデータを事務局の方で準備していただきたい。それに基づいて、座長のお考えですので、委員会の方で議論をさせていただければと思います。
○田中委員 私は日本被団協の事務局長でもありますので、早くこの検討会の結論を出していただいた方がいいと思っているんですけれども、森先生がおっしゃっている「知る」段階は、これでいいのかという気もしないでもないんです。たくさんの情報をいただいたんですけれども、私たちがそれを十分理解できているかということについて若干疑問があるんですが、ほかの委員の先生方はいかがかということです。どういうふうにしたらいいかはわからないんですけれども。
○神野座長代理 今のお話はあれですね。次回で「知る」段階を終わりにしていいかというお話ですね。それは次回議論をさせていただいた上で判断させていただければと思っておりますが、森座長とも相談の上、次回で終わりということではなく、もう少し必要であれば。
 ただ、森座長のプランにも書いてございましたように、森座長のこの検討会の進行としては、次に「考える」段階。それから「つくる」段階があって、座長のお考えではそれでほぼ1年、及び1年半の中で、この検討会のミッションを全うしたいというお考えのようですので、当面、次回についてはまとめを想定したような形で入りますけれども、1回で終わるか2回で終わるかは座長と御相談、あるいは委員の皆様方の御意見を聞きながらということでよろしいでしょうか。
○田中委員 それとの関連ですけれども、先ほどの御意見は裁判の全体像をもう一度提案してくれないかという高橋先生の御要望だったと思うんですけれども、第1回の検討会のときにかなり詳細にといいますか、詳細でなかったかもしれませんが、事務局から説明がありましたね。それ以上のことを高橋先生は御期待していらっしゃるんですか。
○高橋滋委員 例がぱらぱらと出ているだけですので理由づけですとか、その辺に踏み込んだ資料も出していただければと思っております。
○神野座長代理 いずれにしても、森先生のお考えは極めて客観的に進めたいということですので、原爆症の審査や裁判の現状について、委員の認識は共有できる。そして、それが共通の土台をなるべく形成できるようにという意図の下に、客観的なデータを事務局の方では準備をしていただいて、今、お話しのように「知る」段階がまだ足りないということであれば、またそのときにお話しをして、段階を出していただければと思います。
 恐らく、ちょっと楽観的かもしれませんが、次回は森座長は復帰できると考えておりますので、次回は一応座長のお考えに従って準備をさせていただいて、今、出ました御意見なども直ちに私の方から、ちょっと病状や検査、さまざまな日程を配慮しながらお伺いして、お伝えして、次回は森座長の方から御処理をしていただければと思っております。よろしいですね。
○山崎委員 御発言があるようです。
○神野座長代理 坪井委員、どうぞ。
○坪井委員 一言だけ。
 私は勿論原爆症認定患者でありますので、皆さん方のお気持ちに随分感謝しながら聞いております。去年の菅さんとの対談でも、何とか被爆者のために頑張ってやりますということをどこでも聞くんです。ただ、遅いんです。何だかんだ言いながら、やっている間に皆死んでいくんです。
 ですから、今、そういうように、これからいよいよ詰めていこうということを聞きましたので期待しております。ありがとうございます。
 よろしくお願いします。
○神野座長代理 それでは、今、御提出していただいた意見を含めて座長にお伝えしますが、当面座長のお考えのような形で、次回は準備をさせていただければと思っております。
 それでは、時間をオーバーいたしました。重ね重ね、毎回毎回のことでございますが、座長代理で慣れないものですので、議事の運営につきまして皆様方に御迷惑おかけしたことを伏してお詫びを申し上げて終了させていただきたいと思いますが、事務局から補足すべきことがございましたら御連絡いただければと思います。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 次回の日程について御説明させていただきます。
 次回の第5回検討会ですが、7月15日の金曜日、15時から開催をさせていただきたいと思います。場所は今回と同じ厚生労働省9階省議室となります。どうぞよろしくお願いをいたします。
○神野座長代理 それでは、本日の検討会をこれで終了させていただきます。どうもありがとうございました。



(了)
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