ホーム> 政策について> 審議会・研究会等> 医薬・生活衛生局が実施する検討会等> 抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会> 第6回抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会議事録




2011年12月5日 第6回抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会 議事録

○日時

平成23年12月5日(月) 18時00分~20時00分


○場所

厚生労働省18階 専用第22会議室
東京都千代田区霞が関1-2-2 中央合同庁舎5号館


○議題

○森嶌座長 定刻になりましたので、ただいまから「第6回抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会」を開催させていただきます。
皆様には、お忙しい中を御出席いただきまして、ありがとうございます。本日は、残念ながら、中村委員と長谷川委員が御都合がつかないということでございまして、御欠席ということになっております。
 本日は、前回に引き続きまして論点につきまして議論を行いまして、考え方を整理してまいりたいと思っております。
 議事に入ります前に、資料の確認をお願いいたします。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 お手元の資料をごらんいただきますと、まず議事次第、名簿、座席表の次に、資料1「今回特に議論していただきたい事項」として、森嶌先生の方から論点について追記等をいただいております。
それから、資料2として、第5回の検討会での意見の要約を事務局でつくりましたけれども、これは本日は説明を省略させていただきます。
それから、資料3から14までで各委員の御意見をいただいております。そのほか、参考資料として、第5回の検討会資料ですけれども、今までのヒアリング等の要約をつけております。不足等がございましたら、お知らせください。
○森嶌座長 よろしゅうございますしょうか。
 それでは、議事に入らせていただきます。今、事務局の方から御説明がありましたように、前回、私の方から、検討会で議論をしなければならない点がたくさんあるけれども、特にこういう点をまず議論をしていただきたいということで、11月18日付で、ここでは参考ということになっておりますけれども、「今回特に議論していただきたい事項」ということで出しておりまして、それを基に前回御議論をいただきました。そして、この順番で一応議論をしてみたいがということでも議論をいただきました。そして、前回議論をしていただきたい事項ということで御議論をいただき、またそれまでにいただいた御議論などもいただきながら、今回も入れてあと2回ぐらいで中間報告を、結論が出るということはどうも無理のようであるけれども、ある方向でのとりまとめをしたいということで、それに向けて今回12月5日、今日の日付でありますけれども、今日の議論をするための論点をとりまとめさせていただきました。
順番も、前回いろいろ御議論をいただきましたけれども、制度設計上の問題、言わば救済制度をつくる場合の前提問題をまず議論をすると。ほかの問題が入っても構わないんですけれども、まずそれを議論して、それからこの制度ができたときにどういうインパクトが出てくるであろうかということについて議論をするというようなやり方でやってみたいということで御了承をいただいたように思います。
そして、また時間が非常に限られているものですから、そこで委員の皆様に宿題といいましょうか、是非、意見書といいましょうか、コメント、メモを出していただきたいとお願いをしまして、前回までの分も含めて今日資料としてそれぞれの先生方、これは全員の先生方の資料で、資料の3以降の意見書がそろって出ております。
 そこで、今日の議論の進め方でございますけれども、前回、私はスケジュールを見損なって大分時間が延長してしまいましたけれども、今日は2時間で終わらせたいと思いますが、皆さんの御意見を伺っておかないと、あと2回でまとめるというわけにはまいりません。しかも、事務局の都合から言いますと、できるだけ今回ワンラウンドをしておいて、きちっと詰まっていないところを27日に詰めて、それで報告書をとりまとめるという段取りを考えておりますので、今日は資料1にあります項目に従って、それぞれ御意見を出していただいたものを、繰り返すというよりも、そこでのポイントについて御意見をいただきたい。あるいは、この御意見の中に触れられなかった点で、それぞれの論点についてそれぞれの御意見、特にこの点についてはお考えがないということであればそれも構いませんけれども、やはりすべての委員の意向を反映したものでやりたいと思いますので、御意見を述べていただきたいと思います。
 やり方としましては、多少全体とはトーンの違った、ないしは意見としては特記すべき意見を出していただいた方に、まず私の方から、恣意的ではありますけれども、ピックアップをしまして、その方に簡単にこの点についてはどうだということを言っていただいて、そしてそれをざっと回していきますので、皆さんの方でこれについてはこうだというようなことを述べていただきたいと思います。
 例えば、最初の制度設計の1については、藤村先生とか山口先生が法律家でありますから、私も法律家でありますけれども、一般の人から見るとやや受け入れがたいかもしれないような御意見ですので、それを述べていただいて、ほかの委員の方々から、それは制度上仕方がないとか、それはこうだという御意見があるかもしれませんので、できるだけワンラウンドしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
それでは、制度設計上の問題で、制度適用上の対象としてすべての抗がん剤を対象とするという場合に、例えば末期がんの患者を対象とした場合に、この間議論がありましたけれども、もう予期される生命が少ないというような患者と、このまま治癒すれば平均余命があったであろう患者の死亡について同じような救済とする、同じ救済内容で救済制度として、生命の尊さは同じでありますけれども、救済制度として見た場合にそれを同じように考えていいだろうかと。問題提起としては私の議論していただきたい事項の中に書いてございますけれども、それについて山口委員と藤村委員の方から、私の感じではほかの方はやや違う感触をお持ちではないかと思いますので、御意見をいただければと思います。
 それでは、山口委員の方からお願いします。資料がありますので、ほかの方も見ていただければと思います。
○山口委員 私の意見は、ここのメモに書きましたように、考え方としては2つあり得るんだろうと思いました。通常の医薬品と同じように考えられるものも最近増えてきているということですので、そういったものについてであれば、通常の医薬品と同様にという形で、給付水準等も全く同じような形でということでやるということが一つはあり得るんだろうと思うんですけれども、お話を伺っておりますと、そこの区別が非常に難しいというふうなことでもあると。
 それから、この議論といったものの出発点としても、抗がん剤といったものを除外してという形で外されているということではあるんだけれども、特にイレッサ訴訟等を通じて、そうはいっても受け入れがたい突然の死亡というふうな予期せぬ死といったものがある、そういったことが一つの出発点になっているということであるとすると、そこを入れるということも勿論制度の設計としてはあり得るのではないかということです。むしろ、そこで区別をしないということの方がわかりやすいということにはなるのではないかということになります。
 ただ、私の前提としましては、そういうふうに区別しないんだけれども、一方で給付水準については今までと同様に考えるべきかといった点については、少し検討すべきではないかということです。
 ですので、これは別に給付水準を下げるから全部入れろということではなくて、全部入れるということになると、どうしても進行がんといった場合も入ってくるということになると、そこでどういった利益が失われたのかと。これは、齊藤委員が最初の段階でも御指摘いただいたところですので、やはりそこのところについては真剣に考えなければいけないだろうと思っておりまして、そうすると、現行と同じ給付水準でということにはならないのではないか、そういった意見ということになります。
 ただ、それでもこの枠組みに入れることによって、再発防止とか、そういったところにつなげていくといった点は重要であるということですので、やはり入れていくべきではないかという意見をここのところに書かせていただいた次第です。
 以上です。
○森嶌座長 それでは、藤村委員、どうぞ。
○藤村委員 全救済の対象をどうみるかの点に限って申し上げます。切り口はいろいろあろうかと思うんですけれども、法律家というか、私は弁護士の肩書で出ておりますが、実際には裁判官としてずっとやってきておりまして、医療制度の事件に限らずいろいろな事件に関与してきましたことを踏まえて判断しますと、本件のこの検討委員会で討議している対象が、非常に短い間の時限立法的な制度ではなくて、将来を見越した公的な救済制度であるということになりますと、これはやはり制度を根拠づける正当性がないと維持はできない。その正当性の根拠というのは何であろうかというと、結局、突き詰めると、何を救済するのか、どのような法益を侵害したところに対して公的制度による救済をするのか、それならば社会全体から承認が得られる法益は何であるかということをもう少し詰めてみる必要があるのではないかなと思います。
 例えば、予防接種法ですと、これはだいぶ古い救済法ですけれども、これは社会防衛ということから特別な犠牲を生じた者に対して救済を図る。つまり、多くの人が予防接種によって伝染病等の被害にかからないで済んで健康な社会生活を営んでいくことができるわけですが、その多くの人の健康確保は犠牲になっているんだという考え方から来るわけで、それはだれもが納得するわけですね。つまり、今後、社会情勢が変化していく中で、救済制度を立ち上げ、支持を得ていくということになれば、将来を見越して、その根拠となるものを明確にしておく必要があるだろうということです。そのことをきちんと詰めることによって、がん医療全体、因果関係、適正使用等ほかの問題点についてもかなり整理ができていくだろうと私は思うんですね。
○森嶌座長 最初の点、これは実はほかのにも全部かかわってくるんですけれども、一応そこで、
 割合北澤さんがこの点を少し書いておられると思うんですけれども、いかがでしょうか。あるいは、ずっと回しましょうか。何とか信仰告白させるみたいな感じがしないでもないんですけれども。
○北澤委員 私の意見はここのメモに出したとおりです。この議論の出発点として、薬害再発防止のための行政の見直しについてというところで抗がん剤の取扱いについても言及されているということがあって、それ自体はやはり軽々しく扱えないものだと思っています。
ただ、今までの議論を通じていろいろ難しい面があるということもわかりましたので、私は、どうすればできるのか、そのやり方をもう少し考えていくことはできないかと思っています。それが、いつになったらそこまで行けるかどうかというのはわからないんですけれども。そういうことでよろしいのでしょうか。
○森嶌座長 倉田委員、今の山口委員、藤村委員の御意見に対してというか、御自分の御意見で何かありますか。この制度は何を救うものなのか。あるいは、どういうやり方、例えば救済制度に差をつけるとか、いろいろあり得ると思うんですけれども。
○倉田委員 どなたかの御意見だったと思うんですが、がんのステージが若くて最初の標準治療でも助かるような方を対象にするならば、因果関係や適正使用などもわかりやすいので、そういう方たちを対象にしてみるというのも一つの方法かというのをお書きになっていらした方があったと思うんですが、うーんとうなってしまいました。
 というのは、私の印象としては、救済制度はむしろ末期の患者さんの救済ができればいいのにと思っていたものですから、これは感情的なものなのかもしれませんが、初期の最近治療薬でとてもよく効くものがある、でもひょっとしてその副作用で重篤なものが出て亡くなる方も中にはある、そういう方だったら救えるのではないかという、その一つの方法として出てきたものはわかりますが、最初の私の気持ちからはちょっとそれは離れているように思いました。
○森嶌座長 齊藤委員、経済学者としていかがでしょうか。
○齊藤委員 藤村先生の御提案ですが、やはり議論した方がいいような気がします。この被害の救済の仕組みが出たのはイレッサ等の実際の事件が起きてしまったことなんですけれども、そうしたことを考えたときに、参考人として来られた様々な方の御意見をお伺いしていると、そもそも制度自体の導入に対する不安感みたいなことを強調された方がほとんどで、制度の必然性を議論された方はイレッサの薬害にかかわっておられる方だけだったというふうに私は思っています。
 そういうことを考えると、細かいいろいろな議論の論点もあるんでしょうけれども、細かいところに入る前に、果たして本当にこういうところに踏み込むことで、我々の社会が求めていることはがんの治療体制の安全性を高めていく社会を実現していく、がんの治療の技術が進展をしていく社会をつくっていくための様々な諸制度だと思うんですけれども、参考人の先生方が御懸念されていたことは、もしかしたらがんの治療の妨げになってしまうのではないかという印象を持ったので、そもそも抗がん剤を対象とするということ自体を私は今の段階では非常に躊躇しています。
 以上です。
○森嶌座長 お医者さんでない中田先生、いかがでしょうか。
○中田委員 この検討会の委員の先生は座長を含めて全部で13人おられます。提出された意見をざっと見まして、この先生はどっちかというと制度をつくるのに賛成か反対かということで分けてみましたら、賛成の先生が6人で、反対の先生が7人ということで、非常に拮抗しているような感じでございました。
 ただ、出口から考えるというか、報告書を考えてみますと、恐らく制度を全くつくらないということはこの検討会としては出しにくいのではないかと思いますし、逆に全部カバーした、今と同じような制度を新しくつくるというのも恐らくないだろう。恐らくゼロも100もないだろうというふうに思います。
そうすると、ゼロと100の間のどの辺がよいかというような話なのかなという感じがするのですが、いずれにしても、ここまで検討したという証拠が恐らく必要だろうと思いますし、それによって納得させるということがないだめだという感じがいたします。
個別に検討したらいいのではないかというのが私の意見です。全体でやると、がん自体がいろいろ違うし、抗がん剤も効くもの効かないものとどうもいろいろあるようですし、使われ方もいろいろあるようなので、一遍に議論していると難しいところだけ出て、どうしてもこの制度をつくるのが難しいというふうに向きがちな気がいたしまして、個別に検討されてはどうかというのが私の意見です。
それで、個別に検討する場合、前にどなたか先生がおっしゃっていましたが、抗がん剤と、がん種とか、がんのステージとか、そういったものとクロスしたような表上でそれぞれのセルについて検討するようなことになろうかと思うのですが、これはがんの方からやると、どのぐらいの範囲で分けたらいいとか、なかなかそれが難しいので、薬の方から、この薬についてどうなのかというふうにやられたらいいのではないかと思います。
私の意見は資料13ですが、そういうふうにしますと、現在の制度で抗がん剤として適用除外になっている品目は126しかないということですので、検討対象というのが非常に限定される、非常に明確になるということがございますし、ここで126について個別に検討すれば、それによってその結果を直接救済制度にも利用できるだろうということがございます。
そういうことをして、その126品目のうち、救済制度になじみそうなもの、あるいはこれは全く難しいだろうというもの、あるいはその間にあるものというふうに3つぐらいに分けることができれば、救済制度そのものについてもイメージももう少し具体化されてきていいのではないかということです。
そういうことで、基本的には100もゼロもないし、その間だろうけれども、間のどの辺にいくかというのを検討するためには、個別の抗がん剤それぞれについて一つずつ検討するのがいいのではないかというのが私の基本的な考え方であります。
○森嶌座長 13人の委員を7対6に分けられた基準というのは私はちょっとよくわかりませんけれども、それはそれとして、今の御意見は現在の制度を前提として、その意味では先ほどから出ている、私も含めて藤村先生、山口先生が、もしも副作用がなければ平均余命を全うしたであろうという患者に対する救済制度というものを前提とする。したがって、抗がん剤の場合に126の適用除外の一つひとつを検討して、それを拡大してもいいかどうか。つまり、現行の救済制度を理念的にも前提として、それを拡大できるかどうかと。今の制度ですと、ホルモン治療なんかに使われているようなものに少しずつ拡張しているわけですけれども、そういうものとして拡大できるかどうかというお考えですね。
○中田委員 基本的にはそうです。
○森嶌座長 わかりました。
○中田委員 よろしいでしょうか。ちょっと付け足しますと、それをやると、現在の状況だと、非常によく効く抗がん剤というのは必ずしも多くないというようなことがありまして、すごく限定された、ある意味で非常に小さなものになる可能性が高いと思うのです。
ただ、恐らく現在ある抗がん剤が将来改善されることもあるでしょうし、あるいは新しい抗がん剤が出てくるということがあると思いますので、そうした中で1個ずつそういったものも同じように検討していって、その範囲を広げていくということができるだろうということで、一遍に全部制度をつくるというのではなくて、ある意味では少し小さいものでもつくって、徐々にその中で検討してはどうだろうか、そういう考え方でございます。
○森嶌座長 本田委員、いかがでしょうか。
○本田委員 一番最初のところですよね。
○森嶌座長 ほかに絡んでもいいですけれども、一番最初のところで。
○本田委員 私自身はなかなか難しいなという印象は持っているんですけれども、きっちり議論していくということには賛成です。その中で、先ほど藤村委員がおっしゃっていましたけれども、こういう制度をつくる際に、一体社会正義は何かというところを説明できないような制度は多分続かないというか、受け入れられるものだろうかという疑問があります。そういう意味では、一体何を補償するのかというのが整理できていないというか、私には今のところ全く見えていないというのがあります。
 今のもともとある制度は、予期せぬ副作用が残念ながら出てしまった場合に、それは医療者のミスでもだれのミスでもないという場合に補償しましょうという制度だと思うんですけれども、抗がん剤の場合、予期せぬ副作用というのは、もともと予期されていっぱい書いてあるわけですので、そういう中でどういうふうに考えていくのかとか、その辺をきっちり詰めて世の中に説明できないと、患者さんにも、医療者にも、国民、お金を払う人、だれが払うことになるかわかりませんけれども、納得がいかないと思います。やはりそういうことをちゃんと考えた上で、これを補償するためにはどういう制度であるべきなのか、補償するものは何もないのかとか、その辺はある程度見極めないといけないのかなと思いました。
○森嶌座長 今日、医学関係の先生方はお2人御欠席ですけれども、祖父江先生はこの点をはっきり書いておられて、檀先生と遠藤先生はこの第1点については必ずしも明確に御意見を今まで出しておられないんですけれども、祖父江先生、お願いします。
○祖父江委員 制度自体の目的という。
○森嶌座長 「仮に」と書いておられて、仮にでも入れるとすると。資料7の一番最初。これは給付の内容の話ですけれども、実は何を対象として救済をするかということにかかわってくることになりますけれども。
○祖父江委員 ですから、従来の一般薬に対する救済制度からの類推というか、アナロジーでいけば、予期せぬ副作用、重篤な障害が起こる、それを区別していくためには、もともと重篤なイベントが起こる頻度が高いような患者さんでは難しい。やはりステージの軽い副作用の余りない薬が使われた場合について、一般薬と同じような救済制度を設けるというのが、恐らく個々の事例を判断する場合でもやりやすいと思います。
 ただ、そうすると、がん患者さん全体から見ると、ものすごく小さなところを救済するようなことになり、救済制度としてはそれでもいいのかもしれませんけれども、がん患者さんに対する対応、がん対策という意味からいくと、ちょっといびつな、本来の目的をきちんと達成していないのではないかというようなことを思ったりします。
 がんの患者さん、特に若い患者さんがなった場合、がん自体が重篤なので、それを放っておいて、副作用があるなしで救済の対象を決めるというのはどうもそぐわないというか、若い働き盛りのがん患者さんに関しては、副作用のあるなしにかかわらず救済の制度というのがあってもいいのではないか。
 一方で、予期しないということ、それはやはり何とか改善しないといけないことであって、予期しないイベントというのをきちんと正確にデータを集めるということで、できるだけ頻度を正確に測って、予期できる、きちんと添付文書に書くということができるようにすべきですし、それをきちんと患者さんがわかるように説明するという仕組みもまた必要だと思います。そういうことをすることで、予期しないイベントが起こるというようなことをできるだけ下げていく方策をもう一方でとり、救済というものは副作用のあるなしではなくて、がん患者さん全体に対して目配りするような仕組みの方が本来の目的に沿ったものではないかと思います。
○森嶌座長 これはその後の議論ともかかわってくるわけですけれども、そうすると、必ずしも抗がん剤でなくても、治療の問題も含めて、がん患者に対するがん治療全体の救済制度というようなことをお考えなんでしょうか。
○祖父江委員 そうした方が、要は副作用のあるなしだけで救済の対象を決めるというのは全体から見ると非常に小さな問題なので、制度的に非常に狭い片手落ちの制度になるのではないかと思っています。
○森嶌座長 この点も含めて、檀先生も似たようなことをおっしゃっているような気もするんですけれども、いかがでしょうか。
○檀委員 生命期待利益とか生命期待権侵害、こういう法律の専門の先生方がおっしゃる言葉は理解がなかなか難しいので、その辺に関しては特に意見があるわけではないのですけれども、今の部分で言っておきたいのは、この制度の対象とする抗がん剤を一部分だけにするか、分けるかどうかということに関しては、それはもともと今までの現行の一般薬品とは別の救済制度をつくるということで検討が始まったわけですから、最初から新たな救済制度の対象とする抗がん剤の中でも分けてしまうというのは、理屈として合わないような気がします。それから、実際問題としても、この薬は対象、この薬は対象でないという医学的な根拠がなかなか難しくて、不可能ではないかなと思います。
 もしも分けるとすれば、大まかに言って、現在のがん医療に使っている抗がん剤は、従来の細胞毒性を主な特徴とする抗がん剤、古い抗がん剤と、盛んに今出始めているのはほとんどが分子標的薬ですけれども、その2つのどちらかにするかぐらいの分け方しか、分けるという点からは可能ではないと思います。
 それから、もう一つ出ていた、がんのステージによって分けるかどうかということですが、これは先ほどの難しい言葉、生命期待利益とか、その辺と関係するのかもしれませんが、実際、これも医学的には臨床の場から言うと、分けるのは困難だろうと思います。初発の患者さんならば、ここに書いてあるのは生命期待予後があるので対象になり得るのではないかとありますが、実は初発の患者さんでも、同じ病気、同じがん種であっても、極めて治りやすいタイプと、最初から期待できないというのがあるわけですから、その辺も初期と末期だけで分けるという単純な分け方はできませんし、特に中間ぐらいのものになると、これはどっちに分けたらいいか、それはもうほとんど不可能ではないかなと思います。
 もう一つは、対象とする副作用ですけれども、現行の制度は予期せぬといいますか、そういう副作用を対象とはしていますけれども、もともと今の制度でも、薬による副作用であると判定するのはほとんどは添付文書に書かれている副作用名があるかどうかということを重要視していますので、予期せぬわけではないんですよね。報告はちゃんとあって、非常に頻度が低い。
例えば、甲状腺の薬を使っていて、本来の作用とは違う無顆粒球症になったり、劇症肝炎になったりしますけれども、非常に低い頻度で、そういうものを対象としているわけですから、抗がん剤の救済制度ができたとして、対象とするときの副作用も、やはり予期せぬではなくて、その抗がん剤の添付文書にはちゃんと記載はあると。例えば、イレッサの間質性肺炎とかがありますけれども、頻度はほかの副作用に比べれば低い。そういうものを対象とするということしか方法はないと思いますので、全く完全な意味での予期せぬ副作用ではないと思います。
 ですから、本来の抗がん剤の働きとは全く違う有害事象が出てきたときに、それを救済するかどうかということを考えるべきだろうと思います。本来抗がん剤が持っている効果、白血球が減ってしまう、血小板が減ってしまう、髪の毛がみんな抜けてしまう、げえげえ吐く、そういうようなものはもともとの抗がん剤の作用、有効な作用そのものでもあるわけですから、そういうものは初めから対象にはしない。そうではなくて、もともとの作用ではないけれども、すごいアナフィラキシーショックが起きて死んでしまうとか、そういうような重篤な、それこそ死亡に近いような重篤な副作用が出た、そういう副作用だけを対象とするというようなことしかやりようがないように思うんですね。
 それであれば、逆に言うと、抗がん剤はほとんど100%の人に副作用は出てしまうので、こんな制度は成り立たないんだろうという話がたくさん出ていましたけれども、実はそういうような副作用だけを対象とした制度にすれば、頻度はそんなに多くないと思うんですね。現行の副作用の救済制度で拾い上げている医薬品の頻度と、それより勿論多少高いとは思いますけれども、そんなにめちゃくちゃにほとんどの人が引っかかるとか、そんなものではありませんので、そういうふうにしないと制度自体が成り立たないのではないかなと思います。
○森嶌座長 今の点について、先ほど祖父江先生が言われたのと少し違う点もあるんですけれども、今の檀先生の言われた点で、祖父江先生、いかがですか。制度をつくるとすれば、本来というか、その抗がん剤が持っている副作用を除く重篤な作用について、それを補償するような制度ということで。そうすると、例えば適正使用とか何とか、それもまた入るかと思うけれども、そこはちょっと除きますが、制度の対象の考え方ですけれども、それについてはいかがですか。
○祖父江委員 ですから、重篤なイベントというのが死亡であるとした場合、死亡に至る原因が恐らく幾つかあるんだと思うんですよね。それの中で副作用が占める割合というようなものを判断して、それが主な原因として死に至ったというようなことを、背景として非常にリスクの高い患者さんに対してきちんと副作用でもって死亡されましたというようなことを判断するのは結構難しい。
○森嶌座長 これはこの後の問題にもかかわりますけれども。
○祖父江委員 結局、そういうことが適切に判断できるのは比較的早期の軽い方で予期せぬイベントが起こって、本来亡くなるべきではないところで死亡というイベントが生じたというようなところに限らないと、このことでこれが因果関係ありでこのようなことになったということを個々の例について判断するのは結構難しいと思います。
 ある特定の抗がん剤について非常に特異的な副作用が起きて、それによって死に至るということもあるとは思いますけれども、そういう明らかな例についてはいいですけれども、やはり判断の難しい例というのが背後にいっぱいあるのではないかと思います。
○森嶌座長 どうぞ。
○藤村委員 檀先生に教えてもらいたいんですけれども、前からよく出ている分子標的剤という新しい薬はがんに対する薬効の機序自体が変わったんですか。つまり、がん細胞の異常な増殖を抑えていくという、それ自体が違うんですか。
○檀委員 対象とする細胞が違うんですね。従来のほとんどの抗がん剤は、がん細胞だけではなくてすべての細胞を対象としています。
○藤村委員 がん細胞だけをターゲットにするという、それが違うと。
○檀委員 それが、現在の分子標的薬はがん細胞だけが持っている抗原をたたこうということで出てきているので、従来のほとんどの抗がん剤で100%出るような副作用は出にくい。ですけれども、機序が100%解明されているわけではないところが結構あるので、がん細胞だけをたたいてくれればそれは理想なんですけれども、それ以外の例えば発熱があるとか、消化器症状が出るとか、倦怠感が出るとか、そんな理由のわからないような副作用も出ることは出ます。ですけれども、メーンはがん細胞だけをやっつけろという薬が分子標的薬です。
○藤村委員 それはがん種によって違うということですか。
○檀委員 そういうことですね。がんによって持っている抗原がみんな違いますから、この分子標的薬はあるB細胞だけをやっつける、この分子標的薬は乳がん細胞だけをやっつけるとか、そういうふうに対象が違うわけですね。
○藤村委員 そうしますと、意見書にもちょっと書いたんですけれども、話をちょっと飛ばして、先ほど意見も出ていますけれども、現行制度と対比して、それと同じような働き、副作用の発生、そういう極めて類似、あるいは同質の抗がん剤というのを抽出することは可能なんですか。そもそもそういう発想自体がおかしいですかね。
○檀委員 副作用の面から同じ種類のものを抽出するという意味でしょうか。
○藤村委員 平たく言えば、やり方として、アプローチの仕方として、現行制度上のものと同じような抗がん剤というのがあるならば、それは現行制度があるんだから、それと同じようにならえでいいではないかということになるわけですよね。そんなことが抗がん剤別に、がん種別に分析して出せるものかどうなのかということなんですよね。意味があるのかどうか。
○檀委員 それは、もし可能なら現行の制度に入れてしまったらという意味でしょうか。
○藤村委員 現行制度に入れないで全く別に立てるとなると、またもう一つ違う問題が出てくると思うので、一応現行の制度の中にならえということで入れるということをまず考えないといけないのではないかなと思うんですね。
○檀委員 現行の制度に入れること自体は絶対無理だと思います。
○藤村委員 わかりました。そういう疑問があるものですから、あえて。
○齊藤委員 檀先生に。先ほど、予期せぬ副作用の範囲ということですけれども、例えば具体的にイレッサを投与して間質性肺炎で亡くなった場合というのは、これは副作用というふうに考えるんですか。
○檀委員 当然そうだと思いますね。イレッサは肺がん細胞が持っている抗原をやっつける、それを主な作用とする分子標的薬ですから、それとは全く違う、もっとも間質性肺炎が出てくる正確な機序というのはどこまでわかっているかわかりませんけれども、本来の作用とは全く違うものが出てきた場合ですから。でも、予期せぬ副作用ではないわけですね。添付文書に書いてありますから。そういうようなものを対象としてはということです。
○森嶌座長 遠藤先生、ここで私の出した論点の1の(1)の?をまず中心にして、今、祖父江先生、檀先生が少し別のところというか、全体をカバーしておられますけれども、一応?を中心にしながらコメントしていただけないでしょうか。
○遠藤委員 私は、救済制度をつくるということは、今のがん医療、これからもそうですけれども、がん治療に影響のない制度というか、がん治療をゆがめてしまうような制度は絶対つくってはいけないと思っています。救済制度をつくるのであれば、やはり実際のがん治療をしている患者さんにとっても優れた制度にしなければいけないと思います。
現行の救済制度というのは、副作用が起きる確率が非常に少なくて、患者さんを治療していて、副作用で亡くなっても補償する制度があるという、治療する側にもされる側にも、安心感があるというわけではないですが、万が一そうなっても、ある程度一定の補償があるという制度なんですね。
 今回、抗がん剤を全部対象に救済制度をつくろうとすると、今の制度と同じようにするためにはものすごく無理があって、後々出てきますけれども、適正使用などでもゆがんだ制度になってしまうので、すごく難しいと思います。
 では、抗がん剤だけの制度をつくろうとすると、今の医薬品の救済制度というのはあくまでも医薬品だけに着目した制度なのですね。抗がん剤だけで制度をつくろうとすると、医薬品と、その患者さんの状態も把握した上での救済制度が必要になります。がん種だとか、ステージだとか、そういう話になってきますから、薬だけで、この薬で副作用が起きて亡くなったら救済するというはっきりした制度には多分なり得ないと思います。
そうすると、このがん種で、このステージで、この薬を使ったときに、救済をするということになれば、先ほど言ったように、今のがん治療に影響を与えるのではないかと私は考えます。今の抗がん剤の奏功率、治療の効果が30%とか、40%とか、非常に低い状態で一生懸命工夫しながらやっている状況で、この中に救済制度をつくってしまうのは今時期が早いのではないかと思います。抗がん剤の治療効果が高くなって、副作用のメカニズムや治療のメカニズムがもっとわかった段階でつくってもおかしくないと思います。私は4番目にも書かせてもらいましたが、今のがん治療をできるだけきちっと患者さんに説明をし、万が一副作用が出ても、できるだけ早期に対策をとれるような、医療体制を充実するようなことに力を注いだ方がいいのではないかと思っています。
○森嶌座長 ありがとうございました。私は理屈の上から見て、1の論点の中の(1)から始めたんですけれども、特に医学関係の先生方は(2)、(3)も含めてお話をされましたが、これはある意味では当然のことなんですけれども、今まで御発言になった方の中で、更に(2)、(3)、つまり一部の抗がん剤だけ、これはさっき中田先生もおっしゃいましたけれども、126の中のこれだけを入れるとか、あるいはある種の抗がん剤を入れるとか、それから一応抗がん剤なんだけれども、ステージで分けるとか、そういうような考え方について、どういうふうにお考えでしょうか。
一応現行の制度を前提にしながら、現行制度をある程度、一部の抗がん剤に広げる、あるいはあるステージのところまでは広げるということについてはいかがでしょうか。
医学関係の先生は、今日はお休みの先生がおられますけれども、必ずしもそれでは無理だ、別の制度ないしは現段階ではちょっと無理という御意見だと思いますけれども、何か。どうぞ。
○本田委員 一部の抗がん剤だけとか、抗がん剤の投与時期を区別するというのは、私自身患者としての経験とか、患者さんたちへの取材の経験とか、医療者への取材の経験とかから考えて、かなり無理があると思います。
 一部の抗がん剤だけを対象にするといっても、多剤を併用していて、いろいろな組み合わせがどんどん日進月歩で出てくる中で、それは機能するのかなというのが、なかなか複雑になっていくと思いますし、私は当初は素人考えで抗がん剤の投与時期によって分けられるのかもしれないというふうにも思っていたんですけれども、それは例えば乳がんのように割と生存期間も長くてわかりやすいのではないかと思っていたんですけれども、ヒアリングの結果、識者の先生方は臨床現場で端的に分けることは難しいということをおっしゃっておられましたし、あと、固形がんではないがんはステージによってといっても、なかなか難しいのではないのかなという現実があるので、やはりそれは難しいのではないかというのが私の感想です。
○森嶌座長 ほかに。どうぞ。
○祖父江委員 ステージの軽いがんに限るということが想定されますけれども、一方で抗がん剤というのは全身投与ですから、期待するところは比較的病気の進行した人に対しての治療であるわけで、上皮内がんに限るとか、そんなことをしてしまうと、ほとんど抗がん剤は使われない領域になってしまうので、何となく矛盾があって、抗がん剤ということをターゲットにする限りはある程度ステージを広めにとらないといけないんだけれども、そうすることでまたイベントの発生頻度が高くなるので区別がしにくいというところで、かなり無理があるのかなと思います。
○森嶌座長 また、さっきの(1)、一体何を救済する制度なのかという問題にまた戻ってくるわけですね。どうぞ。
○藤村委員 まさにそう言おうと思っていたんですけれども、結局、例えば一部だけとか、投与時期にとか、いろいろことで分けるにしても、最初に申し上げたように、そういう制度が支持されるためには、なるほどという根拠がなければいけないんですけれども、どうしたってそれは納得されないと思うんですね。
例えば、私は素人考えであれなんですけれども、高齢者になるほどがんの発生率がずっと高いということになれば、高齢者の人たちが当然その対象になる数が増えるわけですけれども、それは財政的にやっていけないからということで70歳以上はカットするとか、65歳以上は半額にするとか、こういうことをやらない限りは、判定の手続がものすごく大変なことになるのではないかと思うんですね。だけど、さっき言ったように、年齢で分けるとか、そんなことが日本の社会で受け入れられるかというと、到底無理だと思うんですね。
では、若い世代とか、一家の支えになっている大黒柱が倒れたという場合にはということになれば、それは本当に悲惨な状況になるわけですけれども、それを抗がん剤副作用の救済制度という中で解決すべき問題だろうかという疑問が当然出てくる。それはもっと別の観点から考えなければいけない問題なのではないか。それと同じような困窮状況に陥ってるの人はたくさんいらっしゃるわけだから。
そうなると、一体どういうふうにして制度が支持されるのかということになるわけですね。結局、最初に申し上げたように、何を救済するのかということをぎりぎりと詰めるということも、それだけやですべて解決するというわけではないですけれども、常に頭に置いておかないと答えが出ないのではないかなと思うんですね。
とりあえずやってみて、抗がん剤の進歩、効果の機序の解明等が判明するごとに適用基準を変えていくということで始めるというのも一つの方法かもしれないですけれども、それもまた今度は不服がある人が不服申立をして訴訟になってきてということが当然考えられるわけですから、これもちょっと現実的ではないのではないかなと思うんですね。
だから、やはり常に何を救済の対象にするのか、その救済の対象を一体どういう形で目的を果たせばいいのかということを考えていくべきかなと思います。
○森嶌座長 山口委員、どうぞ。
○山口委員 救済の対象ということが、何の法益を侵害しているのかというような、そういった問題といったものがここのところできっちりと議論されなければいけないんだろうと思います。
これにつきましては、ただ、医療事故裁判なんかにおきましても、特に末期のがんの患者に対する医療ミス等についての法益といったものを、どういった法益が侵害されたかといったことについての議論の積み重ねといったものはあるところかなというふうに私は認識しておりまして、意見書の中に書かせていただきました平成11年の判決といったものも、これはいわゆる逸失利益、稼働による経済的利益といったものは認めていないけれども、やはり死亡との因果関係といったものは認めている。
ですので、末期の患者であろうとも、その時点において、もっと長く生きられたにもかかわらずそれが短くなったということは、それはやはり死亡との因果関係があるんだということになるといった論理ですので、そこのところで、事実としての死亡、そういった法益を侵害したということはこの副作用の場合においてもあり得るところなんだろうなというふうには私は考えております。それを金銭的にどういうふうに評価していくのかというのは、また別の問題であろうかと思います。
 以上です。
○藤村委員 同じく救済といっても、薬害救済制度と訴訟による救済とでは全く質が違うわけですね。例えば、医療訴訟の一般論ですが、乳児とか幼児が医療過誤で亡くなりますね。あるいは、ものすごく重篤な疾患が残る。そういうときに、どう考えても医療行為として違法だという認定をするのは難しい、困難である。判決をすれば棄却になるという場合に、多く和解を勧告するわけですね。
そのときに、医師なり、医療機関側なりがどういう根拠で和解金の支払を納得するかということは非常に難しいわけですけれども、例えば、その乳児なり、幼児なりも何か社会に貢献しただろうと。それは、その段階で亡くなったことによって、あなたのところの医療機関に得るところがあったのではないですか、その分の対価を和解金としてお払いになったらいかがですかというのは割と受け入れられやすい。そういう形で和解が成立したことは何例もあります。
 しかし、それは訴訟における個別の救済であるから許されるのであって、そのような個別の当事者間の民度による解決方法を補償制度の中にそのまま持ち込むのは無理だと思うんですよ。補償制度というからには、その薬を使うことによってたくさんの利益が出ている、そのこととのバランスを考えなければいけないので、特別犠牲というのは極端かもしれませんけれども、多くの社会全体の利益のためにこの薬は必要なんだ、それを多くの人に使わせることによって、その過程で副作用被害が発生したんだというような関係がないと難しいと思うんですね。それが制度としての支持を得られる根拠になるのではないかと思うんです。ですから、そこのところは医療訴訟とは若干違うところがある。
○森嶌座長 これはもう若干ではなくて、基本的に考え方、出発点も違います。これは単に過失か無過失かという問題ではなくて、基本的な考え方が違いますので、最終的に救済制度をつくるということになったら、どういう根拠でつくるのかということをやっていかなければなりませんし、救済の内容も、例えば社会との関係、あるいは拠出をする企業、国もかかわる可能性もあるわけですけれども、それとの関係で救済のレベルも決めてくるということです。
 それから、日本の場合は、死亡するとその死亡した人に対して支払われるものが、仮に慰謝料というのも死者に対する慰謝料なんですね。亡くなった方は、亡くなるまでは苦痛を感じられるんでしょうけれども、すでに亡くなっているわけですから、死亡そのものについては苦痛は感じておられないんですけれども、ほかの国では、死者が苦痛を感じるのではなくて、遺族が感ずる苦痛に対して損害賠償を支払うということなんですね。ところが、日本では原則的には死者が感じた苦痛をフィクションとして、それを遺族が相続をするということになるわけです。ですから、被相続人とけんかをしていて、被相続人の方が死んで、笑う相続人というのがあるんですけれども、よかったよかったという人でも、親か何か知りませんが、それの慰謝料を相続人の名において相続するということはあるわけです。ところが、そうでないところですと、そんな笑うような相続人は自分は苦痛を感じないわけですからということで、これは法律制度によっても違うわけですから、ましていわんや、こういう救済制度になりますと、もともと何を救済するのかということで考え方を違えているわけですから、我々は今度の制度を従来の救済制度の上に乗せていくのか、別のことにするのかはともかくとして、我々が今度やる場合も、何を救済するのかということを考えていかなければならない。それはまたいずれ議論していくわけですけれども、それはお考えいただきたいと思います。
 この間、クオリティー・オブ・ライフという話が出ましたので、私がここに書きましたのは、遺族のクオリティー・オブ・ライフまで含むか、例えば日本の考え方ですと、死亡一時金というのは死者に対して支払われるわけですが、遺族のクオリティー・オブ・ライフまで考えるというようなお話もあったんですけれども、そういう考え方なんだろうか、なぜそうなるのかということを、従来の日本の考え方がいいか悪いかは別として、そういうものとの整合性も考えておかなければならない。だから、法律家が嫌われるのかもしれませんけれども、それはそれで御議論いただきたいと思います。
 ほかに、どうぞ。
○齊藤委員 今のこの対象の制度設計上の難しさというのは、法律上の問題もあると思うんですけれども、そもそも特に進行がんの治療の状態と言ったらいいか、我々が安定した状態というか、静態的な状態として把握し得るものであれば、統計的な頻度とか、そういうもので制度の手当をできると思うんですけれども、参考人の先生方や委員の先生方のお話を聞いていると、がんの治療の前線自体がダイナミックに変わっていっていて、新しい薬も出てくる、新しい知見も蓄積されている、どんどん状態が変わっていって、その状態の変わる事態には様々なリスクの顕在化というのが繰り返し行われているような状態の中に、法みたいに安定した仕組みで何か物事を対処しようとすることでやってしまうと、がん治療、特に先端的ながん治療の現場にいろいろな混乱を、この制度の想定自体、幾ら一生懸命考えても、結果としてもたらしてしまうという懸念をどうしてもぬぐい去ることができないんです。
 以上です。済みません。
○森嶌座長 ほかに、御意見はいかがでしょうか。特に医学とも法律ともかかわっておられない、もっと自由にお考えいただける方でいかがでしょうか。
○北澤委員 意見にも書いたのですが、私自身は別に医療者でもないし、また幸いにしてがんにもまだなったことはないんですけれども、今回の検討会の議論を通じて私なりに認識を新たにしたのは、現在の抗がん剤治療というのは、意外に進んでいないということです。ヒアリングの先生方のお話をうかがっても、まだまだ満足すべき、あるいはこうやればいいということがわかっているような段階に達していないと理解しました。
 先ほどから、予期せぬ副作用というのは実は予期しているのではないかとか、そういうような議論がありましたけれども、私が思うのは、予期せぬなのか、予期できているなのかということについて、患者、医療を受ける側も、もっとよくわかっていないといけない。これはこの制度とは別にして、そもそもの普段の説明の場面で、患者にとってはある意味厳しい事実をもっとよく伝えないといけないと強く感じました。
 もう一つは、今までからも頻度の話が出ているんですけれども、何が起こっているのかについての基本的な情報がまだまだ足りないのではないかというのも強く思いました。何回か前の検討会で、抗がん剤を投与されている人が何人いるかというデータだけでも数字が倍ぐらい違っているのが2つ並んでいましたよね。そもそも抗がん剤治療がどうなっているのかということを、もうちょっとしっかり把握することも必要と思います。被害救済制度をどうすべきかとは直接関係ないんですけれども。
○森嶌座長 ほかにございますか。大分時間が進んでおりますので。
 そこで、1つは、これは患者の方の御提言にあったんですが、今までここで出ていなかったんですが、この救済制度をがんの場合、先ほどちょっと祖父江先生のお話にもありましたけれども、重篤なというより、むしろがんで死亡された事例について救済をする、重篤ないしは死亡ということで救済の対象を、これは抗がん剤というよりも救済の対象ですが、そういう場合に限ったらどうだというお話がありました。
 そうだとすると、この救済制度というのはがん患者のためにということでしたけれども、死亡事例だけを救済をするということは、がんの治療を将来的によくするのであろうかという点で、またさっきとは別の形でありますけれども、救済制度は仮に重篤、ないしは死亡というふうに、今の制度と違ってそういう事例だけに限定をするということだとすると、2ページ目の?に書いてありますが、かなり制度の性格が違ってくることになりはしないかと思うんですけれども、この点について御意見を承りたいと思います。いかがでしょうか。どうぞ。
○檀委員 救済されるとすれば、その対象は祖父江先生がおっしゃった死亡例か、それだけではちょっと救済という意味合いからして足りないと思いますが、もう一つは重篤な後遺症を残すような重篤な副作用ですね。そのぐらいを対象とするという必要があるというか、そのぐらいが実現可能な対象範囲なのかなと思いますね。
○森嶌座長 あえてお伺いしますけれども、なぜでしょうか。
○檀委員 ですから、先ほども申し上げましたけれども、1つは非常に軽い程度のものからすべて入れてしまうと、それこそほとんど100%の患者さんを救済しなければいけないということになって、現実的に不可能ですね。
それから、現行の制度であっても、あれはすべてを対象としているわけではなくて、副作用の強さによって、入院を必要とする程度以上のものに限っていますから、というふうに現行の制度でさえ副作用の軽いものは対象としない、重たいものを対象としているわけですから、抗がん剤の方の救済制度がもしできるとしても、やはり同じように程度についてはある限定的なところ、重篤なものだけというのを対象とするというのがリーズナブルではないかなと思います。
○森嶌座長 祖父江先生、いかがですか。
○祖父江委員 現行の制度との整合性から考えると、やはり死亡、あるいはそれに類する重篤な後遺症を残すような障害というのが適切ではないかと私も思います。
○森嶌座長 これも質問ですけれども、医学的にがん患者で重篤な後遺症というのはどういう場合でしょうか。死亡はしないけれどもというのは。
○檀委員 例えば、イレッサですよね。仮に抗がん剤の副作用と判定できた場合ですけれども、ああいう重篤な間質性肺炎とかを起こしますと、その後のQOLは明らかに減ってしまって、酸素をずっと必要とするとか、生涯そういうふうになってしまうわけですから、そういうものということだと思います。
○本田委員 ちょっと不勉強なので、おわかりであれば是非教えていただきたいんですけれども、例えば今おっしゃったような事例の場合とか、いろいろ重篤な後遺症が残ったときに、それは一般の障害の制度とかで支援は勿論されることもあるわけですよね。それとは別にそれを補償するということも、法律ではそういうこともある。私は法律的によくわからないので、間質性肺炎を起こすことで常に酸素が必要になって障害者という認定を取れたら、そちらの方での支援というのは特にないんですか。制度的な重複とか、考え方が違うから重複してもいいんだとか、その辺が私にはよくわからないので、どなたか説明をいただけたらなと思ったんです。
○檀委員 それは私はよく知らないんですけれども、例えばそれは現行の医薬品の救済制度でも、ずっと障害がある方には障害年金がついていますよね。障害年金が今の救済制度から出ていますから。それと重なるほかの制度があるのかどうか、そこは私は知りません。
○森嶌座長 健康保険で医療費が出る場合に、それとの調整をどうするかというのはありますけれども、多分お考えなのはそれ以外に一定の追加、あれは何と言いましたか、一定の給付金が支払われますね。それのこと。つまり単に医療費だけではなくて。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 医療手当ですか。
○森嶌座長 医療手当のほかに、多少入院期間中の何か。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 医療費そのものについては、自己負担分に相当する額が救済制度の方から出ますけれども、それ以外に要は通院費用とか、それに見合ったような定額給付が救済制度の方から出ます。
○森嶌座長 多少のプラスは出ると。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 それから、今、障害の話が出ましたけれども、障害年金という制度が社会保障としてあるんですけれども、それと重複する形で今の救済制度でも障害年金というのが出るんですね。
要は、現行制度の中でも重複して支払われている部分があるということです。
○森嶌座長 ほかに、この点についていかがでしょうか。
○藤村委員 抽象的な質問で恐縮ですけれども、死亡とか、重篤な後遺症というのは幅広い年齢層で発症するわけですよね。そうすると、やはりこれも高齢になるほど多くなるのではないでしょうか。そうでもないんですか。その辺が全然イメージが湧かないので。
○祖父江委員 がんの患者さん自体が、分布としては高齢者の方が圧倒的に多いので、副作用の頻度云々にかかわらず、恐らく高齢者の方がものすごく多くの人数をカバーすることになると思います。なので、やはり年齢のことは制度設計の際に大きく考えておかないといけないことだと思います。余り積極的には言えないですけれども、高齢者に対してはある程度の制限を加えるようなことがないと、制度的にはもたないように思います。
○藤村委員 現行制度は年齢制限はないんですよね。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 ないです。
○森嶌座長 ないですね。そもそも死亡一時金もそんなに大きくないですよね。最近のは覚えていませんけれども。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 遺族一時金については711万円です。
○森嶌座長 その程度ですね。今は大したことはない。
○藤村委員 それは結構な額じゃないですか。
○森嶌座長 結構な額と見るか。これは補償ですからね。損害賠償ではありませんから。
○藤村委員 結構な額というのは、苦痛に見合うかどうかという意味ではなくて、制度を運営していく上で拠出する額として見れば、それはもう軽視できない額になるでしょう。
○森嶌座長 ただ、最初のときに、幾らだったかは覚えていませんけれども、そういう議論をするときに、通常の医薬品の副作用ですと、今のお話のように、高齢者に限って予期せざる副作用が出るということでは必ずしもありませんので、では何歳でやるなんていうことは、それこそ制度的に不可能なので考えておりませんでした。
○藤村委員 それは何を救済の対象にするかということが大きく影響しているのではないでしょうか。
○森嶌座長 そうです。ほかに。
○遠藤委員 そうであれば重篤な、基本的には死亡症例だけを救済するという制度にほぼ近くになります。抗がん剤の治療で障害が残るというよりも、多分重篤な副作用が起きれば、救命できなくて亡くなってしまうことが多くなります。そうすると、救済制度が遺族の方に支払う制度ということになります。
 森嶌先生がここに書かれていることが、もともと制度をつくって死亡者だけに、遺族にだけに支払う制度が、法律的にはわかりませんけれども、がん患者さんに役立つ制度になるのかという疑問があります。どうしても何かを救済しなければいけないということでそこに限定するのであれば、死亡した場合だけを救済する制度とすると少しわかりやすい制度になります。果たしてそれでこの検討会が目的としているがん患者さんの医療をきちっと行うとか、最初の目的に合っているのかと思います。そこは藤村先生が先ほどおっしゃっている何を救済するのかというところにまた帰ってきてしまって、制度づくりとしては確かにわかりやすいところではあるけれども、実際にそれで何を救済するのかという疑問があります。
○森嶌座長 そのことは、次といいましょうか、後の3、4ですね。つまり、こういう制度をつくることが医療に対して、萎縮するかどうかはともかくとして、どういう効果を与えるか。それから、企業に対してどういう効果を与えるのかということともかかわってくるわけですね。
ですから、先ほど北澤委員がおっしゃったように、これはどちらが卵でどっちが鶏かということはあるんですけれども、どういう制度をつくって、どれぐらいのコストがかかるのかということまで計算しないと、どういう効果が及ぶのかというのがわかりませんけれども、医療に対しても適正使用というのをどういう形でつくるのかということもある程度見当がつかないとわかりませんけれども、制度をつくることが結論でつくったということになると思わぬ結果が起きる。だから、議論をしながら少しずつ詰めていく、検討していくということになると思うんですけれども、今の段階ではこういう問題があるということを皆さんで議論していただくというのが先決だと思います。
 (1)について、大分時間が来ておりますので、いかがでしょうか。つまり、制度設計上の問題点と書いてあるところです。
 それでは、また(2)、(3)になりますと、なおまだ決着のついていないのが多いんですけれども、因果関係についてです。これはむしろ医学関係の方の御意見が多いわけですが、今日は長谷川先生、中村先生がおいでにならないので残念ですけれども、どうぞ。
○祖父江委員 個々の例について、起こった結果から原因を類推し、その因果関係を立証するというのは、かなりの場合、医学の場合は難しくて、ある特定の原因である特定の結果が起こるのであれば、その因果関係というのは成り立つんでしょうけれども、そうでない場合の方がもっと多くて、特に薬の場合は複数の薬剤を同時に使っている場合も多くて、何が責任があるというか、因果関係を持っているかということを判断するのはかなり難しいと思います。
 ですから、何か重篤なイベントが起こった場合は、ある薬剤を使っているということがあった場合には、甘くというか、緩い判断でもって因果関係を認めないと、個々の例について厳しい判断基準を求めるというのはかなり難しいことだと思います。
 明らかに、時間の関係で薬の投与の直後で何かイベントが起こったですとか、あるいはごく微量の薬剤の投与しかされていないというようなことは除外するにしても、そういう極端な例以外の場合はかなり甘い判断基準でもって因果関係を認めていかないと、制度的には成り立たないような気がします。
○森嶌座長 これは、制度をつくるときですけれども、今、かなり甘い基準とおっしゃったんですけれども、医学関係から見てそういうかなり甘い基準というのは、今の段階でぎりぎりはともかくとして、できるんでしょうか。
○祖父江委員 私は、個々の例に関して因果関係を判断するということに携わったことは余りないです。全体として、集団としての因果関係を判断することはありますけれども。だから、私の得意な分野ではありません。
○森嶌座長 檀先生が今まで幾つかおっしゃったと思うんですけれども、これは制度ですからなおさら個々に一つひとつ判断するというのは難しいと思いますし、医学の場合、とりわけこれとこれの因果関係というのを科学的に100%なんて、これはもう抗がん剤はなくてはだめだと思いますけれども、それでは制度的にこの抗がん剤がこの症状の原因であろうということを判定してもいいような何らかの、祖父江先生流に言えば、言い方は悪いですけれども、かなり甘い基準づくりというのは医学的にあり得るんでしょうか。
○檀委員 医薬品とそこから出てきた有害事象とが関連があるかどうか、因果関係があるかどうかという判断は、抗がん剤でなくても難しいですね。現行の制度でも。
現行の制度で因果関係があるかどうかというのを判断しているのは、今まで全くそういう症状がなかったのに、ある医薬品を使ったらその時間の経過とともに出てきた、やめたら消えたというような、医薬品と副作用との時間的な因果関係があるかどうかというのを一番重要視されていると思いますけれども、そういうような関係があるかどうか。
 それから、可能であれば、本当はこんなことをやってはいけないんですけれども、もう一回どこかで投与したときに同じ症状が出るかどうかということで、医薬品と副作用との因果関係を判定しているわけですよね。
 抗がん剤の場合にそれができるかというと、現行の医薬品よりはずっと難しいのは確かだろうと思います。ただ、先ほど言ったように、添付文書に記載されているものしか考慮しないということから、添付文書の中に記載されているものかどうかということが一応は判断基準になりますね。あとは、勿論、その抗がん剤を使われてからの時間的な関係というのも重要な基準にはなるでしょう。
ただ、がん患者さん、特に末期の患者さんの場合には、医薬品が使われなくても、もとのがんの進行、症状そのものによって様々な合併症が出てくることは十分あり得るので、そういうものとの区別というのは、それはもう個人個人の患者さんの経過を見てみないとなかなか判断はできなくて、すべての患者さんに通用するような基準をつくっておくというのは難しいのではないかなと思います。
○森嶌座長 どうぞ。
○中田委員 1点質問させていただきたいのですが、ヒアリングのときも学会の先生が見えて、因果関係の特定は難しいというお話をされましたし、この場でもそういう話を沢山伺っていて、因果関係の特定は難しいんだなと思っていたのですが、先日のイレッサの高裁の判決の中で、私は新聞を見ただけですけれども、たしか被告3人のうち2人は因果関係が認められるけれども、1人は認められないというようなことが書かれていまして、あれと思ったのですが、裁判の場合はかなりよく調べていると思うのですけれども、そういうふうによく調べればある程度わかると、ただし、実際にある程度簡易的にやるのは難しいという話なのでしょうか。それとも、理屈上もともと難しい、あるいは不可能だというお話なんでしょうか。
○檀委員 それは私は読んでいないのでよくわかりませんけれども、それも先ほど申し上げたように、個人個人の臨床経過というのを綿密にチェックしてみて、イレッサならイレッサしかもう原因として考えられないかどうか、ほかにもいろいろ可能性はあるのではないかとか、そういうことを一例一例見た結果だろうと思います。
○中田委員 そういうふうに細かく調べればある程度わかるということは言えるわけですか。
○檀委員 100%断定は難しいと思いますが、どちらが可能性が強いかということぐらいはある程度判断できるのかもしれません。
○森嶌座長 遠藤先生、いかがですか。
○遠藤委員 抗がん剤に関しては、がん患者さんの状態が多分ほかの疾病と大きく違うことがあると思います。がん患者さんの症状そのものが、進行していて、副作用の発生率が非常に高い抗がん剤を投与したり、放射線を当てたりとか、いろいろな状態があるので、出てきたその後の症状がその薬と関係があるのか、病気の進行とか患者さんの状態から出てきているのかというのは、すごく判断が難しくて、明らかにこれは副作用だと断定できるものも幾つかはあるのでしょうけれども、全体をどうなんですかと言われると、参考人の学会の先生方はみんな、因果関係の判断はステージとかがん種によってもすごく難しい、一律に因果関係の基準を明確にしておくのは難しいと言われたんだと思います。私も患者さんを診るときには、この症状は副作用なのかどうかというのは非常に判断が迷います。
○中田委員 因果関係が難しいというのは、抗がん剤とか、あるいはがん種によってある程度違う、割とわかりやすいものとわかりにくいものがあるのか、それとも全部同じように同じレベルではわからないということなのでしょうか。
○遠藤委員 例えばこの間もお話もありましたけれども、膵がんのように進行の早いがんだと、治療薬によっても、同じ治療薬を別のがん種で使っても、発生する副作用の度合いというのが、発生率が違っていることはありますね。
○中田委員 それは、ある意味で個別に見ないとわからないということでしょうか。
○遠藤委員 そうですね。基本的には個別に一人一人、檀先生がおっしゃるように一人一人をきちっと診ていかないと、これが抗がん剤によるかよらないか。ただ、否定はできないという事例はあるのかもしれないですね。抗がん剤かもしれないし、症状かもしれないし、どちらか判別できない。そのときに、救済制度としてどちらを選ぶか。これは薬のせいにするというのか、病気の影響だと言えるのか、それは救済制度全体に、最終的には救済の費用の問題にもかかわってくるのかと思います。
○森嶌座長 どうぞ。
○齊藤委員 もし、因果関係が医学的に明確にできない場合、今の制度の中で、あるいはその制度の拡張で考えていくと、やはり無理があると思うんです。
要するに、製薬会社の方から立って、製薬会社が基本的な財源の負担者だったとすると、それで自分たちのつくったものが本当に原因としてあって結果が副作用だったということがあれば、製薬会社の方に負担を求める根拠になり得ると思うんですけれども、非常に因果関係が緩やかな中で、「おまえがつくったものだから負担をしなさい」というのはなかなか難しいような気がします。
○森嶌座長 こういう問題はどう考えるかということで、私がこう言うと、6人の内に入るのか、7人のうちに入れられるのかわからないんですけれども、最近の法律学の考え方ですと、どの程度因果関係を考えるかということは勿論あるんですけれども、こういうふうに因果関係が自然科学的に明らかというか、説明できるという場合に因果関係ありとして損害賠償なり何なりを認めるということだとすると、先ほどから言っていますように、現在の自然科学というのはそこまで発達していないわけです。それにもかかわらずといいましょうか、それでも自然科学によって多くの人が救われるということで、因果関係が不明確であってもどんどん使われているわけですね。
 そこで、一部の人はその中で、例えば極端なことを言えば10人のうちの6人は確かに関係がないのかもしれないけれども、4人の人、あるいは3人の人は関係があって、そこで自然科学的に説明ができないために、あんた方は自然科学的に証明されないよといって救済を受けられないかもしれないわけですね。
 そのときに、社会全体として、自然科学的にわからないけれども、ともかくみんなが救われるから、みんなのためにといって使っているものについて、そこで犠牲というか、そういう人たちが出てきたときに社会全体としてどういう負担をするかというので、自然科学的にある程度明らかにできるものをいい加減にしておいて救うべき人を救わないというなら、これはもういいけれども、そうではないときに、自然科学的には明確でないために救われない人をつくるというのは、やはり社会の進歩にとってもおかしいのではないかということから、それは社会全体が負担するほかない。この場合に、結果的には企業が負担するかのかもしれませんけれども、これもめぐりめぐってコストという形で乗せることはできるだろう。しかし、被害者は自分が被害になったときにそれを社会に乗せるわけにはいかない。自分が背負いこむ。
 そこて、どの程度のところで不明確なものを社会が負担するのかという問題として受けとめるということで、一概に社会科学的にわからないからといって企業に乗せるのは説得性がないというのは、最近の法律といいましょうか、コンペンセーションの考え方をとっていないんですね。だからといって、何でもいいからそれらしかったら全部背負わせてしまえというのとは違うんですよ、そこで御議論いただきたいのは、さっきから私は祖父江先生に、緩いというけれども、どれぐらい緩くてもと言った。
○齊藤委員 私が因果関係を気にしているのは、勿論負担者の問題もあるんですけれども、先ほどの議論の蒸し返しになりますけれども、がん治療の現場がダイナミックに変わっていって、いろいろと発展をしていく中で、試行錯誤も行われている部分があるにもかかわらず、たまたま起きたリスクの顕在化について、原因を緩やかに認められて、そこに負担が生じるということによって、医療の現場のいろいろなエクスペリメントを牽制してしまうのではないかと思うんです。それは、本当に申し訳ないんですけれども、森嶌先生が思われているよりもはるかに大きな影響をもたらすように思います。
○森嶌座長 それはきちっと議論しなければいけないんですけれども、私が今申し上げているのは、だから入れろと言っているのではなくて、私が先ほどからクオリティー・オブ・ライフもそうなんですけれども、法律の考え方、医学の考え方、経済学の考え方、いろいろな考え方があるんですけれども、ここで立場の違う方、それこそ幸いにしてがんにもなっておられない、幸いにして法律家でもない、医学者でもない北澤委員、それからがんの経験もある、いろいろな方がおられるんですけれども、少なくともみんなでどういう発想があり、どういうあれがあるということを共有した上で議論して、最終的にやるかやらないかということを検討していただきたいと思うんです。最終的には齊藤先生がおっしゃるようなことになるかもしれません。ならないかもしれませんけれども。
そこで、因果関係が自然科学的にどの辺までかということは、これは今のコンペンセーションとか損害賠償というときには、必ずしも自然科学的に決するのではなくて、そういう社会の進歩の中で出てくるコストといいましょうか、負担をどういうふうにして社会が負担するかという一つの考え方の中にある。
 その意味では、いかに緩くてもいいなんていうことはない。だからといって、自然科学的にわからないものはやめた方がいい、従来の法律学はそうだったんですけれども、自然科学的に明確でないとだめだといったんですけれども、ということを私は皆さんにそういう考え方を一応認識していただいて御議論いただきたいということです。
そこで、医学者としてはどの程度まで、こういう問題が出てきたときに、全くわからないのに制度をつくったら、これはとんでもないことになりますけれども、制度的にある程度見当はつくのか。個別の事例でしたら、多分お医者さんは個々の患者との間ではいろいろなことをおやりになると思うんですけれども、制度としてやった場合にどうなのかということで、判断をお聞かせ願いたいというのではなくて、どんな可能性があるかということを教えていただければということです。
○檀委員 医学といいますか、生命科学が物理化学とか数学とか、そういう学問分野と明らかに違うのは、物理化学や数学などは1足す1は2、そういう具合に明確な部分がずっと多いですが、生命科学はもともとサイエンスではありますけれども、個体差とか、その辺は現在の医学、生命科学では解明されていないというだけの話なんですけれども、そういうことによる個体差などが非常に大きくて、1足す1は2とか、そういうふうにはならないですね。だから、その辺を明確にというのは限度があるのは明らかですね。
 ですから、それも含めて、個人個人の個々の事例ごとに検討が必要だというのは、現在の救済制度であっても、あれは部会に出てくる前の調査会でたくさんの先生方が手分けをして一例一例の事例ごとに臨床結果をずっと見て、それで医薬品によるものかどうかと判定をしているわけで、どの患者さんにも適用できるような基準を使ってやるわけではないですよね。一例一例の患者さんの経過を綿密に調査した上で判定しているわけです。それと全く同じだと思うんですね。ただ、それよりは判断が難しいというのは事実だと思います。ですから、科学的にぴしっと割り切れるような基準をつくるのは非常に難しいと思います。そういう意味でも、先ほど申し上げたように、患者さん一例一例を個々に見ていかないと、判断はなかなか難しいのではないかと思います。
○森嶌座長 これはよくわかりませんけれども、先ほどの檀先生が言われたような、ある程度絞っていくとして、どれぐらいの事例が出そうですか。今の医薬品副作用救済制度では幾つぐらい出ていたんですか。この前伺ったような気がしますが。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 今の給付申請ですと、年間1,000件ぐらい。
○森嶌座長 審査会か何かに出ているのは何例ぐらい。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 請求件数は平成21年で1,052件で、全て副作用被害判定部会にかけられています。
○森嶌座長 先ほど檀先生が、ある程度絞ったものが出てきて、余りそうはたくさんないとおっしゃいましたけれども、仮に檀先生がおっしゃったような制度だとして、そうした場合にそういう審査会みたいなのでかなり綿密にやったとすると、それでも仮に1,000例とか出てくると、?の方に行きますけれども、そうしたらお医者さんは年じゅうそこへくっついていないといけないということになってしまいますけどね。大体、今1,000例ぐらいですか。それで一応回ってはいるわけですね。ちゃんと処理はできているわけですね。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 はい。
○森嶌座長 審査できているわけですね。そうすると、檀先生の推測ではどれぐらい。これは統計はないでしょうけれども。
○檀委員 はっきりわかりませんが、例えば先ほど申し上げたように、従来の方の細胞毒性の抗がん剤であったとしても、すべての抗がん剤が効果と同じ意味で持っている副作用を全部除くとしますと、例えばいろいろながんによく使われるシクロホスファミドという抗がん剤がありますけれども、そういうものの中で、多くの患者さんに出るいわゆる副作用とは別のもので特徴的なのは、例えば出血性膀胱炎という非常に強い副作用が出ることがありますが、それは本当に〇・何パーセントぐらいです。
それから、ドキソルビシンという、これもいろいろながんの治療に使われる抗がん剤がありますが、それの一般的な毒性以外の特徴的な毒性としては心毒性というのがあるんです。心不全をあるときにぽこっと起こしてしまう。そういうものを対象とするというふうにしていけば、それもほんの1%あるかないかぐらいで極めてまれな例ですから、そういう副作用を対象とするのであれば、そんなに例数は多くならないのではないかなと思います。
 それから、現在どんどん増えている分子標的薬などにしても、非常に重篤な、死亡に至るというぐらいの副作用の率だとそんなに高くないと思います。今の分子標的薬でもすべての副作用を全部合わせれば七、八十パーセントとか書いてありますけれども、その多くは発熱があるとか、消化器症例、吐き気が出るとか、だるさが出るとか、そういうようなものですから、それはもう副作用の強さからすれば救済対象になるような強さのものでは多分ないと思いますので、そういうのを全部除いてしまえば、ほんの数パーセントぐらいという率になるのではないでしょうか。
○森嶌座長 どうぞ。倉田委員。
○倉田委員 質問ですけれども、今おっしゃっていらっしゃるのは単剤の対象だと思うんですが、多剤併用になった場合にまた副作用は変わってきますでしょうし、重篤なものというのも変わるものなんでしょうか。教えてください。
○檀委員 多剤併用すると、重篤な程度が強くなるかということでしょうか。ある抗がん剤に特徴的な副作用が出るとすれば、多分そういう副作用はほかの抗がん剤ではなかなか見られないものだと思いますので、多剤併用にしているから頻度がぐんと上がるとか、そういうことは多分ないのではないかと思います。
○北澤委員 もう一つ質問ですけれども、この検討会でも資料として提出されていたように、新しい抗がん剤の市販後の製造販売後調査などで、例えば当該医薬品との関連が否定できない死亡が、例えばここのスーテントの腎がんだと2.6%などと出ていますよね。それは当該医薬品との関連が否定できない死亡とあるんですけれども、それと、この制度を仮に抗がん剤に適用したときにイメージされているような頻度とを比べた場合は、もっと物すごく頻度的に低い、そんなようなイメージで考えればいいのでしょうか。
○檀委員 市販後調査で因果関係があるかどうかというのは、主治医が判断しているものですよね。主治医が患者さんをずっと診ていて、医薬品の投与と出てきた副作用との関連があるかというのはその主治医が一番わかるでしょうから、その人が判断していることで、こういう救済制度ができたときに調査会がもしできるとすれば、直接の主治医ではありませんけれども、がんならがんの中堅として常にがん医療の前線で働いている人たちを何人か集めてきて判定する班をつくるんだろうと思いますが、そういう人たちが判断するのとそんなに違わないのではないでしょうか。
○森嶌座長 どうぞ。
○本田委員 イメージとして教えていただきたいんですけれども、先ほどからそれぞれの抗がん剤によって出てくる副作用というのはある程度違う部分があると。その中でも、特に重篤というか、予期せぬ、でも全く書いていないものではなくて、書いてはあるんだけれども、頻度のとても少ないものを選んでいけばとても少なくなっていくから、そんな数にはならないだろうというようなお話だったように思うんですけれども、ということは、それぞれの抗がん剤によって、この副作用は対象にはしないけれども、この副作用は対象にするというものを決めていくという考え方ですか。
○檀委員 個々に決めておくのは難しいかもしれませんが、先ほど申し上げたように、従来型の抗がん剤ならばほとんど同じです。白血球、血小板を減らしてしまうとか、毛が抜けてしまうとか、げえげえ吐くとか、便秘になるとか、下痢になるとか、そういうようなほとんどの抗がん剤に共通したものは除いてしまうという意味です。そういうものを入れていたら、もう100%ですから。
○本田委員 吐くとか、脱毛とか、そういうのはわかるんです。脱毛で死亡例は余り考えられないかなと思うんですけれども、例えば先ほどおっしゃったような薬物療法で副作用の発現頻度、これは調査の仕方が違うから一概に言えないのかもしれないけれども、その中で例えば間質性肺炎というのがある中で、この抗がん剤では間質性肺炎の出方がある程度高い割合だけれども、この抗がん剤だとちょっと低い割合だと、そういうものを整理していくという考え方ですかね。
○檀委員 どの抗がん剤にも程度の弱い副作用から重篤な副作用までいろいろありますよね。抗がん剤の副作用の程度というのは、0から1、2、3、4までグレードがきちっとできていまして、ほとんどはNCIという米国の国立がん研究所のつくった分類を使ってやっているわけですが、3とか4は非常に重篤、5は死亡というのを入れる場合もあるようです。ですから、どんな副作用でもいいんですけれども、1とか2、そういう程度の低いものは最初から除外してしまう。
○本田委員 グレード4以上にするとか。
○檀委員 はい。
○藤村委員 質問ですけれども、檀先生に集中で恐縮です。そうしますと、因果関係の判定の段階で、特徴的な基準を設けて、これとこれとこれがあれば因果関係あり、そうでなければなしと、そういうことがかなり機械的にできることになるのでしょうか。
○檀委員 機械的にあらかじめ基準を決めていくことはなかなか難しいと思います。実際に、患者さんの今まで全然なかった激烈な副作用がある抗がん剤を使った後から突然出てきたという時間的経過とか、先ほど申し上げた、そういう副作用が明らかにその抗がん剤の添付文書にちゃんと書いてある、頻度は少ないけれども、書いてある、それ以外にあとはそのがんの段階を見て、がんそのものからそういう副作用様の症状が出てくる可能性があるかどうかを考えるとか、そういうことを総合的に考えないと、あらかじめ基準でこれとこれを満たせば大丈夫というような簡単なものではできないだろうと思います。
○藤村委員 わかりました。もう一つだけ。そうすると、今、檀先生の頭の中にあるような領域で考えた場合に、判定の専門員というのはどのぐらいの人数を用意しておけばいいことになりますか。
○檀委員 全体の請求件数というのがわかりませんので、人数はなかなかわかりませんけれども、現在は領域ごとに何人も選んでやっていますよね。そういう形で、例えばがんによっても、血液のがんとか、肺がん、胃がん、膵がん、乳がんとか、専門がみんな違いますので、それぞれの領域の専門の方を何人かずつ集めて、それでその領域の方に判定してもらうということになるのではないでしょうか。もしも可能であればですけれども。
○齊藤委員 関連する質問ですけれども、今、檀先生のお話をお伺いしていると、非常に難しい判断なので、判定する側のお医者様がかなり高いレベルの治療実績をお持ちにならないといけないような印象を受けたんですけれども、そうすると、そういう審査に時間を割かれるのと、実際にそういう立派な先生方が治療の最前線でどんどん闘っておられる、何かやはりバランスがなかなかとれないような気がする。
もし、機械的な判断ができるのであれば、そういうことでいろいろな方々が入ると思うんです、非常にプロフェッショナルな判断が必要なものに、医療の現場の中で非常に重い役割を担っている人がそういう仕事をしてしまうというのはどうなんでしょうか。
○檀委員 現行制度でも、領域ごとに調査会にかかわっている先生方はかなりの時間を割いてやっているんだろうと思います。がんの場合は、それほどのプロフェッショナルといいますか、余り偉くなり過ぎている人に頼むよりは、むしろがんの医療の最前線で中堅として働いている方、その方ぐらいの方がもっとわかるかもしれませんので、そういう方にお願いするということになるのではないでしょうか。
○倉田委員 権威の先生ではなくて現場で活躍している先生というふうには私は今とったんですけれども、そういう先生こそ、患者にとっては現場で私たちを診てというふうに思うと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○檀委員 勿論そうなんですけれども、今でも現行の制度でやっていただいている先生方は、その分、毎日の医療を犠牲にやっているわけではきっとないと思います。今の毎日の医療はきちっとやった上で、時間を更に何時間も割いていただいてやっているのではないしょうか。
○森嶌座長 今日は長谷川先生もおられないので、檀先生が一人で引き受けておられますが、今日は私はちゃんと時間を心得ておりますので、もう時間が来ておりますが、次回にある程度のことを出さなければということで、まとめて次回に御検討いただきますけれども、まだ次回にどういう形で事務局の方にまとめてもらうかという点が必ずしもはっきりいたしませんけれども、今日の御議論で、仮につくるとした場合、少なくとも現在の医薬品副作用の救済制度をそのまま延長するということは、細かいことは申しませんが、かなり難しいのではないかと。
その場合に、救済制度をどういう理念といいますか、何をどういう理念で救済をしていくかということ、そして死亡事例なのか、重篤なのかはともかくとして、それをやっていくのかということについてはかなり御議論が、御議論というよりも、むしろ御疑問といった方がいいのかもしれませんけれども、出ております。
つくり方によっては、これは齊藤先生が繰り返しておっしゃいましたけれども、場合によってはがん治療の進歩を妨げるようなものになる危険性があってはならないということは、今回それぞれの先生方の御議論の中にあったと思うんですけれども、そういう基本的な今日までの議論でそういうことを踏まえながら議論を更に進めていくということで、細かいことは時間の関係で申しませんでしたけれども、そして今日意見書を書いていただきましたけれども、述べていただかなかったことも含めて、それをくみ上げて、大体今の私がまとめたようなことで報告書のストーリーラインと言うと語弊がありますけれども、持っていき方ができるのではないか。
現時点でつくるということをこの委員会が結論を出しているわけではありませんけれども、つくらないと言うのは言わば自爆行為でありますから、そうではなくて、検討を進めるとしても、どうも今日までのところで現行制度をそのまま拡大をするということは、もしかするとがん治療そのものの阻害になる危険性もあるということから、今言いましたようなことを検討しながら、最終的にはがん治療をよりよいものにするという方向に向けて、理念も十分検討していこうということだろうと思います。
そういう方向で中間報告がある程度まとめることができるかどうか。これは鳥井室長、牧野さん、だんだん重荷になりますけれども。
事前に、27日までにドラフトを回して御意見を伺うということはできそうですか。それとも、当日ばっと出すことになりますか。
○鳥井医薬品副作用被害対策室長 できるだけ事前に皆様の御意見を伺いたいと思っております。そのように作業いたします。
○森嶌座長 できればそういうことにして、皆さんの御意見も事前に反映できればと思います。勿論、次回にこれを出して承認するかどうかというのではなくて、また次回も御議論いただきますけれども、できるだけ次回に、まとめてしまうということではありませんけれども、今まで議論したことをもう一度きっちり確認できるようなことにしたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、次回は27日の10時でしたか。
○牧野医薬品副作用被害対策室調整官 27日の10時からになりますので、よろしくお願いします。場所は追って連絡させていただきます。
○森嶌座長 一応10時ということは2時間ということですけれども、場合によってはお昼を少し延ばしてでもということになりますかね。ということでございますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 今度は、事務局の方に宿題ということで、どうぞよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。

(了)

<連絡先>
厚生労働省医薬食品局総務課
医薬品副作用被害対策室
TEL 03-5253-1111(内線2718)

ホーム> 政策について> 審議会・研究会等> 医薬・生活衛生局が実施する検討会等> 抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会> 第6回抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会議事録

ページの先頭へ戻る