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2011年6月14日 第6回労使関係法研究会・議事録

政策統括官付労政担当参事官室

○日時

平成23年6月14日(火)10:00~12:00


○場所

厚生労働省 専用第23会議室(合同庁舎5号館19階)


○出席者

荒木座長、有田委員、竹内(奥野)委員、橋本委員、原委員、水町委員、山川委員

○議題

(1)労組法の労働者性の判断基準

(2)その他

○議事

○荒木座長 お揃いですので、「第6回労使関係法研究会」を開催したいと思います。委員の皆様には、お忙しいところご参集いただきましてありがとうございます。
 最初に、事務局から資料の確認をお願いいたします。
○平岡補佐 お手元の資料の確認をお願いいたします。本日は配付資料といたしまして、座席表のほか、資料1「労組法上の労働者性の判断基準(案)」、資料2「これまでの議論のまとめ(報告書総論)(案)」になります。不足等がございましたら、事務局にお申し付けいただければと思います。
○荒木座長 よろしいでしょうか。それでは議事に入りたいと思います。本日は、資料1「労組法上の労働者性の判断基準(案)」、資料2「これまでの議論のまとめ(報告書総論)(案)」について、前回の研究会のあと、各委員からご意見をいただきました。それを基に事務局でまとめた資料になります。
 まず、この資料について事務局から説明をお願いいたします。
○平岡補佐 ご説明をさせていただきます。まず資料1「労組法上の労働者性の判断基準(案)」になります。
 1.「労組法上の労働者性の基本的な考え方」です。
 労働者の概念は、理論的には個々の労働関係法規の趣旨・目的に応じてその範囲を画定することも考えられる。個別的労働関係諸法における労働者概念は、多くの個別的労働関係法が労基法と密接な関係を持って制定された経緯や、労基法から分離独立した経緯等から、労基法の労働者概念で統一的に解されている。他方、集団法上の労働者概念は労組法の労働者概念で捉えられてきた。そして、両者は労基法と労組法における労働者の定義規定の違いもあり、必ずしも一致しないと解されてきた。
 職場における労働条件の最低基準を定めることを目的とする労基法上の労働者は、同法が定める労働条件による保護を受ける対象を確定するための概念であり、同法第9条により事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者と定義されている。また、労働契約の基本的な理念及び成立や変更等に関する原則を定めることを目的とする労働契約法上の労働者は、労働契約の当事者として同法が定める労働契約の法的ルールの適用対象となる者を確定するための概念であり、第2条第1項により使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者と定義されている。労基法上の労働者に課されている「事業に使用される」という要件が課されていないが、それ以外の要件については基本的に変わらない。このように、労基法と労働契約法で労働者の定義規定はほぼ同じ内容であるので、労基法上の労働者の判断基準は労働契約法の労働者性判断においても一般的に妥当すると考えられる。
 他方、労組法第3条の「労働者」の定義には、「使用され」という要件が含まれていないため、失業者であっても、「賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者」である以上は、同法の「労働者」に該当する。また、同法は、「労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること」を主旨とし、その労使対等の交渉を実現すべく、団行権の保障された労働組合の結成を擁護し、労働協約の締結のための団交を助成することを目的としている。これらのことからすれば、同法の労働者は、主体となって組合を結成する構成員として、使用者との間の団交等が保障されるべき者を確定するための概念となっている。
 したがって、労組法の労働者は、労働条件の最低基準を実体法上強行的に、また、罰則の担保を伴って設定する労基法上の労働者や、一部に強行法規を含んだ労働契約法上の労働者とは異なり、団交の助成を中核とする労組法の趣旨に照らして、労使の交渉プロセスの保護を与えるべき対象者という視点から検討すべきこととなる。
 労組法の労働者と同法第16条の「労働契約」。
 なお、団交を助成するという労組法の目的に照らして労働者概念を考え、それが労基法上の労働者概念より広いとした場合、労基法上の労働者ではないが、労組法上の労働者には該当する者の締結する労務供給契約が労組法第16条にいう「労働契約」に該当するか、仮に、該当しないとすると、それら労務供給者を組織した組合が締結する協約には規範的効力が生じないという事態が生ずる。このことを考慮して、労組法上の労働者概念はやはり労基法上の労働者概念と同様に限定的に解すべきことになるかが問題となる。
 しかし、労組法第16条の労働契約概念は、旧法当時から存在し、労基法上の労働者概念に限定して解する必然性はないことをも踏まえると、労組法にいう労働契約は、労基法上の労働者に該当しない労務供給者の締結する契約をも含むと解することは十分可能である。
 また、仮にこのように解さないとしても、債務的効力のみの協約も団交の目的となりうること、労使関係上は団交がなされること自体に意義が認められることを踏まえると、規範的効力が生じないために団交が無意味となるわけではない。
 したがって、労組法第16条にいう労働契約をいずれに解するとしても、労働者性の判断を労基法におけると同様に解すべきことにはならない。
 2.「労組法上の労働者性を判断した最高裁判決の分析」。
 (1)「CBC管弦楽団労組事件最高裁判決の分析」です。
 これにおいては以下の点を検討している。出演契約が、個別交渉の煩雑さを回避するために、楽団員をあらかじめ会社の事業組織の中に組み入れておこうとするものであった。出演発注を断ることは契約上禁じられていないが、契約の解除、次年度の更新拒絶があり得ることを当事者が意識しており、原則として発注に応じて出演する義務があった。会社が随時一方的に指定するところによって楽団員に出演を求めることができ、楽団員が原則としてそれに従うべき基本的関係がある以上、会社は労働力の処分につき指揮命令の権能を有していた。楽団員は、演出について裁量を与えられていないため、出演報酬は演奏という労務提供それ自体への対価であった。出演報酬の一部たる契約金は、楽団員の生活の資として一応の安定した収入を与えるための最低保障給たる性質を有していた。
 当事者間の関係を判断するに当たって、契約上どのような法的義務が設定されていたかだけではなく、次年度の更新拒絶があり得るといった当事者の認識等の実態を含めて検討している。ただし、調査官解説においては、この点を「法律上の義務を負う関係であることを明らかにしたもの」とし、これがその後の下級審判決に影響を与えた可能性があるとの指摘がある。
 また、会社の発注に原則として従う基本的関係がある以上、会社は労働力の処分につき指揮命令の権能を有していたとしており、処分権の有無に着目して判断している。
 さらに、楽団員が演出について裁量を与えられていないことから、出演報酬は演奏という労務提供それ自体への対価であったとしている点で、労務供給の態様・性格が報酬の性格に影響を与えることが示されている。
 (2)「新国立劇場運営財団事件とINAXメンテナンス事件の最高裁判決の分析」。
 新国立劇場運営財団事件は、以下の点を検討している。出演基本契約は、財団の各公演を円滑かつ確実に実行する目的で締結されており、契約メンバーは、各公演の実施に不可欠な労働力として財団の組織に組み入れられていた。当事者の認識や契約の実際の運用においては、契約メンバーは基本的に財団からの個別公演の申込みに応ずべき関係にあった。財団は、出演基本契約の内容を一方的に決定し、シーズン中の公演件数、演目等、契約メンバーが歌唱の労務を提供する態様も一方的に決定しており、契約メンバーの側に交渉の余地はなかった。契約メンバーは、財団が指定する日時、場所で労務を提供し、歌唱技能の提供の方法や稽古への参加状況について監督を受け、指揮監督の下で歌唱の労務を提供しており、時間的・場所的に一定の拘束を受けていた。報酬は、出演基本契約で定めた方法で算定され、予定時間を超えて稽古に参加した場合は超過稽古手当も支払われており、報酬の金額の合計は年間約300万円であって、歌唱の労務の提供それ自体の対価であった。
 INAXメンテナンス事件は、以下の点を検討している。会社は約590名のカスタマーエンジニアを管理し、全国の担当地域に割り振って日常的な修理補修等の業務に対応させていた。また、各CEと調整しつつ業務日や休日を指定し、毎日いずれかのCEに業務を遂行させており、会社の事業の遂行に不可欠な労働力として、その恒常的な確保のために会社の組織に組み入れられていた。会社とCEとの業務委託契約の内容は、会社が定めた覚書によって規律されており、個別の修理補修等の依頼内容をCEが変更する余地がなく、会社が契約内容を一方的に決定していた。CEの報酬は、予め決まった請求金額にCEにつき会社が決定した級ごとに定められた一定率を乗じ、時間外手当等に相当する金額が加算されて支払われており、労務の提供の対価の性質を有する。CEの承諾拒否を理由に債務不履行責任を追及されることがなかったとしても、各当事者の認識や契約の実際の運用においては、CEは会社からの個別の修理補修等の依頼に応ずべき関係にあった。CEは会社が指定した担当地域内で、決められた時間に会社から発注連絡を受けていた。また、接客態度等まで記載されたマニュアルに基づく業務遂行を求められており、会社の指揮監督の下に労務の提供を行ない、場所的・時間的に一定の拘束を受けていた。平均的なCEが独自の営業活動を行う時間的余裕は乏しかったものと推認され、記録上もCEが自ら営業主体となって修理補修を行っていた例はほとんど存在しない。
 いずれも事例判断であり、労組法上の労働者について一般論は提示されていない。
 事業組織への組み入れ、契約内容の一方的決定、業務の依頼に応ずべき関係、報酬の労務対価性、指揮監督下の労務供給・一定の時間的場所的拘束の5つの判断要素を共通に用いている。
 契約内容の一方的決定について、CBC事件では言及がなかったが、両判決では判断要素の一つとしている。
 要素の順番を見ると、INAX事件では、まず事業組織への組み入れと契約内容の一方的決定を判断し、その後、補完的に業務の依頼に応ずべき関係や、労務供給の指揮監督・時間的場所的拘束を検討しているようである。新国立劇場事件では、業務の依頼に応ずべき関係が2番目に判断されているが、これは同様の事件であるCBC管弦楽事件の最高裁判決の判断にならった可能性や、新国立劇場事件で出演基本契約と個別公演出演契約が分離され、前者からは個別公演に出演する法的義務はないとする仕組みが大きな争点になっていたことなどが影響した可能性がある。
 労基法の労働者性の判断ではまず指揮監督下の労務供給や時間的場所的拘束の有無を検討するのが通例であることと比較すると、労組法上の労働者性について労基法とは異なる判断をするという意思を示したと考えられる。
 当事者の認識や実態として、契約内容の交渉の余地があったか、個別の業務依頼に応ずべき関係にあったか等、各判断要素の判断において契約書の記載や法的義務の存否よりも契約の運用や就労の実態を重視する姿勢を打ち出している。
 個別の業務依頼に応ずべき関係については、文言上も、CBC事件最高裁判決が「出演すべき義務」としていたのに対し、「応ずべき関係」とし、法的義務が契約上設定されていたか否かではなく実態から判断する点をより明確にしている。
 事業組織への組み入れについて、契約の目的、事業の遂行に不可欠な労働力としての位置づけ、評価制度による管理等を捉えて、組織に組み入れられていたと評価しており、契約内容の一方的決定、業務の依頼に応ずべき関係とは異なる独自の判断要素としている。
 指揮監督下の労務供給・一定の時間的場所的拘束について、両判決の原審では一定の指揮監督や拘束性があることを認めながら、委託契約の性質や労務の特殊性に由来するものとして労組法上の労働者性を肯定する要素として評価しなかったが、両判決では労働者性を補完的に肯定する要素として評価対象としている。
 INAX事件最高裁判決では、就労者が実態として独自に営業活動をし、収益が上げられたかを検討しており、事業者性の程度は労組法上の労働者性を弱める要素として考慮対象としていると考えられる。
 3.「労組法上の労働者性の判断要素の考え方」。
 労組法の趣旨を踏まえると、その労働者には、労働力を提供してその対価を得ており、労働条件の個別的な交渉では使用者と対等な立場に立つことができず、契約自由の原則を貫徹しては不当な結果が生じるため、組合を組織し集団的な交渉が図られるべき者が幅広く含まれると解される。加えて、労働組合法第3条が労働者を定義していること、及び、CBC管弦楽団労組事件、新国立劇場運営財団事件、INAXメンテナンス事件の最高裁判決を踏まえると、以下の要素を用いて総合的に判断すべきである。
 「主たる判断要素」。1事業組織への組み入れ、2契約内容の一方的・定型的決定、3報酬の労務対価性。
 1は労務供給者が集団的・組織的な体制の下で自己の労働力を提供している点を基礎づけるものとして、2は相手方に対して労務供給者側に団交を保障されるべき交渉力格差があることを基礎づけるものとして、3は労組法第3条の労働者の定義規定の文言上、要件として明示的に求められており、労務供給者が労働力を提供してその対価を得ている点を基礎づけるものとして、主たる判断要素とすべきである。
 「従たる判断要素」。<補強的判断要素>。4業務の依頼に応ずべき関係、5専属性。<補完的判断要素>。6労務供給の日時、場所についての一定の拘束、7労務供給の態様についての指揮監督。
 4、5は、労務供給者が自己の労働力を相手方に提供しないという選択が困難であり、相手方が労務供給者を自己の事業に自由に動員できることを推認させるため、1の事業組織への組み入れの判断に当たってこれを補強するものとして勘案される要素である。4、5が完全に認められなくても、他の事実から1が肯定されれば労働者性の判断に影響を与えない。4、5の判断に当たっては、契約の内容よりも、当事者の認識や契約の実際の運用を重視して判断されるべきである。
 6、7は、相手方に人的に従属していることを推認させるものであり、労組法第3条の労働者の定義には「使用される」という文言がないため主たる判断要素とは考えられないが、労働者性を肯定する方向に働く補完的判断要素である。最高裁判決においては、必ずしも労基法上の労働者性を肯定すべき程度に至らないような指揮監督の下における労務供給や、労務供給の日時・場所についての一定の拘束であっても、労組法上の労働者性を肯定的に評価する要素として勘案されている。
 「阻害的判断要素」。8事業者性。
 そもそも自己の労働力を提供していない者、あるいは恒常的に自己の才覚で利得する機会を有し自らリスクを引き受けて事業を行う者は除かれることから、事業者性は労働者性を消極的に解すべき阻害的判断要素とすべきである。
 4.「判断要素ごとの具体的判断」。
 <主たる判断要素>。事業組織への組み入れ。
 労務供給者が相手方の事業活動に不可欠な労働力を供給する者として相手方の事業組織に組み入れられているかを判断する。
 労組法上の労働者性の判断においては、主たる判断要素である。なお、労基法上の労働者性の判断要素としては一般に挙げられていない。
 過去の労委命令や裁判例をみると、以下のような事実がある場合に、肯定的に解されるものと考える。ただし、このような事実がない場合でも直ちに事業組織への組み入れが否定されるものではない。
 組織への組み入れの状況。実際に当該業務を行う労務供給者が集団として存在する。評価制度を設ける、業務地域や業務日を割り振るなど、相手方が労務供給者を管理している。人手が不足したときは他の事業者にも委託するが、通常は労務供給者のみに委託している。
 第三者に対する表示。相手方の名称が記載された制服の着用、名刺の携行等が求められているなど、第三者に対して相手方が労務供給者を自己の組織の一部として扱っている。
 2契約内容の一方的・定型的決定。
 契約の締結の態様から、労働条件や提供する労務の内容を相手方が一方的・定型的に決定しているかを判断する。
 労組法上の労働者性の判断においては、主たる判断要素である。なお、労基法上の労働者性の判断要素としては一般に挙げられていない。
 過去の労委命令や裁判例をみると、以下のような事実がある場合に、肯定的に解されるものと考えられる。ただし、これらの事実がない場合でも否定されるものではない。
 個別交渉の可能性。契約締結や更新の際に、労務供給者が相手方と個別に交渉して、労働条件等の契約内容に変更を加える余地がない。労働条件の中核である報酬について、算出基準、方法を相手方が決定している。
 定型的な契約様式の使用。相手方と労務供給者との契約に、定型的な契約書式が用いられている。
 3報酬の労務対価性。
 労務供給者の報酬が労務供給に対する対価又はそれに類するものとしての性格を有するかを判断する。
 労組法上の労働者性の判断においては、主たる判断要素である。ただし、同法第3条は「賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者」と規定しており、労働者性の判断要素としての報酬の労務対価性とは、使用従属性を判断するものではなく、労基法上の賃金よりも広く「その他これに準ずる収入」も含めて解されるべきである。なお、労基法の労働者性の判断においては、報酬が賃金であるか否かによって使用従属性を判断することはできないが、一定の場合には、使用従属性を補強する要素となるとされている。
 過去の労委命令や裁判例をみると、以下のような事実がある場合に、肯定的に解されるものと考える。ただし、これらの事実がない場合でも否定されるものではない。
 報酬の労務対価性。労務提供において裁量の余地がありそれを反映して報酬が決定される仕組みがとられている、という事実がない。相手方の労務供給者に対する評価に応じた報奨金等、仕事の完成に対する報酬とは異なる要素が加味されている。時間外手当や休日手当に類するものが支払われている。報酬が業務量や時間に基づいて算出されている(ただし、出来高給であっても直ちに報酬の労務対価性は否定されない。)。
 報酬の性格。一定額の支払いが保証されている。報酬が一定期日に、定期的に支払われている。
 <従たる判断要素-補強的判断要素>。
 業務の依頼に応ずべき関係。
 労務供給者が相手方からの個々の業務の依頼に対して、基本的に応ずべき関係にあるかを判断する。
 労組法上の労働者性の判断においては、1の事業組織への組み入れを補強するものとして勘案される要素である。判断に当たっては、契約書の記載や法的義務の存否よりも、契約の運用や就労の実態が重視されるべきである。新国立場事件とINAX事件の最高裁判決でも、文言上、CBC事件最高裁判決が「出演すべき義務」としていたのに対し、「応ずべき関係」とし、法的義務が契約上設定されていたか否かではなく実態から判断する点をより明確にしている。なお、労基法上は労働者性の判断要素の一つであり、一応、指揮監督関係を推認させる重要な要素になるとされている。
 過去の労委命令や裁判例をみると、以下のような事実がある場合に、肯定的に解されるものと考えられる。ただし、これらの事実がない場合でも直ちに関係が否定されるものではない。
 不利益取り扱いの可能性。契約上は個別の業務依頼の拒否が債務不履行等を構成しなくても、実際の契約の運用上、労務供給者の業務依頼の拒否に対して、契約の解除や更新の拒否等、不利益な取り扱いや制裁の可能性がある。
 業務の依頼拒否の可能性。実際の契約の運用や当事者の認識上、労務供給者が相手方からの個別の業務の依頼を拒否できない。
 業務の依来拒否の実態。実際に個別の業務の依頼を拒否する労務供給者がほとんど存在しない。また、拒否の事例が存在しても例外的な事象にすぎない。
 5専属性。
 労務供給者が相手方にどの程度専属しているかを判断する。
 労組法上の労働者性の判断においては、1の事業組織への組み入れを補強するものとして勘案される要素である。なお、労基法上は労働者性の判断要素の一つであり、労働者性の有無に関する判断を補強するものとされている。
 過去の労委命令や裁判例をみると、以下のような事実がある場合に、肯定的に解されるものと考える。ただし、これらの事実がない場合でも直ちに否定されるものではない。
 他の相手方からの受託可能性。相手方から受託している業務に類する業務を、契約上他の相手方から受託することができない。相手方から受託している業務に類する業務を他の相手方から受託することについて、契約上は制約がないが、事実上は制約があり困難である。
 他の相手方からの受託の実態。相手方から受託している業務に類する業務について、他の相手方との契約関係が全く又はほとんど存在しない。
 他の主たる事業の有無。相手方から受託する業務以外に主たる業務を行っていない。
 <従たる判断要素-補完的判断要素>。
 6労務供給の日時、場所についての一定の拘束。
 労務供給者が、労務の提供に当たり時間的、場所的に一定の拘束を受けているかを判断する。
 労組法上の労働者性の判断においては、労働者性を肯定する方向に働く補完的判断要素である。新国立劇場事件とINAX事件の最高裁判決では、労務提供の日時、場所の拘束について「一定の」と表現して緩やかに捉えられており、一定の拘束であっても、労組法上の労働者性を肯定的に評価する要素として勘案されている。なお、労基法上は労働者性の判断要素の一つであり、一般的には、指揮監督関係の基本的な要素だとされている。
 過去の労委命令や裁判例をみると、以下のような事実がある場合に、肯定的に解されるものと考えられる。ただし、これらの事実がない場合でも直ちに否定されるものではない。
 労務供給者の裁量の余地。労務を提供する日時、場所について労務供給者に裁量の余地がない。
 出勤や待機等の有無。一定の日時に出勤や待機が必要である等、労務供給者の行動が拘束されることがある。
 実際の拘束の度合い。労務供給者が実際に一定程度の日時を当該業務に費やしている。
 7労務供給の態様についての指揮監督。
 労務供給者が、相手方の指揮監督の下に労務の提供を行っているかを判断する。
 労組法上の労働者性の判断においては、労働者性を肯定する方向に働く補完的判断要素である。INAX事件の最高裁判決では、各種マニュアルに基づく業務遂行等について、原審で基本的業務委託契約の契約内容による制約にすぎず指揮監督関係にあるとは評価できないとされた事情を認定した上で、これを「指揮監督の下に労務の提供を行って」いると評価している。このように、必ずしも労基法上の労働者性を肯定すべき程度に至らないような指揮監督の下における労務供給であっても、労組法上の労働者性を肯定的に評価する要素として勘案されている。なお、労基法上は労働者性の判断要素の一つであり、指揮監督関係の基本的かつ重要な要素だとされている。
 過去の労委命令や裁判例をみると、以下のような事実がある場合に、肯定的に解されるものと考えられる。ただし、これらの事実がない場合でも直ちに否定されるものではない。
 労務供給の態様についての詳細な指示。通常の委託契約における業務内容の指示を超えて、マニュアル等により作業手順等を指示されている。相手方から指示された作業手順等について、事実上の制裁があるなど、労務供給者がそれらを遵守する必要がある。業務を相手方の従業員も担っている場合、業務の態様や手続きについて、労務供給者と相手方従業員とでほとんど差異が見られない。労務の提供の態様について、労務供給者に裁量の余地がほとんどない。
 定期的な報告等の要求。労務供給者に対して業務終了時に報告を求める等、労務の提供の過程を相手方が監督している。
 業務量の裁量。労務供給者に業務量についての裁量の余地がほとんどない。
 <阻害的判断要素>。
 事業者性。
 労務供給者が、恒常的に自己の才覚で利得する機会を有し自らリスクを引き受けて事業を行う者とみられるかを判断する。
 労組法上の労働者性の判断においては、労働者性を消極的に解すべき阻害的判断要素である。なお、労基法上は判断要素の一つであるが、判断が困難な限界的事例について勘案する補強的要素とされている。
 過去の労委命令や裁判例をみると、以下のような事実がある場合に、事業者性が肯定され労働者性が否定的に解されるものと考えられる。ただし、これらの事実がない場合でも直ちに否定されるものではない。
 自己の才覚で利得する機会。契約上だけでなく実態上も、独自に営業活動を行うことが可能である等、自己の判断で損益を変動させる余地がある。
 業務における損益の負担。業務で想定外の利益や損失が発生した場合に、相手方ではなく労務供給者に帰属する。
 他人労働力の利用可能性。労務供給者が他人を利用している。契約上だけではなく実態上も相手方から受託した業務を他人に代行させることに制約がない。
 他人労働力の利用の実態。現実に、相手方から受託した業務を他人に代行させる者が存在する。
 機材、材料の負担。業務に必要な機材の費用、交通費などの経費を、実態として労務供給者が負担している。労務供給者が、一定規模の設備、資金等を保有している。
 募集広告や説明書類の態様。募集広告や業務の説明書類の中に、勤務地・給与・待遇等、一般的に受託契約の相手方として独立事業者を選定する場合にそぐわない事項が含まれていない。
 資料2、「これまでの議論のまとめ(報告書総論)(案)」。
 1.「基本的な考え方」。
 (1)「労組法の労働者性を検討する意義」。
 近年、労働者の働き方が多様化する中で、業務委託・独立自営業者といった就労形態にある者が増えている。JILPTの試算によれば、業務委託を受けて労務を提供する個人事業者の数は2005年時点で約125万人いたとされている。
 そのような労務供給者が労働組合を結成し、会社に団交を求める例が増加しているが、労組法第3条で定義される「労働者」に該当するか否かについて、判断が困難な事例が多い中で、確立した判断基準が存在しなかったこともあり、労委命令と下級審の判決で異なる結論が示され、法的安定性の観点からも問題となっていた。そこで、団交について使用者と労働者の双方の予見可能性を高めるため、昨年11月から、本研究会において労組法上の労働者性の判断基準等の検討を開始した。
 本年4月に、労組法上の労働者性が争われた事例について最高裁において一定の判断が示されたが、個別の事例判断にとどまったこともあり、本研究会において、労組法の趣旨・目的、制定時の立法者意思、学説、労委命令・裁判例等を踏まえ、労働者性の判断基準等を示すこととした。
 (2)「労働組合の成り立ち等と事業性との関係」。
 イギリスにおける通説的見解によれば、中世の職人のギルドが労働組合の原型であり、産業革命による工場制の確立によって生産手段の所有関係が変化したことが、ギルドから組合への転換点になったとされている。ごく初期の労働組合は同職の職人による共済組織であったが、組合員の生活を内包していったことから次第に職人の共通利益である労働条件の交渉等も行うようになり、標準賃金の設定等が行われた。このように、自営業者ではないかと考えられる者が組合を結成し、使用者との間で団交等を行ってきた、という歴史的経緯がある。
 我が国においても、明治時代、労働組合の萌芽期に活版印刷職工や鉄工から組合の組織化の動きが広がり、資本主義の基盤が確立して組合の開花期に入ると、洋服職工や船大工職など職業別の組合が数多く結成された。
 こうした組合の展開もあり、戦前から何度も労組法の制定の試みがなされたが、結局、実現には至らなかった。日本で労組法が実現を見たのは、戦後直後の1945年12月の旧労組法制定によってであった。
 旧法制定時の帝国議会の議論では、請負等の契約形態下にあって自己の労務による報酬によって生活する者に対しても、組合を組織して団交等を行うことを保障しようとする意図がうかがわれる。旧法は1949年に全面改正され、現行の労組法となるが、この改正の際に現行の行政救済主義を採用する不当労働行為制度も導入された。当時、アメリカで1947年に成立していたタフト・ハートレー法等を参照して労働者概念に限定を加えるという解釈をとることもあり得たが、そのような議論がなされたことが確認できず、むしろ、当時はタフト・ハートレー法にならうことはしないとの議論が有力であった。こうした中で、労働者の定義規定は文語を口語に改めただけで従来と同様であると国会で答弁されており、労働者概念については旧法制定時の考え方を維持する立場であったことが窺える。
 組合の形態には、企業別組合の他に、地域別、産業別など多様な形態があるが、労組法は、組合の組織形態を区別せず、要件を満たしていれば労組法に適合した組合として保護を与えることとしている。このため、組合の組織形態によって労組法上の労働者性の判断に違いは生じない。
 なお、現在も、アメリカ、イギリスでは、芸能関係者、プロスポーツ選手、建設労働者等の自営的な形態で就労している者が、組合を結成し、団交等を行っており、労働条件や福利厚生について、使用者又は使用者団体と協約を締結している。排他的交渉代表制度を採用しているアメリカにおいては、そのような組合が全国労働関係局の実施する選挙で被用者の代表として認められ、交渉単位内の全被用者に適用される協約を締結している。
(3)「諸外国における労働法上の労働者性」。
 イギリスでは、個別的労働関係法が労働契約を締結して就労する被用者に適用される一方、集団法は被用者よりも広い概念である労働者に適用されている。労働者には、被用者に加えて、「職業的又は商業的事業の顧客としての地位を有しない契約の相手方に、当該個人本人が労働又はサービスをなし、又は遂行することを約するその他の契約」を締結して就労する個人が該当し、具体的にはフリーランスの就業者、個人事業主、家内労働者等も一般的に含まれるとされている。
 ドイツ、フランスでは、個別的労働関係法と集団法で区別せずに統一的な労働者の概念が用いられているが、いずれの国も集団法の適用対象の拡張を図っている。ドイツでは、役務の給付に当たって人的な独立性が認められることから「労働者」に該当せず自営業者に分類されるものの、特定の相手との間で経済的に非独立の状態にある者について「労働者類似の者」という分類を設け、労働協約法等の適用を認めている。フランスでも、労働契約の条件を満たさず「労働者」には直ちに該当しない独立自営業者等について、一定の要件を満たせば当該者と取引の相手方との契約を労働契約と推定する規定を設け、労働法典の適用範囲を拡張している。
 このようにヨーロッパ諸国では、独立自営業者の外観を有している者でも、経済的従属性が強ければ労働法の法的保護が必要だと判断し、労働者概念を拡張して集団法の保護の対象としている。
 アメリカでは、集団的労働関係は全国労働関係を中心に規律されており、かつてのワグナー法の下では連邦最高裁が経済的実態を重視した判断を示し、請負人であっても使用者との関係において経済的実態が雇用に近い者であれば、同法の適用対象としていた。1947年のタフト・ハートレー法による改正によって独立の請負人が明文で除外されたが、同改正は戦後直後の大規模ストライキの多発等を背景としており、その後、適用対象が狭すぎるとしてダンロップ委員会報告書等で批判されている。
 我が国の旧労組法の制定に当たっては、諸外国の法令も参照されたが、そのうちアメリカについては当時制定されていたワグナー法が参照されたと考えられる。不当労働行為救済制度を導入した労組法の1949年改正時は、アメリカではタフト・ハートレー法が既に成立していたが、アメリカで制定されたからといって、日本において同様の法律を制定する必要はないと国会で答弁され、また、労組法の労働者概念には変更がなく、タフト・ハートレー法は参照されなかったと考えられる。
 (4)「労組法と独禁法の関係」。
 アメリカやヨーロッパ諸国では、かつて被用者と独立自営業者が未分化であったため、労働組合と事業者団体をともに独禁法の適用対象とし、競争制限行為の禁止が組合運動の規制に用いられた歴史がある。その後、組合運動は事業者団体の競争制限行為と区別され、独禁法の適用対象外となった。他方、我が国においては、労組法と独禁法がほほ同時期に制定されたため、市場独占を禁止する規定が、組合運動の規制に使われたという歴史的経緯はない。
 我が国における組合に対する独禁法の適用の可否については、独禁法の制定時は、組合は事業者ではないこと、事業者団体の活動が独禁法ではなく事業者団体法で規制されていたこと等の理由から、独禁法は組合に適用されないと考えられていたとみられる。
 1953年の改正によって事業者団体法の内容が独禁法に取り込まれ、独禁法は事業者団体規制の規定も置いている。加えて、同法には、事業者の利益のためにする行為を行う従業員等も事業者とみなす規定が存在し、従業員の継続的な集まりも事業者としての共通の利益の増進が目的であれば独禁法の事業者団体に該当するとされている。また、独禁法の「事業者」は、法人か否かを問わず経済活動を行う者であれば幅広く該当すると解されている。
 独禁法の事業者の定義が広範で労組法の適用対象と重複することはありうるが、かつて競争制限行為の禁止から解放されて組合が容認されていったという諸外国の歴史的経緯や、独禁法は公正且つ自由な競争の促進を目的とした法であることを踏まえると、労組法の労働者性を考えるに当たっては、労組法の観点から検討を行うべきである。なお、独禁法との関係について明確化を図ることは今後の課題であると考えられる。以上です。
○荒木座長 ありがとうございました。前回以降、委員の先生方からいただいた意見も踏まえつつ、非常なご苦労をいただいてペーパーをまとめていただいたということになります。
 それでは、今から議論に入りますが、まず資料1「労組法上の労働者性の判断基準(案)」からご意見をいただきたいと思います。前回ご提示した案からしますと、相当バージョンアップしておりまして、かなり様相を新たにしていると思います。ただ、更なるバージョンアップの可能性もだいぶあるような気もいたしますので、より良い報告案にするために、ご意見をいただきたいと思っております。よろしくお願いします。
○原委員 本論の判断要素に入る前に、資料1の1頁の最後から2頁にかけてですが、1.の最後の「したがって」のパラグラフの点は妥当だと思います。労組法第16条があるからと言って、労基法と労組法の「労働者」を同じに判断しなければいけないというのは、議論が逆転していますし、妥当かと思いますが、その上の「しかし」のパラグラフと「また」のパラグラフの点は労働協約に関してなのです。組合との合意文書にどういう法的効力が生じるのかということを、より明確に示すことを検討すべきとも思われますが、いかがでしょうか。それとも今後の検討課題として、今回はあまり踏み込まないということなのかと思いますけれども。
 と言いますのは、実際の交渉結果にいかなる法的効果が生じるかを抜きにして、交渉プロセスの保護とか団体交渉を論じることは難しいようにも思います。また、実務対応上、組合側にも使用者側(会社側)にも重要な点かと思います。この点、労働協約の問題を今回どのように挙げていくかということについて、いかがでしょう。
○荒木座長 資料1というのは、皆さんに配付されているものですね。
○原委員 はい、そうです。資料1の1頁から2頁にかけてのことです。資料1の2頁を見ますと、結局、労働組合と使用者の合意ができて、それが文章化されたときに、労働協約として規範的効力を持つかどうかについて、「しかし」のパラグラフと「また」のパラグラフで、特に明確に示されていないような気がするのです。これは実際に業務委託契約を結んでいる人たちが労働組合を作って、その組合と会社が団体交渉をするという現実的な場面を考えると、その交渉結果がどうなるのか。規範的効力が生じる協約ができるのか、それとも債務的効力のみなのかといったことについて触れることなしに、団体交渉プロセスの保障といったことを論じることはできないのではないかと考えたのです。ですから、協約の効力というか効果について、どのように記載するのかについてなのです。
○荒木座長 なるほど。つまり、この研究会で、結ばれた協約が規範的効力を持つか持たないかということまで確定したほうがいいというご意見ですね。
○原委員 そのほうがよろしいのではないかと考えたのですが、いかがでしょうか。
○荒木座長 わかりました。ほかにご意見いただけますか。
○竹内(奥野)委員 今の点に関してですが、労働者性の判断基準をどうするかという問題そのものに関しては、労組法第16条にいう「労働契約」の概念の議論があるが、そこから遡って労働者性を否定するような議論にいく必要はないと思います。
 ただ、報告書を出して、それで労働契約の下にない労務供給者であっても、労組法上は労働者に当たると判断する事態が、今後より多く出てきたときに、より混乱のない方法というか、混乱のない形にするという意味では、原先生のご指摘はわかるかと思います。そこをどのように議論するかは、まさしくここでご議論いただくことかと思いますが。
 例えばINAXメンテナンス事件最高裁判決では、結局、破棄自判をしていて、第7条2号の違反を肯定しているわけです。そのときに判決は「本件議題は、いずれもCEの労働条件その他の待遇又は上告補助参加人らと被上告人との間の団体的労使関係の上に関する事項である」と。教科書等で典型的に団体交渉の対象事項として該当する定式で表現されています。「労働条件、その他の待遇に当たる」と言っていることを考えると、労組法第16条の文言にも該当するものです。これはどう議論いただくか、あるいは必要性も含めた議論の上でですが、規範的効力を肯定するという考え方も、1つはあり得るのではないかと思います。要するに、規範的効力が及んで、このような労務供給者が組織している労働組合と相手方との間で、集団的に取り交わされた労働協約が個別の労務供給者の契約内容を規律することもあり得るのかと思います。
 他方で、そのような個別の労務供給者の契約が、労働契約法上どう扱われるかは、労働契約法の世界の話だということもあり得るのかと思います。議論の前提を先に飛ばしたところがありますが、議論することも不可能ではないとは思います。
○水町委員 労組法第1条1項の趣旨からすると、第16条の労働契約も、労働基準法とか労働契約法と同じに解する必要はなくて、広く解釈することが妥当のように私は思います。なので、もしここですると、「しかし」の前のほうまでの段落はそういう趣旨で書かれているので、そういうトーンを研究会の意見として出しながら、そうではない見解に仮に立ったとしても、労働者概念自体を覆すような話にはならないのだというように、そこは少しトーンを変えて、「しかし」より、「また、仮に」の前のほうが考え方として趣旨に沿うのではないかという書きぶりにすればいいのかと思います。
○荒木座長 ありがとうございます。他の点もどうぞお願いします。
○竹内(奥野)委員 いくつかありますが、とりあえず1点だけ。これも私が前回欠席したことが影響しているのかと思いますが、資料の4頁の3つ目の○で、判断要素の順番等に照らして、「労組法上の労働者性について労働基準法とは異なる判断をするという意思を示した」と触れた上で、その次の頁で「主たる判断要素」と「従たる判断要素」と分ける形で、この報告書の現在の案では構成されていると思います。
 最高裁判決の2つを見ると、書いている順番という点では、確かに事業組織への組み込みは2つの判決で最初に書かれており、同時に、労働基準法上の労働者性では、普通は言及されない要素であることを考えると、重視されているかなということは何となく窺えるのですが、そのほかは接続詞等を見ても、必ずしも順番がよくわからなくて、「なお」と書かれているものは重視されていないというのがよく分かります。
 そうすると、例えば業務遂行の方法の指揮監督や時間的・場所的拘束の要素が「なお」とかで、重視されていないほうの従たる要素だということは、わりとよくわかるのですが、例えば一方的決定とか、労務対価性とか、労務対価性は文言がありますが、それらの要素が主たる判断要素あるいは従たる判断要素というように、これはどのようにしてこのような位置づけが出てきたのかが、少なくとも最近のこの2つの最高裁判決そのままに沿う場合には、あまり明確には出てこないのかなと。このような主たる要素、従たる要素という位置づけをそもそもどのように評価するか、研究家としてどう考えるかということは、もしかしたら前回議論したのかもしれませんが、ちょっと議論をしたほうがいいかと思っております。とりあえずそれだけ申し上げます。
○荒木座長 竹内委員はその点については、どういうお考えですか。
○竹内(奥野)委員 出てきている形の「主たる判断要素」、「従たる判断要素」は、いまの座長のご質問は、例えば1~7に出ているものについて、それぞれどのようなウェイトを付けるかとか、そのようなことでしょうか。
○荒木座長 前回のバージョンと今回のバージョンは違っています。前回は8つの要素を、言うなればずらっと並べた案だったのです。それに対して、こういう8つの要素を並列的に並べただけでは、いよいよ判断基準が不明確ではないかという問題点も実はあるわけです。
 それに対して最高裁が5つのファクターを示していますが、最高裁の5つのファクターをそのまま持ってくるのも1つですが、それは最高裁がこう言いましたというのをリステートするような感じになりますが、それも1つのあり方かもしれません。
 それに対して最高裁の判決と、中労委あるいは学説等で主張されている議論を踏まえて並列に並んでいるようですが、そこには重みの違いがあるのではないかということで、再構成をしたのがこの原案ではないかと思っております。ですから、そういうものとして、それが妥当かどうかは議論の対象となると思います。それでご意見があれば伺いたいと思ったのです。
○竹内(奥野)委員 それでしたら、若干報告書の書き方のテクニカルなところという感じもありますが、資料1の5頁の3.で下線が引かれて「労働組合法上の労働者性の判断要素の考え方」と始まっている段落があって、そこで労組法第3条の規定とその趣旨、あと「最高裁判決を踏まえて」と書かれていますが、いま座長がご発言なさったように、学説なども踏まえてという形で、主たる、従たるという形で重みづけをしていくというのはあり得るかなとは思っています。
 最高裁判決だけだと、何が重くて何が従たるのか。従たるのは比較的わかりやすいものもありますが、何が主たるものかが、やや分からないものもあります。特に諾否の自由などは事案の性質もあるのでしょうが、新国立劇場運営財団事件だと事業組織への組み入れの次にも述べられておりますし、高裁でもそこが争点となったところなので、比較的触れられているところもありますが、INAXメンテナンス事件だと、どちらかというと後ろのほうで順番的には触れられているにすぎないというところもあります。まず、これはテクニカルなものですが、妥決とか、これまでの労委命令なども踏まえてということも、3.の初めの段落では触れたほうがいいかなという気がしております。
○荒木座長 総論のほうには、そういうこともあって、いろいろ学説、労委命令・裁判例等も踏まえて基準を示すというのを、1頁の(1)の最後には付加してありますが、ここは確かに最高裁を踏まえるとこうなるみたいな、ちょっとミスリーディングな点かもしれませんね。ありがとうございます。
○水町委員 私も竹内さんと同じ疑問があって、でも位置づけとしては今回の2つの最高裁判決は、事例判断的なもので一般論を示していないので、それを基にしながら、これまでの学説の議論、実務の判断も踏まえながら、理論的に整理すると、大体共通の認識としてどういうものが出るかというもののとりまとめという立場でいいと思います。
 では、具体的にどうかというと、いろいろありますが、大きな点だけまず1つお話しておくと、主たる、従たるという位置づけもそうですし、具体的なこの判断を見てみると、主たるものであっても、これはあったほうがいいが、なくても別にいいというのが1、2、3と続いて、従たるの中では、労基法上の判断要素では、指揮監督関係を推認される重要な要素となっていますがと書いてあるのです。それと今回はどのように関係しているのかというのも、必ずしもはっきりしていなくて、なぜそのようになっているかと思うと、なぜ労組法上の労働者性が認められるべきかという基幹になるものの共通の認識というか、理論的な考え方が書かれていないけれども、冒頭に労使交渉プロセスの保護を与えるべき労働者ということだけ書いて、では、具体的な判断要素に行きますよと言って判断要素が出てきて、その間がどういう関係になっているのかがよく分からない点が、いろいろな所でわかりにくさという、整理のうまくいっていない原因になっているところかなという気がします。それは竹内さんが、これまで論文の中でも書かれてきたことですし、山川先生も論文の中で、理論的に整理するとどのように整理できるかなということを苦労されたところが、最高裁の5つの判断要素に目が行きすぎて、それと根拠になるところがどうつながっているのかというのが、少しわかりにくいかなという気がしました。
 では、どのような分かりやすくするつなぎがあるかというと、出発点は交渉力格差というのがあって、その中で「労働者が使用者との交渉において対等な立場に立つことを促進する」趣旨という意味で、団交を促進すべき者を「労働者」と定義するのだということになっていますので、そういう「交渉力格差」という言葉を使うか、「経済的従属性」等の言葉を使うかはどちらでもいいのですが、そういう根幹にあるものを判断するときには、主たる判断要素3つが、やはり重要な判断要素なので、主たる判断要素3つに照らして交渉力格差があるかどうかを決定的に判断する。その他の要素は、交渉力格差、経済的従属性と言われるものとどのような関わり合いが出てくるかというのを、少しわかりやすく書いておいて、なぜ補強するものになるか。それが労基法の労働者概念とどのような関係があるかないかという点を、少しわかりやすくつないで書けば、全体としてのいくつか判断要素があって、それを主たる、従たるに分けて、最後は全体としてまとめていくという構成自体はいいと思いますので、その説明づけをもう少ししたらいいのかなという気がしました。
○竹内(奥野)委員 いま水町先生がご発言されたことに関連して、私も、なぜ労働組合法上、種々の保護・助成が与えられる人たちなのかというところから議論を出発したほうがいいと思います。
 いま水町先生がご指摘された交渉力格差、あるいはそれを経済的従属性と言い換えたのだと思いますが、これは、私のそこに追加しての意見ということにりますが、例えば交渉力格差があるという場合には、一般的に労組法上労働者には当たらないだろうと考えられている事業者、比較的小規模な事業者でも交渉力格差はあるということは、よく指摘されることだと思います。そういう意味では、交渉力格差がなぜ生じているかということも言及をしたほうが。ほかの交渉力が劣っている主体もいるのに、なぜそのような人たちと区別されるのか。そもそも区別しなくていいという考え方もありますが、そこがやや明らかになってこないのではないかと思います。
 そのような意味で、私はこの文章を見ていたのですが、例えば「事業組織への組み入れ」。これは資料1の5頁の「主たる判断要素」の「事業組織への組み入れ」で「1は」と説明している箇所でも触れられていますが、自己の労働力を提供しているということが言及されています。3.の初めの段落では「労働力を提供して」ということで「自己」が入っていませんが、そのように貯蔵の利かない労働力を提供しているという点が交渉力の不平等性で、なぜ交渉力が不平等なのかというと、もちろん情報格差もあるかと思いますが、根本的には労働力という、ある意味で特殊な財を売らなければいけないというところに1つ根拠があるのかと思います。
 そういう意味では、交渉力格差を中心に、その交渉力格差が汲み取れる要素を主たる要素として見ていく中でも、労働力を売らなければいけない、自己の労働力を相手方に提供せざるを得ないがゆえの交渉力格差に注目して、主たる判断要素とか、従たる要素を構成していくというのが、1つ考えられるのではないか。これは全く私の意見ですが、思うところです。
○山川委員 いまのお二人のご意見に概ね賛成ですが、よく読んでみると5頁の3.の「判断要素の考え方」の冒頭部分に「労働組合法上の労働者には」というのがあって、例えば番号を付けますと、1「労働力を提供してその対価を得ており」、2「労働条件の個別的な交渉では使用者と対等な立場に立つことができず・・・不当な結果が生じるため」、3「労働組合を組織し集団的な交渉が図られるべき者が幅広く含まれる」という感じで、事務局ではそれも考えていただいた上で、その次のパラグラフの「主たる判断要素」の所に、自己の労働力を提供している点、「集団的・組織的な体制」は3かもしれませんが、「交渉力格差」が先ほどの2に対応しています。3は「対価」という所かもしれませんが、たぶん意識して書かれているのだろうと推測はしていますが、「交渉力格差」という言葉が前書きに出てこなかったりしますので、お二人の意見を踏まえて、もう少しここを書き込むような形で整理していただければいいのではないかと思います。
 あとは、労働組合法第16条の「労働契約」の概念を相対的に捉える可能性もあるという点も、そのようなトーンにするということで基本的に賛成です。
 5頁の3.の1段落目で、そもそもこ、こで考えられている判断要素というものの性格をここで明示的に示したほうがいいように思います。先ほど水町先生もおっしゃっていましたが、仮に存在しなくても別にそれだけで労働者性が否定されるわけではないという考え方の、いわば基礎として、例えば、以上はあくまでも労組法の労働者性の判断のための要素であって、すべてが不可欠とは言えないし、また、他の要素と相俟って労働者性を基礎づけることもあるとか、さらに程度問題もあまりトータルとして出てこないのですが、要素であるとすると、要件以上に程度問題ということも出てくるとか、要素としての性格みたいなことをここに入れてはいかがかと思います。以上です。
○有田委員 いまの山川先生のお話ですが、3.の最初の段落の「総合的に判断すべき」というところの、総合的に判断する仕方の問題として、いまおっしゃったような形で書き込んでいくことになるのかなと伺いました。
 もう1つは、「事業組織への組み入れ」の要素で、先ほど竹内先生から出た自己の労働力を提供しているという点は、非常に大事な点だというのは、前にイギリスのワーカーの定義を見たときに、まさにそこが核となる要素の1つであったということからしても、そうだなと思います。そこで、そういうものであるがゆえに交渉力の格差があるので、労働組合を通じてということになっているという論理構造は、日本でも共通して考えられるのかなという点が、1つ気づいた点です。
 それとの関係で事業組織への組み入れを考えるときに、日本で、現状ではINAXのケースのように、ある特定の会社にのみ労務を提供するということ、あるいは新国立劇場の場合もそうですし、そういう組合が特定の所との間の団交のみを念頭にということですけれども、例えば、総論で触れられているように、ヨーロッパの国々で見られるように、劇場等で演技をする俳優たちが職業別組合を結成していて、そこは劇場主の団体と、例えばミニマムな出演料の交渉をして、そういうのを協約で設定する。そういうことを考えたときに、過度に事業組織への組み入れ、特定の企業への組み入れというところが強調されると、本来、労組法上排除されていないと思われる所の職業別組合が、労働者ではないということで取り除かれてしまい、対象にならない可能性が出てくるのではないかということが、ちょっと気になり、その辺を事業組織への組み入れという要素を考える際に、どのように構成するのかというか、その辺の皆さんのご意見を伺えればと思います。
○荒木座長 今の点について、何かご意見はありますか。
○竹内(奥野)委員 まだこの辺は私も考えがまとまっていないのですが、例えば、CBC管弦楽団労組事件と最近のこの2つの最高裁判決を見ると、事業組織への組み入れで述べていることは、必ずしも一致していないという気がしています。CBC管弦楽団労組事件だと、個別交渉は煩わしいので、あらかじめ契約を結んでおく。それは個別交渉の煩わしさを回避するためでもありますし、きちんと労働力を確保できるようにしているのです。新国立劇場運営財団事件は、比較的明確に労働力の確保を目的として基本出演契約を結んだと述べていますので、これら2つは組み入れと言ったときに、先ほど有田先生がご指摘になった労働力の確保そのものを目的としている契約であったと。そのようなことを「組み入れ」と表現しているようにも読めます。
 INAXメンテナンスのほうは、当該労務供給者が事業の遂行を行うワークフォースの中で多数だったとか、管理をしていたなどということが書かれていて、そこは労働力の確保という観点が必ずしも出ていない気もします。ただ、日曜などについても事業遂行のために調整して業務に就いてくれと言っているようなところは、INAXメンテナンスの修理業務という事業遂行のための労働力を適切に確保する状況にあった、ということを窺わせる要素と読めなくもないかなという気がします。
 そうすると、前回、事業組織への組み入れというのは一体何を指すのだというのは、原委員などからご指摘があって、議論があったと後で議事録を読んでおりますが、労働力を確保する目的の取決め等を行っていたかどうかという点で事業組織への組み入れを見ていくのは、そこのところを特に事業組織への組み入れと言う場合でも注目をすると。例えばINAXメンテナンスで述べられているような、どう管理していたかとか、人数が大部分であったかとか、そうすると一部の人にしか発注しない場合にはその人たちは労働者ではないのかということもあると思うので、そのような意味では労働力を確保しようとしているかどうかを、事業組織への組み入れとして端的に見ていくということが1つあり得るのかと思います。
 ただ、ちょっとまとまっていないのは、「労働力を確保する」、つまり、相手の労働力を利用するという関係ですが、その表現だけでは、もしかしたら抽象的かなという気がして、そこを少し具体的にできれば、より良いものになるかなという気はしております。
○荒木座長 事業組織への組み入れの点は前回からも議論していて、最高裁の判決は2つとも「不可欠」という言葉が、たしか使ってあったのではないかと思います。「不可欠の労働力」という文言があるのです。不可欠ということを書くかどうかは、1つ考えておくべきかと思っております。
 竹内委員ご指摘のように、INAXメンテナンスは直接の従業員は200人、修理業務に従事しているのは30人足らずです。それに対して、本務たる修理業務を行っているのは590人のカスタマーエンジニアであるということは、まさに量的な点から不可欠と言えるのですが、新国立劇場のほうは量的な比較からすると、それほど多くはないかもしれませんが、しかし、オペラで合唱団員がいなければオペラになりませんので、質的には不可欠かもしれません。量的・質的な側面から「不可欠な労働力」という表現で、この不可欠の議論を受けることができるのか。でも「不可欠」という言葉を使うのは適切ではないのか。その辺を少しご意見をいただきたいのですが、いかがでしょうか。
○山川委員 いま座長のおっしゃられたようなことは重要かと思います。ただ、「不可欠」という言葉まで使うとちょっと強すぎる感じもするので、例えば6頁の「組み入れの状況」の辺りに不可欠というのは出ていないのですが、6頁の最後に、「通常は労務供給者のみに委託している」ということが1つの事例です。ここでなくてもいいのですが、例えば、通常は労務供給者のみに委託しているなど、事業において中枢的な役割を果たしているとか、事業において利用する労働力の点において、当該労務供給者が中枢的な役割を果たしているということですと、事業組織の中で役割が大きくて、その労働力を確保するために、いろいろ組織への組み入れの具体的な対応が必要になるとか、そういうことかと思います。事業における位置づけという点は、私はあったほうがいいようにも思いますが、そのときの表現はちょっと工夫のしようがあるかと思います。
 それと、先ほどの有田先生のお話と、要素として一般的なことを書いたほうがいいということとの関係では、限界というと今の日本を前提にしてみたいな話になりますが、本当に事業組織への組み込みというのが、あらゆる場合において不可欠かどうかは検討する余地があるかもしれませんので、要素というのはそういう意味も含むと。通常は私の考えでは、単なる経済的な従属性では足りないで、それと組織的な従属性的な意味での組み入れが合わさっている場合が典型的です。
 最高裁判決の中では、主たる要素とされていることは、ほぼ明らかだと思いますので、そういうことは出しておくが、およそ可能性、つまりその要素、事業組織への組み込みという可能性が欠けることで、すべての事例が労働者性が否定されるかどうかは、ブランクにしておくぐらいでいいのかと個人的には思います。
○荒木座長 有田委員の言われた点の確認ですが、日本でも合同労組とか上部団体というものの中には、上部団体自体は従業員はごく一部ということもあるのですが、産別組合のときにはそういうことがありますよね。当該企業で雇われている人がそれほどいないということはあり得る話ではあるのです。しかし、それは日本でも上部団体の場合はそうだと。その問題ではなくて、誰もその組合に当該企業との関係で組み込まれた人はいない場合に問題となるのか。つまり、問題となるのかというのは、日本は不当労働行為制度がありますから、当該組合と団交しろということで問題になりますが、イギリスは不当労働行為制度はありませんから、団交義務はありません。そういう所との問題の違いとして、日本としてはそれは当該問題となった労務供給者には組み込まれていたかということで議論すれば対応できる問題かと思ってお聞きしたのですが、そこはどうですか。
○有田委員 その可能性は十分あると思います。私も、日本の今の現実で、そういう使用者団体はあまり存在していないので、議論としてどのぐらいリアルなことなのかというのは推し量れないところもあります。そうは言っても、理論的可能性としては十分あり得ることなのです。そうすると潜在的には労働者と対抗的な関係になり得るような使用者団体みたいなものが、もしできるとするならば、そことの関係で上部団体というよりも個人加盟で入っているような労働組合が対抗する、要するに、使用者団体に対抗する職業別組合として、もし存在するようになったとするならば、そういうものは個々の労働者性の判断の所ではじかれてしまうのかどうなのかがちょっと気になります。
○水町委員 私もどちらかというと有田先生に近くて、例えば渡り職人が団体交渉を行うべき労働者性を否定されるような概念を用いるということは、日本でもやはりあり得るべきではありません。
 ここで私が気になるのは、労務供給者が集団的・組織的体制の中に組み入れられていると言われているのですが、これには2つの側面があります。1つは組み入れられたとされる会社の中で、本当に集団的に同じような人たちがいっぱいいて、そして組み入れられているという事実が必要ですよという側面と、逆に職人とか労働者としては、労働力をその限りで委ねる。労働力の処分は委ねるが、それは今日はA社かもしれないし、次はB社かもしれないが、労働力を提供している限りで、その事業にどう編成されるかは委ねますよという意味で、労働力の処分を委ねるということが事業の中で自由に組織していい。事業の中の組織のあり方は、「お前は個別に働け」と言われる場合もあるかもしれないし、「100人いる中の101人目として働け」ということがあるかもしれないし、1人で働けと、101人で働けというのが、労働者性の判断にそんなに大きく関わってくるのか。1人で働けと言われても、労働力を処分するから、101人で働け1人で働けということは自由に命じられるような意味で、事業の組織編成の中の処分に委ねられているという側面が、もしかしたらより重視されるべきかもしれないので、あまり菅野説で言われるような集団的・組織的体制の中に集団的に働いて、みんなと同じように働いているから、みんなと同じように団体交渉をする権利があるというと、違う局面でその要素や要件がうまく機能しないことがあって、本来、団体交渉をどういうコンテクストで認めてきたかということと違う。日本で企業別労働組合で企業別の会社の中でやってきて、その中で積み重ねられた基準としてはそういうものに事実上なってきたかもしれませんが、極限状態で考えて、いろいろな職人や人たちが出てきたときに、日本でもだんだんそのように業務委託契約がなっていくとすると、少しアレンジをしながら修正していかなければいけないのかなという気もします。
○橋本委員 今までのご議論を踏まえて、違った点というか確認させていただきたいと思います。5頁の主たる要素と従たる判断要素。その中で、補強的判断要素と補完的判断要素がありますが、労基法の労働者性の判断基準の報告書と比べると、主たる判断要素とされた組み入れとか契約内容の一方的・定型的決定等々の要件が、いまの水町先生、有田先生の組み入れに関するご議論は、組み入れをすごく厳格に解しているかと思ったのですが、ここに書かれているのはもう少し漠然とした、事業に不可欠な、あるいは重要な労働を提供しているぐらいでいいでしょうというご意見が、この事務局案ではそのぐらいの理解だということで提示されていると思ったのです。主たる部分がちょっと漠然としているのがこの基準の特徴で、労基法だと使用従属性、かつ、その中でも指揮監督下の労働というのが中核基準として出ていて、その他は事業者性が補強的判断要素として、報告書ではまとめられていると思います。
 そこで申し上げたかったのは、主たる判断要素が、労組法のこちらのほうでは、わりと漠然として具体化している基準として、この従たる判断要素、特に補強的判断要素というのが意味されているのか。補強と補完の意味は日本語的にはあまり変わらないのではないかという気もして、労基法では「補強」という言葉しか使っていないので、その点も含めて4と5の補強的判断要素の位置づけで、中労委のソクハイ命令の決定ですと、組み入れの例示というか、組み入れをもう少し落とした基準というか、下位のメルクマールとして出してきていると思うのですが、その辺も含めて、この意味を確認させていただければと思います。
○荒木座長 事務局から答えはいただけますか。
○平岡補佐 うまくお答えできるか自信はありませんが、一応4と5の「業務の依頼に応ずべき関係」とか「専属性」というものは、まさに1の「事業組織への組み入れ」の判断に当たって補強するために勘案される要素としております。5頁のいちばん下の段落にありますが、4とか5が完全に認められなくても、他の事実から、例えば6頁のいちばん下に「組織への組み入れの状況」とか、7頁の上の「第三者に対する表示」など、他の事実から事業組織への組み入れが肯定されれば、一応労働者性の判断には影響を与えないのかと思います。そういうものとして、一応補強的な判断要素という形で整理しています。
 補強的判断要素と補完的判断要素が分かりにくいということですが、言葉の使い方も是非研究会でご議論いただければと思います。6とか7の補完的な判断要素については、1だけの事業組織への組み入れを補強するというのではなくて、今回の主たる判断要素の1~3についてを、その判断要素とは考えられないのですが、労働者性を肯定する方向に導く補完的な判断要素。要は補強的なものとの違いは1だけではなく、3つある主たる判断要素について、労働者性を肯定する方向に働く補完的判断要素ではないかということで、6頁のいちばん上にありますが、そういう意味で補強的要素と補完的要素という形で整理をしております。そういったところも含めて、是非ご議論いただければと思っております。
○荒木座長 ありがとうございました。まず、4と5が補強的判断要素となっているのは、1の事業組織への組み入れというのが主たる判断要素で、これが全く欠けると、労働者性は極めて肯定されにくいだろうという要素です。4と5でそれがより強まってくるというのは、それに関わる要素なので、主たる判断要素を大いに強めるということで、おそらく「補強」という表現がされているのだろうと思います。
 それに対して「補完」というのは、1~3は主たる要素とは違う要素なので、補完的というか、補充的に見ようという趣旨ではないかと思います。例えば、実際の指揮監督に関わる6と7というのは、高裁は同じ事実を認定して、評価では、これらは指揮監督関係、使用従属性を基礎づけるものではないとして否定していたのです。それをINAXの最高裁では、この程度のものであっても労働者性をプラスに勘案してよろしいというように、評価が変わっているのです。それは1~3という主たるものに直接関連する事項ではないものとして、補完的あるいは補充的に見ているのではないかというのがこの「補強」というもので、これが1~3を補強するかどうか。6と7というのは、1~3とは別の要素だけれども、補完的に評価の対象としている。そういうものがこの原案の趣旨ではないかと私は見ています。
○竹内(奥野)委員 そのように考えますと、これはちょっと試行実験的かもしれませんが、6や7というのは、そもそも要る要素なのでしょうか。1、2、3と、それに従たるものとして、いま出ている4、5で決まれば、それで終わりで、補完するまでもないという気がいたします。
 確かに最近の2つの最高裁判決は、6や7については指揮監督があって、日時、場所については一定の拘束があったと述べているのです。これをどう読むかという判決の読み方は、もう前回に議論が終わっているのかもしれませんが、例えば新国立劇場のほうでは、集団的芸術的性質に由来するということで、いろいろな拘束は芸術的な制約にすぎないと言っていたのです。新国立劇場の事件について高裁判決は、個別契約について諾否の自由があることと、いろいろな制約が加えられているのは芸術的な性質にすぎないというところで判断を下しています。最高裁は原審の要約としても、「芸術的な性質によるもの」という言葉を一切用いていないのです。
 そういうことを考えると、芸術的な制約だから関係ないとする判断の仕方を否定するために、こういう拘束があるということを述べているにすぎない。つまり、事実を評価するに当たっての判断資格についての判断を示したにすぎず、具体的にどのような要素や事情をもって労働者に当たるかというのは、一応別個の判断だと読めなくもないような気がしております。そのようなことも踏まえると、補完的判断要素として挙げられている6と7というのは、そもそも労組法上の労働者性の判断要素としては要らないのではないかという気もいたしますが、いかがでしょうか。
○荒木座長 いかがでしょうか。
○水町委員 私も要るような要らないようなというように考えているのですが、個人的な考え方は別にして、最高裁が5つの判断要素を挙げているので、この5つの判断要素になるべく準拠するというか、5つの判断要素に即して整理したほうが、読む人としては理解しやすいと思うのです。要るかどうかはまた別ですよ。
 最高裁自体、6と7は一本にしていますよね。そして補強的といってもわからなくなるので、諾否の自由は独立して1項で挙げているから、これは独立して4のまま残しておく。5の「専属性」というのは、特に最高裁は触れていない。最高裁が挙げていないものを1項独立させて、「補強的要素」とあえて言うぐらいだったら1の中に入れて、これまでの裁判例や命令例の中では、こういう組み入れの要素の一部として判断したものがあるというように整理すると、概ね5つに整理することができます。
 では、これを主たるものと従たるもの、もしくは主たるものと補足的要素として分けるという作業があります。事業者性についても、私はいろいろ思うところはあるのですが、それを補足して5プラスアルファとか5+1というように整理して、「主たる」「従たる」の分け方については、3.の冒頭の労働者性をどういう形で判断するのか、なぜ団交促進の要請があるのかという絡みで、どこが主たる要素に入るかということで3つにして、それをなぜ補強するのかという点で3と2に分かれるのではないかという気がします。あまり細かくやって8つの要素があるというようにすると、逆に後で読む人がわからなくなってしまうので、少しわかりやすく整理したほうがいいのではないかという気はしました。
○荒木座長 非常に有益なご提案だと思います。言うなれば、主として1、2、3で見ると。それから補強的判断要素として見ているもの、専属性など、一部は1に入れていいかもしれませんね。そして諾否の自由あるいは依頼に応ずべき関係というのが1つ。それから指揮監督下の労働、あるいは拘束と言われているものがもう1つ。この最後の2つですね。これを主と従と分けるかどうかはあれですが、最初の3つとは違うものという関係にある、そういう理解については大体のご了解は得られると了解してよろしいですか。
○水町委員 諾否の自由というものが、使用従属性という労基法上の基準と同じコンテクストで使われているというのであれば、従たるものでいいと思います。いまの報告書のトーンだと、1を補強するということで1に入れ込んで考えるという位置づけになっているかもしれませんが、これまでの命令例や裁判例を見ても、私はどちらかというと使用従属性に近いものとして、従たるものに入れるという位置づけでいいのではないかと思うのです。そういう意味では、いま荒木先生がおっしゃった提案でいいのではないかと思います。
○荒木座長 使用従属性として見るというのは、諾否の自由として見るということですか。それとも、依頼に応ずべき関係というように、最高裁が組み直したものですか。
○水町委員 どちらとしても、そう理解していいと思います。
○荒木座長 従来は諾否の自由があるかなしかということで、労基法上、それは聞いてきたのですが、労組法だとそこまで必要はないだろうということですよね。その場合どうなるのですか。
○水町委員 やはり主たる要素には入らずに、従たる要素として、1とは独立して位置づけるということで、私はいいのではないかという気がするのです。
○荒木座長 その場合の議論は諾否の自由があるかないかという議論で、諾否の自由として議論するから、つまりちょっと狭い概念だから、なくてもいいという意味で主から除くという議論ですか。
○水町委員 「依頼に応ずべき関係」と定義しますと、どれくらい広くなりますか。
○荒木座長 依頼に応ずべき関係というのは、契約上は断っても何のサンクションもないということでいいのです。高裁までは、それでよかったら諾否の自由はあるから労働者でないというように判断したのです。そういう判断ではなくて、依頼に応ずべき関係にあるかどうかと。当事者が「頼まれたら断れないね」と言って応じているということも、労働者性のプラスの要素に見るという議論を最高裁はしていると思いますから、それをここでは受けとめたいということです。最高裁もそう言っていますから、たぶん依頼に応ずべき関係としてここで拾うのが適切だろうと思っているのですが、それはそれでよろしいですか。
○水町委員 諾否の自由として議論されてきたときも、ごく一部の裁判例や調査官解説は狭く受けとめていますが、これまでの労働委員会命令例や裁判例の多くは、業務の依頼に応ずべき関係と同じコンテクストで捉えてきていますので、私はそれでいいと思っています。
○竹内(奥野)委員 「業務の依頼に応ずべき関係」という表現を使ったほうがいいのではないかとは思っていますが、これをどういうように理解するかは、私もいま迷いがあるのです。仕事の依頼が相手方からあったときに義務づけなどは別にして、事実上それに応じて仕事を遂行しなければいけない、という状態に置かれていることを指しているのではないかと思います。そうすると、これは私もまだよくわかっていないのですが、労働力の利用を相手方に委ねていて、相手方から求めがあったら相手方に応じる形で利用させなければいけない、という関係を指し示しているとも読めるのではないかと思うのです。そう考えると、先ほど少し議論をした事業組織の組み入れの中でも、特に労働力利用を相手方に委ねていることを指し示している事情、というように見ることもできるのではないかと思うのです。どういうように主か従かを位置づけるかは別ですが、1の「事業組織への組み入れ」と並んで、主たる判断要素として、いま申し上げた意味で位置づけるという考え方もあるというか、そこも検討いただければという気もします。そこはいかがでしょうか。
○山川委員 私は基本的にソクハイとの関係から言うと、「補強的」「補完的」という言葉の使い方はともかく、原案のような形でいいのではないかと思っています。いまの竹内さんの話からすると、前半は全く同意して聞いていました。要は、業務の依頼に応ずべき関係や実際上の諾否の自由がなければ、労働力の確保のために当該労務供給者を位置づけていることの基礎づけになるということで、むしろ上位概念は組み入れのほうで、それを根拠づける1つの要素が、業務の依頼に応ずべき関係ではないかと思ったのです。そうなると、従たるでいいのではないかと思ったのです。主たる要素を並べると、その2つの関係が結局、主従の関係として整理されるような気もしなくもないのです。
○荒木座長 1と4と5の関係は、事務局も随分悩んでおられるところで、どうしたものかというのはあります。ただ、1と4が別になっているのは、実は最高裁も別にしているわけです。例えばINAX事件では1の組織への組み入れというところでは、修理業務というまさに不可欠の業務を行うために直用している労働者は200人いるのですが、そのうちの30人しか従事していないと。そして、やっているのは590人のカスタマーエンジニアであると。そうすると、この人たちがいなければこの業務自体が成り立たない。そういう形で契約関係を構築していること自体が組み入れではないかと見ていると思うのです。ですから独立して見てもいいだろうと。
 その際、そういう契約関係の中で実際に仕事を頼まれたときに断われるかというのは、契約書は同じであっても、実は皆さん自由に断っているという関係があれば、おそらくそういうものとして評価すべきですし、実際上皆さんが依頼に応じているという関係であれば、当事者間で頼まれたら断れないという関係として就労していると評価すべきです。そういうことで、契約上どういう形で労働力を位置づけているかという問題と、実態としてそれが当事者の行為規範としてどのように作用しているかというところを、最高裁は分けているのではないかという気がいたしました。そこで後者のほうで、実際上は依頼を断れないという関係であれば、まさに1が強く補強されて、最終的には労働者性を肯定する方向に働くという関係ではないかということで、主に対して補完的ということで書いてあると思っております。
○竹内(奥野)委員 主従をどういうように関連づけるかというのは、私も悩んでいるところなので、いまご議論いただいて、私も大変頭の中がすっきりしてきた感じがします。究極的には組み入れ、あるいは諾否の自由というものが、結局相手方が他方の労働力を利用できる状態にあったかどうかという判断に結び付いているのではないかと思います。その中で主従をどうするかというのが、いまご議論いただいたところではないかと思います。
 最高裁判決で言うとCBCも、もちろん最高裁判決としてあるわけですが、これは労働力確保が目的の契約だと言った上で、このことと諾否の自由がないことを指摘した上で、右のように、「会社において必要とするときは、随時その一方的に指定するところによって楽団員に出演を求めることができ、従うべき基本的関係がある」ということで、「労働力の処遇につき指揮命令の権能を有しないものと言うことはできない」と述べているのです。そこでは両者の関係が不明確ではあるのですが、どちらにしろ事業組織への組み込みと諾否の自由の2つをもって、労働力を利用する権能があるということを述べているわけです。
 そういう意味で、この両者の主従をどう考えるかは別としても、かなりの交渉力格差、特に労働力という財の交渉に由来する交渉力格差を直接的に示すという意味で、その2つが示す事柄というのは、最終的には非常に主たるものとして重要視されていくのではないかと思います。その上で、諾否の自由を組み入れに従たる要素として位置づけるかどうかは、いまご議論いただいた考え方もあるのかなという気もいたします。
○有田委員 4と5の関係を考えてもよくわからないのは、4が認められれば、おそらく1の存在も認められると思います。そういう意味で、逆に5が認められる状態であれば、4は当然前提になっているという関係で理解していいのではないかという感じもします。物理的には、4が認められる関係のときというのは、大体5が認められる状況になるというのが普通だとは思うのですが、場合によってはA社、B社に対して業務の依頼に応ずべき関係になっていて、何とかうまいこと週の半分ずつA社とB社の仕事を受けて、それをこなしているということがあり得るとすれば、4と5の関係は別に。要するに5が認められる状況というのは、4は絶対に認められるという関係で、同じ補強的判断要素と言っても、その中でさらに主従があると考えるべきか、そこまでいちいち考える必要はないのか。現実的に4と5は一体のような感じもするのですが、ひょっとするとA社、B社みたいなことがあり得るとすると、分けておく意味があるのではないかと思います。その辺はどうでしょうか。
○山川委員 パートタイマーで午前中はA社、午後はB社という場合が、まさに有田先生がおっしゃる1つの例かと思いますので、一応分けておいていいような気はします。
○竹内(奥野)委員 同じことかとは思いますが、5が認められれば、確かに通常4は認められるだろうと言えると思うのです。ただ5がないからといって、別に4が否定されるわけではない。少なくとも5がなくても4などは、別途検討されるべきものだと位置づけることはできるかと思います。
○橋本委員 いままでのご議論ですと、5の専属性をどちらかと言うと1に組み入れる、補強する組み入れの内容になっているという理解だと思うのです。後でまた問題になるかとは思いますが、専属性は一般には阻害的判断要素となっている事業者性の要素としても理解されていることが多いと思うのです。そういう意味で組み入れて出したときに、事業者性と重なっているという印象をずっと受けているのですが、この整理はどうしたらいいのでしょうか。事業者性と組み入れとの整理という問題意識を持っています。
○荒木座長 すみません。もう少し敷衍していただけますか。
○橋本委員 先ほど水町先生だったと思いますが、専属性は組み入れに入れてしまってはとおっしゃいました。しかし専属性は事業設備、機具等の負担等と並んで、一般には事業者性の要素ではないかと思うのです。いかがでしょうか。労基法の労働者性の報告書では、専属性が事業者性の中に入っていると思います。そういうこともあって、事業者性は必要だと私も思っているのですが、それを考えるときに具体的に専属性がどちらになるのか。いまの提案ですと、もう独立しているのですが、「主たる」「従たる」と言ったときに、特に組み入れについてどうか。いまは専属性をこちらに入れるという理解をするなら、やはりかなり事業者性の判断とかぶってしまうのではないかという気がしています。例えば事業者性は、この報告書案ですと、他人を利用せずに自ら労働している等と、機械・機具の負担等で整理されています。この報告書では、事業者性はそういうものとして考えますということであれば、それでいいと思うのですが、ちょっと整理しておければと思っています。
○水町委員 私も事業者性を独立した要素なり、あえて重要な要素とか阻害的要素と言うことに対しては、若干疑問を持っています。なぜ事業者性があれば労働者性が否定されるのかを、もう少し考えて位置づけることが大切です。あまり考えないで、「事業者性があると労働者性はなくなりますよ」と言ったら、操作して個人事業主と位置づけて、バンバン働かせますよということも容易にできることなのです。事業者性という概念自体が、非常に形式的に操作しやすい概念であるということを注意すると、事業者性というのは何と何があるから労働者性が否定されるということになると、では、その何と何というのを考えると、実は事業組織への組み入れがないとか、報酬の与え方が労務の対価としての報酬生活給ではなくて、事業を営んでいることに対するもっと高額の報酬であるとか、そういう中に入れ込んで判断することが、私は理論的には妥当だと思います。今回、そういう自分自身の考え方をどこまで報告書に入れ込んでもらえるかというのはまた別の話なので、ある程度皆さんが共通して認識されていれば、それに注意しながら書いていただければいいとは思います。
○竹内(奥野)委員 事業者性について、なぜ労働者性の判断要素として出てくるかというのが、水町先生のご指摘だったのです。私もまだ考えが詰められていませんが、非常に抽象的に言うならば、事業者も自ら何か仕事をしている場合、労働力を使っているわけですが、それは自分の事業のために使っているのであって、他人に労働力を提供しているのではない。要するに、労働力を何に対して提供しているのかというところが、分ける観点かと思うのです。そういう意味で水町先生が先ほど、事業組織の組み入れと関連づけてお話されましたが、むしろ、それを裏から言っている要素ではないかという気もいたします。
 例えば、自分で事業から得られるベネフィットとコストを負担している。それをどう見るかは、もちろん別途また議論が必要だとは思いますが、事業から得られる利益やチャンス、リスクを引き受けているという事情が見られる場合、それは他人に労働力を提供しているのではなくて、自分の事業遂行のために労働力を使っている。そういう意味で事業組織への組み入れとか、諾否の自由から導かれる労働力の他人利用を否定する事情として位置づけ得るのではないかという気がいたします。
 私自身、それを阻害的判断要素として載せるか、1の中でさらにその下位の要素として位置づけるかは、これといった意見がありません。今のような形で整理するならば、現在出ている報告書のような形で阻害的だと。阻害というのは、事業組織への組み入れを阻害するという意味で書くかどちらにすべきかということにはあまり考えはありません。
○荒木座長 事業者性を議論しているのは、もともと労基法上の労働者による誰が見ても労働者であるような人がいて、片方に誰が見ても独立自営業者だろうという方がおられて、そのグレーゾーンにいる方が、いま問題になっているのです。そのグレーゾーンをどう判断しようかということで、これは労基法の労働者とは違う判断なのでということで、労基法上は前面に出てこなかった要素を、最高裁は意欲的に最初のほうで議論をして判断していました。それをそのまま、ここでも受けとめようということです。
 もう1つには外延があります。それだけで全部、ここまでが労働者だという線が引けるかというと、どう考えても独立自営業者と評価して、労働者性を否定すべき人たちも片方には必ずいるはずで、それをどこかで拾ってこようということです。それが全部グレーゾーンの判断要素の中に取り込めていればいいのかもしれませんが、それではうまく拾えない部分があるだろうと。それを、こういう事情が認定される場合にはもはや労組法上の労働者にはなりませんというものをここで出してあげれば、判断の明確性に資するのではないかという観点から、ここに挙がっていると思います。
○水町委員 考え方としてはそれでいいと思うのですが、線の引き方として中心にあるのは、なぜ労組法上の労働者に入るのか入らないのかということで、そこからスタートして、そこから線を引くことが大切です。労組法上の労働者にかかわらず、事業者性という別の線があって、事業者になったら関係なく、そこでは線が引けますという線引きの仕方はよくない。
 労働力を誰に提供しているかといっても、例えば弁護士が大きなファームに雇われているとします。しかし、これを労働者と位置づけるといろいろ大変なので、事務所を自分で個人事業主でやっているようにしろと。しかも1人だと不安なので、家族がいれば弟でも妹でも妻でも夫でも誰でもいいから雇ったことにすれば、それで税金対策にもなるということで雇っている人もいるわけです。被用者もいるし、お前はその事務所の儲けのために働いているのだろという様式を整えたら労働者でなくなるかというと、そうではない。なぜそうではないかというと、労働者性というのはそういうものではなくて、こういう観点から考えなければいけない、というところから線引きをきちんとすることが大切だということを申し上げておきます。
○山川委員 概ね同じようなことですが、書き方というか、内容のほうに入ります。事業者性の基礎づけは、経済的従属性の問題かもしれないし、組み入れの問題の阻害要因であるかもしれないし、いろいろなことがあり得ます。13頁の各要素が挙がる前の「以下のような事実がある場合に、事業者性が肯定され労働者性が否定的に解される」という書き方には、いま水町先生のおっしゃった問題があるような気がします。
 つまり、事業者性あるなしの問題であれば、労働者性否定ということよりも、例えば「以下のような事実がある場合に、その程度に応じて事業者性が肯定され労働者性が否定的に解される要素となる」とか。要するに程度問題があって、しかも要素であるということを明確にするような書き方がいいのではないか。ここら辺りはこれまであまり議論がなされていなかったものですから、わりと労基法上の労働者性の書き方に近いことになっていますが、ソクハイ事件でも事業者性が顕著であれば否定されるということで、程度問題として捉えています。
 もう1つは、いまのお話とも関係あるのですが、労務供給者が他人を使用しているだけではなくて、「他人労働力の利用可能性」の補足意見では、例えば「複数の者を雇用して複数のサービスセンターを擁している」とか、もうちょっと具体的に書いたほうがいいように思います。
 それから、これは事実関係にもよるのですが、横浜南労基署長事件という労働基準法上の労働者性の判断をした最高裁判決があります。この出発点は、これは傭車運転手で自分で車を持っているではないかというところから、かなり否定的なトーンで始まっているのです。INAXもたぶん、工具等については、かなり自己所有のものがあったように思うのです。そういう色彩がINAX事件については、ほとんど見られないというのが特色かと思います。その意味で、例えば工具や自動車の調達についてはそれほど重視されていない。箇条書き的な要素に書き込めるかどうかはわからないのですが、例えばINAX事件では、自己所有性の辺りがあまり重視されていない構造になっているというのを、どこかに書いておいたほうがいいのではないかと思うのです。もともと高裁でも、そこはそんなに争いになっていないという点はあるかもしれませんが、横浜南労基署長事件と比較すると、論の運び方が顕著に違っているような感じがします。
○荒木座長 いまの原案で、やはり少し気になっている所があります。最高裁の3つの判例を基本に、こういった事由を認めたらプラスというような書き方にしているのですが、あくまでもそれは総合判断で、こういう事情があった場合にはプラスに作用するということです。しかし、こう書きますと、これが書ければ労働者性にならないのかというように取られかねないというのが、非常に危惧される点です。個々の事件についてより詳細に書けば書くほど、これが書けたら逆の評価に結び付くのかというように取られると、皆さんが議論されている趣旨はそういうことではありませんので、そこの書き方をどうすべきかというご意見を、また伺いたいと思っております。
 それから先週、先生方にお送りしたものから今日のバージョンでは、労基法についての言及の位置が変わっています。まだ推敲が十分でなかったので、読みにくくなっているような気がいたします。労基法との比較をどの程度書くかということですが、これについて何かご意見はありますか。書くとすれば、それぞれの項目について労基法はこうだ、労組法はこうだと書くよりも、労基法と比較して労組法として特徴的な判断の所は注意的に書くという書き方で、さらに推敲してはいかがかと思っております。そういうことでよろしいでしょうか。
 では、そういうことでまた考えることにいたします。
 それでは今日はもう1つ、資料2で報告書の総論に当たるような文章も用意していただいております。これについてご意見はありますか。
○水町委員 3頁の(3)「諸外国における労働法上の労働者性」を見たのですが、(3)の2段落目の「ドイツ、フランスでは」という所で、「労働者の概念が用いられているが、いずれの国も集団的労働関係法」の次に、「を含む労働法の適用対象となる労働者概念の拡張を図っている」と。「を含む労働法」というのを、「いずれの国も集団的労働関係法」の次に入れて、「の適用対象」の次に「となる労働者概念の拡張を図っている」と。これは集団的労働関係法の労働者概念そのものを拡張しているというよりも、集団と個別の関係なく労働者概念があって、全体としての労働者概念の拡張が議論されているというので、そういうように書いておけば、誤解なく受けとめられるのではないかという気がします。
○荒木座長 その点は、まさにこういう表現でいいかどうか確認したかった点ですので、また確認の上、対応したいと思います。ほかにいかがでしょうか。
○有田委員 イギリスの所ですが、この書き方だと、個別法はemployeeにしか認められないように読めてしまいます。実際はworkerにも。定義の仕方はほとんど同じだったと思うのですが、例えば、労働時間の規則などはワーカーにも適用されますし、完全な自営業者にも差別禁止法制では適用されるとか、適用範囲が各法律によって本当に個別に設定されているというのが、イギリスの特徴なのです。これだと、個別法は専らエンプロイーだけというように誤解されてしまいますので、その点は少し私のほうでも文案をお送りいたします。
○荒木座長 実は個別にいろいろ違いますので、ここは集団法でどうなっているかだけを書こうとしたのです。そこで確認したかったのは、フランスでは集団法について労働者概念を拡張しているかどうかです。
○水町委員 固有の議論はないと思います。
○荒木座長 一般的な議論ですよね。
○水町委員 労働法典上の労働者概念が拡張されていることの付随効果というのは、間接的な評価で広がってきていると言えそうです。
○荒木座長 フランスでは、ドイツのように集団法に限って拡張するという議論ではないですよね。わかりました。では、その書きぶりはまた少し検討してみます。ほかにいかがでしょうか。
○山川委員 3頁のいちばん下のアメリカの話で、「ワグナー法の下では」とありますが、これは「連邦最高裁判所」と書いていただければと思います。非常に重要なものでしたので。
 あと、先ほどの判断基準について1点だけ言い忘れたことがあります。8頁の「労務対価性」の所で、第一に私が不正確な要望をしたせいですが、「労務提供において裁量の余地がありそれを反映して報酬が決定される仕組みがとられている、という事実がない」ということになっていますが、事実がないことを要素とするのは、ちょっとどうかと思いますので、むしろこの中に書けるかどうか。先ほど有田先生もおっしゃったように、具体的なことはお任せしますが、例えば報酬の性格というのが労務提供の態様と関連していて、労務提供について裁量が与えられていない場合については、報酬はその成果を評価して額を定めるといった事情がない以上、労務提供の対価と見られるのが通常であると。散文的になってしまうので、ひょっとしたら要素としてというよりは、前のほうに入れたほうがいいかもしれませんが、ご検討いただければと思います。
○荒木座長 わかりました。私もいろいろ気付いている細かい点はありますが、何かこの場でご指摘いただければと思います。
 さらに1つ議論を詰めたいと思っているのは、最後の独禁法との関係です。4頁の最後には、独禁法上の事業者となるかどうかという問題と、労組法の労働者となるかどうかということがあります。まさに今回のカスタマーエンジニアというのは、労組法上の労働者と議論しなければ、独禁法上の事業者として独禁法の規制の及ぶ人たちというように普通は解されると思います。その方々が労働組合をつくって団体交渉をし、労働協約を結ぶということになると、これは独禁法の禁止するカルテルに当たる可能性があるわけです。その関係で、労組法だけの立場から労働者だと言って独禁法との関係が生じないか、そこの調整を議論しなくてよいかというのが最後に書いてあることです。
 さらに少し研究を進めておりますと、かつては労働者であれば事業者でないということで、完全に両者の適用対象は別だと考えられていました。現在では独禁法上の事業者が労働者であることもあり得るというように、独禁法でも解されてきているようです。その調整問題は、具体的に個々の条文の解釈として対応を考えているようです。つまり事業者と認められてもカルテル禁止の所では、公共の利益に反してという条文の解釈として抵触がなされないような対応があり得ると。そういった議論もありますので、そこをさらに精査の上、独禁法との関係について整理をしておくのがよいかと思っております。
○橋本委員 私も日本の学説を調べたときに、いま先生のおっしゃった見解もあったのですが、やはり被用者は事業者ではないというコンメンタールもあったので、学会のほうでも詰められていないという印象を持っています。
○荒木座長 確かにそうです。かつての有力な学説は、被用者は事業者でない、労働者は事業者でないという議論だったのです。特にプロ野球選手会の労働者性のときにも、そういう議論がたくさんありました。しかし今はそうではない。その後、自由業である弁護士会なども独禁法の対象となるという過程で、労務供給者について事業者か労働者かという議論ではうまく対応できないという議論が有力になってきております。ただ、確かに独禁法ではこうだというように整理のついていない問題ではあります。そのことも踏まえて書きたいと思います。
 ほかにこの時点で是非というご発言があれば伺います。
○竹内(奥野)委員 1点だけ確認します。段取りとしては、今日議論したところに従って報告書を作成していくということでよろしいでしょうか。一応今日の議論を踏まえてバージョンアップをして、それをもう一度検討するということは、計画上予定されているのでしょうか。
○荒木座長 事務局としてはどういう予定でしたか。
○辻田参事官 基本的には次回で取りまとめをお願いしようと思っています。今回出た議論を踏まえて、事務局のほうで修正したものを荒木先生とご相談した上で、また先生方にお配りします。そこで意見をいただいて、もう1回集約をしてまたお届けするという形で、次回までにできるだけ調整をして成案を得たいと思っておりますので、よろしくお願いします。
○荒木座長 前回もこの研究会の後に先生方からいろいろなご指摘をいただきました。また今日の議論を踏まえて、更なるご指摘があると思いますので、それを是非お寄せいただいて、それを事務局と私のほうで調整し、再度先生方にお返しして、意見を反映させたものを次回にお示しすることにしたいと思います。
 それでは次回の予定について、事務局からお願いします。
○平岡補佐 次回の日程は7月5日の火曜日、10時から12時を予定しております。場所は未定ですので、また追ってご連絡いたします。
○荒木座長 次回は7月5日ということで、あまり時間がありません。先生方にはいろいろご迷惑をかけますが、よろしくお願いいたします。今日はどうもありがとうございました。


(了)

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