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2011年5月17日 第5回労使関係法研究会 議事録

政策統括官付労政担当参事官室

○日時

平成23年5月17日(火)
10:00~12:00


○場所

厚生労働省 専用第14会議室(12階)


○出席者

荒木座長、有田委員、橋本委員、原委員、水町委員、山川委員

○議題

(1)最高裁判所判決の分析

(2)労組法の労働者性の判断基準について

(3)その他

○議事

○荒木座長 定刻ですので、「第5回労使関係法研究会」を開催したいと思います。委員の皆様には、ご多忙のところご参集いただきまして、ありがとうございます。本日は竹内委員から、所用でご欠席という連絡をいただいております。
 まず事務局から、資料についてご説明ください。
○平岡補佐 配付資料をご説明します。座席表のほか、資料1-1「独占禁止法と下請法の適用対象」、資料1-2「労働者概念に関するヴァンク教授の議論」、資料2-1「新国立劇場運営財団事件最高裁判所判決(概要)」、資料2-2「新国立劇場運営財団事件最高裁判所判決」、資料2-3「INAXメンテナンス事件最高裁所判決(概要)」、資料2-4「INAXメンテナンス事件最高裁判所判決」、資料3「これまでの議論のまとめ(案)」、資料4「労働組合法上の労働者性の判断基準について(案)」、資料5「ソクハイ事件中央労働委員会命令」、資料6「労働基準法研究会報告書抜粋」、資料7-1、資料7-2「労組法上の労働者性における判断基準比較表(4)」「労組法上の労働者性における判断基準比較表(5)」となります。資料の抜け等ございましたら、事務局のほうにお申し付けいただければと思います。以上でございます。
○荒木座長 それでは、議事に入りたいと思います。まず資料1-1及び資料1-2について事務局からご説明いただき、そのあと若干議論をいたします。次に、この4月に労組法上の労働者性に関して、最高裁の2つの判決が出ました。新国立劇場とINAXメンテナンス事件です。これを資料2に基づいて、橋本委員から分析をしていただきたいと考えています。そのあと、資料4で労組法上の労働者性の判断基準(案)等が用意されていますので、まず事務局に説明いただいたあと、議論をしたいと考えています。
 事務局から、資料1-1及び資料1-2について説明をお願いします。
○平岡補佐 資料1-1について、ご説明いたします。まず、独占禁止法と下請法の適用の対象の議論になります。前回の研究会において、独占禁止法と下請法、労働組合法の関係についてご指摘等をいただきましたので、『注釈独占禁止法』等によりまして、現行の独占禁止法と下請法の適用対象について資料を用意しました。
 1.は、独占禁止法の適用対象です。独占禁止法は、事業者及び事業者団体が公正な競争を妨げる行為を規制していまして、その第二条において「事業者」とは、事業を行う者を言うとされていまして、事業者の利益のためにする行為を行う役員、従業員等は、次項又は第三章の規定の適用については、これを事業者とみなすとされています。また、第2項において、この法律において「事業者団体」とは、事業者としての共通の利益を増進することを主たる目的とする二以上の事業者の結合体又は連合体をいうとされています。
 したがって、労働組合法上の労働者性が争われている個人事業者のような就労者について、独占禁止法の適用の可能性は以下の2通りがあります。一つは、ある就労者が、独占禁止法上の事業者とされる場合です。独占禁止法の事業者は、経済的利益の供給に対応して、反対給付を反復継続して受ける経済活動を行う者であればよいとされており、その主体の法的性格を問わず、経済事業であれば営利目的か否かも問わないとされております。そして、医師や建築士等の自由専門業についても、この独占禁止法の事業者性が肯定されておりますし、俳優やプロスポーツ選手のような者は、独立した事業者として活動しているときには独占禁止法の事業者性が肯定されると考えられておりますが、裁判例も含めて明確な基準は示されておりません。
 二つ目は、ある就労者の団体が、独占禁止法上の事業者団体とされる場合です。事業者団体を構成する事業者には、事業者の利益のために活動する役員、従業員等が含まれるとされ、従業員をメンバーとする継続的な集まりも、「事業者として共通の利益」の増進が目的であれば、独占禁止法の事業者団体に該当するとされております。そして、この共通の利益とは、構成事業者の経済活動上の利益に直接又は間接的に寄与するものを言い、事業者の個々の具体的な利益であるか、業界一般の利益であるかは問わないとされております。以上のことから、多種多様な団体が独占禁止法における事業者団体に該当し得ることになります。
 ただ、独占禁止法の適用を受ける事業者又は事業者団体となっても、すべての事業者や事業者団体が、独占禁止法上の同一の取扱いを受けるものとは必ずしも言えないとされておりまして、公共の目的のある地方公共団体の事業など、一定の経済事業とは異なる特性が認められる場合には、独占禁止法上の他の要件である「公共の利益に反して」などの判断において考慮されることがあり得るとされております。
 2.が、下請法の適用の対象になります。下請法は、下請代金の支払遅延等を防止することによって、下請取引の公正化を図り、下請事業者の利益を保護することを目的としており、独占禁止法の補完法として制定されております。下請法が適用されると、親事業者に対して注文書の交付義務、下請代金の支払期日を定める義務等が課されることになります。下請法は、製造委託、修理委託、情報成果物作成委託、役務提供委託という4つの類型を設けて、下請事業者に保護を与えております。また、下請法は、親事業者と下請事業者について定義を置いており、法人でない個人事業者であっても、下請事業者に該当し得るとされております。
 下請事業者の代表的な要件は受託することであるとされておりまして、何らかのデザイン、仕様等を委託者(親事業者)の側が示して、これを受託者(下請事業者)に作業させることが必要とされております。なお、請負や売買といった契約形式は問わないとされております。以上です。
 資料1-2は、前回の研究会において、橋本委員からドイツにおける労働者概念に関するヴァンク教授の議論をご紹介いただきましたので、事務局として資料を整理しました。出典は、橋本先生の「労働法・社会保険法の適用対象」などの資料を参考に作成いたしました。
 1.は、ドイツの労働者概念とヴァンク教授の議論になります。ドイツでは、個別的労働関係法と集団的労働関係法の区別がありませんで、各法における統一的な概念として「労働者」が用いられております。連邦労働裁判所は、労働者性の判断基準を一貫して人的従属性の程度に求めております。1970年代に入りまして、ドイツにおいて放送局で働く自由協働者が訴訟を大量に提起したことから、それに触発されまして学界でも労働者概念に関する議論が活発化いたしました。次の○です。学説における労働者概念の境界画定に関する議論の集大成と言われるのがヴァンク教授の論文で、その中では既に判例で取り入れられていた事業者性の判断要素も踏まえて、労働者と独立事業者の境界画定が試みられました。そして、ヴァンク教授は判例の労働者概念について批判しまして、従来の人的従属性に代わるものとして経済的従属性を重視した判断基準を提示しました。次の○です。ヴァンク教授の見解は、連邦労働裁判所の判断に一定の影響を与え、社会法典改正、これは社会保険の強制被保険者である労働者の推定規定にも取り入れられました。しかし、高い失業率等を背景にした政府の施策などの影響もあり、労働者概念を広く認めることに慎重な姿勢がとられることになりました。また学界においても、ドイツでは労働者概念を拡張した第三のカテゴリーとして「労働者類似の者」が設けられておりまして、ヴァンク教授の説では、この「労働者類似の者」と整合性が取れないとの批判を受けました。2002年末にはヴァンク教授の見解の影響を受けて、先ほどご説明した労働者の推定規定が削除されるに至り、ドイツでは現在も人的従属性による判断が維持されております。
 2.が、ヴァンク教授による労働者と独立自営業者の境界画定の内容になります。ヴァンク教授の論文は、以下のように記載があります。1つ目の○です。従来は主に労働者と自由協働者が比較されておりましたが、労働者の従属性を示す生産手段の所有、組織への編入といった事項は、すべて経済的な要因であり、むしろ「委託者に経済的に従属する労働者」と独立自営業者が対比されるべきであるとされております。
 ○を1つ飛ばしたその次の○「労働者と独立自営業者と区別する基準は」のところですが、その基準は「事業者のリスク」であって、独立事業者と認められるためには、「事業者のリスク」を負うことを自発的に選択したと言えることが必要であるとされております。
 次の○です。目的論的に形成された「事業者のリスクの自発的な引受け」という指導理念によって、以下のような下位のメルクマールも明確にすることができるとされております。1は、自己の事業組織を有していないこととされ、自己の労働者を雇用していないこと、自己の事業設備や事業資本を有していないことが挙げられております。2は、市場で取引をしていないこと、専属性が挙げられております。3は、チャンスとリスクが適正に配分されていないこととして、場所的拘束、時間的拘束、指示への拘束等が挙げられております。
 次の頁です。補助的な基準として、自己認識及び社会通念も、独立自営事業者か労働者か、どちらとも判断がつかない場合には意味を持ち得るとされております。私からの説明は以上になります。
○荒木座長 ありがとうございました。ただいまご説明のありました資料1-1及び資料1-2について、ご質問あるいはご意見があればお願いします。どうぞ。
○水町委員 資料1-1の下請法の適用対象と、労働基準法や労組法の適用対象が重なり得るのか。法律が作られたときにそういう点が想定されているのか。これは別々の省庁で作っていますよね。そういうときに、省庁間のすり合わせで、ここまではここのテリトリーで、ここまではここのテリトリーという意識なり考え方があったのかです。素人として見る限りでは、下請法の規制している内容というのは労基法の規制とも重なり得るようなところがあって、となると労基法と住み分けを考えたほうがいいのか。局限的な事例では、住み分けができなくて両方適用されることが場合によってあり得るかもしれません。両方適用されるときには、弱い立場の人に対して公法的な規制を掛けるというから、より有利なほうが適用されるとか、そういう点も少し法的に考えなければいけないのかなという点が1つと、労組法の観点からすれば下請法と特にバッティングするような内容の規制ではないので、労組法の適用対象については特に下請法だから、労基法だからとこだわらずに、これを読む限りでは労組法の趣旨が当てはまれば、下請法の適用対象になっている人も適用していっていいのかなという気がしたのですが、その点について教えていただければと思います。
○平岡補佐 まず、制定当時の住み分けの件ですが、労基法についてはいままでそういう視点で調べなかったので、現時点ではわかりません。ただ労組法の関係については、下請法についても独占禁止法についても、かなり資料等を当たってみたのですが、こちらについては各関係省庁間で何かやり取りをしたかどうかというのが、いまとなっては明確な書類が残されておりませんで、そこは明らかではありません。たしか前回の資料だったと思いますが、独占禁止法の制定当時、その当時は事業者しか規制対象にしていなかったのですが、そのときには一応立法者のお一人が書かれた本の中には、考え方としては基本的に独占禁止法のほうからアプローチするのではなくて、労働組合が独占禁止法上、何か問題となるような行為等を行ったような場合については、労働組合のほうで然るべき対応が取られるものであると考えられると。ちょっと雑駁な表現かもしれませんが、そのような考え方が示されておりまして、そういった意味で一応立法者の意思としては、当時は考えられていたというのがわかる部分はあります。
 2番目の労組法と下請法との関係、独占禁止法との関係ですが、こちらについても先ほどの制定当時の整理があまり明確ではないので、実は現在もあまりよくわからないというところです。ただ、資料1-1の独禁法の最後の説明のところにありますように、独占禁止法の適用を受ける事業者又は事業者団体であっても、目的のある地方公共団体の事業などという例示はありますが、それ以外の要件である「公共の利益に反して」とか、「競争を実質的に制限する」とか、ほかにも要件は掛けられていますので、その解釈の観点から労働組合や労働組合の構成員である労働者の行為が、この独占禁止法の適用、規制を受けることになるかどうかというのは、また別途判断はされ得るのかなと。解釈ですが、そういう整理は一応なされている状況にはなっていると思います。
○荒木座長 橋本委員は、いまの議論でよろしいですか。
○橋本委員 説得的な議論ができるか自信がないですが、水町先生の書かれたアメリカ労働法のご著書にもありますように、外国では労働者以外の者が団結して、何か自分たちの契約条件を集団で交渉することは完全に独占禁止法の対象となっています。日本で相当する法律は、労組法と独禁法だと思うので、はっきり分かれるべき領域なのかなと思います。むしろ、労基法と経済法よりは、労組法と経済法の方が相互の関係性が問題になりうるのかなという気はしています。
○水町委員 労働組合が労組法で守られるのか、独禁法の適用があるか、ないかという点は、ある程度これまでも議論されてきたかなと思います。私が1つ気になったのは個人事業主として、運送業務とかビルメンテナンスをやっている人たちに、下請法の適用があって事業者として守られるのか、それとも労働者として労基法とか労組法の適用があるのかという点が必ずしもはっきりしていないような気がしています。いまのような私の整理で、これまで議論があまりなされていないとすれば、そういう議論を積み重ねていって、今後取扱いを学問の世界とか実際の行政の運用の中で決めていくことになるのかなという気がしたということです。
○荒木座長 まず、独禁法と労組法の関係は、おそらく独禁法は自由競争を守るという観点ですから、カルテルは禁止されている。ですから、労働協約もそのカルテルの典型的なものということですので、諸外国では労働組合法の適用領域については反トラスト法などは適用除外となる。日本は独禁法については適用除外の規定がないものですから、そこをどうするか。独禁法の制定当時は、前回事務局からも用意いただきましたが、労働組合は独禁法の事業者には該当しないという立法担当者の解説があって、そこでおそらく労働契約とカルテルの関係は処理されると思っていたと思いますが、その後事業者団体についての規制が入ってきて、いまの事業者団体の考え方は非常に広いということで、独立自営的な方が労働組合を作ったときに、一体どうなるのかというのを改めて整理しないと、独禁法本体との関係が問題となるだろう。
 さらに、もう1つは下請法。これは、独禁法と下請法の関係が今回、補完法として制定されたとありますが、下請法というものが独禁法の体系の中でどういうふうになるのか。自由競争を擁護するという関係なのか。それとも経済的な弱者の保護ということからすると、実は労働法、労組法、労働基準法等の規制と共通する部分があるということが水町委員のご指摘かと思います。独禁法と下請法の両者の関係、それから経済的な弱者保護の下請法と労働法の保護の関係をもう一度整理すべきではないかというご指摘かと受け止めました。
 ほかの点でいかがでしょうか。特によろしいですか。資料1-2のヴァンク教授の議論については、後ほど何か議論があれば橋本先生からも補っていただけると思いますので、先にまいりたいと思います。
 資料2-1と資料2-2の最高裁の新国立劇場事件、INAXメンテナンス事件について最高裁の判決を付けていただいています。これについては、こちらからお願いしました橋本委員に分析をしていただきたいと思います。そのご報告を受けて、後ほど議論をしたいと思います。お願いします。
○橋本委員 4月12日の新国立劇場事件とINAX事件の最高裁判決について、簡単にコメントさせていただきます。先週末の学会でも、このテーマでご報告させていただきまして、そのとき会場で聞いてくださった委員の先生方もいらっしゃいますし、いろいろな理解が可能な判決でありまして、学会でも多くのご批判をいただいたところですので、私の意見は簡単に済ませたいと思います。
 まず、新国立劇場事件はCBC管弦楽団事件最高裁判決の調査官解説が経済的従属性を示すものであって、法的(人的従属性)を示す要素ではないと述べて否定した契約内容の、一方的決定に明示的に言及している点が注目されます。それ以外の点は、基本的には事案が類似していることもありまして、CBC管弦楽団事件と同じ判断と言っていいように思っております。
 ただ、気になる点を指摘させていただきますと、CBC管弦楽団事件では最高裁は演奏という特殊な労務を提供するものであるので、時間的な自由度は高いけれども、会社の一方的な指定によって出演に従わなければならない以上、指揮命令の権能を有しないとは言えないという言い方をしているのに対して、新国立劇場事件では芸術的役務の特殊性というものには一切触れておりませんで、むしろ歌唱技能の提供の方法や歌唱すべき歌唱の内容について、合唱指揮者等の指揮を受け、稽古への参加状況については財団の監督も受けていたという叙述があります。したがって、この点からは新国立劇場事件では、CBC管弦楽団事件よりも指揮命令への拘束という要素が強調されているという読み方もできるかもしれません。また、判決では冒頭に「組織に組み入れられて」という叙述も出てきますが、CBC管弦楽団事件と同じように判決全体の内容から見て、事実上出演を拒否できなかったことから、組織への組入れということを認めていると言えるのではないかと理解しております。
 続いてINAXメンテナンス事件に移ります。まず事実関係の評価方法について、原審では業務委託契約の委託内容による制約に過ぎないといって、研修への参加義務やINAXのランキング制度による「CE」の管理というものを労働者性を裏付ける拘束とは見なかったわけですが、このような見方、判断方法を取らなかったところは適切であると評価すべきだと思います。
 次に、判断要素の分析に移ります。今日の資料2-3で概要をまとめていただいています。資料2-3の2.「最高裁判所判決の要旨」に○が付いていまして、上から1つずつ番号を振って、それぞれ労働者性の判断要素として抽出できる部分を抜いてくれてあるのではないかと思います。1番目は、これはさらにもう少し具体化していかないと、意味が明確にならないと思っていますが、組織への組入れという基準。2番目は契約内容の一方的決定。3番目は報酬の性格。4番目は業務諾否の自由の有無。5番目は時間的・場所的拘束、そして指揮監督下の労働。この1から5の要素を抽出できるのではないかと思います。この要素自体は、新国立劇場事件最高裁判決からも全く同じ要素が抽出できると思います。このうち、上から3つの1から3は、ソクハイ事件で中労委が定立した労働者性の3つの判断基準に対応していると思います。
 もう少し具体化が必要だと申し上げました組織への組入れについてですが、このINAX事件ではその前の部分の文章から、1番目にライセンス制度やランキング制度による管理、2番目に担当地域の割り振り、3番目に業務日及び休日の指定といったところから、組織に組み入れられてということを言っていますので、この3つの要素が下位の判断要素と位置づけられるのではないかと思います。
 実は、どうしようかとちょっと悩んでいたところがあったのです。判決からは、もう1つ組織への組み入れの要素として抽出すべきかどうか問題になりうるところがありまして、それは会社の主要な業務である修理補修業務を担っていたのが会社の従業員ではなく、CEであったという趣旨の叙述です。判決でいうと冒頭ですが、「前記事実関係等によれば」のあとから2行ぐらいの「被上告人の従業員のうち、被上告人の主たる事業であるC(INAX)の住宅設備機器に係る修理補修業務を現実に行う可能性がある者はごく一部であって」という部分です。同じように、会社の主要な事業を担っていたのが委託就業者であったという叙述はソクハイ事件にも出てきます。新国立劇場事件では、合唱団員の歌唱労働力が劇場の公演に不可欠であったという叙述が、これに相当すると思います。私は、この部分に意味があまりないのではないかと思って、半ば読み飛ばしていました。しかし、後ほど議論になると思いますが、今日の資料4の労組法上の労働者性の判断基準(案)の1、2頁に1「事業組織への組込み」があって、最初の○の組織の構成の部分が、この判断基準(案)では要素として抽出されているという理解ができると思いますので、やはり議論の対象になるのかなとも思います。私見を述べさせていただきますと、この部分はあまり強調できないのではないかと思っています。例えば完全に自営業者と言っていいフリーの翻訳家のあっせんを行う事業者が仮にいたとして、フリーの翻訳家を多数抱えておく必要があると思いますが、だからといってそのことから翻訳家が労組法上の労働者と言えるのかというと、あまり関係ないのではないかと思います。
 このように、組入れの要素として3つほど整理したのですが、それらの要素の独自性というものを検討してみますと、業務日及び休日の指定というのは時間的、場所的な拘束として別途最後に出てくる5番目の要素と重なってきますし、ライセンス制度によるCEの管理といった要素も、かなり指揮命令関係と言えるような事情ではないかと思います。問題となるのが担当地域の割り振りですが、これは労働者性の要素にはならないと考えています。特約販売店のように労働者とは考えられていない事業者がいると思いますが、通常担当地域というのは決まっていると思います。こういう除くべきである要素を除いた上で残った要素を見てくると、ライセンス制度、ランキング制度といった管理や休日、業務日等の指定といった要素は、結局指揮命令の拘束に帰着してしまうのではないかと思いまして、組織への組入れの要素の独自性というものを打ち出すことは、なかなか難しいように感じております。
 4番目と5番目の労基法の労働者性ともかなり重なってくる業務諾否の自由の有無と指揮命令の拘束の要素をどう評価するかが、この判決のカギかとは思いますが、最高裁は、かなり重視していると読めるのではないかと考えています。この研究会でも、労基法と労組法の労働者概念の関係について、判断要素ないし判断基準で両者を区別するのは難しいのではないかということを申し上げておりまして、その判断要素の評価の仕方において、労組法のほうが労働者性を肯定する方向で、緩やかに行われていると言えるのではないかと考えてきましたが、今回の最高裁判決もその方向性を示していると言えるのではないかと思っています。それなら、労基法と同じく使用従属性という概念で総称できるのかという問題も出てきますが、この点はどう上位概念に立てるのかというのは言葉の持つイメージというのは大きいですので、学会でも議論が錯綜していますので、これから慎重に考えていきたいと思っています。
 最後に、私がわからない点として保留していた問題がありますが、この場で先生方のご意見をいただければと思う点があります。それは、いま労組法と労基法とで判断要素で違いはないのではないかということを申し上げましたが、正確に言うと判断要素だけを見るならば、労組法のほうが労基法よりも少ない要素しか見ていないという評価もできると思います。つまり、労基法では労働者性を補完する要素として位置づけられている専属性や、事業設備の資本の有無等の事業者性の要素が、今回の最高裁判決からはあまり出てこないと言えると思います。組入れとして挙げられていた要素でも、事業者性の要素を前面に出してきてはいないと思います。今日の資料4の判断基準(案)の2頁の組入れの中の専属性の3番目の○に出てきますが、私は専属性は重要な要素だと考えています。最高裁自身はこれらの判決で、専属性には直接言及していないと思います。この点、非常にこの判決について気になっています。以上、簡単ですが気づいた点を述べさせていただきました。ありがとうございました。
○荒木座長 ありがとうございました。新国立劇場とINAXメンテナンス事件の判決を前提にコメントをいただきましたが、どういう判決だったかというのを踏まえてということもありますので、事案等については事務局のほうで簡単にご説明いただけますか。
○平岡補佐 事案の概要について説明をさせていただきます。資料2-1が、新国立劇場運営財団事件の最高裁判決になります。1.は事案の概要です。Aは、X財団との間で、平成10年から平成15年まで契約メンバーとして出演契約を締結しながら、新国立劇場の合唱団のメンバーとして劇場において開催された多数の公演に出演していましたが、平成15年8月から次の年の7月までのシーズンについての出演契約に先立つ歌唱技能についての審査により、契約メンバーとしては不合格である旨の告知がなされました。
 次の○です。Aの加入する労働組合は、1新国立劇場合唱団の契約メンバーにAを合格させなかったこと、2労働組合からAの次期の契約に関する団体交渉を申し入れたにもかかわらず、財団がこれに応じなかったことがいずれも不当労働行為に当たるとして申立てを行いました。都労委は、1については不当労働行為に該当しないとして申立てを棄却しまして、2については不当労働行為に該当するとして、団交応諾等を内容とした救済命令を発出しました。
 次の○です。労働組合は申立ての棄却部分について、財団が救済命令を命じた部分について、それぞれ再審査を申し立てましたが、中労委は双方の再審査申立てを棄却しました。X財団及び労働組合はこれを不服としまして、それぞれ中労委の再審査の申立棄却命令の取消を求めたものです。
 最後の○です。東京地裁は、Aの労組法上の労働者性を否定しまして、労働組合の請求を棄却しました。労働組合はこれを不服として控訴しましたが、東京高裁も同様の判断をしました。そして、労働組合及び国は最高裁に上告をいたしました。
 2.最高裁判決の要旨のところで、判決の内容については橋本先生にご説明していただきましたので、2頁の最終的な判断のところだけ簡単にご説明します。上から4つ目の○です。諸々の判断要素について諸事情を総合考慮すれば、Aは財団との関係において労働組合法上の労働者に当たると解すべきという判断をした後に、次の○で、財団が不合格措置を採ったこと及び団体交渉を拒否したことが不当労働行為に該当するか否かについては、原審に差し戻すという判断でした。
 資料2-3は、INAXメンテナンス事件の最高裁判決の概要になります。1.は事案の概要です。Xらは、住宅設備機器の修理補修等を業とする会社との間で業務委託契約を締結して、修理補修業務に従事しているカスタマーエンジニア(CE)である。Xらが加入する労働組合が、労働条件等に関して会社に団体交渉を申し入れたところ、会社がCEは労組法上の労働者に当たらないとして団体交渉に応じなかったため、労働組合が不当労働行為に該当するとして申立てを行ったものです。
 大阪府労委、中労委については、CEが労組法上の労働者性を肯定しまして、団交応諾を内容とした救済命令を発出しています。それについて、会社はこれを不服としまして、東京地裁に中労委の再審査申立棄却命令の取消を求めたものです。最後の○です。東京地裁はCEの労組法上の労働者を肯定しまして、会社の請求を棄却しましたが、会社がこれを不服として東京高裁に控訴したところ、労組法上の労働者を否定しまして国の請求を棄却しました。国は、最高裁に上告しています。
 2.の最高裁の判決の要旨ですが、同様に内容については橋本先生からご紹介いただきましたので、結論だけを申し上げます。2頁の上から2つ目のパラグラフです。以上の諸事情を総合考慮すれば、Xらは会社との関係において労働組合法上の労働者に当たると解すべきと結論をいたしました。次の○で、本件議題は、Xらの労働条件等又はXらの管理する労働組合と会社との団体的労使関係の運営に関する事項で、会社が決定可能な事項であるから、会社が労働組合の団体交渉を拒否することは許されず、労働組合法第7条第2号の不当労働行為を構成するという結論に至っております。なお、説明は割愛しますが、裁判官の補足意見も付けられております。簡単ですが、以上です。
○荒木座長 ありがとうございました。司会の不手際で、順序が逆になりまして失礼しました。いまのような判決について橋本先生からコメントもしていただきましたので、どうぞご自由にご議論いただきたいと思います。
○原委員 これらの最高裁判決の位置づけですが、オペラ歌手、業務委託の形で働いている修理補修業務の業者に対して、労働者性の判断要素は網羅的に示されていて、あとはこの研究会や学説のほうでその判断要素間の位置づけや関係を議論していけばいいといふうに、判断要素自体はもう網羅的に示されたのだと理解すべきなのか、それとも必ずしもそうではなく、たまたま今回の事案ではこれらの判断要素が諸事情として考慮すべきであるとされたけれども、ちょっと事案が違えば、ほかに回挙げられていない判断要素も出てきうるものなのか、その辺はどう理解すればいいのだろうかと読んでいて感じたのですが、いかがでしょうか。
○橋本委員 重要なご指摘だと思います。一般論の形で論議立てていないので、この事案においてこれらの事情に着目して結論を出したということで、一応5つぐらい事務局が出してくれたような要素が抽出できて、それは新国立劇場とINAX事件で対応していたのですが、これ以上出てくる可能性は否定できないと思います。最高裁自身はこれらの事情というか、5つの○でまとめてくれている要素をかなり意識した上でこれらの要素を挙げているのだろうなと思っていますが、これに限るべきだという読み方は一般論を立てていない以上はできないと思います。
○水町委員 2点あります。1つ目は、橋本さんがおっしゃったCBCとの関係ですが、契約の一方的決定について明示したというのがこの判決の位置づけだということで、逆に言うとCBCはそれ以外の4要素に基づいて判断していたけれども、今回の2判決はそれプラス契約内容の一方的決定という要素を加えた5要素で判断しているというところが、新しい点だという理解でいいのかというのが1つです。
 2つ目は、一般論を展開していませんが、なぜこの5つの要素が用いられていて、2つの事案が違う判決でも、同じように5つの要素が用いられていますよね。一般論は言っていないけれども、一般的に背景やその根拠にあるものが何なのかというのを少し考えて整理をすることが我々にとっては必要だと思います。私のざっと見た印象によると、労基法は人的従属性をメインに考えるとしても、労組法上は経済的従属性を見て考える。考え方としては2つあって、経済的従属性のみを見るという考え方と、経済的従属性と人的従属性を併せて考えるという考え方があると思います。最高裁の5つの要素は、順番でいうと、123の組入れと一方的決定と諾否の自由というのが、どちらかというと経済的従属性に近い要素で、5と6の賃金類似性と指揮監督性というのは、人的従属性に近い要素であって、必ずしもピタッと当てはまっているわけではないですが、そういう意味で経済的従属性と人的従属性を基礎づけるような要素を併せ鑑みて、労組法上の労働者性を考えるという見解に最高裁は立ったと解釈していいのか。背景にあるものとして、そういう考え方で今後理論的に考えていっていいのかという点について橋本さんのご意見をお伺いしたいと思います。
○橋本委員 ありがとうございます。CBC管弦楽団事件との違いで、契約内容の一方的決定を出したところが新しい要素なのかについてですが、コメントしなかったのですが、その点は明らかに指摘すべき点だとは思いますが、この要素自体、私は労働者性を決定づけるものと思っていません。というのは、一方的に決定される契約というのは多数存在します。労働契約以外にも消費者契約、あるいは明らかに商事契約であっても交渉力に欠如があればあり得るわけですので、むしろ労働者の前提というべき概念で、あまり言っても言わなくてもいいかなというのが正直なところです。
○水町委員 「私は」という考え方はわかりますが、判決の客観的な理解としては、いまのような整理でいいのかということです。
○橋本委員 そうです。これについては、調査官がはっきり否定していたので、つまり、CBC管弦楽団事件では、契約内容の一方的決定は経済的従属性を示す要素で労働者性の要素とすべきでないということをおっしゃっていたので、今回の判決で明示されたことにもちろん意味はあり、分析すべきところだと思います。
 あとは指揮監督の要素、指揮監督の時間的、場所的拘束や具体的指揮監督下については、具体的な指揮監督という言い方は、はっきり労基法に近い形で表現していますので、CBC管弦楽団のように指揮命令の権能といった漠然とした言い方よりは、もっと具体化していると思います。時間的、場所的拘束も具体的指揮監督下の労働も労基法よりは緩やかに見ているので、CBC管弦楽団と意味しているところは同じだと思いますが、もう少し要素を具体化したところはCBC管弦楽団との違いではないかと理解しています。
 次の経済的従属性を打ち出したのではないかというところですが、最後に私がコメントした専属性や事業設備資本の有無等がむしろ全面に出てきていないので、経済的従属性をどこから見るのかというところももちろん議論があるところですが、経済的従属性については、むしろはっきり言っていないのではないように思いました。判決の背後では、労基法より労働者の範囲を広げていることから、経済的従属性を考慮していると思いますが、要素としてはっきり出てきていないなというのが特徴ではないかと考えています。水町先生のおっしゃった組織への組入れと契約内容の一方的決定は経済的従属性と整理できると思いますが、2の業務諾否の自由の有無の場合については、性格づけはなかなか難しいというか、労基研の報告書では使用従属性のほうに分類されているかと思います。
○水町委員 それ自体が本当にいいのかどうかというのがありますが、わかりました。
○橋本委員 組入れのところは、私は指揮命令の労働と指揮命令への拘束の要素に帰着してしまっていることしか言っていないのではないかという理解を示したところです。ここは議論はあると思います。
○山川委員 先ほど橋本先生の言われた点で、特に同感だったのは、契約の記載とか形式というよりも実質を重視した判断がなされて妥当であるという点です。そのように読めるのは例えば新国立劇場事件ですと、出演辞退例が僅少なものにとどまっていたことと、いわゆる一方的決定についても、一方的決定権といったような法的な話ではなくて、実質的に交渉の余地がなかったという趣旨を述べている点です。INAXメンテナンス事件においても、契約の実際の運用ということを考慮していますし、いまの話と若干関わりますが、INAXメンテナンス事件ではCEが独自に営業活動を行って収益を上げているかどうかも要素に入れていて、それがあったとしても例外的な事象であるとして、これも実態を捉えている点もあります。このあたりは両判決において、原判決との対比が比較的際立つというか、契約にこう書いてあるからこうだということではなくて、実態を見ているとで読めるのではないかと思って同感です。
 判決の客観的な内容や認識の問題については、評価の問題とは、報告書にするときには、区別したほうがいいのではないかと思います。いま水町先生も言われたところですが、その点でいうと、事業組織への組み込みのところで、事業の遂行にとっての不可欠性考慮要素とするのは妥当でないと思われるというのは評価の問題で、判決の文章上の読み方がまず第1にすべきことでありますが、その点はいかがですか。
○橋本委員 そうですね。ただ、結局どういうことなのか、これだけからは、不可欠な要素ということの意味が曖昧だと思います。正社員と委託就業者の人数が問題になるのでしょうか。
○山川委員 不可欠な要素と言っているかどうかもわからないわけですね。要素というのは不可欠でないから要素で、不可欠だったら要件ですよね。
○橋本委員 この不可欠な労働力という部分ですよね。
○山川委員 そういう意味ですか。わかりました。誤解しておりました。でも、文章上は明らかに要素として挙げていると思います。
○橋本委員 わかりました。
○山川委員 今の点でもう1つは、新国立劇場事件判決の8頁を読んでいくと、「目的として締結されていたものであるといえるから」の「から」というのが、組入れの根拠づけとなっている表現であるわけですが、その中の重要なのは「目的として」という部分で、「多数のオペラ公演を主催する」ということがわざわざ「多数」を何回も出てきますがそのことからすると事業の実施に不可欠な歌唱労働力として組み入れるということが、目的の面から捉えられているというような文章の構造になっているように思われます。INAXメンテナンス事件は必ずしもそうではないですが、「恒常的な確保のため」という表現がありますので、事業活動の中身と、それにとっての不可欠性というか、主要な事業活動を主として担当させていて、それを目的とした取扱いがなされていることという観点から捉えているという点が言えるのかなと思います。
 また、管理や指定というのも、特に指揮命令の程度に至らなくても、端的な法人の旅行代理店についても、管理して配置を割り振っていることはあるかもしれませんし、事業者性を持っている場合であってもあり得るかもしれないので、そこは必ずしも指揮命令ということとは直結しないのではないか。例えば、フランチャイズチェーン店などはどうなるのかという感じもあるわけです。ただ、この要素だけ、つまり事業組織への組込みという要素だけを独立に考えると、それだけでは労働者性の判断にとって不可欠とは言えない。そのような意味で当然に労働者性を導かないという判断は原判決などでよく示されていて、1つだけ取り出してそれでは不十分だということをまとめると否定する結論になります。というよりも、それぞれの判断を総合判断するというのは、ある意味単独では結論を当然には導けないものでも、総合判断すれば結論が導かれうる、ということが総合判断の意味ではないかという感じがするわけです。
 その意味では、不可欠な労働力としての組込みという要素を、目的の他、必ずしも指揮命令とまではいえないような客観的事実をみて、それだけを純粋に取り出してみれば、そのこと一事をもって労働者性を肯定できないものでも総合判断のプラスファクターになり得ることは言えるのかなとは思います。それも先ほど申し上げた私の評価かもしれないので、現実には客観的な認識と評価を区分するのは難しいですが、とりあえず文章の中身だけを客観的に認識する必要はあると思います。
○荒木座長 ありがとうございました。いまの点でもいいですし、ほかにいかがでしょうか。
○水町委員 この最高裁の考え方と、その前に出た中労委の考え方、さらには中労委の考え方の理論的な背景、根拠になったであろう山川先生のご論文との関係は同じなのか、それともここら辺がちょっと違うなというのがあればお教えいただきたいと思います。中労委と同じですか。ソクハイ事件等。
○山川委員 ソクハイ事件命令自体は所属していたのとは別の部会で出されたものですし、私が書いたものはそのあとのものですので、特に根拠になったとは思っていませんが、中労委命令では、要素の順番という点からは、まず基本的要素として事業組織への組込みと一方的決定、及び報酬の労務対価性が出てきています。最高裁判決を見ると、新国立劇場事件判決のほうは、最初に事業組織への組入れが出てきて、2番目に諾否の自由の観点に相当する個別公演の出演申込みに応ずべき関係が出てきて、3番目に一方的決定が出てくるということで若干違います。先ほど申しましたようにINAXメンテナンス事件判決のほうは、最初に事業組織の組入れが出てきて、次に一方的決定が出てきて、3番目に労務の提供の対価としての性質を有する報酬という点が出てきているので、こちらは順番からすればソクハイの要素どおりかと思います。若干、新国立劇場事件判決のほうは違う点もありますが、それでも事業組織への組入れが最初に出てきていて、それから一方的決定が3番目に出てきている点からは、比較的ソクハイの挙げた要素は重視されているのかなと思います。順番だけからすべてが決まるわけではないと思いますが、判決を書くときに順番を全く無視して書くことはたぶん考えられないと思いますから、少なくともそれなりに重視されているのではないかという感じです。申し上げられるのはこのぐらいかと思います。
○水町委員 INAXメンテナンスでいうと5つの要素のうち、4番目に諾否の自由があって5番目に指揮監督の有無というのがありますが、中労委命令でこれを考慮しないと言っているわけではなくて、1、2、3の中に入れ込んだ形で枠組を立てているので、大枠としては同じと理解することができるということで、その関係を教えてください。
○山川委員 必ずしも両者がどのような関係にあるかまで読めるかどうか順番として後のほうに出ているとか、「加えて」などというような接続詞が用いられていることからある程度推測はできそうですが、接続詞もいろいろなところで「しかも」とか「そして」などが書いてあるから、それだけで明確なことは言えないかと思います。ただ、おっしゃるように、事業組織への組入れプラス一方的決定といった主要な要素をある意味で補足的に根拠づける要素として、ソクハイ事件命令では、諾否の自由や指揮監督下での労務の提供という要素が位置づけられていますので、そのような読み方とは必ずしも整合しないわけではないと言っていいのかなと思います。
○水町委員 ありがとうございます。
○原委員 そうすると、出てくる判断要素、判断の項目自体は中労委も最高裁も一緒だけれども、要素間の関係は必ずしも一緒かどうかはわからない、一緒とは限らない、という理解ができるということでしょうか。判断の要素自体は同じであって、ただその要素間の位置づけやその関係性は、必ずしもすべて一致しているわけではないということになるのでしょうか。
○山川委員 一致しているかどうか、あるいはどのような位置づけかについては少なくとも明言はされていないということかなと思います。
○水町委員 印象としては、ソクハイは一般論を出しているので、きれいな枠組みになっているけれども、最高裁は一般論を出さないで要素を羅列しているので、こういう羅列になった。気持的にはほとんどダブっているのではないかなと私は印象として持っています。
○有田委員 そうすると、総合考慮ということですが、そうは言ってもやはり5つは不可欠というように読むべきと考えられるのかということが、気になりました。もう1つ、補足意見なので、これをどのように位置づけるかということはありますが、気になったのは補足意見の中で「自ら個人として直接の受託者となる場合を予定するものであり」と述べているところです。これは、これまではおそらく当然のことだと考えられていたのかもしれないこと、履行補助者を使って、例えば法人の組織になっていてというものは、基本的に入らないということを言っているのではないか。要するに本人自らが労務の提供をするようなもののみが基本的には対象になるのだということを、念のために明確にしたという意味合いなのか。これまでの検討というか、最初の諸外国の例等を見る中で、例えばイギリスのワーカーはまさにここが要になっていたというところでしたので、その辺が少し気になりました。おそらく当然のことなのだろうけれども、今回、補足意見の中で、その意味では初めて明確にされたのかなと。逆に言えば、そうでないものが今後出てくる場合には、ここでまず引っかかることもあり得るということが補足意見として言われているのか。基本的な全体の基準とか要素などという先ほどの議論とはちょっと外れますが、その辺も少し気になりましたので、もしご意見が伺えればと思います。
○荒木座長 非常に大事な点をご指摘いただいたと思います。ちょっと議論を整理させていただきますと、高裁判決で、2件とも労組法上の労働者性が否定された。それが最高裁では肯定されたと、逆の結論になったのですね。それがどういう意味を持っているかというのを、まず確認をしたいと思うのですが、なぜこの高裁判決が最高裁でひっくり返ったのかというところ辺りは、どうでしょうか。それが実は最高裁が5つの要素を挙げて、こういう結論を導いていることの意味にもかかわると思うのですが、そこは、まずいかがでしょうか。先ほど山川委員がおっしゃったのは、中労委と同じように、最高裁も就労の実態を見るということだったのではないかというご指摘がありました。その比較からすると、高裁はどういう判断をしたのかという確認ですが、そこはどのように理解すべきなのでしょうか。山川先生、その点はいかがでしょうか。
○山川委員 高裁判決を直前に見てこなかったのですが、1つはやはり、法的な使用従属の関係とか、法的な指揮命令関係、あるいは個別公演出演契約を締結する法的な義務ということを言っていた点です。もう1つは、契約書において、このような取扱いが記載されているからというような評価がかなり出てきたように記憶しております。1つは判断の中身が法律上の権限ということに焦点を置いていた点で、もう一つは、契約書での取扱いを重視している点、あるいは、業務委託契約であるからそのような取扱いは必然であるとするなど、実態よりも、契約の性格付けから評価を行っている点で、これは以上の2点とは少し次元が違うかもしれません。両事件について妥当するかどうか、今もちょっと確認できませんが、大雑把に言うと、原判決にはその3点ぐらいの特色があったのかなと理解しています。
○荒木座長 ちょっと確認しますと、新国立劇場だと判決文の8頁の下から8行目ぐらいですが、「出演基本契約書の条項に個別公演出演契約の締結を義務付ける旨を明示する規定がなく、契約メンバーが個別公演への出演を辞退したことを理由に被上告財団から再契約において不利な取扱いを受けたり制裁を課されたりしたことがなかったとしても」と、言うならば契約上債務不履行とか、制裁を受けるということが契約に定められていなかったとしても、そのことから直ちに自由に公演を辞退することができたということはできず、実態としては出演を辞退した例は僅少なものにとどまったと。いまご指摘いただいたのはその点ですね。契約上、義務付けられていたかという法的な義務として見た高裁について、最高裁のほうは契約上そう義務付けられていなくとも、実態として辞退する者が僅少であったという場合には、9頁の2行目で、「申込みに応ずべき関係にあった」と。これまで諾否の自由として議論してきた問題ですが、「申込みに応ずべき関係にあった」と。法的な拒絶の権利とか応諾の義務という言葉を最高裁は避けまして、「申込みに応ずべき関係にあった」という判断をしたと。
 同様のことがINAXでも、最高裁の判決だと8頁の下から8行目ぐらいですが、「たといCEが承諾拒否を理由に債務不履行責任を追及されることがなかったとしても、各当事者の認識や契約の実際の運用においては、CEは、基本的に被上告人による個別の修理補修等の依頼に応ずべき関係にあった」と。やはりここでも債務不履行責任が生ずるかどうかという契約の解釈、権利義務関係の存否ではなくて、依頼に応ずべき関係にあったかどうかという観点から見たというのが、高裁と最高裁の大きな違いだと思われます。
 もう1つ、山川先生が言われたとおり、高裁判決の1つの特徴は総合判断であったはずなのですが、実は一定の拘束が生ずるようなことは高裁も認めているにもかかわらず、それは業務の性質上、当然生ずるものであるとか、あるいは新国立劇場のほうは、集団的舞台芸術によるものであるということで、総合判断であれば、労働者性のプラス要素として考慮に入ってもいい要素が、プラス要素から除かれていたかもしれない。最高裁はその部分を素直に総合評価に含めてきたという違いをご指摘されたと思います。
 高裁と最高裁では、大きくはまずこの2つの点が違うということが確認できると思います。次にこの5つの要素について、先ほど議論がありました。中労委は、その後ソクハイ事件、前回も紹介いたしましたが、3つの要素で一般論を立てているのです。1番目が事業組織への組込み。2番目が契約内容の一方的・定型的・集団的決定。3番目が報酬の労務対価性といったことです。
 そのあと、ソクハイ事件は事業組織への組込みの、言うなれば補完事情といいましょうか、補強要素みたいにして、指揮命令の拘束とか、時間的・場所的拘束ということを言っている。そこの理解をもう少し議論してみたほうがいいかと思います。仕事の依頼を事実上拒否できないとか、一定の時間的・場所的拘束が生じているということと、組織への組込みが同じことを言い換えているのか、それともちょっと違うものとして位置づけられているのかという辺りについては、いかがでしょうか。
○橋本委員 判決をINAX事件の最初の部分から見ますと、組入れに言及している部分ですが、先ほど問題になりました主たる事業である修理補修業務を現実に行っているのが会社の労働者である従業員ではなくて、CEであったこと。あと、ライセンス制度やランキング制度というのは、後ろのほうの指揮監督の所では出てこないので、最高裁はやはり要素は全く言い換えとは捉えていなくて、違うものだというように、中労委はそう考えたと私は理解したのです。違う要素を挙げて独自性を出そうとしていることを、一応は肯定しているのかとは思います。ただ、そこはそう言えるかという批判をしたつもりなのですが。
○荒木座長 組織への組入れの所、例えばINAXの最高裁の7頁は、橋本先生もご指摘いただいたように、まさに修理補修業務を現実に行うのは正社員の者はごく一部で、主としてこのCEの方がやっているという状況にある。とすると、このCEという者は事業の遂行に不可欠な労働力として恒常的に確保するために被上告人の組織に組み入れられたものと見ております。ここでは、諾否の自由とか、指揮命令とか、そういったことを判断する前に、それだけ独立に組織の組入れを判断しているというのが最高裁の立場かと思います。それはそういうことで了解してよろしいでしょうか。
○山川委員 それでよろしいかと思います。厳密に言えば、「不可欠な労働力として」という部分と、「組織に組み入れられていた」という部分を2つに分けることができて、不可欠であっても組み入れられていないという事態の存在も、論理的には不可能ではないかもしれません。労務提供者が主たる業務の大部分を担当していて、かつその業務に適合するように配置され、休日や業務日が指定され、日曜日・祝日については交代で業務を担当するように要請されていたということで、単に数量的、あるいは業務内容的な不可欠性のみならず、それが組み入れられているといえるのは、事業活動の中で、指揮命令下にあったといえるかどうかはともかく、各人の担当がいわば場所的、時間的な点で定められていたといえるからではないか。
 先ほどの橋本先生の話にもありましたように、この点での拘束力が強ければ、別の要素に入れてもいいかもしれません。しかし、ここでは、調整しつつ業務日及び休日を指定していたということで、時間的拘束性や指揮監督下での労務提供という要素の判断には入れにくい点が、あったのかもしれませんし、実際それらの要素の判断の部分では出てきません。しかし、それでも、会社側が不可欠な労働力として時間的・場所的な割当てないし配置は行っていて、それらのことを総合すれば、事業組織への組入れということになるのかなという感じはしています。
○原委員 その点なのですが、組入れがあったと言えるためには、時間的・場所的拘束があって、しかも諾否の自由がなかったということが必要なのではないかとも思うのです。最高裁のINAX事件の7頁の4ですが、問題となっている人たちが労組法上の労働者として保護されるかどうかというときに、ここでは住宅設備機器にかかる修理補修業務について、正社員はほとんどいなくて、専ら業務委託の人がやっていたということは、たぶん本質とはあまり関係がなくて、例えば正社員が90%で、残りの10%だけが業務委託で働いていたという場合に、その10%の業務委託の人が労組法上の労働者として保護されるということは、当然あり得ることですよね。つまり、正社員がごく一部かどうかということよりは、働く側から見れば、時間的・場所的拘束があって諾否の自由がないということが事業の側から見れば組入れがあると、そのように評価できるのではないかと。そのような見方はできないでしょうか。
○山川委員 認識の問題と評価の問題の区別という問題はあるのですが、そうだとすると時間的・場所的な拘束性があったと判断している所で、「指定した担当地域内」という記述があって、この指定を配転命令的な指定と捉えれば、拘束性がより強まるかもしれませんが、業務日・休日の指定という点はここでは出てこなくて、判決としては、時間的・場所的拘束性とは違うものとして整理しているようです。その整理が妥当かどうかという評価の問題はあるとしても、もしそれが時間的・場所的拘束性の要素と捉えていたら、そこに書くのではないかという感じはしますけれども。
○荒木座長 これは判決の5つの要素の順番にも関係してくるということだと思いますが、通常であれば労基法上の労働者性を判断する場合は、INAXで言えば5番目、最後に来ている指揮監督下の労務提供とか、場所的・時間的な拘束、これを真っ先に判断すべきところですよね。そうしたものが実は後に来ている。最初に来ているのが組織への組入れ。それから、労基法上はあまり正面から議論されることは少なかった契約内容の一方的な決定。これが1番目、2番目に来ている。そのことの意味があるのか、ないのかという点をもう少し議論していただければと思うのですが、いかがでしょうか。
○水町委員 そのことの意味と言われれば、やはり労基法上の労働者概念とは違うということを最高裁自身が認識をして、労組法上の労働者性としては、一般論は提示していませんが、経済的従属性を重視しながら判断する。それのメルクマールとなるようなものが前半に来ていて、労基法上重視されるような点は、例えば「加えて」とか、「しかも」とかいう所で補充的に使われている。
 ソクハイ命令の中労委の判断のように、あとは3つのサブファクターだと位置づけるというのは、理論的に不可能ではないのですが、そうなると1と1-1との関係というのもわかりにくくなってきて、理論的には整理できるかもしれないけれども、判断基準として今後運用するときに、非常に難しくなる。ですから、組入れの要件と指揮監督の要件は具体的に別だと見て、経済的従属性を示すような側面については最初の組入れの要件に入ってきくると。
 具体的に人的にどのように指揮命令をしながら、時間とか場所の拘束を含めて判断しているかという労基法のコンテクストのものは補充要素みたいな形で、5番目として別の判断要素にしていれるという、一般論を提示しなく、かつわかりやすい基準として5つ出している。かつ、この5つで全部かと言われると、2つの判決から見れば5つはやはり重要なのですが、その他のものは理論的にあり得るし、5つ全部揃わなければいけないかというと、これまでの労働基準法上の労働者性の判断でも8つぐらい要素はある。けれども、実際の判決では3つとか4つぐらいで、ある・なしという判断をしているので、これは総合判断の中で、事案に応じて5つなどを重視して柔軟に判断していく、そのための枠組みというか、判断基準を出したという位置づけが、その中で経済的従属性がより重視されるので、前のほうに持ってきたというように理解できるのかと思います。
○有田委員 若干ずれてしまうかもしれないのですが、この間ここでも議論になってきました3条ということだけで考えていくのか、7条との関係で基準を立てて考えていくのかという議論との関係では、2つの最高裁の新しい判決というのは、どういう立場で考えられているのか基本的に推測するしかないことなので、先ほどの評価ということになってしまうのかもしれないのですが。
 新国立劇場のほうは基本的に、1号との関係もあるり、不合格措置をとったということが不利益取扱いということで、主張されていたのですが、最後の所で、その部分と団交に応じなかったことが不当労働行為に当たるか否かについては、さらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すという結論になっているわけです。
 INAXのほうは7条2号違反の判断というのは1審でも出ていて、それが妥当だからそれでよしという結論付けになっているわけです。INAXのほうで、判決の9頁で、「そして、前記事実関係等によれば、本件議題はいずれもCEの労働条件その他の待遇又は上告補助参加人らと被上告人との間の団体的労使関係の運営に関する事項であって」云々というように続いていくところを、どのように読めるのかということです。
 これはもともと事実関係で上げているというところが、先ほどの5つなりの基準の所とぴったりダブるということであれば、それは基本的に団交の関係になり得る問題という視点で上げているという読み方も、ひょっとするとできるのかもしれないのです。その点、基準というか、要素というか、出してきたものと3条と7条の関係ということでは、この判決はどのように読まれるべきなのかというのはちょっと気になったものですから、ご意見を伺えればと思います。
○荒木座長 3条と7条の問題、これは確かに問題がありますが、その前の問題を少し議論した上で、時間があればということにしたいと思います。その前の所で、私の受取り方は、高裁判決があのように労基法上の判断と非常に似通った判断をしたのは、INAXでいうと4番目、5番目のような指揮監督下の労働と言えるかというと、相当程度自由があるということを言った。それから、諾否の自由についても義務付けられていないと言った。そういうことからも、これは原則労働者ではないのではないかという方向で見ていったということなのです。つまり、どういう判断をしたかというと、労基法上の労働者になるためには要素の充足度が100ぐらいにならなければ駄目だと。そう思って100の中に入っているかと思っていくと入っていないというので、原則もう労働者ではないのではないかみたいな前提で事実を評価する。そうすると、総合判断でもプラス要素と拾うべきものが排除されていった。
 それに対して、今回は組織への組込みとか契約内容の一方的な決定、これは実は労組法上の労働者性判断なので、100という要素をそもそも満たさなくても、例えば50の要素を満たせば労組法上の労働者になり得るのだと。まず、そういう枠に入っているかどうかという判断の視野を設定する。そのために、まず組織への組入れとか、契約内の一方的決定があるかどうかを見る。それが肯定されるとすると、補充的に諾否の自由、あるいは業務依頼に応ずべき関係にあるかとか、指揮監督下の労務提供というのも、場所的、時間的に「一定の」拘束であってもプラス評価になり得ると。そういう判断が無理なく導ける。そのために、最高裁は、最初に組織の組入れとか、契約の一方的決定ということから判断しているのではないか。つまり、水町委員がご指摘のように、労基法上の労働者性判断とは違う判断をするのだということをはっきりさせるために、最高裁はこういう順番で議論を組み立てたのかなという気がしているのですが、いかがでしょうか。
 評価はおそらくいろいろなお考えがあると思いますが、もう1つ先ほどから出てきておりますのは事業者性の判断ですね。INAXは事業者性についても触れているのではないかという気がしておりますが、9頁の「なお」以下で、「CEは独自に営業活動を行って収益を上げることも認められていたともいうが」ということで、最高裁は「平均的なCEにとって独自の営業活動を行う時間的余裕は乏しかった」と。「CEが自ら営業主体となって修理補修を行っていた例はほとんど存在していなかった」(中略)「そのような例外的な事象を重視することは相当とはいえない」という判断をしております。これがINAXでは法廷意見の中に付け加わっているのです。ここはどう受け止めるか、ご意見をお聞きしたいのですが、いかがでしょうか。
○山川委員 この点は先ほど少し申しましたように、独自に営業活動を行って収益を上げる可能性というよりも、それが実態としてどうであったかという判断の視角が示されていると思います。余談かもしれませんが、アメリカの最近の下級審判例などでも、起業家としての機会というものがあったか、それを形式的に判断するか、実質的に判断するかという問題はあるのですが、そのような観点も入れて判断したものがあり、事業者性が強ければ、労働者性を否定する方向の要素として働くという位置づけはあり得るのではないかと、評価の問題としては思います。
 有田先生が前の前におっしゃられた補足意見との関係も、この点との関係で見ておく必要があると思います。補足意見においてはさらにそれを敷衍して、まず業務委託契約の相手方が法人である場合には、その法人自体は労働者であることは予想されていないだろうということを示しています。もう1つは実態として、事業者と言えるような活動状況について、例えば有資格者を複数有しているとか、サービスセンターを複数選定することもなし得るとか、あるいは主として行っているほかの業務もあるということがもし認められた場合には、少なくともそういった事業者と会社との契約関係は純然たる業務委託契約だということで、実態面からの補足を行っているのではないかと思います。
 逆に言えば、そういう純然たる業務委託契約を結んでいる事業者が含まれていたとしても、そういう実態を持たない労務供給者については、労組法上の労働者に当たり得るということになるかと思います。法人であっても法人格が否認されてしまうような実態があるような場合は、また射程距離外とは思いますけれども。そういうことで、事業者性は、労組法上の労働者性についても、それを否定する方向に働き得る要素として、しかも実態に着目して判断したという位置づけかと考えます。
○荒木座長 事業者性を、言うなれば程度問題として捉えていると。INAXでは時間的余裕は乏しかったと推認されるとか、ほとんど存在しなかったということですから、逆にそういう人はいてもいい。契約上そういう人が存在し得るようなアレンジになっていても、労働者性を肯定してよいのだということを1つ言ったという意味があると思います。逆に言うと、このように独自に営業活動を行える人が多数いれば、実は異なる判断にもなり得るということも、最高裁は視野に入れているのではないかと思いますが、そこはどうですか。
○山川委員 でも、両者が半々いた場合にも、そのような実態を持たない人については、やはり労働者には該当するのではないでしょうか。あくまで個別的な労務供給者とに応じて判断されるのではないか仮に法人である事業者が多数であったような場合に、法人でなく、実態としてここで挙げられたような要素を満たすような労務供給者が存在しいた場合に、その人たちの労働者性が、法人が多数であることによって否定されるということには必ずしもならないと思いますけれども。
○荒木座長 なるほど。1つの論点ですね。最高裁は当該申し立てた人がどうだったかということではなくて、かなり一般的にCEというものはどういうものだったかというように、いわば性質決定をする上での評価をしているようにも見えますし、仮にそういう人がたくさんいたとして、いま山川先生が言われたように、そうでない人については別の判断ということも十分あり得るところですね。
○山川委員 その点、補足意見のほうは、そういった実態上も事業者性が強い場合においては、11頁の2行目で、「少なくとも当該事業者と被上告人との契約関係は純然たる業務委託契約であった」としています。「少なくとも」という表現は付いていますが、やはり事業者と言えるかどうかの実態を、いわば個人ごとといいますか、問題になっている当事者ごとに考えるということかと思います。
○荒木座長 もう1点だけ最高裁についてご意見を伺いたいのは、いずれも事例判断で一般論をしていないということですね。この点をどう捉えるか。INAXの中労委は一般論を展開していたのですが、最高裁は純然たる事例判断に終始をしております。この点をどう評価すべきか、ここをちょっとお聞かせいただきたいのですが、どうでしょうか。
○水町委員 これまで労基法も含めて、労働者性の判断で最高裁が一般論を示したことはないですし、CBCとの関係もいろいろ出てくることもありますし、この最高裁の調査官や担当した判事の方々は一般論を提示しなくても、このような説示で高裁判決を覆すことができると理解されたのではないか。逆に一般論を提示すると、なかなか書きにくいこともいろいろ出てきて、今後の射程で問題になってくることもあるので、こういう書きぶりで、ただしその書きぶりの中に経済的従属性というか、労基法にない労組法上の労働者性の判断基準を頭にもってきて明示することで、その意思を示したと言えるのではないかという気はします。
○荒木座長 ほかにご意見はありますか。次の議題もありますので、またそのときにも最高裁に触れることがあるかもしれませんので、先に行かせていただきます。次は、資料4について、事務局からご説明をお願いしたいと思います。
○平岡補佐 資料4について説明いたします。労働組合法上の労働者性の判断基準について(案)です。1.「労働組合法の労働者性の基本的な考え方」になります。労働者の概念は個々の労働法で相対的なものであって、個々の労働法の趣旨・目的に応じて、その範囲が画定されるべきものとあり得ると。労働基準法上の労働者は、労働基準法が労働条件の最低基準を定めることを目的としており、その労働者は労働契約の当事者として労働条件による保護を受ける対象を確定するための概念である。また、労働契約法は、労働契約の基本的な理念等を定めることを目的としており、その労働者は労働契約の当事者として労働契約の法的ルールが適用される対象を確定されるための概念である。なお、「事業」に使用されるという要件が課されているかいないかという点の違いはありますが、労働基準法と労働契約法で当事者の定義規定はほぼ同じ内容であるので、労働基準法の労働者の判断基準は労働契約においても基本的に妥当すると考えられるのではないか。
 一方、労働組合は、労働三権の具体的な保障としての団体交渉の助成等を目的としており、その労働者は使用者との間の団体交渉が保障される者を確定するための概念となっている。
 したがって、団体交渉の前提となる労働組合法の労働者は、団体交渉の保護を及ぼす必要性と適切性が認められる者と解されて、罰則付きの強行法規の適用範囲を確定する労働基準法上の労働者や、一部に強行法規を含んだ労働契約法上の労働者よりも、失業者を含むだけでなく幅広い概念と解すべきであると書いております。
 2.「労働組合法の労働者性の判断要素」ですが、これまでの労働委員会の命令や裁判所の判決を踏まえると、労働組合法の労働者性の判断要素としては、あとに出てまいります項目が考えられるのではないか。これらについては、労働基準法の労働者性よりも広い概念である労働組合法上の労働者性の判断要素は、労働基準法上の労働者の判断要素と比べて、どのような点が異なるものと考えられるのか。また、各判断要素の関係についてはどうか。さらに、具体的にどのような事実があれば足りると考えられるのか、というところがあると思います。
 1は、事業組織への組込みについてです。囲みの所ですが、労務供給者が会社の事業活動に不可欠な労働力を恒常的に供給する者として会社の事業組織に組み込まれていると言えるかを判断する。下ですが、労働基準法上の判断要素としては、これについては一義的に挙げられておりません。次頁ですが、ただし、業務遂行上の指揮監督について、裁判例においては業務の性質上、使用者の具体的な指揮命令になじまない業務の場合に、労務供給者が事業の遂行上不可欠なものとして事業組織に組み込まれている点をもって、使用者の一般的な指揮監督を受けていると判断するものがあります。これまでの労働委員会の命令・裁判所の判決では、事業組織への組込みとして以下の○に掲げている組織の構成、第三者への表示、労務供給者の専属性、最後の○ですが、労務供給の態様についての詳細な指示などのような要素が考慮されておりますが、会社との団体交渉を基礎づける労務供給関係について基本的な判断要素としているものと考えられないかと記載しております。
 次の頁です。2業務の依頼に対する諾否の自由です。これについては、囲みの所で※を付けておりますが、「事業組織への組込み」の一要素として判断する考え方もあります。これは労働基準法上の判断要素の1つとしてなっております。そして、労働基準法の場合は、使用者の具体的な仕事の依頼等に対して拒否する自由を有しないことは、一応、指揮監督関係を推認させる重要な要素となるとされております。ただし、一定の包括的な仕事の依頼を受託した場合や専属下請のように、仕事の依頼を拒否することができないような場合には、直ちに指揮監督関係を肯定することはできず、その事実関係だけでなく、契約内容等も勘案する必要があるとされております。
 労働組合法の労働者性を肯定した労働委員会の命令・裁判所の判決では、業務の依頼に対する諾否の自由として以下に掲げている○のような要素が考慮されており、契約内容よりも当事者の認識、契約の実際の運用を重視しており、労働者性を否定した最近の下級審の判決と比較して、より実態に即した判断を行っているものと考えられないかと記載しております。
 3契約内容の一方的決定についてです。これは契約の締結の態様から、労働条件を会社が一方的に決めているかを判断するものです。※で付けておりますが、一方的だけではなくて、定型的・集団的決定とする考え方もあります。労働基準法上の判断要素としては挙げられていないものとなります。そして、これまでの労働委員会の命令・裁判所の判決では、契約内容の一方的決定として、次の頁の○にあるような契約の様式、個別交渉の可能性といった要素が考慮されておりますが、労務供給者側に団体交渉を保障されるべき社会的・経済的な劣位にあるかどうかという、交渉力格差があるか否かを判断する重要な要素としているものと考えられないかと記載しております。
 次の頁は、4労務供給の日時、場所についての拘束です。囲みの所で、※に付けておりますが、「事業組織への組込み」の一要素として判断する考え方や、判断要素としてそもそも不要とする考え方もあるように承知しております。その下ですが、労働基準法上の判断要素の1つとなっております。そして、労働基準法の場合は、勤務場所や時間が指定され、管理されていることは、一般的に指揮監督関係の基本的な要素だとされております。ただし、ここに例示がありますが、そういう指定が業務の性質などによるものか、それとも業務の遂行を指揮命令する必要によるものかを見極める必要があるとされております。そして、これまでの労働委員会の命令・裁判所の判決では、労務供給の日時・場所の拘束として、下に3つ挙げておりますが、こういった要素が考慮されております。例えばいちばん下の3つ目の○にありますように、実際にどの程度の日時を当該業務に費やしているかなど、労働基準法とは異なる観点で拘束性の度合いを判断しているとは考えられないかと記載しております。
 次の頁は、5労務供給の態様についての指揮監督になります。囲みの所に記載しておりますが、これについては「事業組織への組込み」の一要素として判断する考え方や、そもそも判断要素として不要とする考え方もあるように承知しております。その下ですが、これについては労働基準法上の判断要素の1つとなっており、労働基準法の場合は業務の内容や遂行方法について使用者の具体的な指揮命令を受けていることは、指揮監督関係の基本的かつ重要な要素だとされております。ただし、指揮命令の程度が問題であるとされており、通常、注文者が行う程度の指示にとどまる場合は、指揮監督を受けているとは言えないとされ、また通常予定されている業務以外の業務に従事することがある場合には、使用者の一般的な指揮監督を受けている判断を補強する要素になるとされております。
 これまでの労働委員会の命令・裁判所の判決では、労務供給の態様についての指揮監督として、以下の○のような労務供給についての詳細な指示、定期的な報告等の要求、業務量の採用などの要素が考慮されておりますが、例えばいちばん上の「労務供給についての詳細な指示」の中の2つ目の・にありますような、業務を会社の従業員も担っている場合、その業務の態様や手続きについて、労務供給者と会社従業員とで差異があるかなど、労働基準法とは異なる観点で使用者の指揮命令の度合いを判断していると考えられないかと記載しております。
 次の頁は、6報酬の労務対価性になります。これについては、囲みの所にありますが、その報酬が労務供給に対する対価又はそれに類するものと言えるかを判断するものだと思います。その下ですが、労働基準法の判断要素の1つとなっており、これは労働基準法第11条において、賃金とは労働の対償として使用者が労働者に支払うものとされているところ、労働の対償とは、労務供給者が使用者の指揮監督の下で行う労働に対して支払うものであるから、報酬が賃金であるか否かによって、使用従属性を判断することはできないとされております。ただし、報酬が時間給を基礎として計算されるなど、労働の結果による較差が少ない、欠勤の場合に応分の報酬が控除されるなど、報酬の性格が使用者の指揮監督の下に一定時間労務を提供していることに対する対価と判断される場合には、使用従属性を補強する要素となるとされております。また、報酬の額は、補強的判断要素である事業者性の一要素とされており、報酬の性質は同じく補強的判断要素である専属性の一要素とされております。これまでの労働委員会の命令・裁判所の判決では、報酬の労務対価性として、以下のように報酬の額、報酬の性質、報酬の支払い方法、税や保険料の支払いといった要素が考慮されておりますが、これについてどう考えるかと記載しております。
 次の頁は、7事業者性についてです。囲みの所ですが、労務供給者が、自らの計算と危険負担に基づいて事業経営を行う事業主と見られるかを判断するものです。これについては労働基準法上の判断要素の1つとなっております。ただし、労働基準法の場合は、労働者性の判断が困難な限界事例について勘案する補強的要素とされており、機械・器具の負担関係、報酬の額を判断しております。また、裁判例においては、業務遂行上の損害に対する責任の所在、独自の商号使用の可否、契約締結までの選考過程、報酬からの源泉徴収の有無など、使用者が労務供給者を自らの労働者と認識していると推認される点を補強要素として判断するものがあるとされております。
 そして、これまでの労働委員会の命令・裁判所の判決では、事業者性として以下の○のような項目、例えば自己の才覚で利得する機会がある、業務における損益の負担、他人労働力の利用の可能性、機材、材料の負担、税や保険料の扱い、募集広告や説明書類の態様といった要素が考慮されておりますが、その判断要素の位置付け。括弧にあるように、労働基準法上のものと同様に限界的事例について勘案する補強要素か、あるいは基本的な判断要素か、これについてどう考えるかと記載しております。
 8専属性についてです。囲みにありますが、労務供給者が会社にどの程度専属しているかを判断するもので、※に付けておりますが、「事業組織への組込み」の一要素として判断する考え方や、判断要素として不要とする考え方もあるように承知しております。その下ですが、これは労働基準法の判断要素の1つとなっており、労働基準法の場合は直接に使用従属性の有無を左右すものではなく、特に専属性はないことをもって労働者性を弱めることにはならないが、労働者性の有無に関する判断を補強するものとされております。すなわち、他社の業務に従事することが制度上、制約されたり、先ほど記載したように、時間的余裕がなく、事実上困難である場合には専属性の程度が高く、経済的に従属していると考えられて、労働者性を補強する要素の1つとなるとされております。また、報酬の固定給部分の有無も1つの要素とされております。
 次の頁ですが、これまでの労働委員会の命令や裁判所の判決では、専属性として以下の○のような要素が考慮されておりますが、これを独立の判断要素とするかどうかを含めて、どう考えるかという点があるということです。資料4の説明としては以上ですが、今回は資料5としてソクハイ事件の中央労働委員会の命令、資料6として昭和60年の労働基準法研究会報告の抜粋、資料7-1ということで、前回、原先生のほうから過去の事件についても、さらに見るかどうかを検討したほうがいいのではないかというご指摘をいただいて、事件を紹介していただいたので、今回お付けしました。資料7-2は、今回、最高裁判決が出た新国立劇場の事件やINAXメンテナンス事件について、比較表として全体を補足して付けたものになります。説明は以上です。
○荒木座長 資料4について、ご自由にお気付きの点などご指摘いただきたいと思います。
○水町委員 この案として出されているものの性格は、今後この研究会の中間報告なり報告書として出されるもののたたき台という理解で、よろしいですか。
○荒木座長 はい、一応そういうことです。
○水町委員 その性格として、役所が出すものなのか、それとも研究会の構成委員である研究者が議論をした上で出すものと理解していいのか。
○荒木座長 これは研究会が出すものですから、研究会の議論としてコンセンサスが得られたものが、最終的に研究会の報告書となるものだと思います。
○水町委員 役所が書くというようになると、右見て、左見て、面白くないものになってしまう可能性があって、こういうのもある、こういうのもあるといって、あまり意味のないものが出てしまう可能性があるので、研究会の中で我々の意見を入れながら、もうちょっと良いものになればいいかなというのが前提です。具体的に申し上げますと、いろいろあるのですが、簡単にいくつかだけ申し上げますと、例えば最初の基本的な考え方で「個々の労働法」という文言が使われていますが、「個々の労働法」というのが違和感がある言葉遣いであったり、労基法の目的と労働契約法の目的が書いてあって、趣旨・目的に応じて労働者概念が画定されると書いてあるのですが、そのあと、労基法と労働契約法で定義規定はほぼ同じ内容であるというところで、この前提であと進んでいくのです。いま労働契約法と労基法の定義が同じというのは、定義がそうなっているだけで、その背景にある目的と対応しているかというのがよくわからないのです。研究者の中では、目的自体が違うので、労契法の労働者概念というのをもうちょっと考え直したほうがいいのではないかという議論もあるので、それを踏まえてもう少し連関というか、将来に対する広がりを踏まえたほうがいいかなという気がします。
 4段目の「したがって」という所の定義で、これはある教科書なりを使って、労組法の労働者の定義を用いられていると思うのです。私は、その学説自体に対する批判なのであれなのですが、「必要性と適切性」という言葉を定義の中で用いるのは、トートロジーになってしまってあまり意味がないので、もう少し目的に遡って具体的に定義することが必要かなと思います。もしこの言葉を残すのであれば、「この教科書によっている」とか書いたり、学説上はいろいろな考え方があるというのも踏まえながら書いていったほうがいいかなという気がします。
 大雑把に言いますと、2.の労組法上の労働者性の判断要素の中でどうしていくかなのですが、最高裁の判決で大きく5つの要素が出ていますので、この1から8までの羅列だと労基法上の労働者性とあまり差別化がつかずに、結局何なのだということになりそうです。ですから、少し最高裁の枠組みに沿いながら、5つプラスその他という分け方にしたり、かつその背景で最高裁は一般論を提示していませんが、労組法上の労働者というものの背景には労組法のこういう目的があって、それからすると例えば経済的従属性が前面に来たり、それを補充して人的従属性が来たり、その位置づけの中で、こういうものが評価され、こういうものが評価され、さらに補足的なものとしてこれまでの裁判例や命令によると、こういう事情も併せて考慮されていることがあるという整理の仕方にすると、そういう中で労基法との違いがだんだん出てくるかなという気がします。
 もう1つは、結構いままでの裁判例とか命令例の中でいろいろ挙げられていますが、学問的に理論的におかしいのではないかということも、いっぱいあるのです。なので、こういう点を考慮したものがあるけれども、どう考えるかというような事実の整理をしつつも、例えば公租公課の負担で、源泉徴収をしたり保険料控除をしていることが、本当に労働者性で重視されていいのかという意見もあるとか、慎重に考えるべきであるという意見も少し踏まえながら、将来に向けて少し考えさせるような研究会報告書になればいいかという気はします。いろいろ申し上げてすみません。
○荒木座長 ちなみに、これは全くのたたき台で、固い意味の原案でも何でもありません。こういうものを前提に、ここはもう削ったほうがいいとか、いままさにご指摘のように、8つ並べて提示するというものでいいのかと、まさにそういうことをご議論いただきたいということで、非常に貴重なご意見だと思います。どうぞほかにもご指摘ください。
○山川委員 まず並べ方については、先ほどの水町先生や今の荒木先生の御意見と同じで、各要素の関係とか、それぞれの重みについてもいろいろ議論しておりますので、それも踏まえた形の整理が望ましいと思います。ソクハイ事件命令では主要な要素が3つ挙げられておりますし、INAXメンテナンス事件判決ではほぼそれに従った整理になっていて、新国立劇場事件判決の順番がちょっと違うのは、いま資料を見ましたらCBC管弦楽団事件判決の並べ方とほぼ同じなので、たぶんそれを意識してそのように並べたのかと思います。この中にも、既に事業組織への組込みについては「基本的な判断要素としているものと考えられないか」と書いてあって、一方的決定については「重要な要素としているものと考えられないか」と問題提起型になっていて、それはそういう形で結構かと思います。そういう点も踏まえて、そのような位置付けで書いてあるものについては先に主要な要素として書く。ただ、見解の一致が得られるとは限りませんので、それはそれとして記載していくという形でよろしいかと思います。
 もう1点ですが、1頁のことです。これは先ほどの有田先生のご質問というか、ご意見にもかかわるのですが、いったいどういう局面を問題にしているのかというのをもうちょっと明確にしてはどうかと思います。たぶん労組法3条だけが問題になるということではないという前提の整理だと思いますので、いわば不当労働行為該当性が争われる場合ということになるのかどうか。1頁の2の直前のパラグラフでは、「団体交渉の前提になる」というのは、団交拒否事件を想定しているのか、それとも単にこれは労働組合法というものが団体交渉を中心に想定している法システムであるからという意味なのかがちょっとわからないのですが、おそらく後者ではないかと思います。少なくともここで問題にしているのは、おそらく3条と7条の双方が問題になる局面ではないかと思いますので、その辺りの整理も必要かと思います。
 これはちょっと別の話というか、内容の話になってしまうのですが、先ほどの有田先生のご質問に関して、新国立劇場事件は7条1号も争われている事件ですよね。その辺りをどのように書くのか。おそらく7条2号が争われている事件ですと、「雇用する」という文章上の修辞によって、労務供給関係の質を、それがない場合に比べて限定するという趣旨ではないということになると思います。労務供給関係があることを前提にして既に書かれていますが、あとはここで書かれているような判断要素を用いるということで、「雇用する」という文言が、労務供給関係が存在するという点以外では、それ自体として独自の限定要因には、ならないという理解でよいのではないかと個人的には思うのですが、7条1号も含めるとどうなるのか。おそらくは、雇用関係上の不利益取扱いが基本的に7条1号の想定している事態ですから、同じように考えていいのではないかと単純には思っているのです。しかし、7条3号の場合はどうなるか。使用者という要件はあるので、同じように考えていいのかもしれませんし、ちょっと整理がつきませんが、少なくともこの判断基準は、3条だけが資格審査において問題になっているという状況を想定しているものではないということは、ちょっと整理しておく必要があるのかなと思います。
○有田委員 いまの点で、最近、学説の中でも3条と7条の問題を明確に分けて議論して、3条はまず3条なのだという主張をされている中で、先ほどのまさに山川先生が言われたような、ここでいう労働者性の判断基準というのはどういう見方で、つまり3条と7条の関係、あるいはひょっとすると1条2号とか民刑事免責の問題もある。要するに労働組合法の適用対象となる労働者性ということで、私の個人的な見解で言えば、まず3条。そのあと、それぞれの条項とのかかわりで、範囲が違ってくるとか、適用の関係が違ってくるということは十分あり得ると考えています。そうすると、判断基準と、さらにそのあとの段階で考えていくべき問題ということも、構成としてはあり得るかもしれません。今後議論がどのように進んでいくかわかりませんが、確かに出発のところで認識が一致するのかどうなのかというところも、少し議論になるかなと思いますけれども。
○荒木座長 先ほど来ご指摘の重要な点なのですが、この原案は労組法上の労働者性の判断基準ということですので、これは3条にいう労働者の話をしているのだろうと思っているのですが、そうではないのですか。
○水町委員 労組法が適用される労働者一般というのが3条に書いてあって、その背景には1条1項の趣旨があって、自主的な労使の交渉力の差があるときに団体交渉を助成して、保護すべき労働者というのがあって、それは3条に書いてあるけれども、それは7条にも適用されるし、労組法全体に適用されるものだという理解です。ただし16条で規範的効力という話であれば、労働協約で労働契約を締結している人でなければ駄目だとか、7条2号には特別に「雇用する」と書いてありますが、これは3条が前提で「雇用する」というのをどう解釈するかで、最高裁の朝日放送事件だと、現実かつ具体的に支配決定というので「雇用する」というのを解釈しますよと。また別の話が付いてくるかもしれません。その根底にある、労組法全体が適用される前提としての労働者性、それは3条とほぼ一致するだろうという理解でこの議論を進めていっていいのではないかという気がします。7条2号の「雇用する」というところまでこの中で入れ込むと、逆におかしくというか、また違うことを考えなければいけないので、そういう前提で3条の労働者を広い意味で労組法の適用対象である労働者、その議論をするのだという認識でいいのではないかと思いますが、駄目ですか。
○山川委員 そうすると、現実に労務供給関係があることを前提にして、その質とか中身を問題にする要素は、失業者だけで組合を作った場合に3条だけを適用する場面では適用されないことになりますよね。そういう場合は除くというように書いてもいいかもしれませんが、そのような労務供給関係が典型的に想定されるような場合の失業者ということまで考えるのかどうかという問題がありますので3条が基本であるということはいいのですが、INAXメンテナンス事件でも新国立劇場事件でも、最高裁判決も、「被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たる」と言っていて、必ずしも3条だけに絞っていない判示だと思うのです。ただ、基本は3条ですので、いろいろな局面があるから、それに応じて具体的な判断基準なり判断要素は異なり得るということでも、私は個人的にはもともと3条と7条を一体として考えればいいという見解でしたので、あまりこだわらないのはこだわらないのですが、使う場面が分けられるということさえ認識されればよいと思います。有田先生は、たぶんもっとはっきりと区別した方がよいという趣旨かと思いますが。
○荒木座長 言っている趣旨は同じかもしれませんが、最高裁が7条2号の適用において、この労働者が保護されるということを判示していないのか、。つまり、7条2号について判断していないかと言われれば、それも踏まえた判断だと思います。ですが、労組法3条とは違う、7条2号にいう雇用する労働者だけの議論を最高裁がしているのではないですよね。それはよろしいですね。3条であれば、失業者であっても労働者になり得るということですので、最も広義の労組法の対象とする労働者は何なのかと。基本的にはそれを議論する。その中で、さらに具体的な条文において、その労働者概念を修正する余地があるかどうか。これはさらに議論をして検討すべきかもしれませんが、議論の対象としているのは、基本的には労組法3条の労働者の問題という理解でよろしいでしょうかね。
 私のほうの不手際で時間が来てしまいましたので、今日はここまでにしたいと思います。資料4については、全くのたたき台でご覧になるといろいろお気付きの点もあると思いますので、この間お気付きの点は是非、事務局のほうにメール等でもご指摘いただいて、さらにブラッシュアップをしたいと考えております。それでは、事務局から次回についてお願いします。
○平岡補佐 次回の日程は6月14日(火)10時から12時になります。場所は未定ですので、追ってまたご連絡いたします。
○荒木座長 本日は以上といたします。貴重なご意見をどうもありがとうございました。


(了)

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