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2011年2月24日 第2回「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会議事録

健康局総務課原子爆弾被爆者援護対策室

○日時

平成23年2月24日(木)10:00~12:00


○場所

厚生労働省 専用第23会議室(19階)


○議題

1.開会
2.議事
 (1)ヒアリング
   ア 大瀧参考人
   イ 今中参考人
 (2)原爆体験者等健康意識調査について
 (3)その他
3.閉会

○議事

○佐々木座長 おはようございます。定刻になりましたので、「第2回『原爆体験者等健康意識調査報告書』等に関する検討会」を開催させていただきます。
 初めに、本日の委員の出席状況について、事務局から御報告いただきたいと思います。
○名越原子爆弾被爆者援護対策室長補佐 おはようございます。年度末も近くなりまして、お忙しい中、構成員の先生方には御参集いただきまして誠にありがとうございます。
 まず初めに、本日初めて御出席される委員の方がいらっしゃいますので、御紹介をさせていただきます。
 東京大学名誉教授の荒記俊一委員でございます。
 本日の出席状況でございますけれども、伊豫委員、川上委員から欠席の御連絡をいただいておりまして、今日は6名の委員で検討をお願いしたいと考えております。どうかよろしくお願いいたします。
 済みません、カメラ撮りはここまでとしていただきます。
(報道関係者退室)
○佐々木座長 それでは、議事に入ります。
 本日は、前回に引き続き、今回、広島市を中心とした要望の根拠とされた報告書などについて検討することとしております。
 まず、参考人の方々から、前回御説明いただけなかった部分の御説明をいただいて、議論をした後、前回以降出た疑問点、意見について、事務局にまとめていただいておりますので、これについてさらに検討したいと思います。
 事務局から参考人の御紹介と資料の確認をお願いいたします。
○名越原子爆弾被爆者援護対策室長補佐 それでは、参考人の方々のお名前を紹介いたします。大変恐縮ですけれども、座ったままでお話をさせていただきます。
 まず、広島大学放射線医科学研究所の大瀧慈教授でございます。
 続きまして、京都大学原子炉実験所、今中哲二助教でございます。
 本日でございますけれども、まずは大瀧教授から、「体験者の証言に基づく広島での黒い雨の時空間分布の推定」につきまして御説明をいただき、その後、今中助教から「広島原爆『黒い雨』に伴う放射性降下物に関する研究の現状」、これは広島市さんが中心となって取りまとめられた「原爆体験者等健康意識調査報告書」とは別のもう一つの報告書でございますけれども、これについて御説明をいただくこととしております。
 それぞれの先生方の御説明の後に、各委員からそれぞれ御自由に御意見、御質問をいただければと考えております。
 続きまして、資料の確認をさせていただきます。
 お手元、資料1は、大瀧参考人からの提出資料。
 資料2は、今中参考人からの提出資料。今中参考人からは、資料2に加えて参考資料1、参考資料2も付いてございますので、こちらも使用されるということでございます。
 資料3でございますけれども、「『原爆体験者等健康意識調査報告書』に関する主な意見」ということで、第1回の検討会で先生からいただきました御意見をまとめ、またその後、御指摘があった点につきましても併せてまとめているものでございます。
 資料に不備がございましたら、事務局までお申し出いただければと思います。
 また、机の上には、前回までの資料をつづったファイルを用意してございますので、適宜御使用いただければと思います。
 以上でございます。
○佐々木座長 ありがとうございました。
 それでは、「原爆体験者等健康意識調査報告書」の中から、前回御説明いただいていない黒い雨の体験状況について、広島大学原爆放射線医科学研究所、大瀧慈参考人から御説明をいただきます。大瀧先生、よろしくお願いいたします。
○大瀧参考人 おはようございます。それでは、説明させていただきます。
 「体験者の証言に基づく広島での黒い雨の時空間分布の推定」ということでお話しさせていただきます。
 1945年8月6日午前8時15分、広島のまちに快晴の上空から1個の原子爆弾が落とされた。ここで、快晴であるということが一つのポイントであります。
 その直後、爆心の西方を中心に黒い色の雨が降ったことについて、多くの証言や証拠物が残されております。当時、公式な気象観測は、爆心から南西に約3.7kmに位置していた江波山の広島管区気象台の1か所のみで行われていました。その管区気象台での観測記録によれば、当日は降雨がなかったということでありました。
 そのため、その雨域の空間的広がりや時間的変動については、黒い雨の体験者の証言を調査解析することでしか把握することができない状況であります。
 今回の解析対象となったデータは、2008年に、原爆投下前から現在の広島市内及び周辺部に住み続けている者3万6,614人に対して実施された郵送によるアンケート調査に基づき収集されたものです。そのうち、約74%に当たる2万7,147人から得られた自書式回答に基づいております。黒い雨関係の調査項目は、黒い雨体験の有無、雨の降り始めと降り止んだ時刻。これは分単位の情報はほとんど取れていなくて、時刻単位での降り始めと降り止んだ時刻であります。また、附帯する情報として、雨の強さ、雨の色、飛遊物の目撃の有無であります。
 解析対象は、「黒い雨を体験した」と回答した者のうち、その場所を答えられている者で、調査時の年齢が他の解析と同様に71歳以上の者に限定しました。なぜ71歳以上にしたかということについてなんですけれども、これは、当時の体験時年齢のことを考慮しまして、ある程度以上の年齢でなければ記憶の正確さに欠けるのではないかということに基づいております。
 また、黒い雨の体験場所の位置情報については、その町村の代表地点、例えば役場とか学校の位置情報の緯度と経度を用いました。
 降雨時間の地理分布を推定するために、降り始めと降り止んだ時刻が記載されていたデータ1,084件に対して、局所線形モデルにリッジ回帰分析を組み合わせたノンパラメトリック平滑化法を適用しました。
 なお、今回の解析対象は、すべて「黒い雨を体験した人」であるので、時間を固定しない場合、黒い雨の体験率は100%になり、その地理分布を求めることはできません。そこで、原子爆弾投下当日の午前8時から16時までの8時間を1時間おきに分割し、各時刻を固定したときの「黒い雨の体験率」を求めました。
 この条件付き体験率は、体験者数の回答者数に対する比として規定されます。我々は、少なくとも降り始めの時刻が記載されているデータ1,565件より、地区別に求められた比率に対して逆正弦変換を適用し、分散安定化を行いました。
 なお、降り止んだ時刻が不明の場合は、降雨終了時点を降雨開始時刻より1時間経過した時点に定めました。
 今回の調査・解析は「黒い雨を体験した」という回答に基づいており、黒い雨の体験率は、体験した時刻を無視すると100%となる。統計解析の理念からすると、非体験者も含めた無作為抽出による回答に基づくべきものであると考えますが、現実には8時間における回答者の時刻ごとの所在地情報が入手できないということがありまして、黒い雨体験者から雨を体験した時間帯(降り始めの時刻と降り終わりの時刻)の情報に焦点を当てざるを得なかったということです。
 時刻を固定したときに、その時刻が降り始めの時刻と降り止んだ時刻に挟まれているならば、その個人は、その時刻で「黒い雨を体験した」とみなし、そうでなければ、その時刻には「黒い雨を体験していない」と定めました。したがって、標本は「どこかの時点で黒い雨を体験した」という人から得られたものであり、その結果、時刻別の黒い雨の体験率が若干過大に見積もられている可能性もあります。
 黒い雨の降雨時間については、これは資料、広島市の「原子爆弾体験者健康意識調査報告書」の20ページのところに降り始めの時刻と降り止んだ時刻と降雨時間のヒストグラムが出ておりますけれども、これを見ていただけばわかりますけれども、黒い雨の降雨時間については、降り止んだ時刻から降り始めの時刻を引いたものであります。黒い雨の体験者にとっても、降り止んだ時刻が降り始めの時刻と一致する場合、これは降雨時間というのは、先ほどの計算法によりますと0になります。降雨時間の長さが0ということは、雨が降っていないというふうにも考えられますけれども、今、測定単位が分単位でないために、そこに若干の誤差が入りうるというか、揺らぎが入りうるということであります。しかしながら、降雨時間が0というところを推定することによって、黒い雨の降雨域を特定することができるんじゃなかろうかという考えで、今回の解析を行ってみました。
 その結果、得られたのが、先ほどの報告書の21ページに掲げています図4でありまして、これが降雨時間の地理分布であります。
 それから、その下に掲げています図5が、時刻別の条件付きの黒い雨体験率であります。
 以上であります。
 済みません。次の図に、1ページめくっていただければ、今日の資料1の1ページをめくっていただいたところに、従来の2人の気象専門家による雨域と、今回の雨域との対象といいますか、どんな関係になっているのかということを見ていただくことができると思います。
 それから、それぞれの推定の背景とか特徴といいますか、説明がそこに記してあります。どうぞ御参照いただければと思います。
○佐々木座長 大瀧先生、どうもありがとうございました。
 それでは、ただいまの御説明に関しまして、御質問や御意見がありましたらお願いいたします。どうぞ。
○金委員 精神・神経センターの金でございます。大変貴重な御報告をいただき、ありがとうございました。
 率直な御質問なんですけれども、回答者が2万7,147人、データとして挙げられている数が、降り始めと降り止んだ時刻両方記載されている方は1,084人、降り始めのみが1,565人。これは多くみて1,565人の方が黒い雨を体験したというふうに回答されているということでしょうか。
○大瀧参考人 そうでなくて、体験された方自身はもっとたくさんの方が体験されているんですけれども、時刻がちゃんと書かれていた、特定されていたということですね。当時、腕時計を持っておられる方というのはほとんどいなかったはずなので、そういう意味で、ちゃんとした時刻が書かれていない方が大多数だったということですね。
○金委員 じゃ、時刻はともかく、「体験した」と答えた方は何人ぐらいいらっしゃったんでしょうか。
○大瀧参考人 それは確認しておりません。
○金委員 でも、先生のお手元のデータを見れば確認はできるわけですね。
○大瀧参考人 それはできます。
○金委員 それが非常に重要だと思うんですけれども。例えば、リコールバイアスとか、思い出すときに、何十年も前のことだと、つい現在の気持ちが過去の記憶に影響を与える。これは相当影響が与えられることが知られています。それから、レポートバイアスで、どういう趣旨での調査かなということを思いやって、そういうふうに答えてしまうということが当然あります。例えば、2万7,000人中、8割、9割の人が黒い雨が降ったとおっしゃっていれば、これはそうだろうと思えるんですけれども、2万7,000中、例えば5%か10%の人が降ったと言っている。90%の人がよくわからないという、仮にそういう数字だとすると、回答した人というのはどういう方なんだろうか、こうしたバイアスがあったのではないか、ということを改めて考えなければいけないことがありますので、次の機会に、回答者のもう少し詳しい仕分けをお教えいただければありがたいと思います。
○大瀧参考人 わかりました。
 バイアスに関してなんですけれども、私自身もちょっと気になることがありまして、というのは、市の報告書のヒストグラムを見ていただけばいいんですけれども、20ページの図3の黒い雨の降雨時間のヒストグラムなんですけれども、それが「0時間」だというふうに答えている者がかなり少なくて、「1時間」というのがかなり多いんですね。普通の統計的な概念で考えると、30分未満のものは0、30分を超えて1時間半までのものだったら1時間としてもいいんじゃないかなと思うんですけれども、それにしては余りにも「0時間」が少な過ぎる。「1時間」が余りにも多過ぎる。それから、気象学的なことを考えると、周辺部の方が面積的には、雨の降雨域の周辺に行けば、面積的には広くなるはずなんですね。だから、この分布はそういった意味のバイアスがここにありそうだなという。要するに、本来「0時間」と書くべきところを「1時間」。書いたのは降り始めの時刻と降り止んだ時刻を書いていますから、本人としては、降り止んだ時刻が降り始めの時刻とちょうど一致するのをちょっと嫌がった、嫌がっているというより、そういう感覚を避けたかったんじゃないかと思うんですね。だから、たとえ15分とか20分であっても、1時間だけずらして書かれている可能性も考えられるということです。そういったバイアスは十分考えられると思います。
○佐々木座長 どうぞ、金委員。
○金委員 もう一点だけ簡単に追加いたしますと、「雨が降った」と答えた人、「降った」と答えなかった人、すべての方について、住所という情報はあるんでしょうか。降っていなかった人であっても、このとき、どこにいらっしゃったかという住所情報というのはとられていらっしゃるんでしょうか。
○大瀧参考人 それは市の方で把握されているはずですね。
○金委員 今お尋ねした理由は、もしそれがあるんでしたら、「降っていない」と答えた方の分布も同時にプロットしていただいて、「降った」と答えた人の分布と比べてみる必要があるんじゃないかなと感じたものですから、お尋ねしました。
○大瀧参考人 投下時の所在地ですか。
○金委員 はい。
○大瀧参考人 原子爆弾投下時の所在地。
○金委員 投下時というか、ここで質問でお聞きになっていますよね。実際に住所に従ってプロットされているわけですから、その同じ住所の情報も。
○大瀧参考人 これは住所じゃなくて投下時の場所なんです。
○金委員 投下時の場所。失礼しました。投下時の場所ですね。その同じ情報に基づいて、「体験しなかった」と答えた人の頻度をやはり同じようにプロットしていただくと、より正確な。
○大瀧参考人 どこに何をプロットするんでしょうか。
○金委員 これは「黒い雨を体験した」という方のプロットだと思うんですね。これを見ると、例えば、赤2.0時間の方はここにいるとか、あと、黄色は1.5~2だとかとなって、いかにも赤とか黄色はたくさん雨が降ったかのように見えますけれども、同じ地域で、例えば「黒い雨を体験しなかった」と答えた人の割合が実際はどれくらいいるのかと。例えば、「たくさん降った」と答えた人もいるけれども、「雨を体験していない」と答えた人も、同じように、同じ地域にたくさんいるかもしれない。そうすると、さっき言ったような回答の信頼性ということがまた別の角度から検討できると思うんです。ですので、ポジティブなデータの方は勿論意義があると思うんですが、ネガティブの方も。
○大瀧参考人 どの時点の場所なのかというのが、体験していない人に関してはとれないんですよね。
○金委員 それは聞いていないんですか。投下時、つまり、体験した人については、投下したときから、僕は何日かわかりませんけれども、ある程度の時間幅で聞いていると思うんですね。そのときにどこにいましたかと。それと同じ情報を、「黒い雨を体験しなかった」という人に対してももしお聞きになっているのであれば。
○大瀧参考人 その人の、例えば8時間だったら8時間における、どういう行動をしていたかということを聞かないといけない。
○金委員 それをお聞きになっているかどうかわからないんですけれども。
○大瀧参考人 それは不可能だと思うんですけれども。要するに、聞き取り調査であれば、そういうことも可能でしょうけれども、これはアンケート調査ですから、非常に限られた情報しか得られない。
○金委員 アンケート用紙の上に、黒い雨を体験したかどうかという項目と、そのとき、あなたはどこにいたかという項目が並んで。
○大瀧参考人 そのときというのは何でしょう。
○金委員 黒い雨を体験したときです。
○大瀧参考人 黒い雨を体験していない場合には、そのときを特定できないんじゃないでしょうか。
○金委員 原爆投下時からしばらくの間、どこにいらっしゃったか。そのデータはないということでよろしいんでしょうか。
○大瀧参考人 そのデータは取りづらいと思うんですけれども。
○金委員 実際に調査用紙の上に書かれていないということ。
○大瀧参考人 ないですね。
○金委員 ないということですね。わかりました。ありがとうございます。
○佐々木座長 ほかには。どうぞ、柴田委員。
○柴田委員 どうもありがとうございました。
 先ほどの金先生のご質問についてですが、広島市の出された参考資料に、黒い雨体験群が743人と845人ということで、被爆者手帳をもらっている方を除けば、こういう人たちだけだったのかなという気がしたんですけれども、それでよろしいんですか。
 これを持たれていませんか。広島市の方で資料編として出されたものがあるんですけれども、それの6ページのところに、回答者の内訳があります。直接被爆者とか、要するに被爆群、黒い雨体験群、非体験群と分けていますが、その人数を見ると、今言った黒い雨体験群というのは、指定地域の人が743人、未指定地域は845人という数字が上がっていますけれども。参考資料の7。
○佐々木座長 参考資料7の「健康意識調査報告書」の7ページ。
○大瀧参考人 被爆群の中にも黒い雨を体験された方もいらっしゃるんですけれども、それは被爆群の方に入っています。
○柴田委員 被爆群の話じゃなくて、この問題というのは、前回、確認しましたけれども、要するに、未指定地域の人たちが、原爆放射線に被曝したかどうかという話だと思うんです。だから、そこのところで見ると、この人数しか今回はあらわれていないと理解していいかということです。
 それから、もう一つ、大瀧先生にお尋ねしたいんですけれども、先生はこの調査のデザイン段階からずっと関係されていましたか。
○大瀧参考人 私はデザインされた時点では参加していませんでした。
○柴田委員 ということは、恐らく先生が参加されていれば、もっと違ったアンケート、質問の仕方とか、あるいは対象の取り方とかを考えられたのかと推察するんですけれども、それは正しいでしょうか。
○大瀧参考人 いろいろ言いたいことはありますけれども。
○佐々木座長 今の柴田委員の最初の質問はどうしましょうか。
○名越原子爆弾被爆者援護対策室長補佐 事務局の方からお答えしますけれども、大瀧先生のされた解析というのは、雨が降ったかどうかということで、雨の広がりを検証されておられるので、被爆群とか黒い雨体験群とか、そういうのは関係なく、雨が降ったという記録が残っている人を抽出して解析がなされているものだろうと思いますけれども、大瀧先生はそれでよろしゅうございますか。
○大瀧参考人 (うなずく)
○柴田委員 先ほどの金先生のご質問に関連して、やはり私も、まず、どの地域に降ったというか、どの地域の人が体験したのかということを知りたいと思うならば、基本的なことというのは、原爆投下時、黒い雨というか、これはその日のうちに終わっていると思いますので、翌日以降の話じゃないと思いますが、その日どこにいて、それで黒い雨というのを体験したかどうか、時刻は関係なくても、まず、そのことをきちんと押さえておくべきではないかなと思います。
 それから、もう一つは、先生は示されていないんですけれども、8時とか9時とか、降り始めの時刻を報告している人について、例えば「8時」と言った人は、どういうような地理的分布をしているか、「9時に降り始めた」という人はどういうふうな地理的分布をしているか、そういうところは検討されましたか。
○大瀧参考人 プロットしていました。非常にわかりづらい図になっております。
○柴田委員 わかりづらいということは、解釈しにくいということですね。
○大瀧委員 そうです。
○佐々木座長 ほかにはいかがでしょうか。どうぞ、柴田委員。
○柴田委員 こういう話のときに、例えば、ある地域で100人が100人経験したとか、逆に1人も経験していないとかということは一般にないと思うんです。そうすると、この地域は黒い雨が降った地域と見なすというふうな、先生の場合はかなり複雑なモデルを使って推定されているんですけれども、もっと単純に、まずはデータを見ていくとするならば、その地域ごとにある程度の広さの地域をメッシュか何かで区分していって、そのメッシュの中で体験した人の率がある程度のパーセンテージならば降っていると解釈しようとする場合、それは何%ぐらいなら妥当だと思われますか。
○大瀧参考人 柴田先生の感想では、僕の行った解析は複雑と言われるんですけれども、僕は決して複雑だとは思っていないんです。これは単純に言いますと、平滑化ですから、移動平均みたいなものなんですね。だから、メッシュで区切ると、どうしてもサンプルサイズの問題とか、局所的なデータの配置ですね。今で言うと、学校とか役場の配置がちゃんと碁盤の目のように並んでおれば、わりと効率がいいんですけれども、必ずしもそうなっていなくて、局所的には非常に偏った配置になっているということがありまして、そういうことでこういう手法を使わざるを得なかったということです。
○佐々木座長 どうぞ、柴田委員。
○柴田委員 先生はデータをもらわれてからの話なので、仕方がなかったというのはわからないでもないですけれども、じゃ、ちょっと広島市の方というか、この調査を計画された方に伺いたいんですけれども、これはたしか配付されていると思うので、対象者の方について、少なくとも被爆当時、8月6日にどの辺りにいたかというのは把握されているんじゃないんですか。
○佐々木座長 広島市の方で今の質問に答えられますか。答えられなければ、後で質問状を出しますので、それに対して答えていただいてもいい。柴田先生、それでもよろしいですか。
○柴田委員 はい。そういう数値があれば、少なくとも体験した、体験しない別に。時刻は問わないとして、学校がどうのこうのじゃなくて、どの辺りでは何%ぐらいというか、そういう素データが出るわけで、やはりそれは見ていく必要があるんじゃないかと思いますが。
○大瀧参考人 それに関しては僕は一言あるんですけれども、というのは、被爆当時、中心部にいた方は、郊外へすぐに移動されているんですね。非常に郊外の方は逆に入っておられるんですね。それが1時間ないし2時間ぐらいだったら、人の歩くスピードを考えますと、数キロ圏内に行ったということが推定できると思うんですけれども、それを超える4時間とか5時間ぐらいになると、ほとんど不可能に近い状況じゃないかと思いますけれども。
○佐々木座長 どうぞ、柴田委員。
○柴田委員 ちょっと誤解していたのかもしれないので、もう一度確認したいんですけれども、例えば、郊外、かなり遠い所の人が「黒い雨を体験した」という意味は、その人はそこで体験したんじゃなくて、市内に入っていって体験したということなんですか。
○大瀧参考人 これは、体験した場所でしか僕は解析していませんので、被爆当時、原爆に遭った当時、どこに行ったのかというのはまた別の情報としてあるんですけれども、それを考慮した解析も勿論考えられますけれども、それを行おうとすると、かなりまた複雑な解析になると思います。
○佐々木座長 柴田委員。
○柴田委員 解析していくというのは、ある意味で別のことをやろうということがあると思うんですね。そうじゃなくて、その前に基本的な統計量を示すことができないか。たとえ幾ら低くても、割合が低いとしても、そういったものが出てこないのかということです。そういうのを見れば、ある程度見当がつくかなと思いますが。
○大瀧参考人 必要最小限のものは今回出していると思うんですけれども。
○柴田委員 じゃ、一番広い地域で対象者の人の地理的分布というのはどんな感じなんですか。これは平滑化して最終的に出されたものはわかるんですけれども、その対象となった人がどの辺りに分布していたか、そのあたりは教えていただけますか。
○大瀧参考人 それはどの時点の。被爆した瞬間のあれですか。被爆時所在地の分布ですか。
○柴田委員 要するに、千五百何人かの地理的分布です。
○大瀧参考人 その地理的分布の意味なんですけれども、どの時点の位置でしょうか。
○柴田委員 もし動き回っている人がいっぱいいたということであれば、延べでもいいですけれども。
○大瀧参考人 延べというのはどういう意味なんでしょうか。
○柴田委員 Aさんが9時から10時はここにいて、10時から11時はここにいましたという話であれば、同じ人だけれども、ここのところにはその人をカウントしていっても構わないということです。何かいきなりモデルを出されて、推定したらこうなりましたと言われても、なかなかよく理解できない。
○大瀧参考人 いきなりは出していないと思うんですけれども、それぞれの学校とか役場単位に集約した比率とか平均値を計算の途中経過として提示しておりますけれども。
○柴田委員 どこにありますか。
○大瀧参考人 地域別降雨、広島市の資料編の126ページとか、127ページの所に。
○柴田委員 これは分子ですよね。分子というか、要するに、Aタイプ、Bタイプの人の数。
○大瀧参考人 そうです。
○柴田委員 要するに、分母は全然わからないんですか。推定のしようもない。
○大瀧参考人 時間がわからないから、どの時点での人数なのかということが特定できないものを出してもしようがないかなという感じで僕は見ているんですけれども。
○柴田委員 もう一つは、黒い雨そのもの。これは今中先生にも教えていただきたいと思うんですけれども、黒い雨そのものが放射能を必ず含んでいるという話はあるんですか。大火事が起こっても、やはり雨が降ると思うんですけれども、その辺はいかがですか。
○佐々木座長 今中先生。
○今中参考人 私のプレゼンテーションでお話しするつもりだったんですけれども、黒い雨にはいろいろな種類があると思います。はっきり申し上げて。一応これまでの広島の黒い雨について、いわゆるフィッションプロダクトをこれは含んでいますよということで、サイエンティフィックなデータとして確認されているのは、1945年に理研の先生たちが測った、己斐・高須地区のデータです。それで、それはいわゆるフィッションプロダクト、死の灰を含んでいるやつですね。その後、大きな火事がありました。このときには、火事に伴う雨がありまして、その辺をどう区別するかというのは、気象モデルとの兼ね合いになってきます。これはまだはっきりした答えは私自身持っていません。いろいろ仮説は持っていますけれども。
 それで、雨の場合は、これは今、我々も評価しているところですけれども、誘導放射能があります。中性子誘導放射能で、例えば木材がありますと、木材中のナトリウム、マンガンが放射化されて、一定程度の放射性物質が飛んでいるはずです。これはだけれども、量的には僕の感じではフィッションプロダクトよりは少ない。多分1オーダー、2オーダー少ないだろうと思います。ただ、それも今回の我々の仕事の中では、どれくらいだったというのはそれなりにきちんと評価すべきだと思っていますので、ある程度たった段階ではどれくらいだったというのは、我々の推定としてはお話しできると思います。
 そういうことで、ですから、黒い雨と一概に言っても、いろいろなものがあるんだというのは、大前提として我々は仕事をやっているつもりです。
○柴田委員 ありがとうございました。
○佐々木座長 よろしいですか。ほかに。
 今のお話、今の質疑の要点は、黒い雨を経験された方々のデータに基づいてその地域が決まったんだけれども、その地域におられたけれども、同じ時間におられたけれども、経験しなかった方たちというのもいるかもしれない。それはわからないんですね。
○大瀧参考人 それは場所が特定できないから、わからないと思いますね。
○佐々木座長 そうすると、黒い雨を体験された方の時間とか位置とか、体験されたかどうかということの確からしさがどの程度なのかというのが何となく問題になっているんじゃないかなという感じなんですけれども、その辺についてはどんなふうに大瀧先生はお考えになっていますか。
○大瀧参考人 率直に申しまして、かなり個体差といいますか、ノイズとしかとらえようのないデータもかなりありました。それで、各学校とか役場単位に集約したときに、集約した合計が10人以上となるような地域だけしか使えないような状況で、一桁の場合だと、余りにも矛盾したといいますか、ある人は遭ったとか、遭わなかったということをいろいろ書いているんですけれども、非常に不確からしさが気になりましたもので、10人以上に限定しました。そのために、今日、ちゃんと説明すべきだったんですけれども、解析対象が1,084件と1,565件というふうに書いているんですけれども、10人以上に限定したために、それぞれ903件と1,413件に小さくなっております。これは、こちらの報告書の方にはそれを書いております。
○佐々木座長 ありがとうございました。
 ほかに。荒記委員。
○荒記委員 前回聞かせていただいていないので、私は完全に全体をまだ理解していないんです。ただ、今日の話で、今回のこの調査で本当に黒い雨が降った、統計学的に有意に降ったということを証明したいという、そのための報告だと思うんですね。ただ、このことを証明するために、今回のような解析デザインでは、これは恐らく疫学的、あるいは統計学的には非常に不十分だと思うんですね。というのは、ケースですね。実際に黒い雨が降ったと感じた人だけについて細かい解析をしていくんですね。時間的な分布はどうか。これを幾らやっても、本当にほかの地域と比べて黒い雨が降ったということを証明するために、根拠として弱いと思うんですね。
 私はむしろ全体像として、こういう目的を達成するためには、コントロール地域との比較が必要なので、今まで既に明らかになっている、宇田博士の大雨地域と小雨地域ですね。それで、さらに広い今回の地域と、これプラス、もっと外側ですね。それをコントロール地域として、この4つの地域で、1つは黒い雨の体験率を比較する。しかも、これは統計学的にちゃんと偏り、コンファウンド、バイアスがないように統計する必要があります。例えば、性別とか年齢別とか、統計学的な基本的な基本因子を押さえて比較するということが必要だと思うんですね。
 もう一つは、もっと大事なのは、実際に降雨量、放射能、これが非常に難しいので、なかなか証明できないと思うんです。それぞれの地域で放射能がどう違うかと。今回、コントロール地域としては、爆心地ともっと遠隔の地域でコントロールになると思うので、それらと比較して有意差があるかどうかということと、もう一つは、量反応の関係ですね。当然爆心地寄りの方が高度の暴露があったわけですから、例えば、黒い雨の体験率の割合も全然違うでしょう。しかも、これが大昔に起こったことを今思い出すわけですから、このバイアスを取り除くためには、今の時点で、同じ調査時点でそれを調べる必要があるということです。
 ですから、この辺が完璧な調査はできないんでしょうけれども、これに比較的近づけた調査をしないと、本当のことはなかなかわからないのではないか。これは疫学的に因果関係を証明するのに、単にケースだけを幾ら細かく分析しても、本当の因果関係は出てこないと思うんですね。この辺なんですが。
○大瀧参考人 これは因果関係を示すための調査研究ではないんだと思うんです。黒い雨が、いつ、どこで、どのように降ったのかということを探索的手法で見てみたということでありまして、だから、先生のおっしゃる有意差検定というものとはなじまないものだと思います。
○荒記委員 全体のこの委員会なり、全体の目的が、今回の地域で本当に放射能の影響があったどうかを調べたいということじゃないんですか。
○大瀧参考人 それはそうだと思います。
○荒記委員 そうするためには、やはりもっと外側から大きく分析しないと証明ができないと。
○大瀧参考人 テーマによってはそういうことをすべきだと思います。僕に課されたテーマに関しては、探索的なもので十分だと思います。
○荒記委員 それはいいんですね。ですから、この結果から、どこまで果たして、この地域でこの本当の放射線の影響があった、原因があったかということをどこまで推定していいかどうかが問題なんです。少なくとも疫学的に見ると、それは無理じゃないかと私は思うんです。疫学的処理をやる場合に、どんな場合でも、ケースだけを幾ら細かく調べていったって、因果関係はわからない。ただ、今回の調査法というのは、あくまでもこの地域が黒い雨が降ったという前提の上で話を言っていますから。だけど、今の段階でまだこれは仮説じゃないかと思うんですね。
○佐々木座長 ありがとうございました。
 まだこの問題、いろいろ御発言があるかと思いますけれども、この辺で一旦終わらせまして、またいろいろ御質問のあること、あるいはまだ十分理解できていないことについては、今日の最後の方で、これまでに委員からいただいている質問について紹介がありますけれども、なお、これからも質問を出していただいて、お答えをいただくということになろうかと思いますので、大瀧先生、ありがとうございました。
 それでは、前回、米原委員から一部御説明をいただきました「広島原爆黒い雨に伴う放射性降下物に関する研究の現状」という報告書について御説明をいただきたいと思います。
 この報告書をとりまとめられた「広島黒い雨放射能研究会」の世話人を務めておられます京都大学原子炉実験所の今中哲二参考人から御説明をまずお願いしたいと思います。今中先生、よろしくお願いいたします。
○今中参考人 今中でございます。よろしくお願いします。
 まず、自己紹介がてらに私のことを説明しておきますと、私は、京都大学の原子炉実験所というところの原子炉基礎工学分野で助教をしております。専門といいますと、原子力工学で災害評価とか被曝評価の仕事をしております。広島の原爆の問題に関しては、お手元の方に配付していただいていますけれども、いわゆる原爆線量評価の見直し問題として、DS02という、現在、放影研でやられている疫学調査に使われている個人線量を評価するシステムですけれども、それの日本側ワーキンググループのメンバーとしていろいろ仕事をさせていただいたということもありまして、お手元の参考資料2「広島・長崎原爆放射線量評価体系の変遷と未解決問題」ということで、その辺の線量評価の経緯、また、今後の問題ということである程度まとめた日本語の文章がありましたので、御参考に付けさせていただきました。
 今日の話は、いわゆる黒い雨に伴って、地表に落下してきた「ローカルフォールアウト」と我々は読んでいますけれども、その前に、私自身は、誘導放射線の問題、先ほどもちょっと柴田先生の方から質問がありましたので、お話ししましたけれども、いわゆる残留放射線というやつは2種類あると。これをまずきっちり区別しておいていただきたいんですけれども、爆発した瞬間に出てまいります中性子が地上に降り注いで、それを吸収してできる放射能、これは誘導放射能と呼んでいます。
 私自身がDS02に関係していったものですから、爆発に伴って中性子がどれくらい地上に降り注いだかというのをある程度資料を持っていますし、私ども自身も計算できます。それで、地上がどれぐらい放射化するかという計算も可能です。そこに人が来たときにどれくらい被爆するだろうかというのをある程度の仮定を立てれば、見積もりも可能です。ということで、評価させていただいたものが参考資料1に入っています。
 今日の主なテーマは「黒い雨」ということなんですけれども、これはかなり厄介な問題で、私自身、三十何年間、原爆の線量問題をやってきて、まだはっきりしないところがある。私も含め、もっと前からいろいろな先生方がやってこられて、いろいろ難しいなというのを抱えながらやってきたわけですけれども、私ども、とにかく最近になっていろいろなテクニックが進歩したということで、昔測れなかったことも、今なら測ることもできるということ。
 あと、いわゆる気象学的なシミュレーション技術もかなり進歩してまいりましたので、その辺でもう一遍きっちり我々ができることをやっていきたいということで、何年か前に私ども何人かが集まって、一緒に勉強しようではないかということで、1年ほど前にまとめたものをお手元に配らせていただきました。
 今日は、一応私はこれの世話人をやらせてもらっているものですから、我々がやってきたこと、私自身がやってきたことも含めて、30分ほど時間をいただいて御説明させていただきたいと思います。
(PP)
 今日のストーリーなんですけれども、何で今ごろ黒い雨の放射能の話をやることになったのか。大瀧先生の話は、黒い雨がどこまで降ったんだろうかということですけれども、私どもが関わっているのは、黒い雨に伴う放射能だと。放射能の痕跡をとにかく見付けたいということでやっています。それで、再検討するに至ったきっかけ。それで、我々はどんなことをやってきたのか、これから何ができそうかということをお話ししたいと思います。
(PP)
 初めに、黒い雨問題なんですけれども、定説というか、定説と書いていますけれども、従来の私の解釈なんですけれども、長崎の黒い雨は、広範囲で強かった。広島の黒い雨は、狭くて弱かったというふうに言われています。実際、DS86という報告書が1987年に出ているんですけれども、このときのは岡島先生がまとめられたレポートですけれども、長崎の西山地区で200~400mGy、広島の己斐・高須地区で10~30mGy。それまでの研究をずっと全部網羅的にレビューされてまとめられた。僕は岡島先生のいい仕事だと思っています。今でも参考にさせてもらっています。
 それで、広島では、死の灰を含む黒い雨が降ったのは、己斐・高須に限られていたというふうに私自身が解釈していました。というのは、当時、20年ぐらい前にはっきりしたデータがこれしかなかったということです。
(PP)
 それはどういうことかといいますと、原爆が落ちて、1945年11月ですから、3か月ぐらい後ですけれども、米軍の海軍の研究所から、GM管というサーベイメーターですけれども、持ってきて、広島と長崎の残留放射線の分布を測っているわけです。
 これが、先ほど言いました、爆心近辺が誘導放射線です。その辺りです。広島と長崎はレベルは同じぐらいです。大体70μR/hぐらいですかね。広島の残留放射線ですけれども、これが己斐・高須地区と言われる所で、ここで40~50μR/hの数字が出ています。
 一方、こちらは長崎です。これを見ていただいくとおり、長崎の方がかなり広いです。そして、長崎の西山貯水池という所があって、ここにかなりの放射能だったということが知られていますけれども、ここの数字が約1,000μRですから、広島の大体10倍、20倍のレベルでかなり広かったということが言われていました。これをどう解釈するかというのは、いまだによくわからないところもあるんですけれども。
(PP)
 一方、広島の黒い雨について、先ほどから何度か出ていますけれども、これは「宇田雨域」と言われる、1953年に原子力災害の報告書が出たときに発表されたんですけれども、データそのものは、原爆が落ちて数か月後に広島気象台の方々がいろいろ聞き取り調査をしてつくったデータをもとにやられています。
 これは放射能の分布です。これは雨の分布です。これらの分布が違うではないかと。これはだれでもわかると思いますけれども、これをどう解釈するのかということで、私自身は、以前はドカーンと爆発して、最初に放射能の濃い雲が西へ流れたと。そして、ここ(己斐・高須)に雨を降らして、西へへ飛んでいったと。その後、大きな火事が起きて、火事の雨が北西方向へ行って、あの大きな雨になったんだという解釈をしていたんです。多分当時のデータでそれを素直に見れば、そういう解釈でよかったんだと思うんです。ですから、強い雨、さっき言いました死の灰、フィッションプロダクトを含むフォールアウトの雨と誘導放射能を含むフォールアウトの雨があった。それでちょっと違っていたんだろうと。強い雨は西の方でちょっぴり降っただけだったというふうに思っていました。
(PP)
 実は、DS02を私どもが参画させていただいてまとめまして、この後、私どもの研究所で日本側ワーキンググループの報告会をしたんですけれども、そのときに放医研の丸山先生に来ていただきまして、丸山先生が黒い雨を昔シミュレーションをやられたということなので、その話を聞かせてくださいと、そのときにいただいた報告書なんですけれども、これが1991年ぐらいですか、黒い雨の専門家会議というので、気象研の吉川先生と、丸山先生がシミュレーションされてやったんですけれども、そのときの結果がこの図です。結局、黒い雨というか、放射能が降った地域がここ(北西山間部)なんですね。シミュレーションによると。私はこれを見て、ウーンとうなってしまったんです。私の知る限り、黒い雨の放射能が降ったのはこちら(己斐・高須)なんです。
 というのは、さっきも申し上げましたけれども、1945年の8月に理研の人たちが来て、どうもこの辺は放射能が高いぞと言って、この辺の土を取って東京へ持って帰られて、当時の方が化学分析をされて、ベータ線のエネルギーとか半減期を測られて、これはフィッションプロダクトに間違いないという報告を出されていますが、吉川・丸山シミュレーションと場所が違うわけじゃないですか。これをどう解釈するのかというので、もしもこの吉川・丸山シミュレーションが本当だとしたら、これは大変なことだと。もしここに大変な放射能がいっぱい降ったということであるんだったら、きっちりもう一遍やらなければいけないということです。
(PP)
 ほかのデータを見たらどうなるかということなんですけれども、この丸は雨ですけれども、矢印は、畳とか塀とかトタンとかが飛んで行った方向ですね。これはやはり西よりもむしろ北の方に飛んでいる。あと、吉川さん、丸山さんのシミュレーションでいろいろやられている雨の降り方を見ると、西に行ったというよりも、北西、北の方向へ降っているぞと。ということはもう一遍きっちり考え直してみなければいけないんじゃないかということで、そのように思いはじめたのが、DS02が終わってですから、2005年か2006年だったと思います。
(PP)
 それで、とりあえず仮説を立てようと。ですから、己斐・高須地区の汚染は、黒い雨による広範な放射能汚染の一部にすぎなかったのではないか。こういう仮説のもとに、何ができるか、何をすべきかをやってみようと。
 まず、私がやったのは、とにかく古いデータを調べなければいけないということなんですけれども、じゃというので、昔の仲間というか、DS02にやってきた広島の先生たちとか、あと、私がこのときに非常に心強くみんなでやろうと思ったきっかけは、放医研のサフーさんが、ウランの236という、後でまたちょっと話しますけれども、従来測れなかった、測るのが非常に困難であった放射能といいますか、ウラン同位体を何とか測れるよと。というのは、皆さん御存じのように、広島、長崎で原爆の材料が違うんですね。広島はウランを使っていますし、長崎はプルトニウム。ウランの場合、ウラン235というやつで、実は、これは後でもお話ししますけれども、爆発したときに、ウラン236というのがほんのちょっぴりできる。それが黒い雨に混じって降っていたら、うまく測れるのではないかということで、じゃ、サフーさんも一緒にやってくださいと。当時、広島市、今日お見えになっている岡田さんたちも熱心に、広島市の方からも是非黒い雨に関する放射能の研究をやってくださいというのがあったので、じゃ、研究会という形で話を進めようかということだったわけです。
(PP)
 若干、何をしてきたかというのをまずお話ししておきますと、最初に、これは広島市さんの主催でやった集まりが8年の2月5日ですから、3年ほど前になりますけれども、今までの問題、どんなことをやってきた、従来やられてきたことなどをやって、どうも私が感じていたのは、気象屋さんが要るぞと。雲がどう動いて、どういうふうに雨が降ってきたかというのをちゃんとシミュレーションする必要があるので、私の知り合いだった気象研の青山さんに声をかけて、手伝ってよということで入ってもらいました。あとの、ここにあるサフーさん以外はDS02で一緒にやってきた仲間です。
 最初の集まりのミーティングで何をしようかといったときに、後でもまた言いますけれども、原爆放射能の痕跡として、我々がすぐ思い付くのはセシウム137なんですね。これは半減期30年で、非常に測るのも簡単ということで、広島の土を持ってきたら、どこへ行ってもすぐ出てきます。137は。だけれども、日本じゅうどこの山へ行っても、土を持ってくれば、セシウム137が出るんです。
 これはなぜかというと、1960年代にソ連とアメリカでどんどん大気圏核実験をやりましたから、それが世界じゅうに降っています。多分この前、米原先生が説明されたんだと思いますけれども。
 ですから、広島の周りでセシウム137は出るんですけれども、それが出ても、原爆によるセシウム137とどう区別するか。同じ137だったら区別できないということなので。じゃ、床の下を掘ったらどうかということで提案があって、床の下というのは、広島の原爆が落ちたのは1945年、その後、大気圏内核実験がどんどんやられるのは1950年代以降。ですから、45年から48年ぐらいに、黒い雨地域で作られた家の床の下の土を持ってきたら、広島原爆由来のセシウムと考えられるということでやりました。
 それで、このサンプルを取るのには広島市の岡田さんを初め、熱心な「黒い雨の会」の方々の協力も得てやったんです。それを測定するのに、非常に感度のいい測定システムを持っている金沢の山本さんも入ってもらいました。これが1年ぐらい。
 その後、236の測定をやっているわけですけれども、これは放医研のウランの236の測定。この方法は、TIMSと我々は呼んでいるんですけれども、Thermal Ionization Mass Spectrometryと言うんですが、ウランの235、238というのが天然にあるんですけれども、さらにウラン235が核分裂したときに、ウランの236もちょっとできるよと。これを測定するのにどうやってするかというと、235と236の重さがちょっと違いますから、それをマス、質量分析、加速して、磁石でキュッと曲げて、ちょっと分かれたところを測るという方法で、TIMSという方法と、あと、AMSという方法があるんですけれども、これは加速器質量分析と言いまして、TIMSよりもっと大がかりな装置で、これがウィーンの方に共同研究できるというので、広島の坂口さんがウィーンでウランの236を測ってくれるということです。
 というようなことをやったりして、あと、大瀧先生にも黒い雨のアンケートの地域。青山さんたち、モデル屋さんの気象シミュレーションというのは、ある意味では計算なんですね。計算ですから、さじ加減によって幾らでも変わってくるという側面があるので、いろいろなグループがいろいろインディペンデントにシミュレーションしないと、信頼性の得る結果は得難いということで、青山さんが国際コンペの提案をして、世界じゅうから何箇所かのモデルグループで、それぞれで別個に計算してやってみようという計画も立てています。
(PP)
 あと、ちょっとまた話しますけれども、我々のグループに広島市立大学のコンピュータグラフィックスをやっている馬場先生が、きのこ雲の写真が歴史的写真として幾つかあるんですけれども、それをコンピュータグラフィックスのテクニックで、雲がどういうふうに動いて、どれくらいの高さになって、どっちの方向へ動いているか、それが解析できないかということで、それが気象のシミュレーションと非常に密接に関係するので、馬場先生にも手伝ってもらっています。
 あと、長崎について、どんな黒い雨が降ったのかをまとめてくださいということで、長崎大学の高辻先生にも入ってもらって、できたのが、去年の5月にまとめました「“黒い雨”研究の現状に関する中間報告書」ということです。
 あと、こんなミーティングをして、1月にも広島大学でミーティングして、去年の10月には黒い雨の放射線影響学会でシンポジウムをやらせていただいたという活動をやってまいりました。
(PP)
 もう少し中身を説明しますと、まず、先ほど言いましたように、原爆直後の放射線サーベイがどうだったのかということです。あと、1976年にかなり広範囲の放射能調査がやられています。お手元に資料があるかと思います。あと、我々の仲間である静間先生が、もう20年近くにわたっていろいろなサンプルを測られているという説明をしたいと思います。
(PP)
 原爆直後の放射線サーベイなんですけれども、余り時間がありませんので、お手元の方に全部書いてまとめてありますけれども、実は、原爆直後の放射線サーベイというのは、日本の学者、ここで書いていますけれども、理研の仁科先生が来られたのは、これは1日間違っています。8日の夕方です。8日の夕方に入られて、9日にサンプルを取られています。あと、京大の荒勝先生、阪大の浅田先生という人たちが8月9日、10日に入って
いろいろな所を、広島市内をやられています。それで、学術会議が調査団を組んで、9月、10月にわたって、かなり熱心な測定をやられています。
 あと、アメリカのマンハッタン計画のグループも10月に来ていますし、先ほどお見せしたアメリカ海軍のPace & Smithの報告。1945年にやられた報告は大体こんなところです。
 ただ、あくまでこのグループがやられたのは広島市内なんですね。さっきの私の仮説ではないですけれども、我々が現在問題にしているのは、ここ(山間部)にどれくらいの放射能が降ったかということなんですけれども、ここでは実は、おもんぱかるに、1945年8月に入ってこられて、広島市内はずっとやられていたんですけれども、とにかく市内の放射線をサーベイされるので手一杯で、山の方にまでは、勿論交通の手段とかいろいろな問題があって、ここまでには余り気が回らなかったんだろう。ただ、己斐・高須地区まではやられています。
 これは、広島大学の藤原先生のグループが、理研のローリッツェン検電器という測定器があるんですけれども、それを借用されて、1945年と1948年にやられています。1945年は大体この辺を測られているんですけれども、1948年になって、いわゆる山間部の黒い雨地域を測られて、これのデータをずっとながめていくと、バックグラウンド1に対して2.5、1.5という数字が出てくるんですね。これを見て、確かに高いことは高いんですけれども、じゃ、これが本当に黒い雨が降った放射能の影響かどうかといったときに、ある程度放射能の減衰の仕方というのは計算できますから、黒い雨、もし1945年10月に40μR/h、ちょうど己斐・高須はそれくらいあったんですけれども、そのときに、大体半年ぐらいで自然にバックグラウンドに落ちます。1年たったら、まず、降ったローカルフォールアウトの影響をサーベイメーターを持っていって地面の上で測るのはまず無理だというのが私の判断です。
 それで、当時の仕事は、一応全部まとめたつもりです。
(PP)
 去年5月のレポートに入っていないデータが、ただ1枚出てきました。これは、国会図書館に米国戦略爆撃調査団のレポートがあるというのを聞きつけたものですから、そこで日本関係のデータをずっと見ていったら、理研の増田先生が1946年1月30日から2月7日、ですから、半年ぐらい後ですかね、ここら辺に、アメリカ軍に車を出してもらって、伴、安辺りの車の上からデータが測られたというのが唯一私が見つけたデータです。これも半年たっていますから、バックグラウンドがどうかちょっと判別し難いというデータになっています。まだこれからも古いデータを見直そうとは思っていますけれども、とりあえず古いデータはそこまでです。
(PP)
 一応、原爆直後のサーベイのまとめとしては、市街地については、原爆数日後からかなり精力的なサーベイがされていると言っていいと思います。ただ、黒い雨の山間部地域のサーベイは、少なくとも原爆から数か月間はやられていないと言えるかと思います。
(PP)
 次に、1976年の土壌の広域調査ですけれども、これは、黒い雨問題を多分このころにもう一遍見直そうということで、厚生省さんが中心になって、広島から大体30kmにわたってずっと網目状というか、放射状にサンプルを取られて、当時の技術と言えば、セシウム137というのは簡単に測れると言いましたけれども、それで、黒い雨のこの地域だったら、この地域でセシウム137がたくさんあるだろうと。こっちの対象群、コントロールに比べて。だったら、原爆の影響が認められるというふうに言えるだろうということでやられたんだと思うんですけれども。
(PP)
 これは、当時のデータの私のまとめですけれども、NW方向、北西方向、北西と北の方向のサンプル58カ所と南東等のサンプルを比較したものですけれども、ほとんど変わりありません。ですから、最初に言いましたように、広島原爆の放射能が降って、その上に核実験、世界じゅうに降ったのが降っていますから、それで区別ができなくなっているという状況です。
 ちなみに、数字を言うので申しわけないですけれども、当時に多分我々、北半球中緯度地域で、核実験によるセシウム137がどれくらい降ったかといいますと、積算すると1m2当たり、大雑把に言って5kBqです。それが1960年代に降ったものですから、もうそれから50年たっていますから、今でしたら、半減期は30年ですから、半分以下に落ちています。大体1~2。土にずっと留まってですよ。
○佐々木座長 平方メートルですか。
○今中参考人 平方メートルです。
 その情報は、セシウム137はそのままでは使えないということで、我々は床下の測定をしたんです。
(PP)
 これは興味深いデータなんですけれども、これは広島市内のデータですけれども、さっき言いました理研の仁科先生が8月8日に広島入りされて、8月9日、多分9日だと思います。あちこち、20か所ぐらい土を取られて、理研の方に持って帰られて測られたんですけれども、当時の技術では細かい核種分析はできません。ただ、そのサンプルがびんに入って理研にずっと何十年間残っていたということで、それを広島の先生方が聞き及んで、じゃ、一遍測りたいということで、一旦、原爆資料館に寄贈するという形で、それを借り出して、広島の静間さんたちが、この中のセシウムを測定されたということは、結局、このサンプルには、いわゆるグローバルなフォールアウトはありませんので、これは広島原爆による影響だと、はっきり言っていいデータだと思います。
 この丸の大きさが放射能の強さを見ているんですけれども、大瀧さんが言われた黒い雨地域の話がありましたけれども、ですから、この辺は駅の裏の方ですかね。結構、爆心近辺は、宇田雨域から外れるような所でもある程度雨は降っていますよと。ただ、量的な問題は、ここにある己斐の近くはかなり大きかったと。あとはかなり検出限界がかなり苦しいぎりぎりの辺ですけれども。
 当時の話をまとめますと、結局、昔のデータですので、原爆直後の山間部における放射線サーベイは不十分だったと私は思っています。その後の土壌放射能データ、1976年のデータを初め、グローバルな影響が大きいということで、ここからは広島原爆の話はきっちりとはできないということで、一応、従来のデータを見る限り、私のさっき申し上げた己斐・高須地域は、黒い雨放射能全体の一部にすぎなかったのではないかという仮説の妥当性については結論できないと言えると思っています。
(PP)
 じゃ、新たにどういうデータが使えそうかということで、床下の土壌のデータ、ウランの236のデータ、あと、ウラン235、238の比。というのは、これはもう御存じかと思いますけれども、ウランというのは、皆さん御存じないですけれども、案外そこら中にあるものなんですね。石でも何でも入っているんですけれども、天然の同位対比というのがあって、特に広島の周りというのは花崗岩地帯なので、比較的ウランを含んでいる土があるんですけれども、そこに原爆による濃縮ウランが降ったのではないか。というのは、アメリカ軍が原爆の報道はオフィシャルには発表していませんけれども、インフォーマルな話として、原爆に使われていたウランの235は、大体51kgだったと言われています。出力は16ktと、ある程度きっちり数字が出ますから、出力16ktで燃えたウランは大体1kg弱です。正式に言えば912gになりますけれども、1kgぐらい。そうすると、残りの50kgぐらいの濃縮ウランがボーンと飛び散って、黒い雨と一緒に落ちた可能性があるということで、この比を測れば、ある程度痕跡がつかめるのではないか。ですから、黒い雨地域の放射能の痕跡をつかむということでは、我々はこの3つの測定をやっていきたいということです。
 あと、もう一つ、それをサポートする材料として、先ほど申し上げた仁科試料の土壌をまた原爆資料館から借りてきました。そして、これのウラン分析をもう一度やろうということと、あと、皆さんよく御存じの、原爆資料館にある黒い筋がついた雨の壁ですね。あそこからちょっと黒いところをもらって、あれを分析しようということをやっています。
 それで、これは私の仕事なんですけれども、じゃ、放射能はわかるけれども、放射能が出てきたときに、じゃ、そこから被曝量云々をどうやってエスティメーションするかという仕事は、私の方がいろいろな仕事をやらせてもらっています。
 私どものグループ、先ほどまとめた報告書は、黒い雨放射能研究会ということで、とにかく放射能の痕跡をつかまえたいということでやっているんですけれども、あと一つ、別仕立てとして、気象研の青山さんなどを中心として、もっと広島市さんの方も力を入れてもらって、気象シミュレーションをもう一遍やってみようと。コンピュータグラフィックスを含めて、そういう計画を、今、立てているところです。
(PP)
 個別にどんなデータがあるかというのをちょっと御説明しますと、多分この前も説明があったかと思いますけれども、こういう形で建物の床の下から土を持ってきて、とりあえずセシウム137を測りました。これは報告書をつくった1年前の時点ですけれども、そのときのデータでは、7つ測って3つぐらい、セシウムはかなり有意な数字が出てきたよと言われたので、これはひょっとしたら原爆由来でいいのかなと思ったんですけれども、念のために山本さんがプルトニウムを測ってくれました。さっきも言いましたように、世界じゅう、核実験をして、セシウムが降っています。日本じゅうどこの山へ行ってもセシウムはあります。それと同時に、プルトニウムも降っているんですね。勿論量は少ないんですけれども。というのは、普通の核実験ではプルトニウムを使っています。ウランを使った核実験はほとんどありません。ということで、環境中にあるセシウムに対しては、ある程度一定の割合でプルトニウムが出てくるというのがありますから、床下が本当に広島原爆由来かどうかというのは、プルトニウムを測ることによってある程度推測できるということで、山本さんが測ったら、プルトニウムはやはり出てきたよということで、我々はいささかがっかりしているところです。
(PP)
 お手元の資料には、山本さんがまだパブリッシュされているデータではないので、お見せするだけですけれども、例えば、黒いのがセシウム137で、1か所、2か所、3か所、H2とかH3、H6という所で出ていますけれども、同時にプルトニウムも出ているということで、これは簡単には広島原爆由来とは言えないな。
 実は広島原爆でもある程度プルトニウムができるんですね。というのは、広島原爆の濃縮度をいろいろ調べると、どうも80%のようです。80%ということは、ウラン238が20%あります。それで、私のざっとした見積もりでは、ウランが核分裂は1kgと言いましたけれども、それに当たって、ウランの238がありますから、238が中性子を吸収して、ウランの239になって、プルトニウム239になるという経路で、大体10gぐらいできる。その辺を見ても、ちょっと多いよということで、これについては、まだもう少し検討してもらっています。
(PP)
 次に、ウラン236のデータなんですけれども、これは、私自身がサフーさんとかみんなの名前で2008年の影響学会でポスター報告したものですけれども、結局、さっきも言いましたけれども、ウラン235が核分裂して原爆のエネルギーになるわけですけれども、そのときに、これは核分裂する確率みたいなものですね。断面積、これは1.24バーンと書いてありますけれども、同時に、235が中性子を吸収して236になるというのが、これの7%ぐらい、0.09バーンなので、74gぐらいの236ができて、その236が宇田雨域に、宇田雨域の強い雨域は66km2あるんですけれども、そのうちの1%が万遍なく落ちたとしたら十分測れるぞと。多分0.1%でも測れるぞという濃度になったので、前見積もりで。サフーさんが測ってくれると、彼のデータは、どうもこの辺が高いぞというデータが2008年ぐらいのデータです。これはやはりきっちりやらなければいけないなということで、黒い雨地域でウラン236が大きい傾向が見られました。
(PP)
 一方、坂口さんがウィーン大学のグループと共同して始めたウラン236、これは加速器質量分析法(AMS)による方法なんですけれども、彼女もいろいろ測ってくれまして、実はサフーさんにお願いしたサンプル、坂口さんにお願いしたサンプルも、もともと1976年に厚生省の依頼で公衆衛生員が広島、さっき言いましたけれども、107か所でしたか、取ったサンプルが広島大学に保存されていたものですから、それをみんなでもう一度測ってみたら、どうも傾向が違うのではないかと。AMSで測ると、コントロール地域からも出てきて、はっきりした傾向が見られないよということでした。グローバルフォールアウトとしてウラン236が出てくるという話は従来言われていなかったんですけれども、これは坂口さんたちが初めてきっちりしたデータを出してきたんですけれども、どうもグローバルフォールアウトにもウラン236があるぞということが言われ出しました。
 というのは、ちょっと話がややこしくなるんですけれども、これは原爆ではなくて水爆由来の236だろうと思います。水爆というのは核融合だと思われているかもしれませんけれども、核融合と同時に、周りにタンパーという天然ウランや劣化ウランを巻いていまして、それに核融合で出てくる14ミリオンの中性子をボンとぶつけて、また核分裂をすると。昔の言葉で言えば3F爆弾とか言われましたけれども、そのときに14ミリオンという非常にエネルギーの高い中性子がウランに当たりますと、専門用語で申しわけないですが、N3N反応と言って、中性子が1個当たって、中性子が3つ飛び出る反応が起きると、ウラン236ができる。どうもデータを見ると、そのスレッショールドというのが11ミリオンなので、原爆ではN3Nは起きないけれども、核融合だったら起きるぞということで、僕は多分それが由来だろうと思っています。
(PP)
 これは放医研のサフーさんがやっているTIMSのデータ。こちらはウィーン大学のAMSのデータですけれども、TIMSのデータとAMSのデータがちょっと傾向が違うので、これはきっちり相互比較測定をしなければいけないということで、今やってもらっています。第1段階でやってもらっている金沢大学でつくったサンプルを、例えばTIMSとAMSで同時に測ると。これは広島のサンプルの場合ですけれども、これはウラン236、238の同位体比をとると、とりあえず2倍近く違っていると。まだ現在も継続しています。今、我々が研究費を申請しているものですから、これがうまく通れば、ブラインドシステムできっちりした相互比較測定をやって、どのデータをきちんとしていくということをやりたいと思います。
(PP)
 あと、もう一つのデータですけれども、235、238の比のデータです。ですから、そこらの石ころを持ってきたら、ウランが入っていると言いましたけれども、石の中のウランというのは、235とか238の比というのは、天然割合できっちり決まっています。勿論測定精度の問題があるんですけれども、これの比というのは大体0.007253で、この比を測るのは昔は非常に困難でした。ただ、いろいろこの20年間ぐらいの進歩で、例えばサフーさんのところのTIMSでやりますと、大体有効数字7255、7256、7278、3桁ぐらいの数字が出るようになる。彼のデータを見ると、やはりこの辺はバックグラウンド、ここにちょっと高いのがあるのが気になるんですけれども、どうもこの辺(北西山間部)が高めに出ているなということで、これももうちょっとやってもらいたいなということで、黒い雨地域は、ウラン235の値がちょっと大きめになっている。
 というのは、ナチュラルの天然のウランの上に、広島原爆の濃縮ウランがほんのり塩をかけたぐらい、ちょっぴり落ちている。それを非常に高性能の測定器でやっていますから、広島ウランそのものは、235の238の割合は、235が80%のものですけれども、それがばらまかれて、それをちょっと測っているかもしれないということで、これももう少し進めたいと思っています。
(PP)
 これは仁科さんの土壌サンプルで、これは原爆資料館にある黒い雨、これもちょっともらって、これはグローバルな問題がない貴重なサンプルということで、いろいろな知見が得られると思います。
(PP)
 時間が長くなりましたけれども、結局、我々のグループとしては、とにかく、黒い雨、放射能の痕跡を何とかサイエンティフィックなデータとしてつかまえてやりたいと。ある意味で痕跡さえつかまえれば、あとはなんとかかんとかして話を組み立てます。たとえつかまえられなくても、これは必ずしも放射能が降っていないことにはならないということで、最後に近くになりますけれども、放射能が降ったとして、じゃ、どれくらい当時の放射線被曝があったかということです。
(PP)
 これは私の仕事なんですけれども、現在、セシウム137がどれくらいありましたよというデータをもとに、例えば、原爆直後にセシウム137が、例えば床下データが原爆由来だとしたときに、当時65年前にさかのぼって、セシウムがどれくらい降ったかというのはある程度言えるわけですね。そうすると、そのほかの放射能が一体どれくらい含まれていたかというのは、そのセシウムならセシウムのデータをもとに、ある程度推測が可能だということで、全体の放射線量がどれくらいだったかということも可能になるという仕事です。
 変な言い方ですけれども、今現在のセシウム137から、50年前、60年前の被曝量がどれくらいであったか。恐竜の骨の証拠を持ってきて、恐竜が生きてたころにどんな顔をしていたか推測するような仕事をやっています、と私は言っています。セミパラチンスクの放射能汚染なんかでプルトニウムデータとセシウムデータが出てきて、これをもとに、当時の被曝線量はどれくらいだったかという仕事をやらせてもらっているんですけれども、そうして出てきた数字を実際の測定データ、また、汚染された村のレンガを持ってきてサーモルミネッセンス法で測ってみると、大体いいところ、ある程度コンシスタントなところにいっていますので、ある程度使える手法だろうと思っています。
(PP)
 とりあえず、私は、黒い雨地域でどれくらいセシウムが最初に降ったかということを、幅として1平方m当り0.5~2kBqぐらいと言っています。ではないかと。2より多いことは、まずないだろうと思います。というのは、グローバルなフォールアウトとの兼ね合いがありますから、たくさんは降っていないと思います。本当にたくさん降ったんだったら、グローバルを超えて今でも残っているはずです。西山地区でしたら、今でもセシウムの強い所というのは残っていますから、そんなにはない。最大で2ぐらいだろうと思います。
 0.5というのは、己斐・高須地区辺りが0.5ぐらいだろうと思います。これはどうしてかというと、当時の己斐・高須地区の1945年9月のサーベイしたデータで大体毎時40μRというのがありますから、これくらいの数字になるにはどれくらいか、0.5くらいだろうということです。1平方m当り0.5~2kBqのセシウム137初期沈着に基づくと、積算被曝がどれくらいになるかということで、大体、黒い雨地域の被曝線量は、外部被曝ですけれども、10~60mGyということでまとめて去年の報告書に書かせてもらいました。
(PP)
 最後ですけれども、あと、気象シミュレーションのグループが動き出しまして、これは広島市さんの方から特別に、また別枠のプロジェクトを立ててもらいまして、HiSoFという形になっています。Hiroshima study group on Re-construction of Local Fallout from A-bomb。結局、気象シミュレーションでどこまで話ができるかということなんですけれども。
(PP)
 まず、シミュレーションの国際コンペをするには、はい、やってくださいと言っても、我々が一体どれくらいの情報を提供できるか。シミュレーションするための初期条件、雲の量、雲の位置、風の強さ、放射能の量というのを提示しなければいけないということで、今、この仕事をやっているところです。この仕事をやって、3月の末ぐらいには最初のレポート、シミュレーションをするに当たっての初期条件レポートを青山さんが中心になってまとめているところです。
 その初期条件でこうなりますよということで、広島市さんの方と相談しながら、外国の研究者に訴えて、気象シミュレーションコンペをしましょうという段取りになるかと思います。
(PP)
 シミュレーションの概念はこんなものです。広島のメッシュをとって、雲がこう動きますよ。この雲が、風の場とか、あと、火事が起きて雲が上がります。そういったものをどういうふうに気象シミュレーションで、どこに雨が降るかということをやってもらうつもりです。
(PP)
 最後、これは広島市立大の馬場先生の仕事なんですけれども、これは有名な原爆写真で御存じだと思いますけれども、これを写真の2次元データからどんな情報が出てくるか。びっくりしたんですけれども、馬場さんがコンピュータグラフィックスで3次元データに変換して、写真が何時何分に撮られたというのがはっきりすればいいんですけれども、そこはまだアンノウンな部分があるんですけれども、とにかくこれがこうなっている。こういう形にすると、方向を変えるとこんな形になって、幾つか写真がありますから、そういう写真を比べながら、雲がどういうふうに成長していったかという整合性をとりながらやっていけるのではないかということをやろうとしています。
(PP)
 ということで、まとめですけれども、我々のグループとしては、放射能の痕跡は、山間部の黒い雨地域でつかまえたと、最終的なデータとしてつかえまたとはまだはっきりは言えないと思っています。まだまだやることがある。同時に、降っていないという話には全くなっていないということで、ですから、ある程度仮定の上でありますけれども、仮定の上で、降ったとしたらこれくらいの見積もりになるというのはある程度言えるのではないかということです。
(PP)
 どうも長くなりましたけれども、結局、我々のグループとしては、広島・長崎で起きたことを、どんなことが起きたのかということを明らかにするために、それぞれの専門性の範囲でできるだけのことをやっていきたいと思っています。
 どうも長くなりましたけれども。
○佐々木座長 今中先生、どうもありがとうございました。
 それでは、ただいまの御説明に対して、御質問や御意見がございましたら、御発言をお願いいたします。
 ちょっと確認させていただきたいんですけれども、DS02の委員会では、黒い雨の問題については全く議論されていないんでしょうか。
○今中参考人 していません。DS02は、原爆の放射能被害全体を明らかにするものではなくて、先生御存じのように、あくまで放影研がフォローアップしているライフスパンスタディのコホートに対して、それぞれの個人線量を割り当てるということですね。ですから、あくまでコホートのメンバーに対する線量ですから、私自身では、コホートに対して黒い雨地域が、黒い雨の問題はそう大きなコントリビューションをしているとは思っていないんですけれども、その根拠になっているのは、DS86で岡島先生がまとめられていますので。
 ただ、もう少しきっちり見なければいけないのではないかということで、大瀧先生のグループなどもやっておられますし、多分放影研でもそのことをやられるのではないかと思います。
 ただ、第一近似として、果たしてそれを見直さなければならないほどのものがあったのかどうなのかという気はしています。基本的には、DS02では大体2.5km以上は5mSv以下で、0と同じ扱いにしていると思います。
○佐々木座長 もう一つは、先生が今明らかにしようとしておられます山岳地域とおっしゃっているところは。
○今中参考人 山間部ですね。
○佐々木座長 山間部とおっしゃっている場所は、被爆のとき、どんな状況だったのかというのは想像がつかないんですが。被爆というか、原爆投下のときにはどういう場所であって、どんな被害があったのか、あるいは人がどのくらいいたのか、そういうことがもしわかれば。
○今中参考人 多分一番いいのは、広島のNHKさんが、毎年、毎年、番組をつくられて、私もNHKさんへ行っていろいろな話を聞かせてもらうんですけれども、あれは体験談が出てきますね。ムクムクムクと雲が来て、ワーッと雨が降り出したんよという。それを見て、ああ、やっぱりそうなんだなという気はします。
 ですから、大瀧先生の話じゃないですけれども、さっきこれで言いますと、どうもこの雲は北に寄っているのではないか。北西から北の方向に寄っている。大体、これは1時間ぐらい後だと言われているんですね。だから、雨が降って、多分、北、北西方向へ行って、それは伴とか安とか、己斐を越えた山の奥の方へずっと行ったというのはそうだと思います。
○佐々木座長 私が伺いたかったのは、山岳部に雨が降ったかどうか、汚染があったかどうか、科学的に非常に大事なことだということはわかりますけれども、そこに仮に降ったとしたときに、その辺りというのは、どのくらいの方が住んでおられて、どのくらい実際に被爆をされたとか、あるいは、その辺は被害としてはどんな被害を受けたのか、そういうことがイメージとしてわからなかったので伺ったんですが。
○今中参考人 私自身は余りそこは詳しくはないです。岡田さんとか広島市の方の方がお詳しいと思いますけれども、人口としては、広島市さんが現在問題としている拡大地域前後の、当時で2万人ぐらいいたので、随分の方がいらしたんだなと思っています。
○佐々木座長 ありがとうございました。
 いかがでしょうか。金先生。
○金委員 貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。
 私は専門じゃないので、もしかして誤解したかもしれませんが、先生、グローバルフォールアウトによるセシウム137は、1960年時点で5kBq/m2というふうにおっしゃったんですね。
○今中参考人 そうですね。大雑把な世界じゅうの中緯度平均でそれくらいだと。
○金委員 最後の方で黒い雨による、黒い雨地域のセシウム沈降量は0.5~2kBq。ということは、グローバルフォールアウトによってもたらされる健康被害と黒い雨地域でのセシウム沈降によってもたらされる健康被害を比べた場合は、後の方が前者を超えないというふうに考えていいでしょうか。
○今中参考人 それはセシウムだけを見ているから。セシウムというのは、非常に半減期が長いものですから測りやすいということで残っているんですけれども、黒い雨による被曝というのは、基本的には、半減期という用語いいですか。
○金委員 はい。
○今中参考人 短半減期核種なんです。ですから、1960年代でフォールアウト、核実験でいっぱい降ってきましたけれども、あれで、数字を覚えていないですけれども、被曝量はせいぜいで1年間で100μSvぐらいだと思います。内部被曝、外部被曝を含めて、そんなに大きなものではありません。それはあくまでセシウムとストロンチウムしか考えていません。
 というか、ちょっと話を戻しますと、核実験の場合は、例えば、核実験で降ってくるセシウムがありますね。これはアメリカ印かロシア印か知りませんけれども、例えばアメリカがビキニでやって、それが成層圏へ上がって、ずっと回って、半年なり1年たって降ってきますね。その間に半減期の短いやつは全部なくなっています。ですから、そのときの問題にする被曝というのは、セシウム及びストロンチウム90を問題にすれば、被曝評価としては足りると思っています。
 ただ、黒い雨の場合は、原爆がボンといって、早い場合は20分後で落ちています。そうすると、核分裂生成物というのは半減期が短いものから入れたら1,000種類ぐらいあるんですけれども、私が問題にするのだけでも100ぐらいはありますから、それはほとんど短いやつです。その中で半減期の長いやつがセシウム137として残っているということなので、現在でグローバルかセシウムかで当時の被曝量は比べられません。
○金委員 重ねてお伺いしますけれども、セシウムの量を手がかりにして、さっきいろいろな比率の話もありましたけれども、短半減期のものを推定する方法は今のところないということなんですか。
○今中参考人 あります。それが私の仕事なんです。よろしかったら先生方には、去年セミパラチンスクに関連して仕事をしたものがペーパーになったところなので。
○佐々木座長 事務局の方でお預かりして、後で委員に配りたいと思います。
○今中参考人 ですから、そこで問題になるのは、セシウムはわかったとしますね。ほかの短半減期核種はどれくらい混じっていたかということをどうやって推定するかなんです。我々は原子力工学ですから、核分裂して、それからどういう放射能が出来て、どういうふうに減衰していくかというのは、いわゆる物理データとしてあります。ただ、原爆の場合の問題は、ボンといって、雨と一緒に降る。また場合によっては乾燥沈着の例もあるかもしれませんけれども、そうしたときに、放射能の性質によって挙動が違ってくる。これは、我々、フラクショネーションと呼んでいるんですけれども、これをどう見積もるかが一番の課題です。
 ですから、ボーンと爆発をして、そのままの組成じゃなくて、いろいろ組成が変わってくるという効果をどう見込むかということが、被曝評価がどこまで当てになるかの問題にかかってくると思います。
○金委員 御論文に書いてあるんだと思うんですけれども、短半減期の放射線も全部ひっくるめて考えたときに、黒い雨地域の被曝というのは健康被害をもたらす程度のものだというふうになるんでしょうか。
○今中参考人 それには私どもは踏み込んでいません。というのは、どれくらい被曝したらどういう健康被害が起きるかというのは、まさに世界じゅうで論争が起きている話ですから、そこまで我々のグループとして踏み込んでしまうと、専門性がずれたところに入りますので、なるべくその話は我々のグループとしてはタッチしていないというふうに御理解ください。勿論、個人的な意見なりそれぞれ考え方はあるかと思いますけれども。
○佐々木座長 ほかにはいかがでしょうか。土肥委員、お願いします。
○土肥委員 大変難しい研究を真摯にやっておられて敬服するところなんですが、教えていただきたいのは、先生の最後のスライドに言われた、10~60mGy/kBq/m2ですね。これが生物学的な効果から言うと、例えばどれくらい線量効果としてあるのか。例えば、10~60mGyというのが、そのまま一つの個人に入るというように考えられるものではないんですね。つまり、物理学的なものと生物学的なものとの表現と測定方法のギャップがあるので教えていただきたいんです。
○今中参考人 これで出している10~60mGy、これは、我々の言葉で言いますと、空気吸収線量なんです。というのは、地面に放射能が落ちますね。土壌の表面にあって、表面からガンマ線が出てきて、そして地上1m、空気の被曝量なんですね。これは必ずしも人の被曝とは違うんです。人の被曝にしようとしますと、人間というのは、家で寝ますし、動きますし、ですから、建物の遮へい効果とか、どういう行動をするかという係数によって、それを掛けて、被曝線量のときには、大体ミリシーベルトにすることが多いんですけれども、それに換算すると、ミリグレイは半分ぐらいにはなります。もっと少なくなる。
 じゃ、1mGy、10mGyの被曝、1mSv、10mSvの被曝があったときに、どういう影響があるかといったときに、例えば、がんとかそういった確率的影響、これを評価しろと言えば、一つのモデルに基づいて評価することは可能です。ただ、それにどこまで意味があるかどうかというのと、少なくとも我々がやろうとしている仕事とは違いますので。
○土肥委員 わかりました。
○佐々木座長 米原委員。
○米原委員 今のところ黒い雨による線量の推定が10~60mGyですけれども、これは、サーベイメーターで測った結果から推定されたのでしょうか。当時測られたところから出されたものなのか、今回の痕跡からいろいろと、両方取り組まれている結果から推定されたものですか。
○今中参考人 まず、もとになっているのが、10~60のもとは、セシウムの初期沈着量が1平方m当り0.5~2kBqという仮定に基づく数字なんです。まず、上の方からいきますと、2という数字は、1976年の土壌調査に基づいています。あそこで黒い雨方向と対象地域方向というのは、有意な違いはないと。ただ、実際の違いはこれ以上ではないよという、コンフィデンスインターバルの考え方でいくと、マックスで僕は2という数字。2より大きかったら、広島黒い雨地域で有意にありますよという数字になるだろうと。言っていることはわかりますか。
○米原委員 はい。
○今中参考人 ですから、あのデータは、マックスでこれくらいですよと。0.5という方は、己斐・高須地域のサーベイした1945年のデータがありますので、私の線量率計算モデルで1945年10月の宮崎グループの測定データ、Pace & Smithのグループとのデータに合うぐらいの初期沈着はどれぐらいかというと0.5となりました。だから、黒い雨地域にミニマムとして0.5ぐらいにあっても不思議はないよというところと、マックスが2という。それで0.5~2。あとは、換算係数、コンピュータの計算でワーッとやりますから。
○米原委員 ということになりますと、これは不確かさの範囲で10~60というのではなくて、場所による沈着量に変動幅がかなり大きな幅があるということですね。そのほかに、不確実性の部分でどれぐらいの幅が考えられるか。
○今中参考人 それぞれの出してきた数字の不確実性を評価するには、それなりにデータが要りますから、そんなデータはありません。大雑把にマックスは2くらいで、低い方は0.5くらいです。
○米原委員 しかし、どのぐらいの幅があって、これを言っておられるかというところは、わかった方がいいんじゃないかと思うんです。
○今中参考人 それは、上は2ですよ。コンフィデンスインターバルを。
○米原委員 線量に直されるときに、その換算の際に不確実性が考えることができますね。
○今中参考人 そこの不確実性も入れるということですか。
○米原委員 入れて、どのぐらいのものが見積もられるかというところがあるので。
○今中参考人 それをやってもいいんだけれども、0.5~2でしょう。そこから線量に換算するときには、さっき言ったフラクショネーションの幅を幾つか見ています。それで30%ぐらい違うのかな。それで、10~60で、6倍の幅を見ておけば、まあ、いいかなという感じですけれども。
○佐々木座長 どうぞ、柴田委員。
○柴田委員 先生のこの数字というのは、逆に言うと、60よりは大きくはないだろうと。
○今中参考人 ないでしょうね。
○柴田委員 というふうに理解していい。
○今中参考人 勿論、ある程度平均的なところで話をしていますから、ホットスポットみたいに、そういう話があったら、また別でしょうけれども、平均のレベルでは、僕はつかみとしてはマックス60ぐらいだろうなという気はします。あくまでこれは外部被曝ですから。
○柴田委員 それは空気中だということですね。
○今中参考人 そうです。
○柴田委員 だから、人体だったら半分ぐらいとか。
○今中参考人 そうですね。
 あと、内部被曝の話がありますけれども、内部被曝は、ますます訳がわからないところがあるので、余り触らないことに。
 もう一つ付け加えますと、何度も言いますように、幾つか前提を重ねている数字ですから、それは勿論サイエンスをやっている人なら全部御理解いただけると思うんですけれども。
 ですから、私は0.5~2ぐらいという数字を持ってきて、今日の床下データの話をしますと、1年ぐらい前に山本さんの方から、なんぼぐらいで出たよ。私の推定とちょうど合っていたものですから、ああ、これはいい話が組み立てられるなと思ったので、それで、その報告書の段階ではそれで書きましたけれども、その後、床下でもプルトニウムが出てきたというので、床下の方はもう一遍見直さなければいけないということなんですけれども、一応私自身は、0.5~2の幅というのは、それなりにまだ有効性のある見積もりだろうと思っています。あと、気象シミュレーション等で組み合わせながら、どこまでの話ができるのかなという気はしています。
○佐々木座長 ありがとうございました。
 まだいろいろ伺いたいことがあるかと思いますけれども、時間が押しておりますので、またこの後お話しいたしますけれども、質問をしていただくことはできますので、この議題は今日はここまでにしたいと思います。
 参考人の方々、大変ありがとうございました。広島原爆由来の放射能については、既に確定したということではなくて、新しい技術を駆使して研究がまさに続けられている状況であり、今中先生の仮説もそれを証明するための研究が続いているということをよく理解することができました。
 続きまして、事務局に、前回以降に委員から出た疑問点や意見をまとめていただいております。まず、事務局から簡単に御説明をお願いできますか。
○名越原子爆弾被爆者援護対策室長補佐 時間も押しておりますので、資料3につきまして、概要を説明いたします。
 第1回目の検討会のときに、ヒアリングも行いましたけれども、その際に出ました意見、その後、現在に至るまでの期間に委員の先生方からいただきましたものを、調査設計、解析、考察、それぞれとりまして、分類して並べております。今日の議論につきましても、この紙に反映をさせていく必要があると思うんですけれども、最終的には、集められた意見につきまして、座長、広島市さんとも相談をしながら、疑問点について明らかにしていくことが必要なのではないかと思っております。
○佐々木座長 今の御質問、あるいは御意見のまとめにつきまして、何か特に今御発言がありますでしょうか。
 もしなければ、この資料については、本日、降雨域に関してもいろいろ御意見をいただいておりますので、それも併せて、ただいまいただいた御意見を踏まえて、修正をかけさせていただきたいと。今日のお話を伺って、さらに今の御意見のまとめについても、追加修正をさせていただきたいと考えております。
 次回以降、広島市などに回答していただけるようにお願いをしたいと思っております。
 委員の方々は、追加の御意見などありましたら、事務局までできるだけ早い時期に御連絡をいただければと思います。
 また、伊豫委員から前回事務局に対して御質問が出ていたかと思いますが、これについても次回以降回答をいただけるように準備をお願いしたいと思います。
 本日は、これまで前提として考えておりました広島原爆由来の放射能の存在について、いまだ研究が進められている最中であるというお話をよく理解いたしました。特に最新の技術が使えるようになって、それを駆使した研究調査が進んでいるんだということを理解することができました。
 本日もまだいろいろ皆様のお話になりたいことがあると思いますけれども、時間がまいっておりますので、この辺で終了させていただきたいと思いますが、事務局から何か最後にありますでしょうか。
○名越原子爆弾被爆者援護対策室長補佐 次回の日程につきましては、まだ確定しておりませんで、また追って調整をさせていただきたいと思いますので、対応よろしくお願いいたします。
○佐々木座長 それでは、本日の検討会はこれで終了させていただきます。
 どうもありがとうございました。


(了)
<照会先>

健康局総務課原子爆弾被爆者援護対策室

代表: 03-5253-1111
内線: 2318

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