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2011年1月26日 第2回労使関係法研究会・議事録

政策統括官付労政担当参事官室

○日時

平成23年1月26日(水)
10:00~12:00


○場所

厚生労働省 共用第7会議室(5階)


○出席者

荒木座長、有田委員、竹内(奥野)委員、橋本委員、原委員、水町委員、山川委員

○議題

(1)労働組合の成立ちの経緯

(2)諸外国の状況

(3)ソクハイ事件を中心とした中労委命令とCBC事件最高裁判決等

(4)その他

○議事

○荒木座長 時間になりましたので、「第2回労使関係法研究会」を始めたいと思います。今回、水町先生、山川先生は初めてのご出席ですので、最初に一言お願いします。
○水町委員 よろしくお願いします。
○山川委員 山川です。よろしくお願いします。
○荒木座長 事務局から、資料の説明をお願いします。
○平岡補佐 お手元の資料の確認をお願いします。資料1-1「イギリスの労働組合の成立ち」、資料1-2「日本の労働組合の成立ち」、資料2-1「諸外国における集団的労働関係法の労働者性について」、資料2-2は、それを一覧にした「諸外国の労働者性比較表」、資料3-1は、山川委員の提出の「労働者概念をめぐる覚書」の資料、資料3-2は、ソクハイ事件の中労委命令で、山川委員の提出の資料になります。もし、抜け等がありましたら事務局にお申し付けいただければと思います。
○荒木座長 よろしいですか。それでは、議事次第に従って議論に入りたいと思います。まず議題の(1)(2)の「労働組合の成立ちの経緯及び諸外国の状況」について、事務局で資料を作成していますので、まず報告をしていただきたいと思います。そのあと、議論に移ります。(3)は「ソクハイ事件を中心とした中労委命令とCBC事件最高裁判決等」についてという資料を山川先生に用意していただいていますので、山川先生からご報告をいただき、その後議論に移りたいと考えています。
 まず、事務局から資料1及び資料2について説明をお願いします。
○平岡補佐 資料1に基づいて、労働組合の成立ちについてご説明します。資料1-1は、イギリスにおける労働組合の成立ちについてです。シドニー・ウェッブ、ベアトリス・ウェッブの労働組合運動の歴史から記載しています。1の労働組合運動の起源の部分です。中世イギリスの都市では、手工職人等が支配者や監督者に対抗して団結したことがわかっており、製靴、縫製などの業種で友愛組合を結成したとの記録がありますが、恒常的な団体ではありませんでした。2パラ目の最後の行にかけてですが、このような中世の賃金取得者の団体や友愛組合に、労働組合との共通点が見られるとされています。恒常的な労働団体が設立されたのは、産業革命の結果、製産設備に必要な資本が急増し、労働者が材料や製産物を所有せず、賃金労働者の地位に生涯とどまるようになってからであるとされています。そして、製帽業・紡績業などで恒常的な団体が結成され、賃金や非雇用者の条件について活動したとの記録があり、特に西部ミッド・ランドの毛織り物工などの公益団体は、政府などへの誓願を初めて行った団体であるとされています。
 2の「生存のための闘争」の部分です。織工の労働組合活動が盛んになるに対応して、18世紀には特定の職業において団結を禁止する規制が、そして1800年には一般団結禁止法が制定されました。その結果、機械産業を中心に労働条件が著しく低下し、機械打ち壊し運動や暴動が多発しました。他方、労働団体活動が厳しく弾圧されたことで、賃金労働者の連帯感が高まり、連合組織化が急速に進みました。団体禁止法撤廃運動を展開することなどで労働組合運動は拡大しましたが、金融恐慌が襲ったこともあり成果は乏しく、また過激なストライキも依然として活発であったとされています。
 3の革命的な時代の部分です。不況が収束しました1829年に入りますと、紡績工や建築工を先駆として、労働組合の全国連合の結成が盛んになります。1834年には職種も束ねた巨大な連合体が発足しました。しかし、停電を伴うなど生活に不便をもたらすストライキが見られ、再び労働活動の規制の動きが強まったとされています。同じパラの最後のあたりで、不況の影響も受けてストライキの失敗が重なった結果、労働組合は信用を失い、全国組織は次第に地方レベルに解散していったとされています。
 4の「新しい精神と「新型」組合」の部分です。1845年ごろ、労働組合運動は盛り返し、製陶工組合・綿紡績組合が再興し、植字工組合・鉛硝子製造工組合等の全国組織も結成されました。この時期の労働組合の特徴は、法的対応を強化した点や、労使協議を重視した点にあるとされています。
 5の「ジャンタとその盟友たち」の部分です。ジャンタとは、機械工と大工の2つの合同組合の書記長を筆頭とする高い能力と資質を持った労働組合の書記の小集団のことです。彼らは、労働組合の社会的、政治的な地位の向上を目指して活動を展開しました。そして、彼らは立法府への働きかけを強めるため、政治機関として労働組合評議会を設立しました。これは、各労働組合のストライキに認可を与える権限を持ちましたが、穏健路線であったため、激しいストライキを指向する労働組合と鋭く対立する結果となりました。強行派の労働組合はストライキを行い、雇用主側は非組合員をも対象とするロック・アウトで対抗したとされています。これらは大きな産業上の混乱を引き起こし、雇用主だけでなく、世論においても反労働組合の気運が再び高まっていきました。ジャンタは、ロビー活動によって一部成功を納めましたが、労働組合活動を規制する刑法修正法が国会で成立するに至りました。同法の撤廃運動の結果、1875年に「雇主及び労働者法」が制定され、ようやく労働組合による団体交渉が合法化されました。
 6の「部門の発展」の部分です。時期的には同時期になりますが、地方の炭坑労働者やランカシャーの綿業労働者の労働組合では、自らの労働条件の立法による保護を目指す運動を展開しました。しかし、労働時間の短縮や賃金引き上げの運動などは業種による利害の違いを顕在化させ、部門ごとに全国的な労働組合から離脱する動きを引き起こしました。そして1879年に不況が襲いますと、産業部門同士の利害対立がますます激しくなりました。労働組合運動が激しく発展しますと、その影響は農業部門にも及び、全国農業労働者連盟という全国組織が設立されました。
 7の新旧の労働組合運動の部分です。1880年代に入りますと、熟練労働者にも低賃金や失業の影響が及んだイギリス経済の不況と重なりまして、社会主義的な言説が急速に支持を得ました。組合の既得権益に反感を持つ非熟練工などは、社会主義の主張に共鳴し、社会主義者を支持する労働組合が出現しました。1889年に発生した大規模なストライキは、イギリス社会主義運動を立憲的な方向へと向かわせ、労働組合を通じて変革を実現しようとしました。
 8の30年間の発展の部分です。綿業・建築業・機械産業などの労働組合活動は非常に活発しましたが、1890年から30年の間に勢力は相対的に低下しました。他方、この時期、婦人労働者の組合活動のほか、事務員等で大きな前進が見られたとされています。1900年代には鉄道業における労働組合活動が活発化し、「全国鉄道従業員組合」という組織を結成しました。この全国化の運動は他産業にも波及し、産業別連盟、労働組合総連盟への設立へとつながっていきました。
 9の「国家における労働組合の地位」の部分です。1890年に労働組合が合法化されて以降、政府の委員会の委員などの地位を獲得し、議会で労働党が結成されますと、労働組合に国家の行政機構の一部として認められるようになりました。
 10の「政治的な組織」の部分です。労働組合の指導者には、一般的な政治参加に抵抗する者が多かったため、労働組合が合法となった後も政治における労働者代表を確立する運動は、労働組合と離れて別に進められていきました。そして、1906年の総選挙の当選で、労働党として下院に承認されたと記載がありました。
 資料1-2の「我が国における労働組合の成立ち」についてご説明します。これは大河内一男、松尾洋の『日本労働組合物語」から記載しています。1の明治の部分です。明治以前から鉱山などで、労働条件や低賃金に対する闘争があった記録はありますが、我が国で初めて労働組合が結成したのは、活版印刷職工だったと書かれています。そして、明治23年には同志会という団体を起こし、初めて活版工の組織に成功しましたが、間もなく解散に至りました。その他の労働組合運動は鉄工の間から起こり、明治22年熟練鉄工の10数人が発起人となり、同盟進工組が結成されましたが、その後すぐ解散しました。
 明治27年から28年の日清戦争の時期を通じて、日本もようやく資本主義の基盤が確立し、労働者が団結する気運も俄に強まりました。明治30年の労働組合期成会の結成によって、日本の労働組合運動の幕が切って落とされたとされています。期成会は労働者を導き、自らを母体としながら次々に労働組合を生み出していき、その代表的なものが鉄工組合、日本鉄道矯正会、活版工組合の3つでした。この期成会会員の9割は鉄工であったため、まず鉄工組合が結成され、多くの会社で支部が結成されるなど、驚くべき勢いで発展していきました。
 当時民営企業だった日本鉄道会社の火夫、機関士達が待遇改善のストライキを通じて生み出した日本鉄道矯正会は、好戦的組合として、いまでいうクローズド・ショップを確立させました。さらに、活版工組合が発足し、調和的組合として1日の労働時間を10時間とするなどの労働条件の改善を勝ち取り、横浜、京都、名古屋などの多くの支部ができ、2,004名の会員を組織することに成功しました。
 明治31年から32年は、労働組合運動の最初の開化期でした。横浜市西洋家具指物職同盟会、神戸の清国労働者非雑居期成同盟会、東京馬車鉄道会社馭者車掌同盟期成会、洋服職工組合、靴工クラブ、東京船大工職組合、木挽組合、石工・左官などの組合などの労働組織が作られていきました。そして、横浜市の西洋家具指物職同盟会は、その規約の中に「雇主にして無鑑札の職工を使用することあるときは、わが会員は何時を問わずその職に従事せざること」等が規定されていました。
 新たに発足した労働組合運動の第一義的な狙いは、労働者の社会的な地位の向上であり、労働者の生活改善などを要求していたに過ぎませんでしたが、この最初の労働組合運動は治安警察法の施行で壊滅させられ、大逆事件によって崩壊していったとされています。
 2の大正の部分です。大正元年、鈴木文治を中心に友愛会が創設され、労働組合運動が再建されました。友愛会は、極めて労使協調主義的で、第一次世界大戦によって俄に増加した賃金労働者によって、大いに支持をされたとされています。戦争中の物価高騰などの影響を受けて、友愛会は労使協調路線を捨て、闘争スローガンとするようになっていきました。その後、名称も「大日本労働総同盟友愛会」「日本労働総同盟」へと改組していき、名実ともに労働組合の道を歩むことになり、大正9年には日本で初めてメーデーと銘打った屋外集会が開催されました。一方、政府は普通選挙制度を実施すると同時に治安維持法を施行し、一層の弾圧政策を展開していきました。その後、日本労働総同盟は分裂し、第2、第3の分裂を引き起こし、労働組合の陣営は分解していったと記載されています。
 昭和に入りますと賃金労働者がより増加しまして、労働組合運動は外形的には発展したように見えましたが、組合運動の陣営の分裂は固定的なものになっていったとされています。昭和6年の満州事変の勃発を契機とする軍国主義、全体主義の台頭は、労働運動の存在を根こそぎ揺るがすことになりました。昭和13年には軍部と官僚との直接指導の下に始まった産業報告運動は、労働組合の解体を要求し、昭和15年には労働組合はすべて自発的に解散させられました。大正末期から昭和初期にかけての不況期の大企業を中心に、新しい、そして日本に固有な労使関係の第1歩が踏み出されたとされています。すなわち、企業ごとに新卒を卒業と同時に採用し始め、一旦採用した後は不特定の長期間、従業員として定年のルールの年齢が到来するまで働き続けさせるような労務政策が取られました。労働市場は、個々の企業の中で縦の形で狭く形成され、労働者の意識の中には企業意識や従業員意識が強くなっていったとされています。
 敗戦の結果、日本は連合国軍の占領下に置かれ、情勢は大きく展開しました。昭和20年には産業報告会が解散させられ、労働組合法が制定され、労働者に団結権、団体交渉権、ストライキ権が保障されました。そして昭和21年には労働関係調整法が、昭和22年には労働基準法が制定され、労働省が設置されました。このような情勢を背景に、労働者は敗戦直後から生活を守るための自然発生的な闘争に立ち上がり、その過程で労働組合の再組織に乗り出していきました。昭和21年にはメーデーが復活し、1万3,000を超える労働組合が組織されていました。
 戦後の労働組合の躍進にとって見落とせないのは占領政策でした。この中で、日本の軍国主義を復活させないために民主的団体として、労働組合が大いに期待されました。占領軍は、日本政府に労働組合の保護育成を命ずることなどにより、労働者が積極的に労働組合に参加しただけでなく、経営者は自分の事業所に労働組合がないと、組合ができるのをかえって援助したとされています。戦後の労働組合は、企業ごとに作られた企業別組合を特徴とし、大企業の場合もその参下の事業所ごとに組合が作られ、これらの組合が企業全体としての連合体を作っていきました。日本の企業別組合の特徴は終身雇用という、いわば縦の労使関係から来ています。終身雇用は大正末期の大企業から始まり、戦争中の労務統制によって強化され、敗戦後まで持ち越され、企業別組合の基礎が作られたとされています。戦後の労働運動の自由によって、このような戦前から引き継いだ日本に固有の労働関係の上に労働組合が作られ、企業別組合が生み出されたとされています。
 労働組合の成立ちについては、イギリス、日本の資料の説明をしましたが、イギリスの場合は職業別の労働組合が団結権などを求めて、積極的に活動してきたことが見受けられると思います。また日本の場合は、明治中期の労働組合の萌芽期に活版印刷職工が労働組合を結成したことや、日本の開化期と言える明治30年代に、職業別の労働組合が数多く結成されたことが注目される点と考えています。
 次に、資料2-1に基づいて、現時点で確認できた諸外国における集団的労働関係法の労働者性についてご説明します。なお、この資料は事前に委員の方に内容を確認していただきました。この場を借りまして、お礼を申し上げたいと思います。
 まず、アメリカについてです。集団的労働関係法は、全国労働関係法を中心に規律され、同法は労働団体を定義するとともに、使用者又は労働団体の一定の行為を不当労働行為として禁止しています。?Uの部分です。不当労働行為に対しては行政救済制度が存在しています。全国労働関係局は不当労働行為の申立てを受けて審査を行い、救済命令を発し、この命令に不服がある場合は裁判所に対して取消訴訟を提起することができます。?Vの部分です。全国労働関係法の被用者は、現在の判例の下では後述の個別的労働関係法に該当する公正労働基準法上の被用者と異なり、経済的実態が重視されておらず、適用の対象が狭くなっていると一般に理解されています。
 1の(1)の部分です。全国労働関係法の被用者の定義として、「すべての被用者を含み、本法において明示的に別段の定めがない限り、特定の使用者の被用者に限られない」としています。その上で、この被用者から除外される者として、農業被用者、家事使用人、親又は配偶者により雇用される者、独立の請負人、監督者、「使用者」以外の者に使用される者を列挙しています。このうち、独立の請負人などは全国労働関係法が制定された当時のワグナー法には掲げられておらず、1947年に制定されたタフト・ハートレー法による改正の結果、加えられたものになります。現行の全国労働関係法では、請負人等を適用対象から除外しています。また、条文上明確ではありませんが、使用者の経営方針の決定、実施に関与する経営的被用者や機密を取り扱う被用者も適用対象外です。これらに該当する被用者は年々増加しているため、全国労働関係法の被用者の定義が近年の紛争等の大きな論点になっているとされています。
 (2)の判断基準の部分です。現在、被用者性の判断基準は、判例法上支配権基準とも呼ばれますが、コモン・ロー上の代理に関する判断基準が採用されています。判断要素としては、以下の支配権限、仕事の種類、監督等々が挙げられ、これらを総合して労働者性が判断されています。連邦裁判所はタフト・ハートレー法による全国労働関係法改正以前は、経済的実態を重視した判断を下していましたが、法改正により独立の請負人が被用者の定義から明示的に除外されました。すなわち、連邦議会がコモン・ロー上の代理に関する判断基準に依拠する意図を示した後は、判決が示した経済適用を重視した判断は立法によって実質的に否定されたと理解され、支配権基準に基づき、請負人等の被用者性が判断されるに至っています。
 近年においてはコモン・ロー上の基準に基づくとしながらも、職務遂行の手段、方法について支配権限に比較的力点を置いて考慮する立場から、企業的機会が実質的に請負人に認められているか否かの点をより重視する事例が見られるようになっています。以上に関連して、被用者性の判断においては、現実的にそれが行使されているか否かではなく、権利の有無に着目する判断を行うものが見られます。また、1つの考慮要素ではありますが、当事者の意図が考慮の対象となっており、契約上独立の請負人として契約する等の規定が置かれている場合、被用者性を否定する要素として言及されることがあります。
 (3)の部分です。現行の全国労働関係法の被用者性の判断基準については、形式上独立の請負人と位置づけられながらも、実態としては被用者との区別が困難で、保護を要すると考えられる者が増加する中で、適切に対応できていないとの主張が多くの学説においてなされています。特に、現在の基準の下において交渉力の格差という経済的実態が考慮されていない点が批判されています。すなわち、全国労働関係法は交渉力の対等化を図り、団体交渉関係を促進することを目的としていますが、交渉力の強化を必要としている者が適用対象に含まれるように被用者性が判断されていないとの批判がなされています。また、現在の判断基準では数多くの要素を考慮する形になっている点で、労使双方にとって予見可能性を欠くという問題点も指摘されています。
 (4)の部分です。アメリカの全国労働関係法と日本の労働組合法における労働者性の判断基準に関して、最大の相違点は立法史にあると考えられます。すなわち、アメリカでは当初、ワグナー法の下で経済的実態を重視する判例の立場が示されていましたが、タフト・ハートレー法による改正により、議会の明示的な意図によるものとしてこの判例の立場を否定し、コモン・ロー上の代理に関する判断基準が採用されるに至っていました。また、被用者概念について制定法上特段の定義がない限り、コモン・ロー上の代理に関する判断基準に意図すべきと考えられる点にも注意すべきと考えられます。?Uの部分です。立法的な措置として、労働者の適用の範囲を拡張しているか否かの観点から設けていますが、アメリカの場合は特にありません。
 ?Wの部分です。個別的労働関係法に該当する公正労働基準法は、被用者については経済的な従属性を重視して、被用者性が判断されています。1の(1)の部分です。被用者は、「使用者に雇用されるすべての個人である」と定義され、「雇用するとは、労務の提供を受けることを許す、又は認めることを含む」と定められています。(2)の部分です。被用者性の判断基準として、判例は経済的実態基準を採用し、事業統合性、設備・機材の負担、支配権限などを総合して判断されています。一般に公正労働基準法における被用者は、全国労働関係法におけるそれよりも広いと理解されています。これは、児童労働の禁止に関する規定に由来して広く定義されていると理解され、公正労働基準法上、雇用に関連して定義がさらに置かれている点で、コモン・ロー上の基準によらないとの理解がなされているためであるとされています。
 次の頁は、イギリスについてです。集団的労働関係法は、労働組合及び労働関係統合法を中心に規律され、また、被用者情報協議規則などにより、被用者代表を通じた企業別の集団的労使関係も規律されています。行政による不当労働行為救済制度は存在しません。
 ?Vの部分です。集団的労働関係法である労働組合及び労働関係統合法は、個別的労働関係法に適用される被用者よりも広い概念である労働者に適用されています。1の(1)の部分です。「労働者」には、個別的労働関係法に適用される被用者に加えて、「個人が、当該個人が遂行する職業的又は商業的事業の顧客としての地位を契約上有しない、契約の他方当事者に、個人的に労働又はサービスをなし、又は遂行することを約するその他の契約」を締結して労働する個人が含まれます。その結果、従属的な自営業者と称される人々が集団的労働関係法の適用範囲に含まれるに至っています。具体的には、フリーランスの就業者、個人事業主、家内労働者及び随時的な就業者などにも適用されることになります。
 (2)の部分です。労働者の定義に関する判例は、まだ蓄積がありません。最近の事件では、労働者の基準は被用者の基準と共通するものの、適用要件を緩やかなものとし、被用者として保護される要件を十分に備えていない事例でも、労働者として保護されるために必要な要件を満たしている可能性があるとしたものがあります。2の部分は、イギリスについては特にありません。
 ?Wの部分です。個別的労働関係法に該当する制定法の大半は、被用者に適用されています。1の(1)です。被用者は労働契約を締結して、労働する者のことであるとされています。そして労働契約は、雇用又は徒弟契約であるとされています。(2)の部分です。判断基準は、指揮命令テスト、編入テスト、経済的実態テスト、義務の相互性テストとされており、これらの優先順位については既属員の判決によって、指揮命令テストと義務の相互性テストを重視することが示されています。
 次の頁は、ドイツについてです。?Tの集団的労働関係法の概要の部分ですが、資料に誤りがありまして、この場で訂正をさせていただきます。集団的労働関係法については、「基本法9条1項によって」と書いてありますが、9条3項の誤りです。その次の「すべてのドイツ人」が、「すべての人及び職業」の誤りですので、この場で訂正させていただきます。なお、その次の行の「団体交渉権や争議権は、基本法9条1項によって」とありますが、ここも3項の誤りです。失礼しました。
 内容を説明します。集団的労働関係法は、基本法によって団結権が保障されています。また、団体交渉権や争議権は、基本法によって直接保護されることとなりますが、明文で規定する法律はなく、制定法としては労働協約の規範的効力の範囲や有利性原則などを定める労働協約法があります。また、事業所組織法により、事業所委員会と個別企業との間の労使関係が規律されています。
 ?Uの部分です。行政による不当労働行為救済制度は存在しません。?Vの部分です。労働者という用語は、個別的労働関係法と集団的労働関係法の区別はなく、各法で共通して使われており、解釈も統一的な概念であると整理され、確立しています。1の(1)の部分です。労働者に関する具体的な定義は法律上存在せず、労働裁判所の判例によって形成されていますが、商法典の独立の代理商の定義に関する規定が商業分野を越えて、判例において広く援用されています。(2)の部分です。判例は、労働者性の判断基準を労務義務者の人的従属性の程度に求める立場を一貫して取っています。人的従属性を表すメルクマールは、労働の時間、長さ、場所などに関する指揮命令への拘束、他人の事業組織への編入が挙げられていますが、学説では事業組織への編入に独自の意義はなく、指揮命令への拘束と同義であるとの批判が強いようです。また、判断基準を一般化することは難しく、判例もすべての労働関係に共通する抽象的なメルクマールは系列できないとしています。
 裁判所は最終的に、個別事例におけるすべての事情を総合的に評価し、労働者性の有無を判断する立場を取っています。経済的従属性は、労働者性にとって決定的ではないとされています。また、社会保険法、税法上の取扱いなど、使用者が労務義務者を労働者と認識していたか否かという事情は、労働者性の判断要素にはならないことが判例で確立しています。以前より、裁判所は契約の形式上よりも実態を重視する判断を行っています。
 2の部分です。自営業者に分類されるものの、特定の相手との関係で経済的に独立していない状態にある者について、労働者類似の者のカテゴリーが設けられ、一部の労働法法規も適用が認められています。古くから特別法で一定の法が認められてきた(1)の家内労働者や専属代理商は、その代表的な例とされています。また(2)は、労働者類似の者というものもあり、労働者と異なり、法律によって概念が異なると解されています。最も具体的に労働者類似の者の定義を定めているのが労働協約法であり、経済的従属性があり、労働者と比較し得る程度に「社会的要保護性のある者」とされています。
 フランスについてです。?Tの部分です。集団的労働関係は労働法定に規律されています。また、企業委員会も労働法定に規律されています。?Uの部分です。行政による不当労働行為救済制度は存在していません。
 ?Vの部分です。集団的労働関係法と個別的労働関係法が明確に区別されておらず、労働者について統一的な概念が用いられています。1の(1)の部分です。労働者の概念は労働法典で定義されておらず、学説及び判例により、労働契約の一方当事者が労働者であると解されています。(2)の部分です。労働法典では労働契約が存在することにより、当事者双方に使用者と労働者としての性格が認められ、労働法典の諸規定が適用されています。しかし、労働契約についても労働法典に定義規定はなく、学説及び判例の蓄積によって定義と判断基準が確立されてきました。そして、労働契約とは「ある者が他の者の従属下で報酬を受けることにより、自己の活動をその者の処分に委ねることを約する合意」であり、労務の提供、報酬、支配従属関係の3つの要素によって定義づけられますが、判断の決め手となる主要の要素は支配従属関係の有無とされています。判例は、労働者の相手方に対する法的地位は、経済的な弱さや異存によって判定されるのではなく、当事者間の契約のみから生じると述べて、法的従属概念による判断方法を採用してきました。
 商業・会社登記簿などに登記されている個人、法人の幹部、その従業員などは、登記などにかかる活動の実施において、注文主との間で労働契約を締結しないと推定されます。ただし、この推定は恒常的な法的従属関係の存在の立証で覆ることとされています。
 2の部分です。労働法典は、適用範囲を労働契約の条件を満たさない労働者にも拡張する規定を設けており、一定の条件を満たせばこのような労働者と使用者との間の契約を労働契約と推定する規定を設けています。例として、営業販売員、記者、アーティスト,モデル、労働者と同等視される者があります。なお、資料2-2は、ご説明した内容を一覧にしたものですので、ご議論いただく際にご活用いただければと思います。説明は以上です。
○荒木座長 ありがとうございました。資料1と資料2について事務局から説明をいただきましたが、最初に資料1について何か質問あるいはご意見等があればお出しいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○有田委員 若干の補足をしますと、イギリスの労働組合史というか運動史の捉え方はいろいろな立場があり得ると思いますが、ウェッブ夫妻の労働組合史の捉え方というのは、その1つの考え方としてあると理解しておいたほうがいいと思います。ここにも最初に「通説だったが」と書いてあるように、クラフトユニオンから始まって、機械化により技能の希釈化が進む中で規制力を失っていって、今度は組織力ということで産別組合のほうへ発展し、その後一般組合へと展開していくというのが一般的な理解ではないかと思います。
 そういう意味では、この内容自体とは若干逸れて、2にも関わるかもしれませんが、おそらくそういう実態というか歴史的な経緯ということもあって、法的な捉え方としても当初は広く、まさにギルドの親方みたいなものが中心になっていたということもあって、労働者かどうかの判断というか、そもそも法律の中に定義が置かれていないところから出発していますので、その辺は非常にアバウトであったのではないかと思います。また、それは個別的な労働関係においてもコモン・ロー(common law)上の訴訟で、例えば契約違反の解雇かどうかということでロングフル・ディスミサル(wrongful dismissal)かどうかが争われたような事案においても、19世紀の半ばあたりまでは、いまで言うエンプロイー(employee)のような概念がまだ形成されていない中で、現在の目から見ると、むしろセルフエンプロイド(self-employed)のような人たちが契約法理の適用によって争うことができるという裁判例が存在しています。そういう意味では、当初の労働者概念には、個別のいろいろな法律でサーバント(servant)とかレイバラー(labourer)とかいろいろありましたので、それぞれの適用についての定義などがあったのでしょうけれども、一般的に括る概念として労働者というものがイギリスで当初からあったわけではなかったと思いますし、成立ちからいっても最初はまさに自営というか、親方がむしろ中心になった労働組合が組織として出発したのではないかと思います。
○荒木座長 ありがとうございます。ほかにいかがですか。
○水町委員 この研究会で問題となっている点を考える上で、歴史的な分析をするのは非常に大切なことだと思います。その点から見て、2点だけ申し上げておきます。
 1点目は、日本の労組法がどういう経緯で作られて、その中で日本の労組法が労働者というものをどう考えていたのか。例えば日本の労組法を作る過程で、アメリカをある程度参考にされていて、そのときのアメリカの時代状況がどうであって、それを参考にすると日本の労組法はできたときにどういう労働者をイメージしていたのかという観点からもう少し歴史を見ると、イギリスの一般的な話も非常に重要だと思いますが、日本の労組法の成立ちに近いところで歴史研究を1つやることが重要なのではないかというのが1点です。
 2点目は、自営業者や労働者の区別があまりなくて、みんな経済活動の一環として業務をしていた中で、広い意味では結社の自由として、みんな集まっていろいろやろうというのがある。一方では、事業者には結社の自由をやっていくと、独占禁止法でみんなで集まってルールを決めると、カルテルみたいなもので禁止されるというふうにターゲッティングされた人たちと、でも独占禁止法の対象ではなくて、労働者ということになると逆に団結が保護されて、いろいろな意味での法的保護を受けるという、アメリカでも議論があるように、そこの分岐した点があります。そういう意味では労組法の問題を考えるときに、独占禁止法上禁止のダイショウとされている事業者の範囲はどこら辺で、それと労働組合としての保護を与えようというところがどこら辺で分岐をしていって、そこでターゲットされたグループにはどういうものがあったかというのを20世紀の頭ぐらいですか、そんなに昔ではないと思いますが、その辺の議論を踏まえながら考えていくと、いまの日本の独占禁止法と労組法の関係もありますが、そこが1つ鍵になるかなという気がします。以上です。
○荒木座長 ありがとうございました。ほかにいかがですか。
○有田委員 いまの2点目ですが、まさにイギリスも同じようなことで、先ほど言いました当初の労働組合関係の法律というのはそこら辺の未分化で、逆に労働者も含めて取引制限の法理の対象になって団結禁止ということになっていましたので、それを外すために作られた法律の適用がなければ、取引制限の法理によって違法なコンビネーションになるということです。当初の労働組合の定義の中には、さらに言えばまさに事業者組織です、使用者団体も含めてトレードユニオンの定義の中に入っていて、その区別も付いていなかった。それを戦後といっても随分あとになりますが、1971年の労使関係法が集団的な労使関係を含めて、労使関係全般を法規制の対象とするとなったときに、初めて明確な定義が設けられて、そこで言うトレードユニオンというのが労働者の組織団体に限るということで、労働者の定義が改めて入れられたという経緯ですので、確かに取引制限の分化の問題というのは、つまり労働組合というものを定義づけていくメンバーとしての労働者を定義づけていく上で、非常に大きなターニングポイントとなるのはそうだろうと思います。
○荒木座長 ほかによろしいですか。非常に重要なご指摘だと思います。もともと独立自営業者のような人も集まって、自分たちの職業の権益を守るところから歴史的に発展したのですが、そこから、さらに取引制限や独禁法の規制を免れる形で、労働組合として承認されていく歴史の発展の中で、労働組合を作れる労働者とはどういう人たちなのかという観点から、日本についても考えてみるべきだというご指摘だったと思います。
 今日の資料の2つ、有田先生からもご指摘がありましたが、日本についてもあくまで1つの見方で、あと出版時の歴史的な制約というか、日本の労使関係の展開についても現在の学会水準からすると、違う見方も十分できるのではないかという気はしますが、1つの資料としてご覧いただきたいと思います。
 時間の関係もありますので、次の諸外国の状況について、それぞれ先生方はご専門でいらっしゃいますので、何かご指摘等があればお願いしたいと思います。
○竹内(奥野)委員 アメリカについてです。先ほど水町先生がご指摘なさったこととも関係していまして、ご指摘されたことの1点目で、どういう形で日本の労働組合法ができてきたかということで、もちろん、戦前からの日本における議論というのもありますが、立法上はアメリカ法の影響が非常に強いと考えられます。加えて、旧労組法ができたときにはアメリカはまだワグナー法しかない状態ですし、1949年に全面改正されたときには時系列的にはタフト・ハートレー法ができているときですが、また後ほどきちんと調べておきたいと思いまが、その際にも、ワグナー法が参照されていたのではないかと思います。そういう意味では、アメリカの資料2-1では立法史の経緯も踏まえて見るべきだという指摘がなされていますが、水町先生が指摘された、日本の労組法ができたときの目的を理解して考えていく際には、どういう時代のアメリカの法を参照すべきか、ということを念頭に置いておく必要があると思っています。
○荒木座長 ありがとうございます。ほかにいかがですか。
○竹内(奥野)委員 この資料のアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスをざっと見た印象ではありますが、「労働者」として集団法上、何らかの保護があるかどうか。その保護のあり方に関して、アメリカでは、団体交渉の促進が立法の目的としてもともとワグナー法では掲げられていますし、団体交渉の促進ということとの関係で必要な保護を与えられるべき者はどういう者かという形で規定されていると考えられます。このように、どういう内容の集団的な権利を保障しているのかという、「労働者」であるとされることの効果との関係を念頭に置いた議論が、外国法を参考にする際には必要ではないかと思います。また、労働者という定義の下で保護が及ばなくても、拡張的な解釈によるアプローチあるいは労働者類似の者という1つの別カテゴリーを作る形で一定の保護を及ぼすアプローチがあることにも注意する必要があると思います。フランスは前者のようなアプローチで一部の労働者でない者にも保護を及ぼしているように見えますし、ドイツでは労働者類似の者というカテゴリーを設ける形でのアプローチがなされています。「労働者」の定義に入らないとしても、保護が及んでいる、及んでいないということも含めて、外国法は見ておく必要があるのではないかという印象を抱きました。
○荒木座長 ありがとうございました。
○有田委員 イギリスですが、資料を送っていただいた時点では、まだ十分に押さえきれていなかった関係で補足をすることができませんでしたので、現時点でまだ不十分な点もありますが、わかった限りのことで補足をしたいと思います。
 イギリスの項目の6頁の不当労働行為救済制度の有無ですが、基本的に日本の不利益取扱いに当たるようなものがありますが、これが複雑です。というのも、不利益取扱いの中でも解雇については、一般的な解雇規制の不公正解雇制度が、その適用が被用者に限られている関係上、この場合の組合員であることを理由とする不利益取扱いとしての解雇についても、その救済の対象というのは被用者に限られてしまうという歪な点があります。ただ、解雇以外の不利益取扱いの形態については、当然ワーカーに適用が及んでいくことになりますので、そのような違いが見られる。
 それから、この表現の民事法などの一般法。一般法というとコモン・ローみたいになってしまう。基本的には雇用審判所の手続を通じて救済が図られるというように、それぞれの規定ごとに救済のあり方が別途制定法上規定されていますので、この辺は表現を修正したほうが誤解を招かないかなと思います。
 それから判断基準というか、労働者性が争われたケースというのが、実は現行法の前の1971年労使関係法時代に2、3件ありました。それは、労働組合の承認手続に関して、その前提として労働組合かどうかが争われて、その問題としてメンバーがワーカーかどうかが争われた事案の中では、細かい判断基準という形では争われていなくて、その人たちがパーソナルに、本人自らがその労務提供をするものであるかどうかという点が専ら争われている。もう1点が、プロフェッショナルとして顧客にサービスを提供するものが労働者ではないという除外の部分に該当するかどうかということで、その部分が専ら争われていました。したがって、日本の弁護士さんとは少し違いますが、ソリシター(solicitor)の団体であるロー・ソサエティは、ソリシターがプロフェッションに該当することから、労働組合には当たらないという判断をしたものが有名なケースとしてテキストなどで出ています。そのほかの事案では専ら本人が労務提供をするよう契約上義務づけられているものなのかということが争われています。その際、一定の指揮の下に働いているかどうかというのは、決定的要素ではないけれども、本人自らが労務提供をするかどうかという点を判断するにおいては、重要なファクターの1つになることを指摘しているような裁判例がありました。そういう意味では、もう1点同じことに関わりますが、履行補助者を使えるかも当然、パーソナルに労務提供するかどうかという点に関わる判断だというようなものです。
 見つけられたもので、いちばん新しい裁判例が2003年に出た判決です。これも認証手続に関わって認証官が下した判断に対して、会社側から異議が出されて争いになった行政事件の訴訟ですが、ここではプロフェッショナル性が争われて、認証官のほうではプロフェッショナルの職業ではないということでワーカーに当たるという判断に対して、使用者側というか会社側のほうの異議に対して、裁判所はそれを認めたということです。これは、認証官の側がかなり限定的なプロフェッショナルの解釈をした。つまり、自律的な規制団体のようなものが組織されているとか、それを根拠づけるような法規制が加わっているものがプロフェッショナルであって、それ以外のものはプロフェッショナルに入らないという限定的な解釈を示したことに対して、裁判所がそういう解釈は違うということで差し戻したという事件があるぐらいです。そういう意味では、裁判例の蓄積は少ないというか、数自体がそれぐらいしか見つけられませんので、ということは、イギリスではこの辺はもともとワーカーが広く取ってあるということもあって、ここの入口での紛争は実はそんなにないのではないかという印象を持っています。以上です。
○荒木座長 関連して確認ですが、不当労働行為制度、すなわち団体交渉を拒んだら行政が団交しなさいとか、そういう制度はないということでよろしいですね。あくまで組合員に対する解雇等について、雇用審判所等で争うことはできるということのご説明だったわけですね。
○有田委員 この辺も法律の展開がありますので、少し補足します。承認制度が復活して以降、承認組合に特別な一定の権利が与えられていますので、今度一度まとめたものをこの場にご提示させていただきたいと思います。
 いまの点で1点だけ。情報提供・協議規則や剰員整理解雇の場合の協議義務とか、事業移転の場合の協議義務に関するものについては、実はこれは労働組合、ワーカーというよりも被用者を対象とするもので、そういう意味では日本のような形で統一的に扱われるものではなくて、法律によって適用対象について、エンプロイイーかワーカーの選択がなされて、適用対象が定められているという点はかなり大きな違いではないかと思います。
○荒木座長 もう1点、6頁の下の2で、労働者の拡張の例はないという整理がされているのですが、これは見方によりますが、イギリスの場合は諸外国でいう労働者はエンプロイイーで、それより広いワーカーという概念を使っていること自体が、1つ拡張制度を既に作っているという見方もできるのかなという気もするのですが。
○有田委員 そうですね。ここの意味がどういうことを指しているのか、よく分からなかったのですが、先ほどのドイツでしたか、それに準ずるものという形で広げるという規定を捉えて、この拡張の例ということであれば、イギリスはもともと制定法ごとにエンプロイイーかワーカーというように適用対象を設定するという意味では、ワーカーのほうは確かに一定の範囲で自営業者も含まれますので、これに該当するかと思います。
○荒木座長 フランスとかドイツで別概念を使って対象としている人たちは、イギリスではワーカーとしてもう既にこういう労使関係法の対象となるものという位置づけをしていると、そういう理解でよろしいですね。
○有田委員 いいかと思います。
○荒木座長 ほかに何かご指摘はありますか。
○山川委員 アメリカの状況について、補足いたします。資料2-2で1枚目の「個別」と書いてある所の判断基準についての備考、これは資料2-1では書いてありますが、FLSA、公正労働基準法は児童労働の禁止だけではなくて、時間外労働の割増賃金と最低賃金の規制も行っているものです。この研究会で個別法をどこまで検討するかという問題はあるのですが、最近の動きをご紹介します。アメリカでは、特にこのFLSA、あるいは税法も含めて独立請負事業者と被用者の区別がかなり問題になっております。2009年には日本でいう会計検査院が、ミスクラシフィケーションと呼んでいますが、両者の誤分類の問題について報告をして、対応を提言しています。州法では既に対応済みの所があるようですが、アメリカの連邦労働省は、ホームページで見たところ、昨年6月3日の上院の委員会で、労働長官代理ないし副長官が、この誤分類がなされたとして、労働省が使用者に支払い(割増賃金等でしょうけれども)を命じたのが2009年において265万ドルにのぼったという証言をしています。それは2008年度から50%増ということです。
 そこで、アメリカの労働省の取組みが現在進行中で、FLSAの経済的実態基準を変更すると立法の問題になりますが、行政上の取組みとして、現在、規則の改正作業に着手しているようです。それはどういう内容になることが予想されるかといいますと、使用者がある者につき被用者ではないということを主張する場合には、当該労務供給者の地位の分析を書面によって行って、それを関係労働者に開示すること、それから、行政監督がある場合に備えて、その分析結果の記録を保存することを求めようとする規則の制定作業に入っているようです。まだパブリックコメントを付する段階でもないということですが、NLRAのほうはもう制定法上、先ほど竹内先生からご説明のありましたように、明確にインディペンデントコントラクターを除外すると書いてありますが、経済的実態基準を採用しているFLSAでは、いわゆる誤分類の問題に対応して、行政、あるいは州政府等ではいろいろ取組みがなされつつあるということのようです。ちなみに、議員立法でも、いくつか同様の取組みをする法律が提出されているようです。これはまだあまり精査しておりませんし、またアメリカの場合は議員立法中心ですので、どのぐらいこれが通る見込みがあるかは必ずしもわからないということですが、状況としては個別労働関係の分野において動きが結構あるということは補足できるかと思います。以上です。
○荒木座長 貴重な情報をありがとうございました。各国の比較については、検討していくといろいろと議論したい点も多いですね。特にアメリカなどは日本とは逆で、集団のほうが狭い労働者概念をとって、個別法の労基法に当たるもののほうが広いとか、そこで問題となっているコントロールテストはどういうものかなどをもう少し聞きたい点はあるのですが、時間の関係もありますので、あとで時間が残ればもう一度返ってくるということにして、次の議題に移りたいと思います。
 次は、山川先生に資料3をご用意いただいていますので、このご説明をお願いしたいと思います。
○山川委員 資料3-1と資料3-2がありますが、資料3-2のほうが主としてご覧いただきたいものです。まず昨年7月の中労委のソクハイ事件の命令について紹介いたします。私は昨年12月まで中労委の公益委員でしたが、このソクハイ事件の命令は第2部会で出されていて、私は第3部会所属でしたし、また個別事件の判断について命令書に書かれたことを超えた説明をするのは裁判と同様に難しいと思いますので、説明としてはこのような内容の命令であるということをご紹介することになります。紹介を超える部分は、私の個人的な理解になるかと思います。そのような意味で、資料3-1は添付をお願いしてあるものです。
 ソクハイ事件の事実関係は資料3-2に書かれたとおりですが、被申立人となった会社は、企業等の委託を受けて、オートバイとか自転車で書類等の配送をする会社でした。この会社の配送員、特に自転車で配送業務を行うメッセンジャーと言われる配送員が中心になって労働組合が結成されております。会社とメッセンジャーは、運送請負契約という契約書によって、契約を締結しております。
 組合は、会社が団交の申し入れに応じなかったことが労組法7条2号違反に当たるとして、また、執行委員長でありますメッセンジャーの営業所長を解任したことが労組法7条1号4号違反に当たるとして、都労委に救済申立てをしました。都労委は、両者について、つまり2号違反の問題と1号4号違反の問題について救済命令を発して、会社が再審査申立てを行いました。中労委は、団交拒否の成立について一部、判断を変更いたしましたが、その余は都労委命令を維持しています。中労委は、次に述べる判断枠組みによって、本件のメッセンジャーが労働組合法上の労働者に当たるという判断を行いました。現在は、行政訴訟が係属中です。
 中労委の判断枠組みは、資料3-2、記者発表資料2の(1)、2頁の書かれたとおりです。まず、労組法3条の労働者について、「労働契約法や労働基準法上の労働契約によって労務を供給する者のみならず、労働契約に類する契約によって労務を供給して収入を得る者で、労働契約の下にある者と同様に使用者との交渉上の対等性を確保するための労働組合上の保護を及ぼすことが必要かつ適切と認められるものを含む」という一般論を述べております。なお、この資料には記載されておりませんが、命令書には労組法7条2号にいう「雇用する」という文言について言及があります。7条2号の「雇用する」という言葉についても、7条の保護の対象を使用者と労働契約関係にある者に限定するという趣旨ではなくて、3条にいう労働者がその企業との間で、3条の労働者と言えるような労務供給の関係を営んでいれば足りるという判断を行っております。
 次が判断の要素ですが、資料3-2の2頁の2の(1)のイにあるような判断になっております。基本的要素として、(A)の?@から?Bの3つが挙げられています。まず、?@として労務供給者が発注主の企業組織から独立した立場で業務委託を受けているのではなくて、発注者の事業活動に不可欠な労働力として恒常的に労務供給を行うなど、いわば発注主の事業組織に組み込まれていると言えるかどうか。?Aとして、当該労務供給契約の全部または重要部分が、実際上、対等な立場で個別的に合意されるのではなくて、発注主によって一方的・定型的・集団的に決定されていると言えるかどうか。?Bは、当該労務供給者への報酬が、当該労務供給に対する対価やそれに類似するものと見ることができるか。この3つが肯定されて、団体交渉の保護を及ぼす必要性と適切性が認められる場合には、労組法上の労働者に該当するとしております。
 なお、記者発表資料には書いてありませんが、命令書の中では、このような事業組織への組み込みという?@の要素について、さらに以下の要素が認められる場合には肯定につながるという判断が示されております。3つありますが、資料3-1の15頁に若干紹介してあります。(a)として、労務供給者が発注主から個々の業務委託を受けるについて、契約上、諾否の自由を有しないか、または契約上は自由を有していても、実態としては全く、または稀にしか行使していないということ。(b)は、発注者が労務供給者に対して、労務供給の日時、場所、態様について、拘束ないし指示を行っていること。ただ、この拘束性については、労働契約法や労働基準法上の労働者ほど強度である必要はないとも判断しております。(c)は、労務供給者が発注者に対して、専属的に労務を供給して、他の発注主との契約関係が全くまたはほとんど存在しないことです。ここでも、命令書では、専属性が存在しないからといって、直ちに事業組織への組み込みが否定されるわけではないことに留意する必要があると述べられています。
 記者発表資料に戻り、資料3-2の(1)のイの最後にある(B)です。労務供給者が当該事業のために、その設備、機械、資金等を有しており、また場合によっては他人を使用しているなど、業務について自己の才覚で利得する機会を恒常的に有するなど、事業者性が顕著である場合には、労働組合法上の労働者性は否定されることになるとしております。
 こうした一般論に基づいて、記者発表資料のウにあるように、本件においては事業組織への組み込み、契約内容の一方的決定、報酬の労務提供、対価性という3つの基本的要素は、いずれも肯定されるとされております。また、この資料では省略されておりますが、メッセンジャーには業務依頼への諾否の自由が実際上なく、労務供給の日時、場所、対応の面でも拘束を受けており、かつ業務の遂行の対応についても具体的指示がなされて、専属性が認められるということで、補足的な要素についても肯定されるという判断になっております。あとはウの1段落目の最後にありますように、メッセンジャーについては独立の事業者性が顕著とは言えないということで、結論として労組法上の労働者に当たるとしております。
 あとは本件命令の位置づけ的なことですが、本件命令によれば、労組法上の労働者の判断については、3つの基本的な判断要素があります。つまり、第1が労務供給者が発注主の事業活動に不可欠な労働力として恒常的に労務供給を行うなど、事業活動に組み込まれているということ。2番目は、労務供給契約の全部または重要部分が、実際上、発注主により一方的・定型的・集団的に決定されていること。3番目は、労務供給者への報酬が、そのような意味での労務供給に対する対価、あるいはそれに類似するものと見られること、これら3つを基本的判断要素として示したものと位置づけられます。それから、先ほど紹介しましたように、いわゆる諾否の自由、労務供給の日時、場所、態様についての拘束や指示、また、いわゆる専属性については、補足的要素といいますか、事業活動への組み込みを根拠づける要素にとどまるとしたものと位置づけられます。
 これまでの中労委命令については、労組法上の労働者性の判断基準を明示してはいなかったと思われます。また、判断要素を示したものはありましたが、それぞれの要素の位置づけについては、特に明示の判断は示されておりませんでした。その意味で、このソクハイ事件の命令は、そうした判断基準と判断要素の位置づけを示したものということができます。また、なぜこの3つの基本的な要素が挙げられるかについては、命令書によると、労組法の趣旨、つまり団交の助成によって使用者との間で交渉上の対等性を確保することを挙げ、また条文上の根拠としては、特に労組法3条が賃金、給与またはこれに準ずる収入によって生活する者と定めている点、特に「準ずる」収入としている点に言及しております。あとは若干、敷衍するような形のコメントになりますが、労務供給者の契約内容が発注者によって一方的・定型的・集団的に決定されており、これに併せて、労務供給者が発注者の事業組織に組み込まれているという場合には、労務供給者が事業主の必要に合わせて、労務を集団的・組織的に供給する体制の下に置かれていることになります。そのような意味での集団的・組織的な労務供給体制の下で労務を供給して対価を得ているという場合には、労務供給体制における非対等性が存在すると言えるのではないかと思われます。これは資料3-1の13頁に書かれている私なりの把握ということになりますが、そのような場合においては、団体交渉を通じた労務供給条件の維持・改善を図る権利を認めることが必要、かつ適切であると考えられます。以上がソクハイ事件のお話です。
 2番目は、判例に関してCBC管弦楽団事件、最高裁判決についてのコメントになります。第1回研究会の議論で裁判例の考え方を検討する議論がなされて、その際に唯一の最高裁判例であるが、他方で一般論は特に示していない、このCBC管弦楽団事件の最高裁判決の考え方を検討することがまず重要になるだろうというお話が多く出ていたようですので、この最高裁判決についてコメントをするということで、責めを塞がせていただきたいと思います。もちろん私は最高裁の考え方自身を説明できるような立場ではありませんし、また中労委がこの最高裁をどう考えているかについての説明をする立場でもありませんので、これもあくまで個人的なものということになります。
 このCBC管弦楽団事件は、第1回の研究会資料4-5に記載されています。要は放送事業を目的とする会社が放送業務等のために管弦楽団を作っており、契約を結んでいたわけです。最初は専属出演契約と言われていたのですが、それが優先出演契約というものに改められて、さらに自由出演契約に切り替えられたという経緯がありました。こうした中で、楽団員を組織する組合が会社に団交を申し入れたところ拒否されたことから、救済を申し立てたという事案です。県の労働委員会が楽団員の労働者性を否定して棄却命令を出したところ、取消訴訟が提起されて、裁判所が労働者性を肯定したという事実関係になっております。
 最高裁判決は、第1回研究会資料4-5の9頁から10頁です。本件のいわゆる自由出演契約については、会社において放送の都度、演奏者と出演条件等を交渉して個別的に契約を締結することの困難さと煩雑さを回避して、楽団員をあらかじめ会社の事業組織の中に組み入れておくことによって、放送事業の遂行上、不可欠な演奏労働力を恒常的に確保しようとするものである、という位置づけを行います。これと当事者の認識を合わせて考慮すると、この契約については原則として発注に応じて出演する義務のあることを前提としつつ、ただ、個々の場合に他社出演等を理由に出演しないことがあっても、当然には契約違反の責任を問わないという趣旨であると位置づけます。
 その上で、こうした両当事者の関係については、会社が必要とするときは随時、その一方的指定によって楽団員に出演を求めることができて、楽団員はこれに原則として従うべき基本的関係があるとします。そういう基本的関係がある以上、楽団員の演奏労働力の処分について、会社が指揮命令の権利を有しないとは言えないとしております。
 また、楽団員の報酬については、楽団員は演出について何ら裁量を与えられていないということから、出演報酬は演奏の芸術的価値を評価したものというより、むしろ演奏という労務の提供をそれ自体が対価であると見るのが相当である。こういうロジックで、楽団員は会社との関係で労組法の適用を受けるべき労働者に当たると判断しております。
 この最高裁判決は、労組法上の労働者該当性についての一般的判断基準を明示していませんので、どのような要素をどう考慮したのか、その中で何が重要とされているのかについては推測にとどめざるを得ない部分があります。しかし、まず言えるのは、本件の労務供給契約、自由出演契約について、楽団員をあらかじめ事業組織の中に組み入れておくことによって、事業の遂行上、不可欠な労働力を恒常的に確保しようとするものであるという位置づけを行った点。ここでは事業組織への組み込みというものが契約の位置づけとして重視されていると思われます。次に言えるのは、会社が必要とするときは随時、一方的に指定することによって出演を求めることができて、楽団員が原則としてこれに従うべき基本的関係があるということが重視されています。この関係については、原則として発注に応じて出演すべき義務があることを前提としつつ、個々の場合に他社出演等を理由に出演しないことがあっても、当然には契約違反の責務を負わないとしております。
 ここで、原則として発注に応じて出演する義務があるということについては、当事者の認識が挙げられています。すなわち、いつも発注に応じないときには契約解除の理由となり、さらに次年度の契約更新を拒絶されることもあり得ると考えていたという認識が基礎となった把握です。この点は諾否の自由の問題ともかかわるかもしれませんが、契約上は出演拒否は禁止されていないということで、これは荒木先生の判例評釈でも挙げられているのですが、ここでの法律上の義務というものの内容については、契約解除とか次年度の更新拒絶ということが意識されているということで、これは債務不履行に対する法的手段そのものというよりも、契約の解約とか新契約締結という面での事実上の措置と考えられるように思われます。これを法律上の義務と呼ぶかどうかは、ある意味では言葉の問題ということですが、出演を拒否しても直ちには契約違反にはならないという関係も、ここでは含まれるということかと思います。
 あとは演奏労働力の処分についての指揮命令の権能を有しないということはできないという判断ですが、このような評価を行う。指揮命令の権能については、いま申しましたような、原則として会社の指定によって出演する義務を負う、従わなかったとしても直ちに契約違反とはならない。こういう関係であっても、指揮命令の権能があるということになるかと思います。また、指揮命令の権能という言葉については、労務供給の仕方とか具体的態様についての話ではなくて、いまの判断からしますと、必要に応じて出演を求めることを指揮命令の権能と呼んでいるようです。ちなみに、本件の調査官解説は、この点について我妻栄先生の民法の体系書を引用されていて、指揮命令の権能とは、その我妻先生の本によれば、給付する労務の内容ではなくて、労務をいかなる目的に向かって役立てるかという、労務の配置、配列、組合せなどの問題であるとされている。指揮命令という概念について、労務供給の仕方や態様についての具体的指示とは必ずしも限らないというような、やや広めの理解に立っている印象を受けます。
 さらに、報酬の性格ですが、本判決は楽団員の報酬は労務提供それ自体の対価であるとしています。その主たる根拠となったのは、楽団員が演出について何ら裁量を与えられていなかったということで、労務供給の対応とか性格が報酬の性格に影響を与えるという判断が示されているように思われます。つまり、労務供給の態様とか性格は、報酬と全く独立の話ではなくて、相互に影響し得るものであるということではなかろうかと思います。
 以上のように、本判決については事業組織への組み込みという要素に着目している点と、労務供給者の義務について、指示に違反したとしても、直ちに契約違反とはされないという関係のものを含めているという点、指揮命令という概念について、若干広く捉えていると見られる点。報酬の性格について、労務供給の性格によって影響を受けるということが示される点。こういう点において、参考になろうかと思われます。20分ということでしたので、ちょっとオーバーしたかもしれませんが、大体以上です。
○荒木座長 いまのご報告を受けまして、ご自由にご議論をいただきたいと思います。
○原委員 ソクハイ事件について、2つ疑問を持ちました。この研究会で、労組法上の労働者かどうかについて明確な基準を示していくという観点から考えてみます。ソクハイ事件が示した判断要素の1つ目と2つ目、これは資料3-1の12頁以降にまとめられているかと思いますが、疑問の1点目は、「事業組織への組み込み」という言葉でまとめていることの意味なのです。というのは、資料3-1の15頁を見ると、その組み込みというのが、どういうときに組み込みがあると言えるかということについては、諾否の自由、具体的な拘束、あるいは専属性といったように、労基法上の労働者かどうかの判断基準と、外形的といいますか、言葉としては同じ要素を使っているように見えるのです。もちろん充足の程度は違うということはあるかと思うのですが、少なくとも言葉として示されているものは同じだということになると、そこで「組み込み」という表現をあえて使っているのは、どういう意味があるのか。つまり、この「組み込み」という表現をそのまま、諾否の自由、拘束の有無といったことで置き換えることはできないのか。置き換えないとすれば、組み込みという言葉に何か独自の意味があるのかということがまず1点目です。
 2点目はやや漠然とした疑問です。契約内容の一方的な決定というのも、ソクハイ事件で判断基準として挙げられているかと思いますが、この「一方的決定」がどういう意味を指すかなのです。というのは、労基法上の労働者を考えるときにも、大前提として契約内容は使用者側が示したものがベースになっていますが、それも一方的決定であると言えるのかということがあります。また、交渉の余地があるからこそ、つまり交渉をして労働条件、契約内容を変えていく余地があるからこそ、労組法上の労働者として保護をしようといったことが出てくるかと思うのです。そこで、一方的決定というときに、具体的にどういう状況であれば、使用者側といいますか、事業主の側によって契約内容が一方的に決定されると言えるのかということについて、今後どのように考えていけばいいのかということです。
○竹内(奥野)委員 いまの原先生の1点目のご指摘、ソクハイ事件の中労委命令が、組み込みの要素について実は労働基準法上の労働者性の判断要素を言い換えているだけで、あまり差違がないのではないか。そうであるならば、何か言い換えるところに意味があるのだろうかというご指摘だったと思います。中労委命令を見てみると、一般論として事業組織への組み込み、そして一方的決定、そして対価の労務対償性ということを挙げて、この3つの要素について判断をしていくということになっています。そして、原先生がご指摘された、山川先生の資料3-1の15頁でもまとめられているように、諾否の自由とか、労務供給の日時、場所、態様についての指示とか、専属性という要素が認められるときには「労働者」性の肯定につながるということが指摘されています。
 ところが、ソクハイ事件の中労委命令のそのあとの具体的な判断を見ていくと、会社の事業組織に組み込まれているといえるかどうかの具体的な判断で、後ほど確かに諾否の自由とか、具体的な指示の態様だとか、専属性の話もしちえるのですが、前回配布資料にある中央労働事報の31頁を見ると、ソクハイ便の業務は、専ら会社と請負契約を締結するメッセンジャーによって行われる、要するに、このメッセンジャーがいないと、この会社の配送業務は成り立たないので、不可欠の労働力と言えるということとか、いろいろなマニュアルなどで指示をしていて、このように配送サービスを提供しなさいという管理を行っているとか、実際に大多数が恒常的にこの会社で業務を行っているとか、いくつかの要素を挙げて、そのような側面からも事業組織への組み込みというものを見ているのです。いま申し上げたこの具体的な判断で挙げられている要素が、事業組織への組み込みを示す要素として位置づけられるということに関しては、実は一般論のところでは説明がないのですが、そのような要素も含めて見た場合には、これはもちろんこの研究会で今後ご検討・ご議論いただく必要がありますが、もしかしたら労基法の労働者性の要素以外の要素も、事業組織への組み込みという形で考慮をする。そのような立場をこの命令は示しているのではないかと思います。もちろんこれからまた議論をしていく必要がありますが、そのようにも読めるような判断を行っている点にも注意する必要があると思いました。以上です。
○橋本委員 いま原先生と竹内先生から指摘された点が、やはりこのソクハイ命令をどう読むかというところのポイントになると思います。「事業組織への組み込み」として書かれている要件について、従来の労基法の要件を労基法の労働者性の判断よりも緩やかに評価するということであれば、組み込みということを言わなくてもいいのではないかというのは、おっしゃるとおりかと思います。ただ、この表現自体はCBC管弦楽団でも使われていますし、単なる経済的従属性と区別して、従属的な立場にある自営業者全員ではなく、それよりは、もう少し労組法上の労働者の範囲を狭める必要があるので、そのためには意味はあるのかなと思っています。竹内先生が指摘した命令部分が、「事業組織への組み込み」という判断基準の独自の内容となり得るのではないかというところも、議論になると思います。
 ただ、細かいところで恐縮なのですが、事業組織への組み込み(編入)というのは、ドイツ法では否定されたメルクマールである点が気になっています。ドイツでは、かつて議論があったところなのですが、編入という用語が、表現として非常に曖昧であるということとか、事業所への編入というのを強調するのは、雇用契約という契約関係の表現として適切ではないのではないかという考えもありました。現在では、学説では、事業所への編入とは人的従属性の言い換えだということで、時間的、場所的拘束性と同義に解しているという理解が定着していますので、もし日本でこの要件を確立するということであれば、比較法的観点からも、この組み込みという要件にやや異質な理解、意味を持たせることになるのかなと理解しています。中労委命令の内容については、内容の本質的なところではこのソクハイ命令に批判があるというわけではなくて、この組み込みという表現に違和感を感じるという程度の指摘ですが、以上です。
○荒木座長 山川さん、お答えになる立場かどうかわかりませんが。
○山川委員 先ほど申しましたように、ソクハイ命令自身を私が説明する立場ではないものですから、私なりの理解を述べるということですが、そうなるとやはり、ソクハイ事件の命令にも触発されて資料3-1に書いたようなことになります。まず、原先生のお話で、労基法上の判断基準とは異なる一般的要件を立てるとして、その基準の中に事業組織の組み込みを入れる意味がどこにあるのかということについては、いちばん基本的なことは、条文が違うということです。わが国の労働組合法3条には「準ずる」という言葉が入っているということで、条文が違えば一般的判断基準も違う。「使用する」という言葉に準ずる労務供給関係も含むというときには、別の判断基準を設けることになります。組み込みというのも、これも1つの判断要素にすぎなくて、最終的には、先ほど申しましたような労務供給関係、労組法3条の文言からすると、労働契約法や労働基準法上の労働者にとどまらず、これに準ずる収入をもたらすような労務供給をするものも含む。これが最終的な要件になり、労基法上の要件とは違いますので、そこでは、労働契約法や労働基準法上の労働者よりも、いわば拘束性が弱くてもよいということになりますので、それを示すために事業組織の組み込みという要素を持ってきたのではないかと思います。
 もう1つは、先ほど竹内先生も言われたこととの関係ですが、ここで組み込みという要素については、これは資料3-1の13頁にありますように、団体交渉によって保護する必要性があるというためには、いわば組織的・集団的な労務供給関係が前提になるだろうと思います。それはまた、渡辺章先生の言われていたことで、先ほど水町先生が言われたことともかかわりますが、同じ組織的集団関係の中で起きうる不公正な競争の防止といいますか、独禁法的な規制を必ずしも妥当されずに、労働条件の切下げ競争を防止するという意味も含まれるかと思います。
 橋本先生の言われたことについても、おおむねいまの回答で説明したのかなという感じはしますが、日本の場合は先ほどのCBC管弦楽団事件判決で言及がなされていたということで、事業組織への組み込みという要素が用いられているかと思います。これも私自身の見解ですが、事業組織への組み込みということだけから判断するのではなくて、あくまでも事業組織への組み込みと一方的決定というものが相俟って、労組法の適用の基礎ができるのではないかということになるように思います。その際の要素として、諾否の自由などが入ってくるということで、論文の13頁では、?@と?A、つまり事業組織への組み込みと契約内容の一方的決定の事実とが相俟って、労務供給体制における非対等性が基礎づけられるということです。先ほど報酬と労務供給の対応も関連性があるということでしたが、各要素をバラバラに捉えるというよりも、それぞれが相俟って判断要素となる。そういう捉え方ができるかなと、私としては思っています。以上です。
○水町委員 ソクハイ命令と最高裁CBC判決と立法趣旨の関係についてなのですが、端的に言うと、ソクハイで3つの要素が挙げられています。ネーミングはいろいろあるかもしれませんが、1つ目の事業組織への組み込みの点と、3番目の対価性というのは、CBCの判決や立法趣旨の中にも十分入っていますので、具体的にどういう基準をさらに詳細にするかというのは、より検討していく必要があるかもしれません。その点には違和感はないのですが、2番目の一方的・定型的・集団的に決定しているというのは、必ずしもCBC判決とか立法趣旨の中に入ってきていなくて、新たに急に出てきたのではないかというイメージがあります。その中で、対等な立場でというところは、逆に言うと非対等性というのは趣旨の中り入ってきているのですが、この対等な立場でということと一方的・定型的・集団的に決定しているというのが必ずしも合っていない気がするのです。個別に一人ひとり別々の契約内容にしているか、それとも労働協約とか就業規則などで定型があって、それに沿って決めていますということが、必ずしもCBCとか立法趣旨の中に入っていないですし、これをあまり強調すると、プロ野球選手は年俸がそれぞれ別なので、2番の点で否定されて労組法上の労働者でないということになりますし、その辺の精査がもうちょっと。CBCをどのぐらい重視するかはあれですが、CBCの個別というのは、集団的に決定しているか個別に決定しているのではなくて、時期的に演奏会ごとに個別に決めるか、それとも基本契約で最初から全部決めておくかという意味で個別で使われているので、必ずしもこの2番目の要素になっていないのではないかという気がして、私も引き続き検討してみたいなと思います。
○有田委員 先ほどの山川先生の示された理解というか、ご説明だと、ソクハイ事件、中労委命令で一般的な判断枠組みというか、そこで団体交渉の保護を及ぼすべき必要性と適切性は、かなり重要な要素になっているというか、それを基にと理解されているということなのです。そうであるとすると、前回も少し議論になった点ですが、労組法の3条と7条2号。3条の判断の段階で、既に7条2号のシチュエーションというか、そこの問題も合わせて考えてしまうという判断基準を立てるのが妥当と考えられているのか。その辺が私はいちばん引っかかるところで、必ずしも7条2号の場面にすべてが収斂されていくべきではないと思います。
 つまり、例えば資格審査の段階で、これは問題になるわけですが、そのときに常に7条2号のケースばかりではないわけでしょうし、確かにそこは中心的ではありますが、これは一体的に3条と7条2号を解釈するような基本的な判断枠組みというのはどうなのか。この点は少し検討してみたいなと思っているところです。
○竹内(奥野)委員 いまの有田先生のご指摘に関して、前回もこの点をご指摘させていただきましたが、CBC管弦楽団事件の最高裁判決は、これはまさしく団体交渉拒否が争われた事例です。そして、「労組法の適用を受けるべき労働者に当たると解すべきである。したがって、楽団員の組織する組合と会社との間に7条2号の不当労働行為が成立するとした原審の判断は正当」ということだけを述べていて、これは3条と7条2号との間で特に判断を違えないとした判断とも読めますし、また最高裁が判断を脱漏させているというように読むこともできるかと思います。おそらくここのところを具体的にどのように読むか、あるいは評価するかということが、先ほど有田先生がご指摘された点の1つの具体的な論点でないかと思っております。
○山川委員 いまの有田先生のお話にあった、3条だけで判断する場合と7条2号も合わせて判断する場合のうち、3条だけで資格審査をする場合は、労務供給関係の質のようなことは、失業者が組合を作ったというような事例では考えなくてよいのですが、ソクハイ事件の命令の判断基準は、争点といいますか、問題になるシチュエーション自体が不当労働行為審査において7条の適用がある場面に限られるようですから、3条の資格審査だけとなると、同じ基準が使われるかどうかはわからないです。あとは判断の中身として、このソクハイ事件の命令ですと、7条と3条を合わせて考えるといいますか、3条の労働者が「雇用」されているというには、3条の労働者と言える者が、そこで言われているような労務供給関係のもとにあれば足りる。つまり、雇用されることによって、労務供給関係を何か限定するという趣旨ではないということです。7条2号の条文では「雇用する労働者」とありますが、そのうち「雇用する」という部分が7条2号特有の要件で、「労働者」は3条の要件の問題だということで、この命令では特にこれら2つのことを段階的に判断してはいなくて、7条2号および3条の労働者ということで一括しています。判断基準も、たぶんそのような場面についてのものであるために、労務供給関係の質についても触れているのかなと思います。以上です。
○荒木座長 ソクハイの今回3つの主要な判断要素を挙げていて、先ほど水町先生から2番目の要素についての一定のコメントがありました。?@の「事業組織への組み込み」について、先ほど山川先生のご説明だと、組織的・集団的労働関係、労使関係というものを念頭に置いたというコメントがありました。?Aで、一方的はいいのですが、定型的とか集団的決定というのは、事業組織への組み込みの1つの帰結、コロラリーとして出てくるような気もしますので、その点で?@と?Aはどういう関係にあるのか。また、?Aの前段では対等な立場という、いわば交渉力の格差といいますか、経済的な従属性的なことが出ております。そして?Bで労務供給に対する対価ということがあって、これも経済的従属性のことかもしれない。そうすると、?@と?Aで少し重複する部分があるような気もしますし、?Aと?Bでも重複するような感じがしないでもない。そこはどう理解したらいいのかなと私自身もよくわからずにおりますので、皆さんでご議論いただければと思うのですが、いかがでしょうか。
○山川委員 私はソクハイ事件の命令のワーディングについてまでどうこう言う立場ではないのですが、先ほど申しましたように、一方的決定というものを、全くそれ自体として考えると純粋な経済的従属性も含んでしまいますので、その意味では、?@と相互補完的な関係にあると考えれば、たぶん定型的・集団的という要素が入ってくるのかなと推測するところです。
 もう1つは、労務供給契約の全部または重要部分のうちに報酬というものも入るかとは思いますが、むしろ労務供給の内容についての一方的決定という点は、事業組織への組み入れと合体しますと、ごく大雑把な表現ですが、要は発注主のやれと言ったことをやらざるを得ない関係が生じます。そういう形で、2つ合わせると労務供給体制における非対等性ということが説明できるのかなと、私としては思っていますけれども。
○水町委員 個別化・集団化というところで、集団だと経済的従属性が強いというイメージがここを書かれていますが、逆に個別に切り崩されて、使用者側が個別に選り分けた人たちのほうがより経済的に弱くて、より保護が必要だという場合も事案としてはあり得るので、何でこういう言葉が入ったのか。こういうのを入れないほうが、むしろいいので、逆に1と3の中で含めながら判断したほうがいいのではないかというのが、私のいまの個人的な感想です。
 1点、アメリカ法の議論ともつながってくる立法趣旨の所なのですが、山川先生が資料3-1の8頁で、労組法3条が旧労組法3条を継承したというところで、これは非常に重要なポイントだと思うのです。竹内先生もおっしゃっていたように、ここで参照されているのはワグナー法なのです。タフト・ハートレー法ではない。ワグナー法で、ワグナー法はそもそもインディペンデントコントラクターとかスーパーバイザーは、適用除外していない時点なのです。そのあと、タフト・ハートレー法が共和党政権の中でできて、そのあとの最高裁判決の中で共和党の大統領が選ぶことが多かった最高裁判事がたくさんいる中で、適用範囲を限定するような方向に行ったのですが、日本の立法趣旨は、そもそも立法の経緯ではワグナー法を参照していたし、アメリカのだんだん限定していた中で、いま批判的な学説があるということが書かれていましたが、学説の中にもありますが、ダンロップ報告書が1992年に出たのですか。クリントン政権の下でダンロップ委員会ができて、そこに労使も入って議論をしているのです。労使が入って議論をしている中で、集団的な保護を与える労働者の範囲が非常に狭くなっていることが今の経済の実態に合わなくなって、いろいろな問題が出ているということをきちんと分析した上で、これについては改革が必要だという結論が労使の委員も含めた上で出ていますので、ダンロップ報告書の中でどのように書かれているかというのも検討することが必要かと思いました。
○荒木座長 ほかにいかがでしょうか。今日は労働組合の歴史的な成立ち、それからいま非常に注目を集めておりますソクハイ事件やCBC管弦楽団の最高裁判示等をどう理解するか等、これから議論する基礎的な知見を共有するという形で議論をしてまいりました。特に歴史的なところは、水町先生がご指摘のように、1945年に労組法ができたときはGHQの影響はほとんどなくて、戦前のドイツ法の影響を基礎として立法された。そして、49年改正のときには、アメリカ法の大いなる影響があって変えた。しかし、そのときにはタフト・ハートレー法ではなくて、1935年のワグナー法をモデルにしていた。ただ、同時に45年法のときは、行政救済主義の不当労働行為制度はとっていなかった。そのときの労働者概念と、不当労働行為制度を入れたときの労働者概念の連続性の有無、その辺のことを再度検証した上で、いまどう考えるべきかということを詰めていくのが1つの課題かなということを私自身は感じたところです。そろそろ時間になりましたので、本日は以上としまして、次回について事務局からご連絡をいただけますか。
○平岡補佐 次回の日程は、2月16日(水)の10時から12時となります。場所については、本日と同じ共用第7会議室となります。
○荒木座長 いまのような日程で、第3回目を行うことにいたします。本日はどうもありがとうございました。


(了)
<照会先>

政策統括官付労政担当参事官室
参事官  辻田 博
室長補佐 平岡 宏一

電話: 03-5253-1111(内線7753)

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