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2010年11月30日 第1回労使関係法研究会・議事録

政策統括官付労政担当参事官室

○日時

平成22年11月30日(火)
10:00~12:00


○場所

厚生労働省 共用第7会議室(5階)


○出席者

荒木委員、有田委員、竹内(奥野)委員、橋本委員、原委員

○議題

(1)座長の選任
(2)労働組合法上の労働者性

○議事

○平岡補佐 ただいまから、「第1回労使関係法研究会」を開催いたします。委員の皆様方には、ご多忙のところご参集いただきまして、ありがとうございます。私は厚生労働省の平岡と申します。この研究会の座長が定まるまでの間、進行をさせていただきます。
 まず、開催にあたりまして、中野政策統括官よりご挨拶を申し上げます。

○中野政策統括官 政策統括官の中野です。この度は、ご多忙の中をお集まりいただきありがとうございます。近年、我が国におきましては産業構造が変化し、企業組織の再編が行われている一方、労働組合の組織率の低下傾向が進んでいます。このような経済社会の変化に伴いまして、今後の集団的労使関係法制のあり方について検討を行っていただくため、本研究会を開催することといたしまして、本日お集まりいただきました。
 また、労働者の働き方の多様化に伴いまして、業務委託や独立事業者といった契約形態にあるものが増えていまして、労働組合法上の労働者性についての判断が困難な事例も見受けられます。これらの労働者性については、中労委の命令と裁判所、下級審ですが、判決で異なる結論が示されたものもございます。このため、本研究会におきましては、当面は労働組合法上の労働者性について、専門的な見地からご議論いただき、報告書を取りまとめていただければと考えています。本研究会の趣旨を理解の上、ご協力いただけますようお願い申し上げまして、開催にあたってのご挨拶にさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

○平岡補佐 続きまして、ご出席をいただいている委員の皆様方をご紹介いたします。荒木尚志 東京大学大学院法学政治学研究科教授です。有田謙司 専修大学法学部教授です。竹内(奥野)寿 立教大学法学部准教授です。橋本陽子 学習院大学法学部教授です。原昌登 成蹊大学法学部准教授です。また、水町勇一郎 東京大学社会科学研究所教授、山川隆一 慶應義塾大学法科大学院教授にも委員に就任いただいておりますが、本日は欠席です。よろしくお願いいたします。
 次に、事務局の紹介をさせていただきます。政策評価審議官の八田です。労政担当参事官の辻田です。
 それでは、お手元の資料の確認をお願いいたします。「議事次第」、「座席表」、資料1「労使関係法研究会開催要綱」、資料2「当面の検討スケジュール(案)」、資料3「労働組合法の労働者性に関する行政解釈等」、資料4「労働組合法の労働者性に関する代表的な中労委の命令、裁判例」、資料5「労働基準法研究会報告」、最後に『別冊中央労働時報』になります。なお、『別冊中央労働時報』は部数が限られているため、委員の方のみ配付してます。不足がある場合は事務局にお申しつけください。
 次に、資料1をご覧ください。本研究の趣旨等について説明させていただきます。1.趣旨では、近年、産業構造が変化し、企業組織再編が活発に行われる一方、労働組合の組織率の低下が一段と進んでいます。このような中で、集団的労使関係法制上も新たな課題が生じてきており、労使関係の安定を図る観点から、今般、労使関係法研究会を開催し、今後の集団的労使関係法制のあり方について、検討を行っていただくことといたしました。
 2.検討事項です。近年、労働者の働き方が多様化する中で、業務委託、独立事業者といった契約形態下にある者が増えており、労働組合法上の労働者性の判断が困難な事例が見られます。最近では、中労委の命令と下級審の裁判所の判決で異なる結論が示されたものがあり、本研究会は、当面労働組合法上の労働者性について検討いただきたいと考えております。
 次に、3.構成等です。(1)政策統括官(労働担当)が招集することとしております。(3)本研究会の座長は、構成員の互選により決定するとされております。この要綱に従いまして座長の選出をさせていただきます。これについては、事前に事務局のほうで委員の皆様にご相談させていただいており、荒木委員に座長をお願いしたいと考えておりますが、いかがでしょうか。

(異議なし)

○平岡補佐 ご異論がないようですので、本研究会の座長を荒木委員にお願いして、これより後の議事の進行をお願いしたいと存じます。よろしくお願いいたします。

○荒木座長 それでは、座長に選出されましたので、以下進行させていただきます。本日は初回ということになります。労働組合法上の労働者性について検討するということがこの会の目的ですので、労働者性についての事例等をもとに、自由にご議論いただきたいと考えております。まず、事務局のほうに、今後の進め方や労働組合法上の労働者性の行政解釈、代表的な中労委の命令・裁判例等について、資料をご用意いただいていますので、その説明をお願いしたいと存じます。よろしくお願いします。

○平岡補佐 では、資料2の研究会の当面の検討スケジュールの(案)をご覧ください。おおむね1月に1回、研究会を開催することを予定しています。本日は、第1回の研究会であり、キックオフということで、労働組合法の労働者性について事例等をもとに、ご議論いただければと思います。第2回は、中労委の命令・裁判例の考え方を山川委員から発表いただくとともに、諸外国の状況、労働組合の成立ちの経緯について議論いただくことを考えております。第3回、第4回の論点整理、第5回の中間報告書(骨子案)の検討、第6回の中間報告(案)の検討を経て、来年6月をめどに、中間報告書を取りまとめていただければと思います。
 次に、資料3の労働組合法の労働者性に関する行政解釈等をご覧ください。1.として、労働組合法第3条と、第7条第2号を付けています。第3条は、「労働者」を定義しており、「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者をいう」とされております。次に第7条第2号は、不当労働行為の一類型として、不誠実交渉義務違反を掲げ、その中で「雇用する労働者」という語句が使用されております。
 次に、2.として、労働組合法制定時の国会における質疑の抜粋を付けております。具体的には、昭和20年12月13日の衆議院労働組合法案委員会の議事録となっています。その中で、山崎(常)議員は、「大きな製造業者があって、それから、一箇幾らずつと請合ってきて、妻もやれば自分もやる、子供にも手伝わす、そういうものが一緒になって組合を作った場合に、その関係はどうなるのか。一箇幾らで請負ってきて家でやる仕事です。時間も制限されずに、一箇幾らで請負ってきてやるところの請負業者です。その辺りはおわかりでしょうか」と質問しています。これに対しまして、芦田國務大臣は、「出来高払いであるとか、時間払いであるとかということによって、組合法の適用が変わるとは考えられないのであります」と答弁しています。続いて山崎(常)議員は、「個々の請負業者が物を作って交渉する場合に、団結権も認めて下さる、交渉権も認めて下さる、こういう具合いにはっきり考えていて差支えございませんのでしょうね」と質問し、芦田國務大臣は、「ご解釈のとおりであります」と答弁しております。
 次の頁、3.労働組合法の関係通知を付けております。昭和21年6月の地方長官あての通知になります。(1)「常時相当の規模を以て請負をなす請負業者は労働者ではないが日傭を兼ねるが如き大工は請負を行う場合と雖も実質上賃金に準じる収入を以て生活するものと認められるから斯かる者が労働組合を結成することは差支えない」とされております。(2)「一般日傭者は当然労働組合を結成し得る」とされております。なお、次の昭和23年6月の都道府県知事あての通知は、今回の議論とは直接関係はありませんが、労働組合法の労働者に失業者が含まれることを示した通知ですので、参考として挙げさせていただきました。
 次の頁、4.労働組合法コンメンタールの第3条「労働者」の定義の部分を付けております。趣旨の1つ目の○では、労働組合法の目的は、使用者との交渉において、個々的には使用者に対して弱者の地位にある労働者に対し、労働組合を結成することによって、使用者と対等の地位を確保させようとするものである。したがって、労働組合法の「労働者」の概念もこのような本法の目的に照らして定義づけられているとされております。次に、趣旨の2つ目の○では、労働基準法の「労働者」の規定と比較し、労働組合法上の労働者は、「労働組合運動の主体としての労働者として把握されるものであり」と書かれております。
 次に、資料4、代表的な中労委の命令、裁判例をご覧ください。まず、表紙にローマ数字で、大きく3つに分けております。係争が終了したもの、係争中のもの(労働者性を肯定したもの)、係争中のもの(労働者性を否定したもの)です。命令、判決のすべてを載せますと大部になりますので、この資料では概要を記載しております。 1頁をご覧ください。東京電力常傭職員労組は、請負契約に基づいて集金業務に従事する委託集金人等により結成されたものですが、中労委に資格審査を申し立て、委託集金人の労働者性が肯定されて請求が認容されたものです。
 2頁の、東京ヘップサンダル工組合は、業者から仕事をもらい、主として自宅で賃加工する職人を主たる構成員とするものですが、東京都労委に資格審査を申し立てたところ棄却され、中労委に再審査を申し立て、職人の労働者性が肯定されて、請求が認容されたものです。
 4頁の日本プロ野球選手会は、プロ野球選手を構成員とするものですが、都労委に資格審査を申し立て、請求が認容されました。その後、日本プロ野球選手会は、球団の合併が選手の地位、労働条件に重要な影響を与えるとして、団体交渉を求めましたが、応じられませんでした。このため、日本野球組織に対して、団体交渉を求める地位にあるとして、東京地裁、東京高裁に仮処分を申し立てたところ、仮処分そのものは棄却されましたが、団体交渉の主体となり得ることは認められております。
 5頁では、トラック運転手を組合員とする労働組合が団体交渉を申し入れたところ、運送委託契約を締結したトラック運転手の労働条件を議題とすることが拒否等されたため、不当労働行為の申立てを行ったものです。大阪府労委、大阪地裁ともに、運送委託契約者の労働者性を肯定しました。
 9頁では、1年有期の自由出演契約を締結していた楽団員が結成した労働組合が、団体交渉を申し入れたところ拒否されたため、不当労働行為の申立てを行ったものです。愛知県労委は、会社と楽団員の間には使用従属関係はないとし、申立てを棄却しましたが、名古屋地裁、名古屋高裁、最高裁は、楽団員の労働者性を肯定いたしました。
 次に11頁では、運送請負契約に基づいて、書類の配送業務を行う配送員が結成した労働組合が団体交渉を申し入れたところ、拒否されたため不当労働行為の申立てを行ったものです。東京都労委、中労委は、配送員の労働者性を肯定しました。その後、会社は東京地裁に提訴し、係争中となっております。
 11頁の?U.中労委の命令の要旨では、労組法上の「労働者」に関する基本的な考え方が示されております。ここでは、労組法第3条にいう、「労働者」は、労働契約法や労働基準法上の労働契約によって労務を供給する者のみならず、労働契約に類する契約によって労務を供給して収入を得る者で、労働契約下にある者と同様に使用者との交渉上の対等性を確保するための労組法の保護を及ぼすことが必要かつ適切と認められる者をも含む、と解するのが相当とされております。
 次の○ですが、労組法第7条は、使用者が「雇用する労働者」の代表者である労働組合に対する不当労働行為を禁止しているが、労組法の趣旨及び目的並びに同法が保護する「労働者」の内容に照らせば、「雇用する」もまた、同法第3条の「労働者」といえる者が該当企業との間において当該労務供給の関係を営んでいることで充たされる、と解するのが相当と判断されております。
 次に判断要素として、労組法上の労働者といえるかどうかは、?@事業組織に組み込まれているといえるか、?A契約の全部又は重要部分が、発注主により一方的・定型的・集団的に決定されているか、?B報酬が労務供給に対する対価ないしは対価に類似するものとみることができるかどうか、というものでみることが示されております。
 4つ目の○では、発注主の事業組織への組込みについては、以下の諸要素が認められるときには、肯定につながるとされております。1つ目の矢印のところで、契約上、又は実態として諾否の自由を有しているかどうか。次の2つ目の矢印で、労務供給の日時・場所・態様について拘束ないし指示を行っていること。もっとも、拘束性は、労働契約法ないし労働基準法上の労働者におけるものほどに強度である必要はない。3つ目として、他の発注主との契約関係が全く又はほとんど存在しないこと、と言われております。
 次の○ですが、「他方」として、事業者性が顕著である場合には、労組法上の労働者性は否定されると示されております。
 次に、15頁の事件では、契約メンバーとして出演契約を締結し、多数のオペラ公演に出演していましたが、歌唱技能の審査により、契約メンバーとしては不合格である旨告知されました。契約メンバーらが加入する労働組合は、契約メンバーが労働組合法上の労働者に該当しないとして、団体交渉に応じなかったこと等が不当労働行為に該当するとして、申立てを行ったものです。東京都労委、中労委は、契約メンバーの労働者性を肯定しましたが、東京地裁、東京高裁は否定しました。その後、国は最高裁に上告し、係争中となっております。
 15頁の?U.のところで、中労委の命令の要旨という部分がございますが、そこで労組法上の労働者の基本的な考え方が示されております。すなわち、自己の計算に基づいて事業を営む自営業者の他は、他人の指図によって仕事をし、そのために提供した役務に対価が支払われている限り、広く労組法上の労働者にあたると解されるべきとされております。そして、このXは、A財団の決定及び計算による報酬を受けていた者と認められるから、自己の計算において事業を営んでいたとは言えず、Xの労働者性は明らかであると初めに示しております。ただし、次の○ですけれども、Xが労組法第3条の労働者に当たることは、同人を構成員とするユニオンが労組法上の労働組合と認められうるということにとどまり、A財団が同人の労働条件等について団体交渉応諾義務を負う使用者に当るかどうかは、さらに別の考察が必要と示しております。
 結局、中労委については、この後にあります契約の形式、方法、契約メンバーの業務の内容、報酬に関する決定及び計算、指揮監督関係の有無・程度、専属性・拘束性等を見て、次の17頁の1つ目の○のところで、「以上に検討してきたとおり」とございますが、契約メンバーは、A財団の判断により決定される基本契約及び個別契約の内容に拘束され、公演や稽古等の日時、場所等はもとより、演目に応じた歌唱技能の内容、方法の全般に至るまで、その指示に従って役務たる歌唱技能を提供するものといえるとされ、また、次の(報酬の労務提供への対価性)について、この報酬は、役務に対して支払われた対価ということが出来、いわゆる労務対価性があると認めることが出来ると示されております。
 最後に、(7)結論といたしまして、2つ目の○ですが、「したがって」というところで、Xは、A財団との関係でも団体交渉により保護されるべき労働者であり、A財団は使用者たる地位を有すると解するのが相当であると結論が示されております。
 次に?V、東京地裁の判決の要旨です。17頁のいちばん下の○にありますが、基本契約の実質的な内容や運用をみると、契約メンバーがA財団が主催する以外の公演に出演することなど他の音楽活動を行うことは自由であり、現実に契約メンバーは他の公演に出演等をしている。基本契約の締結に際しても、出演公演一覧の全公演に確定的に出演できる旨の申告や届出も要求されていなかったこと。18頁の上から3つ目の○で、2つ目のパラグラフで、契約メンバーが個別出演に出演することが予定、期待されることは、事実上のものというべきであり、契約メンバーにとって、個別公演に出演すること、すなわち個別公演出演契約を締結することが、法的な義務となっているかは認められないという判断を示し、18頁のいちばん下の○で、契約メンバーが個別公演に出演しない限り、上記の指揮監督を現実に受けることはないから、上記指揮監督関係は、個別公演出演契約を締結して初めて生ずるものであるという判断を示しております。
 次に、19頁の上から2つ目の○で、「契約メンバーが」というところで始まるパラグラフがありますが、そこでは業務遂行の日時、場所、方法等について指揮監督を受けていることは、オペラ公演が多人数の演奏、歌唱及び演舞等により構成される集団的舞台技術であることから生じるものと解されるから、契約メンバーが上記のような指揮監督を受けることが契約メンバーが労組法上の労働者であることを肯定する理由とはならないという判断を示しております。その下のほうで、(契約内容の一方的決定、時間的拘束、経済的弱者性)というパラグラフがあると思いますが、その1つ目の○で、契約の内容が一方的当時者が決定することは、労働契約に特有のことではなく、これが直ちに法的な指揮命令関係の有無に関係するものではないと示し、さらに19頁の(結論)というところの1つ上の○では、労組法上の労働者であるかどうかは、法的な指揮命令、支配監督関係の有無により判断すべきであり、経済的弱者であるか否かによって決まるものではないという判断を示しております。結論的には、労組法上の労働者性は認めておりません。
 20頁では、?W.東京高裁の判決の要旨を記載しております。東京高裁は、Xの労働者性を否定するのが相当としていまして、その理由はおおむね原判決に記載の通りであると、控訴人(国)の補完的主張に対する判断についてのみ判断を示しております。これについて、1つ目として、労働者性に関する判断基準を示しています。1つ目の○で、使用者と労働者のとの間の指揮監督関係は、労働力の配置がされている状態を前提とした業務遂行上の指揮命令ないし支配監督関係という意味においても用いられるほか、業務従事ないし労務提供の指示等に対する諾否の自由という趣旨をも包含する多義的概念であり、労組法上の労働者に該当するかどうかの判断に当たり、これらの多義的な要素の一部分だけを取り出して論ずることは相当ではないとしております。
 3つ目の○では、オペラ公演に参加することとした場合においては、オペラ公演のもつ集団的舞台芸実性に由来する諸制約が課せられること以外には、法的な指揮命令ないし支配監督関係の成立を差し挟む余地はない上、契約メンバーには個別公演出演契約を締結する自由すなわち公演ごとの労務提供の諾否の自由があることをも併せ考えれば、契約メンバーが労組法上の労働者であるとはいい難いと判断を示しております。
 21頁では、2.労務提供の諾否の自由というところがあります。2つ目の○で、以上に加えて基本契約を締結した契約メンバーが自己都合により個別公演に出演しなかったからといって、これまで法的責任追求を受けたことはないし、事実上不利益を被ったこともない(次年度以降における基本契約の締結において当該シーズンで個別公演に参加しなかったことが考慮される事情となり得うることは、これを否定することはできないが、それはシーズンを通じて一定水準以上の合唱団員を安定的に確保したい被控訴人(A財団)が新たなシーズンにおける契約に臨む際に判断要素とするかどうかの問題であって、基本契約から個別公演への出演が法的に義務付けられるかどうかは別次元の問題というべきである)ということで、控訴人(国)の解釈は失当と判断しております。
 22頁の事件は、業務委託契約に基づきまして、住宅設備機器の修理補修等を行うカスタマーエンジニア(以下「CE」という)らが加入する労働組合が団体交渉申し入れたところ、CEは労組法上の労働者に該当しないとして、団体交渉に応じなかったため不当労働行為に該当するとして申立てを行ったものです。大阪府労委、中労委、東京地裁は、CEの労働者性を肯定しましたが、東京高裁は否定しました。その後、国は最高裁に上告し、係争中となっております。
 ?U.中労委の命令の要旨では、(1)会社組織の組込み、(2)契約関係の一方的決定、(3)業務の遂行に関する会社の指揮監督、(4)業務依頼に対する諾否の自由、(5)報酬の労務対価性等で結論を判断しております。特に、23頁(4)の1つ目の○の最後の行の辺りに、かなり実態的な判断をしておりまして、CEがA会社からの業務依頼を断ることは事実上困難であると言わざる得ないという判断、次の○の2行目のところで、CEは、顧客から直接製品の修理等の業務を受注することを禁じられていることを併せ考えれば、CEがA会社以外から業務依頼を受けることは事実上困難であると判断を示しております。
 24頁の中労委の(結論)では、これらの点を総合して判断すると、CEは、A会社との関係において、労組法上の労働者であると判断されるとしております。
 次に、?V.東京高裁の判決の要旨です。この判決の中では、労組法の労働者性の基本的な考え方が示されております。1つ目の○のところで、労組法上の労働者は、使用者との賃金等を含む労働条件等の交渉を団体行動によって対等に行わせるのが適切な者、すなわち他人、(使用者)との間において、法的な使用従属の関係に立って、その指揮監督の下に労務に服し、その提供する労働の対価として報酬を受ける者をいうと解するのが相当であるとされております。
 次の○で、法的な使用従属関係を基礎付ける諸要素、すなわち労務提供者に業務の依頼に対する諾否の自由があるか、労務提供者が時間的・場所的拘束を受けているか、労務提供者が業務遂行について具体的指揮監督を受けているか、報酬が業務の対価として支払われているかなどの有無・程度を総合考慮して判断するというのが相当というべきと示されております。
 次の「なお」のパラグラフのところの終わり辺りに、全体的に俯瞰して労組法が予定する使用従属関係が認められるかどうかの観点に立って判断すべき考え方が示されております。
 次の○から、具体的な事案についてみてます。下から3行目辺りに、とりわけ、自らが事業者として行う修理補修等の業務を行うとの理由で拒絶することが認められること、拒絶した場合に、A会社は債務不履行とは解しておらず、というような形で契約の文言に着目して判断する姿勢が行われると思います。
 最終的には、25頁のいちばん下に、以上の次第であるから、CEは、A会社との関係において労組法上の労働者に当たるといことができないと判断されております。
 26頁の最後の事件では、業務委託契約に基づきまして、音響製品の修理等業務等を行う個人代行店により結成された労働組合が団体交渉を申し入れたところ、個人代行店は労組法上の労働者に該当しないとして、団体交渉に応じなかったため、不当労働行為に該当するとして申立てを行ったものです。大阪府労委、中労委は、個人代行店の労働者性を肯定しましたが、東京地裁、東京高裁は否定しました。その後、国は最高裁に上告し、係争中です。
 26頁に、?U.中労委の命令の要旨が書かれてます。中労委の命令では、(1)個人代行店の企業組織への組込み、(2)契約内容の一方的決定、(3)業務遂行上の指揮監督の有無、(4)業務指示に対する諾否の自由の有無、(5)報酬の労務提供への対価性、(6)会社への専属性などで総合的に判断されました。最後の28頁の2.結論で、個人代行店は、会社との関係において、会社の指示の下に労務を提供し、その対価として報酬を受け取っている者として、労組法第3条にいう「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者」にあたり、かつ、同法第7条第2号にいう「雇用する労働者」に当たると認めるのが相当であると判断されております。
 次は、?V.東京高裁の判決の要旨です。東京高裁の判決でも労組法上の労働者についても基本的な考え方が示されてまして、1つ目の○では、労組法上の労働者は、同法の目的に照らして使用者と賃金等を含む労働条件等の交渉を団体行動によって対等に行わせるのが適切な者、すなわち、労働契約、請負契約等の契約の形式いかんを問わず、労働契約上の被用者と同程度に、労働条件等について使用者に現実的かつ具体的に支配、決定される地位にあり、その指揮監督の下に労務を提供し、その提供する労務の対価として報酬を受ける者をいうと解するのが相当であるとされてます。
 次の○で、具体的判断要素が示されておりまして、労務提供者に業務の依頼に対する許諾の自由があるるか、労務提供者が時間的・場所的に拘束を受けているか。業務遂行について使用者の具体的な指揮監督を受けているかなどについて、その有無ないし程度、報酬が労務の提供の対価として支払われているなどについて総合考慮して判断すべきものと解されると示されております。
 3つ目の○では、これらをどう見るかについては、この○の中の3行目辺り、委託者と受託者の関係を全体的に見て、労組法の目的に照らし、使用者による現実的かつ具体的な支配関係が認められるか否かといった観点から判断すべきとされています。
 次の○で、個人代行店と会社とが協議を行って決定する仕組みで決定される営業日、営業時間数、受注可能件数の枠内では、特段の事情がない限り、出張修理業務を拒否できないが、その範囲外では拒否する自由があり債務不履行にはならない。28頁のいちばん下の2行ですが、委任契約において、個人代行店が他企業から同種の業務を受託することは制限されておらず、A会社からだけ受注する営業することも、そうでないこともできる、というような契約の文言に着目したりしております。
 29頁の2つ目の○で、「そして」という段落の2つ目のパラグラフに、出張修理業務について場所的に制約があるのは、修理を依頼する顧客の住所地と個人代行店の所在地との関係で生ずる制約に過ぎない等々といったことも判断を示しつつ、最終的には30頁の最後の○で、個人代行店は、自己の計算と危険の下に業務に従事する独立の自営業者の実態を備えた者として、A会社から業務を受注する外注先と認めるのが相当であると示されております。資料4は以上です。
 次に、資料5「労働基準法研究会報告」をご覧ください。こちらの資料は、昭和60年労働基準法の労働者の判断基準について、労働基準法研究会でまとめられたものです。具体的には、1頁から4頁までが一般的な判断基準、それ以降は具体的な事案といたしまして、傭者の運転手と、在宅勤務者の判断基準が個別ケースとともに示されております。
 1頁の第1労働基準法の「労働者」の判断の1つ目のパラグラフをご覧ください。ここでは労働基準法の「労働者性」の有無は「使用される=指揮監督下の労働」という労務提供の形態及び「賃金支払」という報酬の労務に対する対償性によって判断されて、この2つの基準を総称して、「使用従属性」と呼ぶとされております。
 その下、第2「労働者性」の判断基準をご覧ください。「労働者性」の判断に当たっては、雇用契約、請負契約といった形式的な契約形式のいかんにかかわらず、実質的な使用従属性を、労務提供の形態や報酬の労務対償性及びこれらに関連する諸要素を勘案して総合的に判断する必要があるとされております。1「使用従属性」に関する判断基準のうち、(1)「指揮監督下の労働」に関する判断基準としては、イ、仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無。ロ、業務遂行上の指揮監督の有無。ハ、拘束性の有無。ニ、代替性の有無が挙げられています。ただし、ニの代替性の有無は、指揮監督関係の判断を補強する要素とされております。3頁の(2)報酬の労務対償性に関する判断基準については、いろいろ書いてますが、「しかしながら」で始まるパラグラフの最後の辺りになりますが、報酬の性格が使用者の指揮監督の下に一定時間労務を提供していることに対する対価と判断される場合には、「使用属性」が補強されるとされています。
 次に、「労働者性」の判断を補強する要素として(1)事業者性の有無、(2)専属性の程度などが挙げられております。
 長くなりましたが、事務局からの説明は以上です。

○荒木座長 どうもありがとうございました。それでは、資料2~5までご説明いただきましたが、まず資料2をご覧ください。「労使関係法研究会」当面の検討スケジュール(案)となっておりますが、このスケジュールについてご質問あるいはご意見があればお伺いしたいと思います。いかがでしょうか。特段よろしいでしょうか。
 では、第2回は、中労委の命令・裁判例の考え方、これについては山川委員にご説明いただく予定になっていますが、そういうことでよろしいでしょうか。それから、諸外国の状況、組合の成立ちの経緯ですが、今回ご参集いただいている先生方は、いろいろな国の労働法の専門家でいらっしゃいますので、事務局のほうで諸外国の状況について資料は用意しますが、資料作成にあたって、いろいろご相談させていただければと思っています。その点について、事務局から問合わせ等がありましたら、是非よろしくご教授いただければと思います。それでは、スケジュールとしては、案にあるとおりの方向で進めていきたいと考えています。
 次は、資料3~5まで労働者性に関する行政解釈、命令、裁判例、中基研の労働者性判断の基準等について、説明がありました。これについて、ご質問あるいはご意見等があれば、以下フリーディスカッションとしますので、よろしくお願いします。

○原委員 今回、労働者性について検討するということで、資料3のいちばん上のところで、労組法第3条にいう「労働者」と、労組法第7条第2号の「雇用する労働者」の違いについて、もう一度意識するというか、掘り下げて考えてみる必要があるのかなと考えました。というのは、資料4で出てきた多くの紛争は、結局は、労組法第7条第2号が直接問題になるわけですが、労組法第3条は、いわばその前提になっていると考えることができます。逆に、労組法第3条だけで紛争を解決しているというわけではないですよね。ですから、労組法上の労働者といったときに、労組法第3条だけではなくて、第7条第2号についても十分に注目して議論を深めると。例えば、会社側にとって、実際の紛争を考えてみると、自分がどういうところと団体交渉しなければいけないかという、要は予測できるかどうかということが問題になるのかと思います。その点は、労組法第3条の問題というよりは、主に労組法第7条第2号の解釈問題ということになると思うのですね。もちろん労組法第3条がいちばんベースになると思いますが、それを考えるときには、第3条と第7条第2号の役割分担というのを意識して検討していく必要があるのかなと、資料を拝見して考えました。

○荒木座長 ありがとうございます。いまの議論に触発されても結構ですが。

○竹内(奥野)委員 いまの議論は、新国立劇場運営財団事件の中労委命令が、第3条の「労働者」に該当するか否かの判断と第7条第2号の「雇用する労働者」に該当するか否かの判断を分けて検討する考え方を提示していることを受けたものだと思います。この点は、確かに、論理的に分けて考えるべきだというのは、原委員のご指摘のとおりだと考えます。ただ、その上で、最近の学説では、第7条第2号にいう「雇用する労働者」については、結局、第3条の「労働者」と、その内容あるいは性質の観点では同じである、あとはその関係が「ある」か「ない」か、誰との関係で当該関係があるかないか、言い換えますと、第7条第2号は、第3条にいう「労働者」としての労務供給契約の関係が、誰と誰との間にあるかという関係性の有無だけだという考え方をする学説もあります。ですので、この点は、学説等の議論も見ながら検討していく必要があると思います。
 また、その点に関して、CBC管弦楽団労組事件最高裁判決、一般論は述べていない事例判断ではありますが、現在唯一の最高裁判決ですので、これがどういう判断を示しているかも、これは本研究会の2回目以降で検討されるべき事柄だと思いますが、きちんと検討する必要があると思います。CBC管弦楽団労組事件最高裁判決の判断では、第3条の「労働者」に該当するから、即ち第7条第2号にいう「雇用する労働者」に当たる、したがって団体交渉拒否は不当労働行為に該当すると認められるという形の判断になっています。第3条の「労働者」に当たることを判断して、付加的な判断を何もせずに、そのまま第7条第2号の該当性を判断している、判決文の記載上はそうなっており、この点も含めて、論理的には分けて考えるけれども、では具体的にどう違うのか、あるいは、あまり違わないのかを、考える必要があると思います。
 更に、この点に関してもう1点、第3条は、労働組合の主たる構成員となって、そして、団結して団体交渉を含めて団体行動をすることに関わる規定だと思います。憲法第28条の「勤労者」は、学説は、全ては調べてはいませんが、基本的に、労組法第3条の「労働者」に該当する場合には勤労者にも当るとしていると思います。そうすると、憲法で定めている団結権、団体交渉権、団体行動権は、労組法第3条にいう「労働者」であれば認められるということになると思うのですね。他方で、労組法第7条第2号というのは、私法上の効力についていろいろ議論はありますが、本来的には不当労働行為の行政救済のための規定ですよね。ですので、第3条にいう「労働者」に当たるけども、第7条第2号、すなわち、行政救済の観点では、何か別異に、救済しない場合があり得るのか、そういうことが認められるのか。第7条第2号は少なくとも本来的には行政救済のための規定で、第3条は、労組法全体、引いては憲法第28条の権利の享有主体を定めていると思います。そういう法的な効果の違い等も、第3条と第7条第2号の違いというところを検討するにあたっては、考慮する際の検討視角としてあってもいいのではないかなと考えています。

○荒木座長 はい、ありがとうございます。

○橋本委員 いまの議論についてですが、私自身は最近、新国立劇場の中労委命令で出たような、第7条第2号の雇用する労働者というのは、特別に第3条と分けて議論する意味があるのか疑問に思っています。いま原先生がおっしゃったことは、まさに第7条第2号の問題で、従来、使用者概念の問題として議論されてきた論点だと思います。第7条2号は、労働者ではなくて、使用者は誰を相手に団体交渉を要求するのかという使用者概念の問題なので、第3条の労働者概念の問題の中で第7条2号を議論するのは、少し混乱しているのではないかと思います。最近の学説や新国立劇場の中労委命令については、そういう評価をもっていますが、竹内先生がご紹介してくださったようなCBC管弦楽団事件のように、楽団員らは第3条の労働者にあたるので、すなわち楽団は団交を拒否できないといった、その直結させた議論というのは、団交の相手方、すなわち使用者が複数あり得るという事案ではないので、それはごく当然の判断ではないかと思っております。その点については、最近の学説、また中労委命令のほうで、ちょっと混乱があるのではないかという評価をしています。
 この点について、実は私も質問があります。事務局の資料4の最初のほうの見出しであるように、中労委命令について中労委資格審査が争われたのか、団交拒否事件として争われたのか、意識的に整理されていると思うのです。その点で、竹内先生もご指摘があったかと思うのですが、資格審査だけが問題となった場合と、団交拒否事件として不当労働行為として上がってきたときの労働者の判断というのが、実際どのくらい違うのかというところが、労働委員会の実務を知らないので、この研究会にあたり、先生方にご教授いただければと思います。以上です。

○荒木座長 はい、いまのことで何か事務局からお答えがあればお聞きしたいと思いますが、いかがですか。

○平岡補佐 ちょっと明確にお答えできないかもしれないですが、いま挙げておりましたのは東京電力の常傭職員労組とか、東京ヘップサンダル組合については、もともと昭和30年代の事件でした。ひょっとしたら、そういう紛争めいたものもあったのかもしれないですが、我が方でコンメンタールとか中労委の過去の年報とかを見て調べられる範囲で、こういった関係で労働者性が認められたというものがわかったものなので挙げたものです。現時点で、資格審査の関係と不当労働行為の事件によって、実務がどう違っているかというのは、すみませんがお答えできません。
○荒木座長 私は、都労委で不当労働行為に関与していまして、また資格審査もやっています。資格審査は、もちろん不当労働行為の救済手続を利用できる資格の確認でもありますが、同時に労働組合が法人格を取得するための資格審査もあります。それから、労働組合が労働者供給事業をやる資格があるかということでも資格審査となりますので、不当労働行為以外についても広く資格審査手続が適用されるものであります。不当労働行為に限ったものではないということは1つあります。先ほど竹内先生から指摘があったように、労組法第3条は労組法にいう労働者全体を定議しております。そして、原先生が指摘された第7条第2号というのは、あくまで不当労働行為における団交拒否救済の規範としての雇用する労働者というものです。そこに何か違いがあるのかないのか。これについては、先ほど橋本委員が指摘されたように、中労委は新国立劇場では、そこを分けて議論しているのですが、その後は、中労委命令も必ずしも分けていないようでもありますので、1つこれは議論すべき論点かなとは思っております。

○竹内(奥野)委員 1点補足だけですが、東京電力常傭労組事件や東京ヘップサンダル工労組事件は、中労委年報に概要が載っているのですが、それによるといずれも法人登記の目的での資格審査を求めた事案のようです。

○荒木座長 ありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。

○竹内(奥野)委員  原先生や橋本先生からご指摘あったように、判断枠組みをどう考えるかという点が、まず検討すべき点だと思います。その判断枠組みの中で、これもご指摘あったように、第3条の「労働者」性と、労組法第7条第2号にいう「雇用する労働者」の異同、あるいは論理的に区別しても実際中身は同じかどうかといった点を議論する必要があると思います。
 また、近年の裁判例を見ていると、労働基準法上の「労働者」性とほとんど同じ判断枠組み、具体的な判断もそのようではないかと見受けられますが、そのような判断枠組みが示されております。労働基準法上の「労働者」の判断枠組みと同じように解していいかどうか、異なるべきだと私は考えておりますが、判断枠組みとして労働基準法上の労働者概念との異同も議論しておく必要があると考えております。
 また、これは判断枠組みというか、もう少し細かい点になるかと思いますが、特にINAXメンテナンス事件の高裁判決では、業務委託契約と労働契約との区別が重要視されています。そして、このこととの関係で、INAX事件の高裁判決では、業務委託契約において、労働契約のように指揮監督関係と評価できる面があるけれども、その一面のみを取り上げるべきではなく、全体を俯瞰した判断をすべきとしているのですが、実際判決文を読むと、「労働者」性を基礎づけると思われる事実については、業務委託契約に基づくものその、性質に由来するものだとしています。ほとんど結論の先取りではないかと思う節もあって、そこで取られている労働契約とそれ以外の契約を区分する際の考え方は、これまでの労働委員会の命令等で取られてきているものとは、異質なものではないかと思っています。もちろん裁判所は労働委員会の命令について審査できますので、裁判所として、あるべき考え方を示しているだけなのかもしれませんが、業務委託契約等との区分をどう考えるかを検討する必要があると思います。この点は、業務委託契約から出発してそれからどれだけ離れているかを見る見方と、労働契約から出発してそれからどれだけ離れているかを見る見方の違いにも影響されるかもしれませんが、そのような点も検討していく必要があるかと思います。
 更に、検討視角との関連で言えば、契約上の定め、あるいは法的にどのように義務づけられているか等々を検討する点に特に注目するか、実態面も含めて広く見ていくかというところも検討していく必要があるかと思います。これらを含めて、先ほど第3条と第7条2号の関係の話でも申し上げましたが、事例判断ではありますが、CBC管弦楽団労組事件最高裁判決の理解を、もう一度議論ないし確認しておくことが必要ではないかと考えております。

○有田委員 先ほど来、議論になっている第3条と第7条第2号の関係の問題で、これは私の推測にすぎませんが、最近の判決で、労基法上労働者性を判断しているかのような、使用従属性に着目した、過度にと言っていいかもしれない判断が出ているのは、あまりにも第7条第2号の「雇用する労働者」の「雇用する」というところに引きずられているのではないかと考えております。第3条と第7条第2号が区別されないがゆえに第7条第2号に引きずられて、「雇用する」というところが過度に捉えられ強調されて、労基法と区別がつかないような判断基準が用いられる判断が裁判所で出ているのではないかと私は思っています。そういう意味で、第3条と第7条第2号の関係の問題は非常に中心的な論点というか、そこをきちんと整理することが必要ではないかと思います。
 お配りいただいた資料2でも、そもそも労働組合の成立ちの経緯についても次回議論するということでご案内いただいていますが、私が比較法でやっているイギリスなどもそうですが、もともと個別的な関係でも労働者性は非常に曖昧で、出発当初は完全に自営業者ではないかというものまで、コモン・ロー上雇用契約の対象であるかのようなサーバントとしての扱いとか、そのような権利義務関係の下で判断するものも判例としてあったぐらいです。ですから、そういう人たちが自分たちの利益を守るために労働者組合を作って、対抗関係にある労務を提供する相手方との間で団体交渉をする、争議をかけるということが行われてきたというのが歴史的な経緯です。
 資料3で、我が国においても労組法が制定された当初想定されていたような労働者像や労働組合像は、おそらくそういうものがあって、国会でのやり取りのような形が出てきているのではないかと思うのです。それを今日的にどのように受け止めて、最終的に第7条第2号のところで争われるときにどのように判断していくかという問題はあると思いますが、法律の作りの問題としても第3条があって、労働者性が認められて労働組合だと。その中で、次に出てくるものが第7条第2号のはずなので、判断の順番としては第3条があって第7条第2号があるという関係にくるのが本来の形ではないかと、私自身は思っております。いずれにしても、この点はかなり中心的な論点になるかと思いますし、そういう意味ではいろいろな歴史的な経緯も含めて、掘り起こした検討が必要ではないかと考えております。

○荒木座長 ありがとうございます。いままでの議論は労組法の中での第3条と第7条でいう労働者、あるいは雇用する労働者の概念の異同が中心ですが、もう1つ出てきている問題が、個別法上、労基法上の労働者と労組法上の労働者の異同です。両社は、法律上も定義が違っておりますが、違うものだと考えてきた。それが最近の裁判例、特に労働委員会命令を取り消している裁判例では、ほとんど個別法上の判断と区別がつかなくなってきているかのようでもあるのです。有田先生はその点をご指摘なさったと思いますが、諸外国では労働者概念を個別法と集団法で区別して捉えているのかどうか、次回詳しくやると思いますが、この辺も考えて、労働者概念を統一的に考えるか、それとも集団と個別で分けて考えるのか、さらには個別法の中で分けるのか、そういった議論もあるかと思います。これは橋本先生がご専門ですが、何かございますか。

○橋本委員 ドイツの労働者概念について、簡単にご紹介します。ドイツには、個別法も集団法も含めて単体の法律がたくさんあるのですが、それらは全部「労働者(Arbeitnehmer)」という言葉を使っていますが、定義規定はありません。ですが、解釈で「労働者」は統一的な概念であると整理されていて、これが確立しておりますので、日本とかなり状況は違うのかもしれません。統一的労働者概念を前提として、一部の労働法規を拡大するために、すなわち、一部の自営業者に拡大するために、第3のカテゴリーとも言われる労働者類似の者という概念が作られているので、その前提となる労働者は統一的だという解釈は、やはり確立していると言えると思います。
 先ほど竹内先生が判断枠組みとおっしゃいましたが、私はその意味を判断基準と受け止めたので、本当はもっと広いお話をされたかもしれませんが、判断基準の問題に限定しますと、判断基準という点で日本は労基法と労組法は違うということになっているのですが、違うと言われている割には、労基法上の労働者性の使用従属性の判断基準自体もいろいろな要素から成り立っていて、ドイツと比較するといろいろな要素が入り込んでいるところが特徴ではないかと思っています。
 例えば、指揮監督下の労働が労基法の使用従属性の中核となる概念なのですが、具体的指揮監督とか、時間的・場所的拘束だけではなくて、補強する要素として事業者性の有無、機械器具の負担関係、専属性という要素も日本では考慮されています。ドイツではこれらの後者の要素は経済的従属性と言って、労働者概念からは外しています。人的従属性という、指揮監督下の労働という狭い基準だけで見ています。そこで概念の整理を図って、労働者類似の者については経済的従属性が重視されています。全部の自営業者が労働者類似の者にはならないので、そこは収入額や専属性で切っているのですが、労働者と労働者類似の者を概念の判断基準の上でも明確に区別しているところがドイツの特徴ではないかと思います。日本の場合は、労基法は労働者概念が広く、もともといろいろな要素が入ってくるので、いまそれをどうこう言うつもりはありませんが、労組法は広いと言っても、現行の解釈を前提とする限り、基準では区別できないのではないかと思っています。
 そこで次回の議論だと思いますが、中労委が組織への組込みという概念を図って独自の基準を出してきたところをどう評価するかという論点につながると思うのですが、もともとの労基法の使用従属性基準が広いと言えるので、基準で区別するのは労基法を狭めない限りは無理があるのではないかと見ています。私の理解は、当てはめというか、評価が緩やかなのが労組法で、労基法は評価が厳しいと、そのレベルの違いにとどまるのではないかと思っています。その点も、概念の異同をはっきりさせるのかという点も含めて議論になっていくかと思います。

○竹内(奥野)委員 労基法上の「労働者」概念も、判断基準にはいろいろな要素が入っており、そもそも広いという点は、非常に興味深く聞かせていただきました。そのこととの関係で、「労働者」性の判断では、例えば、時間的・場所的拘束とか、具体的な業務の指揮監督とか、専属性とか、いろいろな要素が挙げられています。労組法上の「労働者」性でもこれらの要素はしばしば出てくると思うのですが、それぞれの要素が「労働者」性に関わる何を基礎づける要素なのか、「労働者」性判断における各要素の位置づけについて、用いられている概念がどのような性質を基礎づけるのかが、裁判例や学説で必ずしも十分議論され、整理されていないという印象を受けます。判断基準における各要素、そもそもどのような要素を考慮するかも検討すべき点ですが、それらの各要素をどのような性質を基礎づけるものとして理解するかも、整理・確認をしておく必要があるかと思います。

○原委員 橋本先生のコメントは非常に興味深いと思いました。労基法上の労働者と労組法上の労働者で基準を分けていることの意味は何かということ、つまり考え方としては、労基法上の労働者も労組法上の労働者も同じ基準で判断するという解釈の可能性も、この研究会で検討していくことになるわけでしょうか。それも排除しないで、違うということを当然の前提としないで、そこまで遡って検討することになるのでしょうか。

○荒木座長 当初のスケジュールで、来年の中頃にまとめるということですと、どこまで根本論をやるかという問題はもちろんありますが、議論の過程では労基法上の労働者性判断とどこが違うのか同じなのかを留意しながら議論しないと、議論していることの意味も曖昧になってくるかと思います。問題意識としては常に持って議論したほうがいいかなと思っています。

○原委員 そこで思うのは、労組法上の労働者概念が広いとか、当てはめについても緩くなりますが、それは実際に紛争はどういうときに起きるかと考えると、会社にしてみればその組合と団体交渉をしなければいけないのだということに後からなってしまうと、そこで困るということがあると思うのです。どういう人たちが労組法上の労働者に当たるのかについて、理屈はもちろん、理論的な検討が大事なのは言うまでもないとして、特に会社側等にとってよくわかるような基準を考えていくことが必要なのかなと思うのです。基準が曖昧なままで、何となく労組法上の労働者は広いのだということになると、どういうときに団体交渉に応じなければいけないのかというところがわからなければ、結局紛争がどんどん増えていくだけだと思いますので、基準をどのように立てていくかということがあるのだろうと思います。
 もう1つ思うのは、そこで労働組合の形態を考えたときに、企業別労働組合が1つ柱としてあって、あとはコミュニティ・ユニオンとかいろいろな形の一般労組があったときに、そこで労働者概念をイメージするところが違うような気もするし、同じような気もするのです。企業別労働組合を前提に考えた場合と、企業にベースを置かない労働組合をベースに置いて考えた場合に、労働者概念はどのように変わってくるのか変わってこないのかも、労働組合の形態というところからも考えてみる必要があるのかなと、漠然とですが思います。

○竹内(奥野)委員 いま2点ご指摘があったと思いますが、1点目を言い替えると、判断基準としての、あるいは判断要素としての明確性ということではないかと思います。最近の裁判例は、労組法上の「労働者」性について、労基法上の「労働者」性とほとんど同じではないかと考えられる判断基準を示して、具体的判断についてもそれに近い形で判断していると思われるのですが、これは、労基法上の「労働者」性に依拠すれば明確というわけではないと思いますが、労基法・労組法2つのばらばらな判断基準があるよりは、どちらか1つのほうがシンプルで判断しやすいという考慮もあるのではないか、そういう趣旨に近い指摘も、学説上存在します。そういう意味では、この検討会で何か具体的に何か新しい基準を作るいったことをするかどうかは知りませんが、原先生がご指摘された通り、判断基準の明確化も検討されるべき課題として、留意する必要はあるという気がしております。
 2点目は、組合の組織形態との関係での話だと思います。これは今後議論していくべきところではあるかと思います。労組法第7条1号の不利益取扱いとの関係で、採用が不利益取扱いに当たるかどうかという点に関しても似たような議論が存在すると思いますが、労組法は、現時点で私が知る限り、組合の組織形態がどのようなものであるかについては区別せず、2条の定義に合致すれば助成を与えることになっていると思うのです。そういう意味で、2条に該当する労働組合が、組織形態が具体的に企業別であるとか、企業を超えた組織であるとかということによって、「労働者」性に違いが生じるか否かについては、基本的に同じで、違いが生じないことになるのではないかと思っております。

○有田委員 確認しておきたいのですが、次回、外国の法制を半分中心的にやるということですが、その際どの辺を押さえていけばいいのかということです。先ほどの橋本先生のお話の中でも、ドイツはかなり統一的に労働者概念を据えておいて、そこで不具合が出てくる部分を労働者類似のものということで、これは個別の法律ごとに適用対象者をそれで付加する、しないという形で立法政策的に判断がなされて、対象にするということになっているということでよろしいのでしょうか。
 私もまだ十分に調べているわけではありませんが、イギリスでは集団法・個別法の統一性はもともとないのです。法律ごとにEmployeeなのかWorkerなのか、Workerまで適用対象にした法律なのかどうなのかは、それぞれの個別の法律ごとに適用対象者の定義、規定が設けられています。集団的労使関係のルールを大部分規定している法律はWorkerまで入れている。だから、日本でいうソクハイのケースやINAXのケースの人たちはおそらく入ってくる。つまり自らが直接労務を提供して、それに対して報酬が支払われる関係にある人を広くWorkerとして定義して、そこまでを集団的労使関係を大部分規律している法律では適用対象にしているので、イギリスの場合はかなり違っている。まだ調べていないのではっきりしたことはわかりませんが、1971年に労使関係法ができて以降、集団的な側面のみならず個別的な側面も法的な規制が、イギリスの場合はその時代以降急速に入ってきたという歴史的な特色がありますので、それゆえに個別的に個々の制定法ごとに対象者を設定する。
 また、イギリス独自のものとして、本来の法である判例法としてのコモン・ローがあって、それを修正するということで制定法ができる。そういう二元的な法システムというか、その特徴の中で、適用対象ということでそれぞれの法律ごとにという形がでてくる。だから、日本の労基法や労組法の議論をするときも、基本的に労働者概念は統一的にドイツに近いものを据えていって、そこをもう少し広げるといった議論の仕方になっていると思うので、そういう違いも押さえて、明確になるような形で、その上で日本の解釈問題としてどうするかを次回以降、議論していくという理解でよろしいでしょうか。

○荒木座長 基本的にそういうことだと思います。労使関係法研究会ですので、個別法の労働者概念まで全部ここで議論するということではなく、フォーカスは集団法、労組法上の労働者概念は何なのか、とりわけいま問題となっているのは、不当労働行為の救済対象となる労働者についていろいろな見解が出されて、統一を見ていないという状況について少し考え方を整理できたらと思っております。
 有田委員のご指摘は非常に重要だと思います。労働者概念を議論してどういう効果を認めようとしているのか、これを考えながら検討しなければいけないと思うのです。日本の場合、不当労働行為制度で労働者に当たらないという理由で団交拒否をしたのが不当労働行為かという形で、まさに不当労働行為制度上の団交義務違反が問われているということです。行政委員会が命令を出して救済を与えるという団交義務が課されている国は、母法がアメリカですからアメリカ、カナダ、日本、韓国、フィリピンといったアメリカ法を継受した国だけで、ヨーロッパにはそもそも団交義務という概念はないわけです。フランスがオルー法を1982年に制定して、フランスが団交義務入れたのは例外ですが、イギリスは団交義務という概念はいかがですか。

○有田委員 自主的な承認組合との協議をしない場合の救済の仕組みが、類似しているものではないかと思います。

○荒木座長 ドイツは、基本的に使用者が団交に応じなければ、組合が団交に出てこいとストライキを起こすしかない。国家が団交義務違反を救済するシステムにはなっていないので、団交義務を負う労働者かどうかは法的には議論していないと思います。つまり、労働者と認めることによってもたらされる効果が、おそらく国によって違っている。そこも踏まえながら、集団法でどういう人を労働者と観念しているかという辺りを検討できたらと思っております。
 いま日本は、典型的には労基法上は使用されている者ですから、失業している方が労働者になることはあり得ませんが、労組法上は使用されているという観念がありませんから、失業者でも労組法上の労働者にはなり得るという限りでは、概念が違うことはどなたも認めることだと思います。しかし、橋本先生がおっしゃったように、判断枠組みは違うかというと、失業者の点を除くと同じかもしれない。何が違うかというと、判断要素の評価が違うのかもしれない。そういう程度の問題なのか、それとも枠組みも違うのかというのが1つです。
 今回、資料4の24頁、これはINAXメンテナンスの東京高裁判決ですが、?V.の最初の○では「労組法上の労働者は、使用者との賃金等を含む労働条件等の交渉を団体行動によって対等に行わせるのが適切な者」と言っております。要するに、団体交渉で労働条件を決めるのが適切な人という趣旨だと思われます。そうすると、労働者概念は個別法より広いのだという議論をしているのですが、では労働契約概念はどうなるのか。
 労組法第16条は、労働協約を結んだら、それが規範的効力を「労働契約」に及ぼすと言っているのですが、ストライキも構えてせっかく団体交渉して結んだ協約が、その労基法より広い労働者が結んだ契約が、仮に労組法第16条でいう「労働契約」でないとすると、規範的効力が生じない。そのために団交させるのかという議論を生じ得ます。ひょっとすると、裁判所はそういうことも考えて、労基法より広い労働者概念を認めることに躊躇している可能性もあるかもしれないと思われますので、労働者概念を議論することは、同時に労組法にいう労働契約とは何なのかということも詰めておかないと、現在の労働委員会と裁判所の見解の対立をうまく解明することにならないかもしれないと思っております。
 そういう意味では、個別法と集団法の概念は違うのだということから出発していますが、どこまで違うのか、どこまで議論が整理できるのかということを少し検討できたらと思っております。

○有田委員 少し補足ですが、先ほどのイギリスの話で誤解を招きそうなので、日本でいうような包括的な団体交渉権はやはりないと思います。個別の法律ごとに承認組合との間の協議が義務づけられているだけですので、我が国でいうような団交応諾義務を使用者に一般的に課したという形にはなっておりません。そういう意味では、ヨーロッパの基本的な形と同じかもしれません。

○荒木座長 原委員からの、明確性が必要だというご指摘がありましたが、これも非常に大事なことで、個別法上も同様に、一体誰が労働者かがわからず紛争になっているということです。うろ覚えですが、たしかイタリアでは労働者性をはっきりさせるために、労働者性を判断する特別のルート、あるいは機関を作って、そこでこの人は労働者かどうかを判断するという仕組みを2000年代になってから設けたと聞いたことがあります。総合的に判断するという枠組みの場合は、結論が出るまで誰も予測できないという問題性があるのも事実です。そこをなるべく最終的に最高裁が法的に判決するまでわからないのではなくて、現場の当事者がわかって行為規範にできるような枠組みができれば理想的だと思います。いろいろな実態がありますから、どこまでできるかわかりませんが、重要なご指摘だと思います。ほかの点で結構ですが、何かございますか。

○橋本委員 荒木先生が指摘された点は非常に重要な点で、自分の意見はまだ全く固められていないのですが、論理的に考えれば労組法上の労働者性を認めれば、団体交渉の結果、締結された協約の規範的効力が及ぶと考えるのがこれまでの普通の考え方だと思うのです。それが妥当なのかという問題意識は非常に重要だと思って、検討したいと思っております。
 その点と、先ほど原先生がおっしゃった前提とする労働組合のあり方が、労組法上の労働者概念を考えるにあたって影響するのではないかといった問題意識も非常によくわかります。この点が直接にどう議論に影響するかは整理できていないのですが、INAX事件等々も何か紛争が生じて一般労組にいった事案だと思います。日本の労組法の学説や判例は企業別労組を前提として組み立てられてきたと思うので、その辺の違い、もっと言うと協約締結を意図してはいなかったとも言えるわけで、紛争解決のために団体交渉しているわけですから、このような事情を労働者概念に直結させてよいかどうか決めかねていますが、その辺の背景となる問題の違いはあると感じています。

○有田委員 いまの点ですが、私も協約を結ぶか結ばないかは当事者の自由なわけで、団交権が認められたら協約締結しなければいけないということではなくて、交渉の結果であるわけですから、当事者の意図として、協約を前提としない交渉は十分あり得ると思うのです。つまり、団体交渉は問題を解決するための1つのやり方なわけです。その際、義務的交渉事項を団交事項としてどこまで含めるかを考えたときに、必ずしも最終的に協約にたどり着かなければいけないような問題ばかりではない。例えば、解雇をめぐって、その撤回を求めて団交するという典型的な例を考えても、後処理をするために協約のようなものを結ぶかもしれませんが、必ずしもそれは必要ないわけです。解雇が撤回されて現職に戻れれば、あるいは解決金を得て去るということでもいいのでしょうけれど、問題が解決すればそれでいいわけです。
 そういうことを考えると、協約を常に前提にして団交の当事者性を考えなければいけないのかというと、そうではない可能性があるのではないかと。また、第7条第2号のところは労働者性の問題として出てくるかもしれません。例えば、使用者が「あなたは私の労働者ではない」と言えば労働者性の問題になるでしょうし、「私はあなたの使用者ではない」と言えば使用者性の問題ということになるのかもしれない。いずれにしても、対抗関係にある当事者間で、団体交渉によって問題解決できる当事者性を持っている間柄なのかが、雇用される労働者というところで判断すべきことではないかと、私自身は現時点で思っているのです。第3条や第7条や16条を全部つなげて考える必要があるのかという点は、私自身はいまそのように思っていますが、議論すべき点であろう思います。

○竹内(奥野)委員 細かい点ですが、労働協約との関係で言うと、労働協約を念頭に置かない団体交渉による問題解決もあり得るという有田先生からのご指摘もありましたし、また、債務的効力だけの労働協約も労使間で何らかの関係を構築する、あるいはその紛争を解決する中で当然結ばれ得るもので、そのようなことも考えると、労働協約として何をイメージするかにもよるかとは思いますが、労働協約を結ぶことを念頭に置いても、「労働者」性の判断はそれによって左右されないと考える余地もあるのではないかと思います。

○荒木座長 ありがとうございました。あまりいままで詰められていないけれども、詰めていくと、ああそうかと整理できる問題があることを、少し議論しただけでも、だいぶご指摘いただいたように思います。それらを踏まえると、いまの命令、あるいは裁判例の状況をどのように理解できるのかという整理もさらに進むような気がしておりますので、非常に貴重なご指摘を頂いたと思っております。
 もう1点、これは次回さらに議論すべきかもしれませんが、労働委員会命令と裁判所でいちばん違うのが、裁判所は必ず評価にあたって「法的な義務」ということで、「法的な」ということを言っているのです。例えば、諾否の自由でそれを拒んだ場合に、何ら債務不履行とはならないとか、制裁を予定されていないとか、事務局では契約の文言に着目した判断という紹介がありましたが、裁判所はそういう「法的な義務」が課せられていたかどうかというアプローチをしているようです。竹内委員はCBC管弦楽団事件との関係もおっしゃいましたが、CBCといまの裁判例の関係を整理しなければ、という趣旨だったと思いますが、いま何か考えておられることはありますか。

○竹内(奥野)委員 これはあくまで現段階のもので、今後さらに分析したいとは思うのですが、CBC管弦楽団労組事件最高裁判決の判決文がたまたま手元にあるので見ますと、CBCの判決は1文が非常に長くなっていてわかりにくいのですが、この事件における契約について、文言上は義務を負っていないように読めるのですが、そのような契約と解するのは相当ではなく、契約締結に至るやり取り等を含めて見ると、原則としては出演すべき義務があることを前提として、しかし、当然には契約違反の責任を問わないという趣旨の契約であると見るのが相当であると言っています。契約がどういう定めであるか、あるいは契約上の関係がどのようなものであるかということを検討しているように見えるのですが、この契約上の、法的な関係を判断するにあたって、契約上の文言に拘泥せずに、当事者間の実態も含めて検討していると読むことができます。実態に注目した判断と表現すべきかどうかはわかりませんが、実態も含めて、契約関係がどうであったかを検討していると思います。
 これと比較すると、最近の裁判例は、契約の定め、文言の規定のあり方にかなり傾倒している印象を受けます。近年の裁判例は、実態も含めて契約内容を解釈するということではなくて、契約の文言から直ちに契約上これこれの権利義務関係にあったのだという形で、契約関係の判断、契約内容の解釈をするにあたっての考慮要素として、実態に置くウエイトが弱くなっていると考えております。

○橋本委員 竹内先生のおっしゃるとおりだと思います。最近の裁判例では、契約で詳細に権利義務が定められていて、それについては当事者が合意したのだから、使用従属性の重要な内容である指揮命令権の表れではないと見ていると思うのです。その点は非常に労働者性を狭める方向に働きますので、問題だと思っています。
 ただ、他方でそういう考え方もあり得るので、それをどう克服するかは難問だと思います。合意したから契約上の権利義務で、労働契約特有の指揮命令権の行使ではないと言ってしまうと、就労の実態を見て労働者性を判断してきたこれまでのやり方と大きく衝突してしまうので、それを克服する理論があるかどうかわかりませんが、就労の実態を見るべきだということは強く言わなければいけないのではないかと思っています。

○竹内(奥野)委員 いまの橋本先生のご指摘に関連して、ご指摘のように、近年の裁判例は、合意しているから一方的な決定とは異なるのだとするものがあります。近年の中労委の命令では、労働契約等について一方的に決められているということが「労働者」性を基礎づける要素として挙げられていて、それを論破するために出てきている議論ではないかと思います。確かに労働契約も、特に近年は労働契約法ができて、労働関係は契約関係だということが強調されていると思うのです。そのようなことを考えると、労働関係であっても、合意して決めるのだから、一方的に決めているのではないという議論、揚げ足取りのような側面もあると思うのですが、そのような議論が出てくるのはむしろ当然だと思うのです。当然だからいいというわけではないのですが、一方的に決定しているという要素自体、どのような趣旨のものとして評価すべきか、検討する必要があると思います。比較的古い裁判例や労働委員会命令で、一方的決定という要素が挙げられていたか、あまり私は記憶がありません。むしろ最近の中労委命令で、例えばソクハイ事件などで、挙げられるようになった要素ではないかと思っております。
 なお、ソクハイ命令は、一方的決定の要素に関してかなり慎重な言い方をしていて、当該労務供給の「契約の全部又は重要部分が、実際上、対等な立場で個別的に合意されるのではなく、発注主により一方的・定型的・集団的に決定されているか」と述べています。一方的決定と言っても、個々に話し合って決めたものではないという意味での一方的なもののようです。一方的な決定の中身を、就業規則等で定められる場合も含めてなのでしょうけれども、もう少し詳しく言い直しています。そういう意味では、実態をよく見るという判断をすべきというところももちろんありますし、これとならんで、先ほど申し上げたように個々の要素がどのような意味合いのものとして用いられているか、ここも解釈論として見る場合には細かく見ていく必要があるかなという気がします。

○荒木座長 最近の裁判所の評価で非常に特徴的なのは、21頁の2つ目の○の新国立劇場の高裁判決ですが、個別公演に出演しなかったからと言って法的責任の追求を受けたことはないし、不利益を被ったこともないと。次年度以降に断ったということが考慮される事情となり得ることを否定することはできないけれど、それは個別公演の出演が法的に義務づけられるかどうかとは別次元の問題だと。いまの高裁の法的な義務は、諾否の自由のところで、断った場合に当該期間中に制裁があるかという視点で見る。当該機関中に制裁はないけれど、次に影響することはある、というのは法的な義務とは別の問題だと整理しているのです。
 9頁のCBC管弦楽団労組のほうは、最高裁の最初の○で、不可欠な演奏労働力を恒常的に確保しようという趣旨から、自由出演契約にしていると。これはもともと自由出演契約ではなくて、専属出演契約を結んでいた。その次に優先出演契約に変えて、最後に自由出演契約にしたと。でも、どういう形態を取ろうとも、とにかく労働力を確保しようという意図で契約を結んでいるというのが使用者の意向であると。この点は、国立劇場でも同じようなことを言っているのですが、その点についての評価がCBCのほうは9頁の下から2番目の○に書いてありますように、自由出演契約ですから、出演しなくても制裁はないはずなのです。だからと言って、楽団員の演奏労働力処分につきA会社が指揮命令の権能を有しないものと言うことはできないという評価をしているわけです。ですから、これは当該自由出演契約で断ったら、次からは仕事はこないと思って労働者は行動するということも踏まえた評価になっていると思われるのです。
 そのような評価がいまの国立劇場では、それは制裁する権限が契約上設定されていないという評価になっているようにも思われます。その辺をどう評価すべきかというのも、法的義務を考える上では重要かと思っております。実は、CBCは「法的な義務」ということはどこにも言っていないのです。CBCの最高裁の調査官解説がこれは「法的な義務」がある事例だったのだと言ってから、「法的な義務」という議論が以後なされるようになったような気がしていますので、その点もCBCに戻って解明できたらという気はしています。

○竹内(奥野)委員 いまの点に補足ですが、繰り返しになりますが、CBC管弦楽団労組事件の最高裁判決が何を言っているのかということは、改めて確認する必要があると思うのです。いま荒木先生がご指摘なさった点とも重なりますが、CBC管弦楽団労組事件の最高裁判決でも「指揮命令」という言葉が出ているのですが、そこで言う指揮命令は、「労働力の処分につき会社が指揮命令の権能を有しないものということはできない」という形で言われています。指揮命令と言う場合、通常は、具体的にああしろ、こうしろという指示のときに使われる言葉であると思います。これに対して、この最高裁判決は、細かい指示を与えるかどうかとは別に、労働力を使うことそのものについて、一方当事者が権限を有していたことをもって「指揮命令」関係にあったと判断したとも読むことができると思うのです。このように、使われている要素ないしは表現の内容は、もう少し慎重に検討し直す必要があるかなと思っております。

○有田委員 私の誤解かもしれませんが、最高裁が指揮命令と言うときに、個別の労基法上の労働者性の判断のときにはかなり厳しく、これは通常の請負から出ている指図にすぎないから指揮命令とは言えないという判断をしています。他方CBCの場合は、楽団員が原則としてこれに従うべき基本的関係がある以上、それは指揮命令関係の権能を有していたと、かなり緩かな。
 そういう意味では、このあと出てくる最高裁判決で変わるかもしれませんが、これまでの2つの判決を比較すると、労基法上の労働者の場合の判断と同じ指揮命令という言葉を使っていても違いがあるのかと、いまの議論を伺っていて考えました。先ほど橋本先生が言われた、枠はかなり似たものを使いながら、判断の仕方、評価の仕方、程度の問題としての違いを最高裁判決の中に伺い知ることができるのではないかと思います。これもそういう理解でいいかどうかわかりませんし、もしこの研究会の途中に最高裁判決が出て、また違う判断基準枠組みが示されれば、それはそれで検討しなければいけないことになるでしょうから、何とも言えませんが、一応そういうことを気づいたということです。

○荒木座長 ほかに何かご指摘はございますか。大体時間になりましたが、今日は、これからもっと深めたいという非常に有益な視点を提供していただいたように思います。次回は中労委の命令、裁判例の考え方について引き続き検討を深めたいと思いますし、諸外国の状況も我々の問題意識から理解を深めたいと思っております。
 それでは、次回の日程等について事務局からご説明をお願いします。

○平岡補佐 次回の日程は、年明けの1月26日(水)10時から12時を予定しております。場所については調整中ですので、決まり次第ご連絡させていただきます。

○荒木座長 それでは、次回は1月ということにいたします。本日は貴重なご意見をどうもありがとうございました。以上といたします。


(了)
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法規第3係
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電話: 03-5253-1111(内線 7753)

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