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2010年3月30日 第8回臓器提供に係る意思表示・小児からの臓器提供等に関する作業班議事録

健康局疾病対策課臓器移植対策室

○日時

平成22年3月30日(火)
15:00~


○場所

厚生労働省 共用第6会議室


○議題

(1) 施行に向けた検討課題について
(2) その他

○議事

○竹内補佐 「第8回臓器提供に係る意思表示・小児からの臓器提供等に関する作業班」を開催します。本日もオブザーバーとして、筑波大学宮本信也先生、社団法人日本臓器移植ネットワークコーディネーターの芦刈淳太郎さんにご出席をいただくこととしております。なお、宮本先生については、多少遅れるという連絡を受けています。どうぞ、よろしくお願いします。
 資料の確認をしたいと思います。議事次第、右肩に「資料」と書いてある「改正臓器移植法の施行に係る論点について」、参考資料1「臓器移植法に基づく虐待を受けた児童への対応について(案)」、参考資料2「検討課題に関する国会及び審議会での議論の状況について」、参考資料3「検討課題に係る国会審議の状況について」です。不備等ございましたら、事務局までお伝えください。
 以後の進行は、新美班長にお願いします。
○新美班長 皆さん、こんにちは。年度末のお忙しい時期にお集まりいただきまして、大変ありがとうございます。改正臓器移植法の7月施行に向けた検討については、今年に入ってから既に4回にわたってご議論をいただきました。本日は最終回を予定しています。前回に引き続いて、本作業班の議論の成果を臓器移植委員会に報告するために、最終的な詰めの議論をしてまいりたいと思います。前回まとまった部分もありますので、本日は積み残しとなっている知的障害者等の取扱い、虐待を受けた児童の取扱いについて取りまとめを行いたいと思います。
 それでは、議事に入りたいと思います。まず最初に、事務局から知的障害者等の意思表示の取扱いについて、資料のご説明をお願いします。
○辺見室長 お手元の番号のない「資料」と書いてあるものに沿って、ご説明します。2頁の中段から下の四角囲みの「知的障害者等の意思表示の取扱いについて」です。こちらについて、大きく1つには知的障害者について、国会の審議等を踏まえて「拒否の意思があったことを否定しきれない」という観点から、意思の表示をすることに障害がある方といったようなことを含めるご議論と、もう1つはガイドライン上の位置づけのご議論とあったと思います。その点を踏まえまして、書きぶりを改めたものです。読み上げます。
 1つ目○、知的障害者等の意思表示の取扱いについては、ガイドラインにおいて、今後さらに検討すべきものとされている。この点に関し、改正法に係る国会審議の過程において、拒否の意思があったことを否定しきれないとの観点から、これらの者に対する脳死判定は引き続き見合わせる旨の考えが提案者から示されている。このことを踏まえ、知的障害者等に対する脳死判定は、改正法下においても見合わせることが妥当である。また、ガイドラインでは、知的障害者等の意思表示については、臓器提供に係る意思表示の有効性の項目に位置づけられているところであるが、心停止下での臓器提供に関する意思の取扱いについては、明確な言及がなかったところである。これについては、改正法に係る国会審議の過程で示された知的障害者等について脳死判定を行わないとする根拠が、これらの者に拒否の意思があったことを否定しきれないということからすると、脳死判定及びその場合の臓器摘出ばかりでなく、心停止下での臓器提供も見合わせることを明確化するとともに、これらに関する拒否の意思の有効性に関する項目として、整理する必要がある。また、知的障害者でなくても、臓器提供に関する拒否の意思を表示することが困難な障害を有する者についても、知的障害者と同一の取扱いをすべきである。ガイドラインにおける「知的障害者等」とは、この意味であることを明らかにする必要がある。したがって、主治医等が家族等に対して病状や治療方針の説明を行う中で、患者が知的障害者等の臓器提供に関する有効な意思表示が困難となる障害を有する者であることが判明した場合においては、年齢に関わらず、当面、法に基づく脳死判定及びその者からの臓器摘出は見合わせることが妥当である。しかしながら、知的障害者等の臓器提供に関する有効な意思表示が困難となる障害を有する者について、一律にその意思表示を有効と取り扱わない運用は適当ではなく、また一方で、意思表示がないことをもって、一律に臓器提供に関する意思がないものとする運用にも問題があることから、その運用については、今後、さらに検討すべき問題である。以上でございます。
○新美班長 ありがとうございます。ただいまのご説明に関しまして、ご意見あるいは修文案がありましたら、よろしくお願いします。
 私の個人的な質問ですが、3頁の2番目の○の2行目と3番目の○の1行目のあとについては「有効な意思表示」となっていて、それまでは「拒否の意思」となっていますが、これを書き分けた意味があるのですか。
○辺見室長 同じ考えの型の中で書いていますので、違う言葉を使っていることに積極的な意味があるわけではありません。
○新美班長 わかりました。
○町野班員 2番目の○の2行目の「有効な意思表示」の意味としては、「有効な拒絶意思の表示」ということでしょうか。
○辺見室長 書き方の流れからすると、そのように考えて書いていますが、別途ご意見があれば。
○町野班員 というのは、古いガイドラインというのは同意の意思表示の有効性を問題にしたものなのに、今回は拒絶意思になっているわけですから、前のガイドラインの場合と全然意味が違います。そう考えると、そのようにしたほうがいいように思います。いま新美さんが言われたように。
○新美班長 表現を合わせるということですね。
○辺見室長 拒否の意思表示ですね。
○町野班員 その下の○の中にある「意思表示がないことをもって云々」というのも、意思表示がないことをもって一律に臓器提供に関する意思がないものだということではなくて、意思表示がないことをもって一律に臓器提供に対する、この意味はどうなるのですか。直截に言うと、子どもの場合と同じにすべきだということですか。
○辺見室長 子どもの場合と同じにすべきという考え方もあろうということもあると思いますが。
○町野班員 そういう趣旨ですか。
○辺見室長 そういう趣旨と、現行においてもこの点は既に適当でないということが書かれていますので、一義に絞るのではなくて両方というか、含めて書いています。
○町野班員 端的に言うと、国会での答弁というのは、こういう者については拒絶意思の表示をする可能性があったということで、これはできないという考え方ですよね。そうすると、意思表示ができないものについては拒絶の意思表示をしている可能性が常にあるという見方が問題だという趣旨でしょうね。非常に書くのが難しいのは理解しますが、おそらく背後にあるのはそういう考え方でしょうね。
○辺見室長 そういう見方が問題というか、そういう見方をしたときの不整合というか、問題点があるということで。
○町野班員 結局書き方が、現在のガイドラインが承諾意思の有効性をずっと言っているのに、現在のところはここの考え方がかなり違ってきているわけですから。つまり、本人が積極的に承諾意思を表示していなくても、拒絶意思がない限りは臓器提供できるというのが現在の原則なのに、これについて知的障害者等についてだけ特別にこういう扱いをしていいのかということをもう1回考えなければいけない。基本的にはそういうことだろうと思います。
○辺見室長 ただ、依然として知的障害者が積極的に同意の意思を示している場合の問題というのも、事例としてはあることもたしかだとは思います。
○町野班員 いくつかのことを一遍にこの文章の中に込められていると。
○辺見室長 ということです。
○新美班長 それは一応確認をしたということで、ただいまの知的障害者等に関する取扱いについて、ご質問、ご意見あるいは修文がありましたら。
○宮本参考人 前回も申しましたが、子どもの場合は非常に難しい判断が迫られます。特に前から言っているように先天性の疾患や、極端な場合には無脳児があるわけですが、この文言でいくと基本的には、それは機械的に見合わせることになると判断してよろしいでしょうか。
○辺見室長 そのように考えて書いています。
○新美班長 それが、2番目の○の3行目の「年齢に関わらず」というところで読み込まれているという理解ですね。
○宮本参考人 と申しますのは、町野先生が言われたように、こういった条件がもともと付いたのは、前回ALS等の話題が出ましたが、本来は拒否の意思があるかもしれないけれども、それを表出する能力がないからということだったと思います。無脳児や乳児が、本来拒否の意思を持っていたという前提そのものがおかしいような気がしますが、それでも機械的に省くというところは何か釈然としないかなという気がしたものですから。
○新美班長 それは、おっしゃるとおりのところはあると思いますが、ここは割り切ってやるということだと思います。
○水野班員 いま宮本先生がおっしゃったように、理屈では通らないと思います。そして、前のほうに書いてある拒絶の意思が表示できたかもしれないからという理屈を言うのは非常に苦しいですし、先ほどから町野先生のご説明にありましたように、小児の臓器提供に踏み切ったわけですから、そこで大きなパラダイム転換が起きていますので、ここの前半の拒絶の意思が表示できたかもしれないのにできなかったからというのは、本当は理屈にならないはずだと思います。ですから、この3.は正直申し上げると、おそらくいちばん最後のパラグラフで、まだ本当は考えなければならないというふうに書いてある部分だけで、その前の部分は国会の議論の中で、明らかに外すという説明がなされてしまったのでいたしかたないと理解をしておくのがいいのではないでしょうか。ですから、とりあえずはそういう形で止めておきますが、本来説明のつかない事態で、下手をするとこのような障害者に対する逆差別を意味しかねない対応であるというので、今後検討しなければならない問題だということだと思います。
○町野班員 もちろん、いまのようなことに尽きると思いますが、法律ではこういうことを要求されていないですよね。要するに、行政のほうでガイドラインを決めるわけですから、これは法律を改正しなくてもあとで変えることは可能なので、そこらも含んだ上でのニュアンスができるような書き方は、もう少し積極的に踏み込んでもいいように思います。虐待死からの臓器の提供とは、かなり場合が違う。それから、親族優先提供についてですね。あれは、とにかく法律がそうしていますから、これは法律を改正せざるを得ないところがありますよね。こちらはできるということですね。
○新美班長 2番目の○に「当面」と書いてありますから、そのあとは事例の積み重ね等を見たときに、さらに検討していく必要があるという表現をしておいたほうがいいかもしれないです。その点は、最後の書きぶりをもう少し考えていただくということで、ほかにいかがでしょうか。基本的に大きな修文がありませんので、いまいただいた意見が反映できるようにということでよろしいでしょうか。
○丸山班員 項目3.の最後の行に「検討すべき問題である」とありますが、その前の4行目にも「問題」があるので、ちょっとくどい。「検討すべきである」と言い切ってもいいのではないかと思います。
○新美班長 いかがでしょうか。「検討すべきである」というふうに、ここで課題として、はっきり上げてしまうということですが、よろしいでしょうか。そのような修文にさせていただきます。ほかにご意見はありますか。よろしいでしょうか。もう1つの大きなテーマの「5.虐待を受けた児童への対応について」、事務局から資料のご説明をお願いします。
○辺見室長 4頁です。「5.虐待を受けた児童への対応について」です。こちらについては、書き方を全体的な構成も含めて現状や附則5項の趣旨などについて、小見出しを付ける形で整理を改めています。また、その中で異状死届等関連手続きについてや、警察への通告などについて、触れるべきところを書き込んで修正をしています。上から順に読み上げます。
 1.現状。(1)現行制度における臓器移植と刑事手続きの関係について。医師は死体を検案して異状があると認めた場合には、医師法第21条の規定により異状死届出の義務が課され、臓器移植法第7条の規定により、医師は臓器摘出を行う場合において、検視その他の犯罪捜査に関する手続きが行われるときは、当該手続きが終了したあとでなければ、臓器の摘出を行ってはならないこととされている。さらにガイドライン第11の5の規定により内因性疾患により脳死状態にあることが明らかである者以外の者に対し脳死判定を行おうとする場合は、所轄の警察署に連絡することとされている。
 (2)児童虐待防止について。児童虐待の防止については、児童虐待の防止等に関する法律第6条の規定により虐待を受けたと思われる児童を発見した場合には、児童相談所等へ通告することとされており、臓器提供に関係するか否かに関わらず、医療機関においては診療の初期の段階から、虐待への対応が行われることが期待されている。また、一部医療機関における取組として、医師等が捉えた虐待の徴候を契機とし、当該医療機関内において、ソーシャルワーカー等の関係者を交えて虐待の疑いを総合的に検討した上で、児童相談所等への通告等の対応を行うという虐待対応のための院内体制が整備されつつある。
 2.改正法附則第5項。(1)改正法附則第5項の趣旨。改正法の附則第5項においては、虐待を受けた児童が死亡した場合に当該児童から臓器が提供されることのないよう、移植医療に従事する者がその業務に係る児童について虐待があるかどうかを確認し、その疑いがある場合に適切に対応する旨規定されている。これは、虐待による死亡である可能性が高い場合について証拠隠滅を防ぎ、虐待をした親の同意によって臓器提供をされることを防ぐことを目的とするものであり、虐待を受けたと思われる児童の保護を目的とする児童虐待防止の制度と同一の対応を求めているものではないと考えられる。
 (2)「虐待を受けた児童が死亡した場合」の意義。改正法附則第5項のいう「虐待を受けた児童が死亡した場合」とは、脳死、心臓死の別を問わないものである。「虐待」の意義については、児童虐待の防止等に関する法律第2条の「児童虐待」の定義を基礎とすべきである。「児童」とは、児童虐待防止法第2条及び児童福祉法第4条の規定等を踏まえ、18歳未満の者とすることが妥当であることから、15歳以上18歳未満の者が臓器を提供する意思を表示していたとしても、15歳未満の者と同様の対応をすることが妥当であると考えられる。また、上述の改正法附則第5項の趣旨からは、「虐待を受けた児童が死亡した場合」とは、虐待が児童の死の直接の原因であるとは断定できないが、虐待が児童の死亡に深く関与していた疑いがある場合も含むと解すべきであると考えられる。
 3.対応。(1)基本的な考え方。改正法附則第5項に基づく対応は、上記2.の考え方により運用されるべきであるが、実際には、児童が死亡した場合に、虐待の死への関与の程度について、医療現場が判断することは極めて困難である。さらに、虐待対応のための院内体制において、虐待の疑いがあるとして児童相談所等への通告を行っている事例について、当該医療機関において臓器移植の観点から改めて虐待が行われた疑いの有無について判断することは困難であると考えられる。したがって、「虐待を受けた児童が死亡した場合」とは、虐待防止の観点から保護すべきと判断した児童が死亡した場合とすることが、現時点においては、現実的な対応と考えられる。
 一方、死亡した我が子からの臓器の提供を申し出た親の心情も考慮するなら、医療現場には、虐待の疑いについて慎重に判断することが求められる。臓器提供の場面における虐待の疑いの判断については、上述のような様々な観点に配慮して行う必要があることから、「虐待防止の観点から保護すべきである」との判断は、当該児童の担当医だけで行うのではなく、虐待対応のための院内体制を整備している医療機関において、当該体制の下で行う必要がある。
 なお、このことは脳死下での臓器提供施設ばかりではなく、児童から臓器提供を行うすべての施設に該当する要件である。
 (2)具体的な手順。医療機関においては、虐待対応のための院内体制により行われる虐待診療を通じて、その業務に係る児童について、虐待が行われた疑いがあるかどうかを確認すること。この結果、当該児童に対し虐待が行われていた疑いがある場合には、臓器提供に関係するか否かに関わらず、医療機関は、児童虐待防止法第6条の規定により、児童相談所等へ通告する必要がある。この場合においては、当該児童からの臓器の提供は行わないことが妥当である。なお、臓器の提供を行わない場合であっても、犯罪の可能性がある場合に警察へ通告する必要があることはいうまでもない。ただし、当該児童について何らかの形で虐待を受けた児童である疑いが否定された場合には、臓器提供は可能である。以上でございます。
○新美班長 ありがとうございます。ただいまのご説明に対しまして、ご意見あるいは修文がありましたらお願いします。
○水野班員 この附則5項が非常に問題である条文で、でも立法になってしまいましたのでここで対応せざるを得ないので、事務局もご苦労いただいたわけですが、親委員会においても、これは非常に問題だということはご理解いただく必要があるだろうと思います。なぜ虐待事例で、臓器提供を差し控えるべきであるのかということを本当に考えていきましたら、これは臓器提供を見合わせても、そのまま荼毘に付すということになるだけで、どれほど臓器移植にも児童虐待の対応としても、意味のないことかということがよくわかるだろうと思います。むしろ、自分の子どもの死を悲しんでいる親が、それでも臓器提供によってしか救われないような病児に対する連帯感から、うちの子の臓器をと申し出た途端にその親が虐待を疑われる。そして、疑いが晴れないから提供することはできないけれども、虐待をした立証もないから荼毘に付しましょうという流れになることがいちばん危険ですし、また惨いことだと思います。それを極力防ぐ、しかしこの附則第5項があるという現実との間で、事務局は大変なご苦労をいただいたのだと思います。
 いちばん私が恐れているのは、虐待を受けている子どもから臓器を摘出するようなことがあってはならないと、みんなが考えてしまうことです。そのようなことは、別にあってはならないことではなくて、諸外国では現に虐待死の子どもたちから臓器は提供されております。それと、虐待防止とは何の関係もないことであるわけです。それにも関わらず、そう思われてしまいますと、何らかの形で虐待を受けた子どもからの臓器摘出の例があったときに、すわ見たことかと大変残酷なことが行われたというマスコミの報道が行われて、それを恐れる医療機関が、僅かでも虐待の可能性があるようなものを完全に排除しようとして、先ほど申し上げたようなせっかくの親の思いも、無駄になるばかりでなく、虐待を疑われるという理不尽なめにあうだけの事態になってしまいます。その結果のいちばんの被害者である臓器提供を受けられない病児たちの声は、全然悲鳴としては挙がらないわけですが、そういう事態になってしまうことを危惧いたします。
 具体的に、これはなるべく絞り込む必要があり、事務局にご苦労をいただいてはいるのですが、最後の具体的な手順のところが、かなり走ってしまうのではないかという危惧があります。6頁のいちばん上のポツは「この結果、当該児童に対し虐待が行われていた疑いがある場合には」で始まっていて、ただしそれで直接駄目だと言っているわけではなくて、医療機関は児童相談所へ通告する必要があり、この場合にはと絞っていってくださいますから、児童相談所へ通告する必要があることによって、児童相談所へ通告もしないで、警察に行かないで、でも臓器提供もしないでということを防げるかもしれませんが、「当該児童に対し虐待が行われていた疑いがある場合には」というのが、そのまま次の「この場合においては」につながっていくことになりますと、相当に危ない、広くなりすぎる気がします。
 そういう意味では、5頁の(2)「『虐待を受けた児童が死亡した場合』の意義」のいちばん最後で、「上述の改正法附則第5項の趣旨からは、『虐待を受けた児童が死亡した場合』とは、虐待が児童の死の直接の原因であるとは断定できないが、虐待が児童の死亡に深く関与していた疑いがある場合も含む」と相当絞り込んで書いていただいて、でも、この虐待が死亡に深く関与していた疑いがある場合が限界線だという表現が、その次の3.対応の(1)基本的な考え方の2番目のポツでは、「『虐待を受けた児童が死亡した場合』とは、虐待防止の観点から保護すべきと判断した児童が死亡した場合とすることが、現時点においては現実的な対応と考えられる」というふうに、最初に死亡に深く関与していた疑いがある場合というのが、保護すべきと判断した児童が死亡した場合というふうに考えるのが現実的であると緩んでしまっています。
 この緩んでしまったのは6頁のいちばん上の行では、「当該児童に対し虐待が行われていた疑いがある場合」というふうに、さらに広くなっているように見えますので、このいちばん上の行の当該児童に対し、せめて「現実的な対応である」ぐらいの表現で、「当該児童に対し保護を要する程度の虐待が行われていた疑いがある場合には」というように、もう一度少し絞り直していただければと思います。それが、どれほどの意味があるのかはわかりませんが、どんどん広がっていく一方で、特に具体的な手順というのが結局はかなり大きな力を持ってしまうという危惧がありますので、そこを少し工夫していただければと思います。
○新美班長 いかがでしょうか。いまの水野さんの考え方について、事務局から何かありますか。
○辺見室長 ご指摘いただきました6頁の1行目は、確かに児童相談所への通告の対象として書いている面もあります。実際にこの場合において、臓器の提供を行わないという通告からこの時点に至るまでというのは、いちばん後ろに書いてあるただし書できているような、児相に通告されてからのプロセスというのがあって、そのプロセスにおいて虐待防止の観点から、保護される児童かどうかというのが判断されるというのがあると思いますので、いちばん後ろに持ってきたものを前に持ってくるのがいいかどうかはわかりませんが、児相に通告したあと、臓器提供に至るまでのところを書き込むことによって、水野先生がご懸念の点というのは解消する余地が、もしかしたらあるのかなと。1行目自体は通告の契機ですので、虐待防止法との関係もあるので、あまり変えるわけにはいかないなと思っています。
○山本班員 私は、水野先生のご意見に賛成です。対応の2ポツの「虐待防止の観点から保護すべきと判断した児童が死亡した場合」で、前の改正法附則第5項では、臓器提供の問題と児童虐待防止の問題は違うのだと言っておきながら、ここでまた「虐待防止の観点から保護すべき」と入ってきています。これは、明らかに前と後ろと矛盾するものであると思いますし、水野先生がご指摘のように、趣旨からは虐待を受けた児童が死亡した場合というのは、深く関与していた場合だといいながら、児童相談所に通告する必要のある場合は全部除くのだと。これは、要するに深く関与していなくてもいいわけですね。虐待が行われたということがあれば、結局児童相談所に通告するわけですから、それを全部除いてしまうとなると、前に言っている「児童の死亡に深く関与していた疑いがある場合」に絞り込んだ意味が全くないことになるのではないかと思います。
○新美班長 まさにそういう書き方ですが、山本さんはこの場合には、どこが判断主体でどういうふうに動くべきかという提案はありますか。
○山本班員 難しい問題ですが。
○新美班長 それが、まさに問題です。
○山本班員 私としては、医療機関が判断するしかないと思います。医療機関が虐待によって死亡したということ、つまり死因が虐待によって形成されたと医療的な判断から認められる場合を臓器提供から除くべきだと。それが基本であるというスタンスの書き方でないと、おかしいだろうと思います。
○新美班長 ここで虐待が死因であることが確定できたときだけ除かれればいいですよね。
○山本班員 医療判断としてですね。
○新美班長 虐待というのは法的判断ですよ。
○山本班員 虐待によって死因が形成されたというのは、医療的な判断ですね。
○新美班長 虐待は法的判断です。
○町野班員 医学的に、それがわかることはあるわけです。
○新美班長 虐待という法的判断をするための徴候は、医学的に把握することができるけれども。
○山本班員 別のことを言っています。医師は、死因をいつも判断するわけですよね。
○新美班長 例えば、ネグレクトされて交通事故があった場合はどうするのですか。
○山本班員 死因が交通事故によるのか。
○新美班長 それが放ったらかしになっていて交通事故で死亡した場合は、これは虐待ではないということで扱ってもいいかどうか、冒頭に議論しましたよね。
○山本班員 やはり死因は、虐待と言えない場合になるのではないでしょうか。
○新美班長 附則の第5条は、そういう趣旨かということです。
○山本班員 私は、そういうふうに考えていますが。
○新美班長 そこまでは限定されていないだろうという話だったと思います。
○町野班員 いまのご議論はどちらに動くかは別として、山本提案というのは通告とは別にもう1回判断しろという話ですね。その点は変わりがないわけですよね。その範囲がどこまでかと。いまのように、いつもネグレクトで子どもがいたら、子どもが抜け出して外で交通事故に遭ったときに、果たして虐待による死と言えるか。それは、まさに法的な判断だけれども、どのような経緯で起こったかというのは医学的な判断ですよね。それはわかります。だから、法的な概念を踏まえた上で、医療機関がもう1回判断しろという話ですね。いまのこの案だと、私もこれでやむを得ないとは思っていますが、虐待ということが疑われる。そうすると、すぐ通告するのではなくて、病院内のシステムで慎重に検討した上で通告することがあった以上は、おそらくここから臓器の提供にいくことはあり得ないのではないだろうかという前提を作られているわけです。ただ、それが理屈としてはよくわからないという趣旨ですよね。
○山本班員 はい、そういうことです。趣旨が不明確で申し訳なかったです。
○町野班員 もう1回やるということは現実的なのでしょうか。
○山本班員 通告は通告としてするわけですよね。それと、臓器提供とは別に考えるべきだということはできないでしょうかという提案です。
○新美班長 ですから通告をしたあと、結論が出ないときに脳死状態になったら、どうしますか。
○山本班員 通告は通告ですよね。けれども、医師がその死因が虐待によって形成されたかどうかを判断するわけですよね。児相に通告するのは、虐待があったということが疑われた場合には通告するわけですよね。それは死因とは関係ない話ですよね。
○町野班員 まだ死んでいないから、関係ないです。
○山本班員 だから、それとは別問題ではないか。
○辺見室長 よろしいですか。典型的な虐待という行為があって、それが死因に直接結び付いている場合は、医療現場において判断することは可能な場合があるかもしれないということは言えるとは思いますが、例えば殴打の場合だったとしても、実際にそれが虐待であるのか、虐待以外の場面で殴打されているものであるのかを医療現場だけの情報で判断することが可能なのか。もしくは、そういうものを入れないでいいというのは1つの判断かもしれませんけれども、入れないでいいという判断はこの条文から考えられるのかというと、そこは難しいのかなと。そうすると、少し幅広に、虐待がなぜ地域の関係機関と連携して行われているかというと、単独の部署の情報では判断しきれない面もあって連携していると考えられるのであれば、そういった仕組みにおいて判断する必要があるのではないかと考えています。そういう点からするのであれば、医師の単独の判断においてというのは少し難しくて、もう1つ別の観点からの判断が必要ではないかということはあると思いますが、それを今度は虐待対応の院内体制とまた別の場でやることが合理的なのかどうかということが、ご議論になるのかと思います。
○町野班員 末尾の部分にある虐待が否定された場合というのは、書き方に「何らかの形で虐待を受けた児童である疑いが否定された」ということがありますから、虐待が死亡の原因となったことでないことが明らかである場合は、これは入っていないですね。1回虐待があった以上は除かれることはないので、これは虐待もなかったといったときだけ除かれるという書き方になっていますよね。この部分を少し変えて、いま山本先生が言われたように、理屈としては実際にそれが臓器の提供に至るかどうかはわかりませんが、ネグレクトとかいろいろな虐待があって、体に痕が見付かって、その子どもが水の中で溺れて、担ぎ込まれて手当をしている状態で虐待の通告をするといったときに、通告があったあとにいろいろ見たら、実はこれは虐待と無関係の事故だったということが何らかの格好で明らかになった。そのときは提供しないということでよろしいですよね。理屈としてはそうですか。つまり前の書き方だと、虐待がどの程度死亡に関係したかよくわからないので、最初のところでとにかく向こうに委ねようという格好でいきますよと。しかし、それが何らかのことで明らかになったときは、少なくとも提供し得るという書き方にはなっていないですよね。それをどうするかでしょうね。そして、その判断の仕方はいま言われたとおり、向こうに通告して向こうに行ってから、実際に虐待された子どもから提供を受けるようなことになるかどうかは話は別ですが、いろいろな所が地域と共同とかで調べた結果、この死亡はそうではなさそうだということがわかったときに。
○山本班員 そのときには、証拠隠滅の恐れがないわけですね。
○町野班員 だから、そのとき提供していいと。実際にいくかどうかは明らかに別だけれども、法的にはそれでできるのだということだとすると、この書き方を変えるということでどうですか。
○山本班員 それだと、かなりはっきりしてくるのではないかと思います。
○辺見室長 確認ですが、いまの点が考え方の整理として書くということかと思います。3.対応の(1)基本的な考え方の1つ目のポツに書いてありますが、極端な場合を想定すると無関係な場合というのはあるのかなとは思います。例えば傷害行為があったとして、それと死因との関係が本当に否定しきれるかどうかというのはある程度捜査等を含めて、事後的に検証することは可能性はかなり高いと思いますが、実際に臓器提供の場において、まだ刑事手続きというか、どこまで判断できるのかというのは現実的にどうかということと、考え方の整理というのは若干分けていただく必要があるのかなと思います。
○町野班員 要するに、次には本当に皆さんご指摘のとおり、具体的な手順がどう現場に動くかということに我々は非常に関心がありますが、まず考え方をはっきりさせようというのが山本意見だろうと思います。そこらを考慮すると、例えば5頁の(1)基本的な考え方の1ポツの次に、虐待の死への関与の程度について疑問があるといいますが、同時にこれは虐待の存否そのものもあるわけですから、最後が虐待の存否がなくて、急に虐待がなかったことが明らかだという書き方になっているから、少し食い違っています。だから、全体的に前のところで、「虐待の存否及び虐待の死亡への関与の問題が明らかでない」、最後にその2つがいずれもということになるのではないですか。
○新美班長 通報するときは、虐待についての疑いがあるときに通報しますよね。存否については、相当程度心証を形成していて通報するわけですから、それもわからないから、とにかく通報しろということになってしまう可能性はありますが、その辺はどうお考えですか。
○町野班員 それはそういうことにならないので、疑いがあるときは通報するわけですから、疑い程度ですから、とにかく通報してみても、警察が証拠不十分で取り合わなかったとか立件できないとか、そういうことでは困るのではないかということで、いまの法では少しでも可能性があるときはやれという意見に少し振れがちです。それはそうではないので、ある程度火傷が虐待ではないかなということの根拠があったとしても、それは否定されることはむしろ可能性としてはあり得るわけです。しかし、そこも医療機関だけで全部判断できる問題ではないよという点は関与の程度ばかりではなくて、存否の問題もそれは同じではないでしょうか。
○新美班長 いまの点はいかがですか。山本さんの基本的な考え方でいきますと、存否もはっきりとは難しいから、極めて前広にというか可能性が薄くても、通告をしろということになってくるわけですね。
○町野班員 それは、そうではないということだよね。そんな一遍に希薄化するわけではなくて。いまの書き方の点は事務局で相談していただいて、新美班長のあたりであとでしていただいてよろしいですか。もう1回あとで議論してもよろしいとは思うけれども、時間も限られているし、中でこの手順でよろしいか、先ほど水野班員が言われましたとおり、これで大丈夫なのかなというのはありますので。
○辺見室長 町野先生の存否及びというご提案ですが、班長がおっしゃられたようにこの文脈で書いた場合、存否については一定程度の心証を形成した上で通告が行われていることと、どちらかというと通告は虐待の疑いがあるということでの通告なので、死因との関係については別次元になっているところが若干気になるところではあります。ただ、ご趣旨が山本先生ご指摘の点だということを踏まえて、どういう書きぶりができるのかというのはすぐに思い付かないですが、検討の余地はあるかとは思います。
○町野班員 確かに難しいと思います。つまり、これはまだ死んでいないところで通報するわけですから、死への関与の度合いを言うのはそもそもおかしいので、やはり文章としては変えていかなければいけないところはあるわけです。事後的に、こうなったときについて難しいので云々という話だろうと思います。
○辺見室長 ここの文章で修正するのがいいのか、別途書くのがいいのかというのはあると思います。
○町野班員 いちばん重要なのは、いちばん最後の点だろうと思います。関与の点も一応書く必要があるのではないかと。最後のところは存否になっているわけですね。「虐待を受けた児童である疑いが否定された場合」という書き方ですから、虐待を受けたことは明らかであるけれども、それによって死亡したものでないことも明らかであるといったとき、どうするかという問題で、理屈としてはそういうときは一応提供し得るという話になるはずですよね。実際に動くかどうかは別ですが、それをどうするかという話です。
○山本班員 そこを書き込んでいただければ、いいのではないかと思います。
○辺見室長 何ら死亡に影響しない虐待であったといったような場合でしょうか。
○町野班員 深く関与していなかった。
○新美班長 そうすると、医療機関で判断するのか第三者が判断するのか。例えば、警察とか児相が判断するのかという問題ですよね。マニュアルに書くとすると。
○辺見室長 そうですね。判断可能なものとして書くのか、それとも誰かが判断できるのだったら判断したらいいけれどもというレベルで書くのかというのは、ここの(2)に書くべき話なのか、もっと前のほうで書くべき話なのかという気が。(2)に書いたら誰かが判断しないといけなくなると思いますが、そこの難しさがある。
○町野班員 そこは、ここで書くべきでしょうね。書くのが難しいから書かないという話はないだろうと思うので、ここで書くか、その前のほうでそれを書くかですが、最後はこういう書き方になっていますから、これだとあえてそれを除いたように読めますよね。
○辺見室長 その死亡は、虐待と何ら関係がないという判断を。
○町野班員 判断をしても、虐待があったことや明らかなときについては、もうできないよと。
○辺見室長 確認しなければいけないのは、まず医療機関内のプロセスや児童相談所通告後のプロセスにおいて、この虐待とこの死亡は何ら関係がないものだという確認をする段階がどこかにあり得るかどうか。
○町野班員 前にお示しいただいたそれには、あるような書き方になっていなかったですか。いまは落ちているけれども、地域何々というもの。
○辺見室長 死因究明のところは弱いところではありまして。
○町野班員 死因究明ではなくて、その前の虐待診療システムがあって。
○丸山班員 院内体制。
○町野班員 そうではなくて、それが非常にわからなくて、院内体制というのは通告の前のところの体制ですから、通告したあとで生ずるのは、もちろん院内の体制と連絡を取りながら警察とか児相とか、あるいはそこらとの連絡を取りながら続くわけでしょう。そちらの体制があるという前提だろうと思いますが。
○辺見室長 そこはおっしゃるとおりですが、基本的にはその体制というのは虐待の有無を確認していく体制ですので、死亡した場合の死亡と虐待との関連性の特にきわどいところを確定するというプロセスが、必ずしもその中には入っていないのではないかなと思います。そこは要確認ですが、死因究明というのはまた別の課題としてありますので、必ずしも虐待プロセスの中にそれが入っているとも限らないかなと思いますが、そこは確認した上で対応すると。
○町野班員 もちろん、アメリカのデスレビューシステムのようなきちんとしたものを作れという趣旨ではないわけで、あれは事後的なシステムで本当に全然違う話です。
○水野班員 具体的なケースで、どのようにお考えかを伺います。児童虐待防止法の定義、虐待の定義については、児童虐待の防止等に関する法律第2条の児童虐待の定義を基礎とすべきであると書いておられます。ということは、これは虐待防止ですから、性的な虐待も入ってきたり、心理的な虐待も入ってきたりします。そして、その子が前から大きな病院に掛かりつけであって、そこで性的な虐待ないし心理的な虐待の疑いが濃いとされて、院内のシステムでこれが非常に危ないというので児童相談所と連携を取って、引き離すまではいかなかったけれども、その子の虐待の定期的なケアを始めていた。そして、どうも心理的な虐待、性的な虐待がありそうなことはほとんどわかっていたという子が、たまたま交通事故によってその病院に担ぎ込まれたときは、当該児童については既に医療機関は児童相談所へも通告していて、虐待を受けた児童であることはほぼ認定されていて、親がそのときに提供の意思を示したときには、これは提供はできないのでしょうか。原因は交通事故死で、その前の心理的虐待、性的虐待とは何の関係もないことが明らかであった場合です。
○辺見室長 おそらく、問題は課題設定として、何ら関係がないということが明らかであった場合にどうするのかということが現場での問題ではなくて、何ら関係があるのかどうかという、例えば虐待がどういう形であるのか、虐待行為だけの影響ではなくて、心理的虐待であればなおさらのこと、日常の行動に対して影響を与えている可能性があるわけで、そういったような状況下において関係があるのか、ないのかということを誰が判断できるのかということが現場の問題で、課題の設定として何も関係がなかった場合にどうするのかについての答えは、たぶんお話をすることによって考えることはできると思っていますが、現場に対しての答えとしてはいつ誰が判定をするのですかということの考え方が示せないと、そこは回答にならないのではないかと考えています。
○新美班長 先ほど話があった虐待の診療システムの中で、死因についてもこれは虐待と関係ないよという判定システムがあれば、それによるということは言えると思いますが、そうでない場合にマニュアルとしてはどうするかという問題ですね。
○宮本参考人 いまの点はとても重要なことで、私も身体的虐待はあまり悩まないです。ネグレクトも、乳幼児の場合はたぶん悩まない。ただ、大きい子の場合、心理的虐待や性的虐待をどう考えるかというのは、非常に悩ましいところです。ただ、いま室長が言われたように、精神科医は死因と関係があると言う可能性があります。例えば性的虐待を受け、心理的虐待を受けた子が暴走行為をして自爆で亡くなった場合でも、その行為そのものが、その子が走ったことの背景として虐待行為があるということは、精神科医は言うだろうと思います。
○町野班員 いまのご意見からもおわかりのように、これは死因究明システムとは関係ないですよね。虐待診療システムで、十分理屈としてはあり得る話です。ですから、新たなシステムを作る必要はないのであって、ただ何回も繰り返しますが、実際にこれが臓器提供に行き得るかというのは。1回通告されて、そこから虐待への対応が始まった段階で死亡したときに、いまのように仮に判断されたとしても、果たして元に戻ることができるかということです。おそらく、それはかなり少ないだろうと思いますが、理屈としてはこれをやっておかないと山本先生が言われるように、せっかく分けておいて、また一緒にしているではないかということが抜けないし、しかもそれが2つくっ付くことによって、水野委員が非常に心配されますとおり、最初に予防のために通告したら、もう絶対にこれは臓器提供はできないということになって、両方が結び付くのは耐え難い事態ですよね。そういうことがありますので、現にこちらとくっ付いているので、一応どのように書くかとかの話は別だと思いますが、そこは明らかにしておいたほうがいいように思います。
○宮本参考人 私も、水野先生が危惧されるところは頭ではわからないでもないですが、いまお話しましたように、おそらくそれ自体は現場ではほとんどあり得ないだろうと思います。もっと賢明だろうと思います。これは当然臓器提供を前提にしていますが、医療現場では、来たら最初に診た医者が虐待を疑うかどうかがポイントなのです。でも、その医者は、普通は救急の医者か脳外科医、小児科医は何をするかというと、その患者の治療をするのです。そして、虐待を疑った場合には、さらに院内のキャプスに虐待の疑いもあるけれど、どうだろうか、とコンサルトするわけです。そうすると、子どもの治療と並行して、虐待チームが虐待の可能性があるかを全体で討議するということになって、その間も治療が進んでいますし、その流れの中でおそらくどこかで会議が開かれて、これは通告したほうがいいのではないかということで、通告されると。その間も、子どもがまだ生きているのであれば治療が続くわけです。仮にその途中で脳死になったとしても、脳死状態は何日間かもたせられますので、その間でも対応は可能だと。
 私がいちばん危惧しているのは心臓死です。しかも、来て24時間以内に死亡するような場合に、このシステムは動きが非常にが取りにくいのです。ただ、その場合でも、前にもお話したように死亡する子どもが虐待されて、それが死亡に至るようなものを、普通の医者が見逃すはずがないのです。唯一の懸念は、窒息と溺死です。
○丸山班員 宮本先生のご説明を聞いていて、5頁の上のほうで虐待が死亡に深く関与していた疑いと絞っているのですが、その下でだんだん広まってくる、それをつないでいるのが5頁の3の対応の基本的考え方の最初の辺りなのだろうと思います。医療現場が児童の死亡と、その虐待の関与の度合について判断することは極めて困難であると書かれているのですが、先生のご発言を伺っていると、困難でないような気がするのです。先生からご覧になって、そうでないことがほとんどであると言えそうな気がするのですが、いかがですか。
○宮本参考人 困難な場合もあると言ったほうがいいかもしれませんが、死亡に至るほどの虐待行為があった場合に、それを見逃す可能性はまずあり得ないだろうと思うのです。虐待行為が死因と直接、あるいはかなり深く関係している場合にはほとんど。ただし、身体に痕を残さないやり方での死亡がありますので、それが窒息と溺死、転落です。ですから、これに関しては割り切るのか、それともそれをどうするのかという議論になるのではないかと思います。
○丸山班員 先ほども言ったのですが、宮本先生のご発言を伺っていると、基本的な考え方の最初のほうで「難しい」「極めて困難」「困難である」と書いて基準を緩めるというか、虐待の関与ゆえに排除される場合を増やしているのですが、必ずしも困難でなければ、2で書かれた、虐待が児童の死亡に対して直接の原因であるか、深く関与している場合であるという基準でいってしまったら。
○新美班長 だから、先ほどあったように、心理的な虐待とか精神的虐待とか、出てこないような場合に、精神科医とそうでない専門医師とが全然違った判断をしたときに。
○丸山班員 現場に任せるというのは駄目なのですか。医療者、医療界のご判断に委ねると。
○新美班長 医療界というのは、移植機関というか、提供機関。
○丸山班員 ドナーの診療機関ですね。ルールばかり作っても、法律の手続きをデザインしているわけではないので、医療現場のご判断に委ねていいのではないかなという感じも抱いたのですが。
○町野班員 それは医療現場に対して過酷になるだろうと思います、そちらの判断でやれと言われて。我々法律家はかなりそういうことを言うのですが、ちょっと辛いという話は何回も伺ったことがありますから。
○宮本参考人 システムということで言えば、先ほどの続きになりますが、虐待の判断と子どもの治療が並行して進み、でも、その結果として残念ながら子どもが救命できなかったとき、心臓死にしろ脳死状態になったにしろ、そこで始めて臓器提供の話が出るのであって、そこでは虐待班は関わりません。あとは虐待班の意見を投げて、たぶん院内の臓器提供の施設の委員会があるはずですので、そこで総合判断ということになるだろうと思います。したがって、その院内で、虐待のチームがこれは虐待だからドナーにしないほうがいいのではないかという意見は出すかもしれませんが、その施設がどう考えるかは。ただ、そういうふうに投げられると、きついことはきついだろうと思います。
○丸山班員 厳しいですか。
○宮本参考人 ただ、誤解されるといけないのは、虐待に関わっているチームがドナーの可否を判断するのではないということです。そのチームは虐待の判断をするのであって、そこがどうも混同されている気がするのです。だからこそ、こういった法律である程度の指針を定めておいていただくほうがいいということは、確かに最初から話していたとおりです。虐待があることは間違いないけれど、死因とは全体的に関係ない。その場合どうするのだというのを、それぞれの施設で考えろというのは非常に辛い。
○丸山班員 5頁の上から13行目ぐらいの、直接の原因である場合又は児童の死亡に深く関与していた疑いのある場合という基準が立てられていても、より細かい5頁の下から4行目以下の「具体的な手順」のようなところもルール化するほうが、医療機関としてはやりやすいということになりますでしょうか。
○宮本参考人 おそらく、虐待行為がその子の死と何らかの関連性があるという判断がされる状況においては、あまり悩むところはないのだろうと思います。それはいままでの議論でも特に疑問の余地はないというか、いちばん医療現場が困るのは、先ほどから何度も出ていますように、虐待行為と直接の関連性はないだろうと。だけど、虐待されていることがほぼ合理的に疑われる事例、そのときに、子どもの治療をしている診療グループは脳死状態だという判断をする。虐待の判断を委託されているチームは、いろいろな状況や身体の傷から、この子は虐待されている可能性が極めて高いという意見は出す。そのときに、臓器提供施設の最終的な委員会がどう判断するかということになるだろうと思います。
○丸山班員 1つには、先ほども挙げられた例のように、虐待はあったけれども死亡とは関係ない場合について、水野先生は移植の対象としてよいということですね。もう1つの考え方としては、ここで書かれているようにしない方向に傾く基準ということなのですが、その辺りは医療機関に委ねるのは難しい。ここで、あるいはどこかでというか、臓器移植委員会で最終的にルールを定めたほうが、現場はスムーズに動くであろうと。
○辺見室長 摘出するかしないかの判断を、現場に委ねるということですか。
○丸山班員 そうです。摘出が附則5項で認められないか認められるか、上の直接の原因又は深く関与していた場合だけ捉えると、虐待があったけれども、死亡と関連がなければ、最後にも書かれているように摘出は可能であると。だから、その度合というか。
○辺見室長 医療機関の実態として、医療機関に委ねられるかどうかという論点もあるのかもしれませんが、附則5項の検討を前提として政府はということで条文が始まって、検討を加えて必要な措置を講ずるという条文ですので、政府は検討を加えて必要な措置を講ずるのが、委ねましたというのはまずいのではないかと思います。
○丸山班員 不明確ですみません。一応実体的な基準をここで示してあるのですね。
○町野班員 それが問題なのでしょうね。おそらく、要件はここで解釈して示す必要があるだろうと思うのです。条文の書き方だと、虐待を受けた子どもがいて、その人が死亡した、そのときはできないかのような読み方がありますね。そのときは因果関係も何も必要ないという話になりますが、おそらく皆さんはそう考えないと。やはり虐待が何らかの格好で死へと結びついたときでなければ駄目だと考えていると。理屈はどこにあるかはいろいろ議論はあり得るけれど、そう考えている。その前提はよろしいのでしょうね。そう考えていることについてはよろしいわけですね。
○辺見室長 理屈はどこに。
○町野班員 つまり、深く関与しているというところを言うところから見ると、虐待を受けた子どもが単に死んだだけでは足りないと。
○新美班長 だから、条文の文言だけだったら、いちばん広く捉えれば。
○町野班員 条文の文言だけから見ると、虐待を受けた子どもが死亡したときとしか書いていないですから。
○新美班長 因果関係は要らない。
○町野班員 そういうことがあれば、私もそうだよと言う人がたくさん出てくるわけですよね。それはないので、だからこそ虐待が死へ関与したときという実体要件を、まず示しているわけです。
○辺見室長 はい。議論の経緯も踏まえて、虐待の関与性は時間的、空間的な意味での。
○町野班員 とにかく、全然無関係なときは入らないという前提ですから、だからこそ関与の度合で深く関与という言葉を使ったという話ですね。そこまで実体要件が示されているということだと思うのです。そうすると、逆に言うと虐待がなかった場合ばかりでなくて、虐待が死亡と無関係だったときについては、これは対象外ですよということは当然の前提として出てくるわけですよね。
○辺見室長 論理的にはそういうことになりますね。
○町野班員 だから、実際にそれを行えるかどうかは別ですが、論理はそうですよね。
○辺見室長 論理はそうです。
○町野班員 ですから、それをどのように書いていくかを非常に苦労されていることは、私は理解できます。その次の書き方というか、この手順が妥当なところで行けるかという話ですよね。書き方として、最初のところで通常の場合は子どもが運び込まれたと。そのときから診察は始まるわけですから、虐待が疑われるようなときがあったら、そこからすでに対応は始まっていると。死んだとき初めてあれっという話は、大体の場合はない。そういうこともあるかもしれないけれど、大体の場合はそうではないので、そこから話をしなければいけないという書き方になっているわけです。
 それが法律の人にとっては非常にわかりにくいのです。普通の法律の人は、この子どもから取っていいかと、死亡した子どもについて議論を始めるのが我々の常なので、流れで書かれると非常にわかりづらいのですが、いまのようなことは容易に理解できるのですが、そういう話です。疑いがあって、死ぬ前に通報するかどうかがまず問題になって、そのとき通報しましたということになったときに、通報してしまったあとについては、基本的には臓器移植の対象にはしない。ならないだろうという前提で書かれているので、合理的な疑いがあって、つまり虐待の疑いがあって、そのあと死亡したとすると、通報があった以上、虐待があとの行為に関係した可能性が極めて高いと言わざるを得ないだろうと。だから、否定されない以上は虐待によって死亡したものとして、これから摘出しないという流れになっているという話ですね。だから、その間をつないでいるのは疑いなのです。
 山本先生が言われるとおり、虐待の疑いというのは予防のために、虐待対応のためにやっているのであって、臓器提供の話とは違うので、この2つが直結するというのは理屈としておかしいと。だから、最後のところの除かれる場合があるということは、きちんとやっておかなければいけないという話になっているのです。
 問題は、除くことを作るのはいいのですが、この流れでスムーズにと、それがいちばん心配されているので、疑いのところを幅広に取ってしまうと、初期の段階ではちょっと心配な新聞報道もありましたから、明らかに否定された場合でなければ駄目だというやり方になるのではないかという危惧があったわけですから、そこまではないと言うために院内のシステムを作って、そこできちんとやった上で、通報するというのは医療現場にとっても大変な決断だと思いますから、これによって医療関係がどうなるかとか、いろいろなことが全部変わってしまうわけですから、かなり慎重に考えてやるわけですから。例えばよく言われる虫歯何本ですぐ通報ということはあり得ない話だと思うのです。ただ、いまのようなことで院内のシステムがきちんとワークするかという話が1つあるわけです。それをワークするように動かさなければいけないだろうと。その観点で、これで大体理解できるのではないかと思うのですが。
 水野先生がご心配される、書き方として順番にこうなっていると、だんだんぼやけてきてということが1つと、同時に、現場はこう書けばきちんといまのような予想どおりに動いてくれるだろうかという危惧は、私も少しあるのです。
○水野班員 いま町野先生がおっしゃったように、虐待を受けた子どもから摘出したではないかという非難をおそれて、そのあまり虐待の疑いがあるからというほうへ走っていってしまいはしないかと危惧をしております。この5項が書かれた立法趣旨は、私はいまだに納得いかないのですが、脳死状態、心臓死でもいいですが、臓器提供するのはその子どもに対する悪いことだという発想が、どこかにあったのではないかと思えるのです。その虐待をしていた悪い親が、さらに悪さの完成として提供までしてしまうのはよくないという判断が、もしかするとあったのではないかと。
 そのような判断は、本来小児提供を認めるか認めないかというところで議論するものだったと思うのです。そこでそういう意見が日本の国民の中でものすごく強かったのなら、異端ではあるかもしれませんが、我が国は小児提供を認めないということになるのなら、賛成か反対かはともかくとして1つの筋の通る話だと思います。その感覚を引きずったまま、ここへ来て虐待をしている親がそういう子を提供するのは悪いことだから、防がなくてはならないというのが、5項の中に紛れ込んでいるのだとしたら、少なくともこれはガイドラインでは整備をしなければならないだろうと思います。臓器提供は悪いことではないのです。
○新美班長 ただ、ここでは良い悪いの問題ではなくて、先ほどあったように、虐待が原因ないしは関与した死亡児童から臓器を提供してはいけないということが書いてあるものですから、それについてどういう手順を用意するかということなのです。皆さん、意見としては水野さんと同じことを共有していることは確かなのですが、我々としてはそれを踏まえた上でどういうマニュアルを作っていくのかという議論にならざるを得ないのです。いま町野さんがおっしゃったように、医療現場で院内体制がしっかりしているということは、そんなに尻抜けになっているわけではないということだと思うのです。そこを確認できるかどうか。
○町野班員 結局、これはかなりひねくれた経緯でできておりますから、つまり小児脳死に反対する人たちがいます。脳死に反対する人がいる、小児脳死に反対する人がいる、小児臓器提供に反対する人がいるという、1つの考えがあるわけです。これがこうなったときについて、だから小児脳死のことだけ、脳死判定だけで児童虐待の問題が出てくるかのような、それが生ずるわけです。
 だけど、いろいろお話を伺っていると、それで引きずられているところがあるのです。私が最初のところで言いましたように、院内のシステムを作るとか、そういうことは脳死臓器提供の施設に限らず、心臓死の場合も入らなければいけない。そこまですることが必要だと、私は思います。そうでないと、ある意味で合理性がないと思いますが、いまのような考え方がムード的に支配して動くと。ときにはマスコミがその上に乗るということを、私は非常に危惧しております。水野先生も私も非常にくどいようですが、何回も言うのはそういうことで、現場があまりにもマスコミをおそれ、あるいは前から小児脳死臓器移植に反対のセンティメントをそのまま引きずるという事態は、考えるのは自由ですが、それが現場の中でずっと行って、全然進まないというのは非常に不健全な事態だと思うからなのです。
 そう考えると、再び元に戻りますが、システムの構築はあれですが、おそらくほとんどの所でできていないのではないでしょうか。
○宮本参考人 虐待の院内体制がどれぐらいできているのかのきちんとした統計は、残念ながらありません。大学病院等でも、ない所もあります。ただ、子ども病院は大体揃っているのではないかと思います。
○丸山班員 提供医療機関はかなり絞られてきていますね。そういう所だと、ある所はかなり多いとは言えないのですか。
○辺見室長 脳死の提供機関の話ですか、絞られているとおっしゃったのは。
○新美班長 脳死だけですね。
○丸山班員 そうですね。心臓死は問題ですね。
○宮本参考人 ご参考になるかどうかわかりませんが、先ほど私がいちばん心配しているのは心臓死のほうだとお話しましたが、少し古い統計で、全国の小児の医療機関、と言っても専門医の研修機関ですからある程度の所ですが、そこの小児科医、脳外科、整形を対象として、虐待に対する調査をしました。虐待の判断に自信がないと答えた医師が、約8割です。
○新美班長 いまの実態を踏まえて、丸山さん、何かありますか。
○町野班員 そのシステムができない所は、やってはいけないのですよね。それははっきりしているので。それはガイドラインに書いてあるところですから。
○新美班長 それはおっしゃるとおりで、虐待による死亡があるかないか確認できるシステムは用意しなければいけないでしょうね。
○町野班員 すみません、虐待による死亡ではなくて、虐待の発見ですね。
○丸山班員 虐待と無関係であると言いながら、他方体制を整備せよというのは、虐待防止の観点からはいいのでしょうけれど、移植医療の観点からそこを求めるのは、少し筋が違うような感じがします。
○町野班員 それは筋が違うのです。だから、どうして小児臓器移植が問題になったときに初めて虐待の問題を入れたか、私はこれは非常におかしな話だと思うし、しょっちゅう国会でも言ったことだし、それはおかしいのです。しかし、作られた以上は。いまの丸山さんのように言ってくれると、かなり良い話だと思います。
○新美班長 虐待の疑いがあったら、基本的にはまずそこでサスペンドされるわけですね。もう1つは、サスペンドされていたのが、移植に移るためのシステムを用意する必要があるのではないかというのが宮本さんの意見ですね。それは必要であるとして、どういうシステムを用意するかということが、もう1つの問題になってくるかなと。
○町野班員 先ほどの虐待診療システムを想定しておりますから、それで私はできると。
○辺見室長 地域と連携して虐待対応していくというシステムですので、通告をするだけの仕組みというわけではないのです。したがって、児相に通告したあと、臓器移植の場合どうするかというのはあり得る話ですが、それではなくて、むしろ多くの場合退院していく場合にどうなのかということで、医療機関が改めて関係機関と連携を取るというのは、当然あり得る話ですので、少し場面が違いますが、そういった意味で通告だけがこの体制というわけではなくて、関係機関との連携にももう1つポイントがあると考えます。
○新美班長 それは、患者が社会に戻るときの話ですよね。移植のときのように、脳死または死亡するときに、いまの虐待診療がワークするかどうかですが、その辺はどうですかね。やるべきだという書き方をしておいていいのかどうか。
○宮本参考人 先ほども申しましたように、そこが混同されているような気がするのです。虐待診療は、ものすごく極端な言い方をすれば、臓器移植にはタッチしません。虐待かどうかの判断の意見を出すということです。
○新美班長 そうすると、そのときにいちばんの問題は、児相なりに虐待の通告をしたあと、実は死因は虐待とは関係ないといったとき、ないという判断は誰がするのかという問題になるわけです。それは移植の医療機関でやれるのかどうかということです。いいアイデアがあったら。丸山さんは、それは提供医療機関に任せていいのではないかということですね。それで関係ないという判断ができなかったら、用心のために控えておくということになるのですかね。何をデフォルトルールにするのか。
○丸山班員 デフォルトルールもありますし、移植に対する各医療機関の姿勢なども、現場としては影響するのではないかと思いますが。
○町野班員 通告のときは、死亡に関係したかどうかは全然無関係に通告しますから、その時点での判断は虐待があったかということですよね。そして、そのあと死亡したときにどうなるのかですから、虐待のために死亡したという判断は最初からできっこないですから、おそらくそうなのだろうと言えるだけの話ですね。そこでもう1回判断するというのはあり得る話で、もしそれが虐待による死亡だったら、異状死の届出をしなければいけない。そうでないときについては、灰色の部分をどうするかという話になるわけです。そこは二者択一にするかどうかという話ですが、言えることは否定されたときはそれができると。これは明らかだと思います。否定するのはどこがやるかというと、単独でやるかどうか、医者がすぐ提供するかどうか、それを判断するかどうかは別で、何らかの意見を聞きながら決定するわけでしょうね。それが、虐待診療チームは一応ケアのためのチームですから、基本的にはこういうことに関係しないけれど、いろいろな所と連携を取りながらやるという話ですから、それはできる話ではないかと思います。
○新美班長 いまのお話ですが、医師の現場として虐待の通告をしたあと、死因とは関係ないのだという判断を提供医療機関でやれと言ったときに、大きな負担にはなりませんか。
○宮本参考人 負担にはなりますが、おそらく医療機関でやらざるを得ないだろうと思います。虐待の疑いということで濃厚ということで通告して、あとで違ったと引っくり返る事例はありません。
○新美班長 ですから、虐待の有無ではなくて、死因が虐待ではないという確証が得られた場合。確証というのは難しいですね。先ほどあったように精神的な虐待があって、ネグレクトされて、暴走行為があって、交通事故で死んでしまったというときに、どちらに転ぶかというのは難しいですね。
○宮本参考人 ただ、考えれば児相には無理でしょうし、警察はある程度は可能かもしれませんが、警察がその因果関係を判断するには、医療からの情報がないと判断できませんから、そう考えると、ある程度医療の中で総合的に検討しなさいと言わざるを得ないと理解します。
○新美班長 そうしますと、現実には提供医療機関におけるチームの人員構成によっても、結論は変わり得るということですね。いずれも判断のときにはそういうことがあり得るわけですから、それは前提の上で、提供医療機関に委ねることもあり得るということだと思いますが、皆さんのご意見はいかがですか。
○水野班員 先ほど申し上げた心理的な虐待のように、虐待のほうが動いていたのだけれど、およそ違うことで死んだということが、提供チームのお医者さんが見たら明らかだという場合を前提に議論が進んでいるようなのですが、そうであったときにはもちろん提供の側へ振れていただきたいと思うのですが、逆に提供チームが決定権を持つのだと言ってしまったときに過剰な自粛が起こる可能性があります。それに対して、事務局が考えてくださった原案は、虐待対応チームを噛ませることによって、それを防ごうとしたものに見えます。提供チームのお医者さんが、あとで自分の提供した子がわずかでも被虐待児という可能性があって、自分がマスコミから袋だたきにあうというのは絶対にいやだと思って、虐待の疑いがあると判断をしてしまって、提供から外してしまう。提供から外したけれど、それで何をするわけでもなく、そのまま荼毘に付してしまうという事態は、少なくとも原案は虐待対応チームを噛ませなさいと言うことによって、防いでいる側面はあるのだと思うのです。丸山先生が言われるように、提供チームに任せると言ったときに、提供チームがそういうシュリンクをした、過剰自粛をしたときに、それを防ぐ手立ては逆に担保されますでしょうか。
○新美班長 水野さんは、虐待防止チームが絡むべきだと。先ほどの宮本先生のお話ですと、脳死状態とか心臓死になったときには、防止チームはそれには関与しないと。虐待の疑いを通告するかしないか、そのあとの治療については絡むけれど、死の状況になったらもはや絡まないというご説明だったと思うのです。そうすると、水野さんはそこにも少し虐待防止チームを絡ませて判断をすべきだというご意見ですか。
○水野班員 そうではなくて、どういう書き方になるのかですが、提供チームに任せてよいということだけが一人歩きをすると、虐待対応チームの判断もないのに虐待だという判断でシュリンクする、虐待の疑いがあるということで提供しないという方へ流れてしまうのではないかということをおそれているのです。
○新美班長 それはないのではないかと思います。少しご説明をお願いします。
○宮本参考人 たぶん、それはないだろうと思います。特に今回の附則やガイドラインが出されれば、おそらく提供チームではなく提供施設全体で判断するのだろうと思うのです。そのときには、関係者が全員集まってディスカッションすることになると思います。ただ、これはオフレコですが、そのときの力関係はかなり判断に影響するだろうと思います。
○新美班長 合議体で判断するときは必ずそうです。声が大きいとか知識の豊富な人とかいろいろあると思いますが、そのときの人的構成によって変わり得るのは、合議体である以上しょうがないと思います。
○町野班員 結局どういう流れになるかというと、虐待があったということでいろいろ中で相談した結果、通報する必要があるということで通報したと。そうしたところが、そのあと死亡したといったとき、基本的に否定する理由がない以上は、これは臓器提供に至らないということですね。しかし、そうすると、そのとき異状死体の届出をするのか、何もしないでそのままで済ませてしまうのか、そこがいちばんの問題だというのは、おそらく水野先生のご意見で、こういうときでも虐待があってそれが何らかの格好で関与していた可能性が否定できない以上、異状死体として届け出るのが普通ではないかと私は思います。法解釈としてそうならないという意見もあるかもしれませんが、そのときでもそのことを考慮して、ここで最後の頁の警察に通報するというのが来ているのだと思いますが、少なくともそのまま放っておかないで、臓器の提供はしませんと。同時に、どうぞお葬式をお出しくださいともいかないということにはなるわけでしょうね。
○宮本参考人 おそらく、その筋が本来だろうと思います。私が口ごもっているのは、いままでは残念ながら必ずしもそうではない状況があるからです。
○新美班長 現実とあるべき姿のギャップだということになるのですかね。
○町野班員 今度は臓器提供が絡みますから、いままではそうでしたね。そんなに異状死体の届出をどんどんやっていたわけではないですから。
○新美班長 これは犯罪の可能性が少しでもあればということですが、疑いがあるときではなくて、可能性だけで異状死届は出ているのですかね。最高裁のものを読んでこなかったのですが、言い回しはどうでしたか。
○町野班員 そこまではっきり言っていません。犯罪捜査のために必要があるからという書き方ですから。
○丸山班員 定義はしていないですね。
○新美班長 そうすると、警察が犯罪捜査を始めるとき程度の疑わしさということですかね。
○町野班員 それも狭すぎるかもしれません。
○丸山班員 もう少し広いのではないですか。警察官が捜査をすることもわからないのに、届出をするというのもよくわからないですが。
○町野班員 そう言うと、ちょっと広く考えすぎますね。
○新美班長 考え方としては、警察官がかぎつけたら、これは捜査を始めるだろうという程度の異状性がなければいけないのではないかという気がしますね。
○丸山班員 異状死体で届け出て、必要ないという判断もあり得ますから。
○新美班長 それはあり得ます。それはあれですが、いまの異状死体の届出もいかがでしょうか。ここでは犯罪の可能性がある場合にということで書いてあるのですが、これは特に異状死体の届け出を念頭に置いてというわけではないのですか。
○辺見室長 異状死体である場合もあると思っておりますが、それ以外の場合も含めて。
○新美班長 一般的に医師法上の医師の義務としての通告義務みたいなもの。
○辺見室長 医師の義務であったり、守秘の義務である場合があると思いますが。
○新美班長 それも含めてということですね。
○町野班員 基本的に、例えば児童虐待があったと、しかし、そのために死んだかどうかはわからないといったときに、児童虐待は傷害罪という犯罪であるから、異状死でないのかもしれないけれど、犯罪事実はあるから申告をするという考え方で出来上がっているのだと思います。
○新美班長 あと、ご議論はいかがでしょうか。
○丸山班員 いまのは、現在のガイドラインの11の5、4頁の上のほうに書かれている内因性疾患による死亡以外の場合について、これは脳死の場合ですが、そういう場合について警察へ連絡するようにというガイドラインを作ろうという趣旨と理解してよろしいですか。
○新美班長 6頁の2番目ですか。
○丸山班員 はい。それは、現在の脳死判定の自然死、病死以外の場合について、ほぼ必ず警察に連絡されていると。それと同じような取扱いを、児相へ虐待ありとして通告された場合についても定めようということですか。
○辺見室長 現在の内因性云々のところは、脳死判定を行う前の段階でという脳死判定特有の話ですが、別途臓器提供施設マニュアルとして示しているものの中に、治療のもっと前の段階で、迅速な捜査に協力する観点から警察に連絡するということはあり得るし、そういったものは妨げるものではないと書いている部分がありますので、その考え方は維持するものだと思います。ただ、ガイドラインに書き込んでいるものとはまた別です。
○丸山班員 別のものでしたか。
○新美班長 だいぶ議論も深まってきましたが、これまでの議論を含めて、ここはこう修文すべきだというご意見があればお願いします。
○手嶋班員 修文ではないのですが、先ほど来のご議論を伺っていると、疑いがある場合、疑いが否定された場合について、それぞれ若干イメージがずれている可能性もあり得るでしょうし、これが明らかにされたときに各医療機関がどう受け止めるかも、たぶん幅があり得るのかなと思うのですが、例示することは不可能なのでしょうか。こういう場合は疑いがない場合であるという形の説明の仕方は、難しいでしょうか。
○宮本参考人 それをやると、評判の悪いマニュアルをリストすることになり兼ねないのです。前にご意見を出しましたが、本当はリストの項目はそんなに重要性がなくて、それを判断できるかどうかがとても重要なので、これはむしろ医療側の自己研鑽を強力に進めるしかないのかなと、私どもは思っております。
○手嶋班員 おっしゃることはよくわかります。マニュアル化して、マニュアルの背景にある理解をきちんと了解すれば、そこにずれは出てこないはずだということで、例示が一人歩きするような形の提示の仕方はよろしくないという理解ですね。
○町野班員 いまのことでお聞きしたいのですが、実際にお医者さんが判断されると言っても、臓器提供に絡むわけですから、ネットワークがそのときに関与しますね。こういう判断はいままでしたことがないわけですが、おそらくそちらと議論をしながらという話になるのではないでしょうか。実際これからどうなるかわかりませんが、医者がこれは提供していいのではないだろうかと、駄目だと言ったら上に出てこない話ですが、そういう判断になったときに、そのまますんなりそちらに行くかどうかというのも、もう1つあるような気がします。
○新美班長 ネットワークの役割というか、絡み方。
○町野班員 その絡み方も私はわからない。
○新美班長 それはどうですか。
○芦刈参考人 ネットワークに連絡は、ある段階では虐待に関しては否定されている段階だと思っています。その時点でコーディネーターが伺って、病院にそれは否定されていますかということだけは確認するという手順になるかと思います。
○新美班長 基本的には確認だけということですかね。
○芦刈参考人 その中身について、判断をすることとなります。
○新美班長 これはほぼ合意できつつあると思いますが、修文するとしたら、最後のただしのところで「何らかの形で虐待を受けた児童である疑い」だけではなくて、「又は虐待と死亡との深い関係の疑いが否定された場合」というのを入れたらどうかと。山本先生と水野先生のご意見はたぶんそうなると思うのですが、そういう修文をすることについては、皆さんのご意見はいかがでしょうか。
○丸山班員 賛成なのですが、そうする場合、4行目の2つ目のポツの「この場合においては」のあとに、「虐待が死亡に深く関与していた疑いがない場合を除いて、当該児童からの臓器の提供を行わないことが妥当である」という実体要件になると思うのです。それは5頁の13行目の「虐待が児童の死の直接の原因であるか、死亡に深く関与していた疑いがある場合」と戻ってしまいますね。だから、6頁の最初のポツのように、児相への通告は疑いがある場合なのですが、2番目のポツの「臓器の提供は行わないことが妥当である」というのは、5頁の12~13行目の「直接の原因」又は「死亡に深く関与していた疑いがある場合」と、絞って書き込んでいいというご趣旨だろうと思うのですが。
○新美班長 いや、そうではなくて、6頁のポツには、とりあえず児相へ通告した場合にはサスペンドしましょうということで、それでしませんよと。疑いが晴れたら、再び動いてもよろしいという趣旨だと私は理解しています。
○丸山班員 だけど、疑いが晴れるというのは、この程度の疑いは残るのではなくて、5頁の程度の疑いが、深い関与の疑いが得られないというか、強い疑いですよね。弱い疑いの場合は、進むべしと理解できる文言で書くのではないかと、先ほどの水野先生のご発言を聞いていて思ったのです。そこで、現在の最後の2行のような文言で、場所だけを2番目のポツの最初のところに取り込むのだと、除外される場合が広いのだよというメッセージを伝えることになってしまうのではないかと危惧するのですが。
○町野班員 要するに深い疑いはないと、浅い関与の疑いがあるというときもできるのかと言ったら、それははっきり書くわけにいかないでしょうね。だから、こういう書き方になっているのだろうと思います。
○丸山班員 こう書くと、せっかく前のほうでハードルを高くしていながら、最後のところで低くしてしまう。どちらに行くかは現場の医療機関、特に院長等管理者の意向でかなり左右されると思いますが、深い関与の疑いがない場合については、医療機関によっては提供を認めるような余地のあるガイドラインにしておくほうがいいのではないかと思うのです。ここの文言だとそれが難しい、それをためらわせるような書きぶりになっているので、少し気がかりですね。
○辺見室長 丸山先生のご趣旨は論理的にはご理解申し上げますが、逆に具体的な手順のパートですので、医療機関に対してはいまのような書きぶりをした場合には、それでは誰がどのタイミングで関与の程度について判断をし、浅いと深いの違いはどう判断したらよろしいのでしょうかという質問が、必ず出てくると思います。そこに対して、既存のツールをどう使いながら判断していくのかも含めて、基本的な考え方の整理はできると思いますが、具体的な手順としてはそういったことも踏まえて書かないと、逆に医療現場的には難しいのではないかと考えます。
○丸山班員 わきまえて作っていただければ、それで異存はありませんので。
○新美班長 いまの点については、最終的な成文を作るときに留意しながらということですが、ほかにご意見はございますか。
 だいぶ慎重にご意見を戦わせていただきましたが、方向性はほぼ共通の認識が得られたと思います。いくつかの点で修文の提案がありましたので、それに従って修文しますが、方向性が示されただけで、まだ修文の具体案が出ていない所もいくつかあります。その点については、事務局と私との間で、皆さんのご意見をできるだけ忠実に反映するように成文したいと思いますので、これは座長にご一任いただくということでよろしいでしょうか。
○町野班員 もちろん一任で異議はないのですが、これは医療関係の方が読めばすぐわかると思いますが、先ほどの順番などはちょっとわかりづらいところがあるので、特に通告のところで、まだ死んでいないのに関与の疑いというのが出てくると取られますから、そこは分けてお願いします。
○新美班長 とにかく、移植の現場はプロセスがずっと長い場合もありますし、そういうさまざまなことも踏まえた上で文書を作成する必要があるかと思います。そういう扱いをさせていただきたいと思います。
 それでは、非常に深い議論、さまざまな問題点があることを踏まえながらご意見を賜りましたことを、座長としては非常に感謝申し上げます。改正法の7月施行に向けては、これまでの5回の議論は非常に有意義であったと思いますし、遺漏なきよう、この検討班の意見の取りまとめをしたいと思います。
○手嶋班員 ただいまの議論を受けて、配付されている参考資料1も手直ししていただく必要があるかと思います。
○新美班長 わかりました。特に、提供不可になって遺体を回収したら元に戻るとか、そういうところですかね。要するにサイクルがここで終わってしまうのではなくて、こちらに戻りますよという点を書いておいたらということだと思います。それと、今日のご意見で直すべきところがあったら直すようにします。
 それでは、事務局から連絡等ありましたらお願いします。
○辺見室長 委員の皆様、長きにわたりご検討いただきましてありがとうございました。議論の経過において、事務局資料の準備等不手際がありましたら、この場を借りてお詫び申し上げたいと思います。
 施行に向けての法的な論点の議論については、これで一区切りだと思います。次回の具体的な日程はいまのところ予定をしておりませんが、前回お話したとおり、現在改正法を踏まえた新しい意思表示カードのパブリックコメントを行っているところです。この結果を踏まえて、不備記載等について法律的な観点からのご意見をいただきたいと考えております。5月になってからになるかと思いますが、改めてお願いしたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
○新美班長 それでは、本日は大変ありがとうございました。これにて散会したいと思います。


(了)
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代表 : 03(5253)1111
内線 : 2366 ・ 2365

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