ホーム> 政策について> 審議会・研究会等> 健康局が実施する検討会等> 原爆症認定制度の在り方に関する検討会> 第25回原爆症認定制度の在り方に関する検討会議事録(2013年11月14日)




2013年11月14日 第25回原爆症認定制度の在り方に関する検討会議事録

健康局総務課

○日時

平成25年11月14日(木) 14:00~16:00


○場所

厚生労働省 省議室(9階)


○議題

1.開会

2.議事
 (1)検討会報告書(案)について
 (2)その他

3.閉会

○議事

○榊原室長 開会に先立ちまして、傍聴者の方におかれましては、お手元にお配りしております「傍聴される皆様への留意事項」をお守りくださいますようお願い申し上げます。

 これ以降の進行は、神野座長にお願いいたします。

○神野座長 それでは、定刻でございますので、ただいまから第25回「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」を開催させていただきます。

 本日は、委員の皆様方におかれましては、大変お忙しいところ、また、急に押し寄せてまいりました寒さの中を御参集いただきまして、本当にありがとうございます。心より御礼を申し上げる次第でございます。

それでは、議事に入ります前に、事務局から委員の出席状況の報告と、配付資料の確認をお願いいたします。

○榊原室長 本日の出席状況でございますが、山崎委員、潮谷委員から欠席するとの連絡をいただいております。

 また、荒井委員、草間委員からおくれて出席するとの連絡をいただいているところでございます。

次に、お手元の資料について御確認をさせていただきます。

 議事次第、資料一覧に続きまして、

 資料1「第24回検討会における主な発言」

 資料2「原爆症認定制度の在り方に関する検討会報告書(案)」

 資料3「田中委員提出資料」

資料に不足、落丁がございましたら、事務局までお願いいたします。

○事務局 カメラのほうはここまででお願いいたします。済みません。

○神野座長 御協力よろしくお願いいたします。

(報道関係者退室)

○神野座長 ありがとうございました。

 風邪をちょっとこじらせておりまして、お聞き苦しいかもしれません。御容赦いただければと思います。

 前回のこの検討会におきまして、報告をまとめることに向けて、骨子について御議論を頂戴したところでございます。

これを受けまして、今回は報告書(案)を議論させていただきたいと前回申し上げておりましたけれども、このために、私のほうから事務局に指示いたしまして前回の議論を踏まえた資料を作成していただいております。

事務局のほうからこの資料について説明いただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

○榊原室長 それでは、資料について御説明申し上げます。

まず、資料1「第24回検討会における主な発言」でございます。

○「一般の福祉施策とは異なる理由があることに留意」と書いてあるが、異なる理由というのは何かというのを明確にしておいたほうがよいのではないか。

→具体的に書くとすれば、援護法の冒頭の前書きのところではないか。

○「医療費が無料」とあるが、健康保険の医療費の自己負担分が無料になることなので、正確に表現してほしい。

○放射線起因性に関し、科学的知見という言葉が何を意味するのか明確にしなければいけない。1つは、単純に、この疾病はこれだけの放射線の影響があるという起因性の問題。もう一つは、認定と関係して、被爆者の疾病について放射線起因性という使われ方をする。科学的知見も様々な使い方があるので、確認すべき。

→いろいろあると思うが、少なくとも2ページで使われている放射線起因性を詳しく書き分ける必要はないと思う。また、どういうものを科学的知見と言うかというのは、一定の理解、了解があるのだろうと思う。そこを書き分けるということは、趣旨と若干ずれるし、どこまでが科学的知見に値するか簡単には言い切れない。

○法律では、個々の被爆者の疾病の放射線起因性を問題としているが、個々の疾病についての起因性を求めることが行政上の給付としては適当ではないかという形で議論しており、そこを出発点にすべきではないかというのが議論の大勢だったと思う。                                     

○(放射線起因性に関し)報告書は一般国民も対象とすると思うが、一般国民はぎりぎり細かい定義に基づく放射線起因性とか、科学的知見というのは要求していないと思うので、ほどほどのところで収めないと、議論はかえって混乱する。

○原爆症の問題は、具体的になればなるほど難しい。したがって、やや抽象化された言葉でまとめないと(いけないと思う)。今のように余りにも(要件を)きつく行こうにも行けないので、起因する病気だという言葉になる。

○科学にも不確実な部分があることを考慮して、対象疾病の起因性という考え方が出てくる可能性が有るのでは無いか。

○(資料2の3頁)最後に「手当に上乗せするという提案」と、ここだけは提案となっているが、ほかとの並びを考えると、ここは意見のほうが良い。

○「被爆者は、皆が何らかの原爆の影響を受けているのだから」とされているが、これは、(被団協の)提言の表現を受け、放射線の影響を受けているのだからという表現にしてほしい。

○(資料2の3頁)被爆状況等の事情を問わず、原爆症と認定することは不適当と書いている。被団協の提言では、個別被爆線量は推定できないから、被爆状況の事情を問わないで認定しなさいと言っているが、どうして不適当なのか。

→各論として、上から3つ目がA案、4つ目がB案であり、B案の中でこういうことをトータルで言っている。

○(適当、不適当について)各所にそれが出てくるが、意見が不適当と言われたことになると、承認できないことになる、これとこれという意見があったということであれば、いいのだが。

→ウエートづけに気を配ってほしいと言ったが、例えて言えば、不適当という意見が多数という書き方は、そのほうが適切だろうと思う。

→書き方の問題だと思う。(資料3の3頁)3番目のA案に対して、4番目はB案というよりは、トータルで見て適当だと聞こえるおそれはある。誤解を避けるため、適当とする意見が多数と言ったほうが、良いのでは無いか。

○(資料2の)5ページで、確かに外形基準もとっているが、一方で、個別的な事案についての総合的な判断という枠組みも残してあるので、前者だけ余り強調しないほうがいいと思う。個々の事情を無視してはいないということを入れておいてほしい。

○一つは、「放射線起因性」を要件にしている疾病について、いくらか認定しやすいように、もう少し客観的な基準として書けないかがある。もう一つが総合的認定で、事例はそう多くはないと思うが、大事な物差しだろうと思う。

○(資料2の)4ページで、初期放射線に比べて相当少なく、基本的に健康に影響を与えるような量は確認されていないとあるが、ここまで言ってよいのか。また、初期放射線に比べてというふうな言い方は適切ではないのではないか。初期放射線は、中心部は強いが、2キロだとか2.5キロでは非常に弱く、また残留放射線と重なる部分も出てくる可能性もあるので、こういう比較の表現は正確でない。

3.5キロ以遠では、物すごく初期放射線は少ない。基本的に健康に影響を与えるような量は確認されていないので、初期放射線から少なくまで、はとってしまってもいいと思う。

○残留放射線の内部被曝問題は十分議論していない。まだよく研究もされていないし、わからないことがたくさんあるので、そのことを触れないといけない。

→残留放射線は十分議論したつもりである。

○(資料2の6頁)援護を行う際には客観的な根拠に基づいて行うべきとの認識を共有とあるが、よくわからない。例えば政策的な配慮に基づいてやらなければいけないとか、という表現にしたほうがはっきりするのではないか。

→科学的な知見を共有することがベースにあり、それよりも広げるときには外に向かって説明する理由が要るのではないか。わかるような理由をつけたほうがいいという意味で申し上げた。

○(資料2の)9ページの(4)の整理で、3つ目の○で、(前段は)科学には限界があるとして、余り厳密な科学的な因果関係を求めることに対してブレーキをかける方向の意見で、やや緩やかに認定していく。ところが「また」以下は、それぞれの項目は広げなくていいのではないかという方向の意見。何か分裂してしまいそうなことが書かれている。何とか整理できないか。

○(資料2の)8ページの3つ目の○に「一般的に治療を要さない患者が多いなど症状が重篤でない疾病については、疾病名のみに着目して積極的な認定の対象疾病とすることは慎重に考えるべき」について、意味がわからない。

→多分、これは、子宮筋腫のようなものを想定しているのではないかと思う。子宮筋腫の場合は、必ず治療しなければいけないというのではなくて、そのままにしておきましょうというのもある。

→例えば、がんとか、重篤な疾患と同じように考えないということも必要というのを、慎重に考えるべきと言ったのではないか。

→今後、放射線とのつながりが確認できるような新しい疾病が出るかもしれないが、そのときも重篤度というか、必ずしも治療なくてもという病気もあるかもしれない。因果関係は認められるかもしれないが、今後の問題として、慎重であっていいのではないかというところにウエートが置かれていると思う。

→「慎重に考えるべき」というのは、対象にしないなどの積極的な意味合いではなく、結果として、幅を広げるか、そうではないということからすれば、この表現は、決して不適当ではないと思うが、重篤でない疾病という言い切りは、ちょっといかがかと思う。

○認定制度は申請した病気の治療費を全額国が持つ制度で、重篤であるかは関係ない。

→段階づけをする議論と重なって議論された経過はあるが、新しい病気を対象に取り込むかどうかの際には重篤度ということは考えていいのではないかと思うし、議論もそういう流れできたのではないか。

→新しい審査の方針では、要するに重篤になって、放射線起因性があれば個別的に認定する構造になっていると思う。だから、7疾病に加えて、積極的に認定するというふうな疾病として挙げるのはどうか、というふうに理解するのが適当なのではないか。

→重篤であるかないかが認定の基準的なものになっていくというのはどうか。もしかしたら重篤に陥っていく可能性も考えられていくのではないかということで、慎重に考えるべきという文言がつけられていると理解している。

○(資料2の)10ページの一番下にある認定基準の明確化について、放射線起因性がついた4つの疾病について、放射性起因性を取り払えば単純明快である。一番、争いになったのはそこである。取り払えないのだったら、別の制度を考えたほうがよいと考えてきた。

→(審査の方針で)後から加えられた3つ、4つについては放射線起因性があるが、非常にわかりにくい。がんでない疾病について3.5キロ、100時間以内であれば全て積極的認定だという基準ではないと思う。現在、3.5キロ、100時間であれば全部それが認められるわけではなく、そこの理解が違っていると思う。一切認定しないという明確化ではないが、何でも全部認められるべきだというのは違うのではないか。

○(新しい審査の方針で)どうして放射線が推認される以下の疾病で、さらに放射線起因性が認められる、という言葉が必要だったのか。

→下のほうで、もう一度起因性が認められるとしており、類型的に全部推認はしない。そこの理解がかなり違うので、きっちりすべきである。

○明確化することによってギャップが幾らか埋まるだろうというのがあるし、総合的認定は残すべきだというのもある。新しい知見があれば加えていくべきだというのもあるが、全くなくしてしまうというのはなかなか難しいのではないかというのが、議論の経過だったのではないか。

○全て類型的に認定すべきという意見は多数ではなかったと思うが、司法と行政の乖離の中で食い違っている部分があるので、そこを埋めるために類型化して外形基準を取り入れ、紛れがないようにしたい。個別的認定との2つで司法と行政の乖離を埋める手段かなと思っているが、そういう意味で外形的標準化は1つの有効な手段ではないか。

○(新しい審査の方針で、がんなど)外形標準で決めたのは科学的知見の厳密性を問わないで、法の精神にのっとってやったほうがいいということである。あとの4つの疾病も同様の考え方をどうしてできないのか。裁判所もそういう疑問を持っていて(裁判所は)認定する。

→司法は総合認定なので、自由心証主義に基づいて全体の判断で言及する。行政認定の場合は、1つは類型的に拾うということと、可能な限り個別に残りの部分を判断していく。この2つのやり方で穴埋めをしていくという方向が妥当ではないか。

以上でございます。

続きまして、資料2について御説明申し上げます。

原爆症認定制度の在り方に関する検討会報告書(案)

1.はじめに

○ 昭和20年8月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾万もの尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、生き長らえた人々にも、病と障害の苦難を強いてきた。

○ このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持増進や福祉を図るため、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下、被爆者援護法という。)等に基づき、被爆者健康手帳の交付、医療の給付、健康管理手当の支給、医療特別手当の支給等の施策が講じられてきた。

○ また、原爆症認定制度については、原爆症認定集団訴訟を契機に、平成20年には原爆症の認定に関する見直しが行われたが、さらに、平成2112月に成立した「原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関する法律」の附則では、原爆症認定の制度の在り方について検討し、その結果に基づいて必要な措置を講ずることが規定された。

○ これを受けて、本検討会は、平成2212月以降、原爆症認定制度の在り方について検討を開始し、「知る」「考える」プロセスとして、計13回の議論を経て、昨年6月には「中間取りまとめ」を報告した。これは、それまでの検討会での議論を踏まえ、おおむねの方向性を示すことで、認識の共有を図るためのものであり、「基本的な制度の在り方」として、より良い制度を目指していくという方向で一致を見た。

○ その後、本検討会では、「中間取りまとめ」を行い、「作る」段階として、さらに計○○回の議論を行い、今般、今後の原爆症認定制度の在り方に関し、その検討結果を報告するものである。

2.基本的な考え方(総論)

○ 原爆症認定制度の在り方に関しては、累次の検討を経る中で、以下の考え方を共有してきた。

・被爆者に寄り添うという視点に立つとともに、原爆症認定や医療特別手当の給付といった被爆者援護施策には、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊な被害であるなど、一般の福祉施策とは異なる理由があることに留意すべきである。

・一般の高齢者との単純な比較はできないが、すでに年金、医療保険や介護保険といった一般制度のほか、被爆者には健康管理手当が支給され、医療費の自己負担部分が無料になるなどの諸制度が存在することを踏まえ、これらの制度に加えて特別な給付を行う原爆症認定制度について、国民に説明し、理解を得られるようにすることが必要である。

・まずは、こうした現行制度をより良いものにしていくということを基本として、制度の在り方について見直しを行っていくべきである。

○ 特に、本検討会設置の背景としては、旧「審査の方針」の下で多数の国敗訴判決が出され、「新しい審査の方針」による認定審査の開始により、悪性腫瘍を中心として、司法判断と行政認定の乖離は縮小したものの、なお存在していることがある。

○ 本検討会では過去の裁判例について検討を行った。検討に当たっては、行政認定が放射線起因性に関し科学的知見に重きを置くのに対し、司法判断は救済の観点から科学的知見のほか個別の事情を総合的に考慮するなどしており、こうした考え方を踏まえ、行政認定の方法を改めるべきとの意見がみられた。その一方、現在でも行政認定は救済の観点から厳密な科学的知見を超えて放射線起因性を認めており、乖離を埋めていく努力は必要であるものの、司法と行政の役割の違いから、判決を一般化した認定基準を設定することは難しいとの意見が多数であった。

○ このような司法判断と行政認定の乖離は難しい課題であるが、被爆者の高齢化といった事情も考慮すると、後述するように、どのように埋めていくかを考えていくことが大切である。

3.各論

(1)放射線起因性について

○ 現行の被爆者援護法においては、原爆症認定を行う際、放射線起因性を要件としている。

○ これに対して、全ての被爆者が何らかの放射線被害を受けているのだから被爆者の人生の苦悩に慰謝する観点から全ての被爆者を対象として手当を支給すべきとの意見がみられた。

○ 具体的には、新たな原爆症認定制度の方向性として、被爆者援護法に基づき支給される各種手当を一本化し、被爆者健康手帳を有するすべての者に支給する被爆者手当の創設を図るとともに、これまで放射線起因性が認められている一定の疾病について被爆距離や入市の時間に関わらず障害の程度に応じた3つの加算区分をこの手当に上乗せするという意見であった。

○ 一方で、個別の認定に当たり、「放射線起因性」を要件とすることは、国民の理解や他の戦争被害との区別といった観点から、制度を実施する上では欠かせず、被爆状況等の事情を問わず原爆症と認定することは適当ではないという意見が多数であった。

○ 放射線起因性の範囲については様々な意見があったが、いずれにしても、放射線起因性を前提として、認定の在り方を考えていくことが適当であると考えられる。

(2)積極的な認定の対象となる被爆状況について

(「新しい審査の方針」における取扱い)

○ 現行の「新しい審査の方針」においては、一定の被爆状況(爆心地から3.5km以内の直接被爆等)の者の悪性腫瘍等について、積極的に認定するとしているが、この距離等の被爆状況に関する要件について、援護の観点から、更に拡大すべきとの意見があった。

○ これに対し、既に科学的には放射線の影響が不明確な範囲まで積極的な認定範囲を広げており、現状以上に緩和することは慎重に考えるべきとの意見が多数であった。

○ 残留放射線の影響に関しては、現在では検出限界以下となってしまい被曝した正確な放射線量の検証は不可能である。こうした状況の中、被爆状況については、内部被曝を含め残留放射線を考慮すべきであり、被爆者は皆が何らかの原爆の影響を受けていることから、放射線の影響が認められている疾病は、個人の被曝状況に関わらず全ての被爆者を対象に手当を加算して給付すべきとの意見がみられた。

○ しかしながら、残留放射線については、認定審査に当たっても既に一定の評価をしており、広島・長崎での残留放射能調査のデータ、放射線影響研究所の見解などを見ても、基本的に健康に影響を与えるような量は確認されていないというのが科学的知見である以上、残留放射線に着目して積極的認定範囲を現行以上に広げることは適当ではないという意見が多数であった。

○ 被爆者援護法は、原爆症認定に当たり、申請ごとの疾病の放射線起因性を要件の一つとしている。この放射線起因性を判断する際の基本は、放射線の被曝線量であり、これを正確に把握することが望ましい形ではあるが、現実の運用に当たっては、総合的な判断の枠組みのもと、被爆当時の情報が限られている中で、国際的に広く認められている知見に基づき、距離等によって推計し、一定の外形的な標準を満たしたものを認定する方法をとることを基本としている。

○ 「新しい審査の方針」において、悪性腫瘍等について、「3.5km以内の直接被爆」等の外形的な標準が示されたが、引き続き、このような考え方で対応するとともに、以上のような趣旨を分かりやすく明示することが望ましい。

(3)積極的な認定の対象となる疾病について

○ 本検討会では、長瀧委員から、放射線が疾病に与える影響について、科学的な知見の整理が示され、検討会で共有された。また、科学的な知見を共通の認識として大切にしつつ、援護を行う際には、援護の理由を客観的に説明できるようにすべきとの認識が共有された。

(悪性腫瘍、白血病について)

○ 現行の「新しい審査の方針」では、積極的に認定する疾病の範囲について、悪性腫瘍、白血病、副甲状腺機能亢進症及び放射線白内障(加齢性白内障を除く。)並びに放射線起因性が認められる心筋梗塞、甲状腺機能低下症及び慢性肝炎・肝硬変とされている。

○ 悪性腫瘍、白血病については、科学的に放射線との関係が明らかであり、これまでも数多くの事例の認定が行われてきた。

(非がん疾病について)

○ 一方、現行の「新しい審査の方針」において、積極的に認定する範囲とされている7疾病のうち、心筋梗塞、甲状腺機能低下症及び慢性肝炎・肝硬変の認定に当たっては、当該疾病の罹患に関し、「放射線起因性が認められること」が要件とされている。

また、白内障の認定に当たっては、加齢性白内障を除く、放射線白内障であることが要件とされている。

これらの非がん疾病ついては、3.5km以内の直接被爆等のうち、申請ごとに放射線によるものと判断された場合に限って認定することとされている。

○ これまでの認定状況をみると、悪性腫瘍、白血病等が中心であり、非がん疾病が認定された事例は少ない。

○ こうした状況の中で、非がん疾病ついて、爆心地から3.5km以内の直接被爆等については、悪性腫瘍等と同様にすべて放射線起因性を認め、認定すべきとの意見があったが、今日の科学的知見では、比較的低線量でも影響を受ける可能性がある悪性腫瘍等と異なり、非がん疾病については、低線量での影響は認められていないことから、悪性腫瘍等と非がん疾病と同様の取扱いを行うことは適当ではないとの意見が多数であった。

○ 一方、司法判断と行政認定の乖離の一因として、現行の「新しい審査の方針」において非がん疾病の放射線起因性に関する具体的な認定要件が不明確であり、分かりづらいことも考えられることから、当該疾病に関する現行の要件については、見直すことが適当である。認定範囲を明確化するという観点から、それぞれの疾病について、科学的知見とともに、限られた情報のもとで判断することの限界も考慮しつつ、「放射線起因性が認められる」といった抽象的な文言に代えて一定の距離等の外形的な標準を示し、それを満たしているものは柔軟に認定することが適当であるとの意見が多数であった。

(現行の7疾病以外について)

○ 現行の「新しい審査の方針」では、悪性腫瘍、白血病のように科学的に放射線との関係が明らかな疾病だけでなく、大規模な疫学調査で放射線との関係について再現性が認められていない疾病を含め、幅広く取り入れられている。

○ このような状況の中で、現行の7疾病のほか、科学的知見の確立していないものも含め更に多くの疾病を追加すべきとの意見もみられたが、明らかに対象とすべきものは既に含まれているとの意見が多数であった。

○ 今後も科学的知見を踏まえた対応が必要であり、科学の進歩等により、放射線に起因することが相当程度明らかになった疾病については、認定の対象とすることが適当である。なお、その際、一般的に治療を要さない患者が多い疾病については、疾病名のみに着目して積極的な認定の対象疾病とすることは慎重に考え、個別の申請ごとの判断によるべきである。

○ また、生じている疾病が放射線の影響によるものか、加齢や生活習慣等によるものか原因の切り分けができなくなっている状況、医療技術の進歩により治癒する疾病も多くなっている状況など、原爆症認定を取り巻く状況の変化を踏まえて判断すべきと考えられる。

(4)認定基準の明確化等について

○ 国が敗訴した判決においては、科学的知見にも一定の限界が存することを踏まえて個別の事情を総合的に考慮すべきということが指摘されており、こうした判決の考え方を踏まえて認定の方法を改めるべきとの意見がみられた。

○ これに対し、裁判では個別の事例に基づいて判断が行われるのに対し、行政認定においては同様の状況なら同様の結論といった公平な判断が求められることから、乖離を埋めていく努力は必要だが、乖離を完全に解消することは難しいとの意見や判決がこのように個別例である以上、判決を一般化した基準を設定することは困難との意見が多数あった。

○ しかし、こうした限界を踏まえつつも、司法判断と行政認定の乖離をできる限り縮めていく努力が重要である。そのために、行政認定に当たっては、科学的知見を基本としながらも、一方で科学には不確実な部分があるといったことも考慮すべきである。

○ また、司法判断と行政認定の乖離が生じる背景としては、先述のように、現行の「新しい審査の方針」において「放射性起因性が認められる」ことが要件とされる非がん疾病の具体的な認定要件が不明確であり、分かりづらいことなども一因と考えられる。

○ 認定を申請した被爆者の理解と納得を得るためにも、先述のように、現行の「新しい審査の方針」における認定基準をより明確化するとともに、個別の審査結果の理由を明確に示し、丁寧に説明する等の運用改善をすべきである。こうした取組みが、ひいては司法判断と行政認定の乖離を縮めることになると考えられる。

(5)要医療性について

○ 現行、被爆者援護法においては、原爆症認定について、「現に医療を要する状態」にあること(要医療性)を要件としている。

○ 現行の制度では治癒した場合、特別手当に移行することとなっているが、実際にはかなり長い期間、漫然と要医療性があると認められてきたケースが存在する。要医療性の範囲の明確化や、要医療性の有無を客観的に確認する方策を導入することが適当である。

(6)手当の区分の設定、基準などについて

○ 医療特別手当の意味を踏まえると、生命や日常生活への影響の程度、治癒や再発の可能性などから疾病の重篤度をグループ分けし、手当額を段階的なものとしてもよいのではないかという意見や、手当額の区分については、例えば、疾病ごとなどの大くくりの基準とする、あるいは疾病によって認定期間を限定することも考えられるのではないかという意見などがあり、区分の導入も一つの考えである。

○ 他方、絶えず変化する症状に応じて額を変更するのは基準設定が難しく、また、煩雑となるため、受給者の負担軽減や行政事務の簡素化の観点から配慮が必要であるという意見や、抜本的な認定基準の拡大なくして、区分の導入により現行よりも手当額が下がる方が生じることに納得が得られるのかという意見などがあり、導入の実現可能性に関する課題の指摘がなされた。

(7)国民の理解など

○ 原爆症認定制度に関し、財政負担を担う国民の視点から見た場合、放射線起因性の認められる疾病の中には、加齢等により疾病にかかる事例も見受けられるため、先述のように、放射線起因性については引き続き要件とすることが必要である。

○ また、医療特別手当の給付水準等を考慮すると、疾病により生命にとって大変危険であるとか、日常生活が困難であるといったことを要件とした方が、理解を得やすいとの意見があった。

○ あわせて、原爆症認定や医療特別手当といった被爆者に対する援護については、一般の福祉施策とは異なる理由があることに留意し、その旨、一般国民への周知を実施すべきである。

4.むすび

○ 新たな原爆症認定制度の検討にあたっては、長年にわたり被爆者が強いられてきた苦難に想いを馳せ、援護の精神に基づいて、被爆者に寄り添うという視点が何よりも大切である。

○ また、被爆者のご協力により積み上げられてきた科学的な知見あるいは疫学的な事実を基礎としつつも、科学に限界があることを踏まえて施策を考えていくことが必要である。

○ 裁判所の判断と行政認定の乖離をどのように埋めていくか考えるとともに、被爆者の高齢化等の環境の変化を踏まえつつ、国民の理解を得られるような制度を検討していかなければならない。

○ このような困難な課題について、本検討会においては、さまざまな意見や提案が出される中、なるべく多くの共通項を見出すべく、精力的に議論を行ってきた。

○ 本報告書に記載されているとおり、全ての委員が同じ意見で一致したわけではない。しかし、より良い方向に制度を見直していくべきとの認識はすべての委員に共有されていた。

○ 本報告書が、被爆者の援護にとって大きな役割を持つ原爆症認定制度の改善につながることを望むものである。

以上でございます。

○神野座長 どうもありがとうございました。

 それでは、冒頭に申し上げましたように、本日は、今、御説明いただいた資料2の報告書(案)について、委員の皆様方から御議論をいただければと思っております。

 報告書取りまとめに向けて、それを念頭に委員の皆様方から建設的な御意見を頂戴できればと思っております。

 その上で、可能な限り報告書の内容を固めていく作業ができればと考えております。

 今回この案で「1.はじめに」というところを初めてこの検討会にお出しいたしております。これは中間報告を踏まえて、事実を並べたものでございますけれども、まず、1について、何か御意見がございましたら頂戴したいと思います。いかがでございましょうか。どうぞ、田中委員。

○田中委員 1に入る前に、私どもの見解を申し述べさせていただきたいのですけれども、「1.はじめに」、それからまとめのところは、1番は出なかったのですが、非常にいい表現になっているというふうに思います。

 ただ、立派なはじめとまとめがありながら、中は、今まで私どもが主張してきたことが十分に取り入れられていない部分がありますし、何よりも「意見が多数であった」という用語があちこちにあります。これはふさわしくないのではないかと思っております。

 検討会が議論してきたことでありますので、採決をとったことはありませんね。採決をとっていませんね。私も含めていろんな発言をした人は数人ありますけれども、それが多数だということには必ずしもなりませんね。だから、「多数である」という表現をするのは、やるべきではないと思います。

 そういうことを含めて、中の各論の部分については、もう一度きちんと議論をさせていただきたいと思いますし、それができなければ、この形の報告書に私どもは賛成できないということになりますので、そういうふうに座長さんは取り扱いいただきたいと思います。

○神野座長 ありがとうございます。

 今のは中身にかかわりますので、また中身のところで御議論を頂戴できればと思います。

 ほかはいかがでございましょうか。どうぞ。

○石委員 中身に入る前に、この報告書の性格をどうするかというのは非常に重要な問題だと思います。

3年ぐらいやってきて、かなり多くの人が時間とエネルギーを使ってここまできたわけで、かつ外側から見ましても、この検討会報告書の中身については、朝日新聞の論説にも出ていましたように、非常に関心がございますので、ここでやってきた議論を淡々と整理するだけでは物足りないと思います。

恐らくこの委員の構成についていろいろ御不満がある方も多々いらっしゃると思いますが、審議会や検討会をやるときはしようがないのです。

したがって、問題は、この中での議論がどういう方向性を目指したかということが、外から見てわからないと困るのです。そういう意味で、今の田中さんの御意見と真っ向反対しますけれども、たしか「多数であった」というのは7カ所か8カ所あります。決もとっていません。大体審議会で決をとるなどということはほぼない話でありまして、会の運営自体から、おのずから意見が多数の方に支持された、多数の方が発言したという趣旨での「多数の意見であった」というような、漠とした「多数」でよろしいかと思いますが、ここが多数であったかどうかについて議論するのは結構だと思いますが、その文句を使ってはいけないという趣旨の方向づけはまずいのだと思います。

いずれにしましても、この方向づけを外の人が見てわかるようにね。それでないと、我々は3年という時間をかけてやってきて、単に論点整理をして終わりかいという話ではまずいと思います。この会としての一つの方向性についての意見が集約されているという形が望ましいと思っています。

具体的にはまた後から。

○神野座長 よろしいでしょうか。

○田中委員 私は納得できないのですけれども、そうでよろしいのですか。方向性は、いろんな。

○神野座長 書き方については後で御議論申し上げますが、私ども、例えばなれている教授会などでは1回も決をとったことがありません。決をとったら、それで学部長辞任という場合もあり得る。そういうことをやらずに運営しておりますので、表現が悪いのであれば、その都度御発言いただければと思っております。

○田中委員 発言がなければ賛成だという教授会がありますね。それと同じことをこの委員会でもやるということですか。

○神野座長 そうですね。だから、表現がまずいということであれば、御発言いただければと思います。

 もしもその表現がまずいのであれば、多くの委員から御発言が頂戴できるものと思います。

○田中委員 それと、多くの場合、私が発言したところが前にあって、その後にそれに反する意見が出てきて、そしてそれが多数であるという表現になっているのです。ということは、田中が発言したことは少数であるということをはっきり明記するような格好になっているわけですね。

○神野座長 事の性格上そういうことが多かったということはあるかもしれませんが、必ずしもそういう書き方で言っているわけではなく、事実を最初に説明していたり、制度を説明していたりする場合もありますし、その事柄の都度ございますので、もしも適切でないということがあれば、その都度御指摘いただければと思います。

○田中委員 はい。では、そうしましょう。

○神野座長 よろしいですか。

 そうすると、今のところ「1.はじめに」についてはそうさせていただいた上で、具体的な。どうぞ。

○荒井委員 表現の細かいことについては、私も多少気になる表現がなくはないのですけれども、この場で一々表現について指摘していったほうがいいのかどうか、私自身、疑問に思っておりまして、最終的には表現について座長一任というような部分が恐らく出てくると思うのです。

例えば1ページの一番下の○の4行目に「これは」という表現があるのです。「報告した。これは、それまでの検討会での」と。「これは」というのは、恐らくこの報告書とか本報告書を指していると思うのですが、一瞬何を指しているかというのがわからない。「本報告書」とか「この報告書」というふうに修正していただいたほうがいいと思うのですが、大変細かいことなので、そういう部分については、全体として最終的な御検討をお願いしたい。

○神野座長 わかりました。

 私のほうでも不適切というか、誤解を招くような、あるいは指示語が必ずしも明確でないということを含めて検討させていただきますが、私が気づかない場合もあるので、できればいただいて、私のほうで表現ぶりを調整しろと言われれば、それを調整して次の回にお出ししたいと思います。どうぞ。

○坪井委員 解釈がいろいろできるような言葉があると非常に難しくなるわけです。非常に苦労されておりますから、その跡はわかりますけれども、言葉での重さとか軽さもいろいろあるわけですよ、我々が受け取るときに。さらに、数字が1とか3で、3が重くて、1は軽いということもないですね。それは単位が違ったら、1キロと300グラムでは全然違うのですから。

そんなことをいろいろ考えてみますと、一つ一つの問題がそういうように軽いじゃ、重いじゃいうことには余り賛成しないですよ。この問題も、この問題も、この問題も非常に重要だというように解釈できるようにしなければ。そうしないと、検討委員会が出しても、向こうは金縛りで何も考えられぬかと。厚生労働大臣にしろ、安倍さんにしろ、とにかく一切動きがとれぬようになる。それでは検討したのが本当の意味の値打ちにはならないと思うのですね。

したがって、軽いとか重いとかいうようなことから考えると、言葉でも非常に気をつけなければいけぬけれども、決をとったとかとらぬという問題ではないから、したがって、ここに出ているようなことは皆、重さは同じだというような解釈をしておるわけです。

解釈をして全部やるということになると、物すごく大きなもの、百科事典みたいなことをやらなければどうにもならなくなりますからね。そうでなく、我々はこういうように考えて、それは反対も賛成もあるでしょう。しかし、そういうことをやりながら。これは裁判を行った人のためにやるのではないですよ。被爆者全体に対してどうするかというわけだから。裁判をやった人のためにやるのは、話は別なのですから。

だから、ここでやるのは、とにかく被爆者全体をにらみながらやることになると、ある人に対しては非常につらいことがあり、ある人に対しては軽いこともある。いろいろあるだろうと思うのですが、言葉は難しいですけれども、できるだけそのようにね。こういう意見があったというのは一番見やすい。軽いのですかね。いや、軽いのではない。普通ですけれども、そこに多数じゃ、少数じゃというのを入れ込むと、またいろんなことが起こりますので、その辺を考えてつくられたら、私は余り言うことはありません。

○神野座長 ありがとうございます。

 石委員がおっしゃったように、これまで長い時間とエネルギーを費やしてきたこの検討会として、現在の到達点としての方向性が出ていくように表現を考えていければと思っております。

 2の総論の部分と3の各論の部分については、前回頂戴いたしました議論を念頭に置きながら修正を加えております。ここの部分について、具体的な内実になりますが、御意見を頂戴できればと思います。いかがでございましょうか。田中委員、どうぞ。

○田中委員 最初の部分なのですけれども、私どもが国民に理解を得るためには、原爆の被害がどういうものであったかということをきちんと明記しておいていただきたいということで申し上げたのが、ここには法律の前文から一部引用されているのですが、私どもから見ると、最後のあたりの文言が非常に意味が重いのですね。だから、それをここに挙げていただきたいと思っております。

 ちょっと読ませていただきます。

国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する

という文が前文の最後についておりますので、全文をきちんと入れていただけたらありがたいと思います。

「異なる特殊な被害であるなど」で切ってありますので。

○神野座長 わかりました。御意見を頂戴しておきます。

 ほかにいかがでございましょうか。どうぞ。

○荒井委員 その点は前回も議論になったと思うのですが、田中委員の御指摘の趣旨は私もよくわかるのですけれども、私も前文のことに言及いたしましたが、それが今回2ページのところに書かれてあると。どこまでその趣旨を取り込むかという、一種のバランス感覚みたいなものがあるだろうと思うのです。大事な法律の前書きで、大事な部分ではありますけれども、全文を引用しなければその趣旨がこの報告書の中で伝わらないかというと、それはそうではないのではないか。

 恐らくこの制度にかかわり、関心のある方々は、2ページの総論の最初の○のところを見れば、今の援護の基本になっている法律を思い浮かべ、その法律の基本の物の考え方ということがベースになっているのだなということはよくわかるのではないでしょうか。

 二十数回にわたる議論の経過を全部報告書の中に取り込むということは困難なことだろうと思いますので、今の被爆者援護法の条文はもちろんですけれども、前文に書かれてあることを意識しているのだということが表現されておれば、よしとしていいのではないかというふうに思います。

○神野座長 ありがとうございます。

 どうぞ。

○高橋滋委員 私も、今おっしゃった文章を全部入れるというのは、全体の分量との関係で、もっと分厚い報告書なら全部引用してもよろしいのだろうと思うのですが、コンパクトな報告書の中に入れるのはなかなか難しいのではないかなと。

ただ、前文を参照するぐらいはできるのではないかと思うのです。この後に括弧して「被爆者援護法前文」というようなことを参照として入れるぐらいは、技術的な問題としては可能ではないかなと思いますが。

○神野座長 ありがとうございます。

 分量や全体のトーンの問題がございますので、私のほうで少し考えさせていただいて、田中委員のお気持ちもわかりますので、注をつけると、えらく注がふえたりするとまずいものですから、別途いろいろやり方があるかと思います。注をつけて、注で後ろに書いておくというようなことを含めて検討させていただければと思っております。

○田中委員 少なくとも頭に「国の責任において」というのが入っているのです。国民の皆さんに理解してもらう上では、そういうものがこの法律の中身にきちんと明記されているということを明示しておくのがいいのではないかと思います。

○神野座長 ありがとうございます。

 ほかにいかがでございましょうか。

○田中委員 ついでに申し上げさせていただければ、何回も言っておりましたけれども、最高裁の判決の中で、この法律は国家補償的配慮がある法律であるということも言ってあるのです。今度の司法のほとんどの判決はそのことについて言及しているわけです。そのこともここで基本的な押さえ方として書いておいたほうがいいのではないかと思います。

というのは、司法と行政の乖離のところをきちんと議論しましょうということだったのですけれども、私からすると、それが十分にできていないのです。どういう理由でどこがどう違ったかということをここで議論しましょうというふうに事務方のほうに何回かお願いしていたのですが、その資料が出てこなかったから、その中で司法が考えている最高裁判所の判断が基準になっているということが明示できなかったというのがありますので、ここにそれを出しておいていただきたいと思います。

○神野座長 これも御意見ありませんでしょうか。

 それは表現ぶりを考えさせていただければと思います。

 ほかにいかがでございましょうか。長瀧委員、どうぞ。

○長瀧委員 科学的な根拠のお話をさせていただきまして、「科学的な知見の整理が示され、本検討会で共有された」「共通の認識として大切にしつつ、援護を行う際には、援護の理由を客観的に説明できるように」、これはこのとおりでよろしいのですが、石さんと同じで、今までの3年間、我々は一体何を議論してきて、何を国民あるいは被災者の方に訴えたいのかと。結局、この委員会は科学的な根拠も全て持ってきて、ステークホルダーが全部集まっているところなので、そのステークホルダーがどういう議論、討論の中である方向に行くか。被災者の方もいらっしゃるような委員会ですね。

そこで、今までの議論を自分なりに考えてみますと、一番最初に言いたいのは、科学がわからないという話がいつもずっと出てくるのですね。ただ、科学がわからないところもあるけれども、わかって、国際的に認められた科学も十分にあるのだと。これは日本の原爆の被爆者の方たちの犠牲で科学ができてきた。国際的にも日本でも確実にわかっているものがあるという部分が、中で全てわからないような感じになるものですから、わかっているところもあると。しかし、わからないところに関して、どこに線を引くかというのを、ここの議論で3年間やってきたような感じがいたします。

ですから、科学がわからない範囲で、どこに線を引くかというときに、では、今、議論してきたもののリスクのレベルと、その範囲を超えた人のリスクに明らかな差がどこまであるかというような議論になると、これは、委員のまとめた考え方として、どこに線を引きましょうということになる。

私自身の頭の中では、その線の引き方について、それぞれの立場のステークホルダーの方がここに集まって議論して、その結果で決まってきつつあるので、個人的な意見というよりは、集団として日本のあるレベルのステークホルダーが集まったところで基本的な理念ができてきた。それがわかるような形であればいいのかなという感じがいたします。

一つは、科学的にわかった部分がある。それはもうわかっているので、わからないところのどこに線を引こうかということを議論してきたということで、御理解いただければと思います。

○神野座長 わかりました。

 どうぞ。

○田中委員 私は、科学がわからないということは一言も言ったことはないのです。私も科学者でありましたから、そういうことは口が裂けても言わないのですけれども、科学で明らかにされてきている部分は明確にあるわけです。それがどういう背景でつくられてきたか、科学的な手順というのがありますから、誰にも何も言われないような手順でつくられてきたかということになりますと、それはまだ不十分さがあったのではないか。戦後の大変な混乱の時期にデータを集めたり、あるいはきちんと測定するわけでなくて、聞いて情報を集めていったものが集積されているということがあるわけですから、そういう限界はありますよというのは、言葉として言わなかったけれども、言外にはそういうものを含んでいたわけです。それが1つ。

それから、集められていく過程で、何回も申しましたが、爆発した瞬間の放射線については、アメリカ軍はきちんと測定をしたのです。だから、そのデータはきちんとしたものがあるのですけれども、これも何回も言いましたけれども、残留放射線については十分でない。一部測定はされましたが、十分でない。そういうものが積み重なってきているということを私たちは完全に共有しないといけないのではないでしょうかという意味でいろんなことを言いました。それは、わからないということを言ったのではないのです。それが1つ。

もう一つは、科学的知見の場合は、草間先生、結果は確率の問題ですね。

○草間委員 がんに関してはですね。

○田中委員 がんでなくても、平均値になったりするわけですね。それを今まで厚労省は厳格に適用しようというふうにしてきたのではないかと思うのです。

しかし、そういう値というのは、がんの場合は、防護としては、危険がこれだけあるから注意しなさいよということになるのはいいのですけれども、この人が浴びて、このパーセント以下だからだめだという認定に使ってはいけないのですね。それは最初のころに原因確率の誤用をやったということにいって、その原因確率は、撤回ではないのですが、撤回したような格好になっています。だから、認定と科学的知見との関係は十分に配慮しなくてはいけない。これは長瀧先生もこの前の意見のときにおっしゃいましたけれども、そういうことだということです。

もう一つは、認定する場合には、被爆者一人一人の感受性がありますから、平均値で出したもので、これよりも少ないからこの人はだめという判断を使ってはいけないですね。私と同じところで被爆して同じ線量を浴びていても、感受性の強い人は発病してしまうのです。私はこんなに元気だけれども、同じところにいた同級生はかなり早い時期にがんで亡くなったのですよ。それはまさに感受性の問題なのです。今、認定しようとすると、その友人は、場合によってはだめだと言われるかもしれないですね。

だから、そういう使い方をしてはいけないということを含めて、余り科学的知見の厳密性とかいうのを標榜して議論しないほうがよろしいという意見を私は述べていたのです。

○神野座長 ありがとうございます。

荒井委員、どうぞ。

○荒井委員 中身についての議論といいましても、これはまた第1回目に戻って議論をする趣旨ではないと思うのです。

だから、田中委員がおっしゃっていることは繰り返し私も聞かせていただいてきているのですけれども、そういう議論を踏まえて、ここ数回、いわゆるまとめの段階に入っているわけですから、しかも、こういう報告書の形になる前に、ある程度論点整理的な段階も経てきているわけですし、この中に田中委員がこれまで主張されてきたことが100%は入っていないかもしれませんけれども、論点として大事なところは全部拾われていると思うのです。受けとめ方が大分評価が違うかもしれませんけど。

だから、大ざっぱに言えば、この案を土台にして、もうちょっと表現がどうだとか、あるいは順番を入れかえたらどうだというような議論をもうすべき段階ではないでしょうか。

今、おっしゃった残留放射線問題についても、ここでの議論も随分あり、ここに相当程度書き込まれていると思うのです。だから、今はそういう段階ではないでしょうか。

○田中委員 私の細かい意見を入れろと言っているわけではないのですけれども、各論の中で、被団協がどうでもいいようなことを言っているみたいな感じのことが時々出てくるのです。

 だから、根底にそういうのがあるのではないかと思いましたので、今、まとめて申し上げましたが、そのところでまた申し上げることにします。

○神野座長 どうぞ。今のところ区切っておりませんので、総論、各論、御指摘いただければと思います。

○田中委員 それはいいかと思うのですけれども、今までそういう議論をしてきたので、かなり散漫になったのではないかというおそれを抱いていますので、やっていったほうがいいかと思います。

○神野座長 どうぞ。

 もしも出にくいのであれば、3とか、少し区切りましょうか。

今、荒井委員が私のかわりに言っていただいたような話なのですが、この検討会もタイムプレッシャーのもとでやっておりますので、私どもに与えられている時間はそう多いわけではありませんから、今、荒井委員が御指摘のように、不適切な箇所、あるいは順番を適切に直すべきだというような御意見がございましたら、頂戴できればありがたいのですが。

○石委員 これは、どこでもいいのですか。

○神野座長 そうです。2でも3でもどちらでも構いません。中身の。

○草間委員 17ページの最後までのどこでもいいのですか。

○神野座長 各論、総論、中身の部分ですね。

○草間委員 言わせていただいていいということでしょうか。

○神野座長 はい。ありましたら、どうぞ。

○草間委員 10ページの下から2つ目の○のところですけれども、「非がん疾病の具体的な認定要件が不明確であり、分かりづらいことなども一因と考えられる」の部分で、非がん疾患に関しては、「放射性起因性が認められること」という前文がついているわけですが、ここでぜひ御検討いただきたいのは、認定要件が不明確でありということになりますと、現在、既に分科会等では非がん疾患に関しては科学的な知見に基づいて判断していただいているわけですので、「不明確である」という言い方は、科学者として納得がいかないと思います。

これは、要するに、分科会での判断基準が公表されていないためにわかりづらいというだけのことで、「不明確である」ということになると、分科会は何しているのということになりますので、「不明確」というのは、取っていただくか、あるいは9ページの一番上のところに「『放射線起因性が認められる』といった抽象的な文言」とあるので、例えばこういった言葉を使うとかいう形にしていただいて、「不明確」というのを変えていただきたいなと思うのですけれども、いかがでしょうか

○神野座長 わかりました。

 いずれにしても、9ページの上の段と趣旨は同じ意味ですので、表現を適切な方向で考えてみます。

 どうぞ。

○荒井委員 同じ10ページですが、上から2つ目の○の「これに対し、裁判では個別の事例に基づいて判断が行われる」という表現があります。事例に基づいて判断するのでなくて、個別の事情という趣旨だろうと思うのですが。

○神野座長 わかりました。

 どうぞ。

○西藤委員 この二、三回しか議論に参加していないので、過去がどうだったかというのははっきりと自信を持って言えるわけではないのですが、10ページの2つ目の○の最後のほうは、「判決を一般化した基準を設定することは困難との意見が多数であった」の後に、3つ目の○が「しかし、こうした限界を踏まえつつも、司法判断と行政認定の乖離をできる限り縮めていく努力が重要である」という流れになっているのであれば、2つ目の最後でわざわざ「多数であった」というふうに言わなくてもいいのかなと。「意見があった」ということでもいいのかなと。文章の流れとしてそういうふうに思いました。

 3ページの2つ目の○の一番最後もちょっとそういう感じがしたものですから。

○神野座長 そうですね。この検討会の議論の内容の事実をどこまで反映させるかということと今おっしゃった文章の流れの関係になるかと思いますが、ちょっと表現ぶりは考えてみますけれども、事実としてはこうだったと思いますので、それはちょっと生かしながら。

○西藤委員 済みません。そういう意味で、この二、三回しかこの議論に参加していないので、そこの事実関係は明確に言えないのですが、ただ、わざわざ「多数であった」と書かなくても、その流れとしてはいいかなと思ったものですから、そう申し上げました。

○神野座長 はい。ただ、事実認識、論点が分かれるところですので、ここの検討会の到達すべき点、到達している点は少し残しておきたいと考えております。表現ぶりは考えさせていただきますが、そういうことだというふうに御理解いただければと思います。

先に高橋委員、その後、田中委員、お願いします。

○高橋進委員 技術的なことですが、草間委員が今、10ページのことで御指摘されましたが、同じ趣旨のことが8ページの一番下から4行、5行のところでも出てくるのです。ですから、10ページを変えるのであれば、ここも一緒に変えないといかぬと思います。

○神野座長 どうもありがとうございます。

 田中委員、どうぞ。

○田中委員 今、西藤さんがおっしゃったように、やはりこの部分はおかしいのです。多数であるというところ。これは私が何回も申しましたね。どこかに「多数」と書いてありましたけれども、国は圧倒的多数が負けたのですね。31の判決のうち29が負けているわけですから、圧倒的に国が負けているわけです。単なる多数でないわけですよ。負けた判断の基本部分といいますか、総論部分では、行政の認定のやり方が間違っているというふうに書いてあるわけですよ。だから、そこのところをどう一般化するかというのをここでずっと議論しなければいけなかったのであって、これは高橋先生も、それはしなくてはいけないというような発言もなさっていたように思うのですけれども、それを「一般化した基準を設定することは困難」と。どこでそれが多数になりましたか。

○神野座長 どうぞ。

○高橋進委員 私が申し上げることではないのかもしれませんが、私の名前を引用されたので。

これは国語の問題だと思うのです。要するに、ここで「個別例である以上、判決を一般化した基準を設定することは困難である」と言い切ってしまうと、この会の全員が困難であると言ったことになるので、田中先生の意見が反映されない。だから、田中先生の意見を反映するために、あえてここで「意見が多数であった」というふうに書いてあるわけです。ですから、一般化すべきであるというふうにおっしゃる方もいらっしゃったということを明確にするために、あえてここで「意見が多数であった」というふうに切ってあるわけです。

むしろ、意見が分かれているということを明確にするために、ここでわざと切って、「多数であった」という言い方をしているわけです。

これは国語の問題だと思います。

ここで「困難だ」と言い切ったほうが、「しかし」と自然につながるのですが、つなげてはいけないということで、あえてここで切って、多数だという言葉を入れている。私はそういう理解ですが、それでよろしいのですね。

○神野座長 そうです。高橋委員の指摘を踏まえて、なるべくこの検討会の状況というものを反映させるという趣旨でつけ加えさせていただいているということです。

○田中委員 一般化した基準を設定することは困難なのですか。

○神野座長 という意見が。

○高橋進委員 多数決云々という話ではないのですが、困難だというふうに考える方が多かったと。田中委員は困難ではないとおっしゃる立場だと思うのですが、そこは意見がずっと分かれていた。ですから、ここで文章を書くときに、あえて「困難である」と言い切ってしまえば、田中先生の意見を無視したことになるので、はっきり言わせていただければ、あえてここでは言い切っていない、意見が分かれていると言って文章を切っているわけです。

○田中委員 ですから、「困難である」で切ったら、確かにおかしいのですよ。「困難との意見があった」というのはおかしくないですね。

○高橋進委員 ですから、そこで意見があったというだけだと、しょせんどういう意見があったということだけの整理に終わってしまいますから、そこでは軽重をつけてあるわけですね。「意見があった」ということに、さらに「多数だ」という言葉をつけてあるわけです。

○神野座長 荒井委員、どうぞ。

○荒井委員 多数であった云々というのは、二、三回前に、やはりこの議論の経過をなるべく反映させるようなまとめ方が好ましいのではないかと。私もそちらの意見を申し上げたつもりなのですが、それぞれの意見の価値評価をするのは適当でないと思うのです。どちらの意見が貴重であるとか、評価に値するかしないかということの選別は、この議論のまとめの中には書きようがない。

 しかし、少なくとも多かったか、少なかったというところは書けるなら書いたほうが、ここの議論の経過をお伝えするのに適当ではないかという背景なのです。

ですから、一々決をとったわけではないですけれども、ある意見が少なかったか、多かったかということは、お互いの認識の中にあってしかるべきではないでしょうか。

ここの部分というのは、具体的な司法判断の中で、田中委員に言わせれば、国は圧倒的多数が負けているということはそうかもしれませんが、だからがゆえに司法判断の基準を一般的な基準にそのまま取り込めるかどうかというところでは意見が分かれたわけですね。これは議論の結果としては仕方がないことではないでしょうか。そこの意見の違いなのですね。

○神野座長 草間委員、どうぞ。

○草間委員 今のと同じですけれども、例えば10ページをとった場合でも、私が今まで関係してきた検討会等では、大多数の意見を最初に書いて、しかし、こういう意見もありましたというのが通常だったと思うのです。

この報告書では、最初の○のところで司法をきっちり重視して、判決の考え方を踏まえて認定の方法を云々と田中先生のご意見を書いて、しかし、これに対して多数の意見があったということで、田中先生の御意見が最初にあるわけですね。

だから、検討会の報告書として、二十何回もの議論を重ねてきて、ある程度方向性を出さなければいけないので、こういうことでお認めいただいたらどうかなと思います。

 どちらかというと、通常、検討会の報告というのは、多数の意見はこうだとマジョリティーのほうを書いて、こういう意見もありましたという形ですけれども、今回の報告書は、通常の検討会の報告書とはちょっと順序が違うかなという印象があったりします。それは田中先生の御意見等を十分尊重して取り入れているというふうに考えておりますので、そんなふうに見ていただくといかがでしょうか。

○神野座長 ありがとうございます。

 いかがでございましょうか。どうぞ。

○三藤委員 15ページの最後の「むすび」の2つ目の○です。ほかのところでも何カ所か出てきますが、「科学に限界があることを踏まえて施策を考えていくことが必要である」という表現があるのですけれども、これは当然そういう形になると思うのですが、認定制度というのは、科学的な知見の範囲内でという基本的な考え方が各論の中では通じて語られておって、「むすび」のところで「科学に限界があることを踏まえて」と。これは私も主張してきた内容なのですけれども、この受けとめ方が、どのように受けとめられるかというのがちょっと気になるのです。

科学に限界があることを踏まえて、科学的知見の外側を過去「グレーゾーン」というような言われ方をして議論をしてきたのですけれども、その内容を評価をしてくださいという意味でこの「むすび」が書かれているのかどうかという部分がいまいち不明なものですから、考え方がもしあれば、説明をいただきたいと思います。

○神野座長 これは考え方というよりも、ここでの議論、先ほどの長瀧委員の御指摘もそうですけれども、「限界」という表現がちょっと問題であれば、少し表現ぶりを考えさせていただきますが、いずれにしても、科学的な知見あるいは疫学的な事実を基礎というのを重視しているわけで、ただ、科学に限界がある。今おっしゃったように、「限界」という言葉があるメッセージを呼ぶような表現であれば、ちょっと考えさせていただきますが、趣旨はそういうことですね。

○三藤委員 私は文言どおり解釈させていただいて、限界がありますと。だから、限界の外側の部分、科学で証明できないものについて何らかの施策の検討をしてくれという意味だと理解をしているのですけれども、その辺は違うのですか。

○神野座長 だから、施策そのものについては、科学そのもので全て割り切れるということではない部分、先ほど長瀧委員がおっしゃったような部分で、ここで必ずしも同意ができていないのですけれども、そこの部分は、長瀧委員の言葉を使えば、さまざまな視点から価値観を考えてやるべきだということの御意見だったので、その趣旨は前の部分に盛り込んでいるというつもりでおります。

○三藤委員 確認で終わらせていただきますけれども、今おっしゃられたような内容が含まれておると理解させてもらって構いませんね。

○神野座長 はい。科学だけで全て割り切れないということは、そうですね。

 どうぞ。

○長瀧委員 先ほども言いましたけれども、科学でわかっているところは、わかっていると。わからないところ、不確実なところをどう扱うか。

 だから、極端に不確実なところも全てということになりますと、手帳を持っている人全てということになりますね。あるいは言葉の使い方で、否定できない、放射線の影響が疑わしいというところをどこまで広げるかというと、手帳を持っている人が全てということになるし、あるいは本当にわかっているところと言えば、もっともっと狭くなる。

 その間をどう線引きするかということが、それぞれの立場の方のこの委員会の目的なり仕事、任務だったような感じで議論してまいりました。

 その結果、ある部分、科学的な要素の中で、例えばがんと非がん疾患を分けるとか、あるいはがんにしても、何キロまでとか、そういう多少科学的な限界を考慮しつつ取り入れて、それがこの委員会の合意になってきたのかなというふうに理解しております、「科学の限界」というところを。

○神野座長 どうぞ。

○荒井委員 15ページの「科学に限界があることを踏まえて施策を考えていく」、この読み方といいますか、受けとめ方というのは、若干玉虫色的に見えるのですけれども、私の理解は、限界があることを念頭に置いた上で、具体的な制度設計としては、現在、既にオーバーしている部分、科学で説明し切れない部分がある、それはそれで受けとめていこうという前提があると思うのです。

 新たに何かを加えていくという問題については、新しい科学的知見が出てくれば、それはそれで取り入れるべきだということが各論で書かれてありますし、それからいわゆる総合認定という手法が1つ今でもとられている。それはそれで大切なことだ。

 しかし一方で、科学に限界があるけれども、何でもかんでもというわけにはいかないよという趣旨のことが各論の中に書かれてありますので、この1行でもって評価するというのは難しいだろう。科学的知見の位置づけといいますか、それの限界とか、今後どうするかということは、各論を見ていくべきだろうと思います。

○神野座長 いずれにしても、「むすび」のところは、前の2、3で述べられたことを要約しているところですので、要約の仕方で誤解を招くようなことがあれば、少し考えさせていただきますけれども、中身については、前を読んでいただくということになろうかと思います。

いかがですか。どうぞ。

○田中委員 それと関連しますが、これは長瀧先生の報告などがもとになっているかと思いますので、7ページのところに「本検討会では、長瀧委員から」云々とありまして、後のほうに「援護を行う際には、援護の理由を客観的に説明できるように」というのは、前回も「客観的に」というのはどういう意味合いになるかということをお聞きしたことがあるのですが、もう少し明確にしておいたほうがよろしいかと思います。

私どもからしますと、「科学的知見を共有認識として大切にしつつ、国民感情があり、したがって、被爆者援護法の精神に沿って援護を行うべきという認識を共有する」というような格好に明記したほうがよろしいのではないかと思います。

○神野座長 長瀧委員の御意思をちょっと尊重して、「客観的」という言葉でここは表現してほしいというお話だったので、このようにさせていただいているのですが、何かございますか。よろしいですか。

○長瀧委員 これはなかなか短い時間に1行、2行で言うのは難しいですが、要するに、科学的知見はみんなで共有しましょうと。共有するけれども、援護ということを考えるときには、それを共有しながらも、援護の目的から言うと、この線をここまで広げましょうと。そのときに、なぜ広げるかという援護の理由をきっちりと説明しないで、ただ、漠然とした言葉でここまで広げたというのではなくて、やはり国民に対して、こういう援護の目的で広げたということが言葉として出たほうがいいだろう。そういう意味で、「援護の理由を客観的」という言葉を入れました。

だから、それが援護法の文章のどこかに具体的に客観的に書いてあれば、それでよろしいと思いますが、ただ、非常に漠然とした言葉だと、検討会の機能としてわかりにくいと思ったものですから、そこで、まさに援護という目で見たときに、ここは援護という目からここまで広げましょうということをわかりやすく国民に対してお話しできるようなものがあって、ここの委員会でみんなでつくればいいと。大分この言葉を考えたのですけれども、そういう意味でございます。

○神野座長 よろしいでしょうか。ちょっと考えさせていただきます。

 ほかにいかがでございましょうか。

○田中委員 ちょっと修正していただけたらと私は提案したのですけれども、それはどうなるのですか。

○長瀧委員 まさにこの委員会で援護法に書いてあるものが客観的な説明等十分であるというふうに考えていただければ、それで直して結構です。

○神野座長 表現ぶりはまた考えさせていただいて、次回提案させていただきます。

高橋委員、どうぞ。

○高橋進委員 先ほど15ページの2つ目の○のところで「科学に限界があることを踏まえて」ということがあって、議論があったと思うのですが、私も自分でもよく割り切れないのですが、8ページの一番下の行に「科学的知見とともに、限られた情報の下で判断することの限界も考慮しつつ」とありまして、科学的知見とともに、情報なども実は不正確であるということも含めて考えるべきだというふうに両方踏まえないといけないのかなとずっと思っていたのですが、そうだとすると、正確を期すのであれば、科学だけの問題ではなくて、事実を認識することにも限界があるということを入れておいたほうが、精神として、私たちの気持ちとしてより反映するのかなという気もするのですが、いかがでしょうか。

○神野座長 御趣旨はわかりましたので、ちょっと表現ぶりを考えさせていただきます。

 ほかにいかがでございましょうか。石委員、どうぞ。

○石委員 個別の文言についての意見ではないのですが、昔、小泉内閣のときに「骨太の方針」とか、「骨太」の何とかと言われたことが多々ありましたね。僕は、この検討会の報告書というのは、まさに骨太なのだろうと思うのです。

今、我々がやろうとしていることは、これまでの二十数回の議論を踏まえて、もう一回細かい点、意見がイエスとかノーで分かれているようなところ、個々を積み上げて、それで文章化しようというところ、どうしても必要ならやってもいいのですけれども、それよりは、これは被爆者の方々を含めた国民一般に対するメッセージとして、我々専門家、長瀧さんに言わせると、ステークホルダーの代表が集まって議論したこの会の集約された意見が国民に伝わればいいという意味では、大筋でいいのですよ。

そういう視点から言いますと、いろいろ争点がありましたけれども、2つほど争点があった。

1つは、科学的根拠というのが頼れる物差しかどうかについては、はなからだめだという人と、しかし、頼れなくても頼ろうよという感じで、科学的根拠を抜きにしたら、こういう援護はあり得ないというので、これに対して支持する人が多かったというのは1つだと思いますよ。

だから、やはり司法と行政の乖離で、しばしば司法のほうで勝訴が出て、行政のほうの判断というのはもうなくてもいいのではないかというような、そこまで言う議論はなかったかもしれませんけれども、圧倒的に司法のほうのサイドの議論に対して、やはり個別の事情があるので行政サイドのほうを加味しなければだめだ、このメッセージがこの会では多数だったと思うのです。

僕は、その2つのメッセージが総論として国民に伝わればいいと思う。

あとは、個別にさまざまな具体例がついたり、疾病の具体例がついたりしていますけれども、それはこの報告書の装いをカラフルにしているのだから、それはそれでいいと思うし、全体としては、これは15ページぐらいだけれども、これは○を取ってしまって文章にするのでしょう。違うの。○のままで行くの。

○神野座長 はい。

○石委員 ○は、箇条書きみたいで何か味気ないな。普通はこういうのは文章化するのだけれども、これを文章化すると、もっと縮まってしまう。10ページぐらいのものですよ。これは一体誰が読むか、誰に出すかということを何にも聞いていないのだけれども。

○神野座長 基本的には厚生労働大臣の諮問に答えるということになりますので、厚生労働大臣にお出しするのですが、同時に、石委員がおっしゃるように、そのものが国民及びさまざまな被害を受けている方を含めて。

○石委員 これは恐らくマスコミ等々を通じてもそれなりに国民に対するメッセージとして伝えてもらえると思うので、くどくど細かく書くよりは、まさに骨太でいくべきではないかというのが私の意見です。

○神野座長 ありがとうございます。

 ほかにいかがでございましょうか。どうぞ。

○西藤委員 「むすび」の一番最初の○は、大変すばらしいことが書いてございますので、「苦難に想いを馳せ、援護の精神に基づいて、被爆者に寄り添うという視点が何よりも大切である」という観点で、8ページから9ページにかけて「外形的な標準を示し」というような文があったりしますので、そこもそういう視点に立ってこういうことをするのだという理解をさせていただきたいと思っております。

 このことを逆に狭めるということが決してあってはならないと思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

○神野座長 ありがとうございます。

 ほかにいかがでございますか。

○田中委員 先ほどのところにすごくこだわるのですけれども、「一般化した」というのは、実は2カ所出てくるのです。3ページの2番目、司法と行政の乖離のところをいろいろ検討したというところで、それぞれの判断の根拠みたいなところを出した後に、「司法と行政の役割の違いから、判決を一般化した認定基準を設定することは難しいとの意見が多数であった」。次に、このような司法判断と行政認定の乖離は難しい課題であるが、埋めていく努力をしていかなくてはいけないということになるのですけれども、それと同じような文言で、先ほどの10ページのところが、やはり「判決を一般化した基準を設定することは困難との意見が多数であった」。ここは「しかし」というふうに続いてくるのです。非常に重要な中身としてここで提起されていて、私どもがずっと言ってきていましたのは、裁判の判決を行政は守らなくてはいけないのはないですかね。これは高橋先生のような法律の方にお聞きすればいいのですが、守らなくてはいけないのだと思うのです。特にこんなに多数負けてきたものですから。

だから、「一般化」という言葉はどうかと思いますけれども、負けた中身をどういうふうに法律だとか、基準の中に生かしていかなくてはいけないかという努力をして、そのことがここに出てこないといけないのだと思うのです。

「一般化した基準を設定することは難しい」という格好で出てきて、それが多数だというふうになってしまうということに、私は依然として納得できませんので、ここには賛成をできません。

○神野座長 高橋委員、どうぞ。

○高橋滋委員 多分21回の資料4だと思うのですけれども、23年8月以降の判決の動向が出ているのですが、必ずしも最近の裁判例というのは、全面国の敗訴という形でなくて、判決例がかなり分かれてきている部分があるわけですね。そういう意味では、個々の裁判例の、これをとった、これをとらないというところはなかなか一般化できないというのが、現状の判例の分析なのではないかと思いますので、そういう意味で、田中委員の御認識もあろうかとは思いますが、そこは、このような資料を踏まえると、一般化はなかなか難しいのではないかなということで申し上げてきたつもりなのです。そういうことでございます。

○田中委員 お言葉を返すようですけれども、最近の裁判で政府が勝ってきているのはほとんどないのです。この前も申し上げましたが、8月に大阪の追っかけ裁判、私どもがやってきた集団訴訟が終わった後の裁判なのですけれども、放射線起因性が認められるというところの疾病の方たちなのですね。心筋梗塞とか。そういう原告の人たちが8人いたのですが、その人たちは全部裁判でまた勝ったのです。その前にも勝っているのです。

大阪の場合には、それに加えて、これも厚労省は御存じだと思いますけれども、一審で控訴しなかったのです。というのは、そのことを国として認めたわけでしょう。

ですから、そういう格好で一般化といいますか、何らかの方向性は出せるはずだと思うのです。

このことが認められなければ、このまま文章になるというのには賛成できませんので、もしよろしければ、時間をいただいて、どういう表現にすればいいかというのを被団協の仲間と相談してみたいと思います。

○神野座長 高橋委員、どうぞ。

○高橋滋委員 では、それは21回の資料4は間違いであるという御指摘ですか。

○田中委員 これは事実です。

 私が出した資料もありますね。

○神野座長 どうぞ。

○荒井委員 大阪の判決を含めて、判決に対する見方、評価というのは、率直に申し上げて違うのです。ですから、大阪の判決について控訴しなかったという事実自体、どういうふうに評価するかというのが、これまた意見が違うと思うのです。当該の事件に関しては、国は控訴しなかったわけですから、一審判決をまさに重く受けとめて、その判決の趣旨に従って対応しなければいけない。だけど、それを一般化できるかどうかというのは問題でありまして、控訴しないということ、どこまでを受け入れるかというのは、結論が受け入れたのでしょうね。

しかし、控訴しない理由というのは、事案によってそれぞれ違うわけですから、結果だけを捉えて一般化できるのではないかというのは、やはり意見が違うということにならざるを得ない。

だから、最後の報告書の取りまとめの段階で、自分の意見と違う部分があるから賛成できないという対応というのは、先ほどの骨太ではありませんけれども、御意見の中身がそれぞれ取り込まれているならば、多数かどうかとか、あるいはそれが拾われていなかったというなら、それはまた別の話ですけれども、書かれてあれば、それはそれでみんなでこの結論でやむなしというところで受けとめざるを得ないのではないでしょうか。

表現によって、まだ幾らか修正の余地があるかどうかというのは、また別の問題ですが、根本的なそこの認識の違いというのはやむを得ないことだろうと思うのですね。

○神野座長 どうぞ。

○草間委員 10ページに関しては、田中先生の今のような御主張は、○の1つ目に書かれていると私は理解しているのです。

 それに対して、今のようなさまざまな司法と行政の乖離をどうするかとかいうことも含めて考えたときに、「司法の判断を一般化して基準を設定することは困難」というのは、そのほか多数の意見だったということで、私はこれでいいと思っているのですね。

だから、これは田中先生の御意見ではない。そのほかの御意見がこれですので、これに対して、田中先生が反対だと言うとすると、ちょっとおかしいのではないかなと思う。

だから、もし田中先生の御趣旨が○の1つ目のほうに十分反映されていないとしたら、「ここをこういうふうに修正してほしい」という御意見をいうほうがよいと思うのですけれども、いかかがでしょうか。

それから、○の2つ目に関しては、私も含めて多数はこういうふうに考えましたということなので、これは間違っているという言い方はおかしいと思うのです。

○神野座長 どうぞ。

○田中委員 司法とのこと、非常に細かいのは、高橋先生からこの資料が間違って言っているのかということについて、これは間違いではないと思うのですけれども、取り扱いについて、一般化するということができないという意味の表現が悪いのではないかと思っておりましたので、先ほど申しましたように、相談する時間をちょっといただけないかということです。

○石委員 それはおかしいですよ。これはこのメンバーだけで議論の集約をしているわけですからね。

田中さんの御意見は、今、草間さんが言われたように、第一のほうに入っていて、第二のほうは他人の意見なのですよ。他人の意見がおかしいというようなこと、要するに、他の人に賛成しかねるから直せと。それがだめだったら、ほかの人と相談するという検討会の進め方ではないですね。

だから、草間さんが言われたみたいに、「多数であった」というのは、田中さんを除く人の意見が「一般化ということは難しい」ということに一致しているのですよ。それについて、田中さんが認めるとか認めないという次元の話ではないと思う。

まさに、1段目の○のほうで御自分の意見をもうちょっと正確に言ってくれというなら、それはそれでいいですよ。

ここにいる委員の方の意見が全部100%正しいというわけでなくて、方々違っているわけですよ。自分の意見以外のものがおかしいという言い方は、民主的な議論の展開の仕方においてはおかしいでしょう。それはそれで認めるしかないでしょう。

○神野座長 いかがでございましょうか。

 私としては、最初にも書いてありますが、この検討会で意見が一致していないということを前提にした上で、多くの意見がこうだった、そしてそうでない意見もあったという、現時点でのこの検討会の状況を正確に反映したいと思っております。

それが正確でないというのであれば、表現ぶりその他を改めたいと思いますが、そうではなく、今の一般化できるか、できないかというようなことは、極端に言えば、この検討会で繰り返し繰り返し議論をしてきたことであって、その結果として一致できていないという状況で、石先生がおっしゃったように、正しいか正しくないかということを書いているのではなく、多数か、少数かということを書きながら、検討会のミッションとして、少し方向性をにじみ出そうと思って書いています。それは御理解いただければと思います。

あといかがでございますか。長瀧委員、どうぞ。

○長瀧委員 私も、科学的な知見をここで話すというときに、科学的知見だって物すごくいろんな方の意見があるわけですけれども、委員の一人としてここに出てきているとすれば、それは私の責任でできる範囲でお答えして議論するというのがこういう検討会の趣旨ではないかと思います。ここで議論したものを外の団体に持っていって意見を聞くというのは、僕がいきなりこれを科学的知見だから、どこの人に言ってというふうなことをやれば、やはりおかしいと思われるのと同じで、この委員の中で議論するというのが原則ではないかと思いますけれども、いかがでしょうか。

○神野座長 ございましたら。

○田中委員 基本的には私もそうだと思うのですけれども、少数ですが、当事者である日本被団協の委員として出ているということになりますと、広範な中身のものですので、私は自分のことを残念だと思いますが、このところは自分一人で判断していいのかというのがありますので、それはお許しをいただきたいなと思っております。

○神野座長 どうぞ。

○石委員 何を許さなければいけないのですか。

○田中委員 今、ちょっと時間を下さいということです。

○石委員 でも、これに書いてあるのは、さんざん草間さんが言っているように、ほかの人の意見がおかしいということを外の方と議論してもらって、直せと言われても困るのではないですか。それは直せないですよ。田中さんの意見が落ちていて、けしからぬというのはよくわかりますよ。それは全部拾われていると思いますから。御自分の意見は全部被団協を代表することでここに出ているのですよ。それ以外の御自分たちの意見が入っていないところに対して、被団協の方と相談して、落とせというのは言えないでしょう。

○田中委員 落とせというふうに提案するということは言っていませんよ。

○石委員 では、何を提案されるのですか。

○田中委員 どういう表現に変えることができるか。もうちょっと違った表現に変えてもらう。

○石委員 でも、それはこちらの意見として書かれたのだから、それを他の人に変えてくれと。要望はあってもいいと思いますけどね。

○田中委員 それは私が提案することになります。いろいろ相談して、こういう表現に変えていただけないかと。

○石委員 僕は座長に任せますけれども、我々多数のほうの意見に対して、多数というのは、いいとか悪いというのは別にして、意見が間違っているよという言い方に変えてくれというのですが、それについて、ほかの人がなかなかイエスとは言わないでしょうね。

○神野座長 よろしいでしょうか。

 ほかにいかがでしょうか。

○田中委員 多数であるということですけれども、本当に一般化した認定基準を設定するのは難しいのでしょうか。先ほど何回も申し上げましたが、多くの判決があって、共通した表現で司法が総論の部分を言っているのですね。だから、援護法に基づく認定をするのだとするならば、その判決に従って行政の基準を直すべきであるというふうに私は言ってもいいと思うのですが、それが困難だというのは、先生方の皆さん、そうなのですかというのをお聞きしたいのです。

○神野座長 これはちょっと前からの議論になりますが、今、高橋先生からも御解説いただいたということになろうかと思うのですが、ここで説明しろと言われても、この意見を説明しろということになりますね。

 ただ、私はこの問題については素人ですけれども、租税などの問題でいっても、できない場合が非常に多いので、普通は裁判の判例を法律に一般化したりすることはなかなか難しいような気がしますが、法律の専門家の方から御説明をお願いします。

○荒井委員 一言で言うと、一審判決の集積から何を酌み取るかということについては、いろんな考え方があると思うのですね。最近、新聞をにぎわせました婚外子の相続分の最高裁判決などは、最近の新聞報道にも出ておりますように、政党の中では賛否がいまだにあるようですが、そこはまさに最高裁の判決として立法府も行政府も受けとめざるを得ない、受けとめるべきだということで結論的には異論がないわけですね。

だけど、一審判決が積み重なった場合に、それをどういうふうに評価、受けとめるべきかというのは、まさに議論があり得るところだと思うのです。そこで、まさにおっしゃるように、司法と行政の乖離ということで、二十数回にわたって、ほとんど毎回のようにそれを念頭に置きながら議論を積み重ねてきたのではないでしょうか。

結論としては、そこは疾病名にしろ、あるいは距離的、時間的な要件の問題にしろ、司法判断で認められたものを全部行政のほうに持ってきて基準化することは難しいというのが多数の意見だったと。

あえて言えば、きょう御欠席の委員もおられますけれども、もしどうしてもというのであれば、それは決をとっていただかざるを得ない。それは、座長がおっしゃったように、普通の審議会、検討会でないやり方だろうと思いますが、そこがどうだということを突き詰められれば、手でも挙げてもらうしかないと思うのですが、やはりそこは多数が難しいという状況認識ではないでしょうか。

○石委員 そうは言っていないですよ。

僕は、田中さんの御主張はよくわかりますから、田中さんの御主張をもっと上のポチで書いたらいいですよ。一般化した基準を設定することはできなくはないのでしょう。「困難である」ということに対する御意見なのですから、これをやれとおっしゃっているわけだから、司法の意見を受け入れて一般化した基準を設けて、それでやれという意見もあったということを上のほうの中に。「こうした判決の考え方を踏まえて」というのは、そこでしょう。だから、「こうした判決の考え方」の中身をもうちょっと書いて、田中さんの御主張をもう少しクリアに書くぐらいのことはできるのかなと思いますけどね。

○神野座長 田中委員、それはいかがでしょうか。

長瀧委員、どうぞ。

○長瀧委員 私は、裁判は全くわからないのですけれども、科学的な論文が一時的なレベルで出てくると、物すごくおかしなものもいっぱい入っているわけですね。それをたくさん集めて、その中で共通したものからあるコンセンサスができてくるというので、今の一審というのは、多分最初の、まだ洗練されていない論文のようなレベルではないか。

そういう意味で見ますと、本当に医学的な常識ではどの医者も考えられないような判決もあります。放射線起因性というのは、どう考えてもというようなもの。病気に病名だけ持ってくればね。

だから、そのことではなくて、一審のたくさんの判決の中の客観的な状況を我々がつかまえて、変化したものに持っていくためにどうしたらいいかというのがこの委員会の義務のような感じがいたしますので、つけ加えさせていただきます。

○神野座長 ありがとうございます。

いかがでございましょうか。

○田中委員 これは、一般論を議論しまして、多数であるかどうかという判断をしろということであれば、一般論でいいのですけれども、これは一般論ではないのですね。私たちは、原爆症認定のあり方についての行政のあり方について、どう変えるかどうかという議論をしてきたわけですね。

何回も申しますけれども、裁判は圧倒的多数が行政のやり方を改めるべきであるという趣旨の判決を出しているわけですね。

集団訴訟は一審で終わっていますが、二審へ行っても勝っていったのではないかと思っています。二審に上って勝っているのがありますからね。逆転もありますから。

だとすれば、そういうものを認定の基準として一般化するということは困難という言い方をしてはいかぬのだと思いますよ。努力をして、こういうやり方があるのではないか、あるいはこういうやり方があるのではないかというのがあってしかるべきで、「一般化した基準を設定するのは困難だ」という表現はよくわからない。納得できませんね。

逆に言うと、そういう議論を十分にしてこなかったと思うのです。

荒井先生は、個別でやる、司法は一人一人を判断するのだからというような主張を盛んにしておられましたが、判決そのものは一人一人の判決なのですけれども、その判決を下した根底の考え方というのは共通するものがあって、31に対して29の判決で改めるべきであると司法が判断したわけですから、それを一般化できないとここで言うのはおかしいのではないかと思うのですよ。

○神野座長 という意見のことについておっしゃっているのですか。

○田中委員 その議論をしなかったと思いますので。

○神野座長 私の運営としては、粘り強く長い年月とエネルギーをこの問題にかけても十分にやってきたと思っています。ただ、一致ができていないというふうに認識しておりますので、もしも議論をしていなかったということであれば、それは私の運営上の責任ですが、私としては、十分意を尽くして議論していただいたというふうに認識しております。

○田中委員 先ほどのはちょっと言い過ぎかもしれません。議論が確かにありましたけれども、十分にお互いが納得できる議論にはなっていなかった。それがここにこういうふうに出てきているというふうに思っております。

○神野座長 だから、一応書いているわけですね。

これは繰り返しになってしまうのですが、どうしましょうか。

○石委員 僕は、裁判のほうは全く門外漢ですけれども、荒井さんとか高橋さんとか田中さん、いろんな方の説明を聞いて、それなりに困難であるというのをよく理解した上で参加しているつもりですし、30件あるとか二十何件あったとか、個々の案件まで下ってやっていないけれども、資料として出されているものを横目で見ながらやったわけですから、僕は十分に議論したと思いますね。これ以上もう一回繰り返しても、要するに、相手の議論が納得できないから反対だという人は最後までいらっしゃるわけですよ。それは意見の対立で、しようがないですよ。そこを不十分だとおっしゃるのは、その点について納得できないなという感じがしますので、私は座長の見解を支持します。

○神野座長 ありがとうございます。

坪井委員、どうぞ。

○坪井委員 この会ができたのも、そもそもは裁判から問題が起きて、御承知のとおり、それで行っておるのだから、全く裁判の結果はどうでもいいわけにはいかないと思うのですが、しかし、いろいろな問題でも言われるように、検討を物すごくやってきておるわけですよ。ここまではいけるぞ、ここまでは言えるぞというのが、いろいろなところで出ておると思うのですよ。

だが、それだけ出てきたけれども、決定的にはまだ我々のほうの力が及んでいないかもわからぬ。

あるいは個人的な裁判ですから、行政裁判をやったら明らかになるかもわからぬですよ。さらに最高裁まで行ったらどうかとか、そこらまでを考えると、まだ我々の検討は幼稚だと見なければいかぬ。

しかし、幼稚であっても、ここまで考えてきました、今後もそれは考えますよというのが1つ残ってもいいと思うのですよ。何か結論が出なかったらだめだというような考えは持っていないです。ここまでは来ましたということだけはね。

だから、一般的に難しいなら難しいでもいいのです。難しいというのは、それで終わったと思ったら大間違いだと思っている。

だから、むしろ今後への問題もちょっと提起したような文章をつけ加えてもらいたい。これをまだやったら、2年も3年もかかるかもわからぬですよ。と私は思っているのですよ。

○神野座長 ありがとうございます。

 御趣旨を少し行間にやるように、どこの場所がいいかということは言いませんが、お気持ちを少し反映できるようなことも考えてみたいと思っております。

 ほかにいかがでございましょうか。よろしいでしょうか。

 それでは、2と3の御議論を頂戴いたしましたけれども、既に4も議論をしていただいておりますので、この報告(案)について御熱心に御議論を頂戴したというふうに思っております。

一応、この辺で区切らせていただきまして、本日頂戴いたしました意見を考慮して、次回の議論でこれを修正したものをお出しして、できることであれば次回で報告書を取りまとめるということを考えておりますので、きょうの御議論を反映させながら、事務局と相談してこの報告書(案)を修正したものを取りまとめていきたいと思っております。

○田中委員 希望なのですけれども、いろいろ文言で修正してほしいというのが結構あるのですが、順序立てていけば、その都度発言しようかと思ったのですけれども、それができていないので、それを反映させていただくにはどのような手だてをとれますか。

○神野座長 御意見であれば、いつごろまでに頂戴できれば間に合うかということなのだけれども。

○田中委員 ここをこういうふうに直してほしいというのを出す。

○神野座長 つまり、田中委員の意見としての修正意見ということですね。

○田中委員 そうです。

○神野座長 それは頂戴できるのはいつぐらいまで。

○榊原室長 もし既にあるものであれば、まず第一陣としていただいて、きょうの御議論を踏まえたものはまた出していただければと思います。

○田中委員 わかりました。言葉として表現できていないものがありますので。

○神野座長 早目にお願いできれば。

 坪井委員、どうぞ。

○坪井委員 言いたくないけれども、いろいろなものを2日前や1日前に送ってくれたのでは不消化になるのですよ。もうちょっと早く出してもらうなり、あるいはこの日を延ばすなりしてもらわぬと、1日前や2日前にだーっと来て、さささっとやられると、非常に。私はこのことで生きておるのではないですよ。ほかのこと、仕事がいっぱいあるのですよ。だから、ちょっと口幅ったいですが、もうちょっと早く送ってもらいたい。

○神野座長 早く送るようにいたしますけれども、私と事務局とで打ち合わせをする時間もございますので、いずれにしても修正案を早くいただいて、なるべく早目にお出しするようにいたします。

○榊原室長 とりあえず今、確定している分は早目にいただければ、すぐにあれしたいと思います。

○田中委員 そういうふうに努力いたします。

 でも、資料は早く。前にお願いして、日にちが変更になって、本当に前日になってしまう。前日にこれだけのことを読むのは大変です。できるだけ早くお願いしたいと思います。

○榊原室長 はい。

○田中委員 あと、これは事務方に希望なのですけれども、次回を12月3日以降に準備していただけるといいかなと。私だけではないと思うのですけれども。

○榊原室長 調整はまた事務的に。

○神野座長 いずれにしても、次回の開催日については、ほかの委員の御都合もございますので、もう一回調整していただくということでよろしいですか。

○榊原室長 結構でございます。皆さん、相当お忙しいので、なかなか難しい面もありますが、それも含めまして。

○神野座長 それでは、一応この辺で終わらせていただきますが、事務局のほうから今のことを含めて連絡事項をお願いできればと思います。

○榊原室長 今、申し上げましたとおり、次回の日程について早目に調整させていただきたいと思います。

○神野座長 遅くまで熱心に御討議いただきましたことに感謝いたしまして、定刻に達したこともございますので、この辺で検討会を終了させていただきます。

どうもありがとうございました。


(了)

照会先
健康局総務課原子爆弾被爆者援護対策室
代表: 03-5253-1111
内線: 2317・2319

ホーム> 政策について> 審議会・研究会等> 健康局が実施する検討会等> 原爆症認定制度の在り方に関する検討会> 第25回原爆症認定制度の在り方に関する検討会議事録(2013年11月14日)

ページの先頭へ戻る