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2013年6月27日 第2回終末期医療に関する意識調査等検討会議事録

医政局指導課

○日時

平成25年6月27日(木)15:00~17:00


○場所

TKP新橋ビジネスセンター ホール3A


○議題

(1)平成24年度人生の最終段階における医療に関する意識調査の結果について
(2)その他

○配布資料

資料1 平成24年度人生の最終段階における医療に関する意識調査の集計結果(速報)の概要
資料2 平成24年度意識調査の集計結果(速報)
参考資料1 平成24年度意識調査の概要
参考資料2 平成24年度意識調査の調査票

○議事

○在宅医療推進室長 
 それでは定刻になりましたので、第2回終末期医療に関する意識調査等検討会を開催させていただきます。以後座ってさせていただきます。
 カメラ撮りについては、議事に入るまでとさせていただきますので、御理解、御協力をよろしくお願いいたします。
 本日は、御出席の皆様方におかれましては、御多忙にもかかわらずお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
 議事に入る前に、私から本検討会の代理出席、委員の交代の御連絡をさせていただきます。社団法人日本医師会副会長の羽生田俊構成員は本日御欠席でございます。同じく社団法人日本医師会常任理事の三上裕司様が代理として御出席されています。公益社団法人日本歯科医師会の役員交代に伴い佐藤保前構成員が退任され、深井穫博構成員が就任されておりますが、本日は御欠席です。また、公益社団法人日本看護協会の松月みどり前構成員が退任され、川本利恵子構成員が就任されております。

○川本委員 
 6月から常任理事になりました川本と申します。それまでは九州大学で長い間教鞭を取っておりまして、こういう形での仕事は始めてございます。微力ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。

○在宅医療推進室長 
 事務局にも人員の変更がございますので、御報告させていただきます。在宅医療推進室長補佐の奈倉でございます。

○在宅医療推進室長補佐 
 奈倉道明です。どうかよろしくお願いいたします。

○在宅医療推進室長 
 同じく在宅看護専門官の後藤でございます。

○在宅医療推進室在宅看護専門官 
 よろしくお願いいたします。

○在宅医療推進室長 
 撮影は以上とさせていただきます。
 それでは、初めに資料の確認をさせていただきますので、お手元の資料を御確認ください。議事次第、座席表に続きまして、資料1「人生の最終段階における医療に関する意識調査集計結果(速報)の概要」、資料2「人生の最終段階における医療に関する意識調査集計結果(速報)」、参考資料1「平成24年度人生の最終段階における医療に関する意識調査」の概要、参考資料2「人生の最終段階における医療に関する意識調査」の調査票となっております。資料に不足や落丁等ございましたら、事務局までお願いいたします。
 それでは座長に以降の議事運営をお願いいたしますので、よろしくお願いいたします。

○町野座長 
 それでは、よろしくお願いいたします。議事に入りますが、まず議題1「平成24年度人生の最終段階における医療に関する意識調査の結果について」を、事務局より御説明をお願いいたします。

○在宅医療推進室在宅看護専門官 
 それでは資料の説明をさせていただきます。資料1と資料2を合わせて説明させていただきます。今回の調査結果については、まず速報ということで単純集計の結果になりますが、全ての質問の回答の結果を資料2におまとめしております。かなりボリュームがありますので、本日はこの中からポイントになる質問について概要として抜粋しておりますので、資料1の概要に基づきまして御説明をさせていただきます。
 それでは資料1「人生の最終段階における医療に関する意識調査集計結果(速報)の概要」についてです。「調査方法」は郵送調査で行いました。一般国民については、20歳以上の男女から層化2段階無作為抽出。まず地域を無作為に抽出し、それから人を抽出するという2段階の無作為抽出です。医師・看護師・施設介護職員・施設長については、施設を無作為抽出し、各施設長を通じて対象職種に配布しております。病院の医師・看護師については、2名の職員のうち1名は、人生の最終段階における医療に特に携わっていると考えられる者から選定するよう依頼しております。「調査時期」は平成25年3月です。
 「前回の調査からの主な変更点」ですが、新たに施設長への意識調査を実施しております。延命治療の中止の意思ではなく、人生の最終段階において受けたい医療、受けたくない医療に関する意思表示について尋ねております。終末期の状態像について、遷延性意識障害、脳血管障害や認知症等から、末期がん、心臓病、認知症、植物状態、臨床的脳死状態の病態としております。こちらについては、調査票ではいずれも分かりやすい説明を付けて尋ねております。人生の最終段階において受けたい医療、受けたくない医療について、個別の医療行為ごとにその受療の希望を尋ねております。前回は緩和ケア病棟を調査対象としておりましたが、今回は特別な対象枠とはしておりません。
 3枚目は、今回の「調査対象と回収率」を掲載しております。対象者、対象施設、対象者数等は表のとおりとなっております。回収率は今回は36.7%で、前回の46.0%からは下回っている状況です。
 4枚目は「年齢階級別回収数、回収率」を示しております。前回までは、年齢階級別の回収率を出しておりませんでしたので、こちらは回答者数、実数でグラフ化しております。今回からは年齢階級別の回収率を出しておりまして、下の表に平成25年回収率ということで、年齢階級別の回収率を出させていただいております。年齢が高くなるほど、回収率が高いという状況です。
 5枚目は「回答者の属性」ですが、「医師、看護師、施設長の所属施設種別の割合」を示しております。回答した医師は病院が約6割、診療所が約4割となっております。看護師は病院が約4割、診療所と訪問看護ステーションが約2割、介護老人福祉施設が約1.5割となっております。医師も看護師も病院以外の施設の割合が前回より高くなっている状況です。前回調査の結果との比較においては、属性の構成がこのように違うということを考慮して、解釈していただく必要があると考えております。
 6枚目も回答者の属性として「年齢階級別の割合」を示しております。40歳未満の割合が減り、60歳以上の回答者の割合が増加しております。特に一般国民では、60歳以上が45.9%と約半数を占める状況となっております。
 7枚目からが調査の内容に入ります。カテゴリーが大きく3つに分かれておりまして、まず最初のカテゴリーは「人生の最終段階における医療について」ということで、一般国民、医師、看護師、施設介護職員に尋ねております。2つ目は「医療福祉従事者としての人生の最終段階における医療について」ということで、医師、看護師、施設介護職員に尋ねております。最後は「施設における国のガイドラインに沿った体制等の整備状況」ということで施設長に尋ねております。
 8枚目では、まず「終末期に関する関心」ということで、人生の最終段階における医療について、家族と話し合ったことがありますかという質問をしております。家族と話し合いをしたことがある者の割合は、「詳しく話し合っている」「一応話し合ったことがある」という者を足し合わせまして約4割となっております。医療福祉従事者では約5割となっております。前回の調査結果は下にお示ししたとおりです。若干質問の言い回しが異なっておりまして、前回は、自身の死が近い場合に受けたい医療や受けたくない医療について話し合ったことがありますか。今回は自分自身の延命治療を続けるべきか中止するべきかという問題について、どのぐらい話し合っていますかという質問項目となっております。
 9枚目では、「事前指示書をあらかじめ作成しておくことへの賛否」を尋ねております。調査票では事前指示書という言葉は使っておらず、※1のように、「自分で判断できなくなった場合に備えて、どのような治療を受けたいか、あるいは受けたくないかなどを記載した書面」とお示ししております。一般国民の約7割が事前指示書の考え方に賛成しておりました。前回はリビングウィルを作成しておくことについての賛否を尋ねておりますが、前回は約6割の方が賛成をしております。
 11枚目は実際の「事前指示書の作成状況」ですが、実際に作成している方は、いずれの回答種別においても5%以下となっております。その下の「事前指示書に従った治療を行うことを法律で定めることの賛否」です。一般国民のうち、「定めなくてもよい」「定めるべきでない」という消極的なお答えをした方が5割以上となっております。医療福祉従事者では更に高く、中でも医師は特に7割以上が消極的となっております。前回の調査結果を下にお示ししております。前回はリビングウィルに従った治療を行うことを法律で定めることの賛否ということで、こちらはリビングウィルという考え方に賛成の方にお答えいただいておりますが、下のような結果となっております。今回は全員に質問をしておりますが、前回と同じく賛成の方のみで再集計した場合のグラフは、こちらの本編の資料2の22ページに掲載しておりますので、御参照いただければと思います。「定めてほしい」という方は増えますが、やはり前回の制定すべきという方よりは下回る状況となっております。
 13枚目は「自分で判断ができなくなった場合に治療方針を決定する者」ということですが、一般国民では、家族等が集まって話し合った結果への委任を希望している者の割合が最も高くなっております。「自分で判断ができなくなった場合にあらかじめ定めた者が治療方針を決定することを法律で定めることへの賛否」ですが、一般国民のうち「定めなくてもよい」「定めるべきでない」というのを合わせた消極的な回答の方が約6割を占めております。医療福祉従事者のほうが消極的な者が更に高い結果ですが、中でも医師は特に高い傾向となっております。
 14枚目では、「さまざまな終末期の状況において希望する治療方針」ということで、終末期を過ごしたい場所について尋ねております。今回は下のようなケース1~5について詳細な状況を設定し、質問をしております。ケース1「末期がんであるが、食事はよくとれ、痛みもなく、意識や判断力は健康なときと同様に保たれている場合」。ケース2「末期がんで、食事や呼吸が不自由であるが、痛みはなく、意識や判断力は健康なときと同様に保たれている場合」。ケース3「重度の心臓病で、身の回りの手助けが必要であるが、意識や判断力は健康なときと同様に保たれている場合」。ケース4「認知症が進行し、身の回りの手助けが必要で、かなり衰弱が進んできた場合」。ケース5「交通事故により半年以上意識がなく管から栄養を取っている状態で、衰弱が進んでいる場合」という設定です。ケース1の場合は7割の方が居宅を希望しているという結果ですが、それ以外のケース2~5の場合は、医療機関若しくは施設での療養を希望する方が多くなっております。
 15枚目は前回の調査結果を示しておりますので、参考までに御参照いただければと思います。
 16枚目では、様々な終末期の状況において受けたい治療を個別の医療行為ごとに尋ねております。ケース2~5まで全てこの個別の医療行為ごとに尋ねておりますが、こちらの概要ではケース2とケース4について取り上げております。ケース2「『末期がんで、食事や呼吸が不自由であるが、痛みはなく、意識や判断力は健康なときと同様に保たれている場合』に受けたい治療」です。抗生剤服用や水分補給による治療を望む方が多い状況ですが、中心静脈栄養、経鼻栄養、胃ろう、人工呼吸器、心肺蘇生処置は望まない人が多かったという状況です。
 17枚目はケース4「『認知症が進行し、身の回りの手助けが必要で、かなり衰弱が進んできた場合』に受けたい治療」です。末期がんのケースと比較して、様々な治療を望まない方の割合が高くなっております。末期がんでは、半数以上の方が抗生剤服用や水分補給を望んでおりましたが、認知症のケースでは半数以下となっております。
 18枚目です。前回は細かい状況を設定せずに聞いておりますので、参考までの掲載とさせていただいております。
 19枚目から医療福祉従事者への質問項目となっております。まず最初の質問ですが、こちらは医療福祉従事者の考え方ではなくて、背景情報としての質問をしております。「亡くなる患者(入所者)を担当する頻度」についてですが、1か月に1名以上終末期医療に関与がある人の割合は、医師、看護師、施設介護職員とも約3割となっております。「亡くなることはまずない」と回答した人は、医師で約20%、看護師で約15%、施設介護職員で約5%となっております。亡くなる方への関与の度合いによって、終末期医療に対する考え方は異なると思われますので、それぞれの職種において関与度が異なる、このような構成比であることを前提にこの後の結果を御覧いただければと思います。
 20枚目は「患者(入所者)との話し合いの実態」ですが、「患者(入所者)やその家族に対する治療方針の話し合いの実施状況」ということで、いずれの職種も7割以上が話し合いを行っている状況です。関わっていない場合を除きますと、9割以上で話し合いが行われておりました。前回調査では、21枚目のスライドでお示ししておりますが、話し合いについて「十分に行われていると思う」「行われているが不十分であると思う」「その時の状況による」を合算すると6、7割で行っているという結果でした。
 22枚目は「国及び学会等のガイドラインの利用状況」です。まず、上が平成19年に国でお示しした「『終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン』の利用状況」ですが、ガイドラインを参考にしている割合は約2割で、施設介護職員は最も高い状況です。一方、ガイドラインを知らないと回答した者は、医師で3割、看護師4割、施設介護職員で5割となっております。「学会等のガイドラインの利用状況」ですが、こちらも参考にしている割合が2割程度で、医師が最も高くなっております。一方、ガイドラインを知らないと回答した者は、こちらも医師3割、看護師4割、施設介護職員5割となっております。
 23枚目は「終末期の定義や延命治療の不開始、中止等の判断基準」について、どのように考えますかという質問です。大まかな基準を作り、それに沿った詳細な方針は、医師又は医療・ケアチームが患者・家族等と十分に検討して決定すればよいという方が、半数以上で最も多くなっております。次いで、一律な基準は必要なく現場で十分に検討するという者が多くなっております。また、その基準の位置付けについては、ガイドラインで示すべきという意見が約8割を占めておりました。その下は、前回の調査結果ということで参考に御覧いただければと思います。
 25枚目からは施設長への質問項目となっております。まず1つ目ですが、「患者(入所者)やその家族に対する治療方針の話し合いの実施状況」です。こちらも医療福祉従事者と同様に施設長にも尋ねております。病院と介護老人福祉施設では、「十分行われている」と「一応行われている」と合わせまして、施設長の8割以上が話し合いが行われていると回答しております。診療所では半数で関与がないという御回答ですので、これ以降の質問については、診療所は関与がないという方が半数いるということを前提に御覧いただければと思います。「グリーフケアの体制」ですが、介護老人福祉施設では約6割、病院では約3割で整備されているという結果です。
 26枚目は「国及び学会等のガイドラインの利用状況」です。こちらも医療福祉従事者とともに施設長にも聞いております。国のガイドラインの利用状況ですが、病院、介護老人福祉施設において、ガイドラインを参考にしている割合が約2割。病院、介護老人福祉施設では、「知っているが、特に活用していない」が約半数となっております。3割が「知らない」という回答です。学会等のガイドラインですが、こちらについても「ガイドラインに沿うよう指導している」方は1割程度と少なくなっております。病院、介護老人福祉施設では、「知っているが使用していない」が5、6割を占めております。
 27枚目は「院内(施設内)の倫理委員会等の設置状況」です。倫理委員会等が設置されている所は病院で約3割、介護老人福祉施設で約1割となっております。「職員に対する終末期医療に関する教育・研修の実施状況」ですが、介護老人福祉施設では約6割、病院では約3割で研修が実施されているという結果になっております。結果の説明については以上です。

○町野座長 
 本日は調査が行われてから一番最初ですので、調査結果に対する感想、結果についてどう解釈するか、いろいろな意見があるだろうと思いますが、各委員からの御自由な議論を頂きたいと思います。
 また、先ほど少し説明がありましたとおり、今回は単純集計の結果だけが出ておりますが、本日の御議論を踏まえてクロス集計を行うということで、どのような分野でクロス集計を行うかを議論したいと思います。次回の検討会でそのことについてお示しする予定ですので、どの設問についてどのような要素を考慮してクロス集計をする必要があるかについても、御意見があればお伺いしたいと思います。

○在宅医療推進室在宅看護専門官 
 1点、今の説明で修正させていただきます。スライドの8枚目ですが、私の説明で、前回と今回を逆に言ってしまったと思われます。今回は、「自身の死が近い場合に受けたい医療や受けたくない医療について」家族と話し合ったことがありますか。前回の調査が、「自分自身の延命治療を続けるべきか、中止するべきかという問題について家族とどのくらい話し合っているか」ということです。訂正いたします。

○町野座長 
 どちらからでも御意見を頂きたいと思います。

○村上委員 
 全国老施協です。まとめておりませんが、集計結果の話を聞いて、ほぼ我々の団体でやっている内容というか、実際に具体的にやっていることに近いと思っております。この対象ですが、前回も話をさせていただきましたが、データの中では看護師がどうであるかという中で、老人福祉施設の看護師がどうだというようなものはないわけです。
 そういう辺りのことも含めて、前回も話をしましたが、我々のところは6割ぐらいは看取りをやっていまして、我々の団体では『看取りに関する指針』というものがあって、この指針の中でグリーフケアなども含めて全部指針の中に載っていまして、それに基づいてやっています。それを参考にしているのが6割ぐらいということで、データが出ています。ですから、そういうことでは我々の団体で6割ぐらいがやっていることと、一致しているのかなとも思っています。
 それから、グリーフケアについては、亡くなる前から家族の方と密接な関係をもっていますし、入ったときから看取りの段階なのだという考え方でやっていますので、亡くなるまでの間の生活全般に関して、家族の方とお話をしていくということと、亡くなってからも、付き添いながらいろいろなお話をしていくということでは、我々の団体では十分にやっていると思っています。ただ、まだ6割しかやっていませんから、これからもっとやっていかなければいけないかなと思っています。
 1つだけ問題なのは、看取りをやる上で一番困るのは、やはり医師なのです。ドクターが看取りの段階で診ていただけるかどうかということが、一番大きいです。そういうことでは、今日のデータの中で、やはり看取りをもう少し進めていく上で、医療との関係、特にドクターとの関係が非常に大きいと思っておりますので、今日のデータがこれからどのように使われていくのかということも考えていけたらいいと思っております。

○町野座長 
 ほかにございますか。

○中川委員 
 8ページの「終末期に関する関心」ですが、人生の最終段階における医療について家族と話し合ったことがある者の割合、今回の設問は「自分の死が近い場合に受けたい医療や受けたくない医療について」ですが、これはかなり、特に一般国民は年齢との関係があるように思います。4ページに年齢構成で70歳以上は約55%とありますが、ここをどこで切るかはともかくとして、本当に若い20代、30代の方と、高齢の方を分けていただくとよろしいかと思います。クロス分析か何かしていただくと参考になると思います。よろしくお願いします。

○樋口委員 
 まとめて幾つかのことを申し上げます。今日伺った集計結果という意識調査なのですが、これは言うまでもないことかもしれませんが、厚生労働省は厚生省時代から何年もこういうことを続けてきていて、その調査の在り方自体がこの検討会でも問題になって、有り体に言えば、せっかくやるのだったらもう少し意味のある調査をしたほうがいいのではないかということで、前回か前々回ぐらいからだと思いますが、池上さん等を中心にして改善が図られて、今日の御報告を伺った限りでも、私が勝手に評価するのも変な話なのですが、前よりはずっと丁寧な調査が行われているような気がいたします。そういうことを前提にして、その上で、村上さんがおっしゃったように、こういう調査を基にしてどうすればいいのかという話を、この場なのではないのだろうけれども、どこで考えていくのかということを、これが一番大きな問題だと思っていますが、その上で細かな点を5点です。
 1つは、9ページのスライドです。「事前指示書」というのがあって、もしかしたら私ももっと前から関与していたわけだから、非難するという意味ではなくて、自分も足りなかったと思っているのです。例えば私は医事法という授業を大学でやっていて、昨日たまたまこういう問題を一部で取り上げたのです。これは日本における「事前指示書」だから構わないのですが、明らかにこれはadvance directiveというものの訳語なわけです。advance directiveというのは厳密に言うとこういう意味ではないです。アメリカではそういう意味ではないという意味です。
 そこにある※1で、「自分で判断できなくなった場合に備えて、どのような治療を受けたいか、あるいは受けたくないかなどを記載した書面」は、事前指示書の一部ではあるし重要な部分ではあるが、事前指示書というものではないです。いや、大きな集合なのだから、であると言ってもいいわけですが。ただ、いわゆるリビングウィルというものでは十分に効力がないものだから、普通はhealth proxyと言っています。医療代理人、つまり自分がこういう状態になったときに、この人たちを信頼して、この人たちに判断を委ねますというものも、正にadvance directiveなのです。だから、そのように2つに分かれていて。
 そのように考えると、そういうようなものが法的な効力があるということを書いておいてくれるのであれば、すぐに出てきませんが、スライド13の所では、自分で判断ができなくなった場合にどうしたらいいかというと、「家族等が集まって話し合った結果への委任を希望している人の割合が高い」というわけですから、これは正にhealth proxyというようなものが法制化されるのであれば。私は法学部から出てきているものですから、私自身はすぐに法制化するのがいいとは必ずしも思っていませんが、この中で、こういうリビングウィルとか事前指示書みたいな考え方は非常にいいことなのだけれども、法律にするのはどうかという話が、法というものに対するイメージの違いというか、考え方の違いに基づいているのだとすれば、こういうものも含む法であれば、別の答えになっているのかもしれない。
 だから「事前指示書」という言葉の意義が、ここにはこういう形で今回は聞いてよかったと思いますが、少なくともアメリカではもう少し広い概念で、両方ともアメリカの場合は法律ができているのですが、今言った2つ、代理人を頼むものとリビングウィルという2つの形になっているということを、第1点としてコメントします。それが、法の役割とも考えが連なっているかと思うので、ちょっと申し上げました。
 2つ目はスライド14です。こういう具体的なケースを想定して、一体どこで亡くなりたいかという、これは大熊さんが強調しておられたところで、亡くなるときの場の在り方というのも考えないと、やはり不十分になるという話から、こういう設問を付けられたのだと思います。
 その中で、第1例だけ明らかに自分の住んでいる所で亡くなりたい。結局、ここから何を読むかということなのです。一方で、いろいろな人たちが在宅の看取りということを考えておられると思いますが、この設問から、単純に、すぐに何かは出てこないかもしれないけれども、食事がよくとれて、痛みがないというような状態が在宅で実現するようであれば、こういう場合でも在宅でということを、みんな希望するのかなという話になれば、そういう条件を実現するためには何が必要なのかという、次の話に展開してくるような気がするのです。これは感想です。
 第3点です。20というスライドがあって、患者あるいは施設ならば入所者。「入所者」というのがいい言葉かどうかはともかくとして、でも「入所者」といったらみんな刑務所を連想するというのは、私の被害妄想だと思うからこれはこれでいいのですけれども。患者との話し合いの実態が、「いずれの職種も7割以上が話し合いを行っていた」という、医療福祉従事者のほうの回答と、先ほどのスライド8の所で、人生の最終段階における医療について家族と話し合ったことがある者の割合というのが、一般国民だと4割程度です。ここは「家族と」という話になっているので、家族とは話し合っていないけれども施設長とは話し合ったことがあるかとか、医師とは話し合ったことがあるのだという話があるのかもしれないのだけれども。
 これはインフォームド・コンセントの場合と同じで、医師とか、そちらの専門家のほうはきちんと説明したつもりでも、相手のほうは自分のことで頭が一杯になっていて、十分に分かっていない、聞いていない、話し合った気になっていないというような話もあるのかもしれない。20と8は正確には対応していないのですが、私が聞いていてギャップが気になったということです。
 同じようなギャップでいうと、スライド24です。これは前回の調査結果で、終末期の定義や延命治療の不開始等の判断基準について、平成20年には「詳細な基準を作るべきである」というのが相当いますよね。それが上の23にいくと、「詳細な基準を示すべきである」というのが、ものすごく少なくなっています。このギャップは何によって説明できるのだろうか。あるいは、一番多くなったのが「大まかな基準を作り、それに沿った何とか」という、こういう選択肢を入れることによって本音が出てくるというか、あるいはこの5年間の間に、詳細な基準というのはそんなに簡単にできるものではないという意識が高まったのか、専門家の説明を伺いたいぐらいですが、このギャップは一体何であったのだろうか。
 第5点は、スライド23とスライド22です。ここで気になったのは、スライド23の下の段の所では、「法律ではなく学会等のガイドラインで示すべき」と。そういうものに頼って、あるいは柔軟な思考で対処していくのが、それぞれの終末期医療のあるべき姿であるというのがはっきり出ていますよね。しかし、22へ戻ると、利用状況のほうはこの程度ということになっていて、これは一体どう説明したらいいのだろうか。望んではいるのだけれどもアクセスが少ないというのは、宣伝広報の不足なのか、あるいはほかに問題があるのだろうかということで。後のほうは、ここにはいろいろな専門家の方がいらっしゃるので、ギャップに見えるのだろうけれどもこのように説明できる、と教えていただければ有り難いと思います。

○町野座長 
 樋口委員がおっしゃられた、要するに問題がいろいろ出てきたときにどこで議論をするのかは、随時議論するという、少なくとも今日の最後部分で少し話を始められたらなと思っています。
 幾つか資料の内容についてギャップがあるという話がありましたが、この段階で事務局から、それについて気が付いたことを簡単におっしゃっていただければと思います。幾つかありますから、法制化への質問の仕方について、事前指示書の内容がもう少し分かりやすくなっているとどうだろうかとか、終末期の場所、話し合いについて家族と施設長、終末期治療の基準についてのギャップが23と24であるというようなことですが、事務局から何かありますか。

○在宅医療推進室在宅看護専門官 
 是非、委員の先生方の御意見を頂戴できればと思います。

○池上委員 
 まず、事前指示書については、私の行った研究では、2つの要素を含んで説明したと記憶しています。これが、どういう経緯で1つに限られたかというのは存じません。次に、亡くなる場の要望として、私は、がんの比較的見た目には元気な方を、本検討会の趣旨である、人生の最終段階における医療の1つの状態像として含めるかどうかについては、私は疑問がありました。
 次に、前回の調査と単純に比較できない問題として、1つは回収率がかなり低くなっています。
 また、各対象者の中の構成比も異なります。3枚目のスライドの意識調査についてという所に「調査対象と回収率」という表が載っています。例えば看護師を御覧になっていただくと、このような構成比になっています。それぞれの看護師全体に占める割合は、前回と比べて異なっています。したがいまして、「看護師」というくくりで、以後、一般国民の比較をされていますが、前回における看護師の構成比の比重、例えば訪問看護ステーションの看護師の比重が高まれば、当然全体の意識も違ってくると思いますので、こうした回収率だけではなく、もともと調査票を送付した先における構成比が違います。つまり、前回との比較は単純にはするべきでないと思います。
 その上で私からの注文として、お願いしたい点が2点あります。1つは、前回との比較というより、従事者に関しては、いわゆる死に関わっている程度によって分けて、例えば診療所の医師は全体の医師と比べて低いわけです。そういうことから、関わっている職種ごとに比較するのではなくて、職種の中で関わっている者と関わってない者で比べたほうが。関わっているほうがむしろ重要であります。と言いますのは、関わっている医師などから得た情報に従って、多くの患者は対応していると考えられます。したがって分けて見る必要があると思います。
 中川委員から年齢のことが出ましたが、それ以外にも、今回基本属性として教育歴や収入等が出ていまして、当然、今後の動向を捉える上で、例えば教育歴が長い方が国民の中で増えてきます。その方々の動向を見るということが、今後の動向を知る上で1つの参考になるかと思います。本来は、それを統計的により高度な処理があればなお結構ですが、せっかく取ったデータ、ここには提示されていませんが、そうした基本属性との関連でも分析していただければと存じます。また後で追加発言させていただく場合もありますが、一応それだけまず申し上げたいと思います。

○川本委員 
 同じような意見なのですが、看護の話が出ていましたので発言いたします。看護師の属性で分類し、終末期医療に関する意識について分析したほうがいいのではないかというお話が、先ほどからずっと出ております。私も同じように考えております。今は病院の機能分化が進んでおりまして、ある大学病院で、新人看護師が一年間に体験する技術についての調査を行ったところ、100名の新人看護師のうち、最初の一年間に死後の処置を経験した者はほとんどいなかった結果が出ています。働いている病院の機能によって看護師の意識も違うのではないかと思います。
 最初にお話が出ていました介護老人福祉施設における看取りについては、看護の立場からも大きな問題として捉えております。病院、介護老人福祉施設など、どういう場で働いているかによって看護師の意識も違ってくるかと思います。是非その点も考慮いただいて、整理していただければと思います。

○木村委員 
 全日病の木村です。先ほど樋口先生がおっしゃったガイドラインの利用状況とギャップです。全日病でも、前にガイドラインを作って、どのぐらい利用されているかという調査をしていなかったので、8月に行う予定で現在検討中です。一昨年に、高齢者のガイドラインの利用状況とか、終末期医療について、厚生労働省のお金でやったのですが、そのときの調査では最初のときと余り変わっていなくて、利用されていないということだったのです。今回はどうなっているかということなのです。
 予備調査ではないのですが、実際の現場の声を調査の前に聞いてみると、1つは、治療の中止については、それを中止してしまうと殺人になっている可能性があると。これは、はっきりと弁護士はそうおっしゃるわけです。全日病のいつもお世話になっている弁護士に聞くと、それは殺人で訴えられる可能性がありますと。要するに、中止した場合には法律で保証されていない、殺人罪になってしまうことがあるということなので、なかなか中止には踏み切れないです。
 ところが、治療を開始するかどうか。つまり、御高齢の方などに治療をするかどうか。簡単に言うと、人工呼吸器を付けるか付けないかという話になってくると、そこについては、以前よりはずっと、本人と話し合いをして、きちんと文書でどうするかを取っている病院が増えてきているということです。これはざっとしたものなので、今後それを入れて、しっかりと調査をする予定なので、もっと数は出てくるとは思います。
 実際に法律の方にどうしたらいいのでしょうかというと、社会全体が認容しないと、中止することはなかなか難しいのではないかということなのですが、樋口先生はどうお考えなのか。法律家として、治療の中止、簡単に言うと人工呼吸器を中止したりすることについて、社会が許さないと裁判所は許してくれないと言われているのですが、そのようなものなのでしょうか。そうすると、どのように社会を啓蒙していったらいいのかというところが、非常に我々としては困っているところなのです。

○町野座長 
 御指名ですので、樋口先生からどうぞ。

○樋口委員 
 刑法を名乗っているのは、佐伯さんと町野さんだから、本当はお二人のほうが答えるべき問題なのですね。
 私の考えですから、大した何の意味もないということをまず言っておいてですが。私は法科大学院とか法学部で、医事法その他の授業もやっておりますし、ほかの授業もやっていますが、その中には弁護士になる人もいますが、「犯罪に問われるおそれ、あるいは可能性があります」というようなそれだけ言って終わりというような無責任な弁護士にはなってくれるなと言っています。それは最も無責任な弁護士の常套文句ですから。
 結局、何かがあった場合に、自分は言っておきましたからねといって、責任は取りたくないというように聞こえます。
 本当におそれがあるというのなら、その部分については、証拠で示す必要があります。「可能性がある」と言ったら、明日に地震がある可能性だってあります。そんなことだったら、専門家でなくても誰でも言えるようなことだと思っています。暴論ですので、ここにおられる本当の専門家はもう少し立派な意見を言ってくださると思いますが。

○佐伯委員 
 きちんとガイドラインに沿って判断なさった場合ですが、そういう場合に裁判所で最終的に有罪になる可能性があるかというと、それは非常に低いと思います。しかし、刑事事件になる可能性がないかというと、もし私が弁護士であれば、可能性はあると言わざるを得ないと思います。

○町野座長 
 一言いいますと、結局一番の問題は、裁判で有罪になるか無罪になるかという問題ではなくて、そのときに警察が入ってきて非常に大変なことになるかどうか。そうなるかどうかが最大の現場の問題なので、これは正に私の感じなのですが、当事者が納得していないような対応でやられたときというのは、必ずなります。問題は、周りの人が意見が違うときです。そのときにどうするかということなので、そのときのためにあるのが、あのガイドラインの在り方だろうと思います。

○山本委員 
 意識調査の中の大事なところの1つに、都市のサイズがあるのではないかといつも思っております。10万人以下の都市に住んでいる方のお答え、30万人ぐらいの中都市、100万人以上の政令指定都市で、随分答えが違ってくるのではないかなと、いつも思っています。
 例えば非常に大きな所の1つに当然東京がありますが、東京を見ていると、ドクターは患者のことをトラスト、信用しておりませんし、一般の人はドクターあるいは医療人のことをリスペクトしていませんから、そのギャップが非常に大きく響いているのだと思います。そういうところで、この中に都市のサイジングを考えたときに、どうなるのかというのを、少しお考えあるいはお答えがあるならば、お願いしたいと思います。
 それから、特に小都市あるいは大都市では、介護施設等々で、どのクオリティーになっているのかというところが、一般の皆さんにとって非常に難しいdecision-makingになってくるのだろうと思います。そのために、何かquality indicator等が出てきて、こうなっているからここがいいのだというような流れがあると、非常に皆さんが安心して最期のときを迎えられるのではないかとも思いますが、その2つに関しては、都市の大きさによって随分違うのだというところが、私はいつも救急を診ていますと、問題に突き当たるわけですが、その辺のところはいかがでしょうか。

○医政局指導課課長補佐 
 御指摘の点はそのとおりだと思います。地域的に差があるということは確かにあり得ることで、この調査につきましては、以前より国民意識調査の抽出を層化2段階の無作為抽出で行っておりまして、全国各地域、九州なら九州、北海道なら北海道といったようにブロックに分けた上で、更にその中を大都市と、人口10万人以上の市、人口10万人未満の市町村という形で4層に分けて、層化をして、その中から抽出しているということで、小規模な所だけに偏るとか、あるいは九州だけに偏るといったことのないようには配慮しております。そういった集計も可能であると思われますので、御指摘に応じて検討させていただきます。

○山本委員 
 よろしくお願いします。

○林委員 
 今回、私たち臨床の現場で働いている者からの実感に非常に近い結果になったというのが、第一印象です。
 1つ、この中で大きなギャップが目立つとすると、9ページのスライドの事前指示書をあらかじめ作成しておくことへの賛否と、11ページのスライドの実際に作っているかの結果に、非常に大きなギャップがあります。このことの理由ですが、今回のアンケートではなかなか難しいのだと思うのですが、この差がどこから生じているかということは、今後明らかにしながら、国民の意向がどこにあろうとしているのかを探る努力は、必要なのかなという気はしております。
 私たちのところの病院でも、『私たちのリビングウィル』ということで、そういう冊子を作成しているのですが、1万部以上刷って、多くの方々にお持ち帰りいただくのですが、実際にそれを医師の所まで持って来て示してくださっているのは数十の段階で、本当に桁の違う数しか返ってきていない状況です。興味、関心の大きさと、実際に実行することの原因のギャップは何なのかということです。私たちとしては、一度決めるとそれ以上変えられないのではないかとか、そのことがかえって診療の、その場における現場の判断を変えていってしまう可能性があるのではないかとか、様々なことを推測はしているわけですが、今後はそこを明らかにしていただきたいのが1つです。
 ただ、その一方で、8ページのスライドですが、今後のことについて話し合ったことがあるかについて、4割の方が話し合ったことがあるというのは、数がそんなに大きく変化があるわけではないのですが、これは1つの大きな気持ちの現れだと思っています。このリビングウィルを作る際に、御家族と一緒に話し合いながら作っていくというプロセスがあると、ここにもつながってきますし、13ページのスライドでしたか、自分が判断できなくなった場合に家族らが集まって話し合った結果であるとか、自分のことを一番よく分かってくれる1人の人に委ねたいとか、そういったところに非常に反映されるようになってくるのではないかと思いますので、リビングウィルの作成率を上げることも大事ですが、それ以上に、話し合ったことの率を上げていくということを、今後の目標にしていくといいのではないかと思いました。
 あと14ページのスライドで、ケース1の末期がんで食事もとれ、痛みもなくというような状況のことを、終末期と捉えていいのかどうかということだったのですが、例えばがんの場合ですと、弱っていくプロセスが非常に早い方も大勢いらっしゃいます。特に、呼吸器系の疾患の方ですと、末期がんでも食事はよくとれ、痛みもなく、意識や判断力はぎりぎりまで保たれて、本当に最後の数日で急速に弱られる方もいらっしゃいます。そうすると、そういった方も十分に終末期という分類に入るかと思いますので、がんの方に限って言えば、ケース1の場合でも終末期と捉えてもいいのではないかなと思いました。

○町野座長 
 先ほどから手を挙げられていまして、気が付きませんで失礼しました。伊藤委員、どうぞ。

○伊藤委員 
 数字のことで伺いたいのですが3ページのスライドで、前回が46.0%で今回は36.7%となっています。前回は「施設長」というのがなかったのですが、今回は施設長も入れて、全体の回収率のパーセンテージを出すのではなくて、前回と今回の比較できるところはそこにして、施設長を新たに加えてから出すと、いくらかほかの4つのジャンルでは前回と比較してどうだったかが分かるのではないかと。減っていることが分かってどうするのだということはありますが、全体の傾向は分かるのではないかと思います。
 もう1つは、14ページのスライドです。これは質問ではなく考え方なのですが、実際に私が経験しての話です。認知症のケース4だけが突出して、施設、医療機関を希望する人が多いということは本当に残念なことというか、認知症の正しい理解がないから、こういったのではないかということが推測されるのです。その辺りについて、この調査の中から何か分かる方法があるのでしょうか。この数字だけが独り歩きして、国民の中では、認知症については医療機関や施設を希望する人が圧倒的に多いという解釈だけが独り歩きしてしまうというのは、非常に危険だし残念だと思いますので、このところについては十分に配慮をお願いしたいと思います。

○三上委員 
 14ページのスライドで、先ほどケース1が終末期の対象にならないというのは、私も池上先生と同じ意見です。この中で、「施設」「居宅」という分け方をされているのですが、医療の世界での在宅と介護の世界での在宅というのは若干異なりますし、施設といっても、介護保険施設という言い方、あるいは介護施設という言い方があります。居宅と在宅の違いというのも微妙に違っていまして、国民に聞く場合でも、あるいはドクターに聞く場合でも、その辺の区別がはっきりできていない中で、これが何を指しているのかが分かるような形にしていただきたいと思います。
 特に、これは国土交通省もですが、厚生労働省もサ高住というのを進めようとしているわけですが、これは居宅なのか、あるいは居住系施設なのか、グループホームは居宅なのか施設なのか。あるいは介護保険施設である介護療養型医療施設は医療機関なのか、介護保険施設として施設に入るのかということも、国民がアンケートに答える場合、判断する場合に分かりにくいと思います。
 それから、認知症の末期の場合ですが、17ページのスライドです。ここで、中心静脈栄養や経鼻経管栄養、胃ろう等について、望まない人が非常に多いということがあります。認知症の末期は、がんの末期とは違って、あとどれぐらい続くか分からない、ゆっくりと死期に近付いていくという状況です。こういった場合に、栄養補給をするかどうかということについては、イメージがなかなか湧かないと思うのです。
 昨日、中医協の診療報酬調査専門組織の入院医療等の調査・評価分科会で、褥瘡の問題が出ていました。栄養補給をするかどうかについて、あるいは褥瘡のでき方についてということで、一番大きな影響は、低アルブミンで非常に痩せてくるという状態が、褥瘡の発生の要因になるということです。いつ亡くなるか分からないような状態で栄養を断つことについては、どんどん痩せていくことになって、褥瘡ができる可能性があります。その対応についてどうするのかということも含めて、イメージができているのかどうかといったら、多分できていない中で栄養は要らないとおっしゃっているのだと思います。水分も要らないということになりますと、脱水の状態になりますし、栄養が要らないということになりますと、餓死する状態になる可能性もあるということで、そういったことをイメージされているかどうかということは、医師や看護師についてもイメージして答えられているのかどうかというのは、非常に伺いたいところです。
 それから、樋口先生がギャップについて、8ページと20ページについて言われたのですが、基本的には一般国民に対するものと、死を間近に迎えた入所者、患者に対する意識というのは、明らかに違うということなので、この違いは理解できると思います。

○川島委員 
 私も何年かこの委員をさせていただいていて、やっと設問も内容もいいものができたかなと思っています。私の個人的なことも含めまして、幾つか見解を述べさせていただきます。
 9ページの事前指示書をあらかじめ作成しておくということについては、賛成が多数というのは当然だと思います。自分のことは自分で決めたいと皆さん思っていらっしゃるのではないかと思っています。それを画一的な、法制化も含めて標準化した何かを与えれば幸せになるのだと考えているかというと、そうではなくて。11ページを見ていただければ、5割以上の方が法制化には消極的だと。つまり、自分の気持ちは自分で決めたいけれども、誰かに勝手に決められるのは困るのだということです。
 私は、いつもここに来ると戒めるのですが、どうしてもこういう委員会は見識の高い方々がたくさん来られるものですので、どうしても医療職は、標準化した何かを作ると、それに患者を当てはめると患者がみんな幸せになると誤解してしまう。つまり、標準化したものが一番いいのだと勘違いしてしまうのは、実は医療職です。ですから、今、毎日初期研修医はEvidence Based medicineでデータを出せとしょっちゅう言われて、やっているわけです。そのように、標準化したものを当てはめると国民が幸福になると勘違いしないようにしなくてはと、自分で戒めているわけです。
 なぜかというと、対象になる方々というのは、自分の生き方を決めなければならない。生き方は千差万別ですので、なるべく標準化しないほうがいいのだ。自分では自分の生き方は決めたいけれども、誰かに決めてほしいのではないのだ。ここが如実に出てきているのが、このデータではないのかなと思うわけです。
 それから、先ほどからよく出ている14ページのスライドですが、これは私も大分悩みました。先生方は既に御存じだとは思いますが、東大の秋山弘子先生が30年間にわたり、日本国民がどのように衰えていくかについて、実に1万人以上の人たちに実態調査をしているというデータがあります。ほとんどの方は、半介助、全介助、そして最後に亡くなります。つまり、私たちは最終的には障害者になって最期を迎える。
 元気でいて、その場で死ぬ。がんの急死も含めて急死する方々は、実は救急搬送のデータがありまして、全死亡者数の4.8%しかおりません。それですので、私たちのほとんどは、必ず衰えて、全介助になった後に亡くなりますので、ケース1がそれに該当するかというのは、なかなか難しいところです。ケース2、ケース3は、かなり衰弱が進んできたと書いてないのですが、今後また同じような調査をするのでしたら、例えばケース1は、急速に衰弱してきたとか、少し言葉を変えて、最期を迎える段階になったことを意識させるということが、設問の中で重要なのではないかと思います。
 20ページのスライドで、22ページにも通じますが、治療方針の話し合いの状況について、医師、看護師、施設介護職員ともに、「十分に行っている」「一応行っている」を合わせますと、8割ぐらいが話し合いを行っていたというのは、非常にいいのですが、問題なのは内容だと思います。つまり、医療従事者の話というのは、皆さんも御存じだと思います。自分が体を害したときに、医師にかかると体の話しかしません。でも、その体で障害をもって、つまり私たちが最期を迎えるときには障害者になって亡くなりますので、障害をもって最期を迎えるに当たっては、どのような生きる術があるのかという話まで拡大しないといけないということになります。
 御存じのように、WHOは2001年に今まで国際障害分類であったものを、国際生活機能分類というものに改めまして、生活機能は生きることの全体です。そういうような、生きることの全体を含めて、ちゃんと話の内容を行って、どのような支え方があるのか、制度はどうなのかということにまで言及しないと、実は説明責任を果たしていないのだということになります。
 これは、実は一番最初の事前指示書についても同じでして、そういう説明がどのようにされているかということに今後は踏み込んで、実際に説明している側に対する調査をしていかなければならないのではないかなと思うわけです。
 最後に、私のところでも、当然意思決定をしていただかなければならないことがありますので、よく話をしますが、なかなか決まりません。決まっても、また悩みます。ですから、事前指示書は、実は毎日書き換えるべきであるとか。つまり心は変わるので、そういうところも人間の心というのは自由度が高いので、その自由度が高いものを、ある一定の書面で縛り付けるような形になるのは、非常に危ないと思いますので、逆に、何日ごとに意思を確認してと、そういうことをしていかなければならないのではないかと思うわけです。

○山口委員 
 電話相談で患者・家族の生の声を聞き、患者の立場で活動している立場としての観点からこの結果を拝見した意見をお伝えしたいと思います。
 結果を拝見した最初の印象として、私たちが日々感じていることが、この結果にとても反映されていると思いました。先ほど林委員から事前指示書について、考え方には賛成していても実際に作成している人が少ないのはどうしてなのかというお話がありました。私たちも終末期の問題をテーマにして勉強会を開くことがあるのですが、事前指示書に関心はあっても、実際に作成するという行動を起こすのは、かなり強く関心を持った人であると感じております。恐らく、漠然としたイメージで「事前指示書があったらいい」と考える人が大半だと思いますので、具体的なイメージにつながる情報提供が、これからはもっと不可欠になってくるのではないかと思いました。
 スライドの14、末期がんのケース1についてです。先ほども、がんの末期の場合はあるとき急に悪化するというお話がありましたが、本当にそうだなと思います。ただ、ここで想定されている1の場合で言いますと、日常生活においては今までどおりに暮らすことができるという状況にもかかわらず、2割の人が「医療機関で過ごしたい」と望んでいることについて、私は驚きました。こういう状態でも十分日常生活が送られる状態であるということが、身近に経験がないとイメージとして湧かないのではないかなということを感じました。
 そういうことからしますと、今回回収率が5年前に比べてかなり減少しているということも含めまして、社会全体で医療の問題が余り騒がれなくなってきて、少し医療への関心も低くなってきているのではないかと思います。しかし、こういう大事なことは、社会で問題になっているからみんなが目を向ける、目を向けないということに左右されてはいけないはずです。ですので、どうすれば日常からこういったことを考えることができるのか、今回のアンケートを踏まえて、今後の情報提供の在り方に意識を向けていかないといけないのではないかなと思いました。
 また、先ほども川島委員が、何かモデル化して、そこに当てはめるということになってはいけないという話があったのですが、私も、16のスライドを見たときに、終末期になってくると、例えば抗がん剤治療を望む人が少ないということは、望んではいけないのだという意識につながるような方向性というのは、危険ではないかなと思っています。最後まで頑張って治療を受けたいと考える方も中にはいらっしゃるとすれば、自由な選択があっていいということを前提に考えていく必要があるのではないかと思います。
 ただ、法制化ということを望まない人が多いということ自体、意思というのは変化するものだという考えが拡がってきているからではないでしょうか。気持ちが変化するものを法制化することはなじまないのではないかなと、私もそのように思いました。
 最後に、25ページのグリーフケアについてです。29.7%の病院がグリーフケアの体制を整えていると書いてあったことには驚きました。緩和ケア病棟では、亡くなった後の御遺族に対するグリーフケアは行われているということは聞いていますが、調査をした中の3割が本当に行っているのかなということに、意外な感じがいたしました。
 アンケートの質問事項を見てみますと、「体制を整えていますか」という質問になっています。ですので、準備はあるというだけで書かれているのか、実際にグリーフケアの実施にまで踏み込んでいるのか、その辺りのところについて、今回では出てこないとは思うのですが、今後、更にそういった実態と、体制だけということとの現実が見えるような在り方というのが必要ではないかなと思いました。

○町野座長 
まだ発言をされていない方は、是非お願いいたします。

○田村委員 
私もこれを拝見しまして、前回よりもすごく現実的な項目がよく見えると思いました。ただ、特に一番感じたのは、相談を受けている側からいくと、21です。どのように話し合っているか。川島委員もおっしゃっていましたが、何を話しているのかという内容と、医療者側がどのようなことを情報提供して、「話した」としているのかという部分と、話し合いをした患者家族側が、何を医療者と協議したと思っているのかという実態の部分、正にそのことが、最後の医療をどのようにするか、どのように過ごしたいかに直結していく部分だと思いますので、そういう実際の部分を見えるものにできてくると、だんだん核の部分に議論が進んでいけるのかなと感じます。

○村上委員 
 この後、またそのお話があるかもしれませんが、先ほどお話させていただきましたように、この調査をもって次にどういうところに結び付けていくのかによって、今ここでいろいろな調査結果が出ていますが、この中の何を今度は精査していったらいいか、あるいは国民に対して、我々の中で、どういうことをやっていったらいいかということが出てくるのかなと思いますので、そこについてお聞きしたいと思います。

○町野座長 
 必ずその時間を取りますので、次回に向けての話ですね。ございますでしょうか。大熊委員、初めての発言ですね。

○大熊委員 
 全体のタイトルの「終末期の医療」というのが嫌だと言っていたのが、「人生の最終段階に」とタイトルを変えてくださったのは、とても喜んでいます。中にいくと、「終末期」がまた出てくるので、何だというところがございます。
 それから、「入所者」について樋口先生が違和感を感じておられましたが、特養などでは「入居者」と言っていまして、入居者というと人という感じになり、人間は最後は患者になって死ぬのだということを決め付けてしまうのはいけないのではないか。この頃は「認知症患者」と言わずに、「認知症の人」と言おうと、厚生労働省の報告書もなっているくらいです。人として死んでいくのかどうかというところが大事だと思います。
 それから、「病院」と一くくりになっていますが、総合病院と、療養型、精神病院では、今、毎日新聞で精神病院での認知症の状況がルポされていますが、それを分けて調べていただけたらいいなと思いました。
 それから、14枚目の所は、私は伊藤委員とよく似たようなことを思いました。ここを基に、だから施設なのだ、だから病院なのだというよりも、何をそろえたら望みどおりにできるのかという方向に、話が進んでいくといいかなと思いました。

○町野座長 
 指名しているようで申し訳ないのですが、南委員から何かございますか。

○南委員 
 私も結果を見た印象などは、既に御指摘があったことと重なるのですが、一番今回の調査で印象に残りましたのは9ページと11ページのギャップです。何人もの方が御指摘になっていますが、「事前指示書」という言葉がどうかということは別にしても、こういうことを作成しておくことの賛否と、実態との乖離みたいなところは、これをどのように読むのか。先ほど川島委員が言われたように、何かそういうフォームがあったらいいとは思いつつも、誰かが決めたものに沿うということは本意でないと思っている方が多いのかなということを感じました。
 それと、今、大熊委員も指摘されましたが14ページのスライドです。このケース4をどのように読むのかなと思ったのですが、答えた方が多様なので、ちょっと分からないのですが、1つの読み方は、認知症が進行して重度の要介護になると、家庭では無理だという印象を多くの方が持っていると。でも、これは自分がそうなった場合のことを聞いているわけですから、家族がそのようになっても、家に置いておきたいと思う方もあって当然だし、これは自分がなったときは迷惑だからというような。これまでの調査にも、できることなら人生の最後は自宅にいたいけれども、家族が急変やその他に対して大変だからという思いやりから、自宅では無理で、病院若しくは施設と選択している方が多いというのは、過去の調査でもはっきりしているわけですから、これもそれと似た読み方ができるのかなという印象を持ちます。

○町野座長 
 増成委員、何かございますでしょうか。

○増成委員 
 回答を寄せている人たちは4つのグループに分かれています。「一般国民」というグループと他の3グループとは、属性が非常に異なっていることに改めて注目する必要があると思います。
 1つは、人生の最終段階の医療が問題になっているのは、医科学がものすごく進歩しているために、選択肢が極めて多くなってきて更に多くなりつつある。そのことについて、一般国民は必ずしも知らない。むしろ知らない人が多くて、知っている人は非常に少ないと思われます。これに比べれば、医師、看護師、施設介護職員の方は、非常に知識がたくさんあって、それも具体的にいろいろ知っているだろうと。ここは重要です。
 もう1つは、直接最終段階の生きている人をどれだけ見てきたか。あるいは直接の体験プラス、そういうことのレポートがある研究文献等を見て間接的に知っていることも含めて考えると、一般国民は非常に限られていると思うのです。深刻に考える自分の身内とか、親友とか、その範囲ですので、これは1つの体験で意識がコロッと変わる可能性もある。それまでこういう考えだったのだけれども、親友がこういう亡くなり方をしたので、ガラッと考え方が変わったということは大いにあります。ところが、医師、看護師、施設の看護職員の方々は、いろいろなケースを見てきておられると思うので、何か見ただけでコロッと考え方が変わるということはまず少ないと思います。
 そういう意味では、今回の調査は極めて重要なデータが出てきていますが、これをもって、一般国民はおおむねこう考えていますからという、次の話にはいけないのではないかなと思います。

○町野座長 
 それでは、これから20分ぐらいの時間を使って、この調査で見えてきた課題と、次にこれをどのようにつなげていくかも含めて、御自由に御議論いただければと思います。今お伺いしたところでは、幾つか問題が出ていますが、事前指示書の問題が皆さんにとってある意味では少しびっくりするというか、もう少し何とかならないかという意識をお持ちの方がおいでだということです。
 もう1つ、話し合いがどの程度充実して行われているのか。三上委員のお話にもありましたとおり、水分を止めたらどうなるのか、栄養を止めたらどうなるのか。あるいは増成委員のお話にもありましたとおり、前回もそういう議論がありましたが、医療関係や福祉関係では情報はある程度存在しているけれども、一般国民に伝わっていないのではないかと。だから、どのような医療を受けられるかについて十分知らないということもあるのではないか。そのことについての話し合いも行われているのだろうかということもありますので、話し合いは必要だろうけれども、実質的にどの程度のことが行われているかという話。また、「終末期」という言葉は別として、スライド14に幾つか挙げられていますが、皆様方にとって非常に分かりやすくなったので、調査としてもイメージが作りやすいものだということがある一方で、これが終末期かという議論もあり得るという話だろうと思います。
 ただ、何が終末期かというと、私の経験から言うと、昨日まで病気の状態は悪いのだけれども、それほどすぐではないだろうと思っていたところ、急に逝って、1週間持たないでという話はかなり聞くのです。それを考えると、質問の仕方として、先ほどのスライドでは終末期をどの場所で過ごすことを選ぶかという質問や、あなたはどのような治療を望むかという質問など、いろいろあると思うのですが、その辺りも考えながら、終末期のことを考えていかなければいけないのではないかと思いました。御自由に御議論をいただきたいと思いますが、今後の課題も含めて何かありますか。

○林委員 
 これまで事前指示書ということと、話し合ってきたことがあるかどうかということを分けて聞いておられるわけですが、この2つを合わせたようなものがアドバンスケアプランニング、これからの過ごし方をともに話し合うこと自体が、アドバンスケアプランニングにもつながると思うのです。決して切り離して考えることのできないもので、深さということで分けて聞くのは非常に良いことだと思いますが、今後別々でという捉え方ではなくて、一緒になって話し合うことの大切さ、アドバンスケアプランニングという意味合いでのものをこれから調べていく、若しくは普及なりをしていくことが求められるのではないかと感じます。

○山本委員 
 これについての課題と、どのように使うのかという中で、どこで過ごすのかという命題が出てきていますが、自宅や施設と、もう1つコミュニティという概念が今後もっと必要ではないかと思います。コミュニティに帰る、コミュニティで終末期を過ごすという概念を、どこかで持ち込んでいくのがいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

○町野座長 
 質問の仕方は、今は「居宅で」となっていますが、ここでの居宅は住所と。

○山本委員 
 コミュニティ、地域も入るのですか。

○町野座長 
 自宅と、施設というか。

○医政局指導課長 
 この資料では単に「施設」と表記していますが、調査票の文言は、医療機関・介護施設・居宅の3択にしています。前回の会議でも議論がありましたが、グループホームは居宅か施設かなど細かく定義しても分かりにくいので、医療機関・介護施設・居宅の3択で、細かく定義しない形になっています。コミュニティや地域が入るか、というような定義は示していません。

○山本委員 
 この場の在り方の中に、もう少し広く考えて、病院から、あるいは施設から家庭に帰るのではなくて、地域に帰るという概念もあってもいいのではないかと思うのです。

○町野座長 
 どのような質問がよろしいでしょうか。老人ホーム等に入るときも、一応居宅なのですが、これは前に暮らしていた家からは離れた場所のことが多いわけです。そうすると、恐らくこの質問では十分ではないという話になるだろうと思いますので、別の質問を考えなければいけないという話になるかと思います。

○山口委員 
 今後の課題ということで、先ほどのことに少し関係してきますが、ここにある「事前指示書」や「リビングウィル」という言葉自体、一般の人がどれだけ知っているかというと、かなり限られてくるのではないかと思うのです。今回も、国民向けの調査に対して、5年前と同じように関心を持った方が回答したとしても、これだけ数が少なくなっています。そうすると、例えば事前指示書とはどういうものなのか、それはあらかじめ考えておかなければいけないことなのではないかとか、そういったことを誰がどの段階で国民に伝えていくのかが、今後の課題ではないかと思っています。
 現状で言うと、こういうことに何らかのきっかけで関心を持った人しか、次の段階にもう一歩踏み込んで考えようとしないのではないかと思うのです。そういう関心のある方は、いろいろなところから情報や知識を得て、自分はこのように行動しようかということにつながっていくと思いますが、気付く人を待っていたのではなかなか一般的には広がっていきません。ですので、「終末期」という状況になれば一体何を望むのかを、ぎりぎりになって考えたのでは意思表示ができないのだと伝えていかないといけない。どういうことをあらかじめ考えておかなければいけないのかといった具体的なことを、今後はどの段階で誰が伝えていくのか。そういう段階に進めていかないと、せっかくこういう調査をしても、その時その時に関心のある方の結果で終わってしまうのではないかと思いました。

○川島委員 
 山口委員の御意見に少し連動するのですが、先ほどもお話したように、去年129万人亡くなっている日本人のうち、急死、救急搬送されて24時間以内に亡くなった方は4.8%しかいないのです。搬送されて2日目とか3日目とか、数日たったものを急死と考えても10%以下です。
 逆に、人生の最終段階という意味ではその方々も同じですが、つまり9割ぐらいは秋山弘子先生のデータのように、半介助・全介助になって緩やかに衰えて最後を迎えるけれども、急死する方はいつでも起こるわけです。健康な人でも、ある程度の段階になった人でも、そこからストンと亡くなってしまうという場合に、どういう医療を望むのかということの方が実は非常に重要な話なので。この委員会ではない所でしなければならない話なのかもしれませんが、逆に10%に満たないような方々、つまり元気な人にさえもいつも説明をしていなければいけないのではないかということになるわけです。もし、あなたがそのようになったときにどのようにするのか。そのときには、どんな生き方があって、それをどう支えられる制度があるということまで、常々話をしなければならないので、最後の段階だけで事前指示書なりリビングウィルなりの話が持ち上がるわけではないのではないかと思います。

○大熊委員 
 私は山本委員がおっしゃったことはとても深い意味があるように思います。これを救急の先生がおっしゃったことに驚いて感動しております。見慣れた風景、住み慣れた場所での死が、仮に施設であっても窓から見た風景が見慣れた場所であれば、すごくピカピカなのより幸せです。南伊豆に特養ホームを作って、杉並の人を連れていこうという話が持ち上がっているそうですが、見慣れないわけです。障害者の政策のときに「ノーマライゼーション」という言葉がしきりに言われて、普通の場所で普通に暮らすと。死についても、普通の場所で普通に死んでいくのが最高だと私は思っているので、施設、病院、自宅という分類以外に、もう1つの要素があるかなと思って伺っておりました。
 外山義さんという京都大学の教授が、施設と自宅の間に「自宅でない在宅」という概念を提唱されました。施設であっても、いかにも施設施設した、4人部屋に公明党の人と共産党の人が一緒に暮らすみたいな、違う人生を過ごした人が無理やり詰め込まれているような施設ではなくて、自分の家では暮らせなくなったけれども、そこは自分のいる場だと思えることが重要です。これも余り単純に割り切ると、だんだん人生の最終段階から遠くなるかなと言いつつ、ではどういう質問にしたらいいかは提案できませんが、申し上げたいと思います。

○中川委員 
 先ほどから出ていますが、終末期の意思確認は多くの人が重要であると考えています。しかし、実際に意思表示をしている人は非常に少ない。これをどう解決していくか、が問題であろうと思います。私が以前から考えている事は、例えば臓器移植カードのように、終末期になったときに「望むこと」と「望まないこと」を簡便に記載して、保険証の裏にでも添付しておく。終末期になったとき、ご家族と医療関係者が、その意思を基盤として、その人に最も適切である事を行っていく。ここで問題になるのはこのカードをどこが責任を持って管理していくかということです。私はそこが解決できず途中で頓挫いたしました。
 カードに意思を記入しても、人の考えは状況によって変わっていくということもあります。しかし、本人が意思表示できない状態になったときに、一つの参考になる事も確かでしょう。次回の調査の際には、例えば成人(20歳)になった際に、意思表示のカードに記入し携帯する事をどう考えるか、といった設問を作ってはいかがでしょうか。

○三上委員 
 看取りの場所については、先ほどから議論が出ておりますが、地域によってもかなり違うというのは先ほどからのお話のとおりです。特に、地域包括ケアシステムというのが社会保障・税一体改革で出ていますが、これも明らかに都心モデルで、いわゆる集住化をしていただけるような、あるいは訪問看護や訪問介護が比較的簡単に行きやすい、人口密度の高い所を想定したモデルです。地方においては、限界集落でそういった状態で介護が必要、あるいは医療が必要な方々、高齢者の方々を最終的にどこで看取るかについては大きな問題で、里に降りていただいて集住化していくことが必要になってきます。
 先ほどから在宅という話が出ておりますが、国民が持っている在宅のイメージは自宅だと思いますし、そこから有料老人ホームなり何なり、非常に居住性の高い所でも、自宅以外の所に移り住むことについては、住み慣れた空間とは違う。住み慣れた地域ではあるかもしれないけれども、住み慣れた空間ではないということで、いわゆる自宅と居住系施設ということを、今は在宅という大きなくくりで議論をされているわけですが、それをはっきりと分けていただいて、どこがこれから本当に必要なのかを議論していく必要があるのではないか。
 特に人口構造が変化して、高齢者が非常に増えてくる。現役世代の方々が減ってくる。今までは家でお嫁さんがお姑さんやお舅さんの面倒を見ていたのが、お嫁さんも働きに出ないと日本の国が回らないような状態になって、世帯主が65歳以上の世帯のうち、独居の方々が3分の1を超えてくるような状況の中では、集住化をしていただくことの必要性が今後の日本では非常に高くなるのではないかと思います。自宅でみられる場合、その人は非常にラッキーであろうと思いますし、居住系施設の形で、アメニティの良い所で在宅療養というか、快適に最後まで暮らしていくことも大事なことだと思いますが、それは分けて考えていく必要があるだろうと。
 「在宅」という言葉が意味するものは医療保険と介護保険の間でも違っており、特養まで在宅に入る医療と、特養は介護保険施設であるという介護の世界と全く違います。先ほどから、特養でも「入居者」と言っているということですが、私は「入所者」とはっきりと分けていますが、その辺の考え方を統一して議論をしておかないと、出てきた結果、混乱すると思いますし、答える方も困るのではないかと思います。

○伊藤委員 
 私は、アンケートというのはこんなものなのだろうと思って見ています。結局、実際はここで書かれているようなことにはなかなかならないわけです。例えば、事前指示にしても自分の意向にしても、実際その現場になったら、ただ迷うだけではなくて、いろいろな要素が絡んできます。病院の職員とか家族とかいろいろなものが絡んできて、本人も自分の意思はこうだけれども、結果としては通せないということが起きたり。本人が意思表示をできない場合の家族が、それに代わって何かを判断しなければならないことがよく起きてきますが、それも本人が話せないだけに、どうしたらいいか非常に迷うわけです。
 先ほど先生がおっしゃっていたように、日々迷うだけならいいのですが、その迷うということを周囲の家族なり医療機関の人たちがなかなか認めてくれないのです。この忙しい時間にということで。本当に悔しい思いをすることが山ほどあるわけです。また、家族側の迷いは更に大きい。本人も自分で自分の心配をしようとして、治療はこうだといったことは割と言えたにしても、実際その現場になったらそのとおりにはならないのです。
 そんなことをずっと考えていくと、アンケートはアンケートとして全体の動向がつかめればいいのであって、その後は本人なのか家族なのか、プラス周囲の、特に医療機関や施設にいる場合はそこの影響が極めて重大な決定の要素になってしまうということをきちんと捉えていれば、個々いろいろなケースがあってもいいのではないかと思ってお話を伺っていました。実際のときは、なかなかそんなきれい事ではありません。
 刑事事件になるかならないかということと、目の前で苦しんでいる家族を見るときとの反応・判断は全然違うわけですから、捕まえてくれるなら、そのときに居直って裁判で決着を付けるかと。ところが、裁判でそんなことまで決められたくないわけです。そんなことの中で日夜悩むわけですから、あれこれ細かいことを言い出したらきりがないのですが、この調査結果はこんなものでしたと受け止めるしかないかなと思って聞いておりました。

○村上委員 
 私は、終末期、看取りの段階をどこで迎えるかというときに、尊厳ある死をどこで迎えられるのかが一番大きいという感じがしています。我々の所は、看取りの段階はドクターが看取りの診断をします。亡くなったときにはドクターが死亡診断をします。この間は、看護師を含めて我々スタッフ全員でやるわけですが、家族もしょっちゅういらっしゃるわけです。中には、胃ろうをするか経管栄養をするか、あるいは点滴をするかというときに、家族の方々と本人も含めて話をするわけですが、全部「結構です」という方がいるのです。ところが、「結構です」と言った方が、最後には本当にきれいな亡くなり方をするのです。家族の方々も、ここで亡くなったことを悔いたというのは聞いたことがありません。
 この間で、看取りの段階に入ったけれども、その後元気になって、また御飯を食べられるようになった、あるいは家に帰ることができるようになったという方々もたくさんいるのです。104歳で看取りに入って106歳で亡くなるまでの間に、誕生会を2回やったという方もいます。このように考えると、この方々はたまたま特養という生活の場にいたけれども、この中で尊厳ある死を迎えられたのだと思っています。
 そうすると、終末期医療ということを考えたときに、終末期をどのような亡くなり方をするかが大変大きな意味があると思いますので、一般国民の方々が本当にどういう死に方をしたいのかも含めてしっかりとデータを知った上で、それに応えていく医療、あるいは介護をどう作っていくかということが非常に大事になると思っております。また、今回の調査に関してはその一端があるという感じがしているので、この調査も生かしていけたらと思っております。

○田村委員 
 2点お話したいと思います。まず、「終末期」という言葉がなくなって「最終段階」と考えるというのは、私も年間800名ぐらいが亡くなる病院にいて、看取りを一緒にさせてもらっているのですが、そこの場所やいろいろな選択を考えられるということは、その死の瞬間に必死にケアしていくわけですが、大分前からこういうことを考えているということがものすごく大きな意味を持っているということです。川島委員が最初のときからのことをここでやることであるかどうか分からないけれども、必要ではないかとおっしゃったときに、私が思ったのはドナーカードなのです。すごくお元気で、会社員で、ばりばりの方で、僕はこういうものを持っているんだよというのを見せていただき、患者になって亡くなっていった方や、若い方で20代の方などを思ったときに、この方が非常に健康だったときに、自分の最後を想定することがあったのだなと。ドナーカードは1つのきっかけになっているのだなと考えました。
 それが決定打ではないのですが、いろいろな仕組みの中に最終段階をどう生きるのかを考えるきっかけになるような機会に、いろいろな所で出会えるような仕組みが世の中にあると非常に違うのではないかと思いますし、それが何であるかも考えていくのも、1つ意味があることかと思いました。それが1つです。
 そうは言っても、最終のときにどうするかは、先ほども言いましたが、そこで御一緒している「医療や介護の人たちが、患者・家族とどれだけ深く意向を分からせてもらう話し合いができるか」ということですので、何を語っていて、合意ができたと実際に患者・家族が思われるのかという内容が、踏み込んだところとして分かるといいなと思っております。

○木村委員 
 先ほど申し上げたように、我々の役目としては、こういう団体や厚労省などが来てガイドラインを進めていく、もっと普及させていく努力が必要だということと、一般国民に対しては現場で常に患者と患者の家族と話し合いをしっかりしていくこと、また、地域でも何回かしたことがあるのですが、そういうことを含めて社会の中にこういう考え方を広めていくことが非常に大切だと、ますますそれをしなければいけないと思いました。

○川島委員 
 中川委員と田村委員がおっしゃったドナーカードのようなものについては、私は反対を表明します。何度も言うように、意思決定できるためには十分な説明が必要なので、説明抜きでそれをきっかけにしようということを逆手に取って、「それがあなたの最終決定なんですね」になってしまうと非常に危険なので、これはやめていただきたい。
 また、今、説明責任の話をしたので、今後新しく調査をするときなども含めて、どこまできちんと説明をしているのかの調査を、特に医師・看護師に対してはやっていただきたいと思っております。何度もお話しますが、私たちは急死しない限りは障害者になるので、いわゆる終末期医療は障害者に対してどのように手を差し伸べるかという障害者支援の話なのです。どのように死なせるかではなくて、どのように最後の時までより良い生き方ができるかという、「尊厳死」ではなく、「尊厳ある生を最後の時まで保てるか」という支え方の話になってくるので、それに対してちゃんと支え方を説明しているのかについては、是非、今後、調査も含めて検討していただきたいと思っております。

○池上委員 
 最後に2点申し上げます。1点目は、事前指示の中で欠落しておりましたが、話し合うといっても、家族の中に誰にしたいかが一番重要で、任された家族としては、本人と十分話し合いを行わないと、一方的に任されても困るわけです。そうした話し合いの契機になることが一番重要な点であると思います。ですから、林委員がおっしゃったように、話し合いとそのときの気持ち、そのときの気持ちはどんどん変わっていくというのはそのとおりですので、変わっていく状況を、その中で指定された家族もどういう状況ならどのように変わっていくということが分かるようにしておくことが重要だと思います。
 2点目は、現状ではそうした話し合いも十分行われていないし、まして文書の形にはなっていないので、多分に従事者、特に医師の意見が重要な要素になると思います。したがって、私は従事者の意見、特に看取りによく関わる従事者の意見を、意識調査の結果も含めて知る。自分がそういう意識を持っていることは、それがそのまま患者への説明に投影されると考えられます。現状ではどうだったかを医師に聞くことはなかなかできない。そこが、医師がそういう立場に自分がなったときには、どういうことを希望しているかということから間接的に把握できると思います。

○大熊委員 
 前に言ったことですが、せっかくあるデータですので、病院を普通病院と療養型と精神病院に分けて、データを出していただきたいと思います。

○町野座長 
 まだ御議論はあると思いますが、本日はここまでとします。次回は、予定ではクロス集計をどの程度やるかについて御議論し、もう1回原案を出していただくことと、今日出た論点を少し整理していただいて、報告書を出したときにどういったポイントで書くかについて若干の御議論をいただくことになるだろうと思います。全体のこれからの予定について、事務局からお願いします。

○在宅医療推進室長 
 今、座長からお話があったような形になろうかと思います。詳しい日程等については、後日、事務局より御連絡させていただき、座長とも相談しながら準備を進めたいと思います。

○町野座長 
 どうも、今日は長いことありがとうございました。非常に充実した議論で、本当にいろいろ考えさせられました。ありがとうございました。


(了)

厚生労働省医政局指導課在宅医療推進室在宅医療係
電話:03-5253-1111(内線2662)

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