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【岡部委員提出資料】
社会保障審議会−福祉部会
生活保護制度の在り方に関する専門委員会
第12回(平成16年6月8日) 資料3

2004.6.8
東京都立大学
岡部 卓

生保・社会事業授産施設のあり方に関する提案

1 生保・社会事業授産施設の歴史的位置付け
 わが国の授産事業は社会経済の発展段階を背景にして低所得層や失業者などにたいするさまざまな公的施策として制度化され、救貧事業、社会事業成立期における職業保護事業などの多様な展開を経て、障害者も含めた社会福祉における社会福祉事業へと収斂して進展してきた。
 今日の社会事業・生保授産事業の原型は昭和前期に形成され、経済保護事業、職業保護事業、そして母子世帯などの家計補充的な授産という3つのカテゴリーを見出すことができる。その意味で社会変動による大混乱に対する有効な策として機能したといえる。第二次世界大戦後、低所得者対策の側面をもつ社会事業・生保授産事業に対して、障害者授産事業は、生活訓練及び職業訓練を重視した授産施設の法定化をもって出発した。
 授産事業は、有力な失業者救済の調整弁の役割を果たしたが、一方で経済的搾取の手段にもなりかねなかったことから、第1種社会福祉事業として公による規制と監督のもとにおかれた。授産事業は無料または低額の料金でサービスを提供する社会福祉事業と規定され、高い公共性、純粋性を獲得することとなった。
 以上から、生保・社会事業授産は、歴史的には、低所得者を対象とした高い公共性、純粋性を有する社会福祉事業として位置づけられ、障害者授産施設の役割との一定の整合性を求められながらも、失業や低所得といった社会変動等に起因する状況に対する有効策として考えられてきたのである。


2 生保・社会事業授産施設が現在果たしている役割
(1)施設数、定員(在所者数)、従事者数の概況
 現在の授産施設数、定員(在所者数)、従事者数は以下のとおりである。

(平成14年10月1日現在、社会福祉施設等調査報告より)
  施設数 定員数 在所者数 従事者数
生保授産施設 22 795 681 127
社会事業授産施設 154 6149 5451 1196
  小計 176(7.6%) 6944(7.3%) 6132(6.7%) 1323(4.3%)
身体障害者授産施設 80 3679 3304 1194
重度身体障害者授産施設 129 8391 8123 2907
身体障害者通所授産施設 277 7193 6914 2396
身体障害者小規模通所授産施設 61 983 918 245
身体障害者福祉工場 36 1758 1324 395
知的障害者授産施設(入所) 227 14254 14041 6009
知的障害者授産施設(通所) 1058 40207 39480 13456
知的障害者小規模通所授産施設 141 2255 2087 561
知的障害者福祉工場 57 1624 1383 522
精神障害者入所授産施設 28 764 595 235
精神障害者通所授産施設 208 4849 5056 1314
精神障害者小規模通所授産施設 109 2077 2359 361
精神障害者福祉工場 14 388 289 120
 合計 2601 95366 92005 31038

 施設数では福祉工場に次いで少ないものの、平均在所者数は34.8人、定員に対する充足率は88.3%、在所者数に対する従事者数は21.6%とどの施設体系よりも少ない。
 地域ごとに施設数をみると、都道府県内に、生保授産施設も社会事業授産施設も設置されていない県が18県ある一方で、社会事業授産施設は、東京都に69ヵ所、長野県に46ヵ所(67.5%が公設・公営)と地域偏在が著しい。

(2)利用者の状況
 全国社会就労センター協議会・「生保・社会事業社会就労センターのあり方検討委員会」が平成16年1月に調査した結果(別添参考資料)によると、保護・みなし保護の対象者が50.6%、障害による特別措置対象者が30.0%、その他の利用者が19.4%となっている。保護・みなし保護、その他の利用者も合わせて、全体に障害者の占める割合は、51.4%(身体障害者15.5%、知的障害者32.8%、精神障害者3.1%)、全体に占める母子世帯の母は、18.6%、高齢者は12.2%となっている。
 このように、障害種別の授産施設体系の整備がすすんだ現在にあっても、地域偏在、絶対数の少なさの影響もあり、障害の種別を越えて、障害者の利用が5割を超えているとともに、母子世帯の母、高齢者といったさまざまな利用者がこの施設を活用している実態がある。

(3)工賃の状況
 平均工賃月額は、4万3千円であるが、公立公営施設が4900円、民立民営が5万3000円と経営主体による違いが著しい。
 平成12年度における全国社会就労センター協議会実態調査によると、福祉工場を含まない授産施設の平均月額工賃は1万7600円、福祉工場を含んでも2万3800円であることからみると、生保・社会事業授産施設の工賃は高いレベルにあるといえる。この理由としては、生保・社会事業授産施設では、障害のない利用者が障害者を支えているという側面もああるが、前出の調査結果によると、「受注開拓・顧客管理等を含む営業努力」、「自主製品主体の授産品目」などがその理由として挙げられており、高工賃を支払うための工夫や努力が重ねられていることがわかる。


3 今後、生保・社会事業授産施設に期待する役割
 以上の歴史的検討や調査結果の分析からもわかるように、これまで生保護・社会事業授産施設は、一般企業で働くことが困難なさまざまな利用者を受け入れ、一定の工賃を支払うことで、彼らが地域で暮らすことを支援してきたといえる。
 今後も社会の多様化が進むなかで、さまざまな新しい社会的ニーズが生まれることであろう。利用にあたっては、例えば、障害の種類による制限などの壁のない生保・社会事業授産施設は、これからも時代の要請に応え、ホームレス、ドメスティック・バイオレンス、ひきこもりといった課題の解決に向けて、地域において就労支援の切り口から取り組むことのできる機能を有する重要な施設と考えられる。
 そうした機能を十分に果たし、また、社会的な合意を得ていくためには、利用する方々が安心して働くことのできる場としての役割や機能を果たすだけでなく、一般就労を希望する人々への訓練機能も充実させる必要がある。また、一般就労への移行を躊躇させるような様々な課題を有する利用者でも、安心してそこに挑戦できるように、施設をいったん退所しても、必要に応じ再び戻って利用できるような双方向性の確保も不可欠である。
 地域偏在の問題については、今後、母子生活支援施設や高齢者施設等へ生保・社会事業授産施設を小規模併設するなどの方法で広くあまねくこの機能を全国に広げ、1人でも多くの利用者の就労支援を求める社会的ニーズに応えていくことを提案したい。


参考:
保護・社会事業授産施設の歴史的位置付け
(全国社会就労センター協議会「社会就労センターのあり方検討委員会最終報告」平成15年2月より抜粋)
(1)授産事業の変遷と発展について
 授産事業は江戸時代にあっては救貧事業として登場したが、明治以降は公の関与により防貧施策としての経済保護事業へと転化をみせ、さらに大正期からの社会事業の発展につれて、職業補導事業の色彩も強めることとなった。その背景にはたんなる慈善救済事業はむしろ惰民助長につながるものであり、これをふせぐために窮民を勤労させることが重要であるといった日本的貧困観、勤労観、産業革命の縁辺を担う労働力の確保・陶冶といったねらいもあった。また、士族授産などのような社会変動に伴う失業者対策、関東大震災などの大規模災害の罹災者救済といった施策の側面ももっていた。
 とくに職業補導事業の考え方は不況による失業が慢性化する昭和に入ってから強く打ち出されたもので、失業保護施設体系に職業保護事業、授産事業が位置付けられることとなった。授産事業は失業者などの不安定労働力を吸収し社会不安を解消する役割をもった施設として期待されたのである。これと対応して行政の実施組織も編成が行われ、国及び地方公共団体の財政上の役割分担など法令上の整備がはかられることとなった。
 このように整理すると、わが国の授産事業は社会経済の発展段階を背景にして低所得層や失業者などにたいするさまざまな公的施策として制度化され、救貧事業、社会事業成立期における職業保護事業などの多様な展開を経て、今日にいたる障害者も含めた社会福祉における社会福祉事業へと収斂して進展してきたといえる。

(2)社会事業・生保授産事業、失業対策事業の成立
 今日の社会事業・生保授産事業の原型は昭和前期に形成され、その源流となるのは経済保護事業、職業保護事業、そして母子世帯などの家計補充的な授産というの3つのカテゴリーである。
 第二次世界大戦直後に大量の餓死者が予想されるなど窮乏化する国民生活対策として、連合国軍最高司令部は「生活困窮者緊急生活援護要綱」を提示し、政府はこれを契機にして生活困窮者のみならず、失業者、戦災者海外引揚者、傷痍軍人や軍人遺族の援護が必要な人々に対する施策を実施することとなった。具体的には宿泊施設、給食施設、救療施設の拡充、衣料、寝具など生活必需物資の給与、食料の補給、さらに生業の指導・斡旋、自家用消費物資、生産資材の給与・貸与などの一連の施策が全額国庫負担で実施されることとなった。とりわけ、膨大な失業者対策としては生業を与えて自活させる方針がとられることとなり、失業者を吸収する事業として授産事業が最も手っ取り早く対応できるものとして着目された。また、同時期に従来の旧社会事業法による授産事業にくわえて旧生活保護法に基づく授産事業が低所得を利用者の要件として独立し、さらに失業者対策の授産事業が急速に設立されることとなった。こうして授産事業は明治維新以降再び社会変動による大混乱に対する有効な策として登場することとなったが、その反面では次項(4)でみるように緊急整備の過度期のなかで、授産事業をめぐる不祥事の多発とそれに対応できない法令の不備が明らかになり始めた。

(3)障害者授産事業の成立とその源流
 以上のような社会事業・生保授産事業についで、身体障害者福祉法制定によりわが国では法令に基づく最初の障害者を対象にした授産事業が独立することとなった。とくにこれまでは健常者や失業者救済に主眼を置いていた授産事業のなかにあって、身体障害者福祉法は傷痍軍人援護施策を先行事例としながら身体障害者の職業補導を目的にした社会福祉施設としての授産施設を明確にすることによって、やがてその後に制定された知的障害者福祉法、精神障害者保健福祉法の授産施設規定に影響を与えていくこととなった。
 身体障害者福祉法に規定された授産事業の源流は、先行する社会事業・生保授産事業とは異なって第二次世界大戦下における傷痍軍人援護事業にあった。同事業の内容は、恩給の給付などの恩典・優遇をはじめ軍事扶助、医療保護、職業保護、傷兵院における収容保護などで構成され、このなかでは例えば職業保護としては身体障害者に対する職業再教育、作業義肢、作業補助具及び介護用具給付など身体障害者福祉法のサービスの基本概念に引き継がれるものが含まれていた。障害者授産事業は、社会事業・生保授産事業がともすれば低所得者対策の側面をもつのに対して、生活訓練及び職業訓練を重視した授産施設の法定化をもって出発したといえる。
 身体障害者福祉法は制定当時、身体障害者による公共施設への売店の設置、たばこ小売販売業の優先的許可、行政機関による物品の購買などを規定して、身体障害者の自立生活支援を明確にした。しかしながら、身体障害者の雇用対策は労働省の管轄であるために、同法ではあえて職業補導ではなく、職業能力の指導・訓練という概念を定立して授産施設を「身体障害者で雇用されることが困難なもの又は生活に困窮する者等を入所させて、必要な訓練を行い、かつ職業を与え、自活させる施設」と規定することとなった。
 また、第二次世界大戦直後の身体障害者施設整備としては、傷兵院が国立援護機関に編成替え(国立伊東重度・別府重度障害者センター)されたほか、国立光明寮(視力障害センター)の整備が図られ、これらの施設は身体障害者福祉法における更生援護施設のさきがけとなった。

(4)授産事業の性格付けをめぐって
 第二次世界大戦終了後まで授産事業は優れて職業保護事業であったからそこでは恒常的な雇用があった。しかしながら、対日占領下ではその性格づけをめぐる混乱が生じる。前項(2)でみたように授産事業の整備強化が図られて授産事業に大量の失業者や復員軍人がなだれ込むとともに、搾取や資材の横領などの不祥事が相次いだ。授産事業は有力な失業者救済の調整弁の役割を果たしながらも、他方では場合によっては営利事業とも観念されることとなった。こうした事態に直面して授産事業は社会福祉事業なのか、それとも職業斡旋等の事業なのか、さらに社会福祉事業とした場合にはどういった要件が必要なのかが問われることとなった。
 授産事業の不祥事による社会福祉事業の信用失墜を防ぐためには公による強い規制をかけて、経済的搾取などを取り締まる必要がでてきた。このため社会福祉法では授産事業を第1種社会福祉事業として公による規制と監督のもとにおき、こうして授産事業は無料または低額の料金でサービスを提供する社会福祉事業と規定され、高い公共性、純粋性を獲得することとなったのである。同時に社会福祉法では経営の主体制限をかけて公益性を維持する論理を構築し、社会福祉法人制度を創設することとなった。第二次大戦直後の授産事業をめぐる混乱は社会福祉事業の純化を通して今日の社会福祉基礎構造を形成する要因ともなったのである。


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