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3.うつ病への気づきを促すために
(1 )啓発活動の重要性
 うつ対策が行われる前の段階では、うつ病に関する住民のニーズは隠れていて、行政の立場からは見えにくい。しかし、実際は住民はうつ対策について潜在的に高い関心とニーズを持っていることを認識しておくべきである。うつ病に関する啓発や相談などの対策により、住民自らが抱えていた問題がうつ病であると気づき、理解することで、はじめて、うつ対策に対して強い関心が寄せられ、解決に向けた行動へとつながる。うつ対策にあたっては、まず住民のうつ病に関する理解を深め、隠されたニーズを呼び覚ますことが第一である。
 人々が抑うつ状態やうつ病について正しく理解し、自ら早く気づき対処するためには、うつ病に関する啓発活動を、さまざまなライフステージを通じて、多様な場と方法によって行うことが必要である。

啓発活動のポイントの図


(2 )啓発活動の方法
 うつ病が、決してまれな病気ではなく、誰でもかかる可能性があること、かかるとつらく、また日常生活に困難が生じること、しかし、多くは薬物療法で改善することなど、うつ病に関する正しい知識について啓発を行うことが必要である。また、どこへ行けば相談にのってもらえるのか、どの医療機関なら治療してもらえるのかなどの情報を周知することも重要である。さらに、都道府県・市町村がうつ病を優先順位の高い住民の健康問題として、その対策に積極的に取り組んでいる姿勢を示すことも必要である。
 方法としては、講演会や講習会の開催、パンフレットの配布、ポスターやパネルなどの展示などがある。参考までに国民向けパンフレットの一例を51ページに示した。また、抑うつ状態やうつ病に早期に気づき、受診を促す方法として、質問票を用いたうつスクリーニングがあるが、様々な機会を通じてこれを住民に提供することも、有効な啓発になる(うつスクリーニングの詳細については、保健医療従事者マニュアルを参照)。なお、うつスクリーニングを行うだけではうつ病の有病率は低下せず、その後の適切な診断と治療、フォローアップが十分に行われることが必要である。

 1 )既存事業を活用した啓発活動
 啓発活動は、老人保健事業、老人福祉事業、母子保健事業、精神保健福祉事業などの様々な既存事業の場を活用することによっても実施できる。
(1) 老人保健事業
 老人保健事業の健康教育、健康相談の場を活用して、うつ病に関する啓発、うつ病への気づきを促すことができる。脳血管疾患の既往後の高齢者にはうつ病にかかる者がいる。機能訓練に従事するスタッフやボランティアに対して、うつ病への理解、気づき、対処についての講習会を行っておくこともできる。また、老人保健事業の健康診査の機会に、うつスクリーニングを実施し、気づきを促し、必要に応じて受診勧奨などの保健指導を行うこともすでにいくつかの市町村で実施され、効果をあげている。

(2) 老人福祉事業
 障害を持つ高齢者や自宅へ閉じこもり状態になっている高齢者は、うつ病にかかっている者が比較的多いと推測される。
 老人福祉事業では、相談、介護、社会活動支援等に従事するスタッフやボランティアに対して、うつ病への理解、気づき、対処についての講習会を行っておくことができる。また、高齢者向けの生きがい対策や閉じこもり予防対策、老人クラブ、シルバー大学などの高齢者の自主的社会活動は、うつ病の予防につながり、早期発見の場となることも期待される。

(3) 母子保健事業
 産後にマタニティーブルーズ、あるいは産後うつ病がおきることがある。周産期医療機関と連携した対応や、母子健康手帳の交付、妊婦指導、新生児訪問指導、乳児健康診査などの場において、母親に対する情報提供やストレスチェックなどの心の健康状態の把握を実施することもできる。

(4) 精神保健福祉事業
 心の健康づくり対策は都道府県等の精神保健福祉センターを中心に進められている。また、住民に身近な場面として、保健所や市町村における精神保健福祉相談や、「精神保健福祉週間」などの事業にあわせて、うつ病の問題をテーマとした講演会や講習会などを実施することもできる。

 2 )関係機関とのネットワークを活用した啓発活動
(1) 児童相談所
 児童虐待などのつらい経験をした子どもは、愛着障害等により、将来、精神的安定を図ることが困難となるケースもあり、うつ病になる可能性が高いとも考えられる。児童虐待等の相談に関わる保健所や児童相談所の職員や市民ボランティアなどに対して、うつ病への理解、気づき、対処についての教育・研修を取り入れることもできる。

(2) 教育委員会
 思春期は、うつ病の初発時期である。代表的な心の病気であるうつ病について、保健体育などの授業でとりあげ、うつ病への気づきを促すこともできる。また、教師に対してうつ病に関する知識、気づき方、対処方法について講習会を行うこともできる。一方、教師のうつ病も少なくないため、自らのうつ病の早期発見・早期治療を目的とした教育・研修も有用であろう。

(3) 男女共同参画事業
 女性は男性に比べうつ病にかかりやすい。女性のうつ病は、妊娠、出産、育児、介護などの特徴的な状況によって影響を受ける。男女共同参画事業や同様の市民活動の中で、女性に多い病気としてうつ病に関する啓発を取り入れてもらうよう働きかけることが重要である。女性向けのうつ病に関するパンフレットの作成・配布も考えられる。

(4) 配偶者等からの暴力被害者の支援活動
 配偶者等からの暴力(DV)を経験した者は、うつ病や抑うつ状態になりやすいとの指摘がある。DV被害者に対してもうつ病パンフレットの配布したり、DV被害者の支援に関わる都道府県・市町村職員や市民ボランティアなどに対する教育・研修を行うことも考えられる。

(5) 都道府県・郡市区医師会、医療機関
 相談・支援、適切な治療の推進のためには、都道府県・郡市区医師会、医療機関との連携は不可欠であることは言うまでもないが、啓発活動についても地域の医療に関する主要な組織としてその役割は大きい。うつ病を経験した者の多くが医療を受けていない現状を考えると、医療機関による積極的な啓発活動が望まれる。

(6) さまざまなNPOとの連携
 地域におけるさまざまなNPOは、うつ対策を推進する上で重要な社会資源であり、これらの把握と育成が重要である。
 地域ごとに健康推進のためのボランティア組織がある場合、こうしたボランティア組織に対する教育・研修を行うことで、これらの組織がうつ病に関する正しい理解の下に活動し、住民に対してうつ病に関する知識の普及やうつ病への早期の気づきを促すことができる。
 子供と死別した親や親を亡くした子供の悲しみは深く、うつ病にかかるリスクが高い。子を失った親の会や関係するNPOで、うつ病に関する教育・研修を開催したり、都道府県・市町村の研修会に参加してもらうなど、連携をはかることが考えられる。
 「うつ病アカデミー」、「うつ・不安啓発委員会」や「うつ病の予防・治療委員会」などは、全国レベルでうつ病に関する啓発活動を支援している。こうした組織がインターネット上に開設しているホームページから有用な情報を得ることができる。また、研修会等の講師など、地域ごとにうつ病の専門家を見つける際などにも有用である。
 うつ病を経験した者によるセルフヘルプグループと連携することも有用である。例えば、講習会や研修会等に講師として、うつ病経験者に体験を話してもらうことで、うつ病についてより深く理解できる機会ができる。

 3 )事業場への働きかけ
 職場においてもうつ病対策をはじめとするメンタルヘルス対策は重要となっている。このため、平成12年8月に労働省(現厚生労働省)が「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」を策定し、都道府県労働局及び管下各労働基準監督署がこの指針に基づく対策の実施について事業場に対する指導を行っている。さらに、事業場における労働者の健康確保対策の推進のための支援体制として、労働者数50人以上の規模の事業場の産業保健スタッフ等に対する支援のために都道府県産業保健推進センターが、それ以外の小規模事業場に対する支援のために地域産業保健センターが設置されており、その活動の中においても、メンタルヘルスに関する事業場外資源の一つとして相談等に対する支援が行われている。こうした事業場を対象とした取り組みを踏まえ、都道府県労働局、管下各労働基準監督署及び各センターとの密接な連携のもと、うつ病に関する広報、相談窓口の活用、研修会の開催等うつ対策の効果的な推進を図ることが望ましい。

 4 )マスメディアの活用
 住民にうつ病についての正しい知識や対処方法等を伝える上で、地域のマスメディアや都道府県・市町村の広報誌は重要である。地域のテレビ、ラジオ、あるいは新聞などでうつ病の特集を組んだり、うつ病に関する地域の取り組み、うつ病診療への医療機関の取り組み等を紹介してもらえるように働きかけることで、うつ病に関する住民の理解と気づきを促し、うつ病の早期受診を可能にする素地が形成される。情報が断片的にならないように、記事をシリーズにするとか、Q&A方式にするなど表現の工夫も一法であろう。

 5 )インターネットの活用
 インターネット上に開設しているホームページは、名前を知られずに、いつでも情報にアクセスすることができるため情報発信には効果的である。うつ病に関する基本的な知識(誰でもかかる可能性のあること、治療により治ること等)、簡単なうつ病の自己チェック、地域の相談先のリスト、うつ病の体験談やその他詳しい情報が掲載されているサイトへのリンクなどを含めるとよい。

3)対象者の特性を考慮した情報提供
 うつ病に関係する因子には、性差や年齢のほかに、悪性腫瘍や慢性疾患などの疾病、離別・死別などの喪失体験、心的外傷体験などさまざまなものがある。したがって、啓発活動にもその場面場面で必ずしも画一的な方法が適切でない場合もある。対象者の特性を考慮した情報提供の際の留意点を示す。
児童 3歳児や就学前検診などがある。小児うつ病をはじめとして、この年代でも薬物療法の対象になる精神疾患があることが以前よりは周知されてきている。保護者の同意を前提とした、児童相談所や、スクールカウンセラー、養護教諭など教育関係機関との連携は不可欠である。
思春期 学校保健との連携が重要である。不登校やいわゆる「ひきこもり」、あるいは拒食や過食など思春期特有な行動がうつ病の表現型である場合も多く、精神科受診が必要な場合があることを、本人や家族・学校関係者に理解してもらうことが重要である。
中高年 :産業保健との連携が重要である。失業や多額な負債など経済的な問題が自殺の危険因子であることが知られている。出社拒否やアルコール依存などはうつ病の表現型でもある。また、定年後は日常の生活で孤独感を募らせる時期でもある。初老期うつ病あるいは更年期うつ病と診断されることもあり、注意を要する。治療に専念できるよう環境調整を行うことが重要である。
女性 一般にうつ病は女性に多いといわれている。周産期、とりわけ出産後は抑うつ状態になりやすく、育児に対する自信のなさで表現されることがある。また、更年期のうつ病の症状を更年期の一般的な症状として、あるいは単なる過労として見過ごす可能性もあり、うつ病が身体症状に覆われている場合があることも留意しなければならない。
周産期 周産期は女性にとって期待と不安が交錯する時期である。心の健康状態の把握と対応はもとより、家族の理解と協力をはじめとする安心して妊娠・出産を迎えるための環境整備が重要である。
高齢者 高齢になって喪失体験を数多く体験し、慢性疾患に罹患している可能性も高く、また、身体的衰えのみならず、家族や地域からの孤立、経済的不安なども増大する場合があり、抑うつ状態になる可能性もある。高齢者ほど自殺死亡率は高い。また、長期間高齢者を介護している家族も、燃えつき状態になり、単に疲れたり、気力が出なくなっているだけではなく、抑うつ状態になる場合もある。各種老人保健事業や介護保険による様々なサービスとの連携が重要である。また、福祉関係者は家族とともに本人と接する機会も多いため、福祉関係者に対する研修・教育は有用である。
慢性疾 :慢性疾患や障害にうつ病を合併することがあり、特に悪性腫瘍への合併が知られている。落ち込むのは当然であると思われ、うつ病を見落とされる可能性がある。多くは治療を継続している人たちであるため、うつ病の早期発見・早期治療は医療機関に期待されるところが大きい。患者会などのセルフヘルプグループやボランティアグループの理解と協力も重要である。
 一方、長期にわたる介護生活はうつ病の危険因子であり、介護者に対してもうつ病への基本的な対処のほか、ストレスを軽減するため、ホームヘルプ事業や施設の短期入所、デイサービス、入浴サービスなどの情報を提供することも重要である。
離婚、 別、その他の喪失体験、トラウマとなるような出来事(虐待、暴力など):喪失体験やトラウマとなるような出来事はうつ病の重要な危険因子である。これらの体験から何週間も憂うつな気分が続くのは、誰にもありそうなことではあるが、なんとなく寂しくなって涙もろくなる、興味関心がわかない、疲れやすい、気力が出なくなっている状態が長く続く時、うつ病の可能性もある。


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