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スウェーデンにおける地域移行と地域生活支援の実態と課題
−2000-2002年度日本学術振興会科学研究費補助金研究成果(一部)より−

河東田 博(立教大学コミュニティ福祉学部)

1.スウェーデンにおける地域移行の実態と課題

 スウェーデンにおける入所施設から地域の住まいへの移行は1970年代後半から試行的に始められたが、1980年代半ばに国の方針として示されるようになると、以後その動きは加速されていった。1997年には、特別病院・入所施設解体法が制定・施行され、1999年12月末日までに入所施設が全廃されることが明文化、入所施設解体が決定的となるが、ここに至るまでには、国レベルでの法律改正をめぐる論議、国及び地方自治体レベルでのモデル施設における地域の住まいへの移行の取り組み、評価・点検作業等があり、数々の報告書が出されてきた。これらの取り組みや評価・点検作業には、当事者組織としての親の会であるFUB(全国知的障害児童・青少年・成人連盟。1970年代後半には知的な障害をもつ本人も参加するようになった)や監督官庁としての社会庁(Socialstyrelsen)が深く関与し、独自の研究、報告書の作成、課題の整理、情報提供を行ってきた。
 本稿では、1970年代以降、国・自治体レベルの各部局・各種団体・個々の研究者等様々な立場から出されたこれらの基礎資料を基に、筆者がこれまでに行ってきた約30年に及ぶ入所施設解体をめぐる論議経過の整理と地域居住化決定プロセスの分析結果1)の要約を記す。なお、これらの基礎資料は、筆者が個人的に収集したものだけでなく、社会庁「施設解体プロジェクト」(Socialtjanstgruppen for institutionsavvekling)に保管されてあった数多くの各種報告書からもなっている。その数は膨大なものとなったが、稿の終わりに基礎文献として筆者の手元にあるものを紹介してある。また、これら基礎文献の分析を行うにあたり、社会庁「施設解体プロジェクト」代表オーベ・ローレン氏、グルンデン協会ベリストローム氏他の協力の下、基礎文献の内容等の確認作業を行ってきた2)

(1)入所施設解体に至るまでの歴史的経緯
 入所施設解体が国の方針として最初に明文化されたのが、1986年の新援護法である。この法律には知的なハンディをもつ人たちに対する自己決定の権利が明示されており、この人たちの権利獲得・達成の取り組みに多大な影響を与えていく。しかし、今日のような入所施設解体をもたらす兆候は、かなり前から見られていた。それが何時頃であったかということを正確に述べることは難しいが、既に、1940年代から1950年代中頃にかけて、スウェーデン各地の入所施設で生活していた人達があまりにも非人間的に扱われていることに対して最初の反応が見られている3)
 1950年代後半から1960年代にかけ、入所施設批判の具体的な動きが見られるようになっていく。マスメディアが入所施設の悲惨な実態を取り上げ、親達の組織FUB(知的障害児童、青少年、成人連盟)も入所施設のひどい状況を直ちに改革し、改善するよう運動を展開するようになっていった。社会庁(当時の医療保健庁)もスウェーデン国内の施設の幾つかを取り上げ、その実態を国民に明らかにしていく。施設の実態を調査する研究プロジェクトが社会庁4)、FUB5)、大学その他の研究機関に設けられるようにもなった。これらの研究プロジェクトは、後に、「生活の質」に関する調査や地域の住まいへの移行に関する評価・点検作業なども手がけ、地域の住まいへの移行への動きに大きな貢献をしてきている6)。これらの社会的な動きや研究活動、さらには、1970年代後半からはじめられた施設カールスルンド7)などモデル施設における地域移行化の取り組みは、結果として、民間施設の公立施設化が盛り込まれた1955年の新教育保護法(精神薄弱者の教育と保護に関する法律)、ノーマライゼーションの理念を取り入れ施設福祉・地域福祉の一元化を図った1968年の援護法(精神発達遅滞者援護法)、入所施設解体を明文化した1986年の新援護法(精神発達遅滞者等特別援護法)、入所施設解体を決定的にした1994年のLSS(一定の機能的な障害をもつ人々に対する援助とサービスに関する法律)8)や1997年の特別病院・入所施設解体法9)、等、数度に渡る法律の改正や国・地方自治体の制度・要綱作りに大きな影響を与えていたことが、基礎資料より明らかとなった。

(2)入所施設解体例−施設ベタニア
 入所施設解体例として、スウェーデン南西部にある第2の都市イエテボリにあった施設ベタニアを取り上げる10)。施設ベタニアは、1896年、3名の知的なハンディをもつ女性のための共同生活の場として、ベンタ・ハンソンによって創設された。
 施設ベタニアの創設から解体に至るまでの特徴を要約すると、次のようになる。
・少人数の家庭的な共同生活の場が社会的ニーズにより次第に大きくなり、家庭的な雰囲気を失って大規模施設の一つになっていった。多くの施設は、1955年の新教育保護法により公立化され小規模施設から大規模施設になっていった。施設ベタニアは民間施設として維持しつつも、利用者増を余儀なくされ、利用者が増えるにつれ施設の場所を転々と変わり、町中から郊外に移っていった。
・1968年に施行された援護法の影響をうけて施設内改革が始められ、1970年代後半から徐々に比較的知的能力の高い人たちを中心に地域の住まいへの移行を開始していった。施設内にも「グループホーム」や「個室」が設けられるようになっていった。これらの改革は、創設者及びその親族以外のノーマライゼーション理念に共鳴をした改革推進者の施設長を中心になされていった。
・施設ベタニアでは1986年の新援護法の入所施設解体の方針を受け、具体的な施設解体の検討に入っていった。しかし、その検討は、職員・保護者の反対により一時頓挫せざるをえなかった。
・1990年代に入り、施設長や理事会の強力なリーダーシップにより、施設解体の検討に入り、具体化されていった。その後、数年という短期間に解体を成し遂げることができた。しかし、職員の質を高めるところまでには至っていなかった。
・施設解体の具体的な動きは、デイセンターを施設外に出すなど、住まいと働く場を分離させる中でなされた。施設の棟(ホーム)毎またはグループ毎に職員共々地域移行し、スムーズな移行と利用者の心理的影響を最小限に留める工夫がなされていた。地域に移行した住まいの近くにデイセンターなど日中活動の場を設け、地域生活の充実を図ろうとした。
・施設ベタニアがあった地域は、今では一般の家族が自分専用のアパートのある3つのグループホームに住む旧施設ベタニアの住人と一緒に生活する活気のある住宅地帯に変わっていった。グループホーム入居者は、誰もが一人当たり35〜46.4平方メートルという広いスペースを保有することができるようになった。職員・保護者の「反対」や「戸惑い」は、最終的に、「賛成」または「良かった」という意見や感想に変わっていった。

(3)スウェーデンにおける入所施設解体プロセス上の問題と課題
 旧施設ベタニアの解体に至るまでのプロセスは、他の多くの施設における解体プロセスと類似しており、次のようにまとめることができた。
・スウェーデン全土の入所施設関係者、特に、職員、保護者に、入所施設解体について最も影響を与えたのは、1986年に施行された新援護法だった。
・入所施設解体の知らせを受けた当初の職員・保護者の反応や印象は、大多数が反対もしくは否定的、消極的だった。施設入所により家族の生活上の困難さが改善されたこと、施設の外の生活は危険が一杯で入所者にとっては望ましくない、自然豊かな環境の方が利用者のためになるという意見が根強くあったこと、施設の外の住宅では地域住民との関係もうまくいかず、入所者達が一人ぼっちで孤立して社会的に悲惨な生活になる可能性があるという意見や、職員の労働条件が変わり職員の専門性が保たれなくなるという意見が出されていた。
・解体作業が進むにつれ、反対意見や否定的な意見は徐々に減っていった。移転作業が終了してみると、職員や保護者の大多数が自分たちのおかれた状況に満足しており、保護者にとってもわが子が以前よりも満足できる生活が送れるようになっていた、と考えるようになっていった。
・今日、反対意見が全くなくなったわけではない。以前に比べて援助の手があまり差し伸べられなくなり本人の置かれた状況が悪化したことや、孤立の度が増したり、日々の生活における充実感が減少するなど、家族の置かれた状況が悪化したなどという意見が基礎文献の記述の中に数多く見られていた。
・施設解体当初わずかだが変革に期待を寄せていた人もおり、これらの人たちは当時の施設の現状に不満足だった人たちであった。
・保護者の場合心境は複雑で、常に揺れ動いており、かつてわが子を施設に預けたことを批判されたと受け取った人や、施設解体によりわが子が家に連れ戻されると考えた人や、保護者が住んでいる地区に住み替えすることを嫌がる人(保護者が移転してしまった人もいた)や、逆に喜ぶ人など、様々であった。つまり、施設解体が多くの保護者(家族)にとって大きな心理的な負担となっていたのである。
・地域の住まいは、必ずしも生まれ育った地域が選ばれたわけではなかった。地域の住まいの確保は、施設利用者が優先されたためである。提供された地域の住まいは、建築基準法(寝室・居間・台所・浴室・トイレなどの機能が用意されているもの)に照らして良しとされるものとなっていた。地域の住まい(例えば、グループホーム)は5人の共同生活を最大人数としており、この地域の住まいには重度・最重度の人たちも住めるようにした。そのため、4・5人の入居者に対して10人前後の厚い職員配置を敷くようにした。単独型(空間占有型)、共同型(空間共有型)など地域の住まいのあり方は、今なお論争中の的となっていた。
・地域の住まい確保のために多額の補助金が国や地方自治体から拠出されており、必ずしもコスト削減のための地域の住まいへの移行とはなっていなかった。希望通りの住まいが確保できるようにするために本人の意思を確認する手続きがとられ、希望がかなわない場合のために裁判に訴えることができるシステムを設けた。
・地域の住まいに移行した本人たちは、例外なく施設に戻りたくないと意志表示していた。
・入所施設の解体は住まいのあり方だけでなく日中活動の集団規模などにも影響を与え、日中活動の小規模分散化をもたらしてきていた。
・1986年の新援護法施行以後、保護者や知的なハンディをもつ本人の解体作業への参加・参画が社会庁により推奨されたにも拘わらず、保護者や本人の解体作業への参加がなされたのは1990年代に入ってからであり、この人たちの参加がなされても多くは既に計画の細部が決められており、形だけに終わっている場合が多く見られていた。しかし、解体作業への保護者や本人の参加が図られたケースでは、一人ひとりに適した解決方法を見出すための努力がなされ、利用者の個別支援プログラムを策定することができていた。
・個別ニーズの把握が十分にできていなかったという反省を踏まえ、社会庁は、2000年6月、地域の住まいへの移行も含む「個別計画プログラム」の策定とこの計画に基づく具体化の指針11)を各自治体に示した。

 しかし、スウェーデンにおける入所施設から地域の住まいへの移行に関しては、まだ課題が山積している。その一つに地域生活のノーマライゼション化がある。一人ひとりを支える支援者の質の問題、つまり、地域住民との関係をコーディネートする職員教育の問題である。本人の意思を反映でき、自己決定をし、物事に参加し、人間としての尊厳を尊重されるという観点からの支援の質を確保する必要があるが、多くのところでは施設解体後まだ数年しか経っておらず、支援の質の確保も職員教育も十分にできているとは言い難いからである。そのための財源を十分に確保できているとも言い難い。本人に対する情報提供のあり方にも研究の余地がある。そのための財源も必要である。このように物理的な入所施設の解体に成功したとはいえ、まだ多くの問題が残されている。グループホームなど地域の住まいに移行しても、職員と利用者の上下関係など「施設的構造」が温存されていることも指摘されている12)。多くの施設入居者を、入所施設から単に地域社会に移転させるという単純なことではないのである。

(4)まとめに代えて
 多くの基礎資料や関係者からの聞き取りからスウェーデンにおける入所施設解体と地域居住化決定プロセスを分析した結果、以下のように要約することができた。つまり、試行的取り組みが改革に向けた礎になるということ、試行的取り組みの継続と深化は法・制度をも生み出し修正させる可能性があること、さらなる取り組みの強化は法・制度の見直しをもたらし利用者主体の新しい法・制度をもたらすこと、入所施設から地域の住まいへの移行に関する取り組みを強固なものとするためには強力なリーダーシップを発揮する権限をもった人またはグループが必要だったということ、その際の粘り強い働きかけとノーマライゼーションなど誰にでもわかりやすい理念の提示や理由付け求められたこと、などである。また、入所施設解体の知らせを受けた当初の職員・保護者の反応や印象は、大多数が反対もしくは否定的、消極的だった。特に保護者の場合心境は複雑で、常に揺れ動いていた。大きな心理的な負担となっていた。解体作業が進むにつれ、反対意見や否定的な意見は徐々に減っていった。移転作業が終了してみると、職員や保護者の大多数が肯定的な意見に変わっていた。しかし、反対意見が全くなくなったわけではない。個別ニーズの把握が十分にできたわけでもなかった。ただ、地域の住まいに移行した施設利用経験のある本人たちは、例外なく施設に戻りたくないと意志表示していた。
 これまで述べてきた施設解体作業プロセスの中で見られた問題や課題は、わが国が入所施設から地域の住まいへの移行に踏み出せない理由の一つであり、今後の課題でもある。

2.地域移行プロセスの実態と課題−元入所者を対象にしたインタビュー調査に基づいて

(1)はじめに
 本稿では、「施設解体」を成し遂げ、物理的な面でのノーマライゼーションがほぼ完璧に実現されたスウェーデンの第2の都市イェテボリ、旧施設ベタニア(以後単に「ベタニア」と表記する)に焦点をあてる。そして、ベタニアを退所して地域生活をはじめた元入所者にインタビューを行い、入所施設から地域の住まいに移行する際の問題と課題、地域移行後の生活の実態と課題を明らかにする(本研究では元入所者の家族(保護者)や元職員にもインタビューを行ったが、紙数の関係で、本発表のための資料化は行わなかった)。

(2)調査方法
a.調査対象と対象者の選定
 スウェーデン第2の都市イェテボリの旧施設ベタニア(1995年に閉鎖)を退所して地域生活を送っている元入所者(以下、対象者と表記する)を対象にインタビュー調査を行った。
 対象者の選定については、質的調査で一般に用いられている意図的サンプリングによって行った。まず、ベタニアなどの入所施設に入所したことがあり、現在地域の住まいで生活している人を選定した。さらに、地域移行に関する実態を把握するために、地域にうまく適応しているかどうかには関係なく、それなりに地域生活を送っている言語的にコミュニケーションが可能な人を選定した。
 以上の選定基準に基づき、イェテボリで地域生活支援サービスを提供しているベタニアホーム協会の協力で該当者を紹介してもらい、連絡して承諾が得られた人たちを調査対象者として選んだ。特に、ベタニアで長年働いていた経験があり、ベタニアで暮らしていた元入所者、ベタニアで働き元入所者のことを知っている職員が誰であるかを覚えているベタニアホーム協会の療育部長マルガレータ・エークルンド氏(以下、相談・連絡調整者と表記する)に協力をお願いした。2001年5月には打ち合わせを開始したものの、その後長い夏休みを挟んだため、対象者の選定が遅れ、一人目の面接調査が開始されたのは2001年10月に入ってからであった。そのため、現地でのインタビュー調査を現地調査員に託し、現地調査員の下で本格的に調査を行うことになった。調査が終了したのは2002年2月末日であった。
 本調査で使われたインタビューガイドは、既に述べた河東田らの先行研究で用いられた「カヤンディ式『生活の質』評価マニュアル」の「修正インタビューガイドI」、「修正インタビューガイドII」を参考に作成した 。インタビューガイドIは調査対象者をよく知っている元職員が調査対象者の承諾を得てから記入するものであった。インタビューガイドIIは対象者にインタビューする際に用いられるものであった。インタビュー項目は、大きく「施設での生活」「地域移行のプロセス」「現在の生活」と分けることができた。なお、このインタビューガイドはあらかじめ用意されていたが、対象者に柔軟に使用した。例えば、対象者との自然な話の流れを乱さないように質問に用いる言葉を変えたり、質問の順番を変えて用いるなどした。
 インタビューは、対象者が最もリラックスできる場や環境が用意できるように、対象者の家や部屋で行い、お茶を飲み、お菓子を食べながら行うようにした。インタビュー時間は、30分から3時間と、対象者によって幅があった。インタビュー内容は、対象者の了解を得て、テープ録音を行った。また、調査経過やインフォーマルな会話を逐次記録し、メモとして残しておいた。したがって、本稿で記す調査結果の内容は多方面から得られたデーターを基に分析されている。
b.調査対象者の属性
 本調査では20人の利用者を対象にインタビューを行った。そのうち、男性は11人、女性は9人であった。対象者の年齢については、40歳台の対象者が4人(男性2人、女性2人)、50歳台8人(男性4人、女性4人)、60歳台は4人(男性3人、女性1人)、70歳台3人(男性2人、女性1人)、80歳台は1人(男性0人、女性1人)で、大半が40歳台から70歳台の人たちで占めていた。平均年齢は、男性が59.6歳、女性が59.3歳、年齢幅は、男性が46〜76歳、女性が48〜83歳であった(表1参照)。

表1.対象者内訳
性別 人数 平均年齢 年齢幅
11(人) 59.6歳 46−76歳
59.3 48−83

 1人が結婚をし、2人が同棲(元同棲者は除く)をしていた。他の多くは、単身生活者であった。
 大半の対象者は、言葉でのやりとりが可能だった。1人の利用者(本人)は、本研究の相談・連絡調整者に手助けをしてもらい、単語付略式絵文字用BLISS法を利用してインタビューを行った。別の利用者の1人も言葉でのやりとりがうまくいかなかったため、インタビューの間家族に同席してもらい、インタビューの手助けを行ってもらった。
 巻末資料にインタビュー結果の概要を一覧票として示しておいたが、この一覧票には職員に記載していただいたインタビューガイドIの内容の一部も部分的に盛り込まれている。以下に記す調査結果と照らし合わせながら一覧票を参照していただきたい。

(3)調査結果
a.入所施設での生活
 対象者は全員、地域へ移行する前に、旧施設ベタニアに入所していたことがあり、現在ベタニアホーム協会の支援を受けて地域生活をしていた。はっきり確認できただけでも半の10人(男3人、女7人)がベタニアに入所する以前、他の施設に入所しており、施設を転々としていたことが判明した(表2参照)。自分の意志で施設に入所した人は誰もいなかった。
 対象者の入所施設における在所年数は男性が33.0年、女性が33.9年、在所年数幅が男性で12年〜50年、女性で26年〜45年で、対象者の多くが入所施設で長年生活してきていた(表3参照)。人生の半分以上を入所施設で過ごしていた人たちは、半数以上(11人:男6人、女5人)もいた。地域への移行時には相当な年齢になっていたことがわかる。

表2.対象者の転居
対象者 転居例 対象者 転居例
U1 施設1→施設2→地域1 U7 施設2→施設3→地域1→施設3
 →地域3
U2 施設3→施設2→地域1
U3 施設1→施設2→施設3→地域1 U10 施設2→地域1→施設3→地域3
U5 施設3→地域3 U12 施設2→施設2→施設3→地域1
 →地域1→地域3
U6 施設3→地域1→地域3
U8 施設3→地域1→地域1→地域3 U13 施設1→施設3→地域3
U9 施設1→施設3→地域1 U14 施設3→地域3
U11 施設3→地域1 U15 施設2→施設3→地域3
U16 施設3→地域1→地域3 U18 地域3→施設3→施設1→地域1
 →施設3→地域3
U17 施設3→施設3→地域1→地域3
U19 施設1→施設3→地域1→地域3 U20 施設3→施設3→施設3→地域3
 → 地域3
U4 施設1→施設3→地域3
注:  施設1=Stretered  施設2=その他の施設  施設3=ベタニア
 地域1=旧タイプグループホーム 地域2=その他の住まい
 地域3=新タイプグループホーム

 施設での生活には良い思い出がなかったようで、施設時代のことを思い出したくもないという対象者もいた。そうした人たちは、当時ベタニアで行われていた様々な活動や取り組みに参加しようとはしなかった。大抵の対象者が「施設は嫌だった」「施設はうるさかった」と回答していた。「施設から出られて夢のようだ」という発言が多く見られたが、この発言の中に施設時代がいかに悲惨で嫌だったのかが如実にあらわれていた(後に示される家族の調査結果にこのことが具体的に示されている)。中には「特に何とも感じない」と回答している人がいたが、現在の生活と比べて見たときに同一対象者が「移転の話は嬉しかった」「今の方がずっといい」と回答しており、施設生活を肯定しての発言ではなかったということがわかる。多くの対象者の短い回答の中に、限られた時間の中では言い尽くせぬつらさ、悲しさ、怒りが含まれていた。

表3.対象者の施設在所年数
性別 施設入所平均年数 施設入所年数幅
33.0年 12−50年
33.9 26−45

b.入所施設から地域の住まいへ−移行プロセス
 ベタニアでは、1970年代半ば頃から入所者を地域に移行させ始めた。本調査対象者の中にも1975年に地域に移行した対象者がいた。はっきり回答が確認できた対象者18名のうち、8名が1985年までに施設を退所しており、入所施設の完全解体を明示した新援護法(ただし、この法律には解体日限が定められなかった)が施行された1986年以降に施設を退所した対象者は10名であった(表4参照)。このように限られた対象者に対する調査の中からも、ベタニアにおいて、1970年代半ば以降地域移行が徐々に押し進められ、1986年の法改正後も着実に地域移行がなされてきたことがわかった。ちなみに、施設解体計画策定を1998年末までに各県に命じた新法LSSが施行された1994年の翌年にはベタニアは解体されている。

表4.対象者の地域移行−5年毎の推移
  -1975 19776-1980 1981-1985 1986-1990 1991-1995 1996-
2人 1人 1人 1人 3人 2人

 地域に移行しなければならないことを誰から聞いたかという質問に対して、対象者の多くが「職員から」「施設長」からと答えていた。中には「親やきょうだい」から伝えられたという対象者もいた。以前から地域への移行を望んでいたにも関わらず長い間希望が叶えられないでいる対象者が少なからずいた。そうした対象者は、施設長や職員から伝えられてとても喜んだと回答していた。ただし、具体的にいつ、どのように地域への移行を告げられたかについては、対象者本人は大分前のことなのではっきり覚えていなかった(職員記載のインタビューガイドIには、1ヶ月前から1年前、特に6ヶ月前、に地域移行に関する情報を施設長または職員から対象者本人にも伝えていたと記されている)。職員から一方的に地域への移行を告げられた対象者はほとんどいなかったようだが、地域移行が定着してくる以前と以後とでは対応の仕方や受け止め方が違っているようすが見受けられた。対象者が事前に職員と一緒にいくつかの家を訪問してから、住みたい家を選ぶようになってくるのはずっと後のことのようで、地域移行がかなり進んだ時に移行していた人たちからこの種の発言が聞かれていた。このことに関して対象者からの時期の特定はできなかった。
 地域への移行を告げられた時の感想については、対象者全員が「嬉しかった」「夢のようだった」と回答していた。地域移行を「待てなかった」と話す対象者もいた。心配・不安だったという声がほとんど聞かれなかったが、これは地域移行が社会的に早くから取り組まれ、地域移行に関する情報がそれとなく職員や家族から対象者本人に語られるうちに対象者の地域移行への期待感が反映していたものと思われた。また、職員や家族の不安が対象者にも反映していたと考えても何ら不思議はないと思われた。
 移転を告げられた後から転居にいたる過程で、今後地域生活がどう展開していくのかが分かり易く説明され、安心して地域で暮らしていけるようにするための支援がどのようになされていったのかについて対象者本人から確たる回答を得ることはできなかった。

c.地域移行後の生活と転居
 地域移行後の地域居住平均年数は男性が16.8年、女性が15.4年で、地域居住の年数幅は男性が5年〜27年、女性が2年〜36年と施設在所年数に比べると地域での居住経験が浅く、地域生活15年未満の人が過半数を超えていた(表5参照)。

表5.対象者の地域生活平均年数・地域生活年数幅
性別 地域生活平均年数 地域生活年数幅
15.4年 5−27年
15.4 2−36

 地域移行後の生活については、ほとんどの回答者が「今は幸せ」と答え、さまざまなことがあったにせよ比較的スムーズに地域での生活に慣れていったことがうかがわれた。ただし、ある対象者は「いろいろある」と答えており、新しい生活への苦労、今もなお抱える悩みが依然としてあるということを暗に伝えていた。さらに、11人と半数以上の対象者が、施設から地域に移行した後も何回か転居して現在の住まいに居住していることも判明した。転居の理由は同居者に関するものや景色など環境に関するものが最も多かった。他に、国の方針が変わり、既存のグループホーム内個室から機能的な住まいへの推奨がなされたために移転を希望した対象者が多くいた。
 このように、総じて調査結果は施設から地域の住まいへの移行が対象者にとって望ましい肯定的な体験になっていることを示していたものの、地域の住まいへの移行後の対応をより一層検討する必要があるように思われた。

d.現在の生活
(1)居住状況と生活の仕方
 表6からわかるように、対象者の多く(男9人、女8人)は、多くの援助者のいるグループホーム内にある機能的な住まいで暮らしていた。機能的な自分のアパートで暮らしていたのは、3人(男1人、女2人)であった。

表6.対象者の現在の居住状況
性別 GH内の住まい アパート
9人 1人
GH=グループグループ住居

 機能的な住まいとは、グループホーム居住であっても一人の部屋に台所、寝室、居間、トイレ・浴室が完備されているものを指す。今回対象となったグループホーム居住者にも機能的な住まいが保障されはじめていた。ちなみに、ベタニアホーム協会が一人ひとりに対して保障しているグループホーム内の機能的な住まいの広さは、36平方メートルから46平方メートルとなっていた。
 多くの対象者が現状にほぼ満足しているものの、3人が何らかの理由で他の機能的な住まいに移りたいという希望を表明していた。時々移りたいと考えることがある、という人も1人いた。
 移転に際して日常生活に必要な家具などは、施設時代に使用していたものをそのまま持ってくるだけではなく、職員と相談をしたり、家族の協力を得たり、コンタクト・パーソン(新法LSSに明記されている有償ボランティア。ボランティアに有償などありえないが、当事者の求めに応じて相談・援助の手伝いをする人に対して月1万円程度のお礼を差し上げること、また、そうした人のことを指す)の協力を得て買いそろえるなどしていた対象者もいた。明確な意思表示ではなかったものの、半数近くの人が「自分の意思では選択できなかった」と答え、半数近くの人が「自分の意思で選択した」と答えていた。
 グループホームの機能的な住まいで生活するようになってから生活に張りが出るようになったのか、多くが職員の援助を受けながらも、掃除・洗濯・調理などの火事仕事に自分でも携わるようになっていた。2人がコンタクト・パーソンの援助を受けており、2人が必要経費を払ってきてもらうホーム・ヘルパーの援助を受けていた。いくつかのグループホームでは、週末など、居住者が一緒に食事をするようすが見られていた。
(2)教育
 全く教育を受けていなかったと回答していた対象者が1人(女)、施設入所する前に学齢期であった場合、学区域の通常学級に通っていたと回答した対象者が4人(男2人、女2人)、障害児学級に通っていたと回答した対象者が2人(男1人、女1人)、施設内養護学校に通っていたと回答した対象者が13人(男8人、女5人)であった(表7参照)。対象者本人が覚えている教育の内容は、読み書きや英語といった教科的なものから体操・音楽・料理・木工・陶芸・織物といった実際的なものと幅が広かった。

表7.対象者が通っていた学校の種別
学校種別
施設内養護学校 ストレテレッド 1人 2人 3人
その他の施設
ベタニア
普通学校普通学級
普通学校内養護学校
その他

 学校卒業後国民高等学校や成人学校で読み書きやパソコンといった教科的なものから実務的なものを習っている対象者が8人(男3人、女5人)おり、現在も引き続き学び続けている対象者が2人(男1人、女1人)いた。今後車の運転免許やパソコンを習ってみたいと思っている人(2人)もいた。これは、生涯教育の一貫として成人教育の場が各地区に設置されているスウェーデンならではの結果と言えるかもしれない。
(3)仕事・日中活動
 表8のように、5人の対象者(男2人、女3人)は、国から年金を受給して年金生活を送っていた。年金生活に入るまでは一般就労していた人からデイセンターでの日中活動までさまざまであった。中には日々の生活がつまらないので、週2〜3日車庫で仕事をしているという人がいた。2人の対象者(男)は、社会企業(わが国の福祉工場に相当する)(週5日30時間の労働)や雇用助成金を受けてベタニアホーム協会の職員(週5日40時間の労働)として働いていた。
 残りの13人の対象者(男7人、女6人)は、ベタニアホーム協会管轄のデイセンターや地元のデイセンターに通っていた。デイセンターを利用している人たちの活動時間は週5日28時間〜30時間で、絵を描く、編み物をする、料理を作る、音楽を聴く、演奏をする、外出、リラクゼーションの部屋でくつろいだり、刺激療法を行うなどの活動を中心に行っており、わが国の通所更生施設のような所となっていた。豊富な活動内容が用意されていたが、自分の好きな活動や自分にあった活動を自分が選んで自由に行うところまではいっていなかった。そのため、自分のペースにあわせ行うことができるので楽しいと答えている人がいる一方で、何人かはそれほど好きで日中活動センターに通っているわけではないと答えていた。何か他にいい仕事があれば、変わりたいと思っている人もいた。

表8.対象者の仕事・日中活動内訳
仕事・日中活動
年金生活 2人 3人 5人
一般就労
国庫援助金付き雇用
社会企業
デイセンター 13

(4)経済・金銭管理
 高齢の年金生活者は老齢年金と住宅手当を受給して暮らしていた。表9からわかるように、対象者によって異なるが、月額受給額は5,000クローネ〜14,000クローネ(2003年2月6日現在1クローネ=14.5円)であった。雇用助成金を受けてベタニアホームの職員として働いている対象者は、月額約9,000クローネのお金で生活をしていた。社会企業で働いている対象者は、給料、年金、住宅手当を受給できることになっている。調査資料では5,742クローネの受給となっているが、月額7,000〜10,000クローネ位の総受給額になっていたと思われる。デイゼンターで活動している対象者は、年金と活動手当(1日36.5クローネ)、住宅手当が受給できることになっている。日中活動時間数によって受取額が異なってくるが、調査では7,000〜12,000クローネという収入月額の幅の間に多くの対象者がいた。

表9.対象者の給与・年金等月額
給与・年金等月額
  5,000-5,999 SEK 1人  (人) 1人
  6,000-6,999      
  7,000-7,999  
  8,000-8,999      
  9,000-9,999  
10,000-10,999  
11,000-11,999  
12,000-12,999      
13,000-13,999  
SEK=クローネ 1SEK=14.5円(2003年2月6日現在)

 給料や年金の額を知っている対象者はほとんどいなかった。たくさんもらっているという人も、それほどもらっていないのではないかという人もいた。金銭管理が苦手だと思っていたり、金銭管理を後見人(God man)に任せているからだと思われた。
 金銭管理は、大抵、対象者のお金の管理をまかされている後見人が行っていた。通常、後見人がグループホームの職員にお金を直接渡すか、職員が預かっている銀行カードを使って、対象者の食費・被服費・生活費をおろすようにしていた。その後、職員が週末に1週間分の小遣いを対象者に渡すというのが一般的であった。そのため、「お金は後見人または職員が全部知っている」という回答をする対象者が多かった。対象者は、もらったお金で雑誌やCD、お菓子、お酒など本人の好みのものを買っていた。どこか遠くに行くために貯金をしているという人もいた。
(5)余暇時間と休日の過ごし方
 自分たちの余暇活動について、対象者のほとんどが散歩、音楽、ダンス、外出、外食、買物、お茶、旅行と答えてくれた。対象者は年輩の方が多く、無理のない余暇活動を送っているようにみえた。車でのドライブは他のグループホームの仲間と共にグループホームの職員と一緒に出かけたり、毎週のようにまたは月に何回かやってきてくれるコンタクトパーソンと一緒に出かけるというものだった。ダンスはベタニア協会が当事者のために月1回開催しているディスコ風のもので、ベタニアホーム協会に関係する当事者が集まってくるものであった。多くの対象者が楽しみにしている取り組みの一つとなっていた。外出、外食、買い物、旅行なども同じように職員やコンタクトパーソンと一緒であることが多かったが、こちらはどちらかというと1対1での関わりであることが多かった。
 平日の自由時間の過ごし方については、グループホームに出かけて仲間と一緒にお茶を飲んだり、近くに住む親しい友人やたまに近所の人とお茶を飲んだり話したりする機会をつくっている人もいたが、ほとんどの回答者は部屋でCDやラジオを聴いたり、リビングでテレビやビデオで映画を見たり、たまにパブに飲みに行ったりして、ほとんどの時間を静かに家で過ごしていた。そうした人たちは、ワインやビールを飲むことが楽しみの一つとなっていた。ネコや熱帯魚などを飼って楽しんでいる人もいた。
 週末の過ごし方については、最もよく見られるのが外出せずに、家で寝坊したり、音楽を聴いたり、テレビ・ビデオを観たりしてのんびりと過ごしている人たちである。早朝ボーリングに出かける人もいた。職員やコンタクトパーソンと市内に出かけ、買物や食事を楽しむ人たちも多く、気分転換のために市内のショッピング街に出かけて行き、キャンディやCD、服など自分の欲しいものを買ったり、レストランで食事をしたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしていた。ほかに親しい異性の友達や婚約者・同棲者・配偶者がいる人たちは4人であったが、外出や外食をしたり、お茶を飲んで話をする機会が多く、楽しい時間を過ごしていることが多く見られていた。
 このように対象者は幅の広い多様な余暇活動を行っていることがわかった。しかし、彼らは支援の拠点となっているグルームホームに出かけて自由な時間を過ごしていることが多く、過ごす相手もグループホームの仲間や職員、コンタクトパーソンといったごく限られた人間関係の中での過ごし方になっていることが明らかとなった。
(6)対人関係
 対象者は、同じ住まいの同居者や職員・親・きょうだいが友達であると答えた人がとても多かった。また、毎週または月何回か会いにやってくるコンタクトパーソンを友達と答えている人もいた。こうした友達とは、買物を手伝ってもらったり、話相手になってもらったり、一緒にお茶を飲んだり、食事をしたり、外出をしたり、旅行に出かけるなどしていた。友達という抽象的な概念にとまどいながらも、ほとんどの回答者は一緒に生活している仲間やサポートをしてくれる職員といい関係を持っていることがうかがえた。また一方で、限られた人たちとの対人関係にとまどっている実態が浮き彫りにされたとも考えることができた。
 その他、施設時代の友人、以前通っていたデイセンターの友人、以前住んでいたグループホームの職員、グループホーム以外の職員で以前から良好な関係にあった人など、調査時点以前から長く続いてきた関係が回答者たちの重要な支えになっているようであった。
 近隣関係については多くの対象者が比較的良好な関係を持っていると答えていたが、近隣の人と家の外であいさつをしたりおしゃべりをしたりするが、お互いの家を訪問したり、一緒にお茶を楽しむようなことはないか、少なかった。
 結婚をしたり、同棲をするなど、パートナー関係が成立している人たちは、交際範囲も広く、お互いの家(部屋)を訪問してお茶を飲んだり、食事をしたり、外出するなどしており、単身者に比べてより幸せで豊かな生活をしているように思われた。中には近所の家に招待されて一緒にお茶を飲んだり、近所の人を自宅に招いてお茶やおしゃべりをしている人もいた。
 結婚という形態や子どもを設けることについては、多くの対象者が望んでいなかった。結婚という形態をとらずに同棲している人も何組かおり、むしろ日常の生活を充実させることが大切だと考えている人たちが多いからかもしれないと推測できた。
(7)ミーティング・意思決定への参加
 多くの対象者が何かの会の会員であったり、その会や所属団体の集まりに何らかの形で参加しているものの、その会でどのようなことをしているのか、どの位の頻度で開催され、どの位の割合で参加しているのかについて具体的に答えることができていなかった。教会合唱団の会員などと所属グループをはっきり言える人から参加したことがないと答える人までおり、回答の質にアンバランスが見られていた。
 上述した所属団体とはベタニアホーム教会の当事者の会や市内で活発に展開されている当事者自治組織グルンデン協会の集まりであったり、高齢者国際会議であったりした。こうした集まりに参加をすることが嬉しいといった声が多く聞かれていた。
 多数の対象者が国政あるいは自治体レベルの選挙にも数多く参加しているようすも明らかになった。
(8)将来の夢
 「いろいろやりたいことがある」(1人)「仕事をしたい」(2人)「仕事を少なくしたい」(1人)「引っ越したい」(2人)など、たくさんの夢が出されていた。地域移行ができ、今は広い機能的な住まいで暮らすことができ「今は幸せ。今の状況を変えたくない」(4人)といった回答が比較的多かったが、こうした人たちの中にも「人生を変えたくない」(1人)といった回答があるかと思うと「人生を変えたい」(1人)といった回答も見られた。「今幸せとは言えない」(1人)という複雑な胸のうちを見せてくれた回答者もいた。高齢の方々からは、「夢はもう特にない」といった回答が寄せられていた。
(4)考察
 「今そう(何々)したくないとしても、もしそう(何々)したくなったなら、あなたはどうしますか」というような抽象的な質問は、対象者にとって、その意図を理解することが難しいようであった。また、ベタニアでの生活と現在のグループホームでの生活との違いなどは、回答が困難なように思えた。他の質問をするなどインタビューが進み、リラックスできたかなと思われた時にこの種の質問をもう一度行ってもあまり違いは見られなかった。
 家族同席の下で行われたインタビューは、対象者にどの程度影響を与えていたのであろうか。ある対象者はとても静かだったし、ある対象者は調査者が何か言って(回答して)くれるのではないかと期待していた。対象者だけでなく、家族も職員もとても緊張しているように思えた。しかし、質問をし出すとやがて緊張もとけ、質問に答えてくれるようになっていた。何人かの対象者の中には、一度そう言ったのに、後に全く正反対の意見を言うこともあった。
 ベタニアのことはもう話したくないという対象者本人もいたが、そのような人たちでも現在の状況については話してくれた。そのような場合、一緒にインタビューに同席してくれた職員に補足をしてもらうこともあった。ベタニアのことは思い出したくもないという対象者がいたが、そうした人たちは当時ベタニアで行われていたさまざまな活動や取り組み(ダンスなど)に一度も参加しようとはしなかった。このような対象者には自己決定の機会が与えられてもよさそうに思えたが、今なお家のことや仕事のことで自己決定の機会を与えられているようには見えなかった。こうした状況を改善することはできるのであろうか。どうしたら改善できるのであろうか。
 さまざまな家庭事情があったにせよ元施設利用者の多くが人生の半分以上を入所施設で暮らさざるを得なかったという事実、そこでの悲惨な生活の実態、そのはかなさは、私たちの想像を絶するものであったに違いない。このような人たちがインタビューの中で、上述した「施設時代のことは思い出したくない」「施設から出られるのは夢のようだ」と応えているのがよく理解できた。
 早くから地域移行を希望していても容易には叶えられないできた対象者にとって、地域移行の話題が出された時にはどんなにか喜んだことであろう。その歓喜の姿が目に浮かぶようである。しかし、入所施設から地域の住まいへの移行に際して、事前に十分な情報(例えば、移行時期、移行先、移行先の環境、共同入居者のこと、移行後の生活のイメージ、働く場や日中活動へのイメージなどが持てるようなもの)を提供され、今後の生活や人生を見通すことがこができるような働きかけは、スウェーデンにあっても長い間なされないできた。地域移行(脱施設化・施設閉鎖)が政策として示され、自己決定を明文化した新援護法が施行された1986年以降もしばらくの間はまだ不十分で、対象者本人や家族を交えて情報提供や話し合いが行われるようになっていったのはようやく1990年代に入ってからであった。情報提供や話し合いが行われるようになると、いくつかの家を訪問して自分の住まいを選んだり、自分たちの住まいが出来上がるまでのようすを見に行くなど本人の地域移行への参加がそのプロセスの中で具体的になされるようになってきた。
 どの対象者も施設を閉鎖・解体することは良いことだと述べていたものの、施設の閉鎖・解体がどのようになされたのかについての質問では考え方に幅が見られた。実際に行われた地域移行にしろ今後行われる地域移行にしろ、もっと長期的な計画の下で、本人や職員・家族の意思も踏まえてなされる必要があると答えていた。
 対象者は地域での生活に満足している人が多かった。地域の住まいで生活するようになってから、生活への意欲が出、掃除・洗濯・調理など火事仕事をよくやるようになった。いくつかのグループホームでは、週末など、居住者が一緒に食事をするようすが見られていた。新しい生活になじむまでの苦労や具体的には言えないものの一軒の家を保有していると言えるほど整った機能的な住まいが得られてもなお抱える悩みが、地域住民・社会・職員との関係の中に存在しているように思えた。孤独感を感じる対象者がいたということからも、そのことが言える。
 受けてきた教育の内容が十分とはいえなかったものの、国民高等学校や成人学校の存在、こうした生涯教育への期待は、日中活動や余暇活動の充実、つまり生活の質の向上に通じるものを示していた。
 対象者の大半がデイセンターに通っているか、デイセンターでの活動を終えて年金生活を送っていた。無理なく自分のペースにあわせて仕事や活動を行い、生活資金は社会的に支援しようという社会政策がこのような結果をもたらしていた。社会的に得られる生活資金は、障害基礎年金または老齢年金で、日中活動に対する活動手当やその人の収入や生活状態に応じて得られる住宅手当が出されていた。併せて月額平均9,000クローネ程度の生活費となっていた。十分とは言えないものの、1ヶ月暮らせるだけの生活資金が社会的に支給されていた。ただ、金銭管理は後見人か職員が行っていることが圧倒的に多く、額を知らない対象者が大半だった。そのため、職員を通して週末に1週間分の小遣いをもらって生活していた。このように、金銭管理に関しては、対象者がほとんど、あるいはまったく関与(管理)できていなかった。対象者の誰もが、自分でお金をどの位もっているかも、どの位お金を請求できるのかすら知らなかった。しかし、対象者は自分をそれほど悩ます問題とは思っていないようで、対象者の多くはお金のことも将来の経済的な問題もそれほど心配していなかった。客観的には自己決定の機会が与えられているとは言い難い現状も、社会的支援がもたらした結果なのかもしれない。
 さまざまな支援機関が創意工夫を凝らしながら余暇活動の充実に向けた努力を行っていたが、現実は音楽を聴くこと、テレビを見ること、ダンスに行くことなど、類似の決まり切った余暇活動にしかなっていなかった。対人関係にも限界があり、入所施設時代から知っている馴染みの友達・知人、職員との交遊に限定されていることが多かった。
 対象者を地域の住まいに物理的(機械的)に移行しても、「伝統的な職員が上という上下関係に基づく利用者対職員」のまま地域生活支援が行われていくのではないかという危惧がある。いわゆるグループホームのミニ施設化である。形を変えた施設化が起こらないように、対象者や家族の意見が尊重され、個別のニーズを基に移行プログラムが用意される必要がある。その意味でも、移行後は、物理的環境の整備だけではなく、機能的、心理的面での支援が特に必要とされていた。
 しかし、こうした状況下でも尚、入所施設から地域の住まいに移行した対象者たちには、二度目の人生を豊かに送ることのできる「肯定的な体験」となっており、地域の住まいへの移行が対象者にとって自分たちの生活や人生を取り戻す必要不可欠な要件となっていることが判明した。
 なお、何人かの利用者(本人)には最近話題になっている痴呆(年齢退行)の兆候が見られており、今後検討を要する課題と思われた。

3.スウェーデンにおける地域移行・地域生活支援から学ぶ
 本研究では、施設を中心として施設内外で行われる「社会生活トレーニング」や「地域生活支援事業」、さらに、「通勤寮等中間施設」は、スウェーデンには見当たらなかった。日本で行われている施設内外で行われる「社会生活トレーニング」や「地域生活支援事業」は、スウェーデンの初期段階だけ(1970年代から1980年代前半にかけて)であり、1990年代に入ってからは入所施設から直接地域にあるグループホームやアパートに直接移行して行ったことが分かっている。このことは、仮に一定期間こうした「社会生活トレーニング」や「地域生活支援事業」を利用して段階的に地域移行を実施したとしても、将来的にはこうした段階的な地域移行は必要なくなることを意味している。むしろ、地域での生活や就労・日中活動、余暇活動を充実させるための地域生活支援策の構築とそのためのネットワークこそが求められてくる。障害をもつ親・家族を支えるための支援策もより一層求められてくる。これは、単に地域移行モデルだけを示すのでは不十分で、地域生活支援モデルをも併せて示すことが必要だということを意味している。
 今後は今回の調査結果を基に、各国の本人に共通の地域生活支援プログラム指標のようなものを作成し、本人の地域生活支援の実態を分析していく必要がある。地域生活支援プログラム指標とは、次のような前提条件と内容(骨子)をもったものである。

A.前提条件
 現行制度の中で、「脱施設」を方針として盛り込み、脱施設完了期限を明示すること。そのための数値目標を明らかにすること。

B.地域生活支援プログラム指標内容(骨子)
(1) あらゆる支援とサービスの内容に関わる概念を当事者主体のものとし、自己決定に基づくものとなっていること。
(2) 多様かつ質の高い地域生活支援策が盛り込まれ、一人ひとりに合った支援プログラムとなっていること。
(3) 地域生活支援、就労支援、家族支援、権利擁護等、社会的支援システムが用意されていること。
(4) 自立生活支援のための個別介護システムが用意されていること
(5) 社会的アクセス権が保障されていること。
(6) 社会的差別解消、権利達成、権利保障を社会的に支援するためのシステムが社会的に用意されていること。



1) 河東田博「スウェーデンにおける入所施設解体と地域居住化決定プロセス上の問題と課題」徳島大学医療技術短期大学部紀要 第10巻 103頁〜112頁 2001年3月
2) 社会庁障害者社会自立室室長 Leif Nafver 氏、施設解体プロジェクト元室長 Owe Roren氏、同特別研究員 Ann-Marie Stenhammar 氏、グルンデン協会デイセンター所長 Anders Bergstrom 氏、にも殊の外お世話になった。
3) Bergstrom, A., 2000, Betaniahemmet - vardhem som avvecklats efter 100 ar.
Foreningen Grunden.
Socialstyrelsen, Allmanna rad, 1990:11, Institutionsavveckling.
Utvecklingsstorda personers flyttning fran vardhem. Allmanna Forlaget. 他
4) 社会庁は庁内に数多くの研究員を擁しており、独自の研究プロジェクトを持っているだけでなく、他機関との連携も積極的に行っている。これら研究プロジェクトから生み出された研究成果報告書は、基礎文献Bergstrom et al. (1987)など数え切れないほどある。
5) 1970年代にFUB付属研究機関ALA(Adjustment to Life and Work)を立ち上げ、数多くの研究を手がけてきている。
6) スウェーデン国内で最も知られている研究グループに、1970年代初頭、ウプサラ大学精神障害研究所内に創設された Centrum for handikappforskning があり、質の高い実際的な研究活動を生み出すことで国際的にも知られている。
7) 施設カールスルンドでのモデル事業は1970年代後半から実施され、Kent Ericsson 氏を中心とする一連の研究・実践活動の成果(Ericsson, 1995 など)を基に、1981年より計画的に施設解体に向けた取り組みが行われた。最大524名もの入所者が生活をしていた施設カールスルンドは、1988年に閉鎖された。
8) これら各種法律の特徴や内容の比較は、次の文献を参照。
河東田博「ノーマライゼーション原理の生成発展とスウェーデンにおける原理の法的具体化」ベンクト・ニィリエ著 (河東田博他訳編)『ノーマライゼーションの原理』(164-184頁) 現代書館1998年
9) Lagen om avveckling av specialsjukhus och vardhem (SFS 1997:724)
本法成立経過については、社会庁 Meddelandblad Nr/3/98 に掲載されている。
10) 施設ベタニアについては下記資料を拠り所に分析を行ったが、1996年から2000年の間数度にわたる現地調査を行い、確認の作業も行ってきている。
Larsson, J., 1995, Hemmet - Betaniahemmet 1895-1995.及び Bergstrom (2000)
  Foreningen Betaniahemmet.
Bergstrom, A., 2000, Betaniahemmet - vardhem som avvecklats efter 100 ar.
  Foreningen Grunden.
11) Stenhammar, A.M., 2000, Individuell villkor enlight LSS. Socialstyrelsen.
12) Bergstrom (2000)(注3、10参照) で、グループホームのミニ施設化と施設的構造温存の問題が厳しく指摘されている。


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