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《評価コメント・主要意見》

【総合】

1. 制度の目的に即した課題採択及び資金配分
研究資金の目的にあった課題の採択と資金配分が行われているかを評価すべきである。

競争的研究資金の効果的活用においては、各省庁によって大きく異なる。とくに、文部科学省の科学研究費補助金制度および戦略的創造研究推進事業と、他省庁の政策的事業とは明らかに制度目標と対象分野に違いがある。

省庁のミッションが色濃く反映され、経常的経費まで競争的資金制度に入れ込まれると、競争的研究資金の本来の機能が形骸化する。

自由な発想に基づく基礎研究のみならず、政策目的に応じた制度でも、競争的研究資金ならびにその応用版が効果的であり、そのような利活用を積極的に促したい。

競争的研究資金を、研究者の自由な発想による制度と政策目的による制度の2つの柱に明確に分類して考えてはどうか。政策に多様なものがあるので競争的資金も多様とすると焦点が定まらない。両者を並存させることが重要である。

競争的環境の形成は研究開発に根源的に重要である。

行政目的と関連が強い制度でも、真に競争的なものがある。競争的研究資金制度を3タイプ位に分けて考えてはどうか。

競争的研究資金が大きく2種類に分かれることを全体の基調とすべきである。

公募はしているが自由発想を求めていないものもある。これを競争的研究資金とすべきでない。

ミッション・オリエンテッドなものについては、なべて課題選択のプロセスについての説明責任が充分でなかった。

全体としては官主導型である。研究者の参加を求め研究者主導型に変えて行くべきである。

行政の指導力が重要なのはいうまでもないが、競争的資金はあくまで研究者側のピアレビューを基本とし、透明性の高い評価制度を作ることが重要である。また、評価者・審査委員の選考についてもより透明性を持たせるべきである。

採択のプロセスで研究者の意見を十分に反映させることによって、より効果的な成果を期待できそうなプロジェクトも散見される。

申請課題の採択に当たっての規準がきわめて重要である。(1)研究開発課題の目標・目的が実現された時の学術的並びに社会的波及効果・意義が明確に述べられていて、税金を払っている国民にその意義が明白であること。研究段階によって早い遅いの差はあっても最終的には国民の生活に価値をもたらすものであること。(2)掲げられた研究開発課題の目標・目的に到達する道筋・シナリオがたとえ幼稚であってもよいから少なくとも一つは提示されていること。提案される研究開発課題は、世界中にとっての共通の課題であることが多く、その課題を解決しなければならないことは多勢の人々に自明。しかし、それだけで採択してはならない。たとえどんなに幼稚でも目的を具現化するシナリオが少なくとも一つは提示されていなければならない。

競争的研究資金の性格は、分野によりある程度異なっていても良い。その在るべき姿について検討してゆく必要がある。


2.効率的な資金配分単位の実現
課題の採択については、事業によって特長を生かした制度を採っており、それなりに評価されるが、各事業の採択数、充足率などの資金配分には差があり、その配分の妥当性を相対的に検討する必要がある。

同一研究者への過度の研究費の重複受領は防ぐべきである。

応募件数に応じた配分は分野を固定し、新しい領域の発展を阻害する可能性がある。

我が国の競争的研究資金の著しい特徴は、研究班を構成したグループ研究が多いことである。もちろん研究の目的によってはグループ研究も必要であるが、その場合にも自ら適切な規模がある筈であり、過度に大きいグループは研究者の責任を希薄にする結果となることに留意するべきである。

応募件数で配分を決定すると、学会等が申請を奨励するなどの現象が起こる危惧もある。

資金の不足が採択率や充足率の低さにより研究の制限になっている。これが申請数の多さに帰結しているか否かは2次的な問題で本質でない。

応募件数に応じた配分は一つの手法であり、必ずしも分野を固定する訳ではない。

研究資金が一部の教官、機関、地域に必要以上に投入されるという資金配分偏重が見られる。これは、課題審査・採択方法に問題があると共に、長期にわたる投入資金効果を調査・分析する基礎データが極めて少ないことが原因である。

我が国の競争的資金の中で、研究者の創意を引き出す「ボトムアップ型」の科学研究費は、競争相手の研究者集団の審査によって採択が決められており、主旨に適した採択が行われていると考えられる。しかし、研究費の総額が米国などとの比較では一桁少ないことから、またそれが大学院の教育環境の補いにも使われていることに配慮されて、科研費が研究者に過度の集中的投資をできがたくさせている面がある。そのような理由から、研究者の要請を十分に満たしていないという事実は否めない。総合科学技術会議の線に沿って、短期間に倍増される、採択研究費の増額、研究期間の長期化、そして採択率の向上など、改善の余地が生まれる事に期待したい。

制度が乱立すると有能な評価者の時間が分散されて、審査の円滑さを損なう恐れがある。

応募の申請件数が多過ぎる現状の克服方法として、申請書を長いものを書かせることで申請件数を減らそうとの提案があるようですが、まったく逆行。現状程度の頁数の中に、本質的なことを短くかつ誰にでも分るように明確に表現させることがきわめて重要。重要な事項を可能な限り短い表現で、誰にでも分るようにして、多勢の人々の心を感動させるようにすることが、わが国の成果を世界中に知らせるために決め手になる。申請件数を減少させる方法は、申請された研究の提案内容がどこまで具現化されたかを評価して、目標に比べて成果が低すぎる申請者にはその成果の低さに応じて、1〜10年間程度次の申請の権限を剥奪するのがよいのではないでしょうか。そのことが、全員に分っていれば十分に構想、企画した申請書しか出てこないでしょう。高い目標を掲げて、着実にやり遂げて行く、良くできる研究者、技術者に集中して投資することが重要と考えます。申請者からの申請研究費は可能な限り満額認め、結果責任を問うことが重要。評価委員会の責任は重い。

我が国共通の現象で、研究のコミュニティのみに特異なことではないが、少ない研究費に多くのものが群れ集まり、階層構造を作り、末端の研究者にはマトモな研究を行うことが無理な程度の金しか行かず、従って良心的呵責も無く、やっつけ仕事の報告書がデッチ上げられるという、バラマキ共生社会的傾向があった。このようなカルチャーからの脱却は難しく、当初はそれなりの理想やビジョンの下で、かなりの規模の研究を行うべく発足した制度でも、最近は予算の細分化の傾向が強く認められる。  いずれの制度も課題の選択、提案の採否にはそれぞれ真剣な検討が行われているが、配分される資金がマトモな成果を得るに必要な規模より相当少ないと思われるケースが多い。このような状況が提案目的の達成への意欲を削ぎ、研究者のモラルを低下させることを恐れる。


3.機動性及び世界水準の確保
各省庁の行政目標を達成するための戦略的「トップダウン型」の競争的資金にあっても、全体の額が少ないことは上と同様であるが、戦略的創造研究推進事業のように科学研究費などで育ってきた芽から花を咲かせるのに大きな貢献をしている。そこでは、採択される研究課題が国の戦略的分野のバランスをとって支援する必要があろう。

プログラムオフィサー制度が発足することとなったのは喜ばしい。しかし、日が浅く、今後制度を成熟させる努力が本制度の成否を分ける。日本型の新方式を探って欲しい。

基礎研究の評価に国際比較が謳われているが、新分野発掘の場合には国際比較が出来ない場合もある。

評価において国際比較は重要な視点だが、その際に国際的な研究開発環境の差についても配慮する必要がある。例えば、産学連携の状況や教育における役割が国により違う。


4.他の制度等との役割分担と戦略的連携
競争的資金それぞれの性質をよく見据え、それぞれについて効果的活用についての議論・評価を検討するべき。また、研究者の競争的資金あるいは他の研究費との重複受領については、研究プロジェクトの明確な区分けを求める、など、効果的活用が実際になされているかどうかの検討が必要ではないか。

文部科学省における研究費の在り方について。競争的資金と位置づけられていない文部科学省関連の他の研究費もともと「財布」は同じである。これからは、文部科学省における学術行政と科学技術行政とのよい一層の協調が望まれる。実際、文部科学省では、競争的資金と位置づけられていない行政主導型の研究費が非常に多く、これらが学術行政と調和を保ちながら施策が実行されているとは思えない側面がある。これについては従来の縦割り型行政システムの問題が横たわっており、研究者側から大きな批判を受けているところもあるので、今後何らかの改善を図る必要がある。

競争的資金の中で、世の中を大きく変えるような画期的な研究成果の多くは、研究者自身の自由な発想から生み出される創意によるものと見なされ、その営みを支援する「ボトムアップ型」の研究経費の重要性が長期的な視点から重要視されてきた。これに対して、各省庁の政策遂行のための「トップダウン型」の競争的資金は、社会の要請を受けた研究を推進する重要な政府負担研究費である。これら両者が競争的資金の中で「ボトムアップ型」と「トップダウン型」とを略半々とする努力がなされてきたように思われる。

科研費のような完全にボトムアップ型の競争的資金と、ミッション・オリエンテッドなものとは分けて論じたほうがわかりやすい。ミッション・オリエンテッドなものについては、競争的資金制度による意味(なにを期待しているのか)が、あまり明確に語られていなっかったように思う。

競争的資金をより有効活用するためには、高い目標を掲げて着実に成果を挙げたと評価された研究者、技術者に、継続して研究開発させればさらに一段と高い成果が期待できると評価委員会が評価した場合には、評価委員会主導で追加の研究費を支給できる制度を確立してはどうか。

研究の成果があがった場合、それを次の研究費に結びつける仕組みが必ずしも十分ではなく、このことが折角成果が上がりつつある研究を頓挫させたり、研究者に過度の不安を起こさせる結果となっている。


5.成果等の説明責任及び社会還元
科研費については、新しい知、科学技術の創生という視点から、その根幹を深く認識し、長期的かつ広い視野に立った評価を行うべき。

基礎研究でも評価をしっかりと行い、世の中に公表していくことが説明責任である。研究分野に応じてレビュアーがしっかり評価すべきである。

国民への説明とは、研究成果が直ぐに役立つと言う意味に短絡的に受け止めるのでなく、その多様な重要性を説明するということ。

学問に対する国民の理解を得るためには、政治や行政の努力も重要。学問分野では研究者は無から有を生み出す活動を行っており、ある意味で無駄も必要となる。単純な数値化指標による評価ではない、周囲のサポートの目線が必要。

成果の評価に加え、審査体制の評価も重要である。また、一口で競争的資金といっても目的は多様であり、同じ視点では評価が困難、あるいは不適当な点を認識するべき。すなわち、競争的資金の評価については多面的な視点にもとづいて行う必要がある。「投資に対する見返り」といった視点からのべつまくなしに数値化することには、それぞれの資金制度の長期的な発展を阻害する危険性もある。

長期的な息の長い研究の場合、その成果はすぐには見えにくい。この点に配慮し、長期的視野での優れた研究を推進するような評価を含める。

競争的研究資金といってもその性格はさまざまである。大学を中心とした、個人の自発的創造的な研究の支援、優秀な研究者による伸びる可能性のある研究の支援、政策形成を支援しその基盤となる研究の支援などがある。これを画一的な眼で効果的活用を図ることは適切でない。むしろ、それぞれの競争的研究資金の理念目的にあった成果を挙げているかどうか、ある意味での「目標管理」的な評価と活用が必要である。

目的性格に適合した成果の評価方法を取られなければならない。

現在は、研究資金投入に見合った研究成果と社会的貢献が得られたかについて判断するための資料が殆ど無く、形式的数量値(論文数、特許数など)で判断せざると得ない。したがって、性格、公正な質的評価を行うための調査・分析資料を作成するための体制・組織を確保することが最も重要な課題である。今後、各省庁から提出された充実した調査分析資料とその分析結果を基にして、長期的貢献を含めて的確な評価を行う必要がある。

研究成果の評価には、知的価値、社会的価値、経済的価値、そして人材育成など、多角的な分析と評価が必要である。

制度の趣旨によって評価の基準や取り扱いはかなり異なるが、それぞれかなり真剣に成果の評価に取り組んでいる様子がうかがえる。しかし、それら評価結果を以後の審査や評価に生かすシステム(閻魔帳)が整備されていない。競争的研究資金の実績が増え、規模も大きくなることが期待される今、評価の結果が以後の提案の採否等に、有効に生かされるようなシステム整備が必要である。

研究の成果の評価はほぼ例外なく真剣に行われているが、研究の課題の選択、提案の採否の妥当性についての評価は、殆ど行われていない。これらについて追跡評価するシステムを、整備する必要がある。

最近の評価ブームで、様々なレベルで評価の必要性が説かれ、評価に屋上屋を重ねる感が出てきた。評価が研究者に過度の負担を与え、評価の対応(資料作成、説明等)のため、本来の研究に支障をきたすことが無いよう、評価の重複を避け、効率化を図ると共に、評価のために準備する資料について厳選し、出来るだけ簡素化を図る必要があると感じている。

社会の発展をもたらすブレークスルーの研究は、一見役に立たなく見える研究だったことも多い。評価の目利きを育てることも重要である。

基本計画の議論において、基礎研究の必要性や有用性については、知の創造、知による活力の創出、安心・安全な社会の実現の3つの理念に整理した。社会還元にはこの3つの柱があることを再確認してはどうか。

実用化を前提とした工学等の学部ですら、何時までたっても応用に目を向けない研究者がいる。国民の税金を使う限り、基礎研究であっても、数十年先に国民に役立つことを説明できる視線を持つことが重要である。もっとも百年先に役立つ研究を今の国民の税金で行うのは疑問もある。


6.競争的研究資金の資金量
科研費は競争的資金という枠組みのなかではその金額は突出しているが、国の学術・文化を担い明日の科学技術の創生に大きく貢献している割には、我が国の研究費全体のなかのごく一部であり、何らかの改善が必要である。

競争的資金の倍増が、基本計画に記された重点事項の実施に必要であるという認識が重要である。

競争的研究資金の資金量が不足して十分に効果が発揮されていないというのは、評価専門調査会の判断として明確に結論すべきである。

競争的研究資金制度に、ボトムアップとトップダウンの両者が必要であり、そのバランスを取ってゆくことが重要。全体資金が固定された中で両方のタイプが資金を取り合うのでなく、資金全体を伸ばす中でバランスを図る構図とすべき。

競争的資金の総額をもっと増やすべき。それと同時に、各省庁縦割りの競争資金制度をもっと一本化した運営にすべき。そうでないと、類似の制度のそれぞれに審査などの資源投入を重複してせざるを得なくなる。

現在の制度には若干の問題はあるものの、何れも重要な役割を果たしていると評価でき、大きな成果を挙げてきたと判断する。ただし、各省庁間の縦割り的制度が強く、予算方式の相違からくる一長一短があり、最も効果的な予算執行を全体的に見直す時期にあると言える。

競争的資金により推進される研究は、欧米先進国を例に取れば、優れた研究成果を効果的に引き出せるとの経験から、政府負担研究費の中では比較的大きな割合を占めてきた。残念ながら、既に述べたように、我が国の競争的資金はGDP比で米国の1/5に過ぎないが、「ボトムアップ型」の代表の科学研究費と、その他の「ボトムアップ型」の経費の合計はほぼ半々となっており、競争的資金内での両タイプの研究資金の配分は適切であると言えるのではなかろうか。既に述べたように、研究の成果を論文数で測るのは必ずしも適切ではないが、我が国からの論文が世界の中で占める割合は約10%で、また、最近のノーベル賞受賞者や、各種の国際学会の発表者分布や受賞者等の比較によっても、しっかりした成果を上げていると判断されている。

我が国の科学技術基盤を一層強化するために、競争的資金の一段の拡大が望まれる。


7.その他
説明責任は単に競争的資金にとどまらない、あるいはより競争的資金以外の研究費(行政主導トップダウン型)に重要なのではないか。これは今回の「競争的資金の評価」とは別にという意見もあろうが、税金が「同じ財布」から使われているかぎり、切り離せない側面があると思われる。実際、行政側が立てる研究プロジェクトは立てた側の評価がなされることは無いので、ある意味では責任体制が明確ではないといわざるを得ない。これらのプロジェクトの成果の評価に際し、研究者側だけに押しつけたり、あるいはそのままにしてきたこと自体が大きな問題ともいえよう。実際、何百万のオーダーの競争的資金の審査が非常のフェアーに行われる一方で、何億・何百億の研究費がほぼ行政側の一方的決定といってもよい形で投資されているのが現状である。その成果の評価結果に対して行政側が責任を取ったことはあるのだろうか。これこそがある意味では税金の無駄遣いになるので、より透明性や責任体制を明確にし、無駄な研究費は競争的資金に投資するべきではないか。

競争的研究資金の性格が狭く捉えられているため、多様であるべき資金制度が類似の性格に収束してくる恐れがある。結果として、資金制度の区別が国家行政組織法による行政目的区分だけとなりつつある。競争的資金を獲得するために、それぞれの省庁がそれぞれの行政区分に基づいて、省内審議会等による答申を得て、競争的資金を運用する形となっている。それらが、単一類似の性格に収束するのは研究費全体としてみると非効率である。個人の自発的・創造的研究の支援という性格は、たとえば科学研究費補助金と科学技術振興事業団にまかせて、各省の競争的資金は行政目的の研究支援に限る方がむしろ効果的ではないか。もちろん、科学研究費補助金と科学技術振興事業団は省庁を問わず対象者とする。

競争的研究資金には、トップダウン、ボトムアップ、行政目的のミドル発案、という三つのタイプの資金があっていい。そして、行政目的につながるミドル発想の資金は、純然たる行政補助の調査研究資金とは区別すべき。

競争的研究資金のあり方(定義も含めて)を検討する必要がある。国際的な物差しにも配慮する必要があろう。

基礎研究の定義は大変難しく、工学や医学の様に応用に直結するものから、我々の知識を増やすものまで様々である。したがって基礎研究とそれ以外に分けて分類することは危険である。

各制度は各省の政策の一翼を担っているが、この基本となる各省の政策そのものに踏み込むことは、今回の評価の視野でない。

政策的課題への大型研究資金の投入の場合には、1)強力な選任研究リーダの選任、2)支援事務体制の継続性の維持、3)第三者による公正な国際的評価の充実、が大切である。現在のプロジェクトの大部分は、著名な研究リーダーが名目的に専任され、その責任・義務が曖昧な体制と組織になっていることが多い。

競争的資金の割合が少ない政府負担研究費の構成は、いわば戦後の追いつけ追い越せ型のトップダウン指向が色濃く残存しており、その構成を変えて、ボトムアップ型で先導的な新知識を生み出す、知識社会に馴染んだ状態に近づける必要があろう。

今回のヒアリングを通じて、「競争的研究資金」と言われているものにも幅広いバラエティがあることを知った。従って「効果的活用」についても様々な思いや判断があるであろう。今後競争的研究資金について曖昧さや混乱の無い議論を進めるために、競争的研究資金について、我が国における定義を総合科学技術会議として整理することが望ましいと思われる。

本来は、競争的研究資金のあるべき姿(目的やシステム)等を打ち出し、その下で制度が一元的に運営されるのが望ましいのかと思われるが、既に多様な制度が存在し、運営されている現状を考えると、その一部を競争的研究資金の定義から外す等の強硬手段を行うよりは、先ずいくつかの特徴(例えば、優れて行政的なもの、探索研究・自由な発想の研究、その中間の性格を持ちやや大型な戦略的研究等)に分類し、それぞれの特徴を生かした効果的活用を図る方が現実的であり、総合的に見て有用であると思われる。競争的研究資金を全て統合し、目的を整理し、システムを統一的に運用する(英国等に類似)ことも、もうひとつのオプションとして考えられる。しかし、その実現が各省の抵抗等で非常に困難と思われる他、多くの我が国の制度が、各省の競合(縄張り争い)の中で活力を得て発展して来た歴史を見る時、上記のようなやり方が現実的で有効と考えられる。

我が国の競争的研究資金の制度は、よく言えば、目的・内容等がバラエティに富んでいる。しかしそれぞれが、研究テーマの選択、研究課題の採否、研究成果の評価等、研究そのものが関わる部分については、真面目に取り組み、国際的基準から言っても、かなり適切に運営されていると言っても過言で無いと思われる。しかしながら、それらの運営システム(事務処理等)については、制度間で大きな差があり、多くは研究システムの効率的な運営には遠く、国際的に見てもかけ離れ、かなり問題があるのが現実である。今回例えば、経理処理(物品購入、報酬等の支出)に求める手続きと証拠書類、エフォート率の管理について質問したが、具体的な説明を避けたり、衣の下に鎧が見える回答が多い。
 我が国においては、研究が行政のシステムで行われていることの問題点が十数年来指摘され、それについての理解が進んだ結果、国研、国大に独法化が導入されつつある。一方競争的研究資金制度は、例外なく未だ完全に行政のシステムで運営されている。行政における経理システムが、明治維新以来の会計法規で行われ、研究の効率化を阻害しているばかりか、その確認作業に多くの要員と時間を費やし、結果的に税金の無駄使いをもたらしている。また、人件費支払いの根拠のために、エフォート管理ならぬ、時間単位の勤務時間管理が行われ、その厳密な処理・確認作業に、これまた多くの要員と時間を費やしている。更に、エフォート率が高いにもかかわらず、有給休暇を一切認めないなど、労働基準法的観点からも問題な、前近代的制度が多い。
 敢えて言うなら、最近のいわゆる不祥事が管理強化(間違ったことを絶対にやらせないための手取り足取り)に拍車をかけている。しかしながら、これらの不祥事の多くは私腹を肥やしたものでなく、現時点で国のシステムに要求される会計法規に照らし、不当な処理をしたもので、例えば国立大学が独法化されれば、自動的にこのような小手先の処理が不必要になるものである(もっとも、学生には報酬を払わないで只働きさせるのが当然とする、我が国の大学人の時代錯誤のセンスには驚愕せざるを得ないが)。また、時間単位の勤務時間管理も、公務員の勤務管理(遅れず休まず働かずと揶揄される)に使われるもので、研究といういわゆる請負業(成果が上がらなければ、一生懸命机の前に座っていましたでは許されない)には、全く適していないものである。
 この問題は根が深く、また複雑であり、制度や組織間で大きな差があり、今回の評価に具体的なコメントを示すには無理があると思われるが、今後競争的研究資金制度を、更に拡大・発展させ、効果あるものとするためには、真剣に取り組むことが急務であると思われる。
 総合科学技術会議が、この問題について実情を詳細に調査・把握し、十分な検討を行い、国際的基準に照らしても妥当な制度となるよう、方針を示されることを提案する。

競争的研究資金の定義を明確にする必要がある。

競争的研究資金制度の拡充を目指す中で、競争的研究資金の定義を厳密に絞り込むと、これに外れる制度の予算拡充が難しくならないか。

A. 科学研究費補助金
 −文部科学省、日本学術振興会−

1.新しい知、科学技術の創生について
基礎的な貢献はしていると思われる。

新しい知、科学技術の創生については、よい芽を見つけて手当する以外にないので、考え方としては現在のものでよい。

欧米にない学問分野、科学技術の創生については、まだ、臆病のように思われる。

新分野の開拓とともに学術の継承にも配慮すべきと考える。法人化のマイナスの影響を抑えるために。

自由に知の創生を図る研究資金においては、よい研究者の発掘が最も効果的である。

我が国の基盤的な科学・学術を支えるという点で本制度の役割は大きい。プロジェクト方式の研究支援とは異なる方式を重要視すべき。長期的な観点からの競争的資金は更に強化すべきである。

大学の基盤的経費が減少している現在、科学研究費補助金は新しい知、科学技術の創生だけでよい、とはできない。NSFに見るように改善研究や息の長い研究も含めて、目配りのよい適切な配分が必要である。観測・モニタリング等はその例である。

今回の一連のプレゼンテーションを聞いて、我が国の「新しい知、科学技術の創生」において、科研費の果たす重要性が実感された。他のものは程度の差こそあれ、いずれもかなりターゲットの狭いミッション・オリエンテッドの、しかもかなり制約の強いストラテジック・リサーチが主流である。その意味で、今後も我が国の代表的な(量のみでなく質も)競争的研究資金として強化・増額されていくことが望ましい。

科学研究費補助金の役割には、大学における新しい知と科学技術の創生に関する研究の他に、教育と関連した基盤研究への貢献があり、どちらも大学で行われる研究において重要である。このため、研究費分科細目の分類は現学問分野と新学問分野における両者のバランスが重要である。現在の制度における「試算型方式」は、全大学研究者の総意を反映した結果であり、この制度はボトムアップ方式として有効である。一方、「分野別調整」方式の強化は、既に多くの研究費が十分に投入されており、現在以上の投入は学問の本質を歪める恐れがあると判断する。

知の創造においては「無から有を生み出す」という「問題発掘型」的研究が根幹をなしており、その展開は本質的に予測不可能な要素が大きいことに留意すべき。この点を抜きにして世界の動向や経済・社会のニーズを優先させ、「問題解決指向型」の研究を偏重するような施策は、学術研究の本質を危うくさせるばかりか、長期的にみれば我が国の科学技術を支える根幹をも危うくさせると考える。そのような意味においても、今回の評価にあたっては、科研費が他の競争的資金とは本来の位置づけが異なっている、ということを深く受け止めるべき。一方、文理融合型研究など、従来の学体系にとらわれない新しい研究分野の開拓などを積極的に支援するための方策をも当該審議会などで議論を重ねて欲しい。現状では困難としても、特別推進研究など、国際レベルの研究を重点的に推進するような研究の評価には国際的な評価体制を検討することも重要と考える。

審査の方法を研究費の種別により変えているが、研究分野によっても変えるのが適当であろう。現状での基盤研究の審査の実態は不審を抱かせる。

研究課題・内容等についての比較的前向きな姿勢に対し、マネージメントの改革(例えば間接経費、民間研究者への門戸開放等)については消極的、あるいは逃げの傾向の印象が強い。特に民間企業の研究者に関しては、「利益を念頭に置き、目的と性格を異にする」と述べて、共同(従属的)研究者としてしか参加できないとしているが、民間企業を形の上だけで門前払いして、大学を中心とする既得権益確保のために、我が国最大の研究勢力を活用する道を閉ざそうとする印象が強い。これは幅広い人材の活躍する可能性を摘み、研究の活性化と、より高い成果を得る可能性を阻み、科研費制度、更には我が国科学技術の活性を失わせることに繋がるのではないか。
 例えば、最近賑やかな量子通信の研究は、以前から企業においても、一部の研究者が逆風の中を細々と行ってきた。しかもそれはバブルとその残照の中で可能であったのである。我が国企業の状況が悪化し、消滅する寸前に量子通信の将来における重要性が認識され、国のプロジェクトが発足し始めた。今後の研究の進捗には、民間企業での蓄積が大きな力になると見られる。
 公式論で門前払いせず、成果が特定の企業に閉鎖的に利用され、独占的な利益を上げさせるようなことがないような仕組み(成果の開示・公開、独占的な保有と利用の禁止、収益の納付等の義務付け)を設ける等の方策を取り入れ、科研費が、積極的に「新しい知、科学技術の創生」に活力を与える、名実ともに我が国の代表的な競争的研究資金として発展することを期待したい。

今回、民間企業の研究者の科研費への参加についてかなり議論があった。基本的にその方向性については検討することが重要ではあるが、この問題を科研費の課題、としてのみ位置づけるのには問題がある。そもそも科研費は大学などにおける学術研究を支えて来たし、これ以外に人文・社会系分野を含めた自由な発想に基づいた研究を支援するシステムが存在しない。一方、他の省庁などでは大型のプロジェクト型研究のため、膨大な研究費が民間企業に投資されているはずである。また、米国などでは税の優遇措置制度などがあり、企業や篤志家の寄付などによる基礎研究の支援体制がより充実している、という背景を無視できない。このような全体像をよく見据えたうえでの「骨太の改革方針」を立て実行してこそ、現実的な意義付けができるのではないか。

現時点でわが国の国際競争力強化のためには、拠点大学を強くすることが、なによりも重要。科学研究費の総額を可能な限り増加させながら、大学を中心とした研究機関に研究費を集中させるべきであって、当分の間民間企業の研究者、技術者を対象とすべきではない。この科学研究費を除く他の予算はすべて民間企業に開放されている。
 理由
(1)  産業技術は時代が進むと共に、高度化し、同時にシステム化、総合化を加速する。学問的真理に裏付けられた本物の本当に強い技術を、きわめて広い範囲に亘って創出しながら、それらを融合一体化させ総合システム化させ続ける国が、世界のリーダになる時代。大学の役割がきわめて重く、大学主導の産学連携がきわめて重要。産業技術が幼稚なうちは、どんな技術でも通用するように見えるが、産業技術が高度化、システム化、総合化すると学問に裏付けられた本物の本当に強い技術だけが勝ち残り、寡占化、独占化が進む。
(2)  時代とともに課題の目標目的を具現化するために動員できる技術は多くなり、新たに開発すべき技術は高度化し、限定されてくる。目的を具現化するまでの時間は時代と共に短くなる。スピードがすべてに優先して重要な時代になっている。
 世界にまったく存在しない新技術をもっとも速く創出できるのは大学である。こうした新技術は、現状の技術に考え方が拘束されず普遍的真理、原理原則的思考から誕生するのが通常である。大学人は、自分の研究開発にどれほど多忙でも毎週学部学生への講義を担当する。学部の学生諸君への講義は、その学問・技術分野の普遍的真理、原理・原則を理解させることが中心となる。結果として、大学人は現状の技術や今自分が展開している研究開発に、考え方が拘束され局所化・局在化することがない。普遍的真理、原理原則に基づいてあるべき理想の技術体系を考え出すことが可能である。同時に、一年365日、一日24時間研究開発に従事できるし、研究開発に必要なきわめてレベルの高い、実験用の装置、インフラ、ユーティリティを自分達で製作する能力を大学人は備えることが、可能である。すべてを自分達でやらなければ研究開発ができないからである。
 一方、産業界民間企業の諸君は毎日毎日顧客へのサービス、納入義務を背負うため、当然のことながら、現状の技術に思考が拘束され、現状の技術をベースにして将来を展望する思考パターンになる。延長線上の技術発展には強いが、まったく新しい技術を着想するのは苦手である。
 土曜日、日曜日、祝日、深夜には労働基準監督局の指導が厳しく、研究開発を行えない。きわめて効率が悪く、スピードの速い研究開発は行えない。   私の研究室は多数の企業と共同研究を行っている関係から、しばしば学生を企業に派遣して共同研究させている。数ヶ月すると必ず学生から、大学で実験できるようにしてくれと申し出てくる。理由は、スピード豊かに研究が行えないからである。一例を以下に述べる。
 研究の展開で、例えば新しい特殊ガスを新たに導入した実験が必要になった場合、私の研究室では次の日にはもう実験している。自分達で、Cr2O3、Al2O3パッシベーションガス配管系を組立て、特殊ガスボンベは車でガス会社に取りに行って大学へ持ち帰るからである。どんな特殊ガスでも処理できる、処理設備はすでに設けられている。   一方、企業ではたった一つの特殊ガスを導入するのに早くて3ヶ月、通常6ヵ月を要するため、スピード豊かな研究開発が行えない。
 大学及び大学人を強くし、大学主導の産学連携を強化することが科学技術創造立国の最短の道である。

1件当りの配分額が500万円下限であれば充分小規模で効率的な研究も多い。


2.審査について
少額のばらまきになって、審査体制に負担をかけてはいないか。

審査員1人当たりの審査件数が多く、短期間のうちに審査が行われるため、ややもすれば過去の実績を評価する傾向を生み、研究提案の独創性、新奇性の判断が難しくなっている。

ピアレビューアひとり当たりの審査件数の縮小と一件当たりのピアレビューアの増加が緊急の課題である。これには外国人も含めたピアレビューアの確保、画一的にフォーマット化された安易な提案方式の改善、研究費上限の引き上げ等に着手すべきである。

審査においては、研究者によるピアレビュー制度を崩すべきではない。プログラムオフィサー等の導入は事務的処理や円滑な審査を図る意味では重要であるが、審査や決定権を与えることは不適当であると考える。

審査件数が多いことについては、わが国の研究資金の分配方法に問題があるためであり、科研費申請書が簡単であることとは関係が少ない。現在の大学現場では、教育・研究費として、経常経費(校費)と科研費に頼っているが、年々校費は減少し、殆どを科研費に頼っているのが現状である。この状況を改善するには、競争的研究費である科研費の倍増を図る必要がある。

一人当たりの審査件数は、審査人数の増加により、すでに減少しており、現在ではそれ程過酷とは考えられない。むしろ、審査員当りの件数の減少は、評価基準に偏差を生じさせて、全体の評価基準が曖昧になる恐れがある。むしろ、審査員の役割を十分に果たしてもらう努力をするべきである。例えば、審査員に審査コメントを必ず記述する義務を与えるべきである。

一旦簡単な申請書で予備審査をした上で詳細な計画を提出させて慎重な審査をするという二段審査方式についても検討する価値がある。

申請書を長いものを書かせることで申請件数を減らそうとの提案があるようですが、まったく逆行。現状程度の頁数の中に、本質的なことを短くかつ誰にでも分るように明確に表現させることがきわめて重要。重要な事項を可能な限り短い表現で、誰にでも分るようにして、多勢の人々の心を感動させるようにすることが、わが国の成果を世界中に知らせるために決め手になる。
 申請件数を減少させる方法は、申請された研究の提案内容がどこまで具現化されたかを評価して、目標に比べて成果が低すぎる申請者にはその成果の低さに応じて、1〜10年間程度次の申請の権限を剥奪するのがよいのではないでしょうか。そのことが、全員に分っていれば十分に構想、企画した申請書しか出てこないでしょう。

審査に資金の1%程度を投入する方が、結局は資金の有効な使用につながる。

一件あたりの配分額や採択率の問題を検討する場合、観念的な議論ではなく、もう少し実情を調査するべきではないか。例えば、採択率については、研究レベルが全体的に高いので採択されるべきものが(相対評価によって)不採択となっているのか、など、それぞれの審査委員会などでの議論・意見の積み重ねを集積して、その増額などを検討することも重要であろう。

高い目標を掲げて、着実にやり遂げて行く、良くできる研究者、技術者に集中して投資することが重要と考えます。申請者からの申請研究費は可能な限り満額認め、結果責任を問うことが重要。評価委員会の責任は重い。

NSFのように審査の事後評価を行うべきであろう。そのためにも、現行の審査員の選定は改め、データベースを作成更新して、よき審査人材の蓄積を可能とすべきである。

外国人の審査への参画も、その体制づくりを検討することが、国際性を持たせる意味で重要と考える。

審査員に外国人を活用することや分野別に審査方法を変えて評価することは、今後十分に検討する必要があるが、しかし、現在の事務体制と予算状況では極めて困難である。

若手の研究者に審査をする経験を積ませることが重要。

審査員の研修を行うことも必要である。

基盤研究が学術振興会、金額の大きいものが文科省という形を解消し一本化していくべきではないか。学術振興会をファンディングエージェンシーに育てるため、また文科省が政策官庁となり直接執行に関与しないためにも、このことが望ましい。

プログラムディレクターやプログラムオフィサーによるマネジメント体制を整備することを進めるべきである。科研費こそは、こうしたプログラムディレクター、プログラムオフィサーが最も必要な領域である。


3.成果等の評価と説明責任について
成果として提出された研究者は、科研費以外の研究費も受けており、どこまでを科研費の成果とできるかは疑問である。

成果を挙げる、その成果について社会に説明する、といった側面は確かに重要であり、場合によっては数値化などによる一般への理解、といった努力も必要であろう。しかしながら、学術研究には、長期的な視点に立ちながら新しい知の創造を求める、という側面が大きく、目的達成型のプロジェクト研究とは本質的に異なっている。すなわち、すぐに成果が目に見えない研究の支援の重要性を広く社会に理解してもらうことが必要であり、今後、益々研究者側にもその努力が求められているのは確かである。評価を行うに当たり、この視点を抜きにして成果の一面のみを表す数値などが一人歩きしないよう、行政・研究者側双方の見識ある対応を望みたい。

説明責任は全てに同じように求めるのではなく、所期の成果が得られなかったと評価されるものについて特に、研究責任者等が言い訳でない説明責任を果たすことが重要である。評価の負担の軽減のために必要である。

「新しい知、科学技術の創生」を目指すファンドの性格上、終了時点で明確な評価結果や説明を行い難い(研究や評価の早急な確定が難しい或いは適切でない)場合も少なくないと思われる。成果の評価をデータベース(閻魔帳)化し、後日の資料、特に提案の採否の判断に利用できる方策を整えるべきである。

成果等の評価のためには、十分な調査分析の資料が必要である。現状では、殆ど評価する資料が整備されておらず、科研費で得られた評価は定性的な判断しかできない。今後、研究費の増額と共に、その一部を調査分析機能の確立のための体制・組織化に投入する必要がある。そのために、早急に日本学術振興会におけるプログラムオフィサーの充実が求められる。

評価は研究の成果のみでなく、課題や提案の採否の妥当性(評価者の評価)についても行うべきである。

研究費配分課題の成果に関する事後審査とそれ以後の配分審査の連携を重視すべきであろう。この意味でも現行の審査委員の選定を改める必要がある。

採択に当った審査員が研究終了後の審査を担当すれば、事前評価と成果の対応が明確になるのではないか。

現在の制度は研究費総額がまだ少なかった時代と基本的に同じであり、抜本的な再検討が必要な時期に来ている。

継続して支援して、成果をきちんとあげられるような制度のあり方を考えて欲しい。


4.その他
科学研究費は、主として、教育・研究・社会貢献を目的とする大学セクターの研究者の内在的・自発的創意を推進するのに使われている。自発的な研究、萌芽的な研究の推進を行っている科研費の研究成果は、その性格に即して、国の行政目的達成の推進に使われている目的型競争資金にくらべて、より長期的な観点での評価が必要である。
 国際的に見て、科研費が使われている大学は次のような研究環境にある。我が国の競争的研究資金は、参考資料2(第24回本会議資料)に見られるように、米国に比して1/10と著しく低く、また政府負担研究費の中に占める割合も米国の1/3に対して、我が国は1/10と低い。また、関係者の努力によって増加を続けている科研費であるが、10年前は現在のさらに半分以下であった。一方、高等教育への国の投融資は対GDP比で、米国の1%に比べて、我が国は0.4%と世界の28位に低迷している。さらに、産業界が大学を支援している研究費の割合は2%で、ドイツの10%、米国の6%と先進国中最低であり、加えて、産業界が海外の大学等の研究機関を支援している額は国内大学の約3倍で、おおよそ科研費の総額に匹敵している。
 他方では、国中心の特許取得のあり方が変わり始めた4年前の1999年に日本型バイドール法が出来てからで、まだ、研究者中心への移行期にある。
 こうした状況であり、一般には大学院の研究環境は未整備なところが多く、科学研究費がなければ充実した大学院教育をするのは困難なのが実状であり、科研費は大学院教育の環境作りに不可欠な存在となっている。したがって、科研費は比較的少額でより多くの研究課題の支援に廻されざるをえない一因となっている。
 科研費による研究成果は、論文や著書、学会発表、特許、有形無形での産業界への知的移転、そして人材養成、研究室の研究成果を持った大学院人材の供給など、多角的に評価する必要がある。
 科研費による研究はこれまで画期的な知の創造や、成果の産業界への還元などを行ってきた。それらの多くは萌芽の発生・育成など長期的観点から評価しなければならないものが多いが、一方では、比較的短期的に評価されうる成果もある。他方では、ことさらに評価を行わなくてもこうした研究成果の多くは、学会活動を通して日常的に研究者コミュニティから相互に厳しく評価されているのが現実である。
 しかし、萌芽研究のような評価を定めるのに長期間必要な研究は、課題によっては、研究者相互ですら短期的に評価できないという特質がある。或程度の失敗を容認しなくては画期的な研究推進が出来ないのが、科研費支援の特徴である。
 科研費の諸成果の一部は、ノーベル賞受賞や、諸外国における大きな学協会からの受賞という国際的な評価にも現れており、それは今後も増加し続ける兆候が高い。あえて知的生産の指標の一部である論文数や引用数などで図ると、我が国からの論文の多くは大学で生産されているものであり、世界中で米国の割合が40%程度に比して、我が国は10%前後と相応の優れた成果を得ている。
 上記のような科学研究費の特徴、それが於かれている環境、そしてその成果などを、性急な評価や些細な指摘で潰して悔いを後世に残すことにならないよう、この研究支援の特徴を活かし、長期的な観点から評価する必要があろう。


B. 戦略的創造研究推進事業
 ―科学技術振興事業団(文部科学省)―

1.研究領域などの選択について
研究領域の選択については、もう少し透明性を持たせた方がよいのではないか。例えば、審議委員会のメンバーをより広い分野から募り、国際的研究の流れや、国内で特に発展の可能性のある領域を検討し、多くの研究者が納得できる決定法を考えることが重要と思われる。

研究分野の設定の下に公募するという研究資金であり、科学研究補助金の方式とは大きく異なっている。本事業の場合には、設定する研究分野をどう決定するかが最も大切になる。現在、最終判断する新技術審議会が設置されているが、その役割は十分ではない。今後その審査機能を充実させると共に、責任体制を明確にする必要がある。

研究領域の選択の方式、透明性の確保について、(縷縷説明があったが)、なお十分に妥当とするには距離がある。特に研究者の不満(疑念)が強い。絞込みの段階で、幅広く多様な意見を聞くとしながら、全て実質的にJST内部(JSTの審議会、JST職員による有識者への聞き取り集約等)でクローズして行われているという印象を与えているのではないか。プロジェクトの規模の大きさ、数の少なさ(特に旧ERATO型)からも、より一層の透明性とフェアネスの確保(確保されているということが理解される努力)が必要である。

まとまった資金量のこの制度はよい制度で重要。分野設定が、透明適切に行われる必要がある。分野選びについては研究者の不満が多い。日本全体の学問の流れを考える必要がある。

研究領域として国として定めた重点分野を中心としているが、国が定めるものは、多くの省庁の合意というフィルターを通るので、後追い的性格が避けられない。研究者コミュニティーで発掘される先行的分野にも配慮が必要であり、JSTの責任において冒険をする必要がある。新たに進展する分野は独断と偏見により発掘される。

いくつかの分野に限られるのは、この事業の性格上、仕方ないのではないか。

この事業は国の研究戦略を推進する事業であり、科研費などで得られた萌芽を育て、さらに大輪に咲かせるのに大きな貢献をなしえてきた。今後は、単に水準の高い成果を追求するのみではなく、国策に沿った綿密な戦略的領域選択が鍵になろう。 

現行のシステムでは公募分野が限られているが故に、将来の新しい科学技術の芽を創る可能性を持つ優れた研究提案をあらかじめ排除している恐れもある。

これは年度によって大きく振れている。重要な領域については、ある程度の継続性が必要である。

国全体の戦略の中で重点分野、特にナノテクなどに特化した分配をしている。

ファンドの効率を目指す故か、過去の業績を有する著名な方が選ばれる傾向がある。

JSTが行ってきた3種のプロジェクトは個性がある。一番重要なのは誰を選ぶか。どのようなテーマを選ぶか。

JSTの重要性を認識し、国際性を持った方策を検討して欲しい。今までのプロセスを検討して、より透明性を高め、トップダウン型の研究として重点分野を選択し、納得できる形での分野選択を行って欲しい。

JSTの研究総括の選択は過剰な公平性を避ける、冒険することに特徴があった。これは他の研究費には少ない特徴である。今後も他とは異なる方式を維持することが望ましい。

国が重点を置く分野において、優れた研究者を指向して支援する制度は有効である。ばらまきよりも「選択と集中」はピークを生む上で効果が大きい。

本制度はJSTが研究領域を設定するが、日本の得意なところと、日本がやらなければならないところの、どちらに資源を投じるべきか。

この事業が比較的大型の研究プロジェクトを推進し、戦略的に重点課題設定がなされて大きな成果を上げていますが、国の重点研究分野と対比してどの分野に研究費を配分するのがいいのか。

成果を上げた人は、研究機関終了後どのようにして研究を続けたのか。

科学技術振興事業団は文部科学省が管轄しているのであるから、科研費制度など、他の競争的資金制度と常に調和を取りながら推進して欲しい。

科研費と本事業との区別を一層明確にし、両者の相互効果を考慮する必要がある。現状では、両者の予算項目が異なり、各々一長一短があるが、両者の長所を生かしたお互いの役割分担を効果的にすることが良いと考える。なお、一部研究者への研究費集中が起きないような制限と研究種目の明瞭な区分を行う必要がある。

創造研究の推進ということを考えれば、今後自然科学系内の異分野、自然科学系と人文科学系との融合型あるいは統合研究分野がますます重要となるのではないか。

ソフトウエアーの分野が非常に少ない。構造的な問題と思われるので抜本的な改革が必要である。

情報の分野があまりに少ない

国際性の向上を図ることが望まれる。

ERATOの選抜のためのヒアリングを、国内だけでなく国際的に行うのはよいこと。

外国の研究者の意見を求めることはよい。


2.トップダウンの手法の有効性と成果の社会還元について
トップダウンの手法で構わない。成果の社会還元も、それほど短期で考える必要はない。

ERATOプログラムについては充分成功してきた。裁量経費などの形でトップダウン型の特長を生かしたプログラムを残すべきと考える。

トップダウン方式は、十分な国際的な学問の情報と調査分析が行われて初めて有効である。事業団では、専門員がプログラムオフィサー的な役割を果たしていたが、事業の拡大につれて次第にその役割が困難になっている。今後の予算をプログラムオフィサーの充実に充てるべきである。

優秀なリーダーを見出し支援することは、研究費の投入として最も効果的である。社会還元を短期的に期待すべきではない。将来を見通して辛抱強く支援を続けることも重要である。

R&Dといえども、トップダウンの方式を取るものがあっても良い。特に、社会の動向やニーズに強く関係し、集中的・機動的な行動と明確な結果を必要とされるものには、戦略的研究手法のひとつとして有効である。しかしそれだけにその選択、実施、結果(社会還元も含め)におけるトップ側のプレーヤーの責任は大変大きい。選択の妥当性(選択したものの妥当性ばかりでなく、選択しなかったものの妥当性も)、実施の過程(プロセス、経費、タイミングと期間等)、成果(コストパフォーマンス)の全てについて、事後の追跡調査と評価、更に有効性(社会還元を含む)の実証の努力が必要である

研究者を雑用から解放するための支援体制は、当分続け様子を見る必要がある。国立大学が法人化されたとしても、大学内護送船団の解体が進むかどうかに疑問があるからである。

マネージメントの方式を変えないために、いろいろ理由(予算の移動や使い方の柔軟・機動性、研究総括のイニシアティブの発揮、集中か分散か等々)が述べられているが、受け皿(研究実施)側のシステムの状況(環境)が独法化等大きく変わりつつある中で、このような説明は今後長く批判に耐えられるものではない。嘗ては、研究者の負担を少なくするために工夫し、始められたものであり、当時はメリットも大きくその功績は評価される。そのために多くの人員を抱え、急変が難しいことは理解できるが、将来あるべき形について、真剣な検討を行い、実行に移さなければ、これら制度の硬直化の印象を強め、更にはJSTそのものの信頼度が失われて行く懸念がある。

この制度は80年代末から90年代初めにできたもの。当時としては画期的。現在は国研が公務員型で独法化し、大学も非公務員型で独法化しようとしている。今までは、目的も管理手法もすごくよかった。これからは時代遅れになるかもしれないとの懸念がある。

PRESTOは若いアイデアを持っている人を選んでいて効果が出ている。

著名な研究者に加え、より無名の優れたアイデアの研究へのファウンディングにより力を入れて欲しい。

PRESTOは今までの大学の講座制を変える画期的なシステム。

ERATO、CRESTは研究の特長を伸ばすのに適している。

この分野は科研費とは性質が異なるはずであるので、特許出願、社会への直接的貢献など、社会還元がより厳しく評価されるべきと考える。

CRESTの目標には知的創造に貢献するとあるが今までの社会還元は不十分ではないか。

ERATOは新産業を作った割合が少ないのではないか。

ERATO、CREST、PRESTOの成果を具現化するために連携体制の一層の強化を図ることを期待する。

選択課題の選定について、研究領域の選定のみならず、採択課題の選定プロセスもかなりトップダウン的な要素が強いのではないか。

初期の高邁な理念が失われることが懸念される。

本制度は研究のブースターロケットとして有効。

科学技術振興事業団の多数の職員の果たしている役割についても検討する必要がある。


3.成果等の評価について
成果等の評価については、他の省庁の報告と較べて詳細な調査分析が行われており、本事業の成果は高く評価することができる。とくに、ERATOは新分野の構築を目的としており、これまでに野依教授を初め多くの成果を上げていると言える。また、PRESTOについても、既成に囚われないユニークな事業であり、大きな成果を挙げている。今後もこれらの事業の拡大を希望する。

今回のヒアリングでは、他の省庁の例にはないユニークな評価方式を取り入れていた。このような試みを是非続け、更に改善を図って欲しい。

優秀な研究者を見出し支援するという方針から当然であるが、支援の成果は効果的に挙がっていると云うべきである。性急な変更を避け、現在の方針を維持し、成果を見極めつつ改善することでよい。

成果のみでなく、領域の選択(例え文科省の方針に沿ったものであっても)の評価が必要である。また、事後評価も外部主体(人材ばかりでなく仕組みも)で行われる必要がある。

このような大型の研究予算については、費用対効果の視点や研究費の無駄遣いがないか検討をすることも大切である。

ERATO、 CRESTともに、かなりの大型研究費となっているが、これらのプロジェクトと他の研究費の重複をどう考えるのか。重複そのものが悪いというわけではないが、どの発表論文でもこれらの支援と他の研究費による支援の区分けがなされていないケースがあるのではないか。

新技術を創製するために他のプログラムと異なる評価、どのようにこのプログラムでの成果が生かされようとしているのかを論文数や特許数でなく評価する方法があるか考慮されているのだろうか。

科研費の1/4の予算で割と効果が出ている。


C. 厚生労働科学研究費補助金
 −厚生労働省−

1.対象とする研究開発について
行政目的に直結しすぎた対象が多いのではないかとの印象を持った。

行政目的の研究を主体とするこの研究費では、行政的配慮から資源配分がなされるのは、むしろ当然である。純粋に知的興味、研究者個人の自発的創造的研究は、そのための区分を作るか、科学研究費補助金を指向するかして、研究費の性格を曖昧にしない方がよい。

問題は、研究といえない事業にも研究費が回されていることにある。競争的研究資金の強調があり、それだけが伸びる可能性がある現状が生みだしたものといえようが、行政的事業は事業、研究は研究と資金を明確に分離した方がよい。

本補助金が競争的資金として位置づけられるのかどうか、疑問をもった。行政主導型が全面に出ており、それならそのミッションを明確にし、研究者にも判りやすくしたほうがよいかも知れない。

厚生医療分野においては、緊急課題の発生が起こる可能性があるので、競争的資金の一部に緊急課題に迅速に対応する年内複数公募の機能を付加する必要がある。

厚生労働省独自の重要研究分野の選択、審査、採択、評価を実施しており、その役割は重要であると認識できる。しかし、現在の運営方法では競争的研究費としての性格は中途半端であり、むしろ省自身の政策的事業として確実に成果を求める制度として明確化するべきである。

このような研究が必要であることは理解でき、このように行うこと自体に問題は無いが、競争的研究資金としては、このケースは重大な問題を含んでいる。この中の大部分のものを競争的資金とするなら、競争的資金倍増は形骸化する。狭い、或いは固定化したターゲットへのパスの違いを選択するものは、通常の競争的研究資金の概念と異質のものである。複数のパスを同時に試行し、競合させるものも同様である。
 この際競争的研究資金の定義或いは境界を明確にする必要がある。このようなものを完全に排除しないまでも、少なくとも2−3種類に分類し、それぞれについて検討し、増額の内容・程度についても方針を示すべきである。

ミッション型研究と位置づけられている。省としてのミッションと競争的資金としての運営の整合性がよく見えない。ミッションに適合した研究を行っている機関が極端に少ない場合、競争的研究資金と位置づけるのは困難でないか。

行政的観点からの研究は競争的資金以外で実施し、競争的資金では研究者の独創性を生かすという考え方は無いのか。両者をミックスするのには違和感がある。

研究の評価において、専門家によるピアレビューのみではなく、行政的な評点を付ける、という過程は競争的資金の配分における透明性の確保、という視点からは 好ましくない。

科学者の意見を尊重することは重要だが、政策目的の制度なので行政のリーダーシップが重要であり、科学者が中心となり資金配分の決定を行うのは疑問がある。

他の省庁の競争的研究資金とは考え方が違う。他の省庁では競争的資金と言わないような部分がある。

難治性疾患克服研究は大きなものは500万円程度を分配するようになっている。希少疾患が効率的に集積されて研究が進むので、先進国中でも貴重なシステムとなっている。

厚労省に疾患モニタリング等の費用がなく、厚労科研費が受け皿になっている。事業的な調査研究等への資金が必要である。

NASAやDOEは公募の主旨が明確だが、ここまで詳細な課題設定はしていない。

そもそも行政としてやる仕事に競争的研究資金を使って良いのか。

癌や循環器の治療法等の明らかな研究と、難病対策等の明らかに行政の仕事があり、整理は必要かも知れないが、競争的資金は必要である。

全てを競争的資金とするには問題がある。競争的資金の目標設定に大きな影響を与える。

医学について特別な事情もあるだろうが、ミッションの受け止め方が違う。役所がやっていて、研究者が主役でない。予算を各担当課が握ってコントロールしているのが、競争的資金として違和感を持つ原因である。

「国民の健康を守る」という気持ちは共有する。行政官が強いリーダーシップを持つことも重要だが、競争的研究資金では学者に任せる部分が在ってしかるべきである。


2.事業運営構造について
現状のシステムで、米国のNIHと競争は可能であろうか。

研究資金の交付時期を早めるべきである。採択決定時期を大幅に早めるにはどうしたらよいか検討すべき。

行政組織とあまりに一体になった運営構造はまずい。この補助金のかなりの部分は、もっと集中的な運営にゆだねるべきではないか。

厚生労働省内も各担当課の既得権などがかなり根強く残っているのではないか。そうであれば弾力的・機動的な運営方策に改善するべきである。審議会の役割に期待したい。

競争的資金の公正化には、調査員のプログラムオフィサーを省内に置くべきではなく、第三機関として別に分離することが必要である。

「各担当課毎の予算は、年度により多少異なることはある」と言う説明に示されるように、担当各課毎の縄張りは事実上固定化され、万が一にも予算を減らされるようなヘマやらないための不毛な競争という、行政に有り勝ちな図式が、R&Dにも持ち込まれている感がある。従って資料からも、行政(各課)のコントロールが研究の実行段階でも強く働いている様子が見受けられる。

選任プログラムオフィサーを置く場合、行政的なミッションと研究面からの順位付けをバランスして対応できるようにすべきである。

交付時期が遅くて使い勝手が悪いと聞く。

厚労科研費は20を超える事業を各課が担当するので、交付時期が課によっては大きく遅延する等の現象が起きている。

行政側意向が入る部分で研究者に不透明感がある。行政側意向の優先するものと科学的意義が優先するものを分け、別基準で配分する必要も考えられる。

NIHは23の研究所を持ち、各々が細かな領域に分解されている。生命科学の特徴である。NIHは所内研究費で継続研究を行い、1万5千人の職員、更にFDAで1万人、CDCで8千人の職員がいる。その上で潤沢な競争的研究資金が外部へ供給されている。日本は300人程度の職員数でやり繰りしている。

患者の治療費補助の様な行政的な対策費が研究費に入っている。これが各課が各々の事業を担当しなければならない原因にもなっている。研究費と対策費を明確に分離していく必要があるのではないか。

間接経費は3000万円以上のプロジェクトについて20%を認めるという現在の基準は、総合科学技術会議の基準には達していない。

米国に比して日本の生命科学予算は非常に少なく、今後増加すべきと考えるが、各課が個別に予算を持っていて調整が難しい現状の仕組みを改める必要がある。

予算が分散化するのは、疾患が多岐に亘る健康科学の特性である。先端的な研究と行政的な研究を区別し、前者は財団等に移して運用することが可能かも知れない。

これ程細分化すると、外部から見て不透明で批判も起こる。評価における利益相反などもチェックできてないのでは。

全国で約4万人の潰瘍性大腸炎など、一定の患者のいる難治性疾患の研究を切り捨てる訳にはいかない。このミッション性により予算がある程度固定化するのは仕方ない。

各課個別に予算を持つ仕組みは全ての省庁に言えることであり、厚労科研費だけ取り上げるのはバランスを欠く。

個々の審査でなく、仕組みに各課の縄張りが組み込まれた印象が問題である。

プログラムオフィサーを厚労省の役人がやるのでなく、外部に置くべきだろう。

厚労省が独立配分機関を設置し、そこにプログラムオフィサー/ディレクターを配置することを期待している。各省共に言えるが、行政的な色彩の強いものは本省でやっても良いが、科学的なものは切り離して独立配分機関が科学者を中心に配分決定すべきと考えている。

日本にもNIHのように独立した配分機関の創設を望む声がある。現状の行政主導の仕組みが良いのか否か議論が必要ではないか。

NIH的機関の必要性は理念として解るが、実態として厚生科研費は資金量として大きくない上、生命科学の大きな研究費が科研費に存在し、米国でのNIHとNSFの切り分けと大きく異なる。日本でも科研費を含めた整理が必要となるが、そこまで視野に入れることが可能か。

政策的研究と科学的研究を分けて、後者は配分機関に移すことが望ましいと考える。


3.成果等の評価について
行政目的の研究の成果を評価することは、難しいことである。論文数、引用数などを評価項目とせず、行政への貢献を明示的に表し、研究者社会も納得する評価指標を検討し導入する必要がある。

学術的な側面に加え、厚生労働省が推進する目的に沿った成果が挙がっているかどうかが重要。

厚生・医療の成果は、分野の性格上長期間を要するので、着実な年毎の評価結果の積み重ねが必要であり、このための調査分析機能の確立が重要である。

このような形の研究の成果の評価は易しく問題はないが、課題の選択と設定の妥当性の追跡評価が必要である。

難治性疾患克服研究は患者収集のために1研究者50万程度に分配されるので、論文数が多くなる。

文部科学省だけで医療研究は困難である。文科省の研究費を持って来るというより、厚生労働省の研究費を充実することが必要である。日本の寿命が世界一であるのは様々な要因によるものであり、厚労科研費の役割はその中の一部としての評価である。


4.その他
科学技術の裾野を広げる責務が国にある。厚生労働分野での貢献を期待したい。そのような趣旨の新しい競争的研究資金制度の創設を期待したい。

検査機器は問題ないが、体内に入れる治療機器はほぼ全てが外国製である。薬剤も海外優勢であり、高齢化を迎え治療機器の開発へ重点化する必要がある。

日本は医療工学や生命工学の分野が弱いが、医学と工学の連携を強化する必要がある。

医療機器の研究、開発、実用化にさらに(抜本的に)力を入れて欲しい。

「競争的研究資金」の定義がバラバラである。明らかに競争的資金と思われるものが今回のヒアリングに出て来ていなかったり、厚労省のように内容的にかなり異質と思われるが、限られた範囲でも公募する形を取っているため出てきたりしている。各省が都合のよいものだけをヒアリングに出して来るのをそのまま受け入れるのでは、我が国の競争的研究資金の評価というヒアリングの意味が薄れるのではないか。

プログラムオフィサーの名前だけが一人歩きして、役割、能力等に各省で認識(思惑)の違いがあるように思われる。また、研究の推進だけでなく、プロジェクトの採否にも影響を与えることが妥当か、許されるとしても、その内容と程度等について、透明性の確保を含め、何らかのガイドライン(共通的理解・認識)が必要ではないかと思われる。

米国では、共同研究者は何年か審査できない等、もっと厳しい。整備して行く必要がある。

D. 産業技術研究助成事業
 −新エネルギー・産業技術総合開発機構(経済産業省)−

1.資金額及び他の制度との関係について
現行の競争的研究資金の定義から、現在の形式が定まっているように思える。「産業技術」という性格から、個人の自発的創造的研究だけでは限界があり、組織的な共同研究が不可欠な面があるが、これが区分の(2)産業技術研究開発事業、(3)産業技術実用化開発助成事業として、競争的資金から排除されている。
 研究費は、研究の性格ごとに最も適切な形式を取るべきで、先に形式があり、それに合わせるというのは本来の姿ではない。
 個人の自発的創造的研究を謳うと科学研究費補助金との区別が曖昧になる。

産業界に向けた競争的資金(自由な発想の)は企業研究の足腰を強くする役割を果たす。科学研究費とは別の切り口で行えば有効と思われる。

研究費全体の中で競争的資金の占める比率が小さすぎると思われる。

新しい制度の導入等により、NEDOの他の制度をより競争的環境にすべき。

経済産業省として、競争的研究資金の割合を増やすことが必要。そのために何が要因なのか。競争的研究資金の定義がきつすぎるのか。

この制度は、資金額は小さいし、他の制度と重複する部分もある。しかし、分野としての重要性はあり、運営の仕方の一本化を図る必要がある。

科学技術の裾野を広げる責務が国にある。経産省には産業技術に特化せず、幅広い分野での貢献を期待したい。そのような趣旨のよりジェネラスな新しい競争的研究資金制度の創設を期待したい。

全体としては、行政側の強い指導のもとに、ごく僅かの研究費を競争的資金として充てている、という印象であった。我が国の科学技術のよりよい、かつ投資に対して効果的な発展を求め、今後、すこしでも改善する方向で検討していただきたい。

今回のヒアリングを聞いて、競争的資金としてはNEDO全体でも数%のみとなっており、全体のなかでどう位置づけられるのかどうか、疑問をもった。行政主導型が全面に出ており、それならそのミッションを明確にし、研究者にも判りやすくしたほうがよいかも知れない。また、残りのNEDOのような多額の研究費が一体どういう仕組みで配分されているのか、その評価は公平になされているのか。

他省庁と比較して、旧体制である点が問題であり、組織改革が必要である。とくに、分野設定に不透明性が強く、産業界と研究者とのマッチングが良くなるような制度と組織を構築する必要がある。また、産業界指導型のトップダウン方式を強化することが重要であり、大学研究者の貢献は従として考える必要がある。

若手養成及びナショナル・プロジェクトの探索や予備的目的とする経産省の明確な姿勢があると思われる。経産省全体では勿論、NEDOのR&D経費の中でも競争的資金の占める比率は極端に小さく、大経産省の唯一の競争的研究資金として見劣りがする。R&Dにおける競争的研究資金の意義、重要性について認識し、競争的資金の比率の向上が図られることを期待したい。様々な分野での科学技術の裾野を広げる責務が国にある。現状では経産省の我が国科学技術への貢献は非常に低いと言わざるを得ない。また、このままで競争的研究資金倍増を唱えても実質的な意味が少ない。

民間企業が主体のものにも、助成できるようにしないのか。

なぜ、経産省がこの種の制度を作るのか。JSTとか他の省庁の予算の枠でやった方が、効率的ではないのか。

企業が産業技術に関わる研究をするとなると、科研費と同じ方式は不便で、産業技術を助成するという別枠のシステムを上手に作らないといけない

本制度に産業技術の立場から企業がプラスになることがあるなら、それは良いのではないか。


2.制度・運営について
研究成果である特許に対する有効な制度が不十分である。

現時点で他(省庁)のものと比べれば、比較的良い部類に属するが、それでも制度全体が実質的にはNEDO(経産省)の仕組みの中のみで運営されている印象が強い。

制度と運営方法に問題が少なくない。ことに、研究課題を特殊法人に丸投げすることは問題であり、この特殊法人の責任体制と評価方法を改善する必要がある。

終了後5年のフォローアップはよいアイディア。どのくらい実用化したかをみていただきたい。


3.成果等の評価について
制度が開始されたばかりであり、現在評価するのは無意味である。

「産業技術」の場合の成果は論文数、引用数、特許数だけでは成果が測れない。その後の応用開発研究を待って始めて評価できるものが多い。研究費の性格に適合する評価方法を工夫する必要がある。   この面では、企業における研究開発評価が参考となろう。

これ迄の大型プロジェクトで成功と判断すれば国に資金を(一部)納付、失敗であればそれはなく、というケースがあった。その結果、失敗と判断する傾向が出てくる。評価の結果をどう反映させるかについて前向きの方策を工夫して欲しい。

追加質問に対する回答が十分でなく、(きつい言い方だが)経産省のこの事業に対する重要度が低いという雰囲気が感じられる。特に、提案の採否の評価は勿論、成果についても、その後に展開・発展するような成功例以外は忘れ去られ、採否の妥当性、成功しなかったテーマの原因究明等は、実質的に殆ど行われていないように見受けられる。


E. 新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業
 −生物系特定産業技術研究推進機構(農林水産省)−

1.制度目的の明確化について
産業指向の視点自体は重要だが、通常の行政目的の研究に重なりすぎている。公設試験場の研究プロジェクトを見ているようである。

産業化を強く意識することそのものについては特に問題はないが、R&Dにおける競争的研究資金の重要性について認識する必要がある。また、科学技術の幅広い裾野の育成が国の最も重要な責務である。そのような新しい視点の競争的研究資金が創生されることを期待したい。

科学技術の裾野を広げる責務が国にある。農水分野での貢献を期待したい。そのような趣旨の新しい競争的研究資金制度の創設を期待したい。

自由な発想や独創的シーズが対象だと他制度との区別が難しくなる中で、課題を採択する審査委員の役割が大きくなる。しかし審査委員が大学に偏っており、独立行政法人や産業の人間がいない。

本制度が、農学分野の科研費的な役割をはたすという説明があったが、そうであれば、その分は科研費に加えて運用すべきでないか。

科研費との区分や特徴の違いが分からない。新分野を創出するための基礎的、独創的な基礎研究の推進をうたっており、研究内容が科研費等とかなり重複している。差別化が必要ではないか。

研究資金源には多様性も必要と考えている。違った視点から支援する配分機関が在っても良い。

文部科学省の萌芽的研究以外の他省庁の研究費は産業につながるミッションがあるのでないか。もらった研究費の最低100倍の産業を作るという視点が必要である。

基礎研究ただ乗り論の批判の中で、基礎研究に方向転換した経緯がある(科技会議答申11号)。最近産学官の産業志向が別の流れから出てきたが、この機会に産業志向のファンディングのあり方を議論すべき時期でないか。

取り扱う研究対象の一層の明確化が必要でないか。本制度では、「食料・農業・農村基本法に基づく基本計画等を踏まえた諸課題の解決にしすること」とされているが、実際の具体的研究対象は農林水産全般に拡大されており、目的・目標を一層明確にする必要がある。

わが国の農業には、加工業以外に民間企業が参入していないことが問題である。むしろ、わが国農業全体が一つの企業体といってよい。農水省が執行役員会として生産計画を立て、改良事業によりプラントを整備し、試験研究機関を研究開発部門として動かしている。農民は民間というよりも、この企業体に組み込まれている従業員である。この形態から脱却しない限り、根本的な問題点は解決しない。

大学等で研究された基礎的成果を基に、農林水産業への貢献を重視することが大切であろう。

この事業は、「食料・農業・農村基本法に基づく基本計画」を踏まえた、という制度目的・目標を設けてはいるものの、一方において各分野の研究者の自由かつ独創的な発想による研究テーマやシーズを謳っている。加えて、選考・評価委員・専門委員の殆どが大学教授である。結果として、選択された研究テーマを見ても、科学研究費補助金のそれと区別がつきにくい。

殆ど同じ内容の研究資金を異なる制度により提供することは、いたずらに升目を入れて研究費全体として不自由かつ非効率にすることにつながる。この制度だけの問題ではないが、このような特定産業技術を指向する研究支援制度の性格の全面的見直しが必要であろう。

競争的研究資金の定義と、財政上の事情を考慮する必要がある。競争的研究資金を伸ばすという基本方針を背景に、伸ばしたい予算が競争的研究資金に組み込まれている。一方、個人の自発性という競争的研究資金の定義により、本来定常的な経費が競争的研究資金ではその制約を受けることになる。

極論すれば、学術的意味での競争的研究資金に合致するのは、科研費と戦略的創造研究だけであり、競争的研究資金の評価対象はこの2つだけでも良いのでないか。その他は、若干の競争的要素があるが行政支援の研究資金であり、別途扱った方か良いのでないか。


2.課題採択と資金配分の状況について
全体的に不可解であり、妥当性・公明性・透明性について問題があると言わざるを得ない。課題の選定、研究を実施する階層構成の設定、研究者の選定等を実質的に行政が行っていると見られ、本事業を競争的研究資金とするには、かなり無理があるのではないか。

大・中・小(個別)課題の構造があって、末端ではバラマキ的な形になるとの危惧を抱かせるケースがある。

選考委員が大学関係者だけであるが、研究リーダーが農水出身の技官であり、そこで行政目的との擦り合わせが行われていると理解している。

大課題、中課題など複雑な構成になっている様だが、どの程度の規模が適切か整理した方が良い。

採択率が小さい。

採択された機関について分析・検討して改善することが必要でないか。(1)大学の割合が65%もあり、また1大学集中であること、(2)予算の大部分が東京地区に配分されていること、などの傾向が見られる。本来、農林水産の中心は地域性が強い分野であり、この点について今後どのように対処するかが大きな課題であろう。

説明資料の内容から判断すると文科省の研究費と重複して行われていると見受けられるような研究課題が目についた。

結果として偏っている。大学の中で40%が一つの大学に偏っているのは異常という印象である。農林水産は地方に密着したものであり、産業というより生産者等の民間のアイディアも吸収する努力をすべきである。

特定産業技術の進展を図る目的に向けて、選考・評価の上でしかるべき考慮が必要。

各プロジェクトは、何段階かの階層構造があるらしいことが、質疑応答のやり取りの中に出てきた。このような基本的なことが先ず説明されないことに違和感を持つ共に、本制度全体の透明性に疑問が生じた。

研究開発そのものが目標である文部科学省と、研究開発を手段に政策目標を達成する他省庁では大きく違う。研究開発が目標の場合、課題の設定から全てを研究者に委ねられるべきだが、政策目標を持つものは課題や目標にある程度の縛りがあるのはやむを得ない。

評価委員が大学に集中したり、採択課題が農水系機関や一部有力大学に集中するのは日本の構造を反映している訳で、産業界の参画を求めても無いものねだりとならないか。民間の産業は食品加工位しか存在しない。

生産者や農水団体、最終消費者等は政策決定者として適当だが、課題採択の評価者に適当かどうかは検討の必要がある。


3.成果等の評価について
成果の評価のデータベース(閻魔帳)化、事後におけるテーマ採否の妥当性の評価が必要である。成果発表を行い、事後評価とすれば、「後は野となれ山となれ」の感じがする。

競争的研究資金の割合を、農水省として増やすには、何がブレーキになっているのか検討することが重要。

国全体の予算の中で本制度にどの程度の資金を投入したかの目線が必要である。年間40〜50億規模の資金を使っている中での制度と成果という観点が無いのが心配である。

コストパフォーマンスをどう考えるかは大変重要で難しい問題である。研究の場合は失敗もあるし、大量に資金を投入すれば成果は得られる面もある。

農林水産業への貢献が必ずしも明確でない。

単なる論文・特許等の数・量の評価ではなく、成果内容の具体的分析をした質の評価をすることが重要ではないか。特に、社会還元の技術の重要視が必要であろう。

現在までの問題点や今後の改善点などについて触れるべき。

果たしてどういう科学的根拠に基づき、実際にどのような効果があるのか、不明な点を感じた。

小規模ながら一定の成果を挙げている。

特定のミッションの下で競争的研究資金が使われている。これらはミッションを明確にし、化学・物理・生物の様な自然科学一般の競争的研究資金と区別して、その評価を論ずる必要がある。


4.その他
食品産業で米国と比較すると、日本は非常に高い農作物となっている。日本は農学博士が多いにも関わらず、納税者に安価な農作物を供給していない状況である。

農林水産分野の復興に対する社会的要請に応えることを重視する必要がないか。

農水省の研究機関の研究者数は日本の3分の1を占め、日本の学士における農学のシェアは諸外国に比べ突出している。農水省の研究機関は農学卒業者の受け皿との側面もある。限られた資源の有効活用に向けて、農水省の評価にはとりわけ厳しい態度で臨む必要を考えている。


F. 地球環境研究総合推進費
 ―環境省―

1.地球環境研究全体における本制度の役割について
地球環境関係閣僚会議での力関係から、原子力が温暖化の技術開発に入っているなど、わが国の環境関係の研究費の仕組みは適正とはいえない。その中にあって、環境政策基盤という政策を掲げて、その線に沿った研究を支援していることは評価できる。現在、競争的研究資金の強調があり、自発的・創造的が強調された結果として、むしろ環境政策支援から乖離しつつあるのではないか。最近見られる大学関係への配分の増加は本当に行政目的に適合しているのであろうか? 自発的・創造的の強調から審査員に大学関係者が多く入り、その視点での審査が行われると、環境政策支援の研究提案の評価が下がることが起こり得る。

環境庁発足時、環境庁自身で行えない研究を他省庁等へ委託するという本制度の初期の趣旨(私が30年以上前、最初の年?に貰ったことがある)からかなり異なってきたことは、ある程度止むを得ないが、環境に関わる研究は幅広く、特にサイエンスや対策等ストラテジー以外の分野では、今もなお環境省のみで全てを行うことは不可能である。我が国の地球環境研究全体で抜けがないように研究テーマが選択され、バランス良く研究が行われるよう目配りし調整し支援する、総合的な責任が環境省に期待されている。本制度はこのような環境省の役割を認識して、運営される必要がある。また、今回の評価の対象ではないが、これと並行して、各省庁で行われる環境に関わる研究について、緊密に連絡・調整することが期待される。これについて積極的な対応を行っているかのような説明があったが、現実は非常に不十分である。本制度の運用にその基本姿勢が浮き彫りになっている感がある。

総合科学技術会議のイニシャチブとファンディングの関係がよく見えない。

地球環境研究全体に対して、この制度はあまり大きくないように思う。もっと大きな役割を持たせることが必要ではないか。

環境イニシャチブはシナリオ駆動型を検討しているが、この研究費の採択と独立になっている。それぞれの研究に整合性がない。整合するためにはどうしたらいいのか。

研究者にアイデアを提示していただく競争的資金の拡充が、シナリオが必要なものに、プラスとなるかマイナスとなるか再検討が必要。

環境省は、環境施策において調整官庁であるが、実施主体として唯一ではなくかつシェアも大きくない。

学際的な研究では整合性が重要であり、それを監督する必要がある。さもないと研究費が散漫的に使われてしまう。

省エネルギーなどの分野は、環境と密接に関連している。環境だけでは実用的な研究に拡がりにくい。環境+エネルギーで骨太化するか。


2.研究成果の充実と活用について
研究成果の充実を論文数、引用数、などの標準的な評価指数で測ることは好ましくない。政策形成に役立つ研究成果を見極める眼と実際に政策形成に反映させることが必要である。

わが国においては、政策が科学技術の研究成果に基づくよりも、それ以外の力関係の中で定まることが多い。このことがこの種の研究を不幸にしている。地球環境研究におけるIPCCは、このことを乗り越える強力な枠組みであるが、わが国の環境研究は総合科学技術会議のイニシアティブなどようやく組織化が始まったところであり、これまでの散発的な研究成果では諸外国の組織的成果に負けるところがあった。

本制度のプロジェクトには、予算のサイズと比較して多数の研究者が参加することが多く、末端の一人当たり研究費が小さく、その結果やっつけ仕事も少なからず見受けられる。成果の充実と活用の実を上げるためには、研究テーマの選定、研究費の配分等、本制度の根本的な見直しが必要である。

地球環境領域は、他と少し違うのではないか。我が国だけでは仕方がなく、国際的な協力が必要な分野なのではないか。他の分野では外国はコンペティターだが、この分野ではコーポレーター。他の研究と視野が異なる。その中で競争的資金はどうあるべきか。

一人当たりの研究費が350万円程度では少なすぎて実質的な研究が出来ない。研究グループの構成人員が、15から20人では多すぎる。何人ぐらいが一番効率いいのか。

チーム研究が必要な分野特性は認められるが、課題ごとに適切な研究協力者数については基準が必要である。

環境研究が難しいのは一人350万程度もらっていて、さらに、文科省や厚生省などあちらこちらからもらってくること。

環境イニシャチブなどで適切な研究グループの規模(人数、額など)を検討するべきではないか。

研究費が、ばらまき型が中心で細分化している。

採択されたプロジェクトの規模が小さすぎる。

環境研究は学際的な分野、異分野の研究者が入るのは適切。何人ぐらいのグループがいいのか。

学際的な分野では全体を捉えにくい。環境研究のうち日本の貢献は非常に少ない。貢献度が2〜3%とはあまりに低い。

研究成果が施策に結実していることが成果の評価に大切。

省の具体的な施策にどのように反映されるのか。


3.成果等の評価について
行政支援の研究成果の評価は難しい。論文数、引用数、などの標準的評価指標は機能しない。政策形成に役立った研究を研究者社会が納得するような形で明示的に評価する方法の開発が必要である。

地球環境に関わる研究には、短期間に成果を正確に評価し難い性質を持つものが少なくない。成果の事後評価の閻魔帳化と、テーマ設定の妥当性の評価がフォローアップとして必要である。

「エコの問題はエゴの問題である」とも言えることから、益々深刻になって来ている地球環境問題に関しては、最近国際関係を中心としたストラテジーの重要性が浮き彫りになって来ている。環境省の地球環境に関する研究についての姿勢も、その雰囲気が強く反映されて来ているように見える。しかし、サイエンスという基盤の力があってストラテジーは成り立つ。
最近我が国の環境政策にサイエンスの影が薄くなって来ていることを懸念している。

G. 戦略的情報通信研究開発推進制度
 ―総務省―

1.本制度の位置づけと戦略的な資金配分について
今後研究費増額を図ると共に、研究の性格が不明確にならないよう十分配慮する必要がある。

始まったばかりの制度であるが、少ない資金にも関わらず、3つのカテゴリーに分類し、それぞれについて予算の配分枠の上限を定めているが、あれこれと欲張り過ぎ、妥当性に説得力がない。今後状況により硬直化する危険がある。

最近国のR&Dプロジェクトやファンディングでも、「何に役に立つのか、産業化の可能性はどうか、収益の見通しは」などということを問い、採否の判断の基準にするものが多くなった中で、目的のひとつに基礎研究を挙げているのは評価できる。国は民間で出来ないことをやるのが役目であり、基礎研究は国の重要な責務であることが再確認される必要がある。

戦略研究に当然基礎研究があってよい。むしろ、国が進める以上基礎の方がむしろ重要。国の戦略として情報通信分野でどのような基礎研究を進める考えか。

制度目的・目標を設けているものの、一方で各分野の研究者の自由かつ独創的な発想による研究テーマやシーズを謳っている。採択されたテーマを見ても大学研究者が多く、科研費と区別がつきにくい。評価項目で特徴を出しているがそれが真に効果を発揮しているか疑問。

特徴が出ているのは国際技術(標準獲得型)だが、デファクトスタンダードは研究ではなく使用実績によるので、この意味で本当に効果を上げているのだろうか。

採択された研究がどのような分布(基礎、応用、開発)になることを期待しているのか。目的志向型なら応用研究が多いはずだが。

基礎、応用、開発の区分は申請者によるとされているが、有効にされているのだろうか。

ヒアリングの印象ではソフトウェアやコンテンツ関連の分野とどうつながるか見えにくい。


2.優れた成果につながる仕組みについて
始まったばかりで、未だ成果を云々するまでに至っていないが、テーマの性格上、研究終了後のフォローアップ体制が必要である。

平成14年度は研究が9月にスタートし、12月に継続か否かを判断したが、これで実際の研究が出来るのか。

プログラムオフィサーの選定は特定機関からだけではなく広く候補者を選ぶべきではないか。


3.成果等の評価について
示された採否の評価基準は妥当であるが、今後事後評価のデータベース(閻魔帳)化、課題の設定、採否の妥当性についての追跡評価システムの整備が必要である。

省の政策目標に係るアウトプット、アウトカムが出ているか否かがよく見えない。(計画通りに進んでいると思うが)


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