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資料4


竹中委員提出資料
(朝日新聞 平成15年5月19日 時流自論:社会の方を変えるんや!)

 5月の連休は、病院から一時帰宅した長女の麻紀とともに過ごしました。私が重症心身障害を持つ麻紀を授かったのは30年前。重度の脳障害を持つ子どもの育児に関する専門書はほとんど見あたりませんでした。
 明暗が分かるだけの視覚、聞こえるけれどその意味が全く理解できない聴覚、自分の意志で移動できない身体、何も持つことができない手、声は出るけれどしゃべれない……。
 どうやれば毎日を楽しく過ごさせてやれるのか、アドバイスが全く得られない状況のなか、私の父は言いました。「お前がつらい毎日を送るから、ワシがこの孫を連れて死んでやる!」
 「あのなあ、父ちゃん、そんなこと言うたらアカン。心配せんでええから、大丈夫、大丈夫」と答えたものの、いったいどうすればいいのか、情報が全く無い中で悩みまくりました。
 お医者さんも看護師さんも「あんたの責任じゃないから、がっかりしたらアカンよ」と慰めてくれるだけ。「薬や手術で治せるなら病気、どうやっても治せないのが障害」という「医療の限界」も知りました。それでも父と娘を死なせないためには「母子で楽しく生きる方法」を発見しなければなりません。
 でも「原因不明」といわれる障害とどう付き合ったらええのやろ……。ある日、ひらめきました。「見えない人とお付き合いすることで、見えないことの不便さ、困難さを教えてもらおう。同時にこういう風に楽しんでいるということも教わろう。聞こえない人、しゃべれない人、動けない人、いろんな障害を持つ人とお付き合いして、知りたいことをぜ〜んぶ教えてもらおう!」という、ずうずうしくも現実的な、素人ならではの「勉強法」を思いついたのです。
 何よりうれしかったのは、出会ったチャレンジド(障害を持つ人)が皆、拒否することなく私の気持ちを理解し、率直に自分の状況を伝えてくれたことです。そして「障害者」と呼ばれる人たちの中でも、麻紀のように「100%の保護がなければ生きていけない人」はごく一部で、ほとんどのチャレンジドが意志・意欲・希望・個性・能力を持ち、社会とのつながりや働いて収入を得ることを求めている事実を知りました。
 期待されたい、他人や社会の役に立ちたいという思いを持っているチャレンジドがどんなにたくさんいることか。また「この子を、社会のお荷物ではなく、尊厳ある人間として世に出していきたい」と願っている両親や家族が、どれほどたくさんいるかも知りました。
 でも社会は「障害児・者」の「出来ないところ」ばかりに注目します。マイナスを数えてそれを埋めるのが福祉あるいは社会保障というのでは、その人の中に眠っているもんが引っ張り出せへんやないか!出来ることにふたをするのはホンマの福祉と違うで!どんな小さな力も、能力も、可能性も、探して育てて引っ張り出すのが福祉ちゃうんかい!「眠ってる力があるなんて、もったいないやんか!!」と関西人にして元不良のナミねぇは、そう天に向かって雄叫び(?!)を上げたのです。
 その時、父ちゃんと麻紀を死なせない方法が見つかった、と思いました。「社会のほうを、変えたらええねん!」
 介護を必要とする人が社会を支える側に回るチャンスを生み出すということは、介護の必要な家族を持つために働くことを断念せざるを得なかった人(私もそのうちの一人やった!)や、子育てをする女性、高齢者が多様な就労形態の中から自分の働きやすい方法を選択できる社会システムを生み出すこととイコールのはずです。
 だから私は障害者のためだけの運動を始めるんやない。「この国に生まれ、育ってよかった」と誇らしく思える国を自分たち自身で創造するんや!と決意し、行動を開始しました。
 障害者にコンピューターを教えて就労支援をする。無謀ともいえるプロップ・ステーションの挑戦ですが、コンピューターセミナーを始めてもう11年になります。半年間と10週間のコースがあり、約50人が週一回、通ってきます。
 在宅で仕事をするチャレンジドのメンバーほ、北海道から沖縄まで全国に約100人もいます。昨年は自治体のデータ入力とソフト開発の仕事に取り組みました。デザイン、グラフィックを学んだメンバーは企業のバンフやホームページ作りに活躍しています。
 先日、うれしいことがありました。ある企業のお祝いのパーティーでお客様に渡す記念資なにと、プロップ・メンバーの久保利恵さんが描く絵はがきセットを発注して下さったのです。久保さんは生後半年で全身の筋力がおとろえるウェルドニッヒ・ホフマン病にかかり、車いす生活です。マウスを持つのも人の手を借りています。家族の介助で短大に通って日本画を学び、プロップのコンピューターセミナーを受講して、昨年はなんと絵本作家デビューをしました。
 一人でもたくさんの人が麻紀のような人たちを守ってくれる社会を作り上げたい。私自身が「麻紀を残して安心して死ねる日」まで、プロップの輪を広げていきたいと思っているのです。


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