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沿 革
 明治40年3月19日に法律第11号「ライ予防法ニ関スル件」が制定され、同年7月22日「内務省令第20号・同施行規則」が発令されたことにより、全国を5区域に分けて、それぞれに療養所を設立することになった。

 第4区においては、岡山県・広島県・山口県・島根県・徳島県・香川県・愛媛県。高知県の8県連合で第4区療養所として設置された。本園の創設に際して、明治40年9月26日に設立申請を行い、明治41年1月27日に認可・決定された。そして「第4区療養所」として、明治42年4月1日に発足し、所在地・香川県知事の管理になった。患者定床は200床で、21名の職員定数が配置された。

 明治43年に「大島療養所」と改称した。その後、入所者の増加に伴って増床が逐次行われ、最大時には860床となった。

 昭和16年7月1日、所轄を厚生省に移管して「国立らい療養所大島青松園」と改称し、さらに昭和21年11月2日に『国立療養所大島青松園』と改称した。

昭和22年4月から、入所者に患者慰安金が支給された(昭和46年『患者給与金』に変更し、国民年金拠出制障害年金一級相当額の支給に改められた)

 昭和24年から、スルフォン剤によるハンセン病の治療が予算化され、全入所者に対する治療が開始され、治療による軽快退所が始まった。

 昭和27年4月、付属准看護学院が併設されて、本園の看護職員の確保対策となった。
 (昭和53年『付属准看護学校』と改称され、平成11年3月31日に閉校となる。)

 昭和28年8月、『法律第214号 らい予防法』が公布された。
 昭和29年4月から、患者家族への家族援護が開始された。
 昭和36年から、不自由者の介護要員が患者から職員へ切り替えられた。
 昭和48年から、園内の患者作業が職員による作業に返還された。

 平成8年4月1日『らい予防法』が廃止され、新患者の治療は一般医療機関において健康保険適応疾患として取り扱われるようになった。
 さらに、『らい予防法廃止に関する法律』が施行され、入所者は『患者』から『入所者』に改称され、入所者に対する療養の保証や『退所』『再入所』に関する規定が定められた。

 現在(平成11年10月1日)までの入所者数     3,923 名
                      退所者数     823 名
                      園内死亡者数 1,970 名