|
|
経済社会環境が急激に変化し続け、予測のつかない不透明な時代となり、労働者、個人は一回限りの職業人生を、他人まかせ、組織まかせにして、大過なく過ごせる状況ではなくなってきた。すなわち、自分の職業人生を、どう構想し実行していくか、また、現在の変化にどう対応すべきか、各人自ら答えを出さなければならない状況となってきている。
この意味において、「キャリア」(関連した職業経験の連鎖)や「キャリア形成」といった言葉が、労働者の職業生活を論ずるキーワードとなりつつある。こうした動きを単に時代の流れに対応させるための受動的なものと受け止めるのではなく、これを契機として個人主体のキャリア形成の動きを積極的に位置づけ、企業や社会の活性化を図る方向に向けていくことが重要である。
このため、昨年策定された第7次職業能力開発基本計画においても、今後の職業能力開発施策の展開の中心に労働者のキャリア形成促進が挙げられている。
しかしながら、「キャリア」や「キャリア形成」の意味や広がり、さらには、第7次基本計画を受けた「キャリア形成」支援を中心とする施策体系、展開の有り様については、未だ十分理解されているとは言い難く、改めて、これらの点について内容を明確にするとともに、その可能性を示す必要がある。
このため、キャリア形成の現状と支援政策の在り方について、専門的な検討を行うことを目的として平成13年11月から、学識経験者や企業の実務経験者の参集を求め「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」(座長:諏訪康雄 法政大学教授)を厚生労働省職業能力開発局において11回にわたり、開催してきたところ、今般、その報告書がとりまとめられたので公表する。
1 キャリア形成の意義 |
○ | 「キャリア」とは、一般に「経歴」、「経験」、「発展」さらには、「関連した職務の連鎖」等と表現され、時間的持続性ないし継続性を持った概念として捉えられる。 |
○ | 「キャリア形成」とは、このような「キャリア」の概念を前提として、個人が職業能力を作り上げていくこと、すなわち、「関連した職務経験の連鎖を通して職業能力を形成していくこと」と捉えることが適当と考えられる。 |
○ | これまで、長期安定雇用が保障される中、職業生活のあり方は基本的に企業まかせ。学校教育も大企業への採用を目標に、成績・学校によって切り分け。社会的に一律かつ集団的な教育・就職システムや企業内システムが当然視。 |
○ | しかしながら、現在我が国労働者は、企業間競争が激化し、大企業といえども倒産のリスクを避けられず、誰しも突然失業する可能性や、技術革新の急激な進展やニーズの変化により、労働者が長年にわたって蓄積してきた職業能力が無になる可能性が生じる等の変化に直面。 |
○ | こうした最近の環境変化は、これまでのシステムを根底から揺るがしつつあり、現在は、過度に集団的なシステムからより個人に配慮したシステムの構築への転換期。 |
2 世代別のキャリアのあり方 |
(1)若年層のキャリア
○ | 近年、若年無業者・失業者の急増、フリーターの増加、若年者の就業後の早期離職の増加等が生じており、若年者のキャリア形成上大きな問題。 |
○ | このため、学校教育の早い段階から生の職業に触れる機会の付与、フリーターのキャリア意識を高めるためのグループカウンセリング、企業が求める人材情報の学校や学生への開示、多様な良好な就業機会の整備等を行うことが必要。企業の若年キャリアに係る役割も重要であり、インターンシップの実施や今後は教育への進出も期待される。 |
○ | また、若年者の新たなキャリアの可能性として、ベンチャー企業やSOHO等の起業も視野に入れ、そのための条件整備や教育の在り方を考えていくことも重要。 |
(2)壮年層のキャリア
○ | 職業生活が大きな変化に見舞われる中で、個人が自立して適切に自らのキャリアを形成するためには、一定期間ごとにキャリアを棚卸ししつつ、今後の在り方を考えたり、勉強したりする機会を職業生涯の中に組み入れていくことが益々必要。 |
○ | 自己啓発を行うための時間の確保の困難さや金銭面の問題、情報の少なさ、特に、企業の求める人材要件や能力を修得した後の処遇が明確でないこと等が、自己投資として能力開発に向かうことを躊躇させている。 |
○ | 今後、社会人が高度な教育を受けられるようにするためには、企業側の送出しや受入れ体制の確立、大学院等修了による専門的能力についての社会的な格付けの確立、大学側のカリキュラムの質の保障や社会人向けを含めた奨学金制度の整備等が必要。 |
○ | 近年の企業間競争の激化や急速な技術革新の進展、顧客ニーズの変化により壮年層の雇用やキャリアも不安定化し、絶えざる変化にさらされる。労働者個人として、キャリアを自分の知的財産として捉え、常に磨き、足りないものを補うような意識が必要であり、企業や社会も、個人の「失敗」を許容し「敗者復活」等を容認する環境を作る必要。 |
(3)中高年齢層のキャリア
○ | 中年層から高齢層になるにつれ、職業キャリアの蓄積によって形成された能力(知識・技術、判断力、洞察力、人的ネットワーク等)を生かした働き方をすることや、蓄積を後代に引き継いでいくことが重要。 |
○ | また、個人のキャリアという点から、中高年齢期の働き方は、個人の健康、意欲、生活環境等に応じ、年齢や雇用形態にかかわらず、多様な働き方が柔軟に選択できるようにすることが理想。また、高齢者が人生の先輩として、地域で、若年者指導や地域貢献等の活動をする機会をつくっていくことも重要。 |
3 企業側から見た労働者のキャリア形成のあり方の変化 |
(1)経営人事管理の新たな動向
○ | グローバル経済の中での企業間競争の激化や、IT化等の技術革新による需要や顧客ニーズの急激な変化が進む中で、企業は、事業の収益性、成長性、知識や技術の活用の観点から事業の見直しを進めており、「事業の選択と集中」がキーワードとなっている。 |
○ | また、こうした経営動向と併せ、市場変化に対応するための新たな企業組織として、プロジェクト方式等のフラット型組織への移行やカンパニー制の採用、分社化等の自立した組織への変革が模索されており、労働者のキャリアの在り方にも影響を与えている。 |
(2)大企業を中心とする企業内の動向
○ | 技術革新の急激な進展や需要・顧客ニーズの変化、知識経済の進展等に伴い、労働者の求められる能力は、あらかじめ割り当てられた職務への習熟から変化への対応や問題発見・解決能力が重視される傾向。企業組織のフラット化や自立化の動きと併せ、労働者のキャリア形成については、全体として、企業主導から、次第に個人の主体性を重視する方向。 |
○ | キャリア支援という点で、企業が力を入れているのは、経営幹部層と早期退職層であるが、最近はこうした特定の層に限らず、社内の流動化促進や人材の活用のために社内公募制を導入するところが徐々に増えている。こうした社内公募制が機能するためには、職場の理解に加え、ポストの能力要件の明示、キャリア・コンサルティング制度、研修制度等との適切な組み合わせが不可欠。 |
○ | 能力開発については、企業主導の職階的な訓練から、個人の選択による訓練に重点が移っている。今後の能力開発の動向については、人材育成に力を入れる企業がある一方、外部の即戦力志向の企業も存在。中長期的には、人材育成に力を入れる企業がさらに強くなる等、人材投資の姿勢により二極分化の可能性。 |
(3)中小企業におけるキャリアの動向
○ | 中小企業労働者の職業能力の発展やキャリア形成のあり方は、総じて様々な仕事の経験を通した実践力の蓄積であり、あらかじめ明確なキャリア意識に基づくものではない。 |
○ | また、中小企業の分野においては、職人のように企業を渡り歩きながら、能力形成を行い、独立開業する例に見られるように、自営と労働者のキャリアの区別は明確でなく、むしろ、混然一体。 |
○ | 中小企業労働者のキャリア支援については、能力開発や能力評価面での支援や企業を渡り歩くタイプのキャリア・アップについては、その道筋を見せる等の支援が必要であり、こうした点を中心に同業組合や中小企業団体によるサポートや社会的サポートを進めていく必要。 |
(4)企業内のキャリア支援の実態
○ | 約8割の企業が、従業員に、「従業員に求める能力」を知らせている。約7割の従業員が「会社・上司が個人に求める能力」を知らされている。こうした「能力」は、多くが「人事評価制度」を通じて知らされている。 |
○ | キャリア形成を従業員が主体的に考えているか否かについては、大半の企業が半分から1/4程度の従業員が主体的にキャリア形成を考えているとしているが、内容的には明確な形でキャリア意識抱く者は少ない。 |
○ | キャリア相談を「十分」ないし「ある程度」受けることのできる労働者の割合は、34.3%。相談相手は、ほとんど上司、先輩、同僚。 |
○ | 自己啓発については、平成10年度は56.4%の労働者が実施 |
○ | 社内公募制度を実施している企業は、10.0%、今後、実施を予定している18.5%と上昇。 |
○ | 能力開発のための休暇制度の活用については、半数強の企業が「既存の休暇を利用するように指導している」。特別な休暇を用意している企業は3.1%に止まる。 |
4 キャリア形成に係る政策展開 |
(1)個人主体のキャリア形成支援の論拠
○ | 今後、個人のキャリア形成支援策を進めるに当たっては、何故、自助にまで支援を行うかの論拠として以下の点が考えられる。
|
(2)教育・労働政策におけるキャリア準備支援
○ | 生涯の職業キャリアを展望すると、教育施策と能力開発施策が密接な関連を持ちつつ、以下のような施策を講じるべき。 (学校教育におけるキャリア準備)
(就職システム)
(無業者、失業者、フリーター等への対応)
|
(3)労働者個人の支援
○ | 労働者のキャリア形成を支援するためには、企業による支援の推進に併せて、以下のような直接、労働者個人に対する支援を行っていくことが必要。 (キャリア・コンサルティングの提供)
(情報面の援助)
(時間面の援助)
(多様な働き方の整備)
|
(4)企業に対する支援(長期雇用型キャリア形成支援企業)
○ | これまでの日本型経営には、組織まかせによる個性の喪失、滅私奉公的働き方などの問題がある一方、チームワークの良さ、長期的観点に立った能力評価と人材育成、長期雇用の保障によるゆとりと企業風土・文化の熟成等多くの利点を備えている。 こうした日本型経営を全く捨て去るのではなく、その利点を生かしつつ、成果主義、社内公募制をはじめ個人の主体性を尊重した新たな長期雇用型のキャリア支援企業モデルをつくっていくことが望まれる。 |
○ | 具体的には、次の点がポイント。
|
○ | 上記のようなモデルの提示、指針による誘導、キャリアに係る情報の提供・相談や、助成金等の金銭的支援が企業支援の主な内容。 |
5 労働市場の構築 |
(1)労働市場の枠組みの官民による形成
○ | 我が国においては、これまで大企業を中心とする長期雇用システムのもとで内部労働市場が発展してきた反面、外部労働市場は未整備。特に、個人の主体的なキャリア形成のためには、前提として、能力評価制度、能力開発の受皿としての教育訓練制度、キャリア・コンサルティングシステム、職業等に係る情報システム等のインフラを利用しやすい形で整備していく必要。
|
イ.職業能力開発の受皿としての教育訓練システム | |
○ | 我が国における社会人向け訓練の受皿の状況は、少なくとも国際的に高い水準にあるとは言えず、特に、大学・大学院レベルの高度なレベルの教育訓練機会は、かなり限られている。 |
○ | 今後、知識社会の到来が予測される中で、高度な内容の教育訓練機会の創出をはじめ、民間を中心に社会人向けの教育訓練機会をどのようにつくり出していくかは大きな課題。
|
ロ.我が国における職業能力評価制度のあり方 | |
○ | 今後、我が国においても本格的に労働市場の枠組みとして、英国のNVQ等を参考として、公的職業能力評価制度を整備する必要。 |
○ | 評価制度は、民間の事業主団体等により担われることが望ましい。しかし、現実問題として、こうした評価制度を民間団体が自主的に構築する動きは現在のところ十分なものではない。 そこで、欧米諸国の方法を参考にして、適切に官民が協議・連携・役割分担を行いつつ、合同で職業能力評価制度を構築することが現実的である。 |
○ | 評価制度の構築に当たっては、まず、評価制度の基礎として、知識・技能の内容を統一した共通用語で叙述することが必要。次に、こうした共通用語で叙述された知識・技能をレベルに応じて格付けし、評価基準を作り、評価を行っていくことが求められる。 |
○ | 次に、能力評価制度の構築にあたっては、自己診断や、能力の棚卸しができる簡易な評価の仕組みや必要性の高い分野から順次、整えていくことが重要である。 |
○ | さらに、職場で通用する実践的な職業能力を評価する観点から、(1)実務経験や実績をどう評価するかという点、(2)単なる表面的なスキルだけでなく、知識、技能を生かすための判断力や洞察力等の経験によって裏打ちされた能力や長年のキャリアによって培われた職業に係る思考特性や行動特性(いわゆるコンピテンシー)をどう評価するという点が今後の課題。 |
○ | こうした観点から、今後、ビジネスキャリア制度等のホワイトカラーの能力評価の仕組みについても見直し、整備する必要。
|
ハ.職業情報システム | |
○ | 労働者が主体的にキャリア形成を行っていくためには、労働者個人が、職業に関する情報や教育訓練に関する情報など労働市場に関する情報に容易にアクセスでき、入手できる体制を整備することが重要。 |
○ | 今後、各機関の保有している情報を整理するとともに、労働者、企業、キャリア・コンサルタント、人材関係機関の活用、特に、労働者がキャリア形成を行っていく上で必要な情報を入手・活用できるよう、実践的な角度から職業ニーズ、労働市場動向、能力開発等に関する情報システムの構築を図っていく必要。
|
ニ.キャリア・コンサルティング | |
○ | 個人のキャリア支援を行っていくためには、専門的なキャリア・コンサルティングが必要。 |
○ | 我が国では、アメリカのようなカウンセリングのノウハウや伝統がないことや受入れ側の国民も、ただちに高いレベル(大学院資格)のカウンセリングを求める需要がないことから、まず、職業やキャリアに関する基本的、実践的な相談ができる人材をある程度の数養成し、企業内、需給調整機関、能力開発機関等に配置されることを目標とすることが適当。 |
(2)労働市場形成促進のための方策(能力の見える社会へ向けて)
○ | 労働市場を機能させていくためには、とりわけ、その枠組みとして、能力評価制度が重要であり、能力評価制度が企業内外を通じて、労働者の能力を計る基準として、通用するようになると、本格的な横断市場の形成につながる。 |
○ | 内外の労働市場において、共通用語で、能力を表現し、それを開示し合っていくことが必要。 |
○ | また、こうした共通用語ができればそれをもとに(1)企業内において、ポストの能力要件、求人の能力要件、能力開発目標やキャリアルートを明確にし、開示する。(2)需給調整機関において、この共通用語を用いた求人・求職の能力要件の明確化が可能になる。(3)能力開発機関において、能力開発の出来上がり像や教育訓練内容を明らかにし、開示する等、それぞれの関係者において能力要件明確化・開示運動を徹底していくことが望まれる。 |
○ | 加えて、労働者側についても。キャリア・コンサルティングや職業相談を行う際に、キャリアシート等をもとに、個人の職務経歴、実績や能力開発内容等を共通用語記録することができれば、それが、能力パスポートとして、企業内外の相談、処遇、キャリア形成の基礎とすることができる。 |
(3)民間団体等の役割
○ | 労働市場の枠組みをつくるために、官のイニシアティヴが不可欠であるが、能力評価システムや職業情報システムは、技術革新やサービスニーズの変化に即応して更新されなければならない。そのためには、これらのシステムの運営については、現場の状況を把握できる業界団体や職能団体等の民間団体の役割が大きい。 |
○ | また、民間需給調整機関が、ILO181号条約(民間職業仲介事業所条約)に反しない範囲で、労働者から手数料をとりつつ、労働者のエージェントとして活動することができれば、こうした労働者のキャリア形成という観点からも、労働市場の形成に潤滑油的な役割を果たすことができよう。 |
6 法的問題点 |
○ | 労働上の諸問題、とりわけ、激しい環境変化に対応するためには、個人の財産である職業経験による能力の蓄積に着目し、その能力蓄積の展開、すなわち、職業キャリアを保障することが一つの法理(キャリア権)として考えられる。 |
○ | 例えば、労働移動が活発化する中で、今後、長い職業人生の中で、必ず職務転換や転職・転社を経験せざるを得なくなるが、そうした場合においても、人々の職業キャリアが中断したり、ロスを生ずることなく、円滑に発展させる必要がある。さもないと、個々の労働者は勿論、使用者、さらには、社会全体も、職業能力の低下と人的資本の枯渇に直面することになりかねない。 |
○ | こうした観点から、個々人の職業キャリアの準備・形成・発展を保障していくことは、個々人にとって一社の雇用保障を超えて、広い意味での雇用可能性(エンプロイアビリティ)を高めるとともに、企業や社会が経済社会環境の変化に対応し、発展する上で重要な意味をもつものと考えられる。 |
7 まとめと提言 |
○ | 基本的に豊かな長寿社会を迎えている我が国において、個人が社会の中で、それぞれに夢を持ち長い職業生涯を通じて、失敗・挫折と成功体験を繰り返しながら、それを実現できるような社会にすることが、キャリア形成支援の窮極の目的である。 |
○ | それぞれの関係者に対する期待として、次のことを提言。
|
委員
宇佐美 聰 | 三菱電機(株) 常務取締役 | |
大久保 幸夫 | (株)リクルート ワークス研究所 所長 | |
加藤 秀雄 | 福井県立大学経済学部 教授 | |
北浦 正行 | (財)社会経済生産性本部 社会労働部長 | |
小河 光生 | PwCコンサルティング(株) ディレクター | |
玄田 有史 | 東京大学社会科学研究所 助教授 | |
○ | 諏訪 康雄 | 法政大学社会学部 教授 |
高橋 俊介 | 慶応大学大学院政策・メディア研究科 教授 | |
樋口 美雄 | 慶応大学商学部 教授 | |
山田 礼子 | 同志社大学文学部文化学科 助教授 | |
横倉 馨 | (社)日本人材紹介事業協会 専務理事 |
オブザーバー
石山 俊光 | 文部科学省初等中等教育局児童生徒課 進路指導調査官 |
板橋 孝志 | 文部科学省初等中等教育局児童生徒課 生徒指導調査官 |
村木 太郎 | 生涯職業能力開発促進センター所長 |