「介護の日」フォーラム 記念講演(要旨)
「福祉・介護をめざす人、働く人へのメッセージ
〜家族の介護をとおして感じたもの〜」
綾戸 智恵氏(ジャズシンガー)
【1年2ヶ月の準備期間】
今、紹介もあったように、1年と2カ月の休暇をいただきまして。これは休暇と言っていいのでしょうか。再始動するための準備期間とでも申しますか。
10周年を迎える4年前、そう、計算でいくと6年目ですね。プロになって6年目で、母が脳梗塞で倒れまして。ただ、うれしいことにいろいろな人の助言のおかげで、いい病院を紹介いただき、早期に治療に入ることができ、1年半ちょっとで母は要介護4から要支援2までになりました。
ところが、それから調子に乗って1年目。母が歩けるようになったのがうれしいと思っていた矢先、人にぶつかられて大腿骨を骨折してしまい。これには参りました。折れたのは骨だけではなく、心まで折れてしまい、それ以来、取り戻した笑顔がなくなり、これ、私のお母ちゃん?と思うような状態にまで陥りました。
ところが、私の仕事は2年先まで入っている。「かわりに頼むわ」というわけにはいかない。今まではそれが誇りでうれしかったのに、そこからは、それがプレッシャー。何で歌ったんやろ、何で世間に顔を出したんやろと、悪い方向へと心の中は進みます。でも、ステージに出ると拍手喝采。「待ってたよ!」と、お客さんの声。あと2年、あと2年たったら、やめよう。そして会社とも10周年を終えたら、とにかく次の仕事を入れないでくれと。やめるのか?いや、俗に言う、頭が真っ白っけや。いったんやめたい。「死ぬわけじゃない、私は。いったんやめたいと言うてんねん」と、その言葉だけを残し、1年2カ月の休憩。
【母からの『ありがとう』の言葉】
10周年コンサートを機に母の介護のため活動を休止したそんな日々の中、母が私に「車椅子を押しているあんたに言いたいことがあったんや」「何でんねんな」「もう4年間言いたかったけど」「言えばええやんか」『ありがとう』と。「え?」。それぐらいの単語、いつでも言えたやろと、そのときは、その『ありがとう』をしっかり受けとめられなかった。それは10年間の突っ走ったリズムがいまだに少し残っていたから。日々増すごとに、ありがとうの意味がわかりました。これはサンキューだけではなく、「ごめんな」も入っているんでしょう。このたった5文字を言うすき間さえ与えなかった私のスピード。「ほな、おばあちゃん、行ってくるわな」「帰ってきたで」「トイレ行こうか」「ごはん、食べようか」「寝ようか」「起きたで。おばあちゃん、トイレ行こうか」。そんな日々でした。これが介護と思ってたんですね。初めて母に「ありがとう」を言うスペースを与えた。これが私の介護だったんです。娘としてやらないかん、聞いてやるということをせずに、ただ身の回りの世話だけし、何とかこなして仕事に行こうとしていた私でした。
【娘を思う母の気持ちの大きさを感じました】
坂道、車椅子に母を乗せて。私、38キロ。母、58キロ。どう考えてもきついわ。はぁ、はぁ、はぁと、そのとき、母から出た言葉、「あんた、歩こうか」「え?」。母はリハビリを骨折後は嫌がってしませんでした。介護の先生も、OT(作業療法士)、PT(理学療法士)も、大変でした。ところが、私の、はぁ、はぁ、はぁと、この声一つで、「歩こうか」。「歩けんのん?」「うん」。必死で。それから、毎回私は試し試しで、坂を使う日々。やっぱりきょうも。きょうは平坦を行ったろうかと思って、平坦な道を、はぁ、はぁ、はぁと。「歩こうか」と。どうも母は私が辛いと歩くんや。私が母を思う愛情の心よりも母が娘を思う気持ちの大きさの方がはるかに大きい。完璧に負けです。
【介護に携わる方々には感謝の気持ちでいっぱいです】
私は歌う10年間より、この休んでいる間の1年2カ月の間に得るものの方がいっぱいありました。歌っている間は、体は一つなんだ。お客さんのものなんだ。でも、このお客さんのために歌っているからこそ、また母のもとに帰れるんだ。そこで登場するのが、皆さん、ヘルパーさん、そしてデイサービスの介護の皆さん。助けてくれる人。私を助けてくれる人。私が歌えるのは皆さんがいるからです。コンサートで、たまにこんなことを言います。デイサービスは母のためにあるものとずっと思っておりました。でも、歌い出すこの日、デイサービスは私のためにでもありますと。皆さんの仕事は私たちのライフセーバー。命を守ってくれる。そんな仕事なんですよ。意義のある仕事。だれもが憧れる仕事。
皆さんのなさっている仕事、これからやろうとしている仕事、今やってくださっている仕事は、こんなすてきな仕事。私は心から感謝しております。何遍言うても足りません。
【介護の仕事を「憧れの仕事」にしていきたい】
介護の仕事をすべての皆さんに、もっといい宣伝をしたい。こんなすてきな仕事はないと、憧れの仕事に変えていきたい。女子アナの次は介護ヘルパーですよ。すべてが憧れるんですよ。そんなふうにしていきたい気持ちでいっぱいです。
おばあちゃんが増えるのを阻止することはできません。ですが、介護ヘルパーさんなどを増やすのは皆さんの力です。私たちの努力です。だからこそ、たくさんのヘルパーさんを増やしたい。憧れの仕事にしていきたい。そんな気持ちでいっぱいです。お年寄りのためでなく、実はそれだけでなく、家族のためになっているんだと。生きている人のためになっているんだと。私の提案としては、とにかく若い方がかっこよくできる仕事にしてほしいな。
【家族とヘルパーとの会話が大切】
相手は動物ではなく、生身の人間です。そして、その人間をサポートする家族も人間です。唯一与えられたこの言葉、もっと家族とヘルパーとの会話が必要だと思います。
それがあると年寄りも安心します。母は「何やわからんけど、これ、飲まされてん」と。それでは困ります。「娘さんから聞いてきたのは、これとこれですけど、飲みますか」「飲みます」。それで飲んだらいいんです。一つ一つ面倒くさいですが、会話を。そうすると安心します。
もちろんヘルパーさんのほうから家族に対しての要求もたくさんしていただきたい。「実はこんなふうにうちでやっているので、これはやめてください」「はあ」「どうも夜はお箸がやばいようです。朝は無理やりでもお箸にしてください」「はい」「昼からだんだん疲れます。夜はスプーンにしてあげてください」「わかりました」「きょうは母、朝からちょっと機嫌が悪いです。お願いします」と言って出す。ヘルパーさんが「はい」と。意思の疎通をやっていただきたいと思います。
【おわりに】
支え? はい。きょうも生きているわ。これです。支えと言ったらおかしいですけど、「5年生きるかな」と母が言ったんです。これはいい言葉なんで、これを最後のごあいさつにします。
この5年という数字は微妙です。私はそういう数字を言わずに、とにかく一番目前、上海ガニを食べに行きたい。これが一番の目的です。これをクリアしますと次の目的に行きます。マツタケ食べたい。次の目的、孫の卒業するのを見たい。そして、ロンドンへ行きたい。帰りにイタリアへ寄りたい。言うてる間に5年が来ます。上海ガニを食べたい。これが生きる上での一番の今の言葉です。これが終わると次の目的へと進みます。私たちもいつまで生きるかわかりません。
コンサートにお越しになるお客さんにも、こう言います。「きょう、綾戸を見といてよかったですね。来年もまた来ますが、そのとき、同じ顔を見たいものですが、何人かはお亡くなりになっているでしょう」と。いつもこんなふうに申し上げます。だから、今が大事だと。
皆さんの気持ちをそんなふうに、おもしろおかしくですが、リアリティーを込めて、生きる楽しさは死ぬからだということを言いながら、皆さんは生きるに必要な立場の方です。ただ生きるのではなく、生きているように生きるのに必要な方です。死んでいるようにではなく、生きているように生きるために必要な方です。これを皆さんへの言葉として終わりたいと思います。ありがとうございます。
(注)この講演要旨は、綾戸氏の講演を元に事務局の責任においてとりまとめたものである。