海軍硫黄島警備隊医務科壕として、戦時中、傷病者が多く滞在したといわれる壕。総延長112mで壕内は天井も高く通路も広い。壕内には医療用品と思われる道具や生活雑貨が残されている。
昭和58年に収容作業が行われ、54柱の御遺骨が収容された。