厚生労働省

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沖縄愛楽園を訪ねて

2008年8月13日
舛添要一

本日は、この沖縄愛楽園におじゃましましたところ、お暑い中、多くの皆様にお迎えいただきありがとうございます。厚生労働大臣に就任した直後の昨年の秋に、皆様方の代表である全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)の方々と厚生労働省においてお会いすることができましたが、今日はこの地で皆様と直接お会いする機会を頂いたことに感謝申し上げます。また、職員の皆様には施設の運営にご尽力頂いていること、ありがたく思っています。

まずは、一世紀にも及ぶ国の誤った政策が、差別と偏見をうみ、ハンセン病の皆様や家族の皆様に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えましたことに、今日厚生労働行政を司る者として、心から謝罪いたしたいと思います。

私は、若い頃ヨーロッパに留学し、第一次世界大戦から第二次世界大戦に至る歴史を研究しました。それは、20世紀の、しかもその当時最も民主的であったドイツのワイマール共和国が、ヒトラーを生み出したのはなぜかを解明したかったからです。ユダヤ人を強制収容所に閉じこめ、ガス室に送った悪魔のような行為を人間が行ったこと、しかも20世紀が、この「現代の独裁」を可能にしたことをしっかりと見すえて、二度とこのような悲劇が起こらないようにしなければならないという情熱が、学問研究の背景にありました。

アウシュビッツもそうですが、ダッハウの強制収容所を訪れたときに、正門に “ARBEIT MACHAT FREI (労働は自由にする)”というスローガンが掲げられていました。酷暑の夏の日に、ダッハウ強制収容所の庭にたたずんで、この欺瞞に満ちた標語を見ながら、モーツアルトやベートーベンを世に送った同じ民族が犯した罪の深さ、そして差別や偏見がもたらすおぞましい結末に、呆然として時の経つのも忘れてしまいました。

ハンセン病差別、そして隔離政策もまた、このナチスの反ユダヤ主義と、本質的には同じであります。療養所を強制収容所、作業をARBEIT(労働)と置き換えたらどうでしょうか。そこまで言うと、反論されるかもしれません。しかし、そこにいささかでも善意が入っているとしても、いやまさに善意が入っているからこそ、差別と偏見の対象になった方々には、なおいっそう酷な結果となったのではないでしょうか。

戦後の日本は、戦争からの復旧に全力を挙げ、今日の繁栄と平和を勝ち取りました。しかしながら、その陰に隠れて、このハンセン病差別のような問題が、十分な関心を呼ばず、放置されてきた状況は、全国民、とりわけ、政治、行政、法曹、論壇、メディアなど各界の指導者たちが、深く反省せねばならないことであります。戦後の日本社会では、物質的繁栄を謳歌するあまり、人間の尊厳に対する感受性が薄れてしまったのかもしれません。

本日は、家族とともに参りました。妻は、中学・高校時代に駿河療養所にお手伝いに行っていました。らい予防法が廃止され、国が損害賠償に応じるまでに、それから20年もの年月が経ってしまったことを、日本人として恥ずかしく、自分が何もできなかったことを申し訳ないと私にいつも言っています。 二人の子供たちにも、この差別の歴史を語って聞かせました。この子たちが担う明日の日本から、ハンセン病の皆様や家族の皆様が被ったような差別をなくさなければなりません。

鹿屋の星塚敬愛園を4年前に退所された堅山勲さんは、私より一日前に生まれましたが、堅山さんの人生を自分の人生の歩みと重ね合わせるとき、このような差別が戦後の日本で続いていたことに驚愕せざるをえません。そして、この事実は、1998年(平成10年)熊本地方裁判所におけるハンセン病違憲国賠訴訟の提訴まで、広範な国民に知られることもありませんでした。原告勝訴の判決が下されたのは、2001年(平成13年)5月11日のことです。わずか7年前のことなのです。

残念ながら、いまなお、ハンセン病に対する差別や偏見が根絶されておりません。これからも、人々の心から差別をなくしていくための努力を継続して参りたいと思います。先の国会で、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が制定されました。この法律の精神が広く国民に浸透するように全力をあげる義務が政府にはあるのです。

各地の入所者の方々も高齢化が進んでおり、施設の社会への開放など、様々な取り組みが必要になってきています。皆様が安心して健やかな生活を送れますように、私も全力をあげる覚悟であります。どうか、いつまでもお元気でいてくれますように。そして、今日は、皆様方とじかに懇談できますことを本当にうれしく思います。また、退所して社会復帰している方々が、安心して社会生活が送れますように努力いたします。

私の尊敬する僧侶に、忍性(1217〜 1303)という人がいます。ハンセン病患者への偏見に満ちあふれた鎌倉時代に、文殊信仰を背景に救済を行った「生身の菩薩」です。その師、叡尊は、忍性について「慈悲に過ぎた」とまで表現しましたが、民衆救済について悩む弟子に対して、この師が与えた言葉があります。「此の文殊師利法王子は、若(も)し人有って念じ、若しくは供養して福業(ふくごう)を修せんとすれば、即ち自ら化身して、貧窮孤独苦悩の衆生と作(な)って行者の前に至る。若し人有って文殊師利を念ずる者は、当(まさ)に慈心を行ずべし。慈心を行ずる者は、是(こ)れ文殊師利に見(まみ)ゆることを得ん」。忍性の伝記を書いた寺林竣(しゅん)氏は、この叡尊の言葉について、「癩者だけでなく、困窮、孤独、難病に苦しむ者は全て文殊菩薩が姿を変えて救済する者の前に現れておられる姿なのだ。だから難民に施しをする者は相手を救うことによって、その慈悲行が文殊菩薩への供養となって、自分も文殊によって救われていく」と記しています。21世紀が人間の尊厳を回復する輝かしい世紀となるように、厚生労働大臣として全力を挙げることをお誓い申し上げて、私の挨拶を終わります。


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