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(別添1)
2001年7月5日
厚生労働省医薬局審査管理課
化学物質安全対策室
シックハウス(室内空気汚染)問題に関する検討会事務局

室内空気汚染に係るガイドライン案について
―室内濃度に関する指針値―


1.テトラデカンについては、ラットにおける経口暴露に関する知見から、肝臓に影響を及ぼさないと考えられる無毒性量を基に、吸入暴露に置き換えて、室内濃度指針値を330μg/m3(0.041ppm)と設定した。

2.フタル酸ジ-2-エチルヘキシルについては、雄ラットの経口混餌反復投与毒性に関する知見から、精巣に病理組織学的影響を及ぼさないと考えられる無毒性量を基に、吸入暴露に置き換えて、室内濃度指針値を120μg/m3(7.6ppb)と設定した。

3.ダイアジノンについては、ラットの吸入暴露毒性に関する知見から、血漿及び赤血球コリンエステラーゼ活性に影響を及ぼすと考えられる最小毒性量を基に、室内濃度指針値を0.29μg/m3(0.02ppb)と設定した。

 また、ノナナールについては、ラットの経口暴露に関する知見から、毒性学的影響を発現しないと推定される暴露量(無毒性量)を基に、吸入暴露に置き換えて、室内濃度指針値(情報量が乏しいことから暫定値)を41μg/m3(7.0ppb)と設定した。今回、情報量が乏しいことから、新たな知見の募集も含めて意見募集を行ったところであるが、特段の知見は追加されなかったことから、暫定値のまま継続して検討することとした。

 なお、テトラデカンとノナナールについては、今回の検討に当たって、それぞれ個別の炭素数(テトラデカンは炭素数14、ノナナールは炭素数9)を念頭に知見を集積したものであることから、他の炭素数について、今後引き続き新たな知見の集積及び検討を行った上で、それぞれ脂肪族飽和直鎖炭化水素(炭素数8〜16)及び脂肪族飽和直鎖アルデヒド(炭素数8〜12)に対して指針値を設定できるかについて、引き続き検討することとした。


1.テトラデカンの室内濃度に関する指針値

 ごく最近までのテトラデカンに関する毒性研究報告について調査したところ、以下のような結論を得た。

(1) 遺伝子傷害性については、細菌(Salmonella typhimurium TA100, TA98, UTH8414及びUTH8413)を用いる復帰突然変異試験が2000μg/plateまで実施されており、代謝活性化の有無にかかわらず、結果は陰性であった1)
 遺伝子傷害性に関し、他に注目すべき知見を示唆する最近の研究報告は、特に見いだされていない。

(2) マウスに対してベンゾ[a]ピレンと共に皮下投与を行い、テトラデカンの発がん補助活性と発がんプロモーター活性について調査を行った。その結果、テトラデカンは発がん補助活性と発がんプロモーター活性の双方を示した(文献による)2)。しかし、テトラデカンが発がん物質であることを明確に示す情報は、これまでに得られていない。
 テトラデカンの発がん性に関しては、最近の研究報告においても、特に注目すべき知見は得られていない。

(3) これらのことから、ヒトに対してテトラデカンが発がん性を有するかどうかは明白でないが、遺伝子傷害性を示さないことから、テトラデカンの毒性発現に関しては非発がん性影響を指標として閾値があるものとし、これに基づき、テトラデカンの室内濃度に関する指針値を算出するのが適当と考えられる。

(4) 一般に飽和炭化水素系列においては、炭素数8〜18のものが皮膚に対する刺激性が強いことが知られており3)、炭素数14の飽和炭化水素であるテトラデカンも皮膚刺激性が強いことが知られている4)

(5) 炭素数12、13、14、16、18及び20の飽和炭化水素を対象に、マウスを用いた皮膚刺激性試験が実施されている。被験物質を50%ヘキサン溶液とし、4日間にわたって毎日午前8時と午後4時に、マウスの耳の表裏両面に対して暴露した(最初の暴露以後、8、24、32、48、56、72及び80時間後に暴露させたことになる)。被験物質の暴露による皮膚刺激性の指標を、マウスの耳に生じる腫脹の大きさで評価した結果、対象物質のうち炭素数14のテトラデカンで、暴露48時間以後、経時的に腫脹の大きさが増大し、最も顕著な皮膚刺激性を呈した5)

(6) また、テトラデカンの暴露により引き起こされる刺激作用に関連した皮膚透過性について、マウスの耳に対する合成副腎皮質ホルモン剤ヒドロコーチゾンの透過性を指標として調べたところ、腫脹発現の24時間前で透過性が亢進しており、発現する腫脹と透過性亢進度とは互いに相関関係があることが判明した5)

(7) テトラデカンをウサギ耳介内側皮膚に一日一回2週間継続塗布することによって、実験的に面皰(にきび)が形成されることが報告されている。その形成機序は十分に解明されているとは言い難いが、毛包上皮の増殖・角化亢進と脂腺細胞の著明な増殖が重要な因子となっており、これは、ヒトにおける面皰形成の機序とある程度類似したものであることが示唆されている3)

(8) 皮膚刺激性を有することが知られているジェット燃料JP−8は、テトラデカンを含む脂肪族炭化水素を主成分とする、混合物である(炭素数8〜9:9%、炭素数10〜14:65%、及び炭素数15〜17:7%。その他、芳香族炭化水素が約18%)6)。米国の産・学・官の専門家で構成されるTotal Petroleum Hydrocarbon Criteria Working Group(TPHCWG)は、JP−8の吸入暴露に関する参照値(Reference Concentration:RfC)及び経口暴露に関する参照値(Reference dose:RfD)について、JP−8に関して得られている毒性試験結果に基づき、それぞれ以下のように評価している7)

1) ラット及びマウスを用いた90日間の吸入暴露試験が実施された。対照群及び2投与群(500, 1000mg/m3群)を設け、90日間の連続暴露後に24ヶ月間の回復期間を設定して試験を行ったところ、ラット、マウスいずれに対しても、被験物質の暴露による毒性学的影響と考えられる所見は認められておらず、無毒性量(No Observed Adverse Effect Level:NOAEL)は1000mg/m3と推定されている。
 ここで、不確実係数(Uncertainty Factor:UF)については、種差として10、個体差として10、短期試験での毒性学的影響を長期暴露時の毒性学的影響として外挿するために10を考慮し、これらを乗じると1000になる。
 以上より、JP−8の吸入暴露に関するRfCは、NOAELをUFで除して、
   RfC=1000mg/m3/1000=1.0mg/m3=1000μg/m3 となる。

2) 雄ラットを用いた90日間の経口投与試験が実施された。対照群及び3投与群(750, 1500, 3000mg/kg群)を設定して試験を行ったところ、1500mg/kg群以上で体重減少が認められたことにより、NOAELは750mg/kg/dayと推定されている。
 ここで、UFについては、種差として10、個体差として10、短期試験での毒性学的影響を長期暴露時の毒性学的影響として外挿するために10を考慮し、これらを乗じると1000になる。
 以上より、JP−8の経口暴露に関するRfDは、NOAELをUFで除して、
   RfD=750mg/kg/day/1000=0.75mg/kg/dayとなる。

(9) 一方、TPHCWGは、他の数種の炭化水素混合物について、得られている毒性試験結果に基づき、吸入暴露に関するRfC又は経口暴露に関するRfDを評価している。その概要について、以下に示す7)

1) 炭素数11〜17の飽和炭化水素混合物(環状の脂肪族炭化水素を22%含有し、代表的な芳香族炭化水素の含有率が0.05%を下回るもの)について、ラットを用いた90日間の経口投与試験が実施された。対照群及び3投与群(100, 500, 1000mg/kg群)を設け、90日間の連続投与後に4週間の回復期間(1000mg/kg群のみ)を設定して試験を行ったところ、投与終了時点で500mg/kg群以上の雌雄で肝重量の増加が認められた(回復期間終了時点では消失)。よって、NOAELは100mg/kg/dayと推定されている。
 ここで、UFについては、種差として10、個体差として10、短期試験での毒性学的影響を長期暴露時の毒性学的影響として外挿するために10を考慮し、これらを乗じると1000になる。
 以上より、被験物質の経口暴露に関するRfDは、NOAELをUFで除して、
   RfD=100mg/kg/day/1000=0.1mg/kg/dayとなる。

2) 炭素数9〜12の脱芳香化された飽和炭化水素混合物(代表的な芳香族炭化水素の含有率:0.1%)について、Sprague-Dawleyラットを用いた90日間の経口投与試験が実施された。対照群及び3投与群(500, 2500, 5000mg/kg群)を設け、90日間の連続投与後に4週間の回復期間(5000mg/kg群のみ)を設定して試験を行ったところ、500mg/kg群以上の雄で血小板数の増加が認められた他、500mg/kg群以上の雌雄で肝臓(肝細胞肥大)及び腎臓の病理組織学的影響が認められた(回復期間終了時点では消失)。よって、最小毒性量(Lowest Observed Adverse Effect Level:LOAEL)は500mg/kg/dayと考えられている。なお、NOAELは特定されていない。
 ここで、UFについては、種差として10、個体差として10、短期試験での毒性学的影響を長期暴露時の毒性学的影響として外挿するために10を考慮する他、500mg/kg群で認められた所見が4週間以内に回復しており毒性学的な影響かどうかが疑わしいことに鑑み、NOAELの代わりにLOAELを用いたことによる5を考慮し、これらを乗じると5000になる。
 以上より、被験物質の経口暴露に関するRfDは、LOAELをUFで除して、
   RfD=500mg/kg/day/5000=0.1mg/kg/dayとなる。

3) 炭素数10〜13の脱芳香化された飽和炭化水素混合物(代表的な芳香族炭化水素の含有率:0.1%)について、Sprague-Dawleyラットを用いた13週間の経口投与試験が実施された。対照群及び3投与群(100, 500, 1000mg/kg群)を設け、13週間の連続投与後に4週間の回復期間(1000mg/kg群のみ)を設定して試験を行ったところ、500mg/kg群以上の雌雄で肝相対重量の増加及び小葉中心性肝細胞肥大が認められた(回復期間終了時点では消失)。よって、NOAELは100mg/kg/dayと推定されている。
 ここで、UFについては、種差として10、個体差として10、短期試験での毒性学的影響を長期暴露時の毒性学的影響として外挿するために10を考慮し、これらを乗じると1000になる。
 以上より、被験物質の経口暴露に関するRfDは、NOAELをUFで除して、
   RfD=100mg/kg/day/1000=0.1mg/kg/dayとなる。

(10) 上記(8)及び(9)の評価結果に基づき、TPHCWGは、炭素数8〜16の脂肪族炭化水素から構成される混合物について、吸入暴露に関するRfCを1.0mg/m3(1000μg/m3)、経口暴露に関するRfDを0.1mg/kg/dayと勧告している7)。ここで、経口暴露に関するRfDを吸入暴露に置き換えると、日本人の平均体重を50kg、一日当たりの呼吸量を15m3として8)
  0.1(mg/kg/day)×50(kg)/15(m3/day)=0.33mg/m3=330μg/m3
となる。

(11) 毒性に関し、他に注目すべき知見を示唆する最近の研究報告は、特に見いだされていない。

(12) 炭素数の異なる成分からなる混合物において算出される経口暴露に関するRfDが概ね等しいという、上記(9)の知見から、TPHCWGが勧告した参照値は、炭素数14のテトラデカンにも適用できるものと考えられる。よって、当該参照値が、ヒトに対するテトラデカンの毒性発現に関する閾値と考えることができる。

(13) 以上より、脂肪族炭化水素(炭素数8〜16)混合物における、ヒトに対する毒性発現に関する閾値として、上記(10)のTPHCWGが勧告した2種類の参照値のうち、330μg/m3を採用することが適当と考えられる。ここで、上記(12)のとおり、この数値がヒトに対するテトラデカンの毒性発現に関する閾値と考えられ、これに基づき、330μg/m3をテトラデカンの室内濃度指針値として設定することが妥当と考えられる。
 テトラデカンの分子量198.39を用いて、これをppmに換算すると、0.041ppmとなる。

(14) したがって、ラットが経口暴露された際の肝臓への影響に基づき、吸入暴露に置き換えて、テトラデカンの室内濃度に関する指針値は330μg/m3(0.041ppm)と設定することが適当と考えられる。

(15) なお、参考までに、炭素数11の飽和炭化水素であるウンデカンについて、ラットを用いた46日間の反復経口投与毒性・生殖発生毒性併合試験が、また、炭素数15及び16のペンタデカン及びヘキサデカンについて、ラットを用いた28日間の反復経口投与毒性試験が、それぞれ実施されている。
 ウンデカンの反復投与毒性に関する無影響量(No Observed Effect Level:NOEL)は雌雄ともに100mg/kg/day、生殖発生毒性に関するNOELは300mg/kg/dayと報告されている9)。一方、ペンタデカンの反復投与毒性に関するNOELは雌雄ともに1000mg/kg/day10)、ヘキサデカンの反復投与毒性に関するNOELは雌で40mg/kg/day、雄で200mg/kg/day11)と、それぞれ報告されている。

(16) なお、今回の検討に際して用いた知見は、テトラデカン(炭素数14)を念頭に集積したものであることから、他の炭素数(8〜13、15及び16)について、今後引き続き新たな知見の集積及び検討を行った上で、脂肪族飽和直鎖炭化水素(炭素数8〜16)に対して別途指針値を設定することについて検討する予定である。


参照文献

1) Connor T.H, Theiss J.C., Hanna H.A., Monteith D.K., Matney T.S. Genotoxicity of organic chemicals frequently found in the air of mobile homes. Toxicology Letters 1985; 25: 33-40.

2) Van Duuren B.L., Goldschmidt B.M. Cocarcinogenic and tumor-promoting agents in tobacco carcinogenesis. Journal of the National Cancer Institute 1976; 56 (6): 1237-1242.

3) 本好捷宏. テトラデカンによる実験的面皰形成機序に関する電子顕微鏡的研究. 日本皮膚科学会雑誌1985; 95 (4): 495-504.

4) Ito M., Motoyoshi K., Suzuki M., Sato Y. Sebaceous gland hyperplasia on rabbit pinna induced by tetradecane. The Journal of Investigative Dermatology 1985; 85 (3): 249-254.

5) Moloney S.J., Teal J.J. Alkane-induced edema formation and cutaneous barrier dysfunction. Archives of Dermatological Research 1988; 280: 375-379.

6) McDougal J.N., Pollard D.L., Weisman W., Garrett C.M., Miller T.E. Assessment of skin absorption and penetration of JP-8 jet fuel and its components. Toxicological Sciences 2000; 55: 247-255.

7) Total Petroleum Hydrocarbon Criteria Working Group. Development of fraction-specific reference doses (RfDs) and reference concentration (RfCs) for total petroleum hydrocarbons (TPH). Total Petroleum Hydrocarbon Criteria Working Group Series, Vol.4, 1997.

8) 厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室.「パラジクロロベンゼンに関する家庭用品専門家会議(毒性部門)報告書」.平成9年8月28日.

9) 化学物質点検推進連絡協議会(厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室 監修). ウンデカンのラットを用いる反復経口投与毒性・生殖発生毒性併合試験.「化学物質毒性試験報告」 1996; Vol. 4.

10) 化学物質点検推進委員会(厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室 監修). n−ペンタデカンのラットを用いる28日間の反復投与毒性試験.「化学物質毒性試験報告」 1994; Vol. 1.

11) 化学物質点検推進委員会(厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室 監修). n−ヘキサデカンのラットにおける28日間経口投与および14日間回復による反復投与毒性試験.「化学物質毒性試験報告」 1994; Vol. 1.


2.フタル酸ジ-2-エチルヘキシルの室内濃度に関する指針値

 ごく最近までのフタル酸ジ-2-エチルヘキシル(以下「DEHP」という。)に関する毒性研究報告について調査したところ、以下のような結論を得た。

(1) 動物実験の結果、急性毒性は低い。動物を用いた経口投与による主な症状として下痢が認められている1)

(2) ヒトにおいては、志願者による経口投与実験で10000mgで軽度の胃腸障害及び下痢が認められている2)

(3) 変異原性については、in vitroでの、マウスリンフォーマL5178Y細胞を用いた姉妹染色分体交換試験や、チャイニーズハムスターの肝細胞を用いた遺伝子突然変異試験で一部陽性の結果が得られているものの、細菌やほ乳類培養細胞などを用いた各種試験の結果、基本的には陰性の結果が得られている。また、in vivo試験においては、陰性の結果が報告されている3)

(4) DEHPについては、平成12年6月に食品衛生調査会毒性部会・器具容器包装部会合同部会において安全性評価が行われ、TDIを40〜140μg/kg/dayと設定している。この時の評価の概要については以下のとおりである4)

1)毒性影響における種差

 DEHPの安全性評価においては動物の種による感受性の差が問題となる。げっ歯類においては、共通して肝臓及び精巣への影響が認められるが,カニクイザル等の霊長類では影響は認められていない。

2)肝臓への影響

 DEHPのげっ歯類の肝臓への影響として、ラット及びマウスの2年間の反復投与における肝腫瘍の発生が挙げられる。
 最近のIARC(国際がん研究機関)専門家会合における検討において、

(i) DEHPはペルオキシゾーム増殖作用を介するメカニズムで肝腫瘍を発生させること

(ii) マウス及びラットの発がん性研究においてペルオキシゾーム及び肝細胞の増殖が観察されたこと

(iii) DEHPに暴露したヒト肝培養細胞及び霊長類の肝臓でペルオキシゾームの増殖が認められなかった

ことから、DEHPの発がん性の分類を従来のグループ2B(ヒトに対する発がん性があるかもしれない。)からグループ3(ヒトに対して発がん性があると分類できない。)に変更されている。

3)精巣及び生殖毒性

 DEHPに関するラット及びマウスの精巣毒性及び生殖毒性に関する多くの試験成績のうち明確な無毒性量(NOAEL)の得られている数少ない実績を見ると、まず、マウスによる生殖発生毒性試験(Lambら、1987)におけるNOAELは、生殖発生に関する明確な有害影響(胚致死、胎児の形質異常等)を指標として14mg/kg/dayである。
 次に比較的低用量のDEHPをラットに投与した時の影響を見た報告(Poonら、1997)におけるNOAELは、精巣の病理組織学的変化を指標として3.7mg/kg/dayである。
 ラットに低用量のDEHPを投与したもう一つの報告(Arcadiら、1998)については低用量でも精巣毒性が確認されているが、DEHPの投与量が不明で、毒性についても不明確であるなど報告に不備がある。

4)内分泌かく乱性

 フタル酸エステル類については、ホルモン様の作用及びそれに基づく生体障害の可能性が問われているが、フタル酸エステル類全般についてヒト乳がん細胞(MCF-7)を用いた試験報告ではDEHPは増殖活性が認められていない。また、酵母の系でも活性は認められていない。他方、MCF-7の増殖活性で見た別の報告によれば用量相関性の増加が認められており、その最低濃度は10μM(=3.9mg/kg)であった。
 その他のin vitro試験成績を含めて検討すると、DEHPにおける内分泌かく乱の可能性の如何については今後の研究を待たなければならないが、in vitro試験から求められる最小作用濃度(10μM)でも、従来の精巣毒性で求められているNOAEL値に較べて著しく低用量とはいえず、さしあたり一般毒性についてはこれまでの毒性試験の評価方法で判断することは差し支えない。

5)耐容一日摂取量(TDI)

 上記のような検討の結果として、DEHPのTDIについては、精巣毒性及び生殖毒性試験におけるNOAEL3.7mg/kg/day及び14mg/kg/dayから不確実係数100を適用して、当面のTDIを40〜140μg/kg/dayとすることが適当である。

6)DEHPに係る諸外国における安全性評価結果(参考)

(i) EUにおける評価

 TDI:37μg/kg/day('98)
 (NOAEL 3.7mg/kg/day、精巣毒性:Poonら、1997、SF=100)

(ii) 英国における評価

 TDI:50μg/kg/day('96)
 (NOAEL 5mg/kg/day、肝毒性:RIVM、1992、SF=100)

(iii) デンマークにおける評価

 TDI:5μg/kg/day('96)
 (NOAEL 5mg/kg/day、肝毒性:RIVM、1992、SF=1,000)

(iv) 米国における評価

 NOAEL:約10mg/kg/day('99)
 (精巣毒性:Poonら、1997、生殖毒性:Lambら、1987)
 NOAEL 4mg/kg/day、NOAEL 14mg/kg/day

(5) 今般、DEHPの室内濃度指針値を設定するにあたり、新たな文献情報をいくつか入手した。これら新規情報のうち、主要なものの概要について、以下に示す。

(6) 妊娠期の雌ラットにDEHPを経口投与すると、第一世代の雄において肛門−生殖器間距離の短縮、乳頭遺残、尿道下裂等の奇形発現が報告されている5)。また、雄胎児の精巣におけるテストステロン生合成が阻害され、精巣のテストステロン量が雌とほぼ同レベルにまで減少する結果が得られたことから、DEHPによる生殖発生毒性や奇形の誘発機序に関しては、アンドロゲン受容体を介しない抗アンドロゲン作用によるものであることが示唆されている6,7)

(7) F344ラットを用いた2年間の混餌投与試験が実施された。対照群及び4投与群(100, 500, 2500, 12500ppm群[それぞれ、雄で5.8, 28.9, 146.6, 789.0mg/kg/day群、雌で7.3, 36.1, 181.7, 938.5mg/kg/day群に相当])を設け、各群とも雌雄各50〜80匹に対して混餌投与を行った。対照群、2500及び12500ppm群の各群10匹を、投与開始後1年半が経過した時点で、病理組織学的検査のために屠殺した。
 12500ppm群にて体重増加抑制、摂餌量低下、アルブミン及び血中尿素窒素の上昇、グロブリンの低下が認められている。また、投与期間中に赤血球数、ヘモグロビン、ヘマトクリット値の低下が認められているが、投与終了時点では消失している。臓器重量については、2500ppm群以上で肝絶対・相対重量の増加、2500ppm群の雄と12500ppm群の雌雄で腎絶対・相対重量の増加、12500ppm群の雄で精巣の絶対・相対重量の減少、2500ppm群以上の雄で肺相対重量の増加、12500ppm群の雌雄で脳相対重量の増加が認められている。
 投与1年半後の病理組織学的検査では、12500ppm群の雌雄で肝クッパー細胞の色素沈着、細胞質好酸性減少、肝細胞肥大が、また12500ppm群の雄では、重篤な腎尿細管色素沈着、進行性慢性腎症、膵臓の増殖性病変(過形成及びアデノーマ)の増加、精巣の間細胞腫の減少、下垂体の去勢細胞の増加、精巣の無精子症の増加が認められている。
 一方、投与終了時点の病理組織学的検査では、12500ppm群の雌雄で肝クッパー細胞の色素沈着、肝海綿状変性が認められている。腎乳頭石灰化は雄で用量相関的に認められ、他の腎障害(進行性慢性腎症、腎尿細管色素沈着)についても、重篤度が用量相関的に増大している。12500ppm群の雄で膵腺房細胞腺腫、精巣の間細胞腫の減少、下垂体の去勢細胞の増加も認められている。
 両側性の無精子症は12500ppm群の雄の他に、500ppm群と2500ppm群でも高頻度で認められた。しかし、投与期間中の組織検査で2500ppm群での無精子症が認められなかったため、500ppm群及び2500ppm群での無精子症は加齢に起因することが示唆される、と報告されている。
 以上により、NOAELは500ppm(28.9〜36.1mg/kg/dayに相当)と報告されている8)

(8) NTP(National Toxicology Program)−CERHR(Center for Evaluation of Risks to Human Reproduction)のExpert Panelによる、当該化学物質の報告書が公表されている。当該報告書においては、精巣毒性及び生殖発生毒性に関する評価に基づき、当該化学物質のNOAELは3.7〜14mg/kg/dayであろう、と評価している5)

(9) 以上により、ヒトに対するDEHPの毒性影響の評価に際して、上記(4)における食品衛生調査会毒性部会・器具容器包装部会合同部会での安全性評価の結果を見直す必要に足る新規情報は得られていないものと考えられる。したがって、DEHPの室内濃度指針値を設定するに当たっては、当該安全性評価の結果を基本とすることが適当と考えられる。

(10) ただし、設定されるDEHPの室内濃度指針値は、日常生活における多くの時間をその中で過ごすことになる居住環境の質的向上、すなわち快適で健康的な、汚染のない室内空間の確保に資するものであることに鑑み、ALARA(as low as reasonably achievable:合理的に達成可能な限り低く)の原則を適用することが重要と考えられる。
 したがって、この観点から、DEHPの室内濃度指針値を設定するに当たっては、上記(4)の安全性評価の結果を基本としつつも、より低い値、すなわち3.7mg/kg/dayをDEHPのNOAELと考え、これにUF=100を適用して、TDI=0.037mg/kg/dayとすることが適当であると考えられる。

(11) 日本人の平均体重を50kg、一日当たりの呼吸量を15m3とすると9)
  0.037(mg/kg/day)×50(kg)/15(m3/day)=0.12mg/m3=120μg/m3
となる。
 これをppbに換算すると、7.6ppbとなる。

(12) 以上により、ラットにおける精巣の病理組織学的変化に関する評価に基づき、フタル酸ジ-2-エチルヘキシル(DEHP)の室内濃度に関する指針値は120μg/m3(7.6ppb)と設定することが適当と考えられる。


参照文献

1) Hodge H.C. Acute toxicity for rats and mice of di(2-ethylhexyl)phthalate with a note upon the mechanism. Proc. Soc. Exp. Biol. Med. 1943; 53: 20-23.

2) Shaffer C.B., Carpenter C.P., Smyth H.F.Jr. Acute and subacute toxicity of di(2-ethylhexyl) phthalate with note upon its metabolism. J. Ind. Hyg. Toxicol. 1945; 27: 130-135.

3) IPCS (International Programme on Chemical Safety). Diethylhexyl Phthalate. Environmental Health Criteria 1992; 131.

4) 食品衛生調査会毒性部会・器具容器包装部会合同部会. 資料6「フタル酸ジエチルヘキシル(DEHP)の安全性評価結果について」.平成12年6月14日.

5) CERHR. NTP-CERHR Expert Panel Report on Di(2-Ethylhexyl) phthalate. Center for Evaluation of Risks to Human Reproduction, USA. 2000.

6) Parks L. E., Ostiby J.S., Lambright C.R., Abbott B.D., Klinefelter G.R., Barlow N.J., Gray L.E.Jr. The plasticizer diethylhexyl phthalate induces malformations by decreasing fetal testosterone synthesis during sexual differentiation in the male rat. Toxicological Sciences 2000; 58: 339-349.

7) Gray L.E.Jr., Ostiby J.S., Furr J., Price M., Rao Veeramachaneni D.N., Parks L. Perinatal exposure to the phthalates DEHP, BBP, and DINP, but not DEP, DMP, or DOTP, alters sexual differentiation of the male rat. Toxicological Sciences 2000; 58: 350-365.

8) David R.M., Moore M.R., Finney D.C., Guest D. Chronic toxicity of di(2-ethylhexyl)phthalate in rats. Toxicological Sciences 2000; 55: 433-443.

9) 厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室.「パラジクロロベンゼンに関する家庭用品専門家会議(毒性部門)報告書」.平成9年8月28日.


3.ダイアジノンの室内濃度に関する指針値

 ごく最近までのダイアジノンに関する毒性研究報告について調査したところ、以下のような結論を得た。

(1) 遺伝子傷害性については、マウスリンフォーマL5178Y細胞を用いた実験や、ヒトリンパ球を用いた姉妹染色分体交換試験などで一部疑わしい結果が得られているが、細菌やほ乳類培養細胞などを用いた各種の試験で陰性の結果が得られており、ダイアジノンは遺伝毒性を示さないと結論づけられている1)
 遺伝子傷害性に関し、他に注目すべき知見を示唆する最近の研究報告は、特に見いだされていない。

(2) 発がん性試験の結果より、ダイアジノンはマウス及びラットに対して発がん性を示さないと結論づけられている1)
 発がん性に関し、他に注目すべき知見を示唆する最近の研究報告は、特に見いだされていない。

(3) これらのことから、ヒトに対してダイアジノンが発がん性であるかどうかは必ずしも明白でないが、遺伝子傷害性を示さず、動物実験では発がん性を示さないと結論づけられていることから、ダイアジノンの室内濃度に関する指針値については非発がん性影響を指標とし、TDIを求める方法で算出するのが適当と考えられる。

(4) ダイアジノンの急性毒性は低い。比較的大量を動物に経口投与することによって、自発運動低下、鎮静作用、呼吸困難、運動失調、振戦、筋痙攣、全身痙攣、流涙、流涎、下痢など、副交感神経系の興奮作用に基づく、典型的な有機リン中毒症状が発現する。なお、生存例では、これらの症状は可逆的なものである。全身毒性が発現しない低用量において、血清コリンエステラーゼ活性が低下し、赤血球コリンエステラーゼ活性も阻害される。他に、小脳、大脳皮質、線条体、海馬及び胸部脊髄におけるコリンエステラーゼ活性も低下する。コリンエステラーゼ阻害作用は、神経組織に対するよりも、血液に対して強く働く可能性が示唆されている1)

(5) 短期又は長期の反復投与毒性試験が各種行われているが、毒性影響として認められるのは、ほとんどの場合、コリンエステラーゼ活性の阻害作用である1)

(6) ダイアジノンの刺激性については、ウサギを用いた実験から「皮膚へのわずかな刺激性」が認められたものの、眼刺激性は認められていない。また、モルモットを用いた実験の結果、皮膚感作性は認められていない1)

(7) 神経への影響を調べるため、雌ニワトリを用いた神経毒性学的試験が行われているが、運動失調など神経毒性を示唆する徴候や、中枢神経及び末梢神経の病変、遅発性神経炎などは認められていない1)
 また、ラットに強制単回経口投与後、機能観察バッテリ(Functional Observation Battery:FOB)を実施したところ、ダイアジノン投与に関連づけられる影響は観察されず、神経病理学的な影響も認められていない1)

(8) 一般毒性に関し、他に注目すべき知見を示唆する最近の研究報告は、特に見いだされていない。

(9) 生殖発生毒性については、ラットを用いた二世代試験(0,10, 100, 500mg/kgを混餌投与)が行われており、100mg/kg投与群において、第一世代の雄で交配前の摂餌量減少、雌雄で体重増加抑制が、また、第一世代の児動物で生存数減少と体重減少が認められた。よって、児動物と親動物のNOAELは10mg/kgである1)
 また、マウス、ラット、ハムスター、ウサギ及びニワトリを用いた催奇形性試験が行われているが、いずれも明確な催奇形性は認められていない1)

(10) 生殖発生毒性に関し、他に注目すべき知見を示唆する最近の研究報告は、特に見いだされていない。

(11) ヒトへの影響としては、急性毒性に関する徴候・症状として、コリンエステラーゼ阻害による諸症状が典型的であり、アトロピンや2-PAMによる治療が奏効する。遅発性の多発性神経疾患は観察されていない1)
 また、いわゆる「中間症候群」と称される毒性影響が認められることがある。これは有機リン系農薬によって引き起こされるもので、コリン作働性の症状より遅れるが多発性神経疾患よりも早く(暴露後24〜96時間で)発現する。上肢筋、首の屈筋、頭蓋運動神経及び呼吸筋が麻痺するという特徴的な症状を呈するもので、薬物治療に抵抗し、人工呼吸を必要とする場合もある1)

(12) なお、FAO/WHOが定めた許容一日摂取量(ADI)は、0.002mg/kgとされている1)

(13) 2000年12月に、米国環境保護庁(US-EPA)から、直近のデータを加味したダイアジノンのリスク再評価の結果が明らかにされているが、その中では、次に示す特筆すべき新たな知見が報告されている2)

(14) 短期反復投与毒性として、SD系ラットを用いた21日間の吸入暴露毒性試験(0, 0.1, 1, 10, 100μg/L、一日6時間、週7日)が行われたところ、全身毒性は認められなかったものの、血漿コリンエステラーゼ活性の阻害が雌雄の全暴露群で、また、赤血球コリンエステラーゼ活性の阻害が雄の全暴露群で、それぞれ認められた。よって、LOAELは0.1μg/Lとなり、これは、0.026mg/kg/dayの暴露量に相当する。NOAELは特定されていない2)

(15) UFについては、種差として10、個体差として10を、それぞれ採用する。また、NOAELの代わりにLOAELを用いたことを考慮したUFとしては、上記(14)に示すとおり、全身毒性でなく血漿及び赤血球コリンエステラーゼ活性阻害のみに基づきLOAELが求められていることを踏まえ、この場合は3を採用する。以上を乗じると300になる2)

(16) 1996年のFQPA(Food Quality Protection Act)では、US-EPAに対し、新生児及び小児への特別な保護の観点から、リスク評価に際して安全係数10を追加的に乗ずることを求めている。
 しかし、ダイアジノンに対しては以下に示す理由、すなわち、

1) ガイドラインで要求される、評価すべき毒性データが揃っていること

2) ラット及びウサギの子宮内暴露による出生前発生毒性試験で、母動物と比べ低用量での胎児の発生影響が認められていないばかりか、母動物での毒性発現用量以下での重篤な影響の増大が認められていないこと

3) ラットにおける出生前後の二世代繁殖試験において、親動物と比較して児動物での感受性の増大が認められないこと

4) 出生前後で胎児の神経系の発達に係る異常が認められないこと

5) 評価が可能な神経毒性試験を評価したところ、神経毒性学的影響の懸念がなく、他の毒性試験の評価より、中枢神経系への病理組織学的な影響に係る懸念もないこと

6) 食物摂取及び非食物摂取による暴露について過小評価することのない適切なデータ(実データ、代用データ及びモデル情報)が使用されていることに基づき、FQPA安全係数委員会は、ダイアジノンのリスク再評価に関しては、追加的に乗ずべき安全係数を10から1に減らすことが可能である、としている2)

(17) したがって、ダイアジノンのリスク再評価に際し、UFは最終的に上記(15)のとおり、UF=300となる2)

(18) LOAELをUFで除すことによって、TDIを求めると、
  TDI=0.026(mg/kg/day)/300=0.0000867mg/kg/day となる。

(19) 日本人の平均体重を50kg、一日当たりの呼吸量を15m3とすると3)
  0.0000867(mg/kg/day)×50(kg)/15(m3/day)=0.00029mg/m3
                               =0.29μg/m3
となる。
 これをppbに換算すると、0.02ppbとなる。

(20) 以上により、ラットにおける血漿及び赤血球コリンエステラーゼ活性阻害に関する評価に基づき、ダイアジノンの室内濃度に関する指針値は0.29μg/m3(0.02ppb)と設定することが適当と考えられる。


参照文献

1) IPCS (International Programme on Chemical Safety). Diazinon. Environmental Health Criteria 1998; 198.

2) United States Environmental Protection Agency. DIAZINON. Revised HED Human Health Risk Assessment for the Reregistration Eligible Decision (RED) December 5, 2000.

3) 厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室.「パラジクロロベンゼンに関する家庭用品専門家会議(毒性部門)報告書」.平成9年8月28日


(参考)ノナナールの室内濃度に関する暫定値について

 ごく最近までのノナナールに関する毒性研究報告について調査したが、情報量が乏しいことから、今般、新たな知見の募集も含めて意見募集を行ったところである。しかしながら特段の知見は追加されず、今回の検討に際して用いた知見については情報量が乏しいものであるが、これまでに得られた知見のうち、ラットの経口暴露に関する知見から、毒性学的影響を発現しないと推定される暴露量(無毒性量)を基に、吸入暴露に置き換えて、室内濃度指針値(情報量が乏しいことから暫定値)を41μg/m3(7.0ppb)と設定し、暫定値のまま継続して検討することとした。
 なお、これまでに得られた知見は以下に記載したとおりである。

(1) 遺伝子傷害性については、細菌(Salmonella typhimurium TA100, TA98, UTH8414及びUTH8413)を用いる復帰突然変異試験が2000μg/plateまで実施されており、代謝活性化の有無にかかわらず、結果は陰性であった1)。また、TA102及びTA104を用いる復帰突然変異試験が1000μg/plateまで実施されており、結果は陰性であった2)
 培養細胞であるチャイニーズ・ハムスターV79細胞において、変異原性が認められている3)。また、F344ラット肝細胞において、用量相関性のない姉妹染色分体交換頻度の上昇が認められたものの、染色体異常及び小核ともに認められていない4)。ラット及びヒトの肝細胞を用いた不定期DNA合成(UDS)においても、陰性であった5)
 遺伝子傷害性に関し、他に注目すべき知見を示唆する最近の研究報告は、特に見いだされていない。

(2) ノナナールが発がん物質であることを示す情報はこれまでに得られていない。
 また、ノナナールの発がん性に関して、最近の研究報告においても、特に注目すべき知見は得られていない。

(3) これらのことから、ヒトに対してノナナールが発がん性であるかどうかは明白でないが、遺伝子傷害性を示さないことから、ノナナールの毒性発現に関しては非発がん性影響を指標として閾値があるものとして、これに基づき、ノナナールの室内濃度に関する指針値を算出するのが適当と考えられる。

(4) ノナナールは、何らかの理由で生体がオゾンに暴露された場合に、不飽和脂肪酸の一つであるオレイン酸の分解産物として生体内で生成されることが、実験的にオゾンを吸入させたラットの気管支・肺胞洗浄液からノナナールが検出されることによって確認されている。そのためノナナールは、生体がオゾン暴露を受けたかどうかを確認するための生体マーカーとなり得る。ラットを用いた実験の結果、ノナナールの生成はオゾン暴露1時間後に2.5ppmまで増大し、以後は減少することが判明している6)

(5) 上記(4)と同様の変化は、ヒトにおいても実験的に確認されている。18〜40歳の健常者を対象とし、喫煙の有無と時間肺活量1秒率の程度に基づく群分けを行った後に、これら各群に対し、0.22ppmのオゾンを、30分ごとに20分の運動をさせつつ、4時間にわたって吸入暴露を行った。オゾン暴露終了後の気管支・肺胞洗浄については、およそ30分後に実施する場合と、18時間後に実施する場合との2条件を設定し、これらに空気暴露(気管支・肺胞洗浄の実施時期は問わない)を加えた3条件下での暴露を、最低でも3週間の間隔を空けて、各群に対して実施した。各暴露後に採取された気管支・肺胞洗浄液については、含有されるアルデヒド(ノナナール及びヘキサナール)濃度の測定の他に、総タンパク、アルブミン及び免疫グロブリンM(IgM)の各濃度が測定された。
 その結果、オゾン暴露を受けた全群において、気道炎症の所見が認められるとともに、気管支・肺胞洗浄液における多核白血球及びリンパ球の増加がみられた。洗浄液中のこれらの細胞数は、オゾン暴露30分後の洗浄よりも、18時間後の洗浄で多く認められた。総タンパク、アルブミン及び免疫グロブリンM(IgM)については、18時間後の洗浄液中の濃度が最高値を示し、特にアルブミン濃度の上昇が最大であり、IgM濃度の上昇は最も小さかった。また、総タンパク濃度の上昇については、各群間での差は認められなかったものの、オゾン暴露による効果として極めて顕著に現れた。
 一方、アルデヒド濃度については全群で上昇が観察され、特にノナナールについては各群ともに、オゾン暴露後早期での濃度上昇が認められた。なお、暴露18時間後には、ノナナール濃度は暴露前の状態に回復した。
 当該実験の考察において報告者は、非喫煙者の場合、肺胞上皮粘液(epithelial lining fluid)中のノナナール濃度は、オゾン暴露前で概ね6.7μMであり、0.22ppmのオゾンを4時間吸入暴露後、生成するノナナール濃度は2倍に上昇するものと推定している7, 8)

(6) 生体がノナナールに暴露された場合、ノナナールの濃度0.25〜2μMで、血小板におけるシクロオキシゲナーゼ代謝物トロンボキサンB2及び12−ヒドロキシ−5,8,10−ヘプタデカトリエン酸、並びに12−リポオキシゲナーゼ代謝物12−ヒドロキシ−5,8,10,14−エイコサテトラエン酸の生成が、用量相関的に阻害されることが、ウサギの血液を用いたin vitro実験の結果として示されており、50%阻害濃度は約0.25μMと算出される。ノナナールはまた、アラキドン酸代謝物の生成も強力に阻害する。これらの事実から、ノナナールはシクロオキシゲナーゼ活性及び12−リポオキシゲナーゼ活性に影響を及ぼすことにより、血小板におけるアラキドン酸代謝物の生成に、変調を起こし得ることが示唆されている9)

(7) ノナナールの存在下で赤血球をインキュベートすると、溶血が観察され、過酸化水素の共存で促進されることが、実験結果として報告されている10)

(8) ラットへの経口投与及びウサギへの経皮暴露では、ノナナールの急性毒性は低いことが報告されている11)

(9) ウサギの皮膚に対して強い刺激性を有している。また、ヒトの女性でも、1例のアレルギー性接触皮膚炎の報告がある11)

(10) 飽和アルデヒドにおいて観察される「感覚器への刺激性」から、ノナナールのヒトに対するLCI(Lowest Concentration of Interest)値が3.1mg/m3と、報告されている12)

(11) ノナナール(炭素数9)を含む炭素数8〜12のアルデヒド混合物について、ラットを用いた12週間の経口投与試験を実施した結果、NOAELは12.4mg/kg/dayと推定されている13)

(12) 毒性に関しては、最近の研究報告においても、上記の他、特に注目すべき知見は 得られていない。

(13) なお、FAO(国連食糧農業機関)/WHO(世界保健機関)が定めた許容一日摂取量(ADI)は、0.1mg/kgとされている14)

(14) また、臭気に関する閾値として、0.014mg/m3が報告されている12)

(15) 以上の知見より、ヒトに対するノナナールの毒性影響を考慮するに当たっては、ノナナールについての情報量としては不十分であるものの、関連情報の総合的判断により科学的に妥当な評価を行い得るものとして、上記(11)に示される、炭素数8〜12のアルデヒド混合物(ノナナールを含有)についてのラットを用いた実験データを採用し、当該データの評価に基づき、ヒトへの毒性影響を外挿することが重要と考えられる。当該データにおいて、ラットにおけるNOAELは12.4mg/kg/dayと推定されている。

(16) UFについては、種差として10、個体差として10、短期試験での毒性学的影響を長期暴露時の毒性学的影響として外挿するために10を考慮し、これらを乗じると1000になる15)

(17) NOAELをUFで除すことによって、12.4(12.4mg/kg/day)/1000=0.0124mg/kg/day となる。

(18) 経口暴露データから算出された当該数値を吸入暴露に置き換えると、日本人の平均体重を50kg、一日当たりの呼吸量を15m3として16)
  0.0124(mg/kg/day)×50(kg)/15(m3/day)=0.041mg/m3=41μg/m3となる。
 ここで得られた数値41μg/m3は、上記(11)のラットを用いた経口投与試験での被験物質である、ノナナールを含む炭素数8〜12のアルデヒド混合物に関する、ヒトに対する毒性発現のための閾値と考えられるものである。

(19) ところで、当該混合物の構成成分がノナナール単一であると仮定した場合、炭素数9のノナナールの分子量は、炭素数8〜12のアルデヒド混合物の平均分子量よりも小さいと推定されるため、ノナナール単一成分41μg/m3中に占めるノナナールの分子数は、アルデヒド混合物41μg/m3中に占めるノナナールの分子数よりも、厳密には若干多くなることが予想される。よって、ノナナール単一成分の毒性発現のための閾値は、アルデヒド混合物の閾値41μg/m3よりも、厳密には若干低くなることが想定される。

(20) ただし、当該混合物が炭素数8〜12のアルデヒドという比較的狭い分子量分布を有する成分から構成されていることにかんがみ、ノナナール単一成分の毒性発現に関する閾値は、アルデヒド混合物の閾値41μg/m3に比して僅かに低下する程度であり、ほぼ41μg/m3で近似できるものと考えられる。よって、上記(18)に示されるアルデヒド混合物の毒性発現に関する閾値を、ヒトに対するノナナールの毒性発現に関する閾値とみなし、41μg/m3をノナナールの室内濃度指針値として設定することは妥当と考えられる。
 ノナナールの分子量142.24を用いて、これをppbに換算すると、7.0ppbとなる。

(21) したがって、ラットが経口暴露された場合に毒性学的影響を発現しないであろうと推定される暴露量に基づき、これを吸入暴露に置き換えて、ノナナールの室内濃度に関する指針値(情報量が乏しいことから暫定値)は41μg/m3(7.0ppb)と設定することが妥当と考えられる。

(22) なお、今回の検討に際して用いた知見は、ノナナール(炭素数9)を念頭に集積したものであることから、他の炭素数(8及び10〜12)について、今後引き続き新たな知見の集積及び検討を行った上で、脂肪族飽和直鎖アルデヒド(炭素数8〜12)に対して別途指針値を設定することについて検討する予定である。


参照文献

1) Connor T.H., Theiss J.C., Hanna H.A., Monteith D.K., Matney T.S. Genotoxicity of organic chemicals frequently found in the air of mobile homes. Toxicology Letters 1985; 25: 33-40.

2) Marnett L.J., Hurd H.K., Hollstein M.C., Levin D.E., Esterbauer H., Ames B.N. Naturally occurring carbonyl compounds are mutagens in Salmonella tester strain TA104. Mutation Research 1985; 148: 25-34.

3) Brambilla G., Cajelli E., Canonero R., Martelli A., Marinari U.M. Mutagenicity in V79 Chinese hamster cells of n-alkanals produced by lipid peroxidation. Mutagenesis 1989; 4 (4): 277-279.

4) Eckl P.M., Ortner A., Esterbauer H. Genotoxic properties of 4-hydroxyalkenals and analogous aldehydes. Mutation Research 1993; 290: 183-192.

5) Martelli A., Canonero R., Cavanna M., Ceradelli M., Marinari U.M. Cytotoxic and genotoxic effects of five n-alkanals in primary cultures of rat and human hepatocytes. Mutation Research 1994; 323: 121-126.

6) Pryor W.A., Bermudez E., Cueto R., Squadrito G.L. Detection of aldehydes in bronchoalveolar lavage of rats exposed to ozone. Fundamental and Applied Toxicology 1996; 34: 148-156.

7) Frampton M.W., Pryor W.A., Cueto R., Cox C., Morrow P.E., Utell M.J. Ozone exposure increases aldehydes in epithelial lining fluid in human lung. American Journal of Respiratory and Critical Care Medicine 1999;159: 1134-1137.

8) Frampton M.W., Pryor W.A., Cueto R., Cox C., Morrow P.E., Utell M.J. Aldehydes (nonanal and hexanal) in rat and human bronchoalveolar lavage fluid after ozone exposure. Health Effects Institute.1999; 90: 1-20.

9) Sakuma S., Fujimoto Y., Tagano S., Tsunomori M., Nishida H., Fujita T. Effects of nonanal, trans-2-nonenal and 4-hydroxy-2,3-trans-nonenal on cyclooxygenase and 12-lipoxygenase metabolism of arachidonic acid in rabbit platelets. Journal of Pharmacy and Pharmacology 1997; 49: 150-153.

10) Pryor W.A., Miki M., Das B., Church D.F. The mixture of aldehydes and hydrogen peroxide produced in the ozonation of dioleoyl phosphatidylcholine causes hemolysis of human red blood cells. Chem. Biol. Interact. 1991; 79(1): 41-52.

11) BIBRA working group. Nonanal. BIBRA Toxicity International 1994.

12) Larsen A., Frost L., Hansen M. K., Jensen L. K., Knudsen B. B., Moelhave L. Emission of volatile organic compounds from wood and wood-based materials. 1998. Internet URL; http://www.mst.dk/udgiv/publications/1999/87-7909-501-1/html/default_eng.htm

13) United States Environmental Protection Agency. Notice of Filing Pesticide Petitions to Establish Tolerances for Certain Pesticide Chemicals in or on Food. Federal Register. December 20, 2000; Vol. 65, No. 245: 79834-79839.

14) Safe Drinking Water Committee. Drinking Water and Health. National Academy Press, Washington D. C. 1980; Volume 3: 225-226. Internet URL; http://www.nap.edu/books/ 0309029325/html/225.html

15) IPCS. Assessing Human Health Risks of Chemicals: Derivation of Guidance Values for Health-based Exposure Limits. Environmental health criteria 1994; 170.

16) 厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室.「パラジクロロベンゼンに関する家庭用品専門家会議(毒性部門)報告書」.平成9年8月28日.


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