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21世紀の労働衛生研究戦略協議会報告書


1.はじめに

  わが国では、長年の労働衛生研究により、働く環境の改善や職業病の予防等に大
 きな成果が挙げられてきた。しかし、我々の眼前には、技術の進歩、産業構造の変
 化、就業形態の多様化、少子高齢社会化、女性労働者の職域拡大等に男女雇用機会
 均等化に伴って生じた新たな研究課題や、有害化学物質対策、中小企業・自営業の
 労働衛生管理等引き続き取り組むべき研究課題が山積している。また、健康と生産
 性とが両立する企業風土・労働文化の創造、生涯健康管理体制の確立等との関連で
 労働衛生の新しいあり方が問われている。  
  このように我々が今後取り組むべき労働衛生研究の課題は多岐にわたり、かつ社
 会的要因の関係する問題、複合影響等、解決が容易でない課題が多く含まれている。
 こうした課題について、十分な研究成果を得るには、広範な研究者の力の結集と研
 究資源の有効活用により、優先度の高い研究課題から確実に解決することが不可欠
 と考えられる。すなわち、従来の我が国の労働衛生研究の枠を超える、戦略に基づ
 く研究の展開が求められているといえるであろう。  
  こうした現状認識のもとに、「21世紀の労働衛生研究戦略協議会」は開催設置さ
 れた。本協議会は、まず、日本の産業現場における労働衛生上の課題を網羅的に洗
 い出した。次に、それらの労働衛生上の課題から研究すべき課題を抽出・分類し、
 その研究課題の優先度を、労働衛生ニーズへの適合性、重要性緊急性、研究成果の
 有用性に留意しつつ、短期的視点と長期的視点の二つの視点から評価した。また、
 協議会委員構成メンバー以外の広範な有識者、研究者等の意見をも反映させ、その
 上で、労働衛生研究の重点領域とそこでの優先課題、研究を効果的に展開するため
 の方策を「21世紀の労働衛生研究戦略」としてまとめた。  
  本協議会としては、我が国の21世紀における労働衛生研究が、この戦略に基づい
 て、国民の理解と支持を得ながら、幅広い研究機関や研究者の参加のもとに、展開
 されることを期待したい。



2. 21世紀の労働衛生研究戦略

  21世紀の日本では、すべての勤労者が、身体的・精神的・社会的に良好な状態を
 維持・増進でき、安全で健康的な職場環境において、その労働能力を最大限に発揮
 し、生き甲斐と満足感を持って働ける社会の実現が求められる。そのためには、そ
 れを目指した事業場あるいは行政のこれまで以上の取り組みが必要であるが、その
 基礎となる労働衛生研究が、産業現場における労働衛生上の課題とその動向の的確
 な把握の上で、効果的に展開されることが必須である。  
  「21世紀の労働衛生研究戦略」は、このような観点に基づき、21世紀の初頭10年
 間に重点的に実施しなければならない研究課題の内容と、研究展開のための方策を
 示すことにより、労働衛生研究の効果的な推進を図るものである。  


 1) 重点領域とそこに含まれる優先課題

   優先度の高い研究領域としては、次の3つの重点領域がある。第一は、労働負
  荷と健康影響の把握という観点から「産業社会の変化により生ずる労働生活と健
  康上の課題に関する研究領域」、第二は、有害性機序の解明という観点から「職
  場有害要因の生体影響に関する研究領域」、第三は、管理方策という観点から
  「リスク評価と労働安全衛生マネジメントシステムに関する研究領域」である。
  これら3領域の概要ならびにそこに含まれる優先して研究を進めるべき18課題は、
  以下のとおりである。


  重点領域I 産業社会の変化により生ずる労働生活と健康上の課題に関する研究
        領域  

   わが国における産業社会の変化、例えば、第三次産業の伸長、就業形態の多様
  化、情報技術革新、労働力の高齢化、女性労働者の職域拡大男女雇用機会均等化
  等の急速な進展は、メンタルヘルス、産業ストレス、高齢労働者や女性労働者の
  健康確保等の労働生活ならびに健康上の課題と深く関わり、重要な問題である。
  このような状況に対応して、労働負荷と健康影響を把握することに関連する研究
  課題を包括するのが本領域である。ここには、下記の優先課題が含まれる。  

   1.多様化する労働形態と健康  

   2.情報技術(IT)と労働衛生  

   3.メンタルヘルスと産業ストレス  

   4.作業関連疾患の予防  

   5.高年齢労働者の健康  

   6.就労女性の健康  


  重点領域II 職場有害因子の生体影響に関する研究領域

   労働者の健康を脅かす職場の有害因子には、化学的因子、物理的因子、生物的
  因子等がある。これらの有害因子の生体影響の範囲、作用機序、複合影響、生体
  側の感受性等を解明することが重要である。また、作業態様における生体負荷因
  子、すなわち人間工学的因子とそれに対する生体側の負担との関係の究明は、作
  業方法が変化し作業密度が高まる趨勢のなかで、ますます重要化している。本領
  域には、労働者の健康確保対策を立てる上で必要な有害性機序に関する基礎的研
  究が包括される。ここには、下記の優先課題が含まれる。  

   1.化学物質の有害性評価  

   2.遺伝子影響とがん  

   3.複合ばく露  

   4.健康影響の個人差  

   5.人間工学的因子と生体負担  


  重点領域III  リスク評価と労働安全衛生マネジメントシステムに関する研究
         領域

   産業技術、労働形態等の変化が加速する中で、法規に準拠した労働衛生活動と
  並んで産業現場での自主的活動を効果的に展開することが必要となってきている。
  その結果、職場における複合リスクの評価や、労働安全衛生マネジメントシステ
  ム等、労働衛生管理手法に関する研究が重要化している。本領域には、国際的調
  和と協力も含め、労働衛生管理方策に関する研究が包括される。ここには、下記
  の優先課題が含まれる。  

   1.健康影響指標の開発とリスク評価  

   2.リスクコミュニケーションの効果的な進め方  

   3.職場環境の計測システムと管理技術の開発  

   4.企業経営と労働安全衛生マネジメントシステム  

   5.中小企業・自営業における労働衛生の推進策  

   6.労働生活の質の向上とヘルスプロモーション  

   7.労働衛生国際基準・調和と国際協力  

   これら重点3領域の間の相互関係と役割を図に示す。各領域は、それぞれが独
  立しているものではない。わが国の労働衛生研究を担う研究者、研究機関、行政
  機関等が、本報告書に示した重点領域とそれぞれに包含される研究課題の相互関
  連性に留意し、山積する労働衛生上の課題の解決に向けて、効率的で質の高い研
  究を推進していく必要がある。このためには、後述する機関・研究者間の連携、
  最新の研究情報の集約・提供システムの構築などが不可欠である。  

   なお、本戦略において優先課題としなかった課題については、それらが、将来
  重要化・緊急化する可能性に常に留意すべきと考える。 
 
  
  図 労働衛生上の課題解決における重点3領域の相互関係と役割


 2) 研究展開のための方策


   重点3領域、優先18課題に関する研究を効果的に展開するためには、第一に、
  これらに係る研究が、国民生活の充実のために不可欠であるとの国民的理解を深
  めることが必要である。第二に、人材、研究費、研究施設等を強化・充実させる
  とともにそれらを最大限有効に活用することが肝要である。そのためには、次の
  ような方策が必要であり、この方策を踏まえ、労働衛生研究に係わる研究機関・
  研究者が労働衛生研究進展のために努力するとともに、行政においてもこれを支
  援することが必要である。  

  (1)国民的理解の促進  

     労働衛生研究の進展が、総人口中51%の就業者の健康確保に深く関わり、
    21世紀における日本の繁栄にも大きな貢献をすることに国民的理解を得る広
    報活動を展開する必要がある。また研究の成果を産業現場に還元すると同時
    に、広く社会にも伝える。さらに、就業前の教育が効果的と考えられること
    から、学校段階から労働衛生に関する教育、啓発を行うことが望ましい。 

  (2)労働衛生研究に係る機関・関係者への広報  

    研究機関・研究者、学術助成団体、経営者団体、労働団体等を対象に、本研
   究戦略の趣旨、研究進捗状況、成果等に関する広報活動を行ない、研究への参
   加、協力等の拡大を図る。  

  (3)研究機関の機能の充実及び研究機関・研究者の間の連携  

     労働衛生研究を実施する研究機関の機能の充実を図るとともに、研究機関
    ・研究者間の連携を、組織的、継続的に進める。また、研究者の自主的なグ
    ループ作りを支援することにも留意する。さらに、外国の労働衛生研究機関
    との間の連携も重要である。  

  (4)人材活用と育成  

     労働衛生研究の充実を図るためには人材の有効活用が不可欠であり、<1> 
    教育研究機関、企業等の間での人材交流、<2> 国際交流を活発に行うこと等
    により、研究者がその能力を高め、発揮できる機会を増やす。  
     長期的には、<1> 問題解決につながる魅力的な労働衛生研究を育てること
    により、若い人材を獲得すること、<2> 連携大学院や大学における労働衛生
    専門家育成コース新設等、新しい人材養成の枠組みを作ること、<3> 企業内
    で労働衛生研究をしやすい環境を作ること等により、人材の育成を図る。

  (5)研究費の確保  

     <1> 厚生労働省・文部科学省・環境省・経済産業省・農林水産省等あるい
    は関係団体からの公的資金、<2> 学術助成団体、業界団体等からの民間資金
    等の多様な研究資金源を活用し、必要な研究費を確保するとともに、その効
    率的な使用を図る。  


  (6)施設・設備の充実と有効活用  

     労働衛生研究に関する情報システム等の研究支援体制を整備する。また、
    共同研究や施設共同利用の促進等により、既存の施設や設備を外部の研究者
    が利用しやすくする。  


  (7)現状分析と評価に基づく研究展開  

     国内外における新たな労働衛生上の問題の発生の把握に努め、また我が国
    における労働衛生研究の課題設定、成果等を分析し、研究が必要な領域、研
    究発展や成果の活用を阻んでいる要因等を明らかにし、問題を解決する道を
    示す。同時に、重点3領域、優先18課題に関する研究の進捗状況を評価し、
    評価結果に基づいて、次の段階における研究展開の方向を明らかにする。 


  (8)戦略に基づく研究展開の促進  

     (1)から(7)までに掲げる方策が実行されるためには、各研究機関・
    研究者において主体的に取り組まれることが不可欠であるが、それとともに、
    それを支え、促進する活動が必要である。このためには、本戦略の進捗状況
    等を労働衛生に係わる有識者・学識経験者によってフォローアップすること
    が必要であり、これが的確に行われるよう、産業医学総合研究所はその事務
    局としての機能を担うことが望まれる。また産業医学総合研究所が、研究機
    関・研究者の協力のもとに、労働衛生研究に係わる幅広い情報を収集し、発
    信する機能を持つことも必要であろう。  



3.展望  


  本研究戦略に挙げた重点3領域、優先18課題に関する研究の進展により、我が国
 の労働衛生に画期的な進歩をもたらし、下記のような成果を産むことが期待される。
     

  (1)あらゆる職場における安全衛生の確保に関する国民的合意の形成が進む。

  (2)すべての勤労者が、健康かつ快適に働き、同時に生産性が高まる職場が増
    加する。  

  (3)すべての勤労者の生涯を通じた一貫性のある健康管理体制の構築が進む。

  (4)中小企業・自営業の労働衛生、有害化学物質ばく露の健康影響等の20世紀
    に解決に至らなかった重要課題への対応が大きく前進する。  

  (5)21世紀における産業構造の変化、少子高齢社会化等により発生する新たな
    課題に対処できる。  

  (6)職業病・作業関連疾患が減少し、健康、企業経営、医療費等における損失
    が減少する。 
 


4.優先18課題の解説

 I‐1 多様化する働き方と健康

 重要性と緊急性  

  日本の産業構造は急速に変貌している。就業者総数は昭和45年(1970年)の
 5,094万人から平成11年(1999年)には6,462万人(1.27倍)に増え、産業別就業者
 数を1999年/1970年の比でみると、サービス業2.25倍、建設業1.67倍、卸売・小売
 ・飲食店1.47倍、運輸・通信1.25倍、製造業0.98倍、農林業0.36倍と大きな増減が
 あり、従業者数順位では、平成11年には、サービス業が1位、卸売・小売・飲食店
 が2位になり、昭和45年に1位の製造業は3位となった。  
  産業構造と同時に働き方も大きく変化している。裁量労働制や変形労働時間制な
 どの労働時間制度や深夜勤務・交代制勤務の多様化、パートタイム・派遣労働の増
 加等就業・雇用形態の変化、24時間営業店舗や介護福祉事業等の新しい業務形態の
 伸長、企業の海外進出、職場のコンピュータ化等、多岐に渡り多様な変化が進んで
 いる。これらの変化は、精神的疲労、夜勤負担、労働衛生サービスが届きにくい業
 態の増加等の労働衛生上の課題をもたらしている。こうした課題の中で、職場にお
 ける労働負荷因子として共通性が高く研究上重要性、緊急性が高いと考えられるの
 は、労働時間に絡む問題である。この問題の大きさは、週60時間以上働く非農林業
 の雇用者数が577万人(平成11年)、深夜時間帯(22時〜5時)に働く労働者数が
 670万人(平成9年)に上ることにも現れている。  


 研究内容  

  就業形態の多様化に内包される労働衛生上の課題に関する研究への社会的要請は
 強いが、従来の研究は問題点の分析に偏りがちで、今後は問題解決の実践に係る研
 究の発展が望まれる。また、社会科学等との学際的研究が必要である。具体的には
 以下の研究課題がある。  

  1)就業形態の多様化とそれにより生じる健康上の問題を早期に把握する方法  

  2)多様化する交替制勤務等の健康影響に関する疫学研究  

  3)職務特性に応じた生体負担の少ない交替制の設計方法  

  4)新しい働き方と健康並びに生活の質の保護・向上に関する研究  

  5)第三次産業における労働衛生水準の向上に関する研究  


 期待される成果  


  就業、雇用形態の多様化は、効率的事業経営や勤労者の就業意識の変化、サービ
 ス利用者の利便性など多くの要因によりますます加速するとみられるが、これと労
 働者の福祉・健康との両立が図られなければならない。本課題に関する研究は、こ
 の点に大きく寄与できると考えられる。4.優先18課題の解説  

  

 I-2 情報技術(IT)と労働衛生  

 重要性と緊急性  

  職域における情報技術(IT)利用が、急速に進められている。1999年度発表の労
 働省資料によれば、約98%の事業所の事務管理部門にコンピュータ機器が導入され、
 約39%の事業所が社内外のコンピュータとオンラインでネットワーク化している。
 社内LANや業務上のインターネット利用は、IT化職場の象徴である。国内外の社会
 ・経済情勢等の変化にともなう働き方の多様化は、情報技術の進展を背景とした側
 面がある。実際、情報技術関連機器を職場や家庭に導入することにより、電子メー
 ル、インターネット、ファックス等の通信技術を活用した在宅就業や在宅勤務等の
 テレワークに従事する人々が増加している。このように、数多くの人々が係る情報
 技術利用を労働衛生上の観点から検討し、情報技術の高度利用に起因する労働者の
 心身へのストレスを軽減し、安全と健康を確保することは極めて重要かつ緊急な課
 題である。情報技術の適切な利用を具体的に提案することは、裁量労働制等にみら
 れる主体的・創造的な働き方を技術面から支援することでもある。  
  情報技術を活用した新しい就業形態の導入に対しては、人々に多様な働き方の選
 択肢を提供すること、通勤ストレスを軽減すること、高齢者・障害者を含めた多く
 の人々に就業機会が拡大すること等から、社会的にも大きな期待が寄せられている。
 一方では、情報通信機器を活用している在宅就業者の8割強が眼精疲労を訴え、7割
 強が肩こりを訴えているという現状が報告されている。情報技術利用を背景とした
 業務遂行に対しては、心身のストレスを軽減するための具体的方策を労働者に提供
 し、安全と健康を確保するための格別な配慮が必要である。その点から、労働衛生
 学に係る緊急な戦略的取組みが要請されている。さらに、今後の情報通信技術の発
 展により、近未来には新たな知的就業形態が登場する可能性もある。  


 研究内容  

  情報化職場における人々の適応能力には、当該労働者の年齢や経験等の違いに基
 づく個人差が大きい。情報技術利用に必ずしも適性を持たない中高年齢労働者等に
 対する格別な配慮が必要であろう。また、在宅就業や在宅勤務等のテレワークと呼
 ばれる新しい就業形態では、労働者の自己判断・自己管理等の自律的業務遂行にゆ
 だねる部分が多い。これらのことから、情報技術を活用した作業者の労働衛生上の
 課題として、次に述べる研究が必要である。  

  1)情報化職場への労働者の適応に関する心理社会的、生理学的研究  

  2)高度情報化と職域ネットワーク化にともなう労働負担に関する研究  

  3)情報技術の職場への導入と利用に係る人間工学ガイドラインの開発  

  4)在宅就業や在宅勤務等に係る労働衛生上の対策  


 期待される成果  

  情報技術の発展に伴う労働衛生上の課題を明確にする研究は、自律的かつ多様な
 働き方を可能にするとともに、高齢者や障害者等の就業機会拡大にも貢献し、社会
 的に大きな利益をもたらす。多様な労働条件における安全衛生の確保は、優先的か
 つ早急に成果を挙げるべく期待されている最重要課題の一つである。研究成果は、
 健康管理・作業環境管理・作業管理の観点から、一層の自律的管理が必要となる業
 務形態で働く人々の健康確保に直接的に貢献するものである。


 I-3 メンタルヘルスと産業ストレス


 重要性と緊急性  

  経済のグローバル化・大競争時代が到来し、日本の産業構造、企業経営のあり方
 や働き方が急速に変化しつつある。今日、メンタルヘルスと職場でのストレスは、
 すべての労働者の問題である。メンタルヘルスは、働き甲斐、生き甲斐にも関わる。
 ILOでは産業ストレスを職場における現在最も重要な健康阻害要因の1つと位置付
 けている。(ストレスの健康影響中、メンタルヘルス障害以外は「I-4作業関連疾
 患の予防」を参照。)
  1997年の労働者健康状況調査(労働省)では、仕事や職業生活に関する強い不安、
 悩み、ストレスがある労働者の割合は約63%であり、1982年の同調査の1.2倍に増
 えている。傷病欠勤の原因又は誘因として何らかのストレスがあったとする労働者
 の頻度は45.6%に達し、1ヵ月以上の疾病休業の理由の15%程度が精神障害となっ
 ている。また就業者の自殺が増加傾向にあり、1998年には約13,000人に上った。就
 業者の自殺の約70%はうつ病が原因との推定もある。また、職場でのストレスが、
 精神科受診率を1.4〜2.3倍高め、うつ病発生を5〜14倍高めるとの報告がある。 
  こうした人的・社会的損失を減らす上で、メンタルヘルスならびに産業ストレス
 対策に関する研究は、非常に大きな重要性と緊急性を持つといえよう。  


 研究の内容  

  メンタルヘルス障害に結び付く産業ストレスには、急性および慢性の精神的・身
 体的負荷因子があり、多くの研究がなされてきた。しかし、産業ストレスならびに
 それに対する生体反応の定量的評価、反応の個人差等、未解明の部分が多い。具体
 的には以下のような研究課題がある。  

  1)メンタルヘルスに関する評価法の開発  

  2)健康職場の構築ならびにそのメンタルヘルス上の効果に関する研究  

  3)メンタルヘルス障害者の復職に関する研究  

  4)産業ストレス、ストレス反応の定量的評価法  

  5)ストレス反応の個人差決定要因  

  6)産業現場における実践的なストレス対策や有効性評価  

  7)企業・事業場の文化・風土を評価するための「組織診断」法  

  8)働き方や意識の変化に伴う働き甲斐・生き甲斐の変化やその創造に関する研究


 期待される成果  

  (1)産業ストレスの健康影響メカニズムを明かにし、予防対策を確立できる。こ
 れにより、医療費および労働コストの損失を軽減できる。(2)職場診断によってそ
 の集団および個人のもつメンタルヘルス上の問題、さらにはメンタルヘルス対策に
 必要な人的資源・機構が明確となり、組織改革への指針を提供できる。これによっ
 て企業のメンタルヘルスへの対策が改善され、結果として生産性が増す。(3)労働
 者の労働・生活の質が高められる。(4)メンタルヘルス障害者にとっても職場の快
 適性・安全性が確保される。
  


 I-4 作業関連疾患の予防  


 重要性と緊急性  

  我が国では、特定の職場有害因子にばく露された場合にのみ発生する職業病は減
 少した。しかし、個人の生活習慣・感受性等の背景因子に職業性因子が加わること
 により発症に至る作業関連疾患の予防は、今なお重要な課題である。  
  職業性因子としては、労働組織、労働時間、労働密度、重量物取扱い、反復動作、
 作業姿勢、職場のストレス、化学物質、物理因子等がある。WHOの報告書によれば
 作業関連疾患とは、疾患の発症、増悪に関与する数多くの要因の一つとして作業に
 関連した要因も考えられる疾患の総称とし、糖尿病、高血圧性疾患・虚血性心疾患
 ・脳血管疾患等の循環器疾患、上肢・腰部の筋骨格系障害、喘息・気管支炎等の慢
 性非特異性肺疾患、胃・十二指腸潰瘍等が含まれるとしている。  
  この中で例えば、筋骨格系障害は我が国の業務上疾病の62%(平成11年)を占め
 る。患者調査(厚生省)によれば、平成8年10月時点の入院と外来を合わせた全国
 の患者数は、糖尿病24万人、高血圧性疾患74万人、虚血性心疾患14万人、脳血管疾
 患39万人、喘息17万人、胃・十二指腸潰瘍13万人と推計されているが、これらの患
 者の中には長期休業になる労働者の例も多く、患者個人の損失、労働損失は大きい。
 これらの患者の中には、作業関連性を有する例も多いと推測され、作業関連疾患の
 予防に関する研究の重要性と緊急性は非常に高いといえよう。ちなみに、職場のス
 トレスにより、虚血性心疾患は1.3〜4倍に増加するとの報告がある。  


 研究内容  

  職業性因子と作業関連疾患との関係については、多数の研究がなされてきたが、
 職業性因子の疾患発症増悪への関わり方、ならびに予防対策の効果等については未
 だ十分には研究されていない。具体的には、以下のような研究課題がある。  

  1)循環器疾患の発生と悪化に寄与する職業性因子とその作用機序・程度の解明 

  2)筋骨格系障害の発生と悪化に寄与する職業性因子とその作用機序・程度の解明

  3)慢性非特異性肺疾患の発生と悪化に寄与する職業性因子とその作用機序・程度
   の解明  

  4)作業関連疾患の全国的発生状況をモニターする方法の開発  

  5)産業ストレスが免疫機能やがんに及ぼす影響の解明  

  6)複合要因を取り上げた総合的作業関連疾患予防対策とその効果に関する研究

  7)作業関連疾患別の予防対策ガイドラインに関する研究


 期待される成果  

  (1)作業関連疾患の発生状況が明らかにされる。(2)作業関連疾患の発生・増悪へ
 の職業性因子の関わりが明らかにされる。これにより、(3)有効な予防対策が明ら
 かにされ、作業関連疾患を減少させること、(4)生産性を高めることができる。 



 I-5  高年齢労働者の健康  


 重要性と緊急性  

  世界でも類を見ない速さで高齢社会になりつつある今、高年齢者を含むすべての
 人々が、喜びを持って働き、生きる社会を実現することは、日本にとって極めて重
 要かつ緊急性の高い課題である。しかし、高年齢者が働くに際しては、加齢に伴う
 疾病の増加や労働適応能力の低下による労働災害発生など、若年者とは異なる問題
 が生じうる。ちなみに、労働者健康状況調査報告(労働省、平成9年)によれば、
 何らかの持病のある労働者が60歳以上では65%を占め、29歳以下の4倍である。高
 年齢者が、その能力を活かし、いきいきと働けるようにするには、労働衛生の面か
 らの支援が不可欠である。  
  労働力人口(就業者+完全失業者)でみると、60歳以上の労働者は、平成2年の
 732万人(労働力人口全体の11%)が、平成10年には924万人(同14%)に増加して
 いる。その一方で、少子化が進んでおり、人口は、平成11年(1999年)の1億2,670万
 人から、2007年にピークの1億2,780万人になり、2050年には1億50万人に減る見込
 みである。今後は、人口減少と高齢化が同時進行する少子・高齢社会となると予想
 される。既に年金支給開始年齢の繰り上げにより60歳以上の就労は、現実的課題で
 ある。現状では29.6%の企業が勤務延長制度を、53%の企業が再雇用制度を採用し
 ている。産業構造との関係でいうと、第2次産業就業者の高年齢者比率が著しく高
 い。今後は第二次産業の雇用増を期待できず、第三次産業での高年齢者向け職場開
 拓が必要となってくる。わが国の高年齢者の労働力率(人口に占める就業者と完全
 失業者との合計人数の割合)は、欧米に比べて極めて高い。例えば平成8年(1996
 年)の60歳以上の労働力率は、日本33%であるのに対し、アメリカ合衆国20%、ド
 イツ7%である。わが国の高齢化が急激に進むのは団塊の世代が60歳に達する2007
 〜2010年であり、このことを踏まえた対応がカギとなる。  


 研究内容  

  高年齢労働者の就労継続を支える労働衛生対策に関する研究は、わが国に十分な
 蓄積があるわけではなく、高齢化対策が進んだ国との国際的な共同研究も必要であ
 る。具体的には以下のような研究課題がある。  

  1)高年齢労働者における労働負荷の精神的・身体的影響とその評価に関する基礎
   研究  

  2)高年齢労働者の職場適応能力及び個人間格差の評価方法  

  3)高年齢労働者の心と身体の健康管理の方法  

  4)高年齢労働者を考慮した作業方法・作業時間・作業形態  

  5)労働災害事例集積による加齢影響の分析  

  6)年齢に関係なく働ける職場環境・設備・機器の設計  

  7)社会の一員として積極的に生きる新しい高年齢労働者像に関する研究  


 期待される成果  

  本課題に関する研究の成果としては、(1)高年齢労働者の労働災害と業務上疾病
 の予防、(2)生産性の向上、(3)能力を活かし、可能性を引き出す適職開発、(4)経
 済的自立による社会保障費の軽減、(5)就業による心身活動の活性化、(6)医療費の
 軽減による企業の健康保険負担金の削減、(7)労働による社会貢献、生活の質の向
 上、社会の活性化を期待できる。  

 

 I-6  就労女性の健康  


 重要性と緊急性  

  少子・高齢化の進むわが国において、女性の労働と安全・健康を両立させるため
 の研究は、活力ある男女共同参画社会を形成するうえで重要である。しかし、現在
 のところ就労女性への労働衛生対策は、全体としてみると必ずしも十分ではない。
  平成11年の女性労働力人口は2,755万人で、このうち就業者総数は2,632万人、雇
 用者数は2,116万人であり、また短時間雇用者は773万人である。最近では正規の
 雇用者数が減少し、契約制労働やパートタイム・派遣労働等、働き方の多様化が進
 んでいる。わが国の女性労働者の年齢階級別労働力率は、出産・育児期に一旦退職
 し、子育てが一段落した後に再び労働市場に出る就業パターンが多いため、依然と
 してM字型曲線を描いているが、近年、女性労働者の高学歴化が進み継続就労希望
 者が増えている。このような中、平成9年に改正男女雇用機会均等法が成立し、同
 時に労働基準法も改正され、女性の時間外労働・休日労働・深夜業の規制が解消さ
 れるなど、男女が対等に働く社会環境が法的に整備された。  
  女性のライフサイクルを健康の観点から見ると、生理、妊娠、出産、更年期等の
 男性と異なるステージがあり、また、男性に比し平均的に筋力が弱い等男性と異な
 る身体上の特性があるほか、骨粗鬆症、貧血等の健康上の障害が生じやすい。した
 がって男女共同参画社会を実現するためには、女性の特性に応じた健康確保対策や
 女性が働きやすい労働条件・環境を整えることが必要である。  


 研究内容  

  女性の就労に関連した労働衛生学的研究の歴史は古く、膨大な研究蓄積があるが、
 各種の職場有害要因が女性の健康に及ぼす影響や性差については、なお未解明の部
 分が多い。女性の職域拡大、働き方の多様化が進む中で、妊娠・出産・閉経期と続
 く全労働生活を通しての健康を考えることが重要であり、医学的側面と就労継続を
 サポートする対策の両面からの研究が必要である。具体的には、下記のような研究
 課題がある。  

  1)性別によらず健康に働ける職場作りに関する研究  

  2)深夜勤務・交替勤務・長時間労働に従事する女性の母性保護に関する研究  

  3)女性における作業関連筋骨格系障害の予防に関する研究  

  4)化学物質など職場有害要因の生殖機能への影響とその予防  

  5)各種労働負荷の母性等への影響に関する基礎研究  

  6)リプロダクティブ・ヘルスからみた健康診断・健康管理のあり方に関する研究

  7)職域暴力セクシャルハラスメント対策に関する研究  

  8)女性労働者の多重役割を解消する社会的支援  


 期待される成果  

  期待される成果としては、(1)女性労働者の健康確保と母性保護の進展、(2)女性
 労働者が職業生活と家庭生活を両立することによる生活の質の向上、(3)生産性の
 向上、(4)活力ある男女共同参画社会の形成促進、(5)少子社会からの脱却がある。



 II-1 化学物質の有害性評価 


 重要性と緊急性  

  職場における化学物質の有害性に関しては、内分泌生殖系・免疫系・神経系など
 の複雑で未知の部分が多い生体系に及ぼす影響の解明・評価が特に重要である。 
  内分泌生殖系については、化学物質の内分泌かく乱作用と生殖系や次世代に及ぼ
 す影響が大きな関心事となっている。これは、健康障害が極めて低濃度のばく露で
 発現する可能性があること、ばく露の影響が胎児の発達過程等に及ぶ可能性がある
 ことなどが懸念されるからである。フロン代替品への職業性ばく露による生殖障害
 も報告されている。内分泌かく乱作用や生殖毒性は、職場に限らず人類あるいは地
 球規模の問題ともなっている。  
  免疫系への影響としては呼吸器および皮膚に対する感作性が重要な課題であり、
 ぜん息・皮膚炎などの職業性アレルギー疾患が現在も発生している。アトピー性疾
 患を有する者は炎症準備状態にあり感作性物質の影響を受けやすく、軽症例も含め
 た潜在的な職業性呼吸器アレルギー疾患が懸念される。  
  産業現場には有機溶剤や鉛等の神経毒性物質が多く存在し、取り扱い労働者数も
 多いことから、化学物質の神経系への影響は重要な課題である。神経毒性としては
 知覚・運動機能の障害や頭痛・意識水準の低下・記憶や認知機能の障害・情動の変
 化などが問題となり、麻酔作用などによる一時的注意力の低下が重大な二次災害に
 繋がることもある。長期ばく露による中枢機能の低下も懸念されているが、化学物
 質へのばく露による影響と老化による変化との識別が難しいという問題もある。
  職場で取り扱われる化学物質は種類・量ともに多いが生体影響が明らかな物質は
 少なく、個々の化学物質の有害性を適切に評価するためには生体機能と毒性発現メ
 カニズムの理解が求められる。また、化学物質による眼の障害や呼吸器障害は現在
 も多く発生している。  
  化学物質の有害性評価は労働衛生上一貫して重要な課題であり、代謝や体内動態
 などの知識も含めてリスクの評価や管理に資するためにも、先端的科学の成果を取
 り入れた産業中毒学研究の振興が必要である。  


 研究内容  

  化学物質の有害性評価では内分泌生殖系・免疫系・神経系等への影響を中心に、
 以下の研究が重要と考えられる。  

  1)職場の化学物質による健康障害の疫学調査等による把握。  

  2)化学物質の有害性試験法や健康障害の診断法の開発。  

  3)産業中毒の発現機構・性差・用量−反応関係の解明。  

  4)低濃度長期ばく露による化学物質の有害性と健康影響の評価。  

  5)化学物質に関する生体影響情報の効率的集積と利用に関する研究。 
 

 期待される成果  

  上記の研究の進展により、化学物質による未知の健康障害の発見やヒトにおける
 用量−反応関係の解明が期待でき、化学物質による生体影響を予測し評価する方法
 や化学物質による健康障害の診断法の発展が可能となる。また、低濃度長期ばく露
 による生体影響の解明や内分泌かく乱物質等の社会的関心の高い問題への適切な対
 応、更に労働者の神経機能の維持、などに貢献できる。これらの成果は、職場にお
 いて化学物質に起因する健康障害を予防するのみならず、安全で良好な環境を次世
 代へ継承することにもつながる。  

 

 II-2 遺伝子影響とがん


 重要性と緊急性  

  遺伝子影響には、がんに直接つながる突然変異の誘起、環境ホルモン問題により
 最近注目されている遺伝子機能のかく乱等が含まれるが、多くの化学物質がこれら
 の影響をもつか、あるいはもっている可能性がある。国内の産業の場で使われてい
 る化学物質の数は主なものだけでも5万以上といわれるが、その中で遺伝子影響を
 含めた毒性情報が得られているものはごく少数にすぎない。また新規化学物質・規
 制外物質・産業廃棄物などの中には、遺伝子影響をもつことが知られている化学物
 質と構造が類似したものが多数存在する。化学物質の低濃度長期ばく露による遺伝
 子影響が現実問題として重大な危険性をはらんでおり、社会的関心は極めて高い。
  職業がんは職場有害因子による遺伝子影響の一つである。個々の職業がん要因に
 関連する全国労働者数は限られるが、要因が多種に及ぶため全体数は比較的多い。
 発がんが危惧される職種の労働者数は特殊健康診断受診者でみても30万人に達し、
 事故によるばく露、健診未実施の有害作業、将来の未規制化学物質導入等を考慮し
 た潜在対象数は100万人を超えうる。健康影響が重篤なため社会的関心は大きく、
 重要性・緊急性共に高い。  


 研究内容  

  遺伝子影響をもつ化学物質への適切な対処のため、特に重要と思われる研究課題
 は以下の通りである。
  1)先端技術(マイクロアレイによる遺伝子発現解析・構造活性相関に基づく影響
 予測等)を導入した有効な遺伝子影響評価技術の確立:<1> 認識が困難な低濃度長
 期ばく露・複合ばく露影響の検出に重点を置いた、遺伝子影響を的確に評価できる
 手法の開発、<2> 極めて多数の化学物質に対応するための、大量処理能力をもった
 有害性評価法の開発。  

  2)職業がんを中心とした遺伝子影響の疫学的研究:合理的予測に基づいて採用し
 たばく露および健康影響指標の経時的・系統的分析によってリスクを的確に評価す
 る方法論の確立、およびそれを活用した疫学研究。  

  3)遺伝子の多型分析に基づく高危険度群予測についての検討。  


 期待される成果  

  未だにその全体像が不明瞭な職場有害因子群による遺伝子影響を確実に評価でき
 る手段を得ることにより、適切なリスク評価・リスク管理の実施が可能となり、社
 会的な不安の解消へとつなげることができる。また大量処理が可能な有害性評価法
 の確立により、増え続ける化学物質に遅滞なく対処していくことが現実的に可能と
 なる。これらの研究は有害性の分子機構を直接解析するプロセスを含むため、その
 成果は有害性の本質的理解をも意味し、複数有害因子の相互作用予測・動物モデル
 からヒトでの閾値推定・具体的な化学物質対策構築などに関して極めて有益な、多
 くの情報を提供するものと期待される。またこれらの成果を積極的に盛り込み、遺
 伝子影響のリスクを適確に把握できるようにデザインした疫学研究の体制整備は、
 より迅速かつ確実なリスク評価・リスク管理及びリスクコミュニケーションを通じ
 て、がんや次世代影響などの重大な危険の回避に大きく寄与すると期待される。遺
 伝子多型分析からリスクの個人差を予測し適正配置につなげることも将来展望の一
 つであるが、倫理的側面について十分に検討し社会的合意のための諸条件を確立す
 ることが重要な前提条件である。
  


 II-3  複合ばく露  


 重要性と緊急性  

  長年の努力により労働環境は改善され、個別の有害物質や有害因子への高レベル
 のばく露は低減しているが、依然として労働者が職場で有害因子にばく露する危険
 性はあり、特に、扱う物質や工程が複雑化するにつれて、種々の有害因子に同時に
 ばく露するいわゆる複合ばく露の危険性も増している。職場で問題となる複合ばく
 露は、<1> 複数の有害物質(化学物質、鉱物粉じんなど)、<2> 複数の物理因子
 (騒音・振動、温熱、光など)、<3> 有害物質と物理因子のばく露という組合わせ
 がある。実際に<1> については、有機溶剤であるヘキサンの神経毒性のメチルエチ
 ルケトンによる増強、アスベストと喫煙による肺がんの相乗的増加、<2> について
 は、局所振動と寒冷による振動障害の発生、<3> については騒音と有機溶剤による
 難聴の増加等が報告されている。  
  有害因子に複合ばく露した時、その生体影響は各生体影響の相加となるのか相乗
 的になるのかについてはまだ限られた情報しかない。さらに最近の職場で懸念され
 ている多種類の化学物質の低濃度複合ばく露における毒性修飾となると研究はほと
 んどない。比較的高濃度でそうした毒性修飾が見られても、各因子のいづれかが低
 濃度の場合毒性修飾が認められなくなる場合も逆に知られており、ばく露量と複合
 影響(毒性修飾)の関係については緊急に研究が必要である。ちなみに日本産業衛
 生学会の混合化学物質の許容濃度についての勧告では、毒性は相加が成り立たない
 という証拠が無い場合は相加されると想定して、[各成分の平均ばく露濃度/各成
 分の許容濃度]の合計値が1を越えると許容濃度を越えると判断しているが、この判
 断方法の普遍性も明らかではない。一方、発がん性を有する物質への複合ばく露問
 題は特に重要である。有害物質ばく露、ストレスなどによる免疫機能低下状態で発
 がん物質にばく露した場合、前者には発がん性はないが後者の発がん力を増大させ
 るように働く可能性があり、この定量的研究は重要である。また、高温下での化学
 物質ばく露の影響の増悪、嗅覚等の感覚が低下する低温下での有害物質高濃度ばく
 露による災害増加の懸念などの複合ばく露は現実的に解決すべき課題である。  
  こうした有害因子への複合ばく露の実態については不明な場合が多く、研究の必
 要性は大きい。  


 研究内容  

  複合ばく露問題の研究は、基礎的・実験研究と労働者を対象とした疫学研究の両
 面を調和させて進めることが特に重要である。具体的な研究課題としては以下があ
 る。  

  1)複合ばく露時の毒性・健康障害発現に関する一般法則、および、毒性・健康障
   害発現に対する各有害因子の寄与度の定量評価法の開発  

  2)複合ばく露労働者を対象とした大規模疫学研究  

  3)発がんや発生毒性に焦点を絞った複合ばく露の動物実験  

  4)遺伝子欠損マウス等の高感受性動物を用いた低濃度複合ばく露の毒性検出法の
   開発と実用化  

  5)in vitroでの複合ばく露毒性検出法の開発と実用化  

  6)物理因子(温度、湿度、騒音、放射線など)とその他の有害因子との複合ばく
   露影響評価  

  7)免疫機能低下と発がん物質ばく露の影響評価  


 期待される成果  

  有害因子への複合ばく露、特に低濃度長期複合ばく露による健康影響について、
 科学的な情報を提供できる。また、従来あまり注意されていなかった労働環境に常
 に存在する温熱・騒音などの因子と他の有害因子との複合ばく露影響についても、
 その修飾・増悪のリスクが定量化される。こうして、実際の労働現場における複合
 ばく露のリスク評価がより現実的なものになる。その結果、複合ばく露に対する労
 働衛生管理がより適切に行えるようになる。  



 II-4 健康影響の個人差  


 重要性と緊急性  

  近年ヒトの全ゲノム配列決定が報じられるまでに遺伝子の解析が進んできたが、
 この潮流の中で個人間の遺伝的多様性の存在が明確となってきた。ヒトの遺伝子
 DNA上には500〜1000塩基(遺伝暗号)につき1つの一塩基多型(個人間で、DNA上の
 特定部位の一塩基が異なる、つまり変異があること)が存在し、数十名から数百名
 に1人の頻度で遺伝的疾患の原因となりうる変異を潜在的に保持しているという予
 測もある。遺伝的多様性が生活習慣病等の発症・進展と関連することについては多
 くの例で有力な根拠が示されており、また一方ではいわゆるオーダーメイド医療に
 向けて薬物感受性の個人差と遺伝的素因との関係が解明されつつある。このような
 情況を考えれば、職場有害因子への感受性にも遺伝的多様性が影響すると考えるこ
 とはもはや合理的な予測といってよい。残念ながら現時点では情報が断片的であり、
 リスク管理やリスクコミュニケーションへ直ちに導入することは困難である。しか
 し遺伝的多様性による感受性個人差の正確な把握とそれに基づくリスク管理は近い
 将来の労働衛生管理にとって不可欠になると思われ、その実現を志向しつつ適切な
 研究戦略をとることが必要である。  


 研究内容  

  遺伝的素因に関する情報の労働衛生上での有効活用をはかるために、以下の研究
 課題が必要と考えられる。  

  1)遺伝疫学的手法を導入した新たな産業疫学の確立:  

   <1> 労働者の遺伝的素因・有害因子ばく露・健康影響に関する情報の収集・整
    理

   <2> 現代生物学が蓄積した情報を活用した、健康影響への関連が予想される遺
    伝子の検索  

   <3> 特定の遺伝子の多様性と健康影響の個人差の因果関係解明

   <4> 遺伝的多様性が有害因子感受性の個人差に反映するメカニズムの解明  

  2)遺伝的素因に関する情報のリスク管理・リスクコミュニケーションへの適用に
   関する検討:  

   <1> 高危険度群への配慮として実施されるべき適正配置等の具体的施策におい
    て、遺伝的情報をいかに利用できるかについての検討  

   <2> それに付随して起こる職業選択の自由・プライバシー侵害等の社会的・倫
    理的問題の克服に関する検討(国民的合意に基づく法的規制の整備、労働者
    の承諾や雇用者の適切な運用などの環境整備のあり方に関する検討等)  


 期待される成果  

  特定の遺伝子の多様性と職場有害因子に対する感受性との対応を疫学的及び実験
 的に解明できる研究体制が整い、更に個別の問題について研究成果が得られるよう
 になれば、遺伝的個人差に起因するリスクの回避に向けた具体策を考えるための基
 盤となる。またこれらの研究成果は「職場有害因子の健康影響を分子レベルで解明
 する」という作業の結果でもある。従ってこの信頼度の高い情報は、単に遺伝的素
 因と感受性個人差の関連を明示するにとどまらず、それをリスク管理・リスクコミ
 ュニケーション上いかに適切に利用すべきかをおのずから教示するものともなるで
 あろう。



 II-5 人間工学的因子と生体負担


 重要性と緊急性  

  職場におけるストレス・疲労・健康障害を引き起こす背景の一つとして、職務設
 計や機器設計等に係る人間工学的因子がある。例えば、運輸労働やアセンブリー作
 業等に伴う重量物運搬等を不適切に行うことに起因する腰痛の発生件数は、業務上
 疾病の約5割を占めている。また、平成11年に発表された労働省報告「技術革新と
 労働に関する実態調査」によれば、仕事でコンピュータを利用することにより、身
 体的疲労自覚症状のある労働者は約78%と極めて高率である。VDT作業者の訴えの
 多くは、作業空間・照明条件・機器配置等に関する人間工学的因子に関連している
 ことが示されている。また、職場における新たな情報技術(IT)の導入に際しては、
 職場の生産方式や作業設計の面でも急速な変化をもたらすことになり、労働衛生上
 の慎重な配慮が必要である。さらに、複雑化・高機能化する機器操作は労働者の心
 身のストレスを増加させ、依然として多い判断の誤り等に基づく労働災害の大きな
 要因となり得る。人間工学的因子の解明は、疲労や健康障害予防の観点に限らず、
 より快適な職場を実現する上でも不可欠な要件である。  
  以上のように、職場における人間工学的因子と生体負担に係る研究は、今後の情
 報技術の急速な進展と当該領域に関係する労働者数の多さを考えると、社会的に要
 請されている緊急かつ重要な課題として実施することが必要である。  


 研究内容  

  労働者の作業負担を軽減し、職場の快適化を実現するための人間工学的研究課題
 を列挙すると、以下のようになる。  

  1)ヒューマンエラー(判断の誤り等)の原因究明と予防対策に係るデータベース
   化  

  2)筋骨格系障害予防に役立つ生体負担の軽減対策と効果的利用  

  3)技術・生産方式の変化が労働者の安全と健康に及ぼす影響の評価  

  4)多様な就労者(年齢、性、障害者等)を考慮した作業設計ガイドラインの開発

  5)新しいVDT作業形態を巡る健康影響評価と健康管理ガイドラインの策定(携帯
   機器、在宅ワーク等への対応)  

  6)使いやすい機器設計と利用に係る人間工学教育・ガイドライン等の整備  


 期待される成果  

  安全や事故、作業方法と設計、重量物運搬等の多岐にわたる人間工学上の研究を
 実施することにより、多様な労働者が快適に働くための要件を具体的に把握し、生
 産性を高め、労働災害を減少させるとともに、健康的で創造的な労働生活の獲得に
 役立てることができる。さらに、VDTに代表される情報技術を利用した作業形態は、
 今日では多くの職場でみられる一般的業務となっている。VDT作業者に対する適切
 な健康管理や教育を実施するとともに、機器操作に係る人間工学的課題を明確にす
 ることにより、快適な職場環境を形成することができると期待される。また、高度
 情報化社会を支える裏方でもある情報機器の開発者側には、人間工学上の利用者ニ
 ーズに関する情報が不足している現実がある。労働現場での利用実態を踏まえたガ
 イドライン等の情報を機器開発者に向け発信することは、使いやすい機器利用の環
 境が実現することにもつながる。  



 III−1 健康影響指標の開発とリスク評価


 重要性と緊急性  

  ILOによると、世界で年間110万人にのぼる労働災害死者中およそ四分の一が有害
 物質へのばく露に起因し、交通事故や戦争の犠牲者数を上まわると推定されるとい
 う。国内でも、化学物質による業務上疾病の発生は横這いで推移している。化学物
 質による健康障害防止のためには、個々の物質の有害性に関する実験的研究や疫学
 研究を進めるのみでは不十分であり、ばく露状況等を考慮した健康障害発生の可能
 性(リスク)を低減するための包括的対策が必要となる。そのためには、個々の物
 質の有害性情報にもとづき科学的根拠に立脚したリスク評価を行い、ばく露限界値
 をはじめとする種々の管理基準をより適切に設定するとともに、ばく露状況や健康
 障害の発生を的確に監視することが必要である。従って、広範な物質のリスク評価
 作業を実施することに加えて、リスク評価手法の高度化や、ばく露状況や健康障害
 発生をより正確・高感度に監視するための新たな健康影響指標などの開発が求めら
 れる。また職場環境には健康障害を引き起こす可能性のある様々な因子(電磁場・
 放射線・光・温熱・騒音・振動等の物理因子や感染症などの原因となる微生物・ダ
 ニ等の生物因子)が存在し、化学物質と同様に対応が求められよう。これら種々の
 因子に起因するリスクの包括的な評価は労働衛生学の中核的課題であり、科学的・
 合理的な管理体制の確立を目指して組織的・継続的な研究の推進が望まれる。  


 研究内容  

  化学物質等の有害因子による健康障害の発生は、個々の因子に固有の有害性や当
 該因子へのばく露に依存する。また、適切なばく露限界値等の管理基準は、同定さ
 れた有害性と許容できるリスクに基づき設定される。そのためには更なる健康影響
 指標等の開発も求められる。従って、以下のような課題の積極的遂行が重要である。

  1)職場環境におけるばく露実態の把握、ばく露レベル(含体内動態・代謝)と生
   体影響の研究、及びそれらに基づく個々の有害因子のリスク評価と管理基準の
   提案  

  2)職場環境中の健康障害リスクの包括的評価  

  3)有害因子に特異的で、より高感度の健康影響指標の開発  

  4)低濃度長期ばく露に応用できる、ばく露レベルや健康障害のモニタリングのた
   めのばく露指標・健康影響指標の開発  

  5)疫学調査や毒性試験結果等の有害性情報からばく露限界値等を設定するための
   リスク評価手法や、動物実験からヒトにおける影響を外挿する手法の研究

  6)既存情報が無い有害因子の系統的有害性試験・リスク評価法の研究  

  7)化学・物理・生物因子を含む複数の要因を総合して視野に入れた、作業と環境
   のリスク評価・リスク管理手法の研究  


 期待される成果  

  有害性情報が蓄積されてリスク評価が進み管理基準の設定やリスクコミュニケー
 ションに活用されれば、職場有害因子の管理と健康障害予防に直接寄与することと
 なる。現在、化学物質の適正な管理を国際的に推進するため、既存化学物質の有害
 性点検、有害性の分類・表示の国際調和、試験法の標準化といった作業が各国の協
 力により進められているが、その過程で基盤技術開発が望まれる場合も多い。健康
 影響指標の開発やリスク評価の領域で国際的レベルの研究成果を創出し、有害因子
 の包括的管理体制確立に寄与することは、わが国労働者の健康確保のみならず世界
 規模での労働災害防止への大きな貢献となろう。  



 III-2 リスクコミュニケーションの効果的な進め方


 重要性と緊急性  

  わが国の労働衛生水準を高めるためには、質の高いリスクコミュニケーション・
 情報提供・労働衛生教育が必須である。化学物質については現在日本で使われてい
 る5万種以上の物質のうち約700物質が労働安全衛生法関連で規制されていて、その
 他の物質については自主管理に任されている。そのため質の高いMSDS(化学物質等
 安全データシート)等の適切なリスクコミュニケーションで十分な情報が得られる
 ことにより、適切なリスクマネジメントが可能となるような体制が必要である。と
 くに激しい技術革新に伴い作業環境に導入される新材料については、その生体影響
 を迅速に評価し、正しい対策を周知するシステムが必要である。一方、物理因子や
 生物因子等、職場環境中に存在する化学物質以外の諸因子の有害性については、化
 学物質におけるMSDSのようなフォーマットはなく、いかにリスクコミュニケーショ
 ンを行うかは更に大きな課題である。また、労働衛生管理の基本である作業環境管
 理・作業管理・健康管理が、それぞれの事業場の衛生管理方針に基づき円滑且つ効
 果的に進められるためには、経営トップはもちろん管理監督者あるいは作業者が衛
 生管理の重要性について認識し、積極的に労働衛生活動を行うことが大切であり、
 そのためには労働衛生教育・労働衛生情報提供の充実が不可欠となる。さらに、労
 働衛生の各種活動には、それらを合理的なものとする明確な根拠が求められ、これ
 を整理し提示するための医学研究(Evidence Based Occupational Medicine)が必要
 となる。リスクコミュニケーションを含む労働衛生情報提供に関しては、現在急速
 に進んでいる『IT(情報技術)革命』は優れた追い風であり、この成果を如何に活用
 していくかは重要かつ緊急な課題である。  


 研究内容  

  1)労働者および地域社会を対象とした予防情報を含めたリスクコミュニケーショ
   ン手法の研究。  

  2)有害物質情報、不休災害事例、作業環境・作業方法改善事例、産業保健担当者
   の活動事例、認定産業医情報などに関して、中小企業でも利用しやすくまた世
   界のデータベースにもリンクしたデータベースやネットワーク作りの研究。 

  3)労働形態が多様化する中での効果的な労働衛生教育方法と効果的な教育用ツー
   ル教材の開発に関する研究。  

  4)MSDSの作成に必要な毒性情報についてのデータベースの開発。  

  5)危険有害性の効果的な表示方式の開発、国際調和表示方式確立への協力とわが
   国への導入研究。  

  6)MSDS等の毒性情報と職場のばく露情報から、職場での健康障害リスクのアセス
   メントが容易に実施できるツールの開発の研究。  

  7)Evidence Based Occupational Medicineの基礎となる労働衛生関連統計作成方
   法の研究。  


 期待される成果  

  (1)自主的管理による適切なリスクマネジメントが可能となる。(2)新材料を含め
 た化学物質のリスクに関する正しい認識が普及する。(3)労働災害、職業病の一次
 予防において大きな効果が得られる。(4)『IT革命』の成果の活用により質の高い
 情報を中小企業を含めた全ての事業所に到達させるシステムが提供される。(5)労
 働衛生活動を合理的に進められるようになり施策の効率化が計られる。  



 III-3 職場環境の計測システムと管理技術の開発


 重要性と緊急性  

  わが国では、労働衛生管理の中で、労働環境中の有害因子ばく露による健康影響
 の出現を極力押えるために、有害因子の濃度や強さを直接監視して管理するという
 方法を過去20年以上にわたり進めてきた。その結果、職場環境は著しく改善し職業
 性疾病の発生が低減した。これは世界に誇れる成果であり、労働衛生管理は、作業
 環境計測と評価、および評価に基づいた環境改善と工学対策が極めて重要であるこ
 とを如実に示している。管理すべき有害因子は、化学物質、粉じん、騒音・振動、
 電磁場、電離放射線、微生物など多種多様である。特に化学物質は、わが国の産業
 界で使用されている化学物質が約5万種類以上、毎年500-700物質が新規化学物質
 として導入されている。未管理・未規制の物質は管理・規制されている物質に比べ
 膨大な数にのぼり、そうした物質の多くは環境測定法の開発を必要としている。さ
 らに粉じん、騒音・振動や温熱環境などの物理因子、細菌やカビなどの生物因子に
 ついての測定・評価方法も重要である。また、労働環境では、労働者が種々の有害
 因子に複合ばく露する機会も多くなっている。こうした問題に的確に対応した測
 定・評価方法も要求されている。一方、環境管理の対象範囲もますます拡大してお
 り、溶接作業・建設業に代表されるように、現行の環境管理から外れた環境に対す
 る計測・管理技術の開発も急がれる。  


 研究内容  

  環境有害因子の計測の研究は、最新の先端技術を導入し、それが公定法として普
 及しうるか否かを実証する必要がある。管理技術の開発研究においては、有害因子
 を作業場から除去するだけでなく、地域・地球環境、省エネルギーなどにも配慮し、
 かつ企業の生産性・イメージ向上に有効なものが望ましい。研究課題としては以下
 のものが挙げられる。  

  1)新規化学物質の計測法の開発  

  2)屋外、臨時・非定常作業等の作業環境測定法が適用外の作業環境測定と評価法
   の開発  

  3)最新計測技術の気中有害物計測への導入と微量分析法の確立  

  4)小型軽量でリアルタイム計測可能な測定器及びセンサーの開発  

  5)リアルタイム連続測定法を用いた個人ばく露濃度などの有害因子測定法の研究

  6)数値流体解析方法や可視化技術の導入による局所排気、全体換気、空調などの
   設計手法の開発及びそれらの性能と効率の改善手法の開発  

  7)防振構造の機器、除じん排ガス処理装置など開発  

  8)職場のリスク軽減・快適化のための騒音・振動の計測・評価システムの開発 

  9)人に装着負担の少ない保護具の開発  


 期待される成果  

  新しい測定方法の開発により計測可能な化学物質が拡大する。複合ばく露に対す
 る的確な対策もできるようになる。また、現在、測定対象外の職場においても適切
 な計測手法が導入されるようになる。こうした成果を基にそれらの環境の的確なリ
 スクアセスメントが可能となる。そして、企業の事業者と労働者がともに作業環境
 のリスクを正確に認識できるようになる。その結果、環境改善がより確実に促進さ
 れ労働者の有害因子へのばく露を低減することができる。さらに、有害因子取扱い
 作業者の健康保持に寄与でき、労働損失の減少と生産性向上が期待できる。  



 III-4 企業経営と労働安全衛生マネジメントシステム 


 重要性と緊急性  

  企業の労働衛生対策は、これまで各国とも主に法規制によって管理監督されてき
 た。しかし、急激な働き方の変化や生産技術の進歩に対応して、多種多様なリスク
 を的確に把握して規則等を修正・追加して行く行政手法には限界がある。そのため、
 産業現場に応じた自主的な労働安全衛生管理システムを、企業経営者と作業者双方
 の責任で推進していくという企業の自主管理を骨子とした労働安全衛生マネジメン
 トシステムが英国から始まり世界に広まっている。わが国でも労働省が1999年4月
 に労働安全衛生マネジメントシステムの指針を公表した。こうした世界の潮流の下
 に労働安全衛生マネジメントシステムを推進していくためには、それが企業活動の
 発展と労働者の健康確保のために極めて重要であるという企業経営上の認識と、更
 にこうした理解を企業経営者と労働者が持てるような社会背景を形成する必要があ
 る。  
  そのためには、<1> 労働衛生対策の費用効果などを明確にした企業経営上のイン
 センティブ、<2> 自主管理を行うために必要な、産業医、衛生管理者、看護職等の
 人材確保、<3> 企業経営における労働衛生活動の位置づけ、<4> 労働衛生活動の評
 価法、<5> 多様な働き方に対応した労働衛生対策のあり方、などの課題の解決が必
 要である。また、<6> わが国に適した労働安全衛生マネジメントシステム自体の開
 発と運用がはかられなければならない。 


 研究内容  

  具体的な研究課題としては、  

  1)多様な衛生管理に対応できる自主管理システムと職場診断評価システムの開発

  2)労働衛生活動の評価およびその費用効果に関する研究  

  3)中小企業で実施可能な労働安全衛生マネジメントシステムの研究  

  4)自主的管理に必要な知識・技術の体系化及び教育プログラムの開発  

  5)わが国に適した労働安全衛生マネジメントシステムの開発  

  などが挙げられる。  


 期待される成果  

  こうした研究の推進により、労働安全衛生マネジメントシステムが企業経営にプ
 ラスになることが明確となり、企業発展に不可欠な労働衛生活動という位置づけが
 定着する。そして、企業が労働衛生活動に必要な費用を積極的に投じるようになり、
 労働衛生担当者の意欲が増すなど、自主的な労働衛生対策が推進される。こうした
 総合的な結果として、より安全で快適な就業環境が創造され労働者の健康が保持さ
 れることになる。一方で、このような図式を実現するための社会的課題が明確にな
 ることも成果の一つであろう。  
    

 III-5 中小企業自営業における労働衛生の推進策


 重要性と緊急性  

  我が国では、従業者数でみると、二次・三次産業では、全体の80%(4608万人)
 が中小規模事業所で働いている。また我が国には765万人の自営業主がいるが、そ
 の多くは小規模である。出荷額でみると、製造業では中小規模事業所分は、全体の
 52%を占める。こうした中小企業を、平成11年、36年ぶりに改正された中小企業基
 本法では、「我が国経済の活力の源泉」と位置づけ、政策理念も「大企業との格差
 の是正」から転換して「中小企業の多様で活力ある成長発展」とされた。  
  しかし、労働安全衛生面では、中小企業・自営業と大企業との格差は、なお大き
 く、小規模になるほど立ち後れが目立つ。例えば、安全衛生教育実施率は、大企業
 ではほぼ100%に対し、10〜29人では39%、健康診断実施率は、大企業100%に対し、
 1〜4人では20%に低下する。労働災害千人率は、大企業3に対し、10〜29人では18
 と増加する。  
  労働力の面では、55歳以上が占める比率は、大企業の9%に対し、5〜29人では19
 %、女性の比率は、大企業の32%に対し、1〜4人では45%、パート・アルバイト等
 の非正規従業者の比率は、大企業の18%に対し、1〜9人では51%と、小規模ほど高
 まる。  
  今後、日本経済の急速な構造変化に伴い、中小企業・自営業にも大きな変化が生
 ずると見込まれる。それらの中には、例えば、企業再編・縮小等による規模の大き
 な企業からの高齢労働者の移動、正社員の減少といった変化から、情報技術革新に
 よるスモールオフィスホームオフィス(SOHO)事業者の増加、少子高齢化による育
 児・介護等の家事支援サービスの増加等まで多様な変化が含まれる。これらの変化
 は、同時に新たな労働衛生上の課題を随伴する可能性が高く、本課題の重要性と緊
 急性を一層高めている。  


 研究内容  

  中小企業・自営業の労働衛生に関しては古くから多くの研究がなされてきたが、
 問題提起型の研究が多く、解決のための実践に関する研究は少ない。今後は実態把
 握が未だに不十分な小規模事業所・自営業に関する研究とともに問題解決型の研究
 の活発化が特に重要である。具体的には以下のような課題が挙げられる。  

  1)マネジメントの視点からの新しい中小企業・自営業労働衛生活動の構築  

  2)中小企業・自営業の組織化ならびに安全衛生管理の共同化の試みとインセンテ
   ィブを伴う各種支援システムの有効性を実践的に検証するモデル研究  

  3)業種別(特に第三次産業)の安全衛生リスク評価と安全衛生活動評価方法の開
   発  

  4)中小企業・自営業に適した安価で有効な安全衛生管理技術の開発  

  5)自営業者を対象とした産業保健と地域保健との連携システムの開発と実践モデ
   ル研究  

  6)農林水産業における労働衛生水準の向上に関する研究  


 期待される成果  

  中小企業・自営業における(1)労働衛生支援体制が整備されること、(2)安価で効
 果的な労働衛生管理技術の普及・活用が進むこと、(3)労働災害や職業性健康障害
 の発生率が低下し健康水準が向上すること、(4)企業経営にも好影響がもたらされ
 ることが期待される。  



 III-6 労働生活の質の向上とヘルスプロモーション


 重要性と緊急性  

  近年、労働生活の内容を質的に高めることと健康増進に対する勤労者の関心は非
 常に高くなっている。しかし、その一方で、平成11年度の定期健康診断実施結果に
 よれば、86,541事業場(内20%の事業場では複数回実施)で1,143万人が受診し、
 有所見者は490万人(43%)である。項目別の有所見者率を高い順にみると、血中脂
 質25%、肝機能14%、血圧10%、聴力(4000Hz)9%、心電図9%、血糖8%等であ
 る。全労働者を対象とした健康保持・増進対策と健康障害を抱える人々が働けるよ
 うにするための対策の重要性は、この結果からも明らかであろう。  
  健康保持・増進対策としては、各種の健康診断、保健指導、トータルヘルスプロ
 モーションプラン活動、職場環境の快適化、職域と地域を包括した生涯保健の推進
 等がある。これらはいずれも重要だが、近年、健康診断に関しては、その位置づけ
 や有効性を見直すべきこと、また健康診断と保健指導を一体化した活動として評価
 し、有効性を高めることの必要性が指摘されており、こうした観点からの健康診断、
 保健指導に関する研究は特に重要と思われる。  
  健康障害を抱える人々(有病者・障害者)の就労に関しては、適正配置、労働負
 荷の軽減等の措置が必要であり、休業者に関しては職場復帰のためのリハビリテー
 ションも重要である。平成8年に労働省は「健康診断結果に基づき事業者が講ずべ
 き措置に関する指針」を公表しており、この指針では、労働者のプライバシーを守
 りつつ労働時間短縮、労働負荷制限、作業転換、施設・設備の整備、作業方法の改
 善等の措置を講ずるとしている。しかし、こうした措置の決定に必要な、作業負荷
 ・負担評価、労働能力評価等の方法や配置を適正と判断する基準には、未確立な部
 分が多く、重要な研究課題となっている。  
  人々が健康を享受し、働くことに喜びを見い出すことができる職場を実現するた
 めの包括的健康管理の確立が求められているといえよう。  


 研究内容  

  健康保持・増進対策の効果を評価し、より効果的な対策を講じられるようにする
 こと、ならびに健康障害の有無に拘らず全ての労働者が、その能力を発揮して働け
 る職場作りが必要である。具体的には、下記のような研究課題がある。  

  1)健康水準と生産性とを総合的に評価できる職域健康指標  

  2)労働・環境・生活習慣等を含む総合的ヘルスリスク評価に基づく健康管理シス
   テム  

  3)健康増進効果の高い健康診断・保健指導の方法  

  4)労働者の生涯をカバーする一貫した保健システムの開発  

  5)有病者障害者を就業促進のための作業負荷・負担評価、労働能力評価の方法と
   職場改善方法  

  6)健康増進とプライバシー保護とを両立させた包括的健康管理手法の開発  


 期待される成果  

  (1)健康保持・増進対策の評価指標を明確にし、より有効な対策を講じられるよ
 うになること、(2)労働生活の質的向上を実現できること、(3)健康障害を持つ人々
 が働き続けられる職場、バリアフリー社会の形成を促進できること、(4)企業の活
 性化に貢献できることが期待される。  



 III-7 労働衛生国際基準・調和と国際協力


 重要性と緊急性  

  産業活動の国際化に伴い、(1)労働衛生に係わる国際基準の設定と各国の基準間
 の調和、(2)開発途上国の労働衛生水準向上を図る国際協力に関する研究の重要性
 が増している。  
  はじめに、労働衛生関係の国際的な基準等に関連しては、ILO条約・勧告、ISO規
 格等があり、行動計画としては、アジェンダ21を受けて設置された国際化学物質安
 全性政府間フォーラム(IFCS)で検討されている化学物質の排出と移動の登録、化学
 物質の分類と表示の統一等がある。しかし、それらの設定に際しては、国による制
 度の相違が支障となること、各国、政・労・使、産業間等で利害が衝突することも
 多く、国際的な調和が求められる。わが国が、国の政策から企業内での活動までの
 様々なレベルで蓄積してきた経験や情報を活かして、こうした国際的な労働衛生の
 枠組み作りに寄与することは極めて重要であり、それを可能にするための研究が必
 要である。  
  次に、開発途上国への協力の問題であるが、現在、アジア、南米等の国々では、
 急速な産業開発と労働衛生対策との不均衡の結果として、(1)労働災害・職業病の
 多発、(2)古典的な職業病から最新の職業病・作業関連疾患までの同時期発生、(3)
 先進工業国でかつて経験した職業病の発生が国を変えて繰り返される、(4)既存の
 情報が乏しく国際協力が必要な職業性健康障害の発生等の問題が生じている。これ
 らの問題の解決は緊急の課題であり、先進工業国に蓄積された経験、技術、情報を
 活用する国際協力のニーズは大きい。  
  現在、わが国では、上述のニーズへの研究面からの貢献の必要性は広く認識され
 ているが、なお研究活動は十分とはいえず、人材は不足している。  


 研究内容  

  研究の実施には、労働衛生だけでなく人文・社会科学等も含めた学際的・国際的
 な研究グループ作り、行政・労使も含めた幅広い連携が必要である。  

  1)国際基準・調和に関連する研究  

   <1> 基準設定に必要なデータ収集や科学的・技術的問題を解決するための研究

   <2> 法制度、労働衛生活動等の国際比較ならびに国際協調からみた労働衛生の
    新しい枠組み作り  

   <3> 国際動向に対応できる知識・技能を持つ労働衛生専門職と労使当事者の教
    育に関する研究

  2)開発途上国との協力に関連する研究  

   <1> 各国の労働衛生の現状把握、ならびに協力のニーズに関する研究

   <2> 職業病の反復発生を防ぐ方策(法制度、リスクマネジメント、中小企業対
    策等、各種問題に共通する要因への対策)に関する経験、技術、情報の伝え
    方  

   <3> 職業性の疑いのある疾病等、個別問題について、その早期解決を図る国
    際協力研究  

   <4> 労使参加で低コスト改善を行う中小企業労働衛生改善活動の普及に関する
    研究  

   <5> 国際協力の経験・ノウハウの体系化・共有・活用に係る研究
 

 期待される成果  

  (1)国際基準の設定による世界的な労働と健康の両立への貢献、(2)新しい職業性
 健康障害の早期発見と予防対策の確立、(3)日本の労働衛生施策の見直しと効果的
 な推進、(4)国際的・学際的な研究協力の発展による日本の労働衛生研究基盤の強
 化等が期待される。  

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