第1回「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会」議事録

日時  平成12年11月8日(水)
 18:00〜
場所  労働省省議室

<開会>

○事務局
 「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会」第1回を開催する。



○補償課長(挨拶)
 今回の専門検討会の検討目的でもある過労死の認定基準の見直しの問題について、冒頭、行政側の問題意識について、説明をさせていただく。
 平成7年、8年に改正を行った現行の認定基準は、医学的な知見に準拠し、行政として責任をもって作った基準であり、社会的にも理解されているものと考えている。
 しかしながら、本年の7月、最高裁判決で2件の自動車運転者に係る脳出血事案について、国側が敗訴した。この最高裁の判決は、現行の認定基準を否定しているものではなく、個別の労災請求事案に対する判決であり、現行の認定基準、つまり医学的な知見を踏まえた、業務の過重性とその他の要因を評価して業務上外を判断する考え方は何ら否定はされているわけではない。行政としては、この最高裁判決の判断要素を踏まえた的確な判断が行えるように、認定基準の見直しを行うこととしたものである。
 現行の認定基準を見直すに当たっては、主に3つの検討事項がある。
 1つは、現行の認定基準の「業務の過重性」の評価は、「業務量」、「業務内容」、「作業環境」、「発症前の身体の状況」ということを十分調査して、総合的に判断することになっているが、それぞれについて、具体的な評価までは明記していない。これに対し、今般の最高裁の判決では、この点に関して具体的に、精神的な緊張を伴う業務、不規則な業務、労働時間の長さは同じであっても早朝から深夜に及ぶような時間帯の業務などを過重性の評価の要因として評価している。現行の認定基準は、これらのことを評価できないものではないが、抽象的な表現になっているものであり、業務の過重性について評価できる要因について、具体的に記述する必要があると考えている。そのため、医学的に見て、過重負荷として考えられるものについてどのようなものがあるのか、検討、評価をお願いしたい。
 2つ目は、いわゆる「慢性疲労」というものについて、現行の認定基準では評価するという形にはなっていないが、今回の最高裁判決では、事案の内容によっては付加的に考慮している判決内容になっている。この点に対してどういう評価の仕方があるのか、検討、評価をお願いしたい。
 3つ目は、現行の認定基準では、過重性の評価を、発症当日、前日、あるいは発症前1週間以内の業務がどうであったか、ということに相当の重きを置いている。つまり、発症前1週間以内の業務を見て、さしたる残業・休日労働・厳しい労働がないということであれば、発症前1週間より前に長時間労働があっても、発症に影響する評価は低くなる。そのような評価が的確と言えるのか。最高裁の判決、その他過去の高裁判決等々を見ても、多くは慢性疲労という視点も入れながら、1カ月、2カ月、3カ月程度の期間の業務実態を評価して、その過重性を判断している。この点について、医学的にどう整理したらいいのか、検討をお願いしたい。
 なお、認定基準の見直しの目途は、来年の夏頃、という予定にしているので、積極的な検討をよろしくお願いしたい。



○事務局
 参集者紹介。事務局紹介。互選により座長選出。

○座長
 皆様のご承認をいただきまして、進行、取りまとめ役を務めさせていただく。
 まず事務局から提出資料について確認、説明をお願いする。

○事務局
 提出資料について確認、説明。



○座長
 検討に入る。本日は、第1回目の検討であり、我々の検討内容、あるいは背景といったものに関して共通の理解をいただく必要がある。それでは、「専門検討会の趣旨及び目的」と「基礎的資料及び検討スケジュール」等の説明を事務局からお願する。

○事務局
 検討会の趣旨、目的及び検討スケジュール説明。

○座長
 事務局からの説明で、大体理解していただいたと思う。月1回のペースで、5月か6月ごろまでに検討会の結果をまとめたいというのが基本である。検討会が非公開ということについて説明をお願いする。

○事務局
 検討会については、先生方に忌憚のないご意見をいただくため、一般人が傍聴できない非公開としている。なお、議事録については、情報公開法に従い開示することとなるので、御了承いただきたい。
 本検討会については、審議会等の取り扱いにより労働省の審議会等台帳に登録し、それには本検討会の目的、1回目の開催日時、参集者の名前が記載されており、第三者が閲覧することができる。先生方の名前は公表されていることについてご了解いただきたい。最終的な報告書の公表においても、参集者の氏名が公表されるものである。

○座長
 報告書には参集者の名前を載せるが、議事録には発言者の名前は載せない取り扱いとなるので、自由に発言していただきたい。
 次に、「論点及び検討の進め方及び検討」について事務局から説明をお願いする。



○事務局
 第1点目は、「『業務の過重性』の評価要因の具体化」である。現行の認定基準で記述している業務量、業務内容、作業環境等を総合的に判断するということについて、より具体的な評価手法を検討し、的確な判断ができるようにしたいと考えている。
 評価要因については、最高裁判決の評価要因だけにとどまるのではなく、また、業務の過重性をどのように評価をしたらよいのかという点について、認定基準の中でも記述しなければならないので、その点の記述も含め報告書にしていただければと思っている。
 なお、業務の過重性の評価要因である、労働時間等について指標、あるいは目安のようなものが示せるのかについても、議論をお願いする。
 2点目は、「疲労の評価」である。最高裁判決においては、一定条件の下で慢性の疲労や過度のストレスの持続を付加的に評価している。「一定条件の下で」とは、脳・心臓疾患発症の有力な原因が高血圧症などの基礎疾患によるものなのか、業務の過重性によるものなのか判断できない場合には、慢性の疲労や過度のストレスの持続を付加的に考慮するという判決になっている。判決では、「他に確たる増悪要因が見出せない本件においては」という表現がなされている。
 なお、最高裁判決においては、「慢性の疲労や過度のストレスの持続」という言葉を使用しているが、慢性の疲労の内容、あるいは過度のストレスの内容を区分して示しているものではない。
 現行認定基準においては、「疲労」といったものは医学的にも評価方法が確立できないことから、これまで評価の対象としていない。「疲労」という言葉で簡略化して表現しているが、最高裁判決で言っている「慢性の疲労や過度のストレスの持続」という表現を簡略化したというふうに理解していただき、この検討会の報告書においては、どのような用語を使用するかは、先生方で議論いただきたい。なお、この内容には「ストレス」も含めるという理解である。
 第3点目は、「慢性の疲労や過度のストレスの持続」との関係で、現行の「1週間より前の業務の捉え方」という問題がある。最高裁判決においては、1週間にこだわらず「発症前の1カ月間、あるいはそれ以上の期間」といった業務の過重性を評価している。今般の最高裁判決のほか、最近の高等裁判所の判決などを見ても、1カ月から3カ月間ぐらいの期間の業務の過重性を評価しているものが多いという状況にある。
 なお、判決の動向などについては、次回以降の検討会において説明したいと考えている。
 現行認定基準においては、医学経験則上1週間程度を見れば、評価する期間は十分であるとされている、あるいは医学的には発症に近ければ近いほど影響が強く、発症から遡れば遡るほど関連は希薄となるとされていることから、発症前1週間以内の業務を中心に評価をし、1週間以内の業務が、特に過重とまでは至らなくても、相当程度過重であれば、1週間より前の業務を総合的に評価する、という考え方をとっている。しかしながら、1週間より前の業務も含めて総合的に評価するといっても、どの程度遡るかについては認定基準では明記していない。
 疲労の評価期間というものも含め、今後、業務の過重性の評価期間についてどのように取り扱ったらよいのか、医学的にどうみれるのか、医学経験則からの議論をいただきたい。
 第4点目は、「基礎疾患の捉え方」である。最高裁判決においては、基礎疾患の評価の観点として、大きく分けて2つあると理解している。1つは基礎疾患が自然経過により発症するまで増悪している状況があるかどうかという点である。基礎疾患が自然経過により発症直前の状況にあるような場合には、業務による過重な負荷ではなくても、日常生活のわずかな負荷でも発症するということであるので、このようなケースは業務上にはできないという理解である。
 基礎疾患についてもう1つの評価の観点があり、業務の過重性を評価する際に誰にとって過重であるのか、そういう評価を誰と比較して評価をするのかという評価手法を採っているが、この場合に、比較対象とする労働者の概念として、平均的労働者を設定する議論がある。
 西宮署長事件の大阪高裁判決においては、このような平均的労働者として、通常の業務に耐え得る程度の基礎疾患を有する者をも含む、平均的労働者を基準とすべきである、としているところである。
 そのための基礎疾患の程度について、最新の医学的な見解を取りまとめいただきたい。
 検討事項について主な4項目だけ説明したが、これ以外にも、関連する医学的事項を議論する必要があれば提示をいただきたい。議論の途中で出てきた場合でも、追加して議論していただきたい。

○座長
 具体的な検討の内容について事務局から説明があったが、質問等あれば発言いただきたい。

○参集者
 脳疾患とか、心臓疾患は、一般的に業務の過重性とか、疲労の問題とか、1週間前の業務の捉え方とは離れたものではないか。

○事務局
 今回の検討は、脳・心臓疾患の発症の影響を検討してもらうものである。

○参集者
 脳・心臓疾患を発症した患者の業務の過重性とか、疲労とかのおよぼす影響の評価について検討を行うのか。

○事務局
 そうである。

○座長
 対象疾患として、脳とか心臓の疾患があり、その発症において、業務がどの程度影響するのかの検討を行ってもらうものである。具体的な検討はこれからであるが、事務局から説明があった検討事項について検討するということで理解いただきたい。

○参集者
 関連する医学事項として、普通、疫学的に考えると男女差があるかどうか、年齢差では特に高齢労働者と若年労働者ということがあるが、認定上はほかの項目と比べるとそんなに大きな影響を及ぼさないという考え方なのか。つまり、同じ疾患で、過重性が同じで、疲労の程度も同じだった。1週間より前の業務の時間的な影響も同じだった、基礎疾患も同じで、脳・心臓疾患にかかった。その場合に年齢差、例えば高齢者の場合と若年者の場合との違いを考えると、この問題をどのように理解するのか、ということである。

○座長
 その辺のところをどう考えるかについても議論が必要である。

○事務局
 過重負荷を客観的に評価する場合、誰にとって過重であるのかという点で考えると、比較対象とする平均的労働者というものがある。これについては「現行の認定基準」の中で「客観的とは」という解説になっているが、「当該労働者のみならず、同僚労働者又は同種労働者にとっても、特に過重な精神的・身体的負荷と判断されることを言うものであり」としている。さらに、「この場合の同僚等とは、当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある者をいう」としている。
 男女差については具体的に触れていないが、常識的には、男性であれば男性と比較するのが適当ではないかと考えており、その辺は今後のご議論で先生方にご意見を頂戴できればと考えている。

○座長
 ある程度、個人的な背景をどの程度考慮するかということで、たぶん問題になるかもしれない。これから検討する内容の中では、業務量とか、業務内容とか、作業環境を述べている。それから、身体的な状況というのを一応謳っている。その中に個人的な、例えば業務外のいろいろなストレスを考慮するのかしないのか、というところまできちんと見るのかということで、かなり問題になる可能性もあるのではないかという気がする。
 精神疾患等の場合には、個人的な業務外の家庭の問題等も考慮してるが、この場合に、個人的な年齢とか、性別も含めて考慮するのか、あるいはそういうのは全く無視して、業務だけに注目するのかということがある。

○事務局
 認定基準は、脳・心臓疾患のほかにも、疾病の種類ごとに20数種類ある。そもそも認定基準は、こういうものを業務上にしなさいという、業務上の要件を示すのが目的であり、基本的には業務上の要因を掲げるのが一般的である。  精神障害等の場合は、その成因から「ストレス脆弱性理論」という理論を踏まえ、業務以外のものも見ることとしている。現行の脳・心臓疾患の認定基準では、業務外要因についてはほとんど触れていない。

○座長
 現行の認定基準では、業務内容とか、業務量とか、身体状況とか書いてあり、その身体状況を「身体・精神状況」ということになってくると、ストレスが入ってくる。ストレスになれば精神疾患と同じような考え方をしていかなければならないのではないか。特に、「長年にわたるストレスを考慮すべきである」ということが出てくるのであれば、業務だけのストレスを考えればいいのか、個人的なストレスを考えるのかということになってくるものと考える。

○参集者
 脳・心臓疾患を成人病という捉え方でいくと、生活習慣病ということだけでは捉えられなくて、いわゆる遺伝要因というのが大きな要素になる。いま、心筋梗塞も多形性遺伝の遺伝多形成という話になると、固有器官の個の問題を捉えるときに、業務外の要因のほかに、もう1つ遺伝要因をどういうふうに入れるか、ということもこれからかなり問題になるかなと思うが、こういうものも検討していくのか。

○座長
 考え方が非常に微妙で、2つ方法があると考える。そういうものがあるから、そちらに責任を負わせる量が増える、ということは判定に不利になる。そういうのは、基礎疾患という考え方の中に入れて、そのような基礎疾患をもっている人に対して、過重が加わり発病した、というふうに判定するとすれば、全く健康な人よりも過重が少なくて発病しても、それは過重であるというふうに判定しなければいけないのか。要するに、有利なほうに個人的な要因を使うのか、どちらかになるものと思う。

○参集者
 両面に使えるわけか。

○座長
 両面に使えるわけである。精神疾患の場合には、個人的に精神的なものがあった場合に、それは不利のほうに判定していると思う。基礎疾患の考え方によっては、有利に判定する場合が出てくる可能性もある。

○参集者
 先ほどの基礎疾患の重症度ということも絡んできて、重ければ重いほど少ない過重で発病するということか。

○座長
 そうである。そういうものまで過重と認めるべきである、ということになってくれば、判定に有利に働くわけである。プラスとマイナスをどう考えるかというのは、非常に微妙になるのではないかと思う。

○参集者
 そういうことからすると、かなり容易に結論が予想されるように、かなり具体的に基礎疾患の条件でかなり左右されるので、例えば脳梗塞であっても、心房細動によるような脳塞栓型と脳血栓型では、だいぶ日中の業務の負荷がより影響する脳塞栓と、あるいは比較的軽いと思われる脳血栓とでは相当変わってきてしまうので、一律に言うのはかなり難しいと思う。かなり、複雑になってくるのではないかと思う。

○座長
 おそらくかなり複雑になって、すべてを1つの基準では判定できないことになると思うが、そういうものの意味をきちんとわかりやすく書いて、それを総合的に判定していく、という方向を採らざるを得ないのではないかと考える。

○参集者
 特に心臓病などの場合、24時間で10万回鼓動し、1分間で5から7リットルぐらい血液を体内に送っている。それが、10秒間止まれば意識がなくなり、2分間止まれば脳細胞は不可逆性変化を来たしてしまう。そういう発作の場合に、業務と業務外と分けるのは非常に難しいのではないか。
 逆に言うと、自己管理の部分というのは非常に大きい。そういう意味でストレスひとつをとっても、ソーシャルサポートが非常に大事だという話になると、家庭内の問題というのは非常に大事になる。いくら業務上の過重の負荷があったとしても、家庭のところでソーシャルサポートを受けると、それは過重にならなくて済む。家でソーシャルサポートがなければ、それは本当に過重になってしまう。そうすると、業務と業務外とを分けること自身が、いつ発作が起こりますかというのは、ある意味では非常に難しい問題になる。
 さらにもう1つ、心臓の発作でいうと、ものすごいストレスと言うか、緊張状態になって起こる場合と、その緊張が取れた状態で起こる場合と両方ある。そうすると、仕事が終わって、ホッとした期間のところに、それも別にホッとした瞬間ではなくて、それも1週間、2週間、月単位のところでポンと発作が起こるという両面が医学的にあるということは事実なのである。そういうことまで加味することとなると、本日の説明を聞いていて、どこをどういうふうに、まとめられるのかなと考える。24時間のバイオリズム以外のところに、いま言ったような週単位、月単位、しかも、ものすごい過重がかかったときと、過重が取れたときと、しかも、それが時間単位ではなくて、週単位、月単位であるとその辺を医学的にあまり言いすぎると、こういうところでかえって混乱を招くかもしれない。そのため、どの辺のどこのところまでの要因を、業務外という扱いにするのか。また、先ほどの疾病の重症度をどこまで分けられるか、ある程度のところで線を引かなければいけないのだろうと思う。それを、どこで線を引くかというところをここで議論していただいて、そこが決まらないと、とことん詰めていくと、どこまで掘り下げるのかわからなくなってしまう。

○座長
 掘り下げても、結局わからないということが出てくると思う。医学で、ゼロというのを証明することはできないので、医学的に言えることはこういうことが言える、というところまで医学的にはサイエンティフィックにまとめて、あとは、どこで割切りするかというのは、もう社会通念で割切りをせざるを得ないかもしれない。

○参集者
 医学的にはグレーンゾーンは絶対にあり得る。最終的にはとことん白黒という、ディジタルにはいかない灰色の部分があり、灰色のところを広く取るのか狭く取るのかということだと思う。

○座長
 白とか黒とはっきりするのは、ある程度極端な例であり、それはある程度はっきり出してもいいかもしれないが、その間のグレーゾーンを考える場合に、先ほど言った仕事量とか内容といったものをすべて考慮して、相対的に考える、というよりしようがないのではないか。たぶん、そういう方向になってしまうのではないかと思う。

○参集者
 医学的な経験をされた事実としてはいろいろなものがあろうかと思う。そういう例外的なものを除いて、一般的に広く容認されるであろうレベルの話で決めていくということになるのではないか。

○座長
 おそらく、そういうことだと思う。どこまで医学的にちゃんと言えるか、という非常に微妙なところがあるのではないかと思う。

○参集者
 行政の側では、業務上疾病の判断というのは、業務上であるか業務外であるかを決めるわけであるから、行政としてはグレーゾーンを設けると困るのではないかと思うがいかがか。

○事務局
 グレーゾーンについて、我々としては、業務上か業務外かをはっきりさせる必要がある。医学的には、ある現象についてこれが正しいのだという見方があるのだと思う。しかし、そうではないいろいろな見方があって、どこかから医学の常識を逸脱したおかしな見方ということになるのだと思う。これが絶対100点ではないけれども、こっちのものの見方をとっても、これが0点とは言えないという部分の判断に当たっての領域があるのではないか。
 最高裁の判決は、言うまでもなく最終判決である。国民生活の中で、保険制度が成立しており、ある程度国民の意思をバックにして出された判決と受け止めるべきである。
 そういう視点で考えると、いろいろな考え方があり、これだけが正しいとは言えないのではないか。どこかに間違いがある。そこを並べていった場合に、最高裁の判決で判示した事項と、医学的な考え方で、どこか折り合いがグレーゾーンの中で付く部分があるのか。
 そうすると、どういう基準を作るかというのは、これは行政の責任においてやることだから、ここまでは折り合いが付くけれども、ここから先は無理だという部分を医学的に整理していただきたい。それをどこまで幅広く捉えたら、どこからおかしくなってくるのか、区別が付かない状態を整理をしていただく方法があるのではないか。であるから、幅広にご検討いただき、医学的に言えるとしたらここまでである、というのを検討していただければ、ある程度整理できるものと考えている。

○参集者
 裁量権というのは、もともと行政から出てきた言葉であるが、我々臨床家も裁量権という言葉を使う。臨床医は、自由裁量性を持っている、ということを我々は日常に使う、そういうふうに捉えている。実際考えてみると、裁量性というのは行政から出ている言葉である。
 行政で裁量性が必要だというのは、グレーがたくさんあるからだと思う。臨床医も、個々の患者の診療のときには、実際は裁量性を発揮している。それぐらい臨床の判断というのは幅があるということである。そこの幅から逸脱したときに問題が起こる。そこが、臨床家というのは病理とはちょっと違うかもしれない。臨床家の判断というのは、医療に裁量性を重んじて、その裁量性の幅のところについては、お互いに触れ合わないということがあり、Aという医者がこう取って、Bという医者がこう取っても、その裁量性の幅のあるときにはお互い容認し合う。そこから外れたときには問題になるのである。

○参集者
 臨床の先生の裁量性は、Aという先生と、Bという先生の裁量性が違っても、判断する患者のもっている病状という事実は変わらないものであり、その判断をすることを問題にするのではなくて、その病状をどのように客観化して示して、それを多くの人がどのように判断するか。人によっては非常に極端な判断をする人が世の中にはいるかもわからないが、大勢の人がどのように判断するかということが、いわゆる通常の医学常識に基づいた判断ということになるのではないか。

○参集者
 極端に外れた場合は別であるが、ある症状があります、ある所見があります、そのときの病名の付け方というのも、重症度の捉え方も、薬の使い方も個々の医師によって多少違う。その範囲というのは、絶対に答えは1つではないのである。そこのところが自由裁量性、というふうに臨床医は呼んでいます。そこのところは、誰しもがコンセンサスの得られるところでも幅がある。
 1人の患者を診たときに、全く同じ治療をしないわけであり、その辺のところのニュアンスが、本日聞いていて、むしろ逆に近いのかなと思っている。臨床と、そういう意味でこの判決を見ると、臨床家の捉え方はちょっと違うのかなという気がする。

○参集者
 どのような治療が最適、最良であるかという判断が、臨床の個々の先生によって違うということは当然あり得ることである。業務上外の判断というのは、どっちと考えるエビデンスがより多く揃っているかということによって行われるのではないかと思う。
 グレーゾーンであっても、業務上か業務外の判断をしなければならない。その間に「中間」を設けたらどうかというご議論が行政官の中にあったのを伺ったことがある。そうすると、いくらそれを細分化しても、次の区分との間のグレーゾーンというのはできてしまい、黒か白のどっちかに分けるというときに、人によってここまでを考えたいとか、あるいはもっと狭く考えたいという考え方もあると思う。それを決められるのは行政の裁量ではないかと理解している。

○参集者
 行政の裁量もそうであるが、臨床の診断・判断というものも幅があるのではないか。いま、エビデンス・ベイスド・メディシン(EBM)という、エビデンスという診断治療をしますよと。これは世界の流れなのであるけれども、本当にエビデンスがありますかというと、エビデンスがないからエビデンス・ベイスド・メディシンと騒がれていて、それでメガスタディを行う。メガスタディでやっても、トレンドしかわからない。それは、本当の意味のエビデンスにはなっていない。
 それが臨床であって、たぶんストレスとかいろいろなものを考えていったときに、たぶん一つ一つエビデンスは出てこないと思う。そのエビデンスというものがないのか、というと極端ではあるが、エビデンスというものは非常につかみ方によって、医学というのは経験則がいまでも非常に残っていて、臨床の場合にはエビデンスがつかめないと実験もできない。そういうところが、こういう判断をするときに、同じ事実というか、この判決のときにそういう事実関係が出ていても、こう判断する場合と、こう判断する場合とが分かれてしまう。その分かれたところが、容認される範囲なのかどうなのか、結果としては白が黒になってしまう。そこの判断が、結果としては黒であっても、その判断の範囲が医学的に容認し得るものならば黒があっても構わないのではないか、というのが臨床家の判断である。

○参集者
 いまのエビデンスも、確たるエビデンスと、一学者の主張によるエビデンスというのがあり、エビデンスがどれだけ再現性が求められるか。そういう角度と言うか、同じエビデンスであっても、角度を問題にする必要があると思う。

○参集者
 EBMにはレベルが大体6つとか9つぐらいに分かれている。エビデンスのレベルの高いのはメガスタディ、いくつかのランダマイズドスタディを併合したメタアナリシスというのがいちばんレベルが高い。次はランダマイズドスタディで、個人の経験というのは、エビデンスの中でも最下位である。
 そうすると、高いエビデンスを求めようとすると、いまのストレスとの問題でも、ランダマイズドスタディで、AとBとを介入していて、それがどういう結果をもたらすかというと、そのランダマイズドスタディでは出てこない。そうすると、臨床上のエビデンスというのは何ですかということになると、たぶん、非常にレベルの高いエビデンスは出てこない。そこが、臨床上、こういったもののエビデンス、特にこういった介入試験として、ランダマイズドスタディのできない分野のエビデンスというのは、非常に曖昧としたエビデンスしか出てこない。そういった曖昧としているところのレベルでいくと、ずっと下のほうのレベルのエビデンスで、何を判断として使っていくのか、というのが難しいかなという印象である。

○参集者
 いまお話に出ました、ストレスとか疲労というものを測る物差しとして確たる物差しはない。いろいろ主張する研究者がいるが、行政が一貫性を持って、公正な判断で黒白を付けていくときに、疲労とかストレスというものを判断の基準にするには適当ではないということで取り上げなかった。それは、現在でも変わりないという検討結果が得られれば、それはそれで大変意味があることになるのではないかと思う。

○参集者
 確かにストレスというのは、例えば慢性疲労と急性疲労があってどういうふうに線を引くのかは難しい。ただ、我々臨床家の経験として、ストレスが非常に大きな発症の起点に役割を果たしているということは、臨床家は誰しも認めている。ただし、先ほども申した、本当にハイレベルのエビデンスとしてそれが求められたものではなく、一人ひとりの臨床家としては、それが正しいと思っている。
 現行の認定基準における条件にはストレスは除いているが、こういう判決文とかが出たときには、必ずそのストレスというのは取り上げられてしまう。そして、そのストレスが急性・慢性であれストレスというものが、たぶんこういったところで根拠に使われてしまう。そこで、エビデンスがどのぐらいのレベルのところでエビデンスかというところで、下位のレベルのエビデンスでストレスというようなところなら、それをどう解釈するかというのは幅の広いところに入れておいて、項目としては入れておかないと、これに全く触れられていないものは判決で触れられてしまう、というふうになるリスクは高いのではない。

○座長
 中核的な議論であり、また個々の検討課題において議論していただければと思う。医者の判断というのは、医学的思考過程、自分の学問とか経験による医学的思考過程によって判断している。ところが、裁判官は医学部を出ているわけではないし、医学的思考過程というのは証人から聞くだけである。ただ、証人というのは反対のことを必ず証言するものである。おそらく最終的な裁判官の判断というのは、全体を見て、これは一般の人も過重と考えるというような、あるいはそれに合うような証人の証言を採用するというような気がする。したがって、医師が判断する場合と、最高裁の裁判官が判断する場合とは、ちょっとベースが違うような気がする。個々については、また具体的な議論を行いたい。



○座長
 次に、文献収集の方法について事務局からの説明をお願いする。

○事務局
 文献の収集方法については、これを是非参照したほうがいいというようなものはコピーを送っていただき、それから成書の場合でも、先生方から推薦いただけるものがあれば検討会に提出する。なお、成書の中の一部分であれば、それはコピーをいただき、提出することとする。
 それから事務局からの提出文献は、本日たくさんの文献を提出していて、原著論文はほとんど本日は提出していないが、原著論文以外のものも提出していくことにしたい。
 本日提出した文献以外の文献については、今後検索をしていくこととしており、そのためのキーワードとか検索期間の設定についても検討していただきたい。それ以外にも具体的な文献そのものを見る必要がある、というものがあれば事務局で入手し、検討会に提出することとしたい。

○座長
 検索文献のキーワード候補について検討したい。

○参集者
 疾患については、脳血管障害、あと「ストローク」というのがある。また、成因としては、職業として「オキュペーション」、あるいは疲労であるので「ファティーグ」を入れてはどうか。

○参集者
 成因については、「ジョブ」にかかわるが、「ジョブ・ストレイン」というのが、たぶんストレスにかかわる部分だと思う。それから、長時間労働ということになると、「ワーキングアワー」といったものも入れた方がよいのではないか。

○座長
 かなりの文献検索数になる可能性がある。例えば、「ワーキングアワー」とか、「ワークアワー」というのは「ワーク」で引けば必ず出てくる。むしろ、「ワーク」ぐらいで引いて、あと疾病を検索すればほとんど引っかかってくるのではないかと思う。たぶん、いろいろなところで「ワーク」という言葉を使っていると思う。職業性の疾患(オキペーション)という言葉も、必ず「ワーク」という言葉を使うと思う。「ワーク」だけで引けば膨大な文献数になる。それと「疾病」を中心に検索するというのが、いちばん適切であると考える。
 「ワーク」で、「疾病」のほうは場合によって、「カーデオーバスキュラーディジーズ」などと書いてない論文もある。ただ、「セレブロバスキュラーディジーズ」などというのは「ストローク」と出てきたりする。それから、「コロナリーハートディジーズ」とか、「エスケミックハートディジーズ」とか、そういう形で出てきてしまう。それをまとめて「カーデオーバースキュラーディジーズ」という表現が文章の中に入っているかどうか、というのは非常に問題になる。
 したがって、成因のほうは「ワーク」で引けば、いまの検索方法だと「ワーキングアワー」とかは全部出てくるので、疾病のほうを具体的に数を挙げて、その両方で引っかけたらどうか。

○参集者
 このキーワードで、例えば「カーデオーバスキュラーディジーズ」というものすごい大きいタイトルであるから、それでキーワードで入れている人がいるのであろうか。

○座長
 普通はあまり使わない。ただ、文章の中に書いてあると必ず引っかかってくる。それを使っていない場合があるが、それはもちろん引いて、個々の具体的な「ハートディジーズ」とか、「エスケミックディジーズ」とか、そのようなものを入れていけば、必要なものは引っかかってくるのではないか。

○参集者
 例えば、心臓疾患の「アキュートコナリシンドローム」は入れていただいたほうがいいと思う。

○参集者
 成因のほうで、ストレスの関係であるが、最近のいろいろなストレス・モデルは「ジョブディマンド」と、「ジョブ・コントロール」、「ソーシャルサポート」の3つがキーワードになっている。

○参集者
 ストレスについては、「ディマンド」とか、「コントロール」とか、「ソーシャルサポート」でよいのではないか。

○座長
 それは、広い意味であり、今回は労働者を対象としたものである。したがって、労働者を対象としていれば「ワーク」という言葉で出てくるのではないか。

○参集者
 おそらく、「ストレス」を取っても出てこない。

○座長
 ストレス全体についてやる必要はないと思う。「労働者の」という関連だけで十分ではないかと思う。

○参集者
 いまの疫学の、労働と循環器系の疫学のところでの、最も新しい知見は大体「ジョブ・ディマンド」と、「ジョブ・コントロール」と、「イースデンス」という格好で相当な知見が蓄積されている。

○座長
 それでは、「ジョブ」を引けば引っかかってくる。

○参集者
 「ディマンド」と「コントロール」は出るが、「ソーシャルサポート」は出ない。

○座長
 「ソーシャルサポート」が必要かどうかである。

○参集者
 そこまで細かくやるかどうか、場合によっては要らない可能性もある。

○座長
 むしろ、「ワーク」「ジョブ」で引っかけておけば、引っかかってくるのではないか。ある程度幅があって、あとは集計でずっと引いていけば完全に出てくるのではないか。

○参集者
 「ソーシャルサポート」はどうか。

○参集者
 3大ストレス要因の1つであり、入れておいてもらったほうがいいと思う。

○参集者
 「オートロナートシステム」は自律神経であるけれども、自律神経はどうか。

○参集者
 あとは「コロナリリィスクファクター」、あるいは「リィスクファクター」。

○参集者
 「エータイプパターンビヘービア」というのは、いまは「ホルマリーフローンビヘービア」と言ったほうがいいと思う。

○座長
 いま言ったものを全部引っかけてやるだけの意味があるのか。10年、20年といったら膨大な文献数になる。それを全部整理するのは不可能になってしまうと思う。

○事務局
 成因のほうは参集者に選んでいただくということでどうか。

○座長
 必要なものはもちろんわかるけれども、いま、先生方の検討にあった「ソーシャルサポート」がこの場合には必要なのか、おそらく判定の基準には「ソーシャルサポート」などというのは採用されないのではないかと思う。必要ではあると思うが、それが仕事に関係したものであれば、「ワーク」か「ジョブ」で引っかければ、たぶん引っかかってくるのではないかと思う。「ワークロード」でやると非常に少なくなってしまうと思う。「ワーク」で引けば、必ず「ワークロード」も入る。こちらは、「ワーク」とか「ジョブ」ぐらいで引いて、あとは疾患名でかなり拾っていけば、ここの対象疾患として挙げてある疾患は全部拾えばいいのではないか。そうすればかなり絞られると思う。

○参集者
 「ソーシャルサポート」は要らないと考える。

○座長
 「ストレス」も取っていいかもしれないが、それは作業関連であれば、「ワーク」か「ジョブ」という言葉で出てくると思う。

○参集者
 「ワーク」とか「ジョブ」をやったら無限大に出てくる。

○座長
 だから、あとは疾病で縛ってしまう。疾病で縛れば、「ワーク」に関連した病気は全部出てくるから、それが我々としては必要なのではないかと思う。

○参集者
 成因の方と疾患の方と、組み合わせでやるということか。

○座長
 もちろん組み合わせでやるということである。そうしないと膨大になりすぎる。

○参集者
 それならば、成因のところでリスクファクターとして、例えばスモーキングとか、アルコールとかの中に入っていない塩分摂取とか、基本的に下の疾患に影響を及ぼす成因として基本的なものがあり、一つ一つは入れられないが、例えば「リスクファクター」ではどうか。リスクファクターの中にエイジも入ってしまうかもしれないか。

○座長
 全部入ってきてしまうと思う。

○参集者
 そういうほうが、1つで済むのではないか。

○座長
 「リスクファクター」10ぐらいの中に、1つは作業負荷というのが入ってくるかもしれない。

○参集者
 作業の方は別に入れたほうがいいと思う。

○座長
 「リスクファクター」を取っておいて有利なのは、実際にこういった病気になるリスクファクターとして、仕事量というのはせいぜい1%でしょうとか、そういうのが出てくるかということ。成因として、「ワーク」「ジョブ」「リスクファクター」を取るか。そうすれば大抵引っかかってくるだろうと思う。病気では、対象疾病を全部挙げて、その病名として「ストローク」というのを必ず入れないといけない。日本の中央雑誌などはどうか。

○事務局
 中央雑誌のものは、両方で選ばなければいけないということか。

○座長
 そうである。とりあえずそれで引いてみて、どのぐらい数が出てくるか、ということを見当つけてみてはどうか。

○事務局
 数が先にわかると思うから、その上で場合によっては相談申し上げる。

○事務局
 疾患のほうも、もう少し整理していただいたほうがいいと思う。

○座長
 そうですね。これは全部ではなくて、この基準の中に対象疾病というのが載っているので、それを全部引っかけたらいいのではないか。

○参集者
 「リスクファクター」のほうのキーワードに入っていれば、よろしいのではないか。むしろ、私は「クローニックファティーグー」というのは必要ではないかと思う。慢性疲労というのが最高裁で引用されているので「ワーク」の中に出てくればいいと思う。

○座長
 成因のほうは「ワーク」「ジョブ」「リスクファクター」「ファティーグ」ということでどうか。それで、どのぐらいの数が出てくるか、というのをチェックすることとしたい。

○事務局
 期間の方はどうか。

○座長
 エンドは現在までであるが、いつからにしたらよいか。

○事務局
 認定基準に係る報告については、1987年の報告が主なものである。

○座長
 87年までやっているとすれば、88年からにしたい。

○事務局
 1988年から2000年までということで検索してみたい。



<閉会>

○座長
 以上をもって、本日の検討を終了させていただくが、事務局では本日の検討を踏まえて、今後の検討事項について整理していただければと思う。
 次回は、12月26日午後6時から検討会を開催する。



照会先:労働基準局 労災補償部補償課 職業病認定対策室職業病認定業務第一係
     (内線5570)


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