平成10年版厚生白書の概要

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【第2章 自立した個人の生き方を尊重し、お互いを支え合える家族】

I.近年の家族の変化、結婚、妊娠・出産

○ 夫婦と子どもからなる核家族世帯は、今や家族構成の典型でなくなりつつある。一方、単独世帯は一貫して増加し続け、4世帯に1世帯は単独世帯。

○ 今日、家族に求める役割として情緒機能が重視されてきている。また、「一番大切に思うもの」は「家族」である。

○ 未婚男女の約9割が「いずれ結婚するつもり」としているものの、平均初婚年齢は上昇し続け、適齢期に対する意識も薄れてきている。

○ 夫婦同姓の歴史は意外に浅く、100年足らずのこと。選択的夫婦別姓の導入については、
これから結婚を控えた若い年代層で改正容認派が多くなっている。

○ 10代の中絶が増加している状況は避妊を含めた性に関する知識の普及の必要性を、既婚女性の中絶が多い状況は確実な避妊方法の普及の必要性を強く浮かび上がらせている。
避妊に関する知識の普及や性に関する相談を含め、妊娠・出産に関する教育や相談体制 の充実が求められる。

○ リプロダクティヴヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康/権利)の概念を踏まえた女性の生涯を通じた健康支援と自己決定の尊重が求められている。

II.夫婦

○ 夫婦の約半数は共働き、子どもの年齢が低い層では片働きが多い。また、夫の所得が高くなるほど、妻の有業率は下がる。

○ 妻が常勤(フルタイム)就業で夫と均等に家計費を負担している場合でも、家事は妻が中心。
 また、家庭の日常的な細々とした家計管理責任は、夫と均等に家計費負担をしている場合でも主に妻が担っている。夫婦の就業分担、家計費分担が進む中で、決して負担の小さくない家計の管理責任のあり方についても考えていく必要があるのではないか。

III.母親と子

○ 育児についても母親がその大半を担っており、「夫は仕事、妻は家事も育児も仕事も」といった女性が二重、三重に負担を負う状況。

○ 戦後の高度経済成長期を通じて、居住空間の郊外化、核家族化が進む中で母親が一人で子育てに専念することが一般化。普遍的なものと受け止められがちな「母親は子育てに専念するもの、すべきもの」との社会的規範は、戦後の数十年の間に形成されたに過ぎない。

○ 子育てにおける「母性」の果たす役割が過度に強調され、絶対視される中で、「母親は子育てに専念するもの、すべきもの」という社会的規範が広く浸透。
 しかし、妊娠・出産・哺乳が母親(女性)に固有の能力であるとしても、例えば、おむつを交換する、ごはんを食べさせる、本を読んで聞かせる、お風呂に入れる、寝かせつけるといった育児の大半は、父親(男性)によっても遂行可能。

○ 子育てについては専業主婦により高い不安傾向。家に閉じこもって、終日子育てに専念する主婦は、子育てについて周囲の支援も受けられず、孤独感の中で、子ども中心の生活を強いられ、自分の時間が持てないなどストレスをためやすいためではないか。

○ 母親が子育てに重圧やストレスを感じながら子どもに接することは、子どもの心身の健全発達に好ましくないことはいうまでもなく、児童虐待という事態に至ることもある。母親と子どもが過度に密着することの弊害も色々と指摘されるようになってきている。
 母親の育児不安を解消するには、できる限り多くの人が子育てにかかわる中で、母親自身も過度の子どもとの密着関係を見直すことが必要。

○ これらのことを踏まえれば、三歳児神話(子どもは三歳までは、常時家庭において母親の手で育てないと、子どものその後の成長に悪影響を及ぼす)には、少なくとも合理的な根拠は認められない。

○ 乳幼児期という人生の初期段階は、人間(他者)に対する基本的信頼感を形成する大事な時期であるが、この信頼感は、乳幼児期に母親が常に子どもの側にいなければ形成されないというものではない。
 両親が親として子育て責任を果たしていく中で、保育所や地域社会などの支えも受けながら、多くの手と愛情の中で子どもを育むことができれば、それは母親が1人で孤立感の中で子育てするよりも子どもの健全発達にとって望ましいともいえる。大切なのは育児 者によって注がれる愛情の質。

○ 子育てについての過剰な期待や責任から、母親を解放していくことが望まれる。そうすることが、結果的には、母親が心にゆとりをもって豊かな愛情で子育てに接することにつながり、よりよい母子関係が築かれることにつながると考えられる。

IV.父親と子

○ 父親が子どもと一緒に過ごす時間は短く、存在感も希薄。父親の育児参画意識は高まってきているが、仕事が優先されている。

○ 子育てに父親が積極的に参画、分担することによって、母親の子育て負担を軽減していくことが望まれる。
 これは、単に母親の負担を軽減する、ということではなく、「親」として本来果たすべ き子育ての役割を担う、ということ。そのことを通じて、子どもの心身の健全な発達への 期待とともに、父親自身が子育ての喜びを味わう機会を取り戻すということ。

V.家庭における子育て

○ 親には、子どもをあるがままに肯定し受容する優しさ、包容性(=母性原理)と子どもに理念や社会の規則を教える厳しさ、規範性(=父性原理)を持って子育てすることが求められる。

○ 近時、「父性原理」が欠如しがちであることが子どもの成長に悪影響を及ぼしているとの指摘がなされ、子育てにおける父親の役割の重要性が叫ばれている。
 父親も母親もこの両方の原理を持ち得るが、夫婦が共に子育てを担う中で、親として求められる優しさと厳しさという二つの態度を持って子どもと接することが求められる。

○ 家庭の中で、子どもは勉強してさえいれば後は甘やかされ、社会生活を営む上で当然必要とされるべきことなどを教え込まれず、親から本気で叱られた経験に乏しいことが、叱られるとすぐに「キレてしまう」子どもたちをつくる一因になっているのではないか。
 家庭においては、基本的な生活習慣、善悪の判断能力などのしつけについては、徒らに学校に依存しようとせず、家庭教育の最も重要な役割のひとつとして、その役割を果たしていくことが期待される。

VI.成人した子と親の関係

○ 親と同居し、親に依存する期間は長期化。自立しない生き方を許容する風潮は、独立し た一個の人間として自らの生き方に責任や希望を持つことのできない人間ばかりを作り出し、そのような社会に希望は持てないのではないか、と問題視する向き、他方、個人の生き方の選択の問題であり、親と子の双方が満足であれば、望ましいとの意見もある。

○ いずれにせよ、少子・高齢化の進展という社会の変革期にあって、これからの若い世代には、好むと好まざるとに関わらず「自立」が問われ、結婚前であっても早期に親から自立して生きていく必要に迫られていくのではないか。

VII.家庭内暴力

○ 家庭内暴力は、母親への家事・育児責任の過度の集中、子どもに対する学業成績による画一的評価など家族内の特定の者への行き過ぎた役割・期待の集中や家族間の対等でない関係が招いている側面。

○ 家族内の特定の個人への過度の負担集中、依存を改め、個人ができる限り自立しつつ、家事・育児などの家族内での責任をバランスよく担うことが、家庭内暴力の予防につながるのではないか。

VIII.今後の社会保障制度の設計(個人単位と世帯単位の設計)

○ これまでの被用者保険制度(健康保険制度、厚生年金制度)は、基本的に世帯単位で設計がなされてきた。このような設計は、専業主婦世帯が一般的であったという実態や家族のあり方に対する社会全体の評価や見方を踏まえて構築されたもの。

○ 社会保障制度の個人単位化には様々な問題があるが、女性の就業が時代の要請となり、また、生き方の多様化が進む中で、世帯単位の色彩を強く持った現行の制度の設計が様々な問題を抱えていることには間違いなく、今後引き続き国民全体でそのあり方についての議論を深めていくことが必要。

IX.家族の将来像

○ 休日のない家事を担う妻(母親)にとって、家庭は安らぎの場であるとはいえなくなっているのではないだろうか。そして、女性が社会進出する一方で女性の家庭内での責任が何ら軽減されないまま、「男は仕事、女は仕事も家庭も」という新たな男女の役割分業は、女性に一層の負担感をもたらしているのではないだろうか。
 一方、行き過ぎた役割分業の下で、家庭を省みず仕事に没頭する夫(父親)、受験競争に忙しい子どもにとっても、家庭は身の回りの世話を受けるだけの場所になってしまい、お互いの交流のない潤いのないものとなってしまっているのではないだろうか。

○ 個人が家族を得たいという欲求と仕事や学習、地域参加など様々な活動をしたいという個人としての欲求の実現とを両立させるためには、個人それぞれが自立し、尊重し合い、お互いを思いやるとともに、お互いに過剰な期待や責任を負わせることなく、家族としての責任を分担し合い、支え合う態度が求められる。

○ これからの家族を支えるためには、男女が共に家族内での責任を果たすとともにその喜びを分かち合い、そして就業している者にあっては職業上の責任との両立を可能とする男女共同参画社会の実現が必要。また、社会の仕組みを、自立した個人の生き方を尊重し、お互いを支え合える家族像に適合するものに改めていく必要に迫られている。



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