99/10/15 第9回生殖補助医療技術に関する専門委員会議事録 第9回 厚生科学審議会先端医療技術評価部会 生殖補助医療技術に関する専門委員会            議  事  録                            厚生省児童家庭局母子保健課 厚生科学審議会先端医療技術評価部会 生殖補助医療技術に関する専門委員会議事次第 日  時  平成11年10月15日 午後 1:30〜 3:44 場 所  霞が関東京会館 シルバースタールーム 議 事    議題1  生殖補助医療技術に関する有識者からの意見聴取         (対象者)         ・唄孝一氏 北里大学客員教授(民法)         ・元不妊患者の方    議題2  その他 ○武田主査 定刻になりましたので、ただいまから第9回厚生科学審議会先端医療技術評価部会生 殖補助医療技術に関する専門委員会を開催いたします。本日は大変お忙しい中お集まり いただきましてありがとうございます。  本日は委員の先生は全員ご出席の予定でございますが、辰巳先生から少々おくれると の連絡を受けております。 ○中谷委員長  矢内原先生もちょっとおくれるということです。ほんの数分だけおくれるということ です。 ○武田主査  また、本日の議題1でございます「有識者からの意見聴取」におきましてお話をお伺 いいたします北里大学客員教授の唄孝一先生と、元不妊患者でありますAさんにもご出 席をいただいております。  なお、元不妊患者のAさんにつきましてはプライバシーを保護する観点から匿名とさ せていただきます。また、マスコミの方におかれましては、Aさんを撮影をしたり追跡 取材などなさらぬようお願いいたします。  それでは議事に入りたいと思います。中谷委員長、議事進行をよろしくお願いいたし ます。 ○中谷委員長  本日はわざわざおいでいただきましてありがとうございました。特に唄先生、Aさん にはお忙しいところをおいでいただきまして大変感謝申し上げております。  暑い暑い夏が終わったと思ったら急に涼しくなってホッとしましたけれども、きょう は雨模様でちょっとどうかなという日でございますけれども、おそろいでご出席いただ きましたことに対してまずは御礼申し上げます。  議事に入ります前に事務局から、本日の資料のご確認をお願いいたします。 ○武田主査  それでは資料の確認をさせていただきます。まず1枚目の紙でございますが、本日の 議事次第でございます。次に資料の1−1でございますが、本日の議事の1の「有識者 からの意見聴取」の意見を聞く方でございます唄孝一先生の資料でございます。次の資 料の1−2も唄先生の意見発表に当たっての参考資料でございます。次に資料の2でご ざいますが、こちらももうお一方のヒアリングの対象でございます元不妊患者のAさん の意見の発表の概要でございます。  資料のほうは以上でございまして、次に参考資料でございますが、インターネット等 で寄せられた国民のご意見でございます。最後に机上配付資料、先生たちのお手元だけ に配付している資料でございますが、本日の意見発表者でございます元不妊患者のAさ んからご提出いただいた資料でございます。  それから、後ほどご説明申し上げますが、11月、12月の日程調整表のほうも先生方の お手元に配付させていただいております。 以上でございます。 ○中谷委員長 ありがとうございました。資料の点で皆様、何か欠けている資料があったりしたら挙 手をしていただきたいと思いますが、よろしゅうございますか。 委員も全員そろったようでございますので、それでは次に議事1の「生殖補助医療技 術に関する有識者からの意見聴取」に入りたいと思います。事務局から唄先生とAさん のご紹介をお願いいたします。 ○武田主査  本日ヒアリングをさせていただきますお二方のご紹介を申し上げます。  まず最初に唄孝一先生でございますが、大正13年生まれでございまして、現在、北里 大学客員教授、それから東京都立大学名誉教授をされております。専門のほうは民法、 法社会学、医事法でございまして、日本医事法学会の前代表理事でございます。  それから医事法学関係の著書が多数ございまして、本日はAIDを検討されました昭 和31年の日本私法学会の話を中心にしていただけることとなっております。中谷委員長 からのご紹介により、本日ご出席をいただいております。 次に元不妊患者のAさんでございますが、昭和40年にお生まれになりまして、5年前 に体外受精で双子のお子さんをご出産されております。かつては不妊患者の自助グルー プを主宰されておりまして、現在は双子を持つ親の会の会員でございます。それから自 治医大の不妊カウンセラーの研修を受講されるなどの活動をされております。それから 私どもの生殖補助医療技術の専門委員会との関係では、AIDを受けたことのある患者 さんとのつき合いもございまして、そうしたお話も伺えるということでございます。辰 巳先生のご紹介で、本日はご出席をいただいております。  なおAさんにつきましては、まだお子さんに、体外受精によって出生したことをお伝 えしていないということでございますので、プライバシーの保護に配慮したやり方、匿 名でございますとか、撮影をしていただかないようなお願いをしているところでござい ます。  以上でございます。 ○中谷委員長  どうもありがとうございました。それでは早速、唄先生から30分程度でご意見を伺い たいと思います。 唄先生はきょうの日のために非常にいろいろお調べいただきましてこちらにご出席い ただきましたことに対してまずは御礼申し上げます。どうぞよろしくお願いいたしま す。 ○唄氏 唄でございます。  生命倫理を論ずることが、いわゆる先端医療にのみ偏するのでなく、日常医療にこそ より多く重点を置くべきことは十分留意すべきことではあります。にもかかわらず、臓 器移植・脳死問題と人工生殖問題とはやはり二大分野として、突出して世人の関心を殊 のほか集めているということもそれなりの十分の理由があると思われます。 小たる私個人の研究を顧みましても、この偏りを免れていないのでありますが、私の 場合、臓器移植・脳死についてはそれなりに第1次資料の収集を含む資料収集とその分 析にかなりの年月と精力とを費やしましたが、しかし、そのわりには、社会に役立つ実 践的提言をほとんどできないで終わっております。 それに比しまして、人工生殖ないし生殖補助医療につきましてはほとんど固有の勉強 を怠りながら準備不十分のまま、学会などで全く偶然的にしゃべったことが一応の提言 をした結果になったということがたまたま1度でなかったわけであります。  そのような自分自身のアンバランスな状態を率直に見つめて、これまでの提言を再点 検することで、きょうの責めを果たしたいと思ったのであります。  ただ、時間が30分と限られておりますので、全体が薄くなるよりは、先ほども紹介者 がおっしゃってくださいました例の私法学会のことを中心にしたほうがよいかと思われ ますので、レジュメの中の4分の1ぐらいのところで時間がくるのかと思われます。  そこでレジュメを見ていただきたいと思います。あえて「思ってきたこと」なぞとい う題にしましたのも、先ほどのような理由で、必ずしも研究の成果と言うに値しない、 しかし何やかや思ってきたという気持ちであります。  1. 第1に、昭和31年の5月1日、第17回日本私法学会におけるシンポジウム、「人 工授精の法律問題」について申し上げます。  (1)実はこの数年前から、当時の慶応病院の産婦人科部長の安藤画一教授のイニシア チーフによりまして、同教授の依頼を受けた同大学法学部の小池隆一教授が、以下引用 ですが、「田中実助教授、須藤次郎助教授、人見康子助手の3君と協議した結果、本問 題の共同研究に着手」されておられたようであります。4人は慶応病院へ数回の調査を 含めて研究を続行中でありましたが、その中間報告を兼ねて、この私法学会でその成果 を報告され、それを軸とする表記シンポジウムとなったのであります。  その総括的印象として、人見助手、当時助手でありました人見さんは、「討論では、 時間の不足のため、人工授精の当否そのものに主として議論が集中され而も否定的見解 が強く主張されたようであった」と回顧されておられますが、これはフロアの一参加者 であった私の記憶とも全く符合しております。  このシンポジウムは私にとり印象の強いものでありましたが、それは当時の私法学会 の長老格、と申してもまだ50代後半であったと思われますが、東北大学の中川善之助教 授、大阪大学の石本雅男両教授がこもごも述べられました次のような発言と分かちがた く私の脳裏に残っているのであります。 中川教授は、「私はどうも人工授精というのはやめたほうがいいと思うのです」と言 われ、その理由として、番号は仮に私が振ったものですが、1、「子どもの福祉という ことは全然入っていないので、全くこれは親のためばかりである」こと、2、「満員電 車のような[日本の]中で無理をしてまで子どもをつくるということは・・・立法政策と してはちっとも認める必要はない、」3、「子どものない夫婦が、夫婦生活が壊れるこ とを、一人の子どもという生命を産むことによって防ぐということは、非常な子どもの 人権無視ではないかという気がする」などと述べられました。  また石本教授は、「子どもに親を知らさないということが必要な要件だろうと思うが 生まれてくる子どもの立場に立ってみた場合に・・・・人権のじゅうりんがないかどう か」、「一体子どもを求めるということがどういう意味を持っているのか、人類という ものの考え方を変えるほど強い要求であるのか」、「なるべく自然でないことはやめる ほうがいいのではないかと思う」、「仮に許されるにしても、それが望ましいことでは ない」などと発言されておられます。  いつも元気な中川教授と、日ごろは控えめの石本教授の対照的なお二人ではありまし たが、お二人ともこの新しい試みへの嫌悪感を体いっぱいに表現されているというふう に私には感じられました。  というわけで、この学会に言及するときには、まず出席者のだれも、このお二人のこ のような様子を述べざるを得ないと思われるのであります。  第2の問題は「出生子の親子関係」という問題でありました。その子を推定嫡出子と するという報告者の報告でありましたが、それへの疑問から始まっているのであります が、記録によると、私がその疑問提起の口火を切っているんですが、これは全く意外で あります。本当にそうだったのか、だれかが前を削ったんじゃないかと疑うほど、私も わが目を疑うのでありますが、当時、私は30を出たばかりの家族法を研究する新米の助 教授で、この学会に一会員として出席していただけでありまして、医事法とはもちろん 何の関係もないことはもとより、家族法の立場からもこの問題を考えたことは1度もな く、何の勉強もしていなかったからであります。  にもかかわらず次のような疑問を述べております。第1に、報告者は父親の同意書面 を取っているということをこの嫡出性の一つの根拠とされたが、その同意書面は「そこ まで一任しようという意思を含む意味でしょうか。それは嫡出性を承認するということ をも含んでいるものかどうでしょう。むしろ否定的に考えられるのではないでしょう か。」第2に出生届を父が出したということが、この嫡出性の根拠になるでしょうか。 「出生届は出生という事実の行政的報告にすぎないので、必ずしも父が親として名のる 意思表示とは関係がないとされています。転換して認知の効力を認めるという問題につ いても・・・・むしろ否定的に考えられます。たとえ転換したとしても、それはあくま で認知への転換であって、そのことは必ずしも嫡出の承認とは関係ないでしょう。むろ ん準正の問題は起こるでしょうが。」第3に推定というのは一応、事実の探索をしない で済むようにするという前提でできているが、だからといって常に事実を問題にすべき でないということにはならない・・・・。必ずしもそういう意味の事実の主張は許され ないという意味はない。・・・・とにかく推定の基礎たる事実を全く欠いているのです から、・・・・大いに主張してもいい事実ではないか。」「そんなわけで、解釈上の無 理をおかしてまで必ずしも嫡出子として認める必要はない。必ずしも嫡出子とは認めな いで、しかも効果の点で実質的に子の立場を十分考慮するということができないもの か。少なくとも推定はおかしい」などと発言しております。  これら嫡出性そのものへの疑問を述べているように見えます。この点につき私はさら に、「先ほど嫡出一般に反対のように申しましたが、私が特に言いたかったのは、当然 に推定一般をかぶらせるということに反対した」のであり、この子を「推定の及ばない 子」と解してはどうかというのであります。  このへん、前段とこれから言うこととちょっと、私の舌足らずと申しますか、嫡出そ のものの問題と推定の問題とがちょっとゴチャゴチャしていて恥ずかしいところです。 「推定されない状態にしておくほうがいい、少なくとも推定される嫡出子として解釈し てしまうことはそういう意味でもあまり好ましくない」というふうに言っております。  以上が当日の叙述であります。  (2)さて、この発言をいかに評価すべきでしょうか。推定された嫡出子と推定の及ば ない子、これを表見嫡出子と呼んだりもいたしますが、この2つでは、それの否定の権 利者、手続、期間が全く違ってまいります。前者では原則として、夫が子の出生を知っ たときから1年以内に否認の訴えを提起しない限り嫡出子として固まってしまうが、後 者では、確認の利益のある人はいつでも親子関係不存在確認の訴えを起こして、その親 子関係を否定し得ることになります。  AIDが、夫に不妊原因があるということを要件としてなされる以上、その子が夫の 生物学的子である事実的基礎を全く欠く上に、これは推定の枠を外し、事実の主張を オープンにしようというのが、及ばないという解釈の主張の根拠であります。  このような提言に対して、血縁主義ないし事実主義として批判されることがありま す。事実主義という概念自体多義的であり、どの定義を取るかで、この批判の当否は左 右されるのでありますが、私の場合には、民法の体系的理解としては、以下、私の教科 書(鈴木祥弥=唄孝一「人事法I」有斐閣1980年)からの引用ですが、「法律上の親子 関係たるか否かは、生物学的親子たるか否かとは次元を異にする法律的概念である。 (通常それらは互いに相重なることが多いが。)言いかえれば、それは民法上の一定の 効果ないし機能を担うための目的的概念であり、単なる自然的、事実的概念とは異なる のである」という立場をとっております。  したがって、私は単純な事実主義をとるものではないのでありますが、しかし、ここ でAIDの子どもを表見嫡出子と解することは、そのような私の基本的立場と矛盾する ものではないと思っております。  AIDの子どものような場合、事実からの揺り戻しをオープンにしておくことこそが 前述の民法体系への基本的理解、(これは見方によって法律主義、制度主義であり、見 方によっては意思主義にも足をかけるのでありますが)、民法体系への基本的理解と、 血縁的事実への修正の可能性との両立を図り得る道だと思うからであります。  (3)なお、またこのような二元主義、制度主義は、効果の相対的配分と通じます。そ のために、そのことがいわば逆噴射いたしまして、身分そのものの一元的把握を不要と し、効果、機能だけをカズイスティックに認める議論にもつながってまいります。  こういう発言があります。解釈上の無理をおかしてまで、必ずしも嫡出子として認め る必要はない。必ずしも嫡出子とは認めないで、しかも効果の点で実質的に子の立場を 十分考慮するということができないものか」、「親子でないが、扶養の義務の認定とい うものをここで強くしていくといった方法ができないでしょうか」という私の発言など 身分の確定と効果の選択とを必ずしも一義的に結びつけないという論理の可能性を示唆 しているのであります。このことは、このシンポジウムの中で私以外にも、「身分関係 を発生させるということよりも、責任のほうからスタートしたほうがいいと思う」とい う佐々木宏教授の端的な御指摘にもあらわれております。 アメリカなどでも初期、特 に統一親子関係法の成立の以前などの判決で多いかと思いますが、親子を身分として安 定させることなく扶養義務だけを肯定する判決があるのは、洋の内外に通ずる一つのア プローチを示すものとして興味深いと思います。しかしこれはおそらく子の保護に十分 でないという理由で、またわが民法の体系にもなじまないものとして、なかなかわが国 では受け入れられない考え方であろうとは思われます。  これらの点で、24年を経て1978年、あのルイーズちゃんの直後ですが、この私法学会 での発言につき、先ほど引用しました人見教授との対談の機会がございまして(「Law School」4号 1978年)、人見教授の質問に答えて私は次のように説明しております。 これは1978年当時のそれでありますので、56年の先ほどの私法学会当時の私の真意を 正確に伝えるものかどうかはわかりませんが、78年の考えであることはたしかです。理 由はともかく、61年も78年も、私の解釈上の提言命題に変化はないし、いまでも私は、 あえて私見を述べろと言われますと、やはりこの説を述べるであろうと思われます。 そこで、人見さんとの対談をそのまま引用させていただきます。「私法学会で取り上 げられたのはもう20年も前ですか。だから、そのとき言ったことに、私も必ずしも同じ 趣旨ではないかもしれません。ということで、推定の及ばないということを言ったとい うことを申します。通説は、先ほどのような理由で、子どもは妻と夫の家庭に入り込ん で地位の安定ということからいって、通説はそういう説をとるのであろう。「ことに現 在の実務では、対象として夫婦にだけにやっておられるし、しかも夫の承諾を必ずとっ ておられる。ということで、今の解釈が子どもの安定、家族の安定のためにいい、とい うことはよくわかります。しかし、これは、その夫婦間の不妊ということを条件として いるわけだし、仮に夫婦の間に通常の交渉があったとしても、その夫の子どもでないこ とこれほど明らかなことはないのですから、こういうときに推定までして、夫の嫡出子 として固めてしまうということがいいのかしら、と疑問を持っているわけです。」「一 般的には必ずしもその事実主義にこだわるつもりはない。ところが、こういうときに強 く思うことは、子ども自身がみずからのオリジンを知る権利みたいなことが、あるいは アイデンティティを知る権利と言っていいんでしょうか、無視されてしまっていいのか どうかということです。つまり子ども自身あるいは人間一般が自分のアイデンティティ を知る権利というのが、人権の中にあるような気がして・・・・。 いままでは同じ説がむしろ近親婚などの社会的立場の問題からばかり言われています が、むしろ私はそうでなく、いままであまり言われていない、『個人が自分のアイデン ティティを知る権利』ということのほうが頭にあるのですが。そういう点から言っても いわゆる事実主義と、いままで言われていた意味とは少し意味が違うような気が自分で はするのですが。あるいは究極的には同じなのかもしれないけれども、本当の生物学的 に、遺伝子的に親であるもの、との関係を知る権利みたいなものを残したい気がするわ けですね。そういう関係からも一応、その夫の嫡出子とすることは認めるけれども、そ こに『推定』ということを及ぼして身動きならないようにしてしまわないほうがいいの ではないか、という気がするんです。」  1978年のときには私の場合、出自を知る権利への配慮が、血縁的事実への解放の大き い根拠になっていることは間違いありません。けだし、子にとって自己の出自を知る権 利は、個人の意識の中でアイデンティティの発見と自己理解にとっての決定的な地位を 占めるものであります。特にドイツで基本法1条1項、2条1項が保障する一般的人格 権の中にこの権利を数え入れる解釈が有力であります。2条1項で、何人も他人の権利 を侵害したり、憲法秩序や倫理法則に抵触しない限りにおいて、みずからの人格を自由 に発展させる権利を有すると定めておりますが、ここから出てきた一般的人格というの は、いわば個人の人格領域の法的保護を図るために、これらを根拠にして一般的人格と いうものを構成したのでありますが、子が自己の出自を知る権利というのは、そのよう な一般的人格権の一要素として位置づけられているわけであります。個性を理解し展開 することは、その個性を構成する諸要素を知ることと緊密に結びついているのであって たとえば出自も、その個性を構成する諸要素の一つでありまして、出自はまた、個人の 意識の中でアイデンティティの発見と自己理解にとっての決定的な地位を占めると思わ れるのであります。  このような意味で、自己の個性の理解と展開にとって重要な手がかりを与えるものと して、私はこの権利を重視したいと思うのであります。近年の児童権利条約がこの点に 留意していることはご承知のとおりであります。  (4)以上が1956年の事実と、それに対する私の立場からのコメントでありますが、今 回この出頭を命ぜられたにつきまして私は、私以外の第三者の証言も得たいと思いまし たが、この学会からすでに44年を経ているため、4人の慶応の報告者はすべてお亡くな りになっておられますし、シンポジウムの発言者13名のうち、少なくとも9名は確実に 物故されておられます。ただ、先に引用した2人の長老発言者のうち、幸いにして石本 教授はご存命であります。たまたま私とは細いながらも親しい縁が続いておりましたの で、今回何とかヒアリングできないかと思って連絡してみました。  私の訪問のお願いに大歓迎の意を表してくださったのですが、事前に私も趣旨を言っ ておかないといけないと思って申しましたところ、この学会のことについてはもう全く 記憶がないし、そのような話をしたくないと、そういうふうに言われてしまいました。  去る8月21日、98歳の御誕生日にご長女の嫁ぎ先の御宅に招かれて2時間ほど歓談す る光栄に浴したのでありますが、この問題については私は一切の会話を遠慮せざるを得 なかったわけで、ここで申し上げるべき情報を得ることはできませんでした。  (5)ところで、この私法学会のシンポジウムというのがなぜかいろいろなところで有 名になっておりまして、意外な世評があります。  中谷先生も一再ならずこのときのことを言われますが、たとえばこの会の第5回の記 録を見ますと、「子どもの法的な地位の問題も非常に問題がありますので、いままでや ってきたように民法 772条の1項でいいのか、それも私法学会としては公認していない わけですけれども、事実上はそうなっている。それでいいのか、それとももっときちん としなければならないのか、いろんな問題が出てきますね」とおっしゃっておられま す。  ほかの学会はどうかわかりませんが、日本私法学会では解釈学説の公認ということは いままで特になされたことは1度もないわけでして、特にこのときがどうということで はなくて、その意味では、いつもの学会と何も変わったことはないわけであります。  その後の学説分布を見ますと、推定を受ける嫡出子とするというのが大部分でありま して、私などのように推定の及ばない嫡出子と解しようとする説は少数説であります。  なお、たまたまこの解釈問題の取り扱いに関しまして、加藤尚武教授の新著「脳死… …」。 ○加藤委員  「クローン人間遺伝子治療」です。 ○唄氏  失礼しました。きょう持ってこようと思って忘れました。そこの82ページ、92ページ に、どう関連するのか、やはり中谷教授のご発言として、私の名前なぞも出まして、こ のことを書かれて、民法というのはわかりのいいものだというようなことも書かれてお ります。しかし、どうも事実はそうでないのでありまして、事実としては、いま私が申 したとおりでありまして、この点、加藤先生のその部分はちょっと事実とは食い違って いないかと思うわけであります。 ○加藤委員 わかりました。訂正します。 ○唄氏 これでやっと・が終わったところで、すでに30分近くたってしまいました。あと何を 書いたかということだけ申し上げて時間遵守したいと思います。 II 最初に申しましたように、勉強しないままかかわった学会というのが、2番目には 比較法学会、1991年です。もっとも、このときは勉強しないなんて本当は言っていられ ない、自分が部隊長でやったシンポジウムでした。同人の皆さんに各国の法制度などを 紹介していただきました。私のやったこととして、医療行為かどうかという問題をいた しまして、そのときに変な整理ですが、医療行為−βという部分と医療行為+αという 部分があるということで、これはいろいろなところで議論が出ております、どの程度実 験的かとか、それから、一体この医療行為はだれの何を治すのかという問題、というふ うな意味で、一方ではちょっと普通の医療行為に足りない要素がある。しかし他方では 足りないどころか、生命を生むし、社会的にいろいろな意味関連を生ずる、もう一つは いろいろ患者側に条件をつけて患者を非医的に選別しておりますね。この会告なぞを見 ますと。そのこと自体に文句を言っているのではなくて、そういうふうに患者をメディ カルなクライテリアでなくて、メディカル以外のことで選別するのであれば、その基準 をつくるのには、メディカルの人だけでなくてノンメディカルの人も加えて決める必要 があるんじゃないかというふうな文脈で申しているのであります。それが医療行為+α の要素というわけで、−β、+αがありますので、普通の医療行為とはちょっと違う。 つまり医師法などの解釈としては、やはりこれは医師の業務独占がよかろうという意味 で、そういう目的的な解釈としてやはり医療行為だというふうに解釈せざるを得ないと いうのが私の結論でありました。 そのことが92年の学術会議の7部の泌尿生殖研究連絡委員会の主催でのシンポのとき にも、また私にその点をしゃべれと命ぜられましてしゃべっております。その頃から法 制度としてどう扱うか、つまりだれが何によりどのように規制するかという問題が、こ の比較法学会から私の関心の重点になっていっております。  私は3つのサンクションのバランスを考えようといっています。それがリーガル・サ ンクション、プロフェッショナル・サンクション、ソーシャル・サンクションです。こ の点で、ほかのメディカルの場合よりは産科婦人科学会がいろいろの会告などを出して プロフェッショナルな務めをされておられますし、また各大学で倫理委員会と協議など をして、ソーシャル・サンクションにも配慮されていると思います。ただ、ときどきお 医者さんが、「これは患者がしてくれと言って、患者のためになるんだからするのだ」 という一言でジャスティファイされてしまうのはいかがなものでしょうか。そのこと自 体はまるで当たり前のことで、そのためにこの方法が必要なのか、適切なのか、いいの かということが問題なのに、そのことを説明しないで、患者のためで、患者の要求だか らいいというだけではまことに説明不足ではないかと言って、私はいままでお医者さん を批判いたしました。  このようなサンクションのほかに、この問題というのはボランタリズムとコマーシャ リズムが交錯しているという面もある。そういう中で、さらに法の出番を考えますと、 特に最近はまた立法要求も強いのでありますが、立法するということは合法条件を限定 するということにつながります。その条件をどう限定するかということが非常に問題で あるんですが、そういう条件の限定が忘れられて、その行為が国によってオーソライズ されたという面ばっかりが残っていく危険があります。立法を提言される方は、その点 を大いに注意していただきたいと思うわけであります。 III それから、法が出動するということについて、主張されるべき権利と対抗すべき利 益とがどういうふうにせめぎ合った場合に法を必要とするかという観点から考えるべき だろうと思います。くわしく述べる時間がありませんが、主張されるべき権利としては 親たろうとする者の権利、−レジュメをご覧下さい−2ページ目にいきまして医師とし ての権利といいますか、裁量、自由という問題、それから何よりも、3番目に書いたか ら重要度も3番目というわけではなくて、最も重要なものですが、子どもがどういう利 益を受けるか、どういう権利を侵害されるかということを考えなくちゃいけません。そ して、以上全部にかかわりますが、この親たろうとする者、医師、子どもというふうに 個人別に割った権利として考えてきましたが、それに対して社会通念からの抑制という 言葉が適当かどうかわかりませんが、人間の尊厳、生命の尊厳、さらに生殖の尊厳とい うふうなことがそれらに覆いかぶさってくる、そして制約するのではないかと思われま す。ここは本来最も重要なところですが、ここでは2点指摘しておきます。  (1)第一に気になるのは、親の多義化・分裂の可能性という問題であります。先ほどの 親はだれかという問題にも関連しますが、もしその入口のところでいろんな技術にかな り解放するという意見を主張される方は、その出口でも少なくとも議論の途中では可能 性としては親の多義化・分裂の可能性というもの、つまり何人も、何とかの親、何とか の親、何とかの親と色々の説をたくさん持つことにするというありようも、一つの思考 のツールとしてはもうちょっと考えていただいていいんじゃないか。いつも入口はオー プンにして、出口のところだけは当たり前の、従来の親子の観念をそのまま持ってきて かっこをつけようとする、そのことによって無理が生じたり、あるいは思考が抜けられ なくなって突き当たってしまうというふうな面もあるのでないか。レジュメの「積極に 転ずるか」というのはそういう意味で、思い切って出口でも親の多義化・分裂というこ とも1度考えてみてはどうかということです。少なくとも思考のプロセスではそれが必 要で、そのプロセスを通った上で入り口をもう一回考え直してみてはどうか、といいた いのです。どうも舌足らずですが。  (2)もう一つ私が非常に気になるのは、いまあちこちで問題になっている体内物質の問 題とも関連する問題です。要するに体内物質がいまや体外をかなりあちこち横行すると いうことがいろいろのところで始まっております。それにはいろいろの種類や段階があ りますが、その体内物質の中でも生殖物質の問題というのは、もっともそこをナーバス に考えたいと思うわけであります。そこで、この体外操作あるいは供給とか提供と言わ れているものが一体どういう行為なのか。これは主として法律家の責任になると思いま すが、法律的な概念分析が十分にできていないところであります。  人体の一部には所有権はないという昔からの公理のように言われていて、それが身体 の一部を離れるとそこに所有権が発生するといわれます。この場合には、所有権が発生 して、発生したときは、その人の体を離れているんですが、離れたもとの人の所有権が 1度そこで瞬間的に発生して、その所有権に基づいてその人が贈与すると考えるのか、 それともそこで発生した途端に1度遺棄されて、次の人に原始的に発生するのか、そう いったところの議論が十分でない。しかもこれらを所有権レベルでだけ考えることはで きない。人格権の問題としても考えねばならぬもので、通常の譲渡、贈与というふうな ことで律しきれない面がある。  従来これらを、近ごろの何でもかんでもインフォームド・コンセントの風潮と相まっ て、コンセント論で片づけられております。インフォームド・コンセントの問題だと言 われております。しかし、インフォームド・コンセントということと、いまの所有権あ るいは人格権が動いていくということとは、どういう関係になるのか、コンセントとい うのは本来、彼の肉体を侵害することへのコンセントであって、それだけでは提供まで の理由づけができていないのではないか、このあたりにいろいろの問題が残っていると 思います。  なお、生殖物質につきましては、本人だけでなくて、その配偶者の権利というのも出 てくるのでないでしょうか。それはまた人格権とはちょっと別の身分権というふうなも のとして考えねばならないと思うわけであります。  これらを推し進めていって、一番象徴的には、受精卵というものの人格性、それが普 通の人格概念のほかに法的主体性を持ち得るというのかどうか、これはある意味で古典 的な問題でありますが、受精卵からエンブリオそして胎児に到る、その間の問題なども もう少しきっちりと勉強しないといけないところであります。  これで終わりますが、下に「補いの文献」と書いたのは非常に僣越なミスをしており ます。「文献」のところを拙稿と修正して下さい。本当の文献はもっとたくさん立派な ものがあることは言うまでもありません。これは「補いの拙稿」の意味で、私自身の言 ったことで何か文献でチェックしてやろうという方は、さっきの学会報告のほかに、こ れらのものを御覧下さいという趣旨でございます。  なお、付記しました資料は、比較法学会のときに各国について専門の方につくってい ただいてすでに掲載されているものですが、それをこのたび私がここへ提出するに当た ってアップ・トゥ・デイトにするため担当者に訂正を少ししてもらったもので、それら を集約して表そのものに最小限の訂正だけをしております。  ただし、表化が十分でなく、とくにオーストラリアについては全く手をつけることが できませんでしたので、その点お断りしておきます。  これで最初のプレゼンテーションを終わらせていただきます。どうもありがとうござ いました。 ○中谷委員長  唄先生、どうもありがとうございました。子細に、昭和31年の私法学会から、昭和に すれば74年の今日まで43年間にわたる先生のご研究の跡をるるお話しいただきまして大 変感銘深く伺わせていただきました。 前回のヒアリングではお二人のご報告を承った後で質疑応答ということになったわけ ですが、今日は唄先生のご報告ともうお一方のご報告とは異質なものでございますので 唄先生についてはここで質疑応答に入らせていただきたいと思います。どうぞよろしく お願いいたします。 最初に私から申し上げますと、例の第5回の議事録の「公認を得られない」、あれは まことに私のミスでございまして、要するに反対が多かった、学会で一つの学説を承認 するということはまずやりませんから、それはどこでも同じことなんですけれども、要 するに反対のご意見が多かったというだけのことをああいう形で、まことに不適当な表 現にしておりましたので、その点はおわび申し上げて訂正させていただきたいと思いま す。  どうぞ、どなたからでもご質疑をお願いいたします。 ○加藤委員  推定の及ばない子という先生のお考えは、確かに推定というのは普通、根拠がわから ないから推定なので、子であること、はっきりそうでないとわかっているのに推定とい うのはおかしいというご趣旨かと思いましたけれども、推定の及ばない子という意味は いわばどういうことになるんでしょうか。推測がつかないという意味じゃないですよ ね。 ○唄氏  それは要するに民法で推定云々と書いてある、それがかぶらない。 ○加藤委員  ですから、民法上の推定によって嫡子とみなすことができないけれども、別のやり方 で嫡子とみなすことができるというご趣旨なんでしょうか。それとも、そもそも嫡子と みなすことはできないというご趣旨なんでしょうか。 ○唄氏  その言葉にそこまで含んでいるかどうか別として、よく「推定の及ばない嫡出子」と いう言い方をするんですけど、どうもそれはおかしいんじゃないか。「嫡出推定の及ば ない非嫡出子」というふうに言うほうがたぶん正しいんだろうと思います。普通、教科 書では、推定の及ばない子とか、推定の及ばない嫡出子という書き方をしていますが、 民法の先生がおられるので。 ○石井(美)委員  先生ご自身はいま、一応嫡出子とするとおっしゃいました。それはどういう意味か私 も伺いたかったのですが。 ○中谷委員長  おっしゃるご趣旨はよくわかるんですけどね。 ○石井(美)委員  戸籍上一応嫡出子となるというのはわかりますが、それ以上の意味があるのでしょう か。 ○吉村委員  その前にもっと基本的なことをお聞きしたいんですけど、推定の及ばない嫡出子と推 定の及ぶ嫡出子というのは、具体的にはどういう点が違うんですか。 ○唄氏  その前に加藤さんへの返事が不十分だったんです。本来は推定が及ばないんだったら 民法では推定が及ぶのだけが嫡出子ですから、非嫡出子なんですね。私の教科書で「表 見嫡出子」といっているのはその趣旨です。ところが、いままでの戸籍実務の取り扱い その他は、これを嫡出子として届けざるを得ないわけですね。AIDの子だということ は戸籍を届けに行ってもわからないから、だから嫡出子として届ける。そこで、それは 推定をかぶっていないということを言うために、推定の及んでいない嫡出子だというふ うにいままでは言ってこられたのだと思います。  石井さんはそこで、だからどうだと言われたんでしたっけ。 ○石井(美)委員  先生が、一応嫡出子ですとおっしゃった意味も、戸籍には嫡出子としてまず記載され るという趣旨ですか。 ○唄氏  そうですね。 ○石井(美)委員  ということは法的に言えば非嫡出子であるということですね。先ほど先生が言いかえ られた。 ○唄氏  それで、いまのこちらの先生(吉村先生)の質問で、及ぶか及ばないでどう違うのか と。それは推定が及ぶと、その嫡出子になってしまい、嫡出否認の訴えというのでしか 否定できない。そして、それが夫だけに限られていて、子の出生を知ったときから1年 以内と非常に限定されている、それを私はコンクリートに固められてしまって困るじゃ ないかと申したのです。そして、民法の規定にははっきり書いてないんだけれども、判 例でそれ以外の訴えの方法というのを認めて、ある意味でブアーンと、いまそこが広が った。  それじゃ、一体どこまでいったら「及ばない人」の中に入って、どこまでが推定に入 るのかが問題になっている。そう言うと、否認できるようなケースは皆、推定が及ばな いことになり、否認の訴えそのものが無意味になってしまうというふうな批判もあるわ けです。だんだん及ばない子という範囲が広がってきているものですから。事実上、推 定制度というのはもう空洞化しているというふうに言う人もいます。 ○中谷委員長  吉村委員としてはちょっと理解しがたいんじゃないですか。そういうご説明ではおそ らくご理解しにくいんだろうと思います。 ○吉村委員  推定の及ばない嫡出子は非嫡出子なんですか。 ○石井(美)委員  推定が及ばないとなれば、事実として、夫の子でなくなるということですね。 ○吉村委員  推定が及ばない子ということになりますと、AIDを受けた夫の子ではないというこ とになるんですか。 ○石井(美)委員  最終的にはそうせざるを得ないと思います。推定が及ばないと親子関係不存在の訴に よって父子関係を否定できます。そうしますと、非嫡出子というのは母との関係で非嫡 出子になるのであって、父との関係では法的に親子関係なしという結論になると思いま す。 ○唄氏  ところが戸籍では、推定が及ばないといま言っているのも、形は推定の要件を満たし ているわけですから、戸籍に持っていったときには、戸籍というのは実質的審査権がな いものですから形は嫡出子になってしまうわけです。推定嫡出子と推定の及ばない子と は戸籍の上では何にも違いがないことになってしまうわけです。 ○中谷委員長 夫がその場合に嫡出子否認の訴えをしなければそのままになるわけです。 それはいいですね。 ○吉村委員  それはいいです。 ○石井(美)委員  推定が及ばない子であれば嫡出否認の訴である必要性はないのです。いつでもだれで もが父子関係を否定できます。 ○中谷委員長 でも、戸籍上は嫡出否認をしなければ戸籍上はそのままになるわけですから。 ○丸山委員  親子関係不存在でも。 ○石井(美)委員  親子関係不存在でもできます。その結果、法的な親子関係なしということになると思 います。戸籍に形式的に載っているだけということです。 ○唄氏 まずそこが問題になるんです。 ○丸山委員 ですけど、親子関係不存在の確認がなされるまではまだあるんじゃないですか。 ○中谷委員長 なされるまではあるんですよね。 ○石井(美)委員  だれも争わなければそうなっているということをどう評価するかという問題です。唄 先生は戸籍に載っているということは法的親子関係と認めるということでしょうか。先 ほどの一応嫡出子ですとおっしゃった意味は、戸籍に載っているという意味なのか、一 応法的な親子関係と認めるということでしょうか。 ○唄氏 戸籍に載っているというだけだということになるんでしょうね。たとえばその子ども に対してだれかが認知しようとしますね。そのままでは、できないです。その戸籍をま ず変えてこないと。認知の訴えは別ですが。 ○中谷委員長 そうですよね。医系の先生方は理解しにくい。 ○田中委員 実際的に治療していますと、第三者の精子をもらって子どもをつくった場合、もしも 何かのぐあいで、本当の精子、生物学的な父親が違うとわかった場合はどうなるんです かね。精子をもらって子どもができて、戸籍上は治療したご夫婦のお子さんなんだけれ ど、何かの理由で、精子の提供、違う人からもらったということがわかった場合、その 場合の親子関係というのは、普通は出生証明書を出したときに決まりますけど、わかっ た場合には親子関係が変わることもあり得るんですか。 ○唄氏 だから、さっきから言われているような手続を踏まない限りは。 これは人工生殖でなくても、普通の場合でも、奥さんに浮気をされたことがわかって も、夫としては最も有効な復讐は、それを否定することでなくて知らん顔をしておくこ とだなどといわれることになるわけです。夫が知って知らんふりして放っておけば妻や 子からは打つ手に困るわけです。それが夫の手にすべて握られているというので、この 法律は悪口を言われているわけです。だけど、逆にそのことが子どもの地位の安定には 役立っているという見方もありうる。 ○中谷委員長 逆に先生、先ほど言われた子どもが自己の出自を知る権利というんですか、それが問 題になってきますね。 ○唄氏 そうですね。 ○石井(美)委員  その点についてちょっとお伺いしたいのです。本当は4点ほど伺いたいのですが、ま ず、私も出自を知る権利を認める必要があるということはわかるのですが、それが法的 親子関係である必要性はないと思いますがいかがでしょう。 ○中谷委員長  じゃないですね。 ○石井(美)委員  法的に親子とされる必要はない。何らかの形で父を知ることができればよい。 ○唄氏  私もちょっと読み飛ばしたんですが、出自を知る権利ということがどこまで、どうい うことを認めるかという方法は4段階ぐらいあるんじゃないかと思うんですけどね。 そのどの段階まで認めるかという問題があります。  だから、記録をきっちりしておけという程度にとどまるものと、名前は明かさないけ ど、こういうやり方でやったということだけがわかればいいというのと、名前まで明ら かにするというのと、もう一つ進むと強制認知、認知の訴えなども認めて、その提供者 を訴追できるというふうなところまでいくというので、本当はこれを具体的にどうする かというのは非常にむずかしい。立法政策の選択の問題がありますね。 ○石井(美)委員  いま言われた第4点目の認知までいくかということに関連するのですが、先生は推定 の及ばない子という考え方をとられるということは、提供者を父とするという考えをと られるということなのでしょうか。 ○唄氏  そこを追い詰められるといつも一番困るところです。ちょっとはすかいから答えると 僕は、幾つかの国で、提供者の権利、義務が、提供した途端に切れるって、あの論理と いうのはどこから出てくるのかということがちょっとわからないんですよ。あれはロジ カルに説明できてないんじゃないんですか。  だから、この問題についての提供者の扱いというものに、社会的にもそうだけど、お 医者さんのほうにも僕はかなり責任があって、提供者というものを少し軽々といままで 扱ってきたということが問題じゃないでしょうか。それを私はあえて生殖の尊厳と言っ たんです。特にAIDについて、一夫一婦制との関係から、初期のころは姦通でないか というふうな議論が盛んでありましたが、私は一夫一婦制の問題よりは、むしろ生殖の 尊厳、そっちのほうの問題じゃないかというふうな気がするんですけど。  だから、提供者というものをもうちょっと考え直す。これはさっき最後に言った、変 な法律論みたいな、あそこの問題とも関連するし。 ○中谷委員長  いろいろまだご意見があろうかと思いますが、私、きょう先生のお話を承りましてび っくりしたのは、人見さんとの対談で、提供者といいますか、出自を知る権利のことに 触れていらっしゃるんですね。  世界的に見ますと、これが問題になったのは1983年の3月にスウェーデンで最高裁の 判例が出て、それから1週間ぐらい後でドイツでも同じような判決が出たわけですよ ね。それで、スウェーデンでは1984年の12月に人工授精法という法律をつくって、これ が85年の3月1日ですか、施行されましたね。ですから、そのずっと前に先生方はそれ を問題にしておられたわけですよね。 ○唄氏  はい。 ○中谷委員長  大変勉強になりました。ありがとうございました。 ○唄氏  ルイーズちゃんの直後でした。 ○丸山委員  一つ教えていただきたいんですけれども、現実の戸籍実務は嫡出子として記載するこ とになっているということですが、先生のお考えの、あるべき戸籍実務は、人工授精子 については、AID子についてはどうお考えになるのか教えていただきたいんですが。 ○唄氏  戸籍ですね。ここをのいて考えます。後で。 ○吉村委員  ドナーの匿名性ということと、出自を知る権利ということで、きょう目からうろこが 落ちました。生殖の尊厳ということで、ドナーの匿名性が普通のようにして言われてい ますが、出自を知る権利ということの点から考えますと、たとえばAIDを受けたい方 非配偶者間の体外受精を受けたいと思っているご夫婦がいる。このご夫婦は出自を知ら せたくないという権利もあると思うんですよね。子どもはその出自を知る権利もあると 思うんですよね。そのへんはどういうふうに考えていけばいいのか。親としては、する ほうは絶対に子どもは自分の子どもであるということでやりたい、やはり子どもにとっ ては、出自を知る権利が一方である、この兼ね合いといいますか、それはどういうふう にして考えていけばいいんでしょうか。 ○唄氏  まず子どものほうに、知らせてもらう権利と同時に、知らせないでくれという権利、 それをまず認めるかどうかというのが、いまのお話の先決問題としてひとつ考える必要 があるでしょう。そこはやっぱり、子どもにその権利もあるといわざるを得ないでしょ うね。私はあえて言いませんでしたけど、そこがひっかかるなと思っています。  子どもにはだから両サイドの権利があって、その上で、親のほうは、子どもがその要 求をしたときに知らせない権利があるとまで親は言えるのかどうか。ある意味で、いま までは、嫡出推定を中心とする方程式の上にあぐらをかいていただけで、ここの問題を あれこれ悩んでいなかった、それが私の言うように出口をかなりもっといろいろ考える というふうになってきたら、入口のドナーの選択とか何とかというあたりを、医療機関 としても相当シビアに考えなくちゃいかんということになってくるんじゃないでしょう かね。  ただ、それともう一つ、さっきの最後のところにも関連します。提供ということが、 これもただ単純に、リシーピェントに提供しているのか、そうでなくて医療者に提供し ているという言い方があって、AIDの精子のような場合に、そういうことであるいは 乗り切れる問題があるのかもしれない。もちろん卵子なんかはそうはいかないでしょう が。  だから、何億ですか、精子がやたらにあるということはどうも。 ○吉村委員  もう一つ、あまりこういう機会がないので教えていただきたいんですけど、 AIDのことは先生のお考えで、大体私なりに理解したつもりなんです。たとえば非配 偶者間の体外受精とかいった場合に、兄弟姉妹からの提供があるわけですね。さっきの ドナーの匿名性とはまた逆になってくるんですけど、それについての先生のお考えを教 えていただきたいんですけど。 ○唄氏  いわば指名でできるかという問題ですね。逆に言うと、お医者さんのほうが、きょう だいならやってあげるというふうなことができるかという問題ですね。さっき言ったよ うな、出口のところがきっちりできてくれば、入口にもその可能性は出てくるんじゃな いでしょうか。ただ、出口をきっちりしないでおいて、いまでも、入口は認めてもいい という議論もありますね。 ○吉村委員  私、個人的な考えは兄弟姉妹からの提供は絶対いけないと思うんです。まず、私はド ナーの匿名性、先生の考え方とちょっと違うんですけど、やっぱりドナーにすべきだと 思います。全くわからないドナーにすべきであって、兄弟はやっぱりまずいと。 ○中谷委員長  フランスは完全にそうですよね。完全に匿名性。 ○吉村委員  ですから、同胞というのは将来いろんな問題点が起こってくるだろうし、提供した側 にも長期にわたるカウンセリング等々が必要になってくる。いろんな問題点が起こり得 るからということで僕は個人的には反対なんですけど、先生のお考えどうかなと思って 伺いました。 ○中谷委員長  その場合は矢内原委員のほうのご研究の世論調査、アンケート調査に非常に日本的な 特色が出ていますので、それもまた。  もう尽きませんけれども、次の方のお話も伺わなければなりませんので。 ○吉村委員  もう一個だけいいですか。 ○中谷委員長  はい。これでおしまいにしますので。 ○吉村委員  先生のお話を聞いていてちょっとわからなかったんですが、患者をノンメディカルに 選別する、これを具体的に、たとえばわれわれの会告でもそういうようなことがあるの ではないかというようなことをおっしゃったので、それは反省点も含めて教えていただ きたいんですけど。 ○唄氏  「婚姻しており、擧児を希望する夫婦で、心身ともに妊娠、分娩、育児に耐えうる」 者というふうに限定していますね。メディカルサイドから、それの適用されました患者 の資格をメディカルの人が勝手に決めていいのかどうかということです。メディカルが 選別するのはあくまでメディカル・クライテリアだけであるべきです。ソーシャルなク ライテリアをやっちゃいけないとは言いませんが、それの決定手続として、ここについ てはノンメディカルの人も加えたところで決めてほしい。 ○吉村委員  ということは先生、具体的に言いますと婚姻関係にあるということですね。 この会告でいきますと。 ○唄氏  ええ。 ○吉村委員  そういうことですね。妊娠に耐え得るというのは医学的であって、婚姻関係にあると か、ということはノンメディカルなことであると。 ○唄氏  そうです。「心身ともに、分娩、育児に耐え得る」とか。そこまで医者に言われたん じゃということになる。 ○吉村委員  わかりました。 ○中谷委員長  先生どうもありがとうございました。本来ならば先生にいろいろお話を伺うのはこの 4倍ぐらい時間が欲しいと思いますけれども、それを予定ができませんものですから、 本当にきょうはいろいろとありがとうございました。  Aさん、どうもありがとうございます。それではどうぞご発表いただきたいと思いま す。 ○A氏  先ほどご紹介いただきましたように、名前は変えさせていただきますけれども、私は 6年間の不妊期間を経まして、最終的には、ここにいらっしゃる辰巳先生のところでI VFによって双子を出産いたした者でございます。子どもはいまは5歳になっておりま して、来年には小学校に上がるところでございます。  このようなところに呼んでくださいまして、こういうところは初めてなので気おくれ しておりますけれども、私の経験をお話しすることが何かのご参考になればと思いまし て、ここに来させていただきました。  先ほど、いろんな会に属しているというお話がございましたけれども、やはり不妊を 経験した者として、これは私のライフワークであるというふうに感じておりまして、い ろいろな自助グループなど結成したときに、さまざま、本当に悩み苦しんでいる方々と 接しましたので、本当に不妊というのは精神的な問題が多いということを常々感じてお りました。  当事者の気持ちが少しでも楽になるような何か助けになりたいというような気持ちを ずっと出産後も持っておりまして、生殖医療研究会というところがございまして、そこ で体外受精コーディネーター不妊カウンセラーという養成講座がございましたので、そ こで勉強したりしております。まだ子どもが小さいもので、何かするというわけではな いんですけれども、勉強中の身ということでございます。  まず簡単に、どんな治療をしてきたのかということをお話しさせていただきますけれ ど、結婚2年目で子どもができないということで、当時京都におりましたが、大学病院 に参りまして、検査の結果、ホルモンの異常とか機能性不妊という診断で投薬の治療を 受けました。  主人のほうはセイサクジョメクルというのがありまして、これをケッサクする手術を 受けましたけれども、なかなか経過はよくありませんで、2年ほどそこで治療を試みた んですが、だめでした。  東京に戻りましてから大学病院を2つ、2年弱通いまして、なかなか妊娠しないとい うことで、京都のときの主治医先生に、京大の不妊外来におられた辰巳先生が東京にお られるということを聞きまして門をくぐったわけでございます。  ここでやはり2年治療をいたしまして、このへんで治療を続けるのはもう精神的に限 界というところに来ていましたものですから、IVFを受けさせていただきますという ふうに申しまして、2回目で妊娠、出産をしたわけでございます。  この不妊期間中に私を悩ませたものは何かと申しますと、一つは私の内面の問題でご ざいまして、女性として失格ではないかとか、落伍者であるというような気持ち、これ は本当に不妊治療を始めた当初のことでございまして、だんだん慣れていくものなんで すけれども、社会通念で、やはり女性は子どもを産んで一人前ということ、それから私 の親の教育とか、それから自分自身の、子どもを産んだらこうしようとかいう夢もあり ましたものですから、やはりこれも大変つらい時期がございました。それから、夫に子 どもを抱かせてあげられないというところも非常につらくて、男の子とキャッチボール しているようなお父さんを見ますと大変胸が締めつけられるような思いをしたことがご ざいます。  一番どうしようかと思ったのは、自分たちがこのまま老いていってこの世から消滅し てしまうのだという思いが、大変さびしい思いでありまして、どこかで聞いたように、 人間というのは永遠に生きたい動物であって、それは血を残していくということで永遠 に生き続けたいという気持ちがあるというふうに聞きますけれども、まさにそのような 気持ちがございました。2人で生きるにはどのように人生を充実させていくかというと ころがいつも突き詰められていたところでございました。  それともう一つ、大学病院での非常につらい経験がありまして、私自身も大学病院の 脳外科にちょっと勤めていたことがあるんですけれど、大学病院の忙しさは本当に自分 自身もわかっているんですけれども、先生方、看護婦さん方一人ひとりはすばらしいん ですけれども、超多忙なシステムでは、やはり一人ひとりが十分に精神面のケアとかも できない。それからプライバシーもなく十束一からげの診療とか、集団でAIH治療を 行ってもらうとかいろいろありまして、なぜこのような思いをしなければならないのか という屈辱的な思いをしたことがございました。  その中で私を助けたものが何があるかと考えますと、これは夫婦間の対話でございま した。何度も繰り返し繰り返し突き詰めて議論をしたということがありました。内容は 治療方法、どこまでやるか、いつまで続けるのかといったところですね。あと、人生設 計を一体どうするのかといったところでした。  また、夫は仕事でもそうなんですけど、努力したことには必ず結果がないと許せない という短気なものでございまして、不妊治療というのは絶対相反するものでございまし て、何年も何年も努力したけれども、報酬というか結果が得られないというものでござ いますので、そのへんを問い詰められたりして、いま思い出してもつらい気持ちがよみ がえってきます。  しかしながら、夫婦間で徹底的に議論をしたというのは、治療を選択していく上で、 夫婦が納得した上で決定していくということですので、どちらかが不満を持っています と後々禍根を残すことになりますので、これは本当によかったと思っております。  もう一つは同じ立場の友人の存在がありまして、自助グループをつくって、自分の思 いを思い切って外で吐き出せる友人ができまして、生涯の友人でございます。これは傷 をなめ合うという関係ではなくて、自分の心情を吐き出して話すうちに、自分の気持ち を客観化することができるわけです。何かしなさいと言われるわけではなくて、話して いるうちに、自分に何が本当に必要であるかということが自然とわかってくるような気 がいたしました。  それと、信頼できる主治医の先生に出会えたこと。これは子どもを得られたからとい うことももちろんそうなんですけれども、これはやはり生涯の財産だと思っておりま す。  大学病院でつらい思いをしたばかりでございましたので、先生のお人柄とか病院の温 かさとか、婦長さんはじめコメディカルといいますか、看護婦さん方みんな温かい病院 でございましたので、本当に助かった思いがいたしました。  この紙をいただきましたので、つらつらと考えて書いたんですけれども、1番に自己 決定権を持てるようにしてほしいということがあります。  いまいろんな先生が個人的な道徳観でいろんな治療を推し進めておられるようですけ れども、ぜひとも患者さんがよく説明を聞いて納得した上で治療を進めてほしいという ことです。いわゆるインフォームド・コンセントという問題、これをしっかりと医療シ ステムの中にきちんと位置づけていただきたいと思っています。  説明したとお思いだと思うんですけれども、患者の抱える心の葛藤というのはやはり 整理できていないことが多いと思います。十分話し合う時間というものは決してないだ ろうと思いますけれども、ぜひともそれをお医者様方あるいは周りの医療者の方々にお 願いしたいと思っています。  それから2番、治療を受けるときに体への負担を軽減してほしい。これはもちろんそ うですけれども、それと同時に精神面のケアもぜひともお願いしたいということです。  と申しますのは、いろいろな人と交流があったわけなんですけれども、せっかく妊娠 したのに、妊娠しているというあまりの不安な気持ちから精神面が不安定となってしま って流産し、離婚されたという方もおられますし、出産はしたんだけれども、不妊の当 事者にとってゴールというのは妊娠なんですね。そして、妊娠の先のところまでは想像 はできるかもしれないけれども、現実味を帯びていないというか、全くその先は違う世 界であってわからないものですから、子どもの人生が本当に幸せにスタートできるかど うかというところまで考えていないということがあります。  双子、三つ子を持つお母様方の団体のツインマザーズクラブというのがありますけれ ども、これは大変歴史の深い、しっかりした団体なんですけれども、ここに30年前は本 当に自然の多胎妊娠だったと思うんですけれども、最近は不妊治療による多胎児、二卵 性の多胎児の例が急増しているということです。  そして、匿名で、いろいろな会報に作文が載ったりするんですが、私は妊娠がゴール であって、その先こんなつらい双子の育児が待っているとは夢にも思わなかったという ことで、2人のうちの1人が手のかかる子どもであったり、たとえばアトピーがあった りとか、そういうことで虐待をしてしまう、手を上げてしまうことになって、そのこと でまた子どもも傷つけるし、自分自身も傷つけているというような文が載っておりまし た。その後も、それに続けて、実は私もそうだというような意見がちょこちょこありま して、不妊期間中は本当に精神的に大変だったんだ、それから、ゴールの先のことを考 えていない人があまりにも多いということが言えると思います。  とにかく閉塞的な状況を打開するためだけに妊娠したい、本当に手段として考えてい て、その危険性がわかっていないというところもあると思います。本当に執念で、バラ ンス感覚を失っている方もおられますので、先生方にはそのへんのところをぜひとも、 本当に心を健康に保っていただけるようによくみていただきたいと思っております。  先ほどのツインマザーズクラブの中に、ハンディキャップを背負っている双子、三つ 子のネットワークというのがありまして、これは三つ子のうちの2人が脳性麻痺とか、 自閉症とか、2人ともが未熟児網膜症というような例がありましてお話しした機会があ ったんですが、本当に想像を絶する厳しい育児であるということです。  お医者様からは、数%そういう危険性があるよということはもちろん聞いていたんだ けれども、それは耳に入っていなかったということでした。  先ほどのツインマザーズクラブの中に、ハンディキャップを背負っている双子、三つ 子のネットワークというのがありまして、これは三つ子のうちの2人が脳性麻痺とか、 自閉症とか、2人ともが未熟児網膜症というような例がありましてお話しした機会があ ったんですが、本当に想像を絶する厳しい育児であるということです。お医者様からは 数%そういう危険性があるよということはもちろん聞いていたんだけれども、それは耳 に入っていなかったということでした。 自分が幸せになりたかっただけで子どもを欲していて、子どもが本当に幸せに生きら れるか、元気な子ども、自分の足で立って歩いて飛んだりはねたりという成長を見られ なかったというところに本当に悔恨を残したんですけれども、目の前にその子どもがい るわけですから、この子どもをいかに一人前に育て上げるかということに自分の気持ち が変わっていきまして、強い母親になっていくようでございます。 3番のAIDのことなんですけれど、先ほどの唄先生のお話を伺っておりまして、本 当に何も決まっていないんだなと、いまさらのようにびっくりしてしまいました。  私の自助グループというのは男性不妊の方も多かったものですから、そのうちの3例 のケースをご紹介させていただきます。  まず一つは、AIDでの治療に対して非常な不信感を持ったという方です。夫婦でA IDを受けるということで決まって、その病院に行ったけれども、何か先生からお話が あるだろうと思ったそうです。要するにカウンセリングがあるはずだと思ったそうなん ですが、いきなり施されて、うちのところでは受ける人の6割できるよ、それとご主人 には、生まれた子どもは必ず自分の子どもにするようにという同意書に判こを押すこと と、何か後々トラブルが起こっても当院とは一切かかわりありませんからというような ことを口頭で言われたということです。  その方はAIDを数ヵ月続けたんですけれども、このような治療はやはり間違ってい るのではないかというように考え、思いが至ったそうです。無口なご主人が自分にAI Dをすることを許してくれた、その気持ちは自分に対する愛情であったと気づいて本当 にうれしい気持ちがした、それだけでよかったと思い返して、治療はやめて夫の不妊に ついていくという決心をされたというケースです。  もう一つは幸せな家族ができたというケースなんですけれども、もともとご主人は、 本当に子ぼんのうになるだろうと予想されるような本当に子ども好きな方で、とにかく 自分に原因はあるけれども、妻に妊娠、出産の喜びを味わわせてあげたいという気持ち が強かったようです。そして、血のつながりがなくても、妻の子は自分の子であると思 うと強く言ってくれたのでAIDを受けた。そして実際、非常に子ぼんのうなお父さん になったということです。  奥様のほうはときどき負い目があると。たとえば家族で歩いていて、お子さんはお母 さん似ですねと言われたり、お父さんには似てませんねと言われたときにドキッとする わけです。そのときにお父様の顔を盗み見るということがあって多少ストレスがあるん ですけれども、それはもともとわかっていることでございますので、家族としては本当 に幸せになってよかった、AIDを受けて本当によかったと感謝しているご家族があり ます。  もう一つは残念ながら離婚してしまったケースで、もともとご主人のほうは渋々AI Dに承知したということで、徹底的に話し合ったということがなかったのかもしれませ んけれども、妻にもし子どもができなければ自分のせいだから結婚解消をされるのでは ないかというおそれがあったということと、自分自身が子どものいる普通の家族に見せ たかった、もし子どもがAIDによって生まれても、たぶん自分は父親になれるだろう 大丈夫だと思っていたところが、出産のときからやはり他人事と申しますか、何か違う 心情的に何か変だという気持ちが芽生え始めて、育児中も両親2人でということよりも 一歩引いてしまうということでした。かわいいとどうしても思えず、子どもが自分たち 夫婦の間に割り込んできたよそ者としか感じられなくなってしまいました。そのような 気持ちを抱いていたわけですから、夫婦関係もだんだんぎくしゃくしてきて離婚をされ たということです。  これは1年以内だったと思いますので、法的にどうなるのかわかりませんが、詳しく は伺っていないんですけれども1年以内だったと思います。  4番ですが、いまの受精卵とか胚の研究というのは、私ども一般市民にはとってもよ くわからない領域に達しているようでございまして、一般の感覚からするとかけ離れた 研究がなされているように聞いております。  私は普通の一般人としての感覚で申し上げたいと思いますけれども、受精卵というの は本当に命であると考えております。  10年以上不妊治療されて、40代のご夫婦なんですが、長年治療を行ってきて、最後に IVFをやることでもう治療をやめようという決心をされた方なんですが、たった1個 受精卵ができたそうなんです。そして、たった1個の受精卵を夫婦で顕微鏡でのぞいて 見たところ、それは本当に透明で美しくて、丸くてかわいいと思ったそうなんですね。 そしていとおしいというふうにも感じたそうです。それは紛れもない命であって、2人 の子ども以外の何ものでもないと感じたそうなんですけれども、残念ながら着床するこ ともなく、できなかったんですけれども、これは本当に現場の先生方からすれば、何を センチメンタルなことを言っているんだ、そんなことを言ってる暇はないんだと言われ そうですけれども、患者の気持ちからすれば本当にこれは子ども以外の何ものでもない という気持ちなんです。  それと、ちょっとこういうところで言うのは恥ずかしいなと思ったんですけれども、 あえて言わせていただきますけれども、私の男女の双子で、男の子のほうがいつか言っ た言葉がありまして、どうして僕生まれてきたか知ってる? と聞かれました。お手元 の資料にも書いてあるかと思いますけれども、何で生まれてきたの? と申しましたら ママにすごく会いたいなと思ったから生まれたんだよと申しまして、これは単純に母に 対する愛情表現なんだろうなと思うんですけれども、しかし、私にとってはそういうふ うにそのとき受け取れませんでした。  というのは、彼は何か強い意思を持ってこの世に生まれてきたんじゃないだろうかと いうふうに考えてしまったんですね。やはり幾つかの受精卵を戻したわけですので、そ のうち生き残ったのが彼であるということを考えますと、生まれ得ることのなかったほ かの受精卵のことも思い出してしまったわけです。受精卵といってもこれは命であると いうふうにどうしても私は考えてしまいます。本当に一笑に付されてしまうようなこと ですけれども、そのように考えております。  減数手術ということが最近されているようですけれども、残念ながらたくさんの受精 卵ができてしまった場合には本当に仕方がないだろうと思いますけれども、1人ないし 2人を生かすために、ほかのきょうだいの命が犠牲になっているわけですので、これは 可能な限り避けていただくように、現場の先生方に努力していただくしかないなと思っ ております。  あとは、とにかく意見をということで紙をいただいたものですから、あわてて考えた んですけれども、とにかく生殖補助医療技術というのがいろいろとあるわけですけれど も、ここに賛成ですとか反対ですとか書いてみたんですが、書いてみたものの、自分で これおかしいんじゃないかと思ったわけです。  というのは、自分は自分の夫と私の受精卵で、自分のおなかで出産したわけですから いいけれども、そのほかの方々、ここまではよくて、ここからはだめだということがあ って本当によいのだろうか、不妊であることには変わりないのに、ここまではよくてと いうことがあるのだろうかとまず考えました。  そして、すべての不妊の女性が、テクノロジーが実際にあるのに、それを受けられな いのはおかしい、受ける権利もあるだろう、そして、日本でそれが認められないので外 国に行く方々を果してとめることができるのだろうか、それを罰則でもってとめること ができるのだろうかと考えます。  もし自分が、卵子ができるけれども、何か事故、病気で子宮を失ってしまったら、だ れかに産んでもらいたいと思うでしょうし、またその反対に、子宮はあるけれども卵子 をつくることができないとすると、だれかに提供してもらいたいと思うに違いないと思 うんですけれども、そしてまた、受精卵を凍結してあって夫が急死したら、あの凍って いる子どもを何とかかえしたいと思うに違いないと思うんですが、やはり一母親としま しては、生まれてくるべき子どもの一番基本的な部分、自分がだれなのか、だれの子ど もであるのかという、その最も基本的なアイデンティティの問題がはっきりしないとい うのはやはり不幸なことだと思うわけです。  そして、第三者が入ることに関しては、子どもと、養育する法的な夫婦、それと提供 する、あるいはおなかを貸したりする第三者がすべて法的に、また気持ち的にも幸せに 円満に、何のトラブルもなくというシステムがもしできるのならば、それは解放してよ いはずですけれども、実際に外国の例を見ましてもトラブルだらけという感じがいたし ますので、もしそれができないのならやめたほうがいいというふうに思っております。  代理母とか代理出産といったことはここを見ていただければわかると思いますので省 略させていただきます。  私の意見はここまででございます。ありがとうございました。 ○中谷委員長  どうもありがとうございました。実際に体験されたことを踏まえて詳細に、率直なご 意見を承ることができまして、委員一同大変感銘深く伺ったことだと思います。  皆様方からのご質問にお答えいただきたいと思いますので、どうぞご遠慮なく。  これで拝見しますと、AIHの治療を受けられたときの大学のあれはちょっとひどい ですね。 ○A氏  先生方がおられるのにそういうことを書いてちょっとひんしゅくなんですけれども、 あえて書かせていただきました。 ○中谷委員長  率直にお書きいただきましてありがとうございました。 ○矢内原委員  大変ありがとうございました。いつも患者さんの立場に立って、私、医者なんですけ れども、一緒に不妊治療をしているつもりだったんですが、きょうお話を伺って、気が つかないところがずいぶんありました。  もう一つは、どうしてもわれわれは医師側として、患者さん側に入り込めな部分があ るので、先ほどのお話の中で、そうだろうなということがずいぶんあったんですが、お 友達との話し合いがあって、非常に仲のいいお友達になられた。その方は不妊の治療を 受けられたときからのお友達ですか。 ○A氏  そうです。もう治療はやめまして2人の生活を選んだわけです。子どもはできなかっ たんです。 ○矢内原委員  お子さんはおできにならなかった。ただし、お友達になったのはその治療を通してと いうことですか。 ○A氏  そうです。 ○矢内原委員  わかりました。 ○石井(ト)委員  ありがとうございました。私がこの委員会でも申し上げたことを図らずもおっしゃっ ていただきました。妊娠がゴールであって、その後、出産に至るまでの経過、出産、そ の後の育児、という範囲まで広げてサポートできるシステムを確立したいという思いが いたします。  不妊に対する思いの3点のうちの一つは女性失格という思い、これはやはりジェン ダー的な発想の社会の人たちの意識改革は絶対に必要だという感じがします。  あとは自分の夢とか、DNAを将来に残す、そういうところに関しましては私たちは 何も言えません。それぞれの価値観を尊重したいと思います。1番の社会的な女性失格 とわれわれの責務があるという感じがしています。 ○中谷委員長  いまだにお子さんを持てないのは女性失格みたいな、そういう考え方があるんです か。 ○A氏  本人の問題もあると思いますけれども。周りから言われるのがつらいというよりも本 人の問題じゃないかと思います。 ○高橋委員  率直に患者さんの気持ちを伝えていただきましてどうもありがとうございます。私も 医師ですが、今後の治療に役立てていきたいと思って興味深く聞きました。  一つお伺いしたいのですが、あなたのようにグループをつくったり、或いは友達同士 で懇談会のようなものをつくっていろいろと活動をしている方が結構いるんですね。そ ういう方から手紙とか電話で問い合わせが来るのですけれども、中には間違った情報、 正しくない知識が先入観にあって、困ったなと思うけれども、当人はかたい信念のもと に行動をしているので意見がかみ合わない、すれ違いだけで嫌な思いをする方も中には いるのですね。  一つお聞きしたいのは、あなたのいままでの医学情報、いろんな医学知識、どういう ようにして勉強されたか、もしお話しできるのなら教えて頂きたいのですが。 ○A氏  私が不妊治療を始めたころは、不妊に関する本というのは、お医者様からいただいた 本しかなかったんですね。  1991年に外国で出ました、リナーティックラインという人が書いた「不妊」という、 患者からの声の発信をした本が出まして、それを翻訳した方々がフィンレージの会とい うのをつくられまして、それが日本で最初に出た、おそらく患者からの声の発信ではな かったかと思います。 それが出ましてから、待ってましたとばかり、日本国じゅうの不妊の患者さんたちが そこに手紙を出しまして、大きな自助グループに発展していったわけなんですけれども それまでは私もお医者様の書いた本を読んだり、図書館で読んだりとか、医学雑誌を、 わからないなりにちょっと読んでみたりとかぐらいでございました。 その後は、そのグループ内でいろいろな情報交換をしたり、その会でも正しい情報を 発信すべく、いろいろな不妊に関する学会の資料を取り寄せてみたり、どの病院でどの ような治療を行っているかということを正しくアンケート調査などをとってまとめてい るようでございます。それはすべての人に公表するのではなくて、そういうものを知り たい、どういう病院に行けばいいのかという問い合わせに対してのみそれを公表してい るグループです。 ○吉村委員 非常に私たちにとってもためになるお話ありがとうございました。 最後に非常によくまとめてご意見を書かれているんですが、たとえばAIDについて は条件つき賛成とか、精子を受けたIVFは反対とのご意見ですが、これは私と意見が 非常によく似ています。先ほどのお話の中にありましたけれども、たとえばあなたが、 自分が代理母でしか子どもが産めないという状況がわかった場合、たとえば卵子の提供 を受けなければならない、そして、それによって体外受精を行わなければならないとい ったことがわかった場合に、まずあなたはどうお考えになるか。推測だけでも結構です が、たとえばご主人と話をされたときにどういうようにお考え、そういうような話に進 展していくのかなということについて少しお伺いしたいんですけれども。 ○A氏  先ほども申しましたように、私も夫と徹底的に話し合いをしておりまして、どういう 治療を受けるかということははっきり決まっていたわけです。それは夫と妻、夫婦の血 のつながった子どもを得よう、第三者が入るものに関してはやめようということです ね。  ですから、その点でははっきりと決まっていたわけですけれども、もしも私が代理母 を利用と言ったら言葉が悪いですけれども、そういったことをしなければならないとし たら、そのときの精神状態にもよると思いますけれども、利用したいと非常に切望する と思いますが、しないと思います。  というのは、私ども夫婦は、おそらくほかの患者さん等から比較しますとわりあいに 伝統的な考えの持ち主というか、比較的冷静に考えられる夫婦だというふうに自負をし ておりますので、たぶんそれはしないだろうと思います。 ○中谷委員長  一つ伺わせてください。外国の中には、その国にあるすべての生殖補助医療機関の データをまとめまして、この病院ではどんなことをやっていて、どのくらいの成功率が あったとか、あるいはそこで生まれた子どもに障害があったとかなかったとか、それを 全部まとめたガイドブックというのがあるんですよ。日本にはそれはないと思いますけ れども、あなたが治療を受けられた施設では、どんなことをやっていますよという客観 的なデータみたいなものはおありになったんですか。それをごらんになって施設をお選 びになったんでしょうか。 ○A氏  そういう情報は一切ないです。 ○中谷委員長  じゃ、どういう形で最終的に治療を受けられる施設をお選びになったんですか。 ○A氏  IVFを受けようとしたときは、最初は京都大学病院に申し込みをしておりました。 当時はIVFを受けるに当たっては、まず戸籍謄本まで出さなければならなくて、それ は全部の施設でもそうなんでしょうけれども、それから始まりまして、審査があって、 2年後とか、ずいぶん先に予約をするというような形でございました。  当初はそうだったんですけれども、それじゃとっても待てないというような気持ちが ありまして、体外受精をしている施設はどこかということを、そのときは夫の仕事上で 知り合うことができた京都の外科の先生から調べていただきまして、それと私の主治医 でありました京都の先生との情報をかみ合わせて、そして辰巳先生のところに伺ったわ けです。 ○中谷委員長  京都大学は初めから、IVFの場合は正式婚姻夫婦ではなくて、内縁でもいいという ことになっていましたよね。 ○辰巳委員  京都大学の体外受精グループの従うところは日本産婦人科学会と京大の倫理委員会の 両方でございまして、日本産科婦人科学会のほうは夫婦間に限るということでございま したから、両方の束縛を受けておりますので、京大では夫婦以外には行っておりま せん。京大の倫理委員会では認められておりましたが、束縛のきついほうを採用すると いう形になっておりましたので、夫婦間以外で行ったことは1度もございません。 ○中谷委員長  そうですか。あそこは人工受精の場合でも、内縁は婚姻夫婦と同じように扱っていた と思うんですけど。 ○辰巳委員  そういうことは全くございませんでした。 ○中谷委員長  大きなシンポジウムをやりまして、それでやったと思うんですよ。ツカダさんという ……。 ○加藤委員  ツカダケイジさんですか。 ○中谷委員長  はい。あの人が法的な問題をいろいろやりましてね。 ○加藤委員  でも、ツカダさんは病院のスタッフじゃありません。 ○中谷委員長  スタッフじゃなかったけれども、その当時の倫理委員会の委員長の信頼を得てやって おられたんですよね。不思議だったんですけど。  わかりました。ありがとうございました。 ○石井(美)委員  お話ありがとうございました。一つ伺いたいのですが、あなたの場合は血を伝えたい という気持ちがあるということでしたが。 ○A氏  夫婦の2人の意見でまとめたものがそうだということで、私自身は養子でも育てたい という気持ちはありました。 ○石井(美)委員  その点と関連して、あなた自身も含めて、会の方たちの気持ちとして、子どもが欲し いというのは、自分の血のつながった子が欲しいということなのか、育てる子どもが欲 しい、そのへんはっきり分けられないとは思うのですけれども、養子のことなどもきっ とお話になられたと思うので、印象としてで結構ですが、お話しいただければと思いま す。 ○A氏  さまざまですのではっきり申し上げられないと思うんですけれども、やはり第一には 夫と自分の血を分けた子が欲しいということだと思います。それと、女性の場合は出産 の経験を持ちたい、1度でいいから妊娠してみたい、女性としての機能を使ってみたい というそういう強い願望みたいなものがあったと思います。  それと、夫婦の力関係というものもあると思うんですけれども、夫の子どもを産んで あげたいとか、夫でなくてもいいから自分が産みたい、AIDですけれども、夫でなく てもいいからとにかく産みたいという気持ちを抱いている方もおられると思います。 ○高橋委員  1ページに「出産後も尾をひき、育児に支障を来すこともあるので」云々と書いてい ますね。  体外受精で妊娠して、それからお子さんを産む、その後についての相談、すなわちカ ウンセラーのようなものを設けてもらって、分娩後も何年かそういう相談に応じてほし いというご希望もあるんですか。 ○A氏  多胎児を産みますと体重が少ないですね。そうしますと、私の場合もそうだったんで すけれども、地域の保健所の保健婦さんがわざわざ自宅まで来てくださいまして体重を はかったり、子どもの成長の度合いを見ていただくわけなんですけれども、そうします と、出産後は保健所の管轄になのかなと思います。  そのときに保健婦さんともお話ししたんですけれども、あんまりわかっておられなか ったんです。情報もたぶんなかったと思いますし、産婦人科では、産んでしまったら、 それで、がんばってくださいということだと思いますし、その後のことはお母様方の努 力でがんばってくださいということは当然のことです。ですから、あとは保健婦さん、 要するに厚生省でしょうか、そういった管轄になるかなと思いますが。 ○高橋委員  私、なぜ聞いたかといいますと、人によっては、ある施設で妊娠すると、お産は別な ところでして、知らないようにしてほしいという方も中にはいるんですよね。  そうすると、あなたのように、その後の希望として、そういう方もいらっしゃるのか なと思って。 ○A氏  そこまでは考えておりませんでした。 ○高橋委員  体外受精で妊娠した後、無事にお産したかどうかということを手紙か何かで知らせて もらえばわかるかもしれませんけれども、実際にわからない場合も少なからずあるんで す。そっとしておいてくれというような。  なるほど、あなたのような意見の方もあるのかなと思いました。 ○中谷委員長  慶応でやっていたAIDについてもそうでしたね。妊娠に成功しますともう来なくな って、どこかで出産するということがありましたから。  お子さんは出生時の体重はどのくらいでいらしたんですか。 ○A氏   1,860と 1,790です。 ○丸山委員 別添のほうでAID、それから精子提供のIVF等について、条件つき賛成、反対な どとお書きなんですが、これはいまお話しくださった、Aさんとなっていますが、あな たご自身のお考えということでよろしいんですか。 ○A氏  はい、そうです。 ○丸山委員  グループなんかでこういうのをどこまで認めるか話し合われることがあるかと思うん ですが。あまりないですか。 ○A氏  現在は私は主婦でございまして、以前そういうグループをしていたわけなんですけれ ども、いまはやっていないわけです。カウンセリングの勉強とか不妊のことについては 勉強しておりますけれども、グループはいまはやってないです。 ○中谷委員長  ちょうど時間でございますので、今回はここまでとしたいと思います。  唄先生、Aさんからは大変貴重なご意見を伺うことができました。ありがとうござい ました。改めて御礼申し上げます。  委員の方々、そのほか何かおありでしょうか。よろしゅうございますか。  では、次回以降の進め方について事務局のほうから。 ○東課長補佐  次回以降の進め方でございますが、本日、日弁連のフクタケ先生のほうからヒアリン グを行う予定でございましたが、あいにく国選弁護が入って出席できなかったところで ございます。  また中谷委員長から、イワシ先生からぜひドイツの状況を伺いたいとのお話もござい ます。  事務局からの提案なのですが、次回11月中にこのお二方のヒアリングを行ってはいか がかと思いますが、いかがでしょうか。また、前回と今回で、宗教、民法、不妊患者の 方からお話を伺いましたが、その他の分野の方からもご意見を伺う必要はありますでし ょうか。ほかにもご意見を伺いたい方がいらっしゃいましたら、12月中にもヒアリング を行ってもよいと考えております。 以上です。 ○中谷委員長 いまの事務局からのご提案等についていかがでしょうか。ご意見を承らせていただき たいんですが。 ○田中委員 この委員会は任期は2年間ですよね。そうしますと、来年の10月ですか。そうします と、いまヒアリングをして、あと何回かの、最終的にはゴールとしてはどういう形にさ れたいのかというのをもう一度教えていただけないですかね。 最初はガイドラインをつくられるとかありましたよね。そのへんを ○母子保健課長 一応来年の10月をデッドラインとして、その2年以内ぐらいに、この検討会としての ご意見を集約していただきたいというのが私のほうの願いであります。  それはガイドラインという形で出るのか、あるいはそういう形でなく、それぞれこう いう意見があった、こういう部分は一致した、しないという形もあるのか、報告書の最 後の形については、必ずしもこうでなければ困るというようなことは事務局として思っ ておりません。むしろ先生方で、中谷委員長のご指導のもとに、どういう形がいいのか ということも含めてご議論いただければと考えております。 ○田中委員  そうしますと、一つの答えというのはむずかしいですよね。どうでしょう。 ○母子保健課長  それはこれからの、おそらく委員会での議論を通じてどうなるのかなということだろ うと思うんですけどね。  これまでは一応世論調査をした結果とか、それからの基本的な事項についてのご議論 をいただいて、またこのような形でヒアリングをさせていただいているということです ので、そのベースの上に立って先生方の間でディスカッションといいましょうか、意見 を交換していただいて、集約できるものであれば、それはこの委員会としてこういう見 解であるということであれば、これは大変ありがたいことだと思いますし、もしそれが むずかしければ、それはまたやむを得ないのではないかなという考え方でございます。 ○田中委員  わかりました。 ○中谷委員長  いまの件はそれでよろしゅうございますか。ほかにご意見のおありになる方。  次回以降は通常の審議を行うことでよろしゅうございますか。 ○母子保健課長  もし先生方が、フクタケ先生とイワシ先生ですか、お二方以外にこれ以上ヒアリング は必要ないということであれば、そのお二方を11月にお願いして1回ヒアリングを開い て、12月からは、これから議論の集約といいましょうか、いままでの議論の経過をまと めたものを提示したり、またさらにもう少し、いままでで個別に議論してない事項があ るとかというご指摘があれば、そこを議題としてディスカッションして、徐々に集約の ほうに向けていくという感じになろうかと思いますので、とりあえずご意見がないよう ですので、次回はヒアリングをさせていただいて、12月以降、またもとの形に戻るとい うことでいかがかと思います。 ○中谷委員長 ご了承いただけましたでしょうか。よろしゅうございますか。 それでは日程の調整をお願いするわけでございまして、これにご記入いただくわけで すか。 ○母子保健課長 きょう可能であれば記入をしてこちらにいただければ、後の調整が早いかと思いま す。 ○石井(ト)委員  先ほど丸山先生の質問に唄先生の答えをまだもらっていない箇所がありました。唄先 生からの答えは後でということでしたのでしたので、唄先生のお話を聞きしたいと思い ます。 ○唄氏  民法の規定では、嫡出子の要件としては、推定をかぶった者だけが嫡出子になるとい うことになっているから、ちょっとここに図を書いたんですが、要するに推定嫡出子に あらずんば非嫡出子というふうにパンと割り切れているわけですね。規定の上では。  ところが2つの方向からその境目が揺らいできているわけです。1つが、形式的には 推定の要件を満たしながら、たとえばいまのAID子なんかはそうですね。形式的には その要件を満たしながら、それに対して推定が及ばないという解釈を僕らがしようとし ている。そのグループと、もう一つは、これも一緒に頭に入れていただかないとわかり にくいんですが、推定の形式的要件はかぶっていないわけです。  たとえば婚姻後 200日以内に生まれた者、このごろのようにそういうのがうんとふえ ているんだと思うけれども、婚姻届より前に懐胎があって 200日以内に生まれている子 これは本来の民法の条文からいうと完全に非嫡出子なんですね。 ところが、それを非嫡出子とするといろいろぐあいが悪いというので、これも判例で だんだん、それをも嫡出子として認めるということになってきているわけです。 だから民法では、推定嫡出子と非嫡出子とに完全に2つに割れた途中に灰色みたいな ものが2種類できてる。どっちも推定を受けない嫡出子という意味では一緒なんだけど 方向はまるで逆なんですね。  こっちは本来非嫡出子だけれども、何とか嫡出子として扱ってやろうと。ただし、推 定という恩恵までは与えませんよと。こっちからいうと推定はある意味で恩恵になるわ け。  こっちからきているのは形式的には推定嫡出子だけれども、推定を外すことによって 楽にひっくり返すようにしてやろうと。こっちは違うけど嫡出子にしてやろう、こっち は嫡出子としておいてひっくり返してやろうと。  そこで丸山君の質問なんですけれども、べきかどうかということよりも、そういうも のが民法の規定にないから、民法に従ってできている戸籍法の上ではそういう手続はあ り得ないものだから、いまはそういうのは全部嫡出子として受けつけざるを得ない。だ から、嫡出子として受けつけたものをひっくり返すために、後で訴訟なりの問題になっ たときの解釈問題がそこに出てくるというだけで、戸籍では嫡出子としてしか受けつけ ないと思います。いまのAIDの場合でも。  戸籍の届け出に行ったときにもちろんAIDだなんて言う必要もないし、言えるよう にはなっていないから。 ○丸山委員  それで構わない、それでいいんだというご意見ですか。 ○唄氏  そこで戸籍のところでそういうことを暴く必要はないと思いますね。むしろべきでな いというよりか、そこでAID子かどうかなんていうことまで戸籍で暴く必要がないか ら、その意味ではいまのでいいと思いますね。  済みません。中途半端で。 ○石井(美)委員  先ほどの進め方について、とりあえず次回、11月でヒアリングを終わるということで すが、後に、ぜひここでもう一度聞きたいという私たちの希望があった場合には、その 可能性は残しておいていただきたいということが1点です。  2点目は、いままでは個別的にはまだ、体外受精のことについて、ここの委員会では 議論されてきていないので、かなり慎重に議論する必要があると思うことです。3点目 は、先ほどの、委員会がどういうものをまとめられようとも自由ですということはあり がたいことなんですが、委員会で一定の方向が出た時は、その実現に向けて動いていた だきたいという希望です。 ○母子保健課長  2点とも私どもそのとおりだと思いますので、まさにおっしゃられたご希望どおりに なるだろうと思います。 ○中谷委員長  それではなかなか自主的ないい質疑応答がありまして、いい結論が出てきたようでご ざいますので、きょうはこれで終了とさせていただきます。ご協力ありがとうございま した。                                     −了− 照会先  担当:児童家庭局母子保健課         椎葉 茂樹         武田 康祐  内線: 3173、3179