99/05/24 第15回疾病対策部会臓器移植専門委員会       第15回 公衆衛生審議会疾病対策部会            臓器移植専門委員会               日時   平成11年5月24日(月)                   9:30〜12:20          場所   虎の門パストラル                4階「桜の間」 出席者 (○:委員長 敬称略) 浅野 健一  井形 昭弘  板倉  宏 大久保 通方  大島 伸一  大塚 敏文 菊地 耕三  桐野 高明 ○黒川  清 小泉  明   小柳  仁  竹内 一夫 田中 紘一  野本 亀久雄 藤村 重文 町野  朔   眞鍋 禮三  矢崎 義雄 山谷 えり子 参考人  柳田邦男(作家) 中島みち(作家) 宮田速雄(高知新聞社会部長) 1.開 会 2.議 題   (1)第2例目の脳死下での移植事例の経緯について      (2)第1例目の脳死下での移植事例に係る検証作業について      (3)その他 〇事務局  定刻になりましたので、ただ只今より第15回公衆衛生審議会疾病対策部会臓器移植専 門委員会を開催いたします。出席状況としましては事前に谷川先生からご欠席の連絡を いただいております。少し遅れている先生方もおられますが、はじめさせていただきま す。  最初にお断りしておきます。携帯電話等はよろしくご配慮のほどお願いいたします。  本日参考人としまして3人の先生方にご出席いただいております。作家の中島先生、 高知新聞社会部長の宮田先生、作家の柳田先生です。よろしくお願いいたします。  資料の確認をさせていただきます。席上に配付しております。まず議事次第をご覧い ただきたいと思います。本日は大きく議題は3つ予定をされております。続きまして委 員の先生方の名簿。参考人の先生方の名簿。座席配置図です。高知新聞の宮田先生には 大変申し訳ございませんが、座席配置図には報知新聞となっております。事務局の手違 いで大変ご迷惑をおかけしました、お詫び申し上げます。  続きまして資料一覧です。資料1−1から1−5までございます。資料2から資料4 までです。非常に膨大になっておりますが資料の1は1ページです。資料1−2は4 ページ。資料1−3は1ページ。資料1−4は1ページ。資料1−5は1ページです。 資料2が20ページございます。資料番号は右肩に記載しております。資料3が2ページ。 資料4が3ページです。  参考資料としまして、各種この専門委員会の下に設けられました作業班の委員の先生 方の名簿となっております。この他に席上に本日配付させていただいております資料と しまして、社団法人日本臓器移植ネットワークからの慶応大学病院臓器提供の経緯とい うことで、1枚紙を配付させていただいております。これは本来ですと資料の1−3に 入るところですが、事務局の手違いで席上ということになりました。よろしくお願いし ます。  柳田先生が意見発表の際に使用されます「よりよい脳死移植のために」と題する資料 が配付されてございます。ホッチキスで綴じたものは二つとも柳田先生からのものとい うことです。急ぎ足で大変申し訳ございませんでした。お揃いでしょうか。では黒川委 員長よろしくお願いします。 〇黒川委員長  おはようございます。お忙しいところ、また朝からお集まりいただきましてありがと うございます。  今日は、2月の終わりに第1例目の新しい移植法による脳死下における臓器移植が行 われまして、それの検証の作業に前回の後、入っていただいておりまして、今日は一部 報告されると思います。その間に、先日、慶応義塾大学で、第2例目の脳死の臓器提供 の提供者の方がございました。ご存じの通りであると思います。これにつきまして、ま ず経過その他につきまして、今日の議題ということで扱っております。まずそれの慶応 義塾大学から提供された第2例目ということについて、関係機関からの資料も提出され ているところですので、これについてまず事務局からご説明いただければと思います。  それから後ほど、今日は3人の方々に来ていただいておりまして、ご意見を伺いたい ということですので、それについてもまた皆様のご意見をいただきたいと思います。で は事務局からお願いします。 〇朝浦室長  では第2例目の臓器移植の経緯についてご説明したいと思います。資料の1−1とい う右肩についている資料で簡単にご説明したいと思います。  本日はこれ以外に慶応義塾大学病院、国立循環器病センター、国立佐倉病院、東京大 学医科学研究所、日本臓器移植ネットワークの方から資料をいただいております。それ も合わせてお手元に配付しておりますので、ご参照いただければと思います。では資料 の1−1に沿ってご説明したいと思います。  臓器提供の経緯です。5月7日に、患者さんが慶応義塾大学病院に入院されておりま す。脳の皮質下の出血ということで診断が下されております。患者さんは意思表示カー ドをお持ちで、心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸に脳死下での提供に○がついており ます。5月11日にご家族の了承がありまして、脳死判定の承諾書及び臓器摘出の承諾書 が受領されております。  その後、法的な脳死判定を、第1回目が19:31、第2回目の法的脳死判定が翌日5月 12日の3:25に終了し、脳死と判定されております。その後、ドナーの臓器が摘出され て、心臓が18:00、腎臓が18:19と18:26に摘出されております。その後、心臓は国立 循環器病センターの40歳代の男性の方で、拡張型心筋症の患者さんに移植されておりま す。腎臓の左の方は国立佐倉病院の30歳代の男性の方で、慢性腎炎の患者さんに移植さ れております。右の腎臓は東京大学医科学研究所の50歳代の男性の方で、慢性腎炎の方 に移植をされております。現在それぞれの患者さんとも順調に回復されていると聞いて おります。  これに関しまして、情報の公表ということで、厚生省の対応について若干補足説明さ せていただきたいと思います。  厚生省の方にこの情報が入ってまいりましたのが11日の正午頃でございます。その後 厚生省としましては提供病院と協議をしております。病院側としては臓器の摘出後に公 表をするということ、ご家族はできるだけ遅く公表してほしいという意向があるという ことを伝え聞いております。  その後、厚生省の内部でも協議をしておりましたが、提供病院の現場の状況を確認し ながら協議しておりました。状況を聞いておりますと、途中で報道機関の方でタクシー で乗り付けた人に、フラッシュで撮影をするということが起こっているということも漏 れ伝わってきておりまして、提供病院と協議をしまして、第2回目の脳死判定後に、厚 生省と臓器移植ネットワークで、第1回目の公表を行う。現場での取材は控えてほしい ということで、厚生記者会と12日の0:40頃協議しまして、発表時期等については了解 ということで回答を受けております。  そういう状況を踏まえて厚生省と臓器移植ネットワークが、第2回目の脳死判定終了 後、12日3:25に脳死判定が終了しましたが、その後、4:55分頃に公表の記者会見を開 いております。その後、臓器移植施設の公表、腎臓、心臓、それぞれ12日の正午頃に 別々に公表しております。  提供施設の方では摘出手術の終了後、5月12日の7時から記者会見をしております。 臓器移植ネットワークは5月18日火曜日に記者会見を開いて、あっせん業務の経緯等に ついて説明しております。以上でございます。 〇黒川委員長  ありがとうございました。お手元の資料を見ていただきますと、前回の第1例目とは 違って、これは私の感想もありますが、報道関係もそれなりの1例目ほど浮足立ったと ころがなく、比較的穏やかにというか、自粛されたというか、抑制された対応であった のではないかと思います。  実は前回の第1例目の場合には、高知日赤の先生方、それから信州大学の先生、阪大 の先生にも来ていただきまして、それの状況についてのご報告を伺ったわけです。今日 は第2例目につきましては、関係各部署の方々が来ておられるわけではありませんので それは別の機会にまた伺うとして、今日は報告ということで、今提出いただいたものに ついての報告をさせていただく、ということだけにしておいたらどうかと思います。 〇朝浦室長  事務局からもう1点です。本日は時間の関係もありまして事務局からの報告だけとい うことにさせていただきたいたのですが、第2例目につきましても、現在の第1例目の 検証作業をお願いしている「脳死判定等に係る医学的評価に関する作業班」及び「日本 臓器移植ネットワークのあっせん業務に係る評価に関する作業班」において、点検とい うか検証作業をお願いしたいと私どもとしては考えております。 〇黒川委員長  それについてはいかがでしょうか。この間、第1例目のところでは、今日の議題の2 にあるところですが、実際の脳死に至るプロセスの救急での患者さんの状況、あるいは 救急での対応の問題、ネットワークがどのように対応していったのかというようなこと については、この委員会で一つ一つの検証をするわけにはいきませんので、この委員会 でもう一つ、それぞれの検証の問題と救急の対応の問題、脳死の判定に至るまでのこと について二つ作業委員会を作っていただきまして、後ほどご報告いただくわけですが、 第2例目についても同じように検証していただいた上で、またご報告をいただく。そこ でまた皆さんのご意見を伺いたいというふうにさせていただきたいと思いますがよろし いでしょうか。  ではそのように取扱いをさせていただきまして、今日は第2例目については報告とい うことで、更に詳細の報告は検証委員会の後でまた報告をいただくということで、ご意 見を伺うとさせていただきたいと思います。  そこで議題の2に移ります。第1例目の脳死下での移植事例において、問題になりま したのは、移植医療の透明性の確保と情報公開の問題、特に患者さんと患者さんのご家 族のプライバシーの保護についての問題ということがかなり議論になりまして、最後の ところに行政側の対応はどうかです。  今回についても情報の公開が遅いとか、報道機関にはいろいろ書いてありましたが、 報道の方もこの間の委員会で私がいったのではないかと思いますが、この専門委員会そ のものは、できたときからずーと公開されてやっているわけです。報道関係の方にも、 ああいう時にはプライバシーと情報の公開の接点をどうするのかというのは、むしろ行 政が決めるとか、この委員会が決める性質のものではなく、報道機関の方は報道機関の 方で、どういうふうに自分たちでしたいのだということを、検討するなりなんなりの対 応をしたらどうでしょうか、ということをお願いしていたのですが、それについて、そ れぞれの報道機関の方である程度の対応がされた気もしますが、それはある程度個別の 対応がされたのではないか、2例目の報道を見てそのように感じました。  そういうこともあるわけですが、今日は特にご意見を伺いたいということで、参考人 という名前が適切かどうか知りませんが、先程ご紹介がありましたように、高知新聞の 社会部の宮田速雄部長、作家の中島みち先生、柳田邦男先生のお3方に来ていただいて おりますので、まずこの3人の方々からお話を伺って、特にこれは第1例目について、 後から第1例目をめぐる問題から、一般的な問題に普遍されることと思いますが、この 3人の方からまずお話を伺いたいと思います。  3人の先生方も大変にお忙しく、沢山言いたいこともあると思います。ご案内と思い ますが、1人20分ずつお話を伺いまして、その後で、皆様からのご質問あるいはご意見 の交換を20分くらい予定させておりますので、そのように議事を進めたいと思います。  ではまず実際の第1例目に係わりました高知での報道という立場から高知新聞の社会 部の宮田速雄部長にお願いします。よろしくお願いします。 〇高知新聞宮田部長  高知新聞の宮田でございます。高知の事例につきましては、相当多くの報道がなされ ましたので、皆様方にはかなりの部分がご理解できていると思うのですが、地元にいた 者として、その日、その現場でどういうことがあり、何が問題であったのか、それらに ついてどうすればいいのかということを、私なりの考えというか、まとめてみたものを お話させていただきます。  報道が始まったのはご承知のように2月の25日のNHKのニュースであります。その 時点まで、各マスコミはそれぞれに対応が違ったと思うのですが、脳死判定の2回目が 終わるまで報道しないという取り決めをしていたところも幾つかあったようです。しか し結果的には、あの7時のニュースの中でNHKがやったことで、そういう取り決めと いうものも全てご破産になったというか、全て引っ張られてしまった、それによって集 中豪雨的な報道が一斉に行われたわけです。  その結果として起きたのは二通りあると思います。一つはご承知のように患者家族の プライバシー、あるいは基本的な人権というものが侵害されたという点であります。も う一点はモラルといいますか、礼節を欠いた取材あるいは報道姿勢というものによって 非常なマスコミ不信というものを多くの県民、国民に抱かせたということであります。  まずモラルを欠いた報道姿勢というのは、具体的にどういうものであったのかといい ます。  あそこが病院であるということ、それに対する配慮を欠いた取材方法が続けられた。 具体的には150 人を越すマスコミが詰めかけたわけですが、大型中継車が駐車場に並び 一日中エンジンを掛けっぱなしにして、ライトをこうこうと照らす。あるいは病院の玄 関には多くのカメラの放列が来る。それによって、入院患者あるいは外来患者あるいは 見舞い客の方に、一種の恐怖、あるいは大きな迷惑をかけた、そういうことがございま す。  更に病院内では、3階の会議室を会見場にしたわけですが、そこに記者の150 人余り が集まり携帯電話を頻繁に使用する。直ぐ側には人工透析の部屋もあったのですが、そ ういうことにはお構いなしに携帯電話をどんどんかけるという事態がありました。  基本的に会見場をあそこに設定したのは、私は失敗というか誤りであったと思いま す。病院であるということは病院側も考えるべきだし、マスコミ側も考えるべきであっ た。高知には例えば高知県庁の中に大きなホールがあるわけですから、そこを会見場に 設定することも一つの手ではなかったかと思っております。  あるいはもう一方、無神経な報道姿勢というか取材が多々散見されました。脳死判定 がまだ終わってない段階で、会見場の入口には移植記者クラブという貼り紙を出しまし た。既に我々マスコミの目は完全に移植の方に移っていた。まだ脳死判定も終わってな い段階でのやり方としては、非常に不味かったのではないかと思っております。  あるいは病院側への質問で、臓器は大丈夫かといった質問をする。更には、これも脳 死判定が終わってない段階でありますが、臓器摘出の場面の撮影をさせてほしいという 申し入れもする。そして院長の対応もあまり良くなかったのですが、それに対してマス コミをなめるな的な発言が繰り返される。人間の生と死を考える場面としては、非常に デリカシーを欠いたマスコミ対応ではなかったかと感じられました。  基本的に脳死移植報道というのは、人の生と死、本来、私的なものについて他者が手 を入れるわけでありますから、当然そこには礼節とデリカシーが要求されるわけですが 今回のマスコミの高知の場合には、神戸やあるいは和歌山といったような大事件と同じ ような対応をしてしまったのではないかと感じられます。  ただこうしたモラルを欠いた取材姿勢というのは、脳死報道以前の問題でありまして 基本的には各マスコミの記者教育、あるいは記者個人一人一人の自覚に問うべき問題で あると私は考えております。そこで脳死報道について一番問題になったのは、プライバ シー、人権の侵害であります。  具体的にどのような形で人権が侵害されたのかということについてお話したいと思い ます。  まず大きいのは、患者家族というものが殆ど特定されてしまった。それは一番大きか ったと思うのは、ある放送局が患者家族が住む自治体名を出してしまった。町の名前を 出してしまったということであります。それに更に複数のメディアが年齢・性別・病 名・家族構成・この患者の人となり、といういう個人情報を報道してしまった。それら を総合して考えてみますと、かなりの部分が特定されるわけです。更には報道内容だけ ではなく、取材方法によってかなりの部分が特定されてしまったのではないか。つまり 患者の自宅、近所、あるいは同級生、更には実家、そういうところへの取材が行われ た。  当然取材を受けた方は名前を知ってしまうわけです。さらに患者の子供さんが何人か おられるのですが、その子供さんの学校周辺で子供を付け回すというか、周辺にいって しまう。それによって学校側が非常に神経を尖らせた。学校側が知るということは、同 級生が知るということでありますし、子供が知れば親が知るということで、どんどん広 がってしまった。  患者の住む町は人口が2万2千人あまりの小さな町でありますが、恐らく大半の人が 家族の名前を知っていたのではないかと思われます。勿論、この町だけではなく、周辺 あるいは県内にかなりの部分でこの個人の名前を知っている人が多かった。それは具体 的に私どもの方に、実はこの人はこういう人であろうという問い合わせがかなりありま した。  地方都市というのは匿名性の薄い社会でありますから、一端プライバシーが流出しま すと、驚くべきスピードで流れてしまいます。それによって歯止めが利かなくなってか なりの部分で知ってしまうという特性があると思います。  それから、このご家族は死亡後に私どもの新聞に死亡広告を出されました。これはあ くまでも推測ではありますが、かなり苦渋の決断ではなかったかという気がします。つ まり出したくはなかったのだが、高知あるいはこういう地方都市におきましては、一般 の方が亡くなると、殆どの方が新聞に広告を出します。ここで出さなければ逆に不信に 思われるのではないかと考えて、結果的にはかなりの人が知っているのに、更に確定的 に名前が出てしまうという結果を招いてしまいました。  このような形で非常にマスコミに対して不信感が募ったわけですが、それによって情 報というものが閉ざされてしまいました。これは基本的にマスコミである我々自らが首 を閉めてしまったという結果ではないかと私は考えますが、一方でリアルタイムの情報 が出されなくなったことで、プライバシーの保護と透明性の確保というものが、非常に 衝突すべき概念ではないかと考えられておりますが、必ずしもそうではないと私は思っ ております。  こうした結果を招いた一番の大きな原因といいますのは、幾つかあると思いますが、 基本的に私は臓器移植法が制定されて1年4か月もあったにも係わらず、全くマスコミ 側もあるいは情報を出す側も、きちんとした準備をしていなかったのではないか。事前 の準備が足りなかったのではないか。つまり透明性確保のためには、どういう情報が必 要であるのか、どの情報が必要でないか、という区分けというか、すみわけというか、 そういうことがマスコミの側にも出来ていなかった。せいぜい数人の医療担当の専門記 者というものを置いて、その者に任せきりにして、勿論中にはやっているところもある のでしょうが、社としてきちんとしたマニュアル作りというか対応をすべき体制作りが できてなかったのではないか。  一方で、病院側、あるいは厚生省の方、ネットワークの方も同じ内容ではなったか。 単なるこれは記者クラブとの取決めというレベルの話ではなく、もう一度、脳死移植報 道というのはどういうものであるのかという原点から、何が必要で何が必要でないのか ということが、きちんと整理できてなかったのではないか、それで結果的には、第1例 目ということで飛びついてしまって、単なる事件報道的な形になってしまったのではな いか。  透明性確保のために基本的に必要な情報は、まず救急医療が適切に行われたのか。家 族への説明は具体的にどのように行われたのか。脳死判定というのは正しく行われたの か。更にネットワークはきちんと機能したのか。そういうことであろうと思います。  こういうことについてマスコミである我々は、家族の心情、心というものに対して、 もっと想像力をもって、例えば自分の家族がこういう形で患者になった場合にはどうす るのか、ということを念頭に置いた上で考えていけば、プライバシーと透明性はそれほ ど真っ向から対立するものではないのではないか、このように考えます。  そうした上で、最近のマスコミ動向、2例目があったのですが、やや気になるのは、 こうした対立したものの原因の全てを、いつから報道をはじめるのかという報道のタイ ミングの取り方に集約させつつあるのではないか。先の慶応病院での2例目でも、例え ば幾つかの社は、第2回の脳死判定が終わるまで報道を控えたということをいっており ます。では1回目の時と今回の2回目は何を元にして変えたのか。報道を控えればそれ で問題は解決するのか。そういうことを非常に考えます。  つまりこの脳死報道というのは、報道のタイミングの取り方ではなく、報道の内容中 身そのものである。何を報道し何を報道しないのかということをきちんと考えてやって いかないと、たんに控えたから問題はなかったのだ、というのは問題のすり替えになっ てくるのではないかそういうふうに思います。  一方情報を出す方も、もう一度何を出すべきかということを考えていただきたい。基 本的に高知での1例目に係わった我々マスコミも含めて、病院側の対応、あるいはネッ トワーク、厚生省、それぞれの機関の係わり方というのは、非常に未熟であったと私は 考えております。  そういう中でこの1例目というのは、どこに問題があり、何が駄目であったのかとい うことを、マスコミだけではなく、それぞれの関係機関がきちんと検証して、その中で 練り直していくという作業をもう一度していかないと、ただマスコミに情報を流すと、 全部が駄目になってしまうからもう情報を出せないという、非常に短絡的な言い方でや っていきますと、この移植医療に対する不信感というのは益々強くなるのではないか。 出すべき情報というのはきちんと出す、書くべきでないことは書かない、という線引き は非常に難しいのではありますが、お互いに考えていかないといけないことではないか と思いました。簡単ではありますが高知からの報告にしたいと思います。ありがとうご ざいました。 〇黒川委員長  宮田部長ありがとうございました。いろいろなお考えがあろうと思いますが、次に中 島みち先生に20分お願いします。 〇中島みち先生 (議事録をホームページに載せるにあたり、読者の皆様に一言。 私の参考人としての発言は、臓器移植専門委員会に対してなされたものであり、与えら れた短い時間内で、しかもメモなしで話したために、専門家には直ぐ意味が分かる範囲 内で、言葉を省略しております。  そこで、今回ホーム・ページに載せるに当たっては、対面で専門家に話したものを、 文字だけで一般の方々に理解していただくために、多少は、主語、述語等の順序の入れ 替えを行い、単純な言葉の重複は整理し、また、省略箇所は、カッコ内に補いましたの で、その点を、ホームページ読者の皆様に御報告いたします。 なお、この種の議事録 では、加筆、削除、訂正等について、その箇所や理由を明確に示さずに発言者が書き改 めるケースが見受けられますが、私は、公開の委員会での参考人の発言内容について、 発言者の責任を重視しており、後になって明示なしにそのようなことを行うことが許さ れてはいけないと考えていることを、付記させていただきます。)  今の宮田さまのご報告というのは、さすがに地元のメディアでご苦労なさって、今回 の第一例を直にご覧になっただけありまして、大変に貴重なご報告であったと思いま す。特に、いろいろな混乱があったにもかかわらず、何を報道するか、何を報道しない か、それが問題であって、必ずしも医療の透明性とプライバシーの保護は両立しないも のではないというご結論に導いておられるところが、さすがにいろいろと苦渋の思いを なさった結果、到達されたお考えであり、私も、その結論には同感と思いました。  第一例では確かに混乱がございました。報道にもいろいろと問題があった。これは、 今お話を伺いましても、本当に、胸の痛むようなことでございます。  けれども、只今の「和歌山の事件と同じような報道になってしまった」というお話に ついては、私は、ある意味では、今回のことというのは、和歌山の事件より大きいくら いの事件であったと思います。  と言いますのは何しろ31年ぶりの(心臓移植になる可能性のある)臓器移植です。日 本で初めて、法に基づく脳死を死とするものでございます。  しかも31年前の和田移植は、全くどうしようもない不信感を国民に与えたものでござ います。そして法の制定から一年四ヵ月余待った挙げ句に提供があって、こういうこと になった。  しかも、ここが問題でございますが、その高知の病院の対応には、後ほど具体例を挙 げますが、非常に、不手際があったと思います。  こうなればマスコミとして報道としては、どうしても本当のことが知りたい。「どう なっているのだ、どうなっているのだ」となっていくのは、よく分かる。だから、今、 宮田さんがおっしゃられたような、個人のところの、お家の方にいったりということは 当然やってはいけないことで、こういうことは、みんな分かっていることですが、1例 とか、2例、3例くらいのところというのは、世界の他の国であっても、そういうこと は起きうると思います。決して恥ずべきことでもない。  次への学習、ケース・スタディとして次に生かしていけばよろしいことであって、こ の第一例の混乱や行き過ぎこれに引っ張られて、後々「プライバシー、プライバシー」 ということになって、それで、医療の透明性ということを損なうことになったら、対応 として非常にまずいことになる。移植は定着しないことになると思います。  ここで、この教訓を生かしながら、プライバシーという私的領域、患者と患者の家族 の私的領域にかかわること、これは守っていく。個人の名前を出さないなどは当然でご ざいます。しかし臓器提供の医療行為にかかわることの中で、プライバシーとちょっと 分けがたいと思われるところがあるかも知れませんが、これは、これからお話するよう なことを考えていただければ、決して分別しがたいことではない、簡単なことでござい ます。  最初に、脳死と臓器移植に関する私の立場を申し上げます。私は脳死を法で押し並べ て人間の死とはしない、だが移植をさせてあげたいという価値観に立つものです。脳死 を死とすることには私は慎重派でございますが、それを立法で死とすることに慎重であ るだけで、「死は納得」、つまり医療の中での死は、医療者に充分手を尽くして貰った 上での、本人の納得、本人に意識がない場合には、あくまでも本人を楽にさせてあげる ための家族の納得があってのものであってほしいと思っておりますので、移植でない他 の場合については、脳死前であっても、楽にさせてあげたいということがあってもよい と思っております。通常の死では、問題は、脳死だとか心臓死であるということではな いと思っております。  ただし移植の場合というのは、臓器を摘出するのですから、話は全く別です。これは 法律的、社会的行為であって、単なる医療行為ではないのです。  ですから、脳死を立法で死とすることについては、ずうっと15年反対をしてまいりま した。しかし、移植は国民の沢山のみなさんがさせてあげたいと言っている。いろいろ な価値観が共存する社会であってほしいというのが私の願いでございますので、臓器移 植法成立の際沢山の方々のお力を頂戴して、この15年前から私が提案してまいりました 「本人の提供意思が文書で確認される場合のみ、特別の例外として脳死を死とみなして 移植を可能にする」法律構成を採用していただくことが出来ました。臓器移植法の第6 条でございますが。  他の場合は従前どおりというところが、ポイントでもあります。医療現場というのは なかなか難しいものがあります。大変に不信感が強いので、押し並べて脳死を死とされ ては患者側は困るわけです。  この法律構成は15年間、頑張ってきましても、本当に最後の最後に参議院で成立する まで、ある時は私について「ドンキホーテのよう」と笑われたこともあるくらいで、 「難しい」「とても出来ないことである」「二つの死ができては困る」と言われてきま した。今まで、「日本は移植については世界に遅れた」とおっしゃる方々がおられます が、私は、この国の、この選択というのは最高の選択であったと思っております。  国民の立法への信託に対して、本当に立派なお答えを出されたと思っております。  それでその法成立への時のことでございますが、・・・このことは後に第一例で問題 になった報道のありかたに関係してくるのですが・・・、私は脳死判定に従うという承 諾の意思表示文書にいたるまで法で義務付けてしまう、これは、屋上屋を架すようなこ とでもあり、ここまで厳しい法律にするとちょっと、問題が後で起きるぞと思いまして 「そこまで、しなくてもいいのではないか」と、議員さんにも申しました。が、国民の (医療現場への)心配が強いから、これもしておいたほうがよいということで、念には 念を入れてということで、現行法のようになりました。 [脳死を押し並べて人間の死とする法律ではない以上、臓器提供とは無関係な場で単に 予後の対応を考えるために、今で言うところの臨床的脳死診断を行うことは、それによ って死となるわけでもないし、それは患者家族にとっても必要な医療行為でもあるわけ ですが、当時は、それにすら反対する方々がおられ、議員さんも判定行為に敏感になっ ていたわけです。]注  思った通りに、これは、後々に問題を残しました。[つまり、本人が脳死判定を受け ることに、家族もまたそれを承諾する行為から、第6条にかかわる法律行為になるわけ で、ここから透明性が求められるわけですが、医療側をはじめ一般にも、その意味が理 解されにくく、こうして、今、問題になっています。医療側が適切に配慮さえすれば、 臨床的脳死診断で脳死状態であることが確認された後、家族は、法的な判定の承諾の前 に、望むだけ充分に、誰にも知られずに静かに別れの時間を持てるわけで、それが、こ のように、判定受け入れの承諾まで必要とする厳しい法律が作られたことの意義でもあ るわけですが、今回のように、ここからの情報開示について、プライバシーの著しい侵 害と受け取る方々もあり、法律がよく理解されていない面もあるのではないか、と考え られます。]注  もうひとつ、前にさかのぼって申し上げます。  問題になっている、患者と家族の別れの問題は凄く大事です。 私は、お別れの時間が大切なこと、そして、死んでいく方への想像力を働かせてほしい ということも、15年間にわたり、訴えてまいりました。  しかしそれは、かつて、法成立以前に、脳死を死とするのかしないかも分からない頃 しかも家族の忖度によって、脳死状態の患者から臓器を提供できるようにしようという ような動きがあった時代に、患者の枕元で「臓器を出してくれ」と言って、子供さんと の別れの貴重な時間に、何時間も口説かれたということがあったりして、そんなことが またと起きぬよう、別れの問題の大切さを言ってまいりました。  しかし、今、当時とどのように変わったか。昔の続きでお考えになると困ると思いま す。  日本では、あの臓器移植法の成立によって、基本的には脳死は死ではないということ が明確になったわけです。  余談になりますが移植医の方々から、私はこの頃、年齢のせいか丸くなったと言われ ますが、そういうことでは、ない。生来、カドカドのしっかり角のある人間でございま すが、そういう感じをお与えしたというのは何故かというと、以前、法もないのに暴走 していって、しかも成功もしない可能性のあるところに臓器移植をする。それがむしろ 人体実験のようなものであるということで反対してきたのです。  しかし、今回の第一例のように、法のもとに、しかもきちんと情報公開をしながら移 植手術をした(阪大の例を指す)というのであれば、それは問題ない。私は、法を満た していればそれでよろしい、情報公開しているからよろしいと言っているのです。つま り、それに反対しないからといって円満になったというわけではないのですが、そうい う誤解があるくらいに、臓器移植法の成立前と、臓器移植法の成立後では事態が全然違 う、物を考える基本になるところが違っているのですが、皆様にご理解いただくのが難 しいことなのだと思います。  私にしてみれば、脳死を押し並べて法で死とすることはない。こういうふうに、この 国で決まった以上、今度は法を守っていただければそれでよい。非常に簡単なことで す。厚生省令にしても、厚生省の臓器移植に関するガイドラインにしても、守るのは非 常に簡単なことでございます。それが守れないのはなぜか、このことこそ不信につなが るのです。  元に戻りますが、何が大切といって、脳死が死ではないと、この国で決まった以上、 どうなるのか。臓器移植法というのは、その脳死の判定において、そのことによって、 死をつくりだすものでございます。本人の脳死段階での提供の意思によって死をつくり だすものでございます。それだけの大変なものです。その時に、ご本人もその意思を明 確にしている。  それから臓器移植法の精神というのは、21世紀の医療の先駆けになるもの、これから ある意味ではそれを引っ張っていくものになると思います。というのは、私は臓器移植 というのは所詮臓器は足りなくなるのですから、過渡期の医療ではあると考えますが、 しかし医療全体を引っ張っていく上で、これをチャンスに考えていただきたいことがあ るのです。  といいますのは、情報開示という一つの流れの他に、自分の体のことは自分で決める という、もう一つの流れがある。これは私は本当は好きではないのです。なぜかという と死ぬ時になれば考えが変わりますし、いろいろな思わぬ(予想もできぬ)ことになる からですが。しかし世界的に本人の意思を尊重するというのが流れになっている、その 中でこの2つの流れを満たした形で行われる臓器移植というもので、ここで意識を改革 していくときだと思うのです。  本人が本当に役に立ちたいと思って、愛情をもって提供する。本人のちゃんとした文 書による意思があるのです。それであれば、その意思をしっかり満たすということがど うしてそれほど隠さないといけないことなのか。  お別れが大切だというのはよくわかります。個人の私的領域の保護というのは当然で すから、このことと混同していただきたくないのですが、家族も臓器を提供なさると承 諾を出されたということは、家族も本人も臨床的脳死診断の段階で脳死は死であるとい うことを受け入れているわけです。一般の心臓死であっても、死となってしまったら、 これは後でバタバタして大変なことです。お別れが大切なのはよく分かりますが、この 法律というのはどういう法律か。ご存じのように刑事訴訟法第229条にある検視の条項、 そういうものも、この臓器移植法の付則の第2条3項で、はっきりと、「調整」をする と書いてあります。これは国の基本法に係わるということで、臓器移植法ができるまで 一番難航した原因です。何年間も難航したのはこの刑事訴訟法の検視の条項が問題にな っていたためでもあります。  変死者、つまり交通事故者にあった方などこそ新鮮な臓器が役に立つのだが、心臓死 を待たないと変死の疑いのあるときには摘出できないという、そういうことがあって、 それをすり合わせるために、大変な苦労をした法律であります。そのような国の基本法 に係わることを、変えていくだけの法律というものを作った以上、これはこれに対する 対応、頭の切り替えというものが必要であると思います。  この国では死んでいない人間を、死んだものとして、しかも脳死判定を受けるという ことを承諾する、そこまで一つの法的な行為として行わせる法律です。できた以上これ は守らないといけません。  そうであるならば、先程7時のニュースからの放送に問題があるというお話もござい ましたが、あの場合、家族から5時55分にはっきりと提供の承諾の意思が示されており ます。そうすれば、それが良いとか悪いとか申し上げる立場ではございませんが、日本 で初めて、法にもとづいて脳死を死とする出来事であることに対して、社会的な問題と して重要視する。それに対しては、私は違和感はございませんでした。これが良いか悪 いか、それは報道の方々が、自主規制で、いえ、規制という言葉は好きではありません ので自主判断でやっていかれるなら、これからお決めになることだと思います。しかし 法律から考えますとそういうことでございます。  ですからお別れを大事にするとかということは、耳に快いし、そういっていれば非常 に楽なことです。しかしこれだけの決断を国がしたということ、それなら他の医療の先 駆けになるものとして、徹底的に医療の情報の透明性を確保しなければなりません。こ れによって移植の側もそれで早く知ることができたから、早く発表されてよかったとい うことに対して、けしからんという話などもございますが、私は、移植をすると決めた 以上は、ご本人がちゃんと提供したいということであり、家族もそこで提供しようとい うことになったなら、少しでもレシピエントの方が成功するような技術は、法律を守り 実害がない場合にかぎり、割り切らないといけないと思っております。  家族の方の場合ですが、脳死のところで、臨床的脳死診断を含めて5回も無呼吸テス トをやっているのですが、そういうことこそ人権の侵害です。それからいろいろと、プ ライバシーを損なう問題があったといいますが、それについてまずあちらの部長さんが 非常な憤慨をカメラの前でなさった、あの場面は多くのメディアで一日中報道されてお りましたが、あの時に私どもは、「患者さんが怒っている」という医師の言葉の中には 医療のプライバシーが侵害されたことへのお怒りもあると思いました。事実3月1日の 晩にも私はそれを報道のほうで申し上げました。  実はその後どんどん、そうであることが分かってくる。そして3月15日、あちらの院 長さんが大阪で会見を開かれたときに、近くに脳波計がなかったから脳波より無呼吸テ ストが先になったとおっしゃった。それで間違いはないとおっしゃった。ところが、例 を上げると、4月3日に医学会総会で私が申し上げたのは、普通の人間がそれを聞けば どうして脳死になっていく患者さんはその部屋にずっといるのだろうに、脳波計がそこ にないというのはどういうことか。未だ判定医も発表されていないところを見ると、あ まり経験のない判定医が稽古でもしていたのか、とか、あるいは脳波計を直していたの か、あるいは本当はそこにあったのではないか、とか、いろいろなことを考えます。そ れが普通の社会人でございます。  医療のかたはそれで何の不思議もなく、3月15日にそういうことをおっしゃって、そ れで済んだということですが、私はその気持ちを4月3日に医学会総会で申し上げまし た。そうしましたら4月11日に、「実は」と、厚生省で決めた手続きを書いたもので、 無呼吸テストは2番目にやると書いてある、最初の方の版、14年前の版をご覧になって いたので間違えた、と。それが4月11日の院長の発表でございます。  この一言だけをご覧になっても私の発言はこの20分しかないのですが、いろいろな例 を申し上げたいが、時間がないのでこの一言だけできっと分かっていただけると思いま す。一般の社会人からみれば、笑ってしまうような不思議なこと、それを隠しおうせる と思っていらっしゃるのです。これはプロの奢りであろうと思うのです。私は悪気があ ってなさっているとは、全く思っていません。皆さん一生懸命やっていらっしゃると思 います。ですが、例えば脳波が出た、出ない、感度の上げ方が間違っていたなどと言い ますが、でも、感度はどのくらいに上げたらいいというのは、ちゃんと書いてあって決 まっているのです。それを、結果として安全であったから問題がないという感覚、もし これを一般の社会で、法律で決まり、ガイドラインがあり、厚生省令がある。その中で 結果として安全であったからといって、順番も違う、15年も前のものを見ていました。 そういうことが通るかどうか。社会人としては、通りません。  であるなら、医療の透明性をきちんとしないといけない。今の例にしても、もし報道 がある時点でリアルタイムでされていなかったら、全く闇に葬られたことでございま す。これは確実です。  ですから百万言を費やすよりも、この一つの第1例における事実、2月28日に行われ たものが、どのような経緯を辿って、4月の11日まで本当のことが言われないできたの か。そこに来て「ゴメンナサイ」になる。ちょっと信じられない感覚です。  これでは医療の透明性に欠ける。まさに今回、最初から報道がリアルタイムでやって きたことで、今回のことははっきりと分かったわけでございます。そして、昨日も竹内 先生の作業班で、確実であり安全であり、結果として「問題はない。」「安全」「確 実」という評価が並んでおりますが、一般の社会人からみれば、なぜあれほどお決めに なるまでに、理由があって、歴史があって、今の形に変えていったものを、なぜそこで 「問題がない」とおっしゃるのか。 (作業班の評価)医学的な評価ですから、おっしゃっている意味は私にはわかります。 でも医学的評価といっても臓器移植法に係わることですから、医師の方々が一般社会人 の普通の人と同じ感覚をもってほしい。患者のほうにしてみれば、家族にしてみれば、 あそこであんなに憤られたというのは、どういうことか。私は自分であれば、脳波が出 たなら生き返るのではないかと希望を抱き、駄目だったらやっぱり死ぬのではないかと 思う。その怒りを、いったいどうなっているのだという怒りを、医師にぶつけることは 患者は弱いですから、できないのです。すると、報道が怪しからんという騒ぎの方にい ってしまう。  あの時のニュースで、はっきりとあの病院の部長がおっしゃっていましたが、「憤り を感じる」と。本当に強い憤り、「臓器移植をもうやめようという憤り」とおっしゃ る。しかし、私たち患者側にしてみれば、これは一体何なんだ。臓器移植法の精神を全 く理解してないではないかと思う。そうして、患者側の怒りというのは、自分たちの不 手際そういう生きるのか死ぬのかわからないような、そういういろいろな不手際への怒 りです。無呼吸テストを5回されたということも、これは患者さんの家族は知らないで しょうが、知らないがゴタゴタしている、その感じは分かる。しかし医療者にはぶつけ られない。だから報道のほうにぶつける。そういうものを皆、医療側がまわりのせいに すり替えてしまうというのは、私には許せないのです。  無呼吸テストというのを5回もやったということすらわからない。家族というのはそ ういうものです。生涯で初めていきなりそういう場面に遭遇して。臓器移植法を勉強し ているわけではないのですからね。家族というのはそういうものです。  しっかりと明確に制度が守っていかないといけないのです。その中では、例えば第三 者機関を作って、リアルタイムでなくてもやれるというご意見、私は今日は多分柳田さ んと意見が対立することになるのではないかと思って、今日は心配しているのですが、 それは検討内容の質を高めていくためのことであって、お互いが、皆が、自分の思うこ とを言えばいいと思うのです。  第三者機関という話も、私もいろいろ考えました。しかし第三者機関というのは、今 までどれだけ機能してきたか。みなお金を出す機関、行政に取り込まれてしまう。しか もゆっくりやることならいいが、今回第1例のところであったような、報道によっては じめて分かった、初めてあらわにされるという状況というものを、第三者機関で突きと める手だてがあるのでしょうか。そういう力を持つのでしょうか。ただ並んで座って検 証している。その中でそういうことができるのか、私は甚だ疑問に思います。  そうすれば第1例の場合の、ああいう暴走があったことについては、31年ぶりのこと で、これはこれで世界のどこで起きてもそういうことであるから、これからどういうこ とを公表し、どういうことを報道だけで抑えておく、そういうものはお互いに自主規制 をするなりなんなり、自主的な判断をしていただいて、決めていくなりして、自ずから 落ちついてくるわけです。  そして2回3回目であった問題を、これから21世紀にかけて定着させようとしている ところに引きずっていくというのは、後ろ向きの典型でございます。  まだお話をしたいことは一杯あるのですが、時間でございますので、どうぞここでお 願いしたいことは、法を守っていくという当たり前のことをしていただく、そしてそれ がなかなかできないからこそ、今まで報道がやってきたことの意味があった。  私は著書の「見えない死-脳死と臓器移植」の取材の中で、心臓死からの移植であると 言われていたのが、実は脳死移植であったことだとか、調べてきて、散々15年間脳死現 場の不透明さを見てまいりました。だが本当に、これは一般の検証機関などでは分かり ません。だから「見えない死」であり密室の中の死であるのです。  ここで最後にもう一回申し上げます。守らないとならないのは何か、プライバシーを 守るのは当然、しかし、本当に守らないとならないのは、死んでいく人、亡くなってい く人の人権でございます。そこでお別れをゆっくりしようとかというのは、臨床的脳死 という前の段階でもできるのです。それを急がなければいいのです。きちんと手を尽く していただいて、臨床的脳死診断のところでやればいいのです。本人が脳死段階での臓 器提供の意思をはっきりと持ち、家族もそれを大切に提供しようという気になっている のですから、守らないとならないのは密室の中で判断される医療に対する、患者の側の 人権でございます。  この移植医療というのは何が中心かというと、医療行為が中心ではない、国民の臓器 がなくてはできない医療です。臓器がなければ話にならないのです。そうすれば、臓器 を提供する方、その側の人権を守るのが第一であり、それ(提供)を明るい行為として とらえて、きちんと法律を守って、移植が成功したら根づいていく。手続きがちゃんと 守られれば、厳しい法であっても、厳しい法であるからこそ、国民は安心して提供する ことができるのだ、と何度も申し上げてきましたが、その通りであったと思います。  あのような騒ぎがあったにも係わらず、第2例の方はあの後で決心をされ、カードを 書いておられます。どうぞ皆様、守られなければならないのは、密室の中でなくなって いく患者。家族としては無呼吸テストが良いのか悪いのかもわからない。だからそれを 本当に法律で守り、国民が守らないといけない。それをご理解いただきたいと思いま す。長くなりまして申し訳ございません。 (当日、制限時間がきてしまい、「移植医療に係る情報開示と提供者側のプライバシー 保護の両立」について、準備していた総まとめを遂に述べられなかったので、ここに、 その時のメモを記させていただきます。) [今回の例についても、ケース・スタディーとして前向きに生かしていけば、この問題 は基本的に両立可能であり、行政が各報道機関の自主判断に対し介入する問題ではな い。  情報開示とプライバシーの保護があたかも対立するもののように世に受け取られたと すれば、そこには、幾つかの本来別個の事柄の混同があるからではないか。  まず、行政と医療機関が報道機関にリアルタイムで情報を開示することと、それを報 道することとは別の問題であり、前者はリアルタイムが望ましく、後者は報道機関側の 自主判断に任せられてよいのではないか。  また、患者や家族の私的領域のプライバシーが大切にされなければならぬのは 当然のことだが、救命治療の実態、提供や脳死判定の手続きが適正であったかどうかま で、患者のプライバシーを楯に秘匿されてよいものだろうか。  さらに、今回、この国の歴史上初の法により認められた脳死状態からの提供、しかも あの忌まわしい和田移植から三十一年という法的、社会的大事件という側面を持つ事柄 の報道に過熱があったからといって、それと今後の移植への対応をゴッチャにして論じ 移植が定着し世間が注目しなくなった時にこそ危惧される密室で亡くなっていく人の人 権を守るための切り札を、報道は手放してもよいものか。  私自身、「見えない死」脳死と臓器移植問題との取り組みの十余年の中で、医療側か ら記者の方々へのリアルタイムの発表内容と、周辺の後追い取材から出てきた事実の矛 盾点を克明に追求していくことで初めて、隠されていた真実を明らかにできた経験を多 く持つが、今回の第一例でも、まさに、提供側医療機関が報道にリアルタイムで発表し た内容中の疑問点への取材が記者らにより重ねられる中で、四十五日にわたる攻防の末 に、やっと、医療側は手続きミスの真因を明らかにした。もしリアルタイムの開示がな ければ、闇から闇へ葬り去られ、矛盾点を衝く手掛かりもなかったであろう。  患者と家族の静かな別れの時間がいかに貴重なものか、私も十余年にわたり訴え続け てきた。そして、臓器移植法にはその精神が盛り込まれ、法的な脳死判定の行為にも家 族の承諾文書が必要とされる。ということは、医療機関の配慮さえ充分ならば、それ以 前のいわゆる臨床的脳死診断の段階から、家族は誰にも侵されぬ別れの時間を望むだけ 持つことができるということでもある。  臓器移植法により、この国では、通常の場合は従前どおり、脳死は人間の死ではない と明確にされたのである。ならば、死でないものを、本人の提供意思が文書で確認され た時のみ例外として死とみなし臓器を摘出するからには、何よりも守られるべきは、こ れから密室内で亡くなっていく人自身に加えられる医療行為(これは同時に法律に係わ る行為でもあるわけだが)の透明性であり、それを監視する手段の確保であることは、 自ずから明らかであろう。] 〇黒川委員長  ありがとうございました。では3人目で柳田邦男先生お願いします。 〇柳田邦男先生  発言の趣旨をできるだけ正確に理解していただきたいと思いまして、メモを用意して まいりました。委員の方々及び取材傍聴の方にもお手元に渡っていると思います。私は 今日の参加要請を受けましたときに、私がここで発言するのはいかなる意味があるのか 考えました。沢山の議論が百出する中で、私がもし発言する意味があるとしたら何であ ろうかということで考えたわけです。  私自身の個人的体験と社会的活動の両方から意味があるような気がしましたのでお引 受しました。私の個人的な体験というのは、息子を脳死を経て失ったという体験がある ということ、それから私は母親を1年3か月に及ぶ植物状態を経て亡くしております。 最近では義兄が医療過誤で死亡するという事態も経験しております。  そういう数々の医療の現実の中で体験したこと、そういう中で問題を考えてみたい。 自らの体験的実感的な問題としてとらえてみたいということが第一です。  第二には、この30年ほど生と死をテーマにして作家活動をしてまいりまして、それは 具体的には死の臨床研究会活動を20年ほどやりましたし、救命センターでの取材も長期 にわたってやりましたし、また生と死を考える会やホスピスの会などの喪失体験者、 数々の方々との語り合いや交流というものを続けてまいりました。その中で今回の脳死 移植の問題について私なりに感じたことを整理してみたわけです。  まず、私の所感として冒頭に述べたいと思いますのは、お手元の資料の12ページのは じめの方にちょっと書きました。  先だって慶応大学で2回目の脳死患者が出た後、つまり臓器提供者が出た後で産経新 聞の5月12日付け夕刊に、これまで脳死移植推進の旗降り役を務めてこられたある大学 教授が、こういうことを長い談話の中で語っておられました。  「大切なのは遺族の気持ち、最愛の肉親を失う遺族の気持ちを自分のこととして受け 止めてみれば、最後の別れを惜しむ貴重な時間を、静かに過ごさせてほしいと思うこと は当然であろう。臓器を提供してこれでよかったんだと遺族が思える環境を整えること が大切である──」とおっしゃっていたわけです。私はこれを見て非常に複雑な気持ち になったわけです。  この先生はかねて、いかにしたら臓器が集まるのか、個人の意思決定などは日本では 無理であるし、そういうことをやっていたのでは臓器は集まらない、家族の忖度さえあ ればいい、とかねて強調してきた。その先生が、今回はじめてこういう発言をした。こ の違いは一体なんであろうかということを考えたわけです。  なぜこういう意見が脳死臨調の段階、あるいは一昨年の法律制定間近に控えた国会で の諸論議の中で出てこなかったのか。当時そういう議論が出ないことについて私は非常 に危惧を感じたわけです。  一昨年6月、参議院での法案審議が大詰めに来たときに、私も参考人として呼ばれて 発言しましたときに、参議院厚生委員会の委員長及び自民党幹事長から、一体今度の法 律をこうやって修正して作った場合、何が必要であり、どれだけの準備期間が必要かと 問われました。私は死にゆく人の環境条件・豊かな看取りの条件、それを作るには1年 はかかる、そのためには救急医療現場、集中治療現場の体制作りが大変である。だから 法施行に1年はいる。それをしないと必ず混乱が起こるし、そういう準備がない段階で 綺麗な移植医療はできないと申し上げました。  それでいろいろと委員会で議論がありましたが、結局施行は4か月後ということで、 通常の3か月より1カ月だけ延ばしましたが、その間、この公衆衛生審議会の専門委員 会でもいろいろと議論したが、そうした脳死者が出る現場の側の環境整備の問題という ことについては、全く発想がなかったという印象を受けました。それがまた今回の混乱 の基本的な原因になったのではないかという印象を持つわけです。  また今回の報道、特に高知での報道姿勢を見ましても、私が直ぐに思ったのは、かっ て私が付き合っておりました山本七平さんの言葉でした。膵臓癌の非常に厳しい状況の 中で痛みに七転八倒していたとき、担当医が、あれは麻酔科のすることで私にはできな いといって放置していたその体験から、「人間というのは他人の痛みにいかに無頓着で いられるのか」ということを、遺稿の中で書いておられました。それは単なる肉体的な 痛みだけでなく、痛み苦しむ者、傷つけられる者、そういう者の精神的な問題を含めて だと思うわけです。  高知での報道の実態というのは、まさに人間というのは他人の痛みにいかに無頓着で いられるかということ、そういうことに通じるのではないかと思うのです。  それはどういうことかといいますと、NHKが19時のニュースで第一報を流して、そ れから騒然となったわけですが、一体なぜあの段階でニュースが流れたのか、その背景 を考えますと、あれは高知で情報が漏れたわけではなく大阪で漏れているわけです。つ まりその時点で既に大阪の医療機関に情報が既に回っていたということです。それを通 報したのは移植に熱心なドクターたちであったということです。  私の個人的体験を申し上げますと、1982年に日本航空機が福岡から羽田に向かってい て、羽田に着陸寸前に機長の精神異常による異常操作で墜落しましたときに、私はいち 早くその情報をキャッチして報道に臨んだわけですが、そのときに精神科医の専門医に 来ていただきました。そして一体どこまで報道すべきか、機長の精神状態についどう判 断すべきか、それについて徹底的に議論しました。そしてその時、こういう診断に係わ ること、特に精神科領域についての診断は、半年とか1年かからないと結論が出ない問 題であって、ただ、こういう事実があったからこれは精神分裂病であるとか、妄想であ るとか即断して報道することは、大変に危険であるという助言を受けまして、全てそう いう医療診断に係わることは抑えまして、起こった事実だけを報道した経験がございま す。その時には、デスク機能なり記者それぞれの判断なり、報道担当者の判断なりとい うのは、非常に詰めた議論をやってから出したわけです。  私はNHK出身でありますが、今回のNHK報道に対しては、大変に胸の痛い思いを するのです。  前置きが長くなりましたが、私の趣旨を申し上げるにあたり、お手元の資料をご覧に なっていただければと思います。 1.移植医療の大前提。これは先程の某教授の発言にあるような形で、最近、漸く(1)の 「脳死者の生前意思の上に立った家族の納得のいく看取りと別れ」ということが確保さ れることが非常に重要であるということが、次第に共通の意識になってきたことは、非 常に大事なことであるし、ここまでやっと来たのかという印象をもっております。  (2)の移植医療、つまり移植によって救う医療側の技術がいかに高く、また患者がどの ように救われ素晴らしい人生を送れるようになったのかということをいくら強調しても そのことは(1)の点がいい加減であれば、なんらそれは移植医療の正当性をクリアするも のではない、ということをあるべき脳死移植の大前提にしないといけないということで す。  では家族の納得のいく看取りと別れとは何かということについては、今ほとんど医療 界において問題意識のない、救急医療現場におけるターミナルケアの取り組みという問 題が重要です。救命には熱中するけれど、蘇生限界点を過ぎると、途端に放棄し見放す という実態があります。それをどうやって修復するかというと、私は1−(2) の(2)とこ ろに書きましたように4点ほど条件が必要であろうと思います。これは全く私の経験的 なものから割り出した条件であります。 (i)適切な情報提供によるインフォームド・コンセント、(ii)あたたかいケア、 (iii)ゆったりした時間、(iv)静かな環境、こういうことです。これはたとえ脳死を 認め、臓器提供を決断した本人家族の場合でも、侵害されてはならないと思うわけで す。 2.浮かび上がった問題点。患者家族の基本的人権という場合、今回の高知の例ではプ ライバシーばかりが強調されておりますが、実は2ページに書きましたように、静かな 看取りと別れも非常に重要である。これは何も家族だけの問題でなく、患者本人、死に ゆく人本人にとっても、実は死の質の問題として非常に重要であるわけです。これが侵 害されたとき、人生にたった一度しかない死というもの、そして看取りというもの、そ れは繰り返しがきかない禍根を残すわけです。人生に大変な傷を、残された者の心に残 すわけです。それを基本的人権の重要な柱として含めないといけないと思っているわけ です。  今回の例の中で浮かびあがった問題点は、そこに列記しましたように、2−(1)そうし た基本的人権が侵害されたこと、2−(2)メディア側に生命倫理、医の倫理の規範が欠落 していたこと、その具体的な内容としては、人の死ということの重大さに対して、全く 理解がないこと。これは先程高知新聞の部長さんがおっしゃっていたような実態があっ た。  2−(3) で書きましたように、移植医療側にも問題があり、脳死側の家族の看取りと 別れを支える条件への配慮を欠く発言が積極的になされたということです。  「マスコミが早くから報道してくれたので移植側の準備が速やかにできた」という発 言。また、「脳死判定前にドナー発生の通報をしてくれないと、インフォームド・コン セントなどの対応が綱渡りになるから、今の厚生省のガイドラインでは非常に不十分で ある、移植が上手くいかなくなる恐れがある」というようなことが代表的なドクターた ちから積極的になされたわけです。  2−(4)として、情報公開のタイミングと内容に関して、今までは極めて基準が曖昧で あったということ。  次に3.患者家族の人権と情報公開のあり方には対立する点があるという問題。しか しこれは中島さんもおっしゃいましたように、情報公開というもの、医療の透明性とい うことが非常に重要であります。それの具体的理由は3ページに書いた通りでありま す。  4ページです。ここが中島さんがおっしゃったこととずれがあるところです。リアル タイムの情報公開の問題点について、私なりに考えたことを述べます。移植医療の透明 性を確保するために、情報は全てリアルタイムで公表すべきだとの意見がある。リアル タイムにありのままを公表していくことこそが、社会的な検証を可能にする方法だ、と いうのがその根拠である。一般論としては私もそれが望ましいと思います。しかしリア ルタイムでの情報公開には次のような危険な問題点があり、私は賛同できません。ただ し、それに代るものとして脳死判定をめぐる一連の経過について、納得のできる検証シ ステムが必要である。その具体的な方法については後述しますが、この検証システムと いうのが絶対的に保証されたときに、リアルタイムでの情報公開は抑えることができる というセットになった考えです。  では危険な面とはなにか、(1)第2回脳死判定以前から情報を公表すると、患者の死を 先取りするに等しい状況を生み出す。それはメディアや社会が、患者の死を今かいまか と期待を込めて待つという残酷な状況である。しかもそのような「人の死の劇場化」と いう状況に、メディアも社会も慣れっこになるとすれば、なんと恐るべき社会である か。  (2)家族が静かな環境の中でせかされることなく、どう対処すべきか判断し、納得のい く看取りと別れをするのを著しく阻害する恐れがある。  (3)切迫脳死から法的脳死判定に至る緊迫した経過のさなかに、検証の対象となるべき 各種の微妙な問題を、しかるべき担当者が正確なニュアンスをこめて発表するのは極め て困難である。  (4)メディアの中には、社会的関心事だから第2回脳死判定を待たずに脳死判定に入る こと自体に速報の意味があるという方針をとっているところがあるが、患者家族の人権 を無視してまて速報することによって社会が得る利益についての明確な論証がない。  5ページです。ではこれら患者家族の人権と情報開示の両立の道はないのか。私はあ ると思います。その道としては(1)静かな環境での看取りと別れが確保された後に情報を 開示する。(2)開示する情報には患者が特定される情報を含めない。(3)脳死判定に入る 前の、家族から承諾を得るインフォームド・コンセントの時点で、脳死判定終了後と遺 体退出後の2段階に分けて情報が公開されることについても同意を得る。(4)さらに日時 をおいて、第三者組織による検証作業を行う検証システムを確立する。これらの具体的 な方法については、後ほど述べます。  6ページです。こうした問題を理解しやすくするために、現状における様々な手続き の流れを図1に書きました。これにはあるべき姿という私の意見を含めてあります。ご 覧のように患者家族にとっての流れを見ると、蘇生治療が断念され、やがて生命維持が 精一杯になってくる。そして脳死判定が確定したときに、臓器保存に移行するわけで す。そしてやがて家族によって法事の段階に入る、つまり遺体を引取り、やがて葬儀を する火葬に付すという段階に入っていくという流れがあるわけです。  そういう患者家族を中心に考えたときに、それぞれの時点で何をなすべきであれ、そ の時点ではまだ何をしてはいけないかというのが明確になってくると思います。  7ページです。インフォームド・コンセント。情報開示。移植への橋渡しの具体的方 法について。4−(1) 担当医は臨床的に脳死と判断したら、家族の同意を得て移植コー ディネーターを呼ぶ。これは現行通りです。この時点ではメディアへの公表はしない。 移植ネットワークは移植コーディネーター派遣以外の行動は起こさない。  4−(2) 移植コーディネーターは家族への脳死判定、臓器提供についてのインフォー ムド・コンセントの際に、次の点を強調する。これは今のところ不明確な点であると思 います。(1)患者家族の人権(プライバシーだけではなく静かな看取りと別れの環境づく りを含めます)を守ること。(2)家族が判断を下すには、納得がいくまで十分な時間が確 保されること。(移植コーディネーターは判断をせかすような対応をしてはならな い。)これまでの2例についてみますと、家族への説明と同意が殆ど短い時間の中で同 時に行われている。私はこれは果して良かったのか、そこは検証する必要があると思っ ております。私の意見では説明した後、暫く判断し考える時間を与えるべきであると思 っております。一端説明し、そしてその場で直ぐに同意書を取るということは避けるべ きだと思っております。場合によっては一晩考えてくださいというくらいのゆとりが必 要です。  (3)第2回脳死判定後、つまり死亡確定後、家族が希望する「別れの時間と形」を大事 にすること。つまり脳死判定が終了し、これは死んだことにして、もう臓器提供という ことになっても、家族が最後にこれだけのことをさせてくださいとか、息子の一人がか けつけるのに間に合わないから、あと5時間待ってくださいとか、いろいろな事情があ ると思います。そういうものに対して十分な配慮をすること。  (4)第2回脳死判定後に情報を公表すること。家族に対し、情報開示の必要性について の根拠を明確に説明すること。  (5)法的脳死判定の費用、第2回脳死判定後における遺体(臓器)保存の費用は誰が負 担するのか。これを明確にして、きちんとインフォームド・コンセントの中で説明して おくこと。  (6)事後の検証のための第三者検証組織による調査への協力の要請。これは後ほどまた 述べます。  これらが事後の検証に耐えうるように、こうしたインフォームド・コンセントの内容 については、必要な項目についてメモを必ず残すこと。そして家族側にも渡しておくこ と、このことを守るべきだと思います。  8ページです。4−(4) 移植ネットワークは第2回脳死判定後、通知を受けてからレ シピエントの選定および医療機関への連絡を行う。その時点ではじめて行動を開始して ほしいということです。  4−(5) 情報の開示は次の2段階に分けて行う。これは第1段階として、脳死判定終 了後に発表すべきものを具体的に列挙しました。そして9ページに第2段階として臓器 提供者の遺体が退出後、つまり遺体を家族が引き取って、病院から出ていった後に、よ り詳しい内容を発表してよかろうということで、その具体的 項目を記しました。  8ページおよび9ページの一番下にある発表するべきでない情報も重要な点です。最 後まで個人を特定できるような情報は公表してはならないけれど、ただし家族が進んで 私たちはこういうことをしたということを望む場合には、これは発表してはいけないと いうことから外してよろしいかと思います。  時間が少なくなってまいりました。10ページに参ります。5.脳死判定後の時間的ゆ とりについて。これは非常に重要な問題点であります。これまでの2例の実際を見ると 臨床的脳死判断から法的脳死判定への経過にしても、法的脳死判定から臓器摘出までの 経過にしても、過度に急いでいる観がある。高知赤十字病院において、測定機器が揃わ ないのに正規の手順を無視してまで、法的脳死判定を急いで実施したのは象徴的であっ た。脳死判定から臓器摘出まではそれほど急がなければならない理由はないはずであ る。  集中治療の専門家によれば、脳死と確定してからでも集中治療の専門医による適切な 全身管理を行えば、数日から1週間は臓器機能を低下させることなく維持できるのが通 例である。  (注)として一番下に書いてありますが、第27回日本集中治療医学会の会長を務める 島田康弘教授が今月の5月14日、厚生大臣宛に「提言および要望」を提出しております が、そこにそのことが明記されております。  したがって、脳死患者の家族に対し、判断のための十分な時間、看取りと別れのため の十分な時間を確保することができるわけであり、せかす理由は何もない。  稀に脳死状態となってから1日とか2日という短期間に病態の急変が生じ、心停止に 至ることがあるからといって、それを基準にして移植システムを構築しようとするなら それは本末転倒、つまり移植側の都合で脳死患者と家族の人権を侵害することになる。  アメリカでは最近早すぎる臓器摘出でしばしばトラブルが生じ、訴訟まで生じている という実態がございます。  11ページです。6.臓器提供施設に求められる条件。6−(1) 十分に機能する病院倫 理委員会及び脳死判定委員会を確立すること。これは未整備のところがかなりありま す。惨憺たる状況のところもあります。 6−(2) 臓器提供意思を持つ脳死患者が生じた場合のために、体制づくりの中心となり いざというときの連絡・調整・広報の役割を担う「院内コーディネーター」が不可欠で す。これは大学病院であれば教授、助教授クラス、あるいは一般病院であれば副院長か 部長クラスであることが望ましいと思います。そのような院内コーディネーターを置き 万全な体制を整えること、しかもこれは直接ラインにいる教授なり部長であるよりは、 スタッフ的な横から調整役をする立場の人であることが望まれると思います。一つのモ デルとしては大阪大学における移植実施の際の情報連絡システムをあげることができる と思います。 6−(3) 厚生省はブロックごとに臓器提供施設の体制のレベル合わせに努めると共に、 日頃からその体制についてメディアの理解と協力を求める調整役を果たすこと。 6−(4) 厚生省は関係医学会、これは救急医学会とか集中治療医学会ですが、と協力し て、脳死判定に携わる医師に対してガイドラインの徹底、脳死患者の全身管理法、家族 とのコミュニケーション及びサポートのあり方、移植コーディネーターとの関係、情報 開示のあり方などについての研修に取り組む。そのためのガイドブックを作ること。  現在厚生省はこうした法令の解説文書を作っておりますが、これでさえまだ関係医療 機関や医師の間で徹底してない実態があります。これは法律の逐条解説的な要素が強い わけで、もっとヒューマンなよりメディカル以外のもの、あるいは法律以外の、私が先 程来申し上げているような、集中治療現場、救命現場におけるターミナルケア的な係わ り方というものについての解説、それが必要だと思います。  なお、日本集中治療学会は昨年春の総会で、患者及び患者家族からみたICUでの治 療と看護という今までなかったようなテーマで、集中治療現場におけるターミナルケア の取り組みについて、意欲的な講演とシンポジウムを開きまして、昨年の学会誌「IC UとCCU」11月号にそれを特集しております。こういう動きがあるにも係わらず、そ れに対応する実際の個別の医療機関における体制というのはまだまだ未成熟でありまし て、そういうことに取り組む必要があり、厚生省がリーダーシップをとっていただきた いと思うわけです。  12ページです。7.移植医療側に求められる条件。これは前半のところは冒頭に申し 上げました。その下の7−(1) でございます。現行法を「移植禁止法」と批判し、法改 正を政治の場に働きかける動きを止めること。現行法はむしろ、先程中島さんもおっし ゃいましたように世界で一番進んだシステムとしてとらえる必要があるわけですし、医 学界でもそう述べる方が少なくありません。  例えば最近は、日本医事新報において北大の藤堂省先生がそういうことを論述してお られます。この法律は日本人の死生観、遺体観、死の文化に沿う形で、解決策を見いだ した法律としてとらえて、そういうことを実際に脳死患者が出た場合に、コーディネー ターがきちんと、あるいは担当医がきちんとインフォームド・コンセントの中で説明す る必要があると思います。  ちなみに、今回慶応大学での例の中で、コーディネーターがその後の記者会見の中で 患者が今の脳死のあり方は分かりにくいといったということを発表しておりましたが、 これについては大変に疑問があるわけです。なぜ分かりにくくないように説明しなかっ たのか、あるいはそういうことを敢えて記者会見でいうということは、移植学会などが 脳死を人の死として統一しようという動きをまたはじめているのに呼応して、世論誘導 的な動きさえあるのではないかという推定を生んでもやむを得ないような発表であった と言えると思います。一体どのような会話の中でそういうことが出てきたのか、こうい うことは検証する必要があると思います。  13ページです。移植医療側に求められるものの続きです。7−(2) 脳死患者と家族の 人権尊重を大前提とすること。具体的には、次の通りです。  (1)「第2回の脳死判定後に連絡を受けたのではインフォームド・コンセントの時間が 十分に取れないので綱渡りになる云々」、といった発想に潜む移植中心主義、つまり移 植側の都合で死にゆく側まで取り仕切ろうとするあり方の危険に気づくべきである。  「厚生省の方針に従うと手続きや手順が煩瑣で大変だと言うが、いやしくも人の死、 人の臓器利用に依存してはじめて成立する医療である。「大変」で当然です。もっと大 変なのは死にゆく人とその家族です。  (2)レシピエントは臓器提供を今日か明日かと待っているのだから、インフォームド・ コンセントは事前に十分に行い、いざというときには最終的な確認をするだけでいいだ けの準備はしておくこと。レシピエントが入院患者でない場合には、遠距離からの緊急 入院を最短時間で可能にする準備をしておくこと。(3)移植側の準備、インフォームド・ コンセント、レシピエント入院、及び手術を受ける準備、移植チームの派遣、臓器摘出 搬送など、それらはどんなに手間取っても全て合わせても24時間以内には完了可能であ るはずですし、それだけの体制を取るべきです。  脳死患者の臓器が数日ないし1週間は機能低下なく管理できることは記述の通りであ るならば、早くから情報提供を求めるという必要性はないわけです。  14ページです。8.検証システムの確立。これは非常に重要です。リアルタイムの情 報開示をせず、かつ臓器提供者を秘匿するという事情を余儀なくされるなかで、移植医 療の透明性を確保するには、事後の検証システムが絶対的に必要である。検証の目的は 臓器移植の経過全般に渡って妥当に行われたかどうかをチェックするだけでなく、ド ナー家族とレシピエント双方のケアとサポートを視野に入れて、よりよい移植医療のあ り方を探ることにある。  そのためには臓器提供施設、移植医療機関、移植ネットワーク、行政のいずれからも 独立した、中立性、客観性のある第三者検証機関(adhoc committee)の設置が必要であ ると思います。  第三者検証組織は、現在のように移植ネットの中の検証チームというものではなく、 もっと独立したものでありまして、生命倫理研究者、法律家、臨床心理家、終末期医療 専門家及び専門ナース、喪失体験者、メディア論専門家、救急医集中医療医、脳神経外 科医、心臓外科医、肝臓外科医などによって構成される。これはいずれも学会やいろい ろな横睨みから独立して判断行動できる人格をもった人によって構成されるべきだと思 います。  アメリカでは、生命倫理の問題が絡んだときに、よく病院の倫理委員会などで議論さ れますが、そういうときのメンバー構成は日本とは全く違って、こういう人々によって 構成されている倫理委員会がありますが、それを見習うべきでしょう。  第三者検証組織は、脳死移植の全データを見ることができると共に関係者のヒアリン グをすることもできる。特にドナー家族とレシピエントに対してはしかるべき代表(二 人以上)が面接して、ヒアリングすることができ、必要に応じてケアの体制を組む。  これはコーディネーターでさえ、どのような会話をしたのかということが検証の対象 になるということでありますし、ドナーがしばしば提供後に、いろいろな葛藤を起こす ことがございます。そういうことを視野に入れてほしいということです。  現に私は従来の腎臓を提供したドナーの家族と何家族とも話をしてまいりましたが、 例えば提供した後で、地域の中で、あなたはあれで幾らお金をもらったとか、そういう 村八分的な扱いを受けている方もおられます。あるいは提供した後、一体自分の子供は どこにいったのかという行方不明意識によって、非常に心理的葛藤を起こして、長期間 苦しんだという方もおります。そういうことが移植医療の中で見過ごされてはいけない と思うわけです。  このような検証システムが確立されたとき、はじめて日本の移植医療システムは世界 1と誇ることができる、そういうものに構築することができる思うわけです。  最後に、9.メディアのあり方について。これはこういう場で議論する問題ではあり ませんが、私の係わっているところ、また私の感じたことについて若干触れておきたい と思います。  (1) 第1回脳死移植後のメディアの変化。これはかなり顕著なものがあると思いま す。(1)高知新聞では28回に渡って4月から5月にかけて「命のゆくえ検証・脳死報 道」というものに取り組みました。また幾つかの新聞も取り組みましたが、特に毎日新 聞の場合も、断続的な検証記事と多様な有識者の寄稿を次々に連載して多角的に論じま した。  (2)第2回脳死移植の際、第2回脳死判定終了まで記事を抑え、その理由を明確に示し た毎日と産経新聞の立場は際立って目立ちました。それについては別添資料の通りにそ の当時の記事がございます。これは新聞の編集方針に生命倫理の原則を規範として取り 入れた新しいメディアのあり方として私は評価したいと思っているわけです。  (2)日本新聞協会も積極的に取り組みだしました。今月出たばかりの「新聞研究」5 月号でも、特集記事を出しておりますし、また今週開かれる第39回紙面審査全国懇談会 においては、「新聞の明日に向けてー脳死移植報道を中心に」というテーマでかなり本 格的なディスカッションが行われる予定になっております。私自身もその会に招かれま して、こういうテーマで討論に加わってほしいと言われております。「新しい生と死を めぐる新聞の社会的責務」という題でまた10月に開かれる全国新聞大会においても、私 は発言を求められております。 (3)放送界についてはいまだ対応が不明確です。これは是非何らかのもっと明確な形で 対応について成熟させてほしいと思います。 (4)本質的な問題は、メディアの各社が21世紀の報道というのは、これまでように社会 の関心事だからといって、ただ情報を伝えていくという情報への欲望に無限に従ってい ていいのか、基本的な座標軸はどこにあるのか、その中で生命倫理のあり方というもの を、報道姿勢の中に明確に取り入れていく問題意識を構築していくことが必要ではない か。そういう大きな問題を今回の事件は含んでいるというのが私の問題意識です。  時間がオーバーしまして失礼しました。以上でございます。なお、参考までに委員の 先生方には日本集中治療医学会での私の講演全文の別刷りをお配りしました。参考にし ていただければと思います。 〇黒川委員長  ありがとうございました。3人の先生方は時間が十分でなかったということは、気持 ちはわかるわけですが、一応時間の都合もありまして、切らせていただきました。では 委員の先生方の方から、参考人で来ていただいた3人の先生方についてのご質問、その 他コメントがありましたらご自由にご遠慮なくお願いします。 〇浅野委員  同志社大学の浅野です。中島さんにお伺いしたのです。無呼吸テストのミスですね。 手順のミスが、マスメディアが取材報道しなければ、絶対に明らかにならなかっただろ う、闇の中に葬られたという表現をなさったように記憶しているのですが、その根拠を 示していただきたいのです。それにかかわって、これは厚生省とか病院関係の方が、私 はこれがポイントだと思うのですが、取材報道しているからミスがわかったというのは 読売新聞もそういう主張をしてますし、報道界が早い段階からのリアルタイム報道が必 要であるということの根拠になっています。中島さんがそう言われる根拠というか、感 覚ではなく根拠を示していただきたいということと、できましたら厚生省医療関係者の 方からも、それが本当なのか、もし本当であれば、大変なことですからコメントして下 さい。  柳田さんが言われたような、検証システムがない中で、重要な事実が、家族にも知ら せないままに闇から闇に葬られるということがあれば、大変なことだと思いますのでそ れが1点です。  もう一つ中島さんにお聞きしたいのは、外国でも絶対に1、2、3回目は混乱すると おっしゃったことです。これは全ての外国と私は解釈したのですが、そうであれば私は 違う見解があります。というのは、生命倫理とか病院に関する取材報道については、ス カンジナビアの諸国、イギリス連邦の諸国などの国々の報道界では、かなりしっかりし たコード・オブ・プラクティス(行動綱領)、報道倫理綱領とかガイドラインというも のがしっかりしておりまして、恐らくこういうことは起きないのではないか。起きない ような力がマスメディアの中に内在化していると認識しておりますので、外国でもこれ が起きたというのはどうか。特に高知新聞の社会部長さんがおっしゃったようなことま で含めて、あるいは含めなくてもいいのですが、家族が特定されるような報道や自宅へ の取材については、その意味では私たちの国のジャーナリズムというのは非常にレベル が低いのではないかと思います。それは宮田さんがおっしゃった個々の記者のレベルで 教育、倫理観というものが必要だとおっしゃったのですが、私はそれだけではなく、マ スメディア全体の取材される側、報道される側へ与える被害に対する加害者意識という のは、戦後ずーと欠けていて、それは恐らく表現の自由とか報道の自由というものを、 きちんと主張しないといけないという戦前からの反省という意味で、それらのことがメ ディア研究者の間でも強調されすぎてきて、それも重要なのですが、もう一方でそうい う報道が加害者になってしまうという、そういうことについて、マスメディア全体のレ ベルが低くなっているのではないか。それがNHKなどの今回の報道で表れた。NHK とか共同通信という、営利を目的としない正統派のメディアが、高知では最も大きな問 題を起こすような取材・報道になってしまったという意味で、個々の記者の倫理とか、 そういう会社の中の教育とかでは済まないような構造的な問題があると思いますので、 その2点をお聞きしたいと思います。 〇中島先生  今のご質問にお答えします。ともかく与えられている時間が20分でございますから、 詳しくお話をするのをはしょっておりますので、お分かりにくい点があったかと思って 反省しております。  「例えば」というような言葉が抜けるということがあったかと思います。まず無呼吸 テストのことでございますが、それは最後におっしゃったことと繋がってまいりますの で、先に2番目のご質問についてお答えします。  外国ではどうなのかというご質問ですが、私はあの時に「例えば外国で起きても」と 申し上げたつもりですが、もしかしたらそれがうっかりしたかも知れません。(後に音 声記録で確認したところ、中島は「世界の他の国であっても、そういうことは起きう る」と語っており、自分の本意どおりでした。)といいますのは、では外国で和田移植 のような、ああやって本当にまだ生きているもの(患者)から臓器が取られるというこ とが起きて、その後、国民的にずうっとそれが疑問となってきて、そして法にもとづく 第一例が行われたとき、そういう時なら外国だって皆、それは問題になって大きなニ ュースになって、社会的な事件になるでしょう。今は外国では何万件というものが行わ れている状況。それでも、はじまりに、もし和田移植のようなことが31年前にあり、そ ういうことがあれば、他の国でもそうなるでしょうという申し上げ方をしたつもりでし たけど、下手な言い方だったのではないかと思いますので、ご了承ください。  第1問の方です。無呼吸テスト、これは意見発表の時間が短いために、無呼吸テスト に絞って申し上げまして、さっきの開発院長のご発表です。それの順次、日にちによっ て病院側の発言が訂正されていった経緯というものを申し上げましたので、これは今更 もう一度根拠を示せとおっしゃられても。それは、きちんと、根拠は示したつもりでご ざいます。  それに係わってきて、先生の御質問の最後のほうでNHKの7時のニュースというも のが、これが報道の暴走であり、これが間違っているというご判断のもとに、今発言を なさっている。これが最初におありのようでございますが、これは先程から申し上げて おりますように、私はそのように考えませんでした。 この臓器移植法というのは、全く特別なものであり、国の基本法までを調整して制定し た脳死患者を守るための法律でございます。  それでしかも、今回のように問題がいろいろあればね。そして、判定承諾のところか ら、死に向かっての法律行為であります。本当は一般社会では死ではないもの、普通の 医療現場では死ではない脳死というものから臓器を摘出するというものでございます。 「死と見なして」ということですね。  そういうものであるからこそ、承諾の行為、法に基づく脳死判定に対して承諾をする しない、というものまで、法律になっているわけでございます。そうすれば、そこから は、透明性という意味では、違和感はない。また、そこから社会的な事件として扱って も、これは違和感はない、と申し上げました。  何よりも申し上げたいのは、この過去のことを振り返っていても、はじまらないだろ うと私は思っているのです。少なくとも31年ぶりに和田移植のようなところから、初め て、起きた事件である。まさに事件です。そこで間違いがあれば、それを正していくの であって、これから永久にずうっとこういう報道をするわけではありません。ここをよ く考えていただきたいと思います。  報道というのは、このはじまりのところだけであって、これからずうっと皆が押し寄 せるということが、移植が定着していったときにも続くわけがないのです。それを長い レンジで見ないでこだわっていると、報道が続かなくなったときが怖いのです。その時 に脳死で亡くなっていく方、密室の中で亡くなっていく方を守ることができなくなる。 その方が怖い。  まさに21世紀に向かってこれを(脳死状態の方から移植を)定着させようとするなら 第1例とか第2例の問題にいつまでもこだわっていてはいけないと思う。その時の報道 が事件として行われた。これは明らかに社会的事件として当然であろうと思うし、それ を、21世紀に向かって、柳田さんには申し訳ないのだが、「死の劇場化」とおっしゃい ましたが、「死の劇場化」というとらえ方に対しては、私はとても反対でございます。 というのは、それは臓器移植法の精神からいったら、愛の行為であって、提供というの は愛の行為であって、本当に勇気ある行動をしたというとらえ方を、社会がしていかな いといけないと思うのです。  私が今回感じているのは、ずうっとはじまりから脳死は死であると思っていた方、そ れから私どものように慎重派で脳死は死ではないと言っていた人、そういう人達が一見 逆転したような感じになっていることです。報道を見ておりますとね。  例えば脳死移植推進であった方が、あの臓器ボックス、アイスボックスをもっている ところを報道が映すのはけしからん、自分の家族の臓器がずうっと運ばれていくのを遺 族に見せるのはけしからんとか、遺族の想いへの想像力が不足しているとか、臓器移植 に推進派であられた方、脳死は死であると昔から思っていた方、そういう方が皆さん、 そういうことをおっしゃるのです。これはちゃんと新聞の記事などをお出しして示して もいいです。  それはどういうことかというと、この方々には密室の中で、死ではないものを死とし て、臓器を摘出するのだという、そういう凄い法律であるということへの想像力が欠け ているのではないかと思うのです。  私は15年前にピッツバーグに取材に行きましたときに、コマーシャルのように、テレ ビのステーションブレイクでアイスボックスをもってヘリコプターから降り立つ医師た ちをうつし、ピッツバーグは凄い町だ、こうやって成功しているのだと手拍子入りでP Rするテレビの報道がございました。これがステーションブレイクごとに流れるので閉 口して、まだ15年前のことですから恐ろしいところであると思いました。  ですが、それが移植をするという文化なのです。移植を許すということは、そういう 文化を許容するということです。そうして国が移植をするということに踏み切って、そ して法律を作った以上、その文化であり、まさに臓器そのものが散らばっていき、アイ スボックスによって運ばれる、そして皆のお役に立っていくのだ、次の人の中で再生さ れるのだということを前向きにとらえないのなら、移植はしない方がいいのではないか と思います。  もしそれを、「21世紀においての報道」がそれ「(死)を劇場化」するというような お考えは納得できない。なぜかというと、報道が21世紀に向かってもこうやってやって いる(第一例のように脳死からの提供を追いかける)のかということですね。そして移 植が定着していくには、やはり患者と法律を守らないといけない。報道の目がない、こ れから報道されなくなったときが、怖いのです。  私は本当に怖いのです。今まで取材をしてきましたが、信じられないようなことが医 療現場で起こります。  今もニュースで皆さんご覧になっても、驚くようなことが起きているではないですか そこに報道が入らなくなったときにどうなるのでしょうか。  医師の方々、行政の方も今回は刑法の134条をあげて、プライバシーのことをおっしゃ っておりますが、私は、これは全く後ろ向きの議論であると思います。明治時代にでき た刑法のプライバシー保護の条項、それは当然のことでございます。医療の現場では当 然守らないといけない。だがそれを越えて、移植技術というものを文化として取り入れ たのです。そうしたらそこで踏み切って、それの移植が成功して、しかも提供する人の 行為を勇気としてとらえていかないなら、これ(移植)は止めていただいたほうがいい と思います。ですから意識を改革していかないと、どうにもならない。  今のご質問にお答えする最後は、そもそもそれが悪いことがあったという考え方では 物事は何も進まない。しかもこの、1例2例3例、そういうことが後々起こるかどうか もっと長い目で見ないと。この法律は非常に怖い法律であるのですから、それを守って いく。明るい勇気のある提供であった、そして成功してほしい、その亡くなっていく方 の臓器が、本当にしっかりと次の命を支えるために役立ってほしい、そういう思いでと らえていかないと、それをウェットな湿ったもので見ていたら駄目だと思います。そう したらもう移植はお止めなさいといいたいです。失礼しました。 〇黒川委員長  ありがとうございました。その他の委員方どうぞ。 〇菊地委員  臓器移植ネットワークの菊地でございます。柳田先生に2点お伺いしたいと思いま す。まず1点は、承諾書の署名捺印の件です。私どものネットワークの方では、説明を 終えた後に、常に一度お持ち帰りになられて考えていただけますかというふうに、伝え るようにコーディネーターには指導してあります。高知の件に関しましても、一度お持 ち帰りになられた後に、ご家族の方がお持ちになったと理解しております。  そこで先生にご教授いただきたいことがございます。もし私どもがそういってご家族 にお話したときに、ご家族は考えているのでこの場で書きたいと言われたときに、どう いうふうな対応したらいいのかということを、先生のお考えとして一つご教授願いたい というのが1点です。  もう1点です。これは個人的にですが、私自身はNHKの19時、21時の報道は問題視 しております。それで私どもは情報管理という観点から、先生は先程、移植に熱心なド クターとおっしゃられましたが、その辺りを先生がお話できる範囲でよろしいのですが もう少し詳しくお話いただけたらなと思います。これは回答が無理であれば結構でござ います。よろしくお願いします。 〇柳田邦男先生  その場で直ぐに署名したいというのは当然生じると思います。だけど、ああそうです かというのでサーと署名してもらうことは避けたいと思います。それは少なくとも1時 間とか2時間とか、間を置くべきではないかと思います。それは先程中島さんもおっし ゃいましたように、患者家族というのは、医療者とかあるいはその関係者に対して、本 当に内面で葛藤が起きているときに、言語化して言うことは難しいのです。それは一人 になって考えたり、あるいは家族で相談したりすると、そういうものが少し整理されて くるという経過があるわけです。  ですから既に前から決めていることですからといっても、急ぐべきではないと思うの です。それをだめ押しする意味で、きちんと1時間だけは考えてくださいとかいって、 その場を退出して、一人あるいは家族だけにして、再度、署名してもらうべきではない かと思います。  第2点です。ニュースの問題です。ニュースがスクープされるということは、必ず リークがあるということです。誰がリークしたのかというと、これはニュースソースに 関わることですので、私はこういう場で申し上げるべきではないと思います。ただこう いう実態があるということだけは確かでございます。  関西地区においては、心臓移植第1例をめぐって、メディアの中において第1例ス クープの競争ということに対し非常にテンションが高くなり、それぞれの担当記者が、 予想される医療機関に対して、いわゆる食い込むという形で、様々な働きかけをしてい ました。  そのために、例えば千里救命センターとか関西医科大学とか、いろいろなところで問 題が起こったときに、それを告発し、追求し、フォローしていくという報道はできるだ け抑えて、あるいはそういうものを東京から行った同じ社の記者がしようとすると、そ れを怒鳴りつけて、俺たちは一報を取るために、どれだけ苦労しているのかわかるのか ということで抑えたりする。更に、上司を通して東京の部長を通して止めさせるという ような、水面下の談合のような実態があったということです。それに対してリークとい う実態があったということは、これは移植医療側におけるモラルの問題にかかわってく る。  私は報道側がそういうことで情報を入手しようとするのは止むを得ない当然といって いいくらいで、そうやって恐らく情報管理をする権力側なり、あるいは情報をもってい る側に対して、真実を明らかにしようという努力であって、いろいろな試行錯誤が生じ るのはしょうがないにしても、それに対して医療側が自らのやろうとする業務に熱心な あまり、視野狭窄になって、それを支持してもらうために、そういう取引的な行為をす るということ、これは非常に由々しき事態であります。それこそが問題である。私はN HKを批判しましたが、もっと重大な問題は、リークした医療側である。そこに情報が なぜ早く流れていたのか。その問題が重要であると思います。 〇黒川委員長  ありがとうございました。朝浦室長どうぞ。 〇朝浦室長  浅野先生からのご質問の無呼吸テストの順番の問題です。事実関係だけ申し上げま す。3月15日の大阪での記者会見の場で、開発院長の方から、無呼吸テストの順番が間 違ったという記者発表がありまして、その時に同じような質問がありまして、厚生省が どの時点でそれを知ったのかという質問がありましたので、その時述べたものと同じで ございますが申し上げたいと思います。  2月25日に臨床的脳死診断の結果とは違った判断が、第1回目の脳死判定で行われて 脳波が平坦ではないという結果が出たという報告を受けて、厚生省として記者会見を行 っております。その記者会見が終わった後に、病院の院長の方から、実は順番が間違っ ていたという報告を我々は受けまして、その時点では法的脳死判定が脳死ではないとい う結果が出ておりますので、仮に次の脳死判定を行う場合ちは、きちんと順番を守って ほしいというお願いをしておりますし、翌日、高知の方に私どもの職員を派遣して、そ ういうものを周知するようにお願いしております。  市販本を見て作業されたということにつきましては、また後ほど作業班の方から報告 がありますが、脳死判定作業班の第1回目の作業班のときに、4月4日だと思いますが 病院側の方から説明がありまして、事務的には厚生省の方としても承知はしております が、その点につきましては作業班そのものが非公開ということで、評価結果はこの専門 委員会の方に最終的には報告するということで、4月4日の時点ではその事実について は公表していないということでございます。 〇黒川委員長  ありがとうございました。浅野委員についての事務局からの回答については、また後 でその報告がありますので伺うとします。では大島委員どうぞ。 〇大島委員  名古屋大学の大島でございます。柳田先生にご質問をさせていただきたいと思いま す。移植医に対する不信感というのが、この何十年間の移植医療を日本で育てられなか ったという最も大きな問題であるという理解を、私は腎臓をやっている移植医で、心臓 とか肝臓とはちょっと違うのですが、そういう理解を私どもはしてきております。そう いうことに対する神経というのは、いろいろな形で私どもとしては配慮してきた、考え 続けてきたと思っております。  しかし移植医療そのものが持つ宿命というか、人の死に直面して、その臓器をとって それを移植する、人の死の厳粛なときに、移植をするという側の人間がそこに入ってい って、傍目にはバタバタと好き勝手なことをやって、箱の中に臓器を入れて、まるでモ ノのように扱っていくという部分が、具体的に避けることのできない行為として出てく るわけであります。  これは非常に大きなジレンマとして我々はとらえているところですが、先程来いろい ろなご指摘がありましたように、一般社会からだけでもなく、救急の先生からも移植医 は礼節を欠いているという話を、腎臓の場合にもよくご指摘を受けて、その都度、そう いうことについての配慮はきちんとしないといけないと考え続けてはおりますが、その 部分での宿命的に移植医療がもっている部分があります。  2番目に移植医療側の役割として、移植を安全確実に行うというのが最大の役割だと 考えておりすが、その部分についてお話をすればするほど、あいつらは、ということに いつもなってしまって、なかなか議論がかみ合わないというか、話が出来にくいという 状況で、結果としては移植をする側の人間というのは黙ってしまうということが起こっ てきたわけです。  今回の先生のお話の中でも、先程、菊地さんがご指摘されましたが、移植医がNHK に通報して、移植医とNHKが結託して情報を流して移植をやりやすくしたというよう な状況を作り出したのではないかというような、文脈に取れるようなお話のようにも伺 いました。  あるいは移植学会が、脳死下での移植医療を今後統一していくために、働きかけて、 慶応の移植医療のときに移植医療が非常に複雑であるというようなことを発言させたか のように、これは私の受け取り方の間違いかも知れないのですが、そういう誘導を移植 学会がしているのではないかというようなご発言があったかと思いますが、私は移植学 会の事務局をやっておりまして、私の理解ではそういうことは一切ないように気を付け ろというのが理事長の下の考え方の根幹にありまして、特に移植に対する不信感という ものが、どれほど多くマイナスになってきたのかということを、真摯に見つめないとい けないということを、この数年間我々の課題としてやってきたつもりであります。  先生のような社会的に非常に影響力の高い方から、こういう発言をされたりとか、あ るいはレジュメの2ページにありますように、マスコミが早くから報道したので移植側 の準備が速やかにできたとか、あるいは脳死判定前にドナー発想の通報をしてくれない と、インフォームド・コンセントなどの対応が綱渡りになるという、この部分だけの文 章を取り上げますと、確かにこれは非常におかしな問題でありますが、この発言があっ た流れというのは、結果としてこういうこともありましたというように、臓器を移植し た施設の先生方から発言があったことであって、こうせよとか、ああせよとか、だから 良かったというような形での発言ではなかったと私は理解しております。  その意味で、移植医というのが今まで果たしたきた状況とか役割というものを考えま すと、何かいうと、どこかの一部だけを取り上げられてしまって、それが一人歩きする と、さらに移植医に対する不信感が増幅されてくるということかあります。そうなると 何も喋れない。  しかし私どもとしては、現場にいる、移植をやる、安全確実に移植を行っていくとい う役割の中から、このようにした方がより安全確実に行うことができるであろうという 提言というのは、移植医療の中でしていくべきではないかというスタンスはもっており ます。  ただその決定とか方向を決めるのは、移植医中心主義というものの考え方で決めてい こうという考え方は毛頭もっておりません。これは社会全体とのコンセンサスの中で、 決めていくことであると考えてきておるつもりであります。その意味で、ちょっとひが みかも分かりませんが、先生のご提言とかご発言の内容が、少し私どもにとって、事実 とも違っているのではないか、という感じがございますので、もし本当にいろいろと事 実の根拠というものがあれば、きちんと指摘いただいて、お前らはおかしい、こういう 事実がある、この事実ははっきりしているということをご指摘いただければと思いま す。 〇柳田邦男先生  第1点の宿命としてのバタバタの感じになるという点については、私は異論はありま せん。移植医療をやるからには、例えばボックスに入れて運ぶ、それについて何ら私は 反対したことも、それについて不快感を表明したこともありません。これは移植をする という以上、これは中島さんがおっしゃったように、そうならざるを得ないし、もっと もメディカルに合理的な方法をとるということ、それはコストまで含めてそれは当然で あると思います。これについては問題はありません。  ただ第2点の移植医療に対するゆがんだ批判という受け止め方です。なぜこういう見 方を私がするのかというと、例を上げると20とか30は直ぐに出てきますが、ここでそう いうことを一々申し上げません。ただ代表的な象徴的なことを申し上げたいと思いま す。  一昨年法律ができるまでの移植推進側の動きというものが、あまりにも移植をすれば 助かる患者がいるのに、どうしてさせてくれないというメディカルな分野だけに限定さ れた議論で一貫してました。もう一つは、技術的に完璧である、世界一なんだ、大丈夫 だ、やらせてくれ、それだけだったのです。それをもっと社会システムとして、臓器提 供側への配慮、どういうシステムを構築しないといけないのかという辺りの提言なり取 り組みなり、あるいは関連学会への働きかけというのは非常に少なかったわけです。  例えば94年に名古屋で開かれた日本医学会総会で、「社会に受け入れられる移植医療 とは」というシンポジウムをやり、中島さんもおでになり、私は傍聴席で聞きました。 その席で名古屋地区のある移植推進に熱心なドクターが、フロアからの発言として、今 なぜこういうつまらない議論をするのか、実行あるだけなんだ、やらせてくれ、という ことを言ったわけです。私は腰を抜かすほどびっくりしたわけです。なぜこういう社会 に受け入れられるシステムづくりをしようとするシンポジウムで、そういう発言をする のか非常にびっくりしたわけです。  一昨年の法案審議の中でも、心臓移植を待つ人達、あるいは外国で受けた人達、肝臓 を受けた人達が、私たちのような慎重にシステムづくりをしようと提言する人に対して あなたたちは私たちを殺している、我々は毎日4人殺されているというのです。殺され ているというからには、殺す人がいるわけです。誰が殺しているのか、それは臓器を提 供しない人が殺すことになってしまうわけです。そういうことを言ってはいけないので す。なぜ移植の専門医たちは、移植を待つ人達に慎むように言わないのかという問題が あります。  こういうこともありました。システムづくりというものがいかに難しいかというのは もう8〜9年前になりますが、アメリカで肝臓移植を受けた青山学院大学の野村先生と いう方が、これは移植に熱心な東大の医科研にいったわけです。移植を受けた患者でさ え、その後、一体自分は誰の人格なのかということで凄い葛藤をして、私はそれを抜け 出すのに5年かかりましたということです。だからこれは単にメディカルにシステムが でき、技術があればいいという問題だけではなく、そういうものを経験した人、あるい はカウンセラー、様々な社会システム、支援システム、ボランティアシステム、そうい うものが必要なのだと申込みにいったわけです。  そうしたらその時に東大の医科研の先生は、我々は完璧です。外部からあれこれ言わ れる必要はありません。応援もいりません、と断ったわけです。そこに象徴的に社会的 認識のない、私は視野狭窄と申しましたが、そういう問題を背景にもっているわけで す。この手の話をしだしたら20や30は幾らでも出てくるわけです。  最後に衆議院で法案成立するときに、循環器病センターの名誉総長は、この法律、つ まり当時の中山案ですが、これができれば毎年千人が救われるのですというビラを国会 中にばら蒔いたのです。そういうことの積み重ねは不味いと私はいっているのです。  その上でこれからどうすべきかを、過去を振り返ってそういうことを追求しても前向 きではありませんから、今日は、積極的にこれからどうすればいいのかというと、検証 システムのようなことをベースにして、情報の開示、透明性の維持、今後問題があった ときに、どういうふうに新しい医療システムを作っていけばいいのかという提言をした わけでございます。 〇黒川委員長  ありがとうございました。時間がいつまでやっていても私は構わないのですが、大変 にいろいろな意見がでまして、これはまた別の機会にこういう話もしたいのですが、せ っかく参考人として3人の先生方がこられているので、皆さんも沢山聞きたいことがあ ると思います。参考人の3人の中にもいろいろな見方がありますので、最後にご質問を もっと受けたいのですが、最後に1分づつお話していただきたいと思います。まず高知 から最後に一言お願いします。 〇高知新聞宮田部長  先程、浅野先生がいわれたことですが、順番を間違えた件について、あれは記者会見 の中で記者団が大阪でいっている中で出てきた話であって、かならずしも積極的に発表 されたものではなかった、しかも順番を間違えたということについて、あの時は脳波計 が届かなかったからだとおっしゃられておりましたが、その後、うちの方の取材でそう ではなかった。判定医に認識不足であったということがわかりました。ただ裏付けがな いものですから、取材班がずーと院長の取材を続けたわけです。それで院長がやっと認 めた。それで翌日院長が会見をする。そういう経緯を辿っているわけです。  つまりこのことをとってしても、なかなかそういうことについて積極的な情報開示と いうか、ミスのときに言わないということがありうるということです。そこはきちんと 考えておくべきであろうということを一言申し上げます。 〇中島みち先生  もっと本当は最後に申し上げたいことがありますが、たまたま今、浅野先生の御質問 の件でここに資料が出てきました。いままさに高知新聞の方がおっしゃってくださった ことです。もっと具体的に、3月15日の開発院長のお言葉を申し上げます。無呼吸テス トと脳波測定の順序がかわったことの真因の判明、それと報道との因果関係というのが 非常に明確になると思いますので、ちょっとお聞きください。これは開発院長のお言葉 でございます。一言も変わらず私が書きとってございます。  「連絡とかいろいろ悪くて、結局その時に脳波計がそこに着くのがなかなか来なかっ たというのが現状なんです。間違いは間違いとして認めます。」と言われたのです。つ まり間違いと散々言われて、私どもも申しましたが。「間違いは間違いとして認めま す。」と。これで間違いとして、報道で言われたことに対して病院側が答えたというこ とが明確になると思います。でもこの時もまだ真実と違っていて、これが3月15日です が、4月11日に、ついに法令を理解していなかったという発表を、開発院長がなさって おります。ですから(ミスが明らかになったことと)報道との因果関係というのはみな さまに確実にご理解いただけたと思います。 〇柳田邦男先生  2点申し上げたいと思います。第1は建前と実際のずれというのがいつも問題になる ということです。社会全てでそうですが。  例えば日本移植学会の野本先生が非常に努力されている。あるいは大島先生も今おっ しゃったように、指導的な方々は非常に誠実で熱心におやりになっているのですが、現 場の個々の医療機関なり医師の中で、必ずしもそうではない実態がある。それのずれで す。これは法成立以前においては、もっと大変であったのですが、その後次第にこうい う経験を踏む中で、そういう調整というあるいはレベル合わせというものが進みつつあ る。これは私は認めます。  何も私は移植医療を潰そうとしているわけではなく、第2に強調したいのは、日本と いうものは、失敗の分析をして、そしてその教訓を次に生かすという合理的発想を非常 に苦手にしている国民性があります。これはアメリカであれだけ移植をやっているのに 日本でなぜできないといって、メディカルな技術だけを導入しようとしたところに最初 の間違いがある。  例えばアメリカは真珠湾攻撃で負けて、その戦争のさなかに議会でなぜ失敗したのか の大議論をして、次の反攻の体制を組んでいくということをやる。あるいはスペースシ ャトルチャレンジャーが爆発すれば、直ちに大統領の特別任命の調査委員会で徹底的に NASAの欠陥を分析してNASAを解体して組織を変えてしまう。それまでやって半 年後にはまた飛ばすということをする。  日本では恐らく原子力船むつが二度と動かなくなったように、大失敗があればいい加 減な分析しかしないし、徹底的な分析をしない。その代わり、次ができないということ であろうと思います。これはミッドウエー敗戦の教訓を全く分析しないで、ガダルカナ ルまでいってしまうということに繋がると思うのです。  ですから、私はいろいろと申し上げるのは、次に進むためにはアメリカから移植医療 を導入して学ぶならば、同時にシステムの分析法というものも学んで、前向きにどうや ったらいい医療ができるのかという構築する発想、そういう文化も同時に導入しないと いけない。メディカルな範囲だけではなく、社会システムとしてどうするのか、ヒュー マンな面をどうするのか、そういう面まで視野にいれた社会システム・医療システムの 構築というものが、これから非常に重要になってくる。それを強調したくて、様々な不 愉快と受け取られたかも知れない発言をしたわけでございます。以上です。 〇黒川委員長  ありがとうございました。3人の参考人の先生方から大変に貴重なご意見を伺ったわ けでして、皆さんも本当にいろいろなご意見、またさらに聞きたいことは沢山あると思 うのですが、これをさらにこの委員会でも生かしながら検討を進めたいと思います。  ここにありますように、「救命治療及び脳死判定等に係る医学的評価に関する作業 班」ということを、前回のこの委員会で作っていただきまして、高知の病院でのドナー 及びその家族のご協力によって、資料を提供していただきまして、そこで竹内先生を委 員長とした作業班を作っていただきまして、そこの参考人の方々にもいろいろなことを 伺いながら、時間をかけて検討していただいたということがございます。  そこで今日はその作業班の報告というものを伺います。竹内先生大変ご苦労さまでご ざいますが竹内先生からお願いします。 〇竹内委員  私どもの作業班の報告書が資料2ということでお手元にあると思います。約20ページ にわたる長いものでありますので、その内容について簡単にご説明したいと思っており ます。私どもの作業班のメンバーは6名でありますが、2回の会合を持ちました。最初 の会合では高知から主治医に来ていただきまして、全ての診療記録、画像診断の記録、 あるいは脳波記録、聴性脳幹誘発反応の記録などを閲覧しまして、更に班員からの多く の疑問点につき主治医から説明を受けております。  更に、その時に私どもが閲覧したCT所見あるいは脳波所見については、それぞれ専 門家の意見を聞くべく参考人の参加を得ております。  2回目は作業班の班員が分担したそれぞれの項目について、評価結果を種々検討しま して、班全体の意見の統一を図りました。できあがったのがこの報告書でございます。  なお、この件に関しての検証はそこの目次にありますように、1.初期診断及び治療 に関する評価。2.HCUにおける検査・治療内容に関する評価。3.脳死判定に関す る評価であります。  最初の初期治療につきましては、本症例は突然に発症したくも膜下出血で、初回の出 血発作から約3時間で病院に到着しているわけですが、ただちにCT検査が行われてお ります。  スライドをお願いします。初診時のCT所見、これは全部のスライスが一枚になって ますので代表的なものを一枚拡大してお見せしたいと思います。  この所見をかい摘んでいいますと、向かって左側の左の側頭葉です。耳の上のところ ですが4×6×5cmくらいの脳内血腫があるということと、その血腫が中央部にある脳 室に穿破して血液が漏れているということ。あるいは先程の下の方のスライスでは脳底 部のくも膜下腔にもあるし、脳の表面にも血液が回っている。そのために脳の中心線が 右の方に患側から健側の方に約22mmの移動がある、圧迫があるということであります。  これは専門的にみますと、左の大脳半球の主として皮質下の白質というところの低吸 収域が出始めているということで、発症3時間という時間で非常に速い時期ですが、脳 浮腫の発生が疑われるということであります。  この所見は中大脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血の所見に該当するということで、 他の疾患を考える必要は殆どないということで、その点での初期診断は適正であったろ う、追加検査もこの場合には特に必要はないだろうと考えたわけです。  次お願いします。これも今の続きです。脳室の中に入っている状態、あるいは脳の表 面で脳溝という脳の溝ですが、その部分に血液が入っている所見がかなりよく見えると 思います。  2回目のCT検査を2月25日にやっております。したがって三日後ということになり ます。脳内血腫の大きさというのはあまり変化しておりません。ただ左半球の浮腫の進 行は著明で、中央線が更に健側の方に+5mm動いているという所見でありまして、しか も、ここで重力の関係で脳室の後角、後ろの方の部分に、血液が両側とも溜まっている ということで、更に脳室への出血が加わっているということです。これは恐らく第2回 目の発作後の所見であろうと解釈されます。  次お願いします。脳溝に血液が入っているのは同じでありますが、脳浮腫が著明にな ってきておりますので、健側の右側の脳溝は殆ど写ってないわけです。完全にぎっしり 脳が詰まっているという状態です。しかもこのスライスでは、患側の脳室に血液が入っ ていると同時にかなり圧迫による縮小があって、右側の脳室の前角、黒く写っている部 分ですが、あの部分だけが一応残っているという状態であります。  来院時、神経症状あるいは生命兆候あるいはくも膜下出血の重症度分類、これは治療 上で必要な手術適応の決定に非常に役に立つわけです。いろいろな方法での重症度分類 があるわけです。そういうものに照らして、早期の治療、積極的に手術の適応はないと いう判断でありまして、対症療法による効果がもし得られて、少しでも状態が好転する ようなことがあれば、手術的治療を考えるというのが、一般的な方針であります。その ような方針がとられておりまして、これは私どもも日本国内的にもあるいは国際的にも 大体同じ歩調での治療方針に則っていると考えたわけです。  この場合に考えられる積極的治療方法としては、脳の低体温療法なども含まれるわけ ですが、作業班としましては、本症例の出血による脳内血腫など、一次的な脳損傷その ものに修復効果は期待できないということで、適応はないと判断したのは妥当であろう ということであります。  次に第2の項目としましてHCUにおける治療に関してであります。ここに入室しま して気管内挿管による気道の確保、人口呼吸管理は適正に行われていると判断されま す。これは動脈血のガス分析の結果からも十分推定できております。  脳圧降下剤が使われておりますが、その効果は残念ながら本症例ではほとんど現れて いないということであります。したがって、全体の状態がアップヒルになるということ を待って手術を考えるということでありますが、そういうチャンスはなかったというこ とであります。  先程も申しました低体温療法以外にも脳室ドレナージによる髄液の排除とか、血腫の 積極的な除去、バルビツレート療法、脳の血管内手術というようなことも考えられるこ とは考えられるが、本症例に対しては適当な適応がないと考えるのが一般的であろうと いう判断をしました。  HCUに入室後、急速に神経症状も生命兆候も悪化して、急激な血圧低下という事態 がおきております。この状態によって脳死状態への移行を一応示唆するものと考えてよ ろしいかと思います。  低血圧症に対する昇圧剤の投与、各種の補液などは、適切であろうという判断でござ います。  第3の項目に関して、脳死の判定に関する評価であります。前提条件、これらに関し ては十分クリアしているということが確認されております。前後5回にわたる脳死判定 が行われているわけですが、その内の3回が法的な判定であります。各判定時の判定の 根拠になった要点というのは、それぞれ枠の中にまとめて書いてありますので、それを ご覧いただきたいと思います。  これらの中で特に問題になるのは、報告書の8ページにあります25日の第1回の法的 脳死判定における脳波所見であります。それはここに書いてある通りであります。スラ イドお願いします。残念ながら遠くからだとなかなかわからないのですが、幾つかの導 出で4ないし5Hz の非常に低振幅の規則的な波が出でいると解釈されるわけです。こ の波の本体に関しては、いろいろな議論があるわけですが、恐らく一番下にあるのが心 電図ですが、心電図の遅い部分を拾っているのではないかと考えられます。さらにそれ に本来の患者さんの脳波が混じっている可能性が完全には否定できないと考えたわけで す。  私どもが脳死判定基準として要求している平坦脳波というのは直線上の平坦波、すな わちホカディーの分類でいうとVのbということでありますが、Vのa程度のニアリーフ ラット程度の脳波であるということは、脳死判定を否定することになりますので、その 際に法的脳死判定で脳死が否定されたということは妥当であったのではないかと考えて おります。  次、前後7回にわたって脳波が記録されておりますが、集中治療室における脳波記録 としては、全般的に質の良い脳波記録が得られております。これは本当の法的脳死判定 を行ったときの平坦脳波の所見で、一番下にあります心電図の雑音がある誘導には入っ ておりますが、直線状の平坦波といっていい所見が得られております。これは日にちは 27日です。法的脳死判定の時です。  次、これも同じでありますが直線上の平坦波ということで、このような所見によって 平坦脳波が、2度目の法的脳死判定においてコンファームされたわけであります。あり がとうございました。  25日の第1回目の法的脳死判定において、無呼吸テストと脳波検査の順序が、法律施 行規則による順序と逆になっているということです。確かに無呼吸テストは脳死判定の 最後に行うように定められているわけですので、その点は間違っていたと考えざるを得 ないわけです。結果的には無呼吸テストによる被験者への悪影響がなかったと判断され ております。それは諸般のデータからそう思われます。今後の法的脳死判定においては 是非、規則通りに順序を守ってほしいという要望を班としては出したわけであります。  長くなりますのでこの辺で最後の11ページから12ページにわたって、今申し上げたこ との詳しい内容が記載されておりますので、お読みいただければありがたいと思いま す。以上でございます。 〇黒川委員長  脳波その他についてのトレースも見せていただいたわけですが、これについて、この 委員会として参加していただきました桐野委員何かご追加とかその他はございません か。 〇桐野委員  今、竹内先生がおっしゃられた通りと思います。特に追加することはございません。 〇黒川委員長  大塚委員いかがでしょうか。 〇大塚委員  私も竹内委員長のお話通りでございまして、特に追加をするところはないです。 〇黒川委員長  この報告書に実際にスライドで出していただいたデータの他に、それについての解説 それからその解釈、それについての総括として、11ページと12ページにずーとまとめて ございます。これをまた読んでいただくわけですが、その他に委員の先生方から何かご 質問とかコメントはございますでしょうか。山谷委員どうぞ。 〇山谷委員  医学関係者の検証でよくわかった部分もあるのですが、わからない部分もあるわけで す。市民感情としては、柳田先生や中島先生がおっしゃったように、無呼吸テストと脳 波測定の順番は、施行規則通りではないが問題ではないというのは、この辺が正に問題 であると多くの者が思っておりまして、柳田先生の提案にもありましたが、第三者検証 機関の組織の構成メンバー、それから3か月後にこの報告書が出たというタイミングに 問題はなかったのかとか、あるいはこの報告書の中の形態はこのままでいいのかという のは、もう一つ検討していく必要があると思います。  この作業報告書とは違うのですが、レシピエントの決定のときにミスがあって、それ を心身の消耗によるということで謝罪なさったわけですが、それも納得できなくて、登 録がどのようになされて、どのような専門委員会が決定したのかという構成メンバーも 含めて、もう一度検討しなおす必要があるのではないかと思います。  それから柳田先生がおっしゃった病院倫理委員会が未整備であるという未整備状況を どのように整備していったらいいのか。いろいろな内容的な面も含めて、脳波計がなく て間に合わなかったというようなことは、本当にあってならないことですので、そうい う部分をもうちょっと検討していく必要があるのではないかと思います。 〇黒川委員長  そうですね。それについては今日は3人の参考人の方からいろいろなご意見をいただ きましたし、山谷委員のおっしゃっていることももっともですので、この報告書は先生 方に見ていただいて、引き続き検討する価値のあることであると思いますが、事務局か らどうでしょうか。 〇朝浦室長  事務局からです。ネットワークの斡旋業務の検証班については、別途作業班を作って いただいて今検証している最中でございますので、参考資料3で後ほど説明します。 〇黒川委員長  そういうことですね。そういうことですので、その他に竹内先生の報告書について何 かコメントはございませんか。格段にないわけではないと思うのですが、これを読んで いただいて、一応この専門委員会として一応了承していただいたという恰好にはしたい のですが、もう一回読んで、次回、何かありましたら言っていだたくということで、暫 定的にということで今日は了承していただく。この報告書をじっくり読んでいただきま して、次回コメントをいただきたいと思います。 〇浅野委員  被験者に無呼吸テストの手順のミスで悪影響がなかったと判断されると言われたこと について、根拠を示していただきたいと思います。 〇黒川委員長  竹内先生の方で何かお答えになりますか。 〇竹内委員  その根拠は読んでいただくと大体お分かりになるかと思います。 〇黒川委員長  お医者さんではないので、お医者さんでない方にわかる言葉で一言いっていただけれ ばと思います。 〇竹内委員  悪影響はなかったという結果論ではあまり意味がないという方もおられるわけですが 適正な二酸化炭素濃度と酸素濃度が維持できた無呼吸テストの間に、結果であるという ことが、これは全部モニターされておりますので、かなり安全に正しく無呼吸テストが 行われたと我々は判断したわけです。 〇黒川委員長  つまりモニターしている間にPO2 は有意にハイポキシアを侵す低酸素状態になるほ ど下がったわけではないし、PaCO2 の上昇を見ていても、十分に上昇して、それに よっても呼吸が促進されなかったということですね。 〇竹内委員  それだけではなく全身状態、いわゆる生命兆候の血圧とか心拍数とかに対する影響も なかったということであります。悪い影響はなかったということです。 〇浅野委員  メディアの人たちもかなりそこを強調しておりますし、今日は参考人の方も言われた ので、先程朝浦室長の説明もありましたが、かなり食い違ってまして、私も4月26日27 日28日に高知で高知新聞と地元の民放3局の報道責任者にNHKは拒否しましたが、そ れと医療関係者の方々に調査に応じてもらったのですが、記者会見の中で明らかになっ た、記者が病院側を追求したからミスを認めたという言い方が一部で一般的になされて いました。  高知新聞労働組合の機関紙に、私が勉強会で講演をしましたが、その報告ニュースに もそこが強調されていまして、宮田さんもそのように強調されてますので、ここのとこ ろはきちんと本当に記者の追求がなければ、リアルタイム取材・報道がなければ、ミス が闇から闇に葬られるというほど日本の厚生省とか医療体制は危ないものかということ について、きちんと厚生省の側がそうではないということをね、私が厚生省の方に聞く とそうではないとおっしゃるし、メディアの側はそうだとおっしゃいますので、そこは きちんと一つの線に向かっていかないと、今後の情報を提供する側と報道する側の健全 な信頼関係が全くないと思いますので、ここはきちんとしていただきたい。  それは高知赤十字病院の西山先生も強調されているところなので、ドナーの家族の方 は情報開示については非常に積極的であったわけですから、それがそういうことで今日 は参考人の方の中には、ドナー家族が医療批判をできないからメディア批判をしている のではないか、というご指摘もありましたので、本当にそうであれば、それこそ大変な ことで、それはドナーの家族の方から何らかの方法で本当のことを聞かないといけな い。いずれ明らかにする責任は私のようなメディア研究者にもあると思っておりますの で、その辺のところをきちんと、今日のこの報告書では不十分ではないかと思います。 〇黒川委員長  ありがとうございました。事務局何かありますか。特になければこの専門委員会が、 先生のような方にも入っていただいて、この辺の検証作業班の実際の時系列の問題につ いても、もう一回見ていただいて、次回、それについて浅野先生あるいは他の方からも ご意見をいただければと思うわけです。  その意味で、この専門委員会の役割は非常に重いのではないかと認識したいと思いま す。よろしいでしょうか。ありがとうございました。ではまた次回これについてのご意 見がもしありましたら伺います。  時間のために急いでいるわけではないのですが、今日はまだ議題が幾つかあります。 意思表示カードの問題、角膜以外の眼球組織の問題、いろいろ予定をしておったのです が時間がございませんので、これは次回の6月1日にやることにさせていただきます。 その他、事務局から関係の作業班の設置及び審議状態について、簡単に報告いただけま すでしょうか。 〇朝浦室長  その前に3月15日の記者会見です。記者会見の場で開発院長の方から順番を間違いま したということを、会見の場で自ら申し上げたというふうに、記者から請求があって順 番の間違いを申し上げたというのではないというふうです。 〇浅野委員  2月25日の第1回の脳死判定で脳波が出たということで白紙に戻るということがあ りました。その後の記者会見ですから25日深夜か26日未明ではないかと思いますが その記者会見の中ではじめて明らかになったといわれています。先程の室長のお話であ ると、その前に厚生省に報告が入ったということですので、そこは非常に重要であると 思います。 〇朝浦室長  事実関係はその通り、その前に入っているのは事実です。失礼しました。 〇浅野委員  もし入っていれば隠すことはないと思うのです。重要だと思うのです。 〇朝浦室長  では参考資料に移ります。現在の作業班の状況についてご説明します。  参考資料1です。これは前回の専門委員会で設置を認めていただいたものです。「心 臓移植希望者選択基準作業班」の班員の名簿です。これにつきましては5月10日に開催 を既にいたしておりまして、大方の結論が出ておりますので、次回にこの委員会にお諮 りたいと思います。  次のページ、「肝臓移植希望者選択基準作業班」につきましても、ここに記載してお りますメンバーの方で構成しておりまして5月15日に班会をしておりまして、ここでも 大方の結論が出ておりますので次回お諮りしたいと思っております。  この肝臓の作業班の場で、分割肝についての議論がありまして、それについてはかな り技術的な要素もありますので、別途作業班を作ってほしいという作業班からの要望が ございましたので、事務局としてもその点ご要望したいと思っております。  最後でございます。「日本臓器移植ネットワークのあっせん業務に係る評価に関する 作業班」もここに記載されております先生方にお願いしておりまして、5月19日に第1 回を開かせていただきまして、次回5月28日に第2回目を予定しているところでござい ます。以上でございます。 〇黒川委員長  よろしいでしょうか。今先生方のお耳に届いたと思いますが、幾つかの作業班の進捗 状況について報告がありました。特に肝臓の場合は、今は分割肝という、生体肝移植が 日本では非常に多くされておりまして、その意味では非常に成功しているわけですが、 そういう経験から踏まえると、世界的にかなりユニークかも知れませんが、肝臓の分割 の移植ということについて検討してはどうかということが、肝臓の方からあったという ことでありまして、こうなると生体肝移植は、これは外科の手技に非常に係わる問題で すので、それについてまた別途作業班を作っていただきたいということですが、それに ついてはご承認いただけますでしょうか。ではそのようにさせていただきまして、そう いう可能性も検討していただくということにさせていただきたいと思います。  そうしますと、今日は議題の積み残しがございますが、これからまた幾つか検討しな いといけないこともありますし、今日は特に3人の参考人の先生方から大変に貴重なご 意見を伺いました。それについても更にここで検討を進めたいと思いますが、今後の予 定について事務局から委員の先生方にお願いします。 〇朝浦室長  では次回移行の日程についてご報告させていただきたいと思います。次回は6月1日 です。9時30分から12時ということでお願いしたいと思います。次が6月21日でござい ます。これも同じ時間帯でお願いしたいと思っております。できれば6月21日で最終的 な報告をまとめたいと思っておりますが、ただなかなか難しい議論もありますので、も う一回予定をさせていただいて6月29日にもう一回予備ということでお願いさせていた だければと思っております。 〇黒川委員長  そういうことで、6月に3回にわたってこの委員会を開催させていただきたいと思い ます。先生方お忙しいとは思いますが、非常に大事な委員会ですのでそのように検討さ せていただきたいと思います。  大変に時間を超過してしまいました。非常に内容が濃くてまだまだやりたいという感 じはしますが、本日の委員会はこれで終了させていただきます。ありがとうございまし た。                               −終了− 問い合わせ先  厚生省保健医療局エイズ疾病対策課臓器移植対策室    担 当  山本(内2361)、眞鍋(内2364)    電 話 (代)03−3503−1711     ※注:参考人発言のうち[・・・]で囲まれている部分は、議事録作成の際に     特に発言者から追加要請のあった部分である。