99/04/12 第14回厚生科学審議会研究企画部会議事録 第14回厚生科学審議会研究企画部会議事録 1.日 時:平成11年4月12日 (月) 14:00〜16:00 2.場 所:東海大学校友会館 「阿蘇の間」 3.出席委員:矢崎義雄部会長 (委員:五十音順:敬称略)     木村利人 大石道夫 寺田雅昭 (専門委員:五十音順:敬称略)         加藤尚武 杉田秀夫 高久史麿 土屋喜一 寺尾允男 初山泰弘 眞崎知生 宮本昭正 柳澤信夫 4.議  事:1.WHO憲章における「健康」の定義の改正案について 2.今後の厚生科学研究の在り方について 5.資  料:1.WHO憲章における「健康」の定義の改正案について        2.骨子案 ○事務局 定刻となりましたので、ただいまから第14回厚生研究審議会研究企画部会を始めたい と思います。 本日は柴田委員、眞柄委員及び山崎委員が御欠席です。 まず、配付資料の確認をさせていただきたいと思います。 (以下、資料の説明と確認)  それでは部会長、よろしくお願いいたします。 ○矢崎部会長  それでは、本日の研究企画部会を開催させていただきます。  本日の議題は2つありまして、1つは「WHO憲章における『健康』の定義につい て」、2番目が以前から御議論いただいております「今後の厚生科学研究の在り方につ いて」でございます。  まず初めの議題でございますが、去る3月19日の厚生科学審議会総会でも御議論いた だいたところでございます。当部会においても御議論いただくことになりました。よろ しくお願いしたいと思います。  本日は、WHOの「健康」の定義に関する専門家として当審議会委員の京都大学教授 加藤尚武先生、同じく当審議会委員であられます早稲田大学教授木村利人先生においで いただいております。  それでは、事務局から総会における議論の状況を含めて御説明をお願いいたします。 ○事務局  それでは、資料1に基づきまして御説明申し上げます。  資料1「「WHO憲章における『健康』の定義の改正案について」でございます。こ れは先ほど部会長からお話しがありましたとおり、3月19日の厚生科学審議会総会で使 った資料と同じ資料でございます。  表紙をめくっていただきまして、「WHO憲章における『健康』の定義の改正案につ いて」ということでございます。  1ページは「経緯」となっておりますけれども、従来のWHO(世界保健機関)はそ の憲章の前文の中で、「健康」を定義していたわけでございます。それが一番上に記載 してあるとおりでございまして、とりあえず昭和26年官報掲載の訳では「完全な肉体 的・精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではな い。」という定義になっておりました。英文の方はその下に掲げてあるとおりでござい ますが、平成10年のWHO執行理事会(総会の下部機関)におきましてWHO憲章全体 の見直し作業をしている中で、「健康」の定義を変えようではないかという提案があり まして、その中で提案がなされている定義といたしまして、今度は英文の方を読ませて いただきますが、「Health is a dynamic state of complete pyhsical, mental, spiri tual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」 ということで、dynamic と spiritualをつけ加えることが議論されておりまして、執行 理事会の中では投票という形になりまして、賛成22、反対0、棄権8で総会の議題とす ることが執行理事会の結論ということになりました。 それを踏まえまして、平成11年5月に開催予定のWHO総会でこれが議論される予定 になっております。手続といたしましては、総会の参加国の 2/3以上の賛成があれば採 択されることになります。しかし改正の発効には、これは条約ということになりますの で、加盟国の 2/3以上の批准手続が必要になります。通常では 2/3の批准を得るために は数年以上の期間を要しているというふうに今までなっております。 今回の提案の背景でございますが、これはWHO事務局からの正式の見解は得られて おりませんけれども、WHOの今までの会議、また過去の議論、そういう中から「健 康」の確保においては生きている意味・生きがいなどの追求が重要との立場から提起さ れたものと理解をされております。 spiritualについては、執行理事会の中では spirituality は人間の尊厳の確保や Quality of Life (生活の質) を考えるために必要な、本質的なものであるという意見や 「健康」の定義の変更は基本的な問題であるので、もっと議論が必要ではないかという 意見が出されておりましたが、先ほど申し上げたとおり、採決という形で結論が出て、 総会の議題とするということになっております。 同じく dynamicについては、「健康と疾病は別個のものではなく連続したものであ る」という意味づけの発言が同じく理事会の中でなされているということでござい ます。 2ページ、3ページにつきましては、参考資料ということで「 THE OXFORD ENGLISH DICTIONARY. SECOND EDITION」の抜粋でございます。 最後の4ページに、新旧対照表ということで現行の憲章と改正案ということで資料を つけさせていただいております。 この資料に基づきまして、3月19日に総会の方で御議論いただきました。 結論を出すという性質のものではございませんでしたので、いろいろ御意見を伺った わけでございます。今回の改正ということには直接関係いたしませんけれども、現行の 定義の中のコンプリートの方が問題ではないかという発言であるとか、今回の提案につ いて言えば、いわゆる癒しの問題、または心も体も精神も、またそれに足してspiritual な面での癒し、文化の中での病や癒し、そういうものをどのように考えていくべきなの かという御意見が出されたわけでございます。 それを踏まえまして、今回また当部会の方でも御議論をいただくということで今日の 議題とさせていただいているわけでございます。 以上でございます。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 今の御説明のとおりでございます。 spiritualを我が国でどのように取り扱ったらい いかということでございます。その背景にはいろいろなことがあるようですが、どのよ うに決着するかわかりませんが、今から十分に検討していった方がいいのではないかと いうことで今日の議題にさせていただきました。 初めに、加藤先生から御意見をお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたし ます。 ○加藤委員 私はよく翻訳をさせられますけれども、 spiritualと mental という同義語が2つ並 んだときは翻訳者泣かせでありまして、内容を汲み取って両方をひっくるめたような訳 をつくってしまうか、そうでなければ無理やり漢和辞典を引っ張って別の似たような言 葉の意味を探してくるというのが、翻訳の場合に同義語が2つ並んだ場合の取り扱い方 なんですね。 この場合 mental がないところで spiritualがあれば、その spiritualが mental を もカバーするものだと理解することができるのですが、 mental がついている上にspir itualがついているとなると、どうしてもspiritualという言葉の意味は宗教性の強いも のだというように理解せざるを得ないだろうと思うわけです。 そして、この提案のもとになった「WHOQOL and Spirituality Religiousness and Personal Beliefs(SRPB)」という文章がありますけれども、そこではreligiousness and personal beliefというものが患者の Quality of Life にとって一つの意味を持っ ているということが書かれていて、また、そのときに典拠とされた論文に、Rossという 人の「THE SPIRITUAL DIMENSION 」というものがあって、これは看護活動をする場合に 患者の health や well-being にとって spiritual dimension がどういう意味を持つ かという形の文章が「WHOQOL」でも引用されているわけです。 例えばRossの論文ですと、末期状態の患者に聖書を読んで聞かせたところが虚ろな瞳 が虚ろでなくなったというようなことが書いてあるのですけれども、例えば日本の病院 で末期状態の患者に、枕元へ行って般若心経を読んであげるとどういうことになるのか というと、むしろ逆の意味になってしまうのではないかという感じがするわけですね。 つまりそこでは宗教性が持っている意味が、例えば聖書の場合ですと「希望」という 概念は聖書的な価値の基本概念で、どんな状態にあっても常に未来に対して何らかの希 望を持つことがキリスト教やヘブライズム信仰の中での重要な意味ではないかと思いま す。これはユダヤ教でも未来志向を人間に与えるのが宗教の役目であるという意味を持 っていると思うんです。  宗教そのものが、ある一種の未来性を人間に与えるような意味を持っている場合と、 必ずしもそうではない場合、例えば病は人間にとって避けられない老・病・死・苦とい うようなものと考えて、その次元を超越することを教えるような宗教性の場合にはまた 違った意味を持ってくるのではないかと思います。  この spiritualが入ることの中に、1つは spiritualという形で「健康」を定義する ことができる英米圏の言語文化と、医療と宗教性が伝統的に非常に接近しているような 文化、もう一つは例えばイスラム教の場合ですけれども、政治と宗教、あるいは国家生 活と宗教生活をはっきり分けるという考え方はどちらかというとキリスト教タイプの考 え方でありますが、イスラム教の場合にはもともと同系統の宗教でありながら国家生活 と宗教生活、あるいは世俗生活と宗教生活を一体のものとみなすという考え方が非常に 強いわけです。ですから、ある意味でイスラム型の考え方からするならば、むしろ宗教 性を除外した「健康」概念は本当の意味での健康ではないというようにさえ言えるぐら い、宗教性と世俗性との接近度が高い宗教形態がある。  WHOで「健康」を定義する場合に、どこまで文化的な差異に踏み込んだ形で「健 康」を定義できるのかということが問題になるかと思われるわけです。  一般的に言いますと、これは論理学の教科書のような話ですけれども、言葉数が増え れば増えるほど範囲が狭くなっていくわけでありまして、言葉数が減れば減るほど範囲 が広くなっていく。このように総合的に mental のほかに spiritualという概念も入れ れば、普通は「健康」の定義はより狭い範囲で定義されることになるわけですけれども しかし新しくつけ加えられる言葉があいまいな言葉である場合には、狭いと広いの区別 もつかなくなっていくわけであります。 一般的に言いますと、総合的で主観的な要素を多く含んだ定義を用いれば文化による 違いを乗り越えられない、それぞれの文化によって違ってくるという相対主義の方向に 傾いていき、より客観的で、あるいは「健康」を定義する場合にもネガティブな定義、 つまりこういう疾病が存在しないことというようなネガティブな定義をとった場合には より普遍的な一致が見られる形で定義が可能になると考えられるわけであります。 最近のヨーロッパでの科学技術や人間の健康の文化の問題についての幾つかの論文を 当たってみると、以前は医療、科学について人間性を総合的に見ていくという、ある意 味で主観性も含めた形の見方が多かったのですが、チェルノブイリの原子力発電所の事 故の影響はドイツでは、どの本も見ても健康論を見るとまずチェルノブイリから話が始 まるなど非常に大きな影響を与えているようであります。一般的に見て環境の問題が非 常に大きな影響を持ってきましたので、精神面での健康という点よりはむしろ目に見え ない、一人一人が健康が侵されたということがわからないうちに健康が侵されていると か、あるいは長期的な長い世代にわたって影響があらわれてくるような放射能の影響や あるいは環境ホルモンの影響等から守られていることを「健康」の指標の中に組み入れ ていくべきだという、いわば潜在的な「健康」に対する危険をマークしたようなネガテ ィブで、しかも客観的な方向に向かっている傾向があるのではないかと思います。 それに対して、 mental に対して spiritualを入れるという考え方は、例えば東南ア ジアでもそういう考え方がありますし、イスラム教でもあると思いますし、もちろんキ リスト教でもありますが、伝統的な医療文化の中で宗教上の「癒し」という概念と客観 的な「治療」という概念、例えば予防効果の評価としての「健康」という概念とが分離 することはほとんどなかったわけです。恐らく文化史的に言えば、ヨーロッパですら19 世紀の中ごろまでは「健康」という概念と宗教上の「癒し」という概念はかなり密接に 結びついていたのではないかと私は推測しています。 例えば宗教団体が病院を経営する場合が多いとか、あるいは病院の中には必ず宗教上 のサービスをする人がいて、患者が宗教上のサービスを受けられない状態に陥らないよ うに配慮されているというような、医療文化と宗教文化との密接な結びつきが多くの国 で見られるわけですが、これはいいか悪いかわかりませんけれども、日本の病院の文化 は脱宗教化が強いと言えると思います。もちろん旧社会主義国の医療文化もそうかもし れませんが、日本の医療文化は際立って脱宗教化の動きの強いものではないかと思われ ます。 このように考えますと、ある文化の中では当然 spiritualという概念も「健康」の中 に入るべきだという考え方もあると思いますけれども、「健康」というのは人間のwell -being 、これは恐らくヨーロッパ系ではもとになっているのが「エルエスト」という言 葉なのですけれども、これは文字どおり「よい在り方をしている」ということで、よい 在り方をしていることがわかりやすく言うと快適であると考えられます。だから、厳密 に言えば well-being は快適を指しているのではなく、快適さが感じられるもとの客観 的な状態、これが well-being であると考えられると思うわけであります。 この well-being の中に spirituality を入れるということは、ある意味で「健康」 という概念の中に余計な主観的な要素を入れる危険を非常に強く含んでいると 思います。 また、私が危惧しているのは、国際的に見て本当に必要なのは客観的な最低の「健 康」基準を決めることであるのに、それをやらないためにより高度の、より総合的な 「健康」概念を要求する、そういう場面が実際にあることです。  例えばタイでは「社会福祉」という概念について、西洋型の社会福祉は要らない、タ イには家族型の社会福祉があるのだから、西洋型の社会福祉を持ち込もうとするのは西 洋的な考え方をタイに押しつける西洋中心主義であるという見方が見られます。中国で も西洋中心主義を排除する考え方がよく語られるのでありますけれども、その場合に非 常に高度化された意味での西洋に固有の「健康」文化を押しつけるという意味で言って いるのか、それともかなり広い意味で普遍化された意味での「健康」の基準を押しつけ られても自分の国では面倒を見切れないので、そういう基準を押しつけられたら迷惑だ というかなり政治的な理由で客観基準を拒否しようとするために相対主義が用いられる 場合と両方があるのではないかと思います。 特に開発途上国と言われている世界では、最低基準を決めることの方がその国の民衆 全体にとっては利益なのだけれども、そういう方向に向かわないで、より高級なspiritu ality まで入れた「健康」概念をもたらすことは、「健康」についての科学的な概念は 不十分であるという、ある意味で危険な動向を助長する可能性もあるのではないかと思 うわけです。 ただ、こういう場合に国際会議の席上なので spiritualというと、ともかくこれが悪 いというように正面切っては言いにくいわけですからなかなか言えないということがあ る。それと、 spiritualという言葉の中に厳密な意味で日本の考え方とは一致しないよ うな特定の宗教に依拠した意味での spirituality だけが含意されているのであるなら ば、日本人はこれを受けとめることができないだろう。しかしながら、 spirituality という言葉の中に特定の宗教に拘束されているのではないような、もう少し幅の広い spirituality の意味を見出すことができるならば、少なくとも日本としてはそういう意 味で spirituality を受けとめるという形で、これに対して受け入れる態度をとること も可能なのではないかと思うわけです。 mental であって、なおかつ spiritualな well-being というと、例えばいわゆる精 神病と普通言われているような、病気ではないというネガティブな状態だけではなくて 毎日を快く送っている、積極的に他の人々に対して働きかける、自分の未来に対して希 望を持っているなど、生き生きとした気持ちが働いている状態を dynamicで spiritual というように理解するならば、日本で全く受け入れられないわけではない。 そういう隙間を見つけて受け入れることが不可能ではないだろうと思うわけですが、 しかし大筋で言うと、私としては、もう少し客観的な基準の方が国際的な尺度としては いろいろな意味で有益なのではないかと思います。 以上が私の意見です。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。  大変貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。 御質問あるいはディスカッションは、続いて木村先生のお話を伺ってからにしたいと 思いますので、続いて木村先生よろしくお願いいたします。 ○木村委員 加藤委員が言われたことと大分重なるところも出てくるかと思いますけれども、先ほ ど資料でお配りしました「ワールド・ヘルス・フォーラム」をごらんいただきますと、 これは短いものなのですが、今WHOでは「健康」についての多様な価値観、spiritua lity も含めて、オールタナティブ・メディシン、伝統医療その他を新しい時代の中で展 望していくかということが問題になっているわけです。  そこに出てくるいろいろな考え方が4つぐらいありまして、これは最初に御説明いた だいたように、WHOが「健康」というのは病気のない状態ではないということ、全体 としての単なる disease の不存在を意味するのではないという考え方です。それから 「健康」が個人にとっての健康よりも社会全体としてどう考えるかという問題提起、ま た、西欧的な近代医療だけではなくて、多元的な文化の中で新しく見出された伝統的な 医療や価値観、ヘルス・ポリシーその他をどう展開していくかということが問題になっ ているわけです。 私が "Health for all the year 2000" と言うときに、単に「健康」の問題を平等や 公平ということだけではなくて、それぞれの文化の持っている「健康」のイメージと絡 み合わせて考えたらどうかということを一言言いまして、それを簡単にまとめたわけで す。 ここにいらっしゃる委員の先生方は「健康」と言うときにどういうイメージを抱かれ るか、いろいろお考えもあろうかと思いますが、私は日本人で、しかも今でも読まれて いる貝原益軒の「養生訓」などを引用して、いろいろな問題がありますけれども、その 中で「養生訓」の持っている表現で、現代でも大変に意味のあると思われる言葉を見出 しました。例えば「養生の術は先ず心気を養うべし」という表現などで、この「心気」 は spiritのことだと私は理解しました。  私の論文の中で 137ページの右側の上の方のちょっと下に、この本は今でも多くの日 本人に読まれているということも少し書きまして、貝原益軒は余り働き過ぎないこと、 食べ過ぎないこと、よく寝ること、しかし眠り過ぎないことといろいろ言っています。  そして、こういう「健康」は生涯にわたって追求していくもので、インスタントには 健康にならないので、これで西欧世界の人たちにいろいろな意味で教えになると思うの は、「It is important to note here that health is not seen as a strength, speed or bodily power 」、力や速さ、あるいは体の強健さということではなくて、 「moderate and inetgrated lifestyle 」なのだと貝原益軒は言っているというように 私は理解したわけです。例えば益軒は「命の長短は身の強弱によらず」と述べて います。 そして「Detailed suggestions on how to achieve harmont of spirit, body and mi nd 」、このspiritとbodyとmindが3つの要素として「養生訓」の中にははっきり出てき ている。仁の思想などももちろん入っておりますけれども、伝統的に日本の文化の中で はそういうことも言われていることをここであらわしたわけです。 あとはお読みいただければ、ささやかな私の意見がここでわかるかと思いますけれど も、普通「spirit body and mind」は、日本でよく御存じのYMCAも三角形のシンボ ルとしてあらわれているわけですけれども、この場合に spirit は「精神」と訳して、 body は「身体」、そして mind は「心」と訳しそうですが「知性」と訳してあり ます。「精神、身体、知性」と訳されています。 この mind は非常に難しい言葉で、日本人は mind と言うときにハートの方を思うん ですね。しかし外国の人に mind と言えば、 mind は頭の方ですから知的なものになる わけです。したがって、日本では「心」がハートであって心の温かい人など、いろいろ な意味に使われるわけで、加藤先生が先ほど言われましたように、 mind の中にはいろ いろな意味合いが含まれているので、 mind と spirit が並んでいると非常に訳しにく いというのは同感でございます。 ところが spirit は「精神」という意味ですね。これは「霊」とも訳されます。日本 では、この間も審議会のときにちょっと申し上げまして、これは話せば長くなりますが 霊という言葉は日本の宗教者によっても明治の初め、1800年代の終わりから、ここに植 村正久というプロテスタントの人が書いた「真理一斑」という本のコピーがあります。 これは1884年に出たものですが、この中には「人の霊性無窮なるを論ず」という第7章 にチャプターがございます。それから彼の書いた本の中には、これは1901年に出たもの ですが、「霊性の危機」という本もあるわけです。 先日、図書館で見つけたましたけれども、この間も話をしましたが、鈴木大拙という 人は「日本の霊性化」という本も書いて、霊性という言葉は宗教者の間では今も力強く 生きている言葉なのですが、一般にはむしろネガティブな意味も加わって、この言葉を 訳すのは非常に難しい時代になっていると私は考えるわけです。 私がこの言葉との関連で、私は早稲田大学人間科学部の人間健康科学科というところ で健康心理学や健康学ということもあわせて研究、調査しているわけですけれども、む しろ spirit という言葉を、 spirit は「精神」ですので精神的という意味で使うよう にしたらいいのではないか。確かにこれは日本の官報訳では「完全な肉体的、精神的及 び社会的福祉の状態」と訳してありますが、私の考えでは、「 physical, mental and social well-being 」という言葉なので、ここに spiritualという言葉がもし加わると すれば、むしろこちらの方を精神的と訳して、そして心的、心理的というとちょっと狭 くなるので、完全な身体的、社会的福祉、そしてまた精神的な健康という形で、spirit ualを精神という言葉で表現することが現代には、「健康」の意味を考える場合にいいの ではないか。それはまた、我々日本人の中にある連綿と続いている「健康」概念とも、 また貝原益軒の述べている「心気」ともむしろ結びつくのではないかと思ったわけ です。 それにつけ加えまして、骨子案についてもコメントしてもよろしゅうございますか。 骨子案も含めて、一言だけコメントさせていただきます。ご覧いただきますと、厚生科 学の意義のところに、できましたら、そういう新しい時代のspiritualityを含めた「健 康」概念がWHOでも検討されていることを踏まえて、どこか項目を立てて入れておく 必要があるのではないかと思ったわけです。  「厚生科学を取り巻く新しい時代の変化」が3ページにございますが、そこで個体レ ベルと社会レベル、地球レベルとなっていますね。ここで個体レベルの上から2つ目に 大変大事なことが入っています。「科学技術と個人の生命観や諸制度との間に、法的・ 社会的・倫理的な問題が発生」、これは大変重要なコメントが入っていまして、厚生科 学研究を取り巻く新しい時代の変化の中でこういうものを入れていただいたのは大変結 構だと思います。 最後にいきますと15ページですけれども、「インフォームド・コンセントの徹底と情 報の公開等」が書いてありまして、ガイドラインの整備が必要となっているわけですが 私の考えでは、個体レベルと社会レベル、地球レベルの間にもう1つ、これはもちろん この部会で討議していただければと思っている提案ですけれども、最初の素案では細胞 レベルとなっていましたね。これは個体レベルという言い方の中に含めたわけですが、 私は細胞レベルと、個人といいますか個体レベルの中にあるいは含めるかもしれません けれども、私が言いたかったのは、先端医科学技術の急激な展開の中で、人間の個人と 制度のレベル面、そこに「個人の生命観や諸制度」と書いてありますけれども、個人と 制度の面で臨床試験におけるインフォームド・コンセントの充実、あるいは倫理委員会 の成立という新しい動きが厚生科学研究を取り巻く時代の変化として挙げられるべきで はなかろうか。 その点をもう少し御勘案いただいて、したがってこういうことが事実上必要になると いう最後の提案にもっていった方がいいのではないかと思ったわけです。 事実上、例えばInternational Ethical Guidelines for Biomedical Reserch Involvi ng Human Subjects(Gene va ,1993)というWHOとCIOMSという団体との共同で いわば臨床治験のガイドラインができておりましたり、The World Health Report「Life in the 21th century,A visin for all」(WHO)これは1998版のものですけれども、去年はWHOができてちょうど50年だ ったわけですが、その中で倫理的な意味合いの重要性を健康立法や健康知識との関連で 指摘しています。  全体としての骨子案が具体的な医療の現場での倫理教育の展開についても非常に重要 な提案をしていただいている、それをむしろ新しい時代の変化の中に取り入れていただ くような形でここに1項目立てる方が良いのではないかと思います。 個体レベルというのはなかなかユニークないい表現だと思うのですが、その2番目を もう少し膨らませる必要がある。倫理委員会や患者の権利ということも含めて国際的な 意味合いも兼ねて膨らませる必要があるのではないかと思ったわけです。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 骨子案までコメントしていただきましてありがとうございました。  木村委員にも考えていただいて、もしいいキーワードがありましたら事務局の方にフ ァックスでお教えいただければ大変ありがたいと思いますので、よろしくお願いいたし ます。 ○木村委員 実はこのことをつくづく考えましたのは、つい2週間前ですけれども、日本医学会総 会でも、「社会と歩む医療」という大変壮大なスケールのいろいろな発表があったその 中で、私たちは今、価値観や自己決定、患者の権利ということも含めてまさに新しい21 世紀に向けての厚生科学研究を考えていかなければいけない時代になった。そういう中 でぜひ、そういうことを含めた厚生科学研究のこれまでの進捗状況並びに研究を取り巻 く新しい時代の変化の中にそれはどうしても入れてもらう必要があるのではないか。 一番最初の素案ですと、遺伝子細胞レベル、身体レベル、社会レベル、地球レベルに なっていたものですから、私は遺伝子細胞レベル、身体レベルの後に個体のレベルとい うことを考えていたら、今日は個体のことが全部うまく入っていましたので、事務当局 にもお考えいただいて大変いい修正が折にふれて行われていると感じました。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 お2人の先生方には大変示唆に富むお話をしていただきましてありがとうございまし た。何かコメントがありましたら、あるいは御質問がありましたら、また両先生におい ては追加の御意見がありましたらお話しいただきたいと思いますが、いかがでしょう か。 ○大石委員 加藤委員に御質問ですけれども、もし spiritualを入れますと、ここの「健康」の定 義が mental physical spiritualがありますと、もしそれが1つ欠けていた場合にはそ れは健康ではないということになるわけでございますね。そうしますと、もしspiritual を健康の定義の中に入れますと、 spiritualの面で日本人は希薄な点があると思うので すけれども、それが実際には欠けているということは、極端に言えば健康ではないこと を示すことになるという議論はあったのでしょうか。 ○加藤委員 その点の議論を読んだことはありませんけれども、例えば spiritualな要素を入れる ことが患者のQOLに貢献するという趣旨の論文が出ていて、それがWHOでもバック グラウンドに使われたようでありますけれども、その論文を読むと、mental な well- being と spiritualな well-being はどういう関係になっているかというと、瀕死の患 者のそばで聖書を読んであげると mental な状態がよくなる。だから spiritualなケア をするということは mental な状態を改善するのに寄与しているという趣旨の論文なん ですね。ですから、あくまでも治療という行為の目的となっているのは mental なとこ ろで押さえておいて、その mental に寄与するものとして spiritual care を考えてい る論文だと思います、もとになったものが。 ですから普通に考えれば、 mental なレベルでここまで面倒を見てあげれば、あとは 御自分で考えてくださいというか、気持ちの持ちようということもあるし、余り効かな いということもあるけれども、あとは介入できない。 つまり、他人に向かって何かをしてあげる場合に、例えば「健康」に対する「権利」 という概念を考えたとすると、 mental な健康に対しては権利という概念が成り立つか もしれないけれども、 spiritualな健康に対して権利という概念が成り立つかどうかと いうことが問題になるわけですね。 例えば「権利」という概念の場合に、「言論の自由の権利」は妨げられない権利とい う意味で、それを実際に実行することを保障するという意味ではないわけです。ところ が「治療を受ける権利」は、単に妨げられないから勝手にしてくださいというのではな くて、お金がなければ出してあげましょうというというので実際に受けられるようにし げなければならない権利です。ですから、国家や公共機関がそれに対して義務的な拘束 を受けるような意味での権利なのか、それとも国家はそれに対して干渉してはならない 消極的な態度をとらなければならないという意味での権利なのかと考えると、「健康」 という概念を拡張すればするほど、それはオブリガトリーではなくてメリトリアスな国 家が干渉しないという限度になってしまうわけです。 spiritualという概念を入れると、伝統的な意味で言うとオブリガトリーではなくな ってしまって、それは勝手にやってください、しかも干渉してはいけませんというよう に国家側の義務がつくられていく面が非常に強くなってくると思います。 普通は「健康」というのは少なくとも客観的に定義可能なものと考えていて、客観的 に定義可能であるがゆえに国家はそれに対してある程度義務があると考えると、spirit ualはそれを超えていると考える方が普通ではないかと思います。 ○大石委員 それは結構なのですが、そういうふうにするとここでの「健康」の定義は、spiritual は physicai と mental と同格で書かれていますね。それはそれでいいわけですか。 ○加藤委員 こういうふうに spiritualを入れれば、例えば国家の spiritualなものに対する義務 という概念はもう成り立たなくなるので、全体としては国家に対しては拘束性が弱まる と考えられざるを得ないと思います。 ○木村委員 大変重要な御指摘をいただいたと思うのですが、 physicai, mental, social とdyna micという言葉も入るんですね。非常に難しいことになっているのですが、少なくとも spiritualという言葉がWHOの憲章の中にも入ってくることによって我が国の厚生行 政その他にも大きな影響が結果的には出てくる可能性がありますね。 これは特に看護の在り方、この間の審議会ではこれは宗教的と訳したらいいのではな いか、信仰的と言えるのではないかという話も、今の日本人に一番欠けているというこ とで出てきたわけですけれども、しかし宗教と spirituality は、あるいは信仰とは重 なり合わない局面がいろいろありますので、私としてはどうしても新しく入ってきた言 葉の意味を、日本語では元来「精神的」の中に mental healthあるいは精神衛生法とい うことも含めて、あるいは spiritualのことも含めた、先ほどのもので言えば body と mind だったわけですね。体と心、それに魂が入ってくるわけですから、魂という言葉は 入れにくいので、これは spiritualな意味を含めた「精神的な」として、むしろ精神の 方はそういう言葉を新しくつくらなければならないとすれば「心的な」として、そこで は本来の意味を生かして、 body と mind の mind ですが、そして spiritualも「精神 的」とやらざるを得ない。これはどうしても入れないとここで入れたことの意味がはっ きりしないので、並べてどうしても入れざるを得ない状況にあるのではないかと私は考 えます。 ○矢崎部会長  そのほかにいかがでしょうか。 ○高久委員 日本語で何と訳すのか・・mentalが精神的と言われてきた。木村委員は spiritualは 精神的と言われる。よくわからない。私には区別がつかない。5月のWHOの総会で議 論されて 2/3以上の賛成で採択されると言われていますが、採択されない可能性もある のではないでしょうか。そういう可能性はないのですか。私にはよくわからない ですね。spiritualという言葉の意味も、入れる重要性も。 ○木村委員 これは、特に西洋近代医学を受け入れてきた日本では、一番最初に加藤先生が言われ たような病における伝統的な、例えばヒーリングというものは信仰や宗教的な心情と重 なり合って西欧並びにイスラム、アジア諸国では展開してきているわけですね。日本の 場合にはそういうものを排除することによって、例えば先ほど申し上げましたような霊 性、あるいは霊、魂を排除することによって医学が成り立ってきた。むしろそれを積極 的に避けて、しかも mental という言葉の精神はそういうものとは関係のない mental health的な発想でしかとらえられてこなかったことに対する1つの挑戦というか、チャ レンジングなインプットになると思うんです。 宗教的あるいは信仰的な、そしてまたキリスト教その他宗教的な背景の中で使ってい る「霊的な」という言葉も宗教界には残っているわけですけれども、ここに岩波文庫で こういう言葉はほとんど知らない方が多いと思いますが、「霊操」という言葉がありま す。これは「 spiritual exercise 」というイグナチオ・デ・ロヨラという人が書いた 本です。現代の日本では人間性の本質に触れる正しい意味での霊という言葉がほとんど なくなってきましたが、世界史的に見れば spirituality が連綿と生きているところが あるわけで、現実にそれを新しい文化、価値観、そしてまた西欧的世界だけが世界では ない、日本も西欧的社会の中に引き込まれていたわけですが、そういう中で spiritualityと医療の問題がもう一度出てきたところに大きな意義があるのではないか と考えるわけです。spiritualityの問題はHolistic(全体論的)な心身医療や末期医療 或いは「禅的霊性」などとも、深い関連があります。 そういう観点からしますと、近代医学の担い手にとってはいわば唐突とした感じがあ るかもしれないというようにお考えかと思いますが、しかし世界の文化や歴史の流れか らしますと、この言葉が出てきたことの意味が背景としては理解できるのではないかと 私は理解しています。 ○高久委員 背景はわかるのですが、 mental とどう違うのかがやはりわからないですね。 ○寺田委員 これを2人ほどのアメリカ人に聞いてみましたが、mentalは頭で考えることで実態が あるが、spiritualはハートだと外人は言うんですね。mental の方の diseaseはあるが spiritual diseaseはないだろうといわれました。そう言われても、その日本語訳はいい ものが思いつきません。根性や気持ちというのは spirit と話が少し違うので、spirit の訳はなかなかできないような感じがします。 ○大石委員 spirit と英語で言えばいろいろな訳があると思うが、基本的に大きく分けまして、 いわゆる「神秘的な」というものがありますね。もう一つは、魂。リンドバーグが渡っ たときに飛行機の名前を「スピリット・オブ・セントルイス」とつけた。あるいは「大 和魂」という感じがするんですね。 ただ、私がここで先ほどから加藤先生、木村先生にお伺いしているのは、これはヘル スのデフィニションとして、これを一つの大事なものとして mental と一緒に入れてい るわけですね。では spiritualがない人は健康でないかということになるわけですね、 この議論として。そこをはっきりしていただきたい。それが私の先ほどのストレートな 質問なのです。 ○木村委員 そこは大変な重要な質問でして、健康や医療を考える場合、あるいは人間存在を考え る場合に、WHOのいろいろな文章を見てもわかりますが、 spirit のない人というの はいない。人間として存在を受けている場合に、それが宗教的であるか否かを問わず、 人間存在である以上、その人は spirit を持っているという立場が前提だと思います。 これは哲学的にはいろいろな問題があるかと思いますけれども、人間はそういうspirit ualな存在であるというのがこの背景にあるので、そういう観点から言いますと、先ほど 加藤委員が言われたことと重なりますが、世界的なレベルで無神論や唯物論などいろい ろありますね。しかし、どんな人間にも spirituality があるというのが基本的な立場 であると私は考えます。 ○加藤委員 もともと spirit は mind や body を離れることができるという要素があって、例え ばキリスト教の教義で聖霊降臨という非常に重要なところがありますけれども、聖霊が 体から抜け出て外へいく、あるいは体の中に聖霊が入ってくるという形で考えます。 mind というと普通は body なしのmind が働くということことはあり得ないわけですけ れども、 spirit は例えばスポーツマン・スピリットでもサムライ・スピリットでも、 個人が消滅してもその spirit は消滅しないと考えているわけですから、もともと超肉 体的な実体を認めるという考え方に基づいているわけです。 こういうものが「健康」の定義に入ってくるということは、私は非常に迷惑であり、 こういうものはなくてもいいと言う人が何人もいるし、私などはある意味で全く唯物論 者ですから、余り spiritualではないんですね。  例えば鈴木大拙が「日本的霊性」という本を先に書くのですけれども、「日本的霊 性」という書物は、日本に奈良時代からある「往生伝」という個人の死に際を集めた伝 記集の伝統があって、それが明治時代まで続いていくのですけれども、そこにある浄土 信仰を日本的霊性と呼んでいるわけで、その中には明らかに西洋で考えている霊性が日 本にないと言われるかもしれないけれども、こういう庶民信仰の中にはっきりと西洋的 な意味での霊性に匹敵するものがあることを言うために「霊性」という言葉を使ったの で、鈴木大拙の霊性という概念は、厳密に言えば日本語ではありません。 これは spirituality が日本にもあることを言うためには使った言葉なのです。です から、本当の意味で日本の伝統の中に西洋的な意味での spirituality があるかどうか となると、要するに根源は無であって無に帰っていくという教義からするならば、むし ろ spirituautyh は認められていないのではないかと思います。 私は今、大石委員が spirituaityのない人間は病気なのかと言われたのは、それはそ ういう偏見のある人々は世の中にいるけれども、必ずしもその偏見にとらわれる必要は ないというように考えたいと思っています。 ○柳澤委員 2つありますけれども、1つは言葉の問題で、先ほど木村委員は mental を「心的」 spiritualを「精神的」と言うことがよろしいのではないかとおっしゃいましたが、日本 の医学の中での言葉遣いとしましては、すべて mental は「精神的」、mental health は「精神的な健康」ということで、精神医学の長い伝統の中でそういう言葉は確立され て使われておりますので、今この問題が出てきたことを契機にして定義を変えるのは非 常に困難ではないかということが1つございます。 私は言葉の問題として、spiritualを入れることがある意味で「健康」の定義として危 険だと思うのですけれども、その前に、心的ということも最初に伺っていて考えました けれども、複合された言葉で「精神文化」という言葉は考えてもいいのかなと思い ます。 次の問題ですけれども、「健康」の定義の中にこれを入れることがどういう意味があ るのかということを考えますと、ポジティブな面では「健康」をより個人の生き方、あ らゆる意味での well-being という観点からとらえるとすれば、 spiritualを「健康」 の中に含めることは大変意味のあることだと思います。 しかし近代医学が発達してきた過程では、先ほどからお話がありましたけれども、 spiritualというものはどちらかというと「健康」から外す形で医学が発達してきたとい うことがありまして、ようやく今、社会的な存在としての人間が「健康」の定義の中に 入ってきて、それが今の医学の新しい方法、新しい見方の中に取り入れられてきている 段階だろうと思います。 今、ここで spiritualが入る場合の1つの問題点は、spiritualという面に注目すれば mental 、 physicalなものが十分にケアされなくても、ある意味での医療や癒しが行わ れるという考え方に結びつく可能性があると思います。極端に云うとアニミズムに陥る かもしれない。もし「医療」が健康を回復することを目的とすると定義されて、そして 「健康」が spiritualを定義の中に含めるとそういう可能性はやはりあるだろうと思い ます。 そうしますと実際の医療の内容が、ある意味で幅が広がるという面でいい面と逆に非 常に難しいマイナスの面とを含んでくるという両面が考えられ、これは実際の医療従事 者としては申告に考えなければいけない問題になります。やはり定義に関してかなり神 経質にならざるを得ない。 そういうことを考えますと日本の場合は、最初に加藤委員おっしゃいましたように、 2つの言葉があったときに本当の意味で正確な訳をするということで、我々自身として はspiritual を宗教に結びつけるのではなく、もっと深い”こころ”といったものがあ るだろうと思いますけれども、ぜひいい言葉をつくって訳すことが必要だろうと思いま す。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございます。 この議題はそろそろ終わりたいと思いますが、先生方で何かございますか。 これはWHOの憲章で、その背景としては宗教的なニュアンスの議論があって、我が 国ではそれは知らないよということで勝手に訳していいのでしょうか。 ○木村委員 柳澤委員のお話しでは、日本の医療の伝統の中で「精神」という言葉が精神衛生、精 神医学という言葉で使われてきておりますので、「心的」という言葉はなじまないとい うことなのでしょうか。 ○柳澤委員 spiritualを「心的」というのはよろしいのではないかと思います。逆に mental を 「心的」というのは問題があると申し上げたのです。 ○木村委員 ただ、 spiritualと心とはまた違うんですね。例えば「心」の意味で「心性的」とい う言葉もないわけではないのですが、これは大変に難しい問題で、しかしおっしゃるよ うに「精神」という言葉が既にそういう形で日本の医学の中で定着して使われていると なりますと確かにいろいろな問題が出てくるとは感じますが、現在の時点で、大石委員 が言われましたように、 spiritualでないから健康でないというのとはまた違うかと思 うんですね。 その辺を踏まえて、あるいは何か新しい言葉をつくることになるのかもしれませんけ れども、私達現代の日本人にとっては spirit という言葉は「精神」という意味ですし spiritualと言えば、現代では「精神的」と表現した方がなじむのではないかと思ったも のですから。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 我が国では、昔は spiritualな世界で生きていたと思うのですけれども、明治維新以 来ともかく科学的あるいは客観的に考えようということで今まで走ってきました。驚い たのはWHOの「健康」の定義が小学校の必須の課題になっておりまして、中学あるい は高校の入学試験にこれが出ているんですね。ですから大石委員のお話のように、1つ でも欠けると点数がとれない。そういう考え方で進んでいるので、そこでこういう問題 は日本型社会といいますか日本型の考え方が、先ほど2人の先生方が言われたように、 個人の主観的な価値観や決定権、そういうものをもう少し重んじたらいいのではないか ということを反省させられる1つのきっかけになるのではないかもしれません。 ○木村委員 最初に加藤委員が言われたように、日本では mental は「精神的」と訳して、その中 には近代医学が持っていた精神衛生面での「精神」と spiritualな意味の「精神的」と いうことも入っているという注をつけるようなことも1つ可能だと思うのですが、ただ 新しく加わるものですから何らかの意味のつけ加えをどうしてもする必要があるという ことと、実は御参考までにもう一つ申し上げますと、健康の分野だけではなくて、例え ば世界銀行の経済開発のプランの中でも spiritualという問題が出てきまして、そして 世界銀行では spirituality をめぐって、2年前ですけれども研修会を開いたり、開発 途上国における spirituality の問題と経済開発の問題についても以前ならテーマとし て取り上げられなかったような問題が現実の課題として出てきています。 特にイスラムとの関係の中で、健康と spirituality の問題はこれからもますます大 きな問題で、それが健康だけではなくて経済の問題、あるいはHolisticsの問題とも絡め て出てくるものですから、我々としても新しい時代の中での真剣な対応をspirituality という言葉は迫ってきたのだというように理解すればいいのではないかと思います。 ○大石委員 これは基本的にはどう訳すかという問題ではないと思うんですね。これはそもそも mental と同格で、しかも「健康」の定義の中に spiritualが入ってくること自体が私 は問題だと思うんです。だからこの定義自体が、私ははっきり言って間違っていると思 うし、世界銀行が議論しようがしまいがそういうことは無関係なのであって、我々が議 論しているのは、「健康」の中に spiritualというものを1つの重要なコンポーネント として入れるということが常識的な判断からいって私はなじまないと思います。 ○木村委員 私はその見解にちょっと反対なんですね。それは、特に Health For All In The Year 2000(W.H.O)のような考え方がありまして、世界との連帯の中で生きていく時代 の中に我々はあるわけで、世界は spirituality を新しく見直そうという方向にあるわ けです。私たちはそういう世界からチャレンジされているということであって、それに どう対応するかということが大事なのであって、外から何を言われても「我々は我々」 ということでは日本という国は益々孤立してしまって、どうも国際社会の一員としては 成り立っていかないのではないかと考えるものですから、これは相当真剣に受けとめて 翻訳の問題だけではなくて、今おっしゃったようにこれは文化の問題であり……。 ○大石委員 これはやはりサイエンスの問題だと思います。 ○木村委員 サイエンスというものが今問いなおされているわけですね。サイエンスの在り方が根 本的にサイエンスもいろいろなバリューを含んでいるわけですから、メディカルサイエ ンスはバリューの塊のようなものですから、そういう観点が基本的に問いなおされてい ることが、我々日本人に対する1つのチャレンジとして出てきたということですね。そ の点は部会長としてもぜひお含みおきいただきたいと思います。 ○矢崎部会長  定義というと、1つ欠けたら不健康かという議論になるとなかなか難しいと思い ます。従来の定義ということではなくてもう少し広い範囲で考えてもいいのではないか と思います。  今、大変有益な御議論をいただきましたので、これを踏まえてどう対応するかという ことを改めて詰めたいと思います。委員の皆様方で今のような御議論につきましての御 意見を、ファクシミリ等で御連絡いただければ大変ありがたく思います。何とか集約し た形でもっていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 ○寺田委員 お願いなのですけれども、WHO憲章を見直しした作業、そのときの議事録等がもし 手に入るようであればいただければ有り難い。どういう立場から議論されたかがわかる と思いますので。 ○大石委員 それからもう1つ、ここで棄権発表がありますね。この国がどこかということを私は 知りたいです。 ○矢崎部会長  それではその資料を委員の皆様方にお配りいただければと思います。実際の背景はな かなか難しいところがあるということは聞いておりますが、そういう世の中にあるとい うことで、必ずしもこだわらずに議論を進めていくのも1つの方法ではないかと思いま す。 それではどうもありがとうございました。加藤委員、木村委員は御予定がございます ので御退席されるということで、またよろしくお願いいたします。               (加藤委員、木村委員退席) ○矢崎部会長  それでは、2番目の議題であります「今後の厚生科学研究の在り方について」、この 部会で、さらに3月19日の総会でも御議論いただいたところであります。その中身にも う少し哲学を入れてほしいなどいろいろな御意見をいただいておりまして、今の spirit ualではないですが、すごく苦労して骨子案の骨子のようなものを先生方のところにお配 りしてあると思いますので、資料について唐澤室長からお願いします。 ○唐澤室長 それでは事務局から、前回以降から今回の案までの主な点について御説明申し上げま す。 前回の研究企画部会で御審議いただきましたのが3月12日でございますのでちょうど 1カ月前でございますけれども、その間に前回の御意見、総会での御議論、その後、先 生方からもまた追加の御意見などもいただきましたので、そういうものを踏まえて今回 の骨子案をお手元にお配りしているということでございます。 あけていただきますと、まず1ページですけれども、こちらの方は、前回での柴田委 員などの御意見、あるいは部会長からも御指示をいただきまして、少し書き加えたもの でございます。 まず最初の「○」は基本的には前回と共通の趣旨で、20世紀の科学技術に少し触れた ということでございますが、2番目では、医療技術が生命あるいは身体というものまで 操作可能な飛躍的な進歩がありまして、人間観の転換を迫っているのではないかという ことに触れているわけでございます。 そういう中で「進歩」あるいは、ただいま御議論のございました「健康」、あるいは 尊厳という事柄に貢献していく厚生科学の役割について少し分量を増やして整理したも のでございます。 2ページ以降ですけれども、2ページは基本的には前回と同様でございますが、最後 のところで、研究領域に関係いたしまして個別の領域を全部お示しすることはなかなか 難しいわけでございますので、重点的な領域を例示として示しているということで、む しろ研究推進の隘路、ネックでありますとか、それをどういう方法で突破していくかと いう推進方策について重点的に触れていただくことにしてはいかがかということで書い てみたものでございます。 3ページ以降は前回、「変化」でお話をいただきまして整理をしたものでございます けれども、前回、木村先生の先ほどのお話にございましたように、遺伝子細胞レベルと 個体レベルを統合いたしまして、これはなかなか分けにくい部分がございまして、これ は個体レベルということで1つにいたしました。そういう形で整理をしてみたものでご ざいます。 次の4ページは社会レベル、地球レベルということで、これは基本的には文章の整理 ということで大きな変化はございません。  さらに5ページでございますけれども、5ページも基本的な構成は同様でございます が、前回のときには細かい分野を全部並列しておりまして、むしろこの研究企画部会で は大きな視点から突破のための方策を御議論いただくのが、これまでの御議論の経過か ら見てもよろしいのではないかという御指摘もございまして、分野などは例示をさせて いただきました。少し例示をさせていただきまして、むしろ全体的な推進方策でありま すとか影響を整理してみたところでございます。  健康科学のところでございますとか、次の6ページでは感染症、食の安全等の問題に つきましては前回の文章を整理いたしました。少し縮めて重複などを整理しているとこ ろでございます。  8ページにまいりまして、医薬品及び医療機器のところは基本的に同じでございまし て、さらに根拠に基づく医療のところは非常に細々したことを書いてございましたけれ ども、ここの部会の指摘としては細か過ぎるのではないかという御意見がございまして 方策に重点を置いて整理させていただきました。  10ページは国際貢献でございまして、これは御指摘いただいた内容を整理したもので ございます。順番なども変えております。まず国際貢献から始まりまして、ハーモナイ ゼーション、国際分担という事柄で整理をしてございます。  最後の11ページ以降でございます。ニの部分が中身に一番関係してくるわけでござい ますけれども、まず基本的な考え方を前回は整理されておりませんでしたので設けまし て、3点の考え方を整理いたしました。第1はEBMの推進でございます。これは戦略 的な研究目標の設定でありますとか、あるいはその普及、情報提供を今後推進していく ためにはEBMの考え方が非常に重要ではないかというのが第1点目でございます。 第2点目は、厚生科学研究を総合的に推進するためのシステムの検討でございます。 これはシステムという意味が多少わかりにくいところがございますけれども、考えてお りますところは、基盤強化という観点からは例えば個人の疾病情報、これはプライバ シーの問題あるいは守秘義務の問題がございまして、蓄積をして共通のデータにするこ とが難しいという問題が現在ございます。そういう点を、後に出てまいりますように法 制面での検討も含めまして、データの共同活用、あるいはそのほかにもさまざまな問題 がございますので、そういう問題を全体的にシステマティックに解決していく検討が必 要ではないかというのが第2点目でございます。 第3点目は、社会的・倫理的観点からの研究実施体制の整備でございまして、これは 生殖医療あるいは発生工学の観点からも、既に御承知のようないろいろな社会的・倫理 的問題があるわけでございますけれども、むしろそれだけではなくEBMの推進、ある いは先ほどの集約された共通データを整備していくためにも、国民が安心して医療を受 けられる、あるいはデータを提供できる体制の整備の観点からもこういう問題の検討が 必要ではないかということでございます。 そういう点で3点の考え方を整理をしてみたものでございます。 2は企画、3は研究組織、4が人的資源でございますが、人的資源のところは重複を 少し整理させていただきました。 5といたしまして、13ページの研究資源の確保、14ページの研究情報の改定、社会的 倫理的観点からの研究実施体制の整備ということを整理してございます。 ちょっと戻っていただいて恐縮ですが、12ページの3の「中核となる研究組織」の最 初の「○」の中に、国立試験研究機関、国立高度専門医療センター及び高度専門医療施 設について触れておりますけれども、こちらの関係につきましては本日、参考資料とい たしまして、お手元の方に参考資料2をお配りしてございますので後ほどごらんいただ きたいと思います。「国立病院療養所の再編成について」でございまして、平成11年の 見直し計画ということで資料をお手元に配付してございますのでごらんいただきたいと 思います。 最後に、一番最後のところについて一言だけ触れさせていただきますと、15ページの 8にございますように、「厚生科学研究に対する理解と協力」の最初の「○」がござい ますけれども、1つは研究成果の享受、あるいは研究のための情報提供、特に医療の場 合は利用者、患者がいないと現実になかなか成り立たないわけでございますけれども、 そういう点では情報提供、あるいは蓄積された情報を活用するということは表裏一体の 関係でございますので、技術の向上と最終的には個人のプライバシーが保護された形で はございますが、情報の提供・活用は最終的には国民に還元されて、同時に透明性の確 保ということにも役立ってくるのではないかということでございます。そういう観点を 最後に整理してみたものでございます。 以上でございます。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 ただいまの骨子は何回も御議論いただいております。これをできれば5月に一応まと めたいということで、お忙しい中を大変恐縮でございますが、来週の月曜日にもこの骨 子案をさらに練って、ある程度の形にして報告書としてまとめていきたいと思いますの で、今日はこの骨子案についてできるだけ御議論いただいて、これをお持ち帰りいただ いてコメントあるいは御意見がありますれば、また事務局の方にお伝えいただければ大 変ありがたいと思います。 最初の厚生科学の意義と、厚生科学がどのように社会に還元されるかということをで きるだけ国民の皆さんにわかるようにまとめていきたいと思っております。最初のとこ ろは哲学が足りないという御議論があって一生懸命考えているのですけれども、先ほど の spiritualにありましたように、健康観や幸せ観が少しずつ変わってきたということ が入るかもしれません。 先生方で何か御議論はありますでしょうか。 ○寺田委員 全体の問題として個別の疾病などは消えてもいいのですけれども、ほかの比重が逆に 確かに大変ですけれども、例えば少子化対策などが表へ出てきまして、これから厚生科 学がやるべきこと、例えば医療機器の開発や画像、これからいろいろな病気が個別化さ れて、それにどのように対応していくかが大切だと思います。ヒトゲノムの解析は2年 3年で終わってしまって、そういうところが表から消えてしまったのはちょっと残念と 思います。 いつかこの全体の中でのプロポーションの話です。 もう1つ、これはちょっと悩ましいところなのですけれども、2ページのところの哲 学は大変よく書いてくださったのですが、ライフサイエンスに関する研究開発、いわゆ る「科学技術基本計画」は大石委員なども出ておられてやったところに、確かに発生工 学があって脳があってがんがあったと思いますが、要するに国としてやるべき重点とし て3つ。それを厚生科学だから問題がいろいろあるから発生工学はかえって入れないと いうならそれはそれで結構です。 しかし、文章として科学技術基本計画の方のライフ サイエンス部会の基本計画を見るとそれが言葉として入っているから、そこは言葉のあ やをつけて入れておいた方がいいのではないかという感じがしました。 それと、ヒトゲノム、ヒトゲノムといいますけれども、遺伝子産物の構造を解析して そのために新しい薬が開発されるということがどうしてもあまり書いていないように、 今さっと読んでおりまして思いました。 4つ目が、8ページに飛びますけれども知的財産の保護、いわゆる特許の問題ですけ れども、ここをもう少し強く出さないと、ラボラトリーから実際へ、研究室から実際の 臨床の場へいくときにどうしても企業と一緒にやらなければいけませんから、そのとき には知的財産は大変大事になってくる。 これが最後の5つ目です。これは9ページの「根拠に基づく医療の推進のための情報 技術の活用」に入れたらいいのか、その前に入れたらいいのか、基礎から臨床へいくと きのインフラが全くない。これを何とか整備しないと、例えば典型的なのが遺伝子治療 の場合、その安全性をチェックするところもなければ、日本の中でそういうベクターを つくってくれるところがない。例えばの話ですけれども、基礎から臨床へいくトラン レーショナル・リサーチは最初の方に書いてありますが、それに関するインフラストラ クチャーがないというところをどこかにポイントアウトしていただければと思っており ます。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 課題については余りにも細か過ぎたので総花的になるのではないかというので、一度 消させていただきました。先生方の御指摘によってそのエッセンシャルなもの、本筋の ものはまた加えていきたいと思います。余り細かい分野の指定までしてしまうといかが なものかということで今回は一切消させていただきました。 寺田委員、貴重な御意見をありがとうございました。1ページの発生工学、再生医学 など、皮膚や骨をつくるということは後に書いてありますが、2番目の「○」の中にそ れがもう少しわかるように書き足します。というのは、「人間」に関するパラダイムの 転換が迫られているということで、再生工学でいろいろな体の部品ができますので、そ ういうものの問題点をこの中で、寺田委員がおっしゃられた発生工学的なものももう少 し加えせせていただきたいと思います。 ヒトゲノム後の新薬その他については、個体レベルの中とそのほかの部分でももう少 し強調して書き加えさせていただきたいと思います。強調しているように思ったのです が、まだちょっと足りないかなということと、知的財産権に関しては、厚生科学の国際 化というハーモナイゼーションのときには絶対必要な条件ですので、知的レベルに関し ては国際競争に対処した知的財産権の保護ということで強調させていただいたのですが 国際的な知的財産のプロテクトが厚生科学では今後重要になるかと思います。これをも う少し上の方にもっていくかどうかは後でまた検討させていただきたいと思います。 そういうことで、ポストゲノムで創薬その他、あるいは遺伝子医療や遺伝子診断が大 きく飛躍すると思いますので、それについてももう少し強調させていただくということ と、分野を全部落としてしまいましたので、また御議論いただいて、もし先生方がこの 分野だけは入れなさいということを御指摘いただければ大変ありがたいと思います。 ○大石委員 今の寺田委員のコメントと私も共通なところがございまして、これはいいのですけれ ども、今の医学なり何なりの世界の大まかな流れをもう少しきちんと強調されないと、 国際的な評価がこれを値するものという批判があるとしたら、私は少しバランスに欠け ていると思います。現在、世界の主流としてここをいかなければならないということに ついて簡単にしか述べていなくて、私はそれは大事でないとは言わないのですけれども 例えば環境におけるダイオキシンの問題ということについてはたくさんあちこちでどん どん出てきているわけですね。私は逆だと思うんですね、それも大事なのですけれ ども。例えばいわゆる感染症の問題も重要なことは私も認めることにやぶさかではない のですが、はっきり言ってバランスというものがあると思うんです。 もう1つは、厚生科学審議会ということで私は、行政的な指針は必ずそれと一緒に、 サイエンスとしての医学なりというものが車の両輪のように、必ずそこになければなら ないと思うんです。その面の配慮がどういうわけかやや欠けているといいますか、私は 医者でないのでよくわからないのですけれども、少なくとも医学の現在の主流、世界の 第一線の研究者がやろうとしていることとは、あちこちを見れば書いてありますけれど も、それがおざなりと言うのはちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、それ以外の ことを強調し過ぎているのではないか。それは寺田委員の先ほどのコメントと全く同じ ことです。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。  今までの報告書でライフサイエンスに関する研究開発基本計画の後、昭和63年の「厚 生科学研究の基盤確立とブレークスルーのために」、そのほかの「厚生科学研究の大い なる飛躍をめざして」など、大石委員のおっしゃられた厚生科学、サイエンスの面から の飛躍を遂げてほしいという報告書がございました。それを踏まえた上で、それを無視 してということではなくて、サイエンスとしての厚生科学のブレークスルーをした上で ということでございます。 でも、これだけを取り上げて読まれると、そういうところが欠けているのではないか という御指摘は十分受ける可能性がありますので、・のところで、これまでの進捗状況 について少し書いてありますが、その点にももう少し配慮してまとめさせていただきた いと思いますので、また御意見を大いにお寄せいただければ大変ありがたいと思ってお ります。 そのほかはございませんか。 ○柳澤委員 2つありますけれども、1つは、骨子案ですから、具体的に書かれる場合にはもう少 し細かく説明されるのだろうと思いますが、言葉の問題があります。  例えば1ページの2番目の「○」の「パラダイムの転換」、これは一般の方々に読ん でいただくことを考えたら、そうでなくてもこういう文章は難しいということがありま すので、できるだけ平易にわかりやすい言葉を使っていただきたいと思います。 それから、次の行の「功利主義的」という言葉がありますけれども、これは私は「実 利主義的」という意味の方かなと思ったのですけれども、本当に功利主義なのか実利主 義的なのかということも、実際に文章を書かれるときは吟味していただければというよ うにお願いしたいと思います。 もう1つは、先ほどから御議論がございます内容のことですけれども、この資料の 「国立病院療養所の再編成について」でも、これからの政策医療がエージェンシーとネ ットワークをつくってどのように進めていくのかということが、これからの日本の医療 の中で大事な役割を果たしていくのだろうと思います。そういう観点から、この内容の 中に、エージェンシーを念頭に置いた再編成の政策医療の内容についても考慮していた だいた上で、入るものについてはそれなりに位置づけをしていただくのがいいのではな いかと考えます。 以上です。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 私、実は文部省から厚生省に移ったばかりで、特に国立病院部に直接入っていますの で、今のお話で私自身も重要な位置を今後の厚生科学が占めるのではないかと思い ます。それはペーシェント・オリエンティッド・リサーチの大きな担い手になると思い ますしエビデンスをつくる基盤となる可能性もありますし、また人事の交流ということ でも極めて大きなシステムを支援するものになると期待しています。ですから、12ペー ジの「中核となる組織」、今まで国立試験研究機関が主役だったのですけれども、2番 目の「○」に入れさせていただいたのですが、国立病院部の方で追加はございますでし ょうか。 ○保健医療局国立病院部政策医療課  上田課長 本日、参考資料2で出しておりますが、これは3月に発表したものでござ いまして、内容的には国立病院の再編成、統合、委譲等の追加という内容になっており ます。1ページにございますように、がん、循環器等の政策医療分野を政策医療として 取り組む。そして(2)にございますが、ただいま御指摘にもございました、「診療のみ ならず、臨床研究、教育研修、情報発信の機能と一体となった医療提供体制の整備を図 る」という内容の見直しというか考え方を示したところでございます。 そして4ページでございますが、今、私は4つの柱を申し上げましたが、具体的には 新しい診断法、あるいは臨床研究ですと医薬品の臨床研究ですとか共同研究等々、こう いう医療研究を今回、がんセンターあるいは精神神経センターがそれぞれの疾患につい てナショナルセンターが核となってその他の国立医療機関がネットワークとして取り組 む。あるいは、ここにございますように高度専門医療施設として、1つの例示でござい ますが、呼吸器疾患については結核など非常に課題にもなっているわけでございますが 大阪にございます近畿中央病院、国立療養所でございますが、いわば高度専門医療施設 準ナショナルセンター的に同じようにネットワークを組みまして、医療、研究等を行う という考え方を示したところでございます。 ですから私どもは、こういうネットワークを生かしながら、例えば他の多くの施設か らなるデータベースですとか治験など、いわば臨床研究をこのネットワークを生かしな がら少しでも我が国の臨床研究の役割を担うということで今後進めていきたいと考えて いるところでございます。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 柳澤委員の御指摘もあるので、「中核となる研究組織」にそれについてもう少し説明 できればと思っています。 ○寺田委員 今のことは大変重要で、これからいわゆる臨床的なデータを集めるのに非常にいいネ ットワークができるといいと思います。 ただ、私がちょっと気になりますのは、そこはそれできちんと書いたらいいのですけ れども、オールジャパンということを外してしまって、厚生省だけでまとまったという のではなくて、日本全体の臨床の研究をやっていく上でここのネットワークは非常に大 事だから使うという立場でやった方がいいと思います。その点を考えた上で文章をつく られたらいいと思います。大変大事なインフラになると思います。 ○矢崎部会長  どうもありがとうございました。 そうなるように気をつけて進めたいと思います。しかし、オールジャパンというのが なかなか難しいのは、個人情報の保護について先ほどの法的整備が十分なっていません ので、まずこういうネットワークから始めて、そしてある程度の総合科学、健康科学を 進めるに当たって必要な、例えばプライバシーを漏らした場合の罰則等がきっちりでき た上でネットワークを広げていくということに現実的にはなるのかと思います。 ですので、今の環境ではこういうネットワークである程度できますので、そこで始め ていただいて、法的な環境が整備された後は、オールジャパンで世界に通用するような エビデンスをつくっていくというようにしたいと思います。ですから、そういうことに ついてもわかりやすくそこに説明させていただきたいと思います。 ○寺尾委員 細かいことで申しわけないのですけれども、4ページに「地球レベル」がございます ね。ここの最初の「○」のところでちょっとわからないのですけれども、「地球温暖化 オゾン層の破壊」と書いてありますが、これは地球の温暖化やオゾン層の破壊の問題を 厚生省でやるのか、あるいは地球が温暖化したり、あるいはオゾン層が破壊されたため に生じてくる健康に対する悪影響の研究をするということなのか。この文章を読みます と、例えば地球の温暖化を防止したりオゾン層の破壊を防ぐというように読めるのです けれども、そこが一つわからないことと、もう一つは6ページの (2)に「食の安全性の 確保」が書いてございまして、この2つだけありますけれども、以前には遺伝子組み換 え食品やアレルギーという新しい技術、あるいは新しく問題になりつつある、しかもグ ローバルに議論されている問題がここで落ちてしまっているのですけれども、これはど ういう考えで落としたのか。そこがわからないですけれども、わかったらお答えいただ きたいのですが。 ○高原課長  前の「地球レベル」について、地球温暖化とオゾン層の破壊と資源循環型社会の構築 の必要性という、何かなぞのようなキーワードが並んでいるわけで、文章として余り適 切でなかったと反省しております。 趣旨は、厚生省が地球温暖化やオゾン層の破壊について厚生科学として取り組むとい うことではなくて、それによる健康問題に取り組むのが厚生科学の課題であろうという 意図でございます。できるだけ簡易といいますか、書き込むというよりか容易に重点的 に読んでいただくということで、先ほどの御指摘もございましたような、前に報告書と して指摘したもの、ないしは他省庁である意味ではそれなりに取り上げられたものにつ いては意識的に外しております関係で、わけのわからない問題やバランスを失している ではないかというものがあることは、ある意味では承知しております。 これについては、部会長の御指示を受けながら検討させていただきたいと思います。 遺伝子の組み換えの問題について、これはあくまでも領域については振興・再興感染 症が多過ぎる、多過ぎると言ってはいけないのかもしれませんが、領域というよりもむ しろ厚生科学を進めるためにはインフラ整備、それも座長から御指摘いただいておりま すような、例えばデータベースをつくるにも法的なプロテクションがないから進められ ないとか、米国にあるようなインスティテューショナル・レビュー・ボードといいます か、施設ごとの倫理委員会のスタンダード、それから人材など、今まで余り言われてい なかったようなことを中心に書くというつもりでやったわけでございます。 遺伝子組み換え食品については、重点的な分野としてやるべきであるコンセンサスな り御指摘がございますならば入れるのにやぶさかではございませんが、具体的にどうや ってそれを進めるのか、ヨーロッパあたりの物の考え方とアメリカの考え方と違うよう なところもございますし、その辺のことも含めて、そういうものについては後ろに出て まいりますが、例えばWHOの関与しているコーデックスを通じてリコビダントの新食 品の安全性は研究されるのかなということで、それでここからはあれですが、そこは書 くべきであるということであれば、それは書くのにやぶさかではないわけでござい ます。 以上でございます。 ○寺尾委員 よくわかりました。ありがとうございました。 ただ、「食の安全性の確保」でこれしか書いてございませんと、世の中の人は多分、 厚生省はこれしか考えていないのかというように思われるのではないかなとちょっと心 配です。 ○矢崎部会長  今の御指摘の「地球レベル」は厚生科学研究を取り巻く新しい時代の変化の背景を説 明しているので、ここでは厚生科学がこうするというところまでは全部は言っていませ ん。ここでまた厚生科学としての対応を言いますとあちこちに同じことが出てくるとい うことになるので、これはなるべく背景説明ということで整理させていただきました。 今、お話しのように、それぞれのお立場の先生方が入れるべきということを御指摘い ただいて、できるだけ早い時期に、というのは5月の中ごろにはまとめて報告書として 出すというタイムスケジュールでやっておりますので、できるだけ早くに先生方の御意 見をまたお聞かせいただければと思っております。 今日、WHOの御議論もいただいたので、この骨子案に対する御議論は少し時間が足 りなかったかと思いますが、大変恐縮ですけれども、御指摘いただいたことを踏まえて またコメントもいただいて、できれば来週、先生方お忙しいところ恐縮ですが御議論い ただきたいと存じます。事務局から予定を説明いただけますか。 ○事務局 次回の当研究企画部会でありますけれども、来週19日 (月) 、時間は同じ2時からで ございます。場所が今日の場所と変わりまして、大手町にございます経団連会館でとり 行いますので、よろしくお願いをいたします。 それから、今後のスケジュールといたしまして、先ほど部会長からお話がありました とおり、5月に厚生科学審議会としての意見ということで取りまとめを行いたいと考え ておりますので、部会としては19日にほぼ最終案という形でお取りまとめいただくよう なスケジュールになるのかなと、とりあえず事務局では想定をいたしておりますが。 ○矢崎部会長  大変あわただしいスケジュールかと存じますが、先ほど高原課長が言われましたよう に、今回のものは前回までの答申を踏まえた上での議論ということと、文章がすごく長 いと読んでいる人がなかなか核心がつかめないので、文章はなるべく簡潔にして方向性 をしっかり定めようということでございますので、従来の報告書とは少し違った切り口 になるかと思います。 それだけに文言の一つ一つが極めて重要な意味になる可能性がありますので、先生方 には文言の細かいところまで気をつけるべき、あるいは加えるべき御意見を入れていた だければ大変ありがたいと思います。 何かこれだけはという御発言はございませんでしょうか。 それでは、そろそろ時間が迫ってまいりました。この研究企画部会にはお忙しい中を 何度も御足労をお願いしまして大変申しわけなく思っております。来週もう1回開かせ ていただきまして、それを元に最終的な案をつくりたいと思いますのでよろしくお願い します。 本日はどうもありがとうございました。 (了) 問い合わせ先 厚生省大臣官房厚生科学課 担 当 岡本(内線3806) 電 話 (代表)03-3503-1711 (直通)03-3595-2171