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平成11年1月7日
医療保険福祉審議会制度企画部会
(1) 薬価基準制度が行動のゆがみを生み出す
薬価基準制度は、薬剤をはじめとして全てのものが供給不足であった昭和25年(当時の収載品目2,267品目)に、患者への適切な医療の確保のために必要な薬剤の安定供給を図ることを主たる目的として導入された制度である。この仕組みは、患者の治療の一環として薬剤が使用された場合に、公的医療保険制度より、国が定めた「薬価」に基づきそれに要した費用を支払うというものである。
薬価基準制度を中心とする現在の薬剤給付の仕組みは、制度的にみて、医療現場では、薬価差に起因した高薬価シフトや薬剤の不必要な多用等の薬剤使用のゆがみを生み出しやすい、また製薬企業についても、開発が容易で薬価差が比較的大きくなる新規性の乏しい新薬(ゾロ新)に研究開発が偏るなどのゆがみを生み出しやすい仕組みであると指摘されている。
このような高薬価シフトや多剤投与というゆがみが生じやすいもう一つの側面として、患者に薬剤の情報が十分に提供されない、コスト意識が不足しているという患者側の問題も指摘されている。さらには、薬剤を安心料として、患者自らが要求するといった問題もあると考えられる。
薬価基準制度を中心とする薬剤給付の仕組みについて、逐次見直しが行われてきたものの、こうした行動のゆがみを生み出す基本構造が長きにわたって変更されてこなかったことは、反省すべきものと考えられる。
限られた財源の中で公的医療保険制度を安定的に維持するとともに、国民に真に有用な薬剤が効率よく提供されるようにするためには、こうした医療現場や新薬開発でのゆがみが発生しやすい構造そのものを解消するような仕組みに改めていく必要がある。
(2) 行動のゆがみの発生要因
医療現場や新薬開発でのゆがみが発生しやすい構造は、以下のような複数の要因から成り立っていると考えられる。それぞれの問題を解消する制度を構築することによって、はじめて薬剤の使用の適正化、国民にとって本当に意義の高い新薬開発が促進されると考えられる。
2 薬価基準制度見直しの基本的視点
現行の薬価基準制度を見直す際には以下の五つの視点から行うことが必要である。
(1) 薬剤の使用の適正化
高薬価シフト、薬剤の不必要な多用が発生しやすい現行制度の構造的問題を解消するためには、「安くて品質の良い薬剤を、適切な量だけ使用する」という経済的な誘因を、制度上、どのように付与するかという視点が重要である。
このため、診療報酬体系において可能な範囲で薬剤の包括定額払いを導入することと並行して、出来高払いにおける新たな仕組みを導入することが必要である。
(2) 同等の効果があればより安価な薬剤の使用を促進
「同じ効果の薬剤であれば安価な薬剤を使用することが患者や医師の利益につながる」という視点が重要である。
患者主体の安くて良い薬剤の選択がされるためには、医療側と患者の情報の非対称性をどのように克服していくかが鍵である。医師による十分な説明はもとより、臨床薬剤師、保険者などが患者に対し、薬剤について必要な情報をわかりやすく提供することが必要である。
また、薬剤の分類情報を提供すること等により医師側に同等の効果があれば安い薬剤を処方する経済的誘因が働くようにすると同時に、患者側にも、薬剤情報の公開を行う他、定率負担等の何らかの経済的、財政的な制約を設けることにより患者のコスト意識を高めることが必要である。
(3) 質と価格により薬剤が選択される健全な薬剤の市場の形成
「薬剤が、薬価差ではなく質と価格で選択される仕組みとする」との視点が重要である。
同等の効果であれば安価な薬剤が選択されるようにするためには、信頼性が高くかつ安価な後発品などが、安定的に供給される市場を整備することが必要である。また、患者が安い薬剤を望んだときに、それが円滑に提供できる仕組みも必要である。
また、薬剤市場において、質と価格による銘柄間の競争が働くようにするためには、患者、医療機関双方に対して、薬剤選択に必要な情報−同等性、品質、価格等−が提供されなければならない。
さらに、製薬企業が、薬価差に着目した価格設定ではなく、患者負担の大小に着目した価格設定を行う誘因を高める必要がある。医療保険制度においても、薬剤市場における製薬企業の主体的判断の変化に対応して給付額が速やかに変化する市場性の高い仕組みとすることが必要である。
(4) 有用性の高い薬剤の研究開発の促進と産業の育成
新規性に乏しい新薬(ゾロ新)の開発が我が国の製薬企業の研究開発の中心となってきたと言われる状況を改善し、国民にとって真に有用性の高い新薬が開発され、利用が促進されるような市場へと誘導する薬剤給付の仕組みとすることが必要である。この観点から、現在のゾロ新に対する抑制的な給付額設定という考え方は基本的に維持しつつ、有用性の高い新薬開発を促進する産業政策を講ずるべきである。
また、信頼性の高い安価な後発品を安定的に供給する産業を育成することが必要である。
(5) 制度の透明性・効率性の確保
現在の薬価算定については、特に新薬の算定に関し、中央社会保険医療協議会へ報告が行われるようになるなどの改善が図られているが、原価計算、類似薬効比較方式等により国が薬価を設定する仕組み自体に不透明感がある。
こうした薬剤給付に係る仕組みの効率化・透明化を進めるとともに、保険請求事務等を行う5千の保険者、19万カ所の保険医療機関等の事務の効率性の確保にも留意することが必要である。
(1) 薬剤の分類作業の促進
現在、薬剤の選択の場において、患者は判断をするための基準も情報もない。こうした医療側と患者の間の情報の非対称性を解消し、患者主体の適切な薬剤選択が働くようにするために、患者に対し薬剤の分類、質、効果、副作用、価格等の情報が提供されなければならない。
薬剤の分類を行うことにより、薬剤に対する患者や保険者の理解も深まり、また患者の立場に立った医師の適切な説明等に基づき、患者が薬剤選択に積極的に関わることができるようになれば、薬剤の銘柄間の競争が促進されると考えられる。
薬剤の分類を行うにあたっては、薬学的な観点からの検討に加え、臨床的な観点からの検討が必要と考えられる。成分毎に異なる効果を有する薬剤を臨床上の同等性という観点から薬効・薬理作用でグループ化し同一に扱うことは、患者個々の病態に最も適した薬剤の選択を行うことを妨げる危険性があるとの指摘もある。厳密に言えば、一つひとつの薬剤は全て異なるとしても、その違いが大きいか小さいか、ほとんど変わらないかは、臨床上の使用実態の違いで判断されるものと考えられる。
さらに、現在、最終消費者である患者や医療機関に伝えられていないこうした薬剤の違いの情報について、分類作業を進め情報提供することは、薬価基準制度の見直しとして必要な第一歩と考えられる。
こうした分類作業については、公正な組織を中央社会保険医療協議会等に設置し、その際の科学的根拠となる情報や分類の仕方について公開するなどの手続きの透明化を図った上で、早急にその作業を進めるべきである。
(2) 薬剤の情報提供体制の整備
患者が薬剤の分類、質、効果、副作用、価格等に関する情報を得られるようにすることは、患者が自分が受ける医療を判断する上でとても有益なことである。誰でも、そのような情報を容易に得られるような情報提供体制を確立することが重要である。
国は、従来より行っている後発品の品質再評価を含めた薬剤の信頼性の向上に必要な措置や副作用情報の提供の充実を図るとともに、市場実勢価格調査で把握した個々の薬剤の市場平均価格等の価格情報を、医療機関や保険者に対し、薬剤の分類情報と併せて提供し、また広く公開していくことが必要である。
医療現場では、薬剤を処方する際に医師が、薬効や価格等について患者に対し適切な説明を行いまた領収書等を発行するなど、患者が薬剤選択に積極的に関わる機会を提供することが必要である。こうした良質な医療機関については公表するなど、経済的な誘因を与えることも検討すべきである。
保険者も、良質な後発品をはじめとする薬剤に関する情報や使用した薬剤の費用に関する情報を提供するだけでなく、医療の内容や医療機関に関する情報を収集・提供し、被保険者の薬剤に対する理解を高め、医療費の効率化、良質な医療の提供に結びつくよう努力していくことが必要である。こうした情報提供を可能とする基盤整備を進めることが重要である。
2 より安価な薬剤の選択を促進する保険給付の仕組みの検討
現行の薬価基準制度に代わる仕組みとして、与党協の提示する「実購入価格・給付基準額制」をはじめ、審議会における意見聴取等を通じ、薬剤給付の新しい仕組みとして、いくつかの案(別紙1参照)が提示されている。
このうち「実購入価格・給付基準額制」、「薬剤定価・給付基準額制」、「市場価格・購入価格給付制」の3案は、保険給付の仕組みに市場原理(質と価格による選択と競争)を取り込み、価格引下げの経済的誘因を質と価格による患者主体の選択に求める仕組みと考えられる。また、「医薬品現物供給制」は価格引下げの誘因を供給機構(保険者)と製薬企業の価格交渉に期待する仕組みであり、「薬価基準制度」は、価格引下げの誘因を医療機関と卸の価格交渉に期待する仕組みととらえることができる。
(1) 患者主体の選択に価格引下げの誘因を求める仕組み
(2) 供給機構と製薬企業の価格交渉に価格引下げの誘因を求める仕組み
患者は価格(患者負担)より、安全かつ良質な薬剤を選択することを優先するため、医師の提供する情報に頼ることになるが、医師も薬剤の価格は重要視しないため、医療現場での選択が低価格品に変化することはない。従って供給機構(保険者等)がこれに代わって価格交渉すべきであるとの考え方に基づく仕組みが「医薬品現物供給制」である。
この仕組みは、医療機関での価格交渉を解消し、薬価差の解消が完全に図られるという点で一つの典型的な案と考えられる。しかし、医療機関において薬剤に係る金銭のやりとり(対卸、対患者)がなくなることにより、患者、医療機関は、薬剤選択の場で、薬剤に対するコスト意識が全く働かなくなるため、薬剤の過剰投与等の弊害が生じる誘因が高い仕組みである。また、同等の効果の薬剤の中で、より安価なものを使用するという経済的誘因も生じないと考えられる。仮にこのような案にするのであれば、医師、患者が使用する薬剤の範囲について、保険者がより安価なものに限定できるようにする必要があると考えられる。
なお、この案は、現在の流通を完全に変えてしまう案であるため、実現可能性の観点から見て、慎重な検討が必要な案であると考えられる。
(3) 医療機関と卸の価格交渉に価格引下げの誘因を求める仕組み
これまで薬価基準制度の下で多くの改善が行われてきたが根本的な解決が図られなかったのは、国が薬価を公定し、その上で医療機関と卸の価格交渉に価格引下げの誘因を期待するという仕組み自体に問題があったと考えられる。
現行の薬価基準制度を工夫して、不当に高い薬価を下げ、薬価差が生じないようにすれば、新たな仕組みをつくる必要はないとの指摘もあるが、そもそも今回の薬剤給付見直しは、前述のように、市場において質により薬剤の価格が決定されるのではなく、公定された薬価を前提に、医療機関と製薬企業、卸の間で利潤を取り合う結果として薬剤価格が決定され、薬価差に大きく影響され薬剤が選択されるという制度の構造自体に根ざした問題を解消しようというものであり、薬価を公定する仕組みを前提とする見直し案は、慎重な検討が必要な案であると考えられる。
3 薬剤定価・給付基準額制の検討
薬剤定価・給付基準額制について、(1) に示すそれぞれの論点について検討を行ったが、全員の意見の一致をみることはできなかったので、その議論の経過を論点ごとにまとめたところである。
(1) 薬剤定価・給付基準額制の基本的考え方
薬剤定価・給付基準額制は、次のような基本的な考え方に基づく仕組みである(詳細は別紙2参照)。
(3) 定率患者負担等に関する検討
(4) 薬剤定価制・緊急措置に関する検討
その他、流通経費率、損耗経費率の設定については、次のような考え方がある。
(5) 有用性の高い薬剤の研究開発促進に関する検討
(6) 薬剤費への影響
以上のような検討を踏まえ、薬剤費への影響に対する評価については、次のような考え方がある。
1 賛成する意見
制度企画部会の委員の多数は、現行の薬価基準制度を廃止し、「薬剤定価・給付基準額制」を採用することを支持する。無論、50年近く続いてきた公定薬価の仕組みを廃止するものであり、不確定な要素があることも事実であるが、「患者主体の薬剤選択」を実現するため、医療機関、製薬産業、医薬品流通業等への影響の事前分析と事後評価を行いつつ、抜本改革にふさわしい新たな取り組みを細心かつ大胆に行うことが必要と考える。
また、今回の改革の目的は、I.2で述べたように、複数に渡るものであり、その全てを達成し、制度を実効あるものにするためには、「薬剤定価・給付基準額制」の基本的仕組みに加え、更にいくつかの条件整備を行う必要があると考える。
このような観点から、政府は、制度導入に向けて今後次の措置を採るべきと考える。
2 反対する意見
<糸氏委員>
次の理由により「薬剤定価・給付基準額制」(いわゆる参照価格制度)に反対する。
以下、具体的にその理由を述べる。
1.現状認識の基本的誤りについて
わが国の薬剤に係る制度については、(1)不適切な薬価設定、(2)不透明な医薬品認可や薬価算定のプロセス、(3)非能率な許認可体制、(4)不十分な薬剤情報提供体制等多くの問題点が指摘されてきた。
本制度の長年にわたる実施責任者である行政当局が、事の次第を明らかにすることから議論が開始されるのが自明の理である。
ところが驚くべきことに、行政当局はそれらの問題をすべて制度と医療界、薬業界、患者等の責任にしてしまった上で議論を進めてきた。すなわち、薬価基準制度を諸悪の根源と位置づけ、それが引き起こす医療機関や製薬企業や卸業者の「ゆがんだ行動」と、患者負担が低いことによる患者の「コスト意識の無さ」、および薬剤情報の提供を怠った医療機関・保険者・薬剤師の「努力不足」のせいだとしているのである。もちろん、いかなる制度でも長期運用の過程では、いくばくかのひずみゆがみが生ずるであろうが、それを正す最大の責任は行政自身にある。しかるに自らを省みず、もっぱら他にその責任を転嫁するということにもとづいた行政当局の現状認識は明らかに間違っている。これが反対の第一の理由である。
2.新たな公定価格の設定について
次に行政当局は自らの責任を忘れ、あたかも評論家のごとき立場を装い、「ゆがんだ行動」の原因は薬の価格を公定する薬価基準制度にあるのだから、公定価格の仕組みを廃止すべきであると主張している。これは明らかに欺瞞である。
すなわち、公定価格の仕組みの廃止とは、現行の薬価基準は廃止するが、より行政に都合のよい新しい公定価格制度、すなわち給付基準額制を設けようということに他ならない。
「行政に都合のよい」とは、いつでも恣意的に国や企業の負担を減らして、その分を国民の負担にしわ寄せできるという意味での都合のよさである。
患者にとって、現行の薬価基準制度より、はるかに重い負担の厳しい制度となる。これが「給付基準額制」という新たな公定価格制度である。
この制度は「償還払い」を前提にしないと設計できず、これを理由に薬剤給付を現物給付の対象からはずすことは、患者の医療を受ける権利への侵害に他ならない。国民にとっては、あまりにも大きすぎる不当な負担と言わざるを得ない。現物給付から償還払いへの動きは、このまま放置すれば診断・検査や医学管理等の技術料にまで波及しかねず、そうなれば、さらに患者負担が激増することは避けられない。このことが、昭和36年から営々と守られてきたわが国の国民皆保険制度の崩壊を招くことは必至である。
また、この制度の実施には薬価差を認めた方がはるかに設計しやすいので、行政当局は当初の「薬価差悪玉論」から急遽「薬価差善玉論」に論旨を転換したのである。
給付基準額制度は極めて強力であり、混合診療導入の突破口になるのみならず、究極的には行政当局の判断次第では、保険からの薬剤給付を零にする可能性すら内包しているのである。
一方、製薬企業は、給付基準額以下の薬剤は当然値上げする。給付基準額を上回る薬剤、とくに寡占市場を形成している製品については、たとえ行政当局の誘導があったとしても、製薬企業がそう単純に価格を引き下げるとは到底考えられない。つまり、この制度を導入することによって薬剤の価格が下がるという保証は何もないのである。
このように、給付基準額なる新たな公定価格は、患者に厳しく国や企業に甘いという二面性をもった極めて危険な制度である。
なお、製薬企業による自由な届出価格制である以上、公定価格ではないとの反論もあろう。しかし、表向きは製薬企業の自主性を尊重するとしながらも、一方では「患者負担に着目した価格設定」、すなわち給付基準額以下で価格設定をしろと誘導している。要するに、給付基準額を公定価格と見なせということである。
技術料のように公定価格が必要なら、堂々とその論陣を張るべきである。不透明な誘導による公定価格は、不正な流通システムを生むだけであり、現行薬価基準制度の二の舞となることは火を見るよりも明らかである。
以上が反対の第二の理由である。
3.質と価格による患者主体の薬剤選択という欺瞞について
このことは、ひらたく言えば「同一薬効の薬剤を価格毎に分類し、その結果を情報提供すれば、ほとんどの患者は安い方の薬を選択するに違いない。そうしない人はわがままな患者であるから、ペナルティとして高い負担を課す」という発想である。
この考え方は、「そもそも、今日すでに同一薬効の薬であっても、それぞれ銘柄毎に違う価格がつけられている」という事実が前提となっている。
今まで国民は行政当局を信用して、同一薬効でも高い薬には高いなりの意味(質)があると思ってきた。もしそうではないというのであれば、その理由を明らかにし、国民の誤解を解く弁明をすべきである。あるいは、価格決定権は行政にあるのだから、価格を修正すればよい。わざわざ「質と価格による患者主体の薬剤選択」というような、わかりにくい概念を持ち出す必要はない。薬剤情報の提供や価格の訂正はすぐ実行すればよい。それだけでも大改革になる。薬価制度の改革を伴わなければ、薬剤情報の提供ができないというのは欺瞞である。問題は、やる気があるかどうかである。
次に、「薬剤の分類」についてである。わずか4品目の分類体験しかもたず、方法論的に不確実なものをいきなり臨床に応用できる、それも全面的に応用できるとするのは粗雑過ぎる。現状では、分類に過度の期待をもたせることには、医師としてはまったく賛成できる話ではない。薬剤分類学の今後の進展を待つべきである。
次に「選択」についてである。報告書では、選択はほぼ同一の質であれば、価格だけで行われてしかるべきという考え方に基づいているようだが、このことは明らかに間違いである。一般的には、むしろ価格だけでは選択されないというのが通常である。大衆薬を見ればわかるように、現実には消費者の低価格指向は見られないことに注目すべきである。
選択には、過去の体験、周囲からの情報、個体特異性、薬の副作用等、複雑な要因が絡み合う。勝手に行動基準を設け、その行動基準どおりに消費者が行動しなかったことを理由にペナルティを課そうというのは、考え方として根本的に間違っている。
「質と価格による患者主体の薬剤選択」というのは建前に過ぎず、仰々しく制度改革しなくても、情報提供と価格変更によって今すぐにも目的達成は十分可能である。
以上が反対の第三の理由である。
4.始めに結論ありきの審議会運営への不信について
一体誰の提案なのであろうか。この審議会で持ち続けた最大の疑問である。与党協案なのか、厚生省案なのか、部会長案なのか、あるいは他の委員案なのか。原案は「日本型参照価格制度」から始まり「たたき台」、「薬剤定価・給付基準額制」と次々に変わったが、その都度提案者も変わったのであろうか。一貫性があったのは、いずれの案も「国や企業の負担を減らし、患者の負担を増やす」という視点のみであった。
審議の途中では、この視点を支持・強化する意見は、思いつき程度のものでも即座に採用された。一方、エビデンス不足を指摘したり、原案の方向とは違う根拠を示したりする意見は、無視あるいは黙殺された。
審議会の最終結論は、『委員の多数は現行の薬価基準制度を廃止し、「薬剤定価・給付基準額制」を採用することを支持した』とされると思われる。しかし、この案に不退転の決意で賛成している人はほとんどいない。むしろ、「とにかくやってみよう。失敗したら元に戻せばよい。」とか、「薬剤価格は下がらなくともよい。革命なのだから。」というような、逃げ道付き賛成派が多数だった。
まず結論ありきで、議論のアリバイ証明のための審議会。これが「国民の望む審議会」と言えるのか。
これが反対の第四の理由である。
5.対案検討の欠如による不公正
審議会では、厚生省案を通そうとするのに汲々として、対案検討はおざなりにされた。むしろほとんどされず、比較表すら作成されなかったのが実態である。
日本医師会は、公定価格の仕組みを完全に廃止し、薬価差を解消する「医薬品現物供給制度」(別紙3参照)を提案した。行政当局が公定価格制度と薬価差益の廃止という当初の理念を本気でやろうとするのであれば、真剣に検討されてしかるべき案と思われたが、「医療機関が薬剤に係る金銭のやりとりから身を引けば、薬剤の過剰投与が生じる」などと訳のわからない理由で排除されたのである。
しかし当初から、医療機関が薬剤に係る金銭のやりとりをするから薬価差という諸悪の根源が発生すると非難し続けてきたのは誰だったのか。当初の理念からおよそかけ離れた結論に誘導されている。他の団体からの対案も、われわれと同様に扱われた。対案を真剣に検討する姿勢がほとんどなかったことは、この審議会の権威に関わるものである。
これが反対の第五の理由である。
<鴇田委員>
本部会では、「薬剤給付のあり方」について、これまで数回にわたって審議されてきたが、とくに薬剤定価・給付基準額制(以下薬剤定価制と略す)に対する批判的意見が、この意見書には必ずしも忠実に反映されていない。本来審議会の意見書なるものは、委員自身の手によって起草されるべきものであるが、本部会では委員を代表して部会長と厚生省事務局が作成している。そのために意見書の内容は、厚生省の推進したい薬剤定価制を支持する方向で一貫し、反対意見の扱いはごく一部で、かつ十分にその趣旨を理解せずに、あるいは意図的に無視して記述されている。そこで議論の焦点になった部分について、本委員を含む委員によって起草することを提案したにもかかわらず、部会長は時間の制約を理由に却下された。各種の審議会が事務局の主導による形骸化を指摘されるとき、このような処置は著しく不当なものである。そこで本委員としては、審議会に対して本意見書を提出するにいたった。
1.薬剤定価制に財政削減効果は期待できない
薬剤定価制の最大の目的は、薬剤への支出を削減して、現在およそ30兆円に達し、少子高齢社会の進展とともに急速に増大すると予想される、国民医療費の削減と現役世代の負担の軽減を図るものである。しかし薬剤定価制と類似した参照価格制を、1989年に本格的に導入したドイツの経験では、薬剤費の支出削減効果はほとんどなかった。審議会でもこの点は議論の焦点の一つとなったが、意見書ではなぜかこの最も重要な点について言及していない。
資料1によれば、統一前の1989年に導入された参照価格制によって、同年の社会保険における薬剤費の対前年増加率は、それ以前の8年間の平均5.9%と比較して、確かに0.5%に止まっている。しかし1990年以降の各年については、6.3、10.9、9.8%と逆に従来以上に増加している。この間のドイツのインフレ率はとくに高くなった訳ではないから、このような事実はドイツの参照価格制が、薬剤費の財政削減効果を持たなかったことを物語っている。そのためにドイツは追加的な薬剤費抑制政策として、1993年には医師に対して医薬品に関わる予算制を導入せざるを得なくなったのである。さらにその後も各種の追加的な政策を導入し
ているのである。
(資料1) | M.Dickson and H.Redwood,"Pharmaceutical Reference Prices, How do They Work in Practice ?", Pharmacoeconomics, Nov.1998. |
参照価格制自体はこのように一回限りの効果(once for allあるいはovernight effect)しか持たないだけでなく、ドイツの経験では、結局短期的には薬剤費を抑制したものの、長期的には短期的な抑制効果をほぼ帳消しにしているのである。参照価格制を導入した他の国々、例えばオランダやカナダでもほぼ同様の結果が伝えられている。少なくともドイツに代表される参照価格制が、薬剤費の支出の削減に対して、それだけで十分な効果を持ち得たという、説得的な研究は見あたらないといって、過言ではない。
2.なぜ薬剤定価制は薬剤費の財政削減効果がないのか
薬剤定価制の導入によって、薬理・薬効が同じ薬剤のグルーピングによって給付基準額が決定されると、この基準額よりも高いか低いかによって、医師や患者のグルーピングされた薬剤に対する需要曲線は、基準額より高い範囲と低い範囲で、その価格弾力性はごく小さくなり、また基準額の近傍では十分に大きくなると想定される。その理由は基準額より高ければ、医師は患者になぜそのように自己負担が必要な薬剤を使用するか説明を迫られ、また患者の負担が急速に増えるから、その使用を患者に積極的に勧めないだろう。基準額より低ければ、患者の自己負担は従来と同一であるから、医師はこれまでと同様により高い薬剤を患者に勧めるだろう。このとき医療機関の損耗管理マージンを厚生省が一定に公定することは、そのような傾向に拍車をかける。すなわち医療機関にとって、高い薬剤を使用するほど収益は増加するからである。こうして基準額を上回っても下回っても、薬剤の価格弾力性は十分に小さくなる。基準額の近傍の価格では、薬剤に対する弾力性は基準額を意識してはじめて十分に大きくなり、ほぼ水平になる。『南部鶴彦「薬価基準の功罪と薬価制度のあり方」「健康保険」1998年11月』はこのような論理を一層明快に展開している。
このような薬剤の需要曲線が与えられたとき、メーカーや卸などの供給側はどのように対応するだろうか。答えは自明である。メーカーにしても卸にしても、可能な限り高い収益を目指すとすれば、給付基準額に一致するように、メーカーの届け出価格や卸の価格は設定されるだろう。このときも卸の流通マージンを厚生省が一定に公定することは、やはりそのような傾向に拍車をかける。こうしてグルーピングされた各種薬剤の定価は、長期的にはほぼ給付基準額に一致し、そこで硬直的となるだろう。すなわちこの制度は、厚生省自らがそのような薬剤の硬直性を誘導するものであり、官許の価格カルテルあるいは再販価格維持制度となる危険性を有する。
前述のようにドイツの経験では、参照価格を設定した年に限り薬剤支出額は前年並みとなったが、その後むしろ一層増加した。その背景には、このような論理が存在しているからと考えられる。すなわち給付基準額を上回る薬剤の需要は急速に低下するから、薬剤価格とその支出額は急速に低下するだろう。しかし時間の経過とともに、給付額を下回る薬剤の価格は上昇し、支出額も上昇していくのである。ドイツでは当初グルーピングは部分的であったので、医療機関や医師は他の薬剤や同一グルーピング内の薬剤の使用量を増加させることで対応した。日本では薬剤定価制の導入とともに、従来の複数薬剤使用の際の価格規制を解除するとのことである。したがってたとえ短期的な薬剤価格の抑制効果があるとしても、従来にも増して、過剰投薬に拍車がかかると予想される。
3.グルーピングによる給付基準額設定の問題点
同一薬理・薬効によって薬剤をグルーピングすることは、薬学や医学の専門家の間にも副作用などについて疑問を呈す向きがある。しかし薬学ないし医学的な見地から完全でなくても、ほぼ合格点の付けられるグルーピングが可能になれば、それは患者のみならず医療関係者にとっても、従来なかった有益な情報を提供することになるだろう。しかしグルーピングを行って患者に有益な情報を提供することは、それによって給付基準額を設定することを、決して正当化しない。両者は論理的には全く別の問題である。審議会の多くの委員はこの点について誤解があるように思われる。患者に有効な情報を与えるならば、グルーピングをするだけで十分ではないか。
1989年の参照価格制導入以前に、ドイツでは規制のない競争市場で薬剤の価格は取引されていた。そして当初はそこで成立する市場価格に基づいて、その加重平均によって参照価格が算定されていた。それに対して日本では、過去50年近く、薬価基準によって厚生省が価格を公定してきたのである。したがって公定価格を基礎として、それらを加重平均して給付基準額を算定することになる。ドイツと日本の参照価格と給付基準額の設定の差異は、経済の論理としては決定的であるにもかかわらず、そして本委員はそれについて、何度か注意したにも関わらず、審議会の意見書ではそれを全く無視している。
一般に規制のない競争市場での市場価格は、薬剤の質を市場価格が表すヘドニック・プライシング(hedonic pricing)となっている。(『南部鶴彦「参照価格制度についての考察(仮題)」未発表論文 1998年12月』を参照。)それに対して規制の極みである薬価基準は、たとえ over pricing であっても、また類似薬効による価格設定であったとしても、薬剤の質を忠実に表すものではない。事務局作成による審議会意見書では、今回の薬剤定価制では質と価格について、患者に選択を与えると指摘しているが、それは明らかに上述の意味で誤りである。
さらに意見書では給付基準額の設定による、グルーピング内部の薬剤メーカーの価格設定についての相互依存性について、それは一般の産業界では当然としている。しかし給付基準額が設定されている市場は、単なる寡占市場とは決定的に異なる。この点の認識は、今回の薬剤定価制を経済の論理で評価する重要なポイントであり、審議会では自動車産業を例に取って、ごく平易に説明したのであるが、全く無視されたのは極めて遺憾である。2000cc以上の乗用車をグルーピングして加重平均価格を設定して、それを越える乗用車は、たとえ低公害車であれ燃費のすぐれた高性能車であっても、標準仕様の低価格車とともに品質は同一として加重平均され、自動車税を禁止的に高くするというのが、自動車産業に置き換えたときの薬剤定価制である。このように乱暴な政策が他の産業で考えられるだろうか。またもしこのような政策を実施したときに、ドイツと同様に法的に厚生省が内外の製薬企業に対抗できるのかについても危惧するものである。
規制の存在する市場では、各企業は通常の規制されない市場と同様な価格設定はできず、そこで規制を意識した価格設定を”市場原理に基づく”ものと審議会の意見書は記述しているが、これは市場についての正しい認識を欠いたものであり、到底受け入れられない。
4.薬剤定価制は新薬開発意欲にダメージを与える。
おそらくこの制度の最大の問題点は、製薬企業から新薬開発意欲を削ぐことにあると考える。グルーピングによる給付基準額の設定では、特許品もそうでない後発品も全く同一に扱うとしている。知的所有権を十分に尊重しない、このことの直観的な帰結は、それでは薬剤メーカーは少なくとも国内市場に関しては、多大のリスクの下に巨額の研究開発投資を行う誘因を著しく減殺されることである。ドイツでは1996年に特許品のグルーピングからの除外を行ったが、それは自国の製薬産業の新薬開発意欲をこの制度が損なうことを、認識したからに他ならない。厚生省はドイツでのそのような経験を知りながら、それをあえて無視しようとしている。
このことは当局の次のような発言に如実に表れている。「日本の医薬品産業の研究開発は、いわゆる”ゾロ新”に終始しており、したがって特許品を除外することはしない。」確かに日本の製薬産業の現状は、産業組織論的に見たときに問題が多々あることは否定できない。また諸外国と比較して医療費に占める薬剤費のシェアの突出していることも否定できない。しかしこのような発言には、薬価基準がそのような産業組織をもたらしたことの、すなわち”政府の失敗”を犯したことの、当事者としての認識と責任が欠けている。さらにもしそのような政策に対する反省があるならば、この薬剤定価制がどのような産業組織論的な、あるいは産業政策的な帰結をもたらすかを考慮して、このような乱暴な政策を採用しようとはしないだろう。
薬価基準がもたらしたさまざまな歪み(distortion)について、厚生省当局はその責任を認識していないが、同じことは薬剤定価制についてもいえる。薬剤定価制がもし長期的に実施されれば、日本の製薬業は後発薬に特化するようになり、新薬を開発することはなくなるだろう。この制度の下でも画期的新薬については、例外を認めるとしているが、その基準は示されず、例によって厚生省の裁量に任されるようである。もし従来のように数年に1件程度であるならば、国内での新薬開発は期待できなくなるだろう。
産業の歴史はそれほど長くはなく、それはかっての日本の繊維、造船、鉄鋼などを見れば容易に理解されよう。自動車や家電などは現在のところ、日本の leading industry であろうが、50年後にも依然としてそうであるという確証はない。製薬産業は将来の日本のleading industry になり得る、いくつかの産業の少なくも一つの候補である。そのような産業の萌芽を摘み取るかもしれない政策が、なにゆえ正当化されるのだろうか。
結論
今回の薬剤定価制については、他にも多々問題はあるが、最後にこの制度が現在の規制緩和や行政改革に全く逆行していることを指摘しておきたい。例えば薬剤定価のために、卸の流通マージンや医療機関の損耗・管理料を厚生省が公定とすること。厚生省当局は市場価格を標榜するが、給付基準額を決定して市場に対して決定的な規制を行うことは、実は製薬産業に自由な価格設定を許さない仕組みであること。他にも先発薬と後発薬の価格の間に”一定の幅”が存在すれば、独立したグルーピングを行うことなど。政府の介入や裁量の余地があまりに多すぎる。
薬価基準制度を撤廃して、薬剤定価制を導入することは、規制緩和の流れに逆行するだけでなく、政府の上記のような介入の余地を拡大することで、行政改革にも反するものである。さらにこのような制度改革は、最大の目的である医療費削減の財政効果が期待できないだけでなく、将来の日本の産業組織に重大な打撃を与えるという点で、むしろ制度改悪と言わざるを得ない。薬剤の費用対効果などの分析が急務とされているが、このような政策を導入した際の費用対効果を、厚生省は所管の各種のシンクタンクに依頼して、国民に明らかにすることを期待する。なお本委員は経済の論理だけで政策を評価せよと主張するのではなく、それを無視した政策の導入は将来に禍根を残すと指摘するものである。
別紙1〜 略
照会先 保険局医療課 内線(3276)
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