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第6回 社会的な援護を要する人々に対する
社会福祉のあり方に関する検討会 議事概要

平成12年10月25日(水)
14:00〜16:00
厚生省7階特別第1会議室

(議事概要)

○ 事務局より本日配布の資料の確認について説明の後、委員報告として青山委員、岸本委員、長谷川委員、吉村委員、渡邊委員にご報告いただき、自由討議に移った。その後、事務局作成の資料の説明を行った。

(青山委員の報告)

○ ホームレスの数と実質経済成長率の推移には、反比例した相関関係がある。
○ バブルの崩壊に伴って、山谷にも路上生活者があふれてきた。中でも困ったのは山谷の旅館で、1万人の定員を超えていたのが途端にがら空きになってしまった。
○ 山谷の場合は日雇い労働者が多いため、好不況だけではなく、機械化が進んで建設関係や雑役の仕事が減ったことや、外国人労働者が増えてきたという構造的な原因もある。
○ 東京23区のホームレスのうち94%が公園、道路、河川で暮らしている。公園も道路も河川も建設局が管理しているので、東京都の場合、ホームレス問題は建設局の問題になっている。
○ ホームレスの増加に伴って発生している問題としては、(1)ビニールシートやキャンプ用テントによって居住場所を作っている(2)区立図書館で昼間過ごしてトラブルを起こす、といったことがある。
○ こうした状況に対する提案としては、5点ほどある。1点目は、自立支援センターの設置。現在東京都では23区と話し合って、23区を5つのブロックに分けて計5カ所の自立支援センターを設置し、そこに3カ月程度宿泊生活をしてもらい、その間に職をあっせんするという事業を進めている。近く5カ所のうち2カ所が開設する見込み。
○ 2点目は、民間施設の活用。現在、山谷地区の簡易旅館だけでも2,700人分の空きベッドがあって、旅館側も困っている状況なので、これらをどう活用するかが問題となっている。
○ 3点目は、就労対策。東京の場合、ホームレスになる原因の中心が仕事にあるという前提に立って言えば、ホームレスの人たちに対して最も必要なものは、炊き出しや衣類、毛布の支給ではなく、仕事であると思う。
○ 社会福祉関係の団体や運動団体、宗教団体が町で炊き出しをすると、地元の住民はホームレスの人たちが集まるため嫌がる傾向がある。炊き出しがある度に、東京都や区役所に周辺の住民から苦情が出るというのが実情である。
 やむを得ずやるとしても、根本的解決になっていないことは間違いない。やはり根本的な解決は、その時の一食を与えることではなく、自立していく方向を目指すことなので、そのことを覚悟してやらざるを得ないと思う。
○ 4点目は、国による財政支援。概算要求でも13年度はホームレス対策関係で10億円の要求がなされているが、2ケタぐらい少ないと感じる。実際、東京都の山谷対策だけに限っても、年間21億円の予算を恒常的に組んでいる。そのうち13億円は白手帳所持者を中心とする特別就労対策事業で、越年越冬対策という一時的なシェルター事業だけでも毎年3億5,000万円はかかっている。今回、国の緊急雇用特別交付金事業というものがあったが、こういった事業を一時的ではなく、この問題が解決されるまでの間は恒常的に数百億円程度の規模で、全国の大都市を対象に行っていく必要があると思う。
○ 5点目は、法的規制。これに関しては、東京都はひどい目にあっている。新宿西口にある地下道に動く歩道を設置するために、清掃事業を実施したところ、一部の人たちが卵を投げつけたりして妨害活動を行った。それを警察が逮捕したのだが、地下道にホームレスの人たちが設置した段ボールは家であるので、清掃事業として実施したのには無理があるということで、地裁で無罪判決が出た。東京都はもちろん控訴し、高裁では逆転判決で有罪になったわけだが、この例でも分かるとおり非常に手間がかかる。そうした中、住民の世論からは、政府、自治体が一体となって、公的規制と福祉対策、就労対策をセットで行うべきとの機運が高まっている。

(岸本委員の報告)

○ これまで、見える困窮、見えない困窮ということで議論されてきたが、見える困窮についてはこれまでの議論を通じて、行政は時には緊急措置的に制度を運用して対応しており、民間の団体は行政とは異なる立場で制度のすき間を埋めるべく対応していることが分かった。
○ 見えない困窮については、自分の日常生活実感からも、また出版という世の中の情報が入ってくる業界に身を置く立場からも、腑に落ちることが多々あった。そこから感じたのは、今後この見えない困窮が増えてきて、その対策が大きな問題になるのではいかという危惧である。
○ 消費社会が生む見えなさがある。カードによる借金や、給与所得で言えば女性にしては高い方だが、実際はカードを使っていて常にマイナス状態という女性もいる。そういう人は、例えば健康を害して働けなくなるとか、月々のマイナスがボーナスでカバーできなくなったときにどうなるかを考えると、非常に危うい状態だと思う。
○ 物質的には豊かな社会であるがゆえに、自分が困窮しているという意識が希薄になっている。特に若い人には、社会全体が豊かだから何をやっても食べてはいけるといった、たかをくくった気持ちがあるので、年収的には非常に少なく、栄養面でも際どい生活を送りながら、ブランド物のバッグを買ってしまうといったアンバランスな生活を送る人も多い。このように、物質的に豊かであるがゆえに困窮を実感できなくなっている層にも危うさを感じる。
○ 集合住宅という住まいの形式、隣のことが分からないといった状況など、都市生活という形態がもたらす見えなさもあると思う。また、都市の高齢者については、地域社会がしっかりあるところにいる高齢者とは別な捉え方が必要だと感じた。これらの人々については、従来の地域密着型の見守り主体とは別の主体が必要になってくるのではないかと思う。
○ 集合住宅の例だと、賃貸の場合は大家と店子という関係であれば、経済的な関係があるからちょっと相手のプライバシーに踏み込めるというか、見えないものに対してのぞき込むようなまなざしを持つことも許されるのではないかと思う。
○ 私の住んでいる市も高齢化が進んでいるが、見ていると都市の高齢者が日常的に一番接しているのはコンビニの店員や外食産業の人ではないかと思う。そうした日常的に接する機会の多い人たちも、何らかの見守り主体として活用できないかと思う。
○ 女性は男性とは別の意味で、経済的な弱者に陥りやすい。例えば、離婚によって経済的な強者と弱者が生まれてしまうし、夫がリストラされたとか、病気で働けなくなったとか、社宅も出なければならなくなったとか、年金生活をしていて死別したとかいった場合、あっという間に貧困層に落ちてしまう。そうしたリスクは、女性も仕事を持つことである程度、分散できる。女性の就労支援策との関係の深さを感じる。夫婦間でもリスク分散しておいた方が良いと思う。
○ 「年金制度はもう破たんしているから年金なんか払っても仕方ない」「保険会社もどんどん倒産しているから保険なんかかけても仕方ない」といった声をよく聞く。従来は将来の準備のために機能していた装置に初めから不信感を持って、自分では何の備えもしない状況で、就労の形として初めからフリーターでいくとか、完全には自立せずにパラサイトシングルでいってしまうといった、リスクを先送りする生活態度に非常に危ういものを感じる。
○ 国が成長している頃と違って、動機づけが見つかりにくい。何をしても一応食べていけるような気がしてしまい、その日その日の生活を送っている。これは将来福祉にとっては危険であると思う。宗教的なものであれ何であれ、精神的バックボーンを持つ必要性があると思う。福祉や役所が人の精神面まで責任を持つ必要もないかとも思うが、動機づけなり自立ということを考えなければならない。

○ 見えない困窮が増えてくることに対して、何らかの形で予防的な措置をとらなければならない。しかし、そこにはプライバシーの保護という命題があって、その兼ね合いが問題となる。以前の報告の中で、民生委員と行政が機転を効かせて際どいところを助けたという例がたくさんあったが、それも一つ間違うとそんなところまで監視するのかと言われかねない例だったと思う。その辺のコンセンサスがとれるかどうかも大きな問題になると思う。

(長谷川委員)

○ 民間社会福祉の先駆性、独自性、自主性に関しては、宗教福祉の面がその一角を占めているということは否定できない事実ではないかと思っている。民間社会福祉の活動や事業を考える場合、問題を発見し、それをテーマ化し、固有の方法を用いて解決していくという一つの実践体系の中に内在する思想性という問題が重要になってくるのではないか。そうした時、やはり宗教の果たす役割にも意をとどめておく必要があると思う。
○ 社会資源の活用の一環として、寺院の活用が挙げられる。寺院の活用、寺院の社会化の問題は大正期から問題視されていたところであり、今日的な寺院側、仏教側からの課題でもあるため、社会福祉に関する民間の資源としてどういう風に活用していくか、という観点からの切り込みも必要ではないか。
○ 昭和44年にまとめられた仏教大年鑑には、仏教系の社会福祉施設について詳細に掲載されているが、それを見ると保育所が2,315で、保育所を除く施設が264という数字が挙げられている。それに対し、私どもが近頃まとめたデータでは、時代の傾向から老人ホームのようなものがかなり増えていることが分かる。

○ 現在、寺院総数77,000カ寺と言われるが、ある教団では、自分の教団の寺院の1割は少なくとも福祉施設もしくは福祉活動や事業に関わるべきだと考えており、また「一寺院一社会福祉活動」というスローガンを掲げているところもある。
○ 日本の仏教の場合、ややもすると宗派で細切れになっている。今後、地域の中で民間福祉を担っていく際の課題としては、そうした宗派性を超えた超宗派的な協働が必要となる。もっと言えば、仏教という壁をも超えていかなければならないということでもある。
○ 寺院の境内に施設を設置し、それぞれの施設へ福祉サービスがなされるというばかりでなく、そこを拠点とした地域福祉サービスの展開がこれからの課題であり、また現にそういう動きも示されている。
○ 寺院、住職その他僧侶の資格を有する者を一般的には教師と称しているが、その住職や教師ばかりでなく、住職の家族、つまり寺族を含めた福祉人材の養成が、地域の中で寺院が福祉的な役割を担っていく際に求められる問題ではないかと思う。

(吉村委員の報告)

○ こんなに国民が無気力になって、ホームレスがいて、炭谷局長を中心に本当に一生懸命皆さんがやっているのに、ひとつも進まないのはなぜだろうか。終戦後、天皇陛下が我が身を捨てて、責任は私にあるとマッカーサー元帥に言われたことを今は教えていないのだろう。それが歴史の歪曲ではないか。こういう不甲斐ない国民になってしまった根本原因は、そこにあるのではないかと思う。
○ 国会議員が堂々と数字を挙げて議論し、それを国民が見て、この党の政策はいいなと感じて票を入れる。そういうことが今、日本では行われていない。だから、国民が不信感、不安感を持つのは当然だと思う。

○ 具体的には、まず住居、食、医療、職業を確保してやることが必要。それから生活保護法の救護施設、更生施設による自立支援。救護更生施設は聖徳太子の時代から、混合収容の伝統が受け継がれているが、そうは言っても、やはりアルコール依存や精神障害者や肢体不自由者、特に重複障害者に対する専門的な処遇はどうしても必要なので、それだけの知識、技能を持った専門家が必要。しかしながら、今のお金の出し方は単位が違うので、細々した対策ではなく、2ケタ上のお金を出して対策するべきではないか。

(渡邊委員の報告)

○ 今日の観点は「費用」。ロサンゼルスのホームレスを救っている団体は99%が民間のお金で活動している。日本の場合は最近NPOがいろいろと出ているが、やはり公と民が協働して進めていくことが大事だと思う。
○ アメリカと日本の寄附の金額の比較を見ると、90年度はアメリカが12兆3,000億円で日本は5,000億円。アメリカの場合、個人の寄附、財団、遺贈などを含めると約95%が個人のポケットマネーから来ているが、日本の場合、個人の寄附は342億円。
 ここに、アメリカ人の心と日本人の心が如実に表れていると思う。

○ 日本では共同募金というものが戦後54年間、民間のお金を出すボランティアとして行われており、現在260億円が集まっている。しかし、この50年間営々と積み上げられた260億円が平成9年度から途端に落ち始めている。このように、50年間上がり続けた民の心である共同募金が、現状維持もしくは停滞しているという原因は何か。
 不況ということもあるとは思うが、今まで50年間何度も好不況があったわけだから、単なる不況というだけで片付けるにはあまりにも簡単な分析過ぎると思う。

○ 日本とアメリカの寄附行為を比較してみると、日本の場合、これまではほとんどが個別募金で行われてきた。共同募金の260億円のうち、75%は町内会の個別募金である。しかし、アメリカの場合は80%が企業の職域募金となっている。アメリカでは企業に対して、従業員の給料の端数を共同募金に下さいという依頼がある。それでたまったお金を共同募金に持っていけば、色々な寄附の依頼が来ても、そこに出しているから逃げられるということを、共同募金の人ではなく、ライバル企業の社長が言いに来る。それで、労働組合に相談したら、反対があるかと思ったらOKということで、毎月自動的に端数募金が行われることによって、それが積もって80%が職域募金ということになっている。
○ 共同募金が落ちてきた原因の分析を2000年6月に行っている。一番の不満は、ほとんど強制的に町内から集めている手法が嫌であるということである。二番目の不満は、なぜそのお金を使ったのか、どういうところに使ったのか、誰が配分したのかということが不透明ということ。
○ 個別募金が多いところほど下がってくるという傾向がある。若者や一般市民の意識が変わってきており、寄附をしたくないというわけではなく、何かしたいけれども、目的を持ってしたいと思っている。
○ 現在の若者たちは共同体というものに対する参画意識がない。高齢者の場合は、共同体意識というよりも、それに参画しないと村八分にあうという意識が強い。これまでの日本の寄附の文化は、義理やお役所の指導という形でやってきたが、1999年から2000年になって、こうしたものに対する不満、共同募金の集め方のマンネリ化、共同体の崩壊、そして若者たちの日本を盛り立てていこうという意識の喪失が数字として表れている。
○ アメリカでは90%の人が神の存在を認め、86%が定期的に神に祈りを捧げており、75%はその宗教的戒律に従うべきだと思っているという報告がある。寄附金と宗教的信念の関連ということでいえば、アメリカでは宗教団体の活発な働きかけが寄附のレベルを向上させ、寄附の依頼のあった人の85%は実際に寄附をしている。つまり、アメリカ人の心の中には神というものがあって、その神の意思に沿うように寄附しており、その意思に反すると自分は罰せられるという罪の意識がある。それと同時に、コミュニティを自分たちで盛り上げていくという建国の精神があるのではないだろうか。
○ 日本には罪の意識はなく、恥の文化がある。共同募金も、最近は学校でも会社でもあまり強制しない。そうなると恥の文化がなくなってくるので、当然募金額は下がってくる。その対応策として提案したいのが、システムと心。そのシステムの方としては、寄附税制というもの。アメリカでは利益の10%まで寄附控除されるが、日本では大体1.25%。この寄附税制を変えて欲しいということを強く要請している。
○ 共同募金の母体では、一体どういう人が指揮をし、どういう人がその配分に参画しているのか。市民としての不満は、県知事が社協の会長、共同募金の会長を兼務しているということである。共同募金はあくまでも民間団体なので、行政がその会長をしているのはおかしいではないか。そういうところに私たちのお金がいっていることに対して、非常に不満が出ているということが、募金の障害になっているということをその知事の皆さんにお気付き頂きたい。
○ これからは社協や共同募金の事務局長クラスに、もっと民間人を導入すべきではないだろうか。それによって、官の優秀さと民の優秀さを合体した、日本独特の公私協働の寄附の文化というものを作っていくべきではないだろうか。

(自由討議)

○ 給料の端数給付は、私のところでもやっている。それから、指定給付も行っている。
○ ゼロというわけではなく、富士ゼロックスを始め一部のところでは職域募金を行っている。しかし、アメリカに比べるとその数はとても低く、もっと組織的に民間企業に広げていくべきだと思う。
○ 指定募金も強制的ではなく、希望の金額でよいとか、こういうところに使って欲しいという希望を書くといった方法を行おうとしている。
○ 今年の10月に街頭に立って、寄附の言葉を出さずに、駅前に来る人にただ頭を下げていると、結構来てくれた。それで、あまり押しつけがましいのもかえって反発を買うのかもしれないと感じた。
○ 寺院の活用というのは、非常にいいご提案だと思う。昔は寺院というのは地域の文化の中心だったが、いつの間にかそれが忘れられてしまい、寺院が自分の寺院だけの経営しか考えなくなってきた。加えて、最近僧侶の方で民生・児童委員になる人の数が減っている。
○ いのちの電話のお世話をしているが、そういうものに関わるのはキリスト教の方が非常に多く、仏教関係の方が少ない様に思われる。仏教徒としては、あらゆる宗派が積極的に関わってもらいたいと思っている。
○ 共同募金では、確かに法人募金と職域募金が減っている。これをどうするかが重要ではないか。私の地元では目標100%達成をこの数年間続けているが、それができた理由は、直接住民の代表に集まってもらって、その配分の方法や使い道をすべて細かく説明してきたからである。先ほど渡邊委員の言われたことは、非常に重要ではないかと思う。
○ 30代までの若い人たちの将来への希望のなさ、心の問題は非常に大きくなっているのではないだろうか。それをいかに地域や福祉の方に向けてもらうかというのは、簡単な解決策はないと思う。21万人いる民生委員のような人たちが、地道に実績を積み重ねながら、地域へじわじわと浸透させていく以外にはないと思う。そこには、地域へしっかり情報を発信していくこと、地域の人々も情報をしっかりと吸い上げること、この間断のない往復の努力が必要となる。
○ 「官と民」という方が強くなって、「公と私」という方が弱かったと思う。つい公は官であり、私は民であると考えがちだが、これは間違っていると思う。公というのは我々民間のものが作り上げていくものではないか。公と官を一緒にしたというところも、寄附の低下の一因になっているのではないだろうか。
○ 私の母の墓のあるお寺で、畳の間に巨大なカラオケセットが入った。最初はそれが嫌だったが、住職の話を聞くと、これもひとつの駆け込み寺というか、見守り機能を果たしているということが分かった。そのお寺がある文京区も高齢化が進んでいて、一人ひとりがバラバラになってしまいがち。そこで高齢者がお寺に来てカラオケをすることで、あの人は最近来ないけどどうしたのだろうかという見守り効果を生んだり、少し足が悪くても出掛けて行こうということで、寝たきりを防いだりという効果を生んでいる。そうしたところから、福祉の役割を担えることもあるんだなと思った。
○ 寄附に関しては、やはり赤十字や社協の方に聞くと、集めるのに苦労しているということである。理由としては、まず物理的に集合住宅が多くなって、オートロックで門を開けない限り各戸の玄関の前に立てないということ。それと、人間関係が煩わしいということや、昼間に家に人がいないということもある。
○ 異宗派間の協働という問題に関して、最近アメリカでプロテスタントのやっている病院とカソリックのやっている病院が合併した事例があるが、その理由は経済的なインセンティブだった。要するに、アメリカの医療は非常に厳しい状況なので、生きていくために宗派は違ってもひとつに合併してやらないといけないということが理由だった。別の例として、薬業界の場合には薬業界の協会というものができたが、以前は各会社が個々に福祉の問題などにも自由に取り組めたが、ひとつの協会ができたために逆に制限が加わって、自由に活動できなくなったという実態もある。それを考えると、異宗派間の協働というのは、何を目的にして活動すると本当にメリットが出てくるのかといったことが理解できないので、ご教示頂きたい。
○ 異宗派間の協働という場合、仏教の各教団によって社会福祉に取り組む温度差がかなりある。ここで想定しているのは、かつて試みられてきたような地域レベルでの仏教社会事業協会や、仏教社会福祉連盟のようなものを参考にし、市町村域レベルで寺院が決起して、それぞれのノウハウを持ち寄って協会を組織して、地域の中での役割を果たし得る組織作りといったことである。
○ 住民の迷惑、あるいは公共の福祉といった観点から、ホームレスの人たちの法的規制とは別の意味で何を具体的にすればいいのか、ご教示頂きたい。それと、現在ブラジルから日本に出稼ぎに来ている労働者が20万人いると言われているが、浄土宗の立場から、そうした移民労働者に対して何か支える活動というものをお考え、または具体的に何か活動されているのか。
○ ひとつは公共施設にホームレス生活をすることを禁止する規定が必要。しかし、これだけではいけないので、これとセットで行政機関等に対してホームレスに対する労働生活支援を義務付けるということをする必要がある。そのためには多額の財政措置が必要になるので、国としての財源配分の問題として現在の状態でいくのか、それとも今後10年ぐらいは相当多額の財源を経常的に費やしてでもこうした状態をなくしていくのか、そうした国民的論議と決意が必要になると思う。
○ ブラジルからの出稼ぎの形態については、かつては比較的若い世代が多かったが、最近は単身ではなく家族で、しかも小中学生ぐらいの子供が一緒で、日本で滞在する期間が長くなりがちになっている。そうすると、日本語を勉強するのも大変であると同時に、本国へ帰った時に、受験勉強が十分にできていないため進学に支障を来すという問題も起こっている。そこで、かつての寺子屋の様な形で、ブラジルからの出稼ぎの中の子供たちを寺で受け入れて、学習指導や生活指導をしたり、相談に乗ったりする活動を寺院間のネットワークで作り上げようという動きが出てきている。
○ ホームレス対策の一番の基本は就労対策だという意見があったが、福祉の問題は福祉のことだけに力を入れても解決しないので、生活全体ということになればやはり総合的な対策が必要になる。生きていくうえで一番大事なことというのは、誰もが仕事を持てるということなので、今度厚生省と労働省が一緒になるということもあり、やはり仕事をどう保障していくかが大事だと思う。
○ 生きていくうえで一番大事なものは食糧だと思う。その食糧を日本の中できちんと保障していくということを大事にしていきたいので、例えば農業というものを日本の中でどう位置付けるかということと、仕事をつなげることはできないか。
○ 引きこもりの青少年に関しては、都市を離れたいと思っているものが非常に多い。そこで私は北海道や九州、四国などに連れていったりしているが、都市と行ったり来たりしながら、自然環境の中で働くことによって、自分を取り戻していきたいという思いもある。できれば、就労対策と農業に取り組むということをセットにして、色々と考えられたらどうかと思っている。
○ ある国では、ひとつの木を植えるのに4、5人もの人手をかけて行っている。なぜもっと効率よくやらないのかと聞けば、効率よくやったらその人たちの仕事がなくなるということであった。日本では効率ばかりが重視され、そうした発想がいつの間にか忘れられている。やはり、公共事業も一部はそういう発想でやるべきだと思う。
○ ホームレス対策は都市だけの責任ではないと思う。全国から都市に集まってきているので、やはり国の費用で対応して、一部は効率を考えずに人をどう生かしていくかということを考える必要がある。
○ 長期的かつ根本的な対策、隣接領域を含めた総合的な対策が必要であると同時に、緊急的な対症療法的な対策も必要である。この二つをどう結び付けるかが重要となる。
○ 公私の協力関係、協働関係はどうしていくのか。民間の主体性ということも含めて、公私の協働関係をどう育てるかが重要。
○ 国と地方公共団体の関係としては、今後法的規制を含めてどう一体的に体制を組めるのか。


(照会先)
厚生省社会・援護局企画課 堀
03(3595)2612(直通)


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