第5回 社会的な援護を要する人々に対する
社会福祉のあり方に関する検討会議事概要
平成12年10月10日(火)
15:00〜17:00
厚生省特別第1会議室
(議事概要)
- ○ 事務局より本日配布の資料の確認について説明の後、委員報告として張田委員に「都市の福祉問題と民間福祉活動」、岩田委員に「貧困・生活問題と福祉制度」というテーマでご報告いただき、自由討議に移った。
(張田委員の報告)
- ○ 1895年に日本で救世軍の活動が始まって、100年を超えている。社会鍋の運動も、100年を迎えようとしている。
- ○ 救世軍の活動の歴史としては、3つの取り組みがある。第一は社会問題への取り組み。1896年から「出獄人救済所」を設け、刑を終えた人への働きを始めている。これは法の整備等もあり、私たちの働きとしては使命を終えている。1900年には廃娼運動を開始、1901年からは禁酒問題に取り組むなど、様々な社会問題に取り組んできた歴史がある。
- ○ 第二は社会鍋運動による取り組み。これは寄附を集めて慈善をしていくもので、1896年にその前身となる活動を開始。今日でも全国的に行われており、東京都だけでも1年間に3,000万円が集まっている。集まった資金は、災害救助や、施設・教会周辺の人々への慰問などに活用されている。その活動の延長上に、ホームレスの人への支援がある。
- ○ 第三は教会を中心とした地域への取り組み。救世軍自体が、イギリスの産業革命により貧民街化した東ロンドンで始まった経緯があるので、その底流には虐げられた人への思いがある。1902年に教会を中心に「愛隣隊」を組織し、貧困家庭の相談相手となる。今は名前を変えているが、地域の人への働き、相談業務などを行っている。
- ○ 戦後の法整備により、ある種の社会福祉事業は公的な制度に乗ることになり、施設の財政基盤が確立され、安定した施設運営が可能となった。しかしその半面、本部事務には助成がなく、民間からの寄附に頼らざるを得ないため、本来の意義である、社会のニードを掘り起こし、それに応えていくという活力と意欲に欠けてきている。
- ○ 公的制度に乗らない福祉活動も継続している。その活動は規制がなく自由に行える半面、資金的には困難がある。現在の活動としては、アルコール依存症の人々の更生施設として、中古衣料等をいただいて、それを売って自立支援の資金としている。
- ○ 炭谷局長が本検討会の最初に「最近、社会制度の網の目から落ちてくる層が目立つようになってきているのではないか。こういうところに我が国の社会福祉制度の中で忘れられた部分、十分に対応しきれない部分があるのではないかという問題意識を持つようになった」という指摘をされたが、その言葉は、長い間民間福祉活動を行ってきた人々にとっては大きな励ましである。
- ○ 民主的で、一人ひとりが個人としての生き方を認められる社会とはどういう社会かということを、もう一度考えていかなければならないのではないか。その中で今、行政主導の福祉というものが考えられているが、もう少し地域を別の区切りで分けられないだろうか。行政区域で分けると、住民票がどこにあるのかという問題が出てくる。
- ○ 相談業務に関しても、行政で分けた地域ではなく、もう少し細かい区分けで、民間から相談員を選ぶことはできないだろうか。
- ○ 民間の相談員が、相談を受けたところである程度情報提供でき、ケアすることができるような体制は作れないだろうか。
- ○ 相談業務の中には、行政でなければできないこともあるので、そうした部分に関しては役割分担が必要だと思う。
- ○ それぞれの民間団体が持つ特長が生かされて、なお、お互いにネットワークとして働けるようなものを作ってもらえればと思う。
(岩田委員の報告)
- ○ 貧困の捉え方は色々あるが、一番単純な定義は、生活資料が不足している状態である。今日の社会では、それは主として所得量で捉えるのが通常のやり方だが、貧困にまつわる問題は、病気、障害、その他様々な生活問題と絡み合いながら出てくる。これまでも、貧困の悪循環や、様々な心身の問題、家族関係の問題、地域生活上の問題等が指摘されてきた。
- ○ 貧困・生活問題の形態ということでは、「見える問題・見えない問題」という視点と、「固定性・流動性」という二つの視点がある。
- ○ 「見える問題・見えない問題」ということで言うと、今日の生活は個別の住居に分かれていて、ドアを閉めて暮らしており、そう簡単に覗く訳にはいかないので、見えないことが基本的な特徴になっている。この場合、自分から困ったということを表出しないと、社会はそれをキャッチすることができない。見えないものが見えるようになるためには、ニーズの自覚性に依拠せざるを得ない。
もう一つ、見えない問題を見えるようにしていくためには、相談等を通じて、それを外側からどう発見していくかが重要になる。
- ○ 見える問題というのは、今日の路上生活のような問題が極めて典型的だが、その困難さが極めて明確に表れるが、そのことが普通でないために異端視される危険、排除される危険を同時に孕んでいる。
- ○ 「見える問題・見えない問題」という場合、見えたり隠れたりするということもよくある。東京の路上生活者の調査では、路上にずっと野宿しているのは半数弱で、ドヤと行ったり来たりしているのが36.5%、病院や福祉施設と行ったり来たりしているのが15%ほどとなっている。実は、半数以上がずっと路上にいるわけではなく、一時避難したり、ちょっと隠れる場所を持っている。
- ○ ホームレス問題に限定して言うと、寮や給与住宅に住んでいた人が極めて多く、失業と住居の損失=路上生活がストレートに結びついてしまう。
- ○ 貧困を所得から計測する方法は色々あるが、平成元年全国消費実態調査を元に、生活保護基準から見ると、世帯で4.15%、人員で3.71%が保護基準を下回っている。また、その人たちの中で生活保護を実際に受けている人がどのくらいいるかという、補足率から見ると、人員で24%、世帯で40%となっている。
- ○ 相対基準(所得分布の中位数の半分という比率)から見ると、中位の人の所得の半分より下という人が8.2%いる。その世帯類型を見ると、全体の平均が8.2%なのに対して、単身世帯が12.9%、高齢単身世帯が30.0%、高齢夫婦世帯が13.1%、ひとり親世帯が22.5%となっている。とりわけ高齢単身世帯の場合は、女性の高齢単身世帯が圧倒的に多く、そこにかなり貧困が出てくるということが分かっている。
- ○ 貧困層の固定性・流動性という問題は、同じ世帯をずっと毎年調査していくという手法を使うと分かりやすい。外国ではよく「貧困のダイナミクス」と言われているが、1993年に24歳から34歳だった全国の女性集団1,500を対象とし、そのうち調査可能な544の対象の4年間の動きを見ると、ずっと貧困にいた人は本当に少なく(3.7%)、出たり入ったりした人が20.8%いた。わりあい安定していると見られた若年世帯でも、固定している貧困は少ないが、所得変動がかなり大きく、出たり入ったりしていることが分かった。
これを女性の仕事の有無で見ると、常勤の仕事を持っている層は圧倒的に安定層に分類される。無職ないしはパートやアルバイトという層では、やや貧困が高く、特に固定層は「仕事なし」に多く出てくるということが分かる。
- ○ 貧困というのは、かつてはスラム型であったが、高度経済成長期には、ガルブレイスが言った、成長から取り残された島の貧困という見方があった。しかしながら今日では、その周辺にある流動層への眼差しが非常に重要になっている。パート収入がちょっと減ったり、夫が亡くなって高齢女性だけの世帯になった場合、年金収入がちょっと減っただけで生活保護対象層になってしまうことがあるが、その層が色々な問題を抱えていると思う。
- ○ 都市部の特徴としては、(1)地域移動が大きい(2)居住装置が多様(3)労働機会・就学機会が多様で、情報が集中(4)単身世帯が多く、家族が不安定化している、等が挙げられる。
- ○ 都市の貧困については、東京都を例にとると、女性や家族への緊急一時保護事業を幾つか行っている。緊急保護ということで、本来の制度対象よりも少し緩くして受け入れている。
- ○ 東京都が平成10年に行った、この1年以内に生活保護を受けるようになった世帯の調査を見ると、圧倒的に単身世帯が多く、居住期間は1年未満で地域流動が高く、過去の保護歴のない人は8割となっている。平成8年の被保護高齢者の生活実態調査をみると、圧倒的に単身世帯が多いことが分かり、その生活実態からかなり孤立した状況であることが分かる。
- ○ 今日の日本の社会福祉の諸制度においては、こういう問題に対しての色々な装置の整備は一応できていると思う。一つ目は、問題予測を前提とした予防装置を持つということ。二つ目は、特別な問題にニーズへの救済的なアプローチ。三つ目が、新しい問題への緊急的なアプローチ。緊急的なアプローチとしては、現場レベルで通常の制度では対応できないので、要件緩和や制度の拡大・付加などを行うような形で、女性や家族の緊急一時保護やホームレスの緊急対策といったものが、それなりにはできていると思う。
- ○ ホームレス調査でも、制度利用について質問しているが、福祉制度の利用をしたことがないというのは3割ほどで、7割は何らかの制度利用の経験がある。しかもそのうち、生活保護の利用経験を持っている人は35.6%にのぼる。しかしながら、それがなかなか本格的な問題解決にはつながりにくく、母子・女性などの場合は施設を何回も緊急利用するという実態があり、生活保護世帯の長期沈殿化という問題も抱えている。
- ○ しかし、問題点がいくつかある。まず、日本の場合は属性カテゴリー別の制度体系を持っており、それぞれが分業の体制をとっているが、それは分業のメリットと同時に、問題が複合的に表れたときに、それに対する視点が希薄化してしまうというデメリットを持っている。例えば、緊急一時保護の場合、母子寮も、女性センターも、生活保護施設も大体同じような人を受け入れており、実際、同じ女性、同じ母子がその三つを行ったり来たりしている。しかし、同じ問題を持っているのに、母子寮では夫の暴力に焦点が当たり、生活保護施設では貧困に焦点が当たってしまい、その重なり合いが見えにくい。
- ○ 制度相互間の連携が薄いため、問題を複合的に見ていこうという視点がとりにくい。施設の例を見ると、通常利用と緊急利用があまり変わらずに行われており、緊急一時保護が常態化している。
- ○ 解決資源のない問題に対しては、制度ごとにある相談体制は非常に弱い。
- ○ 施設サービスを前提にすると、施設による資源制約が非常に大きい。緊急一時保護がなぜできるかというと、施設に空きがあるからである。このように、資源によって新しい問題へ対処する可能性が広がったり、狭まったりする。
- ○ 日本の施設サービスのやり方は、居住と必需生活サービスと具体的な特殊ニーズに対するサービスが全部ワンセットになっている、いわば「定食型サービス」になっているため、新しいニーズや対象の変化に追いつけない部分がある。そこで、個別対応プログラム型サービスを加え、それに柔軟性を持たせれば、新しいニーズが起きても対応でき、外のサービスと結びつけることもできるのではないかと思う。
- ○ 福祉事務所や施設などの現場では、独自に内規やマニュアルを開発しており、これがだんだんひとり歩きしている。政策が大きく変化するときでも、その内規やマニュアルに拘束されるため変えようにも変えられず、現場が一番硬直化するということがある。
- ○ 日本の場合、住民資格の強調が古い共同体論理と結びつきやすく、住民登録が国籍以上に実質的な効果を持ってしまう。そうすると、都市に集まるような流動的な層はなかなか制度に結びつかないため、たらい回しになるということがある。何かの制度や施設を作るときには、近隣住民の反対という論理が大きな問題として立ちはだかってくる。
- ○ 前回デニズンという言葉を出したが、これは国籍問題として使われている言葉だが、住民登録上も利用できるかもしれない。すなわち二重住民として、元の住居と、働くためや就学のために出てきている場所も、セカンダリーな住居として認めていこうという考え方があり得るのではないだろうか。
- ○ 緊急アプローチというのは、民間団体が得意とする分野であろうと思う。他国ではこの部分が非常に厚く、一般にはここに制度改革のキャンペーン活動を含めての自主的活動が広がっていく。日本では、貧困問題に対する市民的関心が根本的に少ないので、そのような中から活動が出にくいということがあると思う。この部分をどう突破していくかが大きな課題になるであろう。
(自由討議)
- ○ 貧困の流動層において、貧困層を出たり入ったりする原因の一つとして、病気という要素はあるのか。
- ○ 病気の場合は、わりあい固定層と結びつき、「仕事なし」と結びつく傾向がある。流動の原因としても、仕事と病気、加えて若い世帯なので出産が大きな要因となっている。
- ○ 貧困・生活問題の中の見える問題において、ホームレスの健康管理はどうなっているのだろうか。数年前、ある病院に救急で運ばれてきた20代後半の男性患者は、エイズが発症しており、梅毒の急性期であり、結核の急性期であった。検査をしてその時は帰ったが、直後にこういう問題が分かってすぐ住所に行ってみたが、その人はホームレスだったため、結局はつかまらなかった。こういうことを考えると、感染や病気の管理は非常に重要だと思うが、その辺の実態はどうなっているのだろうか。
- ○ 野宿期間が長くなればなるほど病気の数が増えて、健康状態も非常に悪くなっていく。これに対する対策は、資源の問題と非常にかかわってくるが、病院の問題である。受け入れる病院があるかないかという問題が非常に大きく、自治体によっては謝礼金をつけてお願いするところもある。結核に関しては、東京都の衛生局でも対策を講じていると思うが、その辺りと福祉が一緒に対応してもよいのではないだろうか。
- ○ 山谷や釜ヶ崎などでは、ホームレスの患者を診る施設がある。面白いのは、東北の方にもホームレスがいるが、冬になると寒いので、病院の救急センターに来てみんな寝ている。そうすると、そこで病気が見つかるということもある。今、ホームレスは地域的に非常に広がっているので、どのように健康管理をしたらよいのかが大きな問題だと思う。
- ○ 法定事業を引き受けていると、どうしてもその枠の中で最善を尽くすようになり、自己完結してしまう。本来、民間社会福祉事業というものは、地域の中で生まれてくる生活問題に取り組むのだという、新しいものへの挑戦という姿勢が大切だが、その意欲が失われつつある。制度化というのはすばらしい前進があるが、同時にそのような欠点もあると感じている。
- ○ 各種の地域における相談員は、集計してみると17種類、60万人を超える人がいる。この中には22万人の食生活改善推進委員が入っていて、ちょっと異質かとも思うが、これを含めて、60万人の人が地域で活動している。しかし、これらはいずれも縦割りで、制度的に分業化しており、制度相互間の連携が極めて不十分である。これからの施策の中では、これだけのネットワークを持つ相談体制を地域の資源、社会資源、福祉資源に結びつけていくかが課題だと思う。
- ○ 簡単に貧困に陥る層が、若年層でもこんなにもあるということを数字の上で見て、驚いている。
- ○ 救世軍の歴史並びに問題点を色々と取り上げていただいたが、救世軍の原点であるキリスト教についてのご発言がなかった。宗教活動と社会福祉活動は切っても切れない関係にあり、救世軍という立場から見ると、布教することによってその背景をつかみ、その背景の力によって、社会鍋をはじめ、社会に対して訴えていく。この母体が広がらなければ社会活動も十分にできないというのは、どの宗教でも同じだと思う。
そこで、日本という特異な存在の国において、社会福祉活動を行う救世軍自体の母体をこれから広げていくということに問題があるのかどうか、それから、宗教活動を広げていく上で、特に救世軍においては何か問題点にぶつかっているのかどうか、ご教示いただきたい。
- ○ 救世軍の街頭給食アンケートは大事なことがとてもたくさんあるが、その中に「今後の生活をどのように考えますか」というアンケートを載せている。そこには、就職したいとか再出発したいという回答がとても多いが、救世軍の場合、例えば老人ホームに入りたいということも含めて、対応は非常に難しいと思うが、どのようにしているのか。実際の困難点も含めて、行政との関係などをご教示いただきたい。
- ○ 検討会という場なので、宗教色はなるべく抜きにして議論したいと思い、そういう発言は避けたつもりである。
人が生きていくということは何かと考えたとき、必ず哲学または宗教的なものにぶつかってくるだろうと思う。アメリカやイギリス、北欧などはキリスト教主義的な思想が強いため、民間の活動が大きく活躍する場があり、人々がその活動を認める土壌があると思う。日本には古来からの宗教があるので、どの宗教がという限定はしなくていいと思うが、福祉という点で考えたときに、人が生きていくこと、自立していくこと、社会の構成員であるということを考えるときには、宗教抜きには考えたくないと思っている。
- ○ 今後の生活はどのように考えるかということだが、ホームレスの人々に給食活動をしたり、日用品配布をする中で、私たちがその人々の更生に幾分でも役立つことができないだろうかという思いが、このアンケートの中に出ている。実際、色々な方法で自立への相談に乗っているが、老人ホームに入りたいというのは何とかやればできるが、就職や自分に合った施設に行きたいといったことになると、少々お手上げのところがある。
- ○ アルコール依存症の人々を支援しているという話があったが、彼らは多くの場合、身体的な障害も持っていて、専門施設も少ないので、病気の管理という意味では収容できるところが非常に少ない。例えば、アルコール依存症の人は通常の人よりも食道ガンの発生率が数倍高いということがあるが、そういうこともチェックしなければならない。
ところが、通常の施設で「明日来なさい」と言ってもだめなので、やはり施設に収容しなければならない。しかし、専門の施設はほとんどないので、医療機関でも患者のケアという意味では非常に困っている。実際には、こういう人々を抱えて、どのように対応されているのか。
- ○ 第一に、アルコール依存症の人が、アルコール依存症であることを自分自身で認めない限り、回復への道はない。それがないと、一時は病院に入っても、病院を出たらまた飲み、また依存症への道を行くという繰り返しになってしまう。
私たちは、20年程前に社会福祉法人としてアルコール依存症の人々の救護施設を作っている。今、アルコール依存症の問題だけでなく、精神障害や色々な問題を抱えてアルコール依存になる人がいるので、8カ月の間にその病気も回復させていくプログラムや、三度の食事をとり、朝になったら起き、夜になったら寝るという基本的な生活習慣をつけるといった方法を行っている。そこから退寮して元のところに戻るわけだが、残念ながら今のところ成功率はそう高くない。
- ○ アルコール依存症の施設は私どもでもやっており、毎日どこかで断酒会を行っている。断酒会員は出席を義務づけられているが、日本の生活保護のすばらしい点は、これに出席する旅費もすべて出してくれるということである。
- ○ 先日、北朝鮮のコメ問題で発言したが、あの1,200億円の予算があれば、もっと積極的に色々な手が打てるのではないかと思う。
- ○ 個別対応プログラム型サービスがあればいいというご説明があったが、具体的には、どういうものを想定されて、どういう予算をこちらは用意すればよいのか、それを併せてお伺いしたい。
- ○ ホームレス、女性、家族が生活基盤を失った場合に、社会福祉が出ていって対応する場合、住む場所というのは住民としての権利の基盤になるようなところでもあるので、居住というのは大事だと思う。それと、食事や入浴といった必需的な日常サービスは誰でも必要だと思う。こういう基礎的なものは、老人福祉施設、生活保護施設、母子施設のどれにおいても、基本的には同じように作っても大丈夫だと思う。
- ○ 日本の場合、こういった施設にサービスがあらかじめセットされていて、予定されるニーズが決まってしまっている。これに対して個別対応とは、例えば同じ母子寮に入ってきたお母さんと子供でも、必要なニーズは一人ひとり違うという前提である。必要なサービスを施設が全部用意しておく必要はなく、外部にあるサービスと結びつけていけばよい。ケアを必要とする場合は、一定のケアサービスが入ってくると思うが、個人が持っている具体的なニーズはそれぞれ異なっており、皆に同じである必要はないので、常態的に施設につけておく必要はない。それはマンパワーの無駄にもなるのではないか。
- ○ 欧米型のサービスは個別対応のタイプが多い。アメリカのあるシェルターでは、食事が出ない。ある人は生活保護で食品を買い、少し働ける人はそれで買う。普通の生活というのはそういうものなので、そこで一斉に食事をとる必要はないということである。日本的なイメージでそういうものを見たとき、非常に驚いた。
- ○ 先程出たような、アルコールや精神障害が絡んだような、非常に難しい問題が貧困と絡みながら生まれてくることがあるが、これを通常の施設で対応するのはまず無理。しかしながら、そういう無理なことを日本では結構やっている。例えば、東京のある女性の更生施設では、一時期、精神病院からのいい退院先だと見なされていて、7割から8割が精神障害の人で占められていた。ところが、そこは専門の施設ではないので、職員も訓練できておらず、非常に不安があった。
- ○ これからは、施設でも福祉資源だけではなく、医療や住宅の労働の資源と結びつけながら、個々に対応したサービスを組んでいけば、ニーズが新しくなっても、そんなに特別なプログラムを作る必要は無くなると思う。
- ○ 日本では、今、あまりにも全部に対応するように作られ過ぎていると思う。なので変化に追いつけず、資源がむだというか、非常に勿体ない。出たり入ったりできるようなサービスを行うとか、在宅でやっているサービスと施設を結びつけるとか、そういう問題を個別にやっていく人を施設に置く等すれば、もう少し資源効率が良くなるのではないか。
- ○ 施設の中に居住機能が自立・分離してこなかったのではないかと思う。居住機能を独立させない限り、ケアとくっついてしまう状況があるので、資源の制約の問題とも非常に絡んでくるのではないかと感じる。
- ○ 貧困の流動性の問題の中で、失職や失業の問題が大きな要素として言われたが、もう一つの要素として消費社会、借金が流動性をどう高めているのか。
- ○ 高齢者について、孤立状態の話はよく分かるが、その層についてはむしろ流動性が乏しいだろうと思う。それはむしろ取り残された島の問題として、今日的にも考えておけばよいのか、それとも、それは違う要素を持っている新しい問題として捉えるべきなのだろうか。
- ○ 調査のたびに借金の問題に取り組んでいるが、借金というのはなかなか答えにくいものなので、大体失敗している。ホームレスなどでも、借金がある場合は色々なところを経由せず、ストレートに路上に出てくるケースが多い。今までは貧困を所得だけで見てきたが、借金の問題を抜きにしては語れないので、そこが今後の課題である。
- ○ 東京の生活保護層を見ると、必ずしも島の貧困と言えるかどうか分からない。例えば、同和地区や公営住宅に生活保護が多いというような、集合的に貧困が生まれている場合、沈殿的に安定してしまうというケースが多い。
私が見た生活保護の多くは、そうではなくもっと分散している。驚いたのが、単身女性が70〜80歳の年齢層で生活保護になるというケース。年金を受給していたが、夫が亡くなったためにその分が減るからである。昔で言うとボーダーラインということだと思うが、5万円程度減ったところですぐに生活保護になるといった層が思っている以上に多い。
- ○ ホームレスの出方について東京で調査したところ、4割は山谷などと関連があるが、残りの6割は関連がなく、あちこちから湧き出ているという印象がある。なので、島の貧困に近いと思うが、集合しておらず、もっと分散しているという感じがする。そのことが、都市の世帯の小規模化とも関連していると思う。
- ○ 家族といっても、母子寮や宿所にいる家族は非常に不安定な家族である。生活の基盤があれば家族が結集するが、なければすぐにバラバラになってしまう。これまで私たちが考えていたものとは変わった世帯単位になっていることを前提にしないと、問題がよく見えないと思う。
- ○ 若い女性が貧困層に固定したり、出たり入ったりしている層が全部で4分の1近くになるということだが、その貧困層にいる人、出たり入ったりしている人の意識として、この貧困は良くないから安定層に行かなければいけないという意識があるのだろうか。
- ○ この豊かな時代に、若年層がこれだけ貧困を経験しているというのは意外な感じもする。仕事柄、若い女性向けの雑誌の人たちと話していると、浮かび上がってくる読者層は、こういう時代なので就職もあまり成功せず、アルバイトで月収10万円とか12万円とかなのに、プラダのバッグは買ってしまう。お金があるときはコンビニの弁当を食べ、なければカップラーメン。これでは将来絶対に医療の世話になるような、将来、この検討会で扱わなければならないような人に、かなり高い確率でなってしまうと思う。
本人が困ったと思ってそれを表出しないと、福祉の側も捉えようがないという指摘があったが、その辺りと関連して、若い女性の意識はどうなのだろうか。生活水準変動の調査を行ったときに、意識面の調査は伴っていたのだろうか。
- ○ 調査時に生活満足度と幸福度を測っているが、まだ分析しきれていないので、それはこれからの課題である。ここでいう貧困は、あくまでも客観的に測定した意味の貧困なので、ここにいる人たちが貧困であると自覚しているかどうかという問題はある。ただ、所得水準からいうと、出たり入ったりしている人というのは、固定的な貧困層と安定層の間にいる人で、3、4万円の違いで出たり入ったりという感じである。
- ○ 施設を運営する側に、自己責任がほとんどない。すべてに責任が伴うため、危ないことはさせられない。お風呂で何か自己が起きれば、すべて施設の責任になってしまう。その辺をはっきりしないと、色々な形で対応することがますますできなくなるのではないかと思う。
- ○ 家庭内暴力やDVなど様々な問題があるが、それを社会の一つの問題として捉えるのか、それとも特異な事例として捉えるのかということを課題別に見分けないと、それに対応することは困難ではないかと思う。
- ○ ホームレス予備軍というのはどう考えるのか。今現在のホームレスに対応するということはあるが、その予備軍をどう見るかが非常に大事だと思う。
- ○ 施設はシェルターとしての機能をどうしても果たさざるを得ない場合があるので、世間から隠しておくというケースもあると思う。しかし、そこに終始していては社会に戻れないので、色々なタイプの施設を作るか、緊急の場合に隠すという場面もあるが、そこから移すといった二つのものがあれば良いと思う。
- ○ 問題の多くは社会問題として表れるときに、集団的な現象というか、共通性を持つと思う。なので、それに対する類似のプログラムが出来てくると思う。しかし、基本的には、生活に対するサービスは色々な意味の個別性がどうしても絡んでしまうので、DVという問題でも、共通する部分と、その人が固有に持っている他の問題との絡みで対応しなければならないという難しさがある。問題自体は社会問題として出てくるが、対応はどうしてもパーソナルな部分が残る。
そのため、共通の部分と個別的な対応をくっつけるような仕組みがないと、たびたびサービスや制度を変えていかなければならない。ところが施設は一度作ると変えるのが難しいし、人も一度育てると変えるのは難しいので、最初から柔軟に使えるような形にしておかないと、後々非常に無駄になるような感じがする。
- ○ ホームレス予備軍の問題で一番重要なのが、若年層の問題である。ここ1年間で若い人のホームレスが増えている。今のホームレスの人たちは、7割は常勤雇用の経験を持ち、社会保険でカバーされてきた経歴を持っているが、今後はこういう経歴を持たない人が出る可能性があり、こうなると本当に欧米型になっていくと思う。
- ○ 本日は宗教という思想の深さと、問題の分析の質の高さを教えてもらったのではないかと思う。
- ○ マザーテレサが山谷を訪れたときに「たくさんの人が倒れているのに、誰一人助け起こす人がいないのはショックだ」と語ったが、私はその言葉を聞いてショックを受けた。私は助け起こしたことはなく、なぜ助け起こさないかという言い訳と理屈を用意している。これは政治の貧困であり、行政責任である。一人を助け起こしたところで社会的にどれだけ役に立つのかと自分に言い聞かせており、手を出さない。
しかし、倒れている人がいればすぐに助け起こす人もいる。吉村委員がそうだし、救世軍がそう。身体が覚えているというか、ニードがあれば身体で応えるということができる。ところが、私は理屈を考えて、納得できなければ身体が動かない。こういう問題を自覚している。
- ○ 今必要なのは理論と政策。しかし、他方において実践が必要。政策と実践とは不可分であり、緊張関係を保たなければならない。救世軍の司令官であった山室軍平の言葉に「船は水の上にいなければいけない。しかし、船に水が入ってはいけない」というものがあるが、これこそが緊張関係だと思う。
(照会先)
厚生省社会・援護局企画課 堀
03(3595)2612(直通)