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医原性クロイツフェルト・ヤコブ病に関する調査報告について

平成12年8月11日

1 平成12年4月21日に、衆議院規則第56条の3第3項の規定に基づき、衆議院厚生委員長から衆議院調査局長に対し「医原性クロイツフェルト・ヤコブ病に関する予備的調査(平成12年衆予調第1号)」が命ぜられ、これを受けて、平成12年4月25日に、議院事務局法第19条の規定に基づき、衆議院調査局長から厚生大臣に対し「予備的調査への協力要請について(衆調発第44号。以下「旧要請書」という。)」により、調査協力要請がなされたところである。

2 当該調査協力要請を受けて、厚生省においては、旧要請書の別添1の1に記載された調査協力要請事項について、当時の関係職員274名並びに研究班班員63名に対し、調査票に基づく調査を実施するとともに、厚生省内の事務室及び倉庫における保存文書類の調査を行った。

3 衆議院厚生委員長の予備的調査命令については、平成12年6月2日の衆議院の解散に伴い、消滅することが確認された旨、衆議院調査局厚生調査室から連絡を受けたところであるが、厚生省としては引き続き、調査協力要請のあった事項について調査を進めてきたところである。

4 その後、平成12年8月4日に、改めて「医原性クロイツフェルト・ヤコブ病に関する予備的調査(平成12年衆予調第2号)」が命ぜられ、これを受けて、平成12年8月8日に衆議院調査局長から厚生大臣に対し「予備的調査への協力要請について(衆調発第54号。以下「新要請書」という。)」により、調査協力要請がなされたところである。

5 本日、厚生省において、新要請書の別添1の1に記載された調査協力要請事項について、別冊のとおり調査報告書をとりまとめ、衆議院調査局に回答したところである。また、調査報告書に加えて関係資料等についても、厚生省行政相談室において閲覧可能なものとしている。

6 なお、別冊のとおり、「ヒト乾燥硬膜とクロイツフェルト・ヤコブ病に係る事実関係等について」を併せてとりまとめたところである。


照会先
保健医療局 エイズ疾病対策課
課長補佐 金谷 泰宏(内82ー2368)
ダイヤルイン 03ー3595−2249
医薬安全局 企画課医薬品副作用対策室
室長 依田 晶男(内2716)
ダイヤルイン 03ー3595−2400


医原性クロイツフェルト・ヤコブ病に関する調査報告書

平成12年8月11日
厚生省

I クロイツフェルト・ヤコブ病と特定疾患調査研究事業について

(1) クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)について

 クロイツフェルト・ヤコブ病は、1920年代にドイツにおいて世界で最初の症例が報告されているが、初老期以降に不定の異常行動をもたらし、記憶力の低下や、歩行、視力障害などの精神・神経症状が生じるとともに、これらの症状が急速に悪化して、進行性痴呆ないし意識障害をもたらし、数ヶ月で無動・無言状態となり、1〜2年で死亡に至るものである。
 クロイツフェルト・ヤコブ病とその類縁疾患は、かつて、通常のウイルスとは異なる未発見のウイルスを原因因子とするスローウイルス感染(ウイルス感染から発病までの期間が長期にわたるもの)と考えられ、研究が進められてきた。しかしながら、その後、共通して異常なプリオン蛋白(PrPsc)が確認されたことから、このプリオン蛋白が病原因子として提唱され、1993年(平成5年)頃に、実験レベルにおける裏づけがなされて、いわゆる「プリオン仮説」が定説化しているが、感染メカニズムの詳細については、現在においても明らかではない。
 クロイツフェルト・ヤコブ病の有病率は、100万人に1人前後と言われており、その約8割はプリオン蛋白遺伝子に異常が認められず原因も不明な孤発性症例であり、約2割はプリオン蛋白遺伝子に異常が認められる遺伝性症例である。また、全体のごく一部ではあるが、角膜移植、脳内電極挿入、ヒト成長ホルモン製剤、ヒト乾燥硬膜等による医原性感染の疑われる症例が報告されている。
 1996年(平成8年)3月の英国政府諮問委員会の声明に端を発して、いわゆる「狂牛病(牛海綿状脳症)」とヒトの新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(20代の若年で発症し、不安、感覚障害等の経過も、従来から知られていた、いわゆる古典的クロイツフェルト・ヤコブ病より長い。脳組織のプリオン蛋白も牛海綿状脳症のものに類似している。)との関連が疑われ、世界的に注目を集めた。我が国においては、同年5月に、厚生省特定疾患調査研究事業において、「クロイツフェルト・ヤコブ病に関する緊急調査研究班」を設置し、新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病患者の存在を含めた、全国的な疫学調査を実施した結果、新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の患者と確定できる患者は存在しなかったが、一方でヒト乾燥硬膜の移植歴のあるクロイツフェルト・ヤコブ病の患者が43名確認されたことから、疫学的に両者の間に関係があることが認識された。

(2) 特定疾患調査研究事業について

1)特定疾患調査研究班

 「特定疾患調査研究事業」は、1972年(昭和47年)に開始された研究事業であり、症例数が少なく、原因不明で治療方法も未確立であり、かつ、生活面での長期にわたる支障がある疾患(いわゆる「難病」)について、研究班を設置し、当該疾患の原因究明、治療方法の開発に向けた研究を行ってきたものである。
 同事業に基づいて設置された研究班において行われる研究は、難病の原因究明と治療法の開発という学術的な研究であり、主に大学医学部等の臨床、基礎医学研究者を中心に構成される研究グループに対して国から補助金が交付される形で行われるものであり、各研究班の研究期間はおおむね3年間を一研究期間とし、必要に応じて、その延長が行われている。実際には、主任研究員となる研究者の研究室等が事務局となり、各分担研究者や研究協力者に対して研究費の配分を行い、研究参加者の報告を研究報告書として取りまとめるものである。また、研究成果については、研究報告書を数多く作成し、これを全国の大学の医学部、医師会等に広く配布するとともに、各研究班ごとに研究班の主催による一般研究者向けの研究発表会を開催することによって、研究現場や医療現場への普及を図ることが行われている。

2)遅発性ウイルス研究班

 クロイツフェルト・ヤコブ病については、1976年(昭和51年)度において、当時43設けられていた特定疾患調査研究事業の研究班の一つとして、「スローウイルス感染と難病発症機序に関する研究班」(1979年(昭和54年)度以降は「遅発性ウイルス感染調査研究班」に改称。以下「遅発性ウイルス研究班」という。)が設けられ、潜伏期間が長く、いったん発症すると進行性で予後が良くない難治性の疾患として、亜急性硬化性全脳炎(SSPE)、進行性多巣性白質脳症(PML)、多発性硬化症(MS)の3つの疾病と併せて、その原因の究明と治療法の開発等を目的とした研究が進められてきた。
 遅発性ウイルス研究班の研究内容については、(1)スローウイルス感染症について全国規模の調査を行い疫学的解析を行うと共に臨床像を詳細に解析し病態を把握する疫学・診断基準部門、及び(2)スローウイルス感染症のウイルス学的、生化学的、免疫学的検索を行い発症機序を解明する成因・病態生理部門の2部門に分けられ、各年度の総括研究報告においては、これら2部門の研究成果が報告されている。
 なお、厚生省内で、当該研究班が一般研究者向けに開催した研究発表会について、1982年(昭和57年)度以降のプログラム類の存在が確認されたところである。(参考資料1)

3)特定疾患対策懇談会と評価調整部会

 特定疾患調査研究事業で行う研究は、学識経験者により構成される「特定疾患対策懇談会」において、難病対策として研究を行うべき疾病の決定、その評価、その他問題解決の方向等が議論されていた。
 また、1976年(昭和51年)には、「特定疾患対策懇談会」の下に、専門部会として「評価調整部会」が設置され、同年度以降の特定疾患調査研究事業に係る研究班の設置等については、同部会における議論を経た上で、最終的に、「特定疾患対策懇談会」の結論を踏まえて決定することとされた。(「特定疾患対策懇談会」と「評価調整部会」との関係については図参照)
 同部会においては、事務局として厚生省職員が出席し、3年程度の研究期間を区切りとして、各研究班長から総括研究報告を聴取した上で、当該研究班の継続等についての評価、調整を行っていたものである。
 同部会の運営等に当たっては、主に以下の点に留意等するものとされていた(保存文書2参照)。
ア) 研究全体の調整に重点を置くものであり、研究成果の見直しという角度から評価を考えるものであること。
イ) 研究全体はアカデミックな立場から判断され、それに基づいて研究計画を立てるべきものであって、同部会は、行政的な判断よりも学問的なアドバイザー機関としての機能を果たすものであること。
ウ) 調査研究の成果の普及方法としては、いわゆる民間学術団体を通じて自主的に行う形が適当であり、各班の研究成果を学問の進歩や研究の成果を素直に反映した形で、一般の臨床医に普及させるような方法が有意義であること。
 なお、厚生省内に保存が確認された文書類から明らかになったところによると、「遅発性ウイルス研究班」からは、表のとおり、総括研究報告が行われている。


図


表 各年度の総括研究報告の概要

報告対象年度数 報告聴取が行われた日 他に報告の対象とされた
研究班の数
1976年(昭和51年)度から1978年(昭和53年)
度までの研究分
1979年(昭和54年)3月15日 17班
1979年(昭和54年)度から1981年(昭和56年)
度までの研究分
1982年(昭和57年)2月19日 17班
1982年(昭和57年)度から1984年(昭和59年)
度までの研究分
1985年(昭和60年)2月12日 16班
1985年(昭和60年)度から1987年(昭和62年)
度までの研究分
1988年(昭和63年)2月9日 24班
1991年(平成3年)度から1992年(平成4年)
度までの研究分
1993年(平成5年)2月24日 25班
1993年(平成5年)度から1995年(平成7年)
度までの研究分
1996年(平成8年)2月28日
又は2月29日
43班

注1) 1988年(昭和63年)度から1990年(平成2年)度までの研究分についての総括研究報告については、厚生省に保存が確認された文書類からは、その開催の事実を確認できなかったが、1993年(平成5年)2月24日の総括研究報告(1991年(平成3年)及び1992年(平成4年)度分)に係る研究評価に関する評価用紙(保存文書14)には「遅発性ウイルス感染調査研究班(5年目)」の記載がある。なお、研究班員に対する調査票による調査において、山内研究班長(当時)からは、1991年(平成3年)3月14日に総括研究報告を行った旨を記載した文書及び発表レジュメの送付があった(参考資料2)。

注2) 1993年(平成5年)度から1995年(平成7年)度までの研究分についての総括研究報告は、書類審査に変更され、研究班長からの聴取は行われていない。

注3) 1996年(平成8年)度以降は、「評価調整部会」が廃止され、各研究班ごとに設置された「評価小委員会」による評価を経て、最終的に「特定疾患対策懇談会」の結論として決定することとされた。

II 要請書に係る調査結果等について

 厚生省特定疾患調査研究事業「スローウイルス感染と難病発症機序に関する研究班」 (1976年度〜1978年度)及び「遅発性ウイルス感染調査研究班」(1979年度〜)について(要請書別添1ー1 提出を求める資料等関係)

(1) 1976年に設置した研究班の設置目的及び委託研究内容の文書について

(1) その名称の如何に拘わらず、設置目的及び研究班が行おうとする研究内容を記載又は記録するもので、厚生省内に保存されている一切の文書類(メモ類・磁気テープ類並びに作成者が明らかでないものも含む)
(調査結果)

1) 厚生省において、当該研究班を設置した担当課を中心として、その事務室及び倉庫内について、(1)に係る文書類の調査を行った結果、以下の文書類の保存が確認されたところである。

ア) 「特定疾患対策懇談会」資料(1972年(昭和47年)5月26日付)(保存文書1)
 当該資料は、特定疾患対策懇談会の設置に係る厚生省の内部文書であり、同懇談会の趣旨、懇談内容の主な事項、委員について記載された文書である。
イ) 「第1回特定疾患対策懇談会評価調整部会会議資料」等(1976年(昭和51年)2月 19日付)(保存文書2)
 当該資料は、評価調整部会が設置された際における第1回特定疾患対策懇談会評価調整部会会議において配布された資料等であり、同部会会議の議事内容、委員名簿、設置目的、組織、委員の構成、評価調整対象、評価方法、運営に当たっての留意事項等について記載された文書である。
ウ) 「第4回特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1976年(昭和51年)4月27日付)(保存文書3)
 当該資料は、第4回特定疾患対策懇談会評価調整部会において配布された資料等であり、1976年(昭和51年)度調査研究班の研究テーマ候補の中に横断研究テーマ(臨床部門及び関連する基礎部門で構成し、学際的な研究として推進するもの)の1つとして 「slow virus感染」を位置づけた旨の記載のある文書である。
エ) 「第5回特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1976年(昭和51年)5月14日付)(保存文書4)
 当該資料は、第5回特定疾患対策懇談会評価調整部会において配布された資料等であり、調査研究課題(追加分)として、スローウイルス感染について「難病惹起性重要因子としての予備的調査より本格的研究へ発展」とした旨の記載のある文書である。
オ) 「第6回特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1976年(昭和51年)5月24日付)及び同会議におけるメモと推定される資料(保存文書5)
 当該資料は、第6回特定疾患対策懇談会評価調整部会において配布された資料等及び同会議におけるメモと推定される資料(作成者不明)であり、当該配布された資料において、スローウイルス感染に係る調査研究班の班長候補者名及びスローウイルス感染について「難病惹起性重要因子の1つとしてウイルスなどの役割の調査研究を行う」とした旨の記載のある文書である。

2) 当該研究班の班員に対しても、調査票により調査した結果、1976年(昭和51年)に設置した当該研究班の設置目的及び研究内容を記載又は記録した文書類の保存は確認されなかった。

(2) 研究班設置当時の厚生省担当部局職員が厚生省外で保存する上記文書類
(調査結果)
 1975年(昭和50年)4月1日から1976年(昭和51年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課における担当職員に対して、調査票により確認したところ、厚生省外に保存する文書類が存在するとの回答はなかった。

(3) 文書類が存在しない場合その理由、また、存在するが提出できない文書類がある場合はその概要と不提出の理由
(調査結果)
 保存文書ア)からオ)までのとおりである。存在するが提出できない文書類に該当するものはない。

(2) 毎年度の報告書作成前後における研究班と厚生省担当課との会議の出席者及び議事録並びに配付資料について

(1) その名称の如何に拘わらず、報告書の作成等研究班の運営に関し、研究班員と厚生省担当者との間で行われた会合におけるその経過、内容及び結論等を記載又は記録するもの並びに配付資料で、厚生省内に保存されている一切の文書類(メモ類・磁気テープ類並びに作成者が明らかでないものも含む)
(調査結果)

1) 1976年(昭和51年)4月1日から1999年(平成11年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課を中心として、その事務室及び倉庫内について、(1)に係る文書類の調査を行った結果、毎年度の研究報告書の作成前後における報告書の作成等研究班の運営に関し研究班員と厚生省担当者との間で行われた会合と考えられるものに係る文書類の保存は確認できなかった。

2) なお、毎年度の研究報告書の作成前後における報告書の作成等研究班の運営に係わる研究班と厚生省担当課との会議に該当するものではないが、IIの(2)で述べたように、3年間の研究期間の区切りに、厚生省担当者が事務局として出席した「特定疾患対策懇談会評価調整部会」において研究班長からの総括研究報告の聴取が行われていたところ、当該総括研究報告に係る文書類及び当該評価調整部会を受けて開催されたと考えられる「特定疾患対策懇談会」に係る文書類であって、「スローウイルス感染と難病発症機序に関する研究班」及び「遅発性ウイルス感染調査研究班」に関係した記述がある以下の文書類の保存が確認された。

ア) 「第17回特定疾患対策懇談会」資料(1979年(昭和54年)3月12日付)(保存文書6)
 当該資料は、1979年(昭和54年)3月12日に開催された特定疾患対策懇談会において配布された資料であり、当日の会議次第、特定疾患対策懇談会の運営方針、評価調整部会日程等が記載されている。

イ) 「特定疾患対策懇談会評価調整部会の開催について」(昭和54年2月28日付起案 文書)(保存文書7)
 当該文書は、1979年(昭和54年)3月15日及び16日に評価調整部会を開催するに当たっての開催通知であり、「スローウイルス感染研究班」からの総括研究報告を3月15日15:00〜15:30に予定している旨の記載があるものである。
 なお、当該評価調整部会における研究発表内容(1976年(昭和51年)度から1978年(昭和53年)度までの研究)等について、石田研究班長(当時)に確認したところ、「(当日の発表内容及びその方式について)記憶はない。研究班で発表レジュメを作成し、これにより発表を行った記憶はない。」との回答を口頭で受けた。

ウ) 「第18回特定疾患対策懇談会」資料及び議事録メモ等(1979年(昭和54年)4月17日付)(保存文書8)
 当該資料は、1979年(昭和54年)3月15日及び16日の評価調整部会において各研究班長から聴取された総括研究報告を受けて開催されたと考えられる1979年(昭和54年)4月17日の特定疾患対策懇談会における議題等が記載された資料であり、当日の議事録メモ(作成者不明)も含まれている。
 当該議事録メモによれば、同日の同懇談会においては、1)1979年(昭和54年)度特定疾患調査研究班編成、2)アミロイドーシス、3)今後の治療研究対象疾患について議論されており、委員からは、クロイツフェルト・ヤコブ病について、医療費の自己負担がない特定疾患治療研究の対象疾患に加えて欲しい等の発言があった旨の記載がなされている。

エ) 「特定疾患対策懇談会評価調整部会の開催について」(昭和56年12月21日付起案 文書)(保存文書9)
 当該文書は、1982年(昭和57年)2月18日及び19日に評価調整部会を開催するに当たっての開催通知であり、「遅発性ウイルス感染研究班」からの総括研究報告を2月 19日15:15〜15:45に予定している旨の記載があるものである。
 なお、当該評価調整部会における研究発表内容(1979年(昭和54年)度から1981年(昭和56年)度までの研究)等について、石田研究班長(当時)に確認したところ、「(当日の発表内容及びその方式について)記憶はない。研究班で発表レジュメを作成し、これにより発表を行った記憶はない。」との回答を口頭で受けた。

オ) 「特定疾患対策懇談会及び評価調整部会資料」(1982年(昭和57年)3月11日 付)(保存文書10)
 当該資料は、1982年(昭和57年)2月18日及び19日の評価調整部会において各研究班長から聴取された総括研究報告を受けて開催されたと考えられる1982年(昭和57年)3月11日の特定疾患対策懇談会において配布された資料であり、「遅発性ウイルス感染調査研究班」への評価、取扱い方針案等が記載されている。
 当該資料においては、同研究班を存続させるべきとする委員は11名、廃止を唱える委員は2名であった旨が記載されるとともに、評価対象班の取扱い方針(案)として同研究班について「継続」とし、「臨床との関連で研究を推進する」、「廃止の意見もある」旨の記載がある。

カ) 「特定疾患対策懇談会評価調整部会の開催について」(1985年(昭和60年)1月10日付起案文書)(保存文書11)
 当該資料は、1985年(昭和60年)2月12日及び2月13日に特定疾患対策懇談会評価調整部会を開催するに当たっての開催通知であり、「遅発性ウイルス感染研究班」からの総括報告を2月12日11:30〜12:00に行う予定である旨及び総括研究報告を受けて開催されたと考えられる特定疾患対策懇談会を同日に開催する予定である旨の記載があるものである。
 なお、同日に開催されたと考えられる評価調整部会における研究発表内容(1982年(昭和57年)度から1984年(昭和59年)度までの研究)等に関し、立石研究班長(当時)に、評価調整部会の開催の事実及び発表に用いた資料の存在について確認を行ったが、「確かな記憶はない」との回答を口頭で受けた。
キ) 「特定疾患対策懇談会評価調整部会」資料等(1988年(昭和63年)2月9日、10日、 23日付)(保存文書12)
 当該資料は、1988年(昭和63年)2月9日、10日及び23日に開催された特定疾患対策懇談会評価調整部会において配布された資料、議事進行メモ、厚生省担当局長挨拶等である。
 当該資料における評価調整部会関係日程によれば、「遅発性ウイルス感染調査研究班」については、2月9日13:00〜13:30に、1985年(昭和60年)度から1987年(昭和62年)度までの間の研究についての報告聴取が行われることとされており、配布資料には、その際の報告レジュメも含まれている。
 当該報告レジュメにおいては、研究成果の「疫学」と題する記述の中に「一方、ヒト脳下垂体から精製した成長ホルモン製剤の投与後や、角膜移植、保存脳硬膜の使用、脳外科手術後などに発病したCJD症例が報告されている。これらの事実は実験動物への感染成績と共に、感染因子が体内に入れば発病に結びつくことを示している。成長ホルモン使用後CJD発病までの期間は4ー21年で、遅発性感染症の特徴がみられる。」(P4-3)等の記載がなされている。
 このため、当該報告を行った立石班長(当時)に、当該「保存脳硬膜」に関する記載の根拠等について確認したところ、当該記載は1987年(昭和62年)2月のCDC(米国疾病対策予防センター)の週報で報告されたヒト乾燥硬膜移植歴のあるCJD患者に係る世界で始めての症例報告のことを意味しており、
 「私個人は、1987年(昭和62年)8月号のJAMA日本語版で知り、翌1988年(昭和63年)1月の商業誌「感染症」その他から執筆していますので、評価部会資料にも書いたものと思います。他の成長ホルモン製剤、角膜移植、脳外科手術などはそれ迄に報告があり、ノーベル賞受賞者のGajdusek博士(NIH)などにより総説が度々発表されており、私共もよく触れておりました。したがってCJD患者材料が危険なことは、当時すでに、かなり知られていたと思いますが、保存脳硬膜からの感染症例の報告は新しい情報であったかと思います。しかし、当日の評価委員会では特別な質問が出た記憶はありません。また62年度の研究報告書にわざわざ書かなかった理由はわかりません。」との回答があった。
 また、当該報告レジュメに基づく報告が行われた評価調整部会に出席した可能性のある当時の職員について確認したところ、当該部会において「保存脳硬膜」についての説明や検討が行われたことを記憶する者はいなかった。
 なお、当該報告レジュメにおいて「保存脳硬膜」の記載がされながら、昭和62年度の研究報告書においては「保存脳硬膜」について記載されなかった理由については、上記回答では「わざわざ書かなかった理由は分かりません。」とのことであったが、おって立石班長(当時)から補足の説明として、
 「CJD患者臓器の危険性については、1978年度研究報告書に石田名香雄班長が 書かれたことは、研究班員の間では常識的なことで、私も繰りかえし病原因子の感染性やその不活化の研究を行い、研究報告書その他に発表しております。1987年に硬膜移植CJDの第1例が米国で発表されても、当然起こりうる悲劇として我々は受け取ったと思います。それが研究班でも特別な討論はせず、62年度報告書にも書いていない理由だろうと思います。同一の硬膜製品が当時の日本にも毎年多量輸入され、それを使った手術が年間に1〜2万件行われていたことが、判っていれば当然厚生省および脳外科学会などに輸入使用の禁止を提言したと思います。私自身スモンキノホルム中毒の研究を行い、東京地裁の証人にも立ちましたが、その経験が生かせず残念です。当時、厚生省の輸入製品の安全対策を担当された課にはCDCやFDAとの連絡はなかったのでせうか。これが私の最大の疑問点です。また1987年にCDCの警告とわが国のLyodura輸入の実情がすぐ結びつき、輸入禁止措置がとられていてもそれ以前の製品による大多数のCJD感染例は防げなかったでせうが、担当課のもっとも重要な業務でせうから、当時の難病対策課やわれわれにも相談があっても良かったのではないでせうか。残念でなりません。」との回答があった。
 しかしながら、この点については、以下のとおり、CJD研究の専門家の間でも「保存脳硬膜」によるCJD発症が当然起こり得るものとは一般的に認識されていなかったものであり、また、FDA(米国食品医薬品局)から厚生省には第一症例報告に関する連絡はなく、各国の状況を見てもヒト乾燥硬膜について輸入や使用を禁じる措置を講じるような状況にはなかったものである。
a 第一症例報告が出された1987年(昭和62年)当時は、未だCJDの原因因子も感染メカニズムも不明であったことを踏まえれば、ヒト乾燥硬膜とCJD発症との関係を結びつけるためには、症例数を集めた疫学的な分析が不可欠なものであった。このような状況においては、ヒト乾燥硬膜の移植歴のあるCJD患者についての唯一の症例報告をもって、直ちにヒト乾燥硬膜の危険性を認識できるものではなく、CJD研究の専門家の間でも同様な見解が示されている。
 なお、立石班長(当時)が、補足説明で引用している1978年(昭和53年)度研究報告書においては、「CJ病では患者脳組織に直接接することによってのみ伝達が可能である」旨が記載されているものであり、硬膜の危険性について指摘されているものではない。
b 第一症例報告の患者に用いられていたヒト乾燥硬膜は、ドイツのBブラウン社製造の「ライオデュラ」のロット番号2105の製品であったことから、FDAは同一ロット番号の製品が輸出されていた5か国に対して個別に連絡したが、我が国には同一ロット番号の製品が輸出されていなかったため、FDAからの連絡はなかった。FDAは、その後、第一症例報告に関連した特定のロット番号(2000番台)の製品の廃棄を米国内の医療機関に勧告したが、この点についてもFDAから厚生省に連絡はなく、また、我が国の輸入販売業者からも厚生省に対して報告がなかったことから、厚生省では当時これらの情報を把握し得なかった。
c 英国やドイツ等では、FDAからの連絡等により、第一症例報告やFDAの対応について認識するとともに、製造企業等からの報告も受けていたが、これらの国においても、当時、製品の輸入や使用を禁止するような措置は講じていなかったものであり、また、米国における廃棄勧告も、ライオデュラ全体を対象としたものではなかった。このような状況を踏まえれば、仮に、当時、厚生省が第一症例報告に関する情報を得ることができたとしても、輸入や使用を禁じる措置を講じるような状況にはなかった。
 なお、ヒト乾燥硬膜とCJDの問題に関する事実関係の推移等については、別添の「ヒト乾燥硬膜とクロイツフェルト・ヤコブ病に係る事実関係等について」のとおりである。

ク) 「特定疾患対策懇談会及び評価調整部会の開催時間の変更について」(1988年(昭和63年)1月12日付起案文書)(保存文書13)
 当該資料は、1988年(昭和63年)2月9日、10日、23日の総括研究報告を受けて開催されたと考えられる1988年(昭和63年)3月15日の特定疾患対策懇談会の開催通知等である。なお、事務連絡(昭和63年1月5日付)として「特定疾患調査研究班年次報告書の構成等の基準について」及び「特定疾患調査研究班年次研究報告書配布先一覧表」が含まれている。

ケ) 「特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1993年(平成5年)2月24日、25日、3月9日付)(保存文書14)
 当該資料は、1993年(平成5年)2月24日、2月25日に開催された特定疾患対策懇談会評価調整部会において配布された資料、会長挨拶、局長挨拶、議事進行メモ、評価調整部会において各委員が記載した研究評価を記載した用紙等である。
 当該資料における評価調整部会の進行によれば、「遅発性ウイルス感染調査研究班」については、2月24日11:45〜12:10に、1991年(平成3年)から1992年(平成4年)までの間の研究についての報告聴取が行われることとされており、配布資料にはその際の報告レジュメも含まれている。
 当該報告レジュメには、「遅発性ウイルス感染のうち、とくに重要な3疾患(亜急性硬化性全脳炎、クロイツフェルト・ヤコブ病、進行性多巣性白質脳症)について、病原体の本体の解明、発病機構の解析、早期診断法の確立、治療法の開発をはかることを目標とし」、クロイツフェルト・ヤコブ病については「プリオン遺伝子の異常とプリオン蛋白の動態を調べ、本疾患におけるプリオンの意義を解明する。一方、もっとも基礎的知見が蓄積しているスクレイピーについてプリオン遺伝子の分子性状の解明をはかる」(P4−2)こととされ、クロイツフェルト・ヤコブ病に関する研究として「本研究班で開発された細胞内の異常プリオン蛋白検出法はこれまで細胞抽出材料を処理しなければならなかった技術的問題を解決した画期的な手法である。患者の剖検材料、動物モデル由来材料などで大いに役立つことが期待される」(P4−9)等の記載がなされている。

コ) 「特定疾患対策懇談会評価調整部会」資料等(1993年(平成5年)3月9日付) (保存文書15)
 当該資料は、1993年(平成5年)2月24日及び25日の評価調整部会において各研究班から聴取された総括研究報告を受けて開催されたと考えられる1993年(平成5年)3月9日の特定疾患対策懇談会評価調整部会において配布された資料、議事進行メモ、議事次第、課長挨拶メモ等である。
 同日に配布された資料においては、遅発性ウイルス感染研究班について継続可とする委員が16名、その他の意見が3名あった旨が記載されるとともに、今後の研究内容として「プリオン病の本態解明を進める」、「治療法、診断法の進展」、「感染経路の解明」等が挙げられている旨の記載がなされている。

サ) 「特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1996年(平成8年)2月28日、29日 付)(保存文書16)
 当該資料は、1996年(平成8年)2月28日、29日に開催された特定疾患対策懇談会評価調整部会において配布された資料及び当日の議事録(メモ)のうちの遅発性ウイルス感染調査研究班の発表に係る部分である。
 同部会は、各研究班のこれまでの研究成果等の概要について、44の研究班に対して書類審査により評価を実施するために開催されたものであり、「遅発性ウイルス感染調査研究班」からは、1993年(平成5年)度から1995年(平成7年)度までの研究に係る報告書が提出されており、配布資料には、その際の報告レジュメも含まれている。
 当該報告レジュメにおいては、「医原性プリオン病感染の防止の方策として臓器、血液製剤(例えばウシのコラーゲンを主とした薬粧品)を介して侵入するおそれのあるスクレイピー・プリオン蛋白PrPscを除去するための濾過法の開発を進めて行く必要がある」(P6−8)旨の記載がなされている。

シ) 「特定疾患対策懇談会評価調整部会の開催について」(1996年(平成8年)2月1日付起案文書)(保存文書17)
 当該資料は、1996年(平成8年)2月28日及び29日に実施された評価調整部会を受けて同日に開催されたと考えられる特定疾患対策懇談会の開催通知である。

3) 1976年(昭和51年)4月1日から1999年(平成11年)3月31日までの間における当該研究班の班員に対しても、調査票により調査した結果、毎年度の研究報告書の作成前後における報告書の作成等研究班の運営に係わる研究班と厚生省担当者との会議に該当するものについての出席の事実及び当該会議に係る文書類の保存のいずれも確認できなかった。

(2) 各年度報告書作成時の厚生省担当部局職員が厚生省外で保存する上記文書類
(調査結果)
 1976年(昭和51年)4月1日から1999年(平成11年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課における担当職員に対して、調査票により確認したところ、厚生省外に保存する文書類が存在するとの回答はなかった。

(3) 文書類が存在しない場合その理由、また、存在するが提出できない文書類がある場合はその概要と不提出の理由
(調査結果)
 保存文書アからシまでのとおりである。存在するが提出できない文書類に該当するものはない。

(3) 1978年度報告書中の「CJ病では患者脳組織に直接接触することによってのみ伝達が可能なので、脳病理、脳外科関係者に厳重注意を呼びかける」との記載に基づき厚生省が行った厳重注意の方法及び内容、また、厳重注意を行っていない場合は、その理由について

(1) 引用されている報告書の提出の前後において、当該指摘事項に関し、注意を行う必要性の有無並びに注意の方法及び対象等についての厚生省内における検討内容及びその結論を記載又は記録するもので、厚生省内に保存されている一切の文書類(メモ類・磁気テープ類並びに作成者が明らかでないものも含む。)
(調査結果)
 1978年(昭和53年)4月1日から1979年(昭和54年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課及び当該指摘事項に関する対策を講じるとした場合の当該対策の所管課を中心として、その事務室及び倉庫内について、(1)に係る文書類を調査したところ、その保存は確認されなかった。

(2) 当該年度報告書作成時の厚生省担当部局職員が厚生省外で保存する上記文書類
(調査結果)
 1978年(昭和53年)4月1日から1979年(昭和54年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課及び当該指摘事項に関する対策を講じるとした場合の当該対策の所管課における担当職員に対して、調査票により確認したところ、厚生省外に保存する文書類が存在するとの回答はなかった。

(3) 文書類が存在しない場合はその理由、また、存在するが提出できない文書類がある場合はその概要と不提出の理由
(調査結果)
 当該指摘事項に関し、厚生省内において検討が行われなかったため、(1)の文書類が存在しないものと考えられる。なお、存在するが提出できない文書類に該当するものはない。

(4) 当該指摘事項に関し、厚生省内で何らかの検討が行われたことを記憶する者がいる場合にはその内容
(調査結果)
 1978年(昭和53年)4月1日から1979年(昭和54年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課及び当該指摘事項に関する対策を講じるとした場合の当該対策の所管課における担当職員に対して、調査票により確認したところ、当該指摘事項に関し、厚生省内で何らかの検討が行われたことを記憶する者は確認されなかった。

(5) 厚生省が行った上記調査における調査対象範囲(被調査者の当時の所属部局及びその職名)
(調査結果)
 上記調査における調査対象範囲は、別紙2(厚生省が行っている調査における調査対象の範囲)のとおりである。

(6) 当該指摘事項に関し、脳外科関係者等に対し厳重注意を行った場合はその方法及び内容、また注意を行っていない場合はその理由
(調査結果)

1) 1978年(昭和53年)4月1日から1979年(昭和54年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課及び当該指摘事項に関する対策を講じるとした場合の当該対策の所管課における担当職員に対して、調査票により確認したところ、当該指摘事項に関し、脳外科関係者等に対して厳重注意を呼びかけた旨の事実は確認されなかった。

2) 当該指摘事項に関し、脳外科関係者等に対し厚生省が特別に厳重注意等を行っていないことについては、以下の事情が背景にあったものと考えられる。

ア) 特定疾患調査研究班の研究計画は、学問的な立場からの判断に基づき立てられるものとされていた(保存文書2)ところであり、また、1976年(昭和51年)の当該研究班の設置に際しても、当該研究班は臨床部門及び関連する基礎部門から構成され、学際的な研究として推進する横断研究テーマの1つとして扱われていたこと(保存文書4)からも、当該研究班の成果については、学術的観点から当該分野に関わる研究者や一般の臨床医への普及が期待されているものであったこと。
イ) 特定疾患調査研究班の研究成果の普及方法としては、いわゆる民間学術団体を通じて自主的に行う形が適当とされていた(保存文書2)ところであり、実際に、研究報告書は全国の大学の医学部、医師会等に広く配布されていたほか、当該研究班においても一般研究者向けの研究発表会を開催(参考資料1)しており、一定の周知が図られていたこと。
ウ) 当該指摘事項は、クロイツフェルト・ヤコブ病の患者の脳解剖や脳外科手術を行う脳病理、脳外科関係者に対して注意を促したものであるが、その内容は、脳病理、脳外科関係者をはじめ、患者脳組織に直接接触する行為を行う者にとっては、クロイツフェルト・ヤコブ病に限らず、感染性のおそれのあるものの取り扱いにおける、一般的な考え方であったこと。
3) なお、当該指摘事項は、ヒト乾燥硬膜について記載されたものではなく、「脳組織」に直接接触する場合についてのものであるが、ヒト乾燥硬膜の原料である硬膜は、脳組織そのものではなく、また、脳組織と接してもいないものである。

(4) 1984年度報告書における「患者の臓器、脳脊髄液、血液などが直接体内に入ることを防止しなければならない」、1985年度報告書における「ヤコブ病の病原体は、あらゆる臓器製剤、血液、尿製剤にも混入するおそれがある」、及び1986年度報告書における「感染症の不活化は困難で、医療機材、血液や臓器製剤、食品などがもし汚染されればその排除は困難である」との危険性の指摘に対し、厚生省が行った具体的検討と対応の内容について

(1) 引用されている各年度報告書の提出の前後において、当該指摘事項についての厚生省内における検討内容及びその結論を記載又は記録するもので、厚生省内に保存されている一切の文書類(メモ類・磁気テープ類並びに作成者が明らかでないものも含む)
(調査結果)
 1984年(昭和59年)4月1日から1987年(昭和62年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課及び各年度の研究報告書の当該指摘事項に関する対策を講じるとした場合の当該対策の所管課を中心として、その事務室及び倉庫内について、(1)に係る文書類の調査を行ったところ、その保存は確認されなかった。
(2) 当該年度報告書作成時の厚生省担当部局職員が厚生省外で保存する上記文書類
(調査結果)
 1984年(昭和59年)4月1日から1987年(昭和62年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課及び各年度の研究報告書の当該指摘事項に関する対策を講じるとした場合の当該対策の所管課の関係職員に対して、調査票により確認したところ、厚生省外に保存する文書類が存在するとの回答はなかった。

(3) 文書類が存在しない場合はその理由、また、存在するが提出できない文書類がある場合はその概要と不提出の理由
(調査結果)
 当該指摘事項に関し、厚生省内において検討が行われなかったため、(1)の文書類が存在しないものと考えられる。なお、存在するが提出できない文書類に該当するものはない。

(4) 当該指摘事項に関し、厚生省内で何らかの検討が行われたことを記憶する者がいる場合にはその内容
(調査結果)
 1984年(昭和59年)4月1日から1987年(昭和62年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課及び各年度の研究報告書の当該指摘事項に関する対策を講じるとした場合の当該対策の所管課の関係職員に対して、調査票により確認したところ、当該研究報告書が提出された前後において、報告書に当該記載事項があったことを認識し、かつ、これに関して厚生省内で何らかの検討が行われたことを記憶している職員は確認されなかった。

(5) 厚生省が行った上記調査における調査対象範囲(被調査者の当時の所属部局及びその職名)
(調査結果)
 上記調査における調査対象範囲は、別紙1(厚生省が行っている調査における調査対象範囲)のとおりである。

(6) 当該指摘事項に関し、厚生省が何らかの具体的対応を行った場合はその内容、また、具体的対応を行っていない場合はその理由
(調査結果)

1) 1984年(昭和59年)4月1日から1987年(昭和62年)12月31日までの間における研究班を設置した担当課及び各年度の研究報告書の当該指摘事項に関する対策を講じるとした場合の当該対策の所管課の関係職員に対して、調査票により確認したところ、当該研究報告書が提出された前後において、当該報告書に当該記載事項があったことを認識し、これに関して厚生省内で何らかの対応が行われたとする職員は確認されなかった。

2) 当該指摘事項に関し、厚生省において具体的対応が行われなかったことについては、以下の事情が背景にあったものと考えられる。

ア) 特定疾患調査研究班の研究計画は、学問的な立場からの判断に基づき立てられるものとされていた(保存文書2)ところであり、また、1976年(昭和51年)の当該研究班の設置に際しても、当該研究班は臨床部門及び関連する基礎部門から構成され、学際的な研究として推進する横断研究テーマの1つとして扱われていた(保存文書4)ことからも、当該研究班の成果については、学術的観点から当該分野に関わる研究者や一般の臨床医への普及が期待されているものであったこと。
イ) 特定疾患調査研究班の研究成果の普及方法としては、いわゆる民間学術団体を通じて自主的に行う形が適当とされていた(保存文書2)ところであり、実際に、研究報告書は全国の大学の医学部、医師会等に広く配布されていたほか、当該研究班においても一般研究者向けの研究発表会を開催(参考資料1)しており、一定の周知が図られていたこと。
ウ) これらの研究報告書が提出された当時においては、未だクロイツフェルト・ヤコブ病の原因因子も感染メカニズムも不明であり、したがって抗体検査のような病原体の検出もできない状況であり、また研究報告書の指摘事項もクロイツフェルト・ヤコブ病の病原体に係る一般的な危険性について言及したに過ぎず、どのような場合に原因因子が混入するかといった具体的な対策を講じる手がかりとなるような情報が示されたものではなかったこと。

3) また、当該指摘事項等に係る当時の関係課職員の認識についての調査において、以下のような回答があったところであり、当該回答に記載された認識も、当時、具体的対応が行われなかった背景を示すものと考えられる。
ア) 結核難病対策課に在籍していた職員から「遅発ウイルス感染のSSPE対応を強く求められており、そちらに力点を置いていた。CJDは、極めて希な疾患で、診断そのものが難しく診断基準の確立が先だと考えられていた。また、CJDの感染防止について対策を取るようにとの意見は、研究班の班長班員の誰からもなかった。」との回答があった。
イ) 生物製剤課血液事業対策室に在籍していた職員の中で、同室に着任する以前に、1984年(昭和59年)度の研究報告書の「患者の臓器、脳脊髄液、血液などが直接体内に入ることを防止しなければならない」との指摘事項を見ていたように記憶している職員が確認されたが、当該職員から当該研究報告書の指摘事項については、「クロイツフェルト・ヤコブ病に限らず感染性のものを取り扱う時の常識的な考え方だと思った」との回答があった。

4) なお、当該指摘事項は、ヒト乾燥硬膜について記載されたものではなく、また、1985年(昭和60年)度及び1986年(昭和61年)度の研究報告書に記載された「臓器製剤」、「血液」、「尿製剤」、「医療機材」及び「食品」については、前述したように研究報告書の指摘事項を受けて対応が行われた事実は確認されなかったものであるが、参考までに、これらについての厚生省の対応状況等を見ると、以下のとおりである。
ア) 「臓器製剤」について
 1985年(昭和60年)に、米国及び英国を中心にヒト成長ホルモン製剤によるクロイツフェルト・ヤコブ病感染の症例が多数報告され、国際的に問題となった。この問題については、我が国においては当時企業からの事情聴取等も行った結果、国外で症例報告があった製剤は、いずれも特定の研究機関で製造されたものであり、我が国に当時輸入されていた製剤に係る企業での抽出法は、これと異なるものであり、かつ、そのような製剤からは問題が生じていなかったことを踏まえ、ヒト成長ホルモン製剤の使用が継続されることとなった。
 その後、ヒト成長ホルモン製剤は遺伝子組み替え型のものに置き換わっていったが、現在に至るまで我が国ではヒト成長ホルモン製剤によるクロイツフェルト・ヤコブ病感染の症例は報告されていない。
 なお、ヒト成長ホルモン製剤は、ヒトの脳下垂体という脳組織そのものから製造される製品であるが、ヒトの脳組織そのものから作られる「臓器製剤」は他には存在しない。
イ) 「血液」について
 これまで、血液を媒介してクロイツフェルト・ヤコブ病に感染した事例は世界的にも把握されておらず、現在の知見では血液を介して古典的クロイツフェルト・ヤコブ病に感染する疫学的な証拠はないものの、その可能性が完全には否定されていないことから、各国における献血時の問診の取扱を参考として、献血時の問診票で平成7年7月からはヒト由来成長ホルモンの注射及び脳外科手術の有無を確認し、平成9年3月からは本人及び血縁者のクロイツフェルト・ヤコブ病及び類縁疾患の有無、ヒト由来成長ホルモン注射の有無、角膜移植の有無、硬膜移植を伴う脳外科手術の有無を確認し、これらの要因を有する者からの献血を念のため排除している。
 なお、1996年(平成8年)に英国で問題となった狂牛病に罹患した牛を介して感染するとされる新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病については、現在の知見では、未だ血液を介した感染が古典的クロイツフェルト・ヤコブ病に比べて否定できないことから、米国における取扱を参考にして、1999年(平成11年)12月以降、1980年(昭和55年)1月から1996年(平成8年)12月までの間に英国に通算6ヶ月以上の滞在歴がある者からの献血を念のため排除している。
ウ) 「尿製剤」について
 現在の知見では尿を介してクロイツフェルト・ヤコブ病に感染する可能性はほとんど否定されていることから、尿製剤のドナーからクロイツフェルト・ヤコブ病の患者を除外する措置は講じていない。
エ) 「医療機材」について
 1997年(平成9年)4月に、都道府県を通じて医療機関に対し、クロイツフェルト・ヤコブ病及び類縁疾患患者等に対する手術、検査及び処置等における感染防止に関して、医療用具を再使用する場合の消毒法等について示した。
オ) 「食品」について
 1996年(平成8年)4月2日及び3日、WHOにおいて「人及び動物の伝達性海綿状脳症に関する公衆衛生専門家会議」が開催され、4月3日、その広報用資料として「牛海綿状脳症(BSE)蔓延防止と疾病からの人の危険性を最低限度に引き下げるための国際専門家による対策の提案」が公表されたところである。この提案の中の勧告として、「すべての国は、BSEに関する継続的なサーベイランス及び強制的な届出制度を確立すべきである。サーベイランスのデータが無い場合、その国のBSEの状況は不明と考えねばならない。」とされた。厚生省では、この勧告を受けてと畜場において「伝染性海綿状脳症」を検査するために、と畜場法施行規則の一部改正を行い、検査対象疾患に当該疾患を追加することとした。

(5) (1)ないし(4)以外で提出を求めるもの

(1) 1976年度以降各年度における研究班担当厚生省職員の当時の所属部局及びその職名
 別紙2(1976年度以降各年度における研究班担当厚生省職員の当時の所属部局及びその職名)のとおり。
(2) 1976年度以降各年度における研究班員名簿
 別紙3(1976年度以降各年度における研究班員名簿)のとおり。


資料一覧

別紙 1・・ 「厚生省が行っている調査における調査対象範囲(被調査者の当時の所属部局及びその職名)」
別紙 2・・ 「1976年度以降各年度における研究班担当厚生省職員の当時の所属部局及びその職名」
別紙 3・・ 「1976年度以降各年度における研究班員名簿」

保存文書 1・・ 「特定疾患対策懇談会」資料(1972年(昭和47年)5月26日付)
保存文書 2・・ 「第1回特定疾患対策懇談会評価調整部会会議資料」等(1976年(昭和51年)2月19日付)
保存文書 3・・ 「第4回特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1976年(昭和51年)4月27日付)
保存文書 4・・ 「第5回特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1976年(昭和51年)5月14日付)
保存文書 5・・ 「第6回特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1976年(昭和51年)5月24日付)及び同会議におけるメモと推定される資料
保存文書 6・・ 「第17回特定疾患対策懇談会」資料(1979年(昭和54年)3月12日付)
保存文書 7・・ 「特定疾患対策懇談会評価調整部会の開催について」(昭和54年2月28日付起案文書)
保存文書 8・・ 「第18回特定疾患対策懇談会」資料(1979年(昭和54年)4月17日付)
保存文書 9・・ 「特定疾患対策懇談会評価調整部会の開催について」(昭和56年12月21日付起案文書)
保存文書10・・ 「特定疾患対策懇談会及び評価調整部会資料」(1982年(昭和57年)3月11日付)
保存文書11・・ 「特定疾患対策懇談会評価調整部会の開催について」(1985年(昭和60年)1月10日付起案文書)
保存文書12・・ 「特定疾患対策懇談会評価調整部会」資料等(1988年(昭和63年)2月9日、10日、23日付)
保存文書13・・ 「特定疾患対策懇談会及び評価調整部会の開催時間の変更について」
(1988年(昭和63年)1月12日付起案文書)
保存文書14・・ 「特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1993年(平成5年2月24日、25日付)
保存文書15・・ 「特定疾患対策懇談会評価調整部会」資料等(1993年(平成5年3月9日付)
保存文書16・・ 「特定疾患対策懇談会評価調整部会資料」等(1996年(平成8年2月28日、29日付)
保存文書17・・ 「特定疾患対策懇談会評価調整部会の開催について」(1996年(平成8年)2月1日付起案文書)

参考資料 1・・ 「研究発表会プログラム」
参考資料 2・・ 「山内班長送付文書」


ヒト乾燥硬膜の移植とクロイツフェルト・ヤコブ病に係る
事実関係等について

厚 生 省

I.問題の概要

 脳外科手術時に広く用いられていたヒト乾燥硬膜「ライオデュラ」の移植を受けた患者の一部に、神経難病の1つである「クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)」が発症したとして問題提起されているものである。

1.ヒト乾燥硬膜

(1)ヒト乾燥硬膜は、ヒトの死体の硬膜(大脳を覆う内膜、くも膜、硬膜の3つの膜の中で一番外側にある膜であり、脳組織とは直接接していない)を加工して作られた医療用具であり、脳外科の開頭手術で切開した硬膜に隙間が生じた場合、脳脊髄液が漏れたり、細菌に感染したりしないよう、硬膜の隙間を覆うために埋め込まれるものである。以前は、脳外科手術時に太股を切開し大腿筋膜を採取して用いていたが、ヒト乾燥硬膜は、筋膜の採取の手術を行わずに済むため患者の身体的負担もなく、迅速簡便に手術に使えるため、1970年代から世界各国で使用されるようになってきた。

(2)我が国では2社の製品がドイツから輸入されており、このうちBブラウン社製造の「ライオデュラ」は、昭和48(1973)年に輸入承認されて以降、平成9(1997)年3月に使用が停止されるまでの間に累計で推定約40〜50万枚、年間約2万枚が医療の現場で使用されてきた。なお、我が国では平成9(1997)年3月にWHO(世界保健機関)がヒト乾燥硬膜の使用を差し控えるよう勧告したことを受けて、現在ではヒト乾燥硬膜は使用されていない。

2.クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)

(1)クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)は、1920年代にドイツにおいて世界で最初の症例が報告された疾病であり、初老期以降に不定の異常行動をもたらし、記憶力の低下や歩行、視力障害などの精神・神経症状が生じるとともに、これらの症状が急速に悪化して、進行性痴呆ないし意識障害をもたらし、数か月で無言・無動状態となり、1〜2年で死亡に至るものである。現時点では、有効な治療方法も存在しない。

(2)以前は、通常のウイルスとは異なる未発見のウイルスを原因とするスローウイルス感染(ウイルス感染から発病までの期間が長期にわたるもの)と考えられていた。その後、細菌でもウイルスでもないプリオン蛋白を病原因子とする「プリオン仮説」が提唱され、平成5(1993)年に実験室レベルでの裏付けがなされたことにより定説化しているが、感染のメカニズムの詳細については、現在においても明らかではない。なお、「プリオン仮説」の提唱者であるプルシナーは、平成9(1997)年にノーベル賞を受賞している。

(3)CJDは、人口100万人に1人の割合で発症しており、その約8割はプリオン蛋白遺伝子に異常が認められず原因も不明な孤発性症例であり、約2割はプリオン蛋白遺伝子に異常が認められる遺伝性症例である。また、全体のごく一部ではあるが、角膜移植、脳内電極挿入、ヒト成長ホルモン製剤、ヒト乾燥硬膜等による医原性感染の疑われる症例が報告されている。

(4)我が国では、昭和51(1976)年以降「スローウイルス感染と難病発症機序に関する研究班」(昭和54(1979)年以降は「遅発性ウイルス感染調査研究班」と改称。以下「遅発性ウイルス研究班」と略称)において、CJDを含めた難病についての研究が続けられている。

II.事実関係の推移

1.昭和62(1987)年2月の第1症例報告以前

(1)昭和48(1973)年7月23日付けで、ヒト乾燥硬膜ライオデュラについて、医療用具としての輸入承認が行われた。

(2)昭和51(1976)年度に「遅発性ウイルス研究班」が設置され、潜伏期間が長く、いったん発症すると進行性で予後が良くない難治性の疾患として、CJDを含む4つの難病の原因や治療法について研究が続けられてきた。

(注)設置当時43設けられていた特定疾患調査研究事業の研究班の1つとし て、他の研究班と同様に、主に大学医学部等の臨床、基礎医学研究者を中心に構成される研究者グループが行う学術的な研究に継続的に補助金が交付されているものであり、特定の政策目的の研究が行われていたものではない。

(3)昭和62(1987)年2月のヒト乾燥硬膜移植歴のあるCJD患者に係る第1症例報告以前の段階においては、各国の規制当局の中で、ヒト乾燥硬膜を介したCJD感染を想定した対策を講じたところはなかった。

(4)一方、昭和60(1985)年に、米国及び英国を中心にヒト成長ホルモン製剤によるCJD感染の症例が多数報告され、国際的に問題となった。我が国においては、当時、輸入販売業者から事情聴取等を行った結果、国外で症例報告があった製剤はいずれも特定の研究機関で製造されたものであり、我が国に当時輸入されていた製剤は異なる抽出法によるもので、同様な問題が生じていなかったことを踏まえ、ヒト成長ホルモン製剤の使用が継続されることとなった。
 その後、ヒト成長ホルモン製剤は遺伝子組換え型のものに置き換わっていったが、現在に至るまで、我が国ではヒト成長ホルモン製剤によるCJD感染の症例は報告されていない。

(注)ヒト成長ホルモン製剤は、当時は、脳下垂体という脳組織そのものから抽出して製造され、抽出に当たっては1万人分もの脳下垂体が用いられていた。

2.昭和62(1987)年2月の第1症例報告から平成元(1989)年1月の第2症例報告まで

(1)昭和62(1987)年2月6日付けの米国CDC(疾病対策予防センター)の週報MMWR(Morbidity and Mortality Weekly Report)において、ヒト乾燥硬膜の移 植歴のある米国のCJD患者について、世界で初めての症例報告が掲載された。

(注)当該MMWRによれば、CDCは、本症例の患者が若年であったこと、患者の家族歴に同様の患者がいないことに加え、ヒト成長ホルモン製剤の投与を受けていない、患者の手術前に同じ手術室で手術を受けたCJD患者がいないことなど、既に知られていた他の感染事例の原因には該当しなかったことから、硬膜移植がCJD病原体の伝播媒体であることが示唆されるとしたものである。

(2)第1症例報告の患者に用いられていたヒト乾燥硬膜は、ドイツBブラウン社 製のライオデュラ(ロット番号2105)であったことから、米国FDA(食品医薬品局)は同年3月、同一ロット番号の製品が輸出されていたカナダ、ノルウェー、イタリア、オランダ及び台湾の5か国に連絡するとともに、情報提供を依頼した。

(注)我が国には同一ロット番号の製品は輸出されていなかったため、米国FDAは我が国には連絡していなかった。

(3)昭和62(1987)年4月に米国FDAは、米国内の医療機関に対して、第1症例に用いられた製品と同一バッチに属するライオデュラ(ロット番号2000番台)の廃棄を勧告した。この勧告の対象は、米国内に存在するライオデュラ全体ではなく、特定ロット番号の製品に限定されたものであった。

(注)同年6月に米国FDAは、ドイツ及びカナダからのライオデュラの新たな輸入を行わないよう通関当局に要請しているが、これはGMP(製品の品質を確保するために設けられている基準)の不適合を理由としたものであった。
 なお、通関当局への要請が行われた後にも、医療機関への廃棄勧告の対象は拡大されてはいなかった。

(4)Bブラウン社は、第1症例報告の直後にロット番号2105のライオデュラを回収した。また、Bブラウン社は昭和62(1987)年5月から、ライオデュラの製造工程について、

(1) CJDの原因因子を不活化するためのアルカリ処理工程の導入、
(2) 硬膜採取基準の中のドナー除外対象として、従来から記載されていた「伝染病の患者」に加えて「CJD患者」を明記、
(3) 複数の硬膜を同一容器で処理する混合処理から個別処理への切替え
等の変更を行った。

(5)第1症例報告について認識した各国の当時の対応状況としては、現在では以下の事実が確認されているが、いずれもBブラウン社等からの報告聴取を受けたものの、アルカリ未処理のライオデュラ等についても、輸入や使用を禁止するような措置は講じていなかったものである。なお、米国FDAからの連絡を受けた国のうちオランダについては、当時の状況を照会したが、情報を得られなかった。

1)英国
 米国FDAからの連絡に基づき、ライオデュラを介したCJD感染の可能性について国内の医療機関に情報提供したものの、引き続きライオデュラの供給は認めていた。一方で、アルカリ処理工程の導入について承認変更を要求したため、その承認が行われるまでの間はアルカリ未処理の製品のみが流通することとなった。

2)ドイツ
 ライオデュラの製造企業Bブラウン社から製造工程の変更等について報告を聴取したが、引き続きライオデュラの供給は認めていた。

3)カナダ
 ライオデュラについては、従来、規制の対象としていなかったが、米国FDAからの連絡に基づき、新たに市販前審査を必要とする新医療機器に位置付けるとともに、国内の医療機関に対して、第1症例に用いられた製品と同一バッチに属するライオデュラ(ロット番号2000番台及び3000番台)は使用しないよう勧告した。

4)ノルウェー
 米国FDAからの連絡に基づき、国内の医療機関に対して、ロット番号2105のライオデュラの在庫確認を依頼したが、引き続きライオデュラの供給は認めていた。

5)イタリア
 ライオデュラについては、従来、規制の対象にしておらず、米国FDAからの連絡に基づき、Bブラウン社からの説明を聴取した後も、特段の措置は講じていなかった。

(6)これに対し、当時我が国には、米国FDAから第1症例報告や米国FDAの対応についての連絡はなく、また、ライオデュラの輸入販売業者等からも、厚生省に対して製造工程の変更を含め何らの報告も行われていなかった。

(注)Bブラウン社は説明資料を作成し、各国の代理店等に送付していたが、我が国の輸入販売業者はその内容を厚生省に説明していなかった。

(7)なお、我が国において、当時、第1症例報告について紹介した文献、報告等としては以下のものがあったことが現在では確認されているが、平成9(1997)年に厚生省が実施した職員調査によれば、厚生省の難病対策や医療用具の安全対策を所管していた当時の職員の中で、第1症例報告に関する認識を有している者は確認されなかった。

1)「病原微生物検出情報」の編集会議(昭和62(1987)年6月開催)
 国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)発行の「病原微生物検出情報」の編集会議において、第1症例報告の掲載の適否が検討されたが、ヒトへの感染機構、病因論自体が極めて不明瞭な中で、当該MMWRの記事にも病原体や病原診断に係る情報が含まれていなかったことから、掲載が見送られることとなった。

2)「日本語版JAMA」(昭和62(1987)年8月号)
 米国医師会雑誌(JAMA)の日本語版において、JAMAに転載されたMMWRの第1症例報告の日本語訳が掲載された。
3)日本臨床ウイルス学会誌「臨床とウイルス」(昭和62(1987)年10月号)
 国立予防衛生研究所の北村敬腸内ウイルス部長(当時)が、学会員としての個人的な立場で、MMWRのウイルス関連記事の要約を同誌に掲載していた一環で、MMWRの第1症例報告記事を要約したものが同誌に掲載された。

(注)北村氏は、掲載した内容について厚生省には報告していなかった。

4)特定疾患対策懇談会評価調整部会での報告(昭和63(1988)年2月開催)
 特定疾患調査研究事業の各研究班長から研究内容を聴取し、学術的な観点からの評価を行う評価調整部会において、「遅発性ウイルス研究班」の立石班長(当時)が行った総括研究報告の報告レジュメの中の「疫学」の項で、「ヒト脳下垂体から精製した成長ホルモン製剤の投与後や、角膜移植、保存脳硬膜の使用、脳外科手術後などに発病したCJD症例が報告されている」旨の記載がされていた。

(注)立石班長(当時)及び当日の部会に出席したと思われる厚生省職員に対して確認したところ、当該部会において「保存脳硬膜」についての説明や検討が行われたことを記憶する者はいなかった。
 なお、毎年取りまとめられ厚生省に提出されていた研究報告書の中で、ヒト乾燥硬膜の移植に関する症例について触れたものは、平成6(1994)年度の研究報告書が最初である。
3.平成元(1989)年1月の第2症例報告から平成5(1993)年の「プリオン仮説」の定説化まで

(1)平成元(1989)年1月27日付けの米国CDCの週報MMWRにおいて、ヒト乾燥硬膜の移植歴のあるニュージーランドのCJD患者について、世界で2番目の症例報告が掲載された。

(2)平成元(1989)年2月、英国ではライオデュラの製造工程にアルカリ処理工程を導入するための承認の一部変更が認められた。

(注)英国では、他国とは異なり、アルカリ処理工程の導入について実験データを含めた承認の一部変更を求めたため、それまでの間は、アルカリ処理を行っていない旧製法のライオデュラのみの供給が認められていた。

(3)平成元(1989)年3月、Bブラウン社は昭和62(1987)年5月の製造工程変更以前に製造されたライオデュラを回収しており、我が国の輸入販売業者からも在庫品の返送が行われていたが、厚生省への報告はなかった。

(4)平成元(1989)年4月発行の「病原微生物検出情報」において、MMWRに掲載された第2症例報告の要約が掲載された。

(5)平成元(1989)年12月に米国の脳神経外科の専門誌「ジャーナル・オブ・ニューロサージェリー」において、ヒト乾燥硬膜移植歴のあるイタリアのCJD患者について、世界で3番目の症例報告が掲載された。

(6)平成元(1989)年12月、ドイツではヒト乾燥硬膜の製造に当たりアルカリ処理の実施を企業に義務付けた。

(7)平成3(1991)年6月に米国の神経医学の専門誌「ニューロロジー」において、世界で第4番目に当たる我が国の新潟大学の症例報告が掲載された。

(8)平成3(1991)年8月に英国はライオデュラの認可を取り消し、同年10月にノルウェーはライオデュラの登録を抹消した。

(9)平成4(1992)年、米国はドイツのバイオダイナミクス社製造のヒト乾燥硬膜「テュトプラストデュラ」の販売を認可した。

(10)平成5(1993)年9月、脳硬膜の代用品として人工樹脂製の「ゴアテックス」の輸入承認が行われた。

(11)平成5(1993)年、CJDの発症原因に関してプルシナーが提唱していた「プリオン仮説」が、ビューラーらの実験で実証されたことにより、定説化した。

4.平成8(1996)年のCJD等に関する「緊急全国調査」以降

(1)平成8(1996)年に英国で狂牛病の流行が問題となり、狂牛病に罹患した牛の 肉等の摂取による新変異型CJDの感染が指摘されたことを踏まえ、厚生省では同年5月に「クロイツフェルト・ヤコブ病等に関する緊急全国調査研究班」(以下「緊急全国調査研究班」という。)を設置し、国内における新変異型のCJD患者の存否の確認を主たる目的として、緊急全国調査が実施された。

(2)同調査において、新変異型のCJD患者は確認されなかったものの、平成8(1996)年6月14日現在の中間取りまとめにおいて、CJDの診断基準に該当する患者の中にヒト乾燥硬膜の移植を受けた患者が9例確認されたことから、同月19日の中央薬事審議会伝達性海綿状脳症対策特別部会において、ヒト乾燥硬膜の安全性に係る検討を行ったところ、

(1) アルカリ処理製品は、ハムスター等の実験データなどから、現在のところ臨床的には安全であると考えられること、
(2) アルカリ処理がされる以前の製品は、使用しないことが望ましいこと、
(3) アルカリ処理がされる以前の製品については、既に使用期限が切れているが、医療機関に在庫がないことを確認させることが望ましいこと
とされた。
 これを受け、厚生省においては、ヒト乾燥硬膜の輸入販売業者2社に対して、アルカリ未処理製品の医療機関での在庫の有無確認を指示した。

(3)平成8(1996)年5月、Bブラウン社はドナーの追跡困難な場合があることを理由に、平成7(1995)年以前に製造されたライオデュラを自主的に回収するとともに、平成8(1996)年6月26日、原料の入手困難を理由にライオデュラの製造中止を発表した。

(4)平成8(1996)年7月31日、公衆衛生審議会成人病難病対策部会において「緊急全国調査研究班」の中間取りまとめの概要が報告され、ヒト乾燥硬膜の移植を受けたCJD患者が28例確認されたことから、同年8月1日に中央薬事審議会伝達性海綿状脳症対策特別部会を開催したところ、

(1) 現在供給されているヒト乾燥硬膜は、CJD患者等を除外するドナー基準が設けられるとともに、CJD感染因子を不活化するアルカリ処理が実施されているため「臨床的に安全」と考えられること、
(2) 今後更に安全性を高めるために、ドナースクリーニングの強化、試験法の改良及びこれらの実施確認プロセスの強化に努めることが適当であること、
(3) 医療機関に対して再度情報提供を行わせることが適当であることとされた。
 これを受け、厚生省においては、都道府県に対して、医療機関におけるアルカリ未処理製品の在庫の有無調査を依頼するとともに、輸入販売業者2社に対して、都道府県の調査報告に基づきアルカリ未処理製品が発見された場合の回収を指示した。

(注)CJDを発症した患者に移植されていたヒト乾燥硬膜は、当時我が国で流通していた2社の製品のうち、ドイツのBブラウン社製のライオデュラのみであり、他社製品からのCJDの発症例は確認されていない。また、アルカリ処理済みの製品からのCJDの発症例は確認されていない。

(注)「緊急全国調査研究班」の調査においては、CJD診断基準に該当するヒト乾燥硬膜の移植を受けた患者が43例確認され、引き続き平成11(1999)年3月にかけて実施された「クロイツフェルト・ヤコブ病及び類縁疾患調査」と合わせて67例が確認されている。また、平成11(1999)年4月1日以降「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」により、CJD診断基準に該当する症例の届出が義務付けられ、同年12月までに、ヒト乾燥硬膜の移植歴のあるCJD患者が新たに5例把握されている。

(5)しかしながら、平成9(1997)年3月27日にWHOがヒト乾燥硬膜の使用を差し控えるよう勧告したことから、これを重く受け止め、我が国では翌日に薬事法に基づきヒト乾燥硬膜を回収する緊急命令を行ったところである。

(注)WHO勧告にもかかわらず、米国やドイツではアルカリ処理済みのヒト乾燥硬膜の使用が継続されている。

III.厚生省の考え方

1.医学・薬学的知見の状況

(1)CJDの原因因子が細菌でもウイルスでもないタンパク質「プリオン」であるという、生物学の常識を覆す学説が実験で裏付けられたのは平成5(1993)年の時点であり、それ以前は原因因子も感染のメカニズムも不明な状況であった。

(注)現時点でも、感染のメカニズムは解明されておらず、また、HIVの抗体検査や遺伝子NAT検査のような形でのプリオンの実用的な検出方法も確立されてはおらず、特定の製品がCJDの原因因子で汚染されていることの確認ができない状況にある。

(2)CJD研究の専門家の間でも、原因因子や感染のメカニズムが不明な段階では、ヒト乾燥硬膜とCJDとが結びつくためには、症例数を集めた疫学的な分析が不可欠とされているが、ヒト乾燥硬膜によるCJD感染の疑いのある症例報告は、昭和62(1987)年2月までは世界中に皆無であり、また、平成元(1989)年1月までは唯一の症例報告しかなかった。

2.各国の規制当局の対応

(1)第1症例報告以前の段階においては、各国の規制当局の中で、ヒト乾燥硬膜を介したCJD感染を想定した対策を講じたところはなかった。

(2)第1症例報告から第2症例報告までの段階においては、米国FDAが第1症例と関連する特定の製品の廃棄を勧告しているものの、英国、ドイツ等のように第1症例報告や米国FDAの対応について認識し、製造企業から報告を受けていた国においても、輸入や使用を禁じるような措置は講じてはいなかった。

3.まとめ

 患者がヒト乾燥硬膜の移植を受けた当時においては、ヒト乾燥硬膜によるCJD発症の危険性を予見し、ヒト乾燥硬膜の輸入や使用の禁止を行うべき状況にはなかったものと考えている。

IV.CJD患者家族に対する支援等

1.患者家族への支援策

 CJDは極めて重篤な疾患であり、患者及び家族の負担を軽減するために、「難病対策の一環」として、以下の施策を実施しているところであり、今後とも現行の医療・介護・福祉の枠組みの中で、最善の対応を図ることとしている。

(1)医療費の自己負担の解消

 平成9(1997)年1月から、CJDを特定疾患治療研究事業の対象疾患に指定し、医療費の自己負担部分を解消した。

(2)在宅患者家族への支援

 平成9(1997)年1月から、CJD患者に対するホームヘルパーの派遣、日常生活用具の給付(特殊寝台、特殊マット、特殊尿器、体位変換器、電気式痰吸引器等)、家族介護が困難な際の一時的な医療施設への入所等を開始した。
 また、平成10(1998)年度からは、専門医や保健婦等による訪問相談事業、入院治療が必要となった重症難病患者の入院施設の確保事業を開始した。

2.治療法等の調査研究

 特定疾患治療研究事業「遅発性ウイルス感染調査研究」(班長:東北大学医学部教授 北本哲之)及び「家族性プリオン及び外因性プリオン病の発症遅延方策に関する介入研究」(班長:長崎大学医学部教授 片峰茂)において、CJDの発症原因の究明及び治療法の開発に関する研究に取り組んでいる。


CJD(クロイツフェルト・ヤコブ病)問題の主要経過

昭和48(1973)年7月 ヒト乾燥硬膜「ライオデュラ」の輸入承認
昭和51(1976)年度〜 「遅発性ウイルス研究班」設置
(CJDを含む遅発性の難病の原因究明と治療法の開発が目的)

第一症例報告前に手術をした
原告患者数   14名
昭和62(1987)年2月 第一症例報告(米国)
昭和63(1988)年2月 「特定疾患対策懇談会評価調整部会」での研究班長報告レジュメに保存脳硬膜の移植後にCJDを発症した症例報告がある旨の記載

第二症例報告前に手術をした
原告患者数    6名
平成元(1989)年1月 第二症例報告(ニュージーランド)

平成5(1993)年
CJDの発症原因に関するプリオン仮説が定説化
<CJDの病原体が判明>

平成7(1995)年3月 「遅発性ウイルス研究班」の平成6年度研究報告書にヒト乾燥硬膜を介したCJD感染の事例が記載

平成8(1996)年春
緊急全国調査でヒト乾燥硬膜の移植歴のあるCJD
患者が相当数確認
<ヒト乾燥硬膜とCJDの疫学的関係が判明>

          6月 中央薬事審議会でアルカリ処理後のヒト乾燥硬膜は「臨床的に安全」と評価

平成9(1997)年3月 WHOがヒト乾燥硬膜の使用停止を勧告

薬事法に基づきヒト乾燥硬膜の回収を緊急命令
(米国、ドイツ等では現在も使用を継続中)


「ライオデュラ」に関する症例報告と対応

「ライオデュラ」に関する症例報告と対応


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