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旧相模海軍工廠ガス障害者救済検討委員会報告書


はじめに

 第二次世界大戦の戦前および戦中、旧東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市忠海町・大久野島)において、国際条約により禁止されていたガス(イペリット、ルイサイト等)の製造が行われていたが、戦後、同製造所の従業員の中から、ガスに起因すると思われる患者が多発し、各方面に救済措置を求める運動が起こされ、一つの社会問題となり、昭和29年以降救済の途が開かれた。
 その後、上記旧忠海製造所で製造されたガス等の保管・搬送に当たっていた旧陸軍広島兵器補給廠忠海分廠(広島県竹原市忠海町)の従業員についても昭和53年から、救済措置がとられている。また上記旧忠海製造所で製造されたガスを搬入し、他工廠から搬入された砲弾に充填する作業が行われていた旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所(北九州市小倉南区下吉田)でも、その作業従業員が障害を受けたとして、同様の救済措置が平成5年からとられている。
 なお、これらの救済措置は、旧陸軍共済組合に係わる従業員(工員等)については大蔵省が、組合員以外の従業員(動員学徒、女子てい身隊員等)については厚生省が所管し、救済措置を講じているところである。

 今般、旧相模海軍工廠(神奈川県寒川町)においても、イペリットを主とするガスの製造および砲弾に充填する作業が行われ、障害を受けたとして、その作業従業員が「旧相模海軍工廠毒ガス障害者の会」を発足し、平成9年5月に神奈川県知事に対し、援護の確立を求める要望書を提出した。その後、平成10年10月に障害者の会及び神奈川県知事は事実関係及び因果関係に関する資料を添付して、大蔵大臣及び厚生大臣に援護・救済を求める要望書を提出したところである。
 この件に関して援護・救済措置を講ずるには、まず旧相模海軍工廠におけるガスの製造等に関する事実関係の確認を行う必要があるが、同工廠におけるガス製造等に関する公式の記録がないため、要望書に添付されている資料等をもとに検討することになる。
 また、障害者の会の主張する障害が、ガスに起因するものか高齢等他の要因によるものかどうか等の因果関係の確認を行う必要があるが、これについては、広島大学医学部内科学第二講座によって、平成10年2月旧相模海軍工廠元従業員20人を対象とした健康調査が実施され、同年7月にその結果をもとに研究論文(山木戸1998)が発表されている。現状ではこれが専門家によって刊行された唯一の資料であり、要望書の添付資料の一つとなっている。
 以上の状況を踏まえ、専門的な見地から検討を行うため、平成11年1月に大蔵省主計局長と厚生省保健医療局長の私的諮問機関として、疫学・呼吸器及び皮膚科学の専門家で構成する「旧相模海軍工廠ガス障害者救済検討委員会」が設置された。
 本委員会では、要望書の添付資料、なかでも神奈川県が収集した旧相模海軍工廠におけるガス製造等の事実関係に関する資料、並びに広島大学研究論文及び障害者の会から自主的に提出された健康調査の個人別成績報告書(20名)を中心に検討を進めた。また、平成11年3月の第2回本検討委員会は、現地(神奈川県)に赴き、ガス製造に係わる技術指導者及び従業員の証言を得、旧相模海軍工廠跡地の視察、本検討委員による従業員19人に対する健康調査等を実施した。
 これらの資料や健康調査をもとに、ガス曝露とその障害との因果関係の有無について検討を行い、今般本委員会の意見としてとりまとめたので報告する。


1. ガスの取扱いに関する事実関係について

 要望書の添付資料の内容を検討したところ、メリーランド州スートランド国立公文書館分館に所蔵されている資料と、相模海軍工廠刊行会が発行した「相模海軍工廠」の中に記載されているイペリットやルイサイト(平塚工場で製造)の製造量とが一致していたことや、同会が発行した「相模海軍工廠−追想−」に同様の記述のあることは、同工廠においてガスの製造等が行われていたことを示しているといえる。
 また、第2回本検討委員会において、当時の技術指導者や従業員から得た証言の内容からも、同工廠において、ガスの製造等が行われていたということが推察される。


2. 検討対象者について

 今回、本検討委員会が調査を行った対象者は、旧相模海軍工廠従業員で神奈川県津久井町ほかに在住する20人中、非受診者1人を除く19人であり、広島大学が平成10年2月に行った健康診断の対象者20人のうちの19人と同一人であった。全員が男性で、年齢は69歳から80歳(平均73.3歳)、旧相模海軍工廠従事期間は7カ月から4年7カ月(平均15.7カ月)であった。旧相模海軍工廠には全国から徴用されて約3,000人が作業したと考えられるが、津久井町からも集団で徴用され、現在も同地域に居住している者が多いこともあり、広島大学が行った対象者と同一としたものである。
 作業者の性・年齢、作業内容については徴用作業者の中で特別の偏りはないと推測される。


3. 作業と曝露について

 対象者のうち1人の見習いを除く18人が徴用工であり、ガス製造実験、充填、洗浄、検査、梱包、搬送、整備などに従事していた。梱包、搬送などを除き、いずれもイペリット等の液体および蒸気に曝露する機会があり、化学熱傷を13人(68.4%)、気道の刺激症状を12人(63.2%)、眼粘膜刺激症状を5人(26.3%)が経験している。これらの症状のいずれも経験しなかった者は3人(15.8%)のみである。


4. 呼吸器疾患の罹患について

 咳、痰を訴える者は15人(78.9%)であった。
 呼吸困難度はHugh-Jones I 度3人(15.8%)、II 度 7人(36.8%)、III 度8人(42.1%)、V 度1人(5.3%、在宅酸素療法中)であった。
 咳・痰がない者は3人(15.8%)のみで呼吸困難度は I 度1人、 II 度 2人であった。
 胸部の理学的所見で、無所見の者は6人(31.6%)であり、ラ音は12人(63.2%)、呼吸音の減弱が1人(5.3%)に認められた。
 ばち指は4人(21.1%)に認められた。
 胸部エックス線写真検査では、異常のない者は3人(15.8%)であり、気腫性変化が7人(36.8%)、下肺野の気管支拡張ないし線維化所見が5人(26.3%)、肺癌手術後所見が1人に認められた。
 自覚症状および喀痰の性状から慢性気管支炎と診断しえた者は12人(63.2%)、肺気腫3人(15.8%)であり、呼吸器疾患の認められない者は4人(21.1%)のみであった。
 対象者のうち1人に肺癌の発生がみられたが、本集団でその発生率が高いかどうかの判定は対象者数が少ないので不可能と考えられる。
 対象者の喫煙状況は、現在喫煙者が4人(21.1%)、以前喫煙者が10人(52.6%)、非喫煙者が5人(26.3%)であった。喫煙者4人中3人(75%)は慢性気管支炎、1人は肺気腫と診断され、以前喫煙者10人中6人(60%)は慢性気管支炎、2人は肺気腫、2人は異常を認めなかった。また非喫煙者5人中3人(60%)は慢性気管支炎、2人は異常を認めなかった。したがって喫煙の影響は無視できないが、喫煙のみで慢性気管支炎の発生を説明することは困難であった。
 旧忠海及び旧曽根製造所従業員に多発する呼吸器疾患は、気道癌と慢性気管支炎である(重信1970, 1985, 1990)。本集団では検討対象数が少ないので統計学的検討は不可能であるが、男性70歳以上の一般人口での慢性気管支炎有病率は、非喫煙者で7.0%、11-20本の喫煙者で17%という報告(常俊1968)と比較すれば、本対象群での有病率は63.2%で旧忠海製造所従業員とほぼ同様であり、極めて高いと判定される。


5. 肺機能検査結果について

 広島大学が行った肺機能検査成績のうちデータの揃っている対象者(17名)分を、日本胸部疾患学会(現日本呼吸器学会)肺生理専門委員会が作成した日本人臨床肺機能検査指標基準値(1993、立位、喫煙・非喫煙合計)と比較すると、肺活量 /身長は14人(82.4%)、1秒量 /身長は12人(70.1%)、1秒率は8人(47.1%)が基準値から1標準偏差値引いた値を下回っていた。喫煙習慣別に見ても、一定の偏りは認められなかった(別紙図1から3を参照)。同じ基準値を用いて、換気機能障害の型をパーセント肺活量80%、1秒率70%を基準として分類すると、3人(17.6%)が拘束性換気障害、4人(23.5%)が閉塞性換気障害、5人(29.4%)が混合性換気障害を有し、換気障害のない者は5人(29.4%)であった(図4)。
 以上の結果から、本対象者の肺機能検査成績は同年齢の者と比べて、低下していることが示唆された。


6. 皮膚所見について

 本検討委員の専門家が19人の受診者を診察した結果、作業期間中化学熱傷を受け、現在その部位に色素沈着(褐色斑)、色素脱失(白斑)、瘢痕を認める者9人(47.4%)、化学熱傷を受けたが、現在上記所見のない者4人(21.1%)、化学熱傷を受けなかった者6人(31.6%)であった。
 現在皮膚症状を示す9人の所見(累計)は、化学熱傷を2か所以上もしくは2回以上受傷し、現在その部位が瘢痕となっている者3人、化学熱傷を1か所受傷し、現在その部位が瘢痕となっている者5人、化学熱傷を2か所以上もしくは2回以上受傷し、現在その部位が色素沈着ないし色素脱失の混合となっている者5人であった(別紙皮膚調査結果参照)。
 酸、アルカリ、金属、有毒ガスなどによる皮膚障害を化学熱傷と称しており(上野1998)、わが国におけるイペリット皮膚症状については1920年に遠山の記載がある(遠山1920)。それによると、受傷数日後の所見は紅斑性浮腫状腫脹が高度で、そのなかに粟粒大から胡桃大までの小水疱、水疱、びらん、潰瘍が散在または集簇してみられる。10日以上かかって治癒した部位には褐色斑または白斑が多数認められるようになる(遠山1920)。つまり受傷時の皮膚障害の程度により、色素沈着(褐色斑)や色素脱失(白斑)となったり、瘢痕を形成するのが後遺症の特徴である。
 今回の健康調査では、次の特徴が認められた。

1)皮疹は露出部に多かったが、自分の手を介して接触したため発生した部位(陰茎)や、蒸気として衣服内に侵入したため発生した体幹部位にも見られた。

2)皮疹の一つずつが液体によると思われる不整形を呈していた。

3)皮疹は多発性であることが多く、特に白斑は多発性白斑と表現されるほど特徴的であった。これは旧忠海製造所での調査(和田1969)、旧曽根製造所(重信1990)での調査における皮膚所見と一致した。

 受診者19人中9人(47.4%)に、これらの特徴的皮疹が認められたことは、この集団がイペリット等の曝露による皮膚障害を受けたことを強く示唆する。


結論

 旧相模海軍工廠従業員に関する資料と、呼吸器および皮膚の専門家からなる救済検討委員による健康調査結果に基づき、ガス曝露とその健康影響について検討を加えた。
 その結果、旧相模海軍工廠従業員であった対象者に、1)旧忠海製造所及び旧曽根製造所従業員の場合と同様の褐色斑・白斑が高率にみられたこと、2)ガス曝露の後障害の一つである慢性気管支炎が健康調査対象者で高率に見られたことから、旧相模海軍工廠従業員にも、ガスの曝露があり、旧忠海製造所及び旧曽根製造所従業員にみられたガスによる主要な二つの後障害が見られることが判明した。

 平成11年6月2日


旧相模海軍工廠ガス障害者救済検討委員会


(座長) 相澤 好治 北里大学医学部教授 [疫学]
  大城戸 宗男 東海大学医学部名誉教授 [皮膚]
小田切 繁樹  神奈川県立循環器呼吸器病センター副院長[呼吸器]
中田 紘一郎 国家公務員共済組合連合会虎の門病院呼吸器科部長[呼吸器]
行武 正刀 国家公務員共済組合連合会忠海病院前院長[呼吸器]


参考文献

1. 日本胸部疾患学会肺生理専門委員会:日本人臨床肺機能検査指標基準値. 日胸疾会誌31巻末, 1993.

2. Nishimoto Y, Burrows B, Miyanishi M et al.:Chronic obstructive lung disease in Japanese poison gas workers. Am Rev Respir Dis 102:173-179,1970.

3. 重信卓三:大久野島毒ガス工場旧従業員の臨床的観察:慢性気管支炎を中心に.広島大学医学雑誌21:409-499, 1970.

4. 重信卓三、西本幸男:化学物質による健康障害例:大久野島におけるSulfurmustardによる健康障害. 放射線生物研究20:127-138, 1985.

5. 重信卓三、石岡伸一、柳田実郎ほか:北九州曽根毒ガス弾製造所旧従業員における後傷害の検索:第1報. 工場の概要. 広島医学43:1731-1734, 1990.

6. 重信卓三、石岡伸一、柳田実郎ほか:北九州曽根毒ガス弾製造所旧従業員における後傷害の検索:第2報. 臨床的観察. 広島医学43:1735-1740, 1990.

7. 遠山郁三:毒瓦斯に因る皮膚炎. 皮膚泌尿誌20:645-650, 1920.

8. 常俊義三:大気汚染と慢性気管支炎. 大阪大学医学雑誌20:367-386, 1968.

9. Tsunetoshi Y, Simizu T, Takahashi A et al.:Epidemiological study ofchronic bronchitis with special reference to effect of air pollution.Int Arch Arbeitsmed 29:1-27, 1971.

10. 上野賢一:皮膚科学. 第6版、金芳堂, pp191-192, 1998.

11. 和田直、西本幸男、神辺真治ら:有毒ガスによる後障害. 日本胸部臨床28:490-495,1969.

12. 山木戸道郎、石岡伸一、檜山桂子ほか:旧相模海軍工廠毒ガス製造工場退職者検診の報告.広島医学51:972-977,1998.



図1 喫煙別肺活量/身長

図2 喫煙別1秒量/身長

図3 喫煙別1秒率

図4 喫煙別換気機能障害の型


別紙皮膚調査結果

1)化学熱傷受傷に対する受診結果のまとめ

当時、化学熱傷に受傷しなかった者 6名
当時、化学熱傷に受傷し、現在、色素沈着、色素脱失、癖痕が残っていない者 4名
当時、化学熱傷に受傷し、現在、その部位が色素沈着、色素脱失、癖痕となっている者 9名
  合計 19名


2)当時、化学熱傷に受傷し、現在皮膚症状を示す9名の症状(累計)

当時、化学熱傷を1か所受傷し、現在、その部位が色素沈着ないし色素脱失(白斑)となっている者 0名
当時、化学熱傷を2か所以上もしくは2回以上は受傷し、現在、その部位が色素沈着ないし色素脱失(白斑)となっている者(その部位が色素沈着と色素脱失(白斑)の混合となっている場合もある) 5名
当時、化学熱傷を1か所受傷し、現在、その部位が瘢痕となっている者 5名
当時、化学熱傷を2か所以上もしくは2回以上受傷し、現在、その部位が癖痕となっている者 3名


照会先
保健医療局企画課
 課長補佐 佐藤敏信(内線2314)
 課長補佐 河野通村(内線2315)
 直通(03)3595-2207


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