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○労働教育行政について
(昭和28年6月6日)
(労働省発労第14号)
(各都道府県知事あて労働事務次官通知)
労働教育行政については、かねてから一方ならぬ御高配を得て来たところであつて、極めて困難な行政分野であるにもかかわらず、多大の成果を挙げて来たことについては、深甚の敬意を表する次第であるが、独立後一年有余を経た今日において、労働問題の現状、将来を慮るに、労働教育行政の任務は益々重且つ大なるものがあると考えられる。
よつて労働省においては、今般別紙の如く労働教育行政の基本的考え方を明かにし、以て今後の労働教育行政の進展に資することとした。貴職におかれても、管下の労働教育行政の実施に当つては、右方針に準拠し、今後とも本行政の正しく且つ力強い推進に一層の御協力御配慮を願いたく、特に命によつて通牒する。
(別紙)
労働教育行政について
一 労働教育行政の目的
労働教育行政の目的は、発展して止むことのない自由にして民主的な社会において、労働組合及び労働運動、並びにこれと他の社会的存在との間に生ずる経済的社会的諸関係の、正義と秩序を基調とする調和的な発展を図ることにあり、且つこれによつてかかる社会自体の発展に寄与することにある。
二 労働教育行政の態様
(一) 労働教育行政の諸態様
労働教育行政の態様は、その観点を異にするに従つて種々に分類できるものであるが、まずこれを対象によつて分類すれば次のように分け得る。
イ 労働者に対するもの
ロ 使用者その他労働関係の他方の当事者になる者に対するもの
ハ 国民一般に対するもの
また内容によつて分類するならば、次のように分け得る。
イ 労働組合、労働運動乃至労使関係とは何ぞや、如何なるものか、という初歩的基礎的な知識を習得するようにすること。
ロ 右の基礎の上に立つて、労働組合、労働運動、労使関係等の正常な発展の為に必要な参考となる知識、資料が得られ、且つ利用されるようにすること。
ハ 労働組合、労働運動、労使関係等に対する世論、国民の声が正当に形成され、またその世論、国民の声が労使当事者に正当に伝えられるようにすること。
更にその方法によつて分類するならば、次のように分け得る。
イ 行政庁が直接に労働組合、組合員、組合幹部、使用者、国民一般等に対して労働教育を実施すること。
ロ 労働組合、使用者又はその団体、その他のものの行う労働教育に対して行政庁が援助を与えること。
右の如き諸態様は、固より具体的な労働教育施策において一々画然と峻別されるものではなく、これら諸態様が有機的に関連し融合されて、その下に、各種労働教育手段が適切に駆使されることによつて、労働教育行政の円滑妥当な運営が期せられるものである。
(二) 労働教育行政の対象
行政庁の行う労働教育の第一次的対象は、労働組合、組合幹部及び組合員大衆に向けられるものであることはいうまでもないが、労働組合及び労働運動をめぐつて発生する諸々の関係における相手方、特に労使関係における相手方がまた重要な対象である。更にこれらを包摂し、発展せしめ、それによつて自らも発展する所の社会自体の構成員たる国民一般も亦、労働教育の対象の中に含まれなければならない。
(三) 労働組合に対する労働教育行政
(1) 労働組合を対象とする労働教育は、戦後日本の占領下における特殊事情として、労働組合の組織運営のあり方の基礎的知識の教育が行政庁の手によつて強力に推進されて来たのであるが、これは本来は労働組合自らの力によつて行われるべきものであるといえる。然し乍ら労働運動の現情、就中中小企業における労使の実情に鑑み、今後もなおこの労働教育は行政庁自らによつても熱心に継続される必要がある。また、労働組合及び労働運動の正常な発展の為に右の労働教育から更に進んで、組合幹部及び組合員大衆が広い一般的教養の基盤に立ち、労働組合、労働運動乃至社会経済事情等について具体的且つ明確な認識と知識を持つ為の労働教育が、組合自らによつても、また行政庁によつても、今後益々強力に推進される必要がある。
(2) 労働組合が強力な社会的存在になればなる程、国民の立場からこれに対する期待と批判とが強くなることは当然であつて、もとよりそれは国民の労働組合、労働運動に対する正当な理解、認識の上に立つたものであるべきであるが、労働組合としても、国民の卒直な批判、希望には謙虚に耳を傾けるべきであつて、この国民の声を代表する労働教育の任務は今後益々加重されるものである。
(3) 労働組合の発達に伴い、政府のみが能くなし得る事柄として、労働組合が必要とする参考資料の提供、その他必要な知識経験を得る為の機会、便宜の供与、又特に後述の労働組合が自ら行う労働教育に対する援助等のサービスが、労働教育行政において益々重要な任務となつて来る。
今後の労働教育行政においてはこれが為に一層大きな努力が払われなければならない。
(四) 使用者及び社会一般に対する労働教育行政
(1) 使用者に対する労働教育行政は、概ね前述の労働組合に対するそれと対応するものである現状においては、労働組合に対する労働教育行政に劣らない熱意と努力とがこのために払われなければならないことは、屡々各方面から指摘されるとおりであり、これなくしては労使関係の正常な発展は到底期し得られない。
(2) 社会一般に対しては、労働組合、労働運動並びに労使関係等について、その正しい発展に資せしめるため、また国民の声が正しく且つ強力に形成されるために、これら所謂労働問題の正しい理解と認識を与える労働教育行政が必要とされる。この分野は、その対象が広汎且つ多様でとらえ難いのみならず、単に国民全般を対象とする以外に、国民各層に対してそれぞれに応じた方法、内容の労働教育が行われることが必要であるので、特に困難な仕事であるが、その困難を克服して今後できる限りの努力が払われる必要がある。
(五) 労働組合その他のものの行う労働教育に対する援助
(1) 労働組合の組合員に対する労働教育は、本来労働組合自らがこれを行うべきものである。組合幹部のみでなく組合員一人々々がすべて自らの力で正しく判断し行動する力を持たない限り、真の労働組合の発展はないのであつて、労働組合自らがこの為の労働教育を行うことこそ、労働組合の仕事のうちでも第一に取り上げられなければならないものである筈である。すべて物事は、自己の力以上のことはできない。力は自らこれを養う努力をする所にのみ生ずる。
(2) 従つて労働教育行政の重要な任務の一は、労働組合が自ら行う労働教育に対して、刺戟を与え、機会を醸成し、便宜を与え、正しい方向方法を教え、資料を提供し、その他できる限りの援助を与えることにあり、これが重要性は今後益々加重されるものである。
(3) 労働組合は、あまりに当面の問題に性急であつて、基礎的な常識乃至教養についての教育を怠る傾向がある。当面緊急の問題に関する教育ももとより怠ることのできないものであるが、労働組合の行う労働教育に対する援助に際しては、かかる基礎的な教育の必要について常に注意を喚起する必要があるであろう。
(4) 以上の如き労働組合が行う労働教育に対する指導、援助に対応し、使用者又は使用者団体が、使用者相互乃至労務管理従業員等に対して行う労働教育についても、適当な指導、援助が与えられるべきである。更に、労働組合以外にも大学その他の教育施設、民間団体等が労働教育を行うことは、今日未だその事例は多くないが、本来極めて望ましいことであり、これに対しても行政庁として必要な指導、援助を与える努力が払われるべきである。また国民一般に対する社会教育、成人教育の施設、催物等についても、そのうちに労働問題の正しい認識、理解の為の教育が適宜織り込まれるように適切な努力、援助がなされる必要がある。
三 労働教育行政の基本的立場
労働教育行政を行うに当つては、まずその基本的要素たる労働組合及び労使関係に対してこれを如何に認識し評価し、且つその上に立つて如何なる方向において教育が行われるべきか、という基本的立場を確認しておく必要がある。
(一) 労働組合
労働組合に関しては、特に左の諸点に留意する必要がある。
(1) 労働組合及びその機能は、その歴史的発展及び社会的基盤の上において、また特にそれが国際的視野において、認識されなければならない。
(2) 労働組合の日本における歴史的社会的環境下における実情及びあるべき姿が、認識され、発見されなければならない。
(3) 労働組合は、かつて広く考えられ、現在なお一部において考えられているが如き社会における必要悪的存在ではなく、社会の発展のための積極的要因、進歩的要素であるということが、日本国憲法の立場であり、このことが特にこの際確認されなければならない。
(4) 労働組合は、その本質的性格において社会の現状を自己に更に有利なものにして行こうとするものであることが認識されなければならない。
イ 労働組合の存在の基礎をなす自由にして民主的な社会は、常に流動進歩して止まることなきものである。それ故にこそかかる性格を固有する労働組合の存在と発展を許容し、むしろそれを自らの進歩のための要素として摂取するものである。従つて労働組合の右の本質的性格を全く否定しようとするならば、それは労働組合そのものの否定に通じ、ひいては社会の固定化をもたらさんとすることにもなるものである。
ロ 然し乍ら社会的存在としての労働組合は、正義と秩序を基調とする調和的発展においてのみ意義を認められ、存在を是認されるものである、従つてその立場を固執し、強調するのあまり、秩序そのものを無視し、その他この調和を紊すに至ることは、社会として到底堪え得るところではなく、且つそれは同時に自らの存在の基盤を否定することである。
(5) 以上の如き基本的認識の上に立つて、労働組合のあり方と、労働組合及びその活動の基盤をなす客観的諸条件との科学的な検討が常になされなければならない。このことこそ労働教育行政の最も有力な基礎づけである。
(6) 然し乍ら社会も、また労働組合も流動して止まないものであり、加えて労働組合、労使関係等に関する科学的な検討がなお極めて不充分な現状にあつては、労働組合のあり方の全貌を具体的且つ詳細に叙述することは不可能である。従つて現在においては、一面的科学的検討を不断に強力に推進すると共に、他面既に明白な事柄及びその時々の情況において必要とされるものを、良識及び社会通念に従つて労働教育行政において取り上げてゆくべきものである。
(二) 労使関係
労使関係に関しては、特に左の諸点に留意しなければならない。
(1) 労働教育行政が、現象面において常にその重点を労使関係の安定におくべきことは当然のことである。労使という相対立する二者の間に生ずる関係が安定したものであるためには、発展して止まない自由にして民主的な社会における正義と秩序を基調とする調和的発展という点にその安定の根拠が求められなければならない。従つてその労使関係の安定は、流動的な安定であつて、静的な安定乃至は固定であつてはならない。若干の摩擦の時に生ずることはあつても、全体として社会全般の調和を保ちつつ、常にその時々の情勢に応じて変化し進歩して、窮極において社会全般の発展を指向するところに労使関係の安定の根本がある。
(2) 具体的な労使関係の安定方策は、従つてその時々において流動するものであるが、その基調は社会的経済的諸条件及び労使の主体的諸条件の科学的な検討、客観的な把握を前提とし、その上に立つて現実に即応し合理性に裏づけられたものであるべきであり、且つその根本は労使の自覚と国民の声とにある。
(三) 合理性と現実性
労働運動、労使関係等は、最も現実的であり、且つ合理的であるべきであり、従つて労働教育行政の基本は、常に現実に即応した合理性でなければならない。
(1) 労働組合、労働運動、労使関係等の正しい発展は、すべて合理性にその基礎を置くことによつてはじめて期し得られる。このことは、極めて自明の事であり乍ら、然も繰り返し強調されなければならない。従つてまたその前提として労働組合、労働運動、労使関係等の科学的な検討と基礎づけとの努力が常に払われなければならない。
(2) 合理性の出発点は、まず現実の把握にある。労働組合も、また労使関係の他方の当事者たる使用者も、まず自らの主体的条件を卒直に把握すると共に、常に社会、経済情勢について十分の認識を持ち、そのうちにおける自らの地位を見定めることが、すべての行動の前提でなければならない。現実は恣意的に歪められて、又は無自覚に散満に受け取られたのでは無意味であつて、これが合理的に把握されてはじめてその意味を持つ。
(3) 労働運動、労使関係における現実においては、客観的な社会的経済的諸事実と並んで、その時々における国民世論の声が、大きな比重を持つ。
労働組合の社会的存在が大きくなればなる程、又労使関係の社会的影響が大となればなる程、社会国民はそのあり方に対して益々重大な関心を持たざるを得ず、国民は労働組合、労働運動のあり方、労使関係の発展について、大きな期待を持つと同時に社会全般の立場からこれに対して時に種々の批判を持つに至る。この国民の声は、労働組合、労働運動、労使関係等の正しい認識と判断の上に立つものでなければならないが、同時に素朴な国民の声と雖も、労使の当事者によつてそれは正当に受け容れられ、卒直謙虚に耳を傾けられなければならない。その力の大きくなるに従つてますますその自制が要求され、国民の声にその存在、行動を規定されることは、民主的社会における社会的存在としてその当然の運命であり、義務である。
国民の声が正しく受け容れられるものであるためには、国民一般に対する労働教育によつて、国民の声が合理的な認識判断の根拠に立つたものであるようにするために不断の努力が払われなければならない。同時に他面現実のなまの国民の声は労働教育を通して伝えられることによつて合理性を濾過して労働組合乃至労使関係の当事者に受け容れられるようにされる必要がある。
(4) 合理性とは、冷い抽象的な合理性であつてはならない。窮極の原理は何者にも知り難い。理論の相剋を解決するものは、現実である。現実の前に謙虚であることが合理性の第一前提である。労使それぞれの実体、社会、経済の現状、またそこから生ずる国民世論の声、その他諸々の諸現象から遊離して理論を玩ぶことは、却つて合理性に背馳するものであり、現実性と合理性とは、表裏一体をなすものである。現実を卒直にみつめ、現実を広い視野で把握し、これに対する正しい即応を発見することこそ、合理性の最も重要な要素である。今日の如くめまぐるしく世界が変転し、一面労働組合、労使関係の基礎尚浅い時にあつては、この態度は特に重要であり、今後あらゆる努力を払つてその涵養が図られなければならない。
四 労働教育行政の使命
労働教育行政は地味であり、効果が直ちにあらわれない。労多くして報われることが少い。これはおよそ教育と名の付くものの運命である。労政行政には当面とりあえず処理しなければならない日常目前の事象におわれることがあまりにも多く、労働教育行政はその影にかくれて世に認められないことが多い。然し乍ら労政行政の根幹は労働教育にあり、従つて労働教育行政は労政行政全般との有機的関連の下にその集約的表現として行われなければならないものである。
労働教育行政の目的は、即ち長期的な労政行政の目的であり、労働教育行政がもし十分にその目的を達し得たならば、労政行政はその任務の大半を達成したこととなるのである。