アクセシビリティ閲覧支援ツール

添付一覧

添付画像はありません

○幼児期における歯科保健指導の手引きについて

(平成二年三月五日)

(健政発第一一七号)

(各都道府県知事・各保健所を設置する市の長・各特別区区長あて厚生省健康政策局長通知)

幼児期における歯科保健の重要性に鑑み、今般、標記手引きを作成したので送付する。保健所及び保育所等における母子歯科保健事業の実施に当たつては、本手引きを参考とされるよう関係各位に指導されたい。

幼児期における歯科保健指導の手引き

目次

1 幼児期における歯科保健の意義

1) 乳歯むし歯の影響

2) 幼児期におけるむし歯の状況

3) 幼児の成長発達と歯科保健

4) 三~五歳児のむし歯予防の重要性

2 幼児期のむし歯の特徴

1) 罹患状況

(1) 年次推移と現況

(2) 地域差、環境差

2) 一般的特徴

(1) 乳歯のむし歯の特徴

(2) 幼若永久歯のむし歯の特徴

3) むし歯の好発部位

(1) 乳前歯

(2) 乳臼歯

(3) 第一大臼歯

4) 幼児の心身に及ぼすむし歯の影響

(1) むし歯による局所的な問題

(2) 集団生活における影響

(3) 全身的影響

3 幼児期におけるむし歯予防の手段

1) 歯口清掃

(1) 刷掃

(2) フロッシング

(3) 洗口

2) 食生活

(1) むし歯の発生と食生活

(2) 顎の発育と食生活

(3) 幼児期の食生活

3) むし歯の予防処置

(1) フッ化物の局所的応用

(2) 小窩裂溝填塞法(予防填塞)

4) 早期発見、早期処置

4 幼児期における歯科保健指導

1) 幼児期における歯科保健指導の意義

(1) 歯科保健指導の目的

(2) 歯科保健指導の場と対象

(3) 歯科保健指導の目標

(4) 歯科保健指導実施の手順

2) 個人を対象とした歯科保健指導

(1) 問題点の把握

(2) 指導目標の設定

(3) 歯科保健指導の実際

(4) 歯科保健指導の評価

3) 集団を対象とした歯科保健指導

(1) 対象集団の把握

(2) 問題点の把握

(3) 指導目標の設定

(4) 歯科保健指導の方法と媒体

(5) 歯科保健指導の留意事項

(6) 歯科保健指導の評価

1 幼児期における歯科保健の意義

わが国では太平洋戦争中に砂糖の摂取が困難であつたため、戦後間もない昭和二〇年頃における乳幼児のむし歯は戦前に比べかなり減少したが、その後わが国の経済的発展に伴い、乳幼児のむし歯は戦前を凌ぐ勢いで増加した。

昭和二三年に公布された児童福祉法及び保健所法により、幼児の歯科保健に関する事業が保健所を中心に実施されてきたが、むし歯予防対策が幼児のむし歯の蔓延に追いつかず、全国的に昭和四〇年代までの間、むし歯は幼児の間に広く蔓延した。

昭和五二年より、一歳六か月児の健康診査の一環として、歯科健康診査及び歯科保健指導が実施されるようになり、近年、幼児のむし歯が減少する兆しが見えてきているが、むし歯になつている幼児の割合は依然高く、まだ十分とはいえない歯科保健状況にある。

1) 乳歯むし歯の影響

幼児期に乳歯がむし歯に侵され、歯の自発痛や咀嚼時の疼痛、不快感を伴う場合には、永久歯のむし歯の発生の誘因となつたり(参考資料1)顎・顔面の正常な発達にも影響を与えることになり、その人に一生を通じた歯の健康といつた点で好ましくない結果を招くおそれが多いとされている(図1)。このため幼児期のむし歯予防を進めていく意義は極めて大きい。

2) 幼児期におけるむし歯の状況

昭和三六年以来、三歳児に対する歯科健康診査及び保健指導が実施されているが、三歳児の多くはすでにむし歯に侵されており、乳歯のむし歯を予防するためには、更に低年齢児を対象とした保健指導の必要性が叫ばれてきた。昭和五二年から実施されてきた一歳六か月児の歯科健康診査及び歯科保健指導は当を得た対策で、近年における三歳児の歯科保健指標の向上にかなり貢献している。しかし、三歳から五歳の間に増加する一人平均むし歯数は必ずしも減少傾向を示してはおらず(表1)、今後、わが国における歯の健康づくりを推進していくにあたつて、幼児期の歯科保健対策を一層充実していく必要がある。

表1 一人平均乳歯むし歯数

調査年

年齢

昭50

昭56

昭62

1歳

0.31本

 

0.24本

 

0.31本

 

2歳

2.43

 

1.52

 

1.34

 

3歳

5.98

 

 

3.92

 

 

3.91

 

 

 

 

 

 

 

 

4歳

8.13

2.91

5.70

3.79

5.89

3.57

5歳

8.89

 

 

7.71

 

 

7.48

 

 

 

 

 

 

 

 

6歳

8.92

 

7.74

 

7.70

 

資料:厚生省「歯科疾患実態調査」

3) 幼児の成長発達と歯科保健

幼児期は成長発達が旺盛な時期であり、人格形成にとつても大切な時期である。また、発達過程における幼児の行動はむし歯の発生や顎・顔面の発育とも関連があり、しつけの面でも大切な時期である。

(1) 一歳児

肉体的成長が目ざましく、乳歯の萌出時期である。むし歯は少ないが、幼児食への移行期に軟らかい食べ物を頻回摂取するため、歯の表面が不潔な者が多い。この時期に、歯口清掃の習慣づけを開始することが大切である。

一歳後半になると独立歩行ができるようになり、単語を話すようになる。しかし、生活の大半は保護者に依存しており、保護者による歯口清掃を必要としている。

(2) 二歳児

成長はゆるやかになるが、運動機能、言語の発達が目ざましく、食事及び排便等のリズムが定まつてくる。身体の清掃の一部として歯口清掃の習慣を定着させる大切な時期である。

スプーンやフォークを使つて自分で食べることができるようになり、食べ物の好みが明確になつてくる。二歳後半には乳歯の萌出が完了し、前歯のむし歯が増加する。間食摂取に注意を払い、食生活のリズムを確立させる必要がある。生活の大半はまだ保護者に依存しているので、保護者による歯口清掃を行い、歯をいつもきれいに保つことが必要な時期である。

(3) 三歳児

知能、言語、情緒、主体的行動が複雑多様になつてくる。人格形成に大切な時期で、甘えや「なぜ?」、「どうして?」などおとなの答えを求めるようになる。行動が複雑多様になり、運動が活発になるとともに摂食量が多くなる。食べ物の種類が増えてくるが偏食を起こしやすい。間食より朝昼夜の三食を十分によくかんで食べるよう努めさせねばならない。

保護者の手を煩わせなくても自分で食事ができるようになる。

歯口清掃を行う時には、自分でやりたがるが、みがき残しが多く、歯をみがいた後に保護者が点検し不十分なところについて再び歯口清掃をしてやる必要がある。三歳児は乳臼歯のむし歯が増加し始める時期でもあるので、注意を要する。

(4) 四歳児

一人で遊ぶだけでなく、数人で遊ぶことができるようになり、仲間との遊びが本格的になつてくるため、時に危険な動作も積極的にするようになる。また、粘土細工、絵を画くというような手先を使つた作業もかなり行うことができる。

おとなの食べ物とほぼ同じものが食べられ、三歳でむし歯のなかつた者にもむし歯が見られることがある。新たなむし歯は乳臼歯隣接面に見られることが多く、その進行は急速である。

衣服の着脱、身のまわりのことが一人でできるようになるので、生活習慣や社会生活に関するきまりをしつけとして身につけさせるべき時期である。自分で歯口清掃が上手にできるように少しずつ訓練してゆくとよい。

(5) 五歳児

多くの子どもが幼稚園又は保育所に通園している。集団的な学習及び遊びができるようになり、知能もかなり発達する。動作が活発になり、特に手先の動作は訓練によつてかなり器用に行うことができるようになる。仲間が多くなり、他家へ遊びにいくというような幼児なりの社会的行動が増加する。

身のまわりのことは自分でやらせ、保護者がそれをチェックして訓練を重ねてゆく時期である。保護者の歯についてのチェックがおろそかになつて、短期間にむし歯が進行することがある。また、第一大臼歯が気付かないうちに萌出していることもあり、むし歯にならないよう注意する必要がある。

三歳未満の幼児は比較的保護者の庇護のもとで生活することが多いが、三歳以降になると社会性、自立性が備わつてくるので、幼児の生活行動が変化し、保護者の監視の眼も届きにくくなる。従つて、幼児の生活環境、生活行動を把握して適切な保健指導を行うことが肝要になつてくる。特に三歳以降の子どもを対象とした保健指導では、その成果がその人の青少年期、成人期及び老年期を通した一生の歯科保健行動にもよい影響を与えることになり、食習慣の面でも全身的な健康増進への奇与に結びつく。

4) 三~五歳児のむし歯予防の重要性

三~五歳には乳臼歯のむし歯の増加が著しい。乳臼歯は幼児の咀嚼器官として重要であるばかりでなく、その後方に萌出する第一大臼歯を正しい位置に誘導するうえで大切な役割をもつている。さらに代生歯として萌出する小臼歯及び犬歯を正しい位置に萌出させるためにも、健全な乳臼歯がその機能を全うして脱落時期を迎えるように管理してゆかねばならない。そのためには単に歯痛にならないようにするだけでなく、いわゆるリーウェイスペースの確保をはじめとして乳臼歯が本来のスペースを保つよう、隣接面のむし歯の発生予防と進行防止に心掛けねばならない(参考資料2)

五歳児の後半では第一大臼歯が萌出している者も少なくない。第一大臼歯は永久歯の咬合の中心であり、咀嚼能力にも影響するため、この歯が正しい位置で咬合し、健全な状態を保つことが生涯を通じた歯の健康づくりを推進していく鍵となる。

第一大臼歯は乳歯の脱落がないので気付かないうちに乳臼歯の後方に萌出していることが多い。また、上下顎の第一大臼歯が咬合するまではかなりの期間が必要であり、その間、萌出した歯は自浄作業が乏しく不潔な状態に曝されるため、むし歯罹患歯率が高い。この歯については特にむし歯予防のための配慮が必要である。

〔参考〕

1 リーウェイスペース

乳犬歯、第一乳臼歯、第二乳臼歯の近遠心的な長さの合計と永久歯の犬歯、第一小臼歯、第二小臼歯の近遠心的な長さの合計との差のこと、永久歯の正しい咬合関係を作り出すうえでの調整されるスペースとなつている(参考資料2)。

幼児期における歯科保健の意義

1 乳歯は幼児、小児の消化吸収のために重要な器官であり、偏食をせず、バランスの良い食事を摂取するうえで大切である。

2 乳歯のむし歯による歯冠部の崩壊や乳歯の喪失は健全な永久歯列の発育に悪影響を与える危険生が高い。成人歯科保健の見地からも幼児期における乳歯のむし歯予防が大切である。

3 幼児期は歯や顎・顔面の発育期であり、正しい咀嚼、食習慣のしつけが大切な時期である。

4 幼児期は言葉を覚える時期であり、健全な歯及び口腔の維持が正しい発育及び言語の基本となる。

5 幼児期は人格の形成期であり、整つた口元を保つことが豊かな人間性の形成につながる。

2 幼児期のむし歯の特徴

1) 罹患状況

(1) 年次推移と現況

近年、わが国では幼児のむし歯が少なくなつてきたが、まだむし歯のない子どもが顕著に増えているわけではない。むし歯にかかる者の割合は、一歳以降増加しはじめ、二~三歳でその増加が顕著となる。昭和六二年歯科疾患実態調査の結果では、二歳で三四%、三歳で六七%、四歳で八三%、五歳で九○%の者がむし歯にかかつている(図2)。

一人平均むし歯数も年齢とともに増加する(図3)。昭和五○年の調査成績と比較すると、昭和五六年、昭和六二年の成績は二~五歳でいずれも減少しているが、低年齢児に比べて四~五歳の減少率は低い。むし歯の程度別に見ると、未処置むし歯が減少し、C3、C4の高度に崩壊したむし歯が目立て減少してきている傾向が見られる(図4、5)。

五~六歳における永久歯むし歯の有病者率及び一人平均DMF歯数についても減少傾向が見られるが、先進諸国における幼児のむし歯罹患状況と比較すると、まだ決して満足すべき状況ではない。

(2) 地域差、環境差

幼児期のむし歯発生に関わる環境要因の多くには、保護者の養育態度が影響している。養育態度は保護者をとりまく家族の状況及び家庭の属する地域社会の様相とも深い関わりをもつている。従つて、地域を構成する主な世帯の業態、家族形態、母親の就業状況などのほかに、地域の伝統、習慣、経済状態、保健情報の普及状況及び歯科医療機関の充実程度等もその地域の幼児のむし歯の罹患状況と関連をもつ。生活構造が明らかに異なる地域間では、これらの差異が幼児のむし歯罹患状況の地域差として現れてくる。

近年、都市部では農山村部に比較して一般的にむし歯が少なくなつており、三歳児健康診査の成績においても、人口の集中する都府県ではむし歯の有病者率が低くなつている(図6)。

2) 一般的特徴

一般に、乳歯は永久歯に比べて石灰化の期間が短いため、歯質の結晶構造が小さく粗である。また、乳歯、永久歯のいずれも萌出直後の歯ほど歯質は反応性に富み、むし歯の感受性が高い。

幼児期にみられるむし歯は、未成熟な歯質の理化学的性質に保育環境に深く関連する幼児の食習慣や歯口清掃状態の要因が加わることによつて、或る場合には多くの歯が重症なむし歯に陥ることもある。

(1) 乳歯のむし歯の特徴

(1) 多くの歯・歯面に発生する

乳歯のむし歯は同時に多数の歯や歯面に発生することが多く、永久歯ではむし歯になりにくい下顎前歯部にまで発生したり、多数歯にわたる平滑面のむし歯も見受けられる。また、同一歯の多歯面にわたつて広範に罹患し、歯質が崩壊することも少なくない。

(2) 進行が速やか

いつたんむし歯になると、その進行は急速である。エナメル質から象牙質に速やかに達し、歯髄感染から根尖感染までの期間が短い。反面、防御機転としての第二象牙質の形成は永久歯に比べると活発である。

(3) 容易に歯髄炎に移行する

むし歯の進行が速やかであることと併せて、進行による自覚症状が永久歯に比べて不明確であるため、症状を訴えたときには歯髄にまで病変が波及していることが多い。特に幼児が歯科治療に対して過度に消極的であつたり、乳歯の重要性や交換の時期などについて育児担当者の認識が乏しい場合、適切な治療の時期を逸してむし歯が重症化する例も少なくない。

(2) 幼若永久歯のむし歯の特徴

五~六歳にかけて、第一大臼歯の萌出及び下顎前歯部の交換が始まる。この時期、萌出後間もないいわゆる幼若永久歯が、まだ歯としての機能を営む前にむし歯になる例が多数見受けられる。幼若永久歯がむし歯になりやすい理由として、次のことが挙げられる。

(1) 歯質が未成熟

歯質が未成熟なため、むし歯になりやすい。

(2) 小窩裂溝の性質、形態

臼歯の小窩裂溝は石灰化が不十分であり、また乳臼歯に比べて裂溝形態は深く、複雑である。

(3) 歯口清掃が困難

萌出途上歯では隣接歯と階段状に接触していたり、歯冠の一部を被覆する歯肉弁が存在しているため歯垢を除去しにくく、自浄作用も及びにくい。また歯口清掃の技術も未熟な者が多い。

(4) 周産期の影響

周産期における障害が歯質に反映され、むし歯の発生と結びつく場合もある。

(5) 乳歯列期の影響

残存乳歯がむし歯になつている影響を受け、萌出歯の周辺が不潔になりやすい。

(6) 食生活の変化

保護者の監視の眼も届きにくくなり、糖分を主体とした間食が多くなる時期である。

3) むし歯の好発部位

むし歯に対する感受性は歯や歯面によつて異なる。むし歯の好発部位は一般に不潔となりやすい咬合面、隣接面及び唇面歯頚部とされているが、幼児期には、これらの部位別の特異性に萌出後の時間的経過による要素が加わり、年齢によつて発病状況や好発部位が異なつている(図7―1~3)。

低年齢児で最も早くむし歯になるのは、上顎乳中切歯及び乳側切歯である。下顎乳臼歯及び上顎乳臼歯がこれに続くが、三歳以降には上顎前歯部の新たなむし歯発生は少なくなり、大部分は上下顎乳臼歯部に移行する。下顎前歯部は唾液の貯留や舌の運動による自浄作業の影響を受けるため、むし歯になる可能性が最も低い部位である。

五歳以後になると、永久歯のむし歯が認められるようになるが、中でも第一大臼歯が最もむし歯になりやすい。

(1) 乳前歯

上顎乳中切歯及び乳側切歯にむし歯が発生しやすく、隣接面及び唇側面歯頚部が好発部位である。下顎乳中切歯並びに乳側切歯がむし歯になることは少ない。下顎乳切歯にむし歯の見られる幼児は殆どの歯にむし歯が発生する可能性が強く、保育上注意を要する者である。上下顎乳犬歯は上顎乳切歯に比べるとむし歯になりにくい。乳犬歯では第一乳臼歯との隣接面にむし歯の発生することが多い。

上顎乳切歯及び乳犬歯では哺乳ビンを比較的長く使用していたり、歯の清掃が不良な場合に多数歯にわたるむし歯が発生する。

乳前歯は一~三歳がむし歯の多発する年齢で顎の発育に伴い歯間空隙が現れてくると新たなむし歯の発生は少なくなる。

(2) 乳臼歯

乳臼歯部では上顎より下顎の方がむし歯になりやすく、下顎第二乳臼歯は乳歯の中で最も高い罹患率を示す。

いわゆる哺乳ビンむし歯に見られる広範なむし歯では、上顎第一乳臼歯頬面を初発とする場合もあるが、一般に萌出早期には咬合面(小窩裂溝)を中心にむし歯が発生する。

三歳以後でも咬合面のむし歯が発生することがあるが、この時期にはむしろ二本の乳臼歯の隣接面でむし歯が急増する。また、五歳以後には第一大臼歯の萌出に伴い歯と歯の接触が緊密になり、第一乳臼歯近心面及び第二乳臼歯遠心面の隣接面にもむし歯が増加する(図8)。隣接面のむし歯は、初期の段階に検出することが困難なため、咬合面の診査によりう窩が認められる実質欠損にまで進行した段階で初めて気付く場合も少なくない。

(3) 第一大臼歯

萌出後間もない幼児期には、咬合面に発生するむし歯が最も多いが、上顎舌側面、下顎頬側面の小窩裂溝にむし歯が初発することもある。罹患状況には性差、上下顎差が認められ、同一年齢では男児より女児に多く、上顎より下顎がむし歯になりやすい。

第一大臼歯は六歳臼歯という別名をもつているが、下顎第一大臼歯の約四○%は六歳に達する前に萌出を開始する。この歯は乳歯の脱落という前ぶれもなく第二乳臼歯の奥に萌出するため、萌出に気付かないことも少なくない。

乳歯列の後方に位置するため歯口清掃が行いにくい。特に下顎第一大臼歯では萌出開始から上顎第一大臼歯との咬合の完了まで一年近くを要することが多い。その間、自浄作用が乏しいままに長期間を過ごし、むし歯になることが多い。

4) 幼児の心身に及ぼすむし歯の影響

幼児期は心身共に成長発育の最も旺盛な時期であり、行動の学習が行われるときでもある。咀嚼器官のひとつである歯にむし歯があることは、それに関連する直接的な痛みによるものばかりでなく、間接的に幼児の心や行動にも悪影響を与えることが少なくない。

むし歯による痛みや不自然な咀嚼が、幼児の正しい成長発育、行動学習並びに食生活習慣の動機づけなどを歪めることが多い。それが成人になつても種々なかたちで残されている場合もある。

(1) むし歯による局所的な問題

(1) 乳歯のむし歯によつて起こされる歯列の問題

歯列は個々の歯が健全で、かつ形態が完全であつてはじめて正しい歯並びが期待できる。このため、個々の歯がむし歯になつて、歯の大きさが小さくなつたり、失われたりすると、完全な歯列を形成することができない。特に五~六歳児の歯列は第一大臼歯の萌出時期なので、後方から成長発育の力が乳歯列に加わつている。乳歯列はそれを支えているので、乳臼歯隣接面のむし歯や乳歯の欠如は第一大臼歯の近心への移動の原因となり、永久歯の歯列形成に悪い影響を与えることになる。このため、むし歯の予防並びに完全な修復が行われるように努力する必要がある。

(2) むし歯の痛みによる心身への悪影響

咀嚼器官は、毎日使う器官であり、食事というヒトの活動及び成長発育のもとになるエネルギー及び栄養の取り込みに重要な役割を果たしている。

栄養摂取の最前線である咀嚼の段階でむし歯による歯痛があると、十分に食物をかむことができない。特に楽しみにしている食事が無味乾燥なものとなつたり、むしろ苦痛となるということでは、子どもの精神発育に悪影響を与えるのは当然であろう。

(3) むし歯による偏食

食物のなかで、むし歯があると咀嚼時に痛むような肉類やイカなどの入つたものを、子どもが「歯を痛くする食品」と思い込み拒否するようになる。そのような幼児体験が潜在的に偏食の原因となつていることは少なくない。子どもの嗜好のみによる偏食はあまり多くないとされている。

(2) 集団生活における影響

むし歯のため痛くてかめない幼児や欠損歯が多く食事が十分にかめないため食事に時間がかかる幼児は、集団で食事をする場合に心理的な影響を受けることが少なくない。

保育所及び幼稚園で給食のある場合に種々の問題が起こる。例えば、一斉に食事を初め、他の子どもは食べ終わつているのに自分だけ残つていることは、子どもの社会では意外に大きなストレスとなつている。皆と同じように学習ができないのと同様の劣等感となる。通園ぎらいの子どもの理由に「給食があるから」という回答をする者がおり、給食の残りをカバンにあけて食べたふりをした者がいたりするといわれている。むし歯のない子どもは食事が早いのが普通であるが、むし歯の多い子どもはどうしても食事が遅くなる。このため、集団ではいつも「ぐずぐずしている」「早く食べなさい」などと注意されて子どもなりに苦しむことも多いようである。

(3) 全身的影響

むし歯があつてかむと痛いという場合、自然とかむ力を調節し、よくかまないで嚥下することが多い。固型のまま嚥下するので、消化器に負担がかかり、消化器の障害を起こすことがある。しかし、小児の消化器官は機能が旺盛なため、親もあまり気にしないで過ごすこともあるが、毎食のことなので見えない所で少しずつ影響があると考えられる。

咬合時に片側の歯が痛くなると、痛くない側のみでかむために、成長発育の途中にある子どもの顎骨及び咀嚼筋の正しい成長発育が妨げられる結果となる。局所的にもかまない側の歯は歯垢が多く付着しており、歯肉は発赤していて歯肉炎の状態になつていることが多い。

むし歯が進行すると歯髄に病変が起こる。更に、化膿性の歯髄疾患となり、歯槽骨や顎骨まで化膿性病巣が広がることがある。また、歯・顎骨が脳頭蓋に近接していることもあり、炎症が拡大した場合には重篤な結果を招くこともある。

残根状態及び化膿性歯髄炎となつている歯を持つている幼児は多い。その場合、歯肉溝や根尖部歯肉瘻孔から排膿している者もよく見られる。排膿物を毎日嚥下していることになるので、全身的にも悪い影響を引き起こす可能性が考えられる。

顎骨肉の感染病巣による全身への感染とされる歯性病巣感染もそのひとつである。一般に心疾患児やネフローゼ症候群の子どもの抜歯手術の際、抗生剤の術前投与が行われるのは、歯の病巣が全身的に影響を及ぼすことを危惧してのものである。感染歯の菌が抜歯等の処置でも血中に相当量流入することは平常の咀嚼圧によつても菌が血中に流入していることが考えられる。特に成長期にある未熟な幼児では、歯に感染性病巣を持つている場合、全身的な侵襲を考慮する必要がある。

〔参考〕

1 歯の面:一本の歯の面は次のような名称が付けられている(図7)。

近心面:前方の歯と接する歯面

遠心面:後方の歯と接する歯面

舌(側)面:下顎の歯の内側の歯面

口蓋(側)面:上顎の歯の内側の歯面

唇(側)面:前歯(切歯、犬歯)の外側の歯面

頬(側)面:臼歯の外面の歯面

咬合面:臼歯のかみ合わせの面

切端:前歯の先の面

2 歯頚部:歯冠(エナメル質で被われている部分)と歯根との境目、歯肉との境界部をいう。

3 歯間空隙:歯と歯の間のすき間のこと。幼児では発育に伴い二~三歳になると切歯の間に空隙ができてくる。これを発育空隙と呼んでいる。

幼児期のむし歯の特徴

1 乳歯むし歯が急増する時期であり、五歳までに約九○%の者がむし歯にかかつている。

2 乳歯、幼若な永久歯はむし歯になりやすい。

3 むし歯になりやすい場所は歯口清掃の行いにくい咬合面、隣接面及び唇面歯頚部である。

4 心身の成長発育が最も旺盛な時期なため、むし歯により正しい成長発育に悪影響を与えることが少なくない。

3 幼児期におけるむし歯予防の手段

むし歯に対する感受性が高い歯に多量の歯垢が付着し、その状態で砂糖を含む飲食物をしばしば摂取する場合にむし歯が発生しやすい。更に、初期のむし歯に気付かず、このような状態が長期間続くとむし歯は早く進行する。乳歯は永久歯に比べるとむし歯に対する感受性が高いが、幼児は歯の清掃の不十分な場合が多く甘い飲食物を摂取する機会も多いので、注意を怠ると多くの歯がむし歯に侵される結果となる。

むし歯発生と進行に関する予防の原則は次のとおりである。

・歯口清掃:厚く滞積した歯垢の除去及び付着の防止

・食生活:甘い飲食物の摂取頻度を少なくする。

・予防処置:フッ化物の応用及び小窩裂溝填塞法

・早期発見・早期処置:定期検診の励行並びに完全な治療

幼児期には乳歯むし歯の発生と進行に常に気を配ることはもちろん、幼児期後期には第一大臼歯の萌出や永久歯との交換も始まるので、健全な永久歯列を完成させるように心掛けねばならない。しかし、幼児期は発育発達が目ざましく、歯科疾患及び口腔領域の異常の原因を単に局所的原因のみに決めつけるわけにはゆかない面もある。特に幼児期後期には動作が活発となり、社交性が増すとともに保護者の注意力も薄れてくる。幼児の生活や病気とはいえない程度の健康状態の低下が間接的にむし歯の発生や進行に関連する場合もある。従つて、保健指導を行うに当たつては、単に口腔内の状態のみならず幼児の健康増進の面から育児環境や生活習慣についても配慮し、適切な指導を行う必要がある。

1) 歯口清掃

歯口清掃は人為的手段で歯及び口腔を清潔に保つことである。近年の食生活の状況に対応するためには、歯口清掃は歯及び口腔の健康の保持増進に不可欠な手段であり、特に幼児期のむし歯予防には有効な方法である。幼児の歯口清掃には刷掃(歯みがき、ブラッシング)、フロッシング、洗口等の手段がある。

(1) 刷掃(歯みがき、ブラッシング)

幼児における歯口清掃の習慣について過去六回の歯科疾患実態調査の結果では、毎日歯をみがく者の割合が増えてきている。しかし、歯面のすみずみまでみがき残さずきれいに清掃しているとはいいきれない。

(1) 幼児の刷掃で留意すべき事項

ア 幼児が自分で歯をみがいただけではみがき残しが非常に多い。保護者によるチェックと手直しが必要である。

イ 乳臼歯小窩裂溝、隣接面に歯垢の付着が多い。欠如歯の対咬歯、高度のむし歯及び動揺のある歯とその周辺は不潔になりやすい。

ウ 萌出途上の第一大臼歯は歯ブラシが届きにくいため不潔になりやすい。また、近心に高度なむし歯があると、その遠心に萌出した第一大臼歯咬合面の清掃は不十分になることが多い。

(2) 歯ブラシの選択

幼児自身が刷掃を行う場合も、保護者が幼児の歯をみがく時も、歯ブラシは刷毛部が小さく、毛のかたくない幼児用または乳児用の歯ブラシを使用する。

歯ブラシは使用期間が長くなると刷毛の弾力が減退し、毛先が乱れ、刷掃能力が低下する。このため、あまり古くならないうちに交換すると効率よく清掃することができる。

(3) 歯磨剤

幼児では歯磨剤を使用すると発泡や香料のため、歯垢がまだ取りきれないうちに刷掃を終らせる場合が多い。歯をみがく目的は歯垢除去にある。そこでまず、歯磨剤をつけずに歯ブラシのみで歯垢を可能な限り取除き、その後に改めて歯磨剤を付けて歯をみがくのがよい。

歯磨剤を使用する場合はフッ化物配合歯磨剤等のむし歯予防効果を明記してあるものを選択するとよい。しかし、幼児では歯磨剤使用後の洗口により十分吐き出すことができない場合もあるので、歯磨剤は小量使い、洗口を十分させる訓練が大切である。

(4) 刷掃の方法

歯ブラシによる清掃は肉眼的に見える部位に付着した歯垢の除去が目的である。そこでまず、どのような部位に歯垢が付着しているかを幼児及び保護者に理解させることが必要である。このためには、歯垢の染め出しを行うとよい。

歯ブラシの操作法には種々の方法があるが、幼児並びに保護者が容易に行える方法はフォーンズ法とスクラップ法である(図9)。

ア 咬合面

歯ブラシを咬合面にあて、歯ブラシを前後に動かして清掃する。萌出途上で低位にある臼歯の場合、刷毛面が裂溝部にあたらないことがある。この場合はブラシを横から(口角の位置から)その歯にあててみがくと比較的きれいに清掃することができる(図10a)。

イ 唇側(頬側)面

歯間部の清掃を行う場合、フォーンズ法ではゆつくり歯ブラシを動かし、ていねいにみがく。早く動かすと歯垢を取り残すことがある。取り残した歯垢は、改めてその部位だけスクラップ法を併用して除去するとよい。歯肉の形態にもよるが唇頬側面歯頚部は歯垢の付着が目立つ部位である。歯肉に軽度の炎症のある場合、歯垢の付着量も多くなるので、きれいに除去する必要がある。

ウ 舌側(口蓋側)面

舌側面は一般にむし歯の発生が少ないが、上顎前歯口蓋側面には時に歯垢が付着していてむし歯が発生したり、隣接面からむし歯が広がつてくることがある。上顎前歯口蓋側面は幼児が自分できれいにみがくことが困難な場合が多いので、保護者による清掃を行うとよい。この部位の清掃は歯ブラシで一歯ずつ前方へかき出すようにみがくのがよい。

乳臼歯舌側(口蓋側)面は歯ブラシをあてると嘔吐反射を起こし、そのために歯みがき嫌いになることもある。このため、食間時に少しずつ奥の方へ歯ブラシをあてる訓練が必要である。舌側(口蓋側)面の清掃はスクラップ法でよいが、歯ブラシが舌に触れて嫌がる幼児では、歯ブラシの毛先を歯間部に斜めにあて、一歯ずつかき出すようにみがく方法でもよい。

(5) 幼児自身が行う清掃

一歳後半から二歳ごろの幼児は自分で歯をみがきたがるが、清掃効果は極めて不十分である。しかし、自分で歯をみがこうとする行動の芽生えであるので、上手な歯みがきへの第一歩として育むべきである。すなわち、模倣や好奇心を巧みに利用し、自発的に喜んで歯をみがく雰囲気や環境を作り、少しずつ適切な方法を教えてゆくとよい。例えば、上下顎前歯の唇側面は比較的容易に行えるので、このような場所から幼児自身にみがかせてみてほめてやるというようにして進めてゆく。特に、反復して体得させる訓練が必要になる。

三歳を過ぎると自分でもかなりきれいに清掃できるが、歯ブラシの届きにくい場所の汚れを十分除去できない幼児が多い。従つて、三歳、四歳の時点では必ず保護者がチェックし、不十分な部位を手直しすることが大切である。

五歳児ではむしろ咬合面、唇側(頬側)面は自分で十分清掃できるよう訓練するとよい。保護者は折にふれて清掃状態をチェックし、歯垢の取り残しを指摘し、早く上達するよう努めさせることが大切である。

(6) 保護者による清掃

保護者による清掃は幼児期初期には手厚く行い、年齢が進むにつれて幼児自身がなるべく自分で歯をきれいに保つ歯みがきの技術を身につけるようにすべきである。

歯ブラシによる清掃は歯の萌出と同時に始めるべきであるが、歯数が少ない時には比較的難しい。前歯八本が萌出する頃には比較的実施しやすいので、保護者が行う方法はスクラップ法を主体として、特に歯間部をていねいに清掃する。幼児を仰臥させ、幼児の頭部を保護者の脚の間(または膝)にのせ、開口させて歯をみがくと比較的楽に行うことができる。

右手で歯ブラシを操作する場合には、左手で幼児の口角部を軽くおさえて上から口腔をのぞき込む位置で清掃すると、口腔内もよく観察でき、歯もみがきやすい。

保護者による清掃の要点は、幼児の増齢とともに幼児がみがき残した部位をきれいに清掃することにある。幼児自身が行う清掃では、歯間部まで毛先が到達していないためにみがき残していることが多い。そこで、この部位まで毛先を到達させることが必要である。

幼児用歯ブラシは毛がやわらかいので、歯面に直角にあてても痛みは少ないが、歯間乳頭に毛先があたつて痛みを訴えることもある。この場合は歯ブラシの柄を少しひねり、角度を変えて、毛先を歯間にしつかりとあてて数回振動させるとよい。この操作を一部位で数回繰り返すと歯垢を除去することができる。

このように毛先を使用した清掃では、歯ブラシの毛先の弾力が清掃効果を左右する。比較的新しい歯ブラシの方が効率よく、また、取り残しも少なく清掃することができる。

(7) 第一大臼歯の清掃

下顎第一大臼歯の方が上顎第一大臼歯より早く萌出する場合が多く、第一大臼歯が咬合するようになるまで、かなりの期間がかかる。このために下顎第一大臼歯が不潔な状態は長く続き、むし歯に侵されることが多い。萌出時期を迎える五歳児では、萌出と同時に第一大臼歯の清掃を行わねばならない。

萌出直後の第一大臼歯は隣接する第二乳臼歯のため、清掃が行いにくい状況がしばらく続く。歯の清掃方法として、次のようなみがき方がある(図10)。

ア 歯ブラシを口角部から挿入して横の方(頬側)から毛先を咬合面にあててみがく(図10a)。

イ 毛束の少ない歯ブラシを使用して第二乳臼歯を越えて毛先を第一大臼歯咬合面に到達させてみがく。毛束の少ない歯ブラシが入手できない時には、幼児用歯ブラシの先端から三列位の毛束を残し、植毛部のかかとの刷毛をカッターナイフで切り取ると毛束の少ないものと同様の歯ブラシを作ることができるのでこれを利用するとよい。

第二乳臼歯が高度のむし歯で崩壊が著しい場合や第一大臼歯が近心に傾斜して萌出しているような場合は、前記の方法でみがく方がよい。

〔参考〕

1 小窩裂溝:臼歯の溝や溝の交点の凹みのこと。

2 歯間部:歯並びの中の歯と歯の間の凹み。

3 歯間乳頭:歯と歯の間に入りこんできた乳頭状の歯肉。

(2) フロッシング

乳歯では隣接面にむし歯が発生しやすい。一~三歳では上顎前歯隣接面に、三~五歳では乳臼歯の隣接面にむし歯が発生しやすい。

歯ブラシによる歯間陥凹部の清掃では毛先の到達し得る限界があり、むし歯は毛先が到達しない歯面に発生する。この歯面の清掃にはデンタルフロスを使用する。

前歯隣接面は、フロス(ワックス付きの方が使いやすい)を適当な長さに切り、輪にするか両手の指でおさえて歯の間を清掃する。

臼歯隣接面はフロスのついたプラスチック製の楊枝(市販品)またはフロスホルダーを用いて、歯の間を清掃するとよい(図11)。フロッシングは幼児が自分で行うのは困難なことが多いので保護者が行うのが一般的である。

(3) 洗口

洗口とは水または洗口液を口に含んで頬筋や口唇を強く動かし、洗口液を口のなかで激しく奔流させ吐き出すことである。これを二~三回繰り返す。洗口のみでは歯垢の除去はできないが、食後の洗口は歯面に付着した食物残渣を除き、歯垢のPH値の低下を防ぐ効果が期待できる。幼児にとつては日常簡単に行える方法であるため、歯みがきができない状況の時などに行うと有用である。二歳頃になると洗口ができるようになるので、練習をさせることが大切である。

2) 食生活

幼児期は心身の発育・発達が旺盛な時期で栄養学的にも、また、幼児のしつけの面でも食事や間食について正しい習慣を身につける大切な時期である。特に乳歯は幼児期の咀嚼器官としてだけでなく、健全な永久歯列を完成させるうえでも大切な器官であつて、単にむし歯がないというだけでなく、顎の発育上からも食生活を通して正常に発育するようにしなければならない。

(1) むし歯の発生と食生活

甘味の多い飲食物の摂取とむし歯の発生に関しては多くの報告があるが、幼児の日常生活においては次のような事項が幼児のむし歯発生のリスクを高める結果となる。

・甘味飲食物の摂取量の増加

・口腔内に停滞しやすい甘味飲食物の摂取

・甘味飲食物の摂取頻度の増加

・夜間の甘味飲食物の摂取

(2) 顎の発育と食生活

幼児期の顎の発育は正常な永久歯列の形成には欠かせないものであり、その一環として幼児期の食生活が挙げられている。顔面の一部となり歯列弓の土台となる上顎骨及び下顎骨は全身を形づくる骨格の一部であるので、単に食生活だけの問題でなく全身的な健康、運動及び発育とも密接に関係するが、局所的なむし歯等の歯科疾患や食習慣とも関連がないとはいいきれない。健全な歯列弓で十分に咀嚼し、バランスのとれた食事を摂取してこそ顎は正常に発育する。

(3) 幼児期の食生活

(1) 咀嚼・嚥下の訓練

乳児期は哺乳に始まる。この時期にはまだ咀嚼器官が十分飲食をする機会も多くなり、生活リズムの乱れを起こす原因のひとつにもなる。

甘味飲料やアイスクリームなど甘味の多い飲食物の買い置きも幼児の成長期には、考慮すべきことである。特に、夏期では、これらの飲食物を手軽に与えてしまい、糖分が口腔内で停滞する時間帯が多くなる事例が多い。また、スポーツ飲料は成人に比較的多く飲用されているが、これらの中にはむし歯発生の要因となる糖質も含まれている。入浴後の飲料として与えている保護者も多いが注意を要する点である。

歯みがきの習慣は食事・おやつとセットにして、幼児の生活リズムの一部に組み込むべきである。外出時でも水による洗口等の簡略化した方法であつても例外はないという姿勢で子どもを育てていくことが大切である。

3) むし歯の予防処置

むし歯の予防処置とは、歯科医師もしくは歯科医師の直接指導のもとに歯科衛生士が、個人に対してむし歯予防のために必要な処置を行うことを指していう。古くは手術的清掃や小窩裂溝開さく術、鍍銀法の処置が行われたが、近年ではフッ化物溶液の局所塗布法、小窩裂溝填塞法が広く行われている。

むし歯予防のために、歯科医師が個人に対して洗口用のフッ化物溶液を処方することもある。また、医薬部外品として市販されているフッ素その他のむし歯予防に有効な成分を配合した歯磨剤の使用を勧める場合もある。これらはむし歯予防処置ではないが、薬剤等を使用したむし歯予防手段の一つであり、歯科医師の判断によつて必要な幼児に対しては処方や指導が行われる。

(1) フッ化物の局所的応用

萌出後間もない歯はフッ素を取り込みやすく、歯に取り込まれたフッ素の一部はフルオロアパタイトとなつて、歯の耐酸性向上に貢献する。フッ化物の局所的応用は、主に萌出後間もないむし歯に対する感受性が高い歯の歯質強化を目的として実施される。

一~三歳の幼児では、洗口液を吐き出すことがうまく行えないので、フッ化物溶液の局所塗布法が比較的広く実施されるが、四歳後半以降の幼児、児童では、フッ化物溶液による洗口やフッ化物を配合した歯磨剤を利用することもできる(参考資料5)。

(1) フッ化物溶液の局所塗布法

酸性フッ素リン酸溶液

フッ化ナトリウム溶液

フッ化第一スズ溶液

のいずれかの薬剤が使用される。

歯科医師または歯科衛生士によつて、歯科診療所や保健所等で歯面に塗布される。

(2) フッ化物溶液による洗口法

四歳後半以降の幼児及び児童に適する方法である。フッ化物溶液による洗口法は実施に先立つて、洗口の口の動かし方と洗口液を吐き出させる訓練を事前に飲料水で十分に行つておく必要がある。

幼児の洗口は一回約五mlを口に含み、どの歯にもよく薬液がゆきわたるように頬舌を動かし、少なくとも一分間は洗口するようにする。洗口液は必ず吐き出すよう幼児によく指導してから実施する。

洗口液は幼児の手の届かない場所に保管するとよい。

(3) フッ化物を添加した歯磨剤

フッ化ナトリウム、フッ化第一スズ、モノフルオロリン酸ナトリウムのいずれかを添加した歯磨剤が医薬部外品として市販されているので、手軽にこれを購入し利用することができる。

フッ化物を配合した歯磨剤中のフッ素は、通常一○○○ppmの濃度になつている。

幼児の歯みがきでは十分に歯ブラシで歯垢を除去することが大切なので、フッ化物を配合した歯磨剤を使用する場合は、まず歯ブラシだけで歯を清掃し、改めて少量の歯磨剤をつけて歯をみがき洗口する。そこで一般には、幼児自身がかなりうまく自分の歯をみがくことができ、また、洗口と歯みがき剤の吐き出しができるようになつてから使用するのがよいが、洗口と歯磨剤の吐き出しがうまくできれば、保護者が歯磨剤をごく少量つけて歯をみがいてもよい。

(2) 小窩裂溝填塞法(予防填塞)

歯の小窩裂溝は微生物や食物残渣が浸入し、むし歯が発生しやすく、歯ブラシの毛先が裂溝の深部まで到達しない部位である。近年、歯の表面のエナメル質に強力に接着する合成樹脂材料が開発されたことに伴つて、小窩裂溝を切削することなくむし歯の発生前に合成樹脂を使つて封鎖するむし歯予防手段が研究開発されたが、この方法を小窩裂溝填塞法(予防填塞、フィツシャー・シーリング)と呼んでいる。小窩裂溝填塞材料は樹脂や前処理剤等一式がセット(フィツシャー・シーラント)になつて市販されている。永久歯に小窩裂溝填塞法を実施した場合の報告によると、小窩裂溝ではフッ化物溶液局所塗布法より優る成績が報告されている。

なお、術式等については、参考資料6に示す通りである。

4) 早期発見、早期処置

歯科疾患は自然治癒が困難な疾患であるが、幼児期初期のむし歯は放置すると進行が早く、症状が現われた時にはすでにかなり進行している場合が多い。また、幼児の進行したむし歯では十分満足すべき状態に修復することが困難な場合もあり、正常な永久歯列の形成に支障をきたすこともある。

このようなことから、幼児自身ならびに保護者の気付かぬ部位で発生、進行するむし歯を早期に発見し、幼児の発達段階に対応した適切な処置を早期に行うことが必要である。

幼児期には一歳六か月児の健康診査と三歳児の健康診査が各都道府県、市町村において実施されており、その一環として歯科健康診査及び歯科保健指導が実施されている。個々の幼児についてはむし歯の状況や保育環境等にあわせて、更に適切な時期に個別の歯科健康診査や歯科保健指導が地方公共団体等の協力によつて一部で実施されている。しかし、一般には三歳を過ぎると就学時の健康診断を受診するまで、歯科検診及び歯科保健指導を受ける機会がないままに過ごす場合が多い。

一方、四~五歳の幼児では、乳歯に軽度なむし歯が発生しても永久歯と交換する歯だからということで、痛みがなければこれを放置する保護者も少なくない。乳歯が単に幼児期の咀嚼器官としてだけでなく、顎・顔面の正常な発育と健全な永久歯列の形成のための重要な器官であるという認識を高め、定期的な歯科検診を受け、早期に処置を徹底する必要があるといえよう。

幼児期の歯科健康診査では、単にむし歯の早期発見だけでなく、保育環境及び発達段階を考慮して、歯周組織及び顎の発育状態等を総合的にとらえ、適切な指導が必要である。このためには、個々の幼児のむし歯の状況、処置の状況の他、歯の清掃状態、飲食物の摂取状況、保育状況及び発達状況等を参考にして、歯科保健指導と次の歯科検診時期を約束し、定期的に歯科検診を受診するよう指導することが必要である。また、歯科検診時にう蝕活動性試験を実施し、保健指導の一助とすることも状況によつては必要である。

定期検診の間隔は個々の幼児によつて、画一的に定めることは困難であるが、幼児期には年二~四回の検診と指導が必要となる。幼児期に多数の歯牙が高度なむし歯に侵されている場合には、発達過程に対応した歯科治療と咬合誘導が必要な場合もあるので、このような場合は小児歯科専門医とよく相談して治療を勧めることが必要とされる。

〔参考〕

1 う蝕活動性試験

う蝕活動性試験は、ある観察時点において個体がむし歯になりやすいかまたはむし歯が進行しやすいかを判定しようとする試験法のことである。試験法としては、唾液や歯垢を検体とした微生物因子により判定する方法と宿主因子によるものに大別される。各種試験法の概要は参考資料4に示した。

2 咬合誘導

正常な永久歯列の育成を目ざして、咀嚼器官の成長発育に障害を与えるような原因を排除し、成長発育の段階に応じて適切な処置を行うことをいう。小児歯科の処置の大部分は咬合誘導に包合されるといつてもよい。

幼児期におけるむし歯予防の手段

1 歯口清掃について習慣形成を図り、歯・口腔を常に清潔に保つようにする。

2 甘い飲食物の摂取頻度をできるだけ少なくさせる。

3 必要に応じて歯科医院や保健所等でむし歯の予防処置を受ける。

4 定期的に歯科健康診査を受け、歯科疾患の早期発見及び早期治療に心がける。

4 幼児期における歯科保健指導

1) 幼児期における歯科保健指導の意義

歯科疾患は個人の日常生活習慣が長期間に反映する疾患である。幼児期の保育環境と保護者の保育行動は、幼児期のみの疾病・異常にとどまらず、その幼児が成人した後の歯科保健にも影響を及ぼす。幼児期の歯科保健指導は、幼児とそれをとりまく人々に正しい歯科保健知識を持つて保育に当たつてもらうために、保護者及び保育施設関係者に対しても実施するものである。

(1) 歯科保健指導の目的

幼児期における歯科保健指導の目的は、生涯にわたる歯及び口腔の健康保持増進に必要な基本的な保健行動を身につけさせることにある。幼児期には乳歯のむし歯予防を主体とした保健指導が行われているが、健全な永久歯列の育成を目指して、幼児の発育発達段階に合わせて日常生活のなかに無理なく取入れられ、それが習慣化されることが必要である。

(2) 歯科保健指導の場と対象

三歳以下の幼児の歯科保健指導では、主に保護者を対象とした指導が行われるが、四~五歳になると幼児自身も重要な対象となる。四歳及び五歳の幼児は三歳児健康診査と就学児健康診断の谷間にあつて、多くの幼児は保育所や幼稚園に通園(所)しているのが現状である。従つて、この時期には保護者のみならず、それらの施設の保育担当者とも密接な連携をはかり、家庭と保育所あるいは幼稚園における生活についても、幼児が歯科保健に対するよい習慣を身につけるよう指導する必要がある。

(3) 歯科保健指導の目標

幼児期は発育発達の目ざましい時期なので、歯科保健指導は幼児の発育発達の段階に合わせた指導が必要になる。また個々の幼児は同じ年齢でも発育発達状況にかなりの差異があることを考慮に入れて目標を設定し、一歩ずつ好ましい歯科保健指導を進めてゆくことが必要である。

幼児の年齢に沿つた歯科保健指導の具体的目標例は表3に示すとおりである。

表3 幼児歯科保健指導の具体的目標例

時期

対象

具体的目標

(1) 幼児前期1~2歳

(1) 幼児前期―1~2歳―

ア 保護者

1 自分の子の歯及び口腔の健康状態の理解

・むし歯予防の重要性を認識している。

・むし歯の本数、部位及び程度を知つている。

・適切な受療行動がとれる。

2 歯及び口腔の清掃

・どこが汚れているかわかる。

・歯口清掃用具(歯ブラシ)を用いて歯の汚れを除去することができる。

・子どもに「ブクブクうがい」を教えている。

・歯口清掃が習慣として確立している。

3 食生活習慣の確立

・間食の選択及び与え方がわかる。

・特にむし歯誘発性の含糖食品を適切に制限できる。

・好ましい食事と生活が習慣として確立している。

(2) 幼児後期3~5歳

(2) 幼児後期3~5歳

(2) 幼児後期―3~5歳―

(2) 幼児後期―3~5歳―

ア 保護者

1 自分の子の歯及び口腔の健康状態の理解

・むし歯予防の重要性を認識している。(むし歯発生の原因を正しく認識している)

・とくに乳臼歯(隣接面)、第一大臼歯の大切さを理解している。

・むし歯の本数、部位、程度を知つている。

・適切な受療行動がとれる。

2 歯及び口腔の清掃

・どこが汚れているかわかる。

・歯口清掃用具(フロス)を用い隣接面の汚れの除去もできる。

・子どもに歯みがきの認識や適切な自立を育んでいる。

・第一大臼歯の萌出期に注意し、萌出途上からみがくことができる。

3 食生活の改善

・どのような食品

・食習慣がむし歯の原因かわかる。

・間食の選択及び与え方のバランスを整えられる。

・必要に応じ食生活を改善できる。

イ 幼児本人

a 三歳

1 歯及び口腔の理解

・歯にも関心が向く。

・上手に口を開けてみせることができる。

2 歯及び口腔の清掃

・歯みがきは楽しいと感じる。

・歯はきれいだろうかと思う。

・いつ歯をみがくかがわかる。

・ブクブクうがいを実践できる。

b 四歳

1 歯及び口腔の健康の理解

・歯の大切さがわかる。

2 歯及び口腔の清掃

・歯の汚れがわかる。

・なぜ食べたら歯をみがくかがわかる。

・歯ブラシの持ち方、当て方、動かし方がわかる。

・忘れず自分からみがくようになる。(歯みがきの習慣)

3 間食のとり方

・おやつの食べ方がわかる。

c 五歳

1 歯及び口腔の健康状態の理解

・予防及び治療の処置を受けようという姿勢ができる。

・第一大臼歯に関心をもち萌出に気づく。

2 歯及び口腔の清掃

・なぜ歯みがきをするのかがわかる。

・ていねいに歯の各部分がみがける。

・第一大臼歯を不十分ながらもみがける。

3 間食のとり方

・どのような食品がむし歯の原因となるのかがわかる。

・間食として食べるものをバランスよく選択できる。

ウ 幼稚園・保育所職員等

1 前記イの目標の理解と協力

2 基本的な生活習慣の確立

・歯科保健を日常的な生活及び教育内容に取り入れられる。

3 保護者に対する連絡・助言

(4) 歯科保健指導実施の手順

幼児の歯科保健指導は単に歯科保健のみでなく、保健行動全体のなかで位置づけられるべきものである。

歯科保健指導は対象及び目的によつて

・集団を対象とした指導

・個人を対象とした指導

に大別できるが、いずれの場合も保健指導を行つた結果、どのような成果が得られたかを明らかにすることが大切である。実施に当たつては次のような事項がその要点となる。

(1) 実施計画

ア 対象がどのような歯科保健上の問題点を抱えているかを指導者は十分に把握していること。

イ 保健指導はよりよい保健行動に近付くことをねらいとしている。保健指導の実施によつてどのような保健行動の変容が起こるかをある程度予測して無理のない達成目標を設定する。

ウ 「誰に」、「どのようなことを」、「どのように実施してほしいのか」具体的な内容をどのような手段で対象にうまく伝えるか、保健指導の方法を十分検討しておく。

(2) 保健指導の実施

対象の数、幼児の発育発達状況(年齢)及び保育環境等の生活全体を把握し、必要に応じて媒体を使い、よりよい保健行動を目ざし、日常生活のなかで無理なく実践でき、習慣化するように指導する。

(3) 事後の評価

保健指導の目標達成度はその保健指導を行つた成果として反映される。特に、日常生活のなかで好ましい生活習慣として定着しているか否かについての評価が、事後に行う評価の主な目的である。また、その成果は次の指導及び企画に反映させることもできる。

2) 個人を対象とした歯科保健指導

自ら歯科保健相談の場を訪れた者及び歯科健康診査の結果、何らかの問題点の指摘を受けた者で、解決すべき問題や訴えを抱えている者がほとんどである。

(1) 問題点の把握

幼児もしくは保護者からの訴えや診査の結果をもとに、対象者の問題点を把握する。問題点を把握するに当たつては、単に歯科保健上の事項だけでなく、幼児の保育環境等が深く関連している場合もあるので、これらの事項もふまえて保健指導にあたらねばならない。

問題点を把握するうえでは、面接、問診、質問紙を使つた回答、口腔観察(口腔診査)及び必要な検査等の結果が参考となる。問題点を把握するうえで参考となる事項として以下のものがあげられる。

(1) 対象者の氏名、性別、年齢及び住所

(2) 主訴(自覚症状)又は集団検診等で指摘された事項

(3) 家庭環境及び保育環境

(4) 生活環境(日常の生活行動パターン、食生活等)

(5) 歯科保健行動(歯口清掃の回数、用具、方法、実施時間及び実施者)

(6) 健康状態(妊娠時からの既往症、哺乳歴、発育発達状態及び習癖等)

(7) 口腔観察(口腔診査)状況(歯の萌出状態、咬合状態、むし歯の有無と処置状況、軟組織の疾病異常の有無及び歯の清掃状況)

(8) 口に関する習慣(指しやぶり等)

(9) 歯科保健に関する認識(主たる養育者の理解及び認識の程度)

(10) その他(問題点と深い関連があると思われる事項及び必要に応じて実施するう蝕活動性試験の結果等)

(2) 指導目標の設定

個々の対象の指導内容により、幼児の発育発達の状況に応じて設定する目標には差異があるが、対象を再度チェックすることを前提として、再診査の時点までに無理のない目標を決め、達成させるようにするとよい。

(3) 歯科保健指導の実際

個々の幼児及びその保護者を対象とした歯科保健指導では、幼児の年齢、発育発達の状況及び訴えの内容によつてそれぞれに対応した適切な指導が必要である。しかし、幼児期のむし歯予防並びに健全な永久歯列の育成を目ざした歯科保健指導としては、次のような事項が要点となる。

(1) むし歯予防を主体とした歯科保健指導の要点

対象者の歯の清掃状況、むし歯の有無及び生活習慣等を参考とした保健指導の要点は、基本的には五つのタイプに分けることができる。それぞれのタイプの者に対する歯科保健指導の要点は表4に示すとおりである。

表4 口腔の状況と保健指導の要点