添付一覧
○歯槽膿漏症の治療指針
(昭和四二年七月一七日)
(保発第二六号)
(各都道府県知事あて厚生省保険局長通知)
目 次
まえがき
第一 歯槽膿漏症の診断
1 一般事項
2 局所事項
3 全身診査
4 アンケート
5 診断決定
6 鑑別診断
第二 歯槽膿漏症の予後
第三 歯槽膿漏症の治療
概 論
本症と歯肉縁炎との関連
1 局所療法(保存療法、外科療法および負担軽減療法)
2 全身療法(適応症の決定および全身療法の種類)
3 後療法(後療法および家庭療法)
第四 歯槽膿漏症と他の口腔疾患とが共存する場合の治療にあたり注意すべき事項
1 齲蝕歯処置と歯槽膿漏症
2 補綴(修復)処置と歯槽膿漏症
別表
歯槽膿漏症の治療指針
ま え が き
歯槽膿漏症は、歯肉の炎症、盲嚢の形成、盲嚢からの排膿、歯の弛緩動揺、歯槽骨の吸収などを主要症状として進行性に経過する歯周組織の慢性症患であつて、その病因、病理、症状は複雑であり、したがつて歯槽膿漏症の診断、療法なども簡単(単純)ではない。
今回、新しい歯科医学の立場から、これらを慎重に検討のうえ歯槽膿漏症の治療指針の改正を行なつた。
歯槽膿漏症の治療にあたつては、特に次の三点に留意しなければならない。
1 診断を確実にし、適切な療法を行なうとともに、特に早期発見、早期治療が効果的であり大切であること。
2 患者に熱心、かつ懇切に歯槽膿漏症の本態と治癒の困難性を説明し、予後の良否は患者の自覚と家庭療法の適否によつて左右されることが極めて多いことを指摘し、患者をして治療にたいし積極的に協力させることが大切であること。
3 歯槽膿漏症の治療には合理的な局所療法こそ最大の要素であり、これなくしては本症の治癒は望めないこと。
この指針によつて、医療担当者が今日の歯槽膿漏症にたいする考え方および療法等を正しく理解し、歯槽膿漏症の治療上に十分の効果が発揮されることを念願してやまない。
第一 歯槽膿漏症の診断
歯槽膿漏症の診断は、ごく初期の場合を除いては、けつしてむずかしいものではない
。目標を三大徴候において、それらの全部あるいは大部分が証明できれば、それで十分な診断の根拠になる。しかし、合理的な治療計画をたて、適正な治療法を実施するためには、たんに歯槽膿漏症という診断をつけるだでは何の役にもたたない。実際の臨床に役立つ診断は、局所および全身の詳しい診査を行ない、その結果にもとづいて以下の諸点を十分見極めた上でないとくだすことができない。
1 歯肉(歯齦。以下同じ。)の炎症と盲嚢の形成にどのような局所原因が働いているか。
2 歯肉の病変や歯の弛緩動揺に機能障害が原因になつてはいないか。
3 歯肉の炎症のあらわれ方に全身原因を疑わせる所見はないか。
4 歯槽骨の吸収が歯肉の炎症や機能障害からおこつたものか、あるいは全身原因からおこつたものか。
しかも、それらの判定は、歯槽膿漏症の症状がきわめて変化に富み、個人によつてはもちろん同一人の口腔でも個々の歯によつて、それぞれに独自のあらわれ方をするという事実を十分考慮しながら行なわねばならない。
診断にいたるまでの診査は普通つぎのような事項について行なわれる。
1 一般事項
(1) 姓名、住所、年齢、性、職業職種
(2) 主訴
(3) 全身疾患の既往歴と現症(家族歴を含む。)
2 局所事項
(1) 口腔疾患の既応歴
(2) 口腔疾患の現症
ア 口腔一般
イ 歯
ウ 歯肉
エ 機能診査
オ 三大徴候
(ア) 盲嚢の形成
(イ) 盲嚢よりの排膿
(ウ) 歯の弛緩動揺
カ X線診査
(ア) 治療の遠隔成績の観察
本症のような慢性の経過をたどる疾患はその治療効果を維持し、再発を防止するために術後の監視が必要である。そのために必要であれば長期にわたつてX線撮影で比較観察する。その時期は一応三~五カ月ごととする。
(イ) 撮影法ならびに撮影区分
a 撮影法
本症の撮影には等長投影、歯槽頂縁投影、咬翼法、軸方向投影などがある。
(a) 等長投影
歯周の全域にわたる診査を必要とする場合は本法による。
(b) 歯槽頂縁投影
歯槽頂縁の精査を必要とする場合には本法による。
(c) 咬翼法
本法は歯槽頂縁投影の変法で、上下顎臼歯部における咬合関係ならびに歯槽骨の変化の概要を同時に観察することができる。フィムルに咬翼のついたものを用いる。
このようにしてできた像は、上下顎の歯冠およびそのおのおのの歯根部と歯槽骨の上方1/3、ときには1/2までの辺縁と上下顎の歯の咬合関係とがみられる。
(d) 軸方向投影
一般に行なわれている舌(口蓋)側にフィルムをおく方法ではときにはその歯および歯槽骨の厚みによつておおわれ、その頬舌位にある変化が認められないことがある。
このような場合上下顎の歯でフィルムを咬ませて撮影する。このようにすると一般の方法で撮影した所見のほか頬舌方向における変化がしばしば発見できる。
b デンタルフィルム撮影区分
全顎撮影のためには症例に応じ、つぎのような区分の仕方がある。
(a) 4枚法
(3) (2) (1)
7654│ 21│12 │4567
――┤ ―┴― ├――
7654│ ―┬― │4567
21│12
(4)
注 (1)(3)は咬翼法
(b) 8枚法
(5) (4) (3) (2) (1)
7654│ 3│ 21│12 │3 │4567
――┤ ―┘ ―┴― └― ├――
7654│ ─┐ ─┬─ ┌─ │4567
3│ 21│12 │3
(6) (7) (8)
注 (1)(5)は咬翼法
(c) 10枚法
(5) (4) (3) (2) (1)
7654│ 3│ 21│12 │3 │4567
――┤ ―┘ ―┴― └― ├――
7654│ ─┐ ─┬─ ┌─ │4567
3│ 21│12 │3
(6) (7) (8) (9) (10)
(d) 14枚法
(7) (6) (5) (4) (3) (2) (1)
896│ 654│ 3│ 21│12 │3 │456 │678
――┘ ――┘ ―┘ ―┴― └― └―― └―
──┐ ──┐ ─┐ ─┬─ ┌─ ┌── ┌─
876│ 654│ 3│ 21│12 │3 │456 │678
(8) (9) (10) (11) (12) (13) (14)
3 全身診査
4 アンケート
5 診断決定
診断は以上の一般事項、局所事項ならびに全身診査の結果を総合して決定する。なお、アンケートの答が診断の役にたつ場合がある。
以上を要約すれば、歯槽膿漏症の診断は、症状を正確に認識し、病因を決定し、病因と症状とを妥当な線で結合させ、それによつて問題の症例がどのような性格をもつ歯槽膿漏症であるかを判定する操作あるといつてよいであろう。
6 鑑別診断
歯槽膿漏症と鑑別しなくてはならない疾患は各種の歯肉炎である。
まず単純性歯肉炎と初期の歯槽膿漏症との鑑別は容易でない。しかし、これを臨床的に区別するとすれば、保存療法を試みて、ある程度以上のはかばかしい治療効果があらわれないときは、歯槽膿漏症の疑いをもち、それにX線写真で少しでも歯槽骨頂縁に吸収像がみえれば、確実に歯槽膿漏症と診断することができる。
特殊な種類の歯肉炎との鑑別にはつぎの表を参考にされたい。
歯槽膿漏症と特殊な種類の歯肉炎との鑑別表
(グリックマンによる。)
病種項目 |
潰瘍性歯肉炎 |
剥離性歯肉炎 |
歯槽膿漏症 |
発病部位 |
辺縁歯肉 |
辺縁歯肉・付着歯肉 |
辺縁歯肉 |
経過 |
急性 |
慢性 |
慢性 |
痛み |
有り(強) |
有り(特に無し) |
無し |
特異所見 |
潰瘍・偽膜 |
斑点状上皮剥離 |
排膿 |
壊死 |
乳頭部・辺縁部 |
起こらず |
起こらず |
年令・性 |
成人・時に小児 |
成人・女性に多い |
成人・時に小児 |
口臭 |
有り・特異臭 |
無し |
有り |
第二 歯槽膿漏症の予後
歯槽膿漏症はこれを放置するときは炎症は進行し、歯周組織はしだいに崩壊をきたし、歯はしまいに脱落する。
初期においては、原因を除き、適当な処置を行なうことにより臨床的に治癒する。中期の場合でも原因を除去できるものは、適正な処置を施すことによつて本症の進行を制止し、臨床的治癒を期待することができるものである。したがつて、歯槽膿漏症は予後不良であると断定して、いたずらに抜歯するごときは厳にいましめなければならない。晩期のものは治癒の見込なく、抜歯の適応症である。
炎症型のものは概して予後良好、骨萎縮型のものは一般に予後不良とされている。予後不良のものは若年者ことに女子にときどきみられる。
いずれの場合においても、処置後において、監視ならびに家庭療法が実施されるかいなかによつて、予後は大きく左右されるものである。
第三 歯槽膿漏症の治療
概 論
歯槽膿漏症は、病因、症状が多種多様であるため、その治療法は非常に複雑である。したがつて適切な診断の下に合理的に行なわなければならない。
本症の治療の根本方針は、盲嚢の改善と歯周組織病変の修復にある。したがつてこれらを主眼とし、病状によつて、局所療法として保存療法または外科療法を適用する。また場合によつては負担軽減療法をも行なう。その他種々の薬物療法ならびに理学禰療法が行なわれる。
なお、これらの局所療法の他に、全身療法が重要な意義をもつ場合がある。このような場合には、ときに医師の協力によつて治療を進めることも必要である。全身療法を行なう場合といえども局所療法を等閑に付してはならない。合理的な局所療法こそ歯槽膿漏症治療の最大の要素であり、これなくしては本症の治癒は望めないからである。
このほか本症の治療とともに患者が自宅で行なう家庭療法と、前述の諸療法の終了後に行なう後療法も必要である。
本症と歯肉縁炎との関連
歯肉縁炎は炎症の中心が歯肉の遊離縁に限局して、急性あるいは慢性の経過をとる歯肉炎である。発現の範囲は少数歯にわたる限局性の場合と、多数歯にわたる広汎性の場合とがある。病型としては単純性のものが多いが、化膿性、潰瘍性、壊疽性のものもあり、ときには顕著な増殖をきたすものもある。このような病型のうちには、局所原因によるものと全身原因によるものとがある。しかし、たとえ全身原因によると明らかに考えられる症例でも、常になんらかの局所原因が働いていることを忘れてはならない。一般に歯肉縁炎は臨床上歯槽膿漏症の初期症状ときわめて類似しているものが多い。ことに、従来、単純性歯肉炎あるいは増殖性歯肉炎のうちにはしばしば本症と鑑別し難い症例がある。
このような場合には盲嚢の有無を重視して、たとえ歯肉縁部に炎症々状があつても盲嚢がないときは、一般的な歯肉縁炎の処置を試みるべきである。すなわち、歯石その他の誘因となるべきものを除去するとともに、歯肉および歯肉嚢の洗滌、貼薬を行なう。これによつて短時日のうちに軽快すれば歯肉縁炎であることが確認できる。これに反して、もし盲嚢があるときは(増殖性歯肉炎を含む)、前述の方法だけでは期待する効果が得られないので、始めから歯槽膿漏症の療法を行なうべきである。なお、特殊の全身原因によると考えられるものについては後述する(全身療法の項参照。)
1 局所療法
(1) 保存療法
本症における保存療法とは種々な方法、手段によつてその原因および病的組織を除去した後に歯肉を切除することなく各種薬剤を使用し、歯肉の消炎ならびに盲嚢の消失をはかる方法である。
その方法には、歯槽膿漏症の初期のものにたいして行なわれる歯石除去法、盲嚢貼薬療法とこれよりやや進行したものに応用する盲嚢掻爬療法とがある。
いずれの方法を選ぶ場合でもまず完全な歯石除去が行なわれなければならない。
前準備
如何なる局所療法を選ぶとしても、前準備としてつぎの処置を行なわねばけつして満足すべき成績は得られない。
まず口腔内の洗滌、清掃、簡単な歯石除去を行なう。つぎに不適合に金属冠、充填物、不完全なブリッジ、有床義歯等は徹去あるいは修理する。また歯頚部齲蝕の処置を行ない、保存の見込のない歯はこれを抜去する。
ア 歯石除去
歯槽膿漏症の治療における歯石除去の価値はもつとも重視されなければならない。歯石の完全除去を等閑に付して、いたずらに他の療法をもつて本症の治療効果を期待するがごときは適正な治療方針とはいえない。
歯石は歯肉上歯石と歯肉下歯石に区別される。本症治療の対象となるものは前者でなく、むしろ後者で、これは歯肉嚢内の根面に頑固に付着し、病的意義がきわめて深いものである。
したがつて歯槽膿漏症治療の際の歯石除去はこの歯肉下歯石を徹底的に除くものでなければならない。
イ 盲嚢貼薬療法
本法は主として軽症の歯槽膿漏症にたいして、歯石除去、噴霧洗滌の後に、各種の薬剤を盲嚢に貼布して歯肉の消炎と盲嚢の消退をはかる療法である。この場合に使われる薬剤は使用目的によつて、大体つぎの二群に分けることができる。
一群 盲嚢内の細菌を殺し、あるいはその発育を抑制するための消毒薬と病巣部の細胞を賦活し血管の透過性をおさえ、白血球の遊走をとどめ炎症の拡大を防止するための消炎薬。
二群 盲嚢内壁を腐蝕または溶解して新鮮な創面を作り、その部の治愈を促し歯肉の退縮をはかるための腐蝕または溶解薬。
適応症
盲嚢の深さは約三mm以内で歯石沈着があり、歯の動揺がない程度。
1 歯肉に発赤と腫脹ならびに軽度の出血、排膿のある場合。
2 盲嚢掻爬療法が禁忌の場合。
(ア) 消毒薬および消炎薬
消毒薬にはマーキュロクロム、稀ヨードチンキ、サルファ剤、抗生物質等が使われ、消炎薬にはヨード剤、クロロフィール、ヒノキチオール、ホルモン剤等が使われる。
両薬剤は普通溶解液または軟膏の形で使われるが、またCMCをまぜて粘着性をもたせるものもできている。従来は単独で使われることが多かつたが、最近は両種の薬剤を複雑に処方で配合した軟膏が好んで使われるようになつた。
その処方には抗生物質と副腎皮質ホルモン剤、あるいはヒノキチオールと副腎皮質ホルモン剤を主剤としたもの、副腎皮質ホルモン剤、またはエピジヒドロコレステリン等のホルモン前駆物質あるいはその他のホルモン剤を主剤としたもの等がある。
以上の薬剤はいずれも毎日あるいは隔日に盲嚢内を乾燥、液剤にあつては一顎約〇・二g、軟膏にあつては一顎約〇・三gを注入、三〇分位うがいを禁止する。三~四回の貼薬で炎症はいちじるしく軽減する。
(イ) 腐蝕薬および溶解薬
組織蛋白質の凝固または溶解を目的とする腐蝕薬および溶解薬には強酸、重金属塩、強塩基、酸化薬、造塩素剤等が使用される。これら両種の薬剤は普通、溶液の形で使われているが溶解薬の中には粉末の形で用いられるものもある。
a 腐蝕薬
本剤はつぎのような場合にとくに使用される。
(a) 歯肉が軟弱で出血しやすいかまたは潰瘍のある場合。
(b) 歯肉が軽度に増殖している場合。
(c) 消毒薬および刺激薬で効果がはつきりしない場合。
(d) 治療後、肉芽組織の異常増殖がある場合。
なお、本剤の貼布術式は前述の消毒薬および消炎薬の場合と同様である。ただこの場合は、貼薬器で腐蝕薬を貼布する際、盲嚢の外へ溢れだしたり、付近の粘膜に落したりしないよう注意する。
貼薬後はそれぞれ所定時間放置した後に、盲嚢内を洗滌または中和する。
貼薬は一日または三日おきに行ない、回数は腐蝕の効果を検査しながら加減して過度にならないように気をつける。
腐蝕後は毎回、消炎薬を適宜歯肉に貼布する。
主な薬剤とその用法
ヨードカルボール:約三〇秒間作用させた後に洗滌する。
二〇%トリクロール酢酸:約三〇秒間作用させた後に洗滌する。
五~一〇%クロム酸:約一分間作用させた後に三%過酸化水素液にて中和する。
五~一〇%硝酸銀:約三〇秒間作用させた後に生食液にて中和する。
八~四〇%塩化亜鉛:約一分間作用させた後に洗滌する。
b 溶解薬
本剤は盲嚢の化学的清掃剤として、次項に述べる盲嚢掻爬療法のすべての症例に適応される。
(a) アンチホルミン
本剤は次亜塩素酸ナトリウムを三%以上含有する溶液で有機質の溶解性が強力である。本剤の貼薬要領は腐蝕薬の場合とまつたく同様で、二~五分間作用させた後に三%過酸化水素液にて中和する。
(b) ヒポクロット
本剤はアンチホルミンを改良したもので、夾雑物を除いた次亜塩素酸ナトリウムだけの一〇%溶液である。有機質の溶解性はさらに強力で、肉芽組織の溶解はもちろん、残存歯石も軟化して、溶解される。なお、貼布当日、盲嚢掻爬を行なえばいつそう効果的である。貼薬術式はアンチホルミンと同様である。
(c) 歯肉嚢清掃剤
処方
尿 素 五〇g
過硼酸ナトリウム 三二g
過酸化ナトリウム 八g
重炭酸ナトリウム 五g
塩化ナトリウム 五g
メタン結晶 適量
本剤は尿素に酸化薬その他を配合した白色粉末で、歯肉下歯石の除去、ことに盲嚢掻爬の際にはスケーラーまたは有窓鋭匙の先につけて使用する。
すなわち、尿素による病巣の清掃、過酸化ナトリウム、過硼酸ナトリウムの酸素発生による局所の浄化、ガス発泡による盲嚢内の異物排除ならびに水酸化ナトリウム生成による不良肉芽組織の溶解等によつて、盲嚢掻爬の能率が高められる。本剤は外科療法の際に応用しても有効である。
ウ 盲嚢掻爬療法
(ア) 適応症
歯槽膿漏症の初期症状、すなわち、歯肉に充血、うつ血、浮腫などがあり、歯石の沈着、少量の出血排膿が認められるが、X線では歯槽骨の吸収がほとんどみられず、盲嚢の深さ一~三mm位のものに適用される。
(イ) 禁忌症
一般口腔外科手術の禁怠症に準ずるが、つぎのような場合にはとくに注意しなければならない。
急性発作によつて膿瘍形成に及ばんとするような歯肉に緊張感が認められる場合、またはすでに膿瘍を形成し波動を触れるような場合には、根面の除石、掻爬などの刺激を与えないようにし、洗滌または切開、排膿、貼薬等によつてまず消炎をはかり、急性症状の緩解をまつて、保存療法に移るべきである。
(ウ) 盲嚢の掻爬
盲嚢の掻爬は歯石の除去、根面の清掃が終つた部分についてただちに盲嚢内を噴霧洗滌してから行なう。
盲嚢内には、常に盲嚢上皮、付着上皮および不良肉芽組織が存在するので、これらを完全に除去することが必要である。これによつて創面は瘢痕性治癒をきたし、上皮は歯面に再付着し盲嚢が消失する。
(エ) 盲嚢の洗滌、貼薬
掻爬後は薬液をもつて残留した歯石片、肉芽片および汚物を洗い去る。この場合もスプレーを用いて三~四気圧を加えて噴霧洗滌すると軟組織を適当に刺激してきわめて効果的である。
貼薬は盲嚢貼薬療法で述べたほか、およそつぎのような目的で行なわれる。
a 盲嚢内に残存している細菌の消滅または発育抑制。
二%マーキュロクロム、クロールフェノール、抗生物質等。
b 盲嚢内壁に残存する上皮または不良肉芽組織を破壊して瘢痕性治癒を起こさせる。ヨードカルボール、八%クロール亜鉛、五~一〇%硝酸銀等。
c 歯肉に適当な刺激を与えて組織の抵抗力を高め、炎症を消退させる。ヨード剤、クロロフィール等。
これらはそれぞれ目的によつて単独に用いまた併用される。またテトラサイクリン、オキシテトラサイクリン、クロラムフェニコール等の抗生物質の歯科用パスタおよびCMC軟膏等を盲嚢に入れるとともに幾分か被覆するように塗布する。
盲嚢をよく洗滌してから洗滌液を十分拭いとり簡易防湿をする。
つぎに患部に温風を送つてできるだけ乾燥し、貼薬器あるいはミニュームシリンジを用いて薬物を盲嚢底まで注入する。
貼薬液は薬物を十分に作用させるために数分間放置してから洗口を命ずる。抗生物質の歯科用パスタ、およびCMC軟膏を用いた場合は、少なくとも二~三時間、飲食物の摂取を禁ずる配慮が望ましい。
歯肉包填剤を使用する場合もある。
(オ) 後処置
本療法を行なつた翌日は、同部位をよく観察して、残存歯石等があればこれを除去し、洗滌貼薬を行なう。
(付) 歯肉圧迫萎縮療法、歯肉内注射療法
以上のほかに、歯肉圧迫萎縮療法、歯肉内注射療法等もある。
(2) 外科療法
歯槽膿漏症の外科療法としては、おもに歯肉切除術、歯肉剥離掻爬術(歯肉被弁術)が行なわれる。これらは保存療法で治療の目的が果し得られないと認められる場合に、視野をひろげて器械の到達を容易にし病的組織の除去と歯面清掃とを完全に行なうための手段である。
また、これらの方法で治療の目的を達し得られない場合には抜歯を行なう。
ア 歯肉切除術
(ア) 目的
歯肉切除術の目的は深い盲嚢壁を形成している罹患歯肉組織を一挙に切除すると同時に、歯面への視野をひろげて歯肉縁下の歯面清掃を容易に行ない盲嚢の消失をはかることである。したがつて、もし文字どおりにただ歯肉切除だけを行なつて、肝心な歯面清掃をゆるがせにしたのでは、歯肉切除の目的を遂行したことにはならない。
(イ) 適応症
a 歯肉が増殖している場合。
b 三mm程度以上の盲嚢がある場合。
c 歯槽骨吸収が歯根の長さ1/2以内で、比較的水平型を示す場合。
d 以下の場合にはしばしば本手術が適応される。
歯列不正(叢生)で歯肉増殖を伴う症例
臼歯部外科手術適応症例
術後、頻回の通院が不可能な患者
(ウ) 禁忌症
a 歯肉に急性炎症のある場合。
b 歯肉が強度の萎縮傾向を示す場合。
c 歯槽骨が垂直吸収型を示す場合。
d 活動性齲蝕が多発している場合。
(エ) 歯肉切除術施行の順序および間隔
歯肉切除術は、症例によつてはある特定な部位のみにたいして施行するが、全顎にわたつて行なう場合には、上下顎をそれぞれ三区分とし(前歯部、左右臼歯部)計六回に分ける。一般には臼歯部から、ことに現在比較的使用していない側の上顎より始め、ついで同側の下顎、上下顎の前歯部をすまして、最後に他側の上下臼歯部を処置する。この間の施行間隔は、おおむね一~二週間であるが、しかしこの間隔は実際には患者の全身状態、心理状態、罹患の程度並びに手術創の治癒経過を考慮にいれて適宜に決定する。
(オ) 手術後の処置
手術が完了したならば手術野を三%過酸化水素液または微温生食液等で洗滌清拭の後二%マーキュロクロム液またはマーゾニン液を塗布し、創面をガーゼで軽く圧迫して止血をはかつた後、一般には歯肉包填を行なう。また抗生物質などのパスタを貼布することもある(保存療法参照)。
翌日来院させ経過を観察する。とくに包填剤の弛緩または脱落の有無を確かめて、異常を認めれば修復または更新する。包填剤は一週間目に交換するかまたは二週間放置する。包填剤を除去した際は、手術野を入念に清掃して、創面の治癒遅延または肉芽組織の異常増殖にたいしては掻爬、腐蝕薬を適宜に用いて治癒の良導をはかる。切除創の臨床的治癒にはおおむね三週間を要する。
なお、歯根が露出して知覚過敏となつた場合は該部を十分乾燥させ一〇~二〇%硝酸銀液、四〇%塩化亜鉛液等を露出歯根部に塗布する。またはパラホルム含有セメント様物質による歯頚部繃帯法、亜鉛イオン導入法を行なう。効果のない場合は抜髄を必要とするときもある。
イ 歯肉剥離掻爬術
本法は歯肉の切除と剥離を行ない、歯ならびに歯槽骨面を露出して直視下に病巣を徹底的に処理する。
歯肉剥離掻爬術にはノイマン法、ウィドマン法、カークランド法、ノイマン改良法、歯肉剥離移動術等の手術法がある。
(ア) 適応症
本手術は歯槽膿漏症のあらゆる症例にたいして行なわれるが、歯肉切除術との関係を考慮して一応の適応症を定めると、つぎのようになる。
a 盲嚢の深さが三mm程度以上で、歯肉切除を行なうと、歯根の露出が大きいと予想される場合。
b 垂直型ないしは混合型歯槽骨吸収がみられる場合。
c 水平型歯槽骨吸収でも、場所によつて、吸収の程度が異なる場合。
(イ) 禁忌症
a 歯肉に急性炎症のある場合。
b 歯肉が強度の萎縮傾向を示す場合。
c 歯の動揺および配列の不正が甚だしく強度の場合。
(ウ) 手術後の処置
必要がある場合は暫間固定を行ない抗生物質軟膏で創面を被う。あるいは歯肉包填を行なう場合もある。
手術後通法により洗滌し約一週間経過を観察する。抜糸は手術後七日目前後に行なう。歯肉包填を行なつた場合の処置は歯肉切除術の項を参照。
(3) 負担軽減療法
歯槽膿漏症の治療にあたつて、消炎療法とならんで重要な療法として、負担軽減療法がある。歯槽骨の吸収の原因としては、辺縁部歯周組織の炎症の影響によるほか、接触点の喪失、歯の欠除、歯列の不正または咬交の不平衡等の存在する場合に、各歯の支持組織に負担の過重がおこり、その結果徐々に歯槽骨の萎縮消失がおこるものと考えられている。したがつて、かかる際には、その原因を追求してこれが除去を行ない、罹患歯周組織の負担を軽減し、これが安静をはかつて歯槽骨吸収を防止し、さらに進んで骨の再生を促進させることが必要である。負担軽減療法を行なうにあたつて主眼とするところは、おのおのの歯に咀嚼圧を適正に分配することと、弛緩動揺歯を固定して安静状態にすることである。
本法は、これをつぎの二つに分ける。
ア 咬交調整法
咬交時に、特別な歯にのみ咀嚼圧が片寄らないようにする方法である。この場合、咬交の平衡を維持するために、つぎのような諸種の方法が行なわれる。
(ア) 喪失した接触点は充填、インレーまたは補綴によつてこれを回復する。
(イ) 欠損歯または歯列不正にたいしては、補綴によつて回復または矯正する。後者においては、ときに抜歯を必要とする場合もある。
(ウ) 咬交時に、過重圧を受ける歯については、切縁あるいは咬頭の過高部を精査し、その部分を削除し、咬交時の咀嚼圧を適切に分配させる。
咬交時に、過重圧をうける歯の発見には、つぎのような方法が応用される。
(ア) 当該歯に歯列異常や挺出を認める。
(イ) 当該歯の唇面に示指頭を軽くあてて、中心咬合位でかませると、指頭に動揺感をかんずる。
(ウ) 咬合紙を咬ませて最高部を印記させる。
(エ) 軟化したパラフィンワックスを中心咬合位に咬ませて咬合の強弱をみる。
(オ) 上下顎石膏模型(スタディモデル)を作成し、これを咬合器にうつし、唇、舌両面より咬交位を精査して過高部を発見する。
過高部を発見したときは、削除して、適正な咬交をいとなませるようにする。
削除法には諸説があるが、前歯部においては、上顎の口蓋側を、臼歯部においては、上顎は頬側咬頭、下顎は舌側咬頭を削除する方法が行なわれている。
歯ぎしりにたいしては、咬合挙上冠あるいは挙上副子を就寝時に使用させて過重な咬合圧を回避する。咬合挙上冠は一般に負担にたえる大臼歯に装着し、歯ぎしりの軽症の場合に適用し、副子は重症例に応用される。
なお、歯ぎしりの他の療法として、切縁や咬頭の過高のある場合には、前で述べたと同様の削除法が行なわれる。
イ 固定法
本法は、歯冠を連結固定して、おのおのの歯の支持組織の負担を軽減し、かつこれを安静に保つて、歯槽骨の吸収を防止し、その再生治癒を促進させる目的で応用する。
(ア) 固定にあたつての注意事項
a 固定部位の両端に骨植堅固な歯を求める。
b 前歯部歯弓に彎曲のない場合は小臼歯まで延長する。
c 固定の前後において対合歯との関係を精査し、必要に応じて調整する。
d 固定装置装着後の定期的監視。
e 固定部位の清掃と咬み方の指導。
(イ) 種類
固定装置は暫間的なものと、永久的なものとに大別される。
a 暫間固定装置
暫間的なものは古くからいろいろな装置が考案されているが、その基本をなすものは大体つぎのものである。
(a) 結紮法
(b) 帯環および線による結紮固定法
(c) 連続鈎による固定法
(d) 床および線による固定法
(e) レジン連続固定法
b 永久固定装置
固定を永久に実施する際の装置としては、インレー、3/4冠、有釘舌面板あるいはアマルガムなどの連続固定装置がある。
(ウ) 適応症
a 暫間固定法
(a) 急性炎症によつて歯の動揺が認められる場合。
(b) 局所療法の前後に安静を必要とする場合。
b 永久固定法
(a) 歯の動揺が中等以上の場合。
暫間固定によつて所期の目的を達せられない場合。
2 全身療法
歯槽膿漏症の治療は、局所療法を着実に、根気よく実行することによつて、たいていの場合、所期の目的を達することができるものである。
しかし、丹念に局所療法を行なつていても、効果が思うようにあらわれない場合があり、またはつきりした局所の原因なしに症状の悪化をきたす場合がある。さらに一応は治癒するが再発のおこりやすい場合もある。
このような経過を示す症例では、発病の背後に局所原因の他に全身原因が相当有力に働いていると考えられる。この種の症例にたいしてはもちろん全身療法が試みられるべきである。さらに、歯槽膿漏症に関係が深いと考えられている各種の全身疾患や全身異常が認められる症例には、まずそれにたいする療法が必要であり、また、外科的処置を行なう場合には、必要な全身療法や全身管理が行なわれなくてはならない。
(1) 適応症の決定
歯槽膿漏症の全身療法を行なおうとする場合、当面するもつともむずかしい問題は適応症の決定である。現在大体以下の要領で行なわれている。
すなわち、まず一応の既往歴および現症から全身原因の共存を疑うのが第一段階である。
つぎにこのような症例について改めて局所および全身の詳しい諸検査を行ない、全身原因とくに歯槽膿漏症と関係が深いと考えられている全身疾患あるいは全身異常を発見するのが第二段階である。この場合には、医師または適当な検査機関の協力を必要とする場合がある。
ア 局所症状を中心にした観察
歯槽膿漏症には局所症状から全身原因の存在を想像できる場合がまれではない。
この種の症例では、症状そのものはもちろん症状のあらわれ方や動きに、全身原因に由来すると思われるある種の傾向が認められるものである。傾向の主なるものをあげると以下のようになる。
(ア) 歯肉の炎症が全顎にわたつて平等にでている。
(イ) 歯肉は全顎にわたつて出血性で、止血しにくい。
(ウ) 歯肉は全顎にわたつて腫脹または増殖の傾向を示す。
(エ) X線写真上歯槽骨の吸収がびまん性に進んでいる。
(オ) 局所療法の効果が思うようにあらわれない。
(カ) 手術創の治癒がおそい。
(キ) はつきりした局所原因なしに症状が急に悪化する。
(ク) しばしば多発性膿瘍を作る。
(ケ) 再発しやすい。
(コ) 若年期にみられる進行の早い、重症型の歯槽膿漏症。
(サ) 歯肉所見が軽微なわりに歯の移動、動揺がつよくあらわれている場合(歯周症)。
しかし局所症状にこのような傾向が一、二認められたとしてもそれだけでただちに全身原因によるものときめるわけにはいかない。それをきめるにはさらに詳しい問診を行ない、慎重な局所療法と家庭療法とを続けながら一定期間(一~二週間)局所症状の動きを観察する必要がある。
その結果、局所症状が鎮静してしまえば全身原因の疑いは解消する。もし局所症状が鎮静せず、それに前述の傾向が相変らず認められるならば、その症例には全身原因がかなり有力に働いていると考えてよい。
イ 全身検査を中心にした観察
局所症状を中心に観察した結果から全身原因の共存を想像し得たとしても、それがどんな原因で、どんな働きかけをしているのかはほとんどわからない。そこで第二段階として歯槽膿漏症に関係の深いと考えられている全身疾患あるいは全身異常の存否をたしかめる必要がおこつてくる。以下この種の全身疾患および全身異常の主たるものについて、局所および全身の症状と診断法について略称する。
(ア) 糖尿病
糖尿病は主に遺伝的素因をもつ人に肥満や過食等が誘因になつておこる病気である。日本人には急性、重症型は少なく、中年以後から徐々にあらわれるものが大部分である。
糖尿病の主症状は口渇、多尿、倦怠感、多食、体重減少等で、血管、神経、眼などの障害をおこしやすく、難治の感染症にかかりやすい。
糖尿病患者で歯槽膿漏症をもつ者は六〇~七〇%、歯槽膿漏症患者で糖尿病をもつ者は四~五%といわれる。
糖尿病患者の歯槽膿漏症では歯垢、歯石の沈着が多く、歯肉は軟く、腫脹し、出血排膿が多く、増殖する傾向がある。
歯の動揺は強く、X線写真で歯槽骨のびまん性吸収がみられる。症状の進行は早く、しばしば膿瘍を作る。一般に難治である。
血糖の増加および尿糖の出現が確定的な診断材料になる。
(イ) ビタミン欠乏症
ビタミンと歯槽膿漏症との関係は、まだ十分には明らかになつていないが、ここでは、歯槽膿漏症の治療に有効だといわれている数種のものだけについて述べる。
a ビタミンC
ビタミンCが欠乏すると壊血病をおこすことは古くから知られている。壊血病には歯肉の病変が伴うので、かつてはビタミンCの欠乏が歯肉炎や歯槽膿漏症の発生に深い関係をもつと信じられていた。しかし、最近の研究によつてビタミンCの欠乏には、そのような病因的な意味はないことがわかり、治療効果の方が注目されるようになつた。
ビタミンCはその強力な還元力で細胞の呼吸に関与し、各種酵素反応に補酵素的作用を及ぼすので、臨床的にはそれが止血、消炎、創傷治癒促進、解毒感染予防等の生理的諸作用となつてあらわれると考えられている。
急性または亜急性壊血病では、全身各所の出血とともに歯肉は赤紫色を呈して強く腫脹しやすくなる。二次感染をおこし、炎症は急速に進行して、歯周組織全般を破壊し、歯は脱落する。ただし、このような典型的な壊血病は現在の文明社会ではほとんどみられない。
それに反し、栄養のアンバランスからくる症状をあらわさない潜在性ビタミン欠乏症は、意外に多いといわれている。難治の歯槽膿漏症で、歯肉が全般的に軟く腫脹し、出血傾向の強い症例では、一応この潜在性ビタミンC欠乏症を疑うべきであろう。
ビタミンCの欠乏は、内服後尿中排泄量の測定、皮下注射による色素(ヂクロールフェノールインドフエノール)褪色反応、ルンペル・レーデ反応(毛細血管抵抗試験)等で検査する。
b ビタミンB群
ビタミンB群が欠乏すると、口腔粘膜全般に充血、腫脹、潰瘍形成等の病変がおこりやすい。この欠乏は歯槽膿漏症の発生、悪化促進の原因になる。
c ビタミンK
ビタミンKの欠乏は血液凝固を障害し歯肉出血をおこす。
d ビタミンA
ビタミンAの欠乏は夜盲症をおこす。歯肉では上皮の増殖、炎症、盲嚢の深化を促進する。
e ビタミンE
ビタミンEの欠乏は末梢血管の循環を障害する。
(ウ) 血液疾息
血液疾患で歯槽膿漏症に関係の深いものは白血球の疾患と出血性素因である。
a 慢性骨髄性白血病
骨髄細胞が慢性に正常の一〇~四〇倍にも増加する疾患で中年の人に多い。貧血、発熱、脾臓、肝臓、リンパ節の腫大、出血等の症状をあらわす。予後は全く不良、末期には急性化する。歯肉には最初全顎にわたる出血がおこり、出血量は少ないが、なかなか止血しない。
歯肉はついでうつ血、腫脹、潰瘍形成をみるようになり、しばしば出血を伴う。血液検査により未成熟の骨髄細胞を異常に多数に発見すれば診断がつく。
b 急性白血病
急激におこる高熱、潰瘍性口内炎、貧血、出血等の症状が特徴で、若年者に多く、予後は絶対に不良。
歯肉には出血、貧血、腫脹、潰瘍形成が全顎にわたつておこり、いちじるしい歯の動揺をきたす。血液検査により高度の貧血、骨髄性あるいはリンパ性細胞の未熟型がほとんど一〇〇%あらわれ、栓球(血小板)のいちじるしい減少を伴う。
c 顆粒球減少症
突発的にくる悪寒戦慄、高熱についで口腔粘膜咽頭粘膜および歯肉に壊疽性潰瘍を生ずる。中年の女子に多発する。血液像では白血球ことに好中球の激減が特徴である。
ピリン系解熱鎮痛剤、サルファ剤、サルバルサン、抗生物質等の中毒によるものが多い。
d 栓球減少性紫斑病
症状は出血が主体、全身の皮下、粘膜に溢血、点状出血としてあらわれる。口腔粘膜、歯肉にも出血がおこる。若年者に多く、女子に多発する。血液像では栓球数が五万以下になる(正常二〇万前後)。
e 血友病
遺伝性疾患で、遺伝元は女子によつて運搬され、男子に発病する。出血が主体で出生直後から外傷その他の障害に遭えばおこる。青年期まで持続しその後軽減する。
歯肉出血、抜歯後出血等をおこす。血液像には異常がないが、血液凝固時間がいちじるしく延長する。
(エ) 紫斑病
歯肉および口腔粘膜に出血がおこり、歯肉ではときに潰瘍を生じ、口臭がでることがある。皮膚にも出血斑を生ずる。
ルンペル・レーデ反応は陽性、白血球数に異常はなく、栓球のいちじるしい減少が特徴である。
ウ 女性の性周期に伴う変化
初潮の前後一~二年および月経の前後に、歯肉辺縁から乳頭にかけて(とくに唇面)、充血、出血、腫脹、ときに潰瘍を生ずることがある。これが二五~三〇%位に見られる。同時に唾液腺腫脹、歯痛を訴える者もある。なお月経中間期(排卵期)には、歯の動揺度の強まる者がみられる。妊娠の四カ月位から、約四〇%の者に歯肉炎がおこる。この場合歯肉辺縁が顆粒状鮮紅色になつてくるのが特徴といわれ、出血しやすい。なお約一〇%の者では乳頭部の増殖をきたし、青紫色に浮腫を呈する。痛みはなく潰瘍はまれである。さらに、約二%の者にいわゆる妊娠性エプーリスが発生する。
エプーリスは赤紫色を呈し、しばしば出血する。
エ 薬物中毒
水銀、鉛、蒼鉛の中毒の場合は、歯肉炎をおこし、水銀では歯肉は暗赤褐色を呈し、鉛、蒼鉛では、歯肉辺縁に青紫色の帯状着色がおこる。ダイランチン(アレビアチン)歯肉増殖症では、本薬剤内服開始後、一〇日位で、歯肉辺縁ことに乳頭に充血、腫脹がおこり、やがて充血の消退と代つて増殖がおこる。てんかん患者でダイランチン内服の事実があればすぐ診断がつく。
(2) 全身療法の種類
歯槽膿漏症の全身療法には特殊療法と呼ぶべきものはない。要は全身の諸組織、諸細胞にたいして生活力を賦活し、再生力を促進し抵抗力を増強さすことが目的であつて、それが間接に歯周組織に働いて歯槽膿漏症の治療に役立つことを期待することにある。
したがつて、用いられる療法の種類は非常に多い。そのうちの主なものをあげると、食餌療法、ビタミン療法、ホルモン療法がある。このほか自律神経機能調整療法、非特異性蛋白療法、新陳代謝調整療法、抗アレルギー療法、理学療法、精神療法等も問題にされている。
ア 食餌療法
患者の既往歴と飲食物の組成とを調べて不備の点がある場合に、必要な栄養素と十分なカロリーをもつバランスのとれた献立表を作らせてそれを実行させる。
イ ビタミン療法
ビタミンCおよびビタミンB群が最も多く使われる。ほかにビタミンA、K、E等も試みられている。
ビタミンCの一日の必要量は大人で、約一〇〇ミリグラム、薬用量は一五〇ミリグラムといわれている。
歯槽膿漏症には普通一日五〇〇~一、〇〇〇ミリグラムを内服させ、平均二カ月で効果があらわれる。内服で効果のないときには、さらに大量(一、〇〇〇ミリグラム)の静注を試みる。
なお、ビタミンCにビタミンB群の、とくにチアミン(一五ミリグラム)、リボフラビン(一〇ミリグラム)、ニコチン酸アミド(五〇ミリグラム)等を加えて投与すれば、さらに効果があるといわれる。
ウ ホルモン療法
歯槽膿漏症と密接な関係があると考えられているホルモンには脳下垂体、甲状腺、上皮小体、卵巣、副腎皮質、唾液腺等のホルモンがあるが、個々の症例についてどの種のホルモン変調が実際に影響しているかを決定することはむずかしい。
したがつて実際に使われているホルモンはごく少ない。ホルモンに似た物質で、歯槽膿漏症の治療に効果があるものに人唾液抽出物質(P・パロチン)やエピジヒドロコレステリン(プレステロン)等がある。
P・パロチンは、一回〇・三~〇・六ミリグラムを一週二回筋肉内に注射する。四~五回の注射で初効果があらわれ、効果を保持させるため引きつづき四~五回の連続注射が必要である。中等症までの歯槽膿漏症の症状の鎮静と術後の創傷治癒促進に効果がある。
パロチンの錠剤は非結晶性ザリバ・パロチンAを含んでいる。用法は一日一回空腹時(朝食前あるいは就寝前)に四〇~五〇ミリグラムを内服させる。効果のあらわれるのは注射の場合よりおそく、効果の判定には少なくとも一カ月の連用が必要である。
プレステロンゾル(一ml中に二〇ミリグラム含有)を一週二~三回筋肉内に注射する。六~七回の注射で初効果があらわれる。そのときはさらに一五回程度注射する必要がある。創傷治癒促進に有効である。
以上のほか、歯槽膿漏症患者は交感神経緊張傾向にあるといわれ、これの療法として頚動脈球部の剔出手術または頚動脈球部に低周波電流を流すショック療法が有効といわれている。また、小牛の顎部軟組織から抽出した物質(バドリール)、胎盤抽出物、自家血液、細菌から作つたワクチン等が試みられている。しかし、これについては効果を認める人と認めない人とがある。
さらに、新陳代謝調整療法としては、砒素や燐の製剤、漢方薬の内服等が行なわれ、カルシウムやヨード剤の注射も行なわれている。抗アレルギー療法には、副腎皮質ホルモン剤の投与が、理学療法には適度の肉体運動、温泉療法、海水浴等が試みられ、精神療法としては暗示療法、トランキライザー投与法等も問題にされている。
歯槽膿漏症の急性発作時、とくに膿瘍形成の懸念のある場合、局所療法とともにサルファ剤や抗生物質の投与が必要なことがある。
以上述べた各種の全身療法はもちろん局所療法を続けながら行なうべきもので、けつして単独に用うべき方法ではない。
また両者を同時に行なうにしても、当然なすべき局所療法をいいかげんにしておいて、もつぱら全身療法に頼るという安易な態度も厳にいましめなくてはならない。
もともと、歯槽膿漏症の全身療法は、全身の生物学的基盤を改善して正常にもどし、あるいはそれを鼓舞強化して、その影響を局所の病巣治癒に有効に利用しようとして行なう療法であつて、けつして歯周組織に選択的、直接的に作用させる目的のものではないからである。
その意味から、歯槽膿漏症の全身療法には、局所療法とは違つた気構えをもつてのぞむ必要がある。
すなわち
(ア) 効果の判定がむずかしいこと
普通は局所療法と同時に行なうから、効果は全身療法単独のものとしてはあらわれない。大体局所療法の効果の増強としてあらわれるが、しばしば局所療法の効果におおいかくされてはつきりしない場合がある。したがつてできるだけ完全に局所療法を行なつてその効果を確かめその後全身療法を始めるという方法がもつとも合理的なやり方である。
(イ) 効果のあらわれ方が不定であること
歯槽膿漏症に使われる全身療法には、効果のあらわれ方にかなりはつきりした個体差がある。従来の報告に、いちじるしく有効、有効、やや有効、無効等と記載されているのはそのためである。
このことは事前に患者に十分納得させておく必要があるばかりでなく、術者も十分心得ておかなくてはならない大切な事柄である。
(ウ) 即効を期待できないこと
食餌療法にせよ、薬物療法にせよ、大部分の全身療法はいずれも相当長期にわたる連用が必要である。また効果を確認するまではたびたび繰り返して用いる必要もある。すなわち一回の短期間の利用で効果が見えないからといつてあきらめてはいけない。根気よく続けることで思わぬ効果を得る場合が少なくない。
最後に歯槽膿漏症の全身療法は外科的処置の一部として行なう場合がある。この場合の全身療法には以上と違つた一つの積極的な意味がある。
すなわち、これによつて、術中、術後の出血を少なくし、創傷治癒を促進し、感染を予防し、再発を防止する等の効果が期待されるからである。このことは一般外科の手術に際して行なわれる全身療法と本質的になんら異なるところはない。
要するに歯槽膿漏症の全身療法は、局所療法の効果を患者個体の健康回復または健康増進のプロセスの上に促進させようとする療法であり、また外科的侵襲にたいする生体保護機構の増強に役立たせようとする療法であるといつてよいであろう。
この意味において、いささかでも全身原因の存在が疑われる症例にたいしてはもちろんであるが、同時に歯槽膿漏症の有力な局所療法である外科手術にたいしても、確実に効果があるとわかつている全身療法は、ちゆうちよなく利用して治療の完ぺきを期すべきである。
3 後療法
歯槽膿漏症の後療法とは、治療法を完了してから患者をして定期的に受診させ、なおかつ補助療法として自宅においてみずから行なわせる治療法をいう。
元来、歯肉上皮付着部は、きわめて炎症性変化をきたしやすい構造および環境を有するいわゆる先天性抵抗減弱部位であるため、たとえ本症の治療法を一応完了して臨床的に治癒したとしても、その後なお相当期間十分な後療法を継続しなければ、かならず再発を招くのは明らかで、満足すべき治療効果は期待できない。したがつて、後療法は前述の各種治療法の一環として重要な療法の一つである。これなくして治療の完ぺきは期し難い。
(1) 後療法
治療終了後、必要あれば患者をして定期的に受診させるよう指導し、かつ治癒経過の状態を詳細に検査する。診査の要点はつぎのごとき観点をもつて行なう。
ア 治癒経過の状態を詳細に診察し、噴霧洗滌をなし、適宜貼薬を行ない、なお家庭療法をよく実施しているか否かをしらベる。
イ 治癒状況に応じた適切な家庭療法の指示を与える。
ウ 全身疾患に起因すると考える場合は医師の診療をも受けさせる。
エ 固定装置装着の場合は、とくに食物残渣の停滞あるいは装置の弛緩・移動・歯肉乳頭への刺激等の有無に注意し、装置の目的を十分達しているかどうかを詳細にみる。
オ 必要あればX線写真を三~五カ月毎に撮影し治癒状態をみる。治療終了後一カ月目までは週一回位、第二カ月目は二週に一回位、第三カ月目は一カ月に一回程度かならず来院させる。
ただし固定装置を行なつたときは必要期間週一回程度の診査あるいは監視を要する。
(2) 家庭療法
術者は熱心かつ懇切に歯槽膿漏症の本態と治癒の困難性を患者に説明し、その予後の良否は患者の自覚と、家庭療法の適否に左右されることがすこぶる多いことを指摘し、つぎの諸点を実行させなければならない。
家庭における全身療法ともいうべき一般原則をあげれば、次のとおりである。
ア 規律ある生活の励行
患者の職業、生活様式等によつて画一的に述べることは困難であるがつとめてその生活を規律あらしめるよう示唆し、過労を戒め、適度の休養を摂らせることをすすめる。
イ 調和のとれた食生活の指導
病因ならびに全身療法の項で述べたごとく、患者の栄養摂取はとくに重視されなければならない。一般に長期にわたるわずかな偏食傾向のため不健康な体質をしらずしらずの間に形成し、本症の治療を妨げ、あるいは増悪させる原因となつている場合が多い。
ウ 精神的平衡との関係
過度の緊張、不安、焦繰怒責等が内分泌、循環障害の原因となり、歯周組織における栄養を妨げ、本症を増悪させることは周知のとおりである。
以上の三点について患者に十分認識させた後、家庭における局所療法ともいうべきつぎの各項について指導する。
(ア) 洗口
とくに食後の洗口を励行させる。この際、各種洗口剤の使用は、この目的を効果あらしめる。メンタの適量を加えた重曹水、硼酸水等がよい。
(イ) 歯の清掃
歯ブラシの適正な使用方法について指示し、またその濫用による障害、すなわち楔状欠損の原因、歯肉内縁上皮の外傷等につき説明を与える。
また、小型の歯ブラシを用意させて、上顎臼歯頬面、下顎前歯舌面などの歯頚部の清掃法、塗蝋絹糸(ナイロン)使用による隣接歯間腔の清掃法等も教示する。
(ウ) 歯肉マッサージ
家庭療法のうちもつとも効果のあるのが歯ブラシによる歯肉マッサージである。歯ブラシのかけ方にはいろいろの方法が提唱されているが、代表的なものに回転法、スティルマン法、チャーターズ法等がある。スティルマン法では、毛先を根尖に向け、チャーターズ法では、毛先を歯冠に向けて、毛の方向が歯軸に四五度になるように傾けて歯頚部に押しつけ、そのままの状態で軽い振動を与え、数秒間続けて止める。これを一カ所(二~三歯)に四~五回繰り返す。これらの方法で全顎のマッサージをすますには五分ぐらいかかる。
なお、歯ブラシを振動させると同時に歯冠部をなでるように回転する方法もある。これでマッサージとともに歯頚部や歯間部の清掃ができる。これらの方法は歯肉の乳頭および辺縁部を傷つけないように注意しながら、歯肉に適当な機械的刺激を与え、同時に清掃の目的も達するよう工夫された方法である。
歯ブラシによる歯肉マッサージは盲嚢掻爬、歯肉切除、歯肉剥離掻爬等を行なつた後、二週間ぐらいから始めるが、最初一~二週間は軟い毛のものを使わせ、二~三週間目からは普通の硬さのものを使わせる。患者に歯ブラシの良否と使い方の意味をよく納得させ、使い方を習熟させて、それを忠実に守らせることは治療の予後を良くし、再発を防止する最大の手段である。
歯ブラシによる歯肉マッサージの他にマッサージ用糊剤を歯肉に塗布し、示指頭をもつて歯肉縁、あるいは歯槽部全般に軽圧を加えて摩擦する方法もある。
これらのほか、超短波、極微電流、赤外線等を用いる家庭療法があるが、以上に述べられた各項を忠実に実行した上でなければその効果を期待することは不可能である。
第四 歯槽膿漏症と他の口腔疾患とが共存する場合の治療にあたり注意すべき事項
1 齲蝕歯処置と歯槽膿漏症
ア 齲蝕歯なく歯槽膿漏症のみ存在する場合
(ア) 初期歯槽膿漏症の場合
保存療法(歯石除去、盲嚢貼薬療法、盲嚢掻爬療法)が一顎を三分割して日常咀嚼しない側から実施される。
(イ) 中期歯槽膿漏症の場合
主として外科療法(歯肉切除術)、ときに保存療法が同様に行なわれる。
(ウ) 後期歯槽膿漏症の場合
外科療法(歯肉切除術、剥離掻爬術ときに抜歯)が行なわれる。
(エ) 末期歯槽膿漏症の場合
外科療法(主として抜歯)が実施される。
(オ) 前記のいずれの場合においても常に負担軽減療法(咬交調整、固定)は考慮にいれて処置されなくてはならない。とくに中期以上においては、全症例に行なわれることが多い。
イ 咬合面齲蝕症(咀嚼に直接関係のない面の窩洞を含む。)が歯槽膿漏症と共存する場合
(ア) 初期歯槽膿漏症の共存
齲蝕症の処置と歯槽膿漏症の処置を並行してやることができる。
(イ) 中期歯槽膿漏症の共存
まず盲嚢掻爬や歯肉切除を行ない、その後処置継続中に齲蝕症の処置を実施する。
(ウ) 後期歯槽膿漏症の共存
各種外科療法を実施し後処置継続中に齲蝕症の治療を並行する。
ウ 歯頚部におよぶ齲蝕症が歯槽膿漏症と共存する場合
初期歯槽膿漏症の共存
歯肉縁下に齲蝕症が存在する場合は、常に歯肉には炎症がおこつているので、まずその消退をはかり、あるいは齲蝕部位に被覆している歯肉の除去を行なつて、齲窩を十分に露出させ、軟化象牙質の除去、貼薬、仮封、充填を行なわなくては完全な齲蝕症処置は不可能である。したがつて歯頚部齲蝕と歯槽膿漏症が共存する場合は、歯槽膿漏症の進行程度如何にかかわらずまず歯槽膿漏症の各種適切な処置が終了してから、齲蝕の最後的な処置にはいらなくてはいけない。
エ 高度齲蝕と歯槽膿漏症が共存する場合
齲蝕が高度に進行し、残根状態を呈しているか、根尖病巣が大となつて抜歯の止むなきにいたつた場合は、その抜歯に先立つて隣在歯の歯石除去等を行なつて、当該歯の抜歯窩に感染を引きおこす危険のないようにしてから、抜歯しなくてはいけない。歯肉肥厚、もしくは盲嚢が深在するとき、抜歯窩の治癒が遅延され、いろいろな変形態の抜歯創治療経過をとることはよく遭遇するところである。
2 補綴(修復)処置と歯槽膿漏症
現在の歯科医療の形態をみるに修復を行なう前提として必ず齲蝕症の処置を行なつている。
ここで修復とは、充填、インレー、継続架工、義歯のすべてを含む意味である。すなわち、充填にも、インレーにもそれを行なうに先立つてなんらかの齲蝕処置を完全に行なつてから修復されている。もちろん、冠、継続歯、また局部義歯の鈎歯にたいし齲蝕症的な配慮は十分になされてから、支台形成なり印象が行なわれている。しかるに、歯槽膿漏症についてはこのような配慮がなされているか、いなほとんどなされていないのが現実の形態であろう。とくに患者が歯槽膿漏症を主訴としてきた場合でも、適切な処置がなされておらないのであるから、歯科医師がみずから進んで歯槽膿漏症の処置を行なつてから各種補綴にはいることはきわめてまれであるといつても過言ではない。
さてひるがえつてみるに、歯肉にまつたく無関係な補綴行為が存在するであろうか、歯肉になんらかの形で関連のもつていない補綴物をみつけることは非常に困難であろう。いいかえればいかなる補綴も健全な歯肉をもとにして行なわれなくてはいけない。今補綴を行なわんとしてそこに歯肉の疾患が存在するとき、まずこれを正常化してから支台形成なり局部義歯の印象が行なわれるのが当然である。すなわち、くり返すがいかなる補綴装置を行なうにあたつてもまず歯槽膿漏症の処置が先行されなければならないのである。以下二、三の例について述べる。
ア 金属冠、ジャケット冠、継続歯の場合
この三種の補綴に共通なことはその断端が歯肉縁下一mmのところにおかれるということである。この歯肉縁下一mmという場合の歯肉縁は、あくまで臨床的に健全な歯肉を基準としたものであることはいうまでもない。すなわち歯肉嚢の深さ二mm以内の場合に考えられることである。したがつて盲嚢の深さ三mmに、さらにそれ以上の深さをもつた盲嚢が存在するときに補綴物を歯肉縁下一mmにとどめたとすると、その補綴物の断端は歯冠の途中で終わつていることになる。たとえば歯冠継続歯が歯冠の途中でつがれている。歯頚部に達しないところで継続されていることになる。これは臨床的にしばしば発見されることであり、とくにジャケット冠や継続歯に多くみられる。このような場合、補綴物の支台を形成する前に歯肉はほぼ正常位にいたるまで歯槽膿漏症の処置を行ない、しかる後に支台形成すべきであるといえる。
イ 局部義歯の場合
残存歯列に歯石沈着あり、歯肉が肥厚した状態において印象を採得して義歯を作製したならば、その義歯は歯石や肥厚した歯肉の上にのせることになる。また歯肉縁に炎症がある場合、これを消炎せずに、印象をとり義歯を作製し、口腔内に装着したならば義歯の辺縁により炎症は増悪の一途をたどる運命におかれることになる。
これらのことは、義歯を装着することによつて残存歯の歯槽膿漏症を増悪させることになるので、印象採得前に歯槽膿漏症の処置の必要性を患者に納得させて、処置終了後に義歯作製にはいらなくてはいけない。ただし、つぎのような症例においては多少考えを変えなくてはいけない。たとえば、下顎において臼歯部欠損、前歯部のみ残存し、しかも、かなり歯槽膿漏症が進行しており、外科療法を必要とする場合、ただちに前歯部に手術をほどこすと一過性ではあるが動揺は強度となるため、前歯部に過大な負担をかけることになり、その創傷治癒もはかばかしくない。このような場合は、まず臼歯部に義歯を装着して咬合力が前歯部にかからないようにしてから、前歯部の歯槽膿漏処置を行ない、治療終了後に改床するなり新しい義歯を再調製してやるべきであろう。以上の二つのケースを十分考慮にいれて症例によつてそのいずれを選ぶかを決定すべきであるが、いずれにしても歯槽膿漏症に罹患している歯肉になんらかの手をほどこすことなく欠損歯があるからといつてただちに印象採得にうつることは厳にいましめなければならない。
ウ 支台歯、鈎歯が歯槽膿漏症に罹患している場合
今一本の歯に冠などを装着しようとしたとき、その歯が歯槽膿漏症によつて動揺があるとする。その際その一本のみに補綴をしたならばやがては抜歯への運命をたどるであろうが、この場合これを隣在歯に保持を求めたならば骨植堅固となり、より永くその歯は咀嚼に耐えることになる。二本の継続歯をいれる症例においてはそのおのおのは動揺があるがこれを連結させることによつて動揺がいかに減弱して堅固な補綴ができるかは日常よく経験されるところであろう。
つぎに架工義歯作製にあたつて一方の支台歯が歯槽膿漏症によつて動揺をきたしている場合であるが、たとえば第一大臼歯欠損で第二小臼歯と第二大日歯を支台歯とする架工義歯を作ろうとするとき第二小臼歯に動揺がみとめられたとする。このときこの第二小臼歯は支台として維持力なしと簡単に抜去し第一小臼歯と第二大臼歯を支台とする架工義歯を作つた場合と、第二小臼歯を抜去せずにさらに第一小臼歯にまで維持を求めて第一、第二小臼歯と第二大臼歯を支台とする架工義歯を作つた場合とを比較した場合、おなじ四本連結の架工義歯でもその維持力、咀嚼能力いずれが大であるか、後者の方がすぐれていることは言をまたないことである。
このような配慮なく簡単に抜去することはけつして適正な処置法とはいえないであろう。
さらにこれと同じようなことではあるが、義歯を作製するにあたつて、鈎歯に歯槽膿漏症があつて動揺しているとしてただちに抜去することが何のちゆうちよもなく行なわれている。この際、前記同様にその動揺歯にだけ維持を求めんとするから抜歯したくなるので、鈎をもう一つ健全歯に求めるか、当該歯と隣在歯にかける双歯鈎の形態をとつたならばその歯にたいする負担は軽減され、ひいては固定装置的にも働き鈎歯としてより強固な維持力が得られることになる。現在は、この点に関してはほとんど考慮が払われず、簡単に抜去される歯がいかに多いか大いに反省すべきである。このように症例によつて変化があることは言をまたないところであるが、いかなる補綴を行なうにあたつても、常にその補綴の着手前に必ず歯槽膿漏症の存否を精細に診査し、適切な処置がなされ、あるいは設計を立てなければならないことをとくに強調したい。現在の歯科診療においてこれらの点にたいする配慮がほとんどなされていないのは一大欠陥といわざるをえない。以上のように計画された診療によつてとくに歯槽膿漏症の処置を第一義として計画された診療を行なうことによつて歯科医療上に大きな改革がおこると信ずるものである。
以上により歯槽膿漏症の診断、予後ならびに治療を詳述したところであるが、診療の便宜上これを整理すれば別表のとおりである。
なお、保険医療機関および保険医療養担当規則第二十一条の一より十までの歯科診療の具体的方針に抵触する部分については給付外とする。
別表