添付一覧
○里親制度の運用に関する疑義及びこれが解答について
(昭和二四年七月一八日)
(児発第六二六号)
(各都道府県知事あて厚生省児童局長通知)
標記の件について、別添の通り送付するから、里親制度運用上参考にせられたい。
1 三親等以外の親族にして現に児童を預かつていて生活保護法にかかつている場合里親として差し支えないか。
この場合里親として適格であるか否かを十分調査して、里親としての資格を備えていれば里親に切り換えてよい。
なお、里親にした場合は、従来交付していた児童に対する生活保護法による生活扶助費は、当然停止されるべきであり、それに代わつて児童福祉法の里親の委託費が交付されることになるのは勿論であるから念のため申し添える。
2 両親共に死亡して祖父母以外にはこれを扶養する者がなく、而もこの子供を扶養することによつて経済的援助を受けなければならぬ場合、これを里親とすることはできるか。
児童の両親共に死亡して祖父母がこれを扶養する場合は、たとえこの扶養をすることによつて経済的援助を受けねばならぬときと雖も、民法第八百七十七条第一項によつて直系血族間に於いては当然扶養の義務があることを明確にしており、且つ、又祖父母は三親等内であるから、これを里親として登録することはできない。
従つてこのような場合には生活保護法による保護を受けるのが妥当である。
3 医療費の範囲について
里親委託の費用は、「賄費一日三一円一六銭」と「其の他の事業費一日一三円六四銭」に分れ、其の他の事業費中には児童の軽度の疾病に必要な費用は、保健、衛生費として含まれている関係上、医療費は入院加療又は特別の治療を要するため多額の費用を要する場合に限つて支出しなければならない。
従つて医療費として取り扱うか、或は「其の他の事業費」中の保健衛生費としてまかなうかの認定は都道府県知事が実情に応じて適当になすことになる。
4 児童を施設に入れ又は他の里親に預けるよりも三親等内の伯父、伯母(叔父、叔母を含む。以下同じ。)に委託しておく方がより児童に幸福であると思われる場合、その伯父、伯母が児童を養育する資力に乏しい場合は、里親として取り扱つてもよいことになつているが、その限界をどこに決めるか。
その限界は
(1) 児童を預かつている場合には
(イ) 生活保護法による保護を受けている場合
(2) 将来児童を預かる場合には
(イ) 預かる家庭が現に資力が乏しく生活保護法による保護を受けている場合
(ロ) 児童を預かつたことによつて経済的に困難を生じ、生活保護法の適用を受けなければならぬ場合である。
なお、右の場合は叔父、叔母等を必ず里親にしなければならないというものではなく、生活保護法の適用によつても差し支えないのであるから、叔父、叔母等に対して里親制度の内容、条件等をよく説明しそれについての十分な理解と納得があるときにこれを里親となすこと。
なお、本問題については当省社会局とも話合済である。
5 委託児童が乳児で人工栄養を必要とする場合、里親委託費四四円八〇銭の外に人工栄養費を支出して差し支えないか。
御質問の通り、四四円八〇銭の外に人工栄養費を支出して差し支えない。
然し人工栄養費は、配給品の実費に限定されなければならない。
6 里親に養育されている委託児童が里親家庭の金品を持ち出して、逃亡したような場合その賠償について。
御質問のような賠償金については予算に計上してない状況であり、従つて現在のところこれの賠償については里親に負担して貰う以外には途はない。尚、これは研究に価する問題であるが、児童を委託する場合に前以つて口頭を以つて質問のような事件が起きたときは里親が責を負うという趣旨のことを告げておくのがよいのであろう。
7 宗教団体が設立した施設から里子に出す場合、その里親の宗教が違うといつて出さない施設長があるが如何。
御質問のような場合、里親のもとで保護されるのが、その施設における保護よりも、児童にとつて現在将来を通じて客観的により幸福であると思われ、且つ又、里親が里子の宗教を理解しておる場合は、宗教の相違のみによつて、施設長が、里子に出さないというのは妥当でないと思われる。
8 (1) 外国人が不遇な児童を養育したいという場合、児童福祉法にいう里親になれるか。
又、朝鮮人、台湾人についてはどうか。
(2) なお、右の場合、養子縁組として成立させることはできるか。
(1) 外国人といつても、連合国民、中立国民、従来枢軸国といわれた国の国民であり、その外に未だ一国の国民でなく、従つて厳格には外国人ではなく、日本人とは原則的には同じであるが、若干それと異なる地位にある朝鮮人、その他のいわゆる第三国民がある。
現在、外国人の地位を一般的に規定した指令や覚書は存在しないのであり、各々その個々の事項に即してその地位を規定している現状である。従つて、右の問題につき明確な基準を定めることは必ずしも妥当でないばかりでなく、却つて紛糾を招くおそれがあるので、左に国際慣習法上みとめられている一般的な判断の基礎となる線を一応示しておくが、なお右のようなケースが、現在起り具体的に疑問の起きた場合には、その都度当局に照会願いたい。
(イ) 連合国の占領軍の将兵又は連合軍に附属し、若しくは随伴する者。
これらの人々に対しては治外法権がみとめられ、被占領国たる日本国の行政権が及ばないとされる関係上、児童福祉法第二十七条第一項第三号の規定により、児童を委託することはできない。
従つて法にいう里親になることはできない。
(ロ) 日本に在住する(イ)以外の外国人(朝鮮人及び台湾人を含む。)
これらの人々には治外法権がみとめられていないので、特にその適用を排除するという連合国最高司令官又は連合国最高司令官から権限を与えられた者の指令がない限り、児童福祉法はこれらの人々に適用されるから、その限りにおいて児童福祉法にいう里親になることができる。
但し、里親として認定する場合、里親の風俗、習慣等が児童と異なり、実状的にみて児童の福祉に沿わない点も多々あるのではないかと予想せられるから、この認定にあたつては、家庭養育運営要綱の里親としての認定要件を備えることは勿論のこと、その外国人の言語、或いは生活様式又は児童を委託した後の教育、労働関係等その児童の将来のこと等も十分考慮に入れて認定しなければならない。
(2) 次に養子縁組については我が法例第十九条に「養子縁組の要件は各当事者につきその本国法によりてこれを定む。養子縁組の効力及び離縁は養親の本国法による。」とあり、
養親が、
(イ) 治外法権のみとめられていない外国人(朝鮮人、台湾人を含む)
これらの人々については、我が国の法例及び民法の規定が当然に適用されるから、養親が米国人(治外法権をもたないところの)場合には米国の、中国人の場合には中国の法律により、養親たるの要件を具備し、養子となる児童については、日本の民法の養子に関する規定の養子となりうる要件を具備すれば当然養子縁組は成立させることができると解する。
(ロ) 連合国占領軍の将兵又は連合国占領軍に附属し若しくは随伴する者
これらの治外法権を認められている者には、養子縁組が各国間に認められている国際礼法交通である制度から種々の問題もあるのであるが、一般に養子縁組は有効に成立しないと解されたい。
なお、養子縁組について注意せねばならぬ第一点は、日本の児章が養子縁組しても、養親の本国に同伴できるか否かの問題であり、第二点は国籍の取得の問題であるが、第一点は現在の状勢下消極的に考えるのが妥当であろう。第二点については養親の本国法によつてきめられるので、その本国法により国籍が取得できればその児童の国籍は、日本の国籍より離脱することになる。
以上養子縁組についても、(1)の但書と同様に、児童の幸福を十分考慮してなされなければならないのはいうまでもない。
「註」参考として各外国の国民表を添付する。
連合国民
中国人、ソ連人、アメリカ人(第二世を含む)、英人(第二世を含む)、イタリア人、フランス人、インドネシヤ人、シヤム人、フイリツピン人、オランダ人、オーストリヤ人、カナダ人、インド人、ポーランド人、他の英帝国領域人、安南人、デンマーク人、トルコ人、エストニア人、メキシコ人、ベルギー人、ニユージーランド人、ブラジル人、イラン人、チエツコ人、ノールウエー人、シリア人
(但し、イタリア人、シヤム人は若干特殊な地位にある。)
中立国民
ポルトガル人、スエーデン人、スイス人、スペイン人、ヴアチカン人、アイルランド人
枢軸国民
ドイツ人、ハンガリア人、ルーマニア人
第三国民
朝鮮人、琉球人、台湾人(台湾人は場合により中華民国領事が中国籍を証明した台湾省民は連合国民たる中国人として扱われる。)無国籍人
里親に何故親権を附与しないか。
里親について親権が問題となるのは、監護教育の権利義務と懲戒権と職業許可権であろうと思うが、監護教育の権利義務については、都道府県知事又は児童相談所長が児童福祉法第二十七条の規定によつて、里親に児童を委託すると、里親は、里親に関する規定に従つて当然児童を誠実に監護養育し、学齢期の児童の場合には学校に通わせなければならないのであるから、民法にいう監護教育の権利義務を与えるまでもないし、懲戒権については、児童を懲戒場へ入れることができるような権限を里親に与えることは不適当であるが、児童をしつけ等のために叱る等のことは、民法にいう懲戒権がなくても、委託された児童を「誠実に養育」する範囲内においてできることと思う。職業許可権については里親に関する規定により児童が満十五歳以上になつて他人のもとに通つて職業につくときは、都道府県知事の許可をうけることになつているので職業許可権は問題とならないと思う。
従つて、里親に親権を与えなくても実際にそれほど不都合はないと思う。なお、この問題については将来の研究を重ねてゆくつもりであることを念のため申し添える。