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身体拘束ゼロに役立つ
福祉用具・居住環境の工夫

●「生きる意欲」を引き出す環境づくり●



平成13年6月
身体拘束ゼロ作戦推進会議 ハード改善分科会


関係各位

 介護保険制度は、老後生活の最大の不安である介護を社会全体で支え、高齢者の自立を支援することを目的とした制度でありますが、この制度が定着していくためには、質の高い介護サービスが提供され、利用者と事業者の間に信頼関係が醸成されることが重要です。
 その中で、身体拘束の問題は、これからの高齢者介護を見据える中で、関係者一丸となって取り組むべき喫緊の課題であると同時に、単に身体拘束をゼロにすることだけにとどまらず、「よりよいケアのあり方、ケアの本質とは何か」を自ら問いかけ、高齢者介護の内容を見直し、更なるサービスの向上へ向けてのスタートではないかと考えます。
 このため、身体拘束ゼロ作戦推進会議が設置され、今年の3月には、介護の現場の方々の参考となるような「身体拘束ゼロへの手引き」が身体拘束ゼロ作戦推進会議においてとりまとめられました。また、身体拘束ゼロを支える福祉用具や居住環境の改善という観点から、同会議にハード改善分科会を設置し、昨年度3回にわたり開催し、活発な議論を行うことができました。また、本年5月には、身体拘束ゼロに役立つという観点に加え、今後の福祉用具や居住環境の在り方というやや広い観点に立った議論の機会も設けました。
 今般、ハード改善分科会として、この「身体拘束ゼロに役立つ福祉用具・居住環境の工夫」を取りまとめました。身体拘束ゼロと福祉用具・居住環境との関わりには、直接的なものもあれば、間接的なものもあり、また、ここに盛り込まれたもの以外にも多種多様な工夫があろうかと思います。
 ハード面の改善だけで万事解決すると考える人はいないとい思います。基本は「介護の心」です。しかし用具や環境を改善し、よりよく利用することも重要です。実務者の方々の努力をお願いいたします。
 ハード面の改善のためには、単に用具や環境の設計を改良するだけでなく、供給面や知識の普及など広い範囲の改善が必要です。今後この報告書に書かれた提言等について、厚生労働省をはじめ関係者の方々に、積極的に実施し、あるいは研究を開始して、よりよいケアに向けて、息の長い取組みをお願いいたします。
 ハード改善分科会としてのこの報告書については、身体拘束ゼロ作戦推進会議に報告する予定です。ここに盛り込まれた内容が、これからの福祉用具や居住環境の在り方を考える際の一助となれれば幸いです。

平成13年8月

身体拘束ゼロ作戦推進会議ハード改善分科会長
斎藤 正男


身体拘束ゼロ作戦推進会議ハード改善分科会メンバー

石崎 征義(前東京都福祉機器総合センター所長)
加島 守(武蔵野市立高齢者総合センター)
木村 哲彦(日本医科大学医療管理学教室教授)
斎藤 正男(東京電機大学工学部教授)
齊藤 正身(霞ヶ関南病院病院長)
相良 二朗(神戸芸術工科大学工業デザイン学科助教授)
園田 知弘((株)環境デザイン研究所副社長)
武内 寛(パラマウントベッド(株)技術本部統括室室長)
鳥海 房枝(特別養護老人ホーム清水坂あじさい荘副施設長)
時田智恵子(湘南ベルサイド施設長)
外山 義(京都大学大学院教授)
畠山 卓朗(横浜市総合リハビリテーションセンター企画研究開発室研究員)
早川 京子(京都市介護実習・普及センター)
松永 茂之((株)松永製作所代表取締役)
光野 有次((株)無限工房代表取締役)
光益 康夫(北九州福祉用具研究開発センター副所長)
森山 由香((社福)三條会介護老人保健施設「ひうな荘」)
山内 繁(国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所長)
(敬称略・50音順・◎は座長)


目次

1.はじめに

2.身体拘束廃止におけるハード改善の基本的な考え方

(1)身体拘束の内容と基本的な視点
(2)身体拘束に対するハード面の現状
(3)身体拘束廃止に向けたハード面の役割

3.福祉用具について

(1)身体拘束廃止と福祉用具をめぐる問題点
(2)身体拘束廃止に資する福祉用具の活用の在り方
(3)福祉用具の適切な使用と普及のための課題と方策

4.施設の居住環境について

(1)高齢者施設の居住環境上の問題点
(2)高齢者施設の設計に当たっての考え方の例
(3)普及方策


身体拘束ゼロに役立つ福祉用具・居住環境の工夫
〜「生きる意欲」を引き出す環境づくり〜

平成13年6月
身体拘束ゼロ作戦推進会議
ハード改善分科会

1.はじめに

 身体拘束のない介護を実現するためには、施設の責任者やスタッフが一丸となって、身体拘束をしないという決意に基づいてケアに取り組むことだでなく、そうした取組みを支え、あるいは容易にしたり、負担を軽減したするための福祉用具や施設の居住環境といった、いわば「ハード」面での善を進めることが極めて重要である。

<身体拘束ゼロへ>

 老後の生活の最大の不安要因となっている介護を社会全体で支え、高齢者の自立を支援することを目的とした介護保険制度が、平成12年4月から実施されたところである。それに伴い、介護保険の適用を受ける介護老人福祉施設、介護老人保健施設、介護療養型医療施設等では身体拘束が原則禁止されることとなった。
 これまで介護の現場では、寝たきりゼロを目指し、ベッドから車いす等への日常生活の移行の努力がなされてきた過程において、転倒・転落事故の防止、介助者の不足、点滴や経管栄養等の治療の完全遂行、他人への迷惑行為の防止などの理由により身体拘束が行われてきたが、そうした身体拘束は、拘束される高齢者の心身両面での尊厳を著しく損なうのみでなく、その状態を一層悪化させる危険性がある。身体拘束を許容する考え方を問い直し、介護に関わる全ての者が、介護を受ける高齢者の立場に立って、ケアの在り方を見直すことが求められている。

<身体拘束ゼロへ向けてのハード改善>

 身体拘束のない介護を実現するためには、高齢者施設の責任者やスタッフが一丸となって、身体拘束をしないという決意に基づいてケアに取り組むことに加え、そうした取組みを支え、あるいは容易にしたり、負担を軽減したりするための福祉用具や施設の居住環境といった、いわば「ハード」面での改善を進めることが極めて重要である。すなわち、ケアの在り方を見直す過程では、高齢者を取り巻く物理的環境を見直すことも求められる。
 高齢者にとって安全で快適な物理的環境についての明確な検証は十分にされていないが、危険を少なくするための具体的取組みは始まってきている。

2.身体拘束廃止におけるハード改善の基本的な考え方

(1)身体拘束の内容と基本的な視点

A:介護保険では、身体拘束が禁止されているって聞いたことがあるけど、身体拘束ってどういうものなの?
B:施設に入っている痴呆のお年寄りが、徘徊したり、車いすやベッドから落てけがをしたりしないように、ベルトで車いすに縛ったり、ベッドを柵で囲んだり、鍵をかけて部屋から出られないようにしたりすること。
A:そういえば、このあいだ「身体拘束ゼロへの手引き」っていうのが出たらしいけど、これを読めばわかるのね。
B:そうだね。身体拘束をなくすことは、それ自体が目的ではなくて、お年寄りができる限り自分の力で、尊厳を持って生活できるようなケアのための工夫かな。それと、なんで身体拘 束をしてしまうかというと、ケアの方法だけじゃなくて、使っている車いすに問題があったり、建物がでかくて単調で落ち着かなかったり、お年寄りのまわりの環境が良くない場合もあるんだよ。
身体拘束ゼロへの手引き

○ 介護保険制度においては、介護を必要とする高齢者の自立の支援に向けて、様々な保健医療サービス及び福祉サービスが提供されているが、この中で高齢者が入居(入所、入院も含む。以下同じ)する介護保険施設等では「身体拘束その他入所者(利用者)の行動を制限する行為」が禁止されている。ここで禁止されている具体的な行為の内容は、以下のような行為があげられる。

(1)徘徊しないように、車いすやいす、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。
(2)転落しないように、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。
(3)自分で降りられないように、ベッドを柵(サイドレール)で囲む。
(4)点滴・経管栄養等のチューブを抜かないように、四肢をひも等で縛る。
(5)点滴・経管栄養等のチューブを抜かないように、又は皮膚をかきむしらないように、手指の機能を制限するミトン型の手袋等をつける。
(6)車いすやいすからずり落ちたり、立ち上がったりしないように、Y字型拘束帯や腰ベルト、車いすテーブルをつける。
(7)立ち上がる能力のある人の立ち上がりを妨げるようないすを使用する。
(8)脱衣やおむつはずしを制限するために、介護衣(つなぎ服)を着せる。
(9)他人への迷惑行為を防ぐために、ベッドなどに体幹や四肢をひも等で縛る。
(10)行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる。
(11)自分の意思で開けることのできない居室等に隔離する。

○ ここでは、上記の身体拘束をしなくて済むようなハード面の改善などについて、まとめることとする。

(2)身体拘束に対するハード面の現状

A:でもやっぱり、事故を防いだり、問題行動を起こしたりしないようにするために身体拘束をするというのは、分かるような気もするわ。
B:それじゃあ、ちょっと施設の中を頭に浮かべてみて。車いすはみんな同じ折りたたみ式、ベッドも同じ高さで幅が狭いのが並んでいて、建物もコンクリートのでっかいのが浮かばない? そんなところで、ず〜っと暮らせる?
A:確かにそうねえ。自分の家だと自分に合ったいすとかベッドを用意するし、何と言うか、暮らしのにおいがするわよね。
B:そう。それなのに、施設だと往々にして「自分に合った」ではなくて、「あるものに合わせて」になってしまうんだ。実は、事故や問題行動というのは、使っている車いすが合ってなかったり、暮らしの環境が悪かったりというのが原因になることもある んだよ。そして、意外とこうしたことに気付かないんだな。

○ 神奈川県が行った特別養護老人ホームにおける事例に関する調査や「老人の専門医療を考える会」が行った老人病院における事例に関する調査などによると、車いすとベッドが身体拘束に特に大きく関わっているという結果になっている。

○ 身体拘束とは、 である。

○ 福祉用具は、本来は高齢者の生活の質を向上させるための道具であり、特に、車いすは本来移動のための道具であるにもかかわらず、実際には生活の場としてのいすのように用いられ、長時間座らされている場合には、家具としてのいすのような快適さや健康な姿勢からはほど遠い状況にある。

○ また、多くの高齢者施設は、無機質で巨大で複雑な空間であり、住み慣れた居住空間とは大きく異なる。特に痴呆性高齢者にとっては、自らの置かれた環境を理解することができず、心理的に不安を与え、その結果が問題行動につながっているということもある。

○ 以上のように、身体拘束の中には、要介護者をとりまく福祉用具、建築の空間・設備などの物理的環境が、要介護者の心身の状況に十分に合っていないことが原因となっている場合があるにも関わらず、そういう認識はまだ十分に浸透していないというのが、ハード面の現状であり、こうした現状を認識することが、ハード面での身体拘束廃止への第一歩であると考える。

(3)身体拘束廃止に向けたハード面の役割

A:福祉用具の方をお年寄りに合わせたり、落ち着く建物づくりをすることで、身体拘束を回避できる場合があるのね。
B:身体拘束の廃止のためには、現場で働いている人たちの努力ばかりを要求してもだめな場合があるんだよ。
A:そうね、福祉用具や建物の知識の普及や改善も必要ね。

○ 高齢者をとりまく福祉用具、建築の空間・設備などの物理的環境と、要介護者の心身の状況とのミスマッチを解消することによって、ある程度の身体拘束を回避することが可能となる。すなわち、身体拘束廃止に向けてケアの在り方を見直す際には、こうした物理的環境をも含めて問い直すことが不可欠であり、現場の職員によるケア面での取組みに加えて、これらの物理的環境の在り方を要介護者の心身の状況に可能な限り調和させるべく、その不備を改善することによって、身体拘束のないケアを継続していくことができる。

○ そうした中で、身体拘束廃止に向けてハード面に期待される役割としては、例えば、

(1)直接的な効果
  • 車いすやベッド等の福祉用具を要介護者の状態に合致するよう適切に 選択・調整することで安楽と安全が得られる。
  • 衝撃の少ない床材(下地)の使用や、柱の角の養生等の工夫により、 転倒等の影響を軽減できる。

(2)間接的な効果
  • 心理的な安定を得られるような居住空間を作ること等により、問題行動そのものを緩和できる。

といった効果がある。

○ もちろん、こうしたハード面の改善だけで全てが解決するものではなく、適切なケアの組み合わせによってはじめて効果が発揮できるものであるが、むしろ、介護する側が身体拘束を廃止しようという姿勢をもって取り組めば、自ずとハード面の改善についても解決策を見いだせるものである。
 さらに、福祉用具の選択、使用等に関する適切な知識の普及、それを使用する介護現場と製造側との間での情報交換等も進めることにより、望ましいケアを支える環境づくりを行うことが可能となる。

3.福祉用具について

 身体拘束に当たる具体的な行為の中には、福祉用具の利用に伴う事故を防止するという理由で行われているものがあるが、高齢者の身体状況や生活的に合致したケアの提供という観点から福祉用具の改善を行うことによりこうした身体拘束を回避することが可能となる。

(1)身体拘束廃止と福祉用具をめぐる問題点

○ 福祉用具の中でも身体拘束との関わりが多いのは、車いす、いすとベッドであるが、身体拘束の具体的な行為を見れば分かるように、これらの使用に伴う事故の防止のために身体拘束が行われているという状況にある。その背景には、高齢者施設において生活する高齢者の身体状況等は多様であるにもかかわらず、車いす、いすやベッドといった、高齢者が具体的な生活の場面で用いることとなるものでも、概して一律の規格のものが用意されがちであるという実状がある。

○ そのため、個々の高齢者の身体状況等に関わりなく、同一の寸法、構造、性能の福祉用具を用いることとなる結果、両者の間に不適合が生じ、この不適合によって生ずる事故を回避するために身体拘束へとつながるという関係にある。また、こうした身体拘束は、身体状況等に適合しない状態をさらに強いることによって、身体機能の一層の低下や痴呆の進行等を招き、さらなる身体拘束につながっていくという一種の悪循環にも陥りかねない。

○ つまり、高齢者の身体状況や生活行為に合致したケアの提供という観点からすれば、それぞれの身体状況や生活の場面場面に応じて福祉用具の使い分けがなされるべきであるにもかかわらず、そうした検討が行われることなく、どのような場合にも同じ福祉用具を使うという使われ方によって、福祉用具の使用に伴う身体拘束が作られているという側面がある。

(2)身体拘束廃止に資する福祉用具の活用の在り方

○ 福祉用具の利用に伴う事故を防止するという理由で身体拘束が行われていることは既に述べたところであるが、この事故を発生の要因ごと分類すると、次のように大別できる。

a.身体的要因による事故
 例)麻痺や拘縮、体動、身体の変形のために座位が不安定で、いすから転落したり、ずり落ちたりする場合。

b.精神的要因による事故
 例)痴呆や寝ぼけのためにベッドから転落する場合。痴呆のため徘徊をして、危険を予期できずに転倒する場合。

c.身体的要因と精神的要因の複合的要因による事故
 例)予期しないときに、突然車いすから立ち上がろうとしたものの、歩行機能に不全があるため転倒してしまう場合。

○ これらのうち身体的要因については、それぞれの高齢者の身体状況等に応じて福祉用具の選択、使用を適切に行うことによって事故の発生そのものを防止したり、不幸にして事故が発生した場合の備え(医療体制など)によって、事故防止を理由とする身体拘束の廃止に大きく貢献することができる。

○ なお、言うまでもなく、徘徊を防ぐために車いすに拘束する、徘徊、点滴や経管栄養のチューブの引き抜きを防ぐためにベッドに拘束するなど、不適切な福祉用具の使用は、高齢者の日常生活の自立を支援するという福祉用具の本来の目的を逸脱するものであり、その解決については、福祉用具の活用、改善のみでなく、居住環境面やケア内容の工夫も含め、問題行動が起こらないような総合的な対応が求められる。

○ このような身体拘束廃止に向けて、福祉用具を活用する上での3つのポイントを以下に掲げるとともに、さらに、いすなど介護保険制度上は福祉用具とされていない用具も含め、高齢者施設において高齢者が日常的に用いる用具という観点から、それぞれの留意点等をまとめる。

<福祉用具の活用の改善−3つのポイント>

(1) 身体状況に適合しやすく、使いやすい福祉用具

 福祉用具が身体状況に不適合であるために事故が発生する場合、福祉用具の改善によって適合を可能とし、事故の発生を低減させることが可能である。また、現場における事故発生を防止するためには、高齢者と介護者の両者にとって使いやすいものであるとともに、施設環境に調和しやすいものであることが望ましい。

(2) 身体・精神状況に応じて福祉用具を適合、活用する技術・知識

 構造や機能の改善だけでは身体的・精神的要因により発生するあらゆる事故に対応することはできない。また、加齢とともに変化する高齢者の身体・精神機能に現場で対応し得るためには、変化に対応して再適合が容易なものであるとともに、現場で容易に活用できる適合技術・知識が必要となる。
 なお、福祉用具の使用環境や他の用具との組み合わせによっては、新たな事故が発生する可能性もあるので、これらへの対応も必要である。

(3) 福祉用具の使用に関する意識

 使用しようとする福祉用具本来の用途以外に、身体拘束の理由となる事故を発生させる可能性について十分に検討し、必要に応じて高齢者や介護者に意識を喚起することが必要である。また、痴呆性高齢者による使用も想定し、想定しなかった使用法による場合にも事故を発生させることのないよう配慮することも必要である。

(1)車いす

A:このまえ、老人ホームに行ったのだけど、かなりの人が、折りたたみ式の車いすに乗っていたわ。でも、シートが布のようなものでできていて、座り心地が悪そうね。
B:スリングシートと言うのだけど、ずっと座り続けられるような代物ではないね。何といっても安いし、コンパクトで保管もしやすいのでよく使われているんだよ。まあ、アウトドアのキャンプチェアーみたいなものだね。
A:確かに、移動のために手軽に使うのなら便利よねえ。でも、いすの代わりに長い時間そんな車いすに座らされるのはたまらないわね。どっちが長い時間座れるか、がまん比べする?
B:いやだね! 体中、痛くなるし。お年寄りも「すべり座り」や「斜め座り」で無理して座るから、転倒したり、ずり落ちたりといった事故が起こる。だいたい、身体の状況は各々違うのに、みんなに同じ車いすがあてがわれているのに無理があるんだよ。車いすに身体を合わせるんじゃなくて、身体に車いすを合わせないと。ただでさえ、座り心地の悪いものに乗せられて、縛られたらたまらないよなあ。
A:本当は、ちゃんと普通のいすに座り換えたらいいのでしょうけれど、車いすでもしょうがないとすると、どうしたらいいの?
B:車いすのオーダーメイドもいいけど、身体の状況の変化や再利用のことも考えると、「モジュール型」の普及も必要だね。納期も早いし、部品の組み替えができて、車輪やシートの位置も調整できる。11ページにイラストが載っているよ。
A:それはいいわね。

○ 高齢者施設においては、確かに日中ベッドで寝たきりになっている高齢者はかつてに比べて激減したが、一方で車いすに座りきりという生活をしている高齢者がよく見られる。そして、そうした高齢者が座っている車いすは、座面と背面がシートでできた折りたたみ式(右図)のものであることが多い。
 こうした車いすは、短時間の移動が目的であればともかく、長く座る場所としては不適当であることから、立ち上がり能力の減退や座位保持能力の低下により、転倒、ずり落ち等の事故が発生する可能性が高くなり、結果的にそれを回避するために身体拘束につながりかねない。
折りたたみ式車いす

○ 特に、こうした座るための機能が十分ではない車いすの利用によって、座ることによる苦痛を和らげるために、すべり座り、斜め座りといわれる高齢者特有の座位を取ることが多くなり、結果として、いすからのずり落ちといった事故が発生しやすくなる(そして、それを回避するために身体拘束につながる)だけでなく、関節の変形や仙尾骨部の褥瘡発生の原因となる。また、厚い座布団などを安易に使用したために、ずり落ちを助長させているような場合もあるので留意が必要である。

滑りすわり 斜めすわり

○ 本来であれば、ある程度の時間座り続けているのであれば、車いすで移動して、その場所でいすに座り換える方が望ましいが、仮に車いすにいすとしての役割を求める場合には、高齢者の身体状況、体格等に適合させることが必要である。しかしながら、個々の高齢者ごとに適合した車いすを製作すると、納品までに時間を要し、また、高齢者特有の身体状況の変化等を考えると、むしろ、容易に部品の組み替えができ、車輪やシートの位置を調整する機能の備わったモジュール型車いすの導入も望まれる。

モジュール型車いす

モジュール型車いす

 部品の組み替えができ、車輪やシートの位置を調節できるフレームをベースとする車いすで、組み方によって別の車いすに変更できる。納期が早く、製品を入手した後でも、座幅以外の各部の寸法の調整ができるものが多く、利用者の身体状況等に合わせて調節していくことが可能であり、他の利用者への再利用も容易になる。

○ また、既存の折りたたみ式車いすについて、身体に適合するよう整形された座面や背もたれをシートの代わりに取り付けるなどの改良を行うことも有効であり、実際にこのような工夫が行われ始めている。

○ 重要なのは、高齢者の生活行為や身体状況に応じた最適な車いす、例えば、自ら車いすを操作できる場合は自走用の車いす、介護職員の操作による移動のみを目的とした折りたたみ式車いす、いすとしての機能も有するモジュール型車いす等を用意して使い分けるようにするとともに、車いすに関する専門的な知識を有する職員の養成や配置、適合(フィッティング)技術の向上を図ることが必要である。

[フィッティングのポイント]

解説<ティルト機能>

 ある肢位を維持したまま、全体として角度を変えることができる機能。全体の角度が変わると、(1)臀部にかかっていた力を背中で受けるなど、当たる位置がかわる、(2)姿勢が重力でつぶれない、(3)身体を戻したとき、身体のずれが少ないなどの利点がある。
 しかしながら、ティルトの角度によっては身動きできなくなり、身体拘束と同然の状態になるので注意が必要である。

解説図

解説<リクライニング機能>

 背面(バックレスト)が後方へ傾き、座面との間の角度を変えることができる機能。これにより食事をとるときやテーブルで作業を行うときは、背面を起こして使い、休養するときには背面を倒すことができる。また、移動時に安定した座位を確保する必要がある場合などにも役立つ機能である。
 しかしながら、背面だけを傾ける機能なので、滑り出しの姿勢となり、ずり落ちやすくなる場合があるので注意が必要である。なお、ティルト機能も併用できるようになっていれば、ずり落ちは最小限になり、適切な座位姿勢を保持しやすい。

解説図

○ なお、危険への認識が持てず突然車いすから立ち上がるなど、痴呆を始めとする精神的要因により発生しうる事故については、車いすの改善だけでなく、なぜ高齢者がそのような行動に至ったか等の原因(例えば、トイレに行こうと思って立ち上がる、座っていることが不快で立ち上がる等)を分析し、介護の方法も含めた総合的な取組みが重要である。

(2)いす・テーブル

A:いすも車いすと同じようにフィッティングが大事なんじゃない?
B:考え方は同じだけど、食事、作業、休息とかの目的に合わせることも重要だね。
A:テーブルはどうなの? この前行った老人ホームでは、車いすの肘掛けが入る高さの「高いテーブル」が使われていたわ。テーブルがお年寄りの首のあたりの高さなんだけど、これでは、食べにくいのではないかしら?
B:ギロチンテーブルだね。これだと、ひとりで食べられるお年寄りも、介助が必要になってしまう場合があるし、だいいち、うまく食べられないでこぼしてしまうかも。
A:そうね。お年寄りの体格や車いすやいすとのバランスも考えていすやテーブルを備えないといけないのね。
B:そう、だから一概に「この高さ」とは言えないのだけど、肘掛けが入る高さ、例えば75cmとかでは高すぎるね。車いすに合わせるとすると肘掛け程度の高さかな。普通のいすを使う場合でも、考え方は同じだね。

○ 我が国の生活習慣である、床に座っての生活は、立ち座りや自力で座位を保つことが困難になると、ふとんで横になることにつながり、横になっている時間が長くなれば、立ち座りや座位を保つことがさらに困難となり、寝たきりとなる可能性がある。
 一方、いすからの立ち上がりは、床からの立ち上がりに比べて楽であり、いすの背もたれは座位の保持を助け、総じて身体機能が低下した場合でも起きていることを補助する道具として有効である。

○ 自立を支援したり、要介護度が重くならないようにしたりするためには、いすを利用した生活とすることが望ましいが、座れれば何でも良いというのではなく、車いすと同様に、高齢者の生活行為(食事、作業、休息等)や身体状況に適合した「いす」を利用できるようにすることが必要である。

図

左:ゆったり過ごせる背もたれが比較的高いいす
中:身体に合わせて調節できる安定したいす
右2つ:立ち上がりを助ける電動いす

○ また、いすとあわせてテーブルの高さ等も重要である。高齢者施設によっては、テーブルの高さを、車いすの肘掛けがテーブルの下に入る高さに設定している場合がみられるが、座高の低い人は首しか出ず、これでは食事や作業をすることが困難となる(右図)。これは、いす又は車いすとテーブルによって、実質的な身体拘束を行っていると言うことができる。 図

○ こうした身体拘束を回避するためには、多様な高さのいすやテーブルを用意することが大切である。また、安全で簡単に高さを調節できるいすやテーブルを導入するのも解決法の一つである。

(3)ベッド

A:ベッドは、立ち上がりには便利だけど、お年寄りが転落してけがをする場合があるわよね。それで、柵をはりめぐらしたり、縛り付けているケースがあると聞いたけど。
B:転落してもけがを少なくするには、「低いベッド」を使うのも一つの手だね。あと、幅の広いベッドにするとか。
A:ベッドを低くすると、介護をする人が腰痛になったりしない?
B:よく言われるんだけど、低いベッドでおむつの交換をするには膝をついてするので、必ずしも腰痛になるというもんじゃない。それよりも、医療的なサービスによって は、ある程度の高さが必要だったり、幅の狭い方がいい場合もある。腰痛を心配するんだったら、ベッドから車いすへ移るときに、スライディングシートや移乗用ボードを使ったり、リフトを使ったりすることも考えないと。
A:落ちたときのために床にマットを敷いておくというのはどう?
B:ケースバイケースだね。危険なのはベッドからの転落だけじゃなくて、立ち上がって歩き始めた時とかの転倒も多いので、マットが原因で滑ったりつまづいたりしないようにしないとね。
A:それならベッドからの立ち上がりに役立つ、介助バーなんかも有効ね。

○ ベッドを利用した生活は、床に敷いたふとんを利用した生活に比べて、立ち上がりが容易であり、端座位をとるなどによってADLの自立を促進し、寝たきりとならないという効果を有するものである。しかしながら、麻痺や筋力の減退などによる歩行障害に痴呆が伴っていたり、寝ぼけなどで和室で暮らした習慣を思い起こし突然立ち上がるなど、そこからの転落や転倒という危険性があることも事実であり、こうした危険を回避するために身体拘束へとつながっていることがある。

○ このような身体拘束を回避するためには、ベッドそのもの、あるいはその周囲について工夫をこらすことでこうした危険性を低減することが必要と考えるが、その一方で、ベッドから車いすへの移乗の介助をはじめ、ベッドは介護者によるサービス提供の場所となることも多いことから、この両面からの配慮が必要である。

図  端座位(安定してベッドの横に座った姿勢)をとるためには、足底を床につけ、マットレスにしっかりと腰をおろせる高さにベッドを調節することが重要である。また、立ち上がりをより容易にするためベッド用手すりを使用するなど、ベッドの付属品を適切に利用することが重要である。なお、端座位がとれる高さであれば、誤って落ちた場合の衝撃も少ない。

○ 従来、高齢者施設では、医療や介護サービスの提供の観点から、ベッドの高さは比較的高めに設定されている場合が多いが、完全な寝たきりではなく端座位がとれる場合には、足底が十分に床につく高さに調節すべきであることから考えても、利用する高齢者から見たベッドの高さは、従来より低い方がよく、またそうしたベッドとすることで事故発生時の衝撃の緩和も可能となる。

○ また、事故防止という点では、転落や、ふとんのずり落ちを防ぐため、ベッド柵が用いられることがあるが、寝ぼけている場合や痴呆がある場合等には、ベッド柵を乗り越えようとして転落し、ベッド柵のなかった場合に比べて、かえって重度の傷害を招きかねない場合がある。
 転落などの事故への対応としては、高さが調節可能なベッドを用いたり、転落地点に衝撃緩和のマットを敷いておいたりすることも一案である。ただし、安易なマットの使用は、マットにつまづいたり、マットそのものが滑ったりするおそれがあるなど、かえって危険を生ずる場合もあるので、注意が必要である。

○ 一方で、転落時の衝撃緩和のためベッドを低くすることと、介護職員の腰痛を予防するためにベッドを高くすることは相反するとの意見がある。確かに、利用者に提供する医療・介護サービスの内容によっては一定の高さがあった方が適当であることもあるものの、多くの利用者については、低いベッドを利用する場合でも、介護職員がベッドに膝をついておむつ交換(上図参照)などを行うことにより負担を少なくすることは可能であり、介護の方法についても改めて検証してみる必要がある。
 また、サービスを提供する時には高く、就寝するときには低くすることができるベッドを導入することにより、サービス提供時の必要な高さの確保と転落等の事故の減少の両立を図ることが可能である。
図

○ 介護職員の腰痛予防という観点からは、ベッドの高さの問題よりもむしろ、ベッドから車いすへの移乗の介助の方が大きな問題である。このため、 の活用などについても検討する必要がある。

移乗ボードを使って車いすに移乗

移乗ボードを使って車いすに移乗

 福祉用具を活用することで、立ち上がっての移乗介助より負担が小さく、自力での移乗も楽になる場合が多い。離床の機会を増やすことにもつながる。

○ また、ベッドの幅についても、一般的な高齢者施設のベッドは家庭で使用されているシングルベッドや敷きふとんの幅(100cm程度)より狭く、寝返りや立ち上がり時の転落の一因ともなっている場合がある。一方で、幅が広すぎると、利用者に提供する医療・介護サービスの内容によっては不適切なケースもある。
 このため、一律に幅を規定するのではなく、高齢者の身体状況やサービス内容に応じてベッドを選択できるような体制を整備することが必要である。

○ さらに、ベッドから離れようとするときに転倒等の事故が起こる場合も少なくないが、ベッド用手すりの活用によって、こうした事故を防止することも可能である。

(4)その他の福祉用具

A:福祉用具って、高齢者の自立を助けたり、よりよいケアをするための道具なんだよね。
B:でも、介護する側の都合で何でもやってしまうのは良くないこともあるんだ。例えば、ジャムのビンのふたが開けられない時に、開けてあげるというのはてっとり早いけど、これだと食べたいときに食べられないじゃない? ふたを開けるための用具を使えば、好きなときに食べられる。つまり、自助具なんかを使って、できるだけ自分でやれるようにすることかな。
A:車いすにしてもそうね。歩くのが不安定だからって、すぐ車いすを使わせるのではなくて、歩行器を活用する方がいい場合もあるのよね。
B:歩行器や靴は床材との相性もあるけど、つまづいたり、滑ったりしないようなものを選ばないといけない。
A:それと、痴呆性のお年寄りが人間らしく生活をするためにレクリエーション用具の導入も効果的かもね。
○ 身体拘束を行うことなく、転倒、行方不明等の事故を防止するためには、ベッドから離床したことを知らせる離床感知センサーや、PHS(簡易型携帯電話)やGPS(全地球測位システム)を活用した感知機器等を活用することが考えられるが、プライバシーの保護の観点からの検討や、精神的な拘束にならないような配慮についても十分に行うことが必要である。

○ また、身体拘束に車いすが大きく関わっていることは既述のとおりであるが、高齢者の自立というそもそもの観点からすれば、歩行機能に支障が出れば直ちに車いすを使用するというのではなく、歩行器の活用も検討するなど、高齢者の残存機能を活かすことも重要である。

○ なお、ベッド上で食事、排せつ、入浴など全てが可能といった福祉用具は、かえって寝たきりや身体拘束を助長しかねない側面があるということにも留意しなければならない。

○ また、福祉用具ではないが、生活を楽しくするため、レクリエーション用具、AV機器、情報通信機器等を適宜活用することも重要である。

(3)福祉用具の適切な使用と普及のための課題と方策

A:福祉用具の改善も必要だけど、福祉用具をちゃんと選んで使えるようにすることが重要よね。だって、お年寄りはどんなものを選んでいいのかわからないじゃない。
B:そうだね。フィッティングの技術の活用や、理学療法士や作業療法士といった中間ユーザーがもっと知識を持って活躍してもらわないと。
A:それと、在宅の時に使っていた車いすが、老人ホームに入るときに、そのまま使えないっていうのも変よね。
B:確かに福祉用具というものが軽視されてきたんだろうね。お年寄りが生活をする上で基本的なものなんだから、使う人を中心に考えたいなあ。
A:老人ホームが買うにしても、値段が高すぎるわよね。
B:部品の共通化や、流通のしくみを見直して、使いやすく良い製品が、早く、安く届くようにならないと普及しないね。
A:それと、今後の研究開発なんかに期待するところもあるわね。
B:まずは、それぞれの用具について、簡単にフィッティングできるようにすること。それから、フィッティング技術そのものを確立するなかで、具体的な数値を示していく必要があるね。
A:これから身体拘束の廃止に向けた取組みの中で、介護のやり方も変わっていくでしょうし、現場からの発想を踏まえた研究開発も必要ね。
B:お年寄りが使ってみたくなるような魅力的なデザインにすることも大事だね。

(1)福祉用具の適合技術の確立

○ いかに優れた福祉用具であっても、適合技術が確立していなければ、機能を十分に活かすことはできないし、実際の使用に当たって高齢者の状態に合致させることも困難になる。

○ わが国では福祉用具の開発努力に比べて、適合技術の面が立ち遅れているように思われる面があり、さらに研究が必要と考える。特に、身体条件のみならず、精神的要因をも配慮した適合技術が必要とされている。
 また、福祉用具そのものだけでなく、居住環境、提供される介護サービス等を含めた高齢者をとりまく環境全体に関して、システムとして検討することが必要である。

(必要とされる適合技術の例)
  • 居住環境や生活習慣を考慮して高齢者に最も適した種類の福祉用具を選ぶ適合技術
  • 高齢者の身体に最も適した福祉用具を選択、調整する適合技術
  • 福祉用具の導入に必要となる居住環境の改善等の生活環境の再整備に関する技術

(2)中間ユーザーへの知識の普及

○ 一般の高齢者は、福祉用具の適合に関する専門的知識は全くないことから、作業療法士や理学療法士等の専門職によるアドバイスが不可欠である。しかしながら、福祉用具の適切な選択と使用のための技術については個人差が大きいのが実状である。また、これらの専門職は、高齢者施設においては、施設職員としての制約などから、訓練業務が中心とならざるを得ず、福祉用具の選定に携われない結果、余計な業務という理解にとどまっていることも多いように思われる。

○ このため、これらの専門職が積極的に福祉用具の適合業務に参加するための環境を整備するとともに、具体的な場面における福祉用具の有効利用や身体状況等への適合のためには、専門職だけでなく介護職員等も福祉用具の知識を得ることも不可欠であり、このような「中間ユーザー」への知識の普及のため、教育過程でのカリキュラムの充実、研修や研究の場の整備、適合技術の伝達等を専門的に行う拠点の整備等が必要である。また、福祉用具関係者(メーカー、流通等)も、自社製品についてはアドバイスを行うことができるよう、必要な知識を持つことが求められている。

○ さらに、福祉用具に係る講習会の開催や、ビデオ、CD-ROM、インターネットなどのメディアの活用により、広く知識の普及を図るとともに、中間ユーザーと福祉用具関係者(メーカー、流通等)が単なる発注・供給の関係でなく、情報交換等を通じて商品の開発を行うなど、協力関係を築くことが重要である。

知識の普及方策の事例)
  • 福祉用具の導入効果等に関するDVD((財)テクノエイド協会作成)
  • テクノエイド協会等の福祉用具に関する様々な情報を提供するホームページ
  • 介護実習・普及センターにおけるビデオや図書の貸出

○ 特に、中間ユーザーの介護現場での様々な工夫やノウハウは貴重なものがあり、福祉用具の開発・生産現場への反映や、これらを収集、整理・分類するためのデータベースの構築によって知識の共有化を図ることも有効である。

(3)高齢者施設における適切な福祉用具の利用

○ 高齢者施設では、全員に同じ車いすやベッド等を利用してもらった方が、個々のニーズに合わせて別々のものを用意したり、あるいは調節したりするよりも、手間も費用もかからないが、こうした安易な選択が身体拘束を生み出すに至るということを解消するためにも、それぞれの高齢者の状態に合ったケアの提供という基本に立ち返り、個々の高齢者の状態に合致した福祉用具の選択と使用という視点に切り替えるべきである。

○ しかし、新たなニーズに応えるためにその都度新規の福祉用具を購入していては、金銭的にも、また資源の有効利用という観点からも無駄が多い。このため、適合技術の確立、普及と相俟って、部品の選択・組み合わせが可能なモジュール型の導入や以前から保有している福祉用具の改良など、既存資源の有効活用という工夫も求められる。

○ また、自宅で身体に合わせたモジュール型車いす等を利用していた高齢者が、施設に入居する際に、それまで利用していた車いすを施設に持ち込めず、施設に標準的に備えられた車いすを使用しなければならなくなるケースも見られる。

○ これは、施設サービスの場合には、介護報酬の中で必要な福祉用具も含めて施設側がサービスを提供することになっているために生ずることであるが、一方で、最も安価な折りたたみ式車いすが一律に用意されるということにもなりがちである。
 個々の高齢者に適合したものの使用という観点からは、必要な経費であるとの認識を浸透させるとともに、施設の中での使用に困難を来さない限り持ち込みを可能としたり、よりよい福祉用具を導入しようというインセンティブが働くような、介護報酬の中での位置づけなどについて検討したりすることが必要である。

(4)福祉用具のコスト縮減

○ 福祉用具、中でも個別対応が可能なものは、その性格上、少量多品種生産・流通という形態になりがちで、納品までに時間を要するだけでなく、コストも高くなる。しかしながら、このような現状を容認していてはより良い福祉用具の普及はあり得ない。既存技術の利用、機器・部品の標準化、再使用・リサイクルなどとあわせて、個別対応と大量生産を両立させるような技術開発、流通システムの構築、普及のための支援措置等を総合的に講ずる必要があるが、製造、流通、適合等のそれぞれの段階でコスト縮減のためにできる取組みを検討し、こうした現状の改善に向けて関係者が努力すべきである。

(5)専門家チームによる実際的な支援

○ 個々の高齢者施設ごとに、福祉用具の専門家を配置するというのは現実には容易ではない。このため、作業療法士、理学療法士、医師、看護職員、介護職員、ソーシャルワーカー、建築家、エンジニア、その他の専門家など多職種から構成される専門家集団が現場からの要請に応えて相談に乗ることができる仕組みも検討する必要がある。
 この場合、各都道府県の身体拘束ゼロ作戦推進会議の中に、専門家が介護担当者や高齢者の相談に応じ助言指導を行う「相談窓口」を設置することとされているので、相互の連携が必要である。

(6)高齢者介護の現場の視点からの研究開発

○ 福祉用具が高齢者介護に用いられるものである以上、機能的には新規なものであっても、その使用がかえって高齢者の自立を損ねたり、身体拘束に当たったりするようなことがあってはならず、その研究開発に当たっても、高齢者の自立支援、身体拘束の廃止など高齢者介護の基本を踏まえることが必要である。

○ 今後、身体拘束の廃止を始めとする高齢者のケアの在り方の見直しが進む中で、そうした取組みの最前線となる現場からの発想、フィードバックを踏まえた研究開発の積極的な促進が期待されるが、例えば、

といったように、福祉用具を人に合わせるという姿勢が求められる。

4.施設の居住環境について

 身体拘束と高齢者施設の居住環境は一見結びつきにくいが、「居住環境の貧しさが心理的不安定につながり問題行動を起こし、結果として身体拘束至る」という意味では、身体拘束の遠因となるという関係にあり、居住環の改善により、問題行動の発生を低減し、身体拘束に至ってしまう原因のつを取り除くことが可能となる。なお、ここで取り上げた居住環境の改善の工夫は、あくまで考え方の一例であってマニュアルではない。実際、既存の施設において大規模な改修をなくても、ちょっとした工夫により居住環境の改善について成果を上げてる。このため、こうした事例の収集等を通じて研究を進めていくことも必である。

(1)高齢者施設の居住環境上の問題点

A:特別養護老人ホームとかの高齢者施設ってどんな建物?
B:色々なのがあるけど、4人部屋で廊下も広くて、大食堂や大浴場もあるのが多いかな。「生活感」は、ちょっとないかも。
A:でも、もともとは生活の場なんでしょう?
B:何というか、会社や学校みたいに、建物が単調なことも多いね。4人部屋がたくさん並んでいたら迷ってしまうし、内装や照明も味わいがなかったりする。
A:じゃあ、痴呆のお年寄りなんかだと、余計に落ち着かないんじゃない?
B:そういったことから混乱してしまって、痴呆のお年寄りが問題行動を起こしてしまうこともあるかもね。それで、それを避けるためと言って拘束してしまうことがある。言うなれば、建物が身体拘束を招く原因の一つになっていることもあるんだ。

○ 現状の多くの高齢者施設の空間はコンクリートの箱で、「和風」でも 「洋風」でもなく、いわば「施設風」の空間となってしまっていることが多い。特に痴呆性高齢者にとっては、馴染みのない巨大で複雑な空間でもあり、平面が同じパターンで繰り返されたり、左右が同一のパターンになっていたりすることで、自分の居場所がわからなくなることも起こってくる。さらに、絶えず他人の視線にさらされ、一人になりたくてもなれず、ストレスが増大する。

○ こうした空間は、高齢者にとっては、これまで地域で暮らしてきた生活環境からは、あまりにもかけ離れたものといえるのではなかろうか。本来、住まいは生活行為の舞台であり、生活展開のしつらえを様々に内包したものである。しかし、従来の一般的な高齢者施設においては、そうした生活展開のためのしつらえが乏しく、鉄筋コンクリートの単調で無機質な空間である場合が多い。

●心理的な情緒不安から起こる問題行動
  • 住み慣れた地域の生活環境から離れ、施設で生活するという心理的な諦め
  • 地域社会と隔絶された閉塞感
  • 自己の役割の喪失からくる無気力

●物理的環境がもたらすもの

  • 大きすぎる空間、画一的な大食堂、長くて単調な廊下
  • 遠いトイレ
  • 相部屋
  • 不用意な段差、滑りやすい床、危険な突起物
  • 高すぎるベッド
  • 自力座位を保ちにくい移動用の車いす

○ 特に痴呆性高齢者の場合、頭の中で想定したり、応用したり、臨機応変に行為を行うことが出来ない。したがって、空間の貧しさがそのまま行動の貧しさに直結しやすい。廊下の行き止まりで排尿してしまったり、ベッドからマットを引きずり下ろしてしまったりといった、いわゆる問題行動として捉えられがちな行動も、その痴呆性高齢者に染みついたある種の空間感覚をもとに環境に反応していると考えられる。高齢者施設の多くの現状は、痴呆性高齢者にとって「どう振る舞って良いかわからない」空間であり、結果として問題行動が助長され、それを抑えるために身体拘束へとつながっている側面がある。

同じパターンの繰り返しによる混乱   トイレがトイレと認識できない
同じパターンの繰り返しによる混乱 トイレがトイレと認識できない

(2)高齢者施設の設計に当たっての考え方の例

 上記のように、痴呆性高齢者が混乱して問題行動を起こすことがないように、心理的な安定が得られるような居住環境を整えることで、問題行動の発生を低減させて身体拘束を回避したり、あるいは、不幸にして転倒等の事故が起こった場合でもそれによる衝撃を緩和できるような居住環境を整えることで事故防止のための身体拘束を回避したりすることも可能である。そうした観点から考えられる工夫の例を以下に掲げる。

(1)生活単位の小規模化

A:家らしいといえば、小人数のグループで一緒に暮らしながら介護を受けていく施設もあるみたいだけど。
B:最近流行っているよ。まあ、近所づきあいしながら生活するって感じかなあ。
A:そうねえ、ゆったりと過ごせるし、お友達もできそうで、痴呆の人も落ち着けるんじゃないかしら。

○ 従来の高齢者施設における利用者のまとまりの単位は、一般的に30人〜50人で、介護単位や看護単位と呼ばれていた。この単位は、基本的にスタッフが、日勤、準夜勤、夜勤のシフトを含めた勤務体制を組む上での集団単位という視点から設定されたものであり、高齢者の生活単位もこれに合わせてきた面がある。

○ 一方、地域から生活の場を移してきた高齢者の立場から見れば、このような大集団単位では大きすぎ、一人ひとりの顔を憶えたり、個人的な人間関係を形成していくことも困難であることから、特に痴呆性高齢者にあっては、大きな戸惑いを感ずることとなる。

○ これを高齢者に暮らしやすい生活単位という視点から、6人〜15人程度の小規模単位(グループケアユニット)とした上で、固定的に配属されるスタッフがこれに対応するようになると、自ずと高齢者一人ひとりの生活歴や人柄、持ち味などが把握しやすくなり、別々の人格として顔が見え、小さい輪の中で支えながら一緒に暮らす関係へと移行してゆく。生活のリズムも、プログラムに従って集団で一斉に展開される強制的な生活リズムから、のんびりと個々のペースを受け入れながら、自然に流れる生活リズムへと変わってゆくことが可能となり、痴呆性高齢者も落ち着いて周囲に なじみやすくなると考える。

家庭的な雰囲気の少人数グループでの食事

家庭的な雰囲気の少人数グループでの食事

○ なお、こうしたグループケアユニットは、建築の空間を小規模単位にさえすれば実現できるものではなく、そこで行われるケアの方法などの工夫が不可欠である。

○ また、このような共に暮らしていくという生活スタイルが苦手であったり、濃密な人間関係を好まない者もいるなど、一人ひとりの住まい方は様々であることから、一律に全ての高齢者施設を小規模単位にすれば良いというものでもなく、高齢者が自分に合った住まい方を自由に選択できるようにすることが重要である。

(2)望まれる個室化

B:友達もいいけど、やっぱ「個室」かなあ。人に気を使うのは疲れるね。
A:私も同感。だって、兄弟いたけど小さい頃から自分の部屋あったもの。絶対相部屋はいや! インテリアも自分の好みにしたいし、友達も遊びに来やすいでしょ?
B:「個室だと孤独で、相部屋は楽しい」とか言われてるけど、一日中個室で寝てるわけじゃないし、寂しかったら友達の部屋に遊びに行ったらいいしね。
A:でも、今ある老人ホームの相部屋を全部個室に変えるのは無理でしょ?
B:「自分の空間がもてる」ってことが大事なんだから、相部屋でも、障子や自分の家具なんかで視覚的に仕切ったりして、個室風な空間なら作れるよね。

○ 在宅から高齢者施設に入居する際の環境の変化が大きければ、それは痴呆性高齢者にとっては当然混乱要因となる。痴呆性高齢者にとって、他人との空間の共有は混乱のもととなりうる。その変化を最小限にするためには、個室の活用が考えられる。(この場合の個室とは、同室者とトラブルを起こしてしまう人を隔離するなど処遇上の問題から設けられる「一人部屋」とは異なる。)

一人部屋(ベッドのみ)   個室(使い慣れた家具などがある)
一人部屋(ベッドのみ) 個室(使い慣れた家具などがある)

●参考 『特別養護老人ホームの個室化に関する研究』(全国社会福祉協議会 1996.3)

 本研究で、一人ひとりの入居者のタイムスタディをとったところ、多床室において、同室者同士の会話はほとんどなく、お互い背を向け合って、お互いが存在しないかのように生活しているという実態が浮かび上がった。すなわち、多床室の同室者の間でトラブルも起こりうるし、ストレスも生じてしまい、交流がかえって損なわれることもあるということである。また、このタイムスタディにおいては、同室者同士のトラブルの回避のために払われる職員の介護上の配慮やケアは相当な量に上っており、一概に多床室が効率的とはいえないことがわかった。

○ 個室は、他人の視線から自由になり、一人になれる時間と空間が得られることによって、はじめて生活のリズムにゆとりができ、人との交流にも意欲が発揮できるようになるものである。また、個室であれば、これまで人生を刻んできた思い出の品々や使い慣れた家具などを持ち込むことにより、自宅での居室の環境を多少なりとも再現が可能となる。さらに、家族も「4人部屋での面会」では、同室の3人に遠慮や躊躇があるものの、 「個室の訪問」であれば、訪問もしやすく、家族との心の絆も深まるものである。こうしたことを通じて、痴呆性高齢者も心理的により一層安定し、それに伴って問題行動が低減するものと考える。

○ なお、既存の高齢者施設の多床室を個室化することは困難である場合が多いが、このような施設であっても、柱、梁、障子などで視覚的に個人の領域を作ったり、好みの家具やカーテンなどを用いて入居者の個性的な空間を作るなどの工夫をしている例もみられる。

丸太柱、梁などによる個室風空間の例   障子、板戸等による個室風空間の例
丸太柱、梁などによる個室風空間の例 障子、板戸等による個室風空間の例
さらに、個々に、のれん、家具等を用いて施設らしくない雑多で個性的な空間に

(3)生活のリズムが組み立てやすい高齢者施設の設計

A:他には、建物を建てるとき、どういうことを考えたらいいのかな。
お年寄りの一日の生活のリズムを考えて建てなければいけないとは思うけど。
B:答はないけど、例えば、まちを作るイメージかな。部屋は家、ユニットは隣近所、共用空間は地域、建物全体は都市。
A:ちょっと大げさね。でも、友達とちょっと立ち話できる空間って必要ね。

○ 日々の生活における基本的な生活行為の場である食堂や浴室が同一フロアにないこと等により、エレベーター等を介しての移動が日々生じ、利用者が移動のために長時間待たされるなど生活のリズムが細切れにされてしまう場合がある。特に痴呆性高齢者の場合には、こうして細切れにされた生活のリズムを自分の中で再構築することが困難なため、どうしても混乱を招きがちである。このため、高齢者の生活リズムを考えた施設の設計にするとともに、設計段階で施設で働くスタッフの意見を反映させていくことも必要である。

○ また、高齢者の生活環境を整える上で、空間をいくつかのゾーンとしてとらえて段階的に構成することも建築の計画の一手法である。個室と公共空間だけの空間構成では、生活のリズムが断ち切られてしまう可能性があり、たまり空間的な場所も考慮すべきである。

たまり空間 たまり空間
隣近所の気心知れた仲間が小人数で集うにはちょうどよい広さの談話コーナー。

空間の段階構成

● 従来の高齢者施設の生活スペースは、主として居室(プライベートゾーン)とホール状の共用空間(セミパブリックゾーン)のみからなり、この二つの領域を二拍子のリズムで行き来しながら生活が構成されている、という趣があった。共用空間の中にも、一方的に職員が主導権を握って集団で活動が展開されるセミパブリックゾーンだけではなく、気の合う入居者同士が数人で自発的に時間を過ごすことのできる、セミプライベートゾーンの存在が重要であり、さらに施設内であっても地域住民に開放され、外部社会に開かれた場(パブリックゾーン)の存在も極めて重要である。

●自分の生活の拠点であるプライベートゾーンをベースにしながら、次第に馴染みの関係が培われつつある入居者同士での自発的な場を持ち、共用空間の中にも、気に入った居場所を次第に獲得してゆくことができれば、やがて、個々の入居者にとって、プライベートからパブリックに至る段階的な領域を貫いて、様々な空間を生活の場として編み上げる、安定的な生活シナリオが、それぞれに定着してゆくことだろう。

  定義 主な利用者
プライベートゾーン 入居者個人の所有物を持ち込み管理する領域。一般には個室を指す。 入居者
セミプライベートゾーン プライベートゾーンの外側にあって複数の入居者により利用される領域。居室前の廊下部分なども含まれる。 複数の入居者
セミパブリックゾーン 基本的には食事やリハビリ、レクリエーションなどの集団行為が行われる領域(プログラム間の空白時間には自発的行為も行われる)。 職員(寮母)
パブリックゾーン 入居者と地域住民、外部社会の双方に開かれた領域 職員
地域住民

(4)トイレ・風呂は最も重要

A:トイレの用事やお風呂はできるだけ自分で好きなように済ませたいわね。それに部屋に自分用のトイレが欲しい。相部屋でポータブルトイレなんてことになったらどうしよう。音、におい、というか恥ずかしい。
B:風呂も元気なうちは、大浴場もいいけど、介護が必要になったら、1人用の浴槽も入りやすくて良いとか。腰掛けや手すりもついているし、身体も安定するらしい。
A:いろいろな考え方があるのね。

○ 排せつ及び入浴については、できる限り人手を借りずに済ませたいというのは誰しも共通の願いであり、最もプライバシーが守られなければならない。

○ トイレについては、入居者それぞれの生活リズムに合わせてトイレの利用ができ、夜間も容易にトイレに行けるよう、トイレは1カ所にまとめて配置するのではなく、居室に近いところに分散して(できれば個室内に)配置することが望ましい。また、共用トイレにする場合には、食後のピーク時を考慮することが必要である。

○ また、4人部屋等の多床室でのポータブルトイレの利用は、音、臭いだけの問題ではなく、プライバシーの確保の観点からも解決すべき課題である。しかしながら、既存の高齢者施設に新たにトイレを設置するのは困難である場合が多い。この場合も、少なくとも視覚的・物理的に個人の領域を作るなど、改善に向けた対応が必要である。

○ 入浴についても、気兼ねなくゆったりとした環境で、生活のリズムに合った時間帯に入浴できることが重要である。できる限り自力で入浴できるよう、浴槽などの工夫が必要である。例えば、大浴槽の代わりに、腰掛けや手すりなどを工夫した個別浴槽を、仕切りによって区切って複数個設けるなどである。

個別浴槽
できるだけ自力で入浴できるようにするための腰掛けや手すりなどの工夫がなされた例。また、浴室内は、目隠壁やカーテンなどで個々に区切られ、プライバシーを確保している。

○ このように、施設であっても、住宅に近い雰囲気にするという発想が、結果として高齢者が安心してトイレや浴室を利用できる環境となるものである。

(5)高齢者に馴染みのある空間の仕掛け

A:老人ホームに家らしさを追求していくと、お年寄りがかつて馴染んだ、床の間、襖、囲炉裏など工夫するのも一案ではないのかしら?
B:上がり框なんか作ったら、バリアフリーにならないけど、上がったら部屋だってわかるし、トイレだって舞良戸にしたら、トイレって書かなくてもわかるよね。こうした仕掛けも大事だよ。
A:舞良戸って何?
B:33ページにイラストがあるよ。まあ、自分たちが歳取った時は、舞良戸になじみがないから、また違った工夫が必要だけどね。

○ 私たちが日常行っている生活行為(例えば、食事、就寝、排泄)には手続性がある。食事をする時、我々はいきなり目の前の素材に手を伸ばし口に放り込んだりせず、手順に従って調理し、器に盛り、食卓に並べ、感謝し、箸を使って口に運び、食べ終わって余韻を楽しむ。しかし、特に痴呆性高齢者の場合には、そうした手続性が抜け落ちていく傾向がある。

○ この際、空間の中の仕掛けや、かつて馴染んだ道具が生活行為の手続性を回復していく上での手掛かりになる。特に日本の伝統的な住まいには、空間の作法という文化があり、上り框や床の間、座敷と襖の開閉、縁側や手水、囲炉裏等、独特の生活行為と様式的にきっちり対応した空間の仕掛けが数多く存在する。こうした要素を高齢者施設の公私の空間に豊かに活かすことにより、入居者にとって消えてしまっていた行為や動作へと誘導することが可能である。

トイレと舞良戸 (下図)小上がりと囲炉裏

小上がりと囲炉裏
(上図)トイレと舞良戸
トイレがトイレであることを形態により理解できるようにするため昔利用した舞良戸を用いた例
囲炉裏
(右図)囲炉裏
いすや車いすでも利用できる高さ。家具もなじみのある形態、材質を考慮し選定

(6)さりげない見守り

○ 不自然に追跡したり、逆に閉じこめたりしなくても、ごく自然に利用者が視野に入っていることにより、見守り介護が可能となるような、空間の結び付け方や区切り方が望ましい。この点では、日本の住まいの間仕切り要素として古くから存在する「格子」、「障子」、「襖」などが考えられる。

格子戸 格子戸
個室の前に格子戸のついた前室を設けることで、居室内のプライバシーを守るとともに、前室を玄関に見立てることにより、「住まい」として認知できるよう意図。

(7)施設らしくないデザイン

A:で、結局のところ、老人ホームって、家らしく作るってことが大事なのかな。空間的にも内装も、照明やサインも、家とのギャップをできるだけ小さくしないと ね。さっきの舞良戸なんか、トイレだってさりげなくわかるんだから、お洒落だし、 一種のサインよね。
B:これが答ってものはないけど、そこで生活する人がこれまでどういう生活をしてたかって考えることだね。殺風景な建物だからって、幼稚園のような飾り付けをしている老人ホームもあるけど、何か変だと気づかないといけないよ。

○ 高齢者施設では、転倒予防、視界の確保、トイレ等への誘導のため、照明も重要な要素である。しかしながら、蛍光灯を多用した明るすぎる照明は、まぶしいばかりでなく「施設らしさ」を助長してしまうので、間接照明やフットライトの活用、暖かみのある光色の利用などの配慮をすべきである。

○ また、内装の色彩や、様々なサインも重要であり、ちょっとした工夫で大きな効果がある。サインを設置するに当たっては、場所、文字の大きさ、色の使い方などに配慮するとともに、扉ごとに色の使い分け(一方で職員の使う扉は壁と同色にして目立たなくする。)をしたり、ランドマークとして中庭に塔や大木などを設置するなど、さりげなく目的の部屋や自分の位置がわかるような工夫をすることも考えられる。ただし、まるで幼稚園のような装飾やサインを施した高齢者施設がみられるが、そもそも高齢者が自宅でそのような装飾をしていないことを考えれば、不適当である。(これに加え、職員から赤ちゃん言葉で話しかけられたり、幼稚園のようなアクティビティに無理やり参加させられることもある。)

サイン

サイン(施設らしくない柔らかな雰囲気)

(8)地域とのつながりのある場の形成

A:施設の立地する場所というのも重要でしょうね。地域との交流とか。
B:地域の人や家族が遊びに来たり、入居者が外に出かけたりする仕掛けも必要だよ。建物の中に、ギャラリーやら喫茶店やらがあってもいいし。

○ 高齢者施設には、地域とのつながりが強く求められる。施設が地域とつながり、地域に開かれているためには、まず、施設自体が地域の中に立地していることが前提となる。人里離れた山あいや、住宅のない工場地帯などに立地する施設は、孤立した施設になりやすく、利用者も地域の中に暮らしているという実感が持てない。

○ 施設と地域とのつながりを保つためには、家族の自由な訪問が保障されていることは言うまでもないが、地域の人(例えば、乳製品販売や八百屋、移動販売店、訪問理美容、郵便配達など)が、様々な形で施設に訪ねてくるようにしたり、利用者自身も地域の一員として老人会に参加したり、地域の飲食店やカラオケ店を訪れたりといった積極的な交流も望まれる。また、施設内に地域の人々が幅広く利用できる仕掛けとして、ギャラリーや小さなイベントホール、地域交流マーケット、おもちゃ図書館などを計画し、地域における生活、文化の発信基地としての性格を与えるアイデアも面白い。

○ こうした地域との双方向の交流が日常的に通っていれば、地域からの訪問者はオンブズマンとしてのはたらきを果たすであろうし、施設内にそもそも風通しの良い健全な人間関係、地域の一部としての生活の場が出来上がってゆくものである。

(9)転倒時の衝撃を軽減する床材等

A:そうそう、施設の中で転んだり、ベッドから落ちたりってこともあるわよね。そんなときでも、例えば、床を柔らかくすれば、多少は違うわね。
B:ただ、柔らかすぎると車いすが走りにくいから気を付けないと。それと、バリアフリーや安全と言っても、手すりやクッションを付けまくるのも、「家らしいデザイン」でなくなるからね。

○ 転倒防止が車いす等に身体拘束される理由の一つとなっているが、むしろ、不幸にして転倒した場合でもできる限り身体の被害を軽減することが必要である。高齢者施設の床材などは、車いすなどの走行性に配慮しつつも、転倒した場合の衝撃をできるだけ吸収するような素材の床材や下地を活用することが効果的である。

○ また、車いすのフットレストが壁に衝突したときの汚れや傷を防止するため巾木(キックプレート)が用いられるが、衝突した人の衝撃を緩和するような素材を選定することも考慮しなければならない。

巾木 巾木(キックプレート)

○ 入居者の自立を支えるものとして、手すりは重要な役割を果たすものであり、トイレ、浴槽などに効果的に取り付けることが必要である。しかしながら、過剰に手すりを取り付けると、やはり「施設らしさ」が助長されてしまうことにも留意しなければならない。

(3)普及方策

(1)高齢者施設の基準等の在り方

A:老人ホームの建物を建てるときに考えなければいけないことはわかったけど、既存の老人ホームをユニットや個室に改造するというのは容易じゃないわね。時間をかけてやっていくしかないのかしら。
B:4人部屋でも、障子や家具などで工夫して個室風にしているところもあるわけだし、大切なのはコンセプト。老人ホームは「この建て方が○」という答があるのではなくて、入居者の生活スタイルをイメージして、考えながら作らないといけないね。
A:基準や規制はどうなんだろう。
B:高齢者施設を建てるには、いろいろな規制や基準があって、「家らしさ」の観点からはマイナスなものもあるんや。例えば、廊下の幅だって広ければええもんでないゆうことはわかるやろ? それに不燃材にしろという規制があるけど、本来は建築基準法 ではスプリンクラー設置で緩和できるんで、木質系の素材が使えるんやけど。

○ 建築設計者は、現在の高齢者施設の多くが、これまで地域で暮らしてきた住環境からかけ離れた大空間となっており、特に痴呆性高齢者にあっては、建築物の空間そのものが「混乱」を与え、結果として身体拘束に至っていることを認識する必要がある。また、床材などのディテールについて安全性を考慮しなければならないし、そこで働く職員等の意見も設計段階から取り入ていくといったことも重要である。

○ 高齢者施設を新設又は改築するに当たっては、このようなことに留意する必要があるが、高齢者施設の建設費等からみて容易でない場合も想定される。既存の高齢者施設では、空間レベルでの改造に困難が伴う場合がほとんどであるが、多床室を視覚的に区分し個人の領域を作ったり、空いている廊下のスペースなどを活用してたまり空間や食事スペースを作ったり、内装、設備やサインを工夫して家庭的で高齢者に馴染みのある空間を演出したりすることも対応策として考えられる。

  新築・改築 改造(リフォーム)
空間レベル 高齢者に快適なスケール
たまり空間
個室化、ユニット化
建物の小分節化→ユニットの概念
(小スケール化、たまり空間等)
個人領域の確保(個室風)
 
素材・設備レベル 家庭で使われるような設備
トイレの分散配置、居室に近い位置への配置、必要な便房数の確保
個別浴槽等の工夫
転倒時にできるだけ衝撃が少ない床材の利用
危険な段差の解消、突起物などの防護
手すりの取付け
(ただし、過剰な安全保護対策は住宅らしさを失い逆効果)
演出レベル 高齢者に馴染みのあるしつらえ、家具、調度品、サインの工夫

○ このため、高齢者施設の新築又は改築だけでなく、既存の施設の改造も含めて、高齢者に適した居住環境の整備のための財政的な支援を検討することが必要である。

○ また、特別養護老人ホーム等については、例えば、建築基準法や消防法の構造設備の基準に加えて、老人福祉法等に基づく基準において、原則として耐火建築物とし、3階以上の階の居室や廊下等の部分の仕上げを不燃材料とするなどとされていることにより、高齢者にとって暖かみのある木材等の建材の利用が制限されているのも実状である。また、小規模単位化や個室化が図られたとしても、広すぎて長い直線の廊下では、住宅らしさではなく、施設らしさを感じてしまう場合もある。このため、入居者にとって心地よい空間づくりという観点から、入居者の安全の確保に支障のない範囲で、基準の在り方について見直しを検討すべきである。

●参考 廊下の幅の基準(例)
 特別養護老人ホーム 片廊下の場合1.8m以上、中廊下の場合 2.7m以上
 有料老人ホーム 片廊下の場合1.8m以上、中廊下の場合 2.7m以上
 高齢者向け優良賃貸住宅 1.4m以上(部分的に車いすのすれ違いスペースを確保)
 建築基準法 1.2m以上

(2)痴呆性高齢者グループホームの普及

A:小人数で個室であるグループホームには今後、期待が持てそうね。
B:そうだね。でも、グループホームは他の老人ホーム以上に、建築の空間がケアに直結するから、ミニ施設風や狭苦しいものではいけない。数が増えさえすればいいというのでは、昔の住宅政策と同じになってしまう。
A:望ましい建て方について、研究し、普及させていかなければならないわね。

○ グループホームでは、小規模で家庭的な雰囲気の中で固定的なスタッフに見守られ、ゆったりと生活が展開でき、痴呆の進行や、徘徊や妄想、失禁といった行動が緩和できるといわれ、今後5か年間の高齢者保健福祉施策の方向(ゴールドプラン21)においても、平成16年度のサービス提供量は3,200カ所と見込まれており、グループホームの整備の促進が望まれている。

○ 当然のことながら、グループホームには、単に「量」だけでなく、痴呆性高齢者の共同生活の場としての「質」も求められる。しかし、現状では、いわば小規模な「施設風」なものであったり、寮を改造したために共用部分が広すぎたりで、家庭的な雰囲気がないグループホームや、民家を改造したものの、部屋も共用空間も狭く、空間として貧しいグループホームも少なくない。
 グループホームの場合、他の高齢者施設以上に建築の空間の質がケアに直結するだけに、「望ましい建て方」についてさらに研究し、痴呆性高齢者が心理的に安定して過ごせる、ひいては身体拘束のないグループホームとして普及させていくことが必要である。

まとめ

A:理想の居住環境を作っても、すぐに身体拘束の廃止に結びつくものではないけれど、居住環境からお年寄りが安らぎとうるおいを得られれば、心身の状況も安定し、結果として身体拘束の廃止に寄与するのよね。
B:そうだね。
A:だから、老人ホームを作るときには、なるべく、これまで住み慣れた居住環境とのギャップが小さくなるような空間の作り方を考えていく必要があるのね。
それと、これから建てられる老人ホームは、私たちが歳をとった時も残っているわけだから、「自分が入居するんだったらこんな老人ホームがいいな」と考えて設計しないといけないわね。


参考文献

1.「縛らない看護」吉岡充、田中とも江 編 (医学書院1999)
2.「車「いす」について考えてみましょう」廣瀬秀行、木之瀬隆、清宮清美、佐藤真理子 ((財)テクノエイド協会1999)
3.「高齢者の車いす座位能力分類と座位保持機能」木之瀬隆、廣瀬秀行(Rehabulitation Engineering 13(2) 4-12 1998)
4.「Wheelchair Needs of the Disabled,Therapeautic Consideratipns for the Elderly」Susan C.H(Churchill Livingstone,1989)
5.「Positioning for Function」Adrienne F.B.(Valhalla Rehabilitation Publication,1990)
6.「重度高齢障害者の車いすの評価」廣瀬秀行、木之瀬隆、浅海奈津美、佐藤真理子、清宮清 美(第13回リハ工学カンファレンス1998)
7.「Principles of Seating The Disabled」R.Mervyn Letts(CRC Press,1991)
8.「テーブルの高さが高齢者の作業速度に及ぼす影響」木之瀬隆、廣瀬秀行、相原みどり(東 京都立医療技術短期大学紀要、9、1997)
9.「車椅子を使用している高齢障害者の座位能力と座位保持装置」相原みどり、木之瀬隆、廣 瀬秀行(国リハ研究紀要、16、1995)
10.「Biomechanics and the wheelchair」McLaurin,C.A.& Brubaker C.E.(Prosthetics and Othotics International,15,24-37,1991)
11.「高齢者のための車椅子の改良−座位保持装置を中心に−」廣瀬秀行(老人ケア研究、5、 1996)
12.「高齢者の作業時の車いすおよびその座面の影響について」廣瀬秀行、相原みどり、木之瀬 隆(国リハ研紀18、19-24、1997)
13.「ケアマネージャーのための住宅改修テキスト」(品川区、2000.3)
14.「老後のマイルーム」相良二朗 (社団法人 家の光協会 1999.9)
15.「福祉用具のよりよい活用システムを求めて」(医療法人財団健和会 2000.3)
16.「ケアマネジャーのための在宅ケアハンドブック vol2,3」(パラマウントベッド株式会社 編集協力 窪田静、河添竜志郎 2000.7, 2000.10)
17.「寝たきり起こし そのメカニズムとモノ選び((1)〜(17))」窪田静、河添竜志郎(月刊「訪問看護と介護」連載1999.1〜2000.12 医学書院)
18.「特集 高齢者のための地域福祉施設「自宅でない在宅」を提案する」(ディテール第146号株式会社彰国社 2000年秋号)
19.「特集 グループホームの家らしさとは」(日経アーキテクチャ2000.5.29号 日経BP社)
20.「個室は究極の居住環境か」外山義(月刊総合ケア2000年8月号 医歯薬出版株式会社)
21.「医療・高齢者施設の計画法規ハンドブック」(社団法人 日本医療福祉建築協会 1998)
22.「特別養護老人ホームの個室化に関する研究」(全国社会福祉協議会 1996.3)
23.「高齢者・障害者の心身機能の向上と木材利用」(全国社会福祉協議会 1998.3)
24.「痴呆性高齢者の住まいのかたち」大原一興、オーヴェ・オールンド(株式会社ワールドプ ランニング 2000.10)
25.「ユニットケア施設の空間設計と運営管理」(総合ユニコム株式会社 2001.2)

イラストの提供

P9:「福祉用具を活用したケアプラン(社)日本福祉用具供給協会」より引用
P10、P12:「身体拘束ゼロへの手引き(身体拘束ゼロ作戦会議)」より引用
P11:「福祉用具解説書〜移動機器編(テクノエイド協会)」より引用
P14上:参考文献13より引用
P15、P17:参考文献16より引用
P16、P37:(財)高齢者住宅財団がイラストを作成
P25:参考文献19を参考に(財)高齢者住宅財団がイラストを作成
P14下、P27〜P35:参考文献18を参考に(財)高齢者住宅財団がイラストを作成

イラスト作成に当たって参考とした施設
照会先
 老健局振興課福祉用具係
 TEL 03(5253)1111 内線3985


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