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平成16年度中国残留日本人孤児公開名簿及び写真
(名簿は、「名簿番号」、「名前」、「性別」、「肉親と別れたところ」、「終戦当時の推定年齢」、「日本名・家族構成・父母の職業・避難状況等」、「身体的特徴」、「血液型」、「その他」、「現住市」の順に記載してありますが、不明なものについては記載してありません)

1 徐 国彬(ジョ コクヒン) 男 鶏寧(ケイネイ)県 4歳位

現在 青年期
(現在) (青年期)
 昭和20年秋、東安(トウアン)省鶏寧(ケイネイ)県梁家街(リョウカガイ)の道にいるところを、養父「徐文公(ジョブンコウ )」、養母「ケイ素琴(ケイソキン)」に保護された。
 保護された時、和服を着ていた。
 右目の下にほくろ。
 A型
 黒竜江省哈爾浜市



2 劉 桂華(リュウケイカ) 女 密山(ミツザン)県 7〜8ヶ月

現在 青年期
(現在) (青年期)
 父、母、姉。
 昭和20年8月、避難した東安(トウアン)省密山県永安(エイアン)開拓団霞城(カジョウ)地区の人達が再び戻って来た翌朝、野菜畑で母が養父「劉景和(リュウケイワ)」に預けた。
 間もなく爆発音がして、開拓団の人達は集団自決をした。
 O型
 北京市



3 王 素春(オウ ソシュン) 女 鶏寧(ケイネイ)県 5〜6歳

現在 青年期 手掛かり資料の写真
(現在) (青年期) (手掛かり資料の写真)
 昭和20年8月下旬、東安(トウアン)省鶏寧県鶏寧街興国路(コウコクロ)にあった馬車株式会社裏の空き地で一人で泣いているところを、養父「王栄喜(オウエイキ)」に保護された。
 左目の上、右上唇にほくろ。
 O型
 黒竜江省鶏西市



4 林 淑雲(リンシュクウン) 女 牡丹江(ボタンコウ)市 3〜4歳

現在 少女期
(現在) (少女期)
 昭和20年8月中旬、牡丹江市謝家溝(シャカコウ)にあった軍馬場で泣いているところを、養父「林国軍(リンコクグン)」、養母「林陸氏(リンリクシ)」に保護された。
 保護された時、泥だらけで、ぼろぼろのピンク色の上着を着ていた。
 B型
 黒竜江省海林市



5 董 淑芳(トウ シュクホウ) 女 綏陽(スイヨウ)県 3歳位

現在 少女期
(現在) (少女期)
 昭和20年8月9日、牡丹江(ボタンコウ)省綏陽県綏陽街に、ソ連機の爆撃があった後、綏陽県西ワイ子(セイワイシ)の線路沿いの道端で泣いているところを、「張(チョウ)」夫婦に保護された。
2日後、第一養父「閻世成(エンセイセイ)」、養母「王秀蘭(オウシュウラン)」に引き取られた。
 A型
 黒竜江省牡丹江市



6 于 桂香(ウ ケイコウ) 女 富錦県(フウキンケン) 3〜4ヶ月

現在 手掛かり資料の写真2枚 手掛かり資料の写真2枚
(現在) (手掛かり資料の写真2枚)
 母、姉。
 昭和20年8月、日本人の避難所となっていた三江(サンコウ)富錦県集賢鎮(シュウケンチン)警察署で、母が、食事を運んでいた「畢国忠(ヒツコクチュウ)」を介して、養父「于連清(ウレンセイ)」に預けた。
 預けられた時、花模様の布地に包まれており、養父が母から預かった包みの中に、2枚の写真が入っていた。
 O型
 黒竜江省双鴨山市



7 郎 風林(ロウ フウリン) 男 琿春(コンシュン)県 2〜3歳

現在
(現在)
 昭和21年、間島(カントウ)省琿春県三家子(サンカシ)郷八連城(ハチレンジョウ)村で、母が「葛連成(カツレンセイ)」に預け、2日後、養父「郎国昌(ロウコクショウ)」に引き取られた。
 引き取られた時、病気のため大変やせていて、立つことができなかった。
 AB型
 吉林省琿春市



8 劉 桂芳(リュウケイホウ) 女 長嶺(チョウレイ)県 5歳

現在
(現在)
 昭和20年8月、母と2人の婦人とともに龍江(リュウコウ)省白城子(ハクジョウシ)方面から避難の途中、四平(シヘイ)省長嶺県大興(ダイコウ)郷中興(チュウコウ)村前ケイ屯(ゼンケイトン)西の草原で、4人とも村民に保護された。
 前ケイ屯に向かう途中母が行方不明となり、その後、養父「劉鳳山(リュウホウザン)」に引き取られた。
 保護された時、赤っぽいマントのような服を着ていた。
 鼻の下にほくろ
 O型
 吉林省長嶺県



9 張 淑琴(チョウシュクキン) 女 撫順(ブジュン)市 2〜3歳

現在 幼児期
(現在) (幼児期)
 父、母、妹。
 昭和21年9月頃、奉天(ホウテン)省撫順市久保(クボ)町の日本人住宅で、「韓亜民(カンアミン)」を介して、養父「張連貴(チョウレンキ)」、養母「韓秀芳(カンシュウホウ)」に引き取られた。
 引き取られた時、縞模様の和服を着ていた。
 A型
 遼寧省撫順市



10 玄 惠秋(ゲンケイシュウ) 女 哈爾浜(ハルピン)市 12歳

現在 青年期
(現在) (青年期)
 日本名「藤森金子」
 父「次郎」、母、上の弟
 「鉄」の字がつく、2番目の弟
 「登」の字がつく、末の弟、妹。
 昭和20年8月11日東安(トウアン)省林口(リンコウ)県から避難したが、山中で、母、妹、末の弟が死亡した。その後、哈爾浜市南崗(ナンコウ)区中山路(チュウザンロ)の難民収容所に収容され、同年9月、養母「趙玄氏(チョウゲンシ)」に引き取られた。
間もなく、収容所から父が死亡したことを知らされた。
 同時期に上の弟は「王(オウ)」家に、2番目の弟は「夏」家に引き取られた。
 B型
 北京市



11 裴 来友(ハイ ライユウ) 男 撫順(ブジュン)市 6〜7歳

現在 青年期
(現在) (青年期)
 父、母、兄、姉。
 昭和20年10月、奉天(ホウテン)省撫順市の収容所で母が養母「薛金蘭(セツキンラン)」に預けた。
 母は養母と一緒に撫順市南花園(ナンカエン)の養父「裴殿合(ハイデンゴウ)」の家に行き、場所を確認した。
 その後、母と姉が養父母宅を訪れ、帰国することを告げた。
 O型
 山東省荏平県



12 ニーナ・イヴァーノヴナ・ポリャンスカヤ 女 牡丹江(ボタンコウ)市 1歳半〜2歳

現在 幼児期 手がかり資料の写真
(現在) (幼児期) (手がかり資料の写真)
 昭和20年8月17日、ソ連軍の攻撃を受けた牡丹江市掖河(エキカ)駅近くの日本軍トーチカで、ソ連軍兵士「ミフリャ」に保護された。保護された時、赤茶色の上着、黄色いシャツ、ズボンを着て毛布にくるまれており、砲撃により鼻を負傷していた。
 右こめかみに小さなほくろ。
 O型
 ロシア・エカテリンブルグ市


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