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5節 援助者のメンタルへルス


まずは、自分のメンタルヘルスについて積極的に考え、その建設的意味を発見しましょう。メンタルヘルスの維持向上は心理的成長につながります
 個人的・家族的・社会的なレベルでさまざまな問題を抱えている「ひきこもり」本人や家族と長年付き合っていくことは、非常に根気が要る仕事です。「ひきこもり」の援助の特徴として、すぐに「目に見えるような変化」がおきにくいため、援助者が「達成感」を持ちにくいということがあります。また、援助者一人でおこなうものではなく、チームあるいはもっと広くネットワークを利用しますから、それらへのきめ細かな配慮が必要になります。援助者のもっとも基本的な仕事は、「人の身になって考える」ことです。いうのは簡単ですが、これは大変ストレスの多い仕事です。加えて、援助者には、記録をつけること、部下を教育すること、いわゆる雑事という管理的な業務、人によっては研究といった仕事があります。「紺屋の白袴」にならないよう、援助者自身が自分のメンタルへルスの維持・向上について留意しておく必要があります。
 援助者が、自分のメンタルへルスの維持向上に努めることは、たんなる健康維持が目的ではありません。このガイドラインで縷々述べてきた『「ひきこもり」本人や家族が安心しながら変化・成長できるような援助環境の提供と維持』に役立ちます。しかし、それだけならば、一般的な労働衛生におけるメンタルヘルスの目標となんら変わりません。メンタルヘルスの専門家が自分のメンタルヘルスを考えるということは、援助者自身がパーソナルにも職業的にも心理的成長をするという役割も果たします。
 援助者は、人を理解する多くの武器を持っているのですから、ちょうど「人の身になって考える」ように、「自分を他者として見ることによって他者(自分)の身になって考えることができる」という他の職業にはない素晴らしい利点を持っています。このように、自分のメンタルヘルスについて配慮することに建設的な意味を発見することが、まずはもっとも大切な作業なのです。

ぼんやりとして自分を振り返りましょう
 まずは、自分がストレス状態やその結果(心身の調子の変化)に気付くことが大切です。ストレス状態には、不安、緊張、不快、怒りなどが伴います。つぎには、それらを解消するために、自分がどんな手段を意識的にとっているかを考えてみましょう。意識的にといっても、はっきりと意識してやっている場合から、なんとなくとっている場合まであります。「厭なことを忘れよう」「出来ないことは人のせいにする」「ひとりであれこれ空想する」「多忙のため余裕がなく気付かない」といったことも対処行動のひとつです。自分のメンタルヘルスについて考えることは建設的であるということを思い出して、1日1回、短時間でも自分をぼんやりと振り返る時間を作りましょう。
 対処行動が多種多様であり柔軟性がある場合はうまくいっているといってよいでしょう。反対に、対処行動の種類がひどく少なくなっている場合(たとえば、ひたすら「忘れようとするだけになっている」)場合は、誰か信頼できる人に相談しましょう。

「ひきこもり」や援助技法に関連する事柄について知ることが大切です
 当たり前のことのようですが、「ひきこもり」の特徴について、援助者が学習することは、専門的な技量を磨くだけでなく、自分のメンタルヘルスの維持向上にも役立ちます。このガイドラインで強調してきた「家族援助」とか「まずはできるところから始める」ということを知っているのとそうではない場合では、援助者のストレス状態は大いに違います。「ひきこもり」の援助に際しては、とりわけ「できることと出来ないこと」を知ることが大切でしょう。最初から、大きな目標を立てると、それは援助者にとって大変な苦痛になります。
 「ひととの交流を始めたかと思うとまたひきこもる」「アルバイトを始めたかと思うと短期間で止めてしまう」あるいは「もう相談にこないという主張が実は前向きのことを考えているサインである」「援助的かかわりからひきこもっていながら実は保護や支えを求めている」などといった「ひきこもり」の特徴を知っていると、ずいぶん援助者の不安は減少します。
 具体的には、「ひきこもり」に関する本を読む、セミナーに参加する、自分の所属する施設でケースカンファレンスを開く、などという学習の機会を持つことが大切です。

人や家族に対して援助者が経験する感情の価値を知り、援助につなげましょう
 援助の中で、援助者は本人や家族についていろいろな感情を経験します。本人に肩入れするあまり親に批判的になったり、親への共感から本人に厳しくなったり、あるいは本人と親の板ばさみで身動きが取れなくなったりする場合があるでしょう。会うたびに不快感や苛立ちが募ったりすることもあります。家族からちっとも問題が解決しないと言われつづけ混乱したり、いっきにけりをつけようと思うこともあります。本人や家族の孤立感に共感するあまり、あれこれ過剰に世話を焼いてしまい、「ひきこもり」を強化してしまうこともあります。

■逆転移の価値を知ること
 こうした援助者の情緒反応のことを逆転移といいます。逆転移は、一見すると援助過程の妨害要因のようにみえるので、援助者はつい自分を責めたり、あるいは同僚がそういう状態に陥っていると批難したくなりますが、そうではありません。逆転移は、援助者が「一時的に相手の身になる、つまり自分と相手を同一化する」ことからおきますから、逆転移感情は、本人や親の心の一部分なのです。つまり、援助者が経験する感情を、逆転移として理解することは、それだけ本人や家族を理解できたことになります。たとえば、ついつい厳しくなっている場合には、本人の心の中に,見かけとは違い非常に厳しい倫理的側面があることを意味します。過剰にやさしくなることは、本人の心の中にある激しさを援助者が感じ取り、それに脅えた結果かもしれませんし、本人の無力感への同情の結果の場合もあります。本人と家族の板ばさみになるということは、その家族の中で「板ばさみ状況」が続いていたことの現れの場合もあります。
 援助者が経験する逆転移には、援助者の生活上の出来事が関係していることもあります。援助者の生活にもよいことも悪いこともおきます。援助者の家族の病気、死、事故、子どもの進学などさまざまです。また、ライフサイクル上の変化もあります。若い援助者は、「ひきこもり」本人に共感し親に批判的になるかもしれません。30歳代になると援助者としての自信が出来てきていろいろ試したくなりかえって軋轢をおこすかもしれません。中高年の場合は、余裕が出来てきますが、親に共感し、自分の子どもと「ひきこもり」本人とを同一視し、不安にかられるかもしれません。
 特殊なケースとして、逆転移が、援助者と援助者が勤務する施設との関係に刺激されて起きてくることがあります。援助者が施設に対し情緒的葛藤を抱えているとき、家族や本人との援助関係に逃げ込んでしまい、なんでも一人でやってしまおうという気持になる場合があります。反対に、援助について投げやりになることもあります。

■逆転移をいかに活用するか
 では、逆転移に気付き、それを活用するにはどうしらよいのでしょうか。3つの方法があります。第1は先述した「ひとりでぼんやりとしながら振り返ること」、第2も先に述べた「学習すること」です。第3の方法については次に述べます。(注:第4として、援助者自身が、病気を治す目的ではなく、自分の心理的成長のために何らかの精神・心理療法(個人精神分析的心理療法、家族療法、トレーニングとしての集団療法など)を受けるという方法があります。これは、大変効果的な方法ですが、費用や時間、文化的違いから、わが国では特定の分野の専門家を目指す人がそれぞれに応じた特定の心理療法を受けるという状況なので、本ガイドラインでの説明は省きます)

援助者も支えを体験することが必要です
■同僚・仲間による支え
 人間は社会的存在であるといわれますが、援助者がたった一人で行えている援助活動はまったくありません。すべての援助活動は集団の中で行われています。施設に勤務する人は受け付けや事務の人も含め皆同僚なのです。したがって、援助者は自分のおこなっている援助活動を同僚と共有し、それについて同僚から理解され情緒的に支えられる必要があるのです。たとえば、逆転移という理解が共有されていないと、援助者は同僚から「あの人は冷たい人だ、我慢のない人だ、お節介だ」としかみなされなよいでしょう。「ごくごく小さなできるところから始める」という考えが浸透していないと、援助者は「歯を磨けるかどうかといったどうでもよいことにこだわっている、ちゃんとした援助をすべきだ」といった批難を受けるでしょう。
 このように援助者が支えを体験する具体的方法がケースカンファレンス、コンサルテーション、スーパービジョンなどです。

■ケースカンファレンスによる支え
 ケースカンファレンスは、事例の見立てや援助経過の評価のために行われますが、もうひとつ大事な目的は事例発表者を援助し、支えることです。ですから、ケースカンファレンスでは、不十分な点や盲点を明らかにしいろいろ異なった視点から議論することはもちろん大切なのですが、まずなによりも参加者が「発表者の労をねぎらうこと」が大切です。発表者の労をねぎらい、盲点を明確にしつつもそれを肯定的にとらえ返しながら意見を述べる、というのはそれ自体が重要な技術と考えましょう。経験と工夫が必要ですが、まずはそのような意識をもつことが始まりです。

■コンサルテーションとスーパービジョンによる支え
 コンサルテーションとスーパービジョンは、かなり似通った方法ですが、前者において相談する者とされる者が対等の関係であり、相談される側が抱えている問題解決を援助するのが目的なのに対し、後者は経験のある者と経験の少ない者という上下関係があり、教育が目的であるという点で異なっています。この二つとも継続的あるいは定期的な場合と不定期ないしは1回だけの場合があります。またコンサルタント(あるいはスーパーバイザー)が一人で相談する側(コンサルティーあるいはスーパーバイジーといいます)が複数ということもあります。典型的なのは、定期的な1対1のスーパービジョンです。相談する側は、じっくりと話を聞いてもらい、「共に考える」という体験を持てます。とりわけ、逆転移感情はケースカンファレンスのような集団の中では話しづらいものですが、1対1のスーパービジョンならばずっと打ち明けやすくなります。しかも、継続的ですから、情緒的な支えが安定したものになります。
 援助機関の中で、これらを実行するには時間と労力が必要ですが、ぜひ実行したいものです。

援助過程の中で達成感や充足体験をもちましょう
 上に述べたように、「ひきこもり」の援助では達成感をもちにくく、したがって職業上の充足感を持つのが困難です。しかし、達成感や充足感なしに、援助活動を続けていると「燃え尽き症候群」に陥ってしまいます。では、本当に援助者は達成感をもてないのかというとそうではありません。ちょっと視点を変換してみましょう。小さな変化がいかに大きな意味をもつか、小さな改善がいかに大きな改善の序章になっているかがみえてきます。本人や家族が後戻りしたかに見えても、目標を一度でも達成したという体験は継続しています。援助過程は進展しており落胆する必要はないのです。
 このガイドラインで述べている「小さな目標」、それを達成するためのさまざまな援助技法を考慮すれば、援助者は達成感をもちやすくなります。その意味で、ガイドラインは援助者のメンタルヘルスのために書かれているともいえるのです。


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