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II章.関与の初期段階における見立てについて


 「ひきこもり」の事例との関わりの困難は、多くの場合その初期にあっては本人に会えず、主に、家族からの情報で、支援のためのアセスメントをしなければならないことです。そのため、限られた情報から、初期の対応の枠組みを決めていかねばなりません。
 地域精神保健福祉の実践的な観点からいえば、適切な初期対応を進めるためにとくに欠かせないのが、次の2点からの見立てです。
 ・生物学的な治療(薬物療法)が必要か
 ・暴力などの危険な行為のため、緊急対応が必要か
 これらの見立てのうちに、薬物療法をふくむ専門的な対応や緊急対応が必要と思われた場合は、それぞれの独自の対応を進めていくことになります。

生物学的な治療(薬物療法)が必要か
 全ての事例に明確な医学的判断がつくわけではありません。また、医学的判断がなければ援助が先に進まないわけでもありません。
 けれど、「ひきこもり」の状態にある方を援助するに際して,医学的な診断は、今後の援助を効果的に進めるにあたって、役に立つ情報ではあります。
 家族や本人に関わりながら見立てをしているうちに、医学的な診断が必要と考えたなら、ある時点で精神科医の判断を仰ぐよう準備をしておく事が必要です。

生物学的要因が強く関わっているときには、薬物療法などの専門的治療が支援のひとつになります
 精神疾患のなかには、ストレスへの対処に破綻をきたし、たとえば脳内神経伝達物質などにアンバランスを呈して発症するものがあります。このような生物学的問題が明らかな場合は、薬物療法などの専門的治療の有効性が期待できます。専門的治療や服薬によってずいぶん苦痛が軽減されるので、適切に診断や治療ができる医療機関への紹介や連携ができるよう心がけるのがよいでしょう。
 ただし、こうした場合でも、医学的な関わりができればすべてよしではなく、その後も本人の回復には家族も含めた援助が必要なのはいうまでもありません。 このような精神疾患の代表的なものには以下のようなものがあります。

統合失調症
 神経が敏感になりすぎ、環境への適応に困難を生じる精神疾患です。小さな刺激にも敏感に反応するようになり、例えば「周囲の者が自分の悪口を言っているに違いない」とか「テレビでも自分の噂をしていた」「盗聴器が仕掛けられていて、自分の様子が伝わってしまう」といった非現実的な考えにとらわれてしまいます。不眠が続き、考えが次から次へとまとまらなく湧いてきてしまうとも言います。同時に感情が不安定になり、気持ちのゆとりがなくなって、仕事や勉強などうわの空になりがちです。
 一方陰性症状といって、根気が続かない、意欲がわかない、生き生きとした感情がわいてこない、などの症状が同時に出現する場合もあります。このような時は、傍から見ているといつも疲れやすく無気力でごろごろしている、といった状態が続きます。
 薬物療法にくわえて、支持的な環境のなかで丁寧にリハビリテーションをおこなうことが必要な疾患です。

うつ病
 ここで述べるのは、「抗うつ薬」の対象となるような「うつ病」のことです。
 憂うつな気分と共に、意欲の減退、集中力の低下などが生じ、自分自身に対する感情も大変否定的になってしまいます。一般的に、頭が働かず、感じたり考えたりということもなかなかできない状態になり、決断をおこなうこともむずかしくなります。やはり、環境の変化や挫折体験などのストレス状況から発症しがちですが、対人場面で「とりかえしがつかないことをしてしまった」とか「他人に迷惑をかけてしまった」と苦しむことが多いようです。この点、「ひきこもり」の状態にある人が普通に感じる空虚感とはやや異なります。また、便秘や食欲不振、早朝覚醒があるがなかなか起き上がれない、といった身体症状を伴いがちです。
 抗うつ剤を中心とした薬物療法と支持的な環境での認知療法,認知行動療法で回復可能です。

強迫性障害
 もともと,この障害があるために、外出などが困難になる場合と、「ひきこもり」の2次的な問題として、強迫性障害が生じてしまう場合があります。
 たとえば「自分のからだは汚れているのではないか」とか「自分はひどいことをまわりの人にするのではないか」など、強迫観念といって一つのものごとに考えがとらわれてしまう症状と、その強迫観念を打ち消すように、あるいは強迫観念に左右されて、例えば一日に何十回となく手を洗ったり、何度も繰り返し確認したりといった行動をくりかえす強迫行為という症状があります。時に、強迫行動に家族を巻き込んでしまうので、つきあう家族も大変疲れることがしばしばです。
 薬物療法と認知行動療法などの併用が回復には有効です。

パニック障害
 ひどい動悸や呼吸困難,息苦しさを体験する「パニック発作」があり、以後、乗り物に乗ったり、会議や授業に出たりすると「また似たような発作がおきるのではないか」との予期不安が強まり、次第に単独での外出が困難になってしまう状態です。このような社会的な場面にでる事にまつわる恐怖感を広場恐怖とよびます。これらの問題も神経伝達物質の一種の機能障害によるものといわれています。
 抗うつ剤や抗不安薬をもちいて不安発作を予防するとともに、予期不安に対して行動療法や認知行動療法が有効です。

摂食障害
 体重の減少に対して強いこだわりがあり、ダイエットのために拒食をしたり、食べても太らないようにと過食や嘔吐を繰り返したりということが生じます。女性に多い病気です。食にまつわる症状のほかにも、自分に対して自信を持つことが難しく、対人関係で困難を感じる状態におちいってしまっていることも多く、結果として「ひきこもり」の状態におちいっている人が相当数います。
 抗うつ剤を中心とした薬物療法と、支持的な環境での認知行動療法、家族療法などをおこなうことで、回復に向かいます。

PTSD(外傷性ストレス障害)
 強い恐怖や、戦慄、無力感を感じさせるような突然の衝撃的な出来事を経験することによって生じる、特徴的な精神疾患です。原因となった外傷体験が繰り返し意図せずして思い出されたり、逆に体験を思い出すような状況や場面に対して感情や感覚が麻痺したりします。不眠やイライラなどが持続する場合もあります。このような心理的困難のために生活を維持できず、「ひきこもり」の状態になってしまいうるのです。専門的な精神・心理療法にくわえ、抗うつ剤の服用が回復に役立ちます。

適応障害
 どんな人でも、強いストレス状況におかれると、不安や緊張が強くなり、精神的な失調をきたすことがあります。たとえば、軽度知的障害の人などが、無理をせざるを得ない状況に追い込まれ、混乱がひどくなる場合があります。睡眠障害、被害関係念慮(周囲に対して疑り深くなる)、聴覚過敏などの精神病的症状があらわれ、生活に支障をきたし「ひきこもり」になる場合があります。
 このような時は、抗精神病薬を服用し、神経の緊張や疲れがとれるように生活を工夫することで、回復にむかうことが出来ます。

暴力などの危険な行為のため、緊急対応が必要か
 これは、疾患の有無というよりも、家族や周囲の人々あるいは本人自身が差し迫った危険のある状況におかれているかどうか、という点についての判断です。精神疾患に罹患していてもいなくても、暴力や自傷行為を含む緊急事態が発生するということはありえます。後述するような緊急時の対応(IV章5節参照)をおこなう必要があるかどうかについてのアセスメントは関わりの早期にする必要があります。

「ひきこもり」の中で他者や自分に対して攻撃的な行動が見られることがあります
 「ひきこもり」は仮の安定の状況とはいえ、心理的安定が常に得られるとは言えません。多くの人々が安心感、「今のままでも大丈夫」という感覚を得られずに、孤立感、焦燥感、不安感、そして苦悶感をつのらせています。追いつめられた気持ちから、「こうなったのも家族のせいだ」「自分をこんな目にあわせている周囲をうらんでやる」と他者を責める気持ちが昂じたり、「もうどうなってもいい」と自暴自棄になる場合もあります。心配する家族とのやりとりなどから苛立ちを募らせると、小さな刺激が他者や自分自身に対する攻撃的行動を引き起こしてしまうこともあります。
 「ひきこもり」の状態にあるときは、対社会的には自分を表現する事が難しいため、大きな社会問題となるような行動が生じる事はまれといってよいと思いますが(伊藤・吉田らの調査3では、対他的な問題行為は来所相談事例中の4.0%)、逆に家庭の中では、不安感や焦燥感が問題行動のかたちで現れることがしばしば見られます。2000年度に行った、倉本の保健所調査4では、20.9%に家庭内暴力が認められています。また伊藤・吉田らの調査結果でも来所相談中の事例において「家族に対する支配的な言動:15.7%」「器物破損:15.1%」「家族に対する暴力:17.6%」という値がでており、決して低い数字ではありません。

3 伊藤順一郎、吉田光爾、小林清香ら:社会的「ひきこもり」に関する相談・援助状況実態調査。地域精神保健活動における介入のあり方に関する研究 平成15年度報告書 2003(印刷中)
4 倉本英彦ら:保健所・精神保健福祉センターを対象にした「ひきこもり」の全国調査から。地域精神保健活動における介入のあり方に関する研究 中間報告書 p33-p45 2001.

家族が暴力について話せる関係を作ることが、支援につながります
 しばしば家族は自責感や恥の感覚から、かなり深刻になるまで周囲の人々や専門家に事態を打ち明けられないことがあります。重大な結果にいたることを防ぐためには、家族が本人の暴力について安心して話せる雰囲気を確保し、情報を早期から共有しておくことが大切です。そのためにも、「ひきこもり」の経過中に家庭内での暴力が一時的にも見られるのは決して珍しいことではなく、暴力に対する支援も可能であることは相談の初期から伝えておきましょう。
 ときには本人の暴力のために家族が一時的に家を離れることを希望する場合もあります。こうした時、家を出ることについて相談にのるとともに、出たあとにも必ず相談機関との連絡を継続してほしい旨、家族に伝えておくことも必要でしょう。家庭内での暴力は家族が外部の援助につながる大切な契機でもあるのです。

とくに緊急対応が必要な場合は、複数の援助者が連携して対応にあたりましょう
 もっとも、緊急対応が必要なのは、たとえ相手が家族でもすでに外傷を負うような暴力行為が発生している、刃物などの危険物を所持している、性的な虐待や小動物の虐待などが疑われる、自傷の危険が高まっているなどの場合が考えられます。このような場合は、対応にあたって援助者が自分一人だけで抱えようとしないことが大切です。援助者側も孤立してしまっては、緊急連絡を受けそこなったり緊急の対応が遅れたりしがちです。後述するケア会議(IV章5節1項)の開催などもふくめ、同僚、スーパーバイザー、精神科医、精神保健相談員、警察官、など、援助者自身が緊急時に対応を要請する人々との連携を早い時機から準備するのがよいでしょう。


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