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T章.「ひきこもり」の概念


「ひきこもり」は、単一の疾患や障害の概念ではありません
 「ひきこもり」はさまざまな要因によって社会的な参加の場面がせばまり、就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態のことをさします。
 これは,なにも特別な現象ではありません。何らかの理由で、周囲の環境に適応できにくくなった時に、ひきこもる」ということがありえるのです。
 このような「ひきこもり」のなかには、生物学的な要因が強く関与していて、適応に困難を感じ「ひきこもり」をはじめたという見方をすると理解しやすい状態もありますし、逆に環境の側に強いストレスがあって、「ひきこもり」という状態におちいっている、と考えた方が理解しやすい状態もあります。つまり、「ひきこもり」とは、病名ではなく、ましてや単一の疾患ではありません。また、「いじめのせい」「家族関係のせい」「病気のせい」と一つの原因で「ひきこもり」が生じるわけでもありません。生物学的要因、心理的要因、社会的要因などが、さまざまに絡み合って、「ひきこもり」という現象を生むのです。
 ひきこもることによって、強いストレスをさけ、仮の安定を得ている、しかし同時に、そこからの離脱も難しくなっている、「ひきこもり」は、そのような特徴のある、多様性をもったメンタルヘルス(精神的健康)に関する問題ということが出来ましょう。

「ひきこもり」の実態は多彩です
 よく、「ひきこもり」をしている人々の性格の特徴が、あたかも一種類にくくれるような言われ方をすることがありますが、実際には、多彩な人々が、「ひきこもり」の状態におちいっています。そして、そのときのご家族の対応にも、かなりの多様性があります。「ひきこもり」への援助の特徴として、この多様性への対応ということがあげられます。

■生物学的要因が強く関与している場合もあります
 「ひきこもり」という行動をとる人のなかには、生物学的要因が影響している比重が高くて、そのために、「ひきこもり」を余儀なくされている人々がいます。たとえば、統合失調症、うつ病、強迫性障害、パニック障害などの精神疾患にかかっている人々です。これらの疾患にかかると、その一部の人は、不安や恐怖感などがとても強くなり、人と会うことが困難になったり、症状のために身動きできずに、ひきこもらざるを得なくなったりするのです。
 また、軽度の知的障害があったり学習障害や高機能広汎性発達障害などがあるのに、そのことが周囲に認識、理解されず、そのために生じる周囲との摩擦が本人のストレスになることがあります。このようなストレスが過剰になった場合に、ひきこもることでそれを回避するものの、精神的に不健康な状態を持続させてしまうというパターンにはまる人々もいます。

■明確な疾患や障害の存在が考えられない場合もあります
 それに対して、明確な精神疾患や障害の存在が考えられないにもかかわらず、長期間にわたって自宅外での対人関係や社会的活動からひきこもっている人々もいます。成長とともに「生活のしづらさ」が増え、そこから回避するように「ひきこもり」をはじめたり、何らかの挫折感を伴う体験や心的外傷となる体験が引き金となって、社会参加への困難感が強まり、「ひきこもり」にはまったりすることがあるのです。精神科的観点から詳細な診断をすると、パーソナリティ障害や社会恐怖などと診断される人々もこのなかにはふくまれます。

「ひきこもり」の長期化はひとつの特徴です
 ひきこもるようになったとしても、「3日ひきこもったのでストレスから回復して元気になった」ということと、「3年間ひきこもっても楽になるめどがたたない」ということでは,生じている現象が異なっていると考えられます。このガイドラインで扱う状態は長期化している「ひきこもり」の状態です。長期化は、以下のようないくつかの側面から理解することが出来ます。ただこれも、複数の要素が混在していると考えるほうが適切です。

■生物学的側面
 たとえば、昼夜逆転はしばしばおきやすい状態ですが、このような状態では、体内時計が変調をきたし、ホルモンの分泌のリズムなどに変化が生じてしまいます。そうすると、体のリズムを戻すのに、少し時間を必要とします。
 また、「ひきこもり」の背景に精神疾患がある場合は、その疾患の治療をすることなしには、意欲の低下や不安感、緊張感などが軽減しません。そのために外出困難な状態が持続します。あるいは、ひきこもるという対処行動自体がストレスになって、2次的に精神疾患が発現する場合もあります。ともすると「気持ちの問題」と考えやすい状態のなかにも、神経システムの機能の変化が起きて、医学的な観点からもさまざまな工夫が必要な状態が生じることがあるのです。

■心理的側面
 たとえば、ひきこもる以前に、本人にとってはかなりのストレスがあり、それに耐えようと踏ん張っていたため、ひきこもると同時に大きな挫折感や疲労感をかかえ、回復が遅れてしまうことがあります。踏ん張りがあまりにもきつかったので、以前属していた集団に復帰するのに強い拒否感をもってしまうような場合もあります。
 あるいは、「ひきこもり」という生活パターンを繰り返す中で、次第に人との交流の機会が減少し、他人に会う時の緊張感や不安感を考えて、また他者からの否定的な評価におびえて、社会に出て行くことがより困難になるような場合もあります。一般的に、本人は自分にたいする評価が低くなっており、他者からのマイナスの評価がひどくこたえるようなのです。パーソナリティ障害とよばれるような人々の場合には、いわば「こころのクセ」のために、上述したような心理的困難が顕著で、行動を変えにくくなっているのです。

■社会的側面
 「ひきこもり」の人を取り巻く社会環境も、状態に影響を与えます。たとえば就労や就学以外に選択肢を認めない環境では、いったんひきこもった人が再び社会参加をするのに、多くの困難があるでしょう。「ひきこもってしまったら将来はない」とか「みんなと違うことをすることは良くない」といった価値観が優勢な場合には、ご家族も本人も、「悪いこと、不利なことをしている」といった認識になって、援助を求めることも出来ず、孤立しがちです。そのような場合は、本人や家族の回復への力が十分に発揮できにくいものです。また、気軽にこのような問題を相談できる適切な場所が身近にあるかないか、ということも長期化に影響をあたえている可能性があります。「ひきこもり」の状態からの回復は、なかなか個人の力では難しいときがあるからです。多様な価値観が尊重されるように社会のあり方をかえることで、困難を抱えながらも、生きやすくなっていくこともあるのです。

 以上のように、「ひきこもり」の長期化は、さまざまな要素により精神的健康をそこね、離脱が困難になっている状態ととらえることができます。したがって、援助にあたっては、「なぜ、ひきこもってしまったか」と原因をつきとめるようとするよりも、「今の膠着状態を変えるために、どのような工夫が必要か」ということを優先して関わりをはじめるほうが、より安全で確実なありかたであると思われます。そのためにも、多面的なものの見方を維持しながら、「いまここで」をどうするかについての適切な態度と技術が援助する側には必要です。

「社会的ひきこもり」とは?
 近年まで、「ひきこもり」といえば、統合失調症などの精神疾患のために、なかなか社会参加が出来ない人への援助が、地域精神保健の中心的な課題でした。しかし、この10年ぐらいのあいだに、10代で不登校をしている人々の数が増加し、また、それらの人々が就学年齢を過ぎても、必ずしも社会適応がうまくいっていないという調査結果もでるようになりました1。つまり、狭義の精神疾患とは呼べないが「ひきこもり」を呈している人々への援助が地域精神保健の課題としてクローズアップされてきたわけです。
 そこで、このような対象者の状態のことを、狭義の精神疾患を有するために生じる「ひきこもり」状態と区別して、「社会的ひきこもり」と呼ぶようになりました。たとえば、斎藤はその著書の中で「20代後半までに問題化し、6ヶ月以上、自宅にひきこもって社会参加しない状態が持続しており、ほかの精神障害がその第一の原因とはかんがえにくいもの」2と、その定義を述べています。
 しかし、これもあくまでも、状態像の記述であり、医学的診断として提唱されているものとはいえません。すでに述べてきたように、「社会的ひきこもり」というカテゴリーにあてはまる人々のなかにも、さまざまな病態や状況の人々がいるのが現実なのです。すなわち、あるひとが「社会的ひきこもり」か否かという議論には、それほど大きな意味があるとはいえません。むしろ、現実に即しておさえておくべき大切な事柄は、(@)多様な人々が、ストレスに対する一種の反応として「ひきこもり」という状態を呈すること、(A)狭義の精神疾患の有無に関わらず長期化するものであること、そして(B)「ひきこもり」という状態の特徴として、本人の詳しい状況や心理状態がわからぬままに、援助活動を開始せざるを得ないことが多々生じていることであると思われます。

1 文部科学省:不登校に関する実態調査 2001 平成5年度不登校生徒追跡調査報告書
2 斎藤環:社会的「ひきこもり」 1998 PHP選書

「ひきこもり」は精神保健福祉の対象です
 以上、述べてきたように、「社会的ひきこもり」も含めて「ひきこもり」という状態は、長期間にわたって生活上の選択肢が狭められた、精神的健康の問題と、とらえられます。その援助活動はひろく精神保健福祉の領域に属するものであるといえるでしょう。
 本ガイドラインでは、いわゆる「社会的ひきこもり」への精神保健福祉サービスに力点をおいて言及していますが、あくまでも「自宅にひきこもって社会参加しない」という共通の行動をとっている、多彩な状態への地域精神保健活動のあり方に対する指針であることを念頭において読んでいただきたいと思います。


参考文献:近藤直司編 「ひきこもり」ケースの家族援助 2001 金剛出版


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