第1章 救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果

1. 初期診断・治療に関する評価

1.1 脳神経系の管理

1.1.1 経過

50代の女性。平成18年6月6日22:30頃、飲食店で飲酒中に卒倒し、22:38に救急車が到着。意識レベルIII-100(JCS)、血圧190/-、脈拍96、呼吸18回/分であり、瞳孔は両側とも3mmであった。23:00に当該病院に到着。意識状態はIII-200(JCS)、E1V1M3(GCS)、血圧206/120、脈拍77、呼吸19回/分、瞳孔は両側1mmであった。直ちに気管内挿管の上、人工呼吸器を装着した。23:37に頭部CTを撮影したところ、橋から中脳下部にかけて大きさ横33.9cm×18.3cmの脳幹出血が認められた。

翌6月7日には収縮期血圧が50台に低下し自発呼吸も消失した。家族の同意のもとに、保存的治療を施す方針となった。17:39には意識レベルはIII-300(JCS)、E1V1M1(GCS)と深昏睡状態となった。深昏睡、呼吸停止の状態のまま6月13日となり、そこで家族より臓器提供意思表示カードが提示された。ポータブル脳波測定器により脳波を測定した結果、ほぼ平坦脳波であると判明した。6月14日には臓器提供に関わる家族の合意に関して、最終的な意思が決定され、法的脳死判定の後に臓器が提供されることとなった。6月15日には意識はIII-300(JCS)で不変、頭部CTを撮影した。脳幹出血は延髄、橋、中脳の全域に大きさ横47.6cm×縦39.8cmと拡大し、びまん性脳腫脹の進行が確認された。また、第4脳室から第3脳室にも出血が及び、水頭症の合併も認められた。

ここで、6月15日臨床的脳死診断を開始したところ、毛様体脊髄反射が残存していたので診断を中止した。以後同様の状態が続き、6月25日には毛様体脊髄反射の消失が確認された。6月26日に臨床的脳死診断をおこない、臨床的脳死と診断された。

1.1.2 診断の妥当性

6月6日、来院時にすでに重度の意識障害を認め、両側瞳孔は強く縮小して脳幹出血の所見を示し、頭部CTで診断が確定した。出血の部位が脳幹であることから、手術による治療の対象にはならず、保存的に治療を継続する他には選択肢は無い。人工呼吸器を装着し、保存的に治療を続けたことは妥当である。以後急速に深昏睡と呼吸停止の状態となった。6月15日、発症後9日の頭部CTでは血腫が増大し、脳幹の下部から上部に至るまで拡大していた。一部の血腫は脳室内に穿破、また脳表のくも膜下にも拡がっていた。大脳半球には水頭症とともに、びまん性脳腫脹の所見が進行していた。以上の結果は重症の脳幹出血によるものであり、進行を治療によって押しとどめることは不可能であった。

以上のように、本症例は脳幹出血による広範な脳浮腫、脳腫脹によって脳死の状態に陥ったものであり、本症例に対する診断法・治療法の選択、および実施時期は適切であり、診断・治療は妥当である。

1.1.3 保存的治療を行ったことの評価

脳幹出血の症例に対しては、ごく限られた一部の場合のみに手術が行われることもある。しかし、本症例のように血腫が広範囲にわたり、重度の意識状態をともない、症状が進行していくような症例では、全く手術の対象にはならない。従って、保存的治療を維持する他には医学的な選択肢は無かったと言える。

1.2 呼吸器系の管理

22:32に救急隊が覚知、22:38救急隊現場到着時には意識障害(JCS 100, GCS5点)であったが、自発呼吸(1分間18回)があり、救急隊員により酸素投与がなされて救急搬送となっている。

当該病院搬入後、救急外来において意識水準はJCS200・GCS:E1V1M3、呼吸状態は19回/分、血圧は206/120mmHg、心拍数77/分であった。フェイスマスク10L/分から経口的気管挿管がなされ、呼吸管理(IPPV, FiO2 0.6)が実施された。この時点の動脈血液ガス分析所見では、PH 7.416、PaO2 160mmHg、PaCO2 33mmHgであり、酸素化は保たれていた。

頭部CTを実施後、集中治療室に入室し、引き続き人工呼吸器による呼吸管理(SIMV)が実施された。その間、連日、SPO2モニターで99〜100%が維持され、適正な人工呼吸管理がなされた。

以上より、呼吸器系の管理は適切であったと判断できる。

1.3 循環器系の管理

搬入時、血圧は206/120mmHgと高血圧緊急症の状態で、ペルジピン3mlが投与されている。頭部CTにて脳幹出血の診断がなされ、その後の集中治療室において血圧、脈拍、体温、尿量などが経時的にモニターされ、翌日6月7日、9:00に収縮期血圧は50mmHg台、自発呼吸の消失を認めた。このため、ご家族との話し合いのもとで、輸液と人工呼吸管理を継続する。保存的加療の方針となった。以後6月10までの間、意識水準はJCS100から300へ低下、両側瞳孔散大(ともに5mm)、血圧は70/50から100/70にまで推移している。その後、臓器移植意思表示がなされた6月13日以降、6月15日よりドーパミン(カーゴシン)の投与が開始され、収縮期血圧が100mmHg以上に維持された。

以上により、昇圧剤を投与のもとで適切な循環維持が行われていたと判断できる。

1.4 水電解質の管理

6月11日の来院直後の救急外来での血液検査所見では、Naは138mEq/l、K 2.9 mEq/lであった。その後Na値は最高値170 mEq/l、最低値128 mEq/l、K値は最高値5.3 mEq/l、最低値2.9 mEq/lに推移した。これは家族の同意のもとでの当初より必要最小限の輸液療法による管理に加え重症脳血管障害の病態にみられるもので、基本的には適正な水・電解質管理が行われたと判断できる。

1.5 まとめ

本症例は脳幹出血とそれにともなう広範な脳浮腫・脳腫脹により急速に脳死の状態に陥ったものである。発症後9日には脳死に近い状態となっている。臨床的脳死診断は発症後20日、法的脳死判定はその一日後におこなわれた。本症例に対しては、適切な診断法、治療法が選択されており、治療経過は妥当である。

2. 臨床的脳死の診断及び法に基づく脳死判定に関する評価

2.1 脳死判定を行うための前提条件について

本症例では、重症の脳幹出血により高度の意識障害を呈し、入院直後より人工呼吸を行っている状態が継続している。診断は確実になされ、臨床経過、症状、CT所見から脳の一次性、器質的病変であることは確実である。また現在行い得る全ての適切な治療をもってしても回復の可能性が全くなかったと判断される。以上より、本症例は脳死判定を行うための前提条件を満たしている

6月7日以後、意識水準はJCS100〜300、GC4〜3で経過した。6月13日の時点で血圧100/70程度、深昏睡状態(JCS300)、両側瞳孔散大( 右5mm、左5mm)、対光反射も両側消失していたが、この段階で家族からドナーカードの提示がなされた。

その後6月15日に臨床的脳死診断の実施を試みたが、毛様体脊髄反射が残存していたため一旦中止し経過観察後、あらためて6月26日16:04に臨床的脳死診断が開始され19:07に終了している。

6月27日8:26より第1回法的脳死判定を開始し、12:07に終了した。6時間4分後、同日18:11から第2回法的脳死判定を開始し、20:47に終了している。

なお、経過中6月6日の初療時に筋弛緩剤ベクロニウム4mg、プロポフォール10mgが1回投与されたのみであり、6月26日の臨床的脳死診断まで491時間が経過しており、脳死判定に影響しない状況で脳死判定がなされていると考えられる。

本症例では、上述の経過概要にあるように、脳死判定の対象としての前提条件を満たしている。すなわち、

1. 深昏睡および無呼吸で人工呼吸を行っている状態が継続している。平成18年6月6日22:30に発症した脳幹出血で深昏睡となり、初療時より気管挿管と人工呼吸管理が開始され、頭部CT画像診断にて脳幹出血の診断を得ている。さらに発症してから約492時間後に臨床的脳死診断を行っている。

2. 原因・臨床経過・症状・CT所見から器質的な一次性の脳障害が生じていることは確実である。

3. 診断治療を含む全経過から現在行い得るすべての適切な治療手段をもってしても、回復の可能性はまったくなかったと判断される。

2.2 臨床的脳死診断

〈検査所見及び診断内容〉

検査所見(6月26日16:04から19:07まで)
体温:35.3℃(腋窩温) 血圧:121/−mmHg(開始時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右6.0mm 左5.5mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)

施設における診断内容
以上の結果から、臨床的に脳死と診断して差し支えない。

2.2.1 脳波

平坦脳波(ECI)に相当する(標準感度10μV/mm、高感度2μV/mm)。

6月26日18:32から同日19:07までの記録が行われ、正味記録時間は35分である。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、Cz、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、O1-A1、O2-A2)と双極導出(T3-Cz、T4-Cz、Fp1-C3、Fp2-C4、C3-O1、C4-O2)で記録されている。記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)、刺激としては呼名・疼痛刺激、心電図と頭部外モニターの同時モニターが行われている。心電図によるアーティファクトと高感度での静電・電磁誘導がわずかに重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波(ECI)に該当する。

2.3 法的脳死判定

〈検査所見及び判定内容〉

検査所見(第1回)(6月27日8:26から12:07まで)
体温:36.8℃(腋窩温) 血圧:95/56mmHg(開始時)111/75mmHg(終了時)
脈拍数:52/分(開始時) 51/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右6.5mm 左6.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
無呼吸テスト:無呼吸

      (開始前) (4分後) (10分後) (15分後) (終了後)
PaCO2 (mmHg)35 47 52 60  
PaO2 (mmHg)269 168 175 214  
血圧 (mmHg)108/53   111/75
SpO2 (%)99 99 99 99 99

検査所見(第2回)(6月27日18:11から20:47まで)
体温:35.6℃(腋窩温)  血圧:102/58mmHg(開始時)91/47mmHg(終了時)
脈拍数:45/分(開始時) 46/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm  左6.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
無呼吸テスト:無呼吸

     (開始前) (3分後) (6分後) (9分後) (終了後)
PaCO2 (mmHg)40 49 56 60
PaO2 (mmHg)238 204 159 176
血圧 (mmHg)124/60       91/47
SpO2 (%)100 99 99 99 99

施設における診断内容

以上の結果より

・ 第1回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた(6月27日 12:07)

・ 第2回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた(6月27日 20:47)

2.3.1 脳波

平坦脳波(ECI)に相当する(標準感度10μV/mm、高感度2μV/mm)。

第1回目は6月27日8:26から同9:06まで、及び第2回目は6月27日19:05から同19:43まで、いずれも30分以上の記録が行われている。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、Cz、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、O1-A1、O2-A2)と双極導出(T3-Cz、T4-Cz、Fp1-C3、Fp2-C4、C3-O1、C4-O2)で記録されている。記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)、刺激としては呼名・疼痛刺激、心電図と頭部外モニターの同時モニターが行われている。心電図によるアーティファクトと高感度での静電・電磁誘導がわずかに重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波(ECI)に該当する。

2.3.2 聴性脳幹反応

第1回、第2回判定ともに行われている。

両耳刺激、90dB刺激と最大音圧刺激(105dB)、電極配置(Cz-A1、Cz-A2)、加算回数2000回、により記録され、いずれの記録においてもI波を含む全ての波を識別できない。

2.3.3 無呼吸テストについて

1回目の無呼吸テストでは15分後にPaCO2は60mmHgに達して無呼吸テストを終了している。この間PaO2は175 mmHg以上を、SpO2は98%以上を維持でき、低酸素症はみられず、血圧は開始時と終了時のみの記載であるが、維持されている。また2回目の無呼吸テストでも、9分後にPaCO2は60mmHgとなり無呼吸テストを終了している。PaO2はこの間159mmHg以上、SpO2は98%以上を維持し、低酸素血症はみられず、血圧は開始時と終了時のみの記載であるが、収縮期血圧は90mmHg以上に維持されている。

なお、「法的脳死判定マニュアル」においては、無呼吸テストの基本的条件として深部温で35℃以上の体温が望ましいとされている。本症例においては、第1回法的脳死判定及び第2回法的脳死判定のいずれにおいても、食道や直腸ではなく腋窩で体温が測定されていたが、36.8℃、35.6℃と35℃以上の体温であり、無呼吸テストを実施する望ましい体温に至っていたと判断できる。

2.4 まとめ

 本症例の脳死判定は脳死判定承諾書を得た上で、指針に定める資格を持った判定医が行っている。法に基づく脳死判定の手順、方法、検査の解釈に問題はない。以上から本症例を法的脳死と判定したことは妥当である。


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