第1章 救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果

1. 初期診断・治療に関する評価

1.1 脳神経系の管理

1.1.1 経過

40代の女性。平成18年6月7日の朝方、突然の激しい頭痛と嘔吐が出現したため、救急車にてA救急病院に搬送された。同病院で施行された頭部CTにてくも膜下出血との診断を受け、当該病院へ転送となった。10:43の当該病院到着時の意識レベルは、JCS100、収縮期血圧190mmHgであり、直ちにフェノバール、ペルジビンが投与された。11:30、脳血管撮影が行われ、右内頚動脈後交通動脈瘤と左中大脳脈分岐部にそれぞれ1つずつ、合計2個の脳動脈瘤の存在が明らかになった。脳動脈瘤の大きさ、くも膜下出血の分布などにより前者が破裂したと診断された。14:40、右減圧開頭による右内頚動脈後交通動脈瘤クリッピング術が施行された。この際、脳槽ドレーンと脳室ドレーンが挿入され、ウロキナーゼによる脳室脳槽灌流が行われた。

翌6月8日の頭部CT所見では脳の腫脹もなく、くも膜下腔の血液も減少傾向にあり、画像上術後経過は良好であった。6月9日より鎮静を目的としてプロポフォールの投与を開始したが、収縮期血圧も140mmHg前後にコントロールされ、ドレーンからの排液も順調であったため、6月12日に持続的に投与されていたプロポフォールを中止した。中止後の意識レベルはJCS100-200であったが、対光反射は良好であり、CT所見では脳の腫脹もなく、6月8日に施行したCT所見から大きな変化は認められなかった。

6月13日15:00頃より脳槽ドレーンからの排液が不良となり、臨床的には両側の対光反射が緩慢となった。同日、21:00に施行したCT所見では脳は著明に腫脹し,皮髄境界は不明となり,全体的に低吸収となり,全脳虚血の様相を呈していた。意識レベルもJCS300に低下した。以上の臨床症状悪化及びCT所見は脳血管攣縮が原因と思われる。6月14日1:00頃より収縮期血圧が60mmHg台に低下したため、ノルアドレナリンが持続投与され、7:00には収縮期血圧は120−140mmHgに安定した。しかし、臨床的には自発呼吸が停止し、瞳孔は両側散大し対光反射及び咽頭反射も消失などの脳幹反射が消失し、6月15日には臨床的に脳死と診断された。

1.1.2 診断及び治療の妥当性

来院時、すでに他院で施行されたCTによりくも膜下出血の診断が確定していたため、当該病院到着後1時間以内に脳血管撮影が行われ、2つの脳動脈瘤の存在が明らかにされている。さらに、くも膜下出血の分布や脳動脈瘤の大きさなどにより、直ちに右内頚動脈後交通動脈瘤の破裂がくも膜下出血の原因であると診断された。

以上のように、本症例における診断法選択は迅速かつ適切であり、診断は妥当であった。

1.1.3 外科的治療を行ったことの評価

来院時、くも膜下出血の原因が脳動脈瘤の破裂であると直ちに診断されている。さらに、発症時より意識障害の程度が改善傾向にあることから、再出血予防を目的して迅速に開頭クリッピング術を施行したことは妥当な処置である。

また、CT上くも膜下出血の量が多く、術前より意識障害が認められていたことから、術中術後の脳腫脹の発生を予期して開頭の範囲を通常より大きくして頭蓋骨を取り除いたこと、くも膜下腔の血腫を可能な限り早期に取り除くため、脳室ドレナージと脳槽ドレナージを用いた脳室脳槽灌流を行ったことも妥当である。

以上のように、来院時の外科処置は迅速であり、さらに術後発生する可能性のある脳腫脹に対しても前もって外科的処置が行われ、また脳腫脹が発生した後も適切な保存的治療が行われた。

1.2 呼吸器系の管理

6月7日の入院時より酸素マスクにより6L/分の酸素が投与されていたが、脳動脈瘤手術の際より気管挿管下に人工呼吸器による呼吸管理が行われた。脳死の判定を行うなどの特別な管理を行う状況にある時以外においてFiO2はほぼ0.4で、自発呼吸が消失した6月13日まで同期式間欠的強制換気(SIMV)、その後実質的に調節呼吸(CMV)として管理された。この間、PaO2は130〜180mmHgで、Oxygenation Indexは概ね300以上であり、理学所見上などにも特記すべき変化はなかった。その後、6月14日に自発呼吸が消失し、酸素化能の若干の低下によりFiO2を0.5として管理することになったが、それでもPaO2はほとんど100mmHgを維持していた。集中治療室における理学療法など、通常の呼吸管理が適切になされたことが確認された。

1.3 循環器系の管理

脳動脈瘤手術の術後管理において、頭蓋内圧亢進による高血圧の制御のためペルジピンの投与が必要であったが、6月13日には減圧開頭部分(皮弁)の膨隆部が一層硬くなり、脳血管攣縮と脳虚血にともなう脳腫脹が増悪したものと考えられた。

その後、6月14日に自発呼吸の消失とともに急激な血圧の低下がみられ、カテコラミンの使用が開始された。具体的には、ドブタミンが脳死判定に至るまで10γ/kg/分程度に滴下され、適宜ドパミン、ノルアドレナリンが追加して投与された。また、上記の脳腫脹と同時期に尿量の増加があり、これ以後は、尿崩症に対して2〜2.5単位/時間のピトレシンが投与された。

以上、昇圧剤などの投与にて収縮期160mmHg,拡張期80mmHg程度の血圧を維持でき、対症療法として行われた循環器系の管理も適切になされたと評価することができる。

1.4 水電解質の管理

頭蓋内圧を管理する目的で6月14日まで400ml/日のグリセオールが投与され、また尿崩症の出現以後には、上記のようにピトレシンが投与された。従って、尿崩症の出現した6月13日から14日にかけては水分出納が負であったが、経過全体については2000〜4000mlの電解質液などの投与により適切な水分出納が維持された。電解質についても、集中治療の開始時点でやや低K血症(3.4mEq/L)であったが、その後は経過を通じて3.5mEq/L以上の正常域に維持された。Naについては、尿崩症に伴い高Na血症(152mEq/Lなど)の記録があり、その後もおおよそ145mEq/Lであったが、高めながらも正常範囲で制御された。

水電解質の管理も適切になされていたといえる。

1.5 まとめ

本症例は、右内頚動脈後交通動脈瘤破裂によるくも膜下出血で意識障害をきたし、入院後直ちに減圧開頭による脳動脈瘤クリッピング術、脳室ドレナージ、脳槽ドレナージなど適切な外科的処置が施行された。しかし、術後6日目に脳血管攣縮によると思われる重篤な脳腫脹が発生し、頭蓋内圧亢進を招き、不可逆的な脳機能喪失状態に陥ったもので、外科的治療の選択やその後の治療経過は妥当である。

2. 臨床的脳死の診断及び法に基づく脳死判定に関する評価

2.1 脳死判定を行うための前提条件について

本症例は、平成18年6月7日、右内頚動脈後交通動脈瘤破裂によりくも膜下出血をきたして他院より転送され、直ちに脳動脈瘤クリッピング術と減圧開頭術、脳室ドレナージが施行されたが、術後6日目より急に脳が腫脹し全脳虚血となり、脳死と診断されたものである。

6月13日、JCSは200から300に、GCSのmotor scoreも1へと低下したが、尿崩症の出現によりピトレシンの投与が開始されたのとほぼ同じであり、その後間もなく急激な血圧の低下と自発呼吸の消失が観察された。同じく瞳孔が散大し、対光反射も消失し、咳反射、咽頭反射、眼球頭反射、角膜反射、毛様脊髄反射の諸々の脳幹反射の消失が引き続いて確認された。

脳死判定にあたり、中枢神経系への作用を勘案すべき薬剤で本症例において使用されたものは(1)フェノバルビタール、(2)プロポフォール、(3)ニゾフェノンである。(1)は100mg/日で6月11日まで、(2)は0.6ml/時間で6月12日8:00まで、(3)は60mg/日で6月13日まで投与された。臨床的な脳死診断は6月15日10:00から11:00まで行われた。薬剤の投与を中止してから臨床的脳死診断に至る時間経過について、(1)は72時間以上、(2)は64時間、(3)は34時間であるが、いずれも臨床的に脳死判定に影響することはないと判断できる。

以上により、6月15日に臨床的脳死診断を行なうにあたり、

1 深昏睡で無呼吸の状態にあり、人工呼吸管理下に集中治療を持続している。自発呼吸の停止から臨床的脳死診断の開始まで34時間である。

2 本症例は、脳動脈瘤が破裂し、くも膜下出血に伴う脳血管攣縮などにより著しい脳腫脹を来たし、それにより脳ヘルニアが生じたものである。一次性の器質性病変による脳死である。

3 臨床経過からみて、現在行い得るすべての治療を以って当たったとしても回復の可能性がなかったことは明白である。

2.2 臨床的脳死診断

〈検査所見及び診断内容〉

検査所見(6月15日10:00から11:00まで)
体温:37.0℃(腋窩温) 血圧:140/80mmHg(開始時)125/75mmHg(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右4.0mm 左4.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、咽頭、咳反射すべてなし 前庭反射は確認していない
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I 波を含むすべての波を識別できない

施設における診断内容
以上の結果から、臨床的に脳死と診断して差し支えない。

前庭反射消失は確認されていないが、聴性脳幹反応は無反応であり、脳幹機能は消失していると解釈され、臨床的に脳死と診断して差し支えないと考えられる。しかし、特段の理由がない限り現時点では前庭反射の検査も行うべきである。

2.2.1 脳波

平坦脳波(ECI)に相当する(標準感度10μV/mm、高感度2μV/mm)。

6月15日9:35から同10:05まで、30分以上の記録が行われている。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、Cz、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、T3-A1、T4-A2、O1-A1、O2-A2)と双極誘導(Fp1-C3、Fp2-C4、C3-O1、C4-O2、Fp1-T3、Fp2-T4、T3-O1、T4-O2)で記録されている。手術創による電極取り付け部位の変更は必要なく、電極間距離は十分保たれている。記録感度は、標準(10μV/mm)及び高感度(2μV/mm)記録である。心電図と頭蓋外導出モニターの同時記録が行われている。刺激としては呼名・顔面疼痛刺激が行われている。心電図の混入と考えられるもの、人の動きに伴うものや顔面への刺激によるものと思われるアーチファクトは極めて小さく、脳由来の波形を認めず、平坦脳波と判定している。

2.2.2 聴性脳幹反応

I波を含む全ての波を識別できず、無反応と判定できる。

2.3 法的脳死判定
〈検査所見及び判定内容〉

検査所見(第1回)(6月15日20:25から23:05まで)
体温:36.9℃(腋窩温) 血圧:106/55mmHg(開始時)118/66mmHg(終了時)
脈拍数:119/分(開始時) 129/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右5.0mm 左5.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
無呼吸テスト:無呼吸

  (開始前) (12分後) (終了後)
PaCO2 (mmHg) 40 69  
血圧 (mmHg) 150/81 118/66 142/76
SpO2 (%) 100 100 100

検査所見(第2回)(6月16日5:10から7:02まで)
体温:36.8℃(腋窩温)  血圧:181/96mmHg(開始時)99/53mmHg(終了時)
脈拍数:127/分(開始時) 118/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし  除脳硬直・除皮質硬直:なし  けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右5.0mm  左5.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
無呼吸テスト:無呼吸

  (開始前) (16分後) (終了後)
PaCO2 (mmHg) 41 77  
血圧 (mmHg) 128/76 99/53 132/68
SpO2 (%) 100 100 100

施設における診断内容
以上の結果より

・第1回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた(6月15日 23:05)
・第2回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた(6月16日 7:02)

2.3.1 脳波

平坦脳波(ECI)に相当する(標準感度10μV/mm、高感度2μV/mm)。

第1回目は6月15日21:15から同21:50まで、及び第2回目は6月16日6:05から同6:37まで、いずれも30分以上の記録が行われている。電極配置は、いずれも国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、Cz、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極誘導(Fp1-A1、Fp2-A2、C3-A1、C4-A2、T3-A1、T4-A2、O1-A1、O2-A2)と双極誘導(Fp1-C3、Fp2-C4、C3-O1、C4-O2、Fp1-T3、Fp2-T4、T3-O1、T4-O2)で記録されている。電極取り付け部位の調整は必要なく、電極間距離は十分保たれている。第1回目、第2回目ともに記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)、刺激として呼名・疼痛刺激、心電図と頭蓋外導出による同時モニターが行われている。いずれにおいても心電図によるアーチファクトが多少重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波(ECI)に該当する。

2.3.2 聴性脳幹反応

法的脳死判定(第1回目・第2回目)のいずれにおいても、両耳刺激、最大 音圧刺激(100dB)、電極配置(Cz-A1、Cz-A2)、加算回数2000回×2により記録され、いずれの記録でもI波を含む全ての波を識別できない。

2.3.3 無呼吸テストについて

動脈血ガス分析については、第1回目及び第2回目ともに2分毎に行ない、テスト中、SpO2を持続的に測定したが、開始前、終了直前及び終了後の記録のみ残されており、その間の記録についても保存しておくべきである。

第1回目は12分間、第2回目は16分間の無呼吸テストの間、診療録では、100%酸素投与(FiO21.0)の条件下でPaO2とSpO2とがそれぞれ250mmHg以上、99.5〜100%であったとされており、循環動態などは適切に保たれ安全に無呼吸テストができたものと考えられる。

いずれの無呼吸テストにおいても、終了直前のPaCO2は69〜77mmHgで、十分に基準値を超えている。以上から安全に無呼吸テストが行なわれたと判断する。

2.4 まとめ  本症例の脳死判定は脳死判定承諾書を得た上で、指針に定める資格を持った判定医が行っている。法に基づく脳死判定の手順、方法、検査の解釈に問題はない。以上から本症例を法的脳死と判定したことは妥当である。

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