08/02/20 第4回議事録 第4回 人生85年ビジョン懇談会議事録 日時:平成20年2月20日(水)10:00〜 場所:霞ヶ関合同庁舎5号館9階厚生労働省省議室 ○岩男座長 おはようございます。時間になりましたので、第4回人生85年ビジョン懇談 会を開催させていだきます。本日はお忙しい中をご参集いただきまして、ありがとうござ いました。今日の進め方ですが、前回と同じような要領で、最初にモレシャンさんからご 発表をいただき、議論をして、11時ぐらいに川勝委員の発表に移ります。このように進め ます。モレシャン委員は言葉の関係でアシスタントをお連れくださいましたので、アシス タントの方から、代わりにご発表いただきます。  資料の件ですが、資料1は前回までにいただいたご意見を事務局がまとめたものです。 資料2は、前回萩原委員、茂木委員、小室委員、古賀委員から提起のあったテーマに関連 する資料です。どうぞお始めください。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 おはようございます。先ほど説明がありましたので、 もう1回申し上げませんが、うちのセトグチに読ませていただく前に、一言書くのを忘れ ましたというか、書かないほうがよいというか、よくわかりません。とにかく最後の結論 に入れたかったのは、面白くない結論ですが、経済的な関係で、例えば年金として毎月15 万円しかもらっていない方は多いです。そうすると、30年間続けて貯金としてまとめて入 れても、もし90歳まで生きていたら間に合わないという話をよく聞きます。私よりも年上 の方から、間に合わないから全部予算を使ってしまったので、静かに自殺しましょう。そ れは決まっている方は結構多いです。全然面白くないです。  けれども、仕方がないという考え方は多いです。クリエーターとかレベルの高い方は多 いです。私はクリエーターと付き合いは多いですから。それを私たちは、頭にも心にも入 れていたほうがよいと思います。それは書かなかったのですが、とても大事な話だと思い ませんかという結論でしたが、うちのセトグチに読ませます。よろしくお願いいたします。 ○セトグチ 第1章「若いうちに準備をする老後」。「よく生き」「よく老いる」ためには、 子どもたちを教育しなくてはならない。それが私たちの残すべき「人生の遺産」と言える でしょう。私たちは子どもたちに、素晴らしい芸術作品と同時に、自然の素晴らしさも学 習させなければなりません。「美しいもの」を見せるだけでなく、それに関連した文化の学 習に重点を置くことが大切ではないでしょうか。  最近では経済が重視されて、文化教育が軽視される傾向にあります。これは半世紀後の 老人問題に大きな悪影響を及ぼす懸念があります。  「現役」として活躍するときには経済も大事でしょう。でも、人間の後半の人生こそ、 文化が最も重要な要素になってくると考えます。  子どもたちすべてが、素晴らしいプロの音楽家や詩人、またはエンジニアや職人になる わけではありません。でも、音楽家になれないのだからといって、音楽への好奇心の芽を 摘むことは許されません。詩人にならなくても詩の好きな子ども、エンジニアにならなく ても科学への好奇心と情熱を育て、職人にならなくても物作りの楽しさと、技術の素晴ら しさを教えます。こうした文化的好奇心と文化的教養が、人生という冒険に出るときの必 携非常バッグとなっているのです。危機に面したとき必要なのは心の豊さです。老後を迎 えることも、1つの危機と言えるでしょう。  共立女子大で12年間教壇に立ちましたが、新学期には生徒たちに、いつも次のようなテ ーマで作文を書かせました。「あと24時間しか生きられないとしたら何をしますか」。  生徒たちには「命に期限があることを知ると、人生の本質、何がいちばん大切なのかを 知る」と説明しました。  興味深かったのは、こういう重いテーマであっても、生徒たちは全く驚かなかったこと です。まだ若く柔軟な心の中には、音楽でも絵画でも、また哲学でも、いわゆる真面目な 教養文化がストレートに問題なく入っていく。それが実感できました。最近では若者に迎 合して、漫画などを取り入れて、わかりやすい教育を目指しますが、バッハやゴーギャン といった芸術文化が若者には「難しい」と考えるのは、大人たちの勝手な推測にすぎませ ん。  若い頃のこうした学習が、人生を考えたり構築する上で、非常に大切だと考えます。若 い頃に学んだことが、後の人生で、退屈や孤独や憂鬱と闘える要素となり、さらには老後 の経済的な不安をも和らげるのではないでしょうか。  第2章「死の概念を教育する」。人類20世紀までの長い歴史上、東西を問わず、どの文 化圏でも「死」という概念に脅かされ、天国あるいは輪廻という信仰を生んできました。 西洋社会では、死についてのテーマは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのように、多くの 絵画の上でも重要なテーマでした。音楽ではモーツァルトのレクイエムのように、死に際 しての生の虚しさを嘆きます。フランスにおいて、いまでも修道僧の間の日常の挨拶はボ ンジュールではなく、「我が兄弟よ、私たちは皆いつかは死ななくてはならない」という言 葉です。つまり、人生は生まれたときから、教育や宗教やさまざまな人生の生活を通じて、 「死」を受け入れることなのです。  もちろん21世紀のメディアを通じて、こうした「死」の概念の教育方法や伝達手段は大 きく変わったでしょうが、基本的に人間の「生と死」の概念は変わらないものだと思いま す。どんなに技術が発達しても、誰もが生まれて死ぬのですから。ということは、私たち は「よく生き」「よく死ぬ」ための教育や社会構造をいままで同様に必要としており、哲学 的イデオロギーとしての判断を誤ってはなりません。「死の概念」とは、同時に「命」の大 切さを教えることでもあります。  昔と比べて人間の寿命が伸びている現在、そうした精神的社会構造がより必要になるで しょう(現実には消滅方向に向かっていますが)。  さらに、いま世界はグローバルになっています。国を隔てる国境がなくなっていくこと は、よいことでもあるでしょうが、アイデンティティーとしての基準を失い、善悪の基準 も失いつつあります。先端技術によって、努力や我慢することなく、若者たちは欲求の有 無にかかわらず、ボタン1つで何でも手にすることができる時代です。善と悪という考え 方さえ、地球上から消滅していくような。  第3章「老いを受け入れる」。いつまでも若くある方法は世の中に溢れています。中でも、 健康は言うまでもなく重要なことですが、「若く老いる」上で大切なことは孤独に陥らない ことであり、同世代、またはより若い世代との交流を深めなければなりません。そのとき に必要なのが、広い意味での文化的教養ではないでしょうか。今後、身体的病気などで人 生を終えるよりも、孤独やうつといった精神的原因での死が増えることでしょうから。  老いは決して愉快なことではありません。肉体の柔軟性を失い、精神も鈍化します。例 えば個人的な例ですが、エアロビクスでのステップを覚える場合でも、1度で覚えていた新 しいステップがいまでは3度も4度も繰り返して練習しなくては、体が覚えてくれません。  しかし老いを嘆いていると、嘆くほどに老いは悪化します。誰にでもやってくる老いを 恥じることのない社会、年齢をネガティブに考えない社会、老人が威厳を持って生活でき る社会作りが必要でしょう。かといって、元気な老人を演出するあまり、「老人の冷や水」 というような子どもっぽい無理をしなくてもよい社会です。自ら、老いをちょっとしたユ ーモアを交じえて捉えられるようにする、そんな余裕も社会の中で必要です。  多少自虐的なユーモア。日本でもこうしたお年寄りに人気のコメディアンがいますが、 誕生日のグリーティングカードなどには、「あなたはいつも変わらずに美しい」とあって、 裏を返すと「ただ、前より少し時間がかかるけど」というのがあります。他人を傷つける のではなく、自らを笑い飛ばすようなユーモア。老いは真剣に考えれば考えるほど、ある 意味では辛いことばかり。気持に余裕が持てる、そんな社会的雰囲気も必要でしょう。注 意が必要なのは、決して若者が老人を笑うようなユーモアではありません。  第4章「元気な老いへの準備」。健康と頭脳(記憶)、そして経済。この3つが長い老後 のキーワードとなってきます。では、どのように準備すればよいのでしょうか。  最近のヘラルド・トリビューン紙で読んだのですが、アメリカとヨーロッパの統計では、 「煙草を吸わず、運動をして、適度のアルコール、野菜と果物を多く摂取すれば14年ほど 寿命が伸びる」というのです。  何事にも真剣に取り組む日本人ですから、こうした長寿への努力をすれば、誰もが14年 の寿命を伸ばしそうです。日本の現在の平均寿命は男性78歳、女性85歳。きっと男性92 歳、女性99歳も夢ではありません。人生85年どころか、いまから私たちは90年、100年 計画を立てなくては。  すべての定年退職者が夢の自由時間を自由に楽しく過ごせるわけではありません。せっ かく自分のために使える時間ができたときには、経済的問題が出てきます。残りの長い人 生を、どのように経済的に「支える」のか。住居、食料、そして冷暖房、いまではガソリ ン、小麦などの物価高への不安があります。  さらに、人生は食べて、飲んで、寝るだけではありません。私たちは動物園の動物では ありません。劇場や美術館に通い、旅行できるだけの経済の余裕をどうするのか。個人的 に、文化的行為のない人生は人生でないと思います。  今後は老人たちの「引きこもり」も、ますます社会問題化するでしょう。また、メディ アやマーケティングの世界での「老人は経済的に余裕がある。」という常識は捨てたほうが よいでしょう。どれだけ銀行に貯蓄していても、多くの人々にとって収入が途絶えた中で、 それは長い老後の資金であり、問題はあと10年なのか、20年なのか、または30年なのか わからないことです。  こうした老人たちの財布を狙うような企業キャンペーンなどにも、何らかの規制(また は反省)が必要では。老人たちへの悪質な詐欺事件も増えています。こうした犯罪などに は厳しい対処も必要でしょう。こうした社会から身を守るためには、老人たちの頭脳(記 憶)と、文化的教養といった判断力も必要になってきます。  前述しましたように、文化、読書、芸術鑑賞などを楽しめるノウハウとは、若い頃に養 うものです。定年を迎えた世代に向けての援助も必要でしょう。劇場、美術館、交通手段 などの援助です。老人が安心して文化を楽しめる社会作りです。  もう1つ大切なのが、孤独を回避する方法。定年退職者は仕事での付き合いの友達が一 瞬にして消えてしまいます。人間関係の構築を新たに考えなくてはなりません。NGOなど のボランティア仲間を作るというのも、その1つでしょうし、趣味や文化というのも、こ ういうときの仲間作りに生きてきます。または、田舎暮らしで、自然を通じて、新たな地 域での余裕ある人間関係を作るとか、地方(特に過疎地など)での受入れ態勢も、社会的 に考えていかなくてはならないでしょう。  第5章「ゲットーの回避」。また若者と老人、あるいは都会から田舎にやってくる定年者 を迎える地域において、ゲットーのように世代や「よそ者」を区切ってしまうような社会 にしないことです。すでに核家族や個食が社会的問題となっていますが、これ以上の核家 族化は老人問題にとっても大きな障害となります。若い母親が、生まれたばかりの赤ちゃ んにミルクでなく、コカコーラを飲ませるような事件さえ起こっています。一方では、老 人たちの孤独死があります。このような若い母親と老人たちの交流があれば、このような 愚かしい事件は回避できるのではないでしょうか。  基本的な生活のノウハウや教養が伝承されない社会、それが老人のゲットーを作る社会 でもあります。タテ型社会という日本、アジア固有の問題があります。古い道徳観のため に、過剰な敬意を求める老人を若者たちが煙たがる。そんなことにもなってしまいます。  以前「猫が行方不明」というフランス映画がありましたが、若い女性の飼っていた猫が 行方不明になったことから、近所の老人たちも猫探しに参加して、温かな交流を描いた作 品です。舞台はパリの下町でしたが、都会での老人の孤独はヨーロッパでも大きな問題に なっています。  ゲットーを作らない社会。それは都市計画の面でも重要なテーマでしょう。先日訪れた 金沢の幼稚園では、地域ぐるみで開かれた幼稚園でした。近所の老人たちが幼稚園に遊び に来るのです。そこで老人は子どもと遊び、また郷土料理を作ったりするのです。  少々論点が広がりすぎましたが、最後に目指すのは「威厳のある死」を迎えることがで きる社会と言うことでしょう。 ○岩男座長 前回の山崎委員の発表に重なる部分もありますし、また山崎委員が10時半頃 にご退席ということですので、まず山崎委員からご発言をいただきたいと思います。 ○山崎委員 おはようございます。モレシャンさんの発表は前回の私の発表と重なる部分 がありまして、感銘を受けました。前回私も発表させていただきましたが、私たちが人生 85年というビジョンを語っていく上で、いろいろな光の部分を強調していくこともできる と思うのですが、しかしその光に絶えず付きまとって、私たちの人生の伴侶でもある「死」 の概念について、適切に学んでいくことは、光をますます光らせる意味においても意味が あると思っています。  どのような呼び方をするかに関しては、いろいろと異論はあるかもしれませんが、「死」 の概念を学ぶ形で、それをどのように教育の過程に取り入れられるかは、青少年だけでは なくて、成人に関しても言えることだと思っています。  私は現在の仕事を通じて、ときに高校生たちに、私がいま取り組んでいるホスピスでの ケアの話をすることがあるのです。モレシャンさんのお話にもありましたが、顔だけを見 ると、この子たちがそんなに重いテーマを考えることがあるのだろうかと思ってしまいま すが、私の話を通じて、モレシャンさんは「24時間しか命がなかったら」というテーマで したが、私は「もしもあなたの人生が3カ月しかなかったら」というテーマで問い掛ける こともあるのです。あるいは、非常に身近な人たちが危機に直面している場面をお話しし て、「あなただったらどうしますか」とそれを個別に聞いていくのです。そうすると、茶髪 のすごい格好をした学生でもきちんと答えてくれるのです。  そういうことを考えると、我々は大人の概念で、そういう青少年たちに「死」という言 葉を紛れ込ませた話をすることに対してためらいを感じている。しかし、それは実は自分 たち自身が持っている死に対する漠然とした不安や恐れがベースにあるために、相手に聞 けないということがあるわけです。そういう意味でも、子どもたちは子どもたちなりに、 自分の死というか、あるいは家族の死というものを見つめているのです。  よく若い両親のうちの誰かが、がんで亡くなっていくとか、あるいは家族が亡くなって いくときに、小さな子どもたちにはそれを知らせないという意見もあるのですが、しかし、 そのことを率直に子どもたちに、「あなたのお母さんはこの状態で時間がない」ときちんと 伝えていくと、子どもたちは、それなりに必死になって自分の役割を果たそうとするわけ です。しかし、その現実から遠ざけてしまっては、子どもたちは表面的には何事もないこ とを装えるかもしれませんが、成長したときに、自分のいちばん大事な人たちが危機に直 面したときに、自分で果たせなかった役割を後悔して、嘆くことはしばしばあるのです。 ですから、そのことをしっかりと考えて、もちろんサポートしなければいけないのですが、 そうすることによって大切なものを考えていくことになると思います。命を大切にすると いう言葉はしばしば使われますが、命を大切にすることの教育の、表裏一体のものとして の死の概念をしっかりとつかんでいただかないと、表面的な命の大切さにしかならないの ではないかと感じています。  ですから、前回テリー委員が「この懇談会では元気の出るような明るい話に絞っていっ たらよいのではないか」とおっしゃっていたのですが、それも大事です。しかし、我々が この問題から目をそらすような形での懇談会にしたのでは、実のあるものにならないので はないか。両方をバランスよくビジョンの中に取り込んでいければよろしいかと思ってい ます。ですから、今日のモレシャンさんの発表に関しまして、非常に共感いたしました。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 誤解のないようにですが、このリポートは死につい てではないです。死ぬとわかっているからこそ、素敵に生きることができるポジティブな リポートです。  もう一つは、どういう教育するかが大事だということです。死ぬのは仕方がないのです が、生きるというのが目的です。 ○岩男座長 ご自由にご発言をいただきたいと思います。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 できれば育ち教育についてコメントを聞きたいです。 日本の学校に私の子どもがいなかったので、はっきり言えないのですが、人の話を聞くと、 文化的な部分はとてももの足りないようです。日本の文化について、日本のアイデンティ ティーについて、私も共立で「わび」「さび」について教えるのは難しいですが、教えるの は外国人なのに私だけでした。ですから、教育、育ちがしっかりあれば、年を取ってから 本当に役立ちます。やっと小さいときに覚えたものを使う時間がありますから、それにつ いて皆様のご意見を聞きたいです。 ○高階委員 ただいまのモレシャンさん、それから山崎委員の話に続く感じだと思います。 山崎委員のお話は、死を問題にせよというよりも、生きることは大事だというのは、まさ にモレシャンさんのおっしゃるとおりです。そのときに、教育ないしは我々の活動を含め て、死から目をそむけるなということだと思うのです。しかし、そのために子どものとき から、どのようにして我々が死と向き合いながら生きていけるかというのは、教育の問題 だと思います。  モレシャンさんのお話、いくつか私は大変感銘を受けたのですが、初めに「子どもたち に素晴らしい芸術作品と同時に自然の素晴らしさを学習させよう」と。日本人の持ってい る自然への思いというのは大事なことで、教育の中では、もちろん学校教育もありますが、 家庭ないしは地域、子どものときからの教育で、そういうものをどうやって伝えていくか ということが大事だと思います。  私は、そのために2つ3つ常に考えているのですが、日本の文化的伝統の中に、自然と いうものが自然に取り入れられています。これは例えば和歌であるとか、絵画であるとか、 子どもたちも一緒になって遊ぶことのできる正月のカルタとか、百人一首みたいなものに、 すべて自然が入っていますし、日本では古今集以来あるいはもっと遡ってだと思います。 日本で詩のアンソロジーというもの、これはどこの国でもありますが、さまざまな詩を集 めたアンソロジーというのは、西洋の場合は基本的に作者別になっているのです。日本は 伝統的に季節別になるのです。春夏秋冬という感じで、したがって、同じ人の詩が春にも 秋にも出てくるという、百人一首でも和歌でも、自然に覚えている。その自然の移り変わ りが心の中に入ってきます。  あるいは江戸期に大変盛んになった俳句で、季語があります。これは世界に例のない考 えです。季節を表わす語が、短詩型という短い中に入っています。そういう文化的な伝統 を、遊びも含めて子どものときからみんなでやっていく、学校でやってもいいし、家庭で やってもいいのではないか。  もう一つが、その自然とのつながりの上で、季節があるということは季節の移り変わり に非常に敏感です。これはどこの国でもそうですが、日本人は特に敏感ですから、さまざ まな季節と結び付いた年中行事が、ほとんど毎月のようにありますから、その中で、山崎 委員のお話と関係しますが、お彼岸にはお墓参りをするとか、お盆にはご先祖様が帰って 来るとかもちろん様々な背景の中で、実際に魂がどうなっているかよりも、非常に美的関 心と結び付いていています。灯明をあげるとか、お花を持ってお墓に行くという、年中行 事と結び付いて死者と対話を交わすことが、伝統的にありましたから、それを家庭の中で も活かしていくことが大事ではないかと思います。  日本人は不思議に、死というものを人生の中の断絶とは考えない、むしろ死者とはわり と身近にある、死んだ人の魂が近くの山にあるとか、これも自然の中に帰って行くという 考えがあって、もちろん科学的にどうこうということではなくて、文化的な根としてある のが、どうも日本人のアイデンティティーの中にあります。その証拠に、いま「死」とい っていますが、この死という言葉は、漢字で「死」と書いて中国からきていますが、漢字 の読み方しかないのです。日本語で何と読んでいいかわからない。「生」という字はイキル と読みます、大和言葉があるからです。死というのは日本語ではなくて、日本人は最初か ら死の概念がなかったのです。これは言葉を考えるときにも、日本語の読み方のないもの は外来のものですから、桜は「サクラ」で「オウ」と読みますから中国から来ています。 菊というのは日本にはなかったので、「キク」しか言いようがありまん。死というのも、日 本人は少し遠くへ行くけれども、ご先祖様はときどき帰ってくるというような文化的伝統 があって、それを大変美しい詩とか、歌とか、行事にしていますから、それを活かしてい くことが必要だと思います。  そのときには学校教育はもちろんですが、家庭なり、地域なりが、人々が一緒になって、 それこそ老人から若い人へ子どもたちへ伝えていく、そういう制度というかシステムの仕 掛けを、いままで日本人の中で生きていたものが、核家族化や都市化で失われていくもの を生かしていく方法を考えたほうがよいのではないかと思います。 ○岩男座長 ほかにいかがでしょうか。 ○山崎委員 いまのお話ですが、日常生活の中で「死」ということを強調する必要は全く ないと思うのです。ただ、そういうことが自分たちの人生の中の身近な人に起こってきて、 そして、それは自分たちの人生の一部でもあるんだということを共有しながら生きていく ことができるとすれば、それは前回も提案したのですけれども、やはり家とか地域の中で 暮らし続けられるように、家族や地域の人たちがそのプロセスに参加しやすい状況を作っ ていくことだろうと思うのですね。  いまの厚生労働省は、在宅への移行をいろいろと考えております。それは一方では医療 費抑制だというような意見があったりしまして、不本意かもしれませんが、私は、むしろ たとえ今まで以上に社会保障としての医療保険、介護保険というものを在宅にたくさん投 入することで、その人たちが病院や施設ではなくて地域で生きられるようにしていくとい うことで、その地域の文化の再生を促すこともできるのではないかと思うのです。ですか ら、ただ病院での最期の場面、機械に囲まれてしまうような状況が良くないということだ けではなくて、人間にとっても最大のイベントである「死」ということを地域に戻すこと によって、そこで生まれてくる文化的なものがあったり、自分たちの運命とか宿命という ものを切実に感じていくことが出来るようになる。どんなに自分たちが大切にしてきた人 たちもいつかは消えていくのだということに対する、そのときの命に対するいとおしさで すね。消えていってしまうからいとおしいわけですね。そのいとおしさというものを実感 していけば、もちろん自分たちの生き方に謙虚になれるでしょうし、他者に対しての優し さも出てくると思います。  政策として在宅移行には、実は文化的な側面も、地域再生側面も非常にあるということ にも目を向けていただきたいという気がいたします。 ○川勝委員 大変良いご報告を聞きまして、うれしくなりました。共立女子大学で12年間 も教壇に立たれて、そこで、いつも最初に「あと24時間しか生きられないとしたら何をし ますか」というテーマで作文を書かせられた。大変良い教育だと思います。  私自身も大学で教鞭を長くとってきたのですけれども、卒業論文を指導するときに、テ ーマがなかなか見つからないというときに、「あと半年しか時間がないとすれば、一体何を、 小学校1年の6、7歳から20数歳まで生きてきて、何を書き残すか、遺書のつもりで書い てごらん」と言うと、腹が定まって、テーマというのが見つかります。テーマが見つかる と、半分以上書けるのですね。ですから、こういう問題設定というのは、生とか死とかを 考える上でとても大事なことです。その場合に、きっと自然の美しい、あるいは豊かな文 化、そうしたものを享受したい。あるいは、そういうものを作っていきたいというような ことを学生が書いたのではないかと思います。あるいは、人のために生きたいとか美しい ことを書いたのではないかと思うのです。  ただ、「死」というのは他律的にやってくる場合があり、自分で自然死を迎えるのではあ りません。たしかギャロアというのはフランスの数学者で20代の前半で死にました。彼は ひょんなことで難癖をつけられ、決闘を申込まれて、受けざるを得ない状態になりました。 翌日の朝、しかじかの場所に行かなくてはいかんと。ところが彼は数学で高次の方程式を 解くアイディアがあって、それを書き残したいわけです。それを遺書のつもりで書くので す。でも、時間がない。もう時間がない。感動的ですよこれは。それで最終的に決闘の所 に行くのですが、彼は殺したくないのです。だから撃たれて死んでしまうわけです。  彼がもっと長く生きていたら、論文を長く温めて書かなかったかもしれないのですが、 それはちょっとわかりません。よくそういうことがあるのです。温めているうちに事故で 死んでしまったとか。でも、こういう限られた時間の中でどう生きるかというときに、や はりこういう先例も教えるというつまり、高階先生がご説明されたような日本の自然観や 人生観、あるいは芸術というものの特徴を教えると同時に、私はフランスのそういう青年 の生き方からも、先生の生き方からも学ぶのは多いと、こう思った次第でございます。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 面白い、これはちょっと軽い話になりますが、かわ いかったのはご存じのように、共立は女性だけですね。男の子がいないですね、まだ珍し く女性だけのための大学です。とても若かったのですから、いろいろな発想が出ました。 でも99%は結論、私が言っていたのは、夜の12時から次の夜までの24時間というブラン クでした。そうすると、それは日本的な発想だと思います。フランスで、日本の文化につ いて、素晴らしさについて話させていただきますとき、そのきれい好き、そのきれいにな るためのお湯とかお水とか、自分の体を洗う、それはちゃんと出ていたのです。みんな大 体。じゃ、11時半までに家に帰ります。それで11時半にお化粧を落とします。それでお風 呂に入り、きれいになる、コソコソコソ、キシゴシゴシゴシ。それでお布団に入って、死 にますとか言っちゃった。可愛いかったと思いましたね。それはとても日本的な発想だと 思います。  ユリオクリスチャンの国で、同じ宿題を出しても、最期は自分の体を洗う、それで死ん でしまう。そういう発想は出ないと思います。実際面白かった。  本当に季節です。なぜ私は日本に残ってしまったか、やはりその季節ごと、そのアート とか人の気持の表し方があるから、美学的、日本的な美意識のために、日本に残っていま す。ですから本当に高階先生と川勝先生のお話は素晴らしい。  でも、生きるのは大事です。私は、死と言うよりも、時間はない、時間はないという感 覚で生きています。死はもちろん先ほど。なぜかというと、たぶん私のこの年齢でしょう。 ですから第二次大戦の戦争のとき私は3歳でした。3、4、5、6、7。3歳のとき全然覚えて いません。でも5歳から、1942年から覚えています。それは何を覚えていますか。最後は 爆弾、アメリカ人から、まあいろいろ。パリにもアメリカ人の爆弾が落ちました。ですか ら爆弾で死ぬ。死ぬ死なないかという育ちとか経験です。プラス、うちのお父さんはゲシ ュタポの拷問を受けて、私たちの目の前です。死ななかったけれども、目が不自由になり ました。あとは、そういう収容所から私たち両親の仲間は戻らなかった、ゲシュタポが死 なせた。戻った人から恐しい話を聞くとか、ご存じのようにユダヤ人は殺されました。  ですから小さいときから感覚として、戦争は恐しいものですけれども、結果がとてもい いと思うのは、私はいつ死ぬかわからない、5歳のとき、明日かもしれません。12歳のと きもわからないので、やはり今日はとても大事です。ですから、その今日の1日の中でつ まらないコメント、つまらない話をしないことは、当たり前ではないですか。内容がある ことを言うために口を開ければいいでしょう。  だからとてもつまらないコメント、つまらないびっくり、それはメジャーが悪いです。 昨日もですね、ごめんなさい、ちょっと離れますけれども。実は私のマネージャーですけ れども、マネージャーという言葉を使えないと思います。世界医療団の私は名誉委員会ど うのこうのです。それはどうでもいいのですが、とにかく世界医療団のメンバーです。そ うすると、できるだけアフリカ、ストリートチルドレンがいるじゃないですか。私はすご く見てて、聞いて、ストリートチルドレンも、エイズもそうだし、何でもつらいです。で も選ばないといけないから、しぼらないといけない。では私はストリートチルドレンでや りたい。サンペテルスブルグ、モンゴリア、アフリカもチリも南米どこでもありますから、 大変リハビリテーションのために予算がかかるとかいろいろあります。それでメジャーと お会いしました。できるだけこのルポしたドキュメンタリーを作りたいから、どこへ行け ばいいですか。どういう放送局どこ、その興味を持っているプロデューサーを見つけたい。 でも、いちばん最初の話は、なぜですか、なぜそれをやりたいですか。ごめんなさい、そ れはユリオクリスチャンだからではないでしょう。なぜは要らないでしょう。苦しんでい る人間のことを、食べ物がいっぱいある国、特にフランスや日本どこでも、見せてあげる ことが必要でしょう。人生の中で、私たちはやらないといけないことはたくさんあります。 お母さんとして、あれとして、これとして、先生として、それから人間として、人類に対 して何をすることができるかということもあるでしょう。部分的に10%だけでも。それに、 なぜと聞かれると、びっくりします。今度はそういうことにびっくりしません。  死のお話に戻りますけれども、死ぬ前にできるだけお役に立つものをしましょうという 感覚を、若者たちに。若者はいちばん入りやすいです。マインドの中に入れてあげるため に、それをやりたかったのです。話が例えで長くなりましたが、やっぱり私たちには時間 はないです。百歳生きても、まだ短い。その中でちょっとだけ夢を持っていましたら、文 化的な夢、社会のための人類のための夢があれば、時間は間に合わない。私の話はそれだ けで、死のお話ではないです。そういうことでした、ごめんなさい。 ○茂木委員 限られた人生で、つまらないコメントを言うべきでないというお話がありま したので、ちょっと今、私発言をかなりためらっておったのですけれども、モレシャンさ んのお話とても素晴らしかったです。文化的教育あるいは文化的な学習をすることが、た ぶん人生を豊かにし、限られた人生の時間をより充実した生き方をして、そして最後に充 実した死を迎えることができるということではないかというふうに理解しました。私なん かつらつら考えると、文化的教育はあまり受けていなくて、文化的学習もしてなくて、こ れからどうしようかと思っております。  もう1つ、ちょっとそれに加えて、我々日本人の社会、あるいは日本人の中でどうも欠 けているのではないかという点を挙げさせていただきたいと思う。それは、社会の中で生 きるということの感覚といいますか、自覚といいますか、そういうものが決定的に、特に 若い層の間に欠けてきているのではないか。それはたぶん、戦後民主主義が導入されたこ とは非常に良かったのでありますが、どうもその民主主義教育の内容がかなりイビツにな っているのではないかという気がします。川勝先生のレジュメをちょっと拝見しましたら、 戦前の戦争の時代の教え方としてお国のため、滅私奉公という言葉があります。あるいは 終戦までのそういう社会的価値観といいますか、国家的価値観といいますか。それが行き 過ぎたためにその反動かもしれませんけれども、どうも自分のことしか考えないような教 え方をしてきているのではないかと感じるのですね。皆で支え合うのが社会であり、国で あり、あるいはもっと広く言うならば人類社会なのだという、そういう教育の仕方をしな いといけないのではないかと、私は実は強く感じております。  と申しますのは、時々中学校や高等学校に主に、キャリア教育のための出張授業という のを頼まれまして、1カ月に1遍か、2カ月に3回ぐらいの割合で、出かけております。何 のために仕事をするのかということについて、せいぜい出てくる答えは、「今に良い仕事に 就いて、良いお給料を取れるようになるために」ということなのですね。確かにそれも自 立して生きる、生き抜く力をつけるということで極めて大事なことでありまして、それは それでいいのですが。ただ、よく考えてみると、私が子どもたちに投げかける質問は「今 朝何食べてきましたか」ということを聞くわけですね。すると、パンだとか、やれ何だと か、ジュースを飲んだとかいろいろ答えが出てくるのです。「それ、どうしたの」と言うと、 「お金を出して買った」。お金を出して買うのが当たり前だと思っちゃいけないよという話 をするのです。どこかで、例えば小麦をカナダやアメリカで栽培する人がいて。その栽培 に使う農業機械やら、オイルやらいろいろな物がどこかで、誰かが生産してくれて。そう いうもの全部がこう合わさって、最後にあなたの家の近くの店にパンが並んでいるんだよ。 実は、みんながその意識をしてないけれども、社会というのはそういうふうにしてみんな が一生懸命に、取りあえず自分のために給料を稼ぐ目的で働いてはいるけれども、それが 巡り巡って社会全体として支え合っているのだ。だからニートなんかになっちゃいけない よという話をするのでありますが、そうすると子どもたちの感想文が、そういう話を初め て聞いたというのが多いのです。私のつまらない話が初めてでは困るのであって、もっと 小さい頃からの、物心つく頃から、人は1人で生きていけないんだと、みんなで支え合う んだ。そのためにいくら自分が親から金がもらえても、ブラブラしているのはいけないの だというような、そういう感覚を子どものうちから日本人の中に、頭の中に自然に入るよ うな、そういう社会の雰囲気というものが必要ではないかなという気がいたします。  そうしますと、若い人が老人を支える、あるいは老人が若い人のために役に立つ。金沢 の幼稚園のお話が出ていましたけれども、私はこの前、これからの子育てイメージの中に、 「孫育て」という言葉を入れておいたのです。自分の直接の孫だけではなしに、おじいち ゃん、おばあちゃんの世代が孫の世代を支える。孫の世代がおじいちゃん、おばあちゃん に温かい接し方をするような、そういう社会というものが出てくるのではないかなという 気がいたします。以上です。 ○古賀委員 私は、先ほどのモレシャンさんの言葉の中で、2頁目の前半の部分が非常に 我々にとっても、私にとっても響く言葉であったというふうに思っています。音楽への好 奇心であるとか、あるいは科学への好奇心と情熱であるとか、まさに、物作りの楽しさと 技術の素晴らしさとか、文化的好奇心と文化的教養、危機に面したときに必要なのは「心 の豊かさ」というところがですね。  私自身も振返ってみても、やはりあまりにも経済性とか、効率とか競争とかいうことに 一生懸命になって、片一方では非常に人間の重要なものを1つずつ失ってくるような、何 か全体的な日本の社会がそういう社会になって行っているのではないでしょうか。  それはもちろん教育の問題もあるでしょうし、自分自身の生き方みたいなことをじっく り考えてこないような環境もあるでしょうし、あるいは大半の人がやはり物の豊かさを求 めて、必死でそのようなことを追い求めてきたことが、片側のところにどうもその社会の1 つの大きな穴が空きつつあるみたいな感じがするわけでございます。  そういう意味では、モレシャンさんも言っておられましたけれども、舛添大臣が何度か ご挨拶などに言われましたけれども、我々も有限である時間というものをもう1度考えて、 そしてその時間、自分たちの時間を切り捨てすることなく、その時間をどうマネージして いくかを考えなくてはならないかなという気がします。それが子どものとき、あるいは成 長期あるいは大人、そして成熟期になってというふうな、それぞれ違うのだとは思うので すけれども、そういうことが非常に重要ではないかとつくづく感じました。  それから今、茂木さんからあった提起は、まさしく私もそう思うとおりであります。特 に、世の中が高度化すればするほど、あるいは分業体制が進めば進むほど、人というのは 他人に依存して生きていかなければならない。それが社会的動物としての日本人だという、 その原点をもう1度我々も振返る必要があるのではないか。そんなことを思いましたので、 発言をさせていただきました。以上です。 ○石川委員 私は30年間、江戸時代の人間が、普通の人がどういうことを考えて暮らして いたか、何を食べて暮らしていたかということを主に調べて生きてきました。飢饉とか一 揆とかいうのは非常にたくさん記録に残るのですが、普通の人が何を食べていたとか、普 通の人が何を考えていたということは記録に残りませんので、調べるのが難しいのです。  いま死ぬ話で気がつきましたのは、これは武士は子どものうちから命ぜられれば、切腹 をするという訓練を受けますから、当然として、人が死を恐れないといういろいろな不思 議な記録が出てくるのです。  例えば、何か悪いことをして市中引き回され、馬に乗せて市中をこう見せて、それから 獄門と言って、脇腹から槍で刺して殺す、いちばん残酷な死刑なのです。その獄門にされ るチンピラのお兄ちゃんは白い着物を着せてくれるのか、馬に乗せてちゃんと引き回して くれるのか、そうだと言ったら、喜々として馬に乗せて引き回されて、得意になって殺さ れるというような、そういうのがあります。  それから、記録に残っている偉い人たちの辞世の句というのがあります。昔の人は悠長 なもので、よくあんなものを考えてから死ぬものだと思うのです。それを見ましても「は い、さようなら」とか。北斎が有名で、人魂でいく気散じや何とかって。それ、ふざけて いるのかと思うと、そうでもないのです。  とにかくだんだん気がついてきましたのは、私たちはどうも外国人のようになってしま って、あれがわからなくなった。その頭の中というのはいま委員方のお話を伺って、1つひ とつ見えてきたのです。例えば、死というのが日本語ではないというのを、私初めて知り まして、大変びっくりいたしました。ですから、元々その死という、死を見ることに生を 見るがごとしなんて言いますけれども、何か生と死の間が日本人の場合、あまりはっきり してないのではないかというのが1つあります。  それから幕末期に来た西洋人のいろいろな記録がありますけれども、日本人は信仰心が ない。特に、武士は全く信仰心がない。これは需教というのは仏教や何かを馬鹿にします から、その影響もあるのだと思うのです。  それから今のモレシャン委員のお話を伺って、その二十歳ぐらいのお嬢さんに、24時間 後に死ぬとしたらどうするかというのが、揃いも揃って、11時半にお化粧を落として、お 風呂へ入って、布団に入って死ぬと言ったというのも、これもやはり、ああ、日本人って こういうところがあるのかと思いました。具体的にそんなこと聞いたことないものですか ら、びっくりしました。ですから山崎委員がおっしゃるように、結局昔の世の中って、病 院に入院もしないし、みんな家でその近所の人が見て、ああ、また死んだって。それはみ んな町内の人が見ているわけですね。そうすると、死ぬというのは誰にでもくることで、 別に怖いことじゃないという気持になるのです。だから今の私たちの死に対する考え方と いうのは、どうも戦後の高度成長期以降の社会に、誰が言い出したのか知らないけれど、 何か無理やり作ってしまったものではないかと思うのです。でもモレシャン委員のお話を 伺いますと、若い人っていうのは、ちゃんとそうなのだから、また元に戻せば、この問題 は日本人にとって深刻な問題じゃないのではないかという気がしました。本当に江戸時代 の人というのは、上下教育の程度にかかわらず淡々と死んでいくのです。  最近、似たケースがありました。私の友人に杉浦日向子さんという江戸の研究者で、家 も近かったものですから親しくしていたのです。30代の終わり頃にうちへお酒飲みに来て、 平気で酒飲むのです。そういうときでも、どうせ死ぬのだ、どうせ死ぬというほどの意識 もないのですが、「私はもう白血病で、いずれどこかにガンが飛び火して死ぬんだ」と他人 事みたいに。「治療はどうしているの」と言ったら、「せっかく私の体をきっと選んできて くださった病気さんだから、あんまり阿漕なことはしたくない」。  それで彼女が出ていた番組を私が受け継いだのです。口頭ガン、もう喉に飛び火して声 が出ない。それで電話してもらっても出られないから手紙をくれと言うので、私もいろい ろな物、珍しい物を買ってきたらコピーして送りました。そうすると葉書がくるのです。「何 でみんなは、ガンだと言うと、こんなに気を遣うんだろう」と書くのです。「がん研に入院 して本当に気が楽になった。ここは、周りにいる人は医療スタッフ以外は全員ガンだから、 ガンというのは日常感覚。それで、今まで仕事をしないと叱られたけど、病気になってか らは寝床の中でごろごろしてても、誰も何も言わないから、すごく楽だ。」これ本当なので す。亡くなったのが46歳なのですけれども。最後に会ったのが42、43ぐらいのときでし ょうか。ああいうふうに下町の長屋で育って、身の周りでおじいさんが死んだ、おばあさ んが死んだというのを見て育つ人というのは、そうなってしまうのでしょうね。山崎さん。  私は、人工的に今の状態ができているということを、今皆さんのお話を伺って本当によ くわかりました。だから江戸時代の日本人が我々の本当の本筋なので、山崎先生のおっし ゃるようにしていれば、日本人のことだからあっという間に戻ってしまいそうな気がしま す。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 もちろん、ここは日本ですから、日本が出るのは当 たり前ですね。日本と西洋で違うところもあれば、違わないところもあります。私のおば あちゃんが亡くなったとき、祖母はピレネー山脈の牧場に住んでいました。ですから、も ちろん牧場のいちばん良い部屋に寝かせて、周りの牧場はファミリー、みんな自分の牧場 を持っています。遠いですよ。7キロ、10キロ、広い牧場ですから。昔の牧場、アメリカ の牧場ではないです。山だしあまり機械を使っていない。そうすると、みんな集まりまし てね。  私の小さい2才ぐらい従兄弟がいました。おばあちゃんのベッドの上で遊んで、おばあ ちゃんは少しずつ少しずつ、がんではなかったから痛くなかったらしい。みんな、いるん ですね。柔らかく、暖かく。おばあちゃん、覚えていますよ。「ジャン君、いますか」、「は い、おばあちゃん、います」。「フランソワーズ、いますか。パリからわざわざ来たの」、「は い、来たわよ」とかやって、それが死んでしまったでしょう。おばあちゃんの死はいつで すか、江戸時代ではないですね。40年前ですか。世界は昔、宗教は別にしましょう。宗教 から出てくる考え方を別にして、もっと自然なニーズ、死ぬにニーズという言葉が使える かどうかわかりません。とにかく同じでしたね。  いつも講演会のとき言わせていただきますけれども、それぞれの文化は違っても、世界 が一緒だったら何てつまらないでしょう。刺激もないでしょう。けれども、人間の血はど こも赤い。国境もない。涙も時代と関係なく、国と関係なく塩辛い。それは人生の素です。 あとは文化で違います。ですから、どこでも同じだったと思います。 ○岩男座長 ありがとうございました。そろそろ、川勝委員のご発表に移りたいと思いま す。これまでのお話で繰返し出てきたのは、手間をかけてというか、日々丁寧に生きると いうことであり、また手間をかけて丁寧に死ぬということが1つあったと思います。  それから、「お互い様」という言葉がいつ死語になったのかよくわからないのですが、や はり人間は社会的存在であって、老人も決して無駄な存在ではないということは非常に明 確にこの懇談会では出していきたいと思います。それでは、川勝委員のご発表に移りたい と思います。お願いします。 ○川勝委員 一昨日の新聞に、企業の宣伝に大きな顔写真とともに有名人が出ていました。 バレリーナの草刈民代さんが「40代の美しさを表現していきたい」と書かれている。作曲 家の三枝成彰さんは「83歳までにオペラを10曲つくりたい」と。昨日、たまたま三枝さん にお目にかかりましたが、「85歳までにオペラを12曲作りたい」とのことでした。83歳で 10曲ですから、84歳で11曲目、85歳で12曲目。まことに人の生き方は様々で、人生85 年の一般化は難しい。かといって、自分の人生85年ビジョンを描く自信もないので、中途 半端な問題提起になるかと思います。  日本が親しんできた外国文化の中で、インドでは仏教が生まれる前から「4住期」という 人生観がありました。まず「学生期(がくしょうき)」。 ○岩男座長 川勝委員のレジュメが配付されていますので、どうぞご覧いただきたいと思 います。 ○川勝委員 このレジュメ、今朝持ってきて、すみません。一夜漬けです。 インドでは古くから「4住期」なる人生観があり、学生期は、禁欲し先生について勉強する。 それから結婚して一家を構える「家住期」にはいる。つぎに「林住期」を経て、最後に「遊 行期」。「遊行」には聖地巡礼の意味があり、この世の一切の執着を捨てるので「遊行期」は 「遁世期」とも言います。注目したいのは「林住期」です。だんだん身体の力も衰え、妻 との肉体的関係も、世間との交際からも遠のき、独りの境地になる時期で、聖なるものと 俗なものとが交錯する態度未決定の時期、不確かな時期です。遁世は容易でありません。「林 住期」という考え方を入れたインドの人生観には学ぶべきものがあります。  中国では論語に「15にして学に志し、30にして立ち、40惑わず。50で天命を知り、60 で耳に順い、70で己の欲するところに従って則を越えず」とあり、有名ですが、孔子は73 歳か74歳で亡くなっている。85歳まで考えるには足りません。 こうした東洋の人生観には学ぶべきものがあります。しかし、日本人自身の人生観でわれ われの血となり肉となっているものを、1つ挙げるとすれば世阿弥の『風姿花伝』です。岩 波文庫にも入っており、『花伝書』とも言われます。30歳以前はみな美しい。若さゆえの花 があり、これを「時分の花」と言う。しかし、40歳のころを境に、「時分の花」はなくなる。 しかし、怠らずに修業を続けていくと、花は失われない。50にもなれば、美しい若者の「時 分の花」に負けない。それを「まことの花」を得たというのです。  「まことの花」なるがゆえに、老木、老人、老骨になっても花は散らない。老骨に残れ し花というか「老い木の花」、風情のある老梅のイメージです。若い梅の木とは違う味があ ります。世阿弥は人生を「花」で論じましたガ、「人生に花」ないし「花のある人生」という 考え方は我々に親しみやすいのではないか。  世阿弥は、「秘すれば花」や「初心忘れるべからず」という言葉でも有名です。「秘せね ば花なるべからず」、恋みたいなものですね。恋は告白し成就してしまえば、あとは終わる のを待つだけ、「忍ぶ恋」こそが一番とは「武士道は死ぬことと見つけたり」で有名な「葉 隠」にあります。「秘せねば花ならず」という考え方、これは「忍ぶ恋」と同じですね。「し のぶ」という飲み屋があったり、そういう名の女性がいたり、そこに日本人好みの価値観 が反映されているように思います。  それから、また、世阿弥は「男時」「女時」という言葉を使う。「男時」とは、勢いが付 いて上向くとき。「女時」とは勢いがなえて、危ういとき、いまの厚労省は女時ですね。女 時にはじっと耐えて男時の訪れを待つべしとあります。そして、世阿弥は「生命には終わ りある。しかし、花を咲かすべき能には果てあるべからず」と、これは60歳ぐらいになっ て書かれた『花鏡』にあるのですが、西洋でも、どなただったでしょうか、「命短し、芸術 は長し」という名言があります。日本ですと「命短し、恋せよ乙女」となる。これも日本 的かと思います。  世阿弥は人生を「花」にたとえた。美的ですね。その一方、日本人は「花の命の短い」 ことをよく知っており、「恋せよ乙女」と続ける。その感性は女性的ですね。美的なるもの、 女性的なるものへの傾きが日本人の人生を考えるときに大切ではないかと思います。 人類は人生観を垂れた先人を生んできました。キリスト、釈迦、孔子、さらにギリシャの 哲学者も挙げていいのですが、全部、男です。女がいない。それは問題ではないか。人間 の知恵として不十分ではないか。  「女時」の意味を、世阿弥には失礼ながら、勝手に変えて、「女性が活躍する時代」とし てみましょう。そのような女の元気のよい時代を日本の歴史にさがすと、女性が活躍した ときは戦争がない。平和です。また、人口が伸びない。もう1つ言うと、文化が発達する のです。  第一の女時は平安時代の後期です。日本の人口は農耕の始まった弥生時代には大体60万 ぐらい。奈良の都ができたときには450万。人口は飛躍的に伸びた。奈良時代は、都を移 し、紫香楽京、難波京と、安定しない。ついに長岡京に移るが、不祥事が起き、そして平 安京に移ったが、社会は動乱状態で人口が増え、650万まで伸びました。  ところが900年ぐらいになると、王朝文学が出てくる雰囲気になる。1150年代に保元・ 平治の乱が起こるまでの250年間、平和です。平和な時期の人口は650万から680万と伸 びない。その時期に何があったかといえば、今年(2008年)からちょうど1000年前。1008 年に『源氏物語』が書かれました。同じ頃『和泉式部日記』、清少納言『枕草子』など女流 文学が生まれています。ところが、保元・平治の乱で戦乱になり、「いざ鎌倉へ」になって くると、男が幅をきかせ、女性たちは逃げまどうというか、早く戦争が終わってくれない かなと願い、逼塞する。  そういう男時には、人口が伸びる。2倍の1,200万になります。江戸時代になってからも 島原の乱、その前に大阪夏の陣、冬の陣があって、元禄の討ち入りの1700年ぐらいまでは、 暴力の時代です。赤穂浪士を「テロリスト」と市川崑監督は描いた。しかし、男の暴力の 時代はそれで終わり。  男時の人口は3倍も伸びました、1700年くらいまでに3,100万ぐらいまで増加。そのあ と、幕末までは伸びない。そのころの日本が杉浦日向子さん、石川英輔さんらがお得意の 女性が活躍する江戸時代の後期です。例えば心中が流行する。道行き、どちらが手を引っ 張っていますか。大体、女です。離婚が増える。三行半です。これも石川さんのご本の中 に書かれていますが、三行半は書式で、最初から名前が書いてあったりして、日付を書き 入れればいつでも離婚OK。女性はイヤな亭主と縁を切って再婚し、元気はつらつと生きた。  江戸後期には浮世絵や黄表紙など文化が栄えます。そうした日本の庶民文化がフランス などヨーロッパに影響して「ジャポニズム」になる。花見に行くわ、芝居にいくわ、町人 文化が栄え、武家も影響される。ただ、人口は伸びない。安定するのです。  ところが明治維新、そのとき人口は1700年頃と変わらない。それがあっという間に1900 年に、日清・日露戦争の間の時期ですが、4,000万と、1,000万も増えます。それから第一 次大戦、日中戦争、太平洋戦争のころには8,000万。戦争が終わり、道路を作る、工場を 作る、港を作る高度経済成長期、人口は9,000万、1億、1億1,000万、1億2,000万と増 えました。男時には人口が増える。  しかし、戦後も30〜40年たちますと、もう戦争もなさそうだという空気になる。平和憲 法もあり、土井たか子さんみたいに「平和憲法を死守する」という勇ましい女性も出てき て、平和は確実だと思える時代になると、人口が落ちてまいります。女性は仕事を選ぶか、 結婚を選ぶかという苦しい選択をしながら、男の仕事の世界の中に入っていく。これは女 時の始まりです。人口が増えなくなる。今はまさに女時の真っ只中。  ただ、現在の女時は、日本の歴史で3回目ですが、1945年から数えてもまだ60年余り です。100年以上の平安時代や江戸時代に比べるとまだ短い。女時が本物になれば、人口は 安定するでしょう。それが見通しです。  さて、我々の持っている死生観について、古い時代は、高階委員が紹介されたように死 ねば山に還る。これは縄文時代からあったと言われています。それから仏教思想が入って きて、神道も体系化を余儀なくされ、怨霊になったりし、その鎮魂のための神社や仏閣が 建てられる。仏教のおかげで死生観には迷いがなかったようです。  平安時代から「末法思想」が普及します。現代の地球環境悪化と同じような悲観的気分 が蔓延した。だれもが極楽浄土に行きたい。浄土にいる阿弥陀様を信仰し、徳川家康です ら、「厭離穢土 欣求浄土」と記し、浄土を信じていた。江戸時代になると「お家のために 生きる」という武士道が確立し、武士道が規範になって職人気質、町人道、農民にも農民 の道など、「道」の思想が出来て死生観に迷いがない。  明治以降、日本が独立を保ち一等国になるために、国民一丸になって「滅私奉国」。ここ にも迷いがない。戦後はアメリカを目標に経済力を上げていくことで、やはり国民一丸に なって、企業戦士が「滅私奉社」。ここにもさして迷いがない。アメリカから一目も二目も 置かれるまで経済大国になったところで、先ほど茂木委員や古賀委員が指摘されたように、 国民は目標を見失った。会社のために死ぬといったことはバカらしくなり、自分の幸せを 追求したい、自分探しの旅に出て、死生観が定まらず、不安な漂泊状態になって、今日を 迎えています。  では、どうしたらいいか。時代にかかわらず、自己の死の間際の断末魔は苦しいだろう し、怖い。たとえ立派な死生観を持っていても、断末魔の苦しみから逃れるのは難しい。 その解決策は見えません。自己の安心立命ばかりは個人の責任ですね。  ただ、社会性のない生き方は困ります。自己中心のいわゆるミー主義は克服しなければ なりません。その鍵は家族にあるように思います。他人の死はともかく、肉親の死は辛い。 友人、最近ではペットも入れてもいいと思いますが、自分の分身のような存在がなくなっ たときの喪失感、悲しみは深い。お墓を立て、仏壇に位牌をおき、死んだ人と心の対話を する。それは自分以外のものとの関係を知る場です。家族が崩壊すると危うい。いま、家 族がちょっと危ない。母が子を殺したりする。しかし、家族というものは簡単に崩れるも のではありません。家族はいちばん安定した社会単位です。しかも、だいたい一夫一婦制 が基礎です。男女にとっていちばん安定した関係が一夫一婦であることは、人類家族史の 示すところです。  以上を踏まえて、人生85年のビジョンをどう立てるか。まず、いまは「女時」です。だ が、女時はまだ成長期で十分に成熟期に達していない。そこで、女性をもっと元気づける のが「女時」の潮流にグイと棹さすことになります。女時の特徴は、平和を確保すること であり、かつ文化を大事にすることです。スローガン的に言えば「花のある生き方」、美し さを持つ生き方を推奨する。きれいな花のような生き方が理想ならば、「汚ないことはする な」という言い方になります。  男女共同の時代ですから、現在は私のいう「女時」ながら、世阿弥の言う意味での、勢 いのある「男時」を作っていこうということです。戦前の日本は国力の軸心を軍事力に傾 けました。戦後の日本は経済力に国力を傾けました。それは「男時」の政策です。その結果、 日本は必要最小限の防衛力、世界からねたまれたり、憧れられる豊かな経済力を持ってい ます。格差はあるにせよ、全体として見れば日本の経済力は高い。しかし、防衛力、経済 力だけでは心の豊かさ、心の癒しがない。国力に花を添えるには文化力をつけねばなりま せん。文化力とは生き方の魅力をあげていくことです。1人ひとりが幸せを求めるライフス タイルを持ち、日本人全体のウェイ・オブ・ライフ、日本的な生き方、クール・ジャパン を挙げていく。文化力の時代だということです。  そうしたライフスタイル、ウェイ・オブ・ライフ、文化力を破壊する理不尽なことを国 家はしてはいけない。たとえば、戦争はしない。不戦を貫く。安全保障、セーフティネッ トの整備など社会インフラの整備をする。国民が税金を支払っているのは、国家がそれを してくださると信じているからです。企業も理不尽な生き方を強いてはならない。弱い立 場にあるのは、これまでは男時であり、女時は途上なので、明らかに女性です。「男女共同 参画」をわざわざ言わなくてすむ時代を迎えなくてはいけないし、ワークライフバランス も確保しなければいけない。そうしなければ「女時」は成熟しません。成熟すれば少子化に はどめがかかります。子育て支援の中で、いまは人口増加率が落ち込んでいますが、「女時」 が成熟し、本当に平和な時代になると、家族の子供の数が2〜3人になり、人口は定常に戻 るのです。これは興味深い歴史的事実です。江戸時代、間引きもありましたが、それは人 口調節の方法だったようで、子供の数は家族で2、3人となるようにしている。1人っ子で はかわいそう、兄弟姉妹があったほうがいい。3人以上だとちょっと大変、といった判断が 働いている。では子供の数は誰が決めるか。男が「産め」と言っても、女時の時代ですか ら、女が「嫌!」と言ったら、それが結論で終わり。子供は男女共同でつくるもので、女 性の意思が働いたときには大体2、3人に落ち着くでしょう。  現在は合計特殊出生率は1.3人以下。これを2.07人まで持っていかないといけない。ど うしたらいいか。女性の社会的意思が発揮できる環境を作ることです。そうすれば自ずと、 大体2、3人に安定し、人口は、増えもしなければ、減りもしなくなる。 個人の姿勢としては「秘するが花、秘せねば花べからず」はちょっとしんどい。「秘せる花」 もいいけれども、「見(魅)せる花」であってもよかろうと思いますね。  それから、「表と奥」という言葉があります。「奥」というのは日本の独自の言葉で、訳 せません。奥は隅なのでcornerと訳したとします。コーナーに行ったら奥座敷、奥の院が あったりして、いちばん大事なところだったりしますから、奥は決してコーナーではあり ません。中心に対して辺境でもない。奥座敷、奥様などの言葉が現しているように違いま す。旅館などでいちばん良い部屋はいちばん奥にあったりする。これからは、表を張る主 人も奥様も主役であるのがよかろうと私は思います。  以上、全体として国家は国民に理不尽な死に方をさせない。安全な国にする。企業は弱 い立場の人、女性を大事にする。個人は美しい存在を希求する。個人はどうしたらいいか。 己を磨くために自己に投資する。自己を磨かない人は軽蔑されます。まず己のために生き る。つまり「学生期」は必要です。それは青少年が己のために投資する手助けです。「30に して立つ」といいますが、30というのは四捨五入して34歳ぐらいまでのこととし、それま では青年期だということで、大人は青年を助ける。青年が真に立派な大人になれば、世の ため、他人のため、社会のために生きる。それが美しく生きることではないか。  我々は「自立」の時代を生きています。死ぬときに、子供にも他人にも世話になりたく ないという思いが強い。「世話になりたくない」という受動体を「世話をする」という能動 体に変える。役に立つ生き方、言わば自らが何かの媒介になる。主役というのではない、 媒体、媒介であることによって、かえってその人の生き方は美しく輝くのではないか。日 本国民が花を咲かせる媒体になる。 ついでながら、日本の国土も花の匂う国であってほしい。草花の匂う国土のたたずまいで あったほうがいい。北は稚内、北緯45度の亜寒帯。南は与那国島、北回帰線のすぐ上で亜 熱帯。亜寒帯から亜熱帯まで全部あり、生態系は多様です。多様性をベースに国づくりを すれば、地域分権になる。地域のことは地域にまかせる。厚生労働省のような官庁は中央 にないほうがいい。地域に散るべし。厚生労働省だけなく、農水省も国土交通省も文部科 学省も環境省もそうです。経済産業省のうち、通商にかかわらない、中小企業にかかわる 部局もそうです。総務省も、財源がなければいけませんから財務省もそうです。外交・安 全保障、防衛、全体の調節にかかわる役所以外はみな地域におりてゆき、地域に花を咲か せるために土に帰るべし。霞ヶ関に土はありません。土を覆っている。土に帰るのがいい。  全体として日本の国力はGDPでカナダの6倍ぐらいあります。景観として見れば関東は 平野で、平野としての美しさをもつ「野の州」。野の州として世界一の平和の州を作ればど うか。北海道・東北は原生林や豊かな森があるので「森の州」を作ればどうか。日本は山 国と呼ばれますが、中部地方は、ウェストンというラスキンの影響を受けた登山家かつ宣 教師が「日本アルプス」と名付けた山の国なので「山の州」。近畿以西は美しい瀬戸内海、 最初の国立公園になった所なので「海の州」。こうして「野の州」「森の州」「山の州」「海 の州」というように、日本が環境を軸にした美しい国土を作るために一緒に働きませんか といった呼びかけをしながら、自ら率先して地域に下りていく。地域の人々に役に立つよ うな生き方をするのが中央官庁の役人諸氏のいまの役割ではないかと思います。 ○岩男座長 ありがとうございました。途中でお立ちになる方がいらっしゃいますので先 にご発言いただきます。 ○テリー伊藤委員 ご苦労様でした。いろいろ死生観があります。この何年間で日本人の 死生観をいちばん変えたのは、秋川さんが歌った「千の風になって」、あれは相当変えてい ますね。あの歌は100万枚売れています。クラシックの音楽で100万枚というのも異常な 数字ですよ。あの中で歌っていることは、皆さんもご存じだと思うのですが、「私のお墓の 前で泣かないでください」。私はそこに眠っていない、私はもうそのような所にいなくてう ろうろしているという。聞き方によると、非常に不真面目な歌でもあるのです。でも、あ の秋川さんの声とルックス、あのメロディーで100万枚売れたということは1,000万人の 人が支持している。日本人の10分の1はあの価値観を感じ取った。  あの歌、実は何年前から知っていまして、秋川さんとも親しくさせてもらっています。 去年、このすぐ隣の日比谷公園で1万人集会をやらせてもらいました。1万人の方があの歌 を歌いに来て、いろいろな人にインタビューをして、いろいろな手紙をもらって、ファッ クスやメールをもらって、あの歌を聞いて死に対してすごく楽になった。例えば自分の家 族が死んだとき、「そうか、おじいちゃんはあそこに死んでいなくて、お墓に入っていなく て、好きな海に行っているんだ。好きな旅行に行っているんだ。自分が死んだときもすご く楽な気持で死ねる」と言ってくれたのです。  厚生労働省がどこまでできるか。細かいことは実はできないですよ、1つの省庁なんてい うのは。ただ、その価値観とか死に対する感性というのは、こういう音楽1つで変えられ るのです。  あの歌は非常に不真面目だけれども、あの美しいメロディーになると心に入ってくるで はないですか。演歌で演歌歌手が歌っていたら心に入ってこなかったでしょう。先ほど石 川委員が言われたように、もともと死に対していいかげんだったのです。私も実は前回の とき、死ぬ日を決めていると言いました。私の中では結構楽な気持で言っているのです。  私はあまり家族の話をしないのですが、別居しているカミさんがいます。そのカミさん というのは、今日もテニスに行っているのです。私は「たまには医者とか行ったらどうだ」、 「どうせ死ぬんだから」と言うのですが、全く死に対して無頓着なのです。私はこういう 仕事をしているから、「身体が資本だから、ちょっとは身体を大切にしたほうがいいのでは ないか。どうせ死んじゃうんだから」と言う。彼女は死というもの、自分の父親、母親が 死んで、ものすごく死に対して、それこそうちの両親が死ぬときにも相当、うちの家族以 上に献身的にやってくれた人です。こと自分になって、死というものをあえて「どうせ」 という言い方で受け止めているのです。この人、すごい人だなと思いました。すご過ぎて 別居しているのですが。  日本人は自殺が多いですよね。なぜ多いかというと真面目に生きている。真面目に生き ているから、それに耐えられなくなって死んでいく。そうすると、死に対して不真面目に 考えている人はほとんどいないですよ。死に対して追求していくと耐えられなくなる。  去年、『負の力』という本を出しました。ほとんど売れなかったのですが、それと同じよ うなことを渡辺さんが『鈍感力』という本を出しました。あれは相当売れましたよ。私の 100倍ぐらい売れて悔やしい思いをしました。そんなことはどうでもいいのですが。  あれも鈍感力をどれだけ身につけるか、そこのほうが実は死に対して大切なことでもあ るような気がします。いろいろなことを吸収していくということはものすごく怯えになる のです。歌のうまい人が最初ヒットして、普通の歌手が。どんどん人気が上がって、途中 から売れなくなる。いろいろ曲にこったり、詩にこったり、歌い方にこったり、スタジオ にこったりしてどんどん自分を失っていくわけです。それと同じように、やはり死に対し てもあまり深く、そう言うとすごく語弊があるのですが、どれだけ楽に捉えていくかを自 分の中で鍛えていくことも必要なのではないかと思います。  例えば、私は抗菌包丁とか抗菌まな板が大嫌いなのです。あのようなものはなくてもい い。あのようなものがなくたって死なないでしょう、抗菌まな板ができたからって。そう すると、今度は抗菌まな板でないとまな板ではないような、どんどん自分の中で武装して いく、自分の中で知識を得ていくことでどんどん狭まっていく。生きた心地がしないまま 生きていく。ここにいる人たちはみんな、多分、ある程度IQが高い人だと思うのですが、 これからどんどんIQを減らしていく。そういう楽な気持を持っていかないと長生きできな い。肉体を鍛えるのではなくて、死に対する粗雑感みたいなものを鍛えていく。十分にや るのです、人間というのは生きていくために。  最近、若い人でも何でもそうなのですが飲むでしょう。6割の人が「身体にいいから」と 言って飲み出すのです。こんな馬鹿な話はないですよ、身体にいいから若いときから飲み 出すなど。自動販売機の前でみんな、ぞろぞろ、「これは身体に良いから」と飲んでいる。 何、言っているんだという感じです。これが実はいま、日本人のいちばんひ弱になってい る体質でもあるのです。そういう部分から直していくことがまず1つです。  もう1つ言いたいなと思ったのは、日本の老人たちが住みにくくなった1つの点として、 先ほどモレシャン委員がおっしゃったフランスでヒットした映画、「猫が行方不明」の話を されました。私は実はあの作品を見ています。なぜ、「猫が行方不明」がヒットしたかとい うと猫だからです。例えば、「サングラスが行方不明」ではヒットしないのです。というの は、猫というのは年寄りから子供までが共通して好きな物なのです。共通して会話ができ なくなってしまったものがいまの日本なのです。  例えばファッションの話、モレシャン委員はプロだからできますけれども、音楽の話も 10年世代が変わったら会話できないですよ。これが例えば釣りの話だったらできますよね。 落語の話だったらできますよね。猫の話だったらできるのです。どれだけ年齢を超えて、 世代を超えて、共通事項のものが提案できるかどうか。イギリスへ行って、パブへ行くと、 田舎へ行くとイギリスなどお金もないし、娯楽もないからパブで飲んでいるしかないので す。90のじいさんから18の子供まで同じ話をしているのです。同友部分の同じ共通事項の 話ができる、そういう教育などをどんどん提案していくことはものすごく大切なのではな いか。そうすると、年輩の人たちも居心地良いし、そういうことがこれから提案していけ るといいなと思っています。 ○高橋委員 テリー委員の発言を楽しみにしていました。モレシャン委員の「若いうちに 準備する老後」という最初のタイトルが私にはとてもプレッシャーです。やはり、いまま で、全然老後の準備をしないでここまで来てしまった。ただ、常に思っていたことは、私 はフリーランスで大変不安定な仕事をしていましたが、面白おかしい人生を与えられてい る。  それに対して、自分は出来るだけほかのことは頑張ろう。もう、とんとんでいいではな いかみたいな感じで子育て、介護、家庭生活をほとんど全部自分が支えて50代の初めまで 来た。そこですべてが終わったというか、ガラッと回転扉が回ってポツンと1人になった。 そこでどうしようか、はじき出されたところからまた私の人生が始まった。多分、ここに いる皆さんのように、例えばすべて老後のために何かしらは持っている。「持っていても足 りない」とモレシャン委員はおっしゃるけれども、私はまだマイナスです。これから10年、 本当に頑張ろうと思っています。  その中で、多分、私の役目ははじき出されてしまった、準備も何もしていない人の1人 としてキラキラ、何かを発信しながら、それをどういうものが格好悪いのか、格好良いの かわからないけれどもやっていこう。  この会議も4回目、皆さんそれぞれ自分の中の得意分野みたいなものができてきたと思 います。私も最初からご近所付き合いみたいな、地域社会の話みたいなものをしています。 前回のお話の中で小さな介護、介護を大きなもの、私など自分の人生を全部かけてしまっ たけれども、これからは小さな介護をみんなでこつこつ社会の中でやっていこう。自分が 毎日の生活の中で、ここで概念をみんなに提供するというのもあるけれども、自分個人の 生活の中で自分はどういうようにそういうものを実践していくかがあるのです。  一昨昨日だったか、テリー委員もよくご存じの布袋さんとか、そういう仲間と3時間ぐ らい話をした中で、布袋さんからのメールで返ってきたことは「いろいろな話の中で、や っこさんの話がいちばん自分にとって興味があって面白かったのは小さな介護の話だった。 私もそれをやる」ということがありました。そういう仲間をご近所の人とか、いろいろな 人とやっていって、いま皆さんがおっしゃっているような1つの小さな場所から概念を現 実化していく。そのために、私なりに売れない小さな本を書いて仲間を増やしていこうか なという、1つのテーマをもらって動き始めています。今日の話も、私にとっては聞きなが らどういうようにしていこうか。行政とかの立場だけではなくて聞いたのですごく面白い のです。  私も10何年前、6人いる親のうちの5人目を亡くしたとき、とても孝行娘でお墓をきち んとしていたのです。そうしたら、そのとき、密教をやっているおばあさんが「あんた、 お墓なんて全然意味ないんだよ。自由に飛んでいるんだから」と同じことを言われて、は っと気がつきました。それから、お墓参りの回数が減りました。毎日思って、毎日家でチ ンとやっていればそこら辺にいるのだなというのがありました。私も少しずつ、死の概念 みたいなものが変わってきているのではないか。今日のお話も聞いて思っています。まだ まだ死は怖いけれども、そういうようなことをみんなで体験して伝えていく役目をしたい なと思っています。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 「プレッシャー」という言葉がありましたので発言 します。例えば、私が書いたことについてプレッシャーを感じるということは残念ですね。 ○高橋委員 いや、プレッシャーは私にとって内容ではなくて、お金がないということで す。経済的部分です。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 もちろん、そちらもそうだったと思いますけれども、 よくあるでしょう。素晴らしい日本のことわざの1つ、「三つ子の魂百まで」、それですよ。 言いたかったのは。自分の話はしたくないけど、例えとして、うちの母が芸大の先生で、 小さいときからうちはお金はなかったけど文化があった。 ○高橋委員 プレッシャーという言葉は取り消してもいいです。ただ、多分、ベーシック は同じだと思います。子供には飼っている猫の死を見せてきたし、おじいさん、おばあさ んの死はほとんど付き合わせています。そういうことは大事だと思います。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 そうそう、それはそうでしょう。簡単に申し上げる と、とりあえず3歳、5歳、6歳まで、大人たちは子供にいろいろな分野を差し上げれば、 うちは音楽とバレエをやっていたから、あとで年をとってから「どうしようかな」とは全 然出てこなかったわ。仕事で自分の人生、食べるためにやることやらないといけないので 好きなことをできるだけ、60、70になればやっとバレエを改めてできる。先ほどの話を聞 いて改めて思ったのですが、日本の歴史を勉強するための時間を作りたい、備前焼きをや りたいといろいろありますからね。なぜ、私はそういう希望、気持を持っているか。多分、 両親のおかげだと思っています。両親は中世時代の大道の理屈ではなくてとても自然でし た。英語で「pleasure」、母は先生だったのに「勉強」という言葉を一度も使わなかった。 「楽しみましょう」ということでしたこれがやっとわかりました。物足りないです。中世 時代の勉強もしたいし、「葉隠」も改めて読みたい。知りたいの、自分のものにしたいの。 理屈や頭を使わずに、舟みたいに川の流れに乗ってしまえば。やりたいこと、聞きたいこ と、お付き合いしたい人がたくさんいますから困るのです。 ○高橋委員 それはすごくよくわかっています。 ○岩男座長 まだ残間委員、荻原委員からご発言をいただいておりません。いかがでしょ うか。 ○残間委員 山崎委員はその辺のご専門ですが、死もそうですが、その手前の病もかなり 重要ではないか。私は小中学校時代、「病気の問屋」と言われるほど、ほとんど学校に行っ ていないぐらい入院生活が長かったものですから、常に死が傍にあった。10代のころには 友人、入院している人も含めて20人ぐらいの同じ世代の死を見ていたということがありま す。長じて、昨今、私の同世代の友人たちもすごく病に侵されている。病から学ぶことも とても大きいような気がします。  先ほどのテリー委員のような、達観したようなところに行けるといいなと思いますが、 なかなかそこまでは行きません。  モレシャン委員の話を聞きながら思ったのですが、最近、みんな「PPK」つまりピンピ ンコロリと死にたいと言います。気持としてはわかるのですが、あまりああいうことが表 面化すると長患いがしづらいというか、年をとって病を得たということが何やら罪深いこ とのようになる。長患いのまま人生85年続けられたら困る、という若い人たちもいるので す。「そんなに長く生きるつもり?」みたいな。  等しくみんな死ぬわけですが、死までのプロセスが簡単に扱われているというか、見な いことにして目を覆っているというか、この辺がちょっと気になるなと思います。死を思 うことも大事ですが、そこまで行く間をちゃんと丁寧に見据えること、教育というほど大 げさなことでなくても、病ということも1つお手本というか、生命が終わるまでの、死ま でのプロセスを、病も含めて大切にするという考え方を見据えていく必要があるのではな いかと思いました。 ○荻原委員 私はこの間の日曜日にあった、「東京マラソン」のフルマラソンにチャレンジ して走ってきました。7時間制限で6時間半と、ぎりぎりでした。途中、78歳のおばあ様 と歩きながらお話をしたのですが、そのおばあ様が言っていらしたのは「私は若いころ、 全くスポーツをしてこなかったのだけれども、膝を手術したことでウォーキングをリハビ リで始めた。東京マラソンというものがあったから、人生も短いし、いろいろなことにチ ャレンジするといった意味では、東京である大会に出たいという思いを持って練習してき た」と言われたのです。  そのときにもう1つ言われたのが、「私はいろいろなことにチャレンジして後悔はないか ら、いま走って、この場で倒れて死んでしまっても後悔はない」ということを言われまし た。  それと同じことを私も数年前、水泳の会場で98歳のおばあ様が水泳の大会に出られてい ました。「大丈夫ですか」と質問したら、北海道から来られていて、家族はみんな反対して、 「危ないから絶対に行くな」と言われていたのだけれども、友だちと秘密でやり取りをし ながら置き手紙をして出てきたと言ったのです。私は死ぬかもしれないけれども、大好き な水泳ができて本当に幸せだし、もし大会中に私が脳梗塞、心筋梗塞で亡くなっても、本 当に幸せだったから許してくださいと書いてきたと言ったのです。  私の中学時代に祖母が亡くなって、初めて死んだ人をまのあたりにして、死に対してす ごく恐怖がありました。でも、東京マラソンとか、水泳の会場で出会ったおばあ様たちが 言ってくれた言葉を聞いたとき、やはり死ぬまでにやり残したことがなかった、人生生き てきて良かったなとか、私だったら水泳をやってきてよかったなと思える何かをつかむこ とが大事なのではないか。スポーツの現場なのですが、そういうことを教えてもらったな ということを感じています。 ○岩男座長 ありがとうございました。表現はそれぞれ違うのですが、例えば川勝委員が 「美しく生きる」とおっしゃった。それは例えばプロセスを丁寧に生きるという、外見的 な美しさということではなくて、心豊かに学びながら、人の役に立って生きるというよう なことが全部そこに含まれているのではないかと思いました。また、己のために投資をす るというようなことも必ずしも金銭的な意味だけではなくて、人間関係であったり、気持 の持ち方であったり、あるいは時間であったり、いろいろな投資に充てる資産があるとい うようなことではないかと思います。  今日はもう時間が来てしまいました。このあたりで本日の会は閉じたいと思います。こ れまでいろいろなご意見が出ました。事務局もなかなか大変だと思いますが、少し整理を していただいて、次回は報告書に向けた骨子案を示して議論をしていただく。こういうよ うなことで進めていきたいと思います。3月中に次回を開くということで、また日程調整を 事務局からしますのでどうぞよろしくご協力のほどをお願いしたいと思います。いま、「い つまで続きますか」というご質問がありましたが、一応あと2回ぐらいかと思いましたが いかがでしょうか。 ○小野政策統括官 第1回目のときにあらかたのスケジュールをお話させていただきまし た。今日ディスカッションで4回目なのですが、あと2回程度かなと思っています。いま までいろいろ貴重な意見をいただきましたので、次回骨子というより叩き台のようなもの をお示しして、材料をお出しして少しまとめに向けての議論をしていただく。その上で、 さらに最終的な報告書(案)を作っていただくということでもう1回、あと2回程度とい うイメージでおります。 ○岩男座長 よろしいでしょうか。今日はどうもありがとうございました。これで閉会し ます。 照会先 政策統括官付労働政策担当参事官室 調整係 内線7715