08/02/14 第3回議事録 第3回 人生85年ビジョン懇談会議事録 日時:平成20年2月14日(火)10:00〜12:00 場所:霞ヶ関合同庁舎5号館9階厚生労働省省議室 ○岩男座長 時間になりましたので、第3回人生85年ビジョン懇談会を開催させてい ただきます。本日は、大変お忙しい中をご参集いただきまして、ありがとうございまし た。本日は、川勝委員と山崎委員が初めてご出席です。山崎委員には前半で発表をお願 いいたしますので、川勝委員、一言ご挨拶をいただければと思います。 ○川勝委員 静岡文科芸術大学の学長を務めています、川勝です。どうぞよろしくお願 いします。 ○岩男座長 本日の議論の進め方ですが、前半は山崎委員に発表いただきます。大体15 分ぐらいお話をいただいて、40分ぐらい議論をしたいと思います。後半は、同じように 茂木委員に発表をお願いして、議論をしたいと思っております。前回までの私の時間配 分がまずかったものですから、皆様に十分ご発言いただけなかったというようなことが ありましたので、是非今回は1回のご発言につき大体3分程度でお願いをしたいと思い ますので、ご協力のほどよろしくお願いいたします。  それから資料ですが、資料1は前回までにいただいたご意見を事務局がまとめたもの です。資料2は、前回いただいたご意見に関連する資料をまとめたもので、その中の2 番目のものは、企業のトップと労働者の総報酬の各国比較です。これは、茂木委員のお 求めに応じて事務局が用意したものです。なお、テリー委員と舛添大臣も遅れて駆け付 けられると伺っています。それでは、早速始めさせていただきたいと思います。山崎委 員、よろしくお願いいたします。 ○山崎委員 私も2回ほど欠席をいたしまして、申し訳ありませんでした。今日初めて です。私は医者でして、17年間外科医をした後、14年間ほどいわゆるホスピス、緩和 ケア病棟というがんの患者さんたちを専門的に診る所で、仕事をしてまいりました。2 年ほど前から、在宅の患者たちを往診あるいは訪問する在宅専門の診療所を開業してい ます。  私がこの懇談会に呼ばれた理由は一体何なのかなと思ったりしていたのですが、たぶ ん人生85年ということを考えますと、それに向かったさまざまな明るいビジョンなど がたくさん展開されるのではないか、ということは十分承知していたわけですが、しか し、私が医者になって20年近く見てきた人生の現実というものは、そうは明るいもの だけではありませんでしたので、そのような経験の中から、やはり人生の実相をしっか りと見据えなければ、いかなるビジョンも語れないのではないかと思っていまして、私 はその辺りのことをお話させていただくことが役割かなと思っております。  また、その経験の中から特に目新しいことではないのですが、我々が個人としても、 地域としても、社会としても、あるいは国家としても押えておくべきことについて、提 言をさせていただきたいと思っています。資料に、メモ書きのような非常に些末なもの ですが、箇条書きにしたものと結論の2枚があります。それをご覧いただきながら簡単 に解説をしていきたいと思います。  まず、私たち人間にとって100%確実なことは、死亡率が100%だということです。 誰も死から免れることはできないということです。いままでもそうでしたが、これから 新薬の開発や医療技術の開発などによって、さまざまな病気が克服できるかもしれませ んが、しかしながら我々の生物としての老いや死は、克服できないということですね。 それがまず大前提です。  世間ではしばしば「ぴんぴんころり」と、ぴんぴん生きてころりと死ぬのが理想だと いわれていますが、しかしそれはほとんど幻想に近いことなのですね。「ぴんぴんころり」 がもし現実にしばしば起こったら、これはもう事件ですよね。ですから、そのようなこ とは実際はほとんどあり得ないのだということですね。中には非常に長く元気に生きら れて、わずかな期間に亡くなる方もいらっしゃいますが、そのような人たちはむしろ珍 しいです。私たちは、よくいろいろなメディアを通して元気な高齢者の方を見ますが、 その人たちは全体から見るとわずかな人たちなのだと思います。それを確認しておきた いと思います。  少なからぬ人が自分の意志に関わらず、ある日突然のように例えば脳梗塞になって、 麻痺が残り、その麻痺との闘いの中で生きていくこともあります。長嶋監督やオシム監 督のように、著名でもあり経済的なバックグラウンドもあれば、さまざまなリハビリを 受けながら生きることも可能でしょう。しかし私が在宅での往診をしていますと、昭和 30年代に建てられた団地がいろいろありますが、4階建て、5階建ての団地などでも、 エレベーターが付いていません。そのような狭い不自由な環境で過ごしている人たちも います。そのような情景を見ると、やはり明るい夢だけを語ることは出来ないなと、こ のような現実にも目を向けなければならないのではないかという気がしているわけです。  いずれにしても、私たちは自分たちの人生設計の中に希望や夢に満ちたビジョンを描 くと同時に、もしも自分が脳梗塞などで急に倒れてしまった場合や、それからご存じの ように、いま日本人は年間33万人ががんで亡くなっていますが、それは日本人の死因 のトップですし、それは3人に1人ががんで亡くなるということですが、そのようなこ とも自分の人生にはかなりの可能性であるのだということも考えておいたほうが良いと 思います。  昨年4月から「がん対策基本法」が施行されて、がんの克服ということが謳われてい ますが、もう一方ではがんになる罹患率は高まっています。がんは老化に伴う疾患です ので、まもなく2人に1人ががんで亡くなる時代が来るだろうということもあります。 ということは、先ほども申しましたが、自分の人生設計の中に、がんになるのだという ことと、がんが克服できずに亡くなることがかなりの割合であるのだということも、ま た現実のものとして入れるべきだろうと思っています。  しかし、残念ながらそうなってしまった場合に、では自分が安心して療養できる場所 があるのかというと、これもまたなかなかないのですね。厚生労働省の施設基準を満た した緩和ケア病棟(ホスピス)では、そこそこのケアが行われています。しかしながら、 緩和ケアを十分に受けることのできる人は、日本全国がんで亡くなる人の10%に満たな いという現実もあります。がんに対する緩和ケアの充実もがん対策基本法では謳われて いますが、人材の育成というものが十分に行われておりませんので、しばらくの間は不 遇な状況で生きる人はたくさんいるだろうなという気もします。  例えば、いまは高齢社会で1人暮らしの人も増えています。その人たちが病気になっ ても自分の終の住処で最後まで生きたいのだと願ったとしても、それを全うできるかと いうと、これもなかなか難しいのですね。私は末期がんの患者をたくさん診てきていま すが、がんが治らなかった場合でも、亡くなる1カ月前ぐらいまでは何とか辛うじて自 分のことが自立して行うことが可能なのですね。しかし、亡くなる1カ月以内になって きますと、階段を落ちるように悪化して、亡くなるというプロセスを辿るわけです。  そうすると、いま介護保険で末期のがんが特定疾患となりまして、40歳以上の方も介 護保険を使うことが可能になりました。しかし、患者さんたちが介護保険を使いたいな と思うころは、生活が不自由になり始める頃、すなわち亡くなる1カ月ぐらい前のこと が多いのです。そこから介護認定の申請をし、調査を受けて、結果がくるまでに約1ヶ 月かかりますので、結果が来るころには亡くなっているということもあります。しかも、 調査を受けた時点ではまだ動けますので、ご家族にも間もなく臨終かもしれませんと言 っているころに来る介護結果が、要介護1ぐらいなんですね。十分に介護保険が使いこ なされていないという現実もあります。  しかし、同時に私は在宅でずっと患者を診てきますと、家族がいてある程度介護力が あれば、ほとんどの人は最後まで家にいられるのだということが分かります。例えば開 業して2年半の間に、私が関わった患者さんのうち約150人が亡くなったのですが、そ のうちの7割の方は在宅で看取ることができました。3割の方は、残念ながら病院やホ スピスに行きましたが、最大の理由は介護力不足なのです。家族の介護力が限界にきて しまって、我々から見てあと数週間頑張れれば、このまま家にいたいと願っていた思い が叶えられるのに、それができない。例えば介護保険で、末期のがんの場合は残り1カ 月間、大体予後の予測はつくのですが、そのときに介護保険をフルに使っていいですよ と、あるいはもし1人暮らしなら24時間の介護が保証されれば、ほとんどの人は入院 する必要がないのですね。  人生最後の決めては、医療でもあり看護でもありますが、最大の決め手は介護です。 介護があれば、ほとんどの人は家にいられるということですね。しかしながら、介護保 険のいまの現状では限界がありますので、最終的に数週間入院せざるを得ないというこ とも少なくありません。そのようなことが現状としてあるわけですが、制度の充実だけ で変わるのかといいますと、日本の経済状況ではなかなか難しいかもしれません。やは り、それぞれが負担を増やしながらでも、そのようなことを目指していく必要はあるだ ろうという気はします。あるいは、また地域社会の力を借りて、ボランティアの参加や 地域の寄付も必要になってくるのではないかという気はします。  自分たちが辿る可能性がある最終段階のことを想定しながら、そのうえでの自分のビ ジョンでなければ、こんなはずではなかったということがしばしばあるわけです。がん の患者たちが、まさか自分がなるとは思わなかったという話を聞くたびに、何と情報が 不足しているのかと。がんで亡くなるということが2人に1人はある時代がきているの に、青天の霹靂と言われてしまうと、現実をもっと見つめていくべきではないかなとい う気がしています。  そのような現実を見ていますと、制度としての不備ももちろんありますが、もう一方 では、私たち人間は生老病死を生きているのだ、という自覚が足りないのではないかと いう気がします。それはなぜかというと、たぶん昭和30年代後半以降に、在宅で亡く なる率が減ってきてしまって、ほとんどの人が病院で生まれ病院で死ぬということにな ってしまっているからで、つまり人間の厳粛な誕生と死というものが、病院の枠の中に 管理されてしまい、私たちはそこに参加できなくなってしまったことも関係があるので はないかということですよね。  私のもう1つの提言はこれから述べますことになりますが、たとえば、在宅で患者さ んたちが家で亡くなっていく場面では、そこに家族や地域の人々が集まってくるわけで すね。そして、患者さんがだんだんと体力が低下していって、亡くなっていくまでのプ ロセスに参加できるのですね。そのときに、適切な緩和ケアが提供されていれば、その 人たちが苦しみながらその時間を過ごすことは避けることが可能になってきますので、 自分の大事な家族である父や母、あるいは祖父や祖母たちが亡くなっていくプロセスに、 安心して子供や孫たちも参加できる、親戚たちも参加できるのです。こういうことは、 病院に行きますと、面会時間の制限があったり、夜は泊まれないということがあって、 なかなかできません。しかし自分の家のような場所であれば可能になるのですね。  ですから、病院に管理されてしまった死を、地域社会、特に在宅に取り戻すべきだと 提言したいのです。そのことによって、私たちは身近な人たちの人生の最終的な段階の プロセスに参加でき、そのことを実感することによって、さらに自分たちが1人で生き ているのではないのだということの実感もできます。また、こうやって人は死に世代は 交代されていくのだというプロセスを在宅で見ることによって、そのプロセスを看病し ながら、自分の人生に重ね合わせることも可能になっていくのですね。  いま自分はこんなに健康で、社会的に活躍もしているけれども、しかしいつかはこん な日がくるだろうと。そして、やはり自分の持っている健康や社会的地位に対するおご りというものが減らせるだろうと、もっと自分の終わり方に謙虚になれるのではないか なということを感じています。  それから、これもしばしばあるわけですが、自分たちがそうなるという想定をしてい ませんので、そうなってしまった場合に本人も家族もどうしていいかわからない。つま り、限られた時間で、治らないかもしれない状況の中でどういう医療を受けたいか、ど ういう医療を受けるべきかという判断や選択も不可能になってくるのですね。しかし、 そのように自分たちの身近な人の死のプロセスに参加する、それはまさにその人の生き るプロセスに参加するわけですが、そのようなことをしていくと、自分がもしこうなっ た場合には、こういう医療を受けたい、こういう医療は受けたくないというようなこと が実感として得られるだろうと思います。  つまり、自分が幸いにしてそのまま長寿で天寿を全うできればよろしいですが、なか なかそうはいかないわけです。いまいろいろな医療現場で生命維持装置の停止などのさ まざまな問題が起こっているのは、その人たちがどんな意思を持ってこの医療を受けよ うとしているのか、ということが見えないからですね。しかし、もし私たちが脳死臓器 移植のカードと同じように、自分がそうなった場合に受けたい医療、受けたくない医療 というものを、存命中にしっかりリビングウィルとして確立するということを、社会的 なコンセンサスとして行っていくことができれば、終末期医療の状況は随分変わってく るだろうと思います。  いまは、受けたくない医療を受けて、そのために膨大な医療費がかかっているという こともあります。受けたい医療を受けられない人もいますが、受けたくない医療を受け てしまっていることもあるわけですね。ですから、まさに生あるいは死の実相に身近に 参加し、そして自分たちがそうなってしまった場合のリビングウィルをしっかり表明で きるような制度作りや、あるいは自分たちの大切な家族を失うという場面を、病院とい う管理された空間ではなくて、地域や自宅に戻していくのだということを、私は提案し たいのです。  具体的には、例えば子供は子供なりに死というものを実感することも可能ですし、い ずれは大切なものがなくなるのだということも、もちろん学びようがあるわけです。ま た、それは 生徒、学生、成人になってからも、そのことはいろいろな場面で学ぶこと ができます。テレビや映画にある死だけが、死ではないわけですね。だとすると、哲学 的なもの、文学的なものを教育カリキュラムの中に取り組んでいくこと。もう一方では 病院、緩和ケア病棟あるいは特別養護老人ホーム、デーサービスの中にも、介護力不足 の所が結構あったりしますので、そういう所に、子供も学生も大人も、企業であれば企 業が社会的な責任として、そういう所に自分たちの組織で働く人たちを、できるだけボ ランティアとして参加するようなことをすすめる。デスクとしての学びのほかに実践と しては、そういう所にいくことによって、私たちは人生の実相というものに迫まること ができるのではないかという気がしています。  もう一方では、1人で暮らして最後まで家で生きたいと願っている人たちの願いを叶 えるための、特に介護が不十分でそれが叶わない人たちのために、制度上の整備をする こと。そして、まさに自分が住み慣れた地域の中で、自分たちの人生が最後まで送れる のだというような在宅での看取りというものを、これは厚生労働省のほうでもいま政策 として行っていますが、私が特に言いたいのは、そこで展開される情景というものは、 家で亡くなることによって家族が参加し、地域が参加するということなのですね。  先ほど申しましたように、私たちはそこでどんなに大切な人にも必ず死が来るのだと いうことの実感、つまり命の有限性というものを学ぶわけです。そして、どんなに大切 な人でもやはり体力が低下すれば、排泄や入浴を他者の手を借りなければならないとい う現実も、そこで目の当たりにするわけです。それは、まさに自分の身に降り懸かって くることかもしれないということです。そうすると、やはりその人たちに対しての愛情 は変わらないわけですから、そこで出てくる命の有限性のほかに、有限性を生きる最後 の段階で直面する困難に対して、他者がそれを支えてくれるのだということに関する優 しさや、謙虚さというものを学ぶことができるのではないだろうかということです。  在宅で亡くなるということは、そこで死にたいからだけではなくて、そこでそういう ことが起こることによって家族が集まり、たとえばそこでは崩壊しそうな家族が再生す るかもしれないのです。その家族を支えようとする地域社会があるかもしれせん。そう すると、疎遠になってしまったという地域社会が、また結び付くことができるかもしれ ないということです。そして、家族が再生し、地域社会が再生することによって、自分 たちの目の前の問題さえ解決できればいいとか、自分の生活を守ればいいというような 現代の風潮ではなくて、社会そのものの再生というものができるような気がするのです ね。  そして、そのようなことに実際に直面したときに、家族や周りが困ることがないよう な、自分たちのリビングウィルというものもしっかりと行っていけるような社会になれ ばいいなと思っています。  以上をまとめますと、まずは死を学ぶ。死ということから目を背けてはいけないとい うことですね。死を学び、それは年齢に応じた形での学び方がいろいろありますので、 死を学びより良く生きるための教育カリキュラムというものが必要ではないだろうか。 そして、それを具体的に学んでいく場所としては病院があり、デーサービスがあり、緩 和ケア病棟があり、特別養護老人ホームがあると。そういう所に、どんどん社会の意識 として参加していくのだということですね。  さらに、病院で亡くなることが最善だと思われていた時代は過ぎまして、いまはまさ に反省しているときですが、いろいろな制度を整備してでも在宅という地域社会の中で、 人間の厳粛な死という場面を家族も地域社会も参加できるようにしていくということで す。そう言う社会背景があって初めて、私たちはまさにさまざまな自分たちが活躍でき るようなビジョンが描けるのではないかと思っています。私の提言は以上です。 ○岩男座長 ありがとうございました。ただいまの山崎委員のご発表ですが、紹介が遅 れましたが、資料の3があります。それから、前2回それぞれに、山崎委員からは資料 を提供いただいています。また、高橋委員から、まさにいまの発表に関連したメモを今 朝お配りいただいていますので、まず高橋委員にご意見を伺いたいと思います。 ○高橋委員 いま山崎委員のお話を聞いて、私は本当にパーンという感じだったのです が、まさしく夕べ私が作ってきた資料を、専門的な立場からで、私自身は30代から5、 6人の肉親や大家さんみたいな近所の人の介護をして、いろいろなタイプの介護をして きて、本当に同じ結論に達していたので、今日ここに来てよかったなと思いました。  これを読んでいただければわかるので手短に言いますが、私は小さいときから子供を、 必ずいつも老人の施設には連れて行っていたのです。息子が20代のときに私の父が死 んだのですが、その死んだ最後の日に、やはり私自身はその介護の中で熟年離婚をして いるのですが、その息子がお祖父さんの人生のいちばん最後の1日に、1日中ずっと一 緒にいられたことはよかったと言ったのですよ。その一言を聞いたとき、私はもう本当 に在宅で何も無くしてしまって頑張ったけれども、この一言があって私は本当に報われ たなと思ったのです。たぶんそのようにしてバトンタッチができると思います。  またいま言っていた中で、私はいつもご近所ご近所と言っていたのですが、私自身が 笑ってしまう会なのですが、一応「さみしがりや研究会」というものを作って、さみけ んさみけんと言って2回行いました。20代から60代ぐらいまでの私の友達10何人で、 いろいろな彼氏がいなくて寂しい者から、将来に不安や女1人で自転車屋をやっていて 倒産しそうな、いろいろなクリエーティブな人からそういう人まで集まって、ワーッと やっている会を2回やりました。そうしたら、次のさみけんはいつかと言われているの で、このようなことから何かが生まれていくのではないかということは常に考えている ので、いまはとても嬉しかったということをまず申し上げます。以上です。 ○岩男座長 それではどうぞご自由にお手をお挙げになって、ご発言をいただきたいと 思います。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 1つだけいまのお話を聞いて同じく、本当にそう いきましたね。なぜかと言うとメディアで活動させていただきまして、メディアだけで もなくてもそうですけれども、死という言葉とか、死ぬという言葉はね、いまはどうで すかわからない、3年前ぐらい、けれども10年前、15年前、5年前でも使えないです。  ですからルールとして使えないことじゃなくて、使うと「あっ、モレシャンさん、そ んなこと言ってもいいんですか」という社会ですからね。本音ではなく建前の社会じゃ ないですか、みんな死ぬんだから。先ほど出た、本当に先生のお話聞いて、すごくみな 死ぬんだから本当にすごく嬉しいと言葉使うのは合わないかもしれませんけれども、い や、使いましょう嬉しいです、本当に先生ありがとうございます。本当のこと、本音的 なこと言ってくださいまして、この考え方で私たち、その懇談会ね、考えないといけな いと思いませんか。基本ですから。  それからもう1つ、それはリポートに書く時間が、場所があれば書きますけれども。 3日前Herald Tribuneでした、私は日本語読めないから、英語とフランス語で何とか勉 強してますけれども。あの、書いてあったのは人間のね、お酒あんまり、まあとんとん 飲む人間、exercise、運動なさる人間。たばこ吸わない人間、結構お野菜と果物いただ く人間はね、普通の寿命よりも絶対14年出してもいいんですって。 ○岩男座長 平均寿命よりもということですね。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 平均寿命よりも、そう、ありがとうございます。 恐ろしい。私はそこまで生きている予想はありません。そうなんですよ、それも考えな いとね、経済的なお話もね。先生からのお話出ましたけれども、恐ろしいですね。です から大体いま女性は85歳でしょう。プラス14、もうちょっと心配ですね。それも考え ないとね。健康で、健康でいきましょう、いいんですね。けれども社会に戻して、いく ら健康でもたぶん病院に通うのは増えるでしょう。たぶん車椅子でも必要でしょう。い くらか運動をやってもわからないですけれども。そうするとですね、社会にすごくお金 がかかるんですってね。もう1つやはり自分の記事の中で、糖尿病とか、糖尿病ですか、 obesity、英語でobesity。 ○岩男座長 肥満ですね。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 あっ、肥満。そうそう、肥満の方はね、恐ろしい ことが書いてあったのね。早く亡くなるんですから、社会に予算がかからなくていいじ ゃないですかまで書いてあったんですよ。そういうことを読むとですね、ちょっと一応 ご報告として、結論までいきたくない今日はですけれども。ね、たぶん皆様読んでしま ったかもしれませんけれど、そういうことでございますね。いまの社会の中では出てく る話が。以上でございます。 ○岩男座長 ありがとうございました。どうぞ茂木委員。 ○茂木委員 私は山崎先生から前回、前々回もメモを頂戴しておりまして、それを読ま せていただいて、非常に重いものを感じておりましたのですが、今日は直接お話を伺う ことができて、実は大いに反省をさせられておるところなのです。と申しますのは、確 かにおっしゃるように最期の時を迎えるまで、家族あるいは知人の中で寂しさを感じず に、その時を迎えるということ、これは非常によいことだとは思うんですけれど、ただ 実際問題として最近の一般的な我々の考え方として、やっぱり介護というのは家族にと ってはものすごく肉体的あるいは精神的負担を伴うわけですね。それでつい自分もいず れ年を取ったら、もう実はそう遠からぬ将来だとそろそろ思っているのですけれど、子 供たちになるべく迷惑がかからないようにですね、どこか施設、適当な所を見つけて入 ったほうがいいなあという、そんな感じを実は持っておるんですね。  私が見るところどちらかと言うと、いまの日本の社会では何となくそんな雰囲気のほ うが多いようにも思うんですけれど。ただそれが確かに姨捨山的に、何かどこか遠くの ほうに行っちゃって、家族もほとんど来ないというようなことでは、これまたあれなん ですが。その辺この、どういうふうな介護の仕方が望ましいか、高橋委員の実践的なメ モも拝見しまして、私としては非常に考えさせられておるところでございます。 ○岩男座長 茂木委員がおっしゃった、できるだけ子供に迷惑をかけたくないというこ とは、私自身もそう思っておりますし、それから私の友人は会うたびに死が話題になる と、そういうことを言っておりますので、たぶん大半の人はそのように考えていて、自 分の死が教育とか、地域再生の1つの梃子になるというような認識はないのではないか というふうに思います。山崎委員のお話で認識を改めました。 ○高階委員 いまの山崎委員のお話大変感銘を受けまして、皆様のご感想どおりなので す。特に最初に、「人間の死亡率は100%でみんな知ってる。しかし実感として持ってい ない。そのために身近な人の死、在宅介護で」というお話で、これはいま情報は大変氾 濫していて、情報はすぐ手にいろいろな方法で入るんですね。知識はどんどん増えてい くんですが、それが実感になってない。おっしゃったのは学ぶということは実感だと。 ですから人間はいずれ死ぬんだと、みんな知ってますけれども、実際にここで参加する、 他者との関係を大切にする、それは非常に重要なことだと思うんです。  ですからそれが、では単に知識だけではなくて、実感をするためにどうすればいいか。 いまの参加、あるいは他者との関係性の大切さを思う、そして地域社会とか家族という グループに実際にそれを行う。この提言は大変大事だと思います。今日のメモの1枚目 の最後に、したがってより良く生きるためのカリキュラムを学童期から成人に至るまで 生涯教育に繰り入れると。教育問題ともつながると思うのです。  私どもが小・中・高でも、特に大学で関係していますと、学生はアルバイトをいろい ろやるというようなときに、昔はと言うとまたすごく怒られる、昔は我々は研究室でい ろいろ雑用をさせられる。本当に資料の整理から何までするのは当たり前でやらされて いた。いまは学生に頼むと、では1時間いくらですかということになるのです。アルバ イトとして、勉強以外の仕事をすれば払うというのも、それなりの考えです。しかしあ る研究室なり、あるいは仕事に参加する、その義務づけというのが大学でも失われてき て、逆にクラブとか部活で体育系などはそれがいき過ぎるのかもしれませんが、何かそ ういう教育体系の中に取り入れる。  例えば義務教育であれば半年なり1年、どこかボランティアでなくて、義務としてど こかに参加せよというような提言もかつて出されました。それは各段階に応じて、つま り生涯教育、どこでも。無償で、しかし参加することによって人々とのつながりに関係 するように、そしておっしゃるような実感でいろいろなことを学んでいくと。死の問題 はいちばん大きいですが、そのほかのこともそうだと思います。そういう制度をいろい ろな面で考えていく必要があるかなと。  この最後のご提言が、直接介護だけの問題、いちばん大きいですが、以外でも大いに 考えさせられるなと思いました。あまりお金だけで何かやれば報酬がということではな い参加の方式。それは場合によってはもちろん愛好会でも何でもいいのです。それが喜 びになる。おっしゃったように家族に迷惑かけないようにということはわかるのですが、 逆に言えば迷惑をかけることによってそのつながりというのは出てくるかも。それはむ しろ死の教育にもなるだろうという感じを持ちました。 ○岩男座長 いかがでしょうか。 ○古賀委員 本当に死というものを改めて考えさせられたというか、山崎先生のレクチ ャーでございました。大変ありがとうございました。前回は公務で休んだのですが、第 1回目にいまの日本の社会の問題点の2つ目に、やはりコミュニティが崩壊しているの ではないかということを申し上げました。そういう意味ではもう1回家族とか地域とか、 我々ですと職場とか、そういう所のコミュニティとか、あるいは組織のあり方みたいな、 もっと言えば社会というのはみんなが支え合いながら生きていく、そういうのをもう一 度再構築していく必要があるのではないかというように思います。  それは私自身のあれですが、貧しさのときは共有できたけれども、豊かになれば豊か さがあまり共有できない。したがってどうしてもバラバラになってしまうような現象が どこかで現れてしまう。その意味ではいま山崎先生から提起がありました死とか介護と かいうものを、家族や地域で、あるいは育児とか、そういうものもやはり社会化という のが必要ではないか。そのためには現役世代からそういうことにどう参画をしていくか、 地域社会にもっと参画をしていくとか、そういうことを本人も含めて、あるいはシステ ムや仕組みを含めてどう整えていくか、ということが非常にやはり重要なのだろうなと いうことをつくづくと感じました。  2つ目は、これは国だけに頼るわけではないですが、最後のセーフティネットである 介護とか医療の制度、これはやはりきちっと、そこはもう最後ですからそれをどのよう に構築するか。それはもちろん公助、自助というのがあると思うのですけれども、それ を構築するか。この大切さですね。そんな2つのことをつくづくと感じましたので、感 想を申し上げておきたいと思います。 ○岩男座長 石川委員お願いいたします。 ○石川委員 私は家内が11年前に肺がんで亡くなりました。それで子供もいませんし2 人きりなものですから、とにかく最期まで家にいさせようと思いまして、でも本当に亡 くなる48時間前に、肺がんというのは窒息死ですから、もう非常に苦しがってどうし ようもないので、手術を受けた病院に入院させて、それで48時間後に亡くなったので す。大変幸運なことにその2日ぐらい前まで家事を、立っていることが苦しいのですが、 台所で椅子を置いて、すきやきをやろうなどと言ってやってくれたりしていましたので、 そういう点では楽だったのですが。とにかくもう元気だった人がだんだんだんだん窒息 状態に陥って、亡くなるのを3年かけて横で見ていました。  私は未成年のうちに両親が亡くなっているものですから、人が死ぬということはいま の人たちよりはずっと身近に見てますし、戦争中はもう死体がごろごろしているのも見 ましたし、父が洞爺丸という船で難破して死んだものですから、そのときもたくさんの 死骸、人間が死ぬということはこういうものかと。それでもいまの先生のお話を伺って 非常にびっくりいたしました。もう結局私たちはいくら経験を積んでも、自分のことし かわかりません。でも先生のように客観的というのもおかしいかもしれませんが、たく さんの人の死を見ておられるドクターがこういう考え方をなさっているというのは、非 常にびっくりいたしました。  いま死ぬということも、最終的にはいま古賀委員がおっしゃったように、国という力 で何かしてもらわなければならないかもしれませんけれども、何かこういう議論をする と、制度をちゃんとすれば何かうまくいくのではないかというように考えるのです。ど うもいまの先生のお話、私も何となしにそんなふうに自分が動けない、もう1人ですか ら動けなくなればどこかへ放り込んで、誰かがちゃんと見てくれるような世の中なら安 心だなあぐらいに思っていたのですが、どうもいまのお話を伺って、考え方を根本的に 変えなきゃいけないのではなくて、私の考え方が変わりました。いまのお話を伺ってい るだけで。  ですから私のように死ぬことの経験、もちろん自分が死んだことは一度もないですが、 周りの身近な人が死ぬのを散々見ていても、やっぱりわからないんで、やはり先生のよ うな方が教育してくださらないと、これはもう絶対。制度とか何とかという前の問題と して、こういうことを何らかの方法でもっと早く教えていただいていれば、私も家内が 亡くなってからの11年間もうちょっとこう、これから心を入れ替えて、もっと真剣に 考えるようにいたします。どうもありがとうございました。 ○岩男座長 テリー委員どうぞ。 ○テリー伊藤委員 死ということの後にすぐに脅えるという言葉があると思うんですよ。 日本人はもう基本的に真面目な性格的な部分があるから、死を考えていくとずっと脅え だとかネガティブな部分になっていくと思うんです。人生を生きていって、例えば学校 に入るにしろ、家をどこに建てるとか、結婚相手も全部自分で決めていくわけじゃない ですか。死ぬ日だけは決められないわけですよ。僕は実は自分で死ぬ日を決めてるんで すね。78歳で死ぬと決めたんですよ。  なぜ78歳かというと、僕は18歳のときに学生運動をやりまして、機動隊と闘って、 ちょうど神保町の所でけがをしまして、左目が斜視になりまして、39年間ずっと斜視だ ったんですね。で去年その斜視を2万8,500円で治るとは思わなかったんですけども、 治りましてですね、ああ鏡を夜中に見てたんですよ。斜視を手術をしてから3日目。で こう、眼帯していて、夜中怖いんですけど取ってみたら目が治ってたんですね。斜視し ていた左目が、俺を見て怒ってたんですよ。そんな経験僕の人生でなかったんですけど も、「お前、何で俺を独りにしてたんだ」って。ぞっとしたんですけども、その夜「そう かあ、39年間お前を俺は放ったらかしにしてたんだなあ」と。だったら自分が18歳の ときにけがをしたから、もう片一方も両目になって、残りもう21年間生きてやろうか なということを考えて、それだったら78歳だなということで、じゃあ78歳まで取りあ えず生きると。で78歳になって死んでもいいなあっていうふうに。  それは実際に僕は78歳で生きるか死ぬかどうかわからないけども、すごく気が楽な んですよね。死ぬ日を決めるっていうのは。そうすると例えばそれより先にもし生きて たら、「ああ、まあこれはまあ、これはちょっとめっけもんだな」というふうな捉え方で いくのと。その前で万が一死んじゃったら、うちの親父もお袋も大体70歳で死んでる んで、「ああ70歳で死ぬんだったら、まあ旅の途中かなあ」というような捉え方でいる ってのは、何か僕的には非常に気楽なんですね。じゃあ残りどうやって生きていこうか と。まあもちろん仕事とはまた別な問題として、先ほど山崎先生が言われていた哲学と か、文学ということで。  去年ですか、萩本欽一さんファミリーの風見しんごさんという方が、自分のお子さん を通学の途中でランドセルをトラックが巻き込んで死んだ事故っていうのがありました よね。つい4、5日前、風見しんごさんと話していて。自分が現場行ったら、トラック のタイヤに赤いランドセルが巻き込まれていて、子供をもう自分で出せないと、泣きな がら上さんと出してたんだけど、もうつらかったという言い方してて、1年経ってて「喜 びって何ですか」と、生きる、これからどういう思いの中で生きていくんですかって聞 いたんですよ。そしたら天国行ったときに、「お父さん、お母さん頑張ったね」と褒めら れたいためにこれからの人生生きるって言ってるんですね。ああなるほど、これも1つ の哲学だなあと。  僕は生きてて、最近よく若い人たちが「ライバルは誰ですか」というときに、ほとん どの人が「ライバルは自分」という言い方をするんですよ。最近の流行り言葉ですよ。 「ライバルは自分」って一見いまどきの言葉なんですけども、限界があるんですね。自 分の肉体、体力が弱ったときにライバルは自分だとどっかにパワーは落ちるんです。そ れこそイラクの連中が聖戦という形で死んでいくのは、神のためですよね。自分のため に死ぬっていうのは、やっぱり相当な精神力があっても、やっぱり限界があると思うん ですね。そういう意味で言うと、やはり死ということも自分の死ということだけを捉え ていくと、どうしても僕は限界があるような気がします。  だから死ぬ日を自分で決めて、あとはまあ天国行ったら、誰かいい人に会えるんじゃ ねえかなあとか、そういう。意外と、何か僕はずっとお笑い番組の演出をやってきたん で、体の中にいい意味のお笑いというものが、人生迷ったら笑えるほうにってのをずっ と哲学にして、22歳から来てるんですけども、そういう部分を言うと、非常に何か楽に なった部分を感じるんで。僕の意見が100人のうちたぶん3人ぐらいしか採用されない と思うんですけども、何か1つの感じ方としてそういうのも面白いんじゃないかと思っ てるんですけども。 ○山崎委員 いろいろご意見ありがとうございました。いまテリー委員が死の裏側には 脅えがあるんじゃないかと、恐れがあるんじゃないかとおっしゃってましたよね。死に 対する恐れや脅えがたぶん宗教の源だったりするかもしれませんけれども、私が言いた いのは結局脅えとか不安というものは、実体は見えないから不安なんじゃないかな、脅 えちゃうんじゃないかなということですよね。医療がまだ未発達の時代には、多くの人 は医療にかかることもできなかったし、病気になればおそらく短時間で亡くなっていた かもしれない。そういうことによりおびえや不安はあったと思います。しかし、いまは 死は病院に行ってしまって、その病院の医療機器の中での展開されるプロセスになって しまい、今度は死のプロセスそのものに家族や周りが参加し得ないため、また機械仕掛 けのような延命治療による不安や怯えがあるのではないかなと思います。  ところで、私が在宅で家族の見守る中でと言ったのは、家族の介護力を増やせという ことではないんですね。それは当然介護保険が誕生したものも、介護というものは家族 がするということではなくて、社会がするのだという共通の認識であったと思うんです ね。それはそれで充実させるべきだと思うんです。私が言いたいことは、家族が頑張っ て介護してくださいということではないんですね。家族が疲れないような工夫をしなが ら、それを社会がサポートしていくということなんですね。そういうことをすることが 大事なんじゃないかということです。  もう1つは石川委員のお話を聞いていて、奥様が亡くなる2日前苦しがって亡くなる というお話ありましたですよね。確かに肺がんの場合には急に変化して亡くなることは まれではないのですが、ただ、例えば少しずつ行き渡りつつある緩和ケアの充実がなさ れていけば、私たちは在宅においても、例えばいまのようなお話のような呼吸困難とか は解決可能な症状なんですね。がんの痛みも解決可能になってきております。医療です からメリット、デメリット、リスクも、もちろんありますけども、そういうこと共有し ていけば解決可能なのです。  ですからまずは緩和ケアというものを充実させていくことによって、肉体的に感じる 苦痛はかなりの程度緩和できるのだということと、そのことによって周りの人が見てい て、どうしたらいいのかと脅えるような死のプロセスは、かなり減らせるということで す。そのような状況の中のまさに亡くなっていくプロセスの中に参加することが可能に なるわけです。そのプロセスの中での私の役割は、家族が持っている不安、あるいは患 者さんが持っている不安を具体化していくことです。何が不安なんですかと。例えば夜 中に急に苦しがったら困る。だったらそれは家族が我々に連絡してくれれば、何とかし ますよということですよね。夜中に急に便が出てしまって、一人暮らしでどうにもでき ない、困る。それはちゃんと訪問看護師が連絡すれば来てくれますので大丈夫ですよと。 つまり初めての経験ですから、抽象的な不安はたくさんあるんですけども、その抽象的 な不安の一つひとつを具体化するわけです。そして具体化されたものは大抵解決できる ものなんですね。  そうやっていくと結果的に、何かちゃんと家で看取れちゃいましたということがあっ たり、人間ってこんなふうに人生を閉じることもできるのだったら、死は怖くないとい う感想を聞くことも少なくありません。つまり不安だからと病院に入院し、病院に隔離 されて、あるいは病院に任せてしまっていた死のプロセスを自分たちの身近な所に取り 戻す。そしてそのプロセスに対して適切に専門家がサポートしていくことをすることに よって、まさにその人たちは自分の人生の物語というようなものを、自分の家族や自分 が住んでいた場所でエンディングできるのだということですね。  それはやろうとすれば結構可能です。ただ日本全体でいきますと、そのことをサポー トする仕組みが不十分ですから、まだまだどうしても病院というような場所に頼らざる を得ないのが現実としてありますね。家族に介護を押しつけるということではなくて、 むしろ私たち人間が必ず死ぬのだということが、宗教や文化を生んできたのだとすれば、 それをハイテクの機械に囲まれて死ぬことがベストだという社会ではなくて、やっぱり 宿命として背負っている死というものを地域社会が担っていく、家族が担っていくのだ ということに戻したいのです。ただし家族が担うことは大変ですから、それを地域社会 や制度がサポートしていくのだということをしていくことによって、まさに文化の再生 ということすらできるのではないかなと。  テリー委員が78歳で死ぬのだと、なかなかロマンチックですが、そうはいかないか もしれないので、そうはいかなかったらまたそれはいいというお話がありましたけれど も。やっぱり我々は何となく生きて、何となく豊富な物質社会の中で便利に生きて。け れどもときどきあるんですね、ホスピスで経験したことですけども。  50歳代の男性ががんになってしまった、家族はいない一人暮らしだった。体が弱って きたのでホスピスに入院してきたんですね。その人は痛みは取れた、何とかまだ動ける んです。でもいつもベッドでボーッとしてんですね。我々がもう時間が限られているか ら、何か少し有意義に、こちらが勝手に有意義と思っているのですけれども、過ごせな いのかなと思っていろいろ話してると、「何をしていいかわからない」って言うんですね。 つまり社会に出てたときには、社会の役割を担ってその仕事が終った後は、飲み屋に行 き、パチンコなどをしていたと。でもいま何をしていいかわからない。朝起きて会社も ないし、パチンコ屋にも行けないし、つまりそうやって自分の時間をどうしていいかわ からないというようなこともあったりするんですね。  だからこういうときにもしこの方が、それまでの人生の中でいろいろな人のそういう 場面にも参加しつつ、そうなったら自分はこうしようかなということも、一つのビジョ ンとして描ければ、また違った生き方もできるんじゃないかなと思います。あまりにも 我々の社会が死というものを遠ざけてきてしまったために、失ってきたものがたくさん あるんじゃないかなという気がするんですね。  85年生きるということは、健康で生きるわけじゃないですよね。年を取るということ は目も悪くなり、耳も遠くなり、関節の力も弱くなるなど、いろいろな未知の体験、し かしその未知の体験はほとんどマイナスの体験をせざるを得ないわけです。たとえば、 ある人が退職後に司馬遼太郎全集をしっかり読もうと思って一生懸命働いてきたけれど も、しかし読もうと思ったら目がよく見えなくなって読めなくなったとか、こういうの ってあり得るわけですよね。ビジョンの中でそれを描いてもできないかもしれないわけ ですよね。しかし、できないかもしれないときに備えたセーフティネットとしてのビジ ョンもなければ、多分どうしてよいか分からなくなってしまうのではないでしょうか。  その辺も是非、明るい未来だけではなくて、自分たちが生きていく上での根本となる バックボーンとなるようなものを日本人が持ち得れば、たぶん現代では失われてしまっ た最近流行りの、品格も出てくるのかなという気もしたりしております。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 すみません、質問1つだけ、テリーさんに。テリ ーさんはね、78歳で死ぬと決めたんですけれども、それは自然に死んでしまうと思いま すかとか、やっぱり何か手伝い、私もすごく決めたんだから、ただ私は85歳ですけど。 ○テリー伊藤委員 いや、別に自殺する気は全くないんですよ。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 じゃあ自然に亡くなると思いますか。 ○テリー伊藤委員 ああ、たぶん自分で決めるって、脅えがなくなるんですよね。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 ああ、死のね。 ○テリー伊藤委員 すごくそれって、すごく大切なことだと思うんですよ。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 はい。 ○テリー伊藤委員 くだらないことをこの前、ユーミンと話してて、自殺するんだった らどういうふうにしようかって話してたんですよ。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 そうそう、どういうふうに。 ○テリー伊藤委員 ユーミンが「私は壁にどんどんどんどんぶつかってって、そのうち に体力なくなったら死ぬよ」って言ってんですよ。俺は他人に迷惑かけたくないから、 ずっと飯食わないで、寝てたら死ぬんじゃないかなっていう。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 ああ、そう。 ○テリー伊藤委員 そういう死ということに対しても、そういうふうに面白がれるとい うか、そういうシミュレーションというのって、日本人ってなかなかしないじゃないで すか。ものすごくそういうことっていうの、実はリアルに交通事故でも何でも一歩外に 出たらあるってことじゃないですか。そういうことはやっぱり常にフットワークとして 持つということは万が一じゃないんですよね。常にそういうことってのはあるから、そ ういうことは必要なんじゃないかなと思いますね。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 ただもちろん私たちの国、カトリック系ですから ね、いまプロテスタントか、まあフランスはカトリック系ですけれども。最近少なくな りましたけれども。自殺は禁止ですね、それで罪ですね。イギリスもそうでしたね、イ ギリスはね例えばSuicide missすればですね、死刑にしたと、おかしいでしょう。です から自分で自殺しよう、失敗しました。あんまり罪でしたから、昔ですよ、それは死刑 ですか日本語で。また死ぬじゃないですか、どうせ。という変なルールがありましたけ れども。スイスでですね、いま。フランスではまだ禁止です。誰も手伝ってくれない。 もちろんがんでもどうですか。  私の従兄弟はね、話が長くなりご免なさい。私の従兄弟はお医者さんですけれども、 やっぱりあんまり苦しんでいる患者さんに、夜中2時ごろ安楽死させてあげるために、 お宅でみんなで、もうちょっと元気であれば、ちょっとシャンパン飲んでとか、音楽と か家族と一緒にやってあげるんですってね。禁止だから、とても危険です。彼には牢屋 へ行かせることができません。  いまスイスでね、私はそこで予約しようかなと思ってますけれども。今晩は、今日は 本音ですね。そういう病院というか、病院あるんです。死なせるんです、予約した人。 それから毒みたいですよ、具体的に聞きたいなら。毒、毒飲むと人間、先生、吐いてし まうんですね。 ○山崎委員 はい。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 ですって、オッケー。そうすると吐かないための 薬を飲ませて、それからその後毒を飲ませて。でも私の友だちの周りに特に経済的な問 題でやっぱり85歳とか90歳とか、95歳までいくともらっている年金でなかなか生き ていることができないから、銀行にちょっとね、まとめて入れてあるから、それはタタ ーンタターン、まあ80歳までとか、85歳までとかという計算で。その後もあれで生き ていられないから、じゃあ死んでしまうしかないという結論でそういう予約しますね。 ジュリストですが、そういう人です。最近はそれもあるのです。情報ですが、情報以上 に本当に自分の死を予約して、企画して考える方は日本でもとても増えました。ちょっ と有名人ですから名前は申し上げませんが、考えています。どうしましょうか、質問で す。 ○岩男座長 この議論をずっと続けていきたいところですが、茂木委員の発表の時間が 来ていますので、茂木委員の発表に対する質問の中に山崎委員のご意見、ご質問なども 折り込んで議論していただければと思います。茂木委員、よろしくお願いいたします。 資料は4です。 ○茂木委員 お時間を頂戴しまして、ありがとうございます。私の発表は、70歳を超え た1人の人間の単なる感想みたいなもので十分整理されておりませんから、皆様方のお 役に立つかどうか心許ないのですが、ともかくレジュメに沿って報告いたします。冒頭 に書いてある「人生85年ビジョン懇談会」というのは、この懇談会にお誘いをいただ いたときの趣意書そのままです。「人生85年時代〜これまでの暮らし、働き方、人生設 計が時代に合わなくなり始めている。江戸時代の高齢期における活動。ヨーロッパにお ける長期休暇。ラテン系の人生の楽しみ方。現在の日本と異なる文化・価値観・生活様 式等も参考に。生き生きと人生を楽しむこれからの日本人の暮らし、働き方、人生設計 のイメージ。それを支える仕組みをどうするか」、これが我々に投げかけられた課題であ るわけです。  矢印が引いてありますが、前回の清家先生のお話から、そうなると働く意欲・体力・ 能力のある間は働ける社会を実現することが1つ必要だろうと思います。また、趣味の 世界を充実させると言いますか、観劇やスポーツ、コンサートあるいは写真撮影、美術 館、博物館巡り、歴史探訪等々、これは楽しい人生になるわけです。今日の話にも関係 しますが、「心のよりどころ」としての宗教、また「揺りかごから墓場まで」という福祉 社会のあるべき姿を表す言葉がありますが、長い人生を通じての安心感、特に経済的な 安心感、これには年金システムがきちんと維持されていることが必要だろうと思います。 最後に、山崎委員のお話で十分勉強させていただいたわけですが、人生終末期のケア。 考えてみれば、終わり良ければすべて良しで、これがいちばん大事かもしれません。  日本という国は、申し上げるまでもなく非常な経済大国であり、福祉大国です。最近 は円相場の関係もあるので1人当たりのGNPがだいぶ落ちてきたとか、閣僚の1人が、 もはや日本は一流とは言えないと言ったとかという話もありますが、世界をながめて見 ると、経済大国であることは間違いないし、1人当たりの所得水準も決して低いわけで はないのです。  福祉の面でも、平均寿命は随分伸びているし、医療制度もいろいろな問題点、あるい は個人の負担率が高くなってきているといったことがありますが、アメリカなどの現実 に比べると、日本は随分恵まれている感じがいたします。たしか乳児死亡率は、昭和初 期から現在までの間で50分の1ぐらいに減り、いま1,000人のうち3人とかという数 字で、世界トップクラスです。この間カールさんから、ロサンゼルスの郊外では夜中に 男でも1人では歩けないという話がありましたが、安心・安全の面でも、いろいろ問題 はあるにしても、他国との比較においては日本はかなりいいレベルだろうと思います。  そうであるにもかかわらず、何となく不安感・閉塞感があるように思うのです。なぜ かと考えてみると、現在は一応満足な生活ができているわけですが、自分が世を去った あとでも、子供たちや孫たちがみんな生きがいや意欲を持って国を運営し、幸せに生き 続けてくれるだろう、そのような安心感と言いますか確信みたいなものが感じられない というところに1つ大きな問題があるのではないか、と私は感じているわけです。具体 的にどんな問題があるかというのは2枚目、必ずしも整理が十分ではなく、論点があち こちにわたっているかもしれませんが、とりあえず、思いつくままに11項目ほど挙げ てみました。最初の少子・高齢化問題と2番目の教育に関する問題は、若干の具体的な 資料がありますので、そのときに述べたいと思います。  まず、国内治安は諸外国と比べればいいほうかもしれませんが、しかし、犯罪が非常 に多発するようになり、しかも検挙率が低下している。犯罪の態様を見ても、最近は何 とも嫌な、陰惨と言いますか、そのような事件が多いのではないかという気がいたしま す。また、若者の言動を見れば、全く傍若無人と言いますか、勝手気ままな行動をする ことが目に余る感じがいたします。戦後民主主義を導入したことは大変良かったのです が、それが少しいびつになってきている。個人の権利ばかりを教え込んで、先ほども話 が出ましたが、地域や社会あるいは国という個人の集まりである、ある全体に対する思 いというか責任感といったことをほとんど教えてこなかったツケではないかと感じてお ります。規範意識というのは安倍前総理がよく言われていましたが、規範意識あるいは 遵法精神というものが大変希薄になってきている。  4番目は、日本人としての誇りやアイデンティティーがどこかへ行ってしまっている のではないか。品格という言葉は先ほども山崎委員から出ましたが、最近は品格流行り のようです。ある大きな本屋で「品格」で検索してもらったら、78冊出てきたというの です。すごい数です。日本の国柄、あるいは国としての矜持、社会的な公正性、何度も 申し上げますが、多くの外国と比べればずっとましであるにしても、そのようなものに 対して若干というか、かなり翳りが見られるようにも思います。  外交・安全保障の問題。核の問題ですが、すぐ近くに物騒な国もあるわけですし、お そらく核拡散が今後10年、20年の間で本当に防ぐことができるのかどうかという不安 感もあります。それからテロの問題。特に、日本にとっては領土の問題でいくつか頭の 痛い問題も抱えているわけでして、ここは舛添大臣に国際政治学者としてのお立場から、 解決策をいろいろお示しいただければと思っております。  地球環境問題。昨年はゴアさんの本及び映画でだいぶ広く啓蒙が進んだと思うのです が、そもそもこの問題が始まったのは、例のローマクラブの肝煎で書かれた『成長の限 界』が非常に有名なのですけれども、実はそれのさらに10年ぐらい前に、アメリカの 女性動物学者であるレイチェル・カーソンが書いた『沈黙の春』という本があって、そ のころから今日言うところの環境ホルモンの問題が地球及び我々人間を蝕んできている と。いまや、誰もこの問題を否定できないような状況にまで進んでいるのではないかと 思います。  本質的には人口、同じ人口であっても、人々が生活水準の向上意欲を大変持ちますの で、同じ人間であっても、1人当たりのエネルギー消費量やごみの排出量など、地球に 対する負荷、負担を増やしつつあるわけです。人口×負荷係数のようなものが総負荷に なるのだろうと思いますが、それと地球自体が持つキャパシティ、このバランスがどこ まで保つかという問題ではないかと思います。  7番目、地球がそのような状況であるにもかかわらず、我が国は資源に関して極端な 輸入依存体制であるわけです。食料はカロリーベースで39%の自給率、エネルギーに至 っては5%もいっていないのです。10年後、20年後はまだしも、本当にこれで30年後、 50年後は大丈夫か、ということが心配されると思います。  8番目として、経済社会運営の基本的なパラダイム、あるいは価値観が、どうも少し グラグラしているような感じがいたします。もちろん、競争というのは必要なことです が、「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉があるように、競争原理一辺倒でいいのか どうかという問題もあると思いますし、例えば政府の役割にしても、我々日本人はとか く小さな政府が本来あるべき姿で、どちらかというと低負担が望ましいと。もっとも私 も少し勝手ですが、低負担であって高福祉がほしい、このような感情を持っているかも しれません。これは無理な話で、日本人はどちらかというとアメリカ的なものを、何と なく頭の中に置いているように思うのです。  これは戦後アメリカとの付合いが非常に長いことと、アメリカが物質的に非常に豊か であるための憧れというか憧憬のようなものを、日本人は戦後早い時期から持っていて、 さらには、いわゆる同盟国であるといったこともあるかもしれません。しかし、本当に それでいいのかという問題も考える必要があるのではないかと感じております。いわゆ る北欧モデルみたいなものも、もっともっと研究していいのではないかと思います。  また、国家財政については、霞ヶ関には埋蔵金というのがあちこちにあるそうですが、 一遍使ってしまったら終わりですから、毎年のフローベースはこんな状況でいいのかと いったことも心配です。10番目は長い人生。先ほど述べた「揺りかごから墓場まで」を 通じての安心感みたいなものが、どうも十分ではない。今日議論が随分進みましたが、 最後は人生終末期のケアということです。  それやこれやで、たとえ貧しくても、昔のほうがもう少し充実感、安心感があったの ではないかという感じも持つわけです。今日、もしカールさんがいらっしゃったら、「お 前、何だ、贅沢こくでねえ」とか何とか叱られるかもしれませんが、実は私の正直な感 じ方がこのようなことなのです。  もちろん、これはいずれも難問ですから完全な解決は困難としても、ある一定の解決 への道筋ないしは方向性のようなものが見えてくることが、安心感を持つために必要で はないかと思うわけです。突っ込んだ議論をし、国民的なコンセンサスを形成して、強 力な施策を推進する必要があるのではないかと感じております。  そろそろ時間のようですので、付属の資料は皆様方の議論の中で適宜リファーさせて いただくことにいたします。大変お粗末なプレゼンでしたが、お時間をいただきまして、 どうもありがとうございました。 ○岩男座長 ありがとうございました。それでは後半の議論に入ります。先ほど森戸委 員が挙手されていましたが時間切れになってしまいましたので、いまの茂木委員の発表 も踏まえてご意見をいただければと思います。 ○森戸委員 お気を遣っていただき、ありがとうございます。いま茂木委員も終末期の 医療のことを言われたので、少し関連するかもしれないですから、先ほど言おうとした ことを述べたいと思います。山崎委員の発表が非常に素晴らしいものであったという皆 様がおっしゃったことに付け加えることはないのですが、1つ質問したいことがあった ので、それでよろしいですか。  発表の中でもレジュメにもありましたが、割と具体的な話で、レジュメによると「現 在の医療保険や介護保険などの社会保障制度では自立と尊厳を支えるには不十分」と書 かれております。その中身についてのお話は少しありましたが、もう少し具体的に言う と、先ほど石川委員が言われたことに近いですが、制度的にできることは限界があると いう意味なのか、それとも介護保険なり医療保険の制度に、より具体的にこのような問 題があって、それが妨げになっているのか。もし妨げになっているのであれば、政策的 な議論をする上では参考になるポイントがあるかなと思ったので、お伺いしたかったの です。 ○山崎委員 医療保険制度や介護保険制度では不十分であるという意味は、レジュメに も少し書きました。私はずっとがんの患者さんたちを診てきて、患者さんたちは自立し て生きることを願っておりますので、がんであっても亡くなる1、2カ月前まではそれ なりに自立が可能ですので、手摺につかまりながらトイレに行ったり、ちょっとした力 を借りて風呂に入ったりと、自分の基本的な日常生活を自分でこなしている間は尊厳と いうものを感じながら生きて、それをすることがまさに自分であるという意識を持って 生きられるのです。  しかし、体の衰弱によって、どうしてもベッド上の生活を送らざるを得ない場面が出 てくるわけです。そのときに、他者の手に排泄や入浴や食事の介助を委ねなければなら ない期間があります。慢性疾患の場合はちょっと先が読めないことがあるのですが、が んの場合は大体1カ月です。長い人生の最後の1カ月間の日々の生活、例えば両脇を支 えてくれる人がいればトイレに行けるけれども、人がいないために「我慢してね、オム ツでしてね」となってしまうことがある。病院ですと夜間は夜勤の看護師が極端に減り ますので、昼間は何とかトイレに行けるけれど、夜間はオムツをしてねなど、そのよう な現実に晒されてしまうのです。  そのような場面に遭遇すると、患者さんたちの多くはそういう場面で生きることの意 味が見えなくなってしまうのです。いずれ私はそう遠くないうちに死ぬと。しかし、こ うやって他者の手を借りなければ、自分のアイデンティティーを支えていた排泄や入浴 といった基本的な生活ができなくなってしまった自分を嘆いてしまい、「早く死にたい」 と言ったりもするし、「先生、もう楽にしてくださいよ」と言ったりもするのです。もし、 そのような場面を支える人がいたとしたら、その部分を何とかクリアできる場合がある。  それはその人が直面している現実を変えるからではないのです。早く死にたいと思っ ているような、いまを生きる意味がないと思っているようなその人の思いを共有し、な おかつ、具体的な、例えば排泄の介助をしていくときに、とにかく皆があなたのことを 守ろうとしてやっているのだという思いが伝わっていく、そのような関係性の中に生き る意味を見出していく場合があるのです。体力はどんどん低下していき、生きる意味が ないと思っていたけれど、どうやら生きる意味というのは、自分と他者との関係性の中 において、自分が確実に他者とのつながりをいま持ち始めているのだということが実感 できればこそ、その人は生きられるように思うのです。  制度の不十分と言いましたが、そのような場面でも自分たちは守られるのだという確 信があれば、そしてその確信は制度だからではなく、他者との関わりを保障し得る制度 があれば、どうも生きられる。亡くなる1カ月前はそうなってしまった自分を嘆き、早 く死にたいと言っていた人たちが、亡くなる1週間ぐらい前になっても、今度はもう死 にたいと言わなくなってくる、もっと生きたいと言う人もいる。もっと生きたいと言う のは、1週間後に死ぬからではないのです。死にたいと思っていたぐらい悪かった状態 にきちんと関わってくれる人との関わりの中に、自分が生きる場所を見つけられるから なのです。この人との関わりならば、見た目には惨めな状態かもしれないが、でも私は 生きたい、この人との関係性において生きたいといったことも見えてくるわけです。  ただ、いまの日本の医療保険の現場では、とてもそこまでできないです。病院では看 護師不足、夜勤の看護師たちは走り回ってへとへとです。その人たちに、何とかしなさ いとはとても言えないです。だからこそ、例えば消費税が上がったって構わないと思う のです、制度を補うためのものに使われるということが確信できればいいのではないか と。そういう意味での不十分さということです。長くなりまして申し訳ありませんでし た。 ○小室委員 茂木委員に追加で伺いたいのですが、資料の中の「明るい未来に向かって」 という子育てのイメージのところに、下から4つ目に父親の項目があります。パパの日 の話と、選手交替で父親が育児に携わるシステムの奨励といったことが書かれてありま す。もちろん、女性の育児が楽になるからという意味でもパパの参加は必要ですが、85 年生きる時代になったということは、男性自身も自分の人生は仕事だけでは終われない ぐらい長くなってしまったということですから、その後の人生の自分の居場所、まずは 家庭だと思いますが、家庭に居場所がないという状況が起きないためにも、まずは自分 が働いている時期からすべて任せきりにせず、家庭の中で責任を持つということは生涯 を豊かにすると思うのです。  妻の支援といった側面からではない、パパの育児に携わる意味ということがもっと語 られるべきではないかと思うのですが、こういった項目が入っているということは、お そらくそうしたことにご意見をお持ちではないかと思いましたので、父親の育児に関し てもう少し深く伺いたいと思いました。  これは介護にも関係するのですが、企業を休んで介護もしくは育児といったことが、 いまは非常にしづらい環境にあります。親を見てあげたいという気持以上に怖いのが、 企業で責任を取れなくなるという組織から見離されることの怖さから、親をきちんと見 ることができない、そのような状態は正しいのか、私は非常に疑問です。自分の子供も 自分の親も、大切な家族をちゃんと見るということが、企業の組織の一員でありながら も一緒にできるという社会が必要だと思うのです。そのようなことでは介護も育児もつ ながってくると思うので、特に男性についてというところで、茂木委員や皆様からご意 見を伺いたいと思います。 ○茂木委員 実は私の意見は、いわゆる企業社会というか経済界ではあまり評判が良く ないのです。もしかしたら小室さんからは褒めていただけるのではないかと思いますが。 要するに基本は、少子化の問題は極めて深刻で、国を挙げて取り組まなければならない 状況になっているという危機感を持っております。そのためには我々企業社会も、一部 には育児休業を取られると、どうもあとの人事繰りがやりにくいなどと言う人も中には いるようですが、そんなことを言っていられる状況ではないと思います。全力を挙げて 取り組むために育児休業は当然です。日本社会が伝統的にそうなのだと思いますが、い ままで社会が成り立っていたのは、女性に大変な負担と犠牲を押しつけてやってきたの ではないか。別に女性の方々に対するリップサービスではないのですが、私はそのよう な反省を持っております。  ここで「離乳後は父親が選手交替」と書いたのは、授乳期にはそれなりの意味がある わけで、母親が育児休業を取ったほうがいいだろうと。ただ、離乳後は父親でも十分で きるわけですから、この辺で交替することを標準的なパターンにしたらどうかというこ とです。そのあとの「浦島花子(太郎)」化を防ぐ「水曜日はパパ(ママ)の日」という のはどのような意味かというと、旧厚生省時代に当時の児童家庭局、いまは局がくっつ いてしまって長くなりましたが、児童家庭局が設置していた中央児童福祉審議会という のがありまして、8年ほどその末席に座らせていただいていたのですが、そのときから この提案をしておりました。  というのは、育児休業をずっと取り放しですと、浦島花子さんになってしまうのです。 例えば新製品が出たとき、私どものような会社でしたら、育児休業取得中の家に新製品 を送っても大したお金はかかりませんが、自動車やデジカメのニューモデル、パソコン のニューモデルは一人ひとりにはなかなか送れません。ですから週1回は交替して、マ マが取っている間はパパが週1回は休む。その日はママが会社に出て行って、フェイス・ トゥー・フェイス・コミュニケーションをとったり、あるいは新製品に触って、こんな ものかと納得する。できれば週1回はそのような日を設けたらどうか、少なくとも2週 間に一遍やってはどうかと。本当は制度化したほうがいいと思うのですが、とりあえず 年次有給休暇を活用すれば、そのぐらいのことはできるはずです。  企業側は、2週間に一遍も休まれては困るなどと言っていたのでは駄目です。子供を 育てるためには企業側も全力で取組むべきです。企業が利益をマキシマイズすることは 当然ですが、なりふり構わず利益をマキシマイズして配当を増やし、株価を上げること がコンプレート・ガバナンスのあり方などという妙な概念が、いまの日本の企業社会に 広まってきてしまっている、これは由々しき問題だと思っております。そのようなこと で、父親も積極的に育児に参加して、父親と母親が手を携えて育児に励む、それによっ て少子化に歯止めをかけることが必要だろうと感じております。 ○岩男座長 ただいまの発言に少し補足させていただきたいと思います。父親の育児休 業の調査を厚生労働省の科研費で3年間いたしました。いま授乳期は母親が育児休業を 取ったほうがいいと言われましたが、乳幼児のいる父親の調査をすると、その時期に父 親が子育てをしても何ら遜色はないと。母親と同じようにできると自信を持っている父 親が大半です。そのような意味でも、いまの若いお父さんは随分変わっているというこ とが、私が調査結果から印象強く学んだことです。  もう1つは、育児休業というと、あるいは介護休業でも同じですが、取得期間中はず っと休むといったイメージが先行し過ぎていると思うのです。そこで、例えば週1回と か毎週金曜日は休む、フレックスタイムをどのように取るかなど、いろいろなメニュー を提供して、こんなメニューはどうですかという調査もしました。さまざまな仕事によ って違いもあり、いろいろな意見があったのですが、もう少し柔軟な制度であるという イメージが広がるともっと取りやすくなる。まさに、いま言われたように、育児休業を 取っていても、週1回は出勤するといった形もメニューの1つとして可能である、とい うことを補足いたします。 ○茂木委員 いま話が出ている言われたことについて手短に申し上げます。私はこれが 唯一絶対で、これ以外のものは駄目だということを申し上げているわけでは決してなく、 選択肢の1つとしてということです。ただ、私はこれを推奨したいと思っているのです。 と言いますのは、母乳神話などという言葉もあって、意味がないという意見もあるので すが、免疫の付与など、医学的にも意味があるということを医者が言っているケースも あるわけです。もう1つは、たしか小田晋先生という心理学の権威者は、授乳を通じて のスキンシップが、赤ちゃんの情操形成に極めて重要な意味を持つと言われております。 いわゆる生物学的な点から、そのほうがいいのではないかということを申し上げている だけです。女性に押しつけるという意味では決してありません。 ○萩原委員 いまの育児休暇のことですが、私の回りにもたくさんのベビーが誕生して いまして、男性の友人に聞くと、育児をいちばん可愛い時期にしたくても、やはり仕事 があってできないという意見が非常に多いのです。育児はしたくないという男性はすご く少なくて、だんだん変わってきたのだということを実感しています。  育児休暇の取り方も多様であっていいと思いますが、加えて、先ほど山崎委員のお話 にもありましたが、看病休暇と言うのでしょうか、私の父も母も経験をしているのです が、自分自身の親の看病をしたくてもできないという期間が長かったのです。私は実家 が山梨にありまして、父も母も県外に親がおりましたから、会社を休むことがなかなか できなくて、看病したくてもできない。そして、それを会社に言うにはコミュニケーシ ョンが取りづらいということで、後悔している時期もありました。そういったことも含 めて、体に関することというか、人間の体に関することの休暇を取りやすくするような 制度を、それぞれのニーズに合わせた取り方を考えていただければ大変嬉しい、という ことを1つ言いたいと思います。  もう1つは「死」についてのことです。番組名を言っていいかどうかわかりませんが、 年末の紅白歌合戦を祖父はいつも楽しみに見ております。88歳になる祖父は、いまがん と闘っているのですが、昨年の紅白歌合戦のテーマが「死」だったのです。子供たちに とっては大変勉強になったし、学ぶものも多かったと思うのですが、亡くなった方の歌 などは、もちろん素晴らしい影響はあると思いますが、見る年齢が高ければ高いほど影 響力はものすごくあって、祖父は途中から見るのをやめて違う部屋に行ってしまったの です。私たち家族も、うーん、どうしたらいいだろうかと迷いながら見ていたのです。 報道について、死に対する教育の番組はあって当然ですが、時と場合というか、年齢が 高い人が見る番組に対するちょっとしたケアも含めて行ってもらえればいいと思います。 年末年始は憂鬱な気分で祖父と一緒に過ごしたという思い出があります。 ○岩男座長 いま言われた介護休暇は、制度としてはできていても、取りやすくないこ とが問題だということだろうと思います。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 一言コメントさせてください。私は現在経営者で すが、昔はディオールの美容部長、シャネルの宣伝課長などいろいろやらせていただき ました。入ったときは30歳でした。3歳の娘がいましたが、最初に社長から、これから 子供をつくりたいですかと聞かれました。つくりたいと言えば、私はいいポジションを もらうことができなかったと思いますし、それはいまでもそうですよ。今度私は自分の 会社を創って経営者となりました。子供がいるからどうのこうのというのはいいのです が、今度は経営者です。人の立場もわかりますが、私の立場もわかってほしい。子供が いるから毎週金曜日は休みということは、金曜日は担当者がいないことになる。お客様 から電話が来る、「担当者はいますか」担当者はいない、答えることができない、正直な 話、これはビジネスがとてもやりにくいです。  大手会社は担当者がいなくても、その担当者のアシスタントがいるかもしれませんが、 私の会社はたくさん人がいるわけではありません。日本語で中小企業、中小企業ではで きないです。C'est pas possible.ごめんなさい、フランス語が出てしまいました。C'est pas possible.ビジネスができない、倒産するわ。どうすればいいですか。そうでしょうね、 88歳のおじいちゃま、きっと死の話は聞きたくないでしょう。想像だけですが、いろい ろですからね。すみません、ありがとうございました。 ○小室委員 いまのお話に絡んでですが、弊社も社員が20名で、介護している人間は2 人、育児をしている人間は4人おります。20人しかいないのに、その中の4人が育児を していて、2人が介護をしているのですが、最初からすべての仕事を2人担当制でやっ ております。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 余裕があるのでしょう。 ○小室委員 余裕ではないのです。すべての仕事を2人に担当させているのですが、生 産性は倍にしなくてはいけないのです。しかし、そのようにするとすべての人が自分の 事情で休めるので、モチベーションは非常に上がります。我が社を辞めたら、みんな事 情があるので働けないのです。9時から6時まで、残業も絶対にありません。経営者の 私自身が6時に迎えに行かなければいけないですから、社員に対しても9時〜6時。こ れは生産性を上げる手段であって、配慮ではない。この時間の中でやってもらわないと、 残業代を出す余裕はないですと。ですから、9時〜6時の中で必ず終えてくださいと。 そのための段取りで悩んだら相談に乗るからという形でやっているのです。  介護している人間も、デイケアセンターの送り迎えをしながら勤務していますし、育 児をしている人間は4時まで勤務して迎えに行き、あとの2時間は在宅で仕事をしてい ます。時間が限られている中で、最初から2人担当制、しかし倍の仕事を担当している のです。2人担当制なので倍の仕事ですが、どちらかがいないから完全に困るという状 態はないというこのシステムを、かなり時間をかけて構築しました。  やってみて思ったのが、残業という時間がない状態にすると、さまざまな事情を抱え ている社員を心配なく雇うことができるという良さがあるということです。いま必ずし も介護休業や育児休業を取らなくてはいけないわけではなくて、預ける所はあるが時間 に限りがあるというだけの人も非常に多いと思うのです。休業だけに話題が集中しがち ですが、本当は日々の残業がなく、定時に仕事が終わるような日本になることがもっと 多くの。むしろ休業を取らなくてはいけないという窮した場面の人以上に、送り迎えを すればできるけれど、残業があるから組織の中での立場を考えるということで、うまく 家族に対応できていない人というのはもっと数が多いはずですから、働く時間の問題と いうのももっと議論されるべきではないかと、ヒントをいただきながら意見を述べさせ ていただきました。 ○古賀委員 まとまったレクチャーをありがとうございました。問題点としての11項 目は、極めて重要な課題だと思っております。その上で、1点目はこの背景というか、 根底にあるグローバリゼーション、IT社会の進展というのも非常に大きい。80年代後 半から90年代初頭にかけて、冷戦構造が終焉して以降のグローバリゼーションの激化、 時を同じくしたIT社会がどんどん進展していく。人・もの・金・情報と言いますが、 人はそうでもないですが、情報、いま金融資本主義という言葉もあるように、金も一瞬 で世界を飛び回っていく。そのような中で、日本にもおそらくグローバリゼーションの 中での光と影の部分が出てきているのではないかという感じがしてならないわけでして、 そのような観点を我々はどう捉えるかという側面、視点も必要ではないかと思います。 それが1点あります。  2点目は、前回清家先生からあったのかもしれませんが、私の仕事上ということでは なくて、日本というのは世界に冠たる雇用社会と言われています。いま雇用されて給料 をもらって働いている人たちが5,550数万人になっていると。日本の人口は1億2,000 数百万ですから、その家族も含めればという意味で、世界に冠たる雇用社会と言われて いる。したがって、日本人の多くは、人生の多くを就労期に費やしている。先ほどの議 論のように、どのように生活していくかが非常に重要なポイントになっている。  3点目に入りますが、先ほどの育児の問題やワーク・ライフ・バランスの問題が、こ こに来て極めて重要な課題になっているのではないか。最終仕上がりの論評はいろいろ あるでしょうが、私も政府の「ワーク・ライフ・バランス憲章・行動指針」の策定部会 のメンバーに加わりました。私は常に主張しているのですが、ワーク・ライフ・バラン スというのは、女性の働き方の支援ということではなく、まさに戦後続いてきた男性正 社員の、残業し遮二無二働くという、その働き方モデルをどうチェンジしていくかが非 常に重要なポイントであって、いまからも非常に重要な視点になっていくのではないか。 そのいくつかの施策が、いま議論されているようなことではないか。そのシンは、正社 員、男性、働き方モデルのチェンジに置くべきではないかと思っております。そのこと をお伝えしておきたいと思います。 ○岩男座長 ご発言後、大臣は退席なさるとのことですので、ここでお話をいただきた いと思います。 ○舛添厚生労働大臣 遅れてまいりまして、すみませんでした。山崎先生、川勝先生、 ありがとうございます。最初の山崎先生の報告は聞くことができませんでしたが、メモ を拝見いたしました。やはり、緩和ケアというのは相当考えないといけないと思いまし た。参議院の政審会長をやっていたときに、リビングウィルを法制化できないかという ことに取り組んだことがあります。これは揺りかごから墓場までの墓場の直前の問題で すから、非常に大事なことだと思います。  茂木委員の話の一連のことも、いま古賀委員が言われたことについても私は非常に賛 成ですし、これはいずれ川勝委員、石川委員にも伺いたいのですが、小室委員が言われ たか、要するに時間なのです。働いて富は蓄積したが、時間の余裕がないと。いま予算 委員会をやっているものですから、国会が開いていると、言い出しっぺの厚生労働省は 最もワーク・ライフ・バランスでない生活をしております。徹夜で答弁を書いています から、まず隗より始めよなのですが、ひどい状況であります。  そうすると、いかに時間を確保するかなのですが、例えば家事サービスの外注化みた いなものをどう考えるか。お寿司、屋台というのは江戸だという話を聞いておりますが、 衣食住の中では食がいちばん大変だと思います。時間があって、ゆとりがあって、楽し みで食を作るならいいですが、三度三度フィードするというのは大変です。タイや台湾 は朝ご飯まで外で食べてしまう。だからなぜ男女とも働きながらやれるのかと聞くと、 ご飯を作る手間がないから、これは相当大きい。子供連れで食べに行ける所はファミレ スなどというのもある。男性も女性もそうですが、いま家事に取られている時間を外注 化することによる社会の変化みたいなことはあり得るかと。ただ、いま餃子の問題が出 てきて、冷凍食品を使ってあっさり済ませていたのができない状況になってしまい困る のですが、そのような問題意識もありますので、引き続き長期的な観点から、江戸の話 は石川委員から、国際的な視点からは川勝委員に、歴史的にはどうだったかということ も含めて教えていただければと思います。  本当は最初から最後までここにいたいのですが、公務がありまして、そうではない所 に行かないといけませんので先に退席させていただきます。どうもありがとうございま した。 ○岩男座長 ありがとうございました。それでは議論を続けます。ご自由に挙手をお願 いいたします。 ○川勝委員 山崎委員と茂木委員お二人のお話に大変感銘を受けました。特に、山崎委 員は前2回欠席され、今回初めて出席とのことですが、欠席されてもきちんと報告書を 出されていたとのことで、立派だと思いました。医は仁術といわれますが、医者に対す る不信が比較的高まっている中で、先生のように思いやり、仁の心を持ち、それを裏づ ける技術に支えられて、緩和ケアを実践されていることに敬意を表する次第です。  いろいろな委員からコメントが出ましたが、テリー伊藤委員が、風見しんごさんがお 子さんを亡くされ、ご両親が天国にいる子供に、死んだときに「頑張ったね」と言われ たいというお話を紹介され、感動しました。死後の世界は誰もわからないのですが、風 見ご夫妻は、子供が亡くなったという客観的事実がある一方で、やはり子供はまだ心の 中で生きているのですね。  一人称すなわち自分の死はわかりません。死を二人称の死と三人称の死に分けると、 三人称の死とは、見ず知らずの人の死で、死体は物体です。しかし、もう1つ、肉親の 死と言いますか、恋人、妻、夫、親や子、兄弟、姉妹の死があります。これを二人称の 死としますと、そのような身近な人の死というのは、その人たちは死んでも生きている ということを我々は実感しているのではないか。だからこそ、大体家には仏壇があって、 神社仏閣にはお参りに行かなくても、仏壇に向かって亡くなった父母、祖父母と会話す るということがあります。そのような当たり前の事実を知らなくてはいけないと思いま す。  茂木委員は言われませんでしたが、最後の頁に教育のことを書かれており、山崎委員 は教育のことを話されました。死亡率が100%ならば、「生老病死」という仏教的な哲学 ないし「死生観」、すなわち共に生きる仲間は共に死ぬ仲間でもあるという認識をもたせ ることも教育ではないか。その仲間を家族から、友人、地域、生物、地球社会までに広 げられる器量をどう持たせるか、教育の課題だと思います。  人生85年がテーマですが、寿命というものがあって、イエス・キリストは30代で死 に、お釈迦様は80まで生きた。イエス・キリストは理不尽な死でしたが、人類の罪を 背負って死んだとのことで、多くの人の役に立つ死でした。生命は長ければいいという ものではないということです。しかし、理不尽な死というのは、なるべく避けねばなら ない。事故で死ぬ場合があるかもしれませんが、理不尽な死をもたらす制度はまずい。 戦争、過労死などは制度的にきっちりとケアできることで、理不尽な死をもたらさない 制度を国が作らなければいけないと思います。  お年寄りは、自分が死ぬときは人に迷惑をかけたくないと、いわれる。これはいわば 受動です。受動態を能動態に変えれば、人の役にたちたいということになります。人の 生きざまが何かの役に立つ、有用である、人を活かすことになる。活かすだけだと、滅 私奉公になって、国のために自分が死ぬ、これは理不尽です。自分も幸せで、しかも人 の役に立つといった制度を設計をしていくことが課題ではないか、そのような感想をも ちました。 ○岩男座長 それではテリー伊藤委員のお話で最後にしたいと思います。 ○テリー伊藤委員 先日、NHKで2話にわたって脳梗塞の特集をやっておりました。 番組の頭に長嶋監督が出てきて、そのインタビューを聞いていましたら、リハビリは嘘 はつかないと。ミスターとは親しくさせていただいておりまして、ミスターが最後に胴 上げされたときに着ていたユニフォームをもらったぐらい親しくさせていただいている のですが、非常にダンディズムのある方で、それこそメガネ1つ、老眼であまり見えな いのですが、彼は「長嶋茂雄」というブランドも大切にしているので、ユニフォームを 着ているときは絶対メガネをしなかったのです。そのようなダンディな男が、あのよう な形で、うまくしゃべれない自分を人に見せているわけです。  僕は家で寝ながらこの番組を見ていたのですが、ミスターがしゃべり出したときには、 思わず正座になってしまったのです。彼が言いたかったことは、自分の生きざまを見て 同じような境遇の人が、ミスターが頑張っているのだから自分も頑張ると。日本中の多 くの同じような病気の方、もちろん違う病気の人もいたと思いますが、そのような意識 が高まったと思うのです。それは先ほど言われていた、死に向かって生きる哲学なり美 学というもの、自分はいま闘っているけれど、自分のためだけではなく人のため、この 生きざまを見て参考になるのではないかと。たぶんミスターの場合は、あれだけの有名 人ですから日本中かもしれないですが、一個人の家庭では、それが子供であり、孫であ り、親族でありと。「おじいちゃん、あんなに頑張ったんだ、おばあちゃん、あんなに頑 張ったんだ」という捉え方があると思うのです。そういうのを見ていて、僕にはあのよ うな生きざまを将来していたいなという意識があるのです。  85年ビジョンはいつまでやっていくかわかりませんが、いずれ外部に発表していく段 階で、ネガティブなものは紹介してほしくない。あのビジョンは自分の人生の中で参考 になるといったものを、これから作っていきたいなと。こういうものは人に不安を与え たり、怪し気な宗教とは違うわけで、人生85年ビジョン懇談会では、やはり夢や希望 といったものを発表していきたいということを改めて感じました。 ○岩男座長 ネガティブなものは入れないというよりも、課題があっても課題を知るこ とによって、私たちの85年の生き方にポジティブに役に立つような形のまとめ方にす る、このようなことだろうと理解しました。  最後に、山崎委員が言われたことで、厚生労働省のほうで制度的に是非実現していた だきたいと思ったことがあるのです。私自身家族を介護保険を使って介護した経験があ るのですが、特にがんの患者の場合、介護保険の判定の結果が出るまでに大体1カ月ぐ らいかかり、出た結果と現状というか状況とが齟齬を来してしまうのです。終末期に関 しては、それこそスピード判定と言うのでしょうか、もっと柔軟な対応を仕組みの中に 入れるということが必要ではないかということを山崎委員のお話を伺っていてつくづく 感じました。そうでないと、死んでから判定が要介護1などと言われても、もう間に合 わないわけです。制度の充実ということの中に入るのかもしれませんが、やはり多様な ニーズがあるときに、1つの画一的な制度ではなく、柔軟性を持った制度に変えていた だく必要があると思いました。  今日は大変活発なご議論をいただきまして、ありがとうございました。予定の時間に なりましたので、ここで閉じることにいたしますが、次回は20日(水)の10時からで す。委員の方から発表していただき、その後今日のような形でご議論いただくことにし たいと思います。事務局から次回の説明をお願いいたします。 ○小野政策統括官 次回はモレシャン委員と川勝委員にご報告をいただこうと思ってお ります。 ○フランソワーズ・モレシャン委員 次は私だけですか。 ○小野政策統括官 川勝委員とお二人の予定で考えております。 ○岩男座長 よろしくお願いいたします。特にお二人の方、どうぞよろしくお願いいた します。今日は山崎委員、お帰りになりましたが茂木委員、本当にありがとうございま した。ここで議論を閉じさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。 照会先 政策統括官付労働政策担当参事官室 調整係 内線7715