08/02/13 第6回議事録 08/02/13 厚生科学審議会科学技術部会 第6回臨床研究の倫理指針に関する専門委員会 議事録 厚生科学審議会科学技術部会 第6回臨床研究の倫理指針に関する専門委員会 議事次第 ○ 日時 平成20年 2月13日(水)17:00〜19:30 ○ 場所 霞ヶ関東京會舘 シルバースタールーム ○ 出席者 【委 員】 金澤委員長 廣橋委員長代理       飯沼委員 伊賀委員 井部委員 川上委員 倉田委員 小林委員  佐藤委員 永井委員 藤原委員 本田委員 丸山委員 谷内委員 【事務局】 新木研究開発振興課長 林治験推進室長 佐藤課長補佐 【特別ゲスト】 光石忠敬弁護士、野村尚孝氏(損保ジャパン)、 川口伸吾氏(東京海上日動) ○ 議 事: 1.臨床研究における倫理について         ◎ 特別ゲスト 光石 忠敬 弁護士 2.補償に関する保険について   ◎ 特別ゲスト 株式会社 損害保険ジャパン   ◎ 特別ゲスト 東京海上日動火災保険株式会社 3.その他 ○ 配付資料   議事次第 座席表 委員名簿 資 料 1 :第5回臨床研究の倫理指針に関する専門委員会の主な意見 資 料 2 :臨床研究に関する倫理指針(現行版) 資 料3−(1):金沢大学打出医師の意見書 資 料3−(2):臨床研究に関する報道事例(神戸市) 資 料3−(3):川田龍平議員提出の質問主意書及び答弁(平成20年1月7日提出、平成20年1月31日提出) 資 料3−(4)~(14):光石弁護士提出資料 資 料 4 :補償に関する保険について 資 料 5 :臨床研究登録の動向について 資 料 6 :「臨床研究に関する倫理指針」の改正素案の概要(案) 資 料 7 :委員提出資料 資 料 8 :「高度医療」と保険上の取扱いについて(案) ○事務局  定刻となりましたので、第6回の専門委員会を始めさせていただきたいと思います。本 日は先生方におかれましては、ご多用のところをお集まりいただきまして、ありがとうご ざいます。本日は委員19名のうち、現在12名の委員にご出席をいただいております。本 会議は成立していることをはじめにご報告申し上げます。なお、本日の会議は公開として おりますので、ご了承いただきたいと思います。  また、本日は5人の特別ゲストの方においでいただいております。議題の1番の臨床研 究に関する倫理に関して総括的なお話をいただくということで、光石法律特許事務所より 光石忠敬弁護士に来ていただいております。議題の2番のいわゆる臨床研究の補償の保険 について、前回ご要望がございました件ですが、株式会社損保ジャパンの企業商品業務部 賠償保険グループより、野村尚孝課長代理に、まだお見えになられておりませんが、おい でいただきます。東京海上日動火災保険株式会社の企業商品業務部より、川口伸吾次長に おいでいただいております。さらに、臨床研究の倫理審査委員会等への市民参加というこ とで倉田委員がご発表される際の補助として、「納得して医療を選ぶ会」より今井聡美様と 平岩千代子様においでいただいております。平岩さんは今日はまだ、お見えになられてい ないようですが、いらっしゃっております。  それでは議事進行を金澤委員長にお願いします。 ○金澤委員長  皆様、お忙しいところをお集まりいただきまして、誠にありがとうございました。前回 は新聞のアンケートについていろいろ勉強させていただきました。今日はまた勉強であり まして、特別ゲストの皆さん方においでいただきましたので、また、しばらく勉強させて いただきたいと思います。早速ですが、議事に入ります前に、配布資料の確認を簡潔にお 願いいたしましょうか。 ○事務局  本日の配布資料についてご説明させていただきます。議事次第からスタートし座席表、 構成員名簿、資料番号が1番から8番まで付いたものがあります。資料3については枝番 が(1)番から(14)番までありますので、ご確認をいただければと思います。そのほか、委員の 先生方のお机には、参考資料としてハードファイルを1冊納めていますので、確認をお願 いいたします。このハードファイルは毎回の会議で使用しますので、お持ち帰りにならな いようにお願いいたします。以上、過不足等ございましたら、事務局までお知らせいただ きますようにお願いいたします。ありがとうございました。 ○金澤委員長  ありがとうございました。議事に入りますが、第1議題は臨床研究における倫理ですが、 前回は改正指針の概要案をご議論いただいたわけです。今回は個別の論点などについてご 審議いただくことにいたします。ただ、その際にいろいろなご意見がありまして、歴史的 な経過、最近の状況などについて全体的なシステマティックな整理を踏まえてから、討議 をすべきではないかというご意見がございまして、確かにそのとおりですので、また、お いでいただいて大変恐縮なのですが、弁護士の光石忠敬先生に特別ゲストとして、おいで いただきました。しばらくの間、光石先生の講義を聞かせていただくことになるかもしれ ません。40分ぐらいよろしくお願いいたします。 ○光石弁護士  ご紹介いただきました弁護士の光石忠敬です。昨年の9月にはパブリックコメントのヒ アリングについてスピーチさせていただきました。今日のお話はそれの続きになるのです が、倫理審査委員会、代行判断、研究結果公表といった問題、どちらかといえば臨床研究 倫理指針の基本的な問題について、いままで考えてまいったことをお話させていただいて、 多少なりともこの検討に役に立つことができれば大変幸いです。  まず「ヘルシンキ宣言の歴史から学ぶこと」ですが、日本における倫理規範がどのよう に作成されて、遵守されてきたのかどうかということについて考えてみますと、臨床研究 倫理指針の前文で、ヘルシンキ宣言を踏まえて定めたということが書かれています。そう いうことを謳っているのです。ヘルシンキ宣言はご存じのとおり、世界医師連盟、WMAが 1964年に採択した、人を対象とする医学研究の倫理的原則です。日本医師会はこのWMAの 会員ですけれども、東京で1975年に開かれたWMA大会で、このヘルシンキ宣言の中に独立 した委員会を作ることが追加されました。そのことがきっかけになって、大学病院などで 倫理委員会といったものが作られることになったようです。多くの現在行われているプロ トコル、研究計画書には宣言を遵守するとか、宣言の精神を遵守するというようなことが 書いてあります。  しかし、宣言の各項目が現場で実際に遵守されているかどうかということまでは審査は 深まりません。言ってみれば、宣言というのは神棚の注連縄のように祭られてきたという、 言ってみれば建前と本音を使い分けている。それが日本の特徴なのかもしれません。  本来は、宣言を具体化した規範を専門家組織が作って、専門家組織が、規範に反する場 合は公表してしまうというようなサンクションを講ずるという、自己統治すべきものだと 私は思いますが、しかし、日本には自己統治できる専門家組織はできていません。日本の 行政や専門家の本音は、研究の推進ないし促進、知的財産の創造・保護、国際競争力の強 化に本音があるのではないか、と思います。  ヘルシンキ宣言は、ナチスの人体実験に対する医師裁判の判決が下りまして、その一部 がニュルンベルク綱領と言われていますが、それが出発点です。本人の自発的な同意が絶 対に欠かせない。これがニュルンベルク綱領のインフォームド・コンセント原則なのです が、この原則に制限を付けよう、特に精神疾患患者や子ども、そういう同意能力を欠く対 象者の医学研究について規定していこう。それから治療的研究と非治療的研究を分けよう。 こういったことからヘルシンキ宣言は出発しました。  海外の臨床研究規範というのは過去のこういう非人道的な人体実験の事件であるとか、 あるいは近年の研究において被験者の保護が守られなかったケースへの反省に基づいて作 成されてきています。そういう意味では規範というものは具体的ケースに対する調査や反 省から生まれてくる。  ところが、日本の医学研究社会では、関東軍の第731部隊により、医学者たちが組織的 研究を行ったのですが、このことに対する調査や歴史的反省をしませんでした。日本の臨 床研究の規範は別の動機によって作られている。例えば臨床研究審査委員会を作るきっか けは、海外で日本の研究者たちが論文を発表したいときに、それが考査の要件とされる。 つまり、審査委員会の審査を経ていなくては載せません、ということから、それが引金に なったとも言われています。  アメリカは、FDA食品医薬品庁が非常に強い国です。具体的なケースですが、1994年に HIV母子感染予防のためのジドブジン、AZTを妊婦と新生児に予防的に投与するという、標 準的な治療法、076レジメンが確立した後に、今度はアメリカ当局がスポンサーになって、 その076レジメンよりも投与量や投与期間を大幅に減らした治療法と、有効成分のないプ ラシーボ対照臨床試験をサブサハラ等の発展途上国で行ったのです。このことがきっかけ になって倫理規範が先進国と発展途上国で異なっていいのか、という批判が出てきて、倫 理規範の普遍性と相対性が問題とされました。臨床試験の対照群は最善の方法でなければ いけない。このことについてプラシーボ対照群は非倫理的ではないかということが問題に なって、ヘルシンキ宣言の2000年改正、エディンバラ改正で標準的治療方法が存在しない 場合にプラシーボ使用を認めるという但書を作ったのです。  ところが、アメリカは何とかプラシーボ使用の許容範囲を大幅に広めようということで、 アメリカ医師会の改定案などが出されたのですが、結局、ドイツ医師会などが批判するこ とによって退けられたのです。そういう状況があったのですが、実はヘルシンキ宣言に 「Note of Clarification」という「注記」ができました。これは世界医師会の総会が決め なくてもよく、理事会で決めればいいもので、標準的な方法が存在していても、プラシー ボは使えるという注記を作ってしまったのです。そういう意味ではヘルシンキ宣言自体が 矛盾する規範になってしまったのです。  こういう改定というのは主としてFDAの強い意向によるもので、結局、アメリカは日本 のように建前と本音を使い分けることはしない。要するにルール違反だということを批判 されると、それではルールは作ったのだから、そのルールをまた作り直せばいい。変えれ ばいいというのがアメリカの考え方ですから、ヘルシンキ宣言は少し弱めようという方向 にきたわけです。  個人倫理と集団倫理についてですが、もともと、個々の患者が自らの病状にとって最も 良いと思われる診療を受ける、個人倫理と、後に続く患者たち、母集団がより優れた診療 の恩恵を受けられるように、できるだけ効率よく医学の進歩を達成する、集団倫理の両方 のバランスがいつも問題になります。私は、個人倫理を守らずに集団倫理のみを貫くこと はできないと思っています。しかし、どうやらアメリカのFDAは集団倫理に重点を置くこ とで、研究の効率性を押し進めてきた。  少し観点を変えまして、一体、倫理と道徳と法とがどのような意味を持っているかとい うことを、考えてみたいと思います。いうまでもなく法は権力を背景にしています。そし て強制を伴って行われる規範です。いま、お手元にある臨床研究倫理指針などは法ではな くて、法律上の根拠のない行政指導の告示です。しかし、倫理指針を見ますと、どうやら 倫理と法を、連続性を有する規範とみなしているように私には思えます。この分野で法律 を作ることは臨床研究の実施を萎縮させるので避けたいという専門家の実感に、いわば答 えるようにして、これらの臨床研究倫理指針などはソフトローであるから、ソフトローが あるのだから、ハードローとしての法律は要らないということを言いやすい。それは資料 (4)に書いておきました。そういうソフトロー説というのが有力に唱えられています。こう いう倫理指針があればもういいと。ヘルシンキ宣言の中の重要な倫理要素を指針は定めて いないのです。それを今日は少し申し上げようと思っていますが、ソフトロー説に傾いて いるというのが私の結論です。  例えばヘルシンキ宣言のネガティブデータの公表義務の27条、あるいはプラシーボ対照 の29条といったものは全部剃り落としてしまう。それは何を意味しているのかというと、 ヘルシンキ宣言は9条で、宣言に示すような被験者に対する保護を弱めたり、無視したり することは許されてはならないということを定めているのですが、これに反していて、本 来の倫理指針の水準からすると、問題があるように思います。  他方、臨床研究倫理指針などは倫理と道徳の区別をしているのかしていないのか。道徳 規範を含めているのかどうか、これははっきりしません。  元来、倫理と道徳と法は規範としては基本的に違っています。それをドイツのハーバー マスが非常にうまく説明しています。倫理というのは一人称、つまり私にとって、あるい は我々にとって善なるものは何かという観点から考慮され、集団のアイデンティティを形 成する、それが倫理である。これに対して道徳は万人にとって等しく善なるものは何か。 これは倫理としての「善」ということと対置される「正義」ということですが、それが道 徳である。そういう意味では道徳は普遍的妥当性を要求します。この辺は法と一緒なので す。ただ、法というのは普遍的妥当性と共同生活の規制という役割を道徳と共有するけれ ども、道徳では義務が権利に先行する。それに対して法では権利が義務に先行すると、こ のように違っています。これは資料7のいちばん終わりの頁に載せておきました。  そうすると、文字どおり倫理規範としたいなら、少なくともヘルシンキ宣言の各項目を 具体化しなければならない。これらを無視することはやはり9条に反する。道徳規範でも あるならば、研究の対象となる被験者の人間の尊厳及びこれに基づく人権を守る。そして 研究を適正に実施することが指針の目的でなければならないわけです。法との連続性を避けるならば、それは研究を適正に実施し、被験者を保護するための法律を、やはり倫理指 針とは別に、倫理指針は大事です、大事なのだけれども、それとは別に創造する必要があ るということです。  そこで、倫理指針の目的に入りますが、人間の尊厳ということについて、臨床研究倫理 指針などは指針の目的について、人間の尊厳ではなく個人の尊厳と表現しています。ヒト ゲノム指針だけははっきりと人間の尊厳と表現しました。個人の尊厳というのは非常に曖 昧な表現で、個人の尊重と同義だとされています。個人の尊重は、個々の人間を尊重する ことを意味するから、公共の福祉による制約があります。  ところが人間の尊厳には自律的・人格的個人の尊厳のほかに、現存のそして未来の種と しての人間の尊厳という、この2つの意義があるのですが、人間の尊厳というのはあらゆ る自由、基本的人権の源です。ですから、臨床研究などが学問の自由に含まれると仮定し て、含まれるかどうかも1つ問題があるのですが、学問の自由に含まれるとしても、学問 の自由は人間の尊厳を侵すことはできない。言い換えますと、臨床研究などが人間を単な る道具化することはできない。人間の尊厳は制約がない。すなわち、人間の尊厳は不可侵 性を持ち、絶対性を持っているから、いかなる自由、人権とも比較考量できない。そうい う意味ではいかなる制限もないのです。  もう1つ、臨床指針の目的である適正な実施について、各指針は、指針の目的として研 究の適正な実施と表現します。これは非常に正しい表現だと思います。しかし、アメリカ では医学研究の正義感が変わってきた。これは「揺れる振り子」という、ジェフリー・カ ーンという方の書いた『生命倫理と法II』という弘文堂の本の中に、新しい論文として載 っています。それを見ますと、医学研究の正義感が被験者保護から、研究参加へのアクセ スへと。研究参加へのアクセスが正義感なのだという方向にアメリカは変わってきている。 結局、研究の適正さの具体的なことを規定すればするほど、どうも研究がしにくくなると いうことで、具体的な方法は規範に組み入れない方向へどうやら日本の行政や、日本の専 門家が引っ張られているのではないかという懸念があります。  もちろん研究の適正さというものはプロトコルのレベルと、個々の被験者のレベルの両 方について審査される必要がありますが、そしてまた、プロトコルのレベルはやはり中央 審査システム、個々の被験者レベルは各施設の審査システム、そこでの審査が中心にはな ります。研究の適正さというのは、いちばん象徴的なものはやはりデータの捏造とか、あ るいは改竄などというようなサイエンティフィック・ミスコンダクトの問題が、適正さの 中には当然入っています。本来は科学的不正が行われてはいけないことが倫理指針の中に は当然入ってこなくてはいけない。そこで、研究の適正さが担保されるようにするにはど うしたらいいのかということを、倫理指針を作る場合は当然考えていかなければいけない と思います。  そこで、研究審査システムの役割ですが、臨床研究倫理指針を見ますと、臨床研究の定 義として一方では診断及び治療のみを目的とした医療行為は除外するということが書いて ありますし、他方で治療方法の改善などを目的として実施されるものだと定義しています。 しかし、実際の実例を見ますと、治療方法の改善などを目的としながらも、治療等を目的 とするというように、目的が併用されている場合がたくさんあります。それは診療と研究 のどちらに属するのだろうか、曖昧です。  第2に、倫理審査委員会は実施機関の病院等の長からの意見を求められた場合に意見を 述べるとなっています。そうすると、実施機関の長が、「いや、これは研究の定義には該当 しないな」と思えば、結局は審査システムとしては動かないのです。そもそも診療と研究 の区別は、資料(6)の「ベルモント・レポート」で明確に定義されていますが、個々具体的 なケースによっては曖昧な場合が少なくないのです。特に先ほど申し上げたような目的が 併用されているというときに、客観的な目的が忘れられてしまい、研究者側の主観的な目 的がものを言う場合が少なくありません。  1つの実例として資料(9)や(10)に挙げました金沢大学附属病院のケース、簡単に申し上げ ますと、金沢大学附属病院の婦人科が所属している北陸GOG研究会が卵巣がんに対する最 適な治療法を確立するための高用量のCAP(サイクロフォスファミドとアドリアマイシン とシスプラチン)療法とCP療法とを無作為割付で比較する試験です。それと高用量の化学 療法におけるG-CSF(ノイトロジン)の投与のタイミングなどを検討する両方の研究を一 緒にやろうとしていたのです。これが一緒だったことは、プロトコルを見ると詳しく書い てあります。例えばCAP、CPのプロトコルを見ますと、きちんと目的に合わせて高用量の 化学療法におけるノイトロジンの臨床的有用性についても検討すると書いてあるのです。  研究会や代表世話人は全部一緒なのです。そういう意味では不可分一体の関係にある一 つの研究だったのです。にもかかわらず、研究審査システムの審査に付したのは、ノイト ロジンのほうだけだったようで、結局、双方を一括しては審査に付さなかったのです。こ れ自体が、私は科学的非行に該当すると思われるのだけれども、そういうことは裁判では 問題にされなかった。要するに、有効性に差がないCAPとCP療法の治療成績を集積し比較 したものにすぎないから、これはクリニカルトライアルなのだけれども、比較臨床試験で はないというのが被告側の主張だったのです。  しかし、それは判決を読みますと、それ以前の医療慣行に基づく標準的な用量よりも高 用量であったということは言っていますので、結論的には被告の主張は否定しているのか なと私は思います。要するに、CAP、CPの比較は診療ではなくて研究なのだと。  この事件から学ぶべきことは少なくないのですが、診療と研究はどのように違うのかと いうことの差違、および研究の定義を規範にり明確に規定しておくべきですし、もし、科 学的非行が認定されてしまえば、インフォームド・コンセントがどうであろうとも、それ は違法性がなくなることはないのだということをはっきりさせるべきだと私は思います。  実はこの倫理指針の目的と相容れないフィクションがあります。いちばん典型的なのが 代行判断です。これは倫理指針を見ますと、「代諾者」という、つまり各倫理指針を見ます と、インフォームド・コンセントについて定めて、その中に代諾者について定めているの ですが、しかし、本当は倫理指針の肝心な点は定めていないのです。そして、むしろ臨床 研究を円滑に推進するために役立つ部分は詳しく定めているのです。これがいまの状態だ と思います。  インフォームド・コンセントとには4つの要件があります。同意能力があること、同意 は自発性があること、研究者ないしは医師の側から説明がされること(インフォームド)、 対象者がそれを理解すること(アンダースタンディング)という、この4つの要件があり ますが、この中で最もフィクションに満ちているのが能力に関する代行判断なのです。リ ーガルフィクションは擬制と言いますが、これは既存の法を正面から変更することなしに 正義公平にかなった解決を図るために、ある事実が実際に存在するしないにかかわらず存 在するとみなす。確かに有効性、安全性の蓋然性の高い、通常の診療行為の場合には、代 行判断に、こういうリーガルフィクションがあったほうが患者は保護される。子どもの場 合を考えてみればすぐにわかります。子どもに同意能力がない。これは親の同意でやって いこうと。しかし、研究行為については代行判断について適正に定めない限り、このフィ クションであることを隠してしまうことがあるわけで、本人の保護に反する恐れが出てく るわけです。  代行判断についての検討はいろいろな問題点があって、倫理指針に全然書かれていない ことと、書かれていることとがあるのですが、まず、「本人がどのような状況に置かれてい る場合に」問題になるのかというときに、倫理指針では本人から同意を受けることが困難 な場合に、代諾者などから同意を受けるというようなことが書かれています。しかし、同 意能力がある場合でも困難な場合ならばいいのだというように読めます。はっきりは読め ませんが。  しかし、同意能力を欠くというのはルールとして明確です。代諾者の定義を見ますと、 代諾者については本人に同意能力のない場合に、本人の代わりに同意を与えるものと定義 しています。そうすると、代諾者の定義と少し矛盾しているように、私には読めます。同 意を受けることが困難だというこの要件は非常に曖昧です。同意能力の判断が粗雑な場合 でも、代行判断のルールに移行していって、あとは家族なら家族の同意でやれるというこ とが、本人の保護にならない恐れが出てきます。やはり私は本人が同意能力を欠く場合に のみ代行判断が問題になるのだと思います。近ごろよく胎児外科というのが行われていま すが、胎児を対象とする研究などについても、胎児を被験者とする場合などについて、指 針が本当は規定しなければいけないのだろうと思います。  「どのような研究について」なのか。これが同意能力を欠いている場合にはすべて代行 判断でやっていけるのかという問題です。しかし、場合によっては同意能力を本人が欠い ていても、もうそもそも本人を被験者には選定できないという研究もあるはずです。それ は結局、研究の客観的な評価をしなくてはいけない。臨床研究倫理指針では当該被験者に ついて臨床研究を実施することは必要不可欠であるということを言っていますし、また、 細則では研究の重要性が高いことが要件になっています。この当該被験者の属する必要不 可欠性という点ですが、当該被験者が属する母集団についてなのか、それとも当該被験者 個人についてなのか、その両方についてなのか、はっきりしません。  もし、後の2つだとしますと、倫理審査委員会にはきちんと小委員会のようなものを置 いて、即時に対応しない限りは、なかなか審査は困難だと思われます。結局、この問題は 本人の益になり得る場合なのか、それとも本人の益にならず、本人の属する母集団の利益 と想定される場合なのかという判断です。臨床上の利益なのか、科学的知識の増大という 利益なのかという客観的な判断。また、本人に対して許容されるリスクの範囲内なのかど うかという評価が判断されなくてはいけないと思います。  そういうことを考えますと、同意能力を欠く者に参加してもらうことがやむを得ないと いう研究にまず制限しなくてはいけないだろう。また、治療的類型の研究に制限するとい う原則も必要だと思います。  そうしますと、非治療的類型の研究に一体どういう場合ならば例外として認めていいの かということが大問題で、非治療的類型の研究を代行者の判断で同意能力を欠く本人に、 実施し得る倫理的道徳的根拠はなかなか難しい。私が考えますに、1つは本人と同じ属性 を有する者でなければ研究目的が達成できない。公益性の著しく高い研究である。リスク は最小限であって回復可能である。といったことが全部満たされていて初めて可能かなと いう気もします。では、一体そういう場合に、なぜ道徳的、倫理的にやれるのかについて はまだ問題があります。もちろん緊急状況下における救命的類型の研究には適用が許され る例外もあります。  3番目ですが、「本人の如何なる同意能力について、誰が、どのような基準に基づき、ど のような手続きで、どう判断するか」については、同意能力の定義、判定基準、判定者、 判定手続きについては何も規定していません。これらは曖昧で、実際に行われている判定 は研究者の裁量に委ねられているので、本人の保護にならない恐れがあるわけです。これ らのことは倫理指針で中心的なことを決めて、後は中央の審査システムで指針を具体化し てやっていくといったことが、どうしても必要で、あとはプロトコルにも定めることが必 要だろうと思います。  また、一定の範囲内では、臨床研究における研究実施者と対象者との関係から独立した 医師による審査を得るシステムもやはり必要なケースもあるだろう。だから、どういう場 合かということも決めていったほうがいいのではないか。  さて、4番目に、「本人以外の誰が、本人以外の誰を、どのような基準に基づき、どのよ うな手続きで選定するか」。これが「代諾者」の選定の問題です。臨床研究倫理指針などで は研究者が選定者であることを定めています。複数の候補者がいて、研究者自らの方針に 賛同する方を「代諾者」と認めると、もともと代行判断はパターナリズムを克服すべき自 己決定の考え方なのだけれども、結局、回り回って研究者意志決定になってしまうのです。 そうすると、皮肉にもパターナリズムに近づいてしまう。やはりこういう場合、一定の範 囲内では臨床研究の実施担当者から独立した他者(医療スタッフ等)によるないしは機関に よる選定を必要とするシステムを検討することが考えられます。  倫理指針を見ますと、「代諾者」の候補者を非常に広く定めており、任意後見人、成年後 見人、補佐人、補助人といった者たちの中から被験者の意思及び利益を代弁できると考え られる者を選定するという規定があります。確かに「代諾者」として家族は患者本人と精 神的社会的経済的に利益相反関係になることがあり、また、決定することに重い負担を負 うという問題点があるという意見があります。これは法学者の石井美智子さんの意見です。 そういう理由もあって、通常の診療については成年後見制度を用いて、成年後見人などを 「代諾者」とすることができるという意見が学者の中から出てきています。ただ、現行の 成年後見制度上は、治療、入院等についての契約や費用の支払いは財産行為そのもの、あ るいはそれと密接に関係する行為であって、当然成年後見人の権限として認めるものの、 医療の同意権はないのだ。これが現行の成年後見制度の公的な見解です。  そうなりますと、現段階では成年後見人などを通常の診療においてすら「代諾者」の候 補者に組み入れるのは適切でないわけですから、まして、研究においてはこれを入れると いうのは、問題があるだろうと思います。  これを考えていくと、医学的知識の増大、将来の患者たちへの幸福に貢献する意思を本 人が持っている証拠がある、事前指示がある、本人の過去の意思が示されているといった ことが、やはり追求されるべきでしょう。しかし、仮にこれらが示されていたとしても、 一般的な臨床研究のレベルでの参加意思にとどまりますから、具体的な研究計画書のレベ ルや研究に応じる個人のレベルについては、やはり追加的な評価が必要になってきます。 もし、明確な本人意思が不明な場合、本人の希望や価値体系を知っている最近親者が選任 されるべきであろうと。ただし、本人との生活の実質及び精神的共同関係からみて本人の 最善の益を図り得る者でなければ、やはり本人の保護を損なう恐れがあります。こういう 最近親者の同意をどう考えるかについては、その人固有の意思決定という意見もあるのだ けれども、それはそうではないだろう。やはり本人に代わって決定する代行決定なのだろ う。そして、本人の能力が不十分な場合は本人の能力を補充するための補助的決定だと私 は考えます。  こういう近親者が存在しない場合には、本人の益が大きい特別の推定が成り立たない限 り、本人を被験者とすることはできないのではないかと私は考えます。よく考えてみます と、「代諾者」という表現は適切でないです。なぜかというと、「代諾」といいますともう 承諾のニュアンスです。本当は代行者がやるべきことはイエスと言うか、ペンディングに するか、拒否するか、そのいずれかである。にもかかわらず、「代諾者」と言ってしまうと、 もう承諾をすることを暗示しているような用語だからです。そういう意味では「代行者」、 「代行判断者」、「代行決定者」といった表現のほうが適切です。その他の手続きについて は、時間がないので資料(11)を見て頂くことにして、最後に研究結果の公表について触れた いと思います。  資料(12)から(14)です。publication biasをご存じだと思いますが、なるべく研究結果のう ち、ネガティブな結果は公表しないという弊害が現実にあります。いまの臨床研究倫理指 針などを見ますと、研究成果の公表については、臨床研究機関の長の努力義務としていま す。ヒトES細胞指針などを見ますと、原則公開という書き方になっていますが、どういう 場合が例外か、そういったことについては私にはわかりません。  結局、医薬品などの場合はスポンサーですが、スポンサーや研究者がネガティブデータ を隠すというpublication biasのもたらすマイナスを、努力義務では解消できないのでは ないか。やはりスポンサーや研究者が研究結果公表を選択し、かつ操作するのです。この 選択性、操作性をどうやったら克服できるのだろうか、これを考えるべきだと思います。  そこで、シンスロイドのケースのことを簡単に申し上げますと、少し古いケースです。 メーカーが甲状腺製剤として売り出したのですが、その後、同種の薬が出てきたので、そ れとの効果の比較ということになった。比較をしてくれと研究者に頼んできて、そのメー カーにとっていい結果が出た。そこで、そのメーカーがもっと詳しい、他社製品との比較 研究を引き続き頼んだのです。そうしたら比較した4つの薬の効果が同じだという結果が 出てしまった。そこで、そのメーカーは論文発表を阻止しようとした。その後、論文がJAMA、 アメリカ医師会誌へ投稿されていよいよ発表へと進んだのだけれども、研究者が公表を取 り下げたいと。それはなぜかというと、研究委託契約に基づき、結果を公表するにはメー カーの同意が要る。そういう特約を楯に取って、メーカーが損害賠償訴訟を起こす。しか も研究者を被告としないで研究者の属する大学に対して起こすということを言ってきたの で、取り下げたいと研究者が言い出した。結局、メーカーは同じデータを使って、逆の結 論を発表したのです。ところが、それに対して"Wall Street Journal"が社会問題化してい き、つまり、本来ならば甲状腺製剤の半減期が7.6日なのに、48時間しか検討していない のはおかしいではないかということを言って、結局FDAがメーカーに厳重注意することに なって、最終的には7年経った1997年に、やっと最初の研究者のデータが発表されたとい うケースです。  こういう研究結果の公表というのは、私は研究者の義務だと思うのですが、ヘルシンキ 宣言が2000年改定で、結果公表義務を付け加えました。  国民にはどうか。国民にはやはり研究結果の公開を求める権利があると思っています。 その根拠は、国際人権社会権規約15条にあります、科学の進歩およびその利用による利益 を享受する権利が国民にあります。にもかかわらず、スポンサーと実施機関との臨床試験 研究委託契約では、現在でも圧倒的にほとんどの場合において公表制限特約が存在します。 この特約は研究者にとってよくないからと私などは助言しますが、それを聞いてくれる場 合もあるし、聞いてくれない場合もあります。この特約は、学問研究の自由を侵害するか ら憲法に違反するのだと思っていますし、仮にそういう特約に基づいてスポンサーが研究 者を訴えたとしても、それは法的に無効だと思っていますが、幸か不幸か、いままで日本 ではこの訴訟が起きたということを、私は聞いていません。  結局、倫理指針で努力義務を通常の義務規定に変えてみても、これは公表制限特約が法 的に無効であるということを貫くことはできないだろう。そういう意味では例えばすべて の研究結果は学術に即して速やかに公表されなければならない。これは私がぬで島さん、栗 原さん、浅野さん、福島さんと発表している研究対象者保護法要綱2007年試案にそう いう条文を付け加えています。 駆け足で申し訳なかったのですが、ご清聴ありがとうございました。ほかにも資料No.3- (2)の神戸市のケースなどを見ますと、典型的な臨床研究倫理指針の違反、要するに同意を 得ていない、インフォームド・コンセントを得ていないというケースです。これなどを見 ますと、臨床研究倫理指針に何らかの拘束力がないと、こういうことは続くのだろうなと いう気がします。では、その場合にどういうサンクションがいいのかということは、先生 方が検討されればいい。例えば、結果公表などというのはかなり重要なサンクションにな って、公表されることによって研究者的には大変な損失を被りますから、そういう拘束力 を設ける1つのケースかなという感じもします。  もう1つお手元にあるような川田龍平参議院議員の質問に対する答弁などを見ますと、 いま申し上げたような論点を含めていろいろな論点を指摘していますが、例えば金沢大学 病院のケースについては、被告国側が一般診療として行われたという主張をしていますが、 これは私が先ほど申し上げたように、違うのではないかと思っています。以上です。 ○金澤委員長  ありがとうございました。大変膨大な内容をまとめてお話いただいたわけですが、丸山 委員、何かご追加のようなことがおありと伺っておりますが。 ○丸山委員  追加はありませんが、質問があります。 ○金澤委員長  かまいません、どうぞ。 ○丸山委員  いくつかお願いしたいと思います。最後にお話になったpublication biasを防止する方 法としての公表義務ですが、合わせてこの委員会で検討している介入研究には登録を義務 付けるということについても光石先生は肯定的な評価を下されるということで理解してよ ろしいでしょうか。 ○光石弁護士  はい、それは当然だと思います。ただ、問題は公的にはやらないで民間でそういうこと をやることもあるようでして、いま先生がおっしゃっているのは公的にそういう登録制度 を作ろうと。 ○丸山委員  ええ、公的機関に登録のデータベースを置こうということで、後で出てくると思います が、こちらで検討されているということになっています。 ○光石弁護士  ですから登録されることによって、まだ進行中の研究のプロトコルとかが公になってい くということがあって、それはよく考えてみると、回り回って被験者のインフォームド・ コンセントに重要なかかわりが出てくるかなと思います。 ○丸山委員  最初に非常に広汎なテーマについてわかりやすく解説いただいたことに謝辞を申し述べ るべきだったのですが、礼儀知らずなもので忘れていまして失礼いたしました。質問の2 つ目なのですが、同意能力を欠く者に対して研究を行う際の問題点を指摘されました。そ の前に、カーンの主張する臨床研究を受ける権利が強調されるようになっていることも紹 介されました。私などはアメリカに固有の事情も反映しているのではないかと思うのです が、臨床研究に参加することを権利と扱うなら、同意能力を欠く人に対して、非常に場合 を限って参加を認めるということとの整合性が少し難しくなるのではないかと思うのです が、その辺りについてもう少し教えていただければありがたいと思います。 ○光石弁護士  かつて、日本では妊婦の方や子どもはなるべく研究の被験者にしないということでやっ てきました。その理由というのは、言ってみれば一種のロマンティシズムで、なるべく成 人の男性が最初に犠牲になる。それで安全性や有効性がわかったら子どもやそういう者に 使えるようにしようという考え方できたと思うのです。途中からだんだん変わってきて、 病気によってはもう臨床研究でなければ使うことのないような新しい、特に癌などの分野 でですが、そういうものが臨床研究以外ではとても使ってもらえない。そういう場合にア クセスする権利があっていいのではないかという議論が出てきて、先ほどのようなことに なっていったわけです。  だけど、それはおよそ臨床研究一般についてそういうことは言えないであろう。確かに 臨床研究の中には非常に特徴があって、これは本当にそれをやらないとその方はもうほか に助からないというようなケースもないわけではない。そういう場合には少し違うケース として何かルールを作ったらいいだろうと思います。ただ、癌などの話を聞いていると、 もう藁をも掴む思いになったときに、僅かなパーセントの成功確率であっても、とにかく やってみようという方が、私の友人にもいました。でも、結局うまくいきませんでした。 それはしかしそう思って参加したい、アクセスしたいのだというようなことはやはり許す べきかというのも、どうやってそういう臨床研究と、そうでない臨床研究を区別していく のかということは、やはり倫理指針の中である程度決めるべきかと思っています。 ○丸山委員  決めることができればもちろんそれが望ましいのですが、なかなか難しいことになるの ではないか。ほかに方法がなくても、新しい方法がいくらかでもプラスのものであればよ ろしいのですが、マイナスの毒になるようなものだと、逆に問題ですので、その辺り、ナ ル・ハイポセシスと被験者、研究対象者の主観的な希望というか、把握の噛み合わせが難 しいのと、さらにその代諾者となると、本人の意思が把握できない。本人の意思が把握で きない場合に、デフォルトを臨床研究に参加しないとするのか、先ほどのカーンの見解な どを踏まえると、そうとばかりは言っておれないというような問題も出てきて、迷路には まり込んでしまうようなところがあるように感じるのですが、その辺りについてもしご意 見があれば教えていただきたいと思います。 ○光石弁護士  私は先ほど申し上げた点なのですが、要するにプロトコルのレベルでの問題と、被験者 個人のレベルの問題と2つあると。いまのようにどちらかということを考えていくことに なりますと、プロトコルのレベルですと中央審査システムでいろいろ審査できますが、個々 の被験者、この方について本当にこれにアクセスすることがメリットなのだということを 誰が判断するのかということになりますと、それは結局は各施設の病院などにある審査委 員会、その中のさらに小委員会のようなところでないと、なかなか判断できないだろう。 では、そういう小委員会ってあるのだろうか。いま実情では小委員会までは作っていない のだろうと思います。つまり、代行判断のいろいろな問題点について判断するシステムが いまあるのだろうか、たぶんないだろうと思います。その辺を大ざっぱなことを倫理指針 が定めて、あとは各中央審査システムなどがガイドラインを作っていく。だから、順序と してまずは倫理指針がある程度の大ざっぱなルールを作ってほしいなと思っています。 ○丸山委員  この問題にのめり込んでいくと、きりがありませんのでこれぐらいにして、3つ目です が、金沢大学産婦人科教室の同意なき治験実施の問題ですが、打出先生の意見書なども拝 見するのですが、なされたことは少なくとも裁判所の認定事実によっても、どうも金沢大 学は臨床研究を行っていないと主張し、症例登録票も隠蔽して、原告側から出てくると今 度はまた自分のほうで捏造したようなものを法廷に提出する。その点については批難され るべきところが少なくないと思うのですが、それに対して裁判所が、一応これは研究目的 が部分的にせよ医療チームの中にあったのに、その目的を告げずに実施したということで、 慰謝料を地裁ではある程度、高裁ではかなり削って、かなり削った背景にはCAP法もCP 法も両方とも一般的な水準医療として認められていて、抗癌剤ですから効く人がそんなに 高い割合ではないと思いますが、臨床に使われていたという辺りを強調して、高裁では減 額したうえで慰謝料が認容されたのです。その高裁の判断については異論がないのか、そ れとも金沢大学がやったこと自体も悪いけれども、高裁の判断についてもおかしいのか、 その辺りがちょっとわかりにくいと思うのです。金沢大学の事件を取り上げられるときの 先生のポイントを教えていただければと思います。 ○光石弁護士  資料(10)などは法律学の専門家の方々も、このインフォームド・コンセントとの関係を指 摘してほしいということで、臨床試験とインフォームド・コンセントというところの1つ のケースとして書いたのです。これは間違いなく同意については違法だということで、地 裁も高裁も認めましたが、実はこのケースは打出医師がおっしゃるように、先ほど最初に 申し上げた適正な研究、適正な実施のところでものすごい問題があるのです。それこそ捏 造もあると私は思っているのです。そういう科学的非行、科学的不正といったことについ て、裁判所にあまり主張しなかったのではないか。そういう意味ではもう少し広い範囲か らこのケースの問題点、いま丸山先生がおっしゃったような点も、主張はしているような のだけれども、どうもそれが法律の争点にあまりなっていないのです。例えば、G-CSFの 研究についてしか審査していないということは、私はそれはとんでもない非行だと思うの です。だけどもそういうことの違法性はほとんど争点になりませんでした。それはこの事 件が、裁判官もその辺が理解しにくかったのかよくわかりませんが、そういうのは全然争 点にならなかったと思います。なお、先ほど申したように、CAPとCPのクリニカルトライ アルは高用量ですので、診療でなく研究です。 ○丸山委員  おっしゃりたいことは感じとしてはわかるのですが、だけど、地裁の判決が出、高裁の 判決が出、最高裁が上告を棄却ですか、不受理ですかして、一応記録として固まるとそれ に基づいて議論せざるを得ないので、それに含まれていないところをクローズアップする のはかなり難しいのではないかと思うのですが。 ○光石弁護士  そうですね。資料(9)、127頁の4というところで、「科学的非行の法的評価」ということ まで書きましたが、この点が地裁でも高裁でも争点にされなかったということが非常に残 念だなと思っています。  しかし、いま、先生がおっしゃるようにもう判決が下りてしまいますと、その判決で書 かれている判決理由のところだけしか議論できません。そういう意味では、日本ではまだ この「科学的非行」が出発点にも立っていないのではないか。残念な思いがあります。 ○丸山委員  ありがとうございました。 ○金澤委員長  どうもありがとうございました。ほかにご意見、ご質問はありませんでしょうか。 ○佐藤委員  いまの点、金沢大学の事件なのですが、私も一審判決、二審判決の違いをうまく読みあ ぐねているところです。一審判決は「不適当な抗癌剤の投与があった」と言っているよう な気がして、二審は「抗癌剤の投与自体は適正であった」ということで、説明義務違反に 問題を小さくしてしまったように思います。  臨床研究の場合に守られなければいけない権利や利益として、1つは生命や健康という 具体的な法益、これは明らかに不法行為ないし債務不履行上保護されるだろう。2番目は 説明義務、あるいは自己決定権、これもおそらくは認められるだろうと思います。3点目 としてはもうちょっと抽象的なレベル、例えば人間らしく取り扱われる権利のようなもの が果たして法益として認められるか。さらに4点目としては、おそらく先生の個人倫理と 集団倫理、あるいは倫理と道徳ということともからんでくるのかもしれませんが、科学的 に正しい研究をしてもらえるということが個人の権利ないし法的な利益として認められる のかが問題になるような気がします。3点目と4点目、抽象的な権利と科学的に適切な研 究をしてもらえる機会というものが法的な権利、ないし利益になるかどうかということに ついて、もうちょっとお考えをお聞かせいただければと思います。 ○光石弁護士  なかなか難しい点で、最初に申し上げた人間の尊厳という観点からいくと、人間を単な る道具として使ってはいけないという意味ではそういうことも当然入ってくるのです。た だ、もう少し具体的に、どういう権利なのかというときに、いまおっしゃったような人間 らしく扱われるというようなことはいずれ日本でも認められるだろうと思います。  例えば、ヘルシンキ宣言などを見ると、この点についてもある程度謳っています。何を 謳っているかというと、「科学や社会の利益に個人のWell-beingは優先する」、この Well-beingを何と訳したらいいのか難しい。ヘルシンキ宣言の第5項でそれを言っていま す。これは先ほどから言う科学や社会の利益、つまりなるべく多くの被験者にたくさん入 ってもらって、比較するとこういうデータが出るからいいという科学ないし社会の利益、 将来の患者たちにとっては利益かもしれません。しかし、本当に被験者となる方本人の Well-being of the human subjectというものを考えたら、それが優先しなければいけな いと言っている。  これはすごく大事な倫理規定だと思っています。いまの臨床研究倫理指針にも確か載っ ていると思います。それを今度はどうやって法に持っていくかということは、法律学の先 生方がいまおっしゃったような「人間らしく取り扱われる権利」というものを是非論文と して出していただいて、日本の裁判所がそれを認めていくということでやっていったらい いのかなと思います。いまは自己決定権、幸福追求権といった抽象的なものしかないので すが、もう少し具体的な権利があったらいいのではないかと思います。 ○佐藤委員  もう1点、丸山委員のご質問と重なるところがあるのですが、臨床研究に参加する権利 性が言われています。おそらく、代行判断の基本にはそれが本人のためになる、あるいは 最善の利益にかなうということが必要だろうと思います。その場合の「本人のため」、「本 人の利益」というのは身体的、あるいは健康的な利益だけなのか。あるいは、もうちょっ と精神的な利益のようなものを含むのか。例えば、研究に参加することによって、精神的 に満足するだろうということも本人の福祉ないし利益として入れていいのかどうか。そう いうことについてのお考えをお聞かせいただければと思います。 ○光石弁護士  子供とか精神疾患患者などの場合は別にして、通常の成人の場合には、将来の患者たち のために自分が役に立つ、立ちたいという連帯感のようなものを価値として保護するとい うことは当然あっていいと思います。  ただ、問題は、親の代行判断で子供も連帯意識を持ってやっていいということを言う学 者がいます。私はちょっと理解できないですね。例えば、子供と言ってもいろいろありま すが、小児などのことを考えるととても連帯感などを理解することはあり得ないわけです。 そういう場合、その子自身には何のメリットもないけれども、その子の周囲にたくさんい る母集団にはものすごくメリットがある。だから、代行判断でそういうものを被験者とし てやっていいという意見には私は賛成できない。  そういうことも被験者にしていいという考え方を言う方もおられますが、私にはそれが 理解できない。それを言う学者は臓器移植、ないしは子供の脳死移植についても、子供の ために親が代行判断して、つまり連帯感として自分と同じような年齢の子供に役に立つ。 それはその子供本人にとっても良いことということを本人が認識しなくても、親がそうい うことをやっていいという意見を言っておられます。その意見といまの臨床研究に子供に 直接何の益がない場合、親が代行判断できる。その考え方と一緒だということをその学者 が言うのですが、私には理解できません。 ○金澤委員長  ほかにご意見はございませんか。 ○川上委員  良いお話をありがとうございます。違う観点からなのですが、治験と新しい、まだ認め られていない医薬品の臨床研究を一元的に、患者に新しい臨床研究として行われるもので あれば、中央で審査される、登録されるというのは必要だと思っています。先生と全く同 じ意見です。  ただ、後段、先生がおっしゃっていた治験薬というか、まだ認められていない薬が個々 の症例に応じて臨床研究として使われていいかどうか。これは去年の夏ごろ、『Scientific America』という雑誌でずいぶん議論にのぼっていたと思います。抗癌剤の臨床試験があっ たのですが、これのプロトコルに外れた患者が自分も受けたい。ところがプロトコルに入 っていない、計画に合っていないのでスポンサー側、病院が受けさせてくれなかったとい うことでFDAを訴えたのです。まだ、この裁判は続いていますが、当時の見解としては「我 がアメリカ合衆国には臨床試験、新しい薬の治験というものを一元的にFDAが責任を持っ て科学的な審査をしている。であるから、それに則ってそこに逸脱する者が受けられない のは当然である」という判断をしました。ということは、我々が考えなければいけないの は、一元的に登録する、審査をするということをまず念頭に置いて、それが整備された上 で次に新しいものをどういうように取り扱っていくかを考えなければいけないと思ってい ます。  ですから、いま同時に考えてしまうというのは少しややこしいというか、混乱が生じる のではないかと考えているところです。いかがでしょうか。 ○光石弁護士  私も先生のおっしゃるとおりだと思います。 ○永井委員  研究とちょっと違うかもしれませんが、報道との関係で、社会の利益にとって社会の利 益より個人のWell-beingが優先されるというのは、報道においてはどう理解されているの でしょうか。 ○光石弁護士  報道ですか。 ○永井委員  メディア報道、報道の対象になった場合です。研究ではなくて。 ○光石弁護士  ちょっと、報道のことまでは考えたことがないのですが。 ○永井委員  かなり類似点はあると思います。学会に発表するということと報道するということは、 一見違うようでも本質的にはかなり似ていると思います。ですから、報道の場合にも報道 される側の自己決定権ということをきちんと整理しておかないといけないのではないかと 思います。 ○光石弁護士  ヘルシンキ宣言の第5条が言っている先ほどの規定というのは、やはり個人の倫理と集 団倫理をどういうように考えたらいいかという点についてのルールだと思います。そうす ると、いまおっしゃるようなことというのは、また全然別の問題ではないかという気がし ます。 ○永井委員  報道もやはり集団の倫理、個人の倫理があると思います。 ○光石弁護士  ただ、研究というのは個人のメリットになるかもしれないし、個人にはメリットになら ないけれども、集団にはメリットがあるかもしれない。特に、その方の身体にかかわりの あるようなことについてですから、その意味では報道と少し違うかなと思います。 ○永井委員  Well-beingというのは必ずしも身体ではないと思います。精神的なものも含まれると思 います。 ○光石弁護士  両方なのでしょうね。 ○永井委員  つまり、介入研究か観察研究かで、Well-beingとは何かということを考えないといけな いと思います。その辺のことがどうも整理されていないので、いろいろ混乱が起こってい るような気がするのです。 ○光石弁護士  ただ介入でなくても、観察であっても、私がこれに参加するという意思に基づいてやる のが原則でしょう。 ○永井委員  報道の場合も、報道される側の同意を必要とするということになってしまう。 ○光石弁護士  そうでしょうね。 ○永井委員  それを社会として認めるかという話になるわけです。 ○光石弁護士  本人が認めなくても、報道しなければならないケースというのはまたそれであると思い ます。 ○永井委員  そうすると、それは集団の倫理になる。 ○光石弁護士  そうです。 ○永井委員  そこをどう区分けしているかというのは我々にはわからないのです。 ○光石弁護士  個人個人の身体が影響されてくるような、本件の臨床研究の場面とはちょっと違うかな と思うのですが。 ○永井委員  いや、身体だけではなくて、これは心の問題も入っているのだと思います。臨床研究に おいては。 ○光石弁護士  脳の中でどういうように精神的な心が動いているかということは。 ○永井委員  いや、そうではなくて、この金沢大学の例もやはり被験者となる側の人権がいくら保険 診療で認められていたからといっても、そこはやはり同意が必要なのだというのがいま一 般的な考え方だと思います。保険診療ですから、身体のほうは薬でそう違いはないだろう ということになるのだろうと思いますが、心の問題というのは解決されていないわけで、 そこに対して裁判所が判断したわけです。そうすると、これはやはり報道の問題にも実は 非常に関係してくる問題ではないか。 ○光石弁護士  そうかもしれません。ちょっと、それ以上は。 ○永井委員  いや、私もよくわからないのです。この辺を社会全体で議論する必要があるのではない かという問題提起です。 ○金澤委員長  ありがとうございました。なかなか難しい問題が出てきていますが、もう少しほかにも 議論しなければいけないところがありますので、一応ここまでとさせていただき、第2議 題に移ります。  第2は前々から問題になっていた、臨床研究に関する補償保険についてです。これはか なり前からご指摘があり、皆さんご関心のところですので損保保険会社のご意見を伺うこ とにしておりました。今回、2つの会社からご快諾をいただき、特別ゲストとしておいで いただいています。損害保険ジャパンと東京海上日動火災です。損保保険ジャパンのほう からまずお話いただきます。野村さん、お願いします。 ○損害保険ジャパン(野村氏)  ご紹介に与りました損害保険ジャパンの野村と申します。本日はよろしくお願いいたし ます。資料は資料4、「損保ジャパン」というものになります。「臨床研究に関する保険制 度設計における検討課題」をご覧いただければと思います。  臨床研究に関する賠償責任保険というのは、現在、まだ保険会社は持っておりません。 ですので、本日は臨床研究に近しい部分にある保険ということで治験に関する賠償責任保 険、およびそのオプションとして補償責任保険というものがあります。そこについて簡単 にご説明させていただいたあとで、臨床研究における保険制度を設計するに当たってはど のような検討事項があるのかについて簡単にご説明させていただければと思っています。  資料の1頁、まず「治験実施中の事故と保険」という関係について整理させていただい ています。1番目、「治験実施中の事故と治験実施者が負う責任」があります。類型として は2つ考えられます。1つは違法行為を前提とする責任、いわゆる賠償責任になります。 もう1つが違法行為を前提としない責任、いわゆる補償責任というものがあります。  治験実施中の事故の事例として考えられるものをその下に列記しています。賠償責任と してはAからD、「治験実施計画書の重大な違反」や「治験薬の欠陥」「治験薬提供過程に おける落ち度」「診断/処置ミス」等々です。違法行為を前提としない責任、補償責任とい うことでいくと、主な例としては副作用被害というものが考えられます。  各々、こうした責任に対して、現在保険としてご案内していますのは2になります。賠 償責任に関しては「治験に関する賠償責任保険」、製薬会社向けの賠償責任ということでい くと治験PL保険をご案内しています。治験実施医療機関等の賠償責任ということで、具体 的には医師になりますが、こういった方々の賠償責任ということになりますと医師賠償責 任保険というものがあります。  一方、製薬メーカーが新GCPの省令対応ということで補償責任を求められています。こ れに対応する保険として、治験PL保険のオプションという形で補償責任担保追加条項とい うカバーをご提供させていただいています。  これの具体的な内容については次の頁をご覧ください。「補償責任担保追加条項の概要」 ですが、製薬会社の業界団体に「医薬品企業法務研究会」というところがあります。ここ で策定されています『被験者の補償に関するガイドライン』というものがあり、これに基 づく補償金をカバーするという内容にさせていただいています。  ただ、対象としている補償金というのは死亡と後遺障害で、いわゆる治療費については 対象外としております。  具体的な補償基準と保険金額ですが、2つあります。1つは患者様を被験者とする治験で す。こちらについては、医薬品副作用被害救済基金における基準を適用しています。死亡 と後遺障害1級・2級を対象としています。健常人を被験者とする治験については、政府 労災で言うところの死亡、後遺障害の1級から14級を対象としております。各々の保険金 額については標準的なパターンということで書いています。下の表にあるような保険金額 を標準としてご案内しております。以上がいわゆる治験における賠償責任保険、およびそ の補償責任になります。  具体的に、臨床研究に関する保険制度を考えるに当たって検討すべき課題を3頁目にま とめています。まず、1つ目に「保険の対象とする臨床研究の範囲の特定」です。類型と して医療行為と医療行為以外に分けられます。医療行為以外については、具体的に言うと 医薬品や計画に関する部分になります。現在、いまご紹介させていただいた製薬会社の治 験に関する保険というのはAとCということですので、ものや計画に関する部分について の賠償責任および補償責任を補償させていただいているということになっています。  医療行為に関する補償責任、表でいくとDの部分に当たります。これについては保険会 社としてもまだまだノウハウが足りず、リスクを定量的に把握することは極めて難しいと 現段階では考えています。公的な枠組みで、永続的な制度として運営していく上では十分 な検討が必要なのだろうと考えています。現段階では、民間保険会社のレベルですぐに検 討ができるという段階ではないのだろうと考えています。  具体的に対処すべき事項を2点書いています。保険の収支を永続的に保っていけるよう な運営が果たして出来るのかどうかということで、財源の安定的な確保等と書いています。 それから、具体的な保険金の支払いの透明化という部分があります。保険会社の一存で払 うということではなく、第三者機関による損害認定の仕組みづくり等、検討すべき課題は あるのだろうと考えています。  現段階で、製薬会社の治験における賠償責任保険と同じような枠組みで検討が可能なの だろうと考えているのは、ものや計画に関する部分における補償責任、Cの部分です。こ ちらについては、いまの枠組みの中でも検討は可能なのかなと考えています。  その中でも2点、対処すべき事項はあると考えています。1つは補償に関する「補償範 囲」であるとか、手順・水準・補償金額については、根拠になる法律やガイドラインとい うものは必要なのだろうと考えています。社会通念上、これぐらいの補償が妥当なのだと いう裏づけがないと保険としては成り立たないということです。もう1点、先ほどと同じ ところになりますが、公平かつ適正な支払いの仕組みの構築というところで、具体的には、 治験におきましても、第三者よりなる判定機関の判断に則って保険会社がお支払いすると いう仕組みを持っていますので、同様の仕組みを持つ必要があるのだろうと考えています。  以上、簡単ですが、損保ジャパンからのご説明は終わらせていただきます。 ○金澤委員長  ありがとうございました。続いて、東京海上日動火災からお願いします。 ○東京海上日動火災(川口氏)  本日はこういった貴重な機会を与えていただき、ありがとうございます。既に損保ジャ パンから報告があった内容と重複する部分もありますが、弊社の考え方を説明させていた だきます。資料は資料4、「東京海上」というペーパーです。  まず1頁目、こちらは専門委員会の資料からの引用ですので、既にご覧になられた方も いらっしゃると思いますが、簡単に説明をさせていただきます。「治験に係る保険の概要」 ですけれども、現在、治験に関連する損保商品としては、資料にありますように右から順 に医師向けの賠償責任保険、製薬会社手配のPL保険があります。これらは医療行為とか、 医薬品自体に原因があった場合の賠償責任をカバーする商品であります。  このほかにプロトコルの作成ミスなど、治験に固有の業務自体を原因とする賠償責任、 または過失はないが、予め被験者と取り決めた補償を行うことによる補償責任をカバーす る保険があります。これが狭義の治験保険と呼ばれるものです。ちなみに、医師主導の治 験保険は、日本医師会の治験促進センターなどを対象に引受けを行っている現状にありま す。  次に、臨床研究をこういった治験保険で対象にする場合の検討課題について、私どもの 考えを述べさせていただきます。まず最初に「保険の検討の前提条件」、次に「制度におけ る補償の条件」といった順番でお話をさせていただきます。まず、臨床研究の被験者に対 して一定の補償を行うことを定めた場合、補償責任が保険という手段を使ってリスク分散 できるかどうか。こういった観点からの検討が必要だと考えています。  そのためには、弊社としては2つの前提条件が保険を成り立たせる上で必要と考えてい ます。  まず1番目の条件ですが、補償に関する根拠規定が必要であると考えています。不法行 為責任、債務不履行責任といった、いわゆる賠償責任に関しては故意過失などの責任要件 が法令において規定されています。また、賠償金額の算出方法も判例の積み重ね等により 決まっています。これらについて、当事者間で争いが発生したような場合には、最終的に は裁判所が判断をしてくれることになっています。  これに対して補償責任と申しますのは、補償する側と補償を受ける側との間の取決めで 内容が決まってきます。どのような場合にいくら補償するかといった点が、少なくとも理 論上は当事者間で自由に設定できることになります。この点が、こういった補償責任を保 険でカバーしようとする場合に非常に大きな問題となってきます。なぜなら、こうした自 由な取決めを何らの基準がないまま、保険の対象とするということになると、保険がある がゆえに不当な条件での補償が行われるケースも出てまいります。それがデファクト・ス タンダードになってしまったり、あるいはモラル・ハザードを誘発してしまうといった、 社会的な弊害を生じさせかねないと考えています。保険があるがためにゆがんだ慣行がで きてしまうことを心配しています。  臨床研究には高い倫理性と科学性の両方が求められていますので、杞憂かもしれません が、保険があるがためにこういった必要な要件を満たさない臨床研究が行われてしまうこ とにならないかといった懸念を持っています。そのためにはやはり社会的根拠・ルールと いったものがまずは整備されることが必要だろうと思います。  これは客観的で、合理的なルールである必要があると思っています。一定の権威を備え た、例えば自主ガイドラインなどの形で設定され、保険会社はそれに基づいて保険を構成 するといった順序で考えていきたいと思っています。  2つ目の条件としては、第三者によるスクリーニングが必要だろうと思っています。仮 に、こういった自主ガイドラインでルールができたとしても、実際の運用において個別の 研究者が行う臨床研究の中に倫理性や妥当性に関して、議論があるものが含まれてくる可 能性もあります。仮に、保険があるがゆえに、そうしたものが行われてしまうといったこ とがありますと問題が出てまいりますが、保険会社が自らこうした倫理性や妥当性を判断 して保険の引受けの可否を判断できるかというと、残念ながら非常に難しいと考えていま す。したがって、まずは保険に先立ち、研究の倫理性や妥当性を中立公正の立場で第三者 がスクリーニングする仕組みがあることが必要と考えています。  これら前提条件が満たされた場合に、具体的な保険の設計を行うということになります が、そのときに検討しなければならないのが補償内容と補償範囲であります。次の頁です。 ここで言う「補償内容」というのは、典型的には補償金額の水準をイメージしています。 いくら補償するのが妥当なのか、相場を合理的な金額で設定する補償ルールが必要と考え ています。補償金額がガイドライン等において客観的に規定され、保険会社がそれを保険 金額として保険をお引き受けするという形が妥当であると考えています。  さらに、補償範囲の検討も必要であります。どの範囲の研究を補償対象とするのか、例 えば医療機器や手技はどうするのかといった点も検討しなければならないと思います。保 険がリスク分散の手段として有効に機能するといったためには、前提として均質なリスク が相当数集まり、保険集団を構成することが必要になります。例えば、保険金支払いの発 生確率がほかよりも著しく高い人が保険に加入してくるとなると、保険収支を均等に保つ ためには全体の保険料を上げなければいけないということになってしまいます。これでは 良好な加入者の保険料によって、リスクの高い一部の加入者が救われる結果になってしま うという不公平感が発生します。  加入者間の公平性が担保されずに、リスクが良好な方の保険加入に対するインセンティ ブが薄れてしまいますと、保険集団は結果として事故発生確率が高い加入者の集まりとい うことになってしまい、保険制度自体が継続的・安定的に成り立たないという状況になっ てきます。本来であれば、そうならないようにリスクの選別を行うことが保険会社の機能 なのです。しかし、臨床研究のように高度に専門的で、かつ自己統計が乏しいリスクにつ いては、保険会社がこうしたリスク選別の機能を発揮することが難しいという問題があり ます。このため、保険が継続的かつ安定的に成り立つようにするためには、できる限り専 門家の間で保険の補償対象とすべき範囲を慎重に選定していただく必要があると思います。  以上、簡単ではありますが、私どもの考えをお話させていただきました。 ○金澤委員長  どうもありがとうございました。2つの会社からお話を頂戴したわけです。ご意見、コ メント、いろいろいただきたいと思いますがいかがですか。 ○谷内委員  損保ジャパンと東京海上日動、2つの保険会社で考え方は違うのでしょうか。損保ジャ パンは治験PL保険のオプションとして、補償責任担保追加条項がある。東京海上のほうは 個別のPL保険と賠償損害を担保する保険、補償のほうを分けて書いています。やはり、こ れは東京海上もオプションという理解でよろしいのでしょうか。 ○東京海上日動火災  はい、形の上では全く同じ形で引き受けています。 ○谷内委員  というと違うということですね、損保ジャパンはオプションということでしたが。 ○東京海上日動火災  私どももオプションという形で補償条項をまとめています。 ○谷内委員  基本的にはPL保険が主体になっているということですか。 ○東京海上日動火災  はい。 ○谷内委員  このPL保険と実際にオプションのものは、金額的には同じ程度でしょうか?実際にはオ プションのほうがかなり高いのかどうか教えてください。治験でも例えば抗癌剤や医療用 具の場合だと、PL保険の場合だけがあると思います。治験レベルでどういう具合にカバー されているのか、わかる範囲で教えていただきたいのですが。 ○東京海上日動火災  お引受けに当たっては、治験においては「治験実施計画書」があります。製薬メーカー 様のほうから個別に出していただき、その内容を精査させていただいた上で、個別に保険 料を決めることにしています。ケースによっては、賠償責任保険の保険料よりも補償責任 の保険料のほうが高いということもありますし、その逆もあるということです。あくまで も個別であるということです。 ○金澤委員長  ありがとうございました。ほかにどうでしょうか。 ○佐藤委員  製薬企業主導の治験の場合についてお伺いします。病院の被用者の人的な過失によって 損害賠償責任が発生した場合、医賠責ではなくて、製薬企業が入っている治験保険から損 害が填補されるというケースはありますでしょうか。 ○損害保険ジャパン  仮に、そういったケースを対象とすることはできますので、そういった形を取った場合 には対応可能だと思います。 ○東京海上日動火災  一般的なケースとしては、病院の医賠責をまず優先的に使用していただく。治験固有の 用具に起因するものであれば、治験保険のほうで対応するというような整理を私どもとし てはしています。 ○丸山委員  説明されたと思うのですが、うまく理解できませんでした。損保ジャパンのほうの1頁 目、上の表なのですが、違法行為を前提としない責任の補償責任を認める必要がある場合 の例として「既知の副作用」と書いてあります。これは「未知」ではないのですか。 ○損害保険ジャパン  未知の副作用となると、そもそも実際の副作用が発生した時点で賠償に当たるのか、当 たらないのか判断できないということがあります。未知ということも、結果として補償責 任に当たることはありますが、主だった例として、明らかに該当するものとして既知の副 作用を挙げさせていただきました。 ○丸山委員  既知の副作用ですと、研究者のほうが被験者に説明していなければ説明しないことが不 法行為になりそうですし、説明していれば被験者の引き受けた責任として、補償が認めら れないということにならないかなと思うのですが、いかがでしょうか。 ○損害保険ジャパン  個別具体的な法律論になりますと、私どもも難しいところがあります。基本的な整理と しては、治験に起因する健康被害が発生したときに、賠償責任が問えないケースについて は補償責任として対応するという整理を行っています。 ○金澤委員長  おわかりになりましたか。私もちょっと伺おうと思ったのですが、まだ理解していなっ たものですから。「未知の副作用」だった場合はどうなるのでしたっけ、それは。「既知」 はわかりました、これは必要です。だけど、「未知」の場合はどういう。 ○損害保険ジャパン  最終的に賠償責任が問えないということであれば、補償責任という考え方に帰結すると考えます。 ○金澤委員長  そうか、なるほど。わかりました。ほかにどうですか。 ○藤原委員  今回、会社のお話を聞いてわかったのは、そう簡単には臨床研究に補償はできないだろ うなということです。抗癌剤を使う場合、通常の診療においても医薬品医療機器総合機構 の「副作用被害の救済」の対象外ですし、私どもが日本医師会治験促進センターからの研 究助成を受けて実施いたしました医師主導治験でも、日医の加入している補償をカバーす る治験保険の適用対象外とされました。いまのところ、どういう方策を取っても抗癌剤を 用いる臨床試験については補償されないということです。そのため医師主導治験の際に、 倫理委員会などとのやりとりで苦労することがけっこうあります。  今日、もう少しはっきり「臨床研究は簡単には補償ができない」と言っていただけるの かと思っておりました。私ども、賠償責任保険だと日医のにも入っていますし、損保ジャ パンのものも入っています。年間10万ぐらい払って、ほとんどの医者は賠償責任保険に入 っていると思います。個人の支払いの範囲で、臨床研究の研究責任者が補償責任保険の保 険料をいくらくらい振り込めば大丈夫なのでしょう。補償に関する根拠などというのは機 構の副作用被害に関する決まりがありますから、それを書けばいいのでしょう。計画の妥 当性などというのはプロトコルがあればいいわけだし、第三者スクリーニングというのは 倫理委員会を通っていれば大丈夫、治験と横並びで見ていけば大原則としてはそれほど大 変ではないと思います。  実際、いま企業が治験保険で払っている支払いの保険料というのはものすごい額だと思 います。個人でそういうものに加入して、補償保険の保険料を10万とか20万という範囲 で可能なのかどうか。多分、企業としては大変言いにくいと思うのですが、私ども実際に 研究をやる立場としてはお金を払って、きちんと補償保険に入って、患者に何が起きたと きにそれで守るというのが筋だとすればそれを実行したい。つまり、年間100万も200万 も払うと言われたら、多分ほとんどの先生方は「無理ではないか」とお思いでしょうし、 「10万、20万だったら払いましょう」という先生方もたくさんいると思います。その辺の 相場感がよくわからなかった。額的に実態として導入した場合には、どのぐらいを想定す ればいいのかを教えていただきたいのですが。 ○金澤委員長  難しい質問かもしれません。 ○東京海上日動火災  非常に難しい、一般論としてはなかなかお答えしにくい課題であります。保険契約の保 険料というのは、私どもとしてはまずは事故の発生確率を想定し、それに対して事故が発 生した場合に、支払いを行うときの事故の単価を考える。いずれも予測ベースにはなりま すが、発生頻度と事故の単価を掛け合わせたものを保険料という形で提示をさせていただ くことになります。  例えば医賠責、先生方の医療行為の賠償責任をカバーする保険ですと、相当数の加入者 がいらっしゃいますので安定的に統計データが取れます。どういった診療科目で、どれぐ らいの事故が発生するかといったものもある程度の確度で予測が可能であります。また、 賠償金額についても、最近は高額化する傾向にありますけれども、ある程度どういう累計 で、どのぐらいの金額になるかという予測も立てやすいというものでございます。  一方、治験に関しては、どういった内容のリスクなのかといったものを見せていただい て、それに起因して果たしてどれぐらいの頻度で事故が起きるのかを想定するわけです。 保険会社としてもなかなか、そういった判断をするノウハウがありませんので、やはり個 別の研究テーマごとに専門家のご意見を伺いながらどれぐらいの頻度なのかを見せていた だいて、ある程度予測を立てた上で考えていく。一方、支払う金額については、例えば補 償責任の保険であれば、事故が起これば予め取り決めた金額を一定額で支払うわけですの で、その頻度×定額という形の保険料になると考えています。  リスクが小さければ、個人で負担していただけるような金額のものも出てくるでしょう。 あるいは、非常に事故の発生効率が高いものであれば、やはりそれ相応の金額になってし まうこともあろうかと考えています。 ○金澤委員長  病気によっても違うのでしょうね。野村さん、何か追加はございますか。 ○損害保険ジャパン  考え方は同じだと思います。 ○金澤委員長  ありがとうございました。ほかにご意見はございますか。 ○谷内委員  治験に関してリスクが多分あると思うのですが、このように保険会社が補償金を払う場 合、実際、第三者機関がある程度評価してから、それから保険会社が払うという理解でよ ろしいのでしょうか。そのタイムラグはどれぐらいなのですか。その間、多分、補償金は 製薬会社が立て替えているという理解でよろしいのでしょうか。 ○損害保険ジャパン  おっしゃるとおりです。 ○谷内委員  どれぐらいのタイムラグがあるのですか。 ○損害保険ジャパン  製薬会社の持っている委員会の中では、弊社の場合は担当の人間を一緒にオブザーブさ せていただくような体制を取っています。それほどタイムラグは発生しないと理解してい ます。 ○谷内委員  その第三者というのは、治験をおこなっている製薬会社の委員会ということですか。 ○損害保険ジャパン  はい。 ○金澤委員長  どうもありがとうございました。議論がホットかもしれませんが、頭を冷やしていただ くために甘い物が出ています。 ○藤原委員  もう1点だけ質問します。かつてイギリスとか、海外の調査に行ったときに向こうのMRC、 Medical Research Councilが臨床研究をいろいろサポートしていますが、補償をどうして いるのか聞きに行ったことがあります。「5年や10年の間で補償した事例など数例ですよ」 という話をしていました。額も休業補償とかで、数十万にも行かないと言っていました。 非常に少ない額ですということを聞いたことがあります。  イギリスの場合、補償のところは財務省が直接お金を払って、保険会社に支払いとか全 部しますという話をしていました。保険会社としては、多分臨床研究者個人と契約したら リスクの高い人も低い人もよくわからなくて、払える人も払えない人もいたりすると考え られるのではないですか。国や財務省とかが臨床研究のための補償に関してお金を出すと いう制度があれば、補償は導入しやすいのですか。それぞれが補償保険に入るというシス テムをやるより。 ○東京海上日動火災  お答えになるかどうかわかりませんが、保険会社の経営という観点から申しますと、母 集団が少なければある程度事故の発生予測についてのブレが大きくなりますので、統計的 な信頼度を高めるためには数多くご加入いただいたほうが安全率といった割増しを考える 必要がなくなりますので、保険料水準を押さえる効果は期待できるかと思います。  そういう意味では、個々人でお入りいただくというよりは、むしろ大きな団体単位で保 険制度を作っていただいたほうがお引受けしやすいという面はあるかと思います。 ○新木課長  藤原委員のお話なのですが、ご存じのとおり、イギリスは国営のNHSのもとでの話でち ょっと状況が違うということがあります。川上委員がご質問なさる前、委員に先立って質 問してはいけないのですが、既存のさまざまな賠償保険で集める仕組みがある上に乗った ほうがやりやすい、というご意見を伺ったのかなと思いました。その辺、何かコメントが あればお聞かせいただければと思います。 ○東京海上日動火災  いまお話があったとおりです。既存の保険制度がありますので、賠償責任保険という制 度が一応機能しています。それに乗るような形で構成したほうが安定的にできるのではな いかという趣旨で申し上げました。 ○金澤委員長  ありがとうございました。 ○川上委員  補償に関する責任の保険を設計する場合の課題として、損害保険ジャパンも、東京海上 日動のほうも同じように書いているのがガイドラインというか、根拠法みたいなものが必 要であること。2点目が前提として、第三者における妥当性の観点のスクリーニングが必 要であるという点をお書きになっている。これは全く同じだと思います。特にスクリーニ ングに関しては、例えば治験のほうでは科学的審査がいま行われていて、これに乗ってい れば多分満たされると思います。  ただ、臨床研究に関しては、例えばもし審査をしないで登録だけになる。その代わり、 公的機関が登録をするということになった場合、この要件は満たさないという理解でよろ しいのでしょうか。 ○東京海上日動火災  申し訳ありませんが、実は具体的な登録制度の出来上がり姿について正確には承知して おりません。なかなか、そこまで詰めた考えをいま持っておりませんで、この場でお答え できる状態にありません。いずれにしても、登録ができるというのは1つ大きな前進では あると思っています。その内容を見せていただいた上で、また判断をさせていただければ と思います。 ○川上委員  わかりました。 ○金澤委員長  ありがとうございました。よろしいですか。まだ議論はあるかもしれませんが、残念な がらこの問題は解決するわけではありませんので、引き続き検討したいと思います。野村 さん、川口さん、ありがとうございました。  「その他」に移ります。「その他」とは各委員からのご意見ということであります。まず、 藤原委員からの意見書について資料7、臨床研究登録を説明ください。 ○藤原委員  資料7について説明させていただきます。 ○事務局  資料7が2つありまして、倉田委員と藤原委員とございます。同じ資料7、縦の資料で す。 ○金澤委員長  失礼しました。 ○藤原委員  臨床試験登録について、第5回の委員会で公表は努力義務とか、それほど厳しく考えな いでいいのではないかという委員の先生方のご発言もありました。自分として、臨床試験 登録をやっている立場からするとちょっと違うのではないかと思い、意見書を作りました。  趣旨は、先ほど光石弁護士もおっしゃっていましたが、世界的な趨勢としてヨーロッパ もアメリカも、最近はWHOというインターナショナルに統合する組織も、publication bias を防ぐというところにもともとは多分起因していると思いますが、被験者保護の観点から 臨床試験の登録、特にI相試験以外のところ、II相以降のところに関しては、臨床研究の 内容の必須アイテム、英語で申し訳ないですが、こういうところを登録すればいいですよ という点を書いています。それをお手元の資料にあるようなところに登録しましょうとい う趨勢に世界はあるように思います。読んでいただくとそれほど難しい内容ではなくて、 臨床研究の実施計画書があったらそれをそのまま転記すればいいようなことなので、時間 的にはそれほど時間を取らずにできるようなアイテムなのです。  そういうところに登録しましょうという声が世界的にある。臨床研究指針をもしいまか ら改定される中で、登録の話をもう1度ディスカッションする機会があるのであれば、努 力義務というより、きちんと登録しましょうという流れにしたほうがいいのではないかと 思い、意見として書きました。 ○金澤委員長  ありがとうございました。 ○事務局  事務局から補足です。これは当日配付資料、資料5をご覧ください。臨床研究登録の動 向、藤原委員の資料の補足となります。2頁目と3頁目にいろいろな動向が書いてありま す。先ほど、丸山委員からもご紹介ありましたように、国内での臨床研究登録体制もUMIN とかJAPIC、日本医師会で運用がされています。これを取りまとめるような形で国立保健 医療科学院、国の機関であります。こちらのほうでポータルサイトができあがってきてい る状況にあります。  WHOからもいろいろなレコメンデーションがあるという状況もあります。4頁目、最近の 変わった動向としては米国において、これはあくまでFDAの規制対象となる医薬品・医療 機器ということですが、こういうものの比較試験について公開データベースへの登録が義 務づけられたというような動向もあります。いまの藤原委員のご意見等も踏まえ、どうい う対象範囲について登録の要件を書けるか。どのあたりを努力義務とするか等を含め、ま た少し事務局のほうでも案を整理させていただきたいと思いますので、いろいろとご意見 をいただければと思います。ありがとうございます。 ○金澤委員長  ありがとうございました。何かご意見はございますか。 ○谷内委員  事務局に対して発言します。一応、私の理解では、厚生科学研究費をいただいている場 合に関しては、何らかのウェブ登録を義務づけていると思います。ただ、これは文部科学 省の研究費の場合は当てはまらないのではないかと思います。NEDOも多分違うと思います。 厚生科学研究費だけという現状があるのですが、そういう理解でよろしいですか。 ○事務局  ご指摘のとおり、現状は厚生労働科学研究費では明確に位置づけているという状況です。 ○谷内委員  もし可能であれば、公的な研究費をいただいている場合に関しては登録を義務づけると か、そういう形をご議論いただければ、もう少し多くの研究者が登録するのではないかと 私は考えています。以上です。 ○倉田委員  6頁のいちばん最後、「被験者の参加」というところにも書いてありますが、私たち一般 市民にしてみても、特に治療の難しい難病を抱えているような方々にとっては登録してい ただきたい。自分たちで探そうにも探せないという状況もありますので、登録していただ けると自分たちの病気の臨床試験をどこでしているのかがわかって、非常にありがたいと 思われます。  私どもの会にもアクセスして来られる方があって、自分たちではわからないけれども、 あなたたちなら知っているかしらという問合せもあります。ですので、待っている方はた くさんいらっしゃると思います。 ○金澤委員長  ほかにいかがでしょうか。 ○本田委員  倉田委員と同じ意見です。私も被験者の参加というところで、特に最近、難病だけでは なくて癌のような一般的になりつつある病気でも、患者自身同士のメール上の大きな交換 の場でも、こういう治療をやっている所があるのだけれども、受けてもいいかしらという ことに対して、患者自身が慎重に、臨床試験をやっているところを受けたほうがいいので はないかというような意見交換がされている状況です。やはり、こういうものをもっと提 供していくのが1つ、とても大事になってきていると思います。  先ほど藤原委員もおっしゃっていましたけれども、被験者保護という観点からも公表で きない研究をされているわけではないでしょうと信じたいですし、それを研究者の方がき ちんとオープンに、登録していただくことが被験者側の信頼にもつながっていくというこ とで、患者側にしてみればブレーキにはならない。その点を考慮していただいて、最低で も公費が入っているような研究は登録していただきたいと感じています。 ○金澤委員長  ありがとうございました。ほかにございますか。そのほかのご意見でも結構です。いか がでしょうか。 ○小林委員  いまの藤原先生の登録の話ですが、確かにそのとおりです。先生がお考えになっている 登録というと、例えばこの資料で言うと資料5の5頁、WHOがやっている1から20の項目 があります。日本語で書いてあるから大変わかりやすいと思います。こういうことを書け ばいい、登録というのはこういうことを言っているのか。あるいは結果、ここには何も結 果が入っていない。どういうことが起きているかも何もわからない。先ほどの話だと途中 でいろいろな有害事象が起きたり、どうのこうのという話が出ますよね。でも、これには 全く出ないわけです。どういう登録をしなさいと言っていることを「登録」と言っている のか。先生の意見だと、ちょっと「公表」という言葉も出ていたりするのです。何を言わ れているのかがはっきりしない。登録だったら誰でもできると思うのですが、実際に被験 者が必要なのは、あるいはみんなが必要なことは結果ではないかと思います。もちろん、 論文かといったらまたちょっと別の問題になります。もう少し難しくなります。どの辺の ことをディスカッションしているかをはっきりしないといけないのかなという感じがちょ っとします。 ○藤原委員  まずはとっかかりとして、ここに書いてあるミニマム・データセットみたいなものを登 録してくださいと。そうすれば患者でも、私たちでも、あそこの病院ではこういうことを やっているなとわかります。アメリカのサイトに行けば、病院をクリックしたら最初のペ ージに臨床試験、何をやっているかが全部わかるようになっています。同じようなことを 実現するというのが第1歩だと思います。  公表の段階でというのは多分失敗する事例もあるでしょうし、でも登録してあれば、そ こには登録期間が大体書いてありますから、試験が終わっているはずなのにそのあとどう なったのだろうという意識で見られます。そうすれば、そこの医療機関に問い合わせるこ ともできるかもしれない。いろいろ、次につながることになると思います。  ですから、あまり公表と言って、結果公表だと知的財産が何とかというように議論が紛 糾してしまう。まず、とっかかりとしてやっている事ぐらいは。ここに書いてあることは、 プロトコルに書いてあるものをそのまま転記すればいいような内容なので、こういうもの は登録したらどうですかというところから始めてはどうか。  臨床研究倫理指針ではそこまでを求めて、結果をどのようにするかというのは多分いろ いろなことをおっしゃる方がいらっしゃると思います。その辺、今回はあまり踏み込みた くないと個人的には思いました。 ○金澤委員長  多少問題を残しながらも、登録だけはしましょうという話になりつつあると思います。 アメリカに振り回されているような感じもしないでもありません。患者がアプローチしや すいというのはそのとおりだと思います。例えば、難病のサイトがあることはご存じです ね。ああいうところにこのごろ、治験も載せるようにしたのです。そういうものも今の段 階でも利用してください。それだけではないと思いますので。  ほかによろしければ、実は本日もう1件意見書があります。倉田委員からご提出いただ いています。市民の倫理審査委員会への参加についてということです。ゲストがお二人お 見えになっていますし。よろしくお願いします。 ○倉田委員  このような発表の機会をいただき、ありがとうございます。私どもは「倫理審査委員会 等への市民参画モデル構築のための研究」ということで、これから皆様にお話いたします。  まず、なぜ、いま市民参画モデルの構築の研究が必要なのか。「臨床研究に関する倫理指 針」に、理想と思われるような倫理審査委員会の要件が皆さんもよくご存じのように書か れています。でも、現実としては市民委員の必要性が浸透しておらず、いわゆる一般の市 民委員はほとんどいなかったり、また自発的参加意欲のある市民委員の候補者がどこにい るかわからないというのが現実かと思います。  では、なぜ理想と現実の間に乖離が生じているのでしょうか。医療者側と市民側にミス マッチがあるということが言えると思います。医療者側は市民委員の必要性がまだ実感で きていません。市民委員の参画に対しては、委員会運営上に懸念があります。市民委員の なり手がどこにいるかわからないということがあります。市民側としては確かに参画する ことに意欲のある人間は存在します。でも、その人たちが参加しても、実のところ専門家 の前ではなかなか発言しにくいというのが現状だと思います。その一方で、医療政策の立 案過程への市民参画を推進するようなグループもいくつか誕生しているようです。  それでは、このミスマッチを解消するにはどういうようにしたらいいか。私たちはパイ ロット研究の実施、その検証が必要だろうと考えています。生活者の視点で倫理審査委員 会へ参画し、専門家とは異なる立場・視点から対等に議論できる市民委員を養成する。倫 理審査委員会等へ参画し、社会貢献したい市民と市民委員の参画を求める倫理審査委員会 をつなぐ「市民参画モデル」を構築する。  次の5頁、市民参画モデルのパイロット研究をイメージしてみました。ご覧ください。 左側がパイロット研究に関心があって、趣旨を理解し、協力を期待できる団体、患者会や 社会的活動を行う市民団体など。ここに候補として呼びかけます。倫理審査委員会に参画 する意欲のある市民を募集します。  次に研修になります。研修応募者に対し、研修プログラムを提供します。教育研究機関 との協力や、国のIRB委員研修事業との連携も考えられると思っています。倫理審査委員 会に参画し、専門家と異なるが対等な意見を発言できる市民、それを養成するプログラム を開発しようといま思っています。  この研修を修了した方たちには登録していただきますが、登録後もフォローアップ研修 をしなければいけないと思っています。登録していただきますと、「市民委員候補者データ ベース」に登録していただくのですが、その下の倫理審査委員会から照会があると、デー タベースの中から複数の方々の人材情報を提供したいと思っています。また、登録者の最 新情報や登録者の相互間の情報交換を目的に、環境を整備する必要があるのではないかと 思っています。  倫理審査委員会ですが、特に市民参画を積極的に受け入れてくださりそうな、そういう 倫理審査委員会と連携をして、研修修了者に対し、市民委員として参画する場を提供する ということが目的でもあります。それぞれの各段階ごとに、参加者や関係者の皆様からの フィードバックをしていただき、ブラッシュアップしながら回していければいいと思って います。  7頁、イメージとしてなのですが、研究チームのメンバーとして多様なジャンルのメン バーで構成しようといま準備をしています。例えば、患者会や患者支援活動に携わる方、 医療分野のみならず、幅広い見地から市民活動やNPOの支援にかかわっている方、市民の 立場から医療政策立案過程に携わる方。また、医の倫理に関する専門家や臨床研究を実際 にしていらっしゃるような医療者、また個人情報保護や医療における患者・被験者保護に 詳しい法律家の方々にもお入りいただきたいと思っています。  最後に8頁をお開きください。この市民参画モデル構築により、倫理審査委員会にとっ て、参画する市民にとって、また広く国民にとってどのようなことが期待される成果とな るかということで、3つ書いてみましたのでご覧になってみてください。このような研究 を支援していただければ幸いに存じます。ありがとうございました。 ○金澤委員長  どうもありがとうございました。大変意欲的な取組み、是非頑張っていただきたいと思 います。またいずれ、進み具合など、この会でご報告いただければと思います。  1つだけお願いです。患者の団体にもお声をかけていらっしゃるようですが、研修を是 非やっていただいて、自分の病気以外のことも興味を持っていただくように是非お願いし ます。 ○倉田委員  そうですね。あと、当事者性と。 ○金澤委員長  得てしてそういうことがありますから。 ○倉田委員  そうでない方にもお入りいただいてというように考えています。患者会だけでなく、ほ かの方々にもお声をかけるつもりです。 ○金澤委員長  ありがとうございました。いかがですか。 ○井部委員  市民参画モデルというのは、ほかの研究でも市民の参画による研究主導として最近注目 されていますので、大変良いアイデアだと思います。ちょっと理屈っぽくなりますけれど も、市民というのは一体何なのか。私も市民参画共同研究などをやっていますと、患者で もない、国民でもない、市民という人は一体何なのか。例えば、研修を受けるというのが あります。研修でどういうことをやられるかによると思いますが、研修を受けた市民とな りますと、また普通の市民とは違う市民ができるという感じがします。一体、市民という のはどういう人を言うのか、何かお考えがありましたらお教えいただければと思います。 ○倉田委員  2頁に戻っていただくと、「一般の立場を代表する者」ということで市民委員と書きまし た。すみません、余計混乱するでしょうか。 ○金澤委員長  かまいませんが、満足するお答えではないかもしれません。 ○井部委員  だんだんと市民が市民ではなくなってくる、いろいろなことをやり始めてくると。それ がジレンマにあるものですから伺いました。 ○今井氏  いまのことについてですが、市民という概念は確かにいろいろな解釈があると思います。 知識を持っている人が市民でないということはないわけです。研修を受けたり、知識を積 んだりする人も含めてすべてが市民なのです。つまり、医療を受ける可能性のある人とい うことを意味しています。 ○井部委員  患者は含まれないのですか。 ○金澤委員長  患者も入っておられますよね。 ○井部委員  医療関係者は入るのでしたか。 ○金澤委員長  医療関係者も入っていいと思います。国民というのは国籍を持っている人、市民という のは住民のほとんどではないか。何か、ほかにご意見があれば。  さて、そろそろ時間となりました。最後にもう1つ残っています。臨床研究の保険制度 上の新たな取扱いについて、厚生労働省の内部で検討中ということです。途中経過のよう ですが、ご報告ください。 ○事務局  本日提出の資料の8、いちばん最後にある資料です。「『高度医療』と保険上の取扱いに ついて(案)」というものです。こちらはまだ省内でいろいろと検討中の中間段階のもので す。1月31日の臨床的使用確認試験にかかる検討会でオープンになったものでございます ので、今日合わせてご紹介いたします。  現状ですと、未承認とか適応外の医薬品・医療機器を用いた医療について、保険での利 用というものは入院料、検査料等の基本的な診療を含めて、保険利用不可というのが左側 の現状です。  新たな高度医療としての仕組み、「審査」が真ん中に書いてあります。一定の技術要件、 施設要件、施設要件としては特定機能病院または同等の体制などを満たしている部分で、 有効性・安全性が期待できるような科学的根拠を有するものについては、一定の審査を経 て高度医療という形で、入院料、検査料等の基本診療部分を保険として利用することを認 めていこう。いわゆる高度医療部分、未承認、適応外のものを用いた医療の部分と保険を 併用できるような仕組みにしようということで、現在検討を進めています。中医協と保険 とのすり合わせも必要になってまいりますが、一応4月1日よりこういった仕組みを動か そうということで現在検討していますのでご紹介させていただきました。  資料6をご紹介するのを忘れておりました。「『臨床研究に関する倫理指針』の改正素案 の概要」、前回ご審議をいただいたものです。先ほどの登録の部分、2頁目の部分ですが、 第2の(1)研究者等の責務の(2)登録データベースの部分ですが「公表に努めること」と両 論併記の形にさせていただいています。外部にこの資料について説明する場合は、このバ ージョンを使うことにさせていただきたいと思います。一応、ご了承いただければと思っ ています。以上です。 ○金澤委員長  ありがとうございました。高度医療と保険料の取扱い、この会が始まったころに議論に なったことが部分的に少し解消されるのではないかと期待しているわけです。良い方向に 行っているのではないかと思います。何かご質問、ご意見がありましたらお受けします。 よろしいですか。ありがとうございます。  ほかに何か、いままでのこととは関係のないことでも結構です。ないようです、ありが とうございました。あとは関係の審議会で検討することもいろいろあるようですので、事 務局から今後のスケジュールをお願いします。 ○事務局  本日はお忙しい中、また遠方よりご参加をいただきましてありがとうございます。次回 の予定は改めて、先生方の日程を調整させていただき、決めたいと思います。  事務局から事務的な連絡です。いま、私が紹介しました資料8、「高度医療」の資料です が、傍聴席用の資料が実は事務局の不手際で漏れています。傍聴席の方でこの資料8が必 要な方はいまコピーを作っていますので、会場にお残りいただければと思います。ご了承 ください。どうもありがとうございました。 ○金澤委員長  ありがとうございました。これをもちまして、第6回の専門委員会を終了したいと思い ます。遅くまでどうもご苦労様です。