第1章 救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果
1. 初期診断・治療に関する評価
1.1 脳神経系の管理
1.1.1 経過
成人の女性。平成14年11月頃から頭痛が出現し、MRIで脳腫瘍が疑われたため、平成15年1月30日に当該病院脳神経外科を受診した。当該病院のMRIでも右大脳白質に腫脹性変化がみられたが、病変は造影されなかった。これら画像検査所見と神経症候では脳腫瘍と断定できず、ベーチェット脳炎の疑いで神経内科に入院し、3クールのステロイドパルス療法が行われた。これにより頭痛は改善したが、MRIの所見は変化しないまま、一旦退院した。
平成15年5月25日に再び激しい頭痛が出現し、5月26日に再度当該病院に入院した。MRI検査では右大脳白質の腫脹性変化が強くなり、正中構造が右から左へ強く偏位していた。入院直後から脳浮腫と頭蓋内圧亢進に対してグリセオール点滴とステロイド治療が行われたが、効果は少なく、5月28日5:00には意識レベルの低下(GCS 10)と右瞳孔散大など脳ヘルニアの兆候を示した。直ちにグリセオール100mlの点滴が行われ、一時意識レベルと瞳孔反応が改善したが、1時間後の6:00には再度意識レベルが低下した。このため同日7:37より、緊急の右減圧開頭術と腫瘍を含む右側頭葉の切除術が行われた。摘出した病理標本はWHO分類でグレードIIのびまん性星細胞腫であり、MRI所見とあわせて、びまん性神経膠腫(Gliomatosis Cerebri)と診断された。その後意識は徐々に回復し、6月23日には頭蓋骨形成術が行われ、8月18日から9月26日まで全脳に50.4グレイの放射線照射が行われた。
その後、症状は軽快し、MRI画像でも変化は認められず、元の職場に復帰していた。しかし、1年後の平成16年8月に痙攣発作が頻発するようになり、MRIでは前回の腫瘍切除断端に近い部位に造影される部分が認められ、腫瘍の再発と判断された。そこで、平成16年9月から入院し、サイメリン、オンコビン、ナツランを用いたPMV療法を3クール行ったが効果はなく、徐々に造影される部分が増加した。家族の希望もあり化学療法を中止し、外来でのインターフェロン療法だけを続けた。MRIで造影される部位はその後も広がり、対側にも及んだ。平成17年5月頃から左片麻痺と活動性の低下が徐々に進行し、入退院を繰り返してステロイド大量療法が行われた。
平成17年7月頃から摂食不能となり、7月7日に再度入院、同日から舌根沈下が見られたため、経鼻気管内挿管で呼吸が確保された。同時にステロイド大量療法が行われたが効果は少なく、7月末には右瞳孔が散大し、対光反射が消失し、意識レベルはJCS300、GCS3と深昏睡の状態に陥った。MRIでは腫瘍が視床から中脳、橋上部、対側大脳にも及んでいた。この時点で家族から意思表示カードの提示があり、本人の意志を生かしたいとの申し出があった。
8月5日には気管切開が行われたが、自発呼吸はあり、呼吸器を装着せずに加療された。10月10日には呼吸状態が悪化し失調性呼吸となり、酸素飽和度も80-90%程度となったため人工呼吸器を装着した。10月11日には自発呼吸が無くなるとともに、すべての脳幹反射無くなり、聴性脳幹反応も消失した。10月12日には呼吸管理のため集中治療室に入室し、家族の同意の下、10月12日17:15から臨床的脳死判定が行われ、さらに10月12日22:05から第1回法的脳死判定、10月13日7:00から第2回の法的脳死判定が行われた。
1.1.2 診断の妥当性
患者は当該病院に初診後、診断に至るまで約4ヶ月を要している。これは、びまん性神経膠腫が通常の脳腫瘍のように造影される腫瘍塊を作らず、浸潤性に拡がることが理由で、病初期にはしばしば脳炎や髄膜炎などの炎症性疾患、脱髄性疾患、変性疾患などと判断される。本例もベーチェット脳炎の疑いで3クールのステロイドパルス療法が行われた。当初のMRIでは明らかな腫瘍塊がみられず、組織検査を行うのに適当な部位が見あたらないことも、開頭手術による組織確認がためらわれた理由である。
初診後、4ヶ月して頭痛が強くなり、入院後のMRIでも明らかに脳の腫脹性変化が認められ、2日後には、右瞳孔散大、意識低下など脳ヘルニア切迫の状態となったが、その際、緊急の右開頭、側頭葉腫瘍切除、外減圧術が行われ、未然に脳ヘルニアによる脳死が防止されたことは評価される。また、これによりWHOグレードIIの星細胞腫との診断がなされたといえる。
1.1.3 保存的治療を行ったことの評価
上述のように、本疾患の診断には、開頭、病理組織採取が必須となるが、明らかな腫瘍性所見がなかった時期に、炎症性疾患を疑ってステロイドパルス療法を画像診断上で行ったことは十分理解できる。さらに、脳腫大のため切迫ヘルニア状態となった後の素早い手術は評価できる。
また、外減圧状態を解消する頭蓋骨形成術と放射線治療が引き続いて行われ、平成15年末には元の職場に復帰できたことは好ましい治療成績と評価できる。その後、初回手術から1年して再発し、化学療法の効果がなく、徐々に脳機能が低下してきたことも、びまん性神経膠腫としては通常の経過と考える。深昏睡になった際にも適切に気管切開が行われ、ご家族の意志に沿った治療が行われたことは妥当であると判断できる。
1.2 呼吸器系の管理
平成17年7月7日の再入院時の気管挿管、8月5日の気管切開は、いずれも適切な対応であった。10月10日にSp02が80%となり、自発呼吸も微弱となったため、人工呼吸器が装着された。人工呼吸器の設定(Fi02 40〜50%)、TV 400ml、SIMV 12回/min、PEEP 2cmH20)は、いずれも適切に行われた。
1.3 循環器系の管理
ICU入室直前には、循環管理目的でのドーパミン5γ/kg/minの投与、ICU入室後 5〜8〜14γ/kg/min、アルブミン製剤、貧血に対して輸血投与により適切に管理され、血圧、脈拍が経時的にモニターされており、適切な経過観察のもと、適切な循環管理が行われた。
1.4 水電解質の管理
10月12日、集中治療室に収容時血清はNa 153mEq/lであったが、その後、維持輸液、5%アルブミン25mgの持続投与により、血清Na 140mEq/lに維持された。その他電解質にも異常はなく、適切に管理されたといえる。また、尿量も適正に維持された。
1.5 まとめ
本症例は、脳腫瘍が再発したものであり、あらゆる治療にもかかわらず腫瘍の拡大が進行し、不可逆的な脳機能停止状態に陥ったものである。治療の選択は妥当であり、その後の治療経過にも問題はない。
2. 臨床的脳死の診断及び法に基づく脳死判定に関する評価
2.1 脳死判定を行うための前提条件について
本症例は、びまん性神経膠腫である。平成14年11月頃より発症し、平成15年5月には右側頭葉切除により一旦軽快したが、平成17年5月頃から左半身麻痺、活動性の低下がみられ、7月7日には、呼吸状態の悪化により気管挿管にて気道確保されたものである。
その後も徐々に意識レベルは低下し、7月末にはJCS 300、GCS 3(E1M1VT)となり、8月5日にはさらに呼吸状態が悪化したため気管切開となった。10月10日には自発呼吸の微弱化とSpO2の低下が認められ、18:15には自発呼吸が消失したため、人工呼吸が開始された。10月11日の時点で脳 幹反射の消失、聴性脳幹反応の平坦化を認めた。
10月12日17:15から臨床的脳死診断を行い、同日19:40に終了、臨床的脳死状態であると診断された。10月12日22:05から第1回法的脳死判定、10月13日7:00から第2回目の法的脳死判定を開始し、8:42に終了した。
本症例は、上述の経過概要にあるように脳死判定の対象としての前提条件を満たしている。すなわち、
1. 深昏睡及び無呼吸で、人工呼吸を行っている状態が継続している。7月30日9:00頃深昏睡となり、10月10日18:15には呼吸停止、47時間後に臨床的脳死の診断を開始している。
2. 原因、臨床経過、症状、CT、MRI、病理組織診断の所見から脳の一次性、器質的病変であることは確実である。
3. 診断、治療を含む全経過から、現在行いうる全ての適切な治療手段をもってしても、回復の可能性は全くなかったと判断される。
2.2 臨床的脳死診断
〈検査所見及び診断内容〉
検査所見(10月12日17:15から19:30まで)
体温:36.4℃(膀胱温) 血圧:100/50mmHg(開始時)105/52mmHg(終了時)
JCS:300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm 左7.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I 波を含むすべての波を識別できない
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施設における診断内容
以上の結果から、臨床診断として脳死と診断して差し支えない。 |
2.2.1 脳波
平坦脳波に相当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mmのもとで記録)
10月12日17:15から19:30まで、30分以上の記録が行われている。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、Cz、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1 - A1、Fp2 - A2、C3 - A1、C4 - A2、 T3 - A1、 T4 - A2)と双極誘導(Fp1 - C3、Fp2 - C4、C3 - O1、C4 - O2、O1 - T3、O2 - T4、T3 - Fp1、T4 - Fp2、Fp1 - Cz、Fp2 - Cz、Cz - O1、Cz - O2 )で記録されている。記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)で、時定数0.3秒、High cut filter 120Hz、交流遮断用filterを用いて行われている。心電図と頭蓋外導出モニターの同時記録が行われている。刺激としては呼名および顔面の痛み刺激が行われている。心電図の混入と考えられるものや疼痛刺激時、周囲の人の動きおよび一部静電誘導によるアーチファクトが重畳しているが、脳由来の波形を認めず、平坦脳波と判定している。
2.2.2 聴性脳幹反応
I波を含む全ての波を識別できず、無反応と判定できる。
2.3 法的脳死判定
〈検査所見及び判定内容〉
検査所見(第1回)(10月12日22:05から23:37まで)
体温:36.7℃(直腸温) 血圧:93/43mmHg(開始時)99/43mmHg(終了時)
脈拍数:109/分(開始時) 125/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm 左7.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
無呼吸テスト:無呼吸
| (開始前) | (2.5分後) | (5分後) | (7分後) | (終了後) |
PaCO2 (mmHg) | 39 |
53 |
62 |
65 |
|
PaO2 (mmHg) | 566 |
538 |
495 |
506 |
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血圧 (mmHg) | 98/44 |
|
|
99/43 |
100/40 |
SpO2 (%) | 100 |
100 |
100 |
100 |
100 |
|
検査所見(第2回)(10月13日7:00から8:42まで)
体温:36.8℃(直腸温) 血圧:110/56mmHg(開始時)103/51mmHg(終了時)
脈拍数:102/分(開始時) 94/分(終了時)
JCS:300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右7.0mm 左7.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
無呼吸テスト:無呼吸
|
(開始前) |
(3分後) |
(5分後) |
(7分後) |
(終了後) |
PaCO2 (mmHg) |
39 |
55 |
62 |
66 |
|
PaO2 (mmHg) |
453 |
554 |
532 |
520 |
|
血圧 (mmHg) |
100/52 |
|
|
100/53 |
100/55 |
SpO2 (%) |
100 |
100 |
100 |
100 |
100 |
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施設における診断内容
以上の結果より
・第1回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた(10月12日 23:37)
・第2回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定できた(10月13日 8:42)
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2.3.1 脳波
平坦脳波に相当する(標準感度 10μV/mm、高感度 2μV/mmのもとで記録)
第1回目は10月12日22:17から22:47まで、および第2回目は10月13日7:07から7:39まで、いずれも30分以上の記録が行われている。電極配置は、国際10-20法のFp1、Fp2、C3、C4、Cz、T3、T4、O1、O2、A1、A2であり、単極導出(Fp1 - A1、Fp2 - A2、C3 - A1、C4 - A2、 T3 - A1、 T4 - A2)と双極誘導(Fp1 - C3、Fp2 - C4、C3 - O1、C4 - O2、O1 - T3、O2 - T4、T3 - Fp1、T4 - Fp2、Fp1 - Cz、Fp2 - Cz、Cz - O1、Cz - O2 )で記録されている。第1回目、第2回目ともに記録感度は標準(10μV/mm)と高感度(2μV/mm)で、時定数0.3秒、High cut filter 120Hz、交流遮断用filterを用いて行われ、さらに心電図と頭蓋外導出モニターの同時記録が行われている。刺激としては呼名および顔面の痛み刺激が行われている。いずれにおいても心電図の混入と考えられるものや疼痛刺激時、周囲の人の動きおよび一部静電誘導によるアーチファクトが重畳しているが、これらの判別は容易である。脳由来の波形を認めず、平坦脳波に該当する。
聴性脳幹反応について
第1回目・第2回目法的脳死判定のいずれにおいても、両耳刺激、最大音圧刺激100dB、加算回数1000回による記録が行われ、I波を含む全ての波を識別できず、無反応と判定できる。
2.3.2 無呼吸テストについて
2回とも必要とされるPaCO2のレベルを得てテストを終了している。
テスト中、低酸素、低血圧等は無く、それぞれ安全に行われたと判断できる。
2.4 まとめ
本症例の脳死判定は、脳死判定承諾書を得た上で、指針に定める資格を持った専門医が行っている。法に基づく脳死判定の手順、方法、結果の解釈に問題はなく、結果の記載も適切である。
以上から本症例を法的脳死と判定したことは妥当である。