07/02/05 社会保障審議会後期高齢者医療の在り方に関する特別部会平成19年2月5日議事録 07/02/05 社会保障審議会後期高齢者医療の在り方に関する特別部会          第6回議事録  (1)日時  平成19年2月5日(月) (2)場所  東海大学校友会館 阿蘇の間 (3)出席者 糠谷部会長 鴨下部会長代理 遠藤久夫委員 川越厚委員         辻本好子委員 野中博委員 堀田力委員        <事務局>        水田保検局長 白石審議官 原医療課長 唐澤総務課長 他 (4)議題  ○後期高齢者医療について         (フリーディスカッション)        ○その他 (5)議事内容 ○糠谷部会長  定刻になりましたので、これより、後期高齢者医療の在り方に関する特別部会を開催い たします。ことし初めてでございまして、お久しぶりでございます。ことしもどうぞよろ しくお願い申し上げます。  まず、委員の出欠状況について御報告をいたします。  本日は、高久委員と村松委員が御欠席でございます。  また、堀田委員が所用により途中から御参加とお伺いしております。  今後の進め方でございますが、当部会におきましては、「『健康保険法等の一部を改正 する法律案及び良質な医療を提供する体制の確立を図るための医療法等の一部を改正する 法律案』に対する参議院厚生労働委員会の附帯決議」においても求められておりますよう に、本年度末を目途に、「後期高齢者医療の在り方に関する基本的考え方」を取りまとめ ることとしております。  私は、この「基本的考え方」について、後期高齢者医療の在り方に関する基本的な理念 やあるべき医療の姿といった大きな方向性を示すこととしたいと考えております。  また、年度明けのスケジュールにつきましては、後ほど事務局に説明していただきます が、「基本的考え方」を取りまとめた後、パブリックコメントを募集いただき、その後、 特別部会を再開し、夏から秋を目途に、さらに踏み込んだ内容を「骨格」として示してい くと、このように考えております。  今回の特別部会では、このようなスケジュールを念頭に置きながら、これまでのヒアリ ングの総括も含めて、事務局に議論のたたき台を作成させております。  本日は、これをベースに御議論をお願いいたしたく、委員各位には積極的な御発言をお 願いしたいと考えております。  皆様、このような進め方、スケジュールに関しまして、御意見等はございますでしょう か。      (「異議なし」の声あり)  それでは、そういうことで議事に移りたいと存じます。  事務局より資料が提出されておりますので、説明をお願いいたします。 ○事務局(原医療課長)  医療課長でございます。まず、本日の資料でございますが、資料1として「後期高齢者 医療の在り方について(検討のたたき台)」、資料2としてスケジュール、資料3−1と 資料3−2にきょう御欠席の高久委員と村松委員のたたき台についての御意見をとじてご ざいます。参考1は、これまでのヒアリングの資料からきょうの検討のたたき台の流れに 沿って抜粋をさせていただいた、先生方が使われた資料でございます。参考2は、ヒアリ ングをいたしました際にこの特別部会でいろいろ出てきました意見を主な意見として項目 別に取りまとめたものでございます。  それでは、早速、資料1について御説明をさせていただきます。  この検討のたたき台につきましては、今、部会長からのお話にもございましたように、 後期高齢者の医療の在り方についての基本的な考え方をつくる際のたたき台と考えており ます。副タイトルとして、「後期高齢者の心身の特性にふさわしい医療の在り方をどのよ うに考えるか」をつけさせていただいております。  1ページからが本体でございますが、1つ目に後期高齢者の心身の特性、これもさまざ まなヒアリングの中から御意見がございましたが、大きく3つほどにまとめさせていただ きました。  (1)は、老化に伴う生理的機能の低下により、治療の長期化、あるいは複数疾患への 罹患、特に慢性疾患が見られると。  (2)は、多くの高齢者に、症状の軽重は別として、認知症の問題が見られる。  (3)は、いずれ避けることができない死を迎える。  このあたりが後期高齢者の心身の特性であり、このようなものを考えながら医療を考え ていくべきではないかということでございます。  2つ目は、基本的な視点として、標語的になりますが、後期高齢者の医療というのは、 まず生活の中での医療を考える必要がある。  また、後期高齢者の尊厳に配慮した医療を考える必要がある。  そして、後期高齢者が安心できる医療を考える必要がある。  そのような視点から医療を考えていくべきではないかということでございます。  2ページでございます。後期高齢者医療における課題あるいは現状の問題点についてで ございます。これも多数の御意見がありましたので、それをここでは大ざっぱに5項目に くくってございます。若干漏れているものもありますが、大きな基本的なものということ で5つにしております。  (1)は、複数の疾患を併有しており、あわせて心のケアも必要となっている。  (2)は、慢性的な疾患のために、その人の生活に合わせた療養を考える必要がある。  (3)は、複数医療機関を頻回受診する傾向があり、検査や投薬が多数あるいは重複と なる傾向がある。  (4)は、地域における療養を行えるよう、弱体化している家族及び地域の介護力をサ ポートしていく必要がある。  (5)は、患者自身が、正しく理解をして自分の治療法を選択することの重要性が高い。  このようなさまざまな問題がある中で、ここではとりあえずこの5つにくくったわけで ございます。  3ページでございます。最後に、これらの特性や課題を踏まえて、後期高齢者にふさわ しい医療の体系として、これも各論としてはさまざまなことがございましたが、ここでは 4つにまとめてあります。  (1)は、急性期医療にあっても、治療後の生活を見越した高齢者の評価とマネジメン トが必要である。  もちろん、急性期医療そのものは、本体そのものについて若い人と後期高齢者とを分断 するような形のものは考えられないわけでありますが、それでも急性期医療の治療法の選 択に当たって、例えばCGAでありますとか、全体としてはGEMsという、このような 高齢者の総合評価をもとに、将来の生活を見越した治療法の選択というものもあり得べし ということで、そのような留意点が必要ではないということでございます。  (2)は、在宅あるいは居住系の施設を重視した医療。  もちろん、急性期であれ慢性期であれ、入院医療が必要な方の入院医療は当然あるわけ でありますが、それに加えて慢性の疾患が多いわけでありますので、どうしても在宅を重 視した医療というものを重要視する必要があるだろうと。  そのために、1つ目は、かかりつけ医による訪問診療でありますとか訪問看護、あるい は先ほど出てまいりました投薬が多いとか、あるいは報告にもありました口腔ケアの重要 性などを考えますと、それぞれの在宅における医療サービスというものが必要になります し、その数や質の問題を解決する必要があると思われます。  さらに、医療機関の機能特性に応じた地域における医療連携。これは例えば病状が急変 した際の緊急入院先の確保でありますとか、急性期医療があった場合の急性期医療を担う 医療機関から、リハ病棟でありますとか施設や在宅という流れがこの連携の中で生かされ なければいけないと考えております。  それから、複数疾患を抱える後期高齢者を総合的に診る医師。これはかかりつけ医とい う言葉にも象徴されますが、程度の問題はございますけれど、在宅の高齢者に対してその 医療を中心になって診ていく医師、マネジメントをする医師が必要になるのではないかと いうことでございます。  (3)は、安らかな終末期を迎えるための医療。  後期高齢者の医療制度でございますので、この中で必ず死を迎えるわけでございますが、 その際に、十分に理解した上での患者の自己決定を重視すべきではないか。  また、非常に不安になります痛みに対する問題ですが、十分な疼痛緩和ケアが受けられ るような体制を広める必要があるのではないかということでございます。  (4)は、後期高齢者の医療とはいえ、医療だけではなくして、介護サービスも当然必 要になりますので、介護保険のサービスと連携のとれた一体的なサービス提供ということ で、これはさまざまな先生方から、患者を中心として多職種の協働によるサービスという 形で御提言があったわけでありますが、そのような介護保険サービスとの緊密な連携がこ の医療の提供にも必要になるということでございます。  以上、ここでは簡単にまとめさせていただきましたが、もちろん各論でさらに加えてい くことはあるかと思いますけれど、基本的な考え方の段階ではこの程度にまとめてはどう かと事務局では考えております。  あわせて、資料2について簡単に御説明いたします。  平成19年2月5日、本日ですが、これが第6回の特別部会ということで、きょうはフリ ーディスカッションをしていただいて、基本的な考え方の取りまとめに向けてのスタート でございます。  この後、社会保障審議会の医療部会と医療保険部会それぞれにおいて議論をしていただ きまして、それらをまとめた形で、3月には基本的考え方の取りまとめをこの部会でお願 いしたいと思っております。  その後、パブリックコメントを募集いたしまして、その骨格の取りまとめに向けた議論 をさらにこの夏から秋にかけてお願いをしたい。また、その際にも、医療部会や医療保険 部会においても御意見をお聞きすることになろうかと思います。  スケジュールは以上の予定でございます。  資料の説明は以上でございます。 ○糠谷部会長  ありがとうございました。それでは、事務局からの説明に関しまして、御質問、御意見 があればお願いいたします。御案内のように、高久委員、村松委員は御欠席でございます し、堀田委員もおくれてお見えになるということでございますので、時間はたっぷりござ いますので、十分に御議論をいただければと思います。  高久委員、村松委員からは、書面で御意見をちょうだいしております。皆様のお手元に お配りしてございますので、御参照いただければと思います。  それでは、どなたからでも結構でございますので、よろしく御議論をお願いいたします。 ○野中委員  基本的な考え方を取りまとめる前に、パブコメを求めるということですが、この件につ いて質問します。本日のこの基本的な考え方の提出はいいと思うのですが、その内容に対 して、ある程度異論があります。しかし、パブコメで本来はもっとさまざまな検討すべき 議論があるというのをまず考えるのも、一つの方法ではないかと思います。  実際にこの春にパブコメを求めていただいて、また春から夏にかけて例えば新たな課題 が出る事を予測されますので、むしろまとめてからパブコメを求めるのがいいのか、その 辺はちょっと検討した方がいいのではないかなという気もするのですが、その辺について のお考えを教えていただきたいと思います。 ○事務局(原医療課長)  流れですけれど、先ほどの参議院の厚生労働委員会での附帯決議の中でも、今年度末ま でに基本的な考え方をまとめて、その上、国民的な議論に供した上で策定しなさいと、こ ういう流れになっていますので、基本的な考え方をまとめた段階でお聞きしようと。そこ ではさまざまな意見が出てくると思いますので、例えば基本的な考え方にもし入っていな いものを取り入れるとしたら、骨格を決めていく段階で御議論していただいて盛り込んで いけばいいのではないかと考えております。 ○糠谷部会長  今の御意見とも関係するかと思いますが、皆さん方はかなり御専門の方ばかりで、私は どちらかというと素人なものですから、これを拝見していて、その骨格というのはこれか らどれぐらい詳しくなるものなのかとか、そして最後は診療報酬があるわけですね。そこ は皆さんはおわかりなのかもしれませんけれど、私はそこのイメージがもうひとつという 感じがしておりますので、教えていただければと思います。 ○事務局(原医療課長)  特に定型的なものはございませんので。例えば、今回は後期高齢者の医療のあり方とい うことで議論をしていただいておりますが、当然ながら最終的には診療報酬の方向に決め ていくわけでございますけれど、その際に、今回の基本的考え方のところでは、支払い方 法などは一切盛り込んでおりません。それは実際には医療を左右することも当然ございま すし、いずれ骨格の段階ではそのような診療報酬のことにも当然ながら触れていただくこ とになっていくのではないかと思っております。  ただ、例えば、昨年の診療報酬改定のときにも、医療部会や医療保険部会でその基本方 針というものを決めていただきましたが、その中でも網羅的に全部があるわけではござい ませんので、その細かいところはやはり中医協の中で決めていくということになっていま すが、そこに出していく段階の大きなところはそこの中で、これこれは評価すべきだとい うような形で書いてあるのがその基本的方針でございます。  今回のこの部分は、あくまでこういう医療をすべきだというところの考え方ですし、さ らに評価するなら、こういう医療の中でもこういうところをもっと詳しく評価すべきでは ないかというところが、骨格の段階では出てくるのではないかと思います。 ○事務局(総務課長)  少し補足させていただきます。骨格というものをどの程度の詳しさのものと理解するか ということに非常に大きく依存いたしますが、例えば、今度の後期高齢者の医療に関する 診療報酬というものを、74歳未満の人とは全く違うもの、全く異質で全然別の体系の異な るものをつくるということになりますと、これはすべてを一から構築し直すことが必要で すが、ただ、75歳以上の方も74歳未満の方も同じ病気にかかるものはたくさんございます ので、これは私の個人的な感じですけれど、全く全部ゼロから違うものをつくれというふ うな議論にはなっていないのではないかと、私自身は思っております。  その上で、75歳以上の後期高齢者の方の特徴にふさわしい医療というものをどのように 取り出して手当てをするか、あるいは新しい報酬をつくるかということを御議論していた だいているのではないか。その背景には望ましい医療のあり方というものがあると思いま すが、もし全く新しいものをつくるということになりますと、物理的に、20年4月に実施 をするためには3月にその新しい診療報酬の体系というものが全部でき上がっていないと いけないということになるのですが、そうではなくて、ある特別なものをきちんと手当て をするということであれば、これは共通の土台の上につくるということになりますので、 余りはっきりしなくて恐縮ですが、20年4月に実施できるような形のものが、8月にはあ る程度考え方としてまとまっていることが必要であろうと思っております。 ○鴨下部会長代理  余り委員から御議論がないようですので、これから出ると思いますけれど、口火を切ら せていただきます。  野中委員の御意見もございましたけれど、これまでの議論を踏まえて、私はこの要約は 非常にうまくまとめられたと思います。その上で、2つほどコメントさせていただきたい と思います。  そもそも後期高齢者として75歳という線引きは、かなり便宜的で、人間、60を過ぎると ものすごく個人差が出てくるわけですね。生理機能にしても。ですから、そのことはかな り便宜的であるということを承知の上でこれを議論するということが一つの前提になろう かと思います。  もう一つは、ここにも書いてございますが、認知症の問題が、これから高齢社会になれ ばなるほど医療にとっては重い問題になってくると思いますが、これについての統計的な 精神科領域でのPC、看護師の需給状況とか、その辺は事務局の方では把握なさっている のだろうとは思いますけれど、その点、確認をさせていただきたいと思います。  それから、死を迎えるということなのですが、資料1の3ページに、(3)安らかな終 末期を迎えるための医療とありますけれど、この「終末期」はむしろ埋め込んで、「安ら かな死を迎える」というふうにはっきり言っていただいた方がわかりやすいのではないか。 反対される方もあるかもしれませんけれども、実際には「終末期」というのは非常にあい まいな概念ではないかと思います。  もう1点は、参考1の9ページに、川島先生の資料として、「Nonreversible process cascadeの概念」というものがありますが、これに関連して参考に町野教授の御意見を伺っ ていますけれど、いろいろな意味での法的なかかわりがここでは背景にあると思うのです が、その辺はどのように考えるのか。少なくともこの3枚のところにはそういう問題は余 り書かれていないと思うのですが、また、実際には書けないのかもしれませんけれど、厚 労省として、器官切開をする、しない、人工呼吸器をつける、つけない、あるいは、最期 の心マッサージをする、しないは、余り大きな問題ではないかもしれませんが、そういう ことを患者さんの元気な間に同意を得ておく、さらにその患者さんが認知症である場合に はどうするかといった、法律家の意見も参考にしなければいけないと思いますけれど、そ の辺の配慮が必要ではないかなというのがコメントでございます。 ○糠谷部会長  事務局、今の関係で何かございますか。 ○事務局(原医療課長)  まず、認知症の統計的なものということですが、今、私の手元に推計したものはござい ません。当然ながら、将来、発表の中では、75歳以上なら8割程度は軽重ともにあるとい う御意見もございましたし、どのあたりをケアの対象にしていくのかということが重要に なってくるのではないかと思います。  これは大塚先生という方の2000年あたりの推計ですが、75歳以上で213万人ということが 言われております。これは75歳以上人口が1,200万人弱の中で213万人ですので、これは明 示的に認知症の方がふえてくるということだと思います。そのためにどのぐらいの人的資 源が要るのかというところについては、まだ承知をしておりません。  それから、ターミナルの御指摘については、先生の御指摘のとおりで、本日おくれてお 見えになりますが、堀田先生からも、法律の問題をもう少し詰める努力をすべきだと。今 の時点は入り口の段階のところにまだとどまっておりますが、そういう御指摘を受けてお りますので、私どもも同じ問題意識を持たせていただいております。 ○野中委員  今の議論を聞いていて、私は、高齢者だからといって医療がどうなるかという違いは必 ずしもないと思っていますが、医療を選ぶ国民にとって温かい医療であってほしいという 視点でまず制度を考えてほしいと思っています。そこで、例えば、経管栄養するかしない かは、患者さんとその御家族とか御本人などできちっと話をするわけであって、医療の提 供者側がどう判断するかどうかはその後の部分で考えていく必要があると思います。国民 に対して医療を提供する側の判断の仕方によって、医療が国民にとって温かいものである かどうかを感じ取れなくなるので、その辺は十分注意していただきたいと思います。  また、死を迎えるための医療を考える上で、死を迎える人の生活をどうやって充実した ものにできるかどうかという部分は、医療で考えるのか、あるいは介護保険で考えるのか、 さまざまな部分で考えるのか、その判断はあると思いますが、医療においても、死を迎え るために充実した生活のための医療という視点の中でこれを考えるべきであって、法律論 の中でどうやって死を迎えるか、それは法律の中できちっとやっていただきたいと思いま すが、治す医療だけではなくて、支える医療というものの重要性を高齢者医療の中に踏み 込めるかが大事だろうと考えます。  ただ、先ほどお二人の課長は、後期高齢者の医療に対して別なものをつくるということ に関しては、そんなものは考えていないとおっしゃったと私は理解していますが、では、 高齢者にとって今までの医療と何が違うのかを考えた方が、適切と思っています。  ただ、改めて一つ一つを考えることは大事だと思いますが、後期高齢者にふさわしい医 療の体系では、例えば評価とマネジメントが必要とされていますが、実際に現場でどうい う視点で評価されているかも実は大事なことであります。介護保険の中で、例えば患者さ んの生活をつくるためのケアマネジメントで、御本人の意思をどう確認するか。その御本 人の意思を確認するということが実は今までの医療には非常に少なかったのではないかと いうことが、今言われているのではないでしょうか。  例えば、リハビリのときに、「何をしたいですか」と言われれば、本人はもとのように 元気になりたいと。でも、もとのようになることはできなくても、「何をしたいですか」 という質問には、例えばがんの末期の中のリハビリにおいても、「家に戻りたい」と。し かし十分よく聞くと、実は家に帰ってこれからの人生の整理をしたい。そういうことを言 われるまでの過程を、このCGAとGEMsの評価だけでできるかという問題。それが今 までの医療に欠けていた視点と思われ、そのことが一番大事と思うのです。  ですから、評価とマネジメントは非常に便利な言葉ですが、現場で詳細に実行できるか。 大事なことは、必要な医療が提供されることは若年者でも高齢者でも大事だと思います。 その後の病状が一時期安定したとか、不安定になったとか、全快したとか、その辺の部分 が多少違うわけです。その後の住みなれた居宅の中で、あるいは施設の中でどうやって生 活していくか。その先行きのことをきちっと明確に出す視点が、今までの医療には欠けて いた。  前回、MSWの話がありましたけれど、残された人生をどう生活できるのかどうか、そ ういう細かな判断と医療が結びつく作業が今までの医療にはなかったと思います。ですか ら、このたたき台では、特に国民がわかるような形としてその表現をしていただきたいと 思っています。  まだいろいろありますけれど、まずはこの中で一つだけ意見を言わせていただきました。 ○辻本委員  3点、これを拝見したということで申し上げたいと思います。  1つは、後期高齢者の方々の意識というのでしょうか、そのあたりのことをどのように あらわせばいいのか、正直、戸惑っているところですけれど、団塊の世代の意識とは違う ものをベーシックにお持ちでいらっしゃる、そのあたりのことをまず一つしっかりと踏ま えていただきたい。  それから、地域という問題ですが、こうした会議の場で語られるのは、選ぶほどに医療 がある潤沢な状況という気がしてなりません。地方へ行けば行くほど、書かれているよう な状況ではとても医療と向き合えませんよというところが実際にたくさんありますので、 その辺の地域格差という問題をどう織り込んでいくのかというのが2点目です。  それから、パブリックコメントのところでもお話が出ましたけれど、これは非常に大き な医療制度改革という問題だと思うのですが、当事者になられる方たちも余り認識してい らっしゃらないという状況があるんですね。パブリックコメントというのも、何かアリバ イ工作のようで、アクセス能力のある一部の人には常に知らしめられる部分かもしれませ んけれど、本当に当事者になられる方たち、保険料をお納めになる方たちにこの情報が果 たして届くのかどうか。そして、届いたとして、そこでその方たちの御意見をどのように 集約していくのか。  こんな3つの問題が私は気になりました。  最初の意識というところですが、そこだけ少し触れさせていただきたいと思います。17 年間、私どもが電話相談で、患者さんや御家族のお話を承ってまいりました。4万件以上 の御相談例に対応させていただいてきました。もちろん、高齢者の中にはすばらしく自立 的で自覚的で自己決定能力を高くお持ちの方もいらっしゃいます。  先ほど来、実に個別的であるということもお話が出ております。しかし、あくまでも一 般論ですが、この世代の方たちがお電話をしてきて、あるいは御家族がお電話をしてきて 問題提起なさるのは、ドクターという権威に弱いということであったりとか、医療も無料 という時代の中で、受け身、パターンナリズムということが当たり前だった医療の時代の 中で育った世代感覚というものが、いろいろな意味で見え隠れしてくるんですね。  例えば、御家族が何を悩んでいるか。先生の前に行くと何も言えなくて、わかったふり をしてわかったつもりになって、でも家へ帰ってくると家族に当たりちらしてという話。 そんな中で、先ほども、家族と十分話し合ってということも出ましたけれど、そういう十 分な話し合いができない方たちも多数いらっしゃるのではないかと思います。  ですから、MSWのお話もありましたけれど、次の団塊の世代が後期高齢者になるまで の間の措置ということかもしれませんが、間をつなぐというような機能、そのことをきち っと制度化していかないと、本当の意味の患者の視点に立った医療にはならないのではな いか。まして、自己決定能力ということを持つことはむしろタブーとして生活をしてこら れた世代であろうかとも思います。  私どもの電話相談に対しても、親切で丁寧で優しく親身になってくれたらそれでいいの だと、そういうニーズということの中に隠れる問題をきちっと見据えていくことが必要で はないのかなと。意識ということでは、そのことを強く感じました。 ○野中委員  済みません、もう一つ。さっき言い忘れたことですが、鴨下委員が認知症のことを言わ れました。私は認知症の専門家ではありませんが、この何年間か認知症の方々のさまざま な状況を見てきて、従来の精神科領域のデータがそのまま認知症に対して有効だとは全く 思っていません。それは認知症に対してどう対処するかなんですね。認知症については、 このごろNHKで放送されていますからごらんになったと思いますけれど、認知症はその 地域でのケアによって、早期から対応して、十分可能な時代になってきているわけです。 その辺をきちっと配慮していくか。従来の精神科医療の対応とは違っている面もあるとい うことを指摘したいと思います。  現場で私たちが一番苦労するのは、患者さんが、例えば病院に入院されて、夜中に大き な声を上げたりとか、点滴を嫌がって暴れるとか、そういうことだけで病院から、「そん な患者さんは診てられないので、出ていってくれ」ということが言われているのが現実で す。そういう中で認知症の人たちに対してどういう医療が対応されるべきかを考えると、 特に認知症がこれから多くなり、そういう人たちを、ケアを通じて落ちついていただくこ とに対して、医療的がどの様にかかわるのか。これは医療だけの問題ではなく、人の問題 であり、そしてその姿勢の問題だと思います。  それから、今語られているリハビリの問題も、期間によって切られるとかとありますが、 リハビリだって、だれがどういう目的でやるかを十分検討しないと、従来のリハビリの感 覚でいいのかどうかという問題もあります。きょうのたたき台の部分はそうやって読み取 れる部分もないわけではないのですが、今まで体験していなかったような部分を医療の中 で、特に高齢者に対してどの様に対処するのかとの視点もぜひ入れていただきたい。先ほ どの追加ですけれど、よろしくお願いいたします。 ○遠藤委員  事務局でおまとめいただきましたたたき台の4番目の後期高齢者にふさわしい医療の体 系というところを拝見したわけですが、基本的には、まだあるかもしれませんけれど、重 要なところはある程度網羅されていると思いました。  この中で、2つ、「連携」というコンセプトが出ておりまして、(2)在宅(及び居住 系施設)を重視した医療の中の2つ目の・で、「医療機関の機能特性に応じた地域におけ る医療連携」ということが書かれている。それから、(4)で、「介護保険のサービスと 連携のとれた一体的なサービス提供」で連携ということが出ています。  この辺はかなり制度的には重要だと思うわけでありますが、しかし、(2)の医療連携 の話は、例えば、在宅療養支援診療所なども実効があるためにはこういう連携というシス テムが私は不可欠だと思っています。しかし、医療機関の機能の分化と連携というのはず っと言ってきた議論があるわけですね。そして、余り進んでいないわけでありますね。と いうことであるならば、まさに高齢者の医療制度の中でこれを今までになくもう一歩進め られるような、そういう仕組みをつくってみて、それがある程度成功するということであ るならば、それを一般の医療の方に拡大していくといったことができるわけですので、ぜ ひ医療連携という点も力を入れてやるべきだと思います。  それから、(4)介護保険のサービスと連携のとれた一体的なサービス、これはまさし くそのとおりなのですが、どういうふうにすればそうなるのか、あるいは一体的になって いないのはどういう点なのかというのは、もう少し調べるべきだとは思いますが、これは 本質論からいうと、医療保険制度と介護保険制度のある種のそごというものがこういうと ころであらわれてきている可能性があるのかないのか。  もともと医療保険も介護保険もそれぞれの目的でつくられているものでありますから、 介護は介護にとって非常に合理的な首尾一貫した制度になっているのでしょうけれど、こ の後期高齢者のように、どうしても医療と介護を一緒に受益しなければならないという、 組み合わせでサービスを受けなければいけないという状況があるわけですね。そういうも のにうまく対応させるような、きちんとした補完関係があるのかとか、整合性がとれてい るのかと、その辺のところの視点から設計されているとは必ずしも言えないわけでありま す。  最近は、高齢者だけに限らず、社会的入院を減らすといった意味で、どちらかというと 医療保険対象者が介護保険の方へ移行するといった動きもあるわけですので、そうなって くると、医療保険制度と介護保険制度の合理的な補完性という視点から見直すということ も重要なのかもしれません。この審議会のミッションではないということは重々わかって いますが、後期高齢者の事例を踏まえながら、そこから介護保険制度、医療保険制度を見 直すということも一つ重要なのではないかなと思ったわけであります。  3番目は、同じく3ページの(3)安らかな終末期を迎えるための医療で、患者の自己 決定の重視と書いてありますが、先ほど来お話を伺っておりますと、患者の自己決定の重 視というのは全くそのとおりであります。ただ、この終末期を迎えるための医療というと ころに入れてしまっていいのかどうか。つまり、最終的に延命装置をつけないでいいとか、 そんなレベルにとらえられてしまう話であって、「私はもう年なんだから、手術は要らな い」というような意思決定だってあるわけでありますから、この中に入れ込んでいいのか なと、そういうことをちょっと感じたわけです。 ○事務局(総務課長)  遠藤先生から大事な点を2つ御指摘いただきました。  医療連携の方は、具体的にどういうものを最終的に書き込んでいくかということが重要 だと思いますが、私どもは、鴨下先生のお話も野中先生のお話も、いろいろな方からもお 伺いしていますと、例えば急性増悪をしたときに、3日ぐらい入院できるところがあれば 非常に助かるといったお話がございます。例えば、それは有床診療所だったりほかの病院 だったりするのですが、無床でもできるためには、何か枠組みがあれば在宅医療の支援と いうものはかなり助かるのではないかと。そういう連携のつくり方をどのようにしていく か。そういうことも含めてここでは書いております。余り書かない方が先生方からいい意 見がいただけるものですから(笑)。済みません。  それから、介護の問題は、遠藤先生からお話がございましたように、介護保険の方は、 ケアのサービスを全体的に提供するためにケアプランをつくっております。その中には、 医療サービスは、居宅療養管理指導ということで、月2回の往診程度のものが入るという 枠組みになっておりまして、それを超えた医療については医療保険から提供すると、こう いう制度の設計になっております。  ただし、今の問題は、在宅で療養するときに、介護サービスについてはケアプランで一 体的なプログラムがあるけれども、医療についてはそれとどのように一体的にするかとい う枠組みは今の制度にはないんですね。ですから、一生懸命やっていただいている方は、 それぞれのところで工夫してやっていただいていますが、普及する方法がまだ開発されて いない。あるいは、それを普及するためには何か特別な支援が必要なはずなのですが、そ の支援の方法がまだ設けられていないということではないかと思っております。 ○堀田委員  後から来て申しわけありませんが、今の遠藤委員の発言に関連しまして、私も、自己決 定ということを、終末期だけではなしに、全部に出すことが必要だと思います。3ページ に括弧で4つ、これはよく絞っておまとめになっていると思いますが、(3)の終末期だ けではなくて、高齢者医療そのものにとって自己決定というものが非常に重要で、それが 高齢者以外の治療の場合の自己決定と高齢者の場合とが違うのは、高齢者の場合にはいろ いろな機能が衰えていくわけですから、そもそももうそれに任せて治療を受けないという 選択肢もあるのではなかろうか。  例えば、自分はこのがんを抱えているが、どうしてもこの仕事を仕上げて、それで後は ホスピスで苦しまずに死ねればいいと。そういう、治療を受けないという選択肢もあるの ではなかろうか。これは若者あるいは中年の方については考えられない選択でありまして、 中年までの段階では身体機能がそう衰えていくということはありませんので、受けないと いう選択は多分ないだろうと思いますが、高齢者の場合はそれが非常に重要になってくる。  そのことが(4)介護保険と医療との連携にも関係してくるので、高齢者の場合には、 体を治療するということよりも、そのままでの生活を選ぶことも可能であると。これは本 人にしか選べないことであり、そうなってくると、特に生活の中での本人の希望に応じた 医療のあり方自体が決まってくるわけです。本人の自己決定に基づいて生活とその中での 医療のあり方を決めていく。そういうネットワークをつくることが必要になってくるので はなかろうかと思います。  それから、高齢者の自己決定で、例えば外科の手術を受けるか受けないかの選択につい て先日申し上げましたが、治療方法についての選択は、これも高齢者の場合には若者や中 年の人たちとは違う治療方法の選択があるのではなかろうか。それは体の機能が衰えてい くわけでありますから、特定の部位の治療がほかの機関の衰えを加速したり、他の器官へ の副作用といいますか、もっと広い悪影響が特に高齢者の場合には顕著で、そういう情報 をしっかり告知していただかないと、実は正しい選択ができない。  ですから、この病気はこういう病気で、こういう治し方がありますよ、内科的治療はこ う、外科的治療はこうと、それだけではわからないので、その場合に、例えば外科的治療 を受けた場合にはほかの部位の衰えその他についてどういう影響を及ぼすのか、内科的治 療の場合にはどうであるのかとか、全体の影響というのが若い人や中年の人たちとは随分 違うのではなかろうか。それをしっかり調べて告知していただかないと、自己決定といっ ても自分では決められない。その辺はお医者さんの調べる範囲と告知する範囲が大分違っ てくるのではなかろうかと思います。  医療のことを知らずに口はばったいことを言いますけれど、高齢者医療の場合には、各 機能がまんべんなくバランスよく衰えていって、最期はスッと全体の機能が消えるという のが一番望ましい。患者としてもそうありたい死に方でありまして、単にどこの部位がど うおかしいということだけではなしに、全体の衰え方とそのバランスがどうなっているの か、その中で治療がどうあるべきか、そこの情報が欲しいし、全体を調べてほしい。その あたりの研究・調査方法、診断方法というのを老人期特有のものとして研究開発してほし いと思います。そういう研究開発が進み、そういう告知があって、初めて自己決定ができ るのではなかろうか。  衰えていくわけですから、どう選択するかというのは、体全体がまだ元気なときの選択 と違って非常に意味が大きいわけで、そういう点での自己決定を重視していただくような 診療報酬が欲しいし、老人学という研究ももっと進むようになってほしいと、そういう提 言もしていただければと思います。これが自己決定に関してであります。  もう1点、この3ページを見まして、これは大変よくまとめられていますが、尊厳死問 題が落ちているなと思いました。これは非常に重要な問題で、もちろんほとんどが老人期 に起こっている、そして医療費の問題もこれに絡んでいる、家族の心情もかかわってくる。 これについての法律家の御意見もありましたけれど、はっきり申し上げて、非常に詰めが できていない。あれだけの意見では、まだどのようにすればいいのかちょっと見えてこな い。  大変難しい問題ですので、そんなに急に詰まるとも思いませんが、そういう問題が厳然 としてあることは間違いないし、それにしっかり取り組んで国民的合意をつくっていかな ければいけないわけですから、その問題を今回積み残すなら積み残すで、そのことを書か なければいけないし、何とかある程度の方向を出したいというのであれば、もう少しその 点を議論しなければいけないであろうし、大きな問題点が落ちているかなと思いました。 ○鴨下部会長代理  自己決定のことについて、これは事務局にかわってお答えしたいと思うのですけれど、 今、すべての医療が自己決定だろうと思いますし、きょうは高久委員がいらっしゃいませ んが、医学教育の場でもそれはかなり徹底して教えられてきているのではないかと思いま す。  ここで、文脈上、言葉が出ているのは、その中でも特にターミナルのことはものすごく 重要だということを強調してここに出てきたと私は理解しております。そうでなければ事 務局に謝ってほしいのですけれど、恐らくそうだろうと思います。そのぐらい、死を迎え るときのいろいろな自己決定は大事であると。そのようにとらえるべきだろうと思います。  それで、先ほどの野中委員の御意見は、多分私に反対なさったのではないかと思うので すが、私はむしろ野中委員のおっしゃったことに賛成でして、3ページには実は認知症と いう言葉は出ていませんが、これは恐らくすべて「認知症」のベールが上にかぶっている と思うのです。ですから、そういう意味で、自己決定にしても、認知症の患者さんの自己 決定はいかにあるべきかとかどうなのかということを考えていかないと、間違った答えが 出るのではないか。  すべてそうだと思います。医療連携にしましても、複数の病気を抱えているといっても、 よく理解できない人の場合にそれをきちっと診れる先生方がどのぐらいいらっしゃるのか。 これは非常に大きな問題だろうと思いますので、従来の精神科の認知症のとらえ方では決 して十分ではないという点では、私は野中先生と全く同意見です。  私は小児科で子供のことしか余り知らないのですが、これは子供でも同じことでして、 虐待とかいろいろ子供の心の問題があるわけですが、そういうものはいまや各論ではなく て、小児科の総論だというとらえ方をしないと、すべての小児科医が「この子は何かおか しい、心はどうなのだろうか」と思わなければいけない。それが高齢者の場合にも、内科、 外科を問わず、高齢者を診た場合に、この方のそういう理解はどうなのだろうかときちっ と見分ける、それは地域の先生方の力によると思いますが、そういう点を申し上げておき たいと思います。 ○辻本委員  自己決定のことで、先ほど申し上げたことの重複にもなると思いますが、今おっしゃら れた医学教育の中においても、患者の自己決定を尊重するという方向性は、もちろん確実 に動き始めていることは承知しております。そして、医療現場の中でも、「私は説明する 人、あなたは決める人」みたいな役割分担ということで、患者の自己決定が権利でもあり 義務にもなっています。でも一番大切な、「じゃあ、一緒に相談しましょう」という機能 がなかなか醸成していかないというジレンマもあります。  そんな中で、今、自己決定の尊重を高らかにうたうがゆえに、患者の中である種の二極 化が起きているんです。1つは、私が同じ患者の立場でこういう言い方で許されるかどう かわかりませんが、過度な期待を持って周りが見えずわがままを主張してしまうたぐいの 人々と、それから、それまで自己決定などという訓練も経験もしてこなかった人が、突然、 大切な命や体の問題について自分で決めなさいとほうり出されたような、そんな気分にな って、混乱と不安という状況に陥ってしまう。そういう二極化ということが私どもの電話 相談にも届いている現実でございます。  ですから、決してすべての人が自己決定能力を持っているわけではないということを踏 まえておかないといけないと思います。このまとめを見ると、すべての人が自己決定能力 を持っているはずだから、大切にしてあげるよと言っているような医療をつくっていこう という形にしか見えないんですね。ですから、ここでは十分に、まだまだ国民全体が真の 意味の自己決定能力を身につけているわけではない、だからという、そこの補完を制度・ 仕組みということでまず考えていかなければいけないということがとても大事だと思いま す。  そして、先ほど後期高齢者の方々の特性というところに、意識ということでもう少し考 えていただきたいと申し上げたのですが、この世代の方々がこれまでに学び、身につけて きた医療と向き合う姿勢、それはパターンナリズム医療ということと、途中で老人医療費 無料化ということで、まさに国から施してもらえるものという受け身の意識が非常に根強 く身についてしまっているんですね。時代が変わったからといって急に意識を変えること は難しいとは思うのですが、ただ、昨今の流れの中では、特に「医療はサービスである」 などといううたい文句によって、後期高齢者の方たちも翻弄されているというのも実態だ と思います。  そうすると、その翻弄の中で何が大きいか。やはり「よくて当たり前」という期待が非 常に大きくなっていく。医療にかかりさえすれば治してもらえるはず、痛みはとってもら えるはず、命は助けてもらえるはず、そういう期待が本人も非常に大きいということも実 態だと思います。そして、一方で、同年代であるパートナーの期待というのもそうでしょ うし、老いた親たちが結構潤沢な年金が入る人たちということで、そこに何らかの期待を 持っているような家族も実際にいるとすると、医療を受けさえすれば命が長らえられると いう大きな期待を、ある日突然、制度・仕組みができたからといって、あきらめなさい、 小さくしなさいということが言える問題ではないと思います。  そういう中で、この後期高齢者にふさわしい医療をどうしていくかということをきちっ と考えていかないと、ますます混乱、不安が大きくなってしまうのではないかなと懸念し ます。 ○川越委員  すごくよくまとめていただいたなと思いながらこれを見せていただきましたが、今、い ろいろな方の意見を聞いている中で、まだまだ詰めなければいけないところがあるのだな ということを改めて思いました。それで、私が感じたことを幾つか申し上げたいと思いま す。  今の辻本委員の御意見と重複するところがあると思いますが、この中にどういう形で入 れたらいいのか、ちょっと難しいかなと思いつつ考えていたのですけれど、教育の問題と いうのが一つございます。この会議の中でも、高齢者医療あるいは在宅医療を担う医療者 をどのように育てていくかということが一つ議論になったと思います。  もう一つは、今回、この後期高齢者医療についてディスカッションする問題に関係する のは、当事者である後期高齢者とそれを支える医療者、介護保険の立場の者だけではない わけで、国民全体として、老いていくこと、その中で最終的に死を迎えるということ、そ ういうことが教えられる機会をつくっていかないと、根本的な解決は難しいのではないか なということを思いました。ただ、これをどういうぐあいに入れるかというのは私はわか らないのですが、そういう点を考慮していただければなということを一つ思いました。  それから、3ページの(2)で在宅医療の推進ということが書かれていまして、私が申 し上げたいのは高齢者が過ごしてきたところで老いていって、やがて人生の終わりを迎え るという形では、地域ということを当然抜きにできないわけです。地域という言葉が、こ の(2)の真ん中のところ、「医療機関の機能特性に応じた地域における医療連携」とい うところで出ていますが、この「地域における」というのが単なるまくら言葉にならない ように、その地域性を考えた対策というものを考えていかなければいけないかなというこ とを思いました。  それは、私が今おります墨田区というのは東京の大都会の真ん中――とは言いませんけ れど、にある都市で、墨田区のこういうやり方というのが、例えば地方の人口の少ないと ころで同じように受けられるかということは、実際問題非常に難しいわけで、そういう地 域特性を考えたサービスの提供ということを考えていかなければいけないのではないかな ということを思っております。  3つ目は、1ページの2の基本的な視点、これはまさにフィロソフィーだろうと思いま すが、これもすごくよく考えられたまとめだなということを本当に感心しながら拝見して おりました。この中で、私は末期がんの方の在宅ケアの専門家ですから、その立場でこの 文言を眺めていたのですが、幾つか気づいたことがございます。  私たちが家で最期を迎える末期がんの方の在宅ケアで心がけていることを、いつも私は 5つのキーワードでいろいろなところで話しております。その1つは生活ということと、 2つ目は自然、3つ目は苦痛の緩和、4つ目と5つ目はここに出ております安心と安全と いうことですが、これはどんなことをやっても今の医療では間もなく来る死を避けられな いという中で出てくる一つの哲学ですから、これをそのまま高齢者のところに適用すると いうことは無理なのですが、幾つか参考になると思います。  1つは、この基本的な視点の1つ目に出ております「生活の中での医療」ということで、 これはなるほどなと思ったのですが、私たちは、「生活を支援する医療」という表現をい たします。生活を支える医療ということです。ただ、後期高齢者の方の場合ですと、「生 活の中での医療」ということの方が適当なのかもしれませんが、御参考にしていただけれ ばと思っております。  それから、3つ目に「後期高齢者が安心できる医療」ということが上がってきておりま すが、この高齢者の問題を考えるときは、家族の問題というのはいつも抜きにできないわ けで、もしここの考え方として検討していただければ、この「家族」という言葉をどのよ うに入れていただけるかなということを思います。私は勝手にこんな言葉はどうかなと思 ったことは、「後期高齢者とその家族が安心・納得できる医療」です。これは私の今の思 いつきのようなところがありますので、検討していただきたいと思います。  先ほどからいろいろな方の御意見を拝聴しておりますと、医療者は悪いことしか言わな いけれど、悪いことの中には、これをやることによってその後の生活がどうなるかという 説明は十分なされていない。そういうことが確かにありますので、「納得できる」という 言葉はすごく大事ではないかなと思います。  まだ、幾つか気づいた点がありますが、一応この3点を指摘させていただきたいと思い ます。 ○野中委員  私も先ほど各論から意見を述べましたので、意見を追加します。1番と2番に関しては 非常に私もいいと思います。ただ、今回の資料には国立長寿センターでの試みが余り取り 入れられないと思います。私は、地域で平成元年から医師会の仕事として医療連携に取り 組んできました。医療機関にとっての医療連携ではなくて、患者さんに対して適切な医療 を提供するという視点での医療連携がいかに大事かと思っています。  そういう視点で考えますと、実は病院で治療を受ける場合、入院に対しては医療連携は しましたが、退院に対しては医療連携はまだまだ未熟です。私も在宅医療を何人かやって いましたが、病院からいただいた情報には、治療内容については十分記載されていました。 患者さんの生活部分に対する情報が少ないことが一番の大きな問題でした。  先ほど遠藤先生も、長年医療連携をやっていてもなぜ進展しないのかと言われました。 熊本ではクリティカルパスを実行されています。クリティカルパスにも、実は医療行為だ けではなく、そこに生活への視点を含ませる事が大事だと考えます。それで、2ページの (2)の慢性的な疾患のためにその人の生活に合わせた療養を考える必要があると思いま す。この点を国立長寿センターがいろいろ手間をかけて実行されたことを前回レポートさ れました。そのときの感想として、中の職員がその患者さんの生活を組み立てる為に大忙 しとも報告されました。その辺を改善すべきと考えます。  それから、2ページの(4)ですが、今、川越先生も言われましたが、地域における療 養を行えるよう、弱体化している家族及び地域の介護力をサポートしていく必要があると。 このことも実は病院から退院する時点において、その地域の家族や介護力をどうサポート するかという視点で退院を考えないと、地域に戻ってから生活維持が困難になります。そ して、最後に、3ページの4の(4)介護保険のサービスと連携のとれた一体的なサービ ス提供にも問題があると思います。  これは非常に細かい話ですけれど、現場で一番困っているのは、退院してから要介護認 定を受ける、あるいは退院する前に要介護認定を受けるのですが、要介護認定がなされる のに約1カ月かかる。病院の在院日数短縮のために1カ月待っていられない。そうすると、 結局、地域でどういう介護サービスを提供できるか、それはもともと要介護認定をされる 前にサポートの体制をつくって、そこで自己負担をして、費用を払っておいて、後から戻 してもらうという、現場ではそういう細かいことが必要なのです。そのことが現場で理解 されていない。この介護保険のサービスと連携のとれた一体的なサービス提供の中にはこ の様な問題があると思います。  ですから、3の(2)と(4)と4の(4)の部分は本当は一体的な問題であって、そ のことをきちっと現場でやるということが今現実にはないということが、一つは先ほど遠 藤委員が言われた医療連携が何年やっていてもどうなのかという課題としてある。私は、 決して病院の先生たちを責める必要もありませんし、鴨下先生を責めるつもりもないので すが、治療効果には、患者さんの生活に対して従来の病院はあまり興味がなかった。高久 先生の御意見の中に、そうだったと言われてしまっていることが私としては非常に悔しい とも思いますが、そこはぜひ考えていただきたい。  もう一つ大事なことは、複数疾患を抱える後期高齢者を総合的に診る医師があります。 その辺は、例えば尾道市の片山先生がやられているところは、むしろ1人の医師が主治医 としての機能を発揮しながら、ほかの先生たちの力を借りながら連携をする。私も専門は 内科特に腎臓ですが、日頃の医療でも皮膚科の先生とか整形外科の先生とか耳鼻科の先生 たちと共同で診ていただくという作業は当然です。その為連携することは私たちにはごく 当たり前なのです。  これから医学教育が変わって、もっと総合的に診る視点を重要とすれば変わるかもしれ ませんが、現実は医師が互い連携をできる仕組み、主治医としての認識をすべきと思って います。現場ではだれが主治医なのかともめていますけれど、最終的には病院から1人の 医者に紹介が行くと、そこから波及していく、そういうものがこの中でどう展開するかが 大事と思います。  私はそれを国民にわかるような文章にしていただきたいなと思います。過大な宿題で申 しわけありませんが、そういう感想です。 ○辻本委員  川越委員の先ほどの御意見に賛成ということで、もう少し語らせていただきます。「納 得」ということ、これも私は申し上げようと思っていたところだったのですけれど、患者 は安全と安心だけではだめなんです。やっぱり、「ああ、そうなんだ。そういうことなん だ」と納得ができて、初めて次の一歩、次の二歩、その医療現場に主体的に医療参加する 勇気が支えられるんですね。ですから、「安心・納得」というように並列に置いていただ きたいなと思います。  というのは、納得の医療を提供するということをうたうことで、じゃあ、納得する医療 を提供するために何が必要かという、いってみれば仕組みづくりというところにもつなが っていくことだと考えるわけです。例えば、今、医療現場でインフォームドコンセントが 十分でない、コミュニケーションが十分でないと、いろいろ問題が浮かんできております が、そこにもし「患者さんの納得」ということが必要であるとうたわれたならば、きっと あと一言、その人に向けてこの一言、そして自分の説明が本当にちゃんと受けとめてもら えて、理解してもらえたのかという想像力を医療者が馳せるという医療現場におけるコミ ュニケーションという問題も随分変わってくると思います。  そういう意味で、納得のためには、あと一言、配慮の医療者の一言、あるいは支援シス テムを生み出すためにも、ここにぜひ「納得」ということを書き加えていただきたいとい うことを心からお願いしたいと思います。 ○川越委員  野中委員の意見に私も全く同感で、連携の話なのですけれど、病院というのは医療を行 うというのは、改めて言うこともない専門組織で、在宅というのは、医者にとっても、医 療を行っていると言いつつ、生活もやはり見ていくということがどうしてもあるという形 になっております。そのときに、連携をするときに、病院が主体的に動くのが本当にいい のかなということは私は非常に疑問に思っております。なぜならば、少なくとも今の段階 では、病院の方でいろいろアレンジされて、私たちが非常に動きにくいということが現実 としてあるからです。  そういう点で、私もこの資料を見せていただいていて、参考2の資料の2ページの2つ 目の段落のところに、病院と施設との連携ということで書いてあるわけでございますが、 ここで苦労されて作文されたなと思うのですけれど、仮に病院の方が中心になっていろい ろなアレンジをするということがあったとしても、そこに携わる者は医療と介護の両方を 熟知していなければならないと、そういう言葉が入っております。  これは確かによくわかる言葉なのですけれど、知識としてわかっているということと、 失礼ですけれど、野中先生や私は現場しか知らない人間なのですが、そういうものとはや はりちょっと違うと思うのです。ですから、連携ということは本当にこれから大きな課題 で、今も実際にいろいろな形で取り組みがなされていますが、これからそのやり方を考え ていく場合、これは非常に個人的な意見ですけれど、病院主体の連携のアレンジメントが 本当にいいのかということがまず1つと、仮にそれを一歩譲って、もしそういうことがあ るとしても、現場から離れないという視点でアレンジをしていただきたい。そのためには、 そういうアレンジをする方にぜひ在宅の現場を見ていただくということはある意味で必修 的なことにしていただきたい。込み入った話になりますけれど、そういうことをぜひ検討 していただきたい。それをもっと抽象化した言葉で表現していただければと思います。 ○堀田委員  理念についての話ですが、1ページの基本的な視点の中の2つ目に「後期高齢者の尊厳 に配慮した医療」という表現があって、これは非常に大切な考え方だと思うのですけれど、 このことが介護保険との連携、あるいは地域医療、あるいは生活重視、そういったことに 全部かかわってくる、いってみれば「尊厳」というのがキーワードだと思うのですが、何 のために医療をするのかというのは、高齢者に限らず、だれにとっても本人が尊厳ある生 き方をできるようにするためです。もちろん治療をするためですけれど、治療は何のため にするのか。結局、治療をする目的というのは、本人が本人らしく尊厳ある生き方をする、 そのことが究極の目的ではなかろうか。  ただ、これが高齢者以前の治療の場合には、回復して自立の能力が戻れば、当然それで 尊厳ある生き方の範囲ももとに戻るわけで、余り尊厳ということは言わなくてもいいので しょうが、高齢者になってきますと、医療をとるのか、生活をとるのか、どういう形の医 療をしていくのか。結局、基本のキーワードは「尊厳」ではなかろうか。自己決定という ことを一生懸命言うのも、自分で決定できるということが人間として尊厳ある生き方であ る、自分に責任を持ち、自分の決定に従って生きる、それはもう尊厳の基本的な要素です から、だから自己決定ということが非常に大切である。  その自己決定できない認知症の人たちなどについてどう判断するのか。これは本人が判 断できないから、家族あるいは第三者が判断せざるを得ない場合が当然出てきますが、そ のときの基準はやはり「尊厳」ということで、本人にとって一番その人らしい、人間らし い生き方をするために、どういう医療をすればいいのか。ですから、キーワードはすべて、 私は、「尊厳」ではなかろうかと思います。  介護保険が今度の改正で、第1条の目的に、「尊厳を保持し」という従来の自立目的よ り高次な理念をとり入れている。結局、介護も本人が尊厳を持って生きるためにするので あるということが明確になってきた。実は医療も基本構造をたどれば同じではなかろうか。 そうすると、特に後期高齢者について、「尊厳の保持」が究極の医療目的だということを しっかりうたい出せば、体系的に、例えば介護保険とどうネットワークを組むのか、本人 の尊厳のためにどうすれば介護はいいのか、医療はいいのか、同じ視点で物を考えられる し、ネットワークも組める。それに「尊厳保持」となると、もちろん介護と医療だけでは ない、家族の力、地域の力、ボランティアの力、何よりも本人の意思が大切である。それ らが全部ネットワークを組んでそのあり方を決める。そういう仕組みが必要である。尾道 で片山先生がやっておられるような、ああいう形が一つの必然の姿として導き出されてく る。  ですから、認知症の問題、連携の問題、自己決定の問題と、いろいろな問題が出てきま すけれど、そこに共通する一つの理念というものを「尊厳」ということで打ち出せば、い ろいろな場面でのいろいろな問題を解決する、あり方を決める、それが一つの基準になる のではなかろうかという気がします。 ○糠谷部会長  いろいろ御意見が出てきておりますので、皆さんおっしゃったことに対することでも、 どうぞ御自由におっしゃってください。 ○辻本委員  地域連携のところの問題ですけれど、先ほど私もポイントとして3つ上げた2つ目のと ころで、地域の格差ということを申し上げました。私もあちこちへ伺う折がございまして、 先般も、例えば富山県の少し地方、それから群馬県の「ここも高崎市なの?」というよう な、平成大合併の広域になってしまった、いってみれば随分な山里というところに伺いま した。もちろんそこで後期高齢者という年代の方々が日常を送っていらっしゃるわけです。  そうすると、ここで本当に地域医療という描いたことができるのかしらという不安を感 じます。そして、富山のその地域でお聞きした話によれば、例えば、昨年の4月1日から 診療報酬の改定で在宅療養支援診療所、たった1人だけ手を挙げた方がいたけれど、しか し、ぐるりと周りを見回して、「ああ、とてもやっぱりできないよ」とおずおずとその挙 げた手を下げてしまい、「結果、この地域には1人もいらっしゃらないんですよ」という、 そういうお話も聞いて帰ってくるわけです。  そうすると、ここで、地図の上で、あるいは議論の上で、地域連携という言葉を語って いても、何やらむなしいような気持ちがしてならないんです。そういう実態をもう少し把 握するということも踏まえて、地域連携がどうあるべきか、そのために何が必要か、そう いったことをしっかりと議論していっていただきたいなと思います。 ○野中委員  確かにおっしゃるとおりで、いわゆる過疎地のところで地域連携をどう考えるか。これ は本来は、ある面で医師会などが地域医療計画という中で、みずからの地域の医療のあり 方とか、お産ができるかを含めて、ちゃんと検証すべき部分であって、それは行政の仕事 だけではなくて、医師会もそこに入ってみずからの地域のあり方というものを考える部分 と思います。  その辺が今まではどうも、地域医療計画はベッド数の話ととらえられていたことがおか しな話だったわけです。今後はそれがもっと地域に重点的になりますから、今後見守って いきたいと思います。今言われた在宅医療支援診療所、私の診療所も手を挙げましたが、 24時間、365日が大きな難題です。しかし、そこに必要なニーズがあれば、そういう面で医 師がどう行動するかですが、そこは先ほど総務課長が言われた、短期的な入院も含めてさ まざまな地域の医療資源を活用すればいいわけですから、その中にも医療連携というか、 例えば今言われた富山とかそういう地点から、その方が病気になったときに救急車が行け るかどうかを含めて、病院までどのぐらいかかるのかという部分もあるとは思いますが、 その方が例えば病状が安定して、地域へまた戻って生活したいといったときに、さまざま なサービスがそこまで行けるのかどうかと。  その方だって介護保険料を払っているわけですから、その方をどうするかという話は、 医療保険制度とか介護保険制度でやはり考えなければいけないわけですから、そういう視 点が必要と思います。病院が患者さんたちの生活を支える為に介護に取り組めと言ってい るわけではなくて、病院が医療としてのサポートを充実することによって、地域の医師が 何とか現場に乗り出すことがある。ですから、そういう仕組みが個人の診療所だけではな くて、地域でのいろいろなバックアップ体制をつくり上げないと、なかなかうまくいかな い。そういう部分が必要と基本的なとらえ方をして、高齢者の報酬体系にどうやって持っ ていくかという課題が医療連携の視点にも大事と思っています。 ○鴨下部会長代理  今の辻本委員が御指摘された医療連携のことですが、辻本委員も出ていらした医療部会 で医療連携の体制のことをかなり議論して、形としては積み残しのようになったと思うの ですが、結局、各都道府県に、この4月からスタートするところが多いのでしょうか、県 の協議会でそれぞれの地域に即したあり方を、医療連携だけではないと思いますが、これ はむしろ総務課の仕事ではないかと思うのですけれど、各都道府県のことをここで議論す るのはふさわしくないように私は思いますし、それはそちらへお任せしてしっかりやって いただくということが一つの考えではないかと思います。  それはそれとして、医療連携はうまくいっていないという先ほどの遠藤委員の御指摘は もっともだと思いますが、それとここで言っている医療機関の機能特性、病院中心の高齢 者医療はどうかなという川越委員の疑問ですね。この3ページは、在宅医療をあくまでも 重視したということですから、その中のコンテキストとして理解すれば、これは決して病 院中心と読むべきではない、もしそうとられるなら書き方が悪いので、あくまでも高齢者 医療は地域、そして在宅を中心にすべきで、緊急事態に病院に1日とか3日とか1週間と か入院する。これは在宅医療の学会などでも、そういうことが病院に要求されるというこ とを聞きますので、これは表現を改めてもらえばいいんじゃないかなと思います。 ○川越委員  鴨下委員から私の発言について御意見をいただきまして、ありがとうございました。私 が申し上げたかったことは、在宅の医療を担うのはもちろん間違いなく我々在宅診療所の 人間ですが、患者さんが退院するときに、病院の方である意味で全部アレンジをしてしま うということがあるわけですね。それは多分野中先生も同じことをおっしゃっていると思 うのですが、今の我々の在宅側の力で十分なのかという問題がありますけれど、在宅の医 療をアレンジするのはやはり在宅の医者ということになりますので、病院の方でいろいろ なアレンジをされて在宅の方へバトンタッチするというやり方は、賢い選択ではないので はないかと、そういうつもりで申し上げたんです。 ○糠谷部会長  部会長としてではなく、一委員といいますか、一患者かもしれないのですが、そういう 立場で今の御議論で私の感想を申し上げさせていただければと思います。このペーパーは、 私も一委員として申し上げてもよくまとまっていると思います。ただ、今御議論になって おりました自己決定とか安全・納得・安心ということについて、ここにおいでの委員の皆 さんはもう現実に実践をしておられることですから、大変説得力がある御議論ですし、私 なども毎回大変すばらしい活動をしておられるなと感服をしていますが、最近、私が経験 をしたことで申し上げますと、昨年の秋から暮れにかけまして、私の身内が4人ほど立て 続けに入院を同時期・同時並行的にしたことがあるんです。  そういうときに、私が一人でうろうろしている、周りにだれもいないという状況になっ たときに、入院で手術ですから、今の病院の仕組みですと何カ月も前から数カ月先にこう だよという連絡が来たらポッと入るという、それが立て続けになりまして、周りにだれも いないわけですね。そういうときに、大都市で今、安全・安心、自己決定という条件をど のように――過疎地はもっとかもしれませんけれど、過疎地はそうはいってもまだ地域社 会というものがあるわけですが、大都市でかかりつけのお医者さんもそんなにあるわけで はない中で、川越先生や野中先生のようなところだったらお世話になれるのかもしれませ んが、そういう意味で、地域医療、安全・安心、自己決定という条件をどのようにつくっ ていくか。  これは総論の基本的考え方ですから、よくできているといいますか、こういうことだろ うと思うのですが、そこのところをどのように、日本の地域性も考えて、現在の社会状況 から考えてというのは、いずれは詰めていかなければいけないのではないかなという感想 を持ったところでございます。 ○堀田委員  非常に難しい問題ですけれど、認知症の問題が出て、認知症についての在宅でケアをす る仕組みについて、今、方法論もわかってきて、そういう運動が広がっていますが、精神 病院に収容される認知症の高齢者が相当多くて、入ったらあっという間にお薬でおかしく なってしまう。それを地域で何とかしようと頑張っているボランティアの人たちなどは非 常に悔しがるわけですが、認知症の方について、その方の残存能力を生かして、それこそ 尊厳を持って地域で支えるという、そのことが高齢者の尊厳ある生活として非常に大切で す。それを家族がもてあまして病院へ入れて、病院に入れるとあっという間におかしくな ってしまい、そして戻ってこないという、この事態が少なからずあって、全国あちこちで そういう悲鳴が聞こえます。  これを何とか食いとめる体制をつくらないと、ここで認知症の議論もいろいろされまし たけれど、それは大体在宅で何とかやりたいという、精神病院にスッと連れていくケース は余り考えられていないので、そのあたりをしっかりやらないと、非情な人権無視の姿が 解決できない。その辺を素通りしては、高齢者医療を論ずるときにいけないのかなという 感じがいたします。 ○川越委員  認知症の方は確かに大きな課題だろうと思います。今、堀田委員がおっしゃられたよう に、私も素人ですけれど、見ておりまして、流れが2つあると思います。  1つは、家の方が絶対いいということですね。これは私たちはしばしば経験いたします。 退院されて帰る前は抑制されていたような方が、家に帰ったら普通にされると。これは特 に在宅をやっていらっしゃる方はどなたも経験することでありますが、今、そういう方を 私は診ております。つまり、自分が住みなれたところから切り離されてしまうとおかしく なると。これがまず第1点としてあると思います。  2点目は、そうはいっても、自分のところでずっと過ごしていて認知症にならないかと いうと、そういうことはないわけで、ずっと長い経過を見ていきますと、普通の方では理 解できないようないろいろな症状が出てまいります。そのときにどうしたらいいか。第1 の点に関しては、できるだけ家で過ごせる体制づくりを考えるということでいいわけであ りますが、2つ目のことに関してどうしたらいいかというと、今、私が診ている方で、こ れはがんの末期の方ですが比較的長く生きられている方で、やはり認知症が出てきてとい う方がいますが、家族とヘルパーさんが戸惑ってしまうんですね。  そういうときに医療者が、「これはこういうことなのだよ」と説明をしてあげて、「こ ういうことをやれば十分なのだよ」という保証を与えると、ヘルパーの方も安心して見て いかれますし、その方はひとり暮らしの方なのですが、家族の方が来られたときにそうい う説明をいたしますと、「ああ、これでいいんだな」という感じを持たれるわけでござい ます。  ホスピスケアもそうなのですけれど、何か症状があったらそれを緩和してしまえという、 何でも緩和しろという話になりますと、先ほど堀田委員が言われたように、「これは精神 障害だから、精神病院へ入れちゃえ」と、そういう短絡的な発想がなされるわけですけれ ど、認知症というものを持ってそこで生きていく方をいかに支えるかという視点が大事で はないか。その視点は、体制もありますし、そういう認知症の症状はどういうことに起因 しているかという、そういうものを持った中で生活されるということを支えていく。その 2つの点からいくんじゃないかなと思います。  かつては認知症の方は精神病院に入れるしかなかったということですが、最近はグルー プホームなり在宅でやるという方向が出てきたので、以前よりは少しよくなったのではな いかなという印象を私自身は持っております。 ○野中委員  まさに認知症の話は、今、堀田委員が言われたことと思うのです。今まで認知症の人と かかわってきて、大事なのは、なじみの環境をどうつくるかであって、グループホームと かさまざまな施設の取り組みも、実は患者さんにとってなじみの環境をどうつくるかに苦 労されている。その努力が現場でどの様に構築されるか。しかし、すべてのグループホー ムがそういう取り組みをしているのか、そうでもないところがこれからの一つの課題です。 また、地域の人たちが認知症をだめな人と思わないということも、地域のなじみの環境の 中で大事だと思います。  先ほどの部会長の話と関係しますが、なじみの環境というものが改めて大事であり、そ れは地域の力と思うのです。その地域の力が都会やいろいろなところでは薄れている。実 はここにある在宅を重視した医療には「かかりつけ医による訪問診療、訪問看護」とあり ますが、かかりつけ医とか看護師だけではなくて、その地域には、ヘルパーさんも含めて、 薬局とかいろいろな人たちがおられるわけです。その人たちのなじみの医療環境を、高齢 者になったら患者さん自身にも認識をするということから始まって、そしてその方々たち がケアの大切さなどをお互いに認識をすることが大事だと思います。  それが診療報酬の中でどの様に体系できるかはわかりませんが、なじみの環境は大事で す。一番主張したいのは、なじみの医師というものが本当に大事であり、その医師がかか りつけ医だと判断するのです。それは医師だけではなくて、さまざまな多職種の人たちが なじみの環境をきちっとつくることが大事であり、制度で直すことではなくて、制度をつ くることによって支えるということの視点になれば、認知症の方でも今よりも長い期間住 み慣れた地域で生活がすることを実現できると思っています。  事務局にとっては、今勝手に言ったことを表現するというのはなかなか難しいことで、 御苦労があると思いますが、表現をしていただけたらとは思います。 ○川越委員  先ほど堀田委員がおっしゃられた基本的な視点の2つ目に出ている「尊厳」という言葉 ですが、これがまさに我々が考えていく上での本当に基本中の基本だろうと思います。こ のことと関係しまして、ここまで踏み込んでいいのかなということを私自身ちょっと迷っ ておりますが、2ページの3の(5)に「患者自身が、正しく理解をして自分の治療法を 選択することの重要性が高い」と書かれておりますが、選択して、それで医療者が知らな いということではなく、それが実現できるような方向に向かっての手だてを施していくこ とが大事です。しかし、医療者の方で、辻本委員がおっしゃったパターンナリズムという のはまだ残っているようで、選択したものが自分の医療に合わなかったらもう「知りませ ん」と。  「知りません」というときに、自分の範囲ではないということはおっしゃられてもいい と思いますが、そこでポンと突き放すようなことがございまして、そうではなく、「それ は自分の守備範囲ではないから、このことに関してはこちらに行きなさい」とかというよ うな、それが実現できるような方向を考えていく。選択して、それを実現、ということが 盛られたらいいんじゃないかなと思いました。 ○鴨下部会長代理  2ページの3の課題に5つ上がっていますが、これの主語はだれなのか。例えば(1) の「心のケアも必要となっている」というのは、だれがケアするのか。あるいは、(2) の「その人の生活に合わせた療養を考える必要がある」というのは、だれが考えるのか。 そういうことで、だれがどうするということを次回以後、答えを事務局にもう少しはっき り出していただく。そういう意味でのこれは課題ではないかと受けとめております。今は 川越委員が(5)について注釈されたわけですけれど、(4)なども、だれがサポートし ていくのか。そう考えると、非常に難しい問題を含んでいるように思いますけれど。 ○糠谷部会長  ほかに御意見はございますでしょうか。きょうはたっぷり時間がございましたので、い ろいろな議論が出たと思います。特によろしゅうございますか。  それでは、予定の時間までまだ少しございますけれど、このあたりで本日の審議は終了 したいと思います。本日いただきました御議論を踏まえまして、事務局において整理の上、 次回、基本的考え方の素案としてお示しできればと考えております。  また、委員の皆様におかれましては、本日いただきました御議論のほかにも御意見など がございましたら、事務局あてに文書で御意見をいただくようお願い申し上げます。  本日御欠席の方にもその旨事務局よりお伝えさせていただきます。  各委員の皆様から書面でいただいた意見につきましては、委員全員にお伝えすることと いたします。  さらに、基本的考えにつきましては、当特別部会のほか、医療部会、医療保険部会にお きましても御議論をお願いすることとされております。両部会には、本日の本特別部会で の議論を伝えますとともに、両部会でなされた議論につきましては、本特別部会の委員の 皆様にお伝えすることといたします。  事務局には、両部会における議論もあわせて踏まえた整理をお願いいたします。  それでは、次回の日程につきまして、事務局からお願いいたします。 ○事務局(原医療課長)  今のところ未定でございますが、医療部会、医療保険部会を開催させていただいた後、 またお集まりいただきたいと思っております。 ○糠谷部会長  それでは、次回の日程につきましてはまた御連絡をいただくことにいたしまして、本日 はまだ若干時間がございますが、これにて終了させていただきたいと思います。本日はど うもありがとうございました。     【照会先】     厚生労働省保険局医療課企画法令第1係      代表 03−5253−1111(内線3288)